1955年新潮社より刊行
2015年岩波現代文庫

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 ニノ、こと二宮和也主演『硫黄島からの手紙』の記事において、敵国であった日本人の視点に立って過去の日米戦を描き出したクリント・イーストウッド監督の凄さについて讃え、それと同じことができる、つまり中国人の視点に立って日中戦を描ける日本の監督がはたしているか、と問うた。
 映画監督はいざ知らず、小説家はいたのである。
 堀田善衛がその人であった。
 この『時間』という小説は、一中国人の視点から、1937年12月13日に起きた南京虐殺の模様を描いた作品である。

 南京城は、城壁に囲まれた一つの熱風炉であって、そこでは人間の血も精液も、涙も汗も、要するに人間が外部に吐き出し得る一切のものがどろどろに熱せられ溶け混りあい漂い、その上に、怒りや嘆きや悲しみやの濃いガスがかかり、このどろどろは家をも人をも溺没させ、いまにも城壁を越して熔岩のように長江へと溢れ出てゆこうとする・・・・
 (本文より、以下同) 

 語り手は、陳英諦という名の南京に住む中国人。
 当時中国は、蒋介石をリーダーとする国民党と毛沢東をリーダーとする共産党とが覇権争いをしていたが、1937年の日中戦争勃発を機に国共合作し、抗日戦線を組んでいた。
 陳英諦は、国民党政府の首都である南京に、妊娠中の妻と幼い息子と暮らしていた。
 世間向けには海軍部につとめる役人であるが、本当の正体は政府の諜報員であった。
 各地で勝利を重ねながら南下してくる日本軍の猛攻を前に、国民党政府が漢口に一斉避難した後も、なお南京に残って、家の地下に隠された無電機を使って、南京の状況を党中央に伝える役目を負っていた。
 ゆえに、陳一家は南京から逃れられなかったのである。

 本作は陳の日記という体裁なので、とても読みやすく、かつリアルで臨場感がある。
 政府の重鎮の一人として漢口へと出航する兄を見送る1937年11月30日から始まり、日本軍の南京入城および虐殺事件、傀儡政権である中華民国維新政府の樹立をはさみ、日本が国際連盟と完全に袂を分かった1938年10月3日までが描かれる。
 その間に、陳一家は鬼子(くいず)こと日本軍に捕らわれ、他の住民と一緒に近所の小学校に集められ、虐殺の真っただ中に投げ込まれた。
 陳の妻・莫愁は胎児と共に殺され、浮浪児になった息子・英武は日本軍の番兵に斬り殺され、一家のもとに身を寄せていた若い従妹・楊は集団レイプされて妊娠堕胎を経たうえ、麻薬づけにされる。
 からくも生き延びた陳は、日本軍に収用された我が家に戻り、桐野大尉の従僕として仕えながら、深夜になるとこっそり地下室に潜って諜報の仕事を行う。
 
 12月13日の南京虐殺の模様は、半年たってからようやく日記に書かれる。
 つまり、1937年12月11日のあとは空白になって、次の日付は翌年5月10日になっている。 
 陳が環境的にも精神的にも日記を書ける程度の落ち着きを取り戻すまで半年の月日を必要としたという意味であるが、それゆえ、虐殺の生々しい描写であるとか陳自身の慟哭や悲しみや怒りといった激しい感情の吐露は抑えられている。
 またそれは、国際的にも高く評価された堀田の筆をもってしても、十分に描き切れるものではなかっただろう。


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現在の南京(lujunjunzhangによるPixabayからの画像)

 本書の主要なテーマを言うなら、戦争のむごさ、戦争という非日常的「時間」に見られる人間性といったあたりになろう。
 その点では、中世ヨーロッパの十字軍の異端カタリ派に対する暴虐を描いた、同じ著者の『路上の人』と共通する。
 傲慢不遜で差別的で不寛容な精神――『路上の人』では法王を頂点とする正統派カトリックのそれ、『時間』では天皇を頂点とする大日本帝国のそれ――が、神の名のもとに美辞麗句を掲げながら、いかに残酷非道なことをなし得るか、文明や法や恥や良心という縛りを解かれた人間がいかに野蛮になり得るか。
 人間性のもつ底知れない残虐性がむき出しにされている。
 ソルティが堀田善衛を読むのはこれが2冊目なので断言できないけれど、堀田善衛という作家の資質として、人間に対する不信や絶望、この世に対する悲観といった「ニヒリズム」に近いものがあったのではないか。
 ショーペンハウアやエミール・シオランやシモーヌ・ヴェイユ、そして最近よく話題となる反出生主義(「親ガチャ」もその変形だろう)に近い志向を感じる。
 あるいは、仏教か・・・。
 
