ソルティはかた、かく語りき

首都圏に住まうオス猫ブロガー。 還暦まで生きて、もはやバケ猫化している。 本を読み、映画を観て、音楽を聴いて、神社仏閣に詣で、 旅に出て、山に登って、瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

●映画・テレビ

● 映画:『クレヨンしんちゃん ガチンコ!逆襲のロボとーちゃん』(髙橋渉監督)

2014年日本
97分、アニメ
原作 臼井儀人
脚本 中島かずき

クレしん・ロボとーちゃん

 原恵一が監督した『嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』(2001)と『嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦』(2002)は、クレヨンしんちゃん映画シリーズの2大傑作としてつとに知られている。
 その後の作品を作るスタッフにとって、「超えられない壁」となって立ちはだかっている。
 本作は、両作を凌ぐほどではないにせよ、それに次ぐ感動作として上げられることが多い。

 タイトルどおり、しんちゃんの父親・野原ひろしが悪組織の手でロボットにされてしまうことで起こる大騒動が基本プロット。(実は、ひろしの記憶がロボットの脳というかAI?にコピーされただけで、本物のひろしは悪組織の実験室で意識不明のまま捉えられている)
 「ウチの父ちゃんが、何でもできるロボットだったらいいなあ~」という子供たちの願いをテーマに設定したのである。
 ロボとーちゃんの八面六臂の活躍や、しんちゃん・ひろし・ロボとーちゃんがタッグを組んでの悪組織との対決シーン、そしてロボとーちゃんとの別れなど、子供が喜び感動するストーリーテリングはさすがである。
 しんちゃんならではのお下品や下ネタは、『週刊漫画アクション』連載時代からのお約束なので、目くじらを立てるのはお門違い。
 『クレしん』に子供を連れて行く親たちは、そこを当然と理解した上で鑑賞しているはずである。
 それが受け入れられない親には、『ドラえもん』シリーズがある。

 一方、そうしたお下品や下ネタがあるからという理由とはまったく別に、『クレしん』は“大人でも楽しめる”作品と言われることが多い。
 その称号を得るのに寄与した代表的作品が、まさに『オトナ帝国の逆襲』と『戦国大合戦』なのである。
 本作もまた、“父権の失墜”という、戦後日本に顕著にみられるようになった社会的現象が、主要モチーフとして取り上げられている。
 妻の尻に敷かれ、子供には煙たがられ、濡れ落ち葉となって休日の公園に屯する父親たち。
 父親の権威も威厳もありゃしない。
 「地震、かみなり、火事、親父」はいつ時代のことやら?
 子供の隣で本作を観る父親たちの共感と哀感を呼ぶことは十分予期される。
 つまり、「父親とは何か?」が隠れテーマとなっているのである。

 ソルティは父親でないので、残念ながらそれほど感動しなかった。
 父親である鑑賞者は、本作を観て、感じ考えるところ大かもしれない。
 ただ、「愛する家族を守るために戦うのが父親(あるいは男)」という、本作が観た者にインプットするであろう概念は、国家に利用されるとそのまま戦争を肯定する言説につながるようで、ソルティは昔からあまり好きでない。

国と父権



おすすめ度 :★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損








 

● 本:『写楽殺人事件』(高橋克彦著)

1983年講談社

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 第29回江戸川乱歩賞受賞作。
 江戸時代の浮世絵師・写楽の正体を追求する若手研究者の周りで起こる連続不審死。
 自殺か他殺か、それとも単なる事故死か?
 名誉と権威をめぐる学界のドロドロを背景に、浮世絵に憑りつかれた男たちの暗躍が描かれる。

 昨年のNHK大河ドラマ『べらぼう』では、まさに写楽誕生の経緯がドラマ化されていた。
 巨悪・一橋治済(生田斗真)を成敗するため、蔦屋重三郎(横浜流星)を中心とする絵師や戯作者のグループは、治済が罠にかけて殺したはずの平賀源内(安田顕)が生きているという噂を広める。そのための方策が、架空の絵師写楽を作り上げることだった。
 つまり、蔦屋の工房(本屋)で写楽は生まれた。 
 もちろん、これは一つの説であり、写楽の正体はいまも謎のままである。

 本書では、「写楽改め昌栄」という名の書き込みのある古い絵が地方で発見されたのをきっかけに、「ついに写楽の正体、判明か!」と騒ぎになっていく。
 その過程で、これまで美術研究者らによって写楽ではないかと推定された複数の人物の名があげられ、それぞれの説の適否が登場人物によって語られていく。
 ドラマを観る前に、本書を読んでおけば良かったなあとつくづく思った。

 一方、ドラマを観ていたからこそ、小説内に登場する人物が親しみやすく感じられ、各人の名前や人間関係が頭に入りやすくもあった。
 たとえば、北尾重政(橋本淳)とか朋誠堂喜三二(尾美としのり)とか山東京伝(古川雄大)とか・・・・。
 年を取ったせいで、登場人物の名前と素性を覚えるのに苦労を感じるようになったのだ。
 長編小説、とくに推理小説には登場人物表をつけることを鉄則としてもらいたい。

