ソルティはかた、かく語りき

東京近郊に住まうオス猫である。 半世紀以上生き延びて、もはやバケ猫化しているとの噂あり。 本を読んで、映画を観て、音楽を聴いて、芝居や落語に興じ、 旅に出て、山に登って、仏教を学んで瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

映画・テレビ

● 映画:『海街diary』(是枝裕和監督)

2015年日本
126分

 原作は吉田秋生の同名コミック。
 鎌倉の古い家で暮らす四姉妹のありふれた日常を描く。

 谷崎潤一郎『細雪』、オルコット『若草物語』、向田邦子『阿修羅のごとく』、橋田寿賀子『渡る世間は鬼ばかり』の例に見るように、四姉妹ものは面白い。
 二姉妹、三姉妹だと関係がきつくなりやすい。オースティン『高慢と偏見』のような五姉妹になるとさすがにうざったいし、一人一人を十分には描き切れなくなる。
 作り手の立場からすれば、それぞれの個性や魅力を打ち出しながら、適度の距離とバランス良さでストーリーを組み立てるのに四姉妹は頃合いなのだろう。
 これが故石原慎太郎家のような四兄弟だとジャンルが異なる。
 曽我兄弟、カラマーゾフの兄弟、ウルトラ兄弟・・・・兄弟が主役になるドラマは、敵討ちとか決闘とか人殺しとか、どうも物騒なものになりやすい。
 ジェンダーの違いというのは、“きょうだい”関係にもっともよく現れると思う。
 
 ここでの四姉妹もバランスよく、それぞれに魅力的である。
 しっかり者の長女・幸(綾瀬はるか)、酒と男が生きがいの二女・佳乃(長澤まさみ)、不思議ちゃん系でのんびりの三女・千佳(夏帆)、そして三人とは腹違いの四女・すず(広瀬すず)。
 産まれ順による典型的な性質があるところに、四者四様の個性が合わさって、観ていて楽しい。
 綾瀬はるかの凛とした美しさと、広瀬すずの取れたてのスモモのような美少女ぶりは特筆に値する。

IMG_20220625_162554
左から、綾瀬はるか、広瀬すず、夏帆、長澤まさみ

 他の役者では、樹木希林、風吹ジュン、大竹しのぶが上手い。
 三姉妹を置いて再婚相手のもとに逃げただらしない母親を演じる大竹しのぶは、喋り方はもちろん、姿勢や着付けや歩き方から見事な役作りを見せている。
 出番はさほど多くなく、叔母役の樹木希林とあまり絡んでいないのだが、二人ががっぷり四つに組んだら、どんな芝居合戦になったことか。 
 名女優2人の共演は実写ではこれ一本だけのよう。
 その意味でも貴重なフィルムと言える。
 
 カンヌ映画祭で評価された黒沢清『岸辺の旅』同様、音楽が西洋風である。
 『ベニスに死す』で有名になったマーラー第5番のアダージェットや、エンヤを思わせるヒーリング系のBGMが連なる。(音楽は菅野よう子)
 ヨーロッパの観客を意識しているようで、そこはちょっと興ざめ。
  
 
 
おすすめ度 :★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損

 
 

● 永遠の小美人 ザ・ピーナッツ

 ここ最近、やけにザ・ピーナッツが聴きたくてCDを探していたら、近くのホームセンターのレジ横のワゴンで見つけた。
 キング・レコード発売の『ザ・ピーナッツ~恋のバカンス』1500円。 

IMG_20220624_191219

IMG_20220624_191340


 ザ・ピーナッツはソルティの最も初期の記憶に刻まれている歌手の一人(二人)である。
 日本テレビ系の人気歌謡番組『シャボン玉ホリデー』の司会を1961年6月4日から1972年10月1日まで務めていたので、ぎりぎり小学校低学年に間に合った。
 同番組に出ていた歌手で他に覚えているのは、「森とんかつ、泉にんにく、かーこんにゃく、まれてんぷら」の替え歌で覚えた『ブルー・シャトウ』のブルーコメッツくらい。
 子供心に、姿かたちも声も仕草もそっくりの美人(一卵性双生児だもの)が、大人っぽいエレガントな衣装を身にまとい、抜群のハーモニーで歌って踊っていたのが印象的であった。
 むろん、東宝映画『モスラ』(1961年)、『モスラ対ゴジラ』(1964年)、『三大怪獣 地球最大の決戦』(1964年)などのテレビ放映を夢中で観ていたので、二人の存在は知っていたのだが、インファント島の妖精のごとく可愛らしくはかなげな小美人と、『シャボン玉ホリデー』のムーディーで色気ふりまく二人が、幼きソルティの中ではなかなか結びつかなかった。

ザ・ピーナッツ
映画『モスラ』シリーズの小美人
モスラーヤッ モスラ―

 一番の魅力は何と言ってもハーモニー。
 女性のデュオで、ここまで美しく、音程も確かで、リズム感抜群な歌手は、世界中探してもそうそう見当たらないのではないかと思う。
 名曲『白い色は恋人の色』のベッツィ& クリスも、同じ一卵性双生児であったザ・リリーズも、国民的モンスターとなったピンクレディーも、あみんも、Winkも、パフィーも、Kiroro.も、阿佐ヶ谷姉妹も、歌手としての実力では到底ザ・ピーナッツの域にまでは達しなかった。
 唯一肩を並べられるのは、安田祥子&由紀さおり姉妹とスウェーデンの生んだ世界的歌手ABBAくらいではなかろうか。(こまどり姉妹については残念ながらコメントできる立場にない。また、デビュー間もない松田聖子と河合奈保子が、NHKの歌番組でザ・ピーナッツの歌曲『可愛い花』『ふりむかないで』をデュエットしている動画がある。これはこれでなかなか見事で魅力的なコンビである)

 昔の歌は良かったなあ。
 ――と言うようになったら、ジジイの仲間入りか。
 が、ザ・ピーナッツの歌声には時代を超えた魅力がある。










 

 

 



● 日本一ふんどしの似合う役者 映画:『WOOD JOB!~神去なあなあ日常~』(矢口史靖監督)

2014年日本
116分

 異文化と遭遇した若者が、困難を乗り越え成長していく青春ドラマ。
 都会育ちの青年が携帯の電波の入らない山間の村に研修に行くという筋書きは、『ブータン 山の教室』(パオ・チョニン・ドルジ監督、2019)と同様。
 『ブータン』では青年は小学校教師として派遣された。
 本作のオリジナリティは「異文化」に林業を持ってきたところにある。
 ソルティは木の倒し方一つよく知らなかったので、興味深く鑑賞した。
 原作は『舟を編む』の三浦しをん。
 三浦の父方の故郷である三重県美杉村(現・津市)がモデルとなっている。

 矢口史靖監督は、妻夫木聡主演で大ヒットした『ウォーターボーイズ』でブレイクした。
 張り巡らした伏線をきれいに回収する脚本は巧みだし、テンポ良くコミカルな演出は一瞬も飽きさせないし、多様なカメラワークも見事。腕のいい監督である。
 あくまでエンターテインメントに徹するのが身上のようで、本作も誰が観ても楽しめるものに仕上がっている。
 グッジョブ!

