ソルティはかた、かく語りき

東京近郊に住まうオス猫である。 半世紀以上生き延びて、もはやバケ猫化しているとの噂あり。 本を読んで、映画を観て、音楽を聴いて、芝居や落語に興じ、 旅に出て、山に登って、仏教を学んで瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

旅・山登り

● 謎の石像の正体 ~深大寺&祇園寺探訪~

 深大寺の国宝・釈迦如来仏に会いたくて、台風前の曇天を調布に出かけた。
 今回は深大寺から1キロほど離れたところにある同じ調布市内の祇園寺にも足を延ばす。
 もちろん、深大寺蕎麦に舌鼓を打つことも予定のうち。

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寺の周囲の小屋はみな蕎麦屋である

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深大寺門前
14時半頃に着いたので人出は一段落していた
 
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本堂
おみくじは「吉」であった

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おびんずるさまもコロナ予防
 
 国宝・釈迦如来仏の由来は、貴田正子著『深大寺の白鳳仏』に詳しい。
 深大寺を開基した満功上人の腹違いの弟である高倉福信が、武蔵から京に上って大出世し、聖武天皇や光明皇后や橘諸兄の愛顧を得てこの見事な仏像を賜わり、故郷で僧侶していた兄に手渡した――というのが、貴田の説であった。
 加うるに、最初に仏像が納められたのは深大寺ではなく祇園寺、と貴田は推理する。
 その裏には、満功上人の生誕地と言われる祇園寺こそは、高句麗系渡来人であった一族の菩提寺であり、調布地域を開拓した渡来人たちの生活と信仰の中心であり、おそらくは深大寺より先に創られたであろう、という読みがある。
 いずれにせよ、ブロンズの滑らかな曲線と上品な輝き、童子のように可愛らしい佇まい、両性具有的なアルカイックな微笑み、実に魅力的な仏像である。

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銅造釈迦如来倚像
 像高83.9cm
 飛鳥時代後期(7世紀後半~8世紀初頭)

 参拝を終えて、お待ちかねの蕎麦タイム。
 門前の店に飛び込んだ。

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ざるそば(1050円)

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店内から見える弁天池

 胃袋が落ち着いたところで、祇園寺へと向かう。
 曇ってはいるが湿度が高く、汗だくになった。

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虎狛山祇園寺
(東京都調布市佐須町2丁目)

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本堂

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周囲の風景

 祇園寺もまた深大寺同様、天平年間(729~749)に満功上人よって開かれたお寺である。
 もともとは法相宗であったが、平安に入って天台宗に改宗し、現在に至っている。
 法相宗から天台宗への移行は、日本仏教史上最大の論争が徳一(法相宗)と最澄(天台宗)の間に繰り広げられたものであることを思うとき、すごい飛躍というか寝返りに映る。
 やはり時代の趨勢は無視できなかったのか。


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明治41年に板垣退助が境内に植えた松

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こんなとこまで秩父事件の余波が来たとは・・・!
自由と民権を愛する当地の人々の姿が浮かぶ

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当時の住職(中西悟玄)の息子・中西悟堂の歌碑
悟堂は僧侶にして「日本野鳥の会」の創設者である
当寺で坐禅修行の日々を送ったことが知られる

 参拝後、本堂前の御影石のテーブルでしばし休む。
 整然として静かで、落ち着くお寺である。
 天台宗ではあるが、座禅会などもやっているようであった。

 1キロ強歩いて、京王線・布田駅に。
 本日の探訪はこれにて終了。
  
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野川

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京王線・布田駅


 ――と思いきや、真の探訪はここからであった。

 祇園寺でソルティが一番注意を惹かれたのは、山門入ってすぐのところにある石像であった。
 神社の狛犬のごとく、左右一対で置かれている。
 見た目どうも和風ではなく、朝鮮風。
 花崗岩の摩滅具合から見て、せいぜい遡っても100年くらい前のものか。

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本堂向かって右側

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向かって左側

 すぐに思い浮かんだのは、朝鮮半島の村落に見られる将軍標(チャングンピョ)。
 日本の道祖神みたいなもので、村落の境界を示すとともに外敵を防ぐ魔除けである。
 天下大将軍と地下女将軍の男女の将軍が対になっているのが特徴で、埼玉県の西武池袋線・高麗(こま)駅の駅前広場にあるトーテムポールがよく知られる。(県民以外は知らないか)

高麗駅 (3)
 西武新宿線・高麗駅前の将軍標

 渡来人ゆかりのお寺だけのことはあるなあと感心したが、やはり当てずっぽうはいけない。
 なんの像か確かめたい。
 帰宅してからネットで調べてみたら、いろいろな説が載っていた。
  1. 将軍標説
  2. 深沙大王説(深大寺開山の謂れとなったインドの神様。『西遊記』の沙悟浄である)
  3. 七福神の福禄寿説(祇園寺は「調布七福神めぐり」の一つになっている)
  4. 満功上人の父母を記念するために作った説(これはソルティ推測)
 2と3の場合、像が2体あることの説明が必要だろう。
 お寺に直接電話して聞いてみようと思ったところ、ある記事を見つけた。
 深田晃二という人が書いた『朝鮮石人像を訪ねて(1)』というレポートである。
 神戸にある「むくげの会(無窮花会)」の機関誌『むくげ通信230号』(2008年9月発行)に掲載されたもので、当会は1971年1月に設立された「朝鮮の文化・歴史・風俗・言葉を勉強する日本人を中心としたサークル」との由。
 このレポートにまさに祇園寺の石像のことが書かれていた。
 抜粋する。

 寺の住職に由来を尋ねると、「戦前か戦中に付近の山にあった4体をこの寺に運んだと聞いている。2体は市立郷土博物館に移した」とのこと。
 引き続き2駅先の調布市立郷土博物館に向かった。年配の職員に由来を聞くと、「昭和49年にこの博物館はできた。そのとき祇園寺から2体移設した。調布一体は昔は別荘地帯で銀行や企業の保養所がたくさんあった。祇園寺の住職から以前聞いた話だが、“付近の山”という所は今、北部公民館のある場所で池貝鉄工の別荘があった場所だ。そこで装飾用に置かれていた物であろうとのことだった。」という。4体が2体ずつに別れた事情は判明したが、最初の4体をいかにして入手・所有したのか不明のままである。

 近所の別荘の装飾用に用いられていたとは!
 深田氏によると、「日本の各地には半島から渡ってきたと思われる石人像や石羊などが数多く見られる。これら朝鮮石造物は王陵や士大夫の陵墓の前の墓守として建てられたもの」だという。
 士大夫とは文武官すなわち高級官僚のことである。
 石人像には文人像と武人像があり、「故人が文人であった場合は文人石像を、武人であった場合は武人石像を建てる」。
 文人像は冠をかぶり笏(しゃく)を手にし、武人像は鎧を着て刀を持っている。
 祇園寺の石像は明らかに文人像である。

 よもや朝鮮の墓守り人とは思わなかった。
 祇園寺の本堂裏手には墓地がある。半島からの渡来人ゆかりのお寺という点も合わせて、二重の意味でふさわしい場所に移設されたわけである。
 驚いた。

 深田氏の『朝鮮石人像を訪ねて』は、2008年9月から2022年7月まで同機関誌に連載されていた。
 全75回である。
 驚くべき知的好奇心と研究熱心さ、そして各地を取材するフットワークの軽さ。
 ソルティも定年後はかくありたいものである。
 記事のアップロードに感謝!

秩父巡礼4~5日 133
無窮花(むくげ)

 同記事を読んで、はっと胸を射抜かれ、考えさせられたことがあった。
 なぜ日本にこれほど多くの朝鮮石造物があるのか。
 それは日本が朝鮮を占領していた時代(1910~1945)に、日本人が朝鮮半島から工芸品や文化遺産を略奪し持ち帰ったからである。
 その数は、少なくとも100,000点に上るという。
 たとえば、初代朝鮮総督の寺内正毅は、書画1855枚、書物432冊、2000に及ぶ工芸品を集め日本に持ち帰った。
 大英帝国がインドやアフリカの植民地から数々の財宝を力づくで奪い本国に持ち帰ったのとまったく同じことを、大日本帝国もやっていたのである。
 当時の富裕層は、そうした略奪品を植民地の役人や民間収集家から買い取り、自らの屋敷や別荘に飾ったのであろう。
 胸糞悪い話であるが、これまで考えたことなかった自分にも腹が立った。

 日本人の所有者の中には後になって、自らのコレクションを韓国に返還した立派な人もいる。
 上記記事によれば、2001年7月には三重県に住む会社経営者である日下守氏が、所有していた約70点の石造物を韓国に返還したことが、米TIME誌に掲載された。
 また、日本に現在ある朝鮮石造物のすべてが略奪されたものというわけではなく、正当なルートで購入・譲渡されたものや、戦後インテリアとして新たに国内で造られたものもあるようだ。

 文字が刻印されていないこれらの石像は、故郷を離れると由来が分からなくなってしまうのが普通。
 おそらく祇園寺の石人像もまたその一つであるが、使命ある持ち場(墓)から連れ去られ、海峡を越え、人から人の手に渡った最後に、ここ祇園寺――古代朝鮮半島からやって来て調布を拓き、数々の技術を日本に伝えた渡来人が眠る寺――に安息の地を得て本来の使命を果たしているわけで、その不思議な因縁は、深大寺の国宝・釈迦牟尼仏の来歴に勝るとも劣らない。


朝鮮石人像(秩父美術館)
秩父美術館にある朝鮮石人像
文人(左)と武人(右)
やっと正体がわかった!



















● あの日見た花の名前をぼくは知っている

 埼玉県の小鹿野ハイキングの際に見かけた道端の花で、名前が判明しないものがあった。
 これである。

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 記事を読んでくれた数人から、「それはサフランモドキではないか」というコメントをいただいた。
 ネットで検索してみたら、まさにそう、ドンピシャ。

サフランモドキ(学名:Zephyranthes carinata)は、中米・西インド諸島原産で、ヒガンバナ科タマスダレ属の小形の球根植物です。別名でゼフィランサスとも呼ばれます。
サフランと似ているのが花名の由来です。雨後に一斉に花が咲くことから、英名では、レインリリー(Rain lily)とも呼ばれます。

原産地:中米・西インド諸島
草丈:30cm 
開花期:7月~9月
花色:桃
花径:7~8cm
かぎけん花図鑑より抜粋)

 ソルティが花の名前を調べるのにいつも利用しているのは、手持ちの数冊のポケット図鑑のほか、四季の山野草というサイトである。
 トップページの検索欄に「花びらの数」「花の色」「開花時期」「つる性か否か」などを打ち込んで検索をかけると、候補の花が画像付きでずらっと並ぶ。
 今回もポケット図鑑に見当たらなかったので、「四季の山野草」のお世話になった。
 「花びらの数→7枚以上、花の色→ピンク~赤、季節→夏、非つる性」と打ち込んだ。
 が、出てこなかった。

 なんと、サフランモドキの通常の花びらの枚数は6枚で、「まれに8枚」だったのである!
 花びらの数を6枚に設定して検索すると、ちゃんと出てきた。
 ソルティが小鹿野で出会ったのは、2枚サービスバージョンのサフランモドキであった。

 昨夕、家の近くを散歩していたら、路地の壁ぎわの日陰に見知った顔があった。
 こんな近くに咲いていたのか!

