ソルティはかた、かく語りき

首都圏に住まうオス猫ブロガー。 還暦まで生きて、もはやバケ猫化している。 本を読み、映画を観て、音楽を聴いて、寺社仏閣に詣で、 旅に出て、山に登って、瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

●映画・テレビ

● 鶴は忘れない 映画:『沈まぬ太陽』(若松節朗監督)

2009年角川
202分

沈まぬ太陽

 原作は山崎豊子の同名小説
 1985年8月12日に起きた日本航空(JAL)123便墜落事故をモデルとしている。
 
 いろいろな意味で映画化困難と思われたものを、よく実現させ、このレベルまで仕上げたなあというのが率直な感想。
 角川映画と若松監督の執念を感じる。 
 未曽有の飛行機事故の悲劇、会社組織に振り回される一サラリーマンの悲哀と矜持、欲と利権まみれの腐敗した経営陣や官僚や政治家。
 山崎が文庫5冊分かけて描き切った幅広いテーマを、いずれも大きく損なうことなく、バランスよくまとめあげた脚本(西岡琢也)も見事である。
 原作とは違って、冒頭に123便の墜落シーンを持ってきている。
 そこでぐっと映画に没入した。
 最後の瞬間に乗客らが機上で書いた家族へのメッセージは、涙なしで聴けない。
 制作にあたって若松監督は、日本航空側の弁護団から二度ほど、「名誉棄損の恐れや遺族の感情を無視した商業主義的行為」として警告を受けたという。
 「どの口が言う」という慣用句の使用例として、これ以上ピッタリなものはなかろう。

  一番の見どころはやはり役者の演技。
 まず、主役・恩地元を演じる渡辺謙が素晴らしい。
 200分超える長尺を最後まで支えきれる堂々たる風格と重厚な演技。
 共演者と息を合わせるのも上手い。
 国際級のスターであるのも頷ける。
 
 渡辺と対立するライバル社員・行天四郎役の三浦友和。
 立身出世しか頭にない非人情な憎まれ役を、繊細なタッチで演じている。
 三浦の場合、ルックスの良さでかえって損している気がする。
 悪役をやってもなんだかカッコイイのである。
 この行天という男は、さしずめ『白い巨塔』の財前五郎に相当すると思うが、このような冷徹な人間になった背景が描かれていない。(原作ではどうだったか覚えていない)
 そこが少し匂わされると、人物像に深みが出るのだが・・・。

 心の底では恩地を敬愛しながらも、行天の悪巧みに協力していく八木を演じる香川昭之も上手い。
 組合の若き闘士から卑小な裏切り者に転じるこの役、おそらくもっとも演じるに難しい。
 そこにリアリティを与える香川の実力は、やっぱり血筋を思わせるに十分だ。
 
 墜落事故で娘夫婦と孫を亡くした遺族に扮するは宇津井健。
 都会のインテリ的なイメージが強いので、大阪弁を話す好々爺の姿は最初のうち違和感があった。
 が、やはりベテラン役者。
 老いたる自身をありのままに曝け出して、愛する家族を失い絶望しやつれ果てた遺族の悲哀を滲ませている。
 作品に品格をもたらす役者である。

 品格と言えば、石坂浩二。
 墜落事故後、世間から非難の矢を浴び経営的にも行き詰った国民航空を立て直すため、総理じきじきの指名を受けて会長を引き受けた敏腕経営者・国見正之に扮する。
 つくづく、石坂は役に恵まれた人と思う。
 金田一耕助、大河ドラマの上杉謙信・柳沢吉保・源頼朝、『細雪』の貞之介、水戸黄門・・・・。
 いい役ばかり回されるのは、持って生まれた何かがあるのだろう。
 汚れ役や悪役に挑戦できないのは、役者としては忸怩たるものがあるのかもしれないが。

 ほか、総理大臣役の加藤剛の“老いてなお”の二枚目ぶり、恩地の妻役の鈴木京香の上品な色気、国航商事会長役の西村雅彦の絵にかいたような業突く張りが印象に残った。

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Rudy and Peter SkitteriansによるPixabayからの画像

 本作では山崎豊子の原作どおり、国民航空の墜落原因を修理ミスによる機体後部の圧力隔壁の損壊としている。
 それはそのまま、モデルとなった日本航空(JAL)123便の墜落原因として公式発表されたものであった。
 山崎の小説は、組織の上層部の腐敗と組織内の風通しの悪さが、このような現場のミスを引き起こす要因になったことを示唆していた。
 しかるに、森永卓郎著『書いてはいけない』によれば、JAL123便の墜落原因は機体の不備によるものではなく、まったくの外的要因の可能性が高いと示唆されている。
 すなわち、外部から発射された何かが、123便の尾翼を直撃し破壊したというシナリオである。
 もし、それが真実であれば、123便墜落事故のすべてが引っくり返り、JALの責任は圧倒的に軽くなる。
 いや、JALもまた被害者ということになる。