 役者では、ウッジョブ(山仕事)1年生の平野勇気を演じる染谷将太もいいが、ウッジョブの達人でスパルタな先輩を演じる伊藤英明が光っている。
 海猿から山猿への転身だ。
 ふんどし姿の似合うこと!

IMG_20220621_141044
祭りの夜に雄叫びを上げる飯田与喜こと伊藤英明

 『ブータン 山の教室』では主人公の青年は、すっかり馴染んだ村を研修終了とともに去っていく。
 親しくなった村人たちやガールフレンドを残して。
 本作の平野勇気の場合は・・・?
 そこは言わぬが花だろう。




おすすめ度 :★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損


 

● セカイ系、それとも唯識? 映画:『君の名は。』(新海誠監督)

2016年日本
107分

 SF恋愛ファンタジーアニメ。
 大林亘彦監督『時をかける少女』と『転校生』、塩田明彦監督『黄泉がえり』(2013)を合体させて「セカイ系」にしたような作品である。
 東京で暮らす社会人の瀧と三葉、2人の主人公が新宿にある須賀神社の石段で名前を問い合う現在。
 高校生の瀧が、3年前の隕石落下事故の現場である岐阜県糸守町を友人らと訪れる過去。
 そして、高校生の三葉が暮らす糸守町に巨大隕石が落下する大過去。
 3つの異なる時制を並べ、しかも瀧と三葉が時を超え性別を超え入れ替わる――という複雑きわまりない設定を、見事に整理した脚本が素晴らしい。(この種のタイムワープものにありがちなパラドックスはおいといて)
 組み紐の比喩も効いている。 
 アニメーション技術については、もう日本文化の、MADE IN JAPANの誇りといっていいだろう。
 隕石直撃で消滅した村のエピソードや風景が、2012年の東日本大震災の津波被害とどうしても重なるあたりが、日本人の鑑賞者としては心傷むところである。
 
須賀神社石段
映画公開後、聖地となった須賀神社の石段

 大ヒットも世界的成功も聖地巡礼も「むべなるかな」と思う出来栄え。
 とても面白かったし、すこぶる感心した。
 が、ソルティの軟弱な涙腺をいささかも刺激するものではなかった。
 その一番の理由が「セカイ系」という点にある。

 セカイ系の定義は曖昧なのであるが、

マンガやゲーム、娯楽小説ジャンルの一つであるライトノベルなどで見ることができる物語の類型の総称。明確な定義はないが、インターネットを通じて2002年頃から広まった言葉で、後に、活字でも広がった。少年と少女の至極一般的な日常生活を、主人公の精神面や心情ばかりをクローズアップして描いているが、その恋愛や生活は世界の危機と直面している。しかし、世界の危機という大規模な問題がなぜ起こったのか、今世の中はどうなっているのかといった、社会や主人公周辺の具体的な描写は欠落している。
(朝日新聞出版発行「知恵蔵」より抜粋)

 セカイ系の代表的作品としてしばしば挙げられるのが、庵野秀明の『新世紀エヴァンゲリオン』である。
 ソルティ流にセカイ系を定義するならば、「主人公の心象風景がそのまま周囲の世界となって立ち現れている作品」というところか。
 つまり、少年少女である主人公が、まったくの他者である外部世界との衝突の中で、葛藤したり挫折したり乗り越えたり受けいれたりしながら、自ら変容することで一人前になるような伝統的な成長物語(イニシエーション・ストーリー)とは違って、世界はあくまで主人公の心の中に倒立像のごとく存在し、主人公の葛藤や闘いはどこまで行っても心の中だけで展開される。
 その最たる徴が、セカイ系作品の典型的特徴とも言える主人公のモノローグの多さである。
 すべてが自己完結している。

 本作も一見、本家である佐田啓二&岸恵子の『君の名は』同様のすれ違いラブストーリーのようで、瀧と三葉は最終的に結ばれてハッピーエンドと思えるが、この二人の心がたびたび入れ替わることが端的に示すように、まったくの他者として向き合っているのではなく、一人の人間の分身なのである。
 互いが分身を愛しているのだ。
 「他者不在」というのがセカイ系の定義の核心だと思う。
 
 『エヴァンゲリオン』テレビ版最終回では、主人公シンジの創っていた“セカイ”が破れて、シンジが“ほんとうの世界”すなわち他者と出会うシーンで終わった。
 そのときソルティの涙腺は崩壊した。
 それにくらべると、『君の名は』の主人公たちは、どこまで行っても“誰そ彼れのセカイ”の中をさ迷い続ける亡霊のような印象を受ける。

 あるいはこれは、押井守が好んでテーマとするような唯識(自己=世界)のアニメ表現と解すべきなのだろうか?


fantasy-5578867_1920
Ivilin StoyanovによるPixabayからの画像



おすすめ度 :★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
★     読み損、観て損、聴き損


● 天然子役 映画:『お早う』(小津安二郎監督)

1959年松竹
94分

 ずいぶん昔に観て白黒映画と記憶していたのだが、カラーであった。
 『彼岸花』に続き2作目のカラー作品という。
 デジタルリマスター修復による画面の鮮明さに驚いた。
 小津監督の色彩感覚の鋭敏さがうかがえる逸品である。

 土手下の新興住宅地で起こるご近所騒動をユーモラスに描いた喜劇。
 騒動と言ってもなんのことはない。
 集めた町会費を組長が納め忘れただの、親に叱られて拗ねた子供が夜になっても家に帰ってこないだの、昭和30年代のありふれた庶民の日常である。(夜9時過ぎても小中学生が家に帰って来なければ、令和の現在なら大事件になるかもしれない)
 平凡なストーリーでもこれだけ面白く描けるというところに、脚本家と演出家の才を感じる。(脚本は野田高梧と小津コンビ)
 黛敏郎の音楽はモーツァルトの軽い長調曲をポンコツにした感じ。作品のトボけた空気を助長している。

 あいかわらず役者もそろっている。
 トラブルメーカーの組長を演じる杉村春子、その母親で肝の据わった産婆を演じる三好栄子(木下惠介『カルメン純情す』で佐竹熊子女史を怪演した東宝女優)、他人の噂話大好きな主婦を演じる高橋とよ、3人のベテラン女優の競演が楽しい。
 小津組常連の笠智衆、三宅邦子、久我美子、東野英治郎もさすがの安定感で、小津カラーに染まっている。
 しかるに、これら豪華俳優陣のすべてを食ってしまっているのが、子役の島津雅彦である。
 林家の次男坊・勇として、いつも長男・実のあとをついて真似ばかりしている小学生に扮しているのだが、これがもう可愛いったらない。
 出演シーンでは、この子ばかりに目が行って、他の役者に注意が向かないほど。

IMG_20220612_160209
林家の兄弟を演じる設楽幸嗣(右)と島津雅彦(左)
 
 小津映画に出る役者は、あらかじめセリフや動きや間合いが完璧に決められていて、寸分狂いなくその通りに演じることが要求されたのは有名な話で、もちろん子役も例外ではなかったろう。
 ここでの勇も、脚本に書かれた通りのセリフを小津の指示した通りに口に出しているに違いない。ロボットのように。
 その点、小津の親友であった清水宏監督の作品、たとえば『風の中の子供』や『みかへりの塔』に出てくる子供たちの野放図で自然な演技とはまったく質が異なる。
 人工と自然といったくらいの差がある。
 小津映画の子供たちは、人工の極みにおいて抽出された“子供らしさ”を演じていると言えよう。
 そうした監督の作為を超えてなお「可愛い」としか言いようがないのだから、島津雅彦の天然ぶりはたいしたものである。
 
