日時 2022年9月24日(土)18:30~20:30
会場 文京区民センター(東京都文京区)
講師 石村修(専修大学名誉教授・憲法ネット103)
主催 許すな!憲法改悪・市民連絡会
ソルティが安倍元首相の国葬に反対する一番の理由は、「国葬するにふさわしい人と思えない」に尽きる。
統一協会と、自民党安倍派を筆頭とする国会議員たちとの癒着を推し進めた親玉だったのだから、国を挙げて国税を丸々使って葬儀するなんて、とんでもないことである。
それがなくとも、「モリ・カケ・サクラ」の疑惑は払拭されないままだ。
安倍さんが日本のために他にどんないいことをしていたとしても、差し引きすればマイナスだろう。
大平首相の亡くなった時のように、自民党と内閣で送れば十分だと思う。
決定過程にも大きな問題がある。
日本国憲法下では日本国の象徴である天皇だけに認められている国葬を、長期政権を維持した首相とは言え、法的には我々と同じ一国民に過ぎない人間に適用するにあたって、閣議決定のみで決めるというのはあまりにおかしい。
それなら、日本国民の誰でも――山口組組長でも山上徹也容疑者でも志位和夫共産党委員長でも森喜朗元首相でも――閣議決定だけで国葬できることになってしまうではないか。
岸田首相は、内閣府設置法4条を盾に「法的根拠がある」としたいようだが、そこまでの権限を内閣に与えたつもりはない。
その人が「国葬にふさわしいかどうか」を決めるのはあくまでも国民であるべきだ。
であるなら、民意の代表である国会にかけるのが自明の理。
内閣は民意の代表ではない。
現在与党が過半数を占める国会にかけたら、「安倍元首相の国葬」は賛成多数で可決されるかもしれないが、その場合、こうまで国民の反対の声が大きくなることはなかったであろう。
民主主義尊重の手続きを怠ったところは容認できない。
しかしながら、対象が安倍元首相ではなく、ソルティが個人的に「国葬するにふさわしい」と思える人――たとえば中村哲医師(2019年12月4日逝去)とか緒形貞子(2019年12月22日逝去)とか――であった場合を想定したとき、決定過程の不自然さを今回のように追及するかと訊かれたら、正直のところそうでもないかもしれない。(こうしたダブルスタンダードは本来よろしくない)
つまり、ソルティの反対理由の最たるものは、やはり、「安倍元首相は国葬にふさわしい人物ではない」という点にあるのだ。
で、こんな人物評定みたいなことをしなくちゃならないのは、安倍昭恵さんはじめ悲しみにくれている遺族のことを思うと、ほんとは嫌なんである。
故人の悪口なんか大っぴらに言いたくない。
多くの国民がそうせずにはいられないような状況を作ってしまった点で、現内閣は大いなる失策をしたと同時に、安倍元首相及び遺族を無用に傷つけてしまったと言うべきだろう。
いくぶんに主観的な安倍元首相の人物評・政治家評はともかく、客観的な法的根拠については、実際のところどうなんだろう?
それが気になって、物凄い雷雨の中、本講座を聴きに行った。
文京区民センターは、地下鉄春日駅・後楽園駅のすぐ近く。
参加者は30名弱であった。
国葬の定義(「国家が主催して、国家がすべての費用を支払う葬儀」)から始まって、明治維新以降の国葬の歴史、大正15年に制定された「国葬令」の中味、日本国憲法施行以降の国葬の事例、そして法的根拠の如何などが、配布資料をもとに語られた。
初めて知って驚いたのが、大久保利通(明治11年)、岩倉具視(明治16年)、明治天皇(大正元年)、昭憲皇太后(大正3年)らに並んで、大正8年に李太王、大正15年に李王の元韓国皇帝2人が国葬されていたことである!
これは、当時朝鮮半島が日本の植民地になっていて、2人の国王が日本政府の傀儡だったことによる。朝鮮半島支配に利するべく、国葬を悪用したわけである。
この史実、日本はもとより韓国の歴史教科書にも載っていないそうだ。
さて、法的根拠を議論する上でポイントとなるのは、1947年日本国憲法施行とともにそれまであった「国葬令」は効力を失ったのだが、その際、新たに法律を作らなかった点である。
ここで「国葬に関する法律」というのを作って、「誰を対象とするか、どうやって決定するか」など委細決めておけば、その後の混乱は生じなかった。
その法律を制定しなかったので、その後、皇室典範が適用される昭和天皇崩御(1989年)の場合を除く貞明皇后(大正天皇后)・吉田茂元首相・香淳皇后(昭和天皇妃)の逝去に際して、法的根拠を曖昧にしたまま「準国葬」とか「国葬の儀」といったネーミングでごまかした「国葬モドキ」が実施されたのである。
もっとも重要なことを曖昧にして(棚上げして)おいて、いざとなったらあたふたとし、場当たり的な対応でごまかす――これは日本人の悪い癖であろう。
いずれにせよ、答えは明らか。
明確な、万人が納得できる法的根拠は存在しない。
加えて石村氏は、9/27の安倍元首相の国葬が「実体的憲法違反」になる可能性に関して、以下の5つを指摘した。(配布資料より抜粋)
- 平等原則違反(憲法14条)・・・国葬の実施は、人の死に価値順列をつけることにより、国民を等しく扱うものではない。
- 財政立憲主義違反(同83条)・・・国葬の実施は、金額が多いこと、緊急性が薄いこと、法令に根拠がないことを考慮して、国会の審議・議決を必要とする。
- 国民の内心の自由の侵害(同19条)・・・国葬が実施されることに伴い、行政機関、地方自治体、私的団体によって、国民に一定の強制行為が促されるおそれがある。この行為がなされた場合には、思想・良心の侵害があったとして、損害賠償の請求が求められる。
- 政教分離違反(同20条3項)・・・国葬の実施と絡んでなんらかの宗教的な要素が介在した場合には、国民の信教の自由が侵害され、国家が特定の宗教を助長したものとして、政教分離違反になるおそれがある。
- 国葬への反対行動への規制(同21条)・・・国葬当日、会場周辺にて反対行動を行うことが制限された場合、特定の内容の危険性のない行為まで根拠なく制限することは、表現の自由侵害となりうる。
最後に、石村氏は次のように聴衆に投げかけた。
「そもそも、国家が先頭に立って何かをするというやり方は、いい加減止めた方がいいのではないでしょうか? その最たるものが戦争ではないでしょうか?」
故人が国葬にふさわしいか否かを問うのでもなく、国葬の決定に法的根拠があるか否かを如何するのでもなく、大喪の礼を含めた国葬そのものの是非を問うという視点。
ソルティは、そこまでは突き詰めていなかったな・・・・・。
9月27日は半休取って、国会議事堂前に詰めるつもりでいる。