 本書の前半は写楽の正体をめぐる謎とその解明、後半が現代の殺人事件をめぐる謎とその解明、という構成。
 よく書けていて興味をそそられるのは前半。
 歴史ミステリーならではの面白さがある。
 それに比べると、後半はぐだぐだで、ミステリーとして出来が良ろしくない。
 プロットが整理されていないので、読んでいて状況がよくわからない。
 推理の詰めも甘い。
 探偵(小野寺刑事)も魅力に欠ける
 前半がなければ、江戸川乱歩賞は難しかったろう。
 期待していただけにちょっとがっかりした。
 まあ、乱歩賞は新人の登竜門なので、完成度を求めるのは酷なのかもしれない。 

 ソルティはミステリー好きを自称するわりには、江戸川乱歩賞受賞作をほとんど読んでいない。
 評判の良いものを中心に、これから読んでいこう。


 
おすすめ度 :★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損





● ここでは時間が御馳走 映画:『お坊さまと鉄砲』(パオ・チョニン・ドルジ監督)

2023年ブータン、フランス、アメリカ、台湾
112分

お坊様と鉄砲

 『ブータン 山の教室』でデビューした監督の2作目。
 前作同様、ブータンの地方村の自然に囲まれたのどかな風景と、昔ながらの落ち着いた暮らしぶりが描かれている。
 いいなあ~。

 ソルティは還暦を過ぎた今、海外旅行には興味薄れているのだが、ブータンだけは行ってみたいなあと思う。
 首都ティンプーは、ドルジ監督の前作で描かれていたように、近代化が進んで、もはや日本の都市と変わらない有り様のようだが、田舎に行けば“昔の日本”にタイムスリップした感覚を味わえるんじゃないか。
 “昔の日本”がいつ頃なのか、しかと分からぬが。
 1980年代には、「台湾に行けば“昔の日本”と出会える」という謳い文句を旅行雑誌によく見かけた。
 ホウ・シャオシェンの映画を観ながら台湾に憧れたものだ。(結局、行く機会を逸した)
 2018年秋に四国遍路で出会った台湾の青年の話では、台湾では開発が進んで環境破壊が社会問題になっているとのこと。
 “昔の日本”も失われてしまったかもしれない。
 
山肌掘削
愛媛県の遍路道で見た景色

 本作は2006年のブータンの山奥の村が舞台。
 前年に第4代国王ジグミ・シンゲ・ワンチュクが、退位と選挙制による民主化(立憲君主制)への移行を表明したため、2007年にブータン初の総選挙が行われることになった。
 選挙や議会がどういうものか想像もつかない村人たちのために、役人たちは地方を回って模擬選挙を実施する。
 そこで起こる混乱やハプニングをユーモラスなタッチで描いた作品である。

 模擬選挙の実施を前に、村中から敬われている老僧はひとつの決断をし、弟子に申し付ける。
「鉄砲を2丁用意せよ」
 弟子は山を下りて、村中を巡って、鉄砲を探す。
 一方、銃コレクターの米国人は、南北戦争時代の古い鉄砲を村人が所有していることを知り、破格の高値でそれを買おうと試みる。
 鉄砲は、老僧を敬愛する持ち主によって、無償で弟子に手渡された。
 弟子に先起こされた米国人は、彼を追って山に登り、老僧がとり行う儀式に参列することになる。
 いったい、老僧は何を考えているのか?
 儀式とは何なのか? 

 まず、西洋人をはじめとする世界各国の人々が命をかけて闘って勝ち取ってきた民主主義が、ブータンでは国王から与えられたというところが面白い。
 国民の多くは国王に対する深い敬愛の念を持ち、今の制度や生活に満足していた。
 取りたてて変化は望んでいなかった。
 上から与えられた民主主義なのである。
 君主制と民主制、どっちが国民にとって良かったのか。
 結果はこれから先に見えてくるのだろう。

 ブータンの仏教も興趣深い。
 国民の多くはチベット仏教を信仰している。
 チベット仏教は、テーラワーダ仏教(小乗仏教)、大乗仏教、密教、タントラ、土着のボン教、転生活仏(ダライ・ラマ)などをごった煮した「仏教の総合デパート」みたいな、よく分からないものなのだが、とりわけ、インドの後期密教に由来するタントラ色(性的要素)の強さが、現代日本人からするとビックリ仰天である。
 ブータンではいまも男根信仰が一般的で、力のシンボルとして、あるいは魔除けとして、男根を家の外壁に描いたり、簡素化したオブジェを軒先に吊るしたりすると言う。
 本作においても、老僧がとり行う重要な儀式の際に、立派な男根のオブジェが用いられる。
 このオブジェの最終的な行方には吹き出した。

金精大明神
秩父巡礼で通った金精大明神
日本でもかつては男根信仰がよく見られた

 本作を観たあと、TVで現在建設中のリニア中央新幹線の映像を観た。
 最高時速500kmに及ぶ超電導磁気浮上式リニアモーターカーで、東京ー名古屋間を40分で結ぶ。
 開業は2037年以降の見込みという。
 移動経過そのものが旅の楽しみの一つであるソルティにしてみれば、東京-名古屋を40分で移動することに「何の意味があるの?」という感じしか持てない。
 原則トンネル内を走るので、外の景色もほとんど見られない。(時速500kmでは富士山も楽しめまい)
 「いや、仕事で使えるでしょ?」と言う声もあろうが、インターネットやZOOMがある現在、高い経費を払ってわざわざ移動したり出張したりする必要があるのだろうか? 