 山崎豊子の原作はフィクションと謳われており、登場する人物や団体は架空の物とされているので、たとえJAL123便の墜落原因が現在我々が公式見解として受け止めているものと違ったところで、作品としての価値はいささかも失われるものではない。
 この映画の価値も同様に。

 39年前の御巣鷹山の墜落現場の火はいまだに燻っている。
 520名の犠牲者がいまだ成仏できていないとしたら、あまりにむごい。

花札の鶴




おすすめ度 :★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損


● ルリ子の無駄遣い 映画:『赤いハンカチ』(舛田利雄監督)

1964年日活
98分

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 石原裕次郎主演の犯罪アクションロマン。
 1962年にヒットした裕次郎の同名の歌をモチーフに制作されたもので、映画の中では裕次郎がギターを弾きながらこの曲を歌っている。
 なので、いつ赤いハンカチが出てくるんだろう?――と思っていると肩すかしを食らう。
 赤いハンカチも木綿のハンカチーフも真っ赤なスカーフも小道具としては出てこない。

 元刑事を演じる裕次郎、親友で同僚だった二谷英明、二人の間を揺れ動く浅丘ルリ子、三者ががっちり組み、そこにベテラン刑事役の金子信雄が執拗に絡む。

 役者レベルで言えば、金子信雄の圧勝である。
 ちょっと陰険な感じのする有能な古狸といったキャラクターを見事に作り上げている。
 声だけ聞くと、アルフレッド・ヒッチコックやTVドラマ版『名探偵ポワロ』のエルキュール・ポアロ(演・デヴィッド・スーシェ)の吹き替えをした熊倉一雄そっくり。

 二谷英明はまずまず。
 もっと上手く演じられる役者だと思うのだが、主役の裕次郎を引き立てるため、力を抑えたのかもしれない。
 吉永小百合主演『青い山脈』を見れば、そういった引きの演技、受けの演技、分をわきまえた演技ができる人だと分かる。

 裕次郎は下手糞だが、これはこれでよい。
 大スター石原裕次郎は裕次郎以外のものになれないし、なってはいけない。
 当時の観客は裕次郎その人を見に来たのであって、裕次郎が演じる凡庸な市井の誰かを見たいわけではなかった。
 吉永小百合や高倉健がそうであるように、「なにをやっても裕次郎」で正解。
 少なくとも日活にいた間は・・・。
 演技はともかく、歌のうまさに驚く。
 裕次郎(演じる元刑事)が、北国の飯場(はんば)でギターの弾き語りをするシーンがある。
 それまで酒を飲んで騒いでいた土方たちは、裕次郎が歌い出すとしんと静まり返って、神妙な顔で歌を聴く。
 スターにここぞとばかりスポットを当てる観客へのサービスショットに違いないのだが、この流れが不自然を感じさせないのだ。
 それは裕次郎の歌の力がはんぱないからで、実際にこの人が目の前で歌い出したら、周りは黙って聞くほかないだろうと納得してしまう。
 そこには人生に疲れた心に浸透する不思議な響きがある。
 
 問題は浅丘ルリ子である。
 汗だくになって工場で働く貧乏長屋の娘から、高価なミンクのコートをまとう優雅な奥様に変貌する浅丘。
 ほっそりしたスタイル、ビスクドールのような整った顔立ち、ファッショナブルな恰好が良く似合う。
 舛田監督は浅丘をこの上なく美しく魅せることに成功している。
 裕次郎と二谷が命を懸けて奪い合うのも無理もないと思う美女ぶりだ。

 しかし、本作を観ている間ソルティの脳裏に浮かぶは、「ルリ子の無駄遣い」という言葉であった。
 後年になって示したように、浅丘は役者として素晴らしいものをもっている。
 三島由紀夫原作『愛の渇き』の悦子や『男はつらいよ』のリリー、蜷川幸雄と組んだ豪奢な舞台の数々、極めつきは天願大介監督『デンデラ』の素顔で勝負した老婆。
 いまだに日活アイドルイメージから抜けられないままでいる吉永小百合と比べると、浅丘ルリ子の役者根性やキャラクター創造にかける気概はすばらしい。
 それが日活時代は、泥臭い男世界に清涼剤として添えられた、よく言えば泥中の蓮、悪く言えばトイレのサワデーみたいな、演じ甲斐のないつまらない役ばかり。
 いわば刺身のツマ。
 もったいないことこの上なかった。

 たとえば、若尾文子における増村保造、岡田茉莉子における吉田喜重、岩下志麻における篠田正浩、原節子における小津安二郎。
 役者としての可能性を最大限引き出してくれる演出家と若い時分に出会えることは、女優にとって最高の幸福であろう。




 
おすすめ度 :★★★

★★★★★ 
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● 狼は生きろ、豚は死ね 映画:『白昼の死角』(村川透監督)

