ソルティはかた、かく語りき

東京近郊に住まうオス猫である。半世紀以上生き延びて、もはやバケ猫化しているとの噂あり。 本を読んで、映画を観て、音楽を聴いて、芝居や落語を見て、旅に出て、山に登って、仏教を学んで瞑想して、ボランティアして、デモに行って、無いアタマでものを考えて・・・・そんな平凡な日常の記録である。

映画

● ロマンチックが止まらない 映画:『ラ・ラ・ランド』(デミアン・チャゼル監督)

2016年アメリカ

 記事のタイトルは、1985年1月にリリースされたC-C-Bのシングル曲。
 中山美穂と木村一八主演のちょっとエッチな性春ドラマ『毎度お騒がせします』(TBS系列)のテーマソングであった。
 ドラマの内容から言えば、「妄想が止まらない」に近かったが・・・。
 
 『ラ・ラ・ランド』こそ、まさにロマンチックそのものである。
 このITとスピードの殺伐とした時代に、かくもロマンチックで純粋なミュージカル映画が作られ、それが大ヒットし、数々の賞を受賞するとは意外であった。
 いや、この夢も希望も恋も語りづらい時代だからこそ、受けたのだろうか?
 
 主演の恋人たち、ライアン・ゴズリングは『ブレードランナー2049』ではじめて観て、トム・クルーズやブラピ系列の“イケメンだけれど演技は今一つ”の男優かと思っていたが、本作で認識を改めた。
 非情に繊細な演技ができる本格派であった。
 オスカーも近いのではなかろうか。
 一方のエマ・ストーン。
 演技は申し分ないが、歌がまずい。
 わざと下手に歌っているのかと思うほど。
 昔のハリウッドだったら吹き替えを使うところではなかろうか?
 二人の相性はぴったりである。

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ライアン・ゴズリングとエマ・ストーン
 

 色彩豊かでカメラ回しも面白く、『雨に唄えば』など50年代のミュージカル映画を思わせるレトロでポップな雰囲気と、ゲイ受けしそうな陽気でキャンピーなノリと、CGを使った魔術的なタッチとがうまい具合に調合されている。
 そのうえに抜群の音楽センス。
 チャゼル監督の紛うことない才能が証明されている。
 
 コロナ禍のいま、ショービズ関係で働く人たちが困窮している。  
 生活面の困難はもとより、舞台や音楽や芸能が「不用不急」の烙印を押されてしまうことは、そこで生きる人たちの誇りを傷つけ生きがいを奪うだけでなく、社会から夢を見る力を剥奪しかねない。  
 そんなことを気づかせてくれる映画である。



おすすめ度 :★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損






● 映画:『盲目のメロディ ~インド式殺人狂騒曲~』(シュリラーム・ラガヴァン監督)

2018年インド
138分、ヒンディー語

 いつものごとく長~いインド映画であるが、本作については長さをまったく感じなかった。
 発想が面白く、脚本に優れ、役者陣も魅力的、インド歌謡とピアノをミックスさせた音楽もいい。
 第一級のスリラー&ブラックコメディに仕上がっている。

 盲目のピアニストが殺人現場を2度も“目撃”してしまう――というくらいなら他にも似たような先行作品はあろうが、このピアニストが実は盲目を騙っていたというところが秀逸。
 「犯人を知っている。現場を見た」と証言すれば、「見えていない」と言ってこれまで恋人や周囲をだましていたことがバレてしまう。
 それでも良心にしたがって警察に出向いたピアニストを待っていたのは、衝撃の事実!
 「見えていない」と思われたから殺人犯に見逃されていた命が、「実は見えている」と分かって一転窮地に陥っていく。
 あとは息つくヒマないどんでん返しの連続で、最後に待っている衝撃の伏線回収まで一気呵成。
 
 インドの底知れないパワーと暗部、インド人のバイタリティと現実主義、インド映画(ボリウッド)の質の高さと幅の広さを伝えてくれる映画である。


ウサギ
ウサちゃんが一つのポイント



おすすめ度 :★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損




● 映画:『猫と庄造と二人のをんな』(豊田四郎監督)

1956年東京映画
103分、モノクロ

 東京映画なんてレーベルがあったことを知らなかった。
 1952年~1983年に存在した東宝系の制作会社だったらしい。
 森繁久彌、伴淳三郎、フランキー堺の三人が主演の「喜劇駅前シリーズ」が最大のヒット作とか・・・。(ソルティ未見)

 原作は谷崎潤一郎の同名小説であるが、これまた未読。
 だが、“いかにも”な谷崎文学の刻印が見られる。
 強く美しい女の尻に敷かれる優柔不断な男とか、その男が若い女の脚フェチであるとか。
 つまり、マゾヒズムの匂いがそこここに漂っている。
 タイトル通り、猫を溺愛する男の話なのであるが、言われてみれば、躾けるのが好きなサディストは犬好き、振り回されるのが好きなマゾヒストは猫好き、といった傾向はあるかもしれない。
 とはいえ、同じ谷崎原作の『刺青』や『瘋癲老人日記』や『』のようなあからさまな変態映画ではなくて、関西の海辺の田舎町を舞台にした人情喜劇である。

 タイトルの「二人の女」は、実際には「三人の女」が正しかろう。
 ぐうたらを絵にかいたような甲斐性なしの庄造(=森繁久彌)をめぐる三人の女、すなわち、母親(=浪花千栄子)、前妻(=山田五十鈴)、後妻(=香川京子)の愛憎や嫉妬や意地や欲得の入り混じった壮絶バトルが見どころである。
 三者とも甲乙つけがたい名演で、役の上での闘いとともに、女優としての火花もバチバチ散っている。

 おちょやんは本当に、名作と言われるほどの映画なら必ず顔を出しているなあと感心する。喜劇センスは言うまでもない。鶏小屋に隠れるシーンなど爆笑もの。
 山田五十鈴は、未練・嫉妬・意地・驕慢・可愛さ・怒りなど、女の様々な感情を表情豊かに描き出して見事の一言に尽きる。
 香川京子はいつもの清楚で従順な女性といったイメージを覆すアプレ女(今で言うならギャル)になりきって、伸びやかな裸の足を惜しげもなく庄造役の森繁の前に差し出している。
 この三女優それぞれの熱演をしっかり受けとめて、なおかつ主役としての存在感と個性と色気を失わない森繁はやはり一級の役者である。
 
 ラピュタ阿佐ヶ谷にて鑑賞す。

 

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congerdesignによるPixabayからの画像


おすすめ度 :★★★

★★★★★
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★★    いい退屈しのぎになった
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● ユダヤのフェミニズム 映画:『ザ・ゴーレム』(ドロン&ヨアブ・パズ監督)

