ソルティはかた、かく語りき

東京近郊に住まうオス猫である。 半世紀以上生き延びて、もはやバケ猫化しているとの噂あり。 本を読んで、映画を観て、音楽を聴いて、芝居や落語に興じ、 旅に出て、山に登って、仏教を学んで瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

旅・山登り

● らかんさんに呼ばれて

 「目黒のらかんさん」として知られる五百羅漢寺には行ったことがなかった。
 どうせなら、桜並木で有名な目黒川沿いを歩いて行こうと思い、東急東横線の中目黒駅で下車した。
 ここで降りたのは実に40年ぶりくらい。
 駅前のそば屋で軽く腹ごしらえし、東横線のガード下から品川方面に目黒川を下向した。
 炎天下で直射日光はきびしかったが、川沿いの道は木陰続きで、ときに風が抜けて、心地良かった。

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東急東横線・中目黒駅
学生時代、テニスのサークルでここで飲んで潰れたような記憶が・・・

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「吉そば中目黒」店の冷しかき揚げそば
かき揚げは大きく、そばは喉ごし良く、美味だった

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東急線ガード下より品川方向を見やる
目黒川は世田谷区三宿を起点とし、東京湾に注ぐ
全長およそ8km

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このようなベンチがところどころにあるのがうれしい。
超高齢化時代には欠かせない施設である。

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河岸には美術館や公園、モダンなマンションや小粋なレストランが並ぶ。
なかなかハイブロウな感じ。

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モダンでメタリックな外観にもどこか昭和クラシカルな風情が漂う。

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柊(ヒイラギ)庚申講
地域の古い信仰が垣間見られる
柊は古くから邪鬼の侵入を防ぐと信じられ、庭木に使われてきた。家の庭には表鬼門(北東)にヒイラギ、裏鬼門(南西)にナンテンの木を植えると良いとされている(鬼門除け)。また、節分の夜にはヒイラギの枝に鰯の頭を門戸に飾って邪鬼払いとする風習(柊鰯)が全国的に見られる。(ウィキペディア「柊」より抜粋)

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目黒区民センター
裏手に目黒美術館がある

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ふれあい橋より上流(渋谷方向)を振り返る
清掃工場の煙突がひときわ高い

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下流(品川方向)
桜の季節の賑わいが目に浮かぶ

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散歩やジョギングに恰好の道

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目黒の名を一躍有名にしたのは「さんま」と「エンペラー」
目黒エンペラーは1973年(昭和48年)12月創業のラブホテル
ラグジュアリーな装飾で一世を風靡した
このお城が見えれば目黒駅は近い
羅漢寺も近い

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天恩山五百羅漢寺
元禄8年(1695)建立、開基は松雲元慶(1648-1710)

 松雲は40歳の時に五百羅漢を彫ろうと発願し、江戸に出て托鉢により資金を集めた。
 時の将軍徳川綱吉などの援助を受けながら独力で彫像し、完成に近づいたところで、像を納めるために堂宇を建てた。
 当初は本所五ツ目(現在の東京都江東区大島)にあったのだが、明治41年(1908)に現在地に移転した。
 現在、305体が残っているという。(堂内は撮影禁止)

 五百羅漢とはその名の通り、五百人の阿羅漢(完全な悟りに達した人)の謂いである。
 お釈迦様が亡くなったあとその教えを守り伝えるために、500人の阿羅漢が集い、マハー・カッサパとアナンダが中心となって教えの確認作業を行った。
 いわゆる第一結集である。
 そこに参加した比丘たちを称え敬うことから、五百羅漢像が作られるようになった。
 ソルティもこれまでにいろんな場所で五百羅漢像を見てきたが、とくに印象に残っているのは、秩父の羅漢山と四国遍路第66番雲辺寺のそれである。
 概して、通常の仏像(如来や菩薩や明王など)が生真面目で厳かな顔、あるいは聖人らしい穏やかで慈悲深い顔をしているのにくらべ、五百羅漢は表情も姿恰好も持ち物も非常にヴァリエーションに富み、ユニークで人間らしく、見て面白いのが特徴である。
 それゆえ、庶民に親しまれやすいのだ。

羅漢山1
秩父の羅漢山の羅漢さん

羅漢山2
こんなのもある

雲辺寺羅漢1
四国66番札所雲辺寺の羅漢さん

 目黒五百羅漢寺の羅漢さまにはお一人お一人に名前(〇〇尊者)が付けられ、それぞれ教訓のような「おことば」が付与されていた。
 たとえば、
  • 仲良く睦みあう(衆和合尊者)
  • 道は山のごとく登ればますます高し(山頂竜衆尊者)
  • わけへだてのない心(心平等尊者)
  • 仏も昔は凡夫なり(没特伽尊者)
  • 苦しみから逃げると楽しみも遠ざかる(雷光尊者)
  • 仕事にうちこむ美しい顔(勇精進尊者)
 鑑賞する人は、たくさんの羅漢さんの中から自分が惹きつけられた顔や言葉と出会って、わが身を振り返ったり、心の拠り所にしたり、今後の人生の指針を得たりすることができよう。
 本堂には、羅漢さんのほかに釈迦如来と十代弟子、達磨大師、観音菩薩、地蔵菩薩などの像が所狭しと並んでいた。
 ほどよい室内の暗さ、インド音楽に合わせて流される住職の説法テープ、心を落ち着けたいときには恰好の空間である。
 まろやかでやさしいお顔のお釈迦様の左右