サフランモドキ

 こちらが通常の花びら6枚バージョンである。
 薄い桃色の花弁とスイセンのような線形の葉っぱが、涼やかにして美しい。
 きれいなのに出しゃばらず、静かでやさしげで、秘めやかに愛らしい。
 まるで着物姿の吉永小百合サマのよう・・・・。

 それにしても、サフランモドキという名前はあんまりだ。
 英名のレインリリーのほうがずっといい。
 ソルティは個人的に「ラブリーピンク」と命名した。



 



● ひばり芳紀17歳 映画:『伊豆の踊子』(野村芳太郎監督)

1954年松竹
98分、白黒

 美空ひばり主演ということで、旅芸人の少女に扮したひばりが、伊豆の名所をバックに子供離れした歌を披露するアイドル歌謡映画を想定していた。
 が、見事に裏切られた。
 これまた非常に質の高い一篇に仕上がっている。
 ひばりの歌はBGM風に2曲ほど流されるだけで、ここではしっかり一人の役者となっていた。

 それにしても17歳にしてこの芝居の上手さ、貫禄。
 やはり天才と言うほかない。
 上手すぎるのがかえって、生娘である踊子から初々しさを奪ってしまっていると感じられるほど。
 恐れずに言えば、ルックスやスタイルの点では、吉永小百合や山口百恵の踊子にはひけを取る。
 学生が(観客が)一目惚れするには説得力に欠けるように思われる。
 ひばりファンは絶対そうは思わないだろうが・・・。

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薫に扮する美空ひばり

 野村芳太郎監督は『五辯の椿』『砂の器』『事件』『疑惑』『八つ墓村』『八甲田山』などカラー映画で代表作が目白押しなので、そうとは気づかなかったが、白黒映画も実に上手い。
 いや、白黒映画にこそ本領が発揮されているかもしれない。
 たとえば天城峠に降る雨の風景など、白黒だからこそ出せる抒情性が本作には横溢して、実に見応えある。
 老人や子供などの演出も滅法うまい。
 音楽の木下忠司(木下惠介監督の実弟)はさすが地元出身だけあって、見事な叙景音楽を添えている。
 
 1963年の西河克己監督『伊豆の踊子』が踊り子役の吉永小百合に焦点をあてているのにくらべ、本作の焦点は意外にも大スターひばりではなく、学生役の石濱朗にあたっている。
 何より、ひばりよりも石濱朗のアップが断然多いのだ。
 そしてまた、当時19歳の石濱ときた日には、アップが決まる貴公子然とした美貌の主である。
 眼光けざやか目鼻立ちのくっきりした顔立ちは誰かに似ているなあと思ったら、菅田将暉であった。
 菅田将暉に気品と落ち着きを加えた感じか。 
 こんなに美しい男優とは思わなかった。
 
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学生役の石濱朗
 
 学生(私)に焦点を置くという点では、小百合バージョンよりも川端の原作に近いのではないかと思う。
 高橋英樹の学生にはなかった鬱屈や孤独が石濱の学生には付与されて、孤児根性に苦しんだ若き日の川端青年により近い。
 心なしか石濱の眼光のきらめきも、フクロウのようなギョロ目で相手をじっと見据える癖があった川端自身を彷彿とさせる。(ただし、川端は美男ではなく、若い頃は容貌コンプレックスの主だった)

 考えてみれば、若き川端の実体験を書いた『伊豆の踊子』は本邦の恋愛小説の代表作の一つとみなされているのだけれど、若い二人は手も握らなければキスもしない。(であればこそ、清純派アイドルが演じられる)
 いやいや、互いに思いを打ち明けもしない。
 ほんの4泊5日の旅の道連れに、恋が始まり、別れがやって来る。
 それがこうして小説となり、映画に(6回も!)なり、今日に至る伊豆のシンボルにもなるのだから、実らなかった恋のポテンシャルというのも馬鹿にならない。

 こうなったら、鰐淵晴子、田中絹代、内藤洋子ら他の踊子の映画も観たい。
 第7波が下火になったら、天城越えの旅に出たいものである。




おすすめ度 :★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損


● 盛夏の小鹿野・花と崖めぐり

 2018年の秩父34観音札所巡礼の際の心残りは、32番法性寺の奥の院に登った時、曇っていたことであった。
 晴れていたら、周囲を山と森に囲まれた目くるめくような岩山の頂きから、どんな景色が見えるのだろうと思った。
 また、小鹿野名物「ようばけ」も遍路道沿いに遠くから拝むだけで、通り過ぎてしまった。
 そこで今回は、32番札所から33番札所までの約8kmをリ・トレースしてみた。
 30度を超える炎天下であったが、里山の花々に力をもらい、ラストに待つ温泉&ビールを励みに、歩き通した。

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西武秩父駅のバスステーション

● 歩行日 2022年7月18日(月・祝)  
● 天気 晴れ
● 行程
10:20 西武秩父駅より小鹿野町営バス乗車(両神温泉・薬師の湯行)
10:50 長若中学校前下車
    歩行開始
11:20 秩父札所32番・般若山法性寺
    本堂~観音堂~奥の院(大日如来、お船観音)388m
13:10 出発
13:50 日本武(ヤマトタケル)神社
15:00 ようばけ
15:40 秩父札所33番・延命山菊水寺
16:10 星音の湯
    歩行終了
● 最大標高  338m
● 所要時間  5時間20分(歩行4時間10分+休憩1時間10分)

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長若中学校前バス停(ここまで500円)
秩父市街からヘアピンカーブ続きの峠を越えて小鹿野町へ至る
バス停から寺まで30分の歩き

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陽射しは強くとも里山歩きは気持ちよい

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木槿(ムクゲ)

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春車菊(シュンジャギク)とモンシロチョウ

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姫小百合(ヒメサユリ)

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おお、武甲山!
あの河岸段丘の向こうが秩父市街

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秩父札所32番・般若山法性寺(曹洞宗)
山門の2階に梵鐘がある

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生きとし生ける者の幸福を願いつつ、撞かせていただきました
(鐘は参拝の前に撞くのがしきたり)

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山門からは急な石段を上る
本堂を経て、観音堂
1707年(宝永4年)建立

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ここまで来ると深山幽谷の気配漂う

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奥の院への入口
藪と岩の山道を20分ほど登る
生半可な気持ちでは危ない

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平面に見えるが、かなりの傾斜
横に渡した鎖につまからずには登れない

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ほぼ垂直の岩場
てっぺんの岩穴に大日如来がおられます

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おお、如来さまが見えた!
最後のひと登り

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岩のてっぺんから下を見る
この鉄柵をつけた人、本当にえらい!

秩父巡礼4~5日 117
大日如来
ここで10分ほど瞑想する
(やはり高所は落ち着かない)

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大日如来が見ている景色(右手方向)
バス停からの道が見える

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大日如来が見ている景色(正面)
一寸先は奈落

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奈落
苔が生えているのがいっそうスリリング

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全長200mの巨岩の先にお船観音がおはします
雨の日、雪の日、風の強い日は絶対歩けない

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反対側から見る

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お船観音

秩父巡礼4~5日 122
岩の舳先側から
これが自分の限界

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お船観音が見ている景色
なんと、武甲山が見えるじゃありませんか

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来た道を戻る

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このあたりは昔日の風情を残し、秩父巡礼路でもっとも美しい

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ノウゼンカズラ

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タマスダレ(だと思うんだが)

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この花の名前がなかなか出てこなかった
四文字で「シ」がつくまでは思い出せたのだが・・・
(答えは記事の最後※に)

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日本武(ヤマトタケル)神社
古事記』の英雄ヤマトタケルが当地に来たことを由来とする
武甲山三峰神社のついでに寄ったのか・・・

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秩父はワインの産地でもある

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道に迷ったときに見つけるとありがたい

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こんな道、通ったっけ?
記憶のあやふやさに戸惑う

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日照りによる不作が心配だったが、ここ数日の雨で持ち直したよう

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小鹿野名物「ようばけ」現る!

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ようばけとは「陽の当たるがけ」の意
新世代新第三期の地層が赤平川によって浸食されてできた
国指定の天然記念物になっている

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崖の直下まで近寄ることができる

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地層からは、鯨・鮫・パレオパラドキシア・海亀などの化石が見つかる

パレオパラドキシア復元模型
パレオパラドキシア(復元模型)
(埼玉県立自然の博物館ホームページより)

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赤平川

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33番札所に向かう
タオルも下着も汗でぐっちょり、足も重い
ほとほと苦行僧のような自分

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秩父札所33番・延命山菊水寺(曹洞宗)

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入母屋造りの本堂
庭に「菊水の井」という井戸があったことからその名が付いた

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菊水紋
菊水の紋
楠木正成は後醍醐天皇より菊の紋を下賜され
それに流れる水をデザインした

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禅寺らしい簡素で落ち着いたしつらいに自然の美が映える

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この花の名前を僕はまだ知らない

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星音の湯に到着

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GOAL!!
一日のすべての苦労が報われて余りある瞬間


※花の名前の答え:ハシドイ――という名前の喫茶店に行ったことがあった!










 

● 尾瀬まるごとデトックス(第2日)

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尾瀬の朝
湿原に立ち込めた霧は朝日が射すと舞い上がる
(燧小屋の窓から)

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燧小屋の1階廊下

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朝食
最近では珍しく、ご飯をお代わりした
高級ホテルの豪華で盛沢山の食事より、こういったメニューが好き

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さあ、出発!
至仏山(2,228m)を目指して尾瀬ヶ原に踏み入る


● 歩行日 2022年7月2日(土)  
● 天気 晴れ
● 行程
07:30 燧小屋出発(1,400m)
    歩行開始
08:00 竜宮十字路
09:00 牛首分岐
09:50 山ノ鼻、植物研究見本園
10:40 アイス休憩(20分)
12:30 鳩待峠(1,591m)
    歩行終了
12:40 連絡バス乗車
13:15 尾瀬戸倉着(1,420m)
    昼食
    温泉、ネイチャーセンター(尾瀬ぶらり館)
15:30 高速バス乗車(川越観光)
18:30 川越駅西口着
● 最大標高  1,591m
● 歩き標高差 191m
● 所要時間  5時間(歩行3時間30分+休憩1時間30分) 


7月初旬の尾瀬の花シリーズ2

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ワタスゲ(綿菅)

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拡大画像
カヤツリグサ科
花言葉「揺れる思い」

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ニッコウキスゲ(日光黄菅)
鹿の大好物のため数が減少している
蕾は中華料理にも使われるとか
尾瀬ではこれからが見頃

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カキツバタ(杜若)

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拡大画像
らごろも(唐衣)
つつなれにし(着つつ慣れにし)
ましあれば(妻しあれば)
るばるきぬる(はるばる来ぬる)
びをしぞおもふ(旅をしぞ思ふ)
――と平安の色男・在原業平が『伊勢物語』に詠んだ

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オゼヌマタイゲキ(尾瀬沼大戟)

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拡大画像(四季の山野草より)
名前とは裏腹に尾瀬沼にはほとんど見られず、
尾瀬ヶ原に咲いている


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牛首分岐

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池塘(ちとう)
湿原の泥炭層にできる水たまりのことを言う
尾瀬ヶ原には1800個以上の池塘がある

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池塘を覗いてみると

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イモリ(井守)や

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ルリイトトンボ(瑠璃糸蜻蛉)や

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燧ヶ岳の姿も!

