1969年ATG配給
105分、白黒

 渋谷区立松濤美術館で10/30まで開催の『装いの力 異性装の日本史』展において、この映画が展示作品の一つとして紹介されていた。
 60年代後半の女装ゲイボーイを主人公とするLGBT映画である。
 監督の松本俊夫はアヴァンギャルド(前衛的)なドキュメンタリーを多く作ってきた人だが、本作以外の長編映画では、秋吉久美子の初主演作『十六歳の戦争』(1973年)や夢野久作原作の『ドグラ・マグラ(1988年)などを撮っている。

 アヴァンギャルドの代名詞とも言える「凝った映像、ショッキングなショット、分かりにくい筋書き、価値観の反転、時間と空間の飛躍、現実と虚構の曖昧化、反体制的な志向」が、ここでも見られる。
 もっとも、当時は世間常識を驚かしおびやかし反感を買ったであろう素材――女装するゲイボーイの生態、男同士のセックス、ドラッグにふける若者、路上の奇妙なパフォーマンス集団――は、今となってはなにも目新しいものはない。
 むしろ、ゲイや女装者に対する当時の社会の好奇な目線や、ゲイボーイとして働く当事者の屈折した心理や展望のない生き方があぶり出され、「こんな時代であったか・・・」と歴史を感じてしまった。
 
 映像表現そのものは、かなり凄い。
 松本がもともと美術畑の人間であったこともあり、構図の見事さ、白黒フィルムならではの陰影表現、洗練されたシュールリアリズム、滑稽化された様式美など、その才に圧倒される。
 海外でも上映され、ジャン・ジュネの映画(『愛の唄』か?)と並ぶほどの高い評価を得たというのも頷ける。
 当時17歳のピーター(池畑慎之介)衝撃のデビュー作というアオリ文句がなくとも、これ一作で松本の名は残るだろう。

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松本監督はピーターを六本木のゲイバーで発見したという
 
 本作の面白いところは、前衛映画でありながら古典的でもあるところ。
 最後まで観て驚いたのだが、なんと古代ギリシア演劇の傑作『オイディプス王』が下敷きになっていたのである。
 運命のいたずらから、自ら知らぬまま実の父親を殺し実の母親とまぐわった王子の話。
 これがどう脚色されるかは詳らかにしないが、前衛と思って観ていたものが「あれよあれよ」と古典に様変わりし、現代風俗ドラマが古今東西通ずる人間悲劇に転じる。
 その圧倒的力学が観る者を薙ぎ倒す。
 大昔のLGBTドラマと思っていたら、しっぺ返しを喰らう。

P.S. 淀川長治さん特別出演にはたまげた。




おすすめ度 :★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損