ソルティはかた、かく語りき

東京近郊に住まうオス猫である。 半世紀以上生き延びて、もはやバケ猫化しているとの噂あり。 本を読んで、映画を観て、音楽を聴いて、芝居や落語に興じ、 旅に出て、山に登って、仏教を学んで瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

映画・テレビ

● ドキュメンタリー映画:『沖縄戦 知られざる悲しみの記憶』(太田隆文監督)

2019年青空映画舎、浄土真宗本願寺派
105分
ナレーション:宝田明、斉藤とも子

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 戦死者20万656人。日本で唯一の地上戦が行われ、県民の4人に1人が死亡した沖縄戦。
 それはどのように始まり、どのように終わったのか。
 どれほどの悲惨と残虐と苦しみがあったのか。
 これほど多くの民間人が犠牲になった背景にはいったい何があったのか。
 沖縄戦体験者12人の証言と専門家8人による解説、そして米軍が撮影した記録映像を用いて、時系列でわかりやすく克明に描いている。

 下手な解説やコメントはすまい。
 これはぜひ観てほしい。
 国家というものがいかに狂気なシステムになりうるか、ファシズム下の学校教育がどれだけのことを成し遂げるか、人間がどれほど無明に閉ざされているか、嫌というほど実感させられる。

 ソルティはこれまでに仕事で1度、観光で2度、沖縄に行っている。
 しかし、沖縄戦の関連施設を訪ねることはなかった。
 ひめゆりの塔、対馬丸記念館、沖縄陸軍病院跡、佐喜眞美術館・・・・。
 一度は行っておくのが、沖縄を本土決戦のための時間稼ぎの防波堤として利用した「やまとんちゅう(本土の人)」の義務だろう。

 ナレーションをつとめた宝田明(2022年3月逝去)は、ハンサムでダンディな俳優として知られたが、戦後満州で11歳まで過ごし、自身もソ連兵の銃弾で瀕死の重傷を負った過去があるという。
「なぜに子供たちは、親を奪われねばならなかったのか」
「なぜに子供たちは、実の親の手で殺されなければならなかったのか」
 ラストシーンの慟哭そのものの語りはそれゆえであったか。

 懼れるべきは、他国に攻撃される可能性なのか?
 それとも、自国がファッショ化し、自国に心を殺される「今ここにある危機」なのか?


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多くの子供達が本土疎開のために乗った対馬丸は
アメリカの潜水艦によって撃沈された





おすすめ度 :★★★★

★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損


● 映画:『クイーン』(スティーヴン・フリアーズ監督)


2006年イギリス、フランス、イタリア
104分

 エリザベス2世女王の国葬がつつがなく終わった。
 伝統に則った盛大で格式ある葬礼、弔問に訪れた多くの国民の悲しみと喪失感、亡き女王の偉大さをこぞって称えるマスコミ――それらをテレビやネットニュースで観ていて、「さすが大英帝国」と思ったけれど、一方、なんとなく違和感というか空々しさを感じもした。 
 1997年8月31日に起きたダイアナ妃の交通事故死直後の英国マスコミのセンセーショナルな報道や、それに煽られた一般市民のふるまいを覚えている人なら、きっとソルティと同じようなことを感じたと思う。
 「あのときは、あんなにエリザベス2世を非難し、憎み、罵倒していたのに!」
 「王室廃止の声さえ上がっていたのに!」

 そう。スキャンダルまみれなれど、その美貌と博愛精神と人の心を一瞬でつかむ魅力とで人気絶大だったダイアナ妃の非業の死に際して、英王室とくに元姑であるエリザベス2世が何ら弔意を示さなかったことで、大騒動が巻き起こったのだ。
 本作は、その一部始終をクイーンエリザベス2世の視点から描いたものである。

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ヘレン・ミレンとマイケル・シーン

 エリザベス2世を演じているのは、ロンドン生まれのヘレン・ミレン。
 本作で数々の女優賞を総なめにしたが、それももっともの名演である。
 君主としての威厳と気品のうちに英国人らしいユーモアと忍耐力を備え、国家と国民に対する強い責任感と、突然母親を失った孫(ウィリアム王子とヘンリー王子)はじめ家族に対する愛情を合わせ持った一人の女性を、見事に演じている。
 その威厳は、ヘレンの父親がロシア革命の際に亡命した貴族だったせいもあるのだろうか。
 
 時の首相であるトニー・ブレアに扮しているのはマイケル・シーン。
 顔立ちは本物のトニーによく似ている。
 左翼政権を率いた野心あふれる男の精悍さより、母性本能をくすぐる甘いマスクが目立つ。
 
 ソルティはエリザベス2世をテレビで見るたびに、亡くなった祖母を思い出したものである。
 冷静で強情なところ、ハイカラでファッショナブルなところ、職業婦人として自立していたところ(祖母は看護婦長であった)、賢明で物知りなところ、目鼻立ちにも似通ったところがあった。
 久し振りに祖母を思い出した秋分の日。
 
エリザベス2世
エリザベス2世の冥福を祈る
 
 


おすすめ度 :★★★

★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損

 
 


 

● 映画:『ひめゆりの塔』(今井正監督)

1953年東映
130分、モノクロ

 ドキュメンタリー映画の俊英、今井正監督による本作は、吉永小百合主演による1968年版(舛田利雄監督)とくらべると、やはりドキュメンタリー色が強く、全編リアリズムにあふれている。
 それはドラマ性が弱い、すなわちエンターテインメントとしてはいま一つということでもあるが、いったいに、「ひめゆり学徒隊の史実をエンターテインメントで語ることが許されるか!」という思いもある。
 物語の背景や人物関係がわかりやすく、随所に感動シーンがあり、映画として楽しめるのは68年舛田版。一方、豪雨の中での担架を抱えた部隊移動シーンや米軍による無差別爆撃シーンなど、「超」がつくくらいの写実主義に圧倒され、戦争の怖ろしさや悲惨さに言葉を失うほどの衝撃を受けるのが53年今井版である。

 出演者もまた、スター役者を揃えた舛田版にくらべると、本作でソルティがそれと名指しできる役者は、先生役の津島恵子と生徒役の香川京子以外は、藤田進と加藤嘉くらいしかいなかった。
 クレジットによると、渡辺美佐子、穂積隆信も出ているらしいが、気づかなかった。
 脚本は水木洋子、音楽は古関裕而である。
 当時、沖縄はまだ返還されていなかったので、東映の撮影所の野外セットと千葉県銚子市の海岸ロケで撮影されたという。(ウィキペディア『ひめゆりの塔』より)

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生徒たちと川遊びに興じる先生役の津島恵子
 
 すでに島の上空も海上も米軍にすっかり埋め尽くされているというのに、「大日本帝国は総攻撃により敵を撃退する。勝利は近い」と最後の最後まで国民をだまし続け、もはや敗戦が隠せなくなるや、「捕虜になるよりは国のために潔く死ね」と、国民を突き放す大本営。
 統一協会との癒着を隠し続け、安倍元首相の国葬を断行する今の自民党と、どこが違うのか!




おすすめ度 :★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損


 
 
 
 
 

● 王家の紋章 映画:『冬のライオン』(アンソニー・ハーヴェイ監督)

1968年イギリス、アメリカ
137分

 原作はジェームズ・ゴールドマンの戯曲。
 12世紀のイングランド国王ヘンリー2世(1154-89)を主役とする歴史劇。

 権謀術数と暗殺と戦闘シーン満載の派手な歴史大作かと思ったら、なんのことはない、ヘンリー2世一家の家族ドラマだった。
 ヘンリー2世と妃エレノアの間に生まれた3人の息子リチャード、ジェフリー、ジョンに、フランス国王フィリップ2世やヘンリーの愛人アレースが絡んで、愛と不信と欲とプライドが錯綜するハタ迷惑な家族バトルが勃発する。
 まあ、もともとブロードウェイの舞台にかかっていたのだから、このくらいのサイズが順当であった。