 はたと気づいた。
 ソルティが求めている“昔の日本”とは、つまるところ、「時間の豊かさ」を意味しているのだ。
 なにものにも追われない、ゆったりとした濃密な時間。
 過去にも未来にもせかされない「今ここ」の生。
 目の前の相手だけが大切な、一期一会のこころ。
 茶道に通じるようだが、なんのことはない、誰でも知っている子供の頃の日常である。
 最適化とか効率とか費用対効果とか役に立つ付き合いとか、そういった功利的な概念に冒されない世界でこそ味わえる時間の豊かさ。
 この映画に出てくるブータンの田舎の人々は、そういう時間を生きているのである。

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おすすめ度 :★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損














● なんなら、奈良24(奈良大学通信教育日乗) 豊臣兄弟の手柄?

 昨年12月半ばに受けた書誌学の試験結果が郵送されてきた。
 無事、合格(80点)。
 ほっとした。

 事前に提示されている5つの設題のうち、当日出題されたのは「初印本と後印本の区別の方法について述べよ(出題番号9)」だった。
 もちろん、ソルティは5つの設題すべてについて自分なりに回答を作成し、がむしゃらに暗記して試験に臨んだ。
 が、5つの中で一番自信が持てない回答がまさに9番だった。
 字数は500字に届かず、答案用紙の1/3も満たない。
 これで大丈夫だろうか?
 試験直前、「9」という数字が板書されたのを見たとき、「あちゃー!」と心の中で叫んだ。
 記憶したままを書き写すほかなかったが、20分ほどで終えてしまい、試験会場から一番早く退出した人間になってしまった。
 正直、合格するかどうか自信がなかった。
 高尾山初詣(DA・I・KI・CHI!)が効いたのかもしれない。

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高尾山頂から

 今回、書誌学を学んで初めて知り、「へえ~」と感心したことの一つは、豊臣秀吉と活字印刷との関係であった。
 日本の印刷は古来、版木に文字を左右逆に彫ってその上に墨を塗り、料紙を置き、バレンでこすって印刷する、いわゆる製版印刷が主流であった。
 室町時代になって活字印刷が始まるのだが、そのきっかけを作ったのが秀吉の朝鮮侵攻(1592文禄の役&1597慶長の役)だったのである。
 秀吉の武将である小西行長、加藤清正らが、書物や工人とともに銅活字を略奪してきたのが、日本における活字印刷の端緒となった。
 これを古活字版と言う。
 ちなみに、活字印刷とは、1字ずつ独立した文字を彫刻し、これを配列組み合わせて原版にし、印刷する方法である。

 実は、活字印刷の流入にはもう一つ別のルートがあった。
 天正18年(1590)、布教のために長崎にやって来たスペインやポルトガルのキリスト教宣教師たちもまた、活字印刷機・アルファベット活字・付属器具・印刷技師を持ち込み、印刷を始めた。
 これをキリシタン版と言う。
 よく知られるように、徳川家康は厳しい禁教対策をとった。
 慶長18年(1613年)に出されたキリスト教禁止令により、キリシタン版は姿を消すことになり、以後は古活字版のみが定着した。
 キリシタン版は、宣教師やキリシタン学校の教師用の教科書(『平家物語』や『後漢朗詠集』などの文学書もあった)と、修道士や信徒用の宗教書など、禁止までの約20年間に50点に及ぶ書籍が印刷されたと思われるが、現存するのは約30点のみである。

踏み絵
江戸時代の踏み絵

 秀吉のもたらした古活字版は、江戸時代初期に隆盛を極め、徳川家康自らが銅活字を鋳造し出版事業を行ったほか、『日本書紀』、『万葉集』、『伊勢物語』、『竹取物語』、『枕草子』、『古今集』、『太平記』などが初めて出版され、多くの人が日本の古典に触れる機会をつくった。
 また、印刷出版が商売として成り立つ基礎がつくられ、京都の本屋新七をはじめとする本屋が生まれた。
 これが、昨年のNHK大河ドラマ『べらぼう』で描かれた寛政期の蔦屋重三郎ら出版プロデューサらの輩出につながるのである。(もっとも、古活字版は50年ほどで廃れたので、『べらぼう』に出てきた本は、基本的に製版印刷の袋綴である)

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徳川家康鋳造の銅活字

 今年の大河ドラマはまさに『秀吉兄弟』。
 豊臣秀吉と秀長の天下取りまでの苦難と兄弟愛が描かれる。
 秀吉の朝鮮侵攻と活字印刷のはじまりも描かれるかなあ~と思ったが、調べてみると弟・秀長が亡くなったのは、天正19年(1591)、朝鮮侵攻の前年である。
 秀長は朝鮮侵攻に関わっていないのであった。
 ドラマで朝鮮侵攻まで描かれるか分からない。 
 秀吉の右腕で、ただ一人直言できるいさめ役であった秀長が生きていれば、秀吉の無謀な朝鮮侵攻はなかったかもしれない。
 でも、その場合、古活字版は登場しなかった。
 日本の印刷の歴史は違ったものとなっていたかもしれない。

 奈良大学で歴史文化財を学ぶようになって得た特典の一つは、大河ドラマを見る楽しみが格段と増したことである。
 とくに今回は、秀長を演じる仲野太賀と、秀吉を演じる池松壮亮の両人とも、演技が達者(かつイケメン)なので、見ごたえがある。

