2016年イラン、フランス
125分

 第89回アカデミー賞外国語映画賞はじめ数々の国際級映画賞を獲得しているミステリーサスペンス。
 監督はイラン出身なので、舞台はおそらくテヘランだろう。
 2018年に公開されたババク・アンバリ監督によるホラー映画『アンダー・ザ・シャドウ』同様、すっかりアメリカナイズされた現在のイランの都市生活が描かれている。
 
 タイトルの由来になっているように、劇団に所属する主人公夫婦が現在演じている芝居がアメリカ作家アーサー・ミラーの『セールスマンの死』であるあたりからして、いまのイランが急激な西洋化によって遭遇している社会問題が、まんまアメリカ的であることが象徴的に示されている。
 観終わってから気づいたが、本作には登場人物が「アッラー」を称えるセリフやイスラム教徒ならではの祈りのシーンがなかった。

テヘラン
欧米化著しいテヘランの街

 教師エマッドと妻ラナは小さな劇団に所属している仲の良い夫婦。
 引っ越したアパートメントで新しい生活が始まった矢先、侵入してきた何者かにラナは暴行され、大ケガを負ってしまう。
 ラナは警察に届けることを拒否する。
 怒りのぶつけどころないまま犯人探しをするエマッドは、犯人が部屋に置き忘れた車のキーを手がかりに、ついに容疑者をつきとめる。
 それは思いもかけぬ相手であった。

 ストーリー自体は取り立てて奇抜なところはない。
 大都会ではよくある事件の一つであろう。
 犯人の意外性も驚くほどのものではない。
 単純にミステリーサスペンスとして評価した場合、凡庸な出来と言える。
 本作の評価の高さは、登場人物たちの心理描写がこまやかで、一つ一つのセリフや行動にリアリティがあり、全般丁寧に撮られている点であろう。
 他の男に暴行された妻と、それを知った教養ある夫。
 両者の揺れ動く心理と関係性の変化を見事に演じきった役者も素晴らしい。
 深みある人間ドラマとなっている。

 おそらく、西洋化する前のかつてのイランの男ならば、他の男に“汚された”妻を許さないだろう。「お前が油断しているから、こんなことが起こる」と責め立てるであろう。
 暴行した男を見つけたら、それこそただでは済まさないであろう。
 目には目を、歯には歯を、である。
 社会も男の復讐劇を称賛こそすれ、非難することはないだろう。
 アッラーには復讐の神の名もある。

 高校教師であり『セールスマンの男』を演じられるほどに現代西洋的教養や価値観を身につけたイスラム男のアイデンティティは、もはやかつての伝統文化の枠内にはおさまりきれない。
 ラストシーンで妻を襲った真犯人と対峙し、本来なら正当であるはずの復讐を果たすことに惑うエマッドの逡巡には、伝統的価値観と新しい西洋的価値観に引き裂かれるイランの知識人の現在が見事に活写されている。
 


おすすめ度 :★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損