 とは言え、夫婦喧嘩や兄弟喧嘩が『渡る世間は鬼ばかり』のような単なる内輪もめで終わらないところが、支配者の支配者たるゆえん、王家の王家たる宿命である。
 たとえば、兄弟のうち誰が一番親に愛されるかは、庶民の家庭ならせいぜい遺産相続のトラブルで済む話だが、これが王家だと誰が次の国王(=支配者)に指名されるかという、国家の未来と国民の運命を左右する大問題となる。
 同様に、夫が糟糠の妻を捨てて若く美しい愛人に走るのは、庶民レベルなら家庭裁判所での愁嘆場(または修羅場)くらいの話で済むが、これが国王夫妻ともなると、ローマ法王の許可が必須な宗教問題へと発展する。
 広大な領地と巨額な財産と圧倒的な権力は得られても、あたりまえの普通の家庭の幸福は絶望的に得られない一家の悲喜劇が描かれている。
 
 まあ、とにかく出演者の面々が豪華極まる!
 ヘンリー2世には『アラビアのロレンス』、『ラストエンペラー』のピーター・オトゥール、王妃エレノアには米国アカデミー主演女優賞を4回も獲得しているキャサリーン・ヘップバーン、リチャード王子には『羊たちの沈黙』、『日の名残り』のアンソニー・ホプキンス、フランス国王フィリップには第4代ジェームズ・ボンドとなったティモシー・ダルトン。
 アンソニー・ホプキンスは本作が映画デビューで、当時31歳。なんと同性愛者の王子という設定である(実際のリチャード1世がゲイであったかどうかは不明)。
 つまるところ、本作の見どころのすべては名優たちの演技合戦に集約される。
 とりわけ、ピーター・オトゥールとキャサリーン・ヘップバーンの共演シーンでの斬るか斬られるか丁丁発止の応酬は、スリリングかつユニークであると同時に、西洋演劇における高度の演技術の模範とも言えよう。
 
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キャサリーン・ヘップバーンとピーター・オトゥール

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アンソニー・ホプキンスとティモシー・ダルトン
2人はかつて男色関係にあったという設定である


 ところで、『冬のライオン』とは晩年のヘンリー2世という意味で、彼がイングランド王室紋章にライオンのデザインを採用したことによる。
 これが現代の英国国王の紋章にも受け継がれている。
 
イングランド国王紋章(ヘンリー1世)
ヘンリー1世時代の紋章

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現在の紋章
エリザベス2世の冥福を祈る



おすすめ度 :★★★

★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損









● おやじ、涅槃で待つ TVドラマ:『悪魔が来りて笛を吹く』

1977年TBS系列
約45分×全5回
脚本:石森史郎
演出:鈴木英夫

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 『犬神家の一族』で華々しいスタートを切った古谷一行=金田一耕助の『横溝正史シリーズ』中の一作。
 1979年東映制作の映画版では、西田敏行が金田一耕助を演じ、物語のキーパーソンとなる元華族の椿秌子(あきこ)を演じた鰐淵晴子の妖艶な美しさが圧巻であった。
 本作では44歳の草笛光子が秌子を演じている。
 艶めかしさ、妖しさは鰐淵に適わないものの、乳母日傘のお嬢様育ちの鷹揚さに加え、繰り返される血族結婚がもたらす遺伝的脆弱からくる精神不安を見事に演じきっていて、さすがの貫禄。
 草笛のベッドシーンは非常に珍しいと思うが、堂に入ったものである。

 数十年ぶりに見ての嬉しい驚きは、モロボシダンこと森次晃嗣が刑事役で出演していて、古谷=金田一とのツーショット連発なこと。
 刑事役、実にお似合いでカッコいい。
 一緒に須磨や淡路島に行き調査するシーンは、二人のヒーローの顔合わせの妙が、郷愁をそそるばかりの野外ロケと相俟って、陰惨この上ない物語の数少ない息抜きとなっている。

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古谷一行と森次晃嗣

 椿家の令嬢・美禰子を演じる檀ふみも、清楚な品あって好感持てる。
 演技の上手さにも目を瞠らせるものがある。
 ほかに、原泉、観世栄夫、長門裕之、加藤嘉、江原真二郎、三崎千恵子、野村昭子、長門勇など錚々たるベテランたちが脇を固めており、昭和時代のドラマの質の高さは何よりも役者によって担保されたのだと実感する。

 特記すべきは、犯人役の沖雅也。
 ソルティの中ではやはり、『太陽にほえろ』のスコッチ刑事のクールなイメージが強いが、どこか影のある美青年であった。
 1983年に31歳の若さで飛び降り自殺し世間に衝撃を与え、そのとき残された遺書の文句、「おやじ、涅槃で待つ」は話題になった。
 「おやじ」とは沖の所属した芸能プロダクション社長で、養子縁組により沖の「父」となった日景忠男のことである。
 沖の死後に日景が著書でカミングアウトしたことで知れ渡ったのだが、日景と沖は恋愛関係にあった。
 それは当時、好奇心と嘲りと嫌悪をもって語られるスキャンダル以外のなにものでもなかった。
 もちろん、本作放映時(1977年)、世間はそんなことはつゆ知らなかった。
 沖雅也は女性人気抜群の若手実力派だったのである。

 こうしていろいろな事情が判明したあとで本作を観直したとき、沖雅也という俳優の悲しく途絶した人生と本作の真犯人・三島東太郎のあまりに不遇な人生とが重なり合って、言いようのない悲劇的味わいがそこに醸し出されている。
 とくに、ラストシーンで三島が自らの正体を満座のもとに告白するくだりでは、沖の芝居は演技を超えたリアリティを放ち、あたかも沖自身の肉声、魂の叫びのようにすら聞こえてくる。
 見続けるのがつらいほどだ。
 日景忠男は2015年に亡くなった。
 二人が涅槃で再会できたことを願うばかりである。

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脱衣し背中の「悪魔の紋章」を見せる三島東太郎(沖雅也)

 ところで、本作の導入部では、戦後まもなく発生し日本中を震撼とさせた帝銀事件をモデルにした天銀堂事件なるものが語られる。 
 つまり、本作の時代設定は1947年(昭和22年)である(横溝の原作は1954年刊行)。
 本作の放映、すなわち中学生のソルティがリアルタイムで茶の間で観たのは1977年のこと。
 ちょうど30年前の日本を舞台とするドラマを観ていたことになる。
 それで改めて驚くのは、1947年の日本人の生活様式と1977年のそれとは、ほとんど断絶がないという点である。
 当時観ていて理解できなかった風習やシステム、違和感を感じるような登場人物のセリフや振る舞いは、ほとんどなかった。
 1977年の時点でも、遠い場所にいる人との連絡手段は電話や手紙であり、警察への犯罪の告発は匿名の投書であり、家で音楽を聴きたいのならレコードプレイヤーであり、ニュースは主に新聞から取り入れ、淡路島に行くなら列車と船であった。
 翻って、2022年の中学生がこのドラマを観たとき、そこにどれだけの連続性を感じるだろうか?
 電話機やレコードプレイヤーを見たことも触ったこともない、ニュースはインターネットから、音楽を聴くならスマホで、という日本人にとって、このドラマが時代劇のごとくアナクロに映ることは間違いあるまい。

 ことは、文明の利器だけの話ではない。
 現在、本作を原作通りにTVドラマ化することは難しいと思われる。
 というのも、ここで真犯人の主要動機を担っているのが、兄と妹の近親姦だからである。
 近親姦は「神をも畏れぬ忌まわしき行為」「犬畜生に劣る行為」であり、近親姦で生まれた子供は「生まれてはならない化け物」「畜生以下」「悪魔」である、という昭和時代のスティグマがこのドラマの根幹を成しており、近親姦によって生まれた子供が、自分をこの世にもたらした父と母に復讐する――という物語なのである。

 実際のところ、近親姦は世間で思われているよりずっと頻繁に起こっており、若い頃に近親の男から被害を受けた実の娘や姉妹や孫娘や姪の数は、声を上げられないだけで、少なくないだろう。
 中には、中絶することができないまま、出産に至るケースもあろう。
 そうした女性被害者や生まれてきた子供たちの存在を思えば、近親姦のスティグマをいたずらに強化する本作は、今となっては時代遅れというだけでなく人権侵害の色が濃い。

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 思うに、人の持つ基本的な世界観、価値観の核は、およそ20代までに形成されてしまうのではないか。
 ソルティも昭和時代の価値観をかなり内面化している。
 そのことは昭和時代に作られたドラマを楽しんだり読み解いたりするには役立つのだけれど、令和の今を生きるにはそれなりの自己覚知が必要だ。
 かつては30歳の年の差でも、同じ日本人なら同じ文化に属しているがゆえ、ある程度以心伝心が通じた。
 いまは10歳の年の差だって以心伝心は通じないと心得るべきだろう。