飛雲閣
京都の飛雲閣(国宝)
秀吉が建てた聚楽第の一部を移築したものではないかと言われる。






























● 映画:『けものがいる』(ベルトラン・ボネロ監督)

2025年フランス・カナダ
146分

けものがいる

 原題は La bete
 フランス語で「獣」の意。
 ヘンリー・ジェイムズの『密林の獣(The Beast In The Jungle)』という小説が元ネタだというが、原作とはまったく別物と考えていいだろう。

 本作はいろいろな映画を思い起こさせる。
 一番近いのはウォシャウスキー姉妹(もと兄弟)の撮った『クラウドアトラス』ではないかと思う。
 つまり、輪廻転生をテーマにした人間ドラマなのである。

 3つの時代が行き来され、ガブリエルという名の女性と、ルイという名の男性の、互いに強く惹かれ合いながら結ばれることのない関係が描き出される。

 まず、20世紀初頭のパリの上流社会。
 人形制作会社の社長夫人でピアニストのガブリエルと独身貴族のルイは、パーティでの再会をきっかけに何度も逢瀬を重ね、関係を深めていく。
 しかし、ガブリエルの抱える精神的問題――自分も世界もやがて破滅するという予感――や人妻という立場がネックとなって、2人は結ばれることのないまま、人形工場の火災に巻き込まれて死んでしまう。

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SecouraによるPixabayからの画像

 次は、2014年のロサンゼルス。
 売れないモデルのガブリエルは、30歳にして童貞のルイにストーカーされる。
 ガブリエルはルイを受け入れようとするが、自らの人生や社会を呪うルイの心をほぐすことはできず、仮住まいの豪邸のプールでルイに射殺されてしまう。

 2025年、なにか破滅的なことが人類に起こった。(これはくわしく語られない)
 その結果、人間社会はAI管理社会に移行し、人類の多くはAIに仕事を奪われる。
 感情を制御することのできる人間だけが高等な仕事を与えられ、それができない人間は単純労働しか与えられない。
 感情を制御するためには、DNAを浄化することによって前世から持ちこしたトラウマを取り除く作業が必要で、それには専用の装置に入って、自らの前世を追体験しなければならない。

 2044年、単調な仕事に飽き飽きしたガブリエルは、やりがいある仕事を得るためにDNA浄化を考える。
 が、自らの感情を失ってしまうことに大きな不安を覚える。(感情を失えばもちろん恋もできなくなる)
 そんなとき、自分と同じく職探しをしているルイと出会う。
 DNA浄化を決断したガブリエルは、装置の中で自らの前世をたどり、繰り返されるルイとの関係を記憶によみがえらせる。
 20世紀初頭のパリで、2014年のロスで、前世で幾たびも出会い、互いに惹かれ合い、結ばれる直前まで行きながら、それぞれの不安や自信の欠如や恐れから成就することのなかった恋の相手だったことを知る。
 それを知ったいま、何百年の時を超えてついにルイと結ばれる時が来たと喜びにときめくガブリエルだったが・・・・・。

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Hello Cdd20によるPixabayからの画像

 20世紀初頭のシーンは、上流社会の贅沢な生活ぶりとそこで交わされるウィットに富む会話のさまが、ヴィスコンティの『イノセント』やアラン・レネの『去年マリエンバードで』を想起させる。
 オペラ『蝶々夫人』やシェーンベルクの音楽などが言及されるなど、全体に文芸調である。この部分はヘンリー・ジェイムズの小説世界にもっとも近い。
 1910年1月に起きたセーヌ川氾濫によるパリ水没など、実際の事件を取り入れてリアリティを高めている。

パリの洪水

 2014年のシーンは、ストーカーにつけ狙われる若く美しい女性というプロットのため、『サイコ』を筆頭とするサイコサスペンス映画の様相をみせる。
 ここでも、2014年8月に起きたマグニチュード6のロサンゼルス地震をサスペンスを高めるのに利用している。

 2044年のシーンは、近未来という点でSF仕立てである。
 科学(AI)が人類を支配する社会、人類の感情が平板化しロボット化する社会という点で、『マトリックス』や『ガダカ』あたりを連想する。
 DNAに書き込まれた前世のトラウマを取り除き、感情に振り回されない人間になることが求められるという設定が、あたかも、瞑想修行によって悟りをひらき「欲(貪)」と「怒り(瞋)」と「無知(痴)」によって駆動する輪廻転生からの解脱を目指す仏教の言説をなぞっているようで、面白かった。
 たしかに、仏道を徹底するところに恋愛は成立しない。 
 人間的感情を捨象したところに仏教の悟りはあるからだ。
 その意味では、ジブリの『かぐや姫の物語』とも符合する。

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 コスチュームプレイとサスペンスとSF、そして恋愛とスピリチュアル。
 1つの作品で5つの映画を観たようなオトク感がある。
 写実に富みながらもスタイリッシュな映像も見ごたえ十分。
 同一のセリフやシチュエイションを3つの時代で共起させ、輪廻転生の不可思議を感じさせる脚本もよくできている。
 おそらく、一度観ただけでは設定や構成がわかりにくく、無駄に長いと感じる人も多いかと思う。
 が、観るたびに作り手が仕組んだ仕掛けを発見するパズルのような映画と思う。
 ソルティは気づかなかったが、主役の2人(ガブリエルとルイ)以外にも、3つの時代に共通して登場する転生者、すなわち同じ役者がいるのではないかと思う。 
 そもそも、「けもの」とはいったい何なのだろう?