 その後、どんな役者になったのだろうとウィキで調べたら、小津の『浮き草』『小早川家の秋』『戸田家の兄妹』、黒澤明の『天国と地獄』、松山善三の『名もなく貧しく美しく』、木村恵吾の『瘋癲老人日記』 など数多くの名作に出演後、公開時17歳の『喜劇 満願旅行』(瀬川昌治監督)を最後に引退していた。
 その後、慶應義塾大学法学部に進学し、学生結婚したとある。
 現在、69歳。
 どんな顔になったのだろう?
 見たいような、見たくないような。
 もし孫がいるなら、孫の顔は見たい気がする。




おすすめ度 :★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損





● 映画:『苦役列車』(山下敦弘監督)

2012年
114分

 原作は今年2月に54歳で亡くなった西村賢太の同名小説。
 芥川賞を受賞している。
 著者の貧しくみじめでブザマな青春時代を描いた私小説である。

 西村をモデルとする主人公の北町貫多を、森山未來が演じている。
 森山未來の芝居の巧さは李相日監督『怒り』(2016年)などで知っていたが、やっぱり天才的憑依力。
 素の森山とはずいぶんかけ離れているであろう破滅型キャラに違和感なく扮している。
 ただ一つの違和感は、森山の体の線の美しさ。
 日雇いの力仕事をしている男たちにはちょっとないような軽みと品がある。
 幼い頃からダンスやバレエをしてきた体は容易に隠せるものではない。

 元AKBの前田敦子にも感心した。
 アイドルの演技ではない。
 石井裕也監督『生きちゃった』(2020年)の大島優子とは、女優になってもライバル対決が続いているようだ。
 
 昭和晩期(1980年代)の下町の空気が実によく醸し出されている。
 山下監督は『マイ・バック・ページ』で70年代初頭の反体制運動盛んな東京の風景をリアリティ豊かに描き出していたが、時代を撮るのが上手な人である。
 寛多らの働く港湾労働の風景を見ていたら、あの頃よく買っていた『週刊アルバイトニュース』の表紙や冒頭数ページに掲載されている「高収入短期バイト」の求人広告が脳裏に浮かんできた。
 ソルティは三日と続かなかった。
 3Kの最たるものだった。

 原作は読んでいないのでテーマ的な違いは分からないが、本作は『リンダ・リンダ・リンダ』や『マイ・バック・ページ』同様の青春映画と言っていいだろう。
 ブザマでもみじめでも青春は美しい。


DSCN5094




おすすめ度 :★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損









● Remember 映画:『手紙は憶えている』(アトム・エゴヤン監督)

2015年カナダ、ドイツ
95分

 ナチスのアウシュビッツ大量虐殺をテーマにしたミステリーサスペンス。
 原題は Remember
 過去の記憶が欠落した認知症の老人ゼヴ・グッドマンを主役に据えた点に、この物語のポイントがある。
 彼の腕にはアウシュビッツにいた時に刻まれた囚人番号があるのだが、その時の記憶も、死ぬ前に仇を取りたいドイツ人看守の顔も思い出すことができない。 
 まさに「想い出せ!」なのだ。
 
 昨年2月に91歳で亡くなったクリストファー・プラマー(出演作『サウンド・オブ・ミュージック』『スタートレック』『名探偵ホームズ・黒馬車の影』『カールじいさんの空飛ぶ家』他)、2019年に没したブルーノ・ガンツ(『ベルリン・天使の詩』『ヒトラー~最期の12日間~』『バルトの楽園』他)、2017年に没したマーティン・ランドー(『北北西に進路を取れ』『スパイ大作戦』『エド・ウッド』他)など、今は亡きベテラン男優たちが芸の蓄積を感じさせる深みある演技を披露している。
 特にゼヴを演じるプラマーの認知症患者の演技は、多くの認知症高齢者を介護してきたソルティから見ても真に迫っており、見事の一言。『ふるさと』の加藤嘉に迫るレベルだ。
 複雑な筋書きを95分にまとめた脚本もすばらしい。
 
 DVDパッケージの解説には「最後の5分でビックリ仰天」みたいなことが書いてあった。
 が、サスペンス慣れしている人なら、ソルティ同様、途中で結末を悟るであろう。
 想い出さないほうが幸せなこともあるってか。

徘徊老人

 
 

おすすめ度 :★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
★     読み損、観て損、聴き損

 

● 映画評論家の意義 映画:『岸辺の旅』(黒沢清監督)

2015年
128分

 オカルトファンタジーとでもいった作品。
 生者と死者との不思議な交流というテーマから、ヴィム・ヴェンダースの『ベルリン・天使の詩』やガス・ヴァン・サントの『追憶の森』を想起した。
 原作は湯本香樹実の同名小説。

 薮内瑞希(深津絵里)のもとにある日、3年前に行方不明となって死んだはずの夫・優介(浅野忠信)が戻ってきた。「ぼくは死んでるよ」と言う優介の言葉を瑞希はそのまま受け入れる。二人は優介のゆかりの場所を訪ねる旅に出る。さまざまな生者と死者の再会と別れの場に立ち会いながら、瑞希は優介の知られざる一面に気づく。

IMG_20220531_003346
浅野忠信と深津絵里

 第68回カンヌ国際映画祭「ある視点部門・監督賞」を獲っていることが示すように、ヨーロッパ受けしそうな大人の作品である。
 「日本人もやっとこういった映画を撮れるようになったのだなあ」としみじみ思ったが、なに、溝口健二、小津安二郎、木下恵介・・・・本邦こそ大人の鑑賞に値し世界に通じる映画をあまた輩出してきたのである。
 50~60年代の黄金期から70~90年代の停滞期を経て、いままた日本映画は興行的な部分は別として充実期に入っているのかもしれない。
 1955年生まれの黒沢清は、1956年生まれの周防正行、1962年生まれの是枝裕和と並んで、まさにその牽引者の一人と言っていいのだろう。(青山真治監督が今年3月に亡くなったのは残念なことであった。冥福を祈る)

 主演の浅野忠信が良い。
 ホントいい役者になった。イケメンというのではないが、顔がいい。
 生者と死者の中間的存在という、リアリティがあり過ぎても無さ過ぎてもストーリーが破綻してしまう難しい役柄を、人好きする顔とオレンジ色のコートにより絶妙に演じている。
 (ああ、このオレンジのコートゆえに『ベルリン・天使の詩』を、つまりピーター・フォークを思い出したのだ) 
 出番こそ少ないが蒼井優、小松政夫も良い。

 ヨーロッパ風の一因は、マーラーっぽいBGMのせいもある。
 いささか大仰な感もするのだが、国際賞狙いならこれもありか・・・・。  
 音楽は大友良英、江藤直子。
 
 黒沢清、周防正行、青山真治、『偶像と想像』や『ドライブ・マイ・カー』で世界の名だたる映画賞を総ナメし快進撃を続けている濱口竜介・・・・彼らに共通するのはフランス文学者で映画評論家の蓮實重彦の教え子であること。
 映画における評論家の意義というのを感じさせる。



 
おすすめ度 :★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損

 
 