 古谷一行さんの冥福をお祈りします。




おすすめ度 :★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
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★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
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● 映画:『あゝひめゆりの塔』(舛田利雄監督)

1968年日活
125分、白黒

 太平洋戦争終結間際の沖縄でのひめゆり学徒隊の悲劇を描いたドラマ。
 石原裕次郎主演の日活映画や『二百三高地』、『零戦燃ゆ』などの戦争大作、アニメ『宇宙戦艦ヤマト』シリーズなどで知られるヒットメーカー舛田利雄監督の手堅く迫力ある演出が際立つ。
 戦争ノンフィクションと人間ドラマとエンターテインメントの見事な融合である。

 主演の吉永小百合はじめ、浜田光夫、和泉雅子、二谷英明、渡哲也、乙羽信子、東野英治郎、中村翫右衛門などスター役者が揃って、1971年にロマンポルノに移行する前の日活最後の輝きといった趣きがある。
 藤竜也や音無美紀子や梶芽衣子(当時の芸名は太田雅子)もどこかに出ているらしいが気づかなかった。

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ひめゆり学徒隊に扮する吉永小百合(左)と和泉雅子(右)

 物語後半からは、B29による米軍の凄まじいじゅうたん爆撃に圧倒される。
 観ていて、日本軍相手ならまだしも民間人を容赦なく攻撃する米軍に対する憤りは当然感じるものの、それ以上に強いのは、このように民間人に多数の死者を出しても戦争をやめようとしない軍部に対する怒り、日本という国家に対する怒りである。
 サイパンを取られた時点で(本当はもっと前から)日本の敗戦は誰の目にも明らかだったのに、なぜそこで停戦講和に持ち込まなかったのか?
 本土決戦など言葉だけのきれいごとで、実際には本土蹂躙に等しかった。
 沖縄戦はじめ、本土爆撃、広島・長崎原爆投下・・・・どれだけの民間人の命が犠牲になったことか!

 昨年のコロナ禍での2020東京オリンピックでも、このたびの安部元首相国葬でも、日本という国は一度始めたことを止めることができない。
 その遂行がすでに無意味と分かってからも、益より害が大きいことが明らかになっても、国民の大多数が反対しても、政府は「聞く耳をもたない」。
 それは単純に、決めた予算の執行にかかわる問題とか関連企業の儲けとか政治家たちにわたる賄賂やリベートとか、そういった金銭的理由だけではない気がする。
 もっと根本的なところで、方向転換して改める力を欠いている。
 過ちを認められないエリートたちの宿痾なのか。
 それとも、合意形成の段階での曖昧な手続きが、いざ事態がまずくなったときに責任を引き受ける者の不在を招くのか。

 いずれにせよ、支配層の過ちのツケを払うのはいつも庶民であり、支配層は都合が悪くなるとコソコソと逃げ隠れる。
 ソルティが、戦争映画を観ていつも感じるのは、支配層に対する怒りである。
 敵対する国民――たとえばこの映画においてはアメリカ兵――に対する怒りではない。
 今回のロシア×ウクライナ戦争でも、各国の支配層と結びついたどれだけの軍需産業が儲けをふところにほくそ笑んでいるかと思うと、虫唾が走る。

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 吉永小百合は、日焼けも泥まみれや汗まみれも、ボロ着も歪んだ泣き顔も辞さない体当たりの熱演。
 沖縄の歌や踊りもそつなくこなしている。
 この役をたとえば十代の大竹しのぶがやったら、ずっとリアリティある圧巻演技になったろうなあ~と思うが、ひめゆりの名にふさわしく華があるのは小百合である。
 
 作家・石野径一郎による同名の原作は、1953年と1982年に今井正監督によって、1995年に神山征二郎監督によっても映画化されている。
 機会があったら見較べたい。





おすすめ度 :★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
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● 映画:『セールスマン』(アスガル・ファルハーディー監督)

2016年イラン、フランス
125分

 第89回アカデミー賞外国語映画賞はじめ数々の国際級映画賞を獲得しているミステリーサスペンス。
 監督はイラン出身なので、舞台はおそらくテヘランだろう。
 2018年に公開されたババク・アンバリ監督によるホラー映画『アンダー・ザ・シャドウ』同様、すっかりアメリカナイズされた現在のイランの都市生活が描かれている。
 
 タイトルの由来になっているように、劇団に所属する主人公夫婦が現在演じている芝居がアメリカ作家アーサー・ミラーの『セールスマンの死』であるあたりからして、いまのイランが急激な西洋化によって遭遇している社会問題が、まんまアメリカ的であることが象徴的に示されている。
 観終わってから気づいたが、本作には登場人物が「アッラー」を称えるセリフやイスラム教徒ならではの祈りのシーンがなかった。

テヘラン
欧米化著しいテヘランの街

 教師エマッドと妻ラナは小さな劇団に所属している仲の良い夫婦。
 引っ越したアパートメントで新しい生活が始まった矢先、侵入してきた何者かにラナは暴行され、大ケガを負ってしまう。
 ラナは警察に届けることを拒否する。
 怒りのぶつけどころないまま犯人探しをするエマッドは、犯人が部屋に置き忘れた車のキーを手がかりに、ついに容疑者をつきとめる。
 それは思いもかけぬ相手であった。

 ストーリー自体は取り立てて奇抜なところはない。
 大都会ではよくある事件の一つであろう。
 犯人の意外性も驚くほどのものではない。
 単純にミステリーサスペンスとして評価した場合、凡庸な出来と言える。
 本作の評価の高さは、登場人物たちの心理描写がこまやかで、一つ一つのセリフや行動にリアリティがあり、全般丁寧に撮られている点であろう。
 他の男に暴行された妻と、それを知った教養ある夫。
 両者の揺れ動く心理と関係性の変化を見事に演じきった役者も素晴らしい。
 深みある人間ドラマとなっている。

 おそらく、西洋化する前のかつてのイランの男ならば、他の男に“汚された”妻を許さないだろう。「お前が油断しているから、こんなことが起こる」と責め立てるであろう。
 暴行した男を見つけたら、それこそただでは済まさないであろう。
 目には目を、歯には歯を、である。
 社会も男の復讐劇を称賛こそすれ、非難することはないだろう。
 アッラーには復讐の神の名もある。

 高校教師であり『セールスマンの男』を演じられるほどに現代西洋的教養や価値観を身につけたイスラム男のアイデンティティは、もはやかつての伝統文化の枠内にはおさまりきれない。
 ラストシーンで妻を襲った真犯人と対峙し、本来なら正当であるはずの復讐を果たすことに惑うエマッドの逡巡には、伝統的価値観と新しい西洋的価値観に引き裂かれるイランの知識人の現在が見事に活写されている。
 


おすすめ度 :★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
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● 70年代の中坊 映画:『博多っ子純情』(曽根中生監督)

1978年松竹
94分

 70年代の博多を舞台に中学生男子の日常を描いた青春ドラマ。
 原作は長谷川法世の同名コミック。

 ソルティはまさに70年代に中学時代を送ったので、「周囲の男子はまさにこんな感じだったな」という感慨を深くした。
 もちろん、埼玉のベッドタウンと博多とでは文化が違う。
 博多と言えば、博多どんたくであり、夏の祇園山笠であり、路面電車であり、博多人形であり、明太子であり、海援隊であり、男尊女卑の風土という印象が強い。
 本作は上記のような博多の名物・文化が物語の骨格をなしており、風土愛を感じさせるものとなっている。

 令和の現在の視点からすれば、ずいぶんと受け入れがたいシーンやセリフも多い。
 男尊女卑的、ジェンダー差別的、父権的なセリフであるとか、公衆浴場で女児の裸を映すシーンであるとか・・・・。
 70年代を生きていた当時は「普通」に思っていたことの多くが、半世紀近くでずいぶん NG になったのだとつくづく思う。
 「普通」の少年になれなかったソルティにしてみれば、マッチョイズムを讃えるような事象が NG になって良かったと思う反面、失われた文化に対する郷愁や愛惜のようなものもあるから複雑だ。 
 いずれにせよ、昭和は遠くなりにけりだ。
 令和の博多っ子はどんなジェンダー観を持っているのだろう?