おすすめ度 :★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
★     読み損、観て損、聴き損


● アニメ開拓宣言 映画:『AKIRA』(大友克洋監督)

1988年日本
124分、アニメ  

AKIRA

 1月3日にNHK教育で放映されたものを録画視聴。
 20代の時にリアルタイムで劇場で観たような気もするのだが、内容をまったく覚えていなかった。
 ソルティはアニメ映画がそれほど好きでなかったし、バイクや戦車や戦闘機などメカニックにも興味持てないし、大友の描く世界は暴力的・マッチョ的匂いが感じられたので、惹かれなかったのだろう。

 ただし、1980年に発表された『童夢』だけは例外で、漫画という視覚芸術のもつ表現の豊かさと、ストーリー(いわゆるネーム)の形づくる文学性とが、日本漫画史上最高の完成度において結実したのがあの作品だと、今でも思っている。
 大友克洋の名前は『童夢』とともに残るであろう。

童夢
双葉社発行

 公開から38年経ってあらためて観た『AKIRA』には驚かされた。
 なんと言っても映像表現の凄さである。
 CGによる高度で自由自在な動画制作が可能となった今においても、まったく古さや稚拙さを感じさせない。
 88年の段階で、日本のアニメはここまでのレベルに達していたのかと驚嘆させられた。
 現在、世界各国から若者たちが日本にやって来るが、彼らの動機には「日本のアニメが好きだから」「子供の頃から観ていたから」というのが非常に多い。
 ソルティのまったく聞いたこともないような日本製のアニメの名前やキャラクターの名前を彼らが嬉しそうに口にするのを見ると、冗談のような気がしてしまう。
 日本のアニメの国際化(とくにネット時代に入ってからの)に対する自分の不明を突きつけられる。
 まさにその先鞭をつけたトップランナーが、この『AKIRA』と宮崎駿作品なのだろう。
 現在活躍する海外のクリエイターのどれだけ多くが、少年少女時代に『AKIRA』を観て、衝撃を受け、映像の道を進むきっかけとしたことか。
 その意味で、日本アニメ史における記念碑的作品と言っていいのだろう。

 ただし、最初から最後まで映像の凄さには驚嘆させられたものの、プロット的には不完全燃焼というか、尻切れトンボというか、『童夢』ほどの衝撃はなかった。
 作画のリアリティほどには、ストーリーのリアリティは担保されておらず、ラストに近づくにつれ、どんどん話が荒唐無稽のご都合主義になっていき、登場人物たちの心理もよくわからない突発的なものになっていく。
 まるで少年漫画のよう・・・・・
 ――ってこれは漫画だった。

  そう、ソルティがその昔アニメから“卒業”したのは、ストーリーのリアリティの無さ、単純で紋切り型のキャラクター、悪と正義の対決といった平板な世界観に飽いたからだった。
 以来、実写映画専門になった。

 しかるに、アニメもここ数十年でずいぶん変わった。
 大人の鑑賞に堪える――という言い方はいささか“差別的で”好きでないが――観た後に深い余韻を残すアニメも数多くある。
 たとえば、『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊』(1995)、『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』(2001)、『かぐや姫の物語』(2013)、もちろん『もののけ姫』、『風立ちぬ』などの宮崎駿作品・・・・。
 今年はアニメ映画をもっと開拓して行こう。



おすすめ度 :★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損






● 2025年映画ベストテン

 今年は50本の映画を観た。
 昨年は61本、一昨年は77本。
 どんどん減っていく。
 一番大きな理由は、昨年10月から奈良大学通信教育学部に入学したことだろう。
 空いている時間のかなりの部分が、勉強に費やされるようになった。
 齢を取って、寝るのが早くなったことも大きい。
 仕事を終えた後に映画を観るのがきつくなった。
 20~40代の頃には考えられなかったなあ。