2018年イスラエル
95分

 イスラエル(ユダヤ教圏)のホラー映画を観るのは初めて。
 舞台は17世紀中期のユダヤ系コミュニティ。
 いまだ迷信がはびこる時代である。

 『アンダー・ザ・シャドウ』(ババク・アンバリ監督、2018)に見るように、イスラム教圏の代表的なモンスターと言えば精霊ジンであるが、ユダヤ教でそれに相当するのがゴーレムである。
 ウィキによるとゴーレムは、「ユダヤ教の伝承に登場する自分で動く泥人形」で「ヘブライ語で胎児を意味する」。また、「作った主人の命令だけを忠実に実行する」という。
 なんとなく既視感があるのだが、それはドラクエに登場するキャラの一つだからではなく(ソルティはドラクエをやったことがない)、子供の頃に好んで観た大映の『大魔神』を思い出すからなのだ。
 それもそのはず、大魔神は、チェコスロバキア映画の『巨人ゴーレム』(1936年、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督)をヒントに制作されたのであった。
 『ハクション大魔王』のランプの精と言い、『バビル二世』のポセイドンと言い、スフィンクスデザインの『ジャイアント・ロボ』と言い、結構幼い頃に夢中になって見たテレビ漫画や映画の中に、国際的なエッセンスがたくし込まれていたのを思い知る。


ゴーレム
ゴーレム


 この映画のミソは、ゴーレムと言う言葉から想像される巨大な泥人形が出てくるかわりに、可愛らしい少年がその正体であるところ。
 しかも、その少年ゴーレムをカバラの秘術によって創造したのは、幼い息子を水難事故で亡くした女、ハンナなのである。 
 少年ゴーレムはハンナと一心同体で、ハンナの思いを感じて行動し、ハンナの言うことだけを素直に聞く。

 そのせいか、この作品はユダヤ教文化圏の家父長的で男尊女卑の社会に対する一種のアンチテーゼのようにも読める。
 「女の使命は子供を産むことだ。それをしない奴は神に反している」なんて、どっかの国の国会議員が地方講演でポロリと口にしてあとからネット炎上しそうなセリフが出てくる。
 そんな言葉で夫や義父に日々責め立てられているハンナが、泥から少年ゴーレムを造り上げ、村を責めてくる外敵を追い払い、男たちを見返すのである。
 女子供の勝利だ。

 しかるに最後は、外敵を全滅させた少年ゴーレムはコントロールが効かなくなって、村人たちもまた手に掛けてしまう。
 ハンナは泣く泣く少年ゴーレムの口から呪文の書かれた羊皮紙を取り出し、少年をあとかたもなく砂に返し、生き残った夫と共に灰燼と化した村をあとにする。

 ラストシーン。
 捨てられた羊皮紙を拾ったのは、やはり生き残った少女。
 女から女へ、意志が継承される。
 このフェミニズムっぽさ、やはり現代映画である。



おすすめ度 :★★★

★★★★★ 
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● 映画:『河内山宗俊』(山中貞雄監督)

1936年日活
87分、白黒

 河内山宗俊(宗春とも)は実在した江戸時代後期の茶坊主にして侠客。

茶坊主とは、将軍や大名の周囲で、茶の湯の手配や給仕、来訪者の案内接待をはじめ、城中のあらゆる雑用に従事した。刀を帯びず、また剃髪していたため「坊主」と呼ばれているが僧ではなく、武士階級に属する。(ウィキペディア「茶坊主」より)

 実際はかなりの悪党だったらしいが、講談や歌舞伎の世界では庶民のヒーロー的存在に祭り上げられた。
 この役を河原崎長十郎が、妻・お静を山岸しづ江が演じている。
 この二人は溝口健二監督『元禄忠臣蔵』でも夫婦役だったが、実生活でもパートナーであった。
 ちなみに、山岸しづ江は岩下志麻の叔母にあたる。

 河内山宗俊に助けられる町娘・お浪を16歳の原節子が演じている。
 映画デビュー間もない原の初々しくも凛とした美貌が光る。
 口舌も可愛らしくて品がある。
 この撮影現場を見学に来たことが、アーノルド・ファンクが原を日独合作映画『新しき土』のヒロインに抜擢するきっかけとなったと言われる。
 「さもあらん」と頷ける原の万国共通のオヤジ殺しの魅力である。

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 音楽は西悟郎という人が担当している。
 驚いたことに、クライマックスのチャンバラ場面でチャイコフスキーの『ロミオとジュリエット』を用いている。
 なんとキッチュな!

 もう一つの驚きは、お浪を吉原遊郭に売ろうと謀る女衒役で加東大介が出ている。
 当時(25歳頃)は市川莚司という芸名だったようだ。
 実に息長く活躍した役者と感嘆した。
 特徴的な顔立ちと演技の巧さは後年のそれと変わりない。
 


おすすめ度 :★★★

★★★★★
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● 唐田えりかを推す 映画:『寝ても覚めても』(濱口竜介監督)

2018年日本、フランス
119分

 先日、第71回ベルリン国際映画祭の審査員グランプリを『偶然と想像』で受賞した濱口竜介監督の商業映画デビュー作であり、蓮實重彦が『見るレッスン 映画史特別講義』で称賛していた監督&映画であり、そして何と言っても、不倫で一躍時の人となった東出昌大と唐田えりかが恋人役で共演し、つき合うきっかけを作ってしまった罪深い(笑)映画である。

 不倫騒動についてはこれと言った関心も感想も持たないソルティであるが、本作を見て、東出が唐田に夢中になるのも無理ないなあと率直に思った。
 それくらい唐田は女優として素晴らしい素材である。
 撮影中に生まれた東出に対する恋心が、ここでの唐田のリアリティある演技と表情を引き出した可能性はあると思うが、このままフェイドアウトさせてしまうのは日本映画界の大損失――と言っても過言ではない魅力を感じた。声もすごくいい。
 この人の駒子@『雪国』は観たいかも・・・・。

 対する東出も難しい一人二役(麦と亮平)を無難にこなして、ただのイケメン俳優ではないところを証明している。こちらも頑張ってほしい。
 この役は若い時のオダギリジョーにやってほしかった。


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どことなく真子様に似ている唐田


 濱口監督の力量と才能は最初の数カットで分かった。
 まさに映画そのもの、蓮實が持ち上げるのも無理はない。
 画面を構成する生来の感覚が備わっている。後半、朝子が亮平を追っかけながら土手の上を走るところを上方からの超ロングショットで押さえたシーンなど、身の内を愉悦が沸き起こった。
 物語としての緩急のつけ方も巧みで、どうってことない日常シーンに波風立ててサスペンス仕立てにしてしまう。亮平と朝子が互いの友人合わせて4人で一緒に食事するシーンで、いきなり演劇論バトルが始まるところなど、思わず手に汗握ってしまった。濱口がジョン・カサベテスを好きだというのも頷ける。
 東日本大震災が出てくるので2000年以降の話と分かるが、画面の質感から80年代の映画を観ているような気になった。森崎東監督『夢見通りの人々』、相米慎二監督『台風クラブ』、周防正行監督の『ファンシーダンス』、あるいは一連の日活ロマンポルノ・・・・、そのあたりの匂いをふと思い出した。
  