 今一つのテーマは、被害者である一中国人を語り手に置くことで、外から見た日本という国家、日本人という国民を描き出そうという試みにある。
 これが可能だったのは、堀田自身が太平洋戦争中の1945年3月から戦後の1947年12月までの2年半以上を上海で過ごし、中国国民党宣伝部に徴用された経験をもつからである。
 中国文化や中国人をよく理解していたので、中国人を主人公にできたのである。
 とはいえ、陳英諦は堀田善衛の分身でもある。

 逃亡と暴発、これが南京暴行の潜在的理由ではないだろうか。いま中国にあって、彼(ソルティ注:陳を従僕として使っている桐野大尉)は自分が日本人であるという当然事にさえ苦しむ。中国侵略は、彼等にとっては、心理的には、こうした、一種の日本脱出の夢の実現だったのではないか。がしかし、どこにいようとも、日本人であることをやめることは、出来ない。
 彼等は国際連盟、つまりは国際社会からさえも脱退し逃亡しようと夢見る。孤独に堪えずして他国に押し込み、押し込むことによって孤立する。やがて全世界(彼ら自身の民衆も含めて)を征服しない限り、そして征服してもなお、破滅するだろう。全世界の征服と、全世界からの逃亡とは、彼等にとって同義語ではなかろうか。孤立、破滅、そこに一種の美観にも似たものがあるらしい。

 そうか!
 あの当時、日本という国自体が、全世界に対するテロリズムを行っていたのか。
 「自分が滅ぶか、世界が滅ぶか」という二者択一妄想に追い込まれていたのだ。
 上記の文章は、笠井潔が『8・15と3・15 戦後史の死角』の中で説いた日本人の心性(=ニッポン・イデオロギー)の分析と通じるものがある。

 生産経済が普及して以降の日本列島住民の心性は、不適切な自然環境で稲作を選好した事実を規定としている。過重で単調な反復作業に耐え(「頑張ればなんとかなる」)、しかも集団的な農作業(「みんなで一緒に」)のため共同体的な相互抑圧に耐えるという二点が、この国の住民の心性を根本的に規定してきた。
 この精神的抑圧が、ときとして「日本の特殊な現象としてのヤケ(自暴自棄)」という激情の嵐を生じさせる。しかも「忍従に含まれた反抗はしばしば台風的なる猛烈さをもって突発的に燃え上がるが、しかしこの感情の嵐のあとには突如として静寂なあきらめが現れる」。 
(笠井潔著『8・15と3・15 戦後史の死角』NHK出版より)

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May_hokkaidoによるPixabayからの画像画像:


 堀田善衛の資質としてニヒリズムへの志向ということを上げたけれど、それと同時に、ニヒリズムに傾斜することに対する抵抗も上げなければいけない。
 絶望や悲観主義に陥り、諦観や虚無に捕われ、意志的な行動を放棄することを、堀田は戒める。
 現世における闘いを捨て去り、来世や天上に望みをつなぐだけの生き方に、陳の口を借りて警醒する。

 戦争は、宿命論的な感情をもっとも深く満足させる。平和とは、戦争がないという消極的な事柄であるよりも、むしろ、奴隷的な宿命論や、破滅的な人生観に屈従せぬということなのだ。

 自分自身と闘うことのなかからしか、敵との闘いのきびしい必然性は、見出されえない。これが抵抗の原理原則だ。この原理原則にはずれた闘いは、すべて罪、罪悪である。莫愁を殺し、その腹のなかの子を殺し、英武を殺し、南京だけで数万の人間を凌辱した人間達は、彼等自身との闘いを、その意志を悉く放棄した人間達であった。

 ニヒリストとは、いつもいつも触発されてばかりいる人のことをいうのだ。

 人間認識と社会認識のあいだに、戴然たる裂け目がある。分裂しているのだ。前者は、何等かの信仰、神の方へと向おうとし、後者は組織の方へ向おうとする。それらの統一された、主体的な存在でありたいという渇望を別とすれば、こうした状況は、別に不思議なことでも嘆かわしいことでもない。普通のことなのだ、人間の条件なのだ。この両者を結ぶもの、あるいはこの両者を同時に生きているものがわれわれの身体なのだ。

 堀田善衛は、宮崎駿が最も尊敬する作家の一人だという。
 ゼロ戦設計者である堀越二郎の半生を描いた宮崎の『風立ちぬ』を観ると、その理由がわかるような気がする。
 虚無(ニヒリズム)へと人を誘いかねない人生の無意味さや残酷さ、人の命の儚さを前にして、それでも「生きよ」と宮崎監督は告げていた。

 本文庫は作家の辺見庸が解説を書いている。
 これ以上にふさわしい人選はないだろう。
 この小説の今読まれるべき意義を訴える素晴らしい解説である。
 
 

おすすめ度 :★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損