 以下、鑑賞した順に10本を上げる。
  • クロース』(ルーカス・ドン監督、2022)
    胸痛のボーイズラブ映画。主人公の少年を演じる子役の演技と映像の美しさに涙そうそう。
  • ソフト/クワイエット』(ベス・デ・アラウージョ監督、2023)
    92分ノンストップのワンカット撮影のド迫力。“トランプのアメリカ”の恐怖を描破したホラー・ポリティカル映画。
  • 奇跡』(カール・テオドア・ドライヤー、1955)
    モノクロ映像の効果が十全に発揮された古典的傑作。映画が映像芸術であることを証明してあまりない。
  • 国宝』(李相日監督、2025)
    動員数1200万人超え。日本人10人に1人が観た2025年を代表する一本。3時間近い長尺を感じさせない脚本&演出&演技の勝利。
  • 宝島 HERO'S ISLAND』(大友啓史監督、2025)
    この映画がヒットしなかったことが、今後の日本の暗い行方を暗示している気がしてならない。役者たちの熱い魂の叫びがスクリーンから放射されている稀なる映画なのに。
  • Playground/校庭』(ローラ・ワンデル監督、2021)
    子供たちが遊ぶ小学校の校庭が描き出すのは、現代社会の歪み、迷走する世界。徹頭徹尾、子供目線のカメラが、観る者を事件の目撃者に引きずり込む。
  • あ、春』(相米慎二監督、1998)
    今年いちばん後味の良かった映画かもしれない。佐藤浩市(あ、名前がすぐに出た!)、山崎努、富司純子のコミカルな演技が痛快。
  • 教皇選挙』(エドワード・ベルガー監督、2024)
    個人的にはこれが今年のベスト1。寛容と隣人愛を忘れたカトリック本山に希望はあるのか? 人類は再び『創世記』から始めなければならないのか?
  • 日本鬼子 リーベンクイズ』(松井稔監督、2000年)
    10人に1人の日本人が本作を観てくれたら、日本は変わる。自らの過去の悪行を正直に告白する元日本兵たちが、酷いところに生まれ変わりませんように。
  • MOTHER』(大森立嗣監督、2020年)
    長澤まさみの役者としての力量に感嘆した。美人で演技もできるって、どういうこと? 「天は二物を与えず」の例外がここにある。
 うち7本が2020年以降の公開。
 今年は結構新しい作品が揃った。
 全般に、社会問題や政治がテーマのものが多い。
 世界を見ても、日本を見ても、キナ臭い空気が蔓延していて、それに触発されたせいかもしれない。
 もっと明るく笑える映画、しみじみと心温まる映画、ストーリーより映像の素晴らしさに酔えるような映画が観たいのだが・・・・・。
 『日本鬼子』を観に行ったときなど、映画館の前で、あるいは上映中に、右翼ピーポーの妨害を受けるんじゃないかと心配した。
 知る限りでは別段何事も無かったけれど、そういう想像が「杞憂」と笑って済まされない2025年現在の日本である。

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生きとし生けるものが幸福でありますように!








● 長澤まさみの猛演 映画:『MOTHERマザー』(大森立嗣監督)

2020年日本
126分

MOTHER

 2014年3月に埼玉県川口市で起きた17歳の少年による祖父母殺害事件、そして同事件を取材した毎日新聞記者山寺香が書いた『誰もボクを見ていない なぜ17歳の少年は、祖父母を殺害したのか』をもとに作られた作品。
 ソルティは同事件を覚えておらず、山寺の本も読んでいない。
 「こんな事件があったんだ」という驚きとともに、2014年当時の自分の脱世間ぶりにおののいた。

 少年は母親にそそのかされて祖父母を手にかけたらしい。
 普通17歳にもなれば善悪の判断はつくし、損得も判断できる。
 母親に指示されたからと言って、人を殺める息子などありえない。
 それも、ほとんど親交のなかった自らの祖父母を金目的で殺すなんて。
 しかも、捕まった当初、少年は母親から指示されていたことを否定した。
 母親を守るために。

 少年は、子供のときから学校に行かせてもらえず、離婚した母親にあちこち連れ回され、養父に虐待され、公園で野宿するなど悲惨な暮らしを送らされていた。
 その中で無力感に追いやられ、母親にマインドコントロールされた状態になっていたのである。
 彼にとってはMOTHERが世界のすべてだった。
 本作は、事件が起きるまでの母親と少年の十数年にわたる日常生活、そこで築かれた異様な母子関係を時系列で描いている。

夜逃げする母子

 MOTHER(母親)を演じる長澤まさみが凄い。
 本作でアカデミー最優秀主演女優賞を獲ったが、それも納得の猛演技。
 最初のうちはあまりの美貌と抜群のプロポーションが、生活破綻した貧困女性に扮するには不自然すぎるという気がしたが、そのうちにその美しさが逆に怖さを生みだすのに益しているように思えてくる。
 聖母のように美しいがゆえに、周囲の男達は簡単にだまされ手なずけられてしまい、息子もまた逆らい難いものを感じてしまうのだと。
 美しさが凶器になっているのである。
 長澤は、『黒い家』の大竹しのぶ、『誰も知らない』のYOUとはまた違った毒母像を生み出すのに成功している。

 少年を演じているのは奥平大兼。(子供時代は郡司翔)
 2003年生まれなので、撮影当時ちょうど17歳。
 事件を起こした時の少年と同年齢である。
 母親との関係に閉じ込められ、MOTHER以外の世界を思い描けず、奴隷のような無力感を生きる息子の表情と雰囲気を、見事に醸し出している。

 チャランポランな養父を演じる阿部サダヲの上手さは相変わらず。
 この長澤まさみと阿部サダヲの巻き散らす厄介加減が、行政はじめ周囲の大人たちが介入して少年と妹を救いだすのを妨げていたことが、十分納得できる。
 
 事件に至るまでの推移を淡々と描いていく大森監督の演出も冴えている。
 変にドラマチックな演出を取り入れないことで、ドキュメンタリー性が加味されるとともに、母親と少年の関係に観る者の焦点が向く。
 少年が祖父母を刺し殺す場面では、まったく暴力シーンを映し出さない。
 出血サービスも、少年のシャツについた返り血だけの絵で済ませている。
 この抑制力、さすがベテラン監督である。

 どう頑張っても後味のいい映画にはならないので、感動したとは素直に言い難い。
 だが、この衝撃をそのまま胸に受け止め、現実から目をそらさないでいることが、大切なのだろう。