 ちなみに本作の最優秀演技賞は、間違いなく猫である。 

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おすすめ度 :★★★★

★★★★★
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● ラピュタ阿佐ヶ谷に行く 映画:『雪国』(豊田四郎監督)

1957年東宝
133分、白黒

 ちょっと前に「豊田四郎監督の映画が観たいなあ」と呟いたら、なんとラピュタ阿佐ヶ谷で特集(3/14~5/1)が組まれた。
 ソルティが観た『夫婦善哉』や、川端康成原作の『雪国』はじめ、29本一挙上映である。
 ラピュタにも一度行ってみたかった。
 不要不急の外出自粛ではあるが、交通経路を工夫し、平日の昼間ならば人混みを避けられよう。
 実に2年ぶりの映画館、スクリーン体験となった。

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JR中央線・阿佐ヶ谷駅北口

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 JR中央線の阿佐ヶ谷駅北口から歩いて3分のところにラピュタはある。
 狭い路地の入りくむ昔ながらの商店街を抜けた閑静な住宅街の一角にあって、中世の城郭のようなシックで落ち着いた佇まいを見せていた。
 思ったよりお洒落である。
 階下には待合室を兼ねたリラックススペースがあって、昔の映画のポスターや図書やDVD、スターのプロマイド写真などが売られていた。
 上階にはフランチレストランもある。
 昔の邦画好きにとってオアシスそのもの。 
 定員は48名、ソルティの観た回は20名ほどであった。

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1階の待合スペース
木の風合いが良い

 本日は『雪国』。
 お目当ては岸恵子の駒子である。
 ソルティは思春期の頃、山口百恵主演のTVドラマ『赤い疑惑』の“パリの叔母さま”役で見知った時から、この女優のファンになった。
 市川崑監督の『おとうと』における姉げん役はもちろん、金田一耕助シリーズ『悪魔の手毬唄』の真犯人役や『女王蜂』の秀麗なる家庭教師役も忘れ難い。
 さすがに『君の名は』(真知子巻き)は観ていない。

 大庭秀雄監督『雪国』(松竹)における岩下志麻の駒子も美しくて良かったが、鮮烈さにおいては岸に軍配が上がろうか。
 可愛くて、いじらしくて(ブリっこで)、美しくて、激しくて、凛として、芯が強くて、哀しくて・・・・。
 ブリっこと哀しさをのぞけば、女優岸恵子そのものなのではなかろうか。
 岸のトレードマークである切れ長の目が、駒子の情のこわさと意志の強さを示していて、島村でなくとも一度彼女に捉えられたら離れがたくなってしまうだろうと思わせる。

 その島村役は池部良。
 白い雪に映える二枚目ぶりで、演技もうまい。
 が、岩下と組んだ木村功のほうが、原作のイメージ=虚無的な男には近い気がする。
 いや、映画全体、大庭作品のほうが、原作のもつ刹那的で幻影的な雰囲気をとらえていたように思う。
 豊田作品は駒子という女、駒子の恋を描くことがメインになりすぎて、島村の冷めた心情が後方に退き、ただの優柔不断のやさ男に見えてしまう。
 島村が芸者の駒子を(一時の遊び相手として)振り回しているのではなく、逆に駒子が島村を(自らの恋の犠牲者として)振り回しているようにすら見える。
 まあ、それだけ岸恵子の駒子が魅力的ということだ。
 
 ほかに旅館の女将役のおちょやんこと浪花千栄子、気性の激しい葉子を演じる八千草薫(岸とは一つ違い)、体も売っちゃう芸者役で笑いを提供する市原悦子、按摩役の千石規子が好演である。 
 
 個人的には、岩下の駒子も岸の駒子もなんだか気が強すぎて、もそっとたおやかな駒子が望ましい。
 葉子もまた気が強い女なので、二人いっぺんにかかって来られると疲れてしまう。
 ソルティは、TVドラマで観た松坂慶子の駒子(1980)が良かった(共演は片岡秀夫)。
 吉永小百合の駒子、夏目雅子の駒子あたりも観たかったな。
 
 特集中にもう数回、ラピュタに足を運びたい。



おすすめ度 :★★★

★★★★★ 
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● 黒い団扇の秘密 映画:『残菊物語』(溝口健二監督)

1939年松竹
146分
原作 村松梢風
脚本 依田義賢

 これも蓮實重彦が『見るレッスン 映画史特別講座』の中で絶賛していた。
 新派の名優・花柳章太郎(1894-1965)が、実在した歌舞伎役者・二代目尾上菊之助を演じている。
 芸道物語であり、悲恋物語であり、溝口お得意の転落物語でもある。

 五代目尾上菊五郎(=河原崎権十郎)の養子として周囲からチヤホヤされてきた菊之助は、芸に身が入らず、大根役者と陰口をたたかれていた。
 それを直言し精進を願う女中のお徳(=森赫子、もりかくこ)と恋仲になるも、身分違いの恋は許されず、二人は別れさせられる。
 菊之助は体面や家柄ばかり気に掛ける周囲に嫌気がさし、七光りでなく自らの実力によって頭角を現すことを決意し、東京を飛び出す。
 心配して追ってきたお徳と大阪で再会、一緒に暮らすようになるも、実力にも運にも恵まれない菊之助は転落の一途をたどり、旅回りの一座でその日暮らしの惨めな生活を送るようになり、荒んでいく。
 それでも菊之助の返り咲きを願うお徳は、一身に仕え、励まし、復帰のために奔走する。
 その甲斐あって、幼馴染の歌舞伎役者・中村福助(=高田浩吉)の助けを得た菊之助は役をもらい、久しぶりの大舞台で見事に実力を発揮、万雷の拍手で迎えられる。
 一方、きびしい生活で無理がたたったお徳は、最期の時を迎えていた。

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芝居小屋を追われ、土砂降りに濡れる旅回りの一座


 お涙頂戴の新派悲劇、メロドラマである。
 オペラで言えば『椿姫』とか『蝶々夫人』のような。
 音楽や歌唱という媒介があるオペラならともかく、セリフと芝居にたよる映画やテレビで今時これをやられた日にはゲンナリしてしまいそうなものだが、溝口の魔術によって格調高い、深みある映像芸術に仕上がっている。
 しかも、娯楽作品としても成功している。
 蓮實の威を借るみたいで嫌なのだが、間違いなく、傑作!
 やはり蓮實の推奨によって30年以上前に観たダグラス・カーク監督のメロドラマ『世界の涯てに』(1936)を思い出した。

 主役の二人を演じる花柳章太郎と森赫子がいい。
 花柳の繊細な表情、森の艶やかにして美しい口舌、二人の呼吸もぴったり。
 森は1956年失明して引退。自伝『女優』や『盲目』という本を書いている。新藤兼人のドキュメンタリー『ある映画監督の生涯 溝口健二の記録』(1975)にも出演していたらしいが、覚えていないのが残念。