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木立のない木道は直射日光をまともに受け、肌が灼かれる
が、いったん風が吹くと天にも昇る心地

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山ノ鼻にある尾瀬ロッジで一休み

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至仏山のふもとにある植物研究見本園を散策

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山ノ鼻からは森の中を200mほど登る

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木立が作る日陰がうれしい
前方から来るたくさんの尾瀬入りハイカーとすれ違う
週末はやっぱり混んでいる
梅雨明けと同時にコロナ明けの気配
マスクしている人も少なかった

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鳩待峠(1,591m)に到達し歩行終了
ここから連絡バスで尾瀬戸倉まで下りる(1000円)

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尾瀬戸倉にある「尾瀬ぶらり館」(東京電力の施設)
かすかな硫黄臭がする日帰り温泉(600円)に浸かり、
併設の尾瀬ネイチャーセンターで尾瀬の自然を学ぶ(無料)

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駐車場近くに弘法大師神社を発見!
お大師様を祭神とする神社をはじめて見た

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お堂内にはたしかにお大師様が安置されている
由緒書きがなかったが、いわれが気になる
よもや尾瀬に来てまでお大師様に会うとは!

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帰りは川越観光バス
昨日三平峠で会ったご婦人2人は姿を見せず
やはり間に合わなかったか・・・
帰りはシートを倒してほぼ熟睡

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次は燧ケ岳登山にチャレンジするかな?
尾瀬ほどリピーター率の高い観光地は他にないのでは?












● 尾瀬まるごとデトックス(第1日)

 猛暑続きの首都圏から一時的に逃がれ、鋭気を養うべく、4年ぶり2度目の尾瀬に行った。

 前回は、浅草から東武特急リバティに乗って会津高原駅下車。
 バスに乗り換え、奥会津の秘境・檜枝岐村を通過して沼山峠に。
 そこから尾瀬沼、見晴(みはらし)、尾瀬ヶ原、三条の滝、御池とめぐり、再び会津高原駅から帰途に着いた。
 つまり、インもアウトも福島県。

 今回は、群馬県から尾瀬入りして、群馬県から出るルートを選んだ。
 アクセスは首都圏と尾瀬戸倉(群馬県利根郡片品村)を結ぶ高速バスを往復利用(8000円)。
 宿は前回同様、見晴の燧(ひうち)小屋を取った。

 尾瀬は福島と群馬と新潟の県境にある。

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三平峠に設置されたマップ

● 歩行日 2022年7月1日(金)  
● 天気 晴れ
● 行程
07:30 川越駅西口より高速バス「尾瀬号」乗車(関越交通)
10:30 大清水着(1,190m)
11:00 低公害車両(小型バン)乗車
11:15 一ノ瀬着(1,420m)
    歩行開始
12:25 三平峠(1,762m)
    昼食休憩(30分)
13:10 尾瀬沼(三平下)
14:15 沼尻
16:35 見晴(1,400m)
    歩行終了
● 最大標高  1,762m
● 歩き標高差 362m
● 所要時間  5時間20分(歩行4時間+休憩1時間20分) 

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大清水(標高1,190m)
平日のため高速バスは非常に空いていた
尾瀬の入口、大清水もご覧の通り

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低公害車両(700円、30分ごとに出発)
木々の間の舗装路をゆっくり登っていく
地元の高齢者が運転している

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一ノ瀬(1,420m)
ここから歩行開始
もはや携帯のアンテナは立たず

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よく整備された木陰の道続きなので助かる

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いきなりバンビとの出会い
来た甲斐あった~

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尾瀬は清水の宝庫
ところどころにちょうど良く水場がある
もちろん味は格別!
  
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三平峠頂上(1,762m)
家から持ってきたパンを食べる
高齢女性の二人組と会話したが、予定を伺うとかなり厳しいプラン
明日の帰りは同じバスのようだが、大丈夫だろうか?

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尾瀬沼に到着
日本百名山・燧ケ岳(2,356m)を臨む
ここから沼の南岸を歩く
アップダウンの続く結構タフな道だった


7月初旬の尾瀬の花シリーズ1

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ミズバショウ(水芭蕉)に間に合った
成長しすぎて葉っぱは棕櫚かバナナのよう
便所タワシのような花は、可憐というよりグロテスク?

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タテヤマリンドウ(立山竜胆)
花言葉は「物思い」

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コバイケイソウ(小梅蕙草)
有毒なので花言葉どおり「遠くから見守る」べし

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レンゲツツジ(蓮華躑躅)
これも有毒で花言葉は「情熱」
カルメンのような花だ

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ハナニガナ(花苦菜)
その名の通り、齧ると苦いとか・・・


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沼尻
ここまででTシャツは汗でぐっちょり
上半身裸になって甲羅干しできるのも人が少ないゆえ

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沼尻からみる尾瀬沼
ここからまた山道に入る

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待ちに待った水場
天然のミネラルたっぷり

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電磁波が体から抜け、清新な“気”が満ちる
「ああ、体がデトックスを欲していたのか」と気づく

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やったー! 見晴(みはらし)だ!
至仏山を望む

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キャンプ場には色とりどりのテントが開く
これも夏の尾瀬の花

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燧(ひうち)小屋
見晴のちょっと奥まったところにあるので静かで落ち着く
檜風呂もじんわり気持ちいい

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夕食
地元の食材を使った素朴な味がうれしい
量もちょうどいい

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夕食後は夕焼け見物

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見とれていたら、脛を虫に刺されて痒いのなんの
尾瀬では短パンはNGと知る

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シャクナゲ(石楠花)色に染まった雲
明日も晴れるぞ!



第2日に続く
















● 本:『四国辺土 幻の草遍路と路地巡礼』(上原善広著)

2021年KADOKAWA

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 『今日もあの子が机にいない』『断薬記』と上原の本が続いているが、本作こそまさにソルティのツボにはまった一作。
 むろん、自分が四国歩き遍路をしているからである。
 本文に出てくる地名や札所の名前から周辺の情景がさあっと目の前に立ち上がってくるし、著者が5年かけて歩いたという遍路旅のいろんなエピソードも、似たような経験をしているので、「うんうん、わかる」「そうそう」と共感を持てる部分が少なくない。
 呪縛されたように読んだ。
 
 上原が四国を歩こうと思ったきっかけは、『断薬記』に書かれているように、睡眠薬依存からの脱却を願ってのことだった。
 たしかに、新鮮な空気を吸いながら美しい風景の中を毎日20~30キロ歩いていれば、よく眠れるようになる。
 そこで四国遍路のことをあれこれ調べているうちに、本書のテーマが育ったらしい。
 それは大きく3つに分かれる。
 
 一つ目は、上原の十八番ともいえる路地、いわゆる(元)被差別部落をめぐるルポ。
 四国の路地は遍路沿いに多く存在しているので、その来歴や現状をスケッチする。
 大宅壮一ノンフィクション賞を取った『日本の路地を旅する』の四国遍路版といったところか。
 
 私が乞うのは米や金でなく、多くは路傍に落ちている小さく悲しい話だ。四国を旅しながら路地を回り、いろいろな人に話を乞うてまわろうと思った。遍路道沿いに落ちこぼれている話を乞いながら巡礼しよう、それが私のへんど旅になるのだと。 

 ここではやはり、100年前の福田村事件で朝鮮人と間違われて虐殺された行商人グループの故郷、香川県の路地(70番本山寺付近)を訪ね、「福田村事件真相調査会」の会長であった人物に話を聞くくだりが興味深い。
 
 犠牲者の遺体はすべて川に流されたため、今も香川の路地にある墓には遺骨が入っていない。 

本山寺
第70番本山寺


本山寺付近
本山寺付近の遍路道沿いの風景
 
 二つ目は、草遍路――すなわち四国巡礼が日常とも生き方ともなっている乞食遍路(「へんど」と言う)――についてのルポ。
 ソルティも数人見かけた。
 たいがいが、大きなリヤカーやキャスター付きのカートにてんこ盛りの荷物を積んで歩いていた。
 一種異様な近寄りがたい雰囲気があり、会話することはなかった。
 中には明らかに精神疾患を抱えているらしく、独り言をわめきながらリヤカーを引いている男もいた(結願寺近かったので喜びの誦経だったのかもしれないが)。
 また、草遍路ではないが、お四国病と言って、四国遍路に憑りつかれ暇あれば歩きにやって来る人も多かった。
 そういう人たちの納経帳は御朱印で真っ赤だった。

 本書で上原は、幸月とヒロユキという2人の草遍路について詳しく取り上げている。
 NHK「にんげんドキュメント」に出演したほどの名物へんどになったものの、こともあろうに番組出演がきっかけとなって、過去に起こした傷害事件がばれて逮捕されてしまった幸月。筑豊に生まれ、少年時代から窃盗を繰り返し鑑別所や刑務所の常連、戦時中は志願兵としてジャングルで闘い、戦後は闇市の売人、山谷の日雇いから土建業、その波乱万丈の生涯は昭和史そのもの。
 一方、不登校から親に精神病院に入れられた過去を持ち、どこの職場でも人間関係がうまくいかず釜ヶ崎でホームレス生活20年、還暦をこえてやっと四国遍路に安住の地を見出したヒロユキ。
 対照的な性格や来歴をもつ2人が、同じ四国遍路ですれ違い、同じ篤志家の世話になったのはどういった因縁によるものか。 
 上原はヒロユキを托鉢の師匠と仰ぎ、托鉢作法を習い、お椀をもって遍路沿いのスーパーに立つ。
 初心者の上原がなぜか師匠より多く稼いでしまい、プライドを傷つけられたヒロユキが電飾を使ったパフォーマンスを繰り広げて屈辱を晴らす場面がおかしかった。

 三つめは、上原自身の遍路旅の実況ルポ。
 旅の途上でのハプニングや、同宿の遍路仲間やお接待してくれた土地の人々との交流などが描かれる。
 四国遍路の歴史やあちこちの札所や遍路宿や名所のこぼれ話にも興味が尽きない。
 本を書くという目的あっての遍路とは言え、行く先々で面白い人と出会い、風変りな話や味わい深い話を引きだしてしまう上原の才能に感心する。
 ソルティももっと気持ちの余裕と体力あったら、善根宿やお寺の通夜堂に泊まって、いろいろな人の話を聞きたかったが、まずは1400キロ歩き通すのが先決だった。
 次の機会あれば・・・・(こうしてお四国病になっていく)

 本書を読んで改めて思った。
 四国遍路の深さというのは、つまるところ人間の業の深さなのだ。
 道もアクセスも情報ツールも昔よりずっと良くなり、観光化・国際化・カジュアル化・アスレチック化・RPG化しているのは間違いないところだけれど、底流にあるのは生きることの苦しさ・空しさ・哀しさに惑う人々が織りなす長い長い負の歴史であり、お大師様信仰による浄化や許しや悟りを乞う祈りの道なのである。
 ソルティの四国遍路は、深い河の表面をわずかに掠めただけであったけれど、足先についた河のしずくによって、河そのものとつながってしまったような気がしている。

自撮り(遍路姿影)




おすすめ度 :★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損





● この山は誰のもの? 武甲山(1304m)に登る

 とうとう武甲山に登った!
 秩父札所巡りや秩父リトリートの間、ずっと山麓から仰いできた雄大なる秩父のシンボルに、石灰岩採掘のために削りまくられ無残な姿を晒している甚大なる自然破壊のシンボルに、ついに足を運んだ。

 1000m以上の山に登ったのは実に3年ぶり。
 2019年5月の丹沢の鍋割山(1272m)以来であった。
 2019年12月の左足かかと骨折の後遺症で長く歩けなくなったため、平地や低い山のウォーキング・リハビリを続けてきたが、これで文字通り一つの山を越えた。

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武甲山北面
南面は自然が残っているというが、はたして・・・・

● 登山日 2022年5月28日(土)  
● 天気 晴れ
● 行程
09:30 西武秩父線・横瀬駅よりタクシー乗車
09:45 一の鳥居
    歩行開始
10:25 不動の滝(休憩10分)
11:10 大杉の広場(休憩10分)
12:10 武甲山御嶽神社
12:20 山頂
    昼食休憩(60分)
13:20 下山開始
14:00 長者屋敷ノ頭(休憩20分)
15:30 林道出合
16:10 秩父札所28番橋立堂(休憩20分)
16:45 秩父鉄道・浦山口駅
    歩行終了
● 最大標高  1304m
● 標高差   登り787m、下り1062m
● 所要時間  7時間(歩行5時間+休憩2時間) 

Yokoze-sta
西武秩父線・横瀬駅
ここから一の鳥居までタクシーで12分(2220円)
駅から歩くと2時間かかる

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一の鳥居
武甲山は山頂に御嶽神社をもつ神の山である

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30台入る駐車場はすでに満杯
鳥居横の山道に30~40台が縦列駐車していた
この山の人気ぶりがうかがえる

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丁目石
このような石が一丁(109m)毎に52丁目まで置かれている。
あとどれくらいあるか分かるので励みとなる。
一の鳥居が1丁目。

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不動の滝
毎日この水を汲みに来る人もいるとか。
もちろんソルティもマグカップに満たした。

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山道がそのまま参道であるためか
渓流(生川・うぶがわ)が伴走しているためか
清新な気が満ちていた

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広葉樹から針葉樹へ。たしかに南面の自然はかろうじて保たれている。

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立ち枯れた木の洞に何かが・・・

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かわいいお地蔵さんでした(31丁目)

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大杉の広場
ちょうど1000m地点。山頂まであと50分。
結構汗を絞られる。

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大杉

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ゴジラ? タツノオトシゴ?
倒木の根っこ

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反対から見る
ジョーズ? 象が「パオーン」?

