1968年日活
125分、白黒

 太平洋戦争終結間際の沖縄でのひめゆり学徒隊の悲劇を描いたドラマ。
 石原裕次郎主演の日活映画や『二百三高地』、『零戦燃ゆ』などの戦争大作、アニメ『宇宙戦艦ヤマト』シリーズなどで知られるヒットメーカー舛田利雄監督の手堅く迫力ある演出が際立つ。
 戦争ノンフィクションと人間ドラマとエンターテインメントの見事な融合である。

 主演の吉永小百合はじめ、浜田光夫、和泉雅子、二谷英明、渡哲也、乙羽信子、東野英治郎、中村翫右衛門などスター役者が揃って、1971年にロマンポルノに移行する前の日活最後の輝きといった趣きがある。
 藤竜也や音無美紀子や梶芽衣子(当時の芸名は太田雅子)もどこかに出ているらしいが気づかなかった。

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ひめゆり学徒隊に扮する吉永小百合(左)と和泉雅子(右)

 物語後半からは、B29による米軍の凄まじいじゅうたん爆撃に圧倒される。
 観ていて、日本軍相手ならまだしも民間人を容赦なく攻撃する米軍に対する憤りは当然感じるものの、それ以上に強いのは、このように民間人に多数の死者を出しても戦争をやめようとしない軍部に対する怒り、日本という国家に対する怒りである。
 サイパンを取られた時点で(本当はもっと前から)日本の敗戦は誰の目にも明らかだったのに、なぜそこで停戦講和に持ち込まなかったのか?
 本土決戦など言葉だけのきれいごとで、実際には本土蹂躙に等しかった。
 沖縄戦はじめ、本土爆撃、広島・長崎原爆投下・・・・どれだけの民間人の命が犠牲になったことか!

 昨年のコロナ禍での2020東京オリンピックでも、このたびの安部元首相国葬でも、日本という国は一度始めたことを止めることができない。
 その遂行がすでに無意味と分かってからも、益より害が大きいことが明らかになっても、国民の大多数が反対しても、政府は「聞く耳をもたない」。
 それは単純に、決めた予算の執行にかかわる問題とか関連企業の儲けとか政治家たちにわたる賄賂やリベートとか、そういった金銭的理由だけではない気がする。
 もっと根本的なところで、方向転換して改める力を欠いている。
 過ちを認められないエリートたちの宿痾なのか。
 それとも、合意形成の段階での曖昧な手続きが、いざ事態がまずくなったときに責任を引き受ける者の不在を招くのか。

 いずれにせよ、支配層の過ちのツケを払うのはいつも庶民であり、支配層は都合が悪くなるとコソコソと逃げ隠れる。
 ソルティが、戦争映画を観ていつも感じるのは、支配層に対する怒りである。
 敵対する国民――たとえばこの映画においてはアメリカ兵――に対する怒りではない。
 今回のロシア×ウクライナ戦争でも、各国の支配層と結びついたどれだけの軍需産業が儲けをふところにほくそ笑んでいるかと思うと、虫唾が走る。

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 吉永小百合は、日焼けも泥まみれや汗まみれも、ボロ着も歪んだ泣き顔も辞さない体当たりの熱演。
 沖縄の歌や踊りもそつなくこなしている。
 この役をたとえば十代の大竹しのぶがやったら、ずっとリアリティある圧巻演技になったろうなあ~と思うが、ひめゆりの名にふさわしく華があるのは小百合である。
 
 作家・石野径一郎による同名の原作は、1953年と1982年に今井正監督によって、1995年に神山征二郎監督によっても映画化されている。
 機会があったら見較べたい。





おすすめ度 :★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損