1979年東映
154分

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 高木彬光原作のミステリーにしてピカレスクロマン(悪漢ドラマ)。
 公開時、「狼は生きろ、豚は死ね」のキャッチコピーが話題となった。
 村川透監督は、『蘇える金狼』、『野獣死すべし』など松田優作とのコンビによるハードボイルド映画やTVドラマ『あぶない刑事』の演出で気を吐いた。
 「悪」を描くのが上手い人である。

 本作の主人公鶴岡七郎(演・夏八木勲)も、「悪」のために「悪」を重ねるサイコパスのような男で、東大法学部出身の切れる頭脳を企業相手の手形詐欺に用い、巧妙な手段で巨額な富を手に入れていく。
 一方、私生活では友人を失い、妻や愛人は自殺を遂げ、孤独な人生を強いられる。
 「正義は勝つ」「勧善懲悪」のラストではないので、人によっては受け入れがたいストーリーかもしれない。
 が、「そのようにしか生きられない」鶴岡の哀しい宿縁が、渋く手堅い夏八木の演技と虚無的風貌によって描き出されている。
 実際、犯罪が成功しようが、何億という大金を手にしようが、美しい女たちに命がけで愛されようが、鶴岡はまったく笑顔を見せない。
 鶴岡が破顔一笑する唯一のシーンは、外国人神父が主宰する教会を利用して手形詐欺を働いたが失敗し逮捕された仲間が、件の神父の説教によって改心したと聞いた時である。
 彼は神も悪魔も信じない無神論者なのである。
 映画の中では描かれていないが、おそらくその背景には昭和20年代という時代的要因、すなわち太平洋戦争時の従軍体験や、鶴岡の生い立ちが関係しているのだろう。

 鶴岡を演じる夏八木勲がすばらしい。(この映画の頃は夏木勲と名乗っていた)
 この役者はどちらかと言えば地味な風貌で、脇役で光るタイプだった。
 主役を演じるのを観たのはこれが初めてかもしれない。
 本作はこの人の“生涯の一本”と言っても過言ではなかろう。
 (2012年に園子温監督『希望の国』で主演しているが未見)

 共演者がまた魅力的。
 鶴岡の愛人を演じる島田陽子の美しさ。
 考えてみたら、島田は『砂の器』、『犬神家の一族』、TVドラマ『氷点』、『白い巨塔』など、犯罪ドラマのイメージが強い。
 どこか淋し気な陰のある美人という役が似合っていた。
 銀幕の匂いを感じさせる最後の世代の女優であった。

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島田陽子と夏八木勲

 鶴岡の同窓生にして相棒である九鬼を演じるは、先日81歳で亡くなった中尾彬。
 本作をレンタルしたのは訃報の前で、中尾が出演していることは知らなかった。
 思いがけず、中尾をその代表作によって偲ぶことになった。
 30代の中尾はトッチャン坊やのような初々しさがあり、後年バラエティや池波志乃とのCMで観たようなふてぶてしさはない。
 ただ、さすがに学ラン姿の大学生役はきびしい。

 ほか、鶴岡の妻役の丘みつ子、ひたすらカッコいい「悪」の先輩千葉真一、ガッツ石松、佐藤蛾次郎、コミカル担当の藤岡琢也、長門勇、佐藤慶、鈴木ヒロミツ、成田三樹夫、丹波哲郎、西田敏行、柴田恭兵、嵐寛寿郎、明智小五郎にしか見えない刑事役の天知茂、室田日出男、伊吹吾郎、バーのママ役がはまる沢たまき、音楽も担当しているダウン・タウン・ブギウギ・バンド(宇崎竜童)など、個性的な出演陣に目が眩む。
 プロデューサーの角川春樹、原作者の高木彬光がチョイ役で出ているのは、角川映画のお約束である。

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左より、中尾彬、夏八木勲、竜崎勝

 この映画の時代背景は1950年代の戦後間もない混乱期の日本なのだが、今(2024年現在)観ると、作られた当時つまり1970年代後半の日本の匂いをビンビンと感じる。
 40分に一度はベッドシーンを挿入する脚本のあり方とか、その際に女優の乳首は決して映さないとか、ギャグシーンにおけるお笑いのセンスとか、脂ぎった画面の質感とか、“バブル突入前の昭和”の空気がみなぎっている。
 ソルティは、「なんて70年代の昭和なんだ!」と思いながら観ていた。
 あたりまえと言えばあたりまえの話であるが、歴史ドラマや時代劇というものは、題材となった時代の風俗を描き出すと同時に、制作された時代の価値観や流行を反映する。
 リアルタイムで(本作なら1979年に)映画を観ている人間は、そこになかなか気づかない。
 なぜなら、自分が生きている時代を客観的に見るのは難しいからである。
 79年に本作を映画館で観た人間は、「戦後の日本ってこんなだったんだ」、「昔の人はめんどくさい価値観に縛られていたんだなあ」と思いながら観る。
 しかるに、令和の現在本作を観る者は、そこに2つの時代を重ねつつ見ることができる。
 50年代と70年代と――。
 そして、70年代の日本人もまた、「めんどくさい価値観に縛られていたんだなあ」と知る。 
 昔の映画を観る面白さは、こんなところにもある。





