気づかないうちに、12月5日の骨折3周年記念日が終わっていた。
日常生活でもはや左足患部を意識することがなくなったせいだ。
歩くのも、自転車乗るのも、階段を昇り降りするのも、水泳するときも、骨折前と動きはほとんど変わらない。
正座もできるようになった。あぐらを組んでの瞑想も1時間以上こなせる。
左足一本でつま先立ちもできる。
連続4時間を超えて歩くと、左足首の外側に痛みが走り、びっこを引くようになるけれど、その痛みもハイキングを重ねるうちにだんだんと薄れてきて、回復も早くなった。
骨折直後のリハビリ目標の一つであった秩父の武甲山(1304m)に今年5月末に登頂した。
あとは同じ秩父の両神山(1723m)であるが、これは来年の初夏に挑戦しよう。
骨折した直後に踵から五寸釘のようなビスを入れる手術した時は、治療後も外から目立つような障害が残ることを覚悟した。
自分も障害者の仲間入りだなと思った。
これが40代くらいまでなら原状復帰も可能だろうが、アラ還では難しかろう。
山登りも自転車旅行も四国遍路2巡目もあきらめなければなるまいと思っていた。
それがここまで回復するとは・・・・!
人間の回復力、肉体のもつ自然治癒力に驚くばかり。
もっとも、100%完治は望めない。
今後も長時間歩行はある程度制限されると思うし、歳をとればとるほど、筋力が落ちれば落ちるほど、関節が硬くなればなるほど、後遺症が顕在化していくと予想される。
現状を維持するためには、持続的な運動とケアが必要だろう。
体重増加による足への負担にも注意しなければなるまい。
ギプスをして松葉杖をついていた頃のことをたまに振り返る。
二本足でスタスタ歩けるってのがどんなに有難いことか、両手が使えるってどんなに便利なことか、いつでも好きな時に好きなところに行けるのがどんなに自由で素晴らしいことか、できなくなってはじめて痛感した。
また、ゆっくり一歩一歩注意を払いながら、時間をかけて家の周囲を歩くことで、日々どれほどの発見があったことか。
道端の草花、よく陽のあたる公園のベンチ、店員のちょっとした親切、同居の家族がいることが、どれほどの幸福か実感した。
普段、時間に追われて気にも留めないあたりまえのことの中に、貴重なものがあった。
「いま、ここ」という感覚がその入口だった。
骨折をしおに介護の現場の仕事を離れて、身体的には楽な相談や調整の仕事に移った。社会福祉士の資格を取っておいたのが効いた。
すると、自分が「骨折して、救急搬送されて、入院して、手術して、リハビリして、在宅復帰して」という一連の流れを経験したことが、高齢者やその家族から相談を受ける際に役に立つのに気づいた。
病院での手続きや病棟の雰囲気、医師や看護師や相談員を前にした患者の気持ち、手術前の不安と緊張、患部の痛みとの闘い、リハビリの困難、病院食への不満、費用の心配、社会復帰への不安・・・・等々。
自分がこの身で経験したからこそ、相談者の気持ちが理解できるし、寄り添える。
それなりのアドバイスもできる。
なんだか今の仕事のために、あの日の転落事故はあったという気さえするほど。
四国遍路で出会ったお坊さんが言っていた言葉、「人生で起こることに無駄なものはない」ってのは本当かもしれない。