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浮き上がっている根っこが多いのは岩盤が硬いせいか

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石灰岩がゴロゴロ
歩きづらいったらない!

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武甲山御嶽神社に到着!
由緒書きによれば、第12代景行天皇の御代(約1900年前)
日本武尊(ヤマトタケルノミコト)ご東征の折、
山頂に甲(かぶと)を埋めて関東の鎮護としたのが起源。

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鳥居下に52丁目石発見
1丁(109m)×51=5,559m 歩いたことになる。
隣の石碑の「武蔵国神社」は別称。

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拝殿
祭神は日本武尊(ヤマトタケルノミコト)
少彦名命(スクナビコナノミコト)
大山祓命(オオヤマヅミノミコト)ほか

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山頂(1304m)はそれほど広くない

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1900年(明治33年)の測量では標高は1,336メートルだったという。
採掘のため破壊されて、低くなってしまった。

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ワオー!!

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画像をアップ
慣れ親しんだ秩父の街がジオラマのように見える。
左中ほど、巨大な秩父公園橋が竹ひご細工のよう。
中央、住宅地の中の島のような森が秩父神社。

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さらにアップ
あの橋の上に立って、今いるこの場所をいかに遥かに感じたことか!

秩父公園橋から見た武甲山
秩父公園橋から望む武甲山(他日)

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横瀬町方面

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横瀬町にある
三菱マテリアル横瀬工場

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小鹿野町方面
うっすらと浅間山が覗いている

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御嶽神社前の広場で昼食
マスクをはずしたハイカーで賑わっていた。と、
ズバーン!
岩盤を破壊する発破の音が山中に響いた。

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下山開始まもなく、木々の間より両神山出現!
次は貴殿が目標です。

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下山路は最初のうちこそなだらかであったが、
石と木の根っこばかりの急斜面に転じ、
非常に足首と膝にこたえた(途中からサポーター装着)。

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長者屋敷ノ頭
こんな山中に長者屋敷があったとは思えない。
どういった由来なのだろう?

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橋立川の沢音が聴こえれば、山道の終わりは近い。

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渓流のある山って良いなあ、特に夏場は。

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林道の途中に見かけた滝
画像には映らないが虹がかかっていた

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秩父札所28番橋立堂横の茶店
ソフトクリームを食べた

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石灰岩の岸壁(高さ75m)
中が鍾乳洞になっている

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橋立堂
生きとし生けるものが幸わせでありますように。

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秩父鉄道・浦山口駅に到着
秩父鉄道も今春やっとSUICAを導入した。
切符を購入している間に列車が行ってしまう悲劇(喜劇?)とおさらばだ。

西武秩父駅
「秩父祭りの湯」で汗を流して、西武鉄道で帰宅

 
 7時間の道中、踵や膝の痛みで足を引きずることはなかった。
 進歩である。
 だが、温泉で温めたとたんに痛みが強くなり、そこからはびっこになった。
 一夜明けた今もまだ、普通にまっすぐ歩くことができない。(筋肉痛もあるが)
 足を酷使したあとは温めずに冷やしたほうがいいと分かっているのだが、やっぱり登山後の温泉(と生ビール)は欠かせないのである。

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 武甲山は思ったよりずっと美しく、清新な気が漂う気持ちのいい山であった。
 それというのも、登山道からは北面の採掘現場が一切目に入らないようになっているからである。
 きれいな部分だけ見させてもらった。

 いったいいつまで採掘を続けるつもりなのだろう?
 












 
  
  

● みちのく・仏めぐり その3


5月1日(日)曇りのち雨 郡山~会津若松~大宮

 郡山駅8:29発の磐越西線に乗る。
 磐梯山を車窓の左に右に前に後ろに望みながら、会津若松到着。
 駅前のバスセンターで軽食を取りながら、坂下(ばんげ)行きのバスを待つ。

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会津磐梯山は宝ぁのや~ま~よ

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会津若松駅

 勝常寺は会津若松市の北に位置する湯川村(福島で一番小さい村)にある。
 鶴ヶ城、さざえ堂、飯森山(白虎隊十九士の墓)、七日町通り、東山温泉・・・会津若松観光の定番スポットには入っていない。
 これは勝常寺の存在とその素晴らしさがよく知られていないからであろう。
 ソルティも過去に2度会津若松に来ているが、知らなかった。

 だが、自信を持って言える。
 会津若松に来て勝常寺に行かないのは、京都に来て無鄰菴に行かないようなもの、金沢に来て鈴木大拙館に行かないようなもの、長野に来て戸隠神社に行かないようなものである。
 つまり、静けさと清らかさとゆったりした時の流れを愛する、“通”な大人向けの観想空間である。
 いまの住職があまり観光やら人寄せやらに興味を持っていないのも一因である(と村の人は言っていた)らしいが、本来ならもっと注目を浴びてもいいお寺である。
 なんといっても所蔵の仏像たちがあまりに見事すぎる!

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「道の駅あいづ」でバスを下りる
ここから歩いて15分

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広大な田んぼの間を縫ってゆく
奥に見える森がお寺のあるところ

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参道
地元の人が協力して黒い板塀に揃えたとのこと

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勝常寺

 勝常寺は大同2年(807)、法相宗の徳一上人によって開かれた。
 徳一は最澄との間で繰り広げた三一論争で有名であるが、二十歳にして塵埃まみれの都から草深い会津に移り住み、恵日寺や勝常寺を建立し、当地で仏教を広めた道の人である。その生涯は謎に包まれている部分が多い。(おかざき真理の『阿吽』ではやたらと背の高い隻眼の坊主というキャラである)
 ともあれ、空海、最澄の両天才と同じレベルで論争できたのだから、その学識や思考力や弁論術の高さが比類ないものだったのは間違いなかろう。

 往時の勝常寺は七堂伽藍が奈良の古寺のように整然とたちならび、大勢の僧侶が学問していたという。法相宗の中心教義たる唯識論を学んでいたのだろう。
 鎌倉時代に真言宗に鞍替えして現在に至っている。

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薬師堂(元講堂)
応永5年(1398)再建
国指定重要文化財

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収蔵庫
国宝の木造薬師如来像と日光・月光菩薩像のほか
平安初期の仏像が9体もある

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湯川村の案内パンフレットより
実物の荘厳さ・迫力・気品ある美しさには
思わず膝をつき手を合わせてしまった

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徳一上人の像もあった!
なかなかふてぶてしいご尊顔

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境内は緑豊かで実に気持ちいい
昭和61年に皇嗣時代の令和天皇が訪れている

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本堂
平成22年6月に新築された

 心ゆくまで仏像と対話し所蔵庫を出たら、雨が降ってきた。
 雨宿りできるところはないかと思ったら、お寺の前に休憩所兼みやげ物屋らしき小屋がある。「角屋」とある。
 入ってみたら、天井や壁が竹細工で内装された洒落た造り。
 地元でとれた米や酒、工芸品などが置かれていた。
 店番の人によると、農機具の収納小屋だったものを改装したとのことで、なんとこの4月末にオープンしたばかり。
 村起こしのためいろいろ工夫して頑張っている様子が窺えた。

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角屋

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地元の人と交流できるのも魅力である

 ここで「湯川たから館」のチラシを見つけた。
 常設展として「湯川が生んだ撮影監督 高羽哲夫の軌跡」を展示しているという。
 高羽哲夫の名前は知らなかったが、彼の撮影した映画は有名である。
 なんと、山田洋次監督とのコンビで渥美清主演『男はつらいよ』シリーズの第1作から第48作までを撮っているほか、高倉健主演『幸福の黄色いハンカチ』や倍賞千恵子主演『霧の旗』などのカメラを担当している。
 湯川村出身だったのだ。
 『男はつらいよ』シリーズを順繰りに観ていこうかな~、と思っていた矢先のこの出会い。これを宿縁と呼ばずになんと呼ぼう(偶然?)
 そぼ降る雨の中、お寺の裏手にある「たから館」に足を向けた。

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高羽(たかう)という姓は湯川村でも珍しいらしい

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湯川たから館

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第1作から最終作まで、時代を映すポスターの列は壮観

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ゴッホを愛読していたというのが興味深い
ゴッホの光と影に学んだのだろうか?

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撮影現場の後藤久美子と高羽哲夫
ゴクミが国民的美少女と言われたころ

 寅さんファン、日本映画ファンなら、一度は訪れる価値がある。
 勝常寺、たから館、そして「湯川村が一枚の田んぼ」と言われる昔ながらの田園風景も都会人には新鮮である。
 新しい会津若松の観光スポットになる日も遠くあるまい。
 
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湯川村はコシヒカリの名産地
(湯川村案内パンフの写真より)

 郡山に戻り、東北本線に乗る。
 帰りの窓外はずっと雨。
 角屋で買った凍み餅をかじりながら、『チボー家の人々』を開いた。

凍み餅
もち米・うるち米・紫黒米をつき、自然乾燥して味付けたもの


 振り返ってみれば、お墓とお寺をめぐった旅であった。
 仏に出会う旅。これがソルティの黄金週間か。



 終わり





● みちのく・仏めぐり その2


4月30日(土)晴れ 仙台~山形~寒河江~郡山

 昨晩は東北随一の歓楽街・国分町のカプセルホテルに泊まった。
 露天風呂に入っていたら土砂降りになった。気温もぐんぐん下がって、夜半にはみぞれとなった。
 リクライニングチェアの並ぶ広い休憩室には漫画本がごまんとあった。
 読みたかったおかざき真里『阿吽』を発見。小学館『月刊スピリッツ』で連載されていた作品である。

