2017年東洋経済新報社
経営戦略とか組織マネジメントとかPDCAサイクルといった概念や言葉が、日本で広まり、官民問わず様々な分野で取り入れられるようになったのは、90年代に入ってからだったと思う。
戦後ずっと日本の景気は右肩上がりで来て、80年代に空前のバブル景気を迎えたので、経営戦略とかリスクマネジメントとか特に難しいことを考えないでも、多くの企業はやって来られた。
そこでは事実の客観的分析や的確な状況判断よりも、ワンマン社長の才覚一つとか、「みんなが心を一つにし、死ぬ気で頑張ればなんとかなる」という精神論が重きをなしていた。
官もまた同じで、国の決めた泥縄式政策を各自治体は実施するのだが、その効果についてはなんら評価することなく、失敗しても誰も責任をとることがない。
日本の各地に遺跡のように残る、使われていない高速道路や廃墟と化した公共施設を見れば、その証拠は十分であろう。
こうした「日本式戦法」の最大にして最悪の失敗例が、太平洋戦争であったことは言うまでもない。
猪瀬直樹の『昭和16年夏の敗戦』に見るように、大日本帝国は「負けると分かっていた」戦争にあえて飛び込んだ。
それこそ「自虐死観」とでも言うべきものだ。
そういう意味では、科学的な経営戦略や組織マネジメントが各分野で導入されるのは基本的に良いことだと思う。
2000年に創設された介護保険制度など、まさにPDCAサイクルを利用したケアマネジメントが主軸である。
グローバル化した世界の中で生き残るには、やはり、運まかせ・天まかせ・神風まかせではいけない。
事実をもとにした冷徹な状況判断と情勢予測、巧みな戦略と戦術、成員の持てる力を十全に発揮させる組織マネジメントが必要であろう。
企業運営しかり、国家運営しかり。
Gerd AltmannによるPixabayからの画像
著者の丹羽宇一郎は、1939年愛知県生まれ。
伊藤忠商事の社長として約4000億円の負債を処理したうえ、同社史上の最高益を記録。
内閣府の委員や日本郵政取締役やWFP(国際食糧計画)会長を歴任したのち、2010年に民間出身では初の中国大使に就任。本著刊行時、公益社団法人「日中友好協会」の会長を務めている。
つまり、卓越した企業家であり、政治・経済・外交・国際情勢にも明るく、組織運営に長けた人である。
実社会を肌で知っている人であり、お坊ちゃま育ちの2世、3世議員や体制べったりの太鼓持ち学者のような、最初に結論ありきの机上の空論を振り回す人ではない。
本書はこのような著者による戦争論、安全保障論、国防論ということができる。
その言は、『新国防論』の伊勢崎賢治同様、信頼に値する。
まさに、成功した企業家ならではの客観的にして合理的な論述が、非常にわかりやすく展開されている。すなわち、
① エビデンス(根拠となる事実)の収集
- 過去の日米戦の推移
- 戦争体験者から聞いた戦場の真実
- 日本・アメリカ・中国・北朝鮮の軍事力や国力の評価
② 状況把握&情勢分析
- 各国の思惑と関係性
- 日米安保の信頼性(日本が中国と戦争になったら、アメリカは加勢してくれるのか?)
