2006年太田出版
2009年講談社文庫
ある人物がどういった人かを知るには、その愛読書を知るに如くはない。
もっともその人が活字を読む人間であることが前提であるが。
本書は、安部元首相の愛読書だったという。
会う人ごとに薦めていたとも聞かれる。
そういうわけで、安倍晋三がどういう人物であったか推測しようと思い、そうでもなければまず手に取ることはなかったであろう百田尚樹の本を読んでみた。
ソルティの中での百田のイメージは、「頑迷で自己顕示欲の強い保守親爺」「安倍晋三びいきの歴史修正主義者」というものである。
ベストセラーとなり岡田准一主演で映画にもなった本書は、第二次世界大戦時の日本軍による特別攻撃隊、いわゆる零戦によるカミカゼ特攻をテーマとしている。
終戦間際にカミカゼ特攻で亡くなった祖父・宮部久蔵の真の姿を探るため、孫である姉弟が生前の祖父を知る元兵士たちを訪問して話を聞くというプロットである。
「臆病者だった」「熟練のパイロットだった」「あくまで命を大切にする男だった」「卑怯な奴だった」「家族思いの人間だった」・・・・複数の証言者によって語られる祖父の様々な姿。それとともにあぶり出される太平洋戦争の推移と英雄とも言えるパイロットたちの活躍、そして戦略なき日本軍の醜態につぐ醜態。
一人の人間の真実を複数の他者の口を借りて描き出すというミステリー仕立ての構成は、有吉佐和子の『悪女について』を思わせ、読み手の好奇心を煽る。
真珠湾から始まる怒濤の進撃で一気に波に乗るも、ミッドウェー、ガダルカナル、ラバウル、サイパン、レイテ、沖縄、原爆投下と敗退していく太平洋戦争の推移も、敗因の推測とともに非常にわかりやすく描き出されていて、下手な歴史書を読むよりずっと理解に役立つ。
当然のことながら、軍艦や戦闘機などの機能の説明や米軍とのスリル満点のリアルな戦闘シーンなどミリタリーオタクが喜びそうな描写もたくさんある。が、ソルティのようなミリタリーに興味のない読者にとっても、わかりやすく端的に説明されている。
姉弟が日本の各地で出会うかつての祖父の同僚たちも、リアリティ豊かにキャラ分けされ、出会いの一つ一つがドラマを生み、それによって内面の変化を遂げていく姉弟それぞれの心理描写もうまい。
そして、最後にやって来る大どんでん返しと、人が人を思いやる気持ちが生み出す熱い感動は、ミステリーと人間ドラマの見事な融合となって読む者の心を打つ。
小説としての出来は素晴らしい。
これが百田のデビュー作というのだから文才はたいしたものである。
ソルティはネットなどで見る百田の言説から推測して、本作を「国や天皇のために喜んで身を捧げた男たちへの讃美」すなわち国粋主義的英雄観がテーマかと思っていた。
しかし、そうではなかった。
これは「国のためでも天皇のためでも、ましてや軍のためでもなく、愛する者のために生き延びようとし、愛する者のために死を覚悟した男への讃歌」だったのである。
ナショナリズム掲揚、天皇陛下万歳といった話ではない。
戦略らしい戦略もなしに無謀でやけっぱちな戦闘をくり返す国家や軍への批判、配下の命など微塵も顧みず保身と出世に汲々とするエリート仕官たちへの憤り、そして米軍によってバカボン(baka bomb馬鹿爆弾)と揶揄されたカミカゼ特攻という悪魔的な愚行に対する否定を、百田はしっかりと書いている。ここでは作者は庶民の側にいる。
百田とは政治的・思想的にまったく反対の立場にいるソルティにも、十分受け入れられる内容であった。
それだけに、なぜ百田が安倍元首相の信者となったのか、なぜ安倍晋三が本書を愛読したのか、不思議な気がする。
想像するに、安倍晋三は「愛する者を守るために、不当な批判や攻撃も恐れず、強い意志でもって自らを貫き通し、一身を捧げる」主人公・宮部久蔵の姿に、憲法改正に命を懸ける自身を重ねたのだろう。
しかるに、宮部久蔵と安倍晋三とでは立場が違う。
安倍晋三は断じて庶民ではなかった。
生まれついてのエリートであり、国民の上に立つ為政者となるべく育てられ、国政や自衛隊を操ることのできる最高権力者であった。たとえ日本が戦争に巻き込まれても、戦場に赴くことなど決してない上級国民である。
まさに彼こそはカミカゼ特攻のような愚かな作戦を生み出し行使できる立場にいた中心人物だったのであり、それはアベノマスクという baka bomb が証明しているではないか!
その上に、反日教義に彩られた悪名高きカルト教団の広告塔に自ら進んでなり、天皇を象徴として戴く国体を脅かそうとした男である。
これを愛国者という名で呼びうるだろうか?
本作中で百田は朝日新聞記者を思わせる男を登場させ、戦後経済界の大物になった武田という名の元兵士の口を借りて、徹底的に左翼ジャーナリズム批判を繰り広げている。
いわく、戦前は世論を煽って軍部に力を与え、戦時中は忠心愛国を訴え戦意高揚の徒となり、戦争に負けるや手の平を返すように正義者面して反戦と自虐史観を説く。
確かに当たっているところもある。
今回の旧統一協会に関する報道においても、ジャーナリズム(とくにNHKと朝日)の姿勢には首を捻らざるを得ないところが多い。
社会の木鐸としての使命感と、正々堂々と自己批判できる自浄能力を失っているのではないかと心配になる。
武田の口を借りて、百田は左を撃つ。
「今日、この国ほど、自らの国を軽蔑し、近隣諸国におもねる売国奴的な政治家や文化人を生み出した国はない」
まったくその通りだ。
いまやブーメランは零戦のように空中旋回し、右に突き刺さっている。
おすすめ度 :★★★
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損