1948年大映
85分、白黒
脚本 伊丹万作
撮影 宮川一夫

 スクリーンにおける杉村春子と言えば、小津安二郎監督『晩春』、『東京物語」、『麦秋』3部作の名演が眼前に浮かび上がる。
 演技なのか地なのか見分けがつかないほどの自然さで、どこにでもいそうな、お節介でお喋り好きで生活臭たっぷりの庶民のおばちゃんに扮していた。
 新劇で活躍していた杉村を小津が起用したのは、1949年『晩春』が最初であった。
 「先生、どうして私を?」と尋ねた杉村に対して、小津はこう答えたという。
 「『手をつなぐ子等』の芝居がとても良かったからさ。自然でね。」
 何十年も前にこのエピソードを聞いた時から、『手をつなぐ子等』がずっと観たかったのだが、なかなか上映される機会に巡り合わなかった。

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 9/22~28まで池袋の新文芸坐で「名匠稲垣浩、再発見」と題した特集が組まれていた。
 片岡千恵蔵主演『番場の忠太郎 瞼の母』(1931)の弁士付き上映、三船敏郎主演でヴェネチア映画祭グランプリに輝いた『無法松の一生』(1958)、森繁久彌と原節子が夫婦役を演じた『ふんどし医者』(1960)、そして『手をつなぐ子等』など、全8作品が上映された。
 すべてを観たかったけれど、そうもいかない。
 9.27国会議事堂前での安部元首相国葬反対デモの帰りに、念願の『手をつなぐ子等』の最終上映に間に合った。

 主人公は脳に障害のある小学生の寛太(初山たかし)。今でいう知的障害児である。
 他の生徒の勉強の邪魔になるということで、いくつもの学校をたらい回しにされ、両親(香川良介、杉村春子)は困り果てている。
 頼み込んでようやく入れてもらった学校には、松村先生(笠智衆)という情熱的で心やさしい教育者がいた。
「寛太君を仲間として受け入れることができるかどうかで、君たちの人としての真価が試される」
 松村の言葉に、生徒たちは寛太を差別したり虐めたりすることなく、友達としてつきあう。
 ようやく学校の楽しさを知って、朝一番に登校するようになった寛太。
 だが、そこに乱暴者のガキ大将である金三が転入してきた・・・・。

 知恵遅れだけど純真な心をもつ寛太を愛し、心配する両親の姿が、なんとも切ない。
 なるほど、杉村の演技は自然この上なく、息子を思って密かに目を拭う母のたたずまいは、観る者の同情を集めずにはいない。
 やさしく控えめで働き者、一昔(ふた昔?)前の日本の理想の母親像を作り上げている。
 この杉村の演技を見て、『晩春』他のざっかけない庶民のおばちゃん役を当てた小津安二郎の慧眼を思う。

 松村先生役の笠智衆は、本人の生まれもっての人柄の良さやちょっととぼけた味わいが、そのまま活かされる役を当てられると、うまくハマる。
 それ以外の場合、「あまり上手い役者でないかも・・・」という事実が露呈してしまう傾向にある。
 むろん、ここでは前者である。

 この映画のなによりの成功のもとは、寛太を演じた初山たかし少年の起用である。
 いったいどこから見つけて来たのか。
 本当に知的障害がある子供なのか。
 演技だとしたら、とんでもない天才子役である!
 周囲の悪ガキ達にだまされても虐められても、そのことにまったく頓着せず、あけっぴろ気で無邪気な笑顔を見せる。
 その笑顔のなんとも可愛いこと!
 なんとも癒されること!
 この世に敵の戦意を喪失させ武装解除させてしまう秘密兵器があるとしたら、それは寛太の笑顔である。
 映画データベースによると、阪妻主演・伊藤大輔監督『王将』(1948)にも「長屋の寛ちゃん」という役で出演しているが、役者にはならなかったようだ。
 
 令和のいま、本作をポリティカル・コレクトネスの目で評価したら、いろいろと引っかかるところがあるものと推察される。
 また、いじめっ子が寛太の無垢さにあって改心するという筋書きの陳腐さというかご都合主義、障がい者を「聖なるもの」として捉える紋切り型も、NHK朝ドラ『ちむどんどん』ほどではないにせよ、批判を浴びるかもしれない。
 それでもなお、74年前の本作が呼び起こす感動は決して褪せることはないし、寛太の笑顔を見るために、このさき何度も観たいと思う一本である。


手をつなぐ子等
笠智衆と初山たかし
(DVD発売されてました



おすすめ度 :★★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損