おすすめ度 :★★★★

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● 広末涼子のオーラ 映画:『バスカヴィル家の犬 シャーロック劇場版』(西谷弘監督)

2022年日本
119分

 2019年にフジテレビで放映されていたドラマ『シャーロック』の劇場版作品。
 ソルティはドラマは観ていなかったが、コナン・ドイルの原作の日本的アレンジ(脚色&映像化)とは違って、ホームズとワトスンのキャラ設定だけを借りて、ストーリーはオリジナルだったらしい。
 ホームズになぞらえられるのがフリーの犯罪捜査コンサルタントである誉獅子雄(演・ディーン・フジオカ)、相棒のワトスンになぞらえられるのが元精神科医の若宮潤一(演・岩田剛典)である。

 本作はタイトルが示すように、ドイル原作『バスカヴィルの犬』を原案と謳っており、魔犬らしきが登場する。
 舞台を19世紀イギリスの荒涼とした湿地ダートムアから、現代の瀬戸内海のある島に移し、バスカヴィル家ならぬ蓮壁(はすかべ)家の莫大な遺産が犯行の動機を形作っている。
 しかし、原作との相似を匂わせるのはそこまでで、中味はまったくと言っていいほど違っていた。
 いわば、バスカヴィルの犬は看板。 
 最近問題となっている、著名人の画像を本人には無断で広告に使ったネット詐欺に似ていると思った。
  
 残念ながらソルティは、ホームズを模したはずの誉獅子雄というキャラになんら魅力を感じられず、ワトスンを模した若宮潤一とのコンビにもまったく惹かれるものがなかった。(ディーンと岩田の相性もあまり良くないように見える)
 ベネディクト・カンバーバッチがホームズを、マーティン・フリーマンがワトスンを演じたBBC制作『SHERLOCK』に比べると、脚本の質といい、ミステリーとしての面白さといいい、キャラの魅力といい、ホームズとワトスンのコンビネーションの妙といい、ダンチである。
 シャーロキアンでこの映画に納得する人がいるのだろうか?
 
 途中で観るのを止めようかと思ったが、広末涼子が話のメインに出て来てから幾分面白くなった。
 主役二人を完全に食う広末涼子のオーラはやっぱり凄い。

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 GHIによるPixabayからの画像 





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● 映画:『夜明けまでバス停で』(高橋伴明監督)

2022年日本
91分

 高橋伴明監督の一般映画は、道元の生涯を描いた『禅 ZEN』くらいしか観ていない。
 ピンク映画出身なので、そっちのほうは何本か観ているかもしれない。
 連合赤軍事件を描いた『光の雨』(2001)や『BOX 袴田事件 命とは』(2010)など、いくつか気になる作品がある。
 おいおい観ていきたい。

 1949年生まれの団塊世代、学生運動で早大を除籍されたというプロフィールから分かるように、きほん「左の人」なのだろう。
 本作でも、成田空港建設をめぐって起きた三里塚闘争のかつての闘士(演・柄本明)が登場し、主人公女性に爆弾づくりを教えるシーンがある。
 いまや公園のホームレスであるかつての闘士は、こう呟く。
 「あの闘いをまだ総括できていない」
 これは高橋監督自身の心の声なのかもしれない。

学生運動

 本作は2020年11月に渋谷区幡ヶ谷で起きたホームレス女性殺害事件が元ネタになっている。
 居酒屋でアルバイトしながら天然石アクセサリーを制作販売している40代の三知子(演・板谷由夏)が主人公。
 独り暮らしの三知子は、別れた夫の借金返済など苦しい生活を強いられていた。
 そこをコロナが襲う。
 店は休業せざるを得なくなり、三知子らアルバイトはクビを切られる。
 退職金ももらえなかった。
 ほかに雇ってくれるところも見つからず、家賃が払えなくなり、ついにホームレスに。
 律儀で人に頼るのが苦手な三知子は、福祉の助けも受けず、スーツケースを引きずりながらゴミ箱を漁り、バス停のベンチで夜を明かす。

 ホームレスの世界で、三知子はこれまで会ったことのないような風変りな人々と出会い、これまで耳にしたことのないような人生譚を聞き、目が開かれる。
 自らが、知らぬ間に政府の言う「自己責任」の倫理に縛られていたことに気づく。
 国への憤りに目覚め、一矢報いようとした矢先、バス停で眠る三知子を一人の男が狙っていた。

 三知子役の板谷由夏、および居酒屋のいけすかないマネージャー役の三浦貴大がいい。
 三浦貴大はこれまで注目したことなかった。
 両親(友和&百恵)の血を受けた天性の役者精神を感じる。
 海千山千のホームレスを演じる下元史朗、根岸季衣、柄本明はそれぞれに味があって素晴らしい。
 下元と高橋はおそらくピンク映画時代からの同志だろう。
 『福田村事件』はじめ、こうした反体制的な作品を選ぶ柄本明の心意気を感じる。 
 息子の藤原道長こと柄本佑もどこかに出ているらしいのだが、気がつかなかった。