 実際の少年は、懲役15年の判決を受け、現在も服役中。
 母親は強盗罪で裁かれ、懲役4年6ヵ月の勤めを終え、“社会復帰”している。



おすすめ度 :★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損




● 映画:『アメリ』(ジャン=ピエール・ジュネ監督)

2001年フランス
122分

アメリ

 子供時代の育ちのせいで人とのコミュニケーションが苦手になってしまったフランス人女性アメリ。
 もちろん、恋愛もうまくいかず、性体験はあれど本当の恋は知らない。
 そんな昨今どこにでもいるような不器用な女性が、平凡な日々の中で楽しみを発見し、恋を知り、自らの殻を打ち破って本当の恋をつかむまでの物語。
 制作国フランスでも日本でも予想外の大ヒットとなって、主人公アメリのおかっぱ頭や部屋のインテリアなどを真似する“アメリ現象”が流行ったという。
 ソルティはどうも、同じ頃(2000年)に公開されたジュリエット・ビノシュ主演『ショコラ』と入り混じってしまい、お菓子作りの話かと思っていた。

 この映画が日仏問わず若い女性たちの間で人気を得たのは、やはり、鑑賞者が自身をアメリに投影し共感できたからであろう。
 人間関係に苦手意識や不器用さを持つ人の存在は、万国共通ってことだ。
 一方で、素敵な恋を望むのも万国共通の女性のならいで、とりわけ恋愛が宗教の位置にまで高められているフランスの場合、一種の強迫観念になっているんじゃないかと思う。
 不器用なアメリが、勇を鼓して、目の前の恋に飛び込んでいく結末に希望を感じ、力づけられた女性観客は少なくなかったろう。

 『エイリアン4』で示されていたジャン=ピエール・ジュネ監督の美術センスあふれる映像も、都会のオシャレな女性たちのツボにはまったものと思われる。
 オドレイ・トトゥが魅力的なアメリを演じているほか、『ミッション・クレオパトラ』でその存在を知った片腕俳優ジャメル・ドゥブーズが、ここでも個性的な八百屋の青年に扮している。子犬のようなウルウルした黒い瞳が、庇護欲を搔き立てる。(いまはすっかりオッサンになった)

 ところで、映画館というのは、ある意味、人間関係が苦手な人たちの格好の逃避所すなわちオアシスになっているわけで、一人で映画を観に行くことが若い頃から日常化しているソルティもその例に漏れない。
 飲み会に行くよりも、一人で映画館に行くほうが、ずっと楽しいし、くつろげる。
 40年以上映画館に通ってきて思うのは、一人で映画を観に行く男は普通に多いが、一人で映画を観に行く女は少ない。
 やっぱり痴漢の危険があるからかなあって思っていた。
 これは厚生労働省が5年以上前に実施した調査結果なので信頼度は???だけれど、「誰と映画を観に行くことが多いか?」という問いに対して、
  • 男性・・・・ひとり(35%)、家族(35%)、友人(23%)
  • 女性・・・・家族(41%)、ひとり(27%)、友人(18%)
 意外に女性でも「ひとり」が多い。
 ソルティが観に行くようなたぐいの映画を女性は好まない、だから映画館で女性と会わない、ってのが答えだったようだ。(たしかに、『アメリ』も『ショコラ』も映画館に足を運ばなかった) 

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seok shinによるPixabayからの画像


おすすめ度 :
★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損





● ドキュメンタリー映画:『日本鬼子 リーベンクイズ』(松井稔監督)

2000年日本
160分
副題:日中15年戦争・元皇軍兵士の告白

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 映画館 Strangerの黒沢清特集に行ったとき、ロビーに置いてあったチラシで本作の上映を知った。
 前から気になっていた作品であるが、観る機会がなかった。
 上映されたのは渋谷のイメージフォーラム
 1週間限定の、しかも午前中1回きりの上映。
 はたしてどれだけの人が来るかと思ったら、平日で20名くらいだった。

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イメージフォーラム

 本作は、1932年(昭和7)の満州事変から始まり1945年8月15日に終わった日本の中国侵略において、現地に派遣された大日本帝国軍の兵士らが、捕虜にした中国兵や中国人民に対して、どういった加害行為をしたのかを、加害者自らが証言したフィルムである。
 それ以上でもそれ以下でもない。
 当時の新聞記事や映像を使用しての大まかな戦争の経緯を説明するナレーションは入るものの、それは客観的な事実関係のみにしぼった高校の日本史教科書かNHKのニュース報道レベルの淡々とした解説であり、取りたてて、作り手の思想や主張が匂うものではない。
 それ以外は、制作当時70歳をゆうに過ぎていた元日本兵たち14人の証言だけで成り立っている。
 AIはもちろん、CGもない。
 BGMもない。
 気の利いた演出も装置もない。
 俳優たちを使った再現映像もない。
 ひたすら証言のみ。
 正直、もっと効果的な演出をしてくれてもいいんじゃないの?――と思うほどのシンプル過ぎる作りである。
 このテーマに関心のない人なら、単調さに飽いて、とても160分も観続けられまい。
 実際、どういう理由からかは確かめようがないが、途中退席する人が数名いた。

