1963年イギリス
87分、白黒

 原作は、英国作家ウィリアム・ゴールディング(1911-1993)のノーベル文学賞受賞作。
 「蠅の王」とは聖書に出てくる悪魔ベルゼバブのこと。
 と言っても、オカルト映画ではない。
 『十五少年漂流記』の闇バージョンといった内容で、無法状態におかれた少年たちが陥った狂気を描く反ヒューマニズム・サバイバル・サスペンスである。

 飛行機事故により南海の孤島に取り残された数十人の少年たち。
 最初のうちはリーダーやルールを決めて、みんなで協力し合い、サバイバル生活を送っていた。
 が、リーダーを快く思わない一部が離反し、集団は二つに分かれる。
 次第に野性をむき出しにして獣のように狂暴になっていくグループと、最後まで人間らしく文化的に生きようとするグループ。
 次第に、狩猟にすぐれた前者に荷担していく者が増える。 
 そのうち前者は悪魔に憑りつかれたようになって、カリスマ性あるリーダーの命令のもと、後者を一人また一人と血祭りにあげていく。 

 原作を読んだのは学生時代だった。
 夏休みだったが、うなじから背中に氷を入れられたような冷感に襲われた。
 ゴールディングが本作を書いたきっかけとなったのは、彼が小学校の教員をしていた時の体験だと、解説に書かれていたのを覚えている。
 つまり、身の回りの少年たちの言動の中に常日頃、“悪魔”的なものを見ていて、それをもとにこの小説を作り上げたのである。
 「ずいぶんと観察眼ある、しかし性悪説の作家だなあ」と当時ソルティは思った。
 「よほど、生徒たちに振り回され、痛い目にあったんだろうなあ」
 
 むろん、これは一種の寓意小説である。
 少年の集団に仮託して、ゴールディングが描きたかったのは、人間の奥底に潜む支配欲や攻撃性や獣性、集団となったときの人間が帯びる負のグループダイナミズムやファッショの狂気である。
 沖縄戦や南京虐殺における日本軍の蛮行、アウシュビッツにおけるユダヤ人大量虐殺、連合赤軍やオウム真理教内部で起きていたこと、キリングフィールド(殺戮場)と呼ばれたカンボジア、スハルト政権下のインドネシア、十字軍のイスラム教徒蹂躙、関東大震災時に起きた朝鮮人虐殺や福田村事件、ルアンダの悲劇・・・・人類史に例は事欠かない。

 ただ、これを獣性とか鬼畜の所行と言ってしまうのは、譬えられる動物にとって迷惑千万な話であり、動物は普通ここまで同じ種に対して残虐な仕打ちはしない。
 本能によって限界が設けられている。
 本能の壊れた=自我を持つ人間だけが、この世に地獄を作り出せる。

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野獣グループが神と仰ぐ「蠅の王」

 原作の設定でもそうだったのかよく覚えていないのだが、悪魔化していく少年グループのコアメンバーは、もともと教会の聖歌隊であった。
 彼らは讃美歌を口ずさむながら、人間狩りをする。
 ここには強烈な皮肉がある。

 本作のラストは、「蠅の王」への贄を求める狂気集団の標的とされた元リーダーの少年が、島中を逃げ回り、あわや捕らえられる絶体絶命の瞬間、救助に来た大人と砂浜で遭遇するシーンで終わる。
 助かった!
 孤島の殺戮劇は終了した。
 最後のカットは、燃える森をバックに、安堵の涙を流す少年のアップである。

 しかし、原作のラストは違った。
 助けに来たのは、島の近くを通りかかった戦艦の乗組員、すなわち兵士であった。
 少年の瞳には、兵士が島に漕ぎつけるのに使用したボートのはるか向こうを遊弋する、巨大な戦艦の姿が映る。
 ――ジ・エンド。
 少年たちの殺戮ゲームを裁ける資格を、大人は持っているのか。
 
 この重要なラストシーンがなぜ映画ではカットされたのか、不明である。
 『蠅の王』は、1990年にハリー・フック監督によって再映画化されている。
 そちらの最後はどうなんだろう?

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軍艦島
Jordy MeowによるPixabayからの画像



おすすめ度 :★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損