1998年文藝春秋
林四郎訳

IMG_20220902_224054

 原題は In the Shadow of the Moons――My Life in the Reverend Sun Myung Moon’s Family 「月の影――文鮮明一家における私の半生」 
 
 洪蘭淑(ホン・ナンスク)は1966年韓国生まれの女性。
 もっとも初期からの文鮮明の弟子であった両親の間に生まれ、15歳で文鮮明の長男・文孝進(ムン・ヒョウジン)と娶わせられる。もちろん、本人たちの意志や好みは関係なく。
 その後、アメリカの豪邸で文鮮明一家の傍らで姑の韓鶴子(ハン・ハクチャ)、いわゆるマザームーンに侍女のように仕えながら、10代で4人の子供を産む。
 統一教会後継者候補の妻という、世界中の信者が羨むような輝かしい地位と贅沢極まりない生活を手にしながら、彼女は不幸だった。
 その一番の原因は、夫・孝進のアルコールとドラッグ漬け、派手な女性関係、そしてDV(家庭内暴力)。
 1985年8月のある朝、ついに彼女は4人の子供を連れて屋敷を抜け出し、文一家とも統一教会とも袂を分かつ。

 これはフィクションではない。
 なので、こう言ってしまうと語弊があるが、「とんでもなく面白かった!」
 読んでいる間、「事実は小説より奇なり」という言葉が何度も浮かんだ。
 むろん、いま最もタイムリーでビビッド(鮮明)な話題であるからだが、それを抜きにしても、周囲の望むとおりに流されるまま生きてきた一人の従順な女性が、間違いに気づき、自らの頭で考え行動することを覚え、やがて自立するまでの半生を綴った成長ドラマとして読む価値が高い。
 カルト宗教や家庭問題やDVなどさまざまなテーマを含む内容の濃さ。
 教会および夫からの脱出劇というクライマックスに向けてページをめくる手が止まらない。
 文藝春秋は今こそ本書を文庫化して再発売してはどうだろうか。

壺1


 著者自身は文鮮明の長男の妻であり、著者の兄は文鮮明の長女の夫である、ということから明らかなように、長年、洪一家と文一家は密接な関係にあった。
 著者の父親・洪成杓(ホン・ソンピョ)は、統一教会を支える巨大ビジネス帝国の最初の敷石となった一和(イルファ)製薬の社長だった。
 著者はまた、文鮮明夫婦やその10人を超える子息子女たちと、14年間生活を共にしてきた。
 つまり、もっともよく文一家の実像を知る外部から来た人間というわけで、それだけにこの内幕暴露は信憑性が高い。
 教会の核である文一家の非常識きわまる実態や、中心に近づけば近づくほどに歪みと狂気が増す教会の出鱈目ぶりや怖ろしさが暴き出されている。

 今焦眉の「2世問題」もある。
 著者はまさに生まれついての信者であり、長じてから誰かから信仰を強制されたのでも、拉致監禁されて洗脳されたのでもない。
 統一教会の教義が当たり前である環境に生まれ育ち、文鮮明がメシアであることを小さい頃から疑うことなく受け入れてきた。

 私が経験したのは条件反射だった。人は画一的な精神をもつ人びとのあいだに隔離させられ、批判的思考よりも従順を高く評価するメッセージを雨あられと浴びせられると、信仰体系は常に強められる。教会に長く関係していればいるほど、これらの信心に身を捧げるようになる。十年後、二十年後、自分の信念が砂の上に立てられていたことを、たとえ自分自身に対してであっても、だれが認めたがるだろうか?
 確かに私は認めたくなかった。私は内部の人間だった。私は文師の甚だしい過失――息子の行動を許容していること、子供たちを殴ること、私に対する言葉による虐待――を許すほど充分に、文師から親切にされた。彼を許さないことは、私の全人生に疑問を抱くことだった。

 うがった見方をすれば、夫・孝進の目にあまる不品行やDVが彼女の“生まれついての洗脳状態”を解くのに役立ったわけで、それがなければ彼女はいまも教会にとどまって「マザームーン2世」になっていた可能性も否めない。
 
 ドメスティック・バイオレンスの典型的な事例としても読む価値が高い。
  • DVがどんなふうに始まり、激化していくか。
  • 被害者である妻が、加害者である夫を「私の力で救ってあげる」と勘違いする心理の綾。
  • なぜ被害者はそこから逃げようとしないのか、あるいは逃げられなくなるのか。
  • 被害者がようやく事態を客観的に見られるようになり、逃げだす決心をするまでの過程。
  • 被害者に周囲のサポートや法的・経済的支援が必要な理由
 本書を読むと、こういったことが手に取るように分かる。
 孝進は単に男尊女卑、亭主関白の風潮が強い韓国の夫というだけではなかった。
 著者が信仰する宗教組織の絶対君主のような教祖の息子で、次期リーダー候補でもあった。
 そこには結婚の当初から圧倒的な上下関係があったのである。

