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1993年吉川弘文館刊行

 宗教学者の山折哲雄による天皇論。
 『神隠しと日本人』『悪霊論』『日本妖怪異聞録』の小松和彦、民俗学者の赤坂憲雄、評論家の吉本隆明ら3名との対談を含む。

 日本の天皇制を、英国をはじめとするヨーロッパの王政、ダライ・ラマを代々擁するチベットの元首制、それに親鸞の血脈を何百年間も守り続ける本願寺の法主制などと比べ、その特異な性格を浮かび上がらせ、それが日本人の心性と深く結びついていることを示す。
 怨霊信仰と判官びいきの感情が日本の文化の深層を流れている感情であり、未完の天皇であった聖徳太子信仰こそが今に続く日本人の天皇信仰の原型である――という著者の説が面白い。
 日本文化や日本人の国民性における聖徳太子の影響なり存在感の大きさについては、一度考えてみたいものだ。

 また、著者は日本人の宗教的アイデンティティとして、
  1.  祖先崇拝にもとづく多元主義
  2. 「無私」の価値を強調する精神主義
  3.  現世的なユートピア願望
の3つを上げている。
 このうち「祖先崇拝」と「現世利益」については、末木文美士著『日本仏教史 思想史としてのアプローチ』でも指摘されていた。それゆえ、大陸から入ってきた仏教も日本風にアレンジされてしまったのだと。
 ここでは「無私」についての見解がふるっている。

 周知のようにインドの仏教は「無我」の思想を説いた。自我の存在を真実ならざるものとして否定したのである。このような我の否定が「空」の思想と表裏の関係にあったことはいうまでもない。
 ところが、インドの無我の仏教もわが国に紹介されると大きく軌道修正されることになった。なぜなら日本人の現世志向的な特徴が「無我」というような極度に形而上学的な観念を受けつけなかったからである。むしろそういう「無我」の観念に代わって登場してきたのが、清らかな精神状態を追求する「無心」「無私」の考え方であった。観念のレベルでは無我を説きつつも、日常的な意識や感覚のレベルでは心にわだかまりのない「無心」の状態が探究され、それが信仰心や宗教心の基礎をつくるものと考えられるようになったのである。

 諸行無常と諸法無我こそはブッダの教えの根本であり仏教の仏教たるゆえんだが、日本人は古くからこの2つを本来とは異なったふうに理解してきたように思われる。
 すなわち、 
  • 無常=栄枯盛衰=もののあはれ
  • 無我=無私=心の清らかさ
というように――。
 この民族的誤解が、真の仏教理解をいまも困難にしている要因なのかもしれない。





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★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損