 同時代に生きて真摯に仏法を追い求め、それぞれ真言宗と天台宗の開祖となった弘法大師空海と伝教大師最澄の出会いと別れ、友情と対立の熱いドラマである。
 佐藤純彌監督の『空海』にも描かれているように、当初は互いに深く尊敬し合っているかに見えた2人の関係は、密教の主要経典である『理趣経』の貸借をきっかけに、そして最澄の一番弟子であった泰範が空海のもとに走ってしまったのをとどめに、決定的な決裂に至った。
 これまで漫画化されていなかったのが不思議なほど、面白いライバルドラマがそこにはある。
 2人を取り巻く登場人物もすこぶる魅力的。
 平安京を開いた豪傑・桓武天皇、第一皇子で精神不安定な安殿の皇子(のちの平城天皇)、その側室となって政権を乗っ取ろうと謀った妖婦・薬子とその兄・藤原仲成、唐の都・長安で空海に密教の奥義を授けた恵果和尚、そして昨年岩波新書から発行された師茂樹著『最澄と徳一 仏教史上最大の対決』によって俄然注目を浴びている気鋭の法相宗僧侶・徳一などなど。

 全14巻のところ立て続けに6巻まで読み、さすがに寝不足を思って手を止めた。
 が、ここでソルティは因縁を受け取った。
 帰りは会津若松に寄って、徳一の開いた勝常寺に行ってみようと思いついたのである。
 ネットで調べてみると、勝常寺には国宝3体はじめ、平安初期に造られた素晴らしい仏像がたくさんあるという。
 これは行かねば・・・・。
 そう決心しながらカプセルに潜った。
 
 翌朝はよく晴れた。
 仙山線で山形へ。宮城と山形の県境の長いトンネルを抜けたら、雪国であった。
 よもやゴールデンウィークに雪を見るとは思わなかった。

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JR仙山線・面白山高原駅

 一足早く山形入りしていたP君と合流し、左沢線で寒河江に行く。
 左沢は「ひだりさわ」でも「さざわ」でもなく、「あてらざわ」と読む。
 読めないよなあ~、ふつう。
 ウィキによると、最上川の右岸を「こちら」、左岸を「あちら」と言っていたのが、なまって「あてら」になったとか・・・(他の説もある)。
 寒河江駅からタクシーに乗り、K君のお墓のあるお寺まで。
 道中はサクランボの白い花が満開であった。

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山形駅

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左沢線と寒河江駅

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寒河江駅

 K君はソルティより3つ4つ年下だったろうか?
 いいとこのお坊ちゃま風な真面目な外見を一皮むけば、美川憲一風のオネエさまであった。
 20年以上会っていなかったので詳しい事情は知らないが、お堅い事務系の仕事をしていてストレスが半端なかったようだ。精神安定剤を飲んでいたとも聞く。
 一昨年の正月早々にK君急逝の知らせをP君からもらった。
 その後にコロナが始まって、墓参りどころでなくなった。
 
 K君のお墓は見晴らしと日当たりの良い小高い丘の上にあった。
 父方の先祖代々の土地のようであった。
 持ってきたお花を活けて、線香をあげた。
 缶ビールを墓前に捧げ、ソルティとP君もご相伴に預かった。
 K君の思い出で一番残っているのは、ある時、寺山修司作×美輪明宏主演で有名になった『毛皮のマリー』を演じるというので、サークルEの仲間数人と連れ立って山形まで観に行ったことである。K君は演技素人なれど、堂々の主演女優であった。
 芝居の途中でマリーに仕える下男役が、食器の乗ったお盆を引っくり返すハプニングがあった。
 しばしのスリリングな間のあとに、マリー扮するK君が「ちゃんと片付けておきなさいよ!」とアドリブでつなげた一言が忘れられない。
 冥福を祈る。

さくらんぼ畑
さくらんぼの花

 今回初めて知ったが、寒河江は源頼朝の側近・大江広元ゆかりの地なのであった。
 鎌倉幕府成立後の文治5年(1189)、その功績により広元が寒河江荘の地頭に任じられたのがそもそもの起こりで、その後天正12年(1584)に18代大江高元が山形城主・最上義光との戦いに敗れて自害するまでの約400年間、寒河江は大江氏の治政下にあった。
 NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では俳優の栗原英雄が奸智に長けた広元を気品をもって演じているが、いま寒河江は密かな広元ブームに湧いている。
 昨日の味方が今日の敵に転じるような鎌倉幕府成立期の混乱にあって、大江広元は最後の最後まで頼朝はじめ北条政子や義時に信頼され、かつ信頼にこたえた男であった。
 ドラマの最終回が近づくにつれ、クローズアップされることであろう。

 その大江一族が篤く庇護したお寺が慈恩寺。
 慈恩寺こそは知る人ぞ知る寒河江の一大名所であり、駅にはポスターが張り巡らされ、多くの観光客が足を運ぶ。
 墓参りを終えた後、参詣することにした。

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寒河江駅で見かけたポスター

 慈恩寺は天平18年(746)聖武天皇の勅命によりインドの婆羅門僧正が開基したと伝えられている。
 江戸時代には東西1キロ、南北5キロにわたる東北一の境内を誇り、本堂や三重塔をはじめ50近い院坊が、寒河江を見下ろす一山全体に散らばっていた。
 国指定重要文化財である木造聖徳太子立像や木造十二神将立像など、鎌倉期の仏像が多く残っており、また山のふもとには令和3年5月にオープンしたばかりの総合案内施設「慈恩寺テラス」があって、地産そばに舌鼓を打ちながら慈恩寺の歴史を学ぶことができる。
 なにより境内の空気のすがすがしいことったら!


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本堂は山の中腹にある

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立派な山門
建造物は江戸時代に再建された

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本堂は国指定の重要文化財
屋根は茅拭き!
中に聖徳太子立像がある

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三重塔
中には木造大日如来座像(ポスターの主役)
御開帳中で拝観なりました


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長い石段を登る
四国遍路を思い出させる風情

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展望台から寒河江町を見渡す
手前を流れているのが寒河江川

 左沢線で山形に戻り、P君と別れる。
 夕食の弁当を買って奥羽本線に乗る。
 GWどこ吹く風のガラ空き車両。 
 ここから郡山まで3時間強の“乗りテツ”夢時間。
 リュックの中には数冊の『チボー家の人々』がある。
 幸せなひととき。

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米沢駅で買った名物ミルクケーキと山梨ワイン



続く

● みちのく・仏めぐり その1

 連休前半に宮城・山形・福島をまわる旅をした。

 主たる目的は、2年前から行方知れずになっている仙台の旧友・X君の捜索、および一昨年の正月に亡くなった山形の旧友・K君の墓参りである。
 一人旅の多いソルティであるが、今回はX君・K君とは共通の友人であり、現在は東京に暮らしていてたまに会って食事する間柄のP君と部分的に同行した。
 X君、K君、P君、そしてソルティの4人は、世代こそ異なれ、ソルティが仙台にいた頃(90年代)に参加していたセクシャル・マイノリティのサークルEのメンバーであった。

 せっかくの、そして久しぶりの仙台行なので、東日本大震災による被災と運行休止を経て2020年3月14日についに全線復旧を果たした常磐線を使い、被災11年後の沿線風景をこの目で確かめることにした。
 あとは足の向くまま気の向くまま、ゴールデンウィークの人混みもおよそ関係ない、普通列車4日間の“乗りテツ”を楽しんだ。

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東京都区内~仙台~山形~福島~大宮~川越のJR乗車券
常磐線→仙山線→奥羽本線→東北本線→宇都宮線→川越線を乗り継ぐ
(上野・山形往復より1000円以上安くなる!むろん途中下車可)


4月28日(木)晴れ 上野~仙台(常磐線)
 
 津波による被害が甚大だったのは、海岸線に近い久ノ浜駅(福島県)~亘理駅(宮城県)間であった。
 このうち最後まで不通になっていた富岡~浪江間(20.8キロ)は、津波の被害はもとより、福島第一原発事故の放射線汚染による避難区域となり、復旧が遅れた。この区域の沿線は、いまだに更地や整備中の土地が多く見られ、津波の被害を受けていない内陸側の沿線でも、人が住んでいる(戻って来ている)のかどうかは定かではないが、荒れ果てた物寂しい光景が目に付いた。

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JR東日本ホームページ掲載の路線図より

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JR常磐線・富岡駅

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 東日本大震災のことをまったく知らない人(たとえば外国人観光客)がいま常磐線に乗って沿線風景を目にしたら、おそらく、ここが地震と津波に襲われて壊滅的被害を受けたとはとても信じられないだろう。
 それほどまでに復興している。
 ただ、観察力のある人がこう思うだけだ。
 「なんだか沿線の住宅も駅もみんな新しいな。やけに墓地が多いな」

 福島県の最北にある新地駅で途中下車した。
 この駅はもとは海岸から200m弱のところにあり、ホームの一部と跨線橋以外すべてが押し流された。
 停車中の列車に乗り合わせていた乗客40名は、警察官の誘導で高台に避難し、全員が無事だったという。

新地駅(旧駅舎)
被災前の新地駅

新地駅・常磐線
被災直後の新地駅周辺

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現在の新地駅
海岸から500m弱の位置に移設された

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新地駅・海岸側

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新地駅・内陸側

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かつての田園風景は失われてしまった

 列車を乗り継ぐこと数回、上野から延々10時間かけて20時に仙台駅着。
 ソルティが仙台にいた頃、仙台駅2階コンコースのステンドグラス前に伊達政宗騎馬像があった。
 県外から列車で来た人にとっては「ああ、仙台に来た!」という感慨に浸れる場所であり、渋谷におけるハチ公のような恰好の待ち合わせの場所でもあった。
 実際、インターネットも携帯電話もない当時、サークルEの月に一度の集合場所は騎馬像前であった。(それを告知するのはゲイ専門の月刊誌であった)
 現在、新しい騎馬像が駅3階に設置されているが、やっぱりステンドグラス前にないのは淋しい限り。
 駅近くのカプセルホテル「とぽす」に泊まる(4800円)

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仙台駅

 
4月29日(金)曇りのち雨、一時みぞれ 仙台 

 午前中は定禅寺通りにある仙台市立図書館(仙台メディアテーク内)に行く。
 昔住んでいたアパート(家賃35,000円だった)のあった界隈なので無性に懐かしい。
 思えば、震災のあった年に被災した友人・知人を訪れて以来だから10年ぶりの来仙である。
 が、街を歩いていて思い出すのは、10年前のことでなく、30年前のあれやこれやである。自分が年をとったせいなのか、あるいは思い出にふけられるほど震災ショックが和らいだせいなのか・・・。
 定禅寺通り突き当りの市民会館前には中国人一家が経営していた美味しいラーメン屋があった。今やフォルクスワーゲンのショールームが入っているビルに代わっている。もうあの味は消えたのか?
 