壺3

 家族というテーマもある。
 いまや誰もが知るように、統一教会の教義の中心は「家庭至上主義」である。
 一対の純潔な男と女が、メシア文鮮明によって主宰される合同結婚により結ばれて、妻は夫に尽くし、夫は妻を守り、互いに相手を裏切らず、信者となるべき沢山の子供をつくり、愛情のうちに育てる。いわく、「家族とは、愛を育て、幸福と平和を学ぶ場所」。
 日本の戦前を思わせる男女観、結婚観、夫婦観、家族観がそこに見られる。
 当然、婚前交渉や浮気や不倫はもちろんのこと、夫婦別姓や同性婚はとんでもない悪魔的所業となる。

 ここでこの思想についての是非を論じることはしない。
 言及したいのは、こうした思想を説きまわった文鮮明が、まったく自らの教えと離反する行為ばかりしていたことである。
 本書によれば、文鮮明とマザームーンは13人の子供をもったが、いずれも生まれるそばから側近に預け、自らの手で育てることをしなかった。
 子供たちはあり余るお金で贅沢し放題、文夫妻の愛顧を得ようとする周囲の信者たちにかしずかれ、悪いことをしても叱られることも責任を取らされることもなく、つまるところ暴君のように育つ。
 また文鮮明は浮気を繰り返し、婚外子をもうけている。

 その息子孝進は十代の頃から見境なく女遊びをし、結婚してもまったく治まることがなかった。生まれてきた子供の誕生日も学年も知らない。
 孝進はアルコールとドラッグ漬けになり健康状態が悪化、著者との離婚が成立した後、40代で亡くなった。
 DV加害者として許されない人間であると思う一方、可哀想なところもある。
 両親から必要な愛情やしつけを受けることなく甘やかされて育ち、次代のメシアとして周囲から過重な期待が寄せられて、その孤独とプレッシャーは半端なかったであろう。
 ここにあるのは、虐待の連鎖であると同時に、典型的な「機能不全家庭」の姿である。
 これが教会の言う「愛を育て、幸福と平和を学ぶ場所」の最高モデルだった。
 著者が、この環境にいながら自らの4人の子供を愛情をもって育て上げ、文家の家風に感化させなかったことを誉めたたえたい。

壺2

 もう一点、我々日本人にとって看過できないテーマがある。
 日本が教会に対して果たし続けてきた役割である。

 日本は帝国的カルト発祥の地と言ってよい。19世紀、日本の天皇は神聖を宣言され、日本の民衆は古代の神々の子孫であると宣言された。第二次世界大戦後の1945年、連合国により廃止された国家神道は、日本人にその指導者たちを崇拝することを要求した。権威に対する従順と自己犠牲は、最高の美徳と考えられた。
 したがって、文鮮明のようなメシア的指導者にとって、日本が肥沃な資金調達地であることになんの不思議もない。年配の人びとには、自分たちの愛する者たちが霊界で平安な休息に達することを切実に望む気持ちがあるが、熱心な統一教会員たちはそれに目をつけた。彼らは何千人もの人びとに、これを買えば亡き家族は必ず天国に入れますよと言って、宗教的な壺や数珠、絵画を売りつけ、何百万ドルも巻き上げた。

 文師は日本との重要な金銭関係を神学用語で説明した。韓国は「アダム国」、日本は「エバ国」である。妻として、母として、日本は「お父様」の国である文鮮明の韓国を支えなければならない。この見方にはちょっとした復讐以上のものがある。文鮮明や統一教会におけるその信者も含めて、日本の35年間にわたる過酷な植民地統治を許している韓国人はほとんどいない。

 文鮮明および統一教会の基本ポリシーは「反日」「反共」。
 これは文鮮明自身が、子供時代に植民地政府である大日本帝国から様々な迫害や抑圧を受けたこと(たとえば朝鮮の全家庭には家に神棚と御真影を祀るよう命じられた)、青年時代に平壌で宣教を始めたときに共産党当局から睨まれて拷問を受け強制収容所送りとなったこと、が大きな要因となっているようだ。
 つまるところ、戦前・戦中に日本が朝鮮人に対して行った様々な所業が、回り回って、後年、日本の信者たちが韓国人である文鮮明に対して多大な賠償を払い続けなければならない結果となったわけで、その巡りあわせに因果応報という言葉すら浮かんだ。

 とは言え、安倍元首相を殺害した山上容疑者の場合をあげるまでもなく、家庭を崩壊させるほどのあこぎな集金活動や、人格を崩壊し親兄弟を分裂させる洗脳システムは、基本的人権尊重を掲げる法治国家としてとうてい見逃すことのできるものではない。
 本書で明らかにされた文一家の実態くらい、「宗教」や「平和」や「家族愛」という言葉からかけ離れたものはない。
 純潔と清貧と自己犠牲の心でもって教会に奉仕し、文一家を「神の家庭」と仰ぎ見ている末端の真面目な信者たちがあまりに哀れである。
 洪蘭淑はこう指弾する。

 統一教会の中心にある悪は、文一家の偽善とペテンである。一家は、その信じられないほどのレベルに達した機能障害のなかで、あまりにも人間的である。教会に引き込まれた理想主義的な若者たちよりも、文一家が霊的に優れているという神話を広め続けることは、恥ずべき欺瞞である。

 文鮮明は2012年に亡くなった。
 その息子たちが相次いで亡くなったり会と対立して離反したりで、現在80歳近いマザームーンが頼朝亡き後の北条政子の如く、君臨している。
 その後継者はいまだ決まっていない。

壺4




おすすめ度 :★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損