 主役の郷六平を演じているのは光石研。
 オーディションで選ばれたそうだが、適役である。
 この映画の成功の要因の一つは光石少年を発見したことによる。
 男らしさと優しさ、ガサツさとナイーブさ、少年と大人とが入り混じった微妙なバランスを体現している。
 ガールフレンドの小柳類子役は松本ちえこ。
 松本ちえこと言えば、資生堂バスボンのCMでブレイクし一躍アイドルの仲間入り、レコードもヒットした(代表曲『恋人試験』)。
 その後、妊娠疑惑騒動が持ち上がって人気は急下降、ヌード写真集を出したり、日活ロマンポルノに出演したりと踏ん張っていたが、いつの間にか名前を見なくなった。
 今回初めて知ったが、2019年11月17日に大動脈瘤破裂のため60歳で亡くなっていた。

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光石研と松本ちえこ
 
 思春期の美しさ、博多という町の美しさ、いやいや、やっぱり映画であることの美しさを讃えるべき名編である。




おすすめ度 :★★★

★★★★★ 
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● けったいな水産ホラー 映画:『ブルー・マインド』(リーザ・ブリュールマン監督)

2018年スイス
101分

 女性監督による作品。
 ジェーン・カンピオン監督『ピアノ・レッスン』とウィノナ・ライダー主演『17歳のカルテ』を思わせる女子映画で、そこに往年の高部知子主演のTVドラマ『積木くずし』(最高視聴率45.3%!)とそこはかとないレズビアニズムの香り、さらにはカフカ『変身』とアンデルセンの某童話を合体させた感じ。
 つまり、まったく既存の物語におさまりきらない奇妙な映画である。
 レンタルショップのホラーコーナーに置いてあったのだが、これは『ボーダー 二つの世界』や『バクラウ 地図から消された村』とともに、ソルティが作った「ウミウシもの」という新ジャンルに放り込みたい。

ウミウシ


 主役の少女が金魚を食べるシーンで、大女優・小川眞由美を思い出した。
 岩下志麻との対談で語られていたことだが、何かの映画の撮影中、生きた金魚を口に入れて噛み切った小川の芝居を見て、共演していた志麻サマは「卒倒しそうになった」という。
 小川が、「金魚って意外と骨があるのね」と笑いながら返していたのがさすが!
 小川眞由美という女優の役者魂を示すエピソードである。 
 そうそう、『積木くずし』で不良少女を演じた高部知子の母親役が小川であった。
 高部知子はニャンニャン事件と呼ばれたスキャンダルを起こして芸能界失脚、その後、精神保健福祉士の資格を取って、現在は依存症患者のカウンセラーとして活躍している。
 不良少女と呼ばれた過去を乗り越え、見事に新しい人生を切り開いた。

 映画とまったく関係ないことを書いているが、つまり、なんとも評価しようのない、ネタバレなしには説明しようのない、けったいなホラーなのである。
 ジェンダー差別するわけではないが、思春期の女性の生理や感性を通してのみ理解し得る作品なのではなかろうか。
 男の鑑賞者にはたぶん、金魚ほどにも咀嚼できない。






おすすめ度 :★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
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★★    いい退屈しのぎになった
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● 映画:『風の慕情』(中村登監督)

1970年松竹
93分

 『古都』『紀の川』の名匠・中村登の作品というので手に取ってみたが、脚本が橋田壽賀子とある。
 一抹の不安を覚えつつレンタルした。
 結果的に、名匠が『渡る世間』に食われて、陳腐なサスペンス風メロドラマに終始している。
 日本の庶民にとって海外旅行が希少だった時代にオーストラリアとフィリピンでロケを敢行し、観客に観光旅行の気分を味わってもらおうというサービス精神だけは買うべきだろう。

 当時25歳の吉永小百合が最新モードに身を包み、シドニーの街を巡り歩く。
 美しさや清らかさは言うまでもないが、演技がどうにも上っ滑りでいけない。
 『キューポラのある街』や『伊豆の踊子』で見せた溌剌たる生命力が、「万人に愛される可愛らしい女性を演じる」という窮屈なジェンダー枠の中で、不完全燃焼を果たしている。
 それがそのまま、大人になってからの小百合の演技の型になってしまったようだ。
 篠田正浩監督が岩下志麻を脱皮させたように、溝口健二監督や増村保造監督が若尾文子を磨いたように、吉田喜重監督が岡田茉莉子を開花させたように、女優としての吉永小百合を化けさせてくれる、つまり小百合の本質を見抜いて引き出してくれる演出家が日本にはいなかったのだろう。
 ソルティ思うに、小百合はいつも「女」を演じているのであって、「女」が演じているという感が希薄なのである。
 25歳の小百合の芝居はほとんど現在と地続きである。(と言っても、ここ10年あまりに撮られた小百合の映画を観ていないのだが)

 ちょっとした楽しみは、小百合演じる由布子を巡って恋の火花を散らすのが、石坂浩二と森次浩司の“Wコージ”であるところ。
 金田一耕助とモロボシダンが闘っているみたいに思えて愉快。
 役者陣で一番風格あって、作品の質を高めているのは香山美子である。
 この存在感なければ、作品は少女チックなままに終わってしまうところだった。
 
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石坂浩二と吉永小百合
赤ずきんちゃんのよう




おすすめ度 :

★★★★★ 
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● 三島由紀夫主演 映画:『からっ風野郎』(増村保造監督)

1960年大映
96分

 当時35歳の三島由紀夫がヤクザの若親分を演じ、その素人演技が酷評された一種の珍品。
 期待しないで観たのだが、まったく期待通りの学芸会レベルの芝居に、「やっぱり期待した通りの期待はずれだったな」と、よくわからない感想に追い込まれてしまった。

 名優として映画史にその名が刻まれる志村喬や若尾文子は別として、共演の船越英二や神山繁、根上淳や水谷良恵(現・八重子)、果ては役者よりテレビタレントとして水を得た川崎敬三でさえ、相当の芝居達者に見えてしまうほどの、主役とそれ以外の演技力の落差!
 もしかしたら、この三島の棒読みセリフと素人芝居の滑稽な味わいにアイデアを得て、増村監督はその後テレビで一大ブームを巻き起こした大映ドラマ――堀ちえみの『スチュワーデス物語』に代表される――のスタイルを思いついたのではなかろうか。
 としたら、この作品の意義も捨てたものではない。

 こき下ろしているばかりに見えるが、芝居の上手下手とは別の次元で、三島由紀夫の愛すべき魅力はとらえられている。
 無防備なまでの不器用さがそれである。
 三島由紀夫の運動能力の無さについては、どこかで石原慎太郎が暴露していたけれど、この作品はまさにそれを証明している。
 自らの肉体を思い通りコントロールする能力を欠いているように見えるのだ。
 本作中の三島の演技で唯一素晴らしいと思ったのが、ラストシーンにおいて神山繁演じる殺し屋に刺されたあとの死体(の演技)であるというのが、まさにその間の事情を物語っている。

 それを思うと、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地において三島由紀夫が自らの腹切りをちゃんと成し遂げたことが不思議な気がする。
 もっとも切腹だけではすぐには死ねない。
 介錯人が斬首することで自決は完成する。
 三島由紀夫はここでも森田必勝という共演者に助けられたのだった。


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若尾文子と三島由紀夫 



おすすめ度 :★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
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● 百恵芳紀15歳 映画:『伊豆の踊子』(西河克己監督)

1974年東宝、ホリプロ
94分

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 山口百恵の映画初主演作であり、のちに夫婦となった三浦友和との映画共演第一作。
 西河監督は吉永小百合主演ですでに『伊豆の踊子』を撮っており、脚本や基本的な演出は前回と“ほぼ”同じである。
 『ひと夏の経験』の大ヒットで超多忙となった百恵には、撮影のために当てられるスケジュールは一週間しかなかったという。
 すでに完成されている枠組みを再活用するのは苦肉の策であったのだろう。
 が、必ずしも二番煎じとは言えないし、アイドル映画と軽視することもできない。
 魅力あふれる作品となっている。
 