 図書館に来たのは地方紙のデータベース検索が目的。
 行方不明のX君は2年前にある事件に巻き込まれて、地方紙に名前が載った。
 その後いっさい連絡がつかなくなった。フェイスブックも更新ストップしたままである。
 その後の彼の動向を教えてくれるような記事が同じ地方紙に載っていないか、確認しに来たのである。
 残念ながら――ホッとしたことにと言うべきか――検索には引っかからなかった。

 その後、仙台でHIV関連の市民活動を共にやっていた仲間の一人(♀)と会って、カフェで2時間ばかり談笑した。
 互いに“アラ還(60前後)”と言える年齢になって、出てくる話の一等は親の介護。
 親を見送るのはつらいし悲しい。けれど、長生きしてもらって病気や老衰で治療や介護が必要になった時、先立つのはお金とケアしてくれる人の手。嫌でも向き合わなければならないのは、それまでに築いてきた(築きそこなった)親との関係。
 そして、互いの親の話をしながらも、二人ともに「次は自分たちの番なのだ」と暗に思っている。
 順繰りにやって来るだけの話なのだが、若い時分には身に迫らなかった。

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ケヤキ並木の鮮烈なる定禅寺通り

 東京から到着したばかりのP君と在仙のS氏と勾当台公園で待ち合わせて、S氏の出してくれた車でX君探しの開始。
 S氏もまたX君の古い友人である。X君と連絡が取れないのを不審に思い、住んでいた仙台のアパートを訪れたところ、すでに退去していた。その後、くだんの地方紙にX君の名前あるのを見つけて、P君に連絡くれたのがS氏である。
 ソルティはS氏と会うのははじめてであった。
 
 探す手段として、県北にいるはずのX君の母親(再婚して別の家庭をもっている)のもとを訪ねて、じかに居場所を尋ねてみるのがいいだろう――ということになった。
 とは言え、母親の連絡先も住所も再婚後の姓も知らない。数年前にX君と一緒に列車で訪ねたことがあるというP君のおぼろげな記憶を頼りに、最寄り駅までドライブし、そこから歩いて母親の家を探す。
 なんだか雲をつかむようなとりとめのない話。家の場所も確かでなく、今もそこに母親が住んでいるのか定かでなく、連休の祝日に家にいるかもわからない。たとえ、運よく会えたとして、快く話をしてくれるかもわからない。 
 「たぶんこの家だろう」と半信半疑で玄関のチャイムを推すP君。
 しばらく間があって、出てきたのはまさにX君の御母堂その人だった!
 
 ここまではラッキーだったが、探索はそこでストップ。
 御母堂もまたご子息の行方も連絡先も知らず、数年前から訪問はおろか、一本の電話もメールももらっていないという。
 「亡くなった夫と数年前に大喧嘩して、それからこちらには一度も顔を出していない」
 よくある話であるが、X君は母親の再婚相手すなわち義理の父親とは昔から仲が良くなかった。義理の父親は一年前に亡くなっていた。
 それなら実の父親と連絡取り合っていないかと思い、その所在について伺うと、「前の夫もすでに亡くなったと人づてに聞きました」・・・・

 母親という、何かあればもっとも連絡してきそうな人に連絡して来ないのであるから、これ以上の探索はいまのところ難しいであろう。
 帰りの車で、「本人から何か言って来るまで待つしかないね」ととりあえずの結論に達した。
 その後、P君の発案で、やはりサークルEのメンバーであったオネエのS様のお墓参りをした。
 仙台市内の高台にある緑美しい墓地で拝んでいると、急に雨足が強くなった。
 「あんたたち、来るのが遅すぎるわよ!」とS様になじられている気がした。


続く



● ちばの里山・結縁寺を歩く

 ここもまた、筒井功著『利根川民俗誌 日本の原風景を歩く』を読んで訪れたいと思った。
 聞けば(公財)森林文化協会によるにほんの里100選に選ばれているという。
 その名の示す通り、古いお寺が中心となって数百年続いてきた農村である。
 開発が急ピッチで進んでいる印西地区の中にあって、結界で守られているかのように昔のままの姿が
残されているというのが興趣をそそる。
 暑くなる前に訪ねることにした。

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北総鉄道・千葉ニュータウン中央駅南口MAP
左上に結縁寺がある

日時 2022年4月16日(土)
天候 くもりのち晴れ
行程
11:30 北総鉄道・千葉ニュータウン中央駅
     歩行開始
11:50 ニュータウン大橋
12:30 結縁寺着~熊野神社~谷津めぐり
13:20 松崎台公園、昼食(40分)
14:50 頼政塚
15:20 結縁寺、休憩(20分)
16:00 名馬塚
16:15 にんたまラーメン、軽食(30分)
17:40 真名井の湯
     歩行終了
所要時間 6時間10分(歩行4時間40分+休憩1時間30分)

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北総鉄道・千葉ニュータウン中央駅
北総鉄道に乗るのは人生初めて
沿線の開発ぶりに驚いた!
千葉県の中心は千葉市や船橋市でなく
今やこっちなのか?


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駅前広場
高層マンションやショッピングモールが立ち並ぶのに
人がいないのが不思議


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線路沿いに設置された太陽光パネル

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ニュータウン大橋を渡る
これは川ではなくて調整池

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ニュータウン大橋と駅周辺を振り返る

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池の周囲に気持ちのいい緑地が広がる
しかし人がいない

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東京キリスト教学園を目印に進むとわかりやすい
時折打ち鳴らされる鐘の響きがなんともゆかしい

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このあたりから風景ががらりと変わる
令和からいきなり昭和40年代以前に突入した感じ

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畑中の道と学園の鐘楼

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道路を挟んでくっきりと時代が異なる
(多々羅田町付近)

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自家製野菜の販売所

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多々羅田の守り神・道祖神

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多々羅田を抜けると森に入る

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見事に育った孟宗竹
森を抜けて坂を下りたら・・・

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晴天山・結縁寺
神亀年間(724~729)に行基が創建したと伝えられる
重要文化財に銅造不動大名王立像を擁す
蓮池と木々に囲まれた素朴なたたずまいは癒し効果抜群!

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現在の本堂は2005年に新築されたもの
シンメトリカルで美しい

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本堂横に小さなお堂が・・・

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ハイハイ、今回もあなたが呼んだのですね
真言宗豊山派のお寺でした

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境内はさして広くないが、きれいに掃除されて気持ちいい
いつまでもいたくなる

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境内から池を望む
この光景、デジャヴュあった

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蓮の見頃は7月中旬くらい
きっと極楽浄土のようだろう

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池をはさんで寺を見る
中ノ島に弁財天が祀られている

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熊野神社

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祭神はむろん熊野権現


 ここから「にほんの里100選」に選ばれた風景を歩く。
 結縁寺の特徴は谷津(谷戸、谷地とも言う)と呼ばれる地形にある。
 これは高台に無数の細い谷間が複雑に切り込んだもので、谷底が湿地であるため水田に適している。
 こんもりした古墳のような雑木林とその間隙を埋める76ヘクタールの水田。  
 大昔からほとんど変わっていないであろう日本の伝統的景観や歴史遺跡を逍遥する。

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これから田植えシーズン

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心に沁み入る懐かしさ
子どもの頃、近くの農家までラジオ体操に通った夏の朝を思い出す

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泥道もまた良きかな
肩の力がふうわりと抜けていく

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湧き水豊かな湿地帯なので水はけが大事

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ほらごらん、蜃気楼のような21世紀を

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広々した松崎台公園で昼食
ウグイスの鳴き声を子守歌に草の上でゴロ寝

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数十年前どこにでもあった風景がこんなに貴重になるなんて・・・

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顔の筋肉がゆるみだす
ゆったりと流れる時間は身体に直接作用する
ウクライナで起きていることが夢のよう・・・

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田植えの頃、刈り入れの頃、また来たい

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要所要所にある道しるべ
訪れる人の少なくないことを示す

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頼政塚

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源頼政は大河ドラマ『鎌倉殿の13人』にも登場した武将
鵺(ヌエ)退治の勇者としても知られるが、こんな最期だったとは・・・

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高台の住宅地にあるお堂

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森の中にあった「車塚」

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森の中の道

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結縁寺に戻ってきた
20分瞑想し、別れを告げる

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名馬塚
源頼政の首を運んだ馬が葬られている

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観音の頭部に馬が乗っている

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おっ! なんだか馬そうな旨そうな気配

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大蒜たっぷりのコクあるスープと自家製玉子麵(680円)
美味でした

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来た道を戻る

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鈴蘭の花盛り

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締めはニュータウン中央駅近くの温泉
海が近いわけでもないのに塩辛い湯だった


 令和から平成、昭和、大正、その昔・・・・へと時間を遡っていくような散策であった。
 結縁寺に入ったとたん、空気の色と時間の流れが違っていた。
 まさに結界の中に入り込んだような感覚。
 意識の次元も変わるような気がした。
 連休前のせいか訪れる人も少なく、静かで平和な里歩きを楽しめた。

 願わくば、自然と静寂と弘法大師を愛する人が訪れてくれますように。
 ここでは一日、スマホを忘れて過ごしてほしい。







  


















● 春の踊り子たち

 先だって利根運河を歩いたときに、運河の土手にヒメオドリコソウ(姫踊り子草)が群生しているのを見かけ、記事にも上げた。

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ヒメオドリコソウ(学名:Lamium purpureum)
シソ科、ヨーロッパ産で明治期以降に日本に入ってきた
(言われて見ればシソの色)

 この川端康成チックなゆかしい名前は、花の形が「笠をかぶった踊り子」を思わせるからということだが、上記の写真からそれがわかるだろうか。
 ソルティはかなり苦しい比喩と思った。(そもそも花が小さ過ぎ) 

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 先日、20度を超えた陽気に誘われて家の近くを散歩していたら、ヒメオドリコソウがあちこちの道端に咲いているのに気づいた。 
 
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 最初の画像と比べると、紫蘇色のクリスマスツリーのような葉形が崩れて、白っぽい花がすっかり満開となっているのがおわかりになるだろう。
 花をアップする。

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 花が身を起こすように立ち上がっている。
 踊り子というより、ゴルフ場にいるキャディのおばさんのように見える。
 「そこは3番アイアンね」

 ではこれなら?

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 笠をかぶり扇子を手に広げた踊り子たちとしか見えない!
 そろいの薄紫の着物が美しい。
 花笠音頭がどこからか聞こえてくる。

   目出度目出度の 若松様よ
   枝も
   チョイチョイ
   栄えて葉も茂る
   ハー ヤッショ マカショ
   シャンシャンシャン

 名前の由来に十分納得した。




  

 






  

● 利根運河の春を歩く(後半)~運河駅・江戸川往復~

 野菜たっぷりラーメンを食べて、すっかり満腹となった。
 ここまで4時間近く歩き続けて、2年半前に骨折した左足くるぶしに痛みが生じていた。
 「ここで中止しようか」という思いも一瞬浮かんだが、限界を知るいいチャンスと思い直し、続行。

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ふれあい橋のすぐ先に立つ運河交流館
時間があれば寄りたかった

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このあたりは運河水辺公園として市民に親しまれている

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運河に渡した木橋よりふれあい橋を振り返る

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桜攻勢はまだまだ続く

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運河大橋(県道5号)

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地平線が見える平野がまだあったのか・・・

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ついに放水口に到着!

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江戸川だあ!
利根川取水口から8.5㎞、2時間20分(休憩のぞく)を要した

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江戸川は埼玉県・東京都から千葉県を分かち、東京湾に注ぐ
つまり千葉県は、江戸川・利根川・太平洋・東京湾に囲まれたアイランド(島)なのだ

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河川敷では開発が進む
 
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放水口の岸辺で釣り糸を垂れる太公望

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放水口より運河を振り返る

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江戸川の対岸は埼玉県吉川市


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ここにも桜の園があった
休憩して足をマッサージ(限界近し)

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右岸に回って運河駅へ戻る
彼方に筑波山が見えた

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〽菜の花畑に入り日薄れ

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不思議な光景に見えますが・・・
(ゴルフの練習場です)

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おや、これはなんだ?