 いまもコロナは地道に流行っており、コロナ感染がきっかけで亡くなる人も少なくない。
 また、コロナ後遺症の実態が次第に明らかになってきて、裁判になるなど社会問題化している。
 コロナは終わっていない。
 とはいえ、緊急事態宣言の折りにあったさまざまな負の社会現象――たとえば、各地で起きたパニック、感染者やその家族への差別、デマゴギーによる風評被害、大量解雇、ホームレスの増加、病院や介護施設における人権侵害や地獄シフト、アベノマスクe.t.c.――に関しては、ほうっておけば記憶は薄れていく。
 そろそろ総括してもいい頃だろう。
 
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那覇市国際通りのPCRセンター 
 


おすすめ度 :★★★

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● フランキー堺と南田洋子 映画:『幕末太陽傳』(川島雄三監督)

1957年日活
110分、白黒

 この映画、たいへん評価が高い。
 1989年文藝春秋発行『大アンケートによる日本映画ベスト150』では第9位に選ばれている。
 2009年『キネマ旬報』創刊90周年記念「映画人が選ぶオールタイムベスト100・日本映画編」では第4位に選ばれている。
 45歳という若さで世を去った川島雄三の代表作として、また50年代日本映画黄金期の傑作の一つとして、すでに揺るぎない地位を占めている。
 
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 ソルティは20代にレンタルビデオ店で借りたVHSテープで観たのだが、画質も音声もあまりにひどく、最初の30分くらいで観るのを止めてしまった。
 その最初の30分がまた、ちっとも面白くなかった。
 舞台となっているのは幕末の品川宿の遊郭なのだが、物語がなかなか始まらない。
 遊郭の女郎たちと客たちが馬鹿騒ぎし、むさ苦しい侍たちが一部屋にこもってなにやら密談めいたことをしている。
 侍の一人を演じているのが石原裕次郎。
 侍姿がまったく板につかず、観ているこちらの怒りを呼ぶほど芝居が下手。
 大物を気取る馬鹿笑いにも辟易させられた。
 本作品に対する個人的印象は最悪で、再度鑑賞する気も起きなかった。
 
 ソルティは近所のゲオで映画を借りているのだが、行くたびにDVDコーナーが縮小され、陳列棚の作品が減っている。
 オンライン配信が主流の時代、場所代や人件費がかかる店舗は採算が合わないのだろう。
 たしかに、いつ行っても客は数えるほどしかいない。
 とりわけ若者の姿をほんとうに見かけなくなった。
 アダルトDVDコーナーをたまに覗くと、ネットを使いこなすのが不得手そうな高齢男性ばかりが品定めに熱中している。
 ライバルのTUTAYAも閉店が相次いでいる。
 お店で観たい映画を探してレンタルする時代は、終わりを告げるのだろう。
 たくさんの作品が並ぶ棚のあいだを渉猟して、思いがけない傑作や怪作や珍作を発見するのが大きな楽しみだったのに・・・。
 またひとつ昭和が遠ざかる。

 そんなわけで、次に来店した時にはこの昭和の旧作も置いてないかもしれない。
 いや店自体も、無くなっているかもしれない。
 そう思って、35年ぶりに本作をレンタルした。

 さすがに令和。
 画質や音声は信じがたいほど向上していた。
 つまらないと思った最初の30分を超えて、最後までしっかり観ることができた。
 物語がなかなか始まらないと思ったのには無理もなく、これはグランドホテル形式の作品なのだった。
 グランドホテル形式というのは、グレタ・ガルボ主演『グランドホテル』(1932年)から取られた言葉である。
 通常の映画のように、特定の主人公をめぐる一つの物語を描くのとは違って、ホテルのような大勢の人が集まる場所で、複数の登場人物のそれぞれの人生ドラマを同時並行的に描いていく形式である。
 そういう意味では、真の主役はさまざまな物語の舞台となる遊郭『相模屋』である。
 『相模屋』に集まるさまざまな人々――女郎、店の主人一家、雇い人、出入りの商人、常連客、尊王攘夷を企む藩士たち、博打で作った借金のカタに娘を女郎屋に売ろうとする親父など――が巻き起こす悲喜劇が、全般的に滑稽なタッチで描かれる。
 『三枚起請』、『品川心中』といった古典落語のネタがいくつかのエピソードのもとになっているところからわかるように、幕末当時の遊郭をリアリズムの視点で描いた歴史映画あるいは風俗映画と言うのとは、いささか趣きが異なる。
 作品全体が一本の落語のようなのだ。
 