- 国際情勢と国際社会のオピニオン潮流、日本に対する評価
- 軍事力や核による抑止効果の査定
- 戦争することによる利益と損失の分析
③ 方針決定
- 日本は戦争はしてはならない、巻き込まれてはならない
- 外交による安全保障政策こそ第一であり、軍事力増強は次善の策
④ 戦略&戦術策定
- 各国との付き合い方
- 国民への啓発はいかにあるべきか
昭和14年生まれの著者は当然戦地には行っていないし、戦時中の日本をよく覚えていない。
そこで、実際に戦地に派遣され戦争を体験してきた人たち(その数は少なくなっている)に取材し、思い出すのもつらい事実――被害だけでなく加害の!――を聞きとっている。
本書の一番の美点は、戦争体験者の証言が核となっている点である。
そう。戦争について何か言おうとするのなら、実際の戦場を知る人間の話に耳を傾けることから始めるのが当然である。
中国や北朝鮮の脅威をしきりに煽り、憲法改正や軍備増強を訴える保守右翼の人たちや国会議員には、まず著者のこの姿勢をこそ学んでもらいたいものだ。
戦場の真実というエビデンスをもとにしない方針や戦略など、ソルティは認めない。
(ちなみに、少子化対策について考えるなら、まず子供を産む性である女性たちに意見を求めるのが常識だと思うのだが、なぜそれをしないのか? 女性たちが「産みたい」と思う対策を講じない限り、何をやっても無駄なのに・・・)
(ちなみに、少子化対策について考えるなら、まず子供を産む性である女性たちに意見を求めるのが常識だと思うのだが、なぜそれをしないのか? 女性たちが「産みたい」と思う対策を講じない限り、何をやっても無駄なのに・・・)
以下、引用。
量が多くなるが、本書にはそれだけ重要な文章が多い。
しかもこれらは、ソルティの小さな頃(60~70年代)はあたりまえに日本のメディアを占めていた言葉ばかり。
しばらくぶりに出会った「まっとうな」言葉の数々に、思いがけず落涙した。
これが戦後昭和の大人の良心であった。
これが戦後昭和の大人の良心であった。
責任をとる覚悟のない人間は、企業であれ、国であれ、組織のトップをやるべきではない。優等生ばかりの集団は、自分の保身に頭を使うが、責任を取ることを躊躇する。戦前の日本政府でも、同じことがあったのだと思う。戦争は人を狂わせる。繰り返すが、日本国内にいたときは、ほとんどの兵士は善良な市民である。善良な市民も戦場では鬼畜・悪鬼の振る舞いができるのである。それが戦争なのだ。戦術の誤りは戦略で補うことができるが、戦略の誤りを戦術で補うことはできない。これは鉄則中の鉄則である。この鉄則に、企業も国家も変わりはない。ところが戦前の日本の指導者は、この鉄則さえ守ろうとしていない。戦略の誤りを兵士や国民の犠牲という戦術で補おうとしたのだ。戦前日本の精神主義は、その一例である。国力とは、その国の国民の質と量の掛け算である。土地は借りればよいし、資源は買ってくればよい。しかし、質の高い国民を買ってくることも、戦争で獲得することもできない。質の高い国民は、自国で育てるしかないのだ。その国民を戦争の犠牲にして、益のない領土を守ったり、無理に他国から資源を奪うことにどれだけ合理性があるだろうか。これもまた、本末転倒である。防衛力と安全保障は軍事と政治という明らかに違う世界である。これを混同した議論をしてはいけない。安全保障政策とは国際政治である。国際政治とは冷徹に国際関係上の利害を計算し、最も有利な選択をすることだ。そこに「共通の思想や価値観」などというイデオロギーの入り込むすき間はない。単に中国が嫌いという情緒論をベースにした議論も国際政治ではあり得ない。嫌いな相手とでも我が国に有利となれば友好関係を結ぶのが国際政治であり、安全保障政策である。防衛費を増やすことができるのは国内経済が拡大するからで、国内経済を犠牲にして防衛費だけを増やすことはできないのだ。したがって抑止力を無制限に拡大するという戦略は、成熟経済下の我が国では選択できない。日本の現代史は“敗者の物語”であるが、私も日本人はあえて敗者の歴史を、勇気を持って学ぶべきと思う。普通の国は“勝者の物語”を勉強するが、日本が目指すべきは敗者の歴史も真摯に検証していく特別な“歴史”の学び方である。・・・・・・・戦争は国民を犠牲にする。戦争で得する人はいない。結局みんなが損をする。特に弱い立場の人ほど犠牲になる。日本は二度と戦争をしてはいけない。これらは敗者の歴史からしか学べない重要なことだ。だから日本人は敗北の現代史を学ぶべきなのである。民意はときに過ちを犯すということが、民主主義の最大のウィークポイントだ。最大の過ちは戦争である。政治家の使命の第一は、国を戦争に導かないことだ。国益のために戦争も辞さずという声を聞くこともあるが、その国益とはいったい何なのか。国民を犠牲にして成り立つ国益などあろうはずがない。
最後に、自民党総裁で内閣総理大臣だった田中角栄が、いつも新人議員に語っていたという言葉。
戦争を知っている世代が政治の中枢にいるうちは心配ない。平和について議論する必要もない。だが、戦争を知らない世代が政治の中枢となったときはとても危ない。
おすすめ度 :★★★★
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損
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