1213年(建保元年)編纂
2016年新潮社・日本古典集成(樋口芳麻呂・校注)
全663首+94首

 NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』に登場する三代将軍・源実朝(1192-1219)がゲイキャラか否か、一部ネットで盛り上がっている。
 後白河上皇の稚児趣味やら、義経と弁慶のBL説やら、江の島稚児ヶ淵伝説のいわれとなった建長寺僧侶と白菊との悲恋やら、この時代男色は珍しくなかったので、実朝が自身を「マイノリティ」と認識していたかどうかは別として、同性に恋したことはあったかもしれない。

 そもそも実朝の性格や感性が、猛々しく粗野な関東武者がひしめく鎌倉幕府において、かなり異質であったことは、ドラマでも描かれているとおり。
 弓馬の道より和歌や蹴鞠の雅びを愛し、名付け親である後鳥羽上皇のいる京に憧れつづけた実朝は、鎌倉武士の中にひとり平安貴族が混じっているようなものだったろう。
 死ぬまで律令制の官位にこだわり続け、最後は「右大臣」の位まで手に入れたのはその証左である。

 もっとも、武士の世にあっては「右大臣」と言っても名ばかりの閑職に過ぎず、王朝時代の光源氏や藤原道長のような実質的な権力はもとよりない。
 権力はいまや北条一族の手に握られつつあり、実朝の存在は幕府の正統性を担保するための看板、言わば、ひな壇のお飾りであった。
 昨日の友が今日の敵となり、親兄弟さえもが互いに刃を向ける物騒な環境にあって、自らの置かれた立場を十分に自覚していた実朝。
 その空しさと息苦しさと孤独のはけ口として、和歌に入れ込んだのも無理ないところである。

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 『金槐和歌集』は実朝22歳(数え年)の時に成立した自選集である。
 ソルティは学生時代、「金塊(きんのかたまり)」と思っていて、鎌倉に金塊が見つかった記念として制作されたのだろうか? その金が鎌倉大仏に使われたのだろうか?――なんて思っていた。
 その後、「塊(つちへん)」ではなく「槐(きへん)」と知り、「槐」とは街路樹によく使われる「エンジュ」のことと知った。
 「金色に輝くエンジュ」とは美しい、『竹取物語』に出てくる蓬莱の玉の枝を連想させる・・・と思ったが、なぜそういう名前をつけたのか、とりたてて調べる気もなかった。
 今回はじめて『金槐和歌集』を読んで、ついに真実を知った。
 
 『金槐和歌集』の書名は、一般には「金」が「鎌倉」の「鎌」の偏、「槐」は「槐門」と同じく大臣の意と考えられ、全体として鎌倉右大臣の歌集を表すものと解されている。実朝が右大臣に任ぜられるのは、建保6年(1218)12月であり、翌年正月には非業の死を遂げるのだから、『金槐和歌集』とは、実朝の死後に付せられた呼称であろう。(校注者解説より)

 なんと「金槐」とは、まんま鎌倉右大臣の意であった。
 制作された時点では名前はなかったようだ。
 ちなみに、大臣のことを「槐門」と言うのは中国の故事で、周の時代に朝廷の前庭に3本の槐(エンジュ)を植え、そこを大臣の席にしたことによるという。 

エンジュの木
エンジュ(槐)

 歌人としての実朝の評価は当時から現代に至るまで非常に高い。
 元来の才能に加え、当時歌壇の第一人者として仰がれ『小倉百人一首』の選者にもなった藤原定家から、じきじきの教えを受けた。
 のちに定家は、「彼の歌をよむと、自分などは歌を作るのが嫌になるくらいだ」とこぼしたとか。
 下って、松尾芭蕉、賀茂真淵、正岡子規、斎藤茂吉、小林秀雄、吉本隆明など名だたる文学者たちも、こぞって実朝の歌を激賞している。
 『百人一首』には次の歌が選ばれている。(ソルティ意訳)

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波打ち際を浜へと渡した綱に引かれながら漕いでいる小舟
なんとしみじみと平和な光景だろう
こんな世が続くといいのになあ~
(私の周りと来た日には・・・)

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いくら待っても来るはずのない人を待っている愚かな私
夕凪の浜で焼く藻塩草のように、身も心も恋に焦がれているのです