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森赫子と花柳章太郎


 クライマックスは、まさに『椿姫』よろしく、死の床にあるお徳のもとに、歌舞伎役者晴れの舞台である“船乗り込み”を抜けて駆けつける菊之助、今生の別れである。
 お徳を一心に見守る菊之助、そして家主の夫婦。
 が、虫の息のお徳は菊之助をいさめる。
 「御贔屓が待っているじゃないの。あなた、いや若旦那、船に戻ってちょうだい」
 まさに新派の真骨頂、紅涙をしぼる名場面。

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 しかしながら、この画面で観る者が何よりも心を掴まれ、目が離せなくなるのは、今はの際にあって気丈なお徳でもなく、涙をこらえ肩を震わす菊之助でもなく、二人の脇にいる家主の男が高熱のお徳に風を送る、その手に握られた黒い団扇なのである。
 ウナギのかば焼きをあおぐようなその手の律動的な動き。左右に翻り、一時停止し、また翻る団扇の運動。
 それぞれの感情がこれ以上にないほど高まった非日常の瞬間にあって、唯一の日常的運動が当人も意識しないところで行われている。
 そのとき観る者は、その団扇の何気ない運動の中に、世界のすべてが凝縮されているのを知る。
 いわば世界が反転するのだ。 

 なぜそんなことが可能なのか、映画開眼して30年以上になる今も分からない。
 


おすすめ度 :★★★★★

★★★★★
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● 映画:『セインツ 約束の果て』(デヴィッド・ロウリー監督)

2013年アメリカ
98分

 『見るレッスン 映画史特別講義』の中で蓮實重彦がベタ褒めしていた監督&作品である。

 70年代のテキサスを舞台に、銀行強盗を働いた若いカップルの愛と死別を描く。
 というと、アーサー・ペン監督『俺たちに明日はない』(1967)のボニー&クライドを想起する向きも多いと思うが、ソルティはむしろ、ヴィム・ヴェンダースの『パリ・テキサス』を想起しながら観た。
 荒野の広がる殺風景な景色のみならず、いわくつきの男が別れた女と娘に会いに行くという筋立てのみならず、劇中効果的に使われているバンジョーの音色が『パリ・テキサス』におけるボトルネック・ギターの響きを思い出させるからだ。
 『パリ・テキサス』+クリント・イーストウッドの犯罪映画といった感じか。

バンジョー
バンジョーを爪弾くカウボーイ

 
 脱獄犯を演じるケイシー・アフレック(ベン・アフレックの弟である)、その恋人役のルーニー・マーラ、二人の後見人で組織のボスを演じるキース・キャラダイン、保安官役のベン・フォスター。
 主要な4人の役者が、そろって味のある佇まい。

 DVD鑑賞だったが、やっぱり映画はスクリーンで観なくちゃな、と久しぶりに思わせてくれた。


  
おすすめ度 :★★★

★★★★★
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● 映画:『ジュディ 虹の彼方に』(ルパート・グールド監督)

2019年イギリス、アメリカ
118分

 ルキノ・ヴィスコンティ『ベニスに死す』(1971)で絶世の美少年タドズオを演じたビョルン・アンドレセンが、65歳の最近になって、少年の彼を性的搾取したとしてヴィスコンティや祖母や周囲の大人たちを告発したことが話題となっている。
 撮影当時15歳だった彼。
 「あれほどの美貌に大人が群がらないわけはあるまい。とりわけ今のようにセクハラやパワハラに対する世間の厳しい目や #MeToo 運動がない時代に・・・」と思ってはいたが、やはりいろいろ苦労したようである。

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ビョルン・アンドレセン(15歳)


 彼ほどの美貌ではないにしても、子供時代に一躍スターになった者がその後の人生を苦難続きにしてしまうのはよく聞く話である。
 マイケル・ジャクソン然り、ホイットニー・ヒューストン然り、マコーレー・カルキン然り、ケンちゃんこと宮脇健(旧芸名は康之)然り。
 この映画の主役ジュディ・ガーランドもまさにその一人だった。

 『オズの魔法使い』、『若草の頃』、『イースター・パレード』、『スター誕生』で見せた抜群の演技力と歌唱力、ゴールデン・グローブ賞やグラミー賞はじめ数々の栄誉、フレッド・アステアやミッキー・ルーニーやフランク・シナトラとの共演、生涯5度の結婚。
 華やかなスポットライト人生の陰に、少女時代に受けた虐待に等しい大人たちによる搾取があり、それがトラウマとなって彼女を生涯苦しめ続けた。
 本作でははっきり描かれていないが、プロデューサーへの枕営業も強いられたという噂もある。
 ドロシーを演じたときは、覚醒剤の常用で意識朦朧だったとか・・・。

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『オズの魔法使い』でドロシーを演じた


 本作はジュディが晩年に行ったイギリスライブの模様を軸に、人気低迷し、スキャンダルにまみれ、荒れた生活を送る四十半ばの彼女の姿が描かれる。
 ホテル代も支払えないほど窮乏し、愛する子供を手放さなければならず、薬やアルコールや男に頼らなければステージに立てない、身も心もぼろぼろのジュディが痛ましくも切ない。
 が、いったんマイクを握ってステージに立ち、スポットライトと観客の視線を浴びれば、歌わずにはいられない。
 ちあきなおみの名曲『喝采』に通じるような芸人としての性(さが)。

 ジュディを演じたレネー・ゼルウィガーはこれで主演女優賞を総なめにした。
 実際にすべての歌を吹き替えでなく自身で歌っているというから凄い。
 ラストを飾る『オーヴァー・ザ・レインボウ』など、涙なしで聞けない。

 ジュディ・ガーランドはゲイのアイコンとしても名高い。
 本作でもジュディの大ファンの中年ゲイカップルが登場し、ジュディと心温まる触れ合いを持つ。
 当時英国は(米国も)ソドミー法により同性愛行為は処罰の対象であった。
 彼らは「虹の彼方」にある自由な世界――好きな人と腕を組んで白昼堂々歩くことができるエメラルドシティ――にどれだけ思いを馳せたことか!
 アメリカの同性愛者による歴史的な暴動「ストーンウォールの反乱」は、ジュディの葬儀翌日(1969年6月28日)に起きた。
 ここに因果関係を見る人は多い。
 むろん、ソルティもその一人である。

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おすすめ度 :★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
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● 映画:『千年の愉楽』(若松孝二監督)

2013年
118分

 原作は中上健次の同名小説。
 中上言うところの“路地”、すなわち海辺の被差別部落を舞台とする、不吉な伝承に囚われたある一族の美しき男たちの生き様、死に様が描かれる。

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 夭折した芥川賞作家・中上健次と『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』(2007年)の若松孝二に対する敬意から見続けはしたが、かなり退屈した。
 途中で止めなかったのは、主演のオリウを演じる寺島しのぶの演技ゆえである。
 同じ役名である“お竜”を演じた母親(富司純子)の映画はずいぶん観たけれど、娘の出演作は水野晴朗の撮った『シベリア超特急2』しか観ておらず、しかも出演シーンをまったく覚えていない。
 今回初めてしっかりと観た。
 美貌の点では母親にはかなわないが、演技力では上かもしれない。
 これからほかの出演作を当たっていきたい。

 若松の演出は、室内シーンはまだ良いが、室外が良くない。
 まるでテレビのような安易な演出、カメラ回しでげんなりした。
 『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』では室内シーンが多かったので、この欠点に気づかなかったのだろう。
 低予算のせいもあるかと思うが、肝心の路地という場所の空気が醸されていない。
 主要人物以外の住人の姿もなく、路地で遊ぶ子供の声すら聞こえない。
 男たちが山中で木を伐採するシーンでも、山の気というものがまるで映し撮られていない。
 中上健次が観たら、どう思っただろう?