● 墨の下の日本 映画:『教育と愛国』(斉加尚代監督)


IMG_20220526_162523

2022年日本
107分

 この映画のもとになったのは、2017年に大阪・毎日放送(MBS)で放送されたドキュメンタリー番組『教育と愛国~教科書でいま何が起きているのか~』。
 2017年にギャラクシー賞テレビ部門大賞を受賞するなど大きな反響を呼び、2019年に書籍化、その後、追加取材と再構成を行い映画版が誕生した。
 監督の斉加尚代は、MBSで20年以上にわたって教育現場を取材してきたそうだ。

 漫画家の小林よしのりらによる「新しい歴史教科書をつくる会」の結成が1996年、国旗国歌法の制定が1999年、扶桑社から市販本『新しい歴史教科書』『新しい公民教科書』が発刊されベストセラーとなったのが2001年。
 ソルティも扶桑社の教科書を買って読み、「現場はどう判断するのだろう?」と推移を見守った。
 蓋を開けてみたら、採択率が思ったほどでないのでホっとした。
 教育現場の良識も捨てたもんじゃないと思った。
 その後、つくる会が仲間割れしたというニュースもあって、教科書問題について関心が遠のいていた。
 ソルティに子供や孫がいないことも一つの理由であろう。
 その間に、安倍晋三政権が生まれ、教育基本法の改定(2006年)があり、「美しい国」キャンペーンが日本中を覆った。
 
 2022年現在、教科書問題は、教育現場は、どうなっているのだろう?
 ――という懸念から久しぶりに若者人気ナンバーワンの吉祥寺に出向いた。
 パルコ地下にあるUPLINK吉祥寺という映画館である。
 硬いテーマだし、平日の午後でもあるし、場内はガラ空きかと思ったのだが、老若男女で6割くらい埋まった。
 注目を浴びてる作品なのは確かなようだ。

IMG_20220526_162625
JR中央線・吉祥寺駅南口


 従軍慰安婦問題を扱ったミキ・デザキ監督の『主戦場』(2019)に匹敵すべき戦慄の内容であった。
 ここ十数年の間に教育現場はとんでもないことになっていた。
 政治が教育に介入し、検定に合格するか否かが死活問題の各教科書会社は文科省の顔色窺いと忖度に追われ、教育現場からは教員たちの主体性が奪われ、結果として、生徒たちが国家の望む臣民たるべく育てられる方向に進んでいる。美しい国に奉仕する臣民へと。

 インタビューに応じる保守の政治家や学者が好んで用いる用語が「自虐史観」。
 戦後の歴史教育が戦時中の日本国あるいは日本軍の加害者性ばかり強調するから、自らの国に誇りを持てない、自らの国を守ろうとしない民を生んだのだ、という理屈。
 戦後数十年の自虐史観を跳ね返すためには、専門家によって確かめられている史実を無視したり、歪曲したり、忘却してもかまわない、という確信犯的詐術が繰り広げられている。
 「そういうことをする国だから誇りが持てないのだ」ということが彼らにはなぜか通じない。
 右と左で、プライド(誇り)の定義が180度違っているかのよう。
 それこそ各々が受けてきたしつけや教育の影響か?

 ロシアによるウクライナ侵攻が今後の国政や教育行政に与える影響には測り知れないものがある。
 教育現場の“戦前化”はいよいよ進むのだろうか?
 いつの日か墨で塗りつぶした文字が復活する日が来るのだろうか?
 日本は核と軍隊と徴兵制をもつ“一人前の国家”へと脱皮するのだろうか? 

 自分自身や友人が、あるいは自分の子供や孫が、兵隊にとられ戦場に送られる可能性あるを知りながら、それを推進する政党に進んで投票する行為こそ、自虐の最たるものではなかろうか。 
 こんな映画を吉祥寺で観る日が来るとは30年前には毛ほども思わなかった。



おすすめ度 :★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損

 



 

● 映画:『私は、マリア・カラス』(トム・ヴォルフ監督)

2018年フランス
113分
原題:Maria by Callas

私はマリアカラス

 20世紀最高の歌姫マリア・カラスの人生を、映像と朗読と彼女自身の歌声でつづったドキュメンタリー。
 カラスが書き残した未完の自叙伝(そんなものがあったのか!)や友人に宛てた手紙を、自身映画『永遠のマリア・カラス』(2002)でカラスを演じたことのあるファニー・アルダンが朗読している。
 
 これはもうファン垂涎の一品である。
 本邦というか世界初公開のカラスの舞台および舞台裏映像、インタビュー風景、プライベート映像が盛りだくさん。
 よくこれだけ集めたなあと感心する。
 とくに、モノクロフィルムに当時の写真をもとに着色した映像が新鮮。
 これまでに何度も目にしていた骨董品的映像が、色を付けられることで臨場感と華やぎが増し、撮影されたその場・その時代の空気を感じ、マリア・カラスが血の気の通った存在として蘇るような気がした。あたかも彫像が動き出したような。
 彼女が最も得意とした『ノルマ』の舞台映像やルキノ・ヴィスコンティの演出風景、カラス唯一の映画主演作『メディア』(パゾリーニ監督)の撮影風景など、レアな映像の数々に目が釘づけ、もちろんその奇跡の歌声に耳が釘付けとなった。
 映画のロケハンで、くもった眼鏡(カラスはド近眼だった)を磨くのにレンズに自分の唾を垂らすカラスの姿からは、エレガンスの粋を極めた彼女の本質が庶民にほかならないことを、あますことなく伝えている。

 登場する50~60年代の世界のセレブたちの顔触れも凄い!
 最初の夫バティスタ・メネギーニ(実業家)、最愛の男アリストテレス・オナシス(海運王)、最後の恋人と言われたジュゼッペ・ディ・ステーファノ(テノール歌手)はじめ、エルビラ・デ・イダルゴ(ソプラノ歌手・恩師)、ジャクリーン・ケネディ(元米国大統領夫人)、ヴィットリオ・デ・シーカ(俳優・映画監督)、オマー・シャリフ(俳優)、ブリジット・バルドー(女優)、カトリーヌ・ドヌーヴ(女優)、グレース・ケリー(女優・モナコ公妃)、エリザベス・テーラー(女優)、ウィンストン・チャーチル(元英国首相)、エリザベス女王、フランコ・ゼフィレッリ(映画監督・オペラ演出家)、ルドルフ・ビング(メトロポリタン歌劇場支配人)・・・・等々。
 どこに行っても膨大なファンとマスコミに取り囲まれ、容赦ないフラッシュと意地悪な質問を浴びせられる。その光景のすさまじさに比べられ得るのは、故ダイアナ妃のそれくらいであろうか。
 よっぽどタフでないとつとまるまい。

paparacchi

 個人的には、やはり映画の中で流されるカラスの歌声に圧倒された。
 若い時分から最盛期そして晩年近くまで、録音された歌を通して聴いていると、声質や声域の変化や劣化、表現力の深化などはあるものの、生涯にわたって共通しているもの――なによりもカラスの声を特徴づけていたもの――は、“悲哀さ”だったのだと分かる。
 声自体の美しさでは他のソプラノ歌手の後塵を拝すとしても、悲哀さにおいては追随するものがいなかった、いや今に至るまでいない。
 その悲哀さゆえに聴衆は呪縛され、胸を鷲づかみにされ、涙腺を破壊されてしまったのだ。
 エドガー・アラン・ポーがどこかで「美の本質は悲哀さにある」と書いていたのを思い出す。