 このシンプルさはもちろん、客観性を保つためであろう。
 余計な演出をつけると、そのことによって作り手の主観(思想性)が入ってしまい、観る者が公正な判断をする際のバイアスになってしまうからである。
 証言になにかしら第三者の色が付いてしまうからである。
 当然、松井監督には彼なりの考えも主張もあるには違いないが、ここではあえてそれを抑えて、実際の証言のみをありのままに提示することに終始し、解釈や判断は観る者の自由にまかせている。
 それが証言の信憑性を高めることにつながっている。

監督の松井稔が14名の証言者に依頼したことは、「誰かから聞いた、或いは他の人がやっていたという話ではなく『自分が何をしたのか』だけを話してもらいたい」そして「今、振り返ってみてこう思うではなく、出征前、そして戦地で、まさにその時どう感じたのかを、曖昧な言葉でなく語ってもらう」というものだった。(チラシの映画紹介より抜粋)

 生い立ち、学歴、職業、軍隊での経歴や地位など、多岐にわたる14人の証言者。
 彼らの口から語られたのは、拷問、大量処刑、生体解剖、細菌実験、強姦、人肉食など、生々しい加害の実態である。

 ひょっとしたら、このように言う人がいるかもしれない。
 「どうせ役者を使って、中国に都合のいいことを言わせたんだろう?」
 「たしかに証言者は実際に日中戦争で戦った元兵士なのかもしれない。だが、彼らは戦後、中国で拘留されている。そのときに徹底的に洗脳されたに違いない」
 「帰国した後、“アカ”になった人たちばかり集めたんだろう?」
 「中国が制作のバックについているんじゃない?」

 観る前にソルティも、そのような可能性もなきにしもあらずと思っていた。
 が、そうした可能性は否定せざるを得なかった。
 どんな名役者であろうと――たとえば、滝沢修や加藤嘉や森繁久彌や三國連太郎のような――本作に出てくる証言者が示しているほどのリアリティは演じられまい。
 彼らは加害者本人に間違いなく、多少の思い違いはあるかもしれないが、証言の内容は明らかに彼らにとって正真正銘の事実である。
 また、組織などに洗脳された人間の喋り方には、ある決まった風がある。
 だれかに教えられた文句をただ話しているのであれば、ものの10分も聞けば、大概の者は見抜くことができよう。
 ソルティは相談の仕事を15年近くやっているが、そのおかげで身についた聴覚や嗅覚を使わなくとも、彼らの発する言葉が洗脳された者のそれでないことは分かる。
 だいたい、人生も終わりに近づいて、それなりに安楽な老後を送っていて、妻や娘や息子や孫などもいるというのに、自らの過去の悪事をわざわざでっち上げなければならない理由がない。
 社会に向けて赤裸々に告白することで、どれほどの弊害があることか。
 自らばかりでなく、愛する家族もまた非難を受ける可能性だってあるのに。

 彼らの証言を否定することはできない。
 皇軍兵士は確かに大陸で非道の限りを尽くした。
 なんの先入観ももたずに本作を観た人間は、それを事実として受け入れるほかないだろう。

 そこを前提として、ソルティが思った点をいくつか。
 まず、戦時に犯した罪に時効はあるのだろうか?
 もう――というか「まだ」というか分からぬが――戦後80年が経つ。
 当時の被害者も加害者も残り少ない。
 本作の14人の証言者で現在生きている人(100歳以上)は多分いない。(いたらスミマセン)
 加害者も被害者もすべてこの世を去った暁には、時効が成立するのだろうか?
 戦後生まれで戦争を知らない我々は、「80年以上前のことだから“関係ない”」と言っていいのだろうか?

 次に、証言者が共通して口にしている言葉があった。
 「国の為、天皇の為だからやるしかなかった」
 「上官の命令に逆らうことはできなかった」
 「軍隊では自らの勇気や優秀さを周りに示す必要があった」
 「当時罪悪感はなかった。なぜなら相手は人間以下のチャンコロだから」
 日本人の罪の意識の欠如をテーマにした遠藤周作『海と毒薬』を想起した。

 本作は、公開当時に海外でいくつかの賞をもらっている。
 英訳され海外で定期的に上映され、DVDも発売されている。
 これを観た海外の人々は、まずこれらの証言を事実と受け取るだろう。
 そこに日本人の国民性を感得するだろう。
 ナチスによるホロコーストの残虐を知った我々が、そこにドイツ人の国民性を見るように。
 そして、そのような過去の罪悪を、ドイツとは違って、否定したがる一方の日本という国を信頼できない国と思うだろう。
 高市内閣を支持する人たちは、そこのところが分かっているのだろうか?

 14人の元兵士たち、よくぞ証言してくれたと思う。
 彼らが、終戦後中国で刑に服し、日本に帰国してからの数十年、どういった思いを抱えて生きてきたのか、本作はそこまでは追求していない。
 上記の引用にあるように、そこを描くのは本作の目的ではなかった。
 それに、どうにかこうにか折り合いをつけながら、戦後55年を生き抜いてきた彼らの心の闇に踏み込むのは、聞き手によっぽどの覚悟と胆力がないとできないことである。

 観終わってソルティは思った。
 これだけの残虐行為の、被害者となって死ぬより、加害者として生き残るほうが、よっぽどきつい。

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渋谷駅前



おすすめ度 :★★★★

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