 中本家の男たちはたんなる美形ではなく、女が放っておかないフェロモンの持ち主という設定だが、演じている役者たち(高良健吾、高岡蒼佑、染谷将太)はなるほど美形かもしれないが、性的魅力が今一つである。
 ただこれは、若松監督が男を色っぽく撮れないからなのかもしれない。
 迫力では高岡蒼佑が群を抜いている。

 ソルティは中上健次はほとんど読んでいないので、その世界観や思想を知らず、批評できる立場にはない。
 なので、この映画だけからの印象である。
 路地で生まれ育った男たちの暴力や犯罪癖、セックスや薬への依存、つまり狂った性格や破滅的な生涯を「身内に流れる高貴で忌まわしい血のせい」としてしまうのは、前近代的な言説であると同時に、一種の自己陶酔であろう。
 いわゆる貴種流離譚である。
 ソルティはむしろ、こんなに海の近くに生まれ育ちながら漁の仲間に入れないという差別的な境遇こそが、男たちを絶望させ自己破壊的な生に向かわせているように思う。
 その事実から目を背けるための救いとしての装置が「高貴な血の呪い」伝承であるならば、それはある意味、現実逃避にほかならない。
 高貴な血の呪い伝承とは、反転した天皇神話なのではあるまいか。

 ラストクレジットのBGMでは、明治維新で四民平等になったはずなのに“一般民”に嬲り殺された部落民のさまを描いた小唄が流される。
 少なくとも、若松監督にはその視点があった。 



おすすめ度 :★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損


 



● 瞑想なる映画 本:『見るレッスン 映画史特別講義』(蓮實重彦著)

2020年
光文社新書

 映画を見る際に重要なのは、自分が異質なものにさらされたと感じることです。自分の想像力や理解を超えたものに出会った時に、何だろうという居心地の悪さや葛藤を覚える。そういう瞬間が必ず映画にはあるのです。今までの自分の価値観とは相容れないものに向かい合わざるをえない体験。それは残酷な体験でもあり得るのです。

 本書の「はじめに」で書かれているこの文章。
 まさにこれこそがソルティが映画を見続けている大きな理由である。
 そのような一本の映画に出会うために、何十本という凡作や駄作や娯楽作を観ている。
 最近では、『ボーダー 二つの世界』がその一本であった。


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 著者の蓮實重彦は東京大学の総長まで務めたフランス文学者であるが、世間的には映画評論家として名が知られていよう。
 いまの小津安二郎人気のかなりの部分は、70~80年代のこの人の“小津推し”によるところが大きい。
 ソルティもかなり影響を受けた。
 というより白状すれば、ソルティの映画開眼は20代前半に蓮實の映画批評や映画評論集を読んだのがきっかけであった。
 ひところは蓮實が編集長をつとめていた季刊誌『リュミエール』を購読し、彼の最新の映画評や淀川長治、山田宏一らとの対談が載っていた中央公論社の『マリ・クレール』を毎月のように買っていた。
 人生に映画鑑賞という歓びをもたらしてくれた恩人として、ひそかに感謝している。

 この人の文章は、一つのセンテンスが長く、回りくどく、加えて翻訳調なので、一見とっつきにくいのである。
 が、慣れてしまうと、お経のようなリズムに乗って、どこに連れていかれるかわからないスリリングな旅をしているかのような心地がして、そのうち快感となってくる。
 たとえば、こんなふうだ。
 
 あれはいったいどういうおまじないなのかしらと、あまりに仕掛けが単純なのでかえってどこにどんなタネが隠されているのかわからなくなってしまう手品を前にしたときのように、なかば途方に暮れ、なかばだまされることの快感に浸りながら妻が怪訝な面持ちで首をかしげたのは、彼女が外人教師として出講しているある国立の女子大学が、翌週から夏休みに入るという最後の授業があった日の夕食後のことだ。
(ちくま文庫、『反=日本語論』より抜粋)

 しかるに本書は、蓮實自身の執筆というより、編集者による複数回のインタビューをまとめたものらしく、センテンスは短く、文意は明確で、非常に読みやすいものとなっている。
 映画を愛する一人でも多くの読者の目に供され、この世に映画開眼者を増やすという点で、この試みは賞賛すべきである。
 内容も、日本と海外の最新の見るべき映画作家の列挙から始まって、映画の誕生、ドキュメンタリー論、ヌーベル・バーグ論、キャメラや美術監督など裏方の仕事など、幅広い話題が取り上げられている。
 蓮實自身が出会った有名・無名の監督やキャメラマンとのエピソードや、あいかわらず歯に衣着せない一刀両断の映画&監督批評が面白い。

 当ブログでも明白なように、ソルティは昔の映画をよく観ている。
 が、これは決して懐古趣味ではない。
 昔の映画を観ることを通して実際に起こっているのは、「過去」との出会いではなく、「現在」との出会いなのである。

 繰り返しますが、「昔の映画」がよかったということではなくて、それはまさに映画の「現在」として素晴らしいのです。カラーではないから現代的ではない、画面が小さくてモノクロームだから現代的ではない、などということではなく、映画において重要なのは、いまその作品が見られている「現在」という瞬間なのです。映画監督たちは、その題材をどの程度自分のものにして、画面を現在の体験へと引き継いでいるかということが重要であるような気がします。

 映画開眼したばかりの20代の頃は思い及びもしなかったが、今になって思うに、つまるところ映画を観る体験とは、こちらの目や耳がフィルムと戯れている「いま、ここ」の瞬間へと存在を立ち帰らせる一種の魔術であり、物語と非・物語の狭間に生じる圧倒的な美の衝撃によって、この世に氾濫し人を洗脳せんとする物語の支配から、自らを解放する実践なのである。
 見るレッスン、それはマインドフルネス瞑想に近い。




おすすめ度 :★★★★

★★★★★
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★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
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● 世紀の不倫 映画:『美女ありき』(アレクサンダー・コルダ監督)

