1961年原著刊行
1985年駸々堂出版(高橋健二訳)

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 エーリッヒ・ケストナー(1899-1974)はドイツの詩人・小説家。
 『エミールと探偵たち』、『飛ぶ教室』、『二人のロッテ』など児童文学作家としても名高い。
 劇団四季によってミュージカル化された『ふたりのロッテ』のポスターを、駅構内や列車内で見かけたことのある人は多いだろう。

ふたりのロッテ
劇団四季『ふたりのロッテ』ポスター

 本作はその名の通り、1945年2月から8月にかけて、すなわちベルリン陥落前から広島・長崎原爆投下にかけてのケストナーの日記である。
 年譜によれば、次のようになる。
  • 2月 ヤルタ会談・・・・ルーズベルト(米)・チャーチル(英)・スターリン(ソ)によるドイツの戦後処理についての協定。
  • 4月7日 ソ連軍がウィーン占領
  • 4月20日 ソ連軍がベルリン包囲
  • 4月27日 オーストリア臨時政府、独立宣言
  • 4月30日 ヒトラー自殺、アメリカ軍がミュンヘン占領
  • 5月8日 ドイツ無条件降伏
  • 7月17日 ポツダム宣言・・・・日本の戦後処理についての宣言
  • 8月6日 広島に原爆投下
  • 8月9日 長崎に原爆投下
  • 8月15日 日本無条件降伏
 ケストナーはこの期間、パートナーのロッテと共に、ベルリン(のちの東独)~マイヤーホーフェン(オーストリアの山岳地帯)~バイエルン(のちの西独)~シュリーア湖(西独)と、食と安全を求めて転々とした。
 というのも、連合国軍の攻撃を受けドイツ敗北がすでに決定的となっていたにもかかわらず、ドイツおよび占領されたオーストリア国内では依然としてナチス・ドイツによる支配が続いており、党員や軍人による市民に対する目にあまる横暴があったからである。
 ケストナーはファシズムを非難したため当局から目をつけられ、秘密警察に二度逮捕され、執筆を禁じられ、目の前で著書を焼かれるなど、いつ捕らえられて処刑されてもおかしくない立場にあった。
 ドイツ降伏後は逮捕される心配こそなくなったが、あいかわらず窮乏生活が続き、友人・知人を頼るほかなかった。

 そのような忍耐と不安と空腹の強いられる中で、速記文字でこっそりとつけられたのがこの日記である。
 戦時下の庶民の日常がどんなものであったか、終戦間際のナチス・ドイツの混乱がいかなるものであったか、戦争が終結した喜びがどれほど大きかったか、そしてモラルの崩壊した非日常的空間において人間がいかに奇矯な振る舞いをなし得るか、具体的なエピソードでもって語られている。
 ソルティはケストナーを読むのはこれが初めてであるが、皮肉というかブラックユーモアに長けた人である。
 もっとも周囲の状況を考えれば、どんなユーモアもブッラクにならざるを得ないだろう。
 本来なら明るいユーモアを得意とする作家なのだろう。でなければ世界中で愛される児童文学など書けるものではない。

auschwitz
アウシュビッツ収容所 

 読んでいると、日本の敗戦間際の状況と酷似するところが多い。
 敗戦時にはいずれの国でも同じような現象が起こるのか、あるいは日本人とドイツ人に共通したメンタリティによるものなのか。
  • もはや敗北が明らかなのに戦闘にこだわり続け、多くの国民を無駄死にさせた点。
  • マスメディアを操作し、負けているのに勝っていると国民を最後までだましつづけた点。
  • 下っ端の若い兵士に爆弾を身につけさせ敵の戦車に体当たりさせる、まるで「神風特攻隊」のようなグロテスク。
  • ラジオでは降伏について語っているというのに、子供たちに軍服を着せて武装させ、第一線に送り続ける玉砕作戦! 
 ケストナーは、ファシズムを可能にし、結果としてこういった理不尽な行動につながる背景となったドイツ的性格の欠点について、次のように述べている。

 「すべての人、上にある権威に従うべし!」という聖書の一句をわたしたちは他の諸民族よりも言葉どおりに受けとる。わたしたちの反抗をさまたげるものは、鎖だけではない。わたしたちを無力にするものは、あらわな恐怖だけではない。わたしたちは数十万人たばになって死ぬ用意がある。いつでも上からの命令があれば、悪事のためにでも死ぬ用意がある。わたしたちは集団で、号令のままに自己を犠牲にする。わたしたちは暗殺者ではない。もっとも崇高な目的のためであっても、いや、そのためにこそ、暗殺者にはならない。わたしたちの暗殺は失敗する。それは性格に結びついている。わたしたちは政治的に従属的人間なのだ。わたしたちは国家に虐待されて喜ぶマゾヒストだ。

 なんだか日本人のことを言われているような気がした。

 いま、日本の民主主義は危機的状況にあると思う。
 選挙権を手にしてから一度も自民党に入れたことのないソルティにとって何よりやるかたないのは、こうした状況を招いたのが、戦前の軍部の独走や戦後のGHQによる支配、あるいはメディアによる言論統制といった他律的な要因によるものではなく、選挙という民主的な手段、すなわち民意によって“自発的に”このようになってしまった――という点である。

 あきらめずに声を上げるしかない。




おすすめ度 :★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損