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利根運河・四国八十八霊場
大正2年(1913)運河開削工事の犠牲者の慰霊と地元住民の交流を目的として建立。
運河沿いに四国八十八の札所を模した参拝所が点在し、巡礼することができる。
ここには十七札所がまとまっている。

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結局、今回もこの方に呼ばれたのか・・・・

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運河沿いの窪田酒造
明治5年(1872)創業。いまも地元の酒米を使用している。
代表銘柄「勝鹿」

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窪田味噌・醤油工場
大正14年(1925)創業。野田の醤油はキッコーマンとキノエネだけではなかった。

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東武アーバンパークライン・運河駅に無事帰還


 連続15kmの歩行は、骨折以来の最高距離であった。
 帰りは左足を引きずって歩く始末で、翌日はほぼ一日、足を休めていた。
 連日の長距離歩行はまだ難しいようだ。
 が、今年中の登頂を企図している秩父の武甲山(1304m)も両神山(1723m)も総歩行距離10㎞くらいなので、もう少し鍛えれば挑戦できそうだ。

 一つ気づいたことがあった。
 利根運河の完成は1890年(明治23)、関東大震災および福田村事件があったのは1923年(大正12)である。当時の福田村一帯はまさに運河の開通の恩恵を被っていたのである。
 一方でそれは、つながった利根川と江戸川を利用して、たくさんの見知らぬ人々がこの農村にやってくるようになったことを意味する。中には香取神社や円福寺を詣でる人もいたことだろう。
 この事件を最初に知ったとき、ソルティは、“よそ者”に慣れていない閉鎖的な農村で起こった悲劇という印象を持ったけれど、たぶんそれは事実とは異なる。
 震災の直後に朝鮮人暴動の噂が広がったとき、村人たちは川を上って来るいつもの“よそ者”を恐れたに違いない。
 利根運河の開通が、事件の一つの因をなしていた可能性を思った。

 それにしても、どこに行っても弘法大師と出会うのは不思議なほど。
 いや、弘法大師がそれだけ庶民に愛されていることの証左なのだろう。

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 おんあぼきゃ、べいろしゃのう、まかぼだら、まに
 はんどまじんばら、はらぱりたやうん

 不空真実なる大日如来よ 
 偉大なる光明により
 暗き世を明るく照らしたまえ
 (光明真言)












● 利根運河の春を歩く(前半)~利根川から運河駅まで~

 福田村事件のあった三ツ堀・香取神社をあとにし、利根川の土手を下流へ向かう。
 左手に広がるゴルフ場を横目に、40分ほど歩けば利根運河にぶつかる。
 この運河もまた、筒井功著『利根川民俗誌 日本の原風景を歩く』に登場し、興味を引かれた。

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運河の水量を調節する水門
高低差のため、利根川から江戸川へと流れる

 利根運河は、利根川と江戸川を結ぶ全長約8.5キロの水路。
 オランダ人技師ムルデルの設計・監督のもと220万人もの労働者を動員し、1890年(明治23年)に完成した。
 当時、一日平均100隻もの船が通航し、利根川流域の村々と江戸との間の人や物資の輸送を担った。
 大正期に入ると運輸の中心は貨物列車が占めるようになり、また度重なる洪水被害の影響もあって船運は衰え、昭和16年(1941)の台風被害で事実上運航不可能となった。
 現在、四季折々の風情豊かな運河沿いの道は、散歩やジョギングやサイクリングを楽しむ人々に愛され、2019年には文化庁選定の「歴史の道100選」に選ばれている。

 利根川取水口から江戸川放水口まで、利根運河を歩いてみた。

日時 2022年4月2日(土)
天候 晴れ
行程
12:05 香取神社前バス停
     歩行開始
12:10 香取神社、円福寺
13:10 利根川土手
13:50 利根運河・利根川取水口
14:00 北部クリーンセンター下
     休憩(20分)
14:40 市立柏高校
15:30 桜並木
     休憩(10分)
16:00 東武アーバンパークライン・運河駅
     昼食(30分)
17:10 利根運河・江戸川放水口
     休憩(20分)
17:50 利根運河大師
18:25 東武アーバンパークライン・運河駅
     歩行終了
所要時間 6時間20分(歩行5時間+休憩1時間20分)
歩行距離 約15㎞

 まずは、利根運河の地図上の位置を確認。

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利根運河の位置1
千葉県の左肩にあり、茨城県(守谷市)と埼玉県(吉川市)をつなぐ

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利根運河の位置2
かつて利根川流域から江戸川流域に物資を運ぶには、
二つの川の分岐点である境町あたりまで上らなければならなかった。
それが大幅に短縮されたわけである。

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利根運河の位置3
運河の北側が千葉県野田市、南側の右半分が柏市、左半分が流山市。
東武野田線(アーバンパークライン)と交差する地点が運河駅。

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地形図
流域で建物が密集しているのは運河駅周辺。
農地や未開発の土地が多い。


 まずは、水門から流れを遡って、利根川取水口にレッツ・ゴー!

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突きあたりの土手の向こうが利根川

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いまは二つの樋管によってかろうじて流れがつながっている

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坂東太郎こと利根川
奥に見えるは利根川橋

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利根運河取水口
先ほどの樋管に通ず

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利根川対岸は茨城県守谷市

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ここで運河を渡る
以降、運河の左岸を歩きます

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整備されていない、道なき道がしばらく続く

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藪の中のウグイスの声を聴きながらしばし休憩
(北部クリーンセンターあたりの土手下)

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姫踊り子草(ヒメオドリコソウ)
花の形が笠をかぶった踊り子の姿を思わせることからその名が付いた

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出番です!

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さきほどの水門を反対側から見る

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振り向けば桜と鉄塔
千葉にはまだまだ土地がある

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柏市立柏高等学校
グラウンドでは野球の試合が行われていた

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自転車で下校する高校生ら
この素敵な風景がいつの日か彼らの思い出に。

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城の越排水樋管
運河の水は飲料水、農業用水、工業用水として利用されている

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運河の利根川近くは、人手が入っていない野趣あふれる風情が続く

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おお!
運河には桜が良く似合う
(まだ序の口です)

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関東は夜から土砂降り。
今年最高にして最後の花見日和であった。

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対岸のホテル
休憩2時間2800円は高いのか安いのか
ソルティには見当つきません

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国道16号線柏大橋を後方に見る
(振り返り撮影が多いのは、お日様に向かって歩いているので逆光を避けるため)

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うわっ!!
こんな光景が待ち受けているとは思わなんだ
(流山市に入っています)

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知られざるポイントなのか、人がそれほど出ていなかった

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青空と桜と菜の花のコントラストが鮮やか

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対岸には東京理科大学野田キャンパス

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ふれあい橋と東武アーバンパークライン鉄橋

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東京理科大学を望む
このように素晴らしい環境で学生生活を送れるとは幸せだ

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運河駅近くのラーメン店で遅い(16時!)昼食
取水口から運河駅周辺までお店がなかった

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野菜ラーメン850円
一日分のお野菜はしっかり採れました



後半へ続く















  
 

 

● 福田村事件の追憶

 筒井功の『利根川民俗誌 日本の原風景を歩く』の中に大正12年(1923)に起きた福田村事件の記載があった。
 関東大震災の時に発生した「朝鮮人暴動」という流言飛語に乗せられて起きた、地域住民による集団暴行殺害事件で、被害者となったのは朝鮮人ではなくて、香川県から行商に来ていた被差別部落の住民たちであった。
 一行15名のうち、6歳、4歳、2歳の幼児3名を含む男女9名が、鳶口や竹槍や日本刀で襲われて、その場で絶命した。女性の一人は妊娠中だったので、胎児を含めると10名が殺されたことになる。

 この血みどろの殺戮劇があったのは、千葉県東葛飾郡福田村三ツ堀(現在の野田市三ツ堀)の香取神社周辺で、当地での行商を終えた一行は利根川を渡って、隣の茨城県に向かう途中であった。
 そこで渡し場の船頭とのちょっとした諍いがもとで足止めを食らい、集まってきた村人たちに「朝鮮人ではないか」と問い詰められたあげく、恐怖と怒りから我を忘れ狂気と化した男たちによって惨殺されたのである。
 
 ソルティは少し前に加藤直樹著『九月、東京の路上で』ほか、朝鮮人虐殺に関する本を読んでいたこともあり、一度現地を訪ねてみようと思った。

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東武アーバンパークライン・野田市駅

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駅前にあるキッコーマンの工場

 「東武アーバンパークライン」という、かつての「E電」と同じ運命をたどりそうな、いっこうに馴染みそうもない愛称を奉られた「東武野田線」の野田市駅からバスに乗る。
 野田は千葉県内で銚子と並ぶ醤油のふるさと。業界最大手のキッコーマンと白醤油部門では業界最大手のキノエネ醤油が所在する。
 駅を降りたら醤油の香りがぷんぷん――ということはなかった。

 香取神社前まで「まめバス」という愛称をもつ可愛いコミュニティバスに乗り約20分。
 市街地を過ぎると、古くからの農村風景と郊外バイパス沿線の無味乾燥な風景が入り混じった、どこにでもある光景が広がる。
 利根川の土手が見えてきたら目的地は近い。

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香取神社前バス停
野田市駅からコミュニティバスで100円

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のどかで平和な風景が広がる

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香取神社はバス停から歩いてすぐのところにあった

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香取神社と隣接する円福寺(神仏習合の時代は別当寺だった)

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香取神社
千葉県香取市の香取神宮を総本社とし、経津主神(フツヌシノカミ)を祀っている。
経津主神は刀剣の威力を神格化したものと言われる。
まさか村人たちに神が乗り移ったのか?


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拝殿と本殿が分かれている本格的な造り

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境内には日露戦争の記念碑なども建っている

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鳥居の内側から参道を見る
一行15名のうち生き残った6名は、針金で鳥居に縛られていたという。
殺された9名は、参道の途中にあった茶店の床几に座っていた。
想像するに、鎮守様の境内にいた人間にはさすがに地元民は手が出せなかったのではないか?

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円福寺(真言宗豊山派)

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円福寺境内に見かけた九地蔵
一般に、輪廻転生する六道(天界・人界・阿修羅道・餓鬼道・畜生道・地獄)に合わせた六地蔵が普通。
九体ある(しかも左の三体は子供のように見える)ことに、九人の犠牲者との関連はあるのか?
お地蔵様自体は、明治初期の廃仏毀釈の影響が見られるので、相当古い時代(江戸時代以前)のものに思われる。


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少し離れたところに円福寺の霊園がある

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この境内に福田村事件の被害者を祀る慰霊碑があるらしい
(ソルティは気がつかなかった)

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香取神社、円福寺の裏手が利根川
河川敷ゴルフ場のはるか彼方に名峰・筑波山が霞んで見える

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広々した空間が気持ちいい利根川の土手

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前方に見えるは常磐自動車道の利根川橋

 このように今なお風光明媚でのどかな土地で、かくも残虐非道な振る舞いが行われたことに驚くばかり。
 来年(2023年)は、福田村事件100周年にあたる。
 オウム真理教信者の日常を描いた『A』『A2』や『放送禁止歌』等の作品で知られるドキュメンタリー作家の森達也が、この事件の映画化を企図しているとのことで、最近キックオフイベントが行われたとのニュースを読んだ。
 いったいどんな作品になるのか期待大であるが、ひとつだけ留意したいのは、現在三ツ堀に住んでいる人々には、何の責任も罪もないってことである。

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亡くなられた犠牲者の冥福を祈る



 

 

● 本:『利根川民俗誌 日本の原風景を歩く』(筒井功著)

2021年河出書房新社

 江戸時代後期、千葉県布川に赤松宗旦という医者がいた。
 晩年に、地元布川を中心とする利根川流域の歴史・風俗・動植物を紹介する図説入りの本を書いた。
 それが『利根川図志』(1858年刊行)である。

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 本書は、利根川流域を転々と移り住んできたという筒井が、宗旦の『利根川図志』に倣って、自らの興味の赴くままに、岸辺の町や遺跡や風物を訪ねて紹介したものである。
 民俗紀行エッセイといった感じであろうか。

