1977年TBS系列
約45分×全5回
脚本:石森史郎
演出:鈴木英夫

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 『犬神家の一族』で華々しいスタートを切った古谷一行=金田一耕助の『横溝正史シリーズ』中の一作。
 1979年東映制作の映画版では、西田敏行が金田一耕助を演じ、物語のキーパーソンとなる元華族の椿秌子(あきこ)を演じた鰐淵晴子の妖艶な美しさが圧巻であった。
 本作では44歳の草笛光子が秌子を演じている。
 艶めかしさ、妖しさは鰐淵に適わないものの、乳母日傘のお嬢様育ちの鷹揚さに加え、繰り返される血族結婚がもたらす遺伝的脆弱からくる精神不安を見事に演じきっていて、さすがの貫禄。
 草笛のベッドシーンは非常に珍しいと思うが、堂に入ったものである。

 数十年ぶりに見ての嬉しい驚きは、モロボシダンこと森次晃嗣が刑事役で出演していて、古谷=金田一とのツーショット連発なこと。
 刑事役、実にお似合いでカッコいい。
 一緒に須磨や淡路島に行き調査するシーンは、二人のヒーローの顔合わせの妙が、郷愁をそそるばかりの野外ロケと相俟って、陰惨この上ない物語の数少ない息抜きとなっている。

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古谷一行と森次晃嗣

 椿家の令嬢・美禰子を演じる檀ふみも、清楚な品あって好感持てる。
 演技の上手さにも目を瞠らせるものがある。
 ほかに、原泉、観世栄夫、長門裕之、加藤嘉、江原真二郎、三崎千恵子、野村昭子、長門勇など錚々たるベテランたちが脇を固めており、昭和時代のドラマの質の高さは何よりも役者によって担保されたのだと実感する。

 特記すべきは、犯人役の沖雅也。
 ソルティの中ではやはり、『太陽にほえろ』のスコッチ刑事のクールなイメージが強いが、どこか影のある美青年であった。
 1983年に31歳の若さで飛び降り自殺し世間に衝撃を与え、そのとき残された遺書の文句、「おやじ、涅槃で待つ」は話題になった。
 「おやじ」とは沖の所属した芸能プロダクション社長で、養子縁組により沖の「父」となった日景忠男のことである。
 沖の死後に日景が著書でカミングアウトしたことで知れ渡ったのだが、日景と沖は恋愛関係にあった。
 それは当時、好奇心と嘲りと嫌悪をもって語られるスキャンダル以外のなにものでもなかった。
 もちろん、本作放映時(1977年)、世間はそんなことはつゆ知らなかった。
 沖雅也は女性人気抜群の若手実力派だったのである。

 こうしていろいろな事情が判明したあとで本作を観直したとき、沖雅也という俳優の悲しく途絶した人生と本作の真犯人・三島東太郎のあまりに不遇な人生とが重なり合って、言いようのない悲劇的味わいがそこに醸し出されている。
 とくに、ラストシーンで三島が自らの正体を満座のもとに告白するくだりでは、沖の芝居は演技を超えたリアリティを放ち、あたかも沖自身の肉声、魂の叫びのようにすら聞こえてくる。
 見続けるのがつらいほどだ。
 日景忠男は2015年に亡くなった。
 二人が涅槃で再会できたことを願うばかりである。

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脱衣し背中の「悪魔の紋章」を見せる三島東太郎(沖雅也)

 ところで、本作の導入部では、戦後まもなく発生し日本中を震撼とさせた帝銀事件をモデルにした天銀堂事件なるものが語られる。 
 つまり、本作の時代設定は1947年(昭和22年)である(横溝の原作は1954年刊行)。
 本作の放映、すなわち中学生のソルティがリアルタイムで茶の間で観たのは1977年のこと。
 ちょうど30年前の日本を舞台とするドラマを観ていたことになる。
 それで改めて驚くのは、1947年の日本人の生活様式と1977年のそれとは、ほとんど断絶がないという点である。
 当時観ていて理解できなかった風習やシステム、違和感を感じるような登場人物のセリフや振る舞いは、ほとんどなかった。
 1977年の時点でも、遠い場所にいる人との連絡手段は電話や手紙であり、警察への犯罪の告発は匿名の投書であり、家で音楽を聴きたいのならレコードプレイヤーであり、ニュースは主に新聞から取り入れ、淡路島に行くなら列車と船であった。
 翻って、2022年の中学生がこのドラマを観たとき、そこにどれだけの連続性を感じるだろうか?
 電話機やレコードプレイヤーを見たことも触ったこともない、ニュースはインターネットから、音楽を聴くならスマホで、という日本人にとって、このドラマが時代劇のごとくアナクロに映ることは間違いあるまい。

 ことは、文明の利器だけの話ではない。
 現在、本作を原作通りにTVドラマ化することは難しいと思われる。
 というのも、ここで真犯人の主要動機を担っているのが、兄と妹の近親姦だからである。
 近親姦は「神をも畏れぬ忌まわしき行為」「犬畜生に劣る行為」であり、近親姦で生まれた子供は「生まれてはならない化け物」「畜生以下」「悪魔」である、という昭和時代のスティグマがこのドラマの根幹を成しており、近親姦によって生まれた子供が、自分をこの世にもたらした父と母に復讐する――という物語なのである。

 実際のところ、近親姦は世間で思われているよりずっと頻繁に起こっており、若い頃に近親の男から被害を受けた実の娘や姉妹や孫娘や姪の数は、声を上げられないだけで、少なくないだろう。
 中には、中絶することができないまま、出産に至るケースもあろう。
 そうした女性被害者や生まれてきた子供たちの存在を思えば、近親姦のスティグマをいたずらに強化する本作は、今となっては時代遅れというだけでなく人権侵害の色が濃い。

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 思うに、人の持つ基本的な世界観、価値観の核は、およそ20代までに形成されてしまうのではないか。
 ソルティも昭和時代の価値観をかなり内面化している。
 そのことは昭和時代に作られたドラマを楽しんだり読み解いたりするには役立つのだけれど、令和の今を生きるにはそれなりの自己覚知が必要だ。
 かつては30歳の年の差でも、同じ日本人なら同じ文化に属しているがゆえ、ある程度以心伝心が通じた。
 いまは10歳の年の差だって以心伝心は通じないと心得るべきだろう。


 古谷一行さんの冥福をお祈りします。




おすすめ度 :★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損