1941年アメリカ
128分、白黒

 原題は That Hamilton Woman
 イギリス史上最大の英雄といわれるホレイショ・ネルソン海軍提督と、イギリス外交官サー・ウィリアム・ハミルトンの奥方であったエマ・ハミルトンの運命的な出会いと別れを描く。
 史実にあった有名な不倫である。
 現エリザベス女王の叔父で愛人のために王位を捨てたエドワード8世、ダイアナ妃と結婚中もカミラ夫人とつきあい続けたチャールズ皇太子、そしてメーガンのためになりふり構わず王室もイギリスも捨てたヘンリー、冷静で自己制御の達者なイメージある英国男の意外な情熱家ぶりをここにも見る。
 いや、英国紳士は恋にも職務にも真面目なのだ。

 ネルソンを演じたローレンス・オリヴィエとエマを演じたヴィヴィアン・リーはしばらく前から不倫関係にあったが、本作撮影中にどちらも離婚が成立、撮影終了後に晴れて結婚したという。
 それを知って鑑賞すると、二人のぴったりの呼吸や視線の微妙なからみ合い、自然な抱擁とキスの仕草に、納得がいく。

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ヴィヴィアン・リーとローレンス・オリヴィエ


 あいかわらずヴィヴィアン・リーの美貌に目が覚めるが、演技も達者。
 ネルソンに死なれたエマは、盗みを働き、娼婦と一緒に牢屋に入れられるまでに落ちぶれる。
 リーは美貌何するものぞの意気込みで、尾羽打ち枯らした老け役にチャレンジしている。
 ただ、彼女の声は猫のように甲高く、舌足らずなふうで、ちょっと耳障りである。
 

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あの頃はあたしゃ、美しかったんだ


 『風と共に去りぬ』のあとに作られているので、当然カラー映画と思ったら白黒だった。
 考えてみたら、スカーレット・オハラ以外、カラー映画のヴィヴィアン・リーを観たことがない。
 もったいない話である。



おすすめ度 : ★★★

★★★★★
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● 泥土を衝け 映画:『吶喊』(岡本喜八監督)

1975年
93分

 「とつかん」と読む。
 小学館『大辞林』によれば、「ときの声を上げて、敵陣へ突き進むこと」。

 戊辰戦争を舞台とする青春痛快時代劇である。
 薩摩・長州・土佐藩らを中核とし錦の御旗を掲げる新政府軍と、旧幕府軍および奥羽越列藩同盟との熾烈な戦いが繰り広げられる中、貧農出の千太(=伊藤敏孝)と万次郎(=岡田裕介)とが持て余す若いエネルギーを爆発させ、戦いに喧嘩に女にと縦横無尽に暴れ回る。
 混乱の世ゆえの自由闊達な生と性とが描かれる。

 無名の二人の主演俳優がいい。
 伊藤敏孝は子役出身で、刑事ドラマや時代劇などによく出ていたようである。
 1949年生まれなので本作公開時26歳。やんちゃで無鉄砲で単細胞な男を溌剌と演じて小気味よい。
 一方の岡田祐介は、東映社長だった岡田茂を父に持つ、いわば御曹司。
 自身も俳優を引退した後、プロデューサー業に転じ、父親の跡を継いで東映会長に就任している。
 こちらも公開当時26歳。伊藤とは正反対の洗練された物腰で、機を見て敏に動く飄々とした青年を演じている。
 二人の相性もいい。

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伊藤敏孝と岡田祐介


 脇を固めるは、高橋悦史、伊佐山ひろ子、天本英世、小野寺昭、岸田森、田中邦衛、仲代達矢、そして語りの老婆役に坂本九といった個性派の面々。
 演出も手堅く、見ごたえある一篇に仕上がっている。

 NHKの描く渋沢栄一とは程遠い、名字も持たない男たちの泥臭い青春である。

 

おすすめ度 : ★★★

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● 孤高なる美 映画:『アンナ・クリスティ』(クラレンス・ブラウン監督)

1931年アメリカ
89分

 ミステリー作家の伝記?
 いやそれは、アガサ・クリスティ。

 アメリカの劇作家ユージン・オニール原作の若い女性を主人公とした人情ドラマである。
 このヒロイン、アンナを25歳のグレタ・ガルボが演じている。
 
 公開時のキャッチコピーが Garbo talks! ということから分かるように、ガルボ初のトーキー映画で、観客は絶世の美女ガルボが果たしてどんな声をしているのか興味津々だったという。
 ガルボのふくよかな響きあるハスキーボイスは、観客に受け入れられ、その人気をさらに高める結果となった。

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身を持ち崩した女性を演じるガルボ

 
 ストーリー自体は陳腐で女性蔑視丸出しで、現代の感覚からすると到底上映に値するものではない(反森喜朗派からの非難轟々必死)。

 生活に疲れ果てたアンナは、幼い時に別れ15年間会えずにいた父親のもとへ帰ってくる。
 船で働く父親との海上生活で、アンナは次第に癒され、船乗りの恋人とも出会う。
 娼婦をしていたことを父親にも恋人にも告白できず悶々と悩むアンナ。
 アンナの決死の思いの告白にショックを受ける父親。
 アンナを見下しプロポーズを撤回する恋人(=チャールズ・ビックフォード)。
 むろん、二人の船乗りは港々で女を買って遊んでいる“海の男”である。
 最後は父親と恋人はアンナを許し受け入れ、三人には明るい未来が待っている。  

 孤独好きでバイセクシュアルの噂があり生涯結婚しなかった素顔のガルボ(=グレータ・グスタフソン)なら絶対に受け入れなかったであろう男尊女卑の物語を、ガルボがけなげに演じているところに、何とも言えない落差がある。
 この落差が、北欧のスフィンクスと讃えられたガルボの類いまれなる美貌を伴って、一種の品格とも諦観ともなって、ガルボ映画独特の哀愁が生まれる。
 それは避けられない運命を毅然として受け入れる者に共通する孤高なる美なのだ。

 フェミニズムを通過した現代なら、ガルボは自らの本質にふさわしい役を自由に選び、思いっきり演じられたことであろう。たとえば、ニコール・キッドマンのように。
 であれば、36歳の若さで引退する必要もなかったであろう。

 女性グレータ・グスタフソンの悲劇は、半世紀早く生まれてしまったことだ。
 女優グレタ・ガルボの華々しい成功と魅力の秘密は、半世紀早く生まれたことだ。


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後年の『ニノチカ』のキャッチコピーは「ガルボが笑う!」だった。
が、すでに本作でガルボは破顔一笑している。


おすすめ度 : ★★★

★★★★★
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● マリア・カラスと山田五十鈴 映画:『蜘蛛巣城』(黒澤明監督)

1957年東宝
110分、白黒

 シェークスピアの『マクベス』を日本の戦国時代に置き換えた黒澤映画の傑作。
 やはり、何と言っても城の奥方・浅茅ことマクベス夫人を演じる山田五十鈴が凄い!