 坂東太郎もとい利根川は、新潟県と群馬県の境にある大水上山(1,831m)に水源を発し、群馬県を縦断し、埼玉県の上辺をなぞり、東北本線栗橋駅の北で渡良瀬川と合流したあと、茨城県と千葉県の県境を作りつつ、銚子(犬吠埼)で太平洋へと注ぐ。
 全長は322km、信濃川に次いで日本で2番目に長い。
 
 本書で対象とされるのは、渡良瀬川との合流地点から下流部分について。
 主たる町の名を上げれば、古河・野田・坂東・我孫子・取手・布川・印西・成田・香取・潮来・神栖・銚子。
 我孫子から銚子までは、JR成田線沿線となる。

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 こういう本は、実際に現地を足で巡りながら読むのが一番面白いのであるが、さすがにそれはたいへんなので、昭文社『スーパーマップル 関東道路地図』を手元に置きながら、取り上げられる町の地図上の位置を利根川や鉄道との関係で確かめつつ、読んでいった。
 おかげで、ちょっとした旅行気分が味わえた。
 JR一筆書きツアーで何度か成田線には乗っていて沿線風景も目にしているが、この路線では下車したことがないので、非常に興味深かった。
 
 題材は幅広い。
 赤松宗旦や柳田邦男の住んだ家や家族の話、非定住民たちのテント集落があった森、変わった土地の名前の由来、利根川の流れの変遷や度重なる水害、“風俗壊乱(乱交)”の祭りの伝承、平将門伝説、宝珠花にあった遊郭、昭和40年代初期まであった霞ヶ浦の帆曳き網漁、工業団地に化けた砂丘、銚子半島と紀州和歌山とのつながり・・・等々。 
 まさに「町に歴史あり」「川に歴史あり」といった話のオンパレードで、民俗学の面白さを堪能した。

 読んだら、どうしても訪ねてみたくなった場所があった。
 花粉シーズンがおさまったら出かけようっと。





おすすめ度 :★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損




● 2022秩父・春のお彼岸リトリート(後編)

 最終日はまずまず晴れたので山歩きした。
 秩父札所巡礼時を含め3度目となる琴平ハイキングコース。

●歩いた日 3月20(日)
●天気   曇り時々晴れ
●タイムスケジュール
12:30 秩父鉄道・影森駅
    歩行開始
12:40 大渕寺(秩父札所27番)
13:00 護国観音
    昼食(20分)
13:40 円融寺奥ノ院・岩井堂(秩父札所26番)
14:00 東屋 
    休憩(10分)
15:20 野坂寺(秩父札所12番)
16:00 カフェ「木亭」
    歩行終了
●所要時間 3時間30分(歩行3時間+休憩30分)
●標高   399m(最大標高差165m)

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秩父鉄道・影森駅スタート

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札所27番大渕寺
曹洞宗のお寺。裏手の崖を登ると・・・

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護国観音
昭和10年(1935年)建立、高さ16.5m
足下のナップザックで大きさを実感してください

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眺望をおかずにおにぎりを食べる
至福のひととき

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札所26番円融寺・岩井堂
清水の舞台や山寺(立石寺)を思わせる江戸中期の建築

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岩井堂に奉納された額絵
NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』に登場する畠山重忠ゆかりの寺
(重忠を演じているのは中川大志)

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生きとし生けるものが幸せでありますように


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崖の上に建つ修験堂
この険しい丘陵は修験道の地でもあった

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行者たちはこの岩を這い上がったのだろう

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ピーク(399m)付近から見える武甲山の尾根

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武甲山山頂

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岩の多い静かな山道を進む

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下山して里山風景に癒される。振り返ると・・・


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梅が見頃であった

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札所12番・野坂寺
臨済宗のお寺。四季折々の花が美しく、清涼な気の満つるパワースポット

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臼を引く女性像
境内のお堂の中にある木彫り十三尊仏は地元の公務員さんが
母親の成仏を願い、仕事のかたわら独学で彫り上げたという
臼を引く母親の像には作り手の愛と感謝が籠められている

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街中に古風なカフェを発見

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その昔養蚕をしていた蔵を改装した店内は雰囲気抜群!

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コーヒーとレアチーズケーキが足の疲れを忘れる美味しさだった
こういった素敵なお店との出会いも旅のよろこび

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秩父鉄道では春から秋の間、SL(蒸気機関車)を走らせている

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ボーッという汽笛の音が旅情をかき立てる
(秩父鉄道・寄居駅付近)


今回も良いリトリートであった。
































 

 

● 2022秩父・春のお彼岸リトリート(中編)

 秩父に行くたびに必ず参詣するのは、秩父神社と札所16番・西光寺である。
 秩父34観音札所には、弘法大師が創設したと言われる四国88巡礼札所とは違って、真言宗のお寺は少ない。
 真言宗は34札所のうち、16番西光寺、21番観音寺、22番童子堂の3つである。
 残りの19ヵ所は曹洞宗、12ヵ所は臨済宗、つまり禅寺が多いのである。

 四国歩き遍路をしたソルティは、当然、弘法大師と同行二人の人生と思っているので、真言宗のお寺には愛着が湧く。
 16番西光寺は、JR秩父駅から徒歩15分、秩父公園橋(荒川)から徒歩5分のアクセスのよい街中にあり、近くに秩父最大のショッピングセンターたる「Bercベルク」もあるので、毎日のように参拝することになる。
 また、宗派云々は別としても、ここのお寺は明るく、季節の花や緑が多く、長閑な雰囲気に包まれ、いつ行っても気持ちが安らぐ。
 すっかり人慣れしている猫たちが境内のベンチや段ボール箱の中でごろ寝しているところも、癒しポイント高い。

西光寺1
16番・西光寺境内(初夏)

 もちろん、境内には真言宗のお寺にはお約束の、笠をかぶり錫杖を付いた弘法大師さまの像が立っている。
 しかし、ここ16番には別に、驚きのお大師様がいる。
 裏手の駐車場になんと化粧したお大師様――ソルティ命名“お女装大師(おじょそだいし)”――がお立ち遊ばれているのである!
 そのお隣には、石の涅槃像すなわち今まさに入滅されたばかりのお釈迦様が横たわっておられる。
 空海と涅槃像――この組み合わせは、高知県の室戸岬を想起させる。

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弘法大師像(一般)


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お女装大師

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釈迦涅槃像
もしかして目を開けている?!

 さらに、16番の境内には四国88ヶ所の本尊が祀られた回廊がある。
 四国に行かずとも、この回廊を巡って一つ一つの本尊に経を捧げれば、四国遍路したのと同等のご利益が期待できる!――というわけだ。
 ソルティは、この回廊を巡りながら、1番から順番にお寺の名前を口にして記憶を新たにし、自作の御詠歌を読み上げる。
 遍路したときのいろいろな思い出がよみがえる。

西光寺2
四国88霊場回廊


 今回も16番に足を運び参拝し、回廊巡りしていたら、こんなものを見つけた。
 
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弘法大師空海すごろく(真言宗豊山派制作)

 空海の生誕から、亡くなったあと醍醐天皇より「弘法大師」という称号をもらうまでの一生を、すごろく仕立てにしたものである。
 大学入学(1 8歳)、唐に行こう(31歳)、大きな池をなおす(48歳)、真言宗の確立、みんなの学校をつくる(55歳)など、主要な出来事が刻まれている。
 早く上がることが目的ではなく、途中途中でもらったり返したりする“散華(蓮の花びらを模した色紙)”を最終的にたくさん集めた人が勝ちとなる。
 大人も子供も遊びながらお大師様のことを学べるツールというわけだ。
 逆に言えば、すごろくが作れるくらいに弘法大師の生涯は波乱万丈で豊かで面白いものなのだ。
 上記のような大きな転機以外にも、「字が上手(三筆と讃えられた)」とか「いろは歌を作った」とか「祈祷で雨を降らせた」とか「中国からうどんを持ち帰った(讃岐うどんの由来)」とか、まさに天才の名に恥じないエピソードばかり。
 
 ちなみに、62歳で亡くなられた時のコマの文言は、「人々と共に生き続ける」である。
 そう、真言宗ではお大師様は“亡くなった”のではなく、高野山奥之院にて“入定”し、弥勒菩薩の出現の時まで衆生救済を願って瞑想修行しているのである。

弘法大師像
高野山奥の院の弘法大師像







● 2022秩父・春のお彼岸リトリート(前編)

 彼岸の3連休を利用して秩父入り。
 瞑想と読書と散策の日々を過ごした。

 今回は木島泰三著『自由意志の向こう側』という哲学本を持って行ったのだが、これがソルティには難しくて、なかなか消化できず、苦労した。
 実のところ、長時間瞑想すると、頭はスッキリするよりもむしろボーっとする。
 論理を追うのが下手になる。 
 リトリート瞑想中に読書するなら、学術書はあきらめて、易しい仏典かミステリーくらいにしておくべきかもしれない。(その代わり、瞑想から帰った後に頭が活性化する感はある)

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 総じて曇りがちで肌寒かったので、これ幸い、宿に閉じこもっていようと思っていたら、結局、秩父の魅力と春の花々に惹かれて散策三昧、結構な距離を歩いた。

 秩父盆地は大昔に荒川の流れが作った河岸段丘が有名で、荒川に架かる巨大な秩父公園橋から市街地方面を見やると、面白いように地形が段々になっているのが分かる。
 武甲山から続く山々の稜線を最高位とし、羊山公園・聖地公園のある丘陵が中段、西武秩父駅や秩父神社がある現在の市街地が低段、そこからまた一段下がってバーベキュー族が集まる今の荒川岸となる。
 こういう段丘を見ると、どうしても実際に足で登ったり下ったりしたくなるのがソルティの昔からの癖で、今回も市街地と聖地公園を分かつ、最も目立つ段丘の下まで足を運んでしまった。

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聖地公園の河岸段丘(標高差約140m)


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 登るか?
 登ろう!
 九十九折の坂道をちょっとゼイゼイしながら登りきると、ナチュラルファームシティ農園ホテルの裏に出る。
 展望台があった。

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正面:眼下に秩父第一小学校

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両神山がデカい

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左手(南側)

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右手(北側)

 また下りるのも癪なので、そのまま丘の上の住宅地を進んでいったら、「札所11番→」の道標があった。
 野道に踏み入る。
 しばらく畦道や林の中の小道が続く。
 それが鬱蒼とした山道になった。
 おそらく地元の人でも知らないような静かでステキな道である。
 途中にあった道標からして、どうやら横瀬町の札所と秩父市の札所とをつなぐ、かつての遍路道らしい。
 いい散歩道を発見した、ルン
 途中、武甲山とセメント工場の煙突に抱かれた横瀬町が望めた。

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武甲山

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横瀬町

 と、急激な便意を催した。
 マ、マズイ!
 こんなところにトイレなんかない。
 「の・ぐ・そ」の3文字が浮かぶ。
 誰も来そうもないし、このへんで・・・・。
 が、なんとティシュペーパーを持ってなかった。
 ヤ、ヤバイ!!
 漏れないようにこらえながら脚を速めたら、向こうからリュックを背負ったうら若き女性が現れた。
 や、やばかった~。
 札所11番の脇から国道に降りて、近くのコンビニにダッシュ!
 間に合った~
 
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 秩父鉄道の踏切を渡ると、秩父神社の前に出た。
 参詣す。
 ここの拝殿の周囲の壁は、いろいろな伝説や教訓をモチーフにしたカラフルな彫刻に覆われている。
 しばらく前から修復中だった西面の「お元気猿」が色彩鮮やかに披露されていた。


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秩父神社

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鳳凰

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「よく見て、よく聞いて、よく話す」(日光の三猿とは逆)


 ロシアとウクライナの人々が幸せでありますように!
 生きとし生けるものが幸せでありますように!



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