 魅力の一等は、薫(踊子)を演じる山口百恵と川島(旧制一高生)を演じる三浦友和との抜群の相性の良さである。
 理想の夫婦と言われる今の二人の姿からさかのぼって贔屓目に見てしまうところもあるのかもしれないが、ここでの二人の息の合い方や惚れた相手を見る際の自然な表情は、この純愛作品にほとばしるようなリアリティを与えている。
 フリでない本物の感情が二人の演技の質を高めたのである。
 二人の間に強い磁力が発生しているようで、このコンビネーションは54年松竹版の美空ひばりと石濱朗、あるいは63年日活版の吉永小百合と高橋英樹のそれをはるかに凌駕している。
 単純に演技力および歌唱力という点だけみれば、百恵も友和もそれぞれの前任者たちには及ばないにも関わらず・・・・。

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踊子に扮する山口百恵

 山口百恵は美人ではないけれど、表情が素晴らしい。
 とくに憂いを含んだ表情はこの人の最大の魅力である。
 これは吉永小百合には今日に至るまで望めないところで、生まれついての顔立ちや幼少期の育ちが影響していると思われる。
 この憂いこそが自然と悲劇の基調を形づくって、今作に続く『絶唱』や『春琴抄』などの文芸悲劇もの、または女性視聴者の紅涙を絞ったTVドラマ「赤いシリーズ」を成功させた要因ではなかろうか。
 そして、憂いある表情が一瞬にして笑顔となって弾ける時、笑顔を向けられた男たちは、そのコントラストの大きさを「俺だけに見せてくれた素顔」と勘違いし、百恵の虜になっていったのだと思う。(思春期のソルティもその一人であった)
 
 三浦友和がまたカッコいい。
 昭和の典型的美男子そのもの――往年のゲイ雑誌『薔薇族』の表紙に出てくるような――であるけれど、ソルティが幾度もだぶらせたのは令和の実力若手男優である仲野太賀であった。
 イケメン度では若かりし三浦の方が上であるが、人好きする顔立ちであるとか、おっとりした雰囲気であるとか、感受性ある表情であるとか、どことなく似通っている。
 仲野太賀は将来、アイドル歌手と結婚、三浦友和のような役者になるということか。
 
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三浦友和(右)と中山仁
なんだか木下惠介監督作品の一場面のようなBL感

 他の役者では、芸人一家の元締めを演じる一の宮あつ子、薫の兄・栄吉を演じる中山仁(往年の熱血スポ根ドラマ『サインはV』の鬼コーチ)、茶屋の婆さんを演じる浦辺粂子が印象に残る。
 ホリプロの百恵の後輩である石川さゆりが肺病で亡くなる遊女おきみ役で出ているのが、なんだか哀しい。(さゆりは「天城越え」できなかったのだ)
 落語家の三遊亭小圓遊が踊子(百恵)の処女を狙ってちょっかいを出すスケベな紙屋を演じている。これまた味がある憎まれ役ぶり。
 
 踊子と学生は波止場で派手なお別れをし、幕が下りる。
 「よく出来たリメイクだったなあ~」とリモコンに手を伸ばした瞬間、驚きが待っていた。
 「終」のクレジットと共に映し出された最後のカットは、アイドル映画としてはとうてい考えられない類いのものであった。
 この絵、65年バージョンにはなかった。
 場所はどこかの旅館のお座敷。
 酔っぱらって、もろ肌脱いで入れ墨を晒した男が、踊っている薫に無理やり抱きついている。
 薫は嫌そうに横を向いているが、そこは客商売、きっぱり拒むことはできない。
 
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 このカットの含むところは、有り得べき薫の今後の人生である。
 紙屋のおやじのように金に物を言わせる道楽者や見境ないヤクザ者になかば暴力的な形で凌辱され、旅芸人から芸者となり、芸者から遊女に身を落とし、最後はおきみのように体をボロボロにする。  
 そうした最悪のストーリーを暗示しているのである。
 そして実際、この原作が書かれた昭和初期、そういった転落のケースは珍しくなかった。
 なにより芸人は差別される対象だったのである。
 
 川端康成の原作や65年の「西河―小百合」版以上に本作で目立つ点を挙げるとするなら、旅芸人に対する差別というテーマであろう。
 学生と踊り子は伊豆で出会って、一緒に旅をして、淡い恋をして別れる。
 同じ一つの恋――しかし、それぞれにとっては同じ経験ではない。
 学生にとっては、ひと夏の美しい思い出であり、自らの孤児根性という劣等感を癒す通過儀礼であった。
 学生は東京に帰って勉学に励み、出世の道を歩むだろう。官僚になるかもしれない。学者になるかもしれない。売れっ子作家になってノーベル賞を獲るかもしれない。
 一方、踊子にとっては穢れなき少女時代の最後の楽しい思い出であり、この先二度とこのような牧歌的な瞬間は訪れないかもしれないのだ。
 男と女、将来を嘱望される学生と差別され社会の底辺を流れ続ける旅芸人、二つの人生行路は天城隧道のようには簡単につながらない。
 
 西河監督がこのような退廃的でショッキングな最後のカットをあえてアイドル映画に挿入した理由は、そこに思いを込めたかったからではなかろうか。
 「学生さんにとっては、小説の題材として“利用できる”ひと夏の美しい思い出だろうさ。だがな、旅芸人の娘にとっては、その思い出にすがることで残りの悲惨な生をなんとか切り抜けていけるお守りのようなものなのだ。川端さん、いい気なもんだね」――と。
 
 
 
 
おすすめ度 :★★★

★★★★★ 
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● 映画:『ザ・コーヴ』(ルイ・シホヨス監督)

2009年アメリカ
91分

 和歌山県太地町のイルカ追い込み漁を批判的に描いたドキュメンタリー。
 コーヴ(cove)とは「入り江」の意。

 主役はリック・オバリーという名のアメリカ人。
 ソルティも幼少時に楽しんで観ていたTVドラマ『わんぱくフィリッパー』に出演していたイルカの調教師だった。
 ドラマの世界的ヒットで一躍有名になり財を築いたが、調教していたイルカが鬱になって死んでしまったことをきっかけに改心し、一転、イルカ解放運動の闘士となってイルカの飼育や捕獲に反対するようになった。
 今回、太地町が標的に選ばれたのは、世界各国の水族館や動物園に出荷されるイルカの多くがここで捕らえられているからという。

イルカ


 全編、イルカ漁の残酷さを訴える作りとなっている。
 不快な音を立てて、イルカを湾の生け簀に追い込む。
 ブローカーが水族館に売るイルカを選ぶ(一頭15万ドルとか)。
 残りのイルカを三方を岸壁で隠された入り江に運ぶ。
 朝焼けが水平線をおおう時刻、待機していた男たちが船を出し、数十頭のイルカを銛(もり)で突き、鉈(なた)で叩き、鳶口(とびくち)で舟に引き上げる。
 断末魔のイルカの悲鳴が岸壁にこだまする。
 入り江は真っ赤に染まり、文字通り「血の海」となる。
 
 衝撃的な映像である。
 イルカ好きの人にとっては、耳をかばい目を覆いたくなるような、吐き気を催すようなシーンであろう。
 あんなに可愛くて賢くて無抵抗な哺乳類をめった刺しにするなんて!
 ここはイルカのアウシュビッツか!

 このシーンを取るために、オバリーら撮影スタッフは真夜中に人気のない入り江に忍び込み、水中や岸壁にカメラやマイクを仕掛ける。
 それがあたかもスパイアクション映画のようなスリリングなタッチで描かれている。
 映画の作り自体はまったくのエンターテインメントベースで、視聴者の関心をそそり、一瞬たりとも飽きさせず、情動を揺り動かすものとなっている。
 訴求力ある構成や編集の上手さには舌を巻く。

 それだけに、本作を観た世界各国の人が、日本人を野蛮で残酷な民族だと思い、日本は動物愛護の精神に欠ける後進国とみなすであろうことが危惧される。
 はなからイルカ漁を悪と決めつけ、一方的に断罪する姿勢は、ドキュメンタリーというよりプロパガンダ映画に近い。

 他国の文化(食・職文化)への介入の是非、漁師たちの生活の問題、動物愛護の問題、自然環境や海産資源の保護の観点、汚染食品の出荷と体内摂取のリスク(イルカには基準値以上の水銀が含まれていると本編では主張している)、表現の自由と取材上の倫理や肖像権の問題、動物を飼育・愛玩・鑑賞することの是非、動物に順列をつけることの意味(なぜ牛や豚は良くてイルカは駄目なのか)・・・・。
 いろいろな問題が絡んでいるので、簡単には結論づけることのできないテーマである。
 ソルティがとくに気になったのは、イルカ殺しを請け負っている男たちの素性や思いである。
 殺生シーンを観ていて浮かんだのは、能の『阿漕』や『鵜飼』であった。
 これこそ日本人の古くからの文化的観念である。
 外国人にこの感覚はなかなかわかるまい。 