 もちろん、終始一貫して底知れぬ男性的磁力と迫力とを見せる三船敏郎のマクベス(=鷲津武時)も、幽玄なる不気味さを醸し出す“おちょやん”こと浪花千栄子の魔女も、主役を引き立てつつ独特な存在感を醸す千秋実のバンクォー(=三木義明)もそれぞれに素晴らしい。
 だが、観終わった後、悪夢のように脳裏に残り続けるのは、山田五十鈴の怪演とくに狂気のシーンである。
 映画史の中でこれに匹敵する女優の演技は、『サンセット大通り』のラストのグロリア・スワンソンだけであろう。
 国内外問わず、どれだけの名だたる女優がこの映画に出演できた山田を羨ましく、かつ妬ましく思ったことやら。
 
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この手の染みが落ちないんだよ~


 国内の女優で山田以外のだれがよくこの役をこなせるだろう?
 杉村春子?
  ――むろんできる。ただ、どうしたって美しさでは劣る。
 岩下志麻?
  ――適役である。ただ、演技過剰で黒澤映画の雰囲気を壊しかねない。
 若尾文子?
  ――観てみたい。ただ、若尾の狂気は内に籠らず、外に向かって行動として爆発するほうが合っている。
 高峰秀子?
  ――いいかもしれない。が、三船には喰われそう。
  ――これもはまり役。が、独特過ぎて一人だけ作品から浮いてしまうかも・・・。

 山田の浅茅ことマクベス夫人には、幼い頃から常磐津、長唄、清元、日本舞踊などの伝統芸能をしっかり身に着けてきたゆえの時代劇役者としての所作や声音や立ち居振舞いやリズム感が備わっているうえに、山田自身の波乱の人生や芸に対する異常なまでの執念と重なり合うことで、マクベス夫人が陥る“狂気”に必然性がもたらされる。
 山田五十鈴という怪物キャラが、マクベス夫人とオーヴァーラップするのだ。
 そこが強みである。

 というのも、原作でシェークスピアはマクベス夫人の陥る狂気にこれといった原因を設定していないからである。
 一幕から三幕までは田中真紀子か蓮舫か小池百合子ばりの気の強さを見せていたマクベス夫人が、出番のない四幕をはさんで、五幕のっけからいきなり狂った様子で登場する。
 その不条理な転身ぶりが面白いと思う一方、「幕間で彼女になにがあったのだろう?」と、この劇を読んだり観たり聴いたりするたびに不思議に思うのだ。
 狂気というものを天の仕業とみなしていた中世の観客なら別段そこになんの不思議も思わなかったのだろうが、精神医療の時代に住む現代人はやはり何らかの理由を求めてしまう。
 
 黒澤は、マクベス夫人が城の跡取りとなる子供を懐妊し、死産してしまうという理由を用意する。
 見事な解釈である。
 そこに山田五十鈴の怪物キャラが合わされば、狂気も自然となる。

 ソルティは、記録に残っているマクベス夫人の両横綱は山田五十鈴とマリア・カラスだと思うが、マリア・カラスの場合もまた、圧倒的な声と歌唱術のみならず、我儘プリマドンナの横綱でもあったその怪物キャラが、マクベス夫人を演じるにあたってものを言っていた。少なくとも現在、山田やカラスのマクベス夫人を観たり聴いたりするときに、演者自身の人生やキャラクターと重ね合わせずにはいられないのである。
 



おすすめ度 : ★★★★★

★★★★★
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● 映画:『ゼロの未来』(テリー・ギリアム監督)

2013年イギリス、ルーマニア
106分

 ディストピアSFの金字塔『未来世紀ブラジル』(1985)のテリー・ギリアムによる、やはり未来の管理社会を舞台としたSF&哲学ドラマ。

 哲学ドラマと言うのは、テーマが“生きる意味、存在の意味”といった壮大なところにあり、タイトルにある“ゼロ(0)”とは、宇宙のブラックホールであり、ビッグクランチ(=ビッグバンの逆)であり、仏教的な“空”や“無”を意味しているかのように見えるからだ。

 己れの存在する意味、生きる理由について懐疑にとらわれた主人公コーエン(=クリストフ・ヴァルツ)が、世界を管理支配するコンピュータを相手に孤軍奮闘するさまを、ギリアムならではのポップでサイケデリックな映像、コミカルかつ難解なプロットで描いている。

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 映像はさすがに凄い。
 『不思議な国のアリス』のような独特な世界が構築され、一見の価値がある。
 一方、テーマそのものは宙に浮いてしまって、存在を肯定しているのか否定しているのか、よくわからないままに終わっている。
 まあ、答えの出ない問題ではあるが・・・。
 「存在の意味を問うなど無意味。答えは愛」と安易に落とし込めないあたりが、ギリアム監督のプライドなのだろう。
 (ソルティ思うに、「答えは愛」が正解なのだろう。まあ、「愛」というより「生殖」だが・・・。すべての生命の使命がとりあえずそこにあるのは間違いあるまい)

 観ている間は全然気がつかなかったが、『サスペリア』や『少年は残酷な弓を射る』のティルダ・スウィントン、『クラウド・アトラス』や『英国スキャンダル~セックスと陰謀のソープ事件』のベン・ウィショー、それにマット・デイモンが出演していたらしい。
 これら主役級スターをチョイ役で使えてしまうあたり、さすが大監督である。



おすすめ度 : ★★

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● 映画:『東京流れ者』(鈴木清順監督)


1966年日活
83分、カラー

 デビュー間もない渡哲也主演の任侠アクション映画。
 鈴木清順の独特の美学と、日本が世界に誇る木村威夫の美術により、非常にモダンで芸術的でスタイリッシュな映像に仕上がっている。
 木村威夫は同じ清順の『ツィゴイネルワイゼン』、林海象監督『夢見るように眠りたい』、三國連太郎監督『親鸞 白い道』などを担当している。
 
 二十代半ばの渡哲也のカッコよさが光る。
 暗闇から聞こえてくる口笛、咥えタバコ、得意の空手をいかした立ち回り、清潔な角刈り、低音のしびれる歌声、女に用はない。あくまで硬派で、あくまで義理堅く。
 デビュー時についたこのイメージのまま、歳を取って、最後まで行ったのだなあ。
 
 当時、吉永小百合・和泉雅子と並ぶ日活のトップ女優であった松原智恵子の彫像のような品ある美しさも光っている。
 クラブ歌手の役でソプラノを披露しているが、歌は別人だろう。
 
 出番は多くないものの“ダンプガイ”二谷英明もカッコいい。
 グリーンのジャンパーをこんなふうに粋に着こなせる日本の男はなかなかいないだろう。
 後年、朝日テレビのドラマ『特捜最前線』で見せた包容力がすでに備わっている。
 