 本書には、師の藤原定家が家人に書写させた定家初伝本『金槐和歌集』663首と、それ以外の歌を集めた『実朝歌拾遺』94首、併せて757首が収録されている。
 『金槐和歌集』のほうは、「春・夏・秋・冬・賀・恋・旅・雑」とテーマごとにジャンル分けされた歌が並んでいる。
 ソルティは歌の道に詳しくないので、出来のいい悪いはよくわからない。
 が、単純に「面白い」「凄い」「ユニーク」「びっくり!」と唸らせられたのは、「恋」「雑」部門に入っている歌と、『拾遺』に入っている歌であった。
 春夏秋冬を詠んだ歌は、時にハッとさせられる鋭い視点のものもあるけれど、大方はどこかで聞いたような、ありきたりなものが多い。
 歌の世界では「本歌取り」と言って、誰もが知っている過去の有名な歌をもじって、表現の重層的効果をねらう技巧があり、それは別に盗作でも二番煎じでもない正攻法なのだが、どうしたって新鮮味には欠ける。
 実朝の季節の歌には本歌取りが多いので、全般、陳腐な印象を受ける。
 一方、恋や雑の歌には、自分の心情や感性にしたがって自分の言葉で率直に詠んだ歌が多く、実朝の人となりが知られ、現代人である我々の心にまっすぐ飛び込んでくる。
 ソルティが感銘を受けたものを何首か挙げる。
 訳はソルティによる意訳である。

乳房吸う まだいとけなき 嬰児(みどりご)と
ともに泣きぬる 年の暮れかな
(生まれて間もない赤ん坊が母親の乳房を吸いながら泣いている。それを見ている私も知らず泣いてしまった。ああ、また一年が終わろうとしている)

織姫(たなばた)に あらぬわが身の なぞもかく
年にまれなる 人を待つらむ
(七夕の夜しか彦星と会えない織姫のような私。愛しい人はいっこうに訪ねてはくれないものを)

夏深き 森の空蝉 おのれのみ
むなしき恋に 身をくだくらむ
(真夏の森の蝉の抜け殻のような空しい恋ばかりしている私。この身がばらばらに砕けそうだ)

神といい 仏といふも 世の中の
人の心の ほかのものかは
(神とか仏とかいったところで、結局は人の心がつくったものでしかない)

幼い子供が泣きながら母親を探しているのを見かけ、近くにいた者に事情を聞いたところ、「この子の両親はすでに死んでいます」と言う。それを聞いて、
いとほしや 見るに涙も とどまらず
親もなき子の 母を尋ぬる
(母親が死んだことも知らないで探し続けるこの子を見よ。これが泣かずにいらりょうか)

大海の 磯もとどろに 寄する波
割れて砕けて 裂けて散るかも
(とどろくばかりに押し寄せる磯の波のごとく、私の身も心も、割れて砕けて裂けて散るのだ)

荒波

 実朝は名付け親であり和歌の名人でもあった後鳥羽上皇が大好き。
 天皇を讃える歌を何首かつくっている。

君が代は なほしも尽きじ 住吉の
松は百度(ももたび) 生ひ代るとも
(天皇制は絶対になくなりません。住吉の松が百回生え変わっても)

山は裂け 海は浅せなむ 世なりとも
君にふた心 わがあらめやも
(山が裂けて海が干上がるような天変地異が起ころうとも、私が上皇様を裏切ることは絶対にありません)

 むろん、後鳥羽上皇も百人一首に選ばれている。

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愛する遊女・亀菊は愛おしい。
鎌倉の北条義時は恨めしい。
なんとこの世は味気ないことだ。
それもこれも私がこの世に執着しているからなのだ。
煩悩ゆえなのだ。


 甥っ子である公暁に暗殺された実朝の衝撃的な最期は、おそらく今回のドラマのクライマックスとなろう。
 どんな演出がされるか楽しみであるが、ちょっとだけネタをばらしてしまうと――。

 鎌倉時代末期に成立した歴史書『吾妻鏡』によれば、建保7年正月27日、鶴岡八幡宮参拝のその日、なにか異変が起こることは実朝も予感していたらしい。
 御所を出る前に近臣の大江広元が凶兆を感じ、「念のため鎧の腹巻をして行ってください」と頼んだが、実朝はそれをしりぞけた。
 自らの髪を一筋抜いて、側近に記念として渡した。
 それから庭の梅を見てこう詠んだ。

出でて去(い)なば ぬしなき宿と なりぬとも
軒端の梅よ 春を忘るな
(私はもうここには戻って来られないかもしれない。梅の木よ、主がいなくなっても春を忘れず咲き匂ってくれよ)

 畢生の大作『金槐和歌集』を完成させ、前年の暮れには念願の右大臣を拝命した源実朝には、もうこの世に思い残すことなどなかったのかもしれない。


梅と雪




 
おすすめ度 :★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損