鵜飼

 
 もしこの先、イルカの肉を食べると寿命が延びるとか、イルカの赤ちゃんから取れる油には肌を再生する力があるとか、そういったことが科学的に判明した暁には、イルカの捕獲に先頭切って走るのはおそらくアメリカ人だろうなあ~と思う。

 公開時は上映をめぐって各地で騒ぎが持ち上がり、上映中止や延期が続いたいわくつきの作品であるが、こうしてDVDになってレンタルビデオ店に並ぶようになったのだから、少なくとも表現の自由は守られている。



おすすめ度 :★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
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● 変しい変しいサユリ様 映画:『青い山脈』(西河克己監督)

1963年日活
93分、カラー

 石坂洋次郎原作『青い山脈』は過去に5回映画化されている。
 それぞれの監督と主要登場人物の配役を並べると、

監督(制作年・制作会社)
 ① 今井正(1949東宝)
 ② 松林宗恵(1957東宝)
 ③ 西河克己(1963日活)
 ④ 河崎義祐(1975東宝)
 ⑤ 斎藤耕一(1988松竹)

島崎雪子:東京から来た女教師。封建的な地方の女子高の職員室で孤立する。
 ①原節子 ②司葉子 ③芦川いづみ ④中野良子 ⑤柏原芳恵

沼田玉雄:町医者。女子高の保健室の先生でもある。雪子先生にビンタされるもラブになる。
 ①龍崎一郎 ②宝田明 ③二谷英明 ④村野武範 ⑤舘ひろし

寺沢新子:都会から来た活発で気の強い女子高生。封建的な女子高の教室で孤立する。
 ①杉葉子 ②雪村いづみ ③吉永小百合 ④片平なぎさ ⑤工藤夕貴

金谷六助:金物屋の息子。ただいま浪人中。新子とラブになる。
 ①池部良 ②久保明 ③浜田光夫 ④三浦友和 ⑤野々村真

梅太郎(笹井とら):色っぽい芸者。沼田にホの字。物語の狂言回し的存在。
 ①木暮実千代 ②淡路恵子 ③南田洋子 ④星由里子 ⑤梶芽衣子

ガンちゃん(富永安吉):玉雄の親友の大学生。コミカルな三枚目。
 ①伊豆肇太 ②太刀川洋一 ③高橋英樹 ④田中健一 ⑤不明

笹井和子:新子と対立する女子高生のリーダー。感情が激しい。
 ①若山セツ子 ②笹るみ子 ③田代みどり ④木村理恵 ⑤池田純子

 ソルティがこれまでに観たのは75年の(三浦友和×片平なぎさ)カップリング版。
 なぜ、三浦友和×山口百恵の黄金コンビでなかったのかは不詳である。
 想像するに、同時上映が『花の高2トリオ 初恋時代』(森永健次郎監督。森昌子・桜田淳子・山口百恵共演)だったので、百恵がダブらないようにということか。
 そしてまた、元気溌剌で男勝りな新子役は、大人っぽく陰のある百恵には合わなかったろう。 
 
 今回見たのは西河克己監督によって撮られた③の日活作品。
 主役は当然、吉永小百合である。
 うっすらニキビある学生服姿のサユリが健康的で眩しい。
 女子高が舞台の話だが、もしここが共学校だったら、こんな美少女が転入した日には学校中大騒ぎになるだろう。
 沢口靖子の高校時代のように、他校の男子学生たちもこぞって覗きに来るのは間違いない。

 『伊豆の踊子』ではサユリ演じる踊子の初恋相手で真面目な書生役であった高橋英樹が、ここでは三枚目のバンカラ風大学生を演じている。シリアスもコミカルもこなせる器用な役者だ。
 代わって、サユリ(新子)の恋の相手役(六助)を務めるのが浜田光夫。
 とりたてて二枚目でもなく、男の色気あふれているというわけでもなく、なぜこの役者が人気あったのか、なぜサユリの相手役を44本も務められたのか、不思議な気がする。
 その平凡な風貌が、サユリストである男性観客たちの嫉妬を買わず、むしろ役柄投影を助けたからであろうか。
 つまり、「高橋英樹や渡哲也にはどうしたってかなわない。浜田光夫くらいなら俺だって張り合える。そしたらサユリと・・・・」という妄想をふくらませるのを助けたのか。
 
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浜田光夫と吉永小百合

 本作は、新子×六助の若いカップルと並行して、雪子×沼田の大人のカップルの関係が描かれる。
 芦川いづみの女教師雪子は凛として美しく、対する二谷英明も包容力ある二枚目ぶり。二谷は受けの演技が巧みである。
 芸者の梅子役で出ている南田洋子、婀娜っぽい姉さんで素敵。 
 一番びっくりしたのが、オールドミス――かつて「未婚の中高年女性」はこう揶揄された――の女教師を演じる北林谷栄。
 北林と言えば、『橋のない川』、『ビルマの竪琴』はじめ、日本を代表するお婆さん女優である。
 お婆さんでない北林を観るのははじめて。
 なんだか見ているこちらが気恥ずかしくなるほど、若々しく見える!

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 喧嘩だ、いじめだ、偽のラブレターだ(「恋」という字を「変」と書いたエピソードが有名)と、いろいろ騒動は持ち上がるものの、やっぱり牧歌的な空気あふれる爽やかな青春映画である。
 49年に公開された時は、戦前戦中の暗い青春を吹き飛ばし、日本中に希望と喜びを与えたであろうことは想像に難くない。
 ソルティが勤めていた老人ホームでも、藤山一郎が歌う主題歌は歌レクの一番人気だった。


 

おすすめ度 :★★★

★★★★★ 
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● 一番幸福だった時 映画:『レミニセンス』(リサ・ジョイ監督)

2021年アメリカ
116分

 50代半ばで亡くなった人気作家栗本薫(1953-2009)の膨大な作品の中に『時の石』というSF短編がある。
 宇宙から落ちてきた謎の石を手にすると、自分が一番幸福だった「時」の記憶が生々しくよみがえり、その中に埋没できる。ただし、石を使いすぎると「過去」に取り込まれてしまい、廃人のようになって「現在」を生きることができなくなる。
 その石を拾った思春期の少年たちの心模様や友情を描いたほろ苦い青春小説でもある。
 本映画を観て『時の石』を思い出した。

 Reminiscence とは「回想」の意。
 人の記憶を再現し誘導する催眠術師のようなスキルを持つニック(ヒュー・ジャックマン)のもとには、自分が一番幸福だった時の記憶に浸りたい、という依頼者が絶え間なくやって来る。
 頭に電極をつながれた依頼者たちは専用のポッドに入って液体に浮かぶ。
 ニックの誘導によってよみがえった彼らの記憶は、(  ①  )を利用した立体映像となってニックの目の前の円盤上に現れる。
 つまりこれは、他人の記憶を読むことができる装置で、もともと犯罪捜査に使われていたのである。

 舞台は地球温暖化により海面が上昇した近未来のマイアミ。
 人々の生活は昼夜逆転している。日中はあまりに熱い。
 ある夜、ニックの仕事場にメイという名の美しい女がやって来る。
 失くした鍵の在りかを知りたいので、記憶を探ってほしいという。
 それをきっかけにニックとメイ(レベッカ・ファーガソン)の燃えるような恋愛が始まる。
 それはまた恐ろしい罠と街の命運にかかわる事件の始まりであった。

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水没したマイアミを背景に抱き合うヒュー・ジャックマンとレベッカ・ファーガソン

 SFフィルムノワールとでもジャンル分けしたい作品である。
 高度のCG技術というかVFX(ビジュアルエフェクト)を駆使した犯罪映画という点で、ハリソン・フォード主演の名作『  ②  』を想起した。
 また、突然消えた謎の女の行方を必死に捜す男というプロットが、(  ③  )作の古典ミステリー『幻の女』を連想させる。

 水没している都市の映像であるとか、(  ①  )の技術の応用であるとか、とにかく最新の映像技術に驚嘆する。
 いまや映像化できない物語はこの世に存在しないと思われるほど。
 が、逆に言うと、それがすべての映画である。
 VFXを取り除いてしまうと、二番煎じ、三番煎じのありきたりなストーリーで、『  ②  』との相似をはじめ既存の映画との既視感(デジャヴュ)がすごい。 
 最終的にメイを失って傷心したニックが、メイと過ごした幸福な時間の再現を求めて自らポッドの中に入ってしまう。すなわち、「時の石」に囚われて残りの人生を捨ててしまうという“後ろ向き”の結末も、「なんだかなあ」という気がする。
 
時の石
 
 さて、上記の文章の①~③に入る単語はなんでしょう?

