2017年筑摩書房
ここ数十年の日本の右傾化の実態について、「社会」「政治と市民」「国家と教育」「家族と女性」「言論と報道」「宗教」の6分野で起きている現象や変化を通して多角的に検証する試み。
編者の塚田含め、それぞれの分野に詳しい21名の書き手が寄稿している。
その中には統一教会報道で今年もっともブレイクした男、ジャーナリストの鈴木エイトもいる。
安倍元首相殺害事件が起こる2年以上前から、鈴木エイトが旧・統一教会と自民党との癒着を指摘し、警鐘を鳴らしてきたことがここに証明されている。
そう、本書の発行は新型コロナウイルス発生以前の2017年。
第2次安倍内閣が発足(2012年12月)し、2020東京五輪が決定し(2013年9月)、国政選挙で連戦連勝を続ける自民党が勢いに乗って、特定秘密保護法(2013年12月)・集団的自衛権行使容認(2014年7月)・安保関連法(2015年9月)を成立させ、平成天皇が退位表明され(2016年8月)、アメリカ大統領選で共和党のドナルド・トランプが勝利し(2016年11月)、それまで水面下に亀のごとく潜んでいた日本会議が表舞台に浮上し、憲法改正に向けての右傾化が加速度的に進んでいた時である。
その勢いは国内のコロナ感染爆発により一時停滞したものの、今年7月10日の参院選での与党の圧倒的勝利で、もはや誰にも止められないものとなった。
憲法改正は時間の問題と思われた。
思うに、日本の右傾化が活性化した出発点は1989年にある。
この年、3つの大きなことが起きた。
- 昭和天皇の崩御
- ベルリンの壁崩壊と中国天安門事件
- バブル崩壊の始まり
1.は昭和の終わりであると同時に、戦後の終わりである。
大日本帝国の元首であり戦争責任を問われ続けた昭和天皇は、戦後は絶対的な平和主義者・日本国憲法護持者となった。
昭和天皇の目の黒いうちは、どれほど愛国心の強い保守政治家であっても、簡単に「改憲」という言葉を口にすることはできなかった。
その重しがはずれたのである。
2.は社会主義・共産主義の終わりの始まりである。
ベルリンの壁崩壊から始まって1991年のソ連解体で明らかになった社会主義の敗北、天安門事件で世界中に晒された共産主義国家の横暴によって、国内の左派が勢いを失ったのである。
3.は日本経済の衰退と成長神話の終焉である。
本書で紹介されているジョン・ネイスン(アメリカ生まれの日本研究家)の言葉が的を射ている。
日本経済が繁栄していたときは、アイデンティティは問題とならなかった。人びとの仕事は保障され、懸命に働けば裕福になれた・・・・。高成長する経済が崩壊した1990年以降、不況が深まるにつれ、自信とプライド、そして目標の感覚さえもが徐々に失われていった。残されたのは不安に満ちた空虚さであった。それは、己が何者であるかを感じ取りたいという欲求を再び生み出した。日本の新しいナショナリズムは、この欲求とそれに対する応答の表れなのである。
(ジョン・ネイスン著、Japan Unboundより)
本書第Ⅱ部「政治と市民」における政治学者の分析結果として、「たしかに自民党は思想・理念的に右傾化しているが、一般国民(有権者)には必ずしもその傾向が見られない」という一節がある。
おそらく、多くの国民が求めているのは「バブルの夢よ、もう一度!」であって、自信とアイデンティティ回復の願いが、アベノミクス及び「強い日本」を掲げる安倍推しにつながったのだろう。
もちろん、その背景には自民党に代わって政権を任せられるような政党がない、対立軸となる政党を育ててこなかった、という日本政治の哀しくも貧しい現実がある。
Felix-Mittermeier.deによるPixabayからの画像
ソルティは日本の右傾化、少なくとも今の自民党主導による右傾化には危機感しか持てない。
その一番の理由は、「右傾化⇒戦前回帰⇒大日本帝国の復活」を目しているとしか思えないからだ。
何よりの証拠が2012年自民党提出の「日本国憲法改正草案」である。
ここで百歩譲って、憲法9条を改正して自衛隊を正式に日本の国防軍とし「専守防衛の個別的自衛権」発動を明文化するだけなら、まだ分からなくもない。
が、なぜそれと一緒に、
- 天皇を元首としなければならないのか(自民党草案1条、以下同)
- 国家・国旗に対する尊重を強いられなければならないのか(3条2項)
- 生命、自由及び幸福追求の権利の制約事由が、「公共の福祉に反しない限り」から「公益及び公の秩序に反しない限り」に変えられなければならないのか(13条)
- 「公益及び公の秩序」を害する(と国が見なした)表現の自由が制限されなければならないのか(21条2項)
- 国家による教育環境の整備が謳われなければならないのか(26条3項)
- 憲法を尊重する義務が、「国家」でなく「国民」に対して、課せられなければならないのか(102条1項)
はたまた、
- 「家族は互いに助け合わなければならない」がわざわざ追加されなければならないのか(24条1項)
- 婚姻の成立は「両性の合意のみに基づく」から「のみ」の2字が消されなければならないのか(24条2項)
加えて、
- なぜ選択的夫婦別姓ではいけないのか
- なぜ同性婚を権利として認めてはいけないのか
国の安全保障を高めることと、国民の人権を守ること――この二つがなぜ両立してはいけないのだろう?
表現の自由と個人の尊厳が保障される民主主義を守るために我々は国防する、というカッコいいスタンスだってあり得るだろうに。
北欧諸国のようにリベラルと国防が両立している国だってあるだろうに。
自民党の改正草案は、戦前の「家制度」を復活させ、体制に抵抗する者の口を塞ぐ全体主義国家へのプロトコルとしか思えない。
本書には、自民党のバックにいて既得権益の維持・拡大を狙う様々なステークホルダーの名前が上がっている。
皇室の尊厳と国家神道復権を夢見る神社本庁、政教一致を実現するために与党で居続けたい公明党=創価学会、ずばり大日本帝国の復活を目指す日本会議、日本人信者獲得による献金アップを狙う反日・反共の旧・統一教会=勝共連合、保守勢力のおこぼれに預かろうとする反韓の在特会、2009年の政党結成以来急激に保守化する幸福の科学=幸福実現党。
それぞれ最終目的を異にする複数の団体が、八方美人の先導役の口車に乗せられて、同じ一つの神輿をかついで右の道を行く絵が浮かぶ。
担ぎ手たちは、それぞれが神輿に乗っている主の姿を思い思いに描いている。
あるは天皇陛下、あるは池田大作、あるはマザームーン、あるは大川隆法、あるは福沢諭吉や樋口一葉。
少なくとも、令和天皇自身にとっては迷惑このうえないことだろう。
先導役を失ったこの神輿はいったいどこに行くのやら?
日本人はまだ、性懲りもなく、この神輿についていくつもりなのか?
おすすめ度 :★★★
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損