 皮肉なのは、その悲哀さがカラスの――マリアの人生にも浸透してしまったことである。
 あるいは、カラスが演じたヒロインたちの悲劇が、マリアに乗り移ったのだろうか。 
 あれほどの成功、あれほどの栄誉、あれほどの人気を獲得しながらも、一人の女性としてのマリアの人生を鑑みるときに「幸福」という言葉は出てこない。
 もちろん「不幸」ではない。世の女性が、いや世の人間が、滅多に手に入れられない歴史に残る名声を得たのは間違いないのだから。
 芸術の神にかくも愛されたのだから。

 幸福とは平凡な人間にのみ許される特権なのだろうか。
 その生、その死――悲哀に満ちた美しさがある。

IMG_20220512_105738



おすすめ度 :★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損



● 鮮烈なる工藤夕貴 映画:『ヒマラヤ杉に降る雪』(スコット・ヒックス監督)

1999年アメリカ
127分

 工藤夕貴(1973- )は好きなアイドルの一人であった。
 ハウス食品のラーメンCM 「お湯をかける少女」で一躍人気者になり、『野性時代』で歌手デビューを果たし、石井聰互監督『逆噴射家族』、相米慎二監督『台風クラブ』の鮮烈な演技で女優としての可能性を見せつけ、ジム・ジャームッシュ監督『ミステリー・トレイン』(1989)で国際女優として歩みだした。
 向かうところ敵なしといった破竹の勢いであった。
 その“野性時代”のひとつの頂点が本作であろう。
 工藤夕貴28歳。

 原作はデイヴィッド・グターソンのミステリー小説 Snow Falling on Cedars(邦訳『殺人容疑』講談社刊)。
 舞台はアメリカ西海岸の最北端に位置するワシントン州のサン・ピエトロ島。
 太平洋戦争勃発後の日本人移民に対する偏見や迫害がもとで起きた冤罪事件を主軸に、地元の青年(イーサン・ホーク)と日本の娘(工藤夕貴)の結ばれなかった恋を描く。

IMG_20220521_111213
イーサン・ホークと工藤夕貴
 
 錚々たる共演陣である。
 『ライトスタッフ』『フール・フォア・ラブ』のサム・シェパード、巨匠ベルイマン作品の常連だったマックス・フォン・シドー(『第七の封印』の騎士アントニウスほか)、名脇役としてならしたリチャード・ジェンキンス、ジェームズ・クロムウェル。
 ぽっと出の新人なら緊張で固まっても仕方ないようなベテランの演技派オヤジたちの間にあって、しかも母国語でない英語だけのセリフというハンディの中で、まったく引けを取らない、むしろ周囲を食ってしまうほどの鮮烈な輝きを見せる工藤夕貴の傍若無人ぶりが印象的である。
 デビュー当時、七光りと言われるのを嫌い、往年の人気歌手・井沢八郎の娘であることを隠していたエピソードは有名だが、親譲りの才能はむろんのこと、強い意志と努力の人なのだろう。
 いまや井沢八郎こそ、工藤夕貴の逆七光り。(この関係は藤圭子と宇多田ヒカルに似ている?)

 スコット・ヒックス監督は、実在のピアニスト、デイヴィッド・ヘルフゴットの半生を描いた映画『シャイン』で一躍有名になった。
 ソルティは未見だが、本作を観ると西洋絵画のあれこれを想起させる絵作りの巧さが特徴的である。煽らない丁寧な語りも好ましい。
 思いがけない掘り出し物といった体の傑作であった。

IMG_20220521_110932



おすすめ度 :★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損







● 映画:『愛のお荷物』(川島雄三監督)

1955年日活
110分、モノクロ

 「愛のお荷物」とは赤ちゃんのことであった。
 戦後ベビーブーマー時代を背景に、ある大臣一家に起こる恋と受胎の騒動を軽妙なタッチで描くコメディ。
 人口過剰問題の対策を先頭に立ってはかるべき新木厚生大臣の家庭において、本人夫婦はじめご子息・ご令嬢3人に同時に子供が授かってしまう・・・・。
 人口減少、少子高齢化が問題となっている現在から見れば、なんとうらやましい(お盛んな)時代であったことか。

IMG_20220514_113544

 新木大臣を演じる山村聡はじめ、轟夕起子、三橋達也、北原三枝(石原裕次郎夫人)、山田五十鈴、東野英治郎、フランキー堺、菅井きんなど、役者の顔触れが多彩で楽しい。
 三橋達也はこれまで注目したことがなかったが、喜劇がうまい。身のこなしもスマートで色気がある。
 山田五十鈴は押しも押されもせぬ名女優だが、喜劇だけは向かないと思う。存在が重すぎるのだ。
 同じベテラン名優でも東野英治郎あるいは杉村春子が喜劇もこなせるのとは対照的。
 導入部のナレーションをしている加藤武もうまい。

IMG_20220512_222109
三橋達也と北原三枝
ロケ地は上野の不忍池らしい

 個人的には脚本がもう少し遊んでも(はちゃめちゃしても)いいのではと思ったが、肩の凝らないセンスの良いコメディには違いない。



おすすめ度 :★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損






● 昭和パワハラ親爺あり 映画:『彩り河』(三村晴彦監督)

1984年松竹
125分

 田中裕子が一流女優の仲間入りした名作『天城越え』の三村晴彦監督の作品というので、気になって借りてみた。
 原作は『天城越え』と同じ清張ミステリーである。

 結論から言うと、出来は良くない。
 悪徳実業家に父親を殺された青年の復讐劇という、どちらかと言えばテレビドラマ向けの陳腐な題材は措いておくとしても、脚本がすっきりせず焦点が合っていない。
 誰が主役なんだかよくわからないのである。

 本来なら復讐を胸に誓う青年・譲二(真田広之)が主役となるべきで、その悲惨な幼少期の記憶であるとか、憎き相手・下田(三國連太郎)への憤りであるとか、復讐までの一つ一つの段取りなどが描かれていくところであろう。
 その過程で愛する女ができたり、勇みがちの不用意な行動によって危うく相手方に正体がバレそうになったり、同じく下田への復讐心を持つ男・井川(平幹二郎)と知り合って手を組んだり・・・といったエピソードが盛り込まれる。
 つまり、譲二視点でストーリーを進めていけば一つの復讐譚としてすっきりする。

 ところが、これが譲二の復讐譚であることがはっきりするのは物語の後半になってからで、それまでは視点が定まっていない。
 いったい何の話なのか、誰が主役なのか、よくわからないまま、昭和の銀座界隈の欲と腐敗に満ちた世界が描き出されていく。
 結果として、欲と腐敗の代名詞である実業家下田を演じる三國連太郎がやたら目立っている。
 ただひたすら金と女と権威を追い求める、いかにも“昭和”といった感じのいやらしい中年ハゲ親爺を、三國は抜群のリアリティをもって演じている。
 そのなりきりぶりが凄い。
 三國がもともと相当な二枚目俳優として登場したことを思えば、その役者魂には称賛のほかない。佐藤浩市にはこの役はできないのではあるまいか。
 三國連太郎の圧倒的な存在感の前では、若くハンサムな真田広之も、若く凛とした美しさのある名取裕子も、王将の前の歩のようなものである。さしずめ、平幹二郎と渡瀬恒彦が金、吉行和子と石橋蓮司が銀ってところか。