 実はこの記事を書くにあたって、ソルティがどうしても思い出せない、記憶から取り出せない単語が、この3つであった。
 記憶力の減退は苛立たしいけれど、嫌なことを含め適度に忘れることができるから、人は人生を“前向き”に生きられるのかもしれない。
 美しい思い出に浸るのもたまにはいいけれど、やりすぎると毒である。



おすすめ度 :★★

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● 映画:『チャイコフスキー』(イーゴリ・タランキン監督)

1970年ソ連
157分

 ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(1840-1893)の半生を描いた伝記映画。
 1970年制作ということはブレジネフ書記長時代のソ連。
 東西冷戦たけなわの頃である。
 ソ連が崩壊するなんて世界中の誰も思いもしなかった、まだまだ勢いある時代に、国家事業の一つとして作られた作品ということになる。
 一方、チャイコフスキーが生きたのは19世紀末期の帝国ロシア。
 皇帝がいて、貴族がいて、階級社会があって、文化サロン華やいで、街路を馬車が走っていた。
 この映画は、史上初の社会主義国家である今は無きソ連が、自ら倒した帝国ロシア時代を描いたものとして興味深い。
 なんたって、ロシアはめまぐるしい。

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チャイコフスキーを演じるインノケンティ・スモクトゥノフスキー
 
 チャイコフスキーの後半生が忠実に描かれているように思われるが、そこは1970年しかもソ連。
 同性愛の「ど」の字もおくびに出さない。
 女性との関係に失敗し続ける芸術一筋の不器用な男という設定である。

 チャイコの最初の恋人とされるオペラ歌手デジレ・アルトーがたいへん美しい。
 この女優はいったい誰?
 ――と思ったら、20世紀最高のバレリーナと言われるマイア・プリセツカヤその人であった。
 
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オペラ歌手に扮するマイア・プリセツカヤ

 生涯の親友でピアニストであった豪放磊落なニコライ・ルビンシテイン。
 チャイコの音楽の最大の理解者でパトロンとなったフォン・メック夫人。
 フォン・メック夫人とチャイコを引き合わせたものの、天才チャイコへの嫉妬から裏切り者に転じていくウラジスラフ・パフリスキー(まるでモーツァルトとサリエリの関係)。
 入水自殺を企てるほど、その関係に悩み苦しんだ唯一の結婚相手アントニーナ・ミリュコーワ(結局離婚した)。
 そして、最後までチャイコに忠実に仕えた召使のアリョーシャ・ソフロノフ。

 いろいろな人物との関りが丁寧に描かれ、ロシアの自然や貴族の豪邸など映像も美しい。
 もちろん、全編に使用されるチャイコの音楽こそが隠れた主役である。

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古き良き時代のロシア




おすすめ度 :★★

★★★★★ 
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● ひばり芳紀17歳 映画:『伊豆の踊子』(野村芳太郎監督)

1954年松竹
98分、白黒

 美空ひばり主演ということで、旅芸人の少女に扮したひばりが、伊豆の名所をバックに子供離れした歌を披露するアイドル歌謡映画を想定していた。
 が、見事に裏切られた。
 これまた非常に質の高い一篇に仕上がっている。
 ひばりの歌はBGM風に2曲ほど流されるだけで、ここではしっかり一人の役者となっていた。

 それにしても17歳にしてこの芝居の上手さ、貫禄。
 やはり天才と言うほかない。
 上手すぎるのがかえって、生娘である踊子から初々しさを奪ってしまっていると感じられるほど。
 恐れずに言えば、ルックスやスタイルの点では、吉永小百合や山口百恵の踊子にはひけを取る。
 学生が(観客が)一目惚れするには説得力に欠けるように思われる。
 ひばりファンは絶対そうは思わないだろうが・・・。

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薫に扮する美空ひばり

 野村芳太郎監督は『五辯の椿』『砂の器』『事件』『疑惑』『八つ墓村』『八甲田山』などカラー映画で代表作が目白押しなので、そうとは気づかなかったが、白黒映画も実に上手い。
 いや、白黒映画にこそ本領が発揮されているかもしれない。
 たとえば天城峠に降る雨の風景など、白黒だからこそ出せる抒情性が本作には横溢して、実に見応えある。
 老人や子供などの演出も滅法うまい。
 音楽の木下忠司(木下惠介監督の実弟)はさすが地元出身だけあって、見事な叙景音楽を添えている。
 
 1963年の西河克己監督『伊豆の踊子』が踊り子役の吉永小百合に焦点をあてているのにくらべ、本作の焦点は意外にも大スターひばりではなく、学生役の石濱朗にあたっている。
 何より、ひばりよりも石濱朗のアップが断然多いのだ。
 そしてまた、当時19歳の石濱ときた日には、アップが決まる貴公子然とした美貌の主である。
 眼光けざやか目鼻立ちのくっきりした顔立ちは誰かに似ているなあと思ったら、菅田将暉であった。
 菅田将暉に気品と落ち着きを加えた感じか。 
 こんなに美しい男優とは思わなかった。
 
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学生役の石濱朗
 
 学生(私)に焦点を置くという点では、小百合バージョンよりも川端の原作に近いのではないかと思う。
 高橋英樹の学生にはなかった鬱屈や孤独が石濱の学生には付与されて、孤児根性に苦しんだ若き日の川端青年により近い。
 心なしか石濱の眼光のきらめきも、フクロウのようなギョロ目で相手をじっと見据える癖があった川端自身を彷彿とさせる。(ただし、川端は美男ではなく、若い頃は容貌コンプレックスの主だった)

 考えてみれば、若き川端の実体験を書いた『伊豆の踊子』は本邦の恋愛小説の代表作の一つとみなされているのだけれど、若い二人は手も握らなければキスもしない。(であればこそ、清純派アイドルが演じられる)
 いやいや、互いに思いを打ち明けもしない。
 ほんの4泊5日の旅の道連れに、恋が始まり、別れがやって来る。
 それがこうして小説となり、映画に(6回も!)なり、今日に至る伊豆のシンボルにもなるのだから、実らなかった恋のポテンシャルというのも馬鹿にならない。

 こうなったら、鰐淵晴子、田中絹代、内藤洋子ら他の踊子の映画も観たい。
 第7波が下火になったら、天城越えの旅に出たいものである。




おすすめ度 :★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損


● サユリ芳紀18歳 映画:『伊豆の踊子』(西河克己監督)

1963年日活
87分、カラー

 ソルティにとって『伊豆の踊子』と言えば山口百恵なのであるが、この川端康成の名作は過去6回も映画化されていて、その時代のトップアイドルが主役の少女・薫と相手役の学生を演じるのがお約束であった。
 公開年(制作会社)、薫、相手役の学生、監督の順で並べると、

1933年(松竹) 田中絹代、大日方傳、五所平之助
1954年(松竹) 美空ひばり、石濱朗、野村芳太郎
1960年(松竹) 鰐淵晴子、津川雅彦、川頭義郎
1963年(日活) 吉永小百合、高橋英樹、西河克己
1967年(東宝) 内藤洋子、黒沢年男、恩地日出夫
1974年(東宝) 山口百恵、三浦友和、西河克己