 たまに60年代日活映画を観るのも悪くないな。
 それにしても、本作のシュールな絵を観てつくづく思うのは、鈴木清順にこそ『黒蜥蜴』を撮ってほしかった。
 

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 渡哲也と二谷英明
 

おすすめ度 : ★★★

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● 自粛警察の末路 映画:『ゼイカム-到来-』(ジョニー・ケバーキアン監督)

2018年イギリス
91分

 SF異生物ホラーサスペンス。
 原題は Await Further Instructions 「次の指示を待て」

 何より怖いのは、2018年に作られたこの映画が今のコロナ社会を予言しているかのような点。
 異なるのは、人類を襲ってくるのが新型コロナウイルスではなく、イカのような触手を何本も持った謎の知的生命体であること。
 この最強のエイリアン(ソルティ命名「メタリック星人」)に目をつけられた一家の受難を描く。

 クリスマス休暇に何年ぶりかに実家を訪れた長男ニックとインド系移民の恋人アンジー。
 ニックの母親は二人を温かく迎えるも、超保守的なニックの祖父と父親トニーはアンジーを見て露骨に嫌な顔をする。
 そこへ長女で妊娠中のケイトが夫のスコットを連れてやって来る。ケイトもまた頭のいいアンジーに対するコンプレックスが隠せない。
 熱心なクリスチャン一家の排他的空気に耐えられなくなったアンジーとニックは、翌朝早く、実家を出ようとする。
 が、時すでに遅し。
 家屋はまるごと何者かの手によってメタリック質の壁で厳重に封鎖され、ネットも電話もラジオもつながらず、一家は閉じ込められてしまう。
 「緊急事態発生。ステイホームして次の指示を待て」
 テレビモニターに現われる指示は政府のものなのか。それとも・・・・・? 

 といった異常なシチュエーションで、一家は、「ステイホームによる自粛」、「汚染された食べ物の廃棄」、「正体不明のワクチンの接種」、「家族の中の感染者の隔離」・・・・と、だんだんとグレードアップしてゆく当局からの指示に戸惑いながらも従ってしまう。
 冷静で科学的思考をもつニックとアンジーはそれらの指示に疑いを抱き、黙って従うことに抵抗を示すが、一家の主人たることに強迫的なこだわりをもつ権威主義のトニーは、当局の指示を鵜のみにし、強引に家族を従わせていく。
 このあたりの家族それぞれの振る舞いが、まさにコロナ禍の社会の人間模様を映しているかのよう。  
 すなわち、
 祖父と父親トニー・・・・・権力に盲従するマチョイズムの自粛警察
 母親と婿のスコット・・・・自分の意見を持たず、権威に逆らえない右顧左眄の人々
 長女ケイト・・・・感情的衝動的で容易にパニックに陥いる人々
 長男ニックとアンジー・・・・冷静に理性的に判断し振舞おうとする一部の人々
 
 一家の中では、自粛警察のお父さんトニーが、実に怖い。
 子供の頃から父親(ニックの祖父)に馬鹿にされ続けていた憤懣がここに来て爆発し、この未曽有の危機をかえって家族内での自らの権威と支配を高めるために用いようとする。
 その結果、すさまじい家庭内暴力をまねき、外からのメタリック星人の攻撃を待つまでもなく、一家は勝手に内部崩壊していく。
 敵は外にいたのではなく、内部に育っていたのである。
 お父さんは最後にはメタリック星人に寄生されて、文字通り、手足となって動くようになる。
 「私を敬え」と叫びながら、息子のニックとアンジーを斧で殺戮する。

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メタリック星人に寄生されたお父さん


 ただ一人残されたのは、死んだケイトのお腹の中にいた赤ん坊。
 クリスマスの夜に生まれた男の子であった。

  ハレルヤ!



おすすめ度 : ★★★

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● ウミウシもの 映画:『ボーダー 二つの世界』(アリ・アッバシ監督)

2018年スウェーデン・デンマーク合作
110分

 これは10年に1本のとんでもない映画。
 解説を、論評を、評価を、比較を拒む、なんとも言い表しようのない“はじめて”の映像体験が味わえる。
 似たような映画を上げることすらできない。
 あえて上げれば、主人公ティーナの風貌から、ジーラ博士が登場する『猿の惑星』シリーズかジェームズ・キャメロン監督『アバター』(2009)であろうか。

 どういうジャンルに属するか決めることすら困難である。
 サイキックなのやら、差別がテーマの社会問題系なのやら、LGBT物なのやら、SFなのやら、怪奇ホラーなのやら、犯罪物なのやら、恋愛なのやら、スピリチュアルなのやら、ミュータントなのやら、哲学なのやら、エログロなのやら・・・・。
 今まで作られてきた何万本の映画によって形成されたジャンル概念を吹き飛ばしてしまう破壊力。
 「いったい、これは何なの!?」という叫びが出るのを押しとどめながら、鑑賞した。
 ウミウシものとでも名付けようか。


ウミウシ


 ある意味、これまでのメロドラマに対するアンチテーゼというか、ハリウッド流恋愛映画に挑戦状を叩きつけたというあたりが、もっとも当たっていそうな気がする。
 すなわち、「美男美女が運命的な出会いをし、互いの孤独を埋めるように惹かれ合い、すれ違いや勘違いを繰り返した末、嵐の夜に薪の燃える小屋でついに結ばれ、澄んだ池の中で裸で向かい合って濃厚なキスを交わし、美しい森の中を追いかけっこしては草の上に倒れてはげしく愛し合う。ところが男には女に隠していた暗い秘密があり、そのため犯罪事件に巻き込まれ当局に追われ、二人は結局別れなければならなくなる」――という“ありきたり”のメロドラマに対するアンチテーゼである。
 この映画の基本プロットはまさに上に書いたとおりで、ただ一つ違うのは、「二人は美男美女ではなかったのです」ということである。
 もしこれをハリウッドの美男美女(たとえば往年のニコール・キッドマンとトム・クルーズ)を起用してやったとしたら、凡庸過ぎて、陳腐すぎて、ありきたり過ぎて、「観て損したな」と思うのは必定である。
 二人の主人公が、男でもなく、女でもなく、美男美女でもなく、「美女と野獣(♂)」でもなく、「美男と野獣(♀)」でもなく、スタイル抜群でもなく、上品でもなく、賢くもなく、リッチでもなく・・・・すなわち、メロドラマにとうてい耐えられるようなヴィジュアルでも、恋愛映画の主役をはれるようなキャラクターでもないという点において、逆にすべてのハリウッド式メロドラマの偏移性・差別性(=美に対する異常な信仰ぶり)が暴露されてしまった感がある。
 
 観始めたころは「醜い」としか思えなかった主人公ティーナが、話が進むにつれだんだんと目に馴染んできて、観終わるころは「愛らしい」とさえ思えるようになっている自分を発見する。
 観る者は、物心ついてからメディアによって植え付けられている「ヴィジュアル信仰」に気づかされることになる。
 

 
おすすめ度 : ★★★★

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