IMG_20220507_232347
悪徳実業家を演じる三國連太郎
なんとなく原作者(清張)をモデルにした感が・・・

 通じ合った譲二と井川が、下田をやっつける密談を白昼の往来で交わしたり、第三者のいるところで復讐に用いる毒物の話を持ち出したり、脚本の粗さは首を捻りたくなるほど。
 演出もカメラワークも凡庸である。
 
 『天城越え』を越えるのは難しかった。

P.S. ラストの復讐シーンの舞台設定は、下田が主宰する「無修正ポルノフィルムの極秘上映会」
  昭和だあ~

IMG_20220507_232302
お口直しに
昭和の典型的美形・真田広之



おすすめ度 :★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損


● 映画:『真珠湾攻撃』(ジョン・フォード監督)

1942年アメリカ
82分
原題:December 7th

 ウクライナのゼレンスキー大統領が米国連邦議会の演説で「パールハーバー(真珠湾攻撃)を忘れるな」と言ったとか、ウクライナ政府が昭和天皇の顔写真をヒトラーやムッソリーニの顔写真と並べた動画を作ったとか、このところ日本の旧悪を責め立てるようなニュースが続いている。
 古い証文を今さら突きつけられても・・・・という感がしなくもないが、人類の歴史や民族の記憶力という観点からすれば、80年という歳月は時効にするには短すぎるのかもしれない。
 
 本作は西部劇の名手であるジョン・フォード監督が手がけた戦意高揚映画で、公開時は34分の短編であった。
 これは、前半部分(48分)の内容が米軍の怒りを買って没収されてしまったからである。
 公開されたのは、日本軍による真珠湾攻撃の残虐とその後の復興や勝利の誓いを描いた後半部分のみであった。
 切られた前半部分には、仕事と自由を求めてハワイに移住した日本人の生活ぶりや、一部の日本人スパイがハワイの地勢や米軍の機密情報を故国に送った様子が描かれている。
 軍部が怒ったのは「日本人に対する罵りがない」からとも、「海軍が真珠湾の軍務を疎かにしていたように描かれている」からとも言われる。
 結局、激しい戦闘シーンが中心となる後半部分が上映され、第16回アカデミー賞短編記録映画賞を獲得した。

IMG_20220426_173003


IMG_20220426_172917

 確かに後半部分は、まるで12月8日の真珠湾攻撃の一部始終を実際に撮影したかのようなリアルで迫力ある映像で、特撮レベルの高さに感嘆する。
 すべてがロケやセットを使った再現だというのが信じられないほどの臨場感。
 攻撃を受けた翌年(1942年)に、早くもこのレベルのドキュメント映画を制作できてしまう力を持っていたのだから、やっぱり日本が敗けたのもむべなるかな。
 
 お蔵入りした前半部のフィルムがその後見つかって復元され、82分の完全版で世界初公開されたのは1995年12月、なんと東京の三百人劇場において(2006年まで文京区にあった、懐かしい!)。
 制作から53年後のことだった。
 個人的には、カットされた前半部分こそ興味深かった。
 ソルティは、明治の文明開化以降に海外移住した日本人が大勢いたことは知っているが、彼らについて書かれたものも撮られたものもほとんど知らない。
 日系移民というとブラジル移民がすぐに思い浮かぶが、本作のように、ハワイに移住した日本人(日系アメリカ人)について描かれているものにははじめて触れた。
 このテーマは自分の欠落であった。

 本作の情報がどこまで正確なのか知らないが、1941年当時、ハワイの人口は42万3千人で、うち38%にあたる15万7千人が日本からの移住者だったという。アメリカ籍を取った、つまりアメリカ人になった日本人は12万人。そんなに多かったとは!
 彼らは主としてサトウキビやパイナップルの農場で働いていたそうだが、日本人町もできて、寿司屋や日系銀行や邦人の医師やナースの勤める病院、それに神社などもあったようだ。
 思うに、大日本帝国憲法下の日本より、常夏の楽園でアメリカ憲法のもと暮らしていた日本人のほうが幸せだったのではなかろうか?

IMG_20220426_172825
アメリカ人としてハワイに暮らしながら神道を捨てない日系移民

 もちろんそれも、真珠湾攻撃が始まるまでの話。
 太平洋戦争が始まってから日系移民たちの舐めた苦渋はいかなるものであったか。
 本作ではむろんそこまで語られないけれど、米軍や現地の住民たちに敵視されないためには、日本人としてのアイデンティティや信仰を抹消しなければならなかったはずである。
 ちょっとこのテーマを追いたくなった。




おすすめ度 :★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損





● プロトタイプ寅さん 映画:『拝啓天皇陛下様』(野村芳太郎監督)

1963年松竹
99分

 渥美清と言えば「寅さん」であるが、ソルティは山田洋次監督『男はつらいよ』シリーズをこれまでに3本しか見ていない。
 20代の頃に旧作2本と新作1本を観て、どうにも面白さを感じられず、「これは自分向きじゃない」と早々に退却してしまった。
 なので、渥美清という役者の魅力がいま一つ分からないでいた。
 彼をテレビで観ることはほとんどなかったし、映画も寅さん以外で記憶に残っているのは同じ松竹の『八つ墓村』(1977)の金田一耕助くらいである。
 公開当時、渥美の金田一耕助について原作者の横溝正史が、「自分のイメージする耕助にもっとも近い」とコメントしたのを覚えているが、個人的には石坂浩二や古谷一行のイメージがあまりにも強く、ふっくらして動きの鈍そうな渥美の耕助は、演技の巧さは別として、違和感があった。
 それに、あの作品の主役は小川真由美という気がする。
 (そう言えば、今年の正月に観たシネマコンサート『砂の器』に、渥美は田舎の映画館の支配人役で出ていた。近くの席から「あっ、寅さん!」と声が上がった)
 
 本作でやっと喜劇役者としての渥美清の魅力を知った。
 ここで渥美が演じているのは、三度の飯がちゃんと食えて風呂にも入れる軍隊を天国と思う「情が厚くて純朴で寂しがり屋の風来坊」山田正助である。
 「なんだ、寅さんそのものではないか」と思うが、それもそのはず、ウィキによれば「この作品がフジテレビの関係者の評判を得て『男はつらいよ』の構想が練られた」とのこと。
 山田正助は寅さんの原型なのだろう。

 たしかにチャーミングである。
 「憎み切れないロクデナシ」を地で行く、放っておけないキャラ。
 素の渥美とどこまでかぶるか知るところでないが、ここでの渥美の演技は自然体で、元来持っている人柄の良さが、やんちゃでがらっぱちなキャラクターと見事に結合して、愛おしさ満開である。
 ソルティが観た『寅さん』は、すでに国民的人気のもと松竹のドル箱として正月とお盆の年2回興行が定着してからの作品で、ある意味、マンネリ化が始まっていたのだと思う。
 最初の頃のフレッシュな寅さんを観たら印象が変わるかもしれない。
 