 その中で狂言回しとなるのが、肺病持ちで手先の器用な佐平次、演じるはフランキー堺である。
 これが一世一代の名演。
 三枚目で、剽軽で闊達自在、図々しく抜け目ない、典型的“陽キャ”の明るさの裏に死を見据えている、複雑で魅力的な人物像を造り上げている。
 佐平次の生きることへの執着は、筋萎縮性側索硬化症(ALS)に冒されていた川島監督自身の分身ゆえなのだろう。
 人気一番の女郎こはるを演じる南田洋子も清々しいまでのなりきり演技。
 女優としてはあまり目立たなかったが、南田は美人だし、色っぽいし、芝居も上手い。
 『青い山脈』の芸者梅太郎や『ハウス』の妖怪女主人なんか、とても良かった。
 ライバル女郎おそめ役の左幸子とのつかみ合いの大喧嘩シーンは見物である。(ここのキャメラは上手い)

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左から、南田洋子、左幸子、フランキー堺

 ほか、相模屋の主人夫婦の金子信雄と山岡久乃、やり手ばばあの菅井きん、おそめと心中未遂するあばたの金造の小沢昭一など、芸達者な役者陣が脇をしっかり締めている。
 一方、日活アクション映画からの出演組――石原裕次郎、芦川いづみ、岡田真澄、二谷英明――は、時代劇の空間から浮き上がって、芝居的には見るも無残。(小林旭だけは溶け込んでいる)
 が、そのチグハグぶりが、遊女の人身売買の悲惨や、高杉晋作ら尊皇攘夷志士の狂気といった社会的リアリズムに陥ることから作品を救い上げ、監督の狙い通りの適度なスラップスティック人情ドラマの領域に保持させている。
 
 35年ぶりに観たら、面白かった。
 よくできていると感心した。
 けれど、これが日本映画オールタイムベスト10位以内ってのは、いくらなんでも持ち上げすぎ。
 夭折の天才・川島雄三および石原裕次郎の名前にほだされた選者が多かったためではなかろうか?
 まあ、50位以内なら納得しないでもない。
 川島なら若尾文子と組んだ『しとやかな獣』が一番ではないか。





おすすめ度 :★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
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● 昭和20年代の銀座 映画:『銀座化粧』(成瀬巳喜男監督)

1951年新東宝

87分、カラー


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 神保町シアターで鑑賞。

 銀座のバーで働く子持ちの女性・雪子(田中絹代)を主人公とする風俗映画。


 それなりの稼ぎある堅気の男と結婚し、子供を産み育て、幸せな家庭を作る。

 そういった世間一般の“普通”の女性が夢見、辿っていく“普通”のコースからはずれてしまった水商売の女の苦労を描いているぶんには、悲劇とは言えないまでも、社会派リアリズムの深刻さをまとっているのだが、全編ユーモアラスなタッチであり、ときに観客の笑いを引き出すような楽しい作品に仕上がっている。

 雪子が持っている藤村詩集をみた家主が、雪子の前夫である藤村さんの「詩集」と勘違いするくだりや、田舎から出てきた真面目な青年をもてなすために水商売の女であることを隠し戦争未亡人になりすますエピソードなど、客席で吹きだすことたびたび。

成瀬巳喜男がこれほど滑稽映画がうまいとは知らなかった。

 

昭和20年代半ば、戦後まもない銀座の風景が“新鮮”。

和光こそ、今の位置(銀座4丁目交差点)にあって今の時計台の風情を伝えているなあと思って観ていたが、戦後和光ビルはGHQに接収され、195212月まで服部時計店は銀座5丁目の仮営業所で営業していたという。

本作に登場する和光はGHQ所有下にあったのだ。

銀座通りを都電が走り、賑やかなビル街をちょっと抜ければ、朝顔・打ち水が似合うような下町が広がり、たくさんの子供たちが路上を駆けまわり、築地にある旅館から見上げる夜空には北斗星はおろかアンドロメダやカシオペアが輝く。

高峰三枝子主演の『懐かしのブルース』同様、本作でも東野英二郎がいやらしい戦後成金・菅野を演じていて、お金を融通してあげる代わりに雪子を抱こうと画策する。

欲望丸出しの菅野が雪子を引っ張り込んだのは、彼の会社の倉庫。

旅館を使うのがもったいないからと倉庫の中で××しようという下卑た根性が笑わせる。

(結局、雪子に逃げられてしまうのだが)

 

雪子の妹分のホステス京子を演じるのは当時二十歳の香川京子。
 そのホステスらしからぬ清らかな美しさは眼福ものであるが、やっぱり、本作で深く印象に刻まれるのは、田中絹代の巧さである。

年下の真面目な青年に惹かれ新たな恋を予感する中年女の心情。

それが妹分の京子に奪われていく際の嫉妬とせつなさ。

行方不明になった息子を必死に探す母親の狂おしい表情と、無事見つかったときの怒りと安堵と喜びが入り混じった複雑な表情。

田中の表情演技は、観る者に雪子の心のありようをまざまざと伝える。

まさに至高の芸がそこにある。

銀座化粧
田中絹代と香川京子
(ウィキペディア『銀座化粧』より転載)




おすすめ度 :★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損






 

 