 80年代以降はテレビドラマはあっても映画はない。
 80年代に映画化したとすれば薫役はさしずめ松田聖子あたりだったはずと思うが、聖子ちゃんの文芸物は伊藤佐千夫の『野菊の墓』だった。理由は分からない。
 74年の百恵×友和ゴールデンコンビの映画を観たのはずいぶん昔のことなので、感想は憶えていない。
 ただ、物語の中で薫が露天風呂から全裸で外に飛び出して手を振るシーンがあって、そこをどう撮るかというのでずいぶん話題になったことが記憶に残っている。
 百恵ちゃんは、先にデビューした桜田淳子が清純派で陽のイメージで売っていたのと差別化し、ちょっと青い(=性的な)匂いを醸し出すおませな少女という陰のイメージで売っていた。
 けれど、そこはやはり昭和のアイドル、水着姿以上に肌を晒すなんてもってのほかであった。
 たしか、肌色の水着を着てその上からドーランを塗って、という対応だったような・・・
 (映画の感想は忘れてもこんなことを記憶しているのが思春期の少年らしい)
 つまり、『伊豆の踊子』は大人向けの文芸映画というより特定ファン向けのアイドル映画のイメージが強く、それゆえ、これまであんまり観る気にならなかった。

 今回、若い頃の吉永小百合を観たくて本作を借りたら、アイドル映画とは馬鹿にできない質の高さに感心した。
 吉永小百合は歴代の薫の中でもっとも美しく可憐であろうことは見る前から推測ついたが、歌も上手いし(主題歌を歌っている)、芝居も上手いし、肝心かなめの踊りも上手い。
 役の理解にもすぐれ、世間のしきたりや汚濁、大人たちの欲望や哀しみや倦怠に巻き込まれる前の、天真爛漫な少女の輝きと恋心を鮮やかに演じている。
 『キューポラのある街』のジュンに勝るとも劣らない好演である。
 これを観れば、当時の男たちがこぞってサユリストになったのも無理ないなあと思う。

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薫役の吉永小百合

 学生役の高橋英樹がまたカッコいい。
 鈴木清順『けんかえれじい』のバンカラ学生とはまた違った真面目で朴訥とした書生で、小百合と並ぶと一対の美男美女、絵になることこのうえない。
 本作は、数十年後に大学教授になった学生による回想スタイルをとっていて、冒頭と最後のシーンは現在(映画公開当時)を映す。1960年代に生きる初老の男が青春を振り返るという設定である。(通常の手法とは違って、現在が白黒、過去がカラーとなる)
 この教授役を演じているのが宇野重吉。
 押しも押されもせぬ名役者には違いないが、誰がどう考えたって高橋英樹の数十年後が宇野重吉とは思えない。
 ここはミスキャストだと思う。
 なぜ高橋英樹の老けメイクにしなかったのだろう?

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吉永小百合と高橋英樹

 ほかに、旅芸人で薫の兄を演じる大坂志郎(小津安二郎『東京物語』の次男)、義母を演じる浪花千栄子(おちょやん)がともに人生の哀歓を滲ませる好演である。
 作品の風格を左右するのは脇役なのだとあらためて思わせる。
 物語の背景となるのは(原作の設定は)大正中期。
 人それぞれが(良くも悪くも)おのが領分をわきまえていた時代、人と人とが丁寧につき合っていた時代が、たしかに日本にもあった。

 デジタルリマスタ―された画面はすこぶる美しく、60年前の映画とはとても思えない。
 サユリの美とともに、在りし日の伊豆の自然が楽しめる。




おすすめ度 :★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損


● 安藤サクラ、巨大化す 映画:『愛と誠』(三池崇史監督)

2012年日本
134分

 「原作者の梶原一騎が生きていたら、この映画を許さないだろうなあ~」と思いながら観ていた。
 なんとミュージカルコメディ仕立て『愛と誠』である。
 太賀誠が、早乙女愛が、石清水弘が、蔵王権太が、歌って踊ってボケをかます。
 それも『激しい恋』(西城秀樹)、『酒と泪と男と女』(河島英五)、『あの素晴らしい愛をもう一度』(加藤和彦と北山修)、『夢は夜ひらく』(藤圭子)、『また逢う日まで』(尾崎紀世彦)といった歌謡曲全盛の70年代ヒットナンバーである。
 花園学園の不良番長・座王権太(伊原剛志)が『狼少年ケン』の主題歌(これは60年代だが)を歌いながら、宿敵・太賀誠に迫るシーンなど抱腹絶倒の面白さであった。

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『狼少年ケン』を歌う蔵王権太(伊原剛志)
みな高校生という設定である

 梶原一騎が『週刊少年マガジン』(講談社)に連載していたのは1973~76年。
 それから40年経った2012年時点で、あの「純愛+熱血+暴力」学園ドラマを原作のテイストそのままに映画化するのは、いろいろな意味で難しいだろう。
 演者が真面目にやればやるほど、お笑いになってしまいかねない。
 それならば、最初からパロディ風の味付けをして「70年代風俗をみんなで楽しもう」というノリは正解と言える。
 一方、『愛と誠』の中心テーマである「命を賭した純愛」はしっかり描き込まれており、観る者の涙腺を刺激するあたりも抜かりない。
 ソルティはバイオレンス映画を好まないので、三池崇史監督の作品をほとんど観ていないが、これ一作とっても監督の才能の凄さが分かる。
 
 出演者で何と言っても素晴らしいのは、スケ番ガム子を演じる安藤サクラである。
 この人は本当にどんな役でもやれるのだ。
 美人女優という枷を最初からを逃れていることが、この人の場合、いい方向に作用した。
 枠を設けない役選びとチャレンジ精神に感服する。 
 実際にはそれほど背の高くない女優だが、本作ではまるで和田アキ子の大阪スケ番時代とでもいったような風格を見せる。デカく見えるのだ。
 カメラや演出の工夫もあるとはいえ、身長の印象さえも変えてしまう演技力には脱帽する。
 この安藤サクラを見るだけでも、この映画を観る価値はある。

 早乙女愛役の武井咲、岩清水弘役の斎藤工も熱演である。
 個人的にひとつ残念だったのは、影の大番長・高原由紀がいつも持ち歩いている本のタイトルをちゃんと示さなかったこと。
 ツルゲーネフ『初恋』である。

本とナイフ

 
 
 
おすすめ度 :★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
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● きっと貴方もひっくりカエル 映画:『フロッグ』(アダム・ランドール監督)

2021年アメリカ
109分

 フロッグとは「カエル」のこと。原題は I See You
 驚嘆のスリラーで、本当にひっくりカエル!
 あまたのどんでん返しミステリー&サスペンス映画を観てきたソルティでさえ、見抜けなかった。

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 海のほとりの豪華な邸宅に住む、ベテラン刑事と美しい妻と一人息子。
 夫は地元で発生した連続男児誘拐殺人事件の捜査を任され、カウンセラーの妻は他の男と不倫し、それを知った息子は拗ねてビデオゲームに熱中している。
 会話のない冷えた家庭。
 そこで起こるポルターガイストまがいの不思議な現象。
 
 半分くらい来たところで、ストーリーが完全にひっくり返る。
 邦題でつけられた「フロッグ」の意味が判明する。 
 が、そこまでならまあ、「なるほどそういうことか・・・」くらいの驚きで済む。
 ところが、捻りは一回で済まない。
 内村航平レベルのアクロバティックな捻り技が待っている。
 底には底があった。
 最後まで観たら、必ずやもう一度最初から観たくなること必死である。

カエル
 
 驚嘆はしかし、伏線を張り巡らした巧緻なプロット(脚本)のみにあるのではない。
 カメラワークが素晴らしい。
 冒頭からヒッチコックばりの凝ったショットが続く。
 自転車に乗った少年が、公園を抜け、橋を渡り、森に入り、仕掛けられた罠にハマるまでの一連の流れを、固定、移動、俯瞰・・・と次々と撮り方を変えながら、スピード感あふれる映像を作り出している。
 もうその時点で、映像作家としてのアダム・ランドール監督の才能は、観る者に否応なく了解されよう。
 緊迫感を生みだす構図や演出も見事である。
 
 ソルティがもっとも驚嘆させられたのは、空ショットの使い方。
 豪華な邸宅の中を映した空ショット(人物の映っていないショット)の連鎖が、不気味な効果音とあいまって、あたかも屋敷に憑りついた悪霊との闘いを描いた往年のオカルト映画のような緊張と恐怖を醸し出す。
 ひょっとして、「小津安二郎へのオマージュなのかな」なんて考えていたのだが、この空ショットでさえ伏線の一つであったことが判明する。
 脚本だけでなくカメラワークにも伏線を忍ばせるなんて、なんつう才知か!
 二度見する時はぜひカメラワークにも注目されたい。
 一つ一つのショットに託された意味の深さに驚嘆する。


 
 
おすすめ度 :★★★★

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