 昭和初期の軍隊生活を主軸としたコメディ。
 共演の長門裕之とのコンビネーションも良い。
 どこかで見たことのある懐かしい顔が出ているなあと思ったら、若き日の桂小金治。
 ソルティは落語家としての小金治は知らず、TV『アフタヌーンショー』の名司会ぶりと『それは秘密です!!』の「ご体面コーナー」における手放しの泣きっぷりが記憶に残っている。今でも、織田信成を見るたびに桂小金治を思い出す(泣)
 名コメディエンヌ藤山直美の父親・藤山寛美や「裸の大将」画家の山下清の出演も見どころ。

IMG_20220419_221723
左から、長門裕之、桂小金治、渥美清

 考えてみると、『男はつらいよ』シリーズは第1作が公開された69年から遺作となった95年まで、昭和40年代から平成6年まで27年間の日本の姿を連続撮影しているわけで、記録フィルムとしての価値も高いのではないかと思う。
 とりわけ、寅さんが旅好きなおかげで日本のあちこちの地域の風土・文化が撮られていよう。
 失われた日本、変わっていった日本を、マドンナをつとめた女優の若かりし姿と共に確かめるのも一興なんじゃないか、と最近思っている。

 



おすすめ度 :★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損


● I'll be back ! 映画:『ダニエル』(アダム・エジプト・モーティマー監督)

2019年アメリカ
100分

 統合失調症の青年を主人公とするサイコ・サスペンス。
 ティム・ロビンス&スーザン・サランドンの息子マイルズ・ロビンスと、アーノルド・シュワルツネッガーの息子パトリック・シュワルツネッガー、大スターの2世共演が見どころ。
 2人とも美形で、演技も悪くない。 
 
 精神障害を抱える母親に育てられたルーク(=マイケル・ロビンズ)は、孤独な幼少の時分に空想上の友達ダニエルを作って遊んでいた。が、ダニエルの本性に危険を感じた母親は、ルークに命じ、ダニエルをドールハウスに閉じ込めさせた。
 大学生になったルークは精神不安に陥り、自らの手でダニエル(=パトリック・シュワルツネッガー)を呼び戻してしまう。
 ダニエルの協力で自信と安定を得たルークは生気を取り戻し、しばらくは若者らしい日々をエンジョイする。
 しかしダニエルは次第に本性を現し始め、ルークの行動は破壊的なものになっていく。 

 「幼い時の空想上の友達」というネタは、『クワイエット・フレンド』など欧米の映画に昔からよく使われる。
 日本を含むアジア圏ではあまり馴染みないように思う。
 個人主義やプライベート空間が重視される西洋文化ならではの現象ではなかろうか。
 あるいはキリスト教文化と関係あるのか?

face-2670533_1920

 本作では、想像上の友達ダニエルはルーク少年の隠された裏の人格であり、いったん意識下に閉じ込められたものの、大人になったときにきっかけを得てふたたび顕在化した――という解釈で進行する。
 ルークのカウンセラーをはじめ他者から見た時それは統合失調症という病気と映るが、ルークの主観においては人格を乗っ取ろうとする悪魔とのリアルな闘いになる。
 もっとも、当初はルークの目にしか見えなかったダニエルは、クライマックスではカウンセラーやルークの恋人の前にも実体としてその姿を現し、直接的な暴力を振るう。
 すなわち、サイコサスペンスとして始まったものがオカルトホラーになる。
 ルークは、二重人格や統合失調症ではなく、悪魔憑きだったのである。
 この脚本はちょっと安易でシラけてしまった。
 (それとも、科学的な精神医療に対する宗教界からの反駁か?)
 
 映像的にときどき素晴らしいショットも見られるのだが、全般に画面が暗すぎる。
 観ていて疲れる。



おすすめ度 :

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損




● 映画:『四畳半襖の裏張り』(神代辰巳監督)

1973年日活
69分

 ソルティが性に目覚め、巷の性情報に対し興味津々たるティーンエイジャーの時分、「猥褻」と言ったら、D.H.ロレンスの『チャタレイ夫人の恋人』と永井荷風の『四畳半襖の下張り』であった。
 どちらの小説も「猥褻か否か」が法廷で争われた結果、猥褻図書とみなされ、完全な形での公開を阻まれていた。

 当時(昭和40~50年代初頭)、どこの本屋にもエロ本が並び、父親の買ってきたスポーツ新聞や週刊誌を開けば巻頭ヌードグラビアや風俗情報が紙面を埋め、宇能鴻一郎センセイや川上宗薫センセイの過激なポルノ小説がイラスト入りで掲載され、繁華街を歩けば裸の女性が大写しになったポルノ映画館の看板が普通に目に入った。
 令和の今から思えばそんなエロ天国のような昭和末期にあって、なおも「猥褻」と言われ発行を阻まれている小説があることが驚きであった。
 どれだけ凄い内容なのだろうと好奇心を募らせたことを覚えている。(問題個所が削除された形で出版された『チャタレイ夫人の恋人』は大ベストセラーになっていた)

 その後、時代の風潮を受けて、どちらの作品も完全な形で読めるようになった。
 もちろんソルティはさっそく読んだけれど、ご想像通り、「なんでこれが発禁処分?」と苛立ちを覚えるほどに、どうってことない内容であった。
 チャタレイ夫人の情事は、かまきり夫人やエマニュエル夫人のアヴァンチュールにくらべれば、修道女のオナラのようなものであった。 

rattan-1462860_1920

 
 本作は『四畳半襖の下張り』の映画化で、『赫い髪の女』と並ぶ神代辰巳監督および女優・宮下順子の代表作であり、1971年から17年間続いた日活ロマンポルノの頂点をなす傑作と言われている。
 先ごろ、田中登監督『(秘)色情めす市場』(1974)が第78回ベネチア国際映画祭のクラシック部門に選出されたというニュースがあったが、日活ロマンポルノには実際、名作・傑作がたくさんある。
 神代辰巳や田中登のほかにも、曾根中生・小沼勝・石井隆・崔洋一・周防正行・相米慎二・滝田洋二郎・村川透・森田芳光など、その後日本映画界の第一線で活躍した(している)監督たちを産みだした、また育てた功績も大きい。

 まぎれもなく性は人間の主要な一部であり、それなくして人は生まれず、それなくして人は生めず、それなくして人の世は成り立たないのだから、ありのままの人間を表現することを志す芸術家にとって性を描くことが一つの使命となるのは当然である。
 それは猥褻とか女性蔑視という観点からだけでは捉えきれない、捉えてはならない人間の営為である。

 話が大きくなった。
 本作、なにより映像の美しさが際立っている。
 大正時代の遊郭が、写実的ではなく幻想的に、幻燈のようなおぼつかなさで描かれている。
 登場する男女のこまごました性遊戯や苦界を生きる遊女たちの日常は、一応リアリスティックに描かれているものの、それが生々しい現実や社会問題として観る者に迫ることはなく、ある種の滑稽と虚無のうちに淡々と語られてゆく。
 一方、遊郭の外では、米騒動が起き、打ちこわしが起き、世界大戦が起きている。
 この世の動きとはまったく関係ないところで行われる男女の「性」の追究のさまが、そのうち観る者のうちに逆転現象を起こし、外で起きている事件こそが幻想であるような錯覚をもたらすに至る。

