1978年毎日放送
55分×4回
脚本 椋露地桂子
演出 長野卓

 古谷一行=金田一耕助シリーズの一作。
 同シリーズ『悪魔が来りて笛を吹く』にも出ていた草笛光子が、今度は離婚4回の大女優・鳳千代子役で登場している。
 この人は市川崑監督×石坂浩二主演の東宝・金田一耕助シリーズにも毎回顔を出していた。
 警部役の加藤武や長門勇とともに、横溝正史の世界(および橋田寿賀子の世界)に住んでいるような気がする。

 あいかわらずの探偵ぶりを発揮しまくる金田一耕助。
 千代子の婚約者である飛鳥忠熙(木村功)に調査を依頼された金田一の周りで、4人の人物が殺され、2人が自害する。
 たぶん、金田一が関わらなかったほうが被害は少ない。(射殺された看護婦さんは明らかに金田一によって巻き込まれた被害者である)
 いったいなんのために雇われたのやら?
 金田一耕助は事件を解決するというより、良く言って事件の目撃者、悪く言えば死神である。
 そのうえ、ラストで真犯人が自殺するのをいつも防ぐことができない。
 『犬神家の一族』しかり、『悪魔が来りて笛を吹く』しかり、この『仮面舞踏会』しかり。

 そんな金田一に出し抜かれる警察も実にだらしがない。
 スコットランドヤードのレストレード警部のほうがまだましである。
 加藤武も長門勇もドラマの陰惨さを中和する道化役に甘んじている。

IMG_20221022_234023
左から、草笛光子、古谷一行、長門勇、乙羽信子

 横溝正史作品、少なくとも金田一耕助シリーズは、推理小説としても捕物帳としても正直、出来は良ろしくない。
 斬新なトリックがあるわけでなし、見事なひらめきと論理展開による推理があるわけでなし、真犯人と探偵の手に汗握る闘いが繰り広げられることもない。
 なのに、どうしてこうやって惹きつけられてしまうのか?
 真犯人は十中八九、出演陣の中でもっとも有名な女優が扮しているキャラであることが、あらかじめ分かっているのに。(この『仮面舞踏会』はその例外である)

 思うに、このシリーズの本当の主役は人間の「業」なのだ。
 先祖由来の因縁や過去のふとしたあやまちや人間関係のもつれが、時の中で発酵し内圧を高め、ついに表面に現れてくる瞬間に、金田一耕助は立ちあうことになる。
 真犯人は「業」なので、ひとりの人間の力ではどうにも防ぎようがなく、せいぜいできることは「業」が表面化し結実するのを促進して、早く終結まで持っていくことくらい。
 「業」の力に振り回された関係者たちが、それぞれの因縁を生き抜いて、あるいは因縁によって命を奪われて、それぞれの積もりに積もった感情が表沙汰にされ爆発するとともに「業」がガス抜きされ、ひねこびた人間関係のバランスが解消されて、それぞれがあるべきところに落ち着く。
 陰惨と残虐このうえないプロットにもかかわらず、最後はいつも心地良いカタルシスを与えられるのは、ひとつの事件の解決=ひとつの「業」の解消、であるためなのだ。

 本作でも、事件のそもそもの発端を作った人物が最後に自害するが、その人物は肌身離さず毒薬を持っていた。
 つまり、常にいつ死んでもいいように覚悟を決めていた。
 自らが過去に作ったあやまちの責任を、いつか自ら取らなければならなくなることを予期していたのであろう。

 金田一耕助は探偵というより狂言回しなのだと思う。




おすすめ度 :★★

★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損