年越し3日間は秩父で過ごした。
スマホもテレビもOFFにして、午前中は瞑想、午後は散歩、夜は読書と瞑想にふけった。
基本、人とは喋らない。
基本、人とは喋らない。
たまにこういう生活をすると、テレビはともかくとして、自分がいかにスマホ依存しているかに気づかされる。
LINEやゲームやツイートをしていないので、他の人にくらべればスマホをいじっている時間は少ないと思っていたのだが、暇な瞬間あれば、ついスマホに手が伸びてしまう自分がいる。
スマホをいじる時の手の形や人差し指の動きが癖になってしまって、それがないと手のひらや指が淋しがっている気がするほど。
5年前まではスマホのない生活を送っていたのに・・・・。
休肝日ならぬ休スマ日をつくるかなあ。
休肝日ならぬ休スマ日をつくるかなあ。
瞑想はこのところスランプというか集中力が途切れがち。
年末にコロナ陽性になってから、いまひとつ身が入らない。
ウイルスで脳の一部が変容してしまったんじゃないか・・・と恐れている。
某国が極秘開発した“人間を馬鹿にするウイルス”がその正体だったのか?
まあ、修行には波がある。
いまはそういう時期なのだろう。
午後はずいぶん歩いた。
天気が良かったので、連日12キロ以上は歩き回って、おろしたてのシューズがすっかり足に馴染んだ。
秩父は朝方こそ寒いものの、日中は風がなく、遮るもののない陽射しが降りそそぎ、都心よりむしろ暖かいくらい。
1時間も歩けば上着が邪魔になり、ズボン下のスパッツが汗ばんでくる。
市内はずいぶん歩き尽くしたので、もう目を惹くような新奇なものは残っていまいと思っていたが、いやいや、まだまだ奥が深かった。
秩父は関東大震災も戦災も被らなかったので、レトロな建物が残っていることで知られている。
秩父は関東大震災も戦災も被らなかったので、レトロな建物が残っていることで知られている。
実際、江戸、明治、大正、昭和(戦前・戦後)、平成、令和といくつもの時代の建物が町中に併存して、ソルティのような建築物好き素人にはたまらない面白さ。
今回は中でも、味のあるハイオク=廃屋=あばら家に惹かれてしまった。
結構広いウチだが、さすがに住人はいない
玄関前にバイク。住んでいるのか?
売り家のようだが、果たして買い手はつくか?
ここでカフェをやっていたらしい
古民家を部分的に修繕し、小ぎれいに住みなしている家も少なくない
家の造りから、養蚕をやっていたのではないか?
この壁に何があったのか?
これは民家ではなくて病院
冬でも枯れ落ちないのは品種のせい?
クラブ湯
秩父の街中にある創業85年の銭湯
外側は改装しているが、中は昭和レトロそのもの
更衣室にロッカーはなく、脱いだ服は竹籠に入れる
富士山を眺めながら43度を超える熱い湯に
桶はもちろんケロヨン
昭和11年創業のたから湯と並び、秩父名所の一つと言ってもいいだろう
秩父鉄道の開運列車
これを見た人には幸運が訪れるとか
大みそかの夜は、23時半に宿を出て、除夜の鐘を聴きながら秩父神社に向かった。
境内には一年間世話になったお札や破魔弓やダルマなどを燃やす浄めの火が焚かれ、その周囲で暖をとる人の輪が幾重にも広がっていた。
秩父神社参道にあるレトロな煙草屋
夜見るとまた雰囲気がある
4本の竹としめ縄で囲った結界の中で火が焚かれる
瞳の入っていないダルマが燃やされていた
願い叶わず・・・か
新年を迎えるとともに拝殿に行列する人々
日本人が無宗教ってのは何かの間違いだろう
賽銭箱の中味もコロナ前に戻っただろうか?
おみくじは「大吉」でした





初詣のあとは、冷えた体を温めるべく神社近くの居酒屋の暖簾をくぐり、武甲正宗を燗で。
すっかりお屠蘇気分の帰り道、空を見上げると、北斗七星、北極星、オリオン、カシオペア、白鳥座・・・・久しぶりに見る満点の星に平和な一年を願った。
元日には、市街地の広がる秩父盆地から荒川に架かる秩父公園橋を渡り、長尾根丘陵の展望台に登って武甲山参拝し、秩父ミューズパークの広がる尾根を越えて、小鹿野町まで歩いた。
昨年の夏に歩いた札所32番法性寺から33番菊水寺への巡礼路に合流し、ようばけを右手に見送りながら、星音の湯でゴール。
明治17年(1884年)に秩父事件の義士たちが取ったのと逆コースである。
この一年、生きとし生けるものが幸せでありますように!