 性にはたしかに、そのような究極の個人性の発露とでも言うべき面がある。
 社会が性を管理したがるのは、おそらくそれゆえなのだろう。

IMG_20220411_231949
主演の江角英明と宮下順子



おすすめ度 :★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
★     読み損、観て損、聴き損




● あぶないあぶない 映画:『顔』(阪本順治監督)

2000年松竹
123分

 本作は、1982年(昭和57年)8月に発生し1997年(平成9年)7月の犯人逮捕によって決着を見た、松山ホステス殺害事件の犯人・福田和子の15年にわたる逃走劇を下敷きに作られている。
 が、福田和子という人物をそのまま描いたノンフィクションというわけではなく、まったく別の創作物としてとらえるべきだろう。
 くだんの事件は、本作を生み出す際のアイデアなりヒントなりになったのは間違いないし、映画を売り出す際にはキャッチ(話題性)として寄与したであろうが、本作の主人公である吉村正子(藤山直美)と福田和子をダブらせるのは、おそらく間違っている。

福田和子記事
1997年7月29日愛媛新聞記事
福田和子の生涯はすさまじくも哀しい

 『どついたるねん』や『王手』など硬派な作風で知られる阪本監督が本作で描きたかったのは、犯人逮捕までの経緯を週刊誌的な好奇な目でスリリングに追った実録犯罪ドラマではなく、引きこもりだった中年女性が“犯行をきっかけに”やっと外の世界と接点を持ち始め、人づき合いの喜びと哀しみを知り、失われていた青春を取り戻そうとする文字通り“死に物狂い”の奮闘劇なのである。
 30歳を過ぎてから自転車や水泳に初挑戦するヒロインの姿に、観る者が感動するのはそれゆえである。
 その意味で本作は、『どついたるねん』や『王手』同様、人生の荒波を不器用に生きる市井の庶民の物語には違いない。
 浪花版『嫌われ松子の一生』といったところであろうか。

 主役の藤山直美の熱演というか猛演、脇を固める佐藤浩市、豊川悦司、渡辺美佐子、大楠道代(素晴らしい!)、國村隼、岸部一徳らの好演、それぞれの役者の個性や巧さを存分に味わえる。
 どんな端役であっても生かすことができるってのは、すぐれた監督の要件の一つであろう。




おすすめ度 :★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損

 
 
 

● 清張センセイの女性観? 映画:『わるいやつら』(野村芳太郎監督)

1980年松竹
129分
原作:松本清張
脚本:井手雅人
音楽:芥川也寸志、山室紘一
撮影:川又昴

 何度かテレビドラマ化されている犯罪サスペンス。
 たしかに、ベッドシーン含め男女のドロドロを執拗に描くインドア的“火サス”プロットは、映画よりテレビドラマのほうがふさわしい。
 いくら当時一番人気の清張だからと言って、なんでもかんでも映画化すればいいってもんじゃなかろうに・・・と正直思う。
 スクリーンにふさわしくない題材まで映像化してしまったことが、清張映画の質のアンバランスを生んだ一つの原因であろう。
 『砂の器』コンビである芥川也寸志の音楽、川又昴の撮影、佐分利信・緒形拳・梶芽衣子をはじめとする錚々たる名優陣をもってしても、本作を凡作から救うには至らなかったようだ。

 見どころを上げれば、5人の旬の女優たち――松坂慶子、梶芽衣子、神崎愛、藤真利子、宮下順子――の美女競演というところだろうか?
 愛の水中花・松坂の最盛期の美貌、女囚サソリにして修羅雪姫・梶の画面から滲み出る風格、日活ポルノでならした宮下の凄みある艶技、それぞれ印象に残る。
 だが、これらの女性たちと愛し憎み合い、犯罪がらみのドロドロを演じることになる当の相手が片岡孝夫であることに、いまいち納得がゆかない。
 片岡孝夫も当時人気沸騰だったけれど、なぜあんなに騒がれたのか、この映画からは見当つかない。
 刑事役で出ている緒形拳のほうが、よっぽど母性本能くすぐりでジゴロめいている。
 まあ、個人的好みの問題か。

IMG_20220327_144522
左より、梶芽衣子、神崎愛、松坂慶子、藤真利子、宮下順子

 この作品に限らず、松本清張にはどうも女性のみにくい面をあげつらったストーリーが多い気がする。
 欲深く、エゴイストで、見栄っ張り、したたかで、男性をすぐ支配したがり、“おんな”を使うことに長けていて、感情的で、しつこくて、美しい仮面の下に魔性を秘めている。
 清張には女性不信なところがあったのか?
 



おすすめ度 :★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損

 



  

● 映画:『リンダ リンダ リンダ』(山下敦弘監督)

2005年日本
114分

 この映画を観ていると、「映画」と「映画ではないもの」の違いって何なのだろう?――と問わざるを得なくなる。
 そして、それが「映画」である、と一瞬にして判定できる“目”とは何なのだろう?――と考えざるを得なくなる。
 つまり、それくらい完膚なきまで「映画」な作品なのである。
 たとえば、野村芳太郎監督の『砂の器』は日本映画史に燦然と輝く傑作だと思うし、ソルティの生涯映画ベスト20に入れるのにやぶさかでないけれど、『砂の器』と『リンダ リンダ リンダ』のどちらがより「映画」か?――と問われたら、即座に後者を上げるだろう。

 一つ一つのショットの素晴らしさ!
 冒頭のシーンで、教室が並らぶ廊下を少女が友人を探しながらひたすら歩く長回し。
 いっぱしの映画青年なら、トリュフォーの『大人は判ってくれない』やジム・ジャームッシュの『ダウン・バイ・ロー』からの引用がどうたらこうたらと語りだしそうだが、単純になによりもその楽天的なる平行運動が心地良いのである。
 校舎の谷間から見える空、誰もいない駐輪場、番号の付いた木製の下駄箱を映す固定の空ショットも、小津安二郎の影響がどうたらとか『コロンバス』のコゴナダ監督との関連とか、蘊蓄を語ればキリなかろうが、なによりも虚を突かれる衝撃があるのである。
 物語の筋とは直接関係ないところで紡ぎ出される映像の遊びこそが、映画の映画たるレーゾンデートルである。

IMG_20220316_002720

 内容的にも、大人の男の監督が、かくも鮮やかに思春期の少女たちを描けるものかと感心してしまう。
 少女が主役の『天然コケッコー』でも感じたが、山下敦弘監督はかなりフェミニン(乙女)なところがある人なのではなかろうか? 
 少女たちの恋、友情、憧れ、反目、挑戦、怠惰、恥じらい、孤独、プライドなどが見事に活写されている。

 物語的には、4人の女子高生が高校生活最後の学園祭でバンド演奏するまでのいきさつを描いているに過ぎない。
 非常に凡庸な、どこにでもある話である。
 凡庸な監督がこれを撮ったら、まったく退屈極まる、知人の結婚式の記録ビデオのようなものになるだろう。
 ところが、実にフレッシュで心騒がす感触がある。
 凡庸な話を凡庸のままで終わらせるか、それとも観る者にまったく新しい体験を与えることができるか、そこに「映画でないもの」から「映画」をより分ける鍵があるのだろう。




おすすめ度 :★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損





 




記事検索
最新記事
月別アーカイブ
最新コメント
ソルティはかたへのメッセージ

ブログ管理者に非公開のメッセージが届きます。ブログへの掲載はいたしません。★★★

名前
メール
本文