● 昭和10年代の東京湾岸 映画:『東京の宿』(小津安二郎監督)

1935年松竹

80分、白黒、サイレント(音楽付き)


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 神保町シアター「戦前戦後 東京活写」特集にて鑑賞。

 1926年に監督デビューした小津安二郎がサイレントからトーキーに乗り換えたのは、1936年『鏡獅子』(記録映画)、『一人息子』であった。

 本作はフィルムが残っているものとしては小津の最後のサイレント映画であり、すでに自家薬籠中のものとなったサイレントのテクニックがあますところなく活用されている。

 くわえて、ローポジションカメラ、無機物のみの空ショット、対話する人物の切り返しショットなど、後年トレードマークともなった小津スタイルの片鱗があちらこちら散見されて興味深い。

 監督名を知らされずに本作を観たとしても、多くのベテラン邦画ファンは、これを小津作品と見抜くであろう。

 もっとも、主演が坂本武で、息子役の一人が突貫小僧ときては、正体を見抜くのは難しくあるまいが。


球形のガスタンクや工場が点々と並ぶ砂漠のような光景は、1930年代の東京湾岸の埋立地という。

猿江という地名が出て来るので、今の江東区あたりだろうか。

そのがらんとした無味乾燥な景色の中を、失業中の喜八(坂本武)と息子二人がとぼとぼと歩いて行く。

 仕事の口がなかなか見つからず、今夜の泊りも見知らぬ人との雑魚寝が基本の木賃宿。

 これは一介の貧しい庶民の物語なのである。

 原作者のウィンザード・モネは、小津安二郎、池田忠雄、荒田正男の合体ペンネーム(without moneyをもじったもの)というから、小津自身、生活費の工面に苦しんでいた頃だったのかもしれない。

 

 喜八親子は、同じく失業中の母子に出会う。

 この母親役が岡田嘉子。

 若い頃から数々の浮名を流し、撮影中に共演者と駆け落ちするなど奇行を重ね、挙句の果てには共産主義者の愛人とソ連に逃避行をはかったスキャンダル女優の花形である。

 たしかに美人であるし、演技も上手い。

 演出や演技のレベルではなしに、男に庇護心を起こさせる魔力がうかがえる。

 それはヴァンプ女優のわかりやすい色気とはまた違う、しいて言えば、若い頃の大竹しのぶのような「脆弱さを装ったしたたかさ」。

 岡田が持つこのような個性が、本作の役柄に活かされている。

 この女優について調べたくなった。

 

 坂本武、突貫小僧、飯田蝶子、それぞれ名演である。

 突貫小僧は、『博多っ子純情』の六平少年(光石研)を想起させる。


突貫小僧
突貫小僧こと青木富夫




おすすめ度 :★★★

★★★★★
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● 映画:『キリング・オブ・ケネス・チェンバレン』(デヴィッド・ミデル監督)

2019年アメリカ
83分

ケネスチェンバレン


 2011年11月29日にニューヨーク州ホワイトプレインズで実際に起きた、白人警官による黒人射殺事件に基づいて制作された社会派スリラー。
 殺された黒人が、68歳独り暮らし元海軍所属のケネス・チェンバレンであった。

 双極性障害(躁うつ病)と心臓病を持つケネスは、セキュリティ会社と契約し、緊急の場合に胸のペンダントのボタンを押せばオペレーターとつながる医療用警報装置を身につけていた。
 その日の早朝、ベッドで寝ていたケネスは、自分で気づかぬうちに誤ってボタンを押してしまう。
 オペレーターは専用の通話装置を通してケネスに呼びかけるも応答がなかったため、手順通り警察に通報した。
 ケネスのアパートに3人の警官が駆けつける。
 ケネスは誤報だったことをドア越しに警官に説明するが、警官はそれを信じず、「ドアを開けろ」と要求する。
 過去のトラウマから警察に不信感を抱くケネスは拒否の言葉を繰り返す。
 激化した問答の末、警官らは救急隊を呼び寄せ、ドアを破っての強制立ち入りを実施する。
 部屋に押し入った警官の一人は、ケネスに2発の銃弾を浴びせ、殺してしまう。

 一枚のドアをはさんだ警官らとケネスの緊迫したやりとりが上映時間の大半を占める。
 この簡単な設定だけで、これだけのサスペンスとドラマを生む演出と役者たちの演技力、そして何より事実そのものが持つ迫力に圧倒される。
 警官たちの職業意識と人種偏見と傲岸さ、ケネスの警察に対する不信感と精神障害と頑固さ。
 ちょっとしたボタンの掛け違いで始まったものが、次第に双方激してきて、暴力沙汰となり、最悪の結末を迎えていく。
 アメリカの人種問題の根の深さを思うと同時に、人と人とのコミュニケーションの難しさを痛感する。

 白人の警官や消防隊員らは、精神障害や心臓病を持つ相手しかも高齢の黒人に対して、もっともしてはならない対応の仕方を、あたかも反面教師のように取り続ける。
 正義の名のもとに。疑わしいという理由だけで。
 ソーシャルワーカーのはしくれであるソルティが観ても、事態を悪化させることが目的としか思えないまずい対応の濫発だ。
 3人の警官のうち元中学校教師だった新米の一人だけが、事態をおかしいと感じる知性を持ち、ひとり裏に回って窓からケネスとコミュニケーションをとろうと試みる。
 が、ケネスの説得に成功しそうなところで、警察仲間からの邪魔が入って、事態は悪化してしまう。
 警察や消防隊のようなマッチョ文化はびこるピラミッド型の組織にあっては、それがどんなに合理的で侵襲性の少ないものであっても、部下のスタンドプレイは許されないし、うまく機能しないのである。
 問題の一端がアメリカ社会の根強いマッチョ文化にあることは明白だ。 
 まず間違いなく、強行突破に出た警察や消防隊の男たちは共和党支持者だろう。

 ケネスを演じるフランキー・フェイソンが役者人生を賭けたような渾身の演技を披露している。
 彼がなぜオスカー(アカデミー主演男優賞)の候補にすら挙がらなかったのか。
 作品もまた候補に挙がらなかった。
 理解に苦しむ――と言いたいところだが、それがまさにアメリカ社会の現実を表しているのだろう。





おすすめ度 :★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
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● 愛おしき、連ちゃん 映画:『本日休診』(渋谷実監督)

1952年松竹
97分、白黒

本日休診

 原作は井伏鱒二の同名小説。
 戦後間もない東京のある町で病院を経営する初老の医師三雲八春。 
 戦争で一人息子を失った男やもめの彼は、甥を後継者として迎えていた。
 今日は待ちに待った休診日。
 甥っ子はじめ看護婦らは熱海に遊びに出かけ、三雲は手伝いの婆やと共にお留守番。
 ゆっくり寝て過ごそうと思っていたのに、そうは問屋が卸さない。
 急患につぐ急患で、三雲は医療カバンを手に町を走り回るのであった。

 黒澤明『赤ひげ』同様の「医は仁術」をモットーとする医師の人情ドラマ。
 加えて、1950年頃の日本の庶民の実相を、患者の姿を通して映し出す風俗ドラマでもある。
 女のために彫った入れ墨をとってほしいと泣きつく学生、いまから小指を切るから麻酔を打ってくれと詰め寄るヤクザ、そのヤクザに貢がされ流産して肺を病む女、川に浮かぶダルマ舟の中で酸欠寸前の妊婦、治療費がなくて怪しげな薬草を病人に与える廃列車に住む貧乏一家、上京したばかりでチンピラ夫婦にだまされ強盗されたあげく強姦された女・・・・。
 その合間にも、かつてお産を助けた親子がお礼にやって来るわ、戦争後遺症で頭のおかしくなった近所の男の面倒を見なければならないわ、逮捕されたチンピラ夫婦の仮病を暴くため警察に出向かなければならないわ・・・・と開院日以上に目まぐるしい一日。
 日本は貧しかった。
 衛生状態はひどかった。 
 治安は悪かった。
 概して人はおせっかいで活力に満ちていた。

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医師三雲役の柳永二郎(左は暴行された女性を演じる角梨枝子)

 出演者の顔触れがすごい。
 医師三雲を演じる柳永二郎ほか、長岡輝子、三國連太郎、淡島千景、角梨枝子、田村秋子、佐田啓二、鶴田浩二、中村伸郎、十朱久雄、岸惠子など。
 岸惠子は本作後に、一世を風靡したすれ違いメロドラマ『君の名は』で佐田啓二の恋人を演じた。
 実生活では鶴田浩二とつき合うことになる。
 ここでの3人の顔合わせが面白い。
 婆やの息子で戦争後遺症で頭のおかしくなった男を、デビュー2年目の三國連太郎が演じている。
 これが光っている。
 決して上手い芝居ではないが、三國の洋風な二枚目ぶりとひたむきな演技が愛おしさを感じさせる。
 思わず、「連ちゃん!」と呼びかけたいほど。
 ヤクザの情婦を演じる淡島千景が美しい。
 これだけバラエティ豊かな役者たちを使いこなす渋谷監督の腕前は言うも愚か。

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看護婦役の岸惠子

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連ちゃん、こと三國連太郎
 
 上映当時のジャンル枠としては、おそらく、「下町ほのぼのユーモア人情ドラマ」ってところだと思うのだが、令和コンプライアンスを通してみると、悲惨この上なく、法令やぶりと各種ハラスメント凄まじく、“不適切にもほどがある”ことばかり。
 レイプされた女性に対する周囲の扱いなんか、今では考えられないくらい粗雑。
 本人に向かって、「ぬかるみに踏み込んで一張羅の着物をちょいと汚したもの」と思いなさいって・・・・。
 一方で、ツケの効く医師の存在や貧乏長屋の助け合いのような、今では失われてしまったものもある。
 戦後日本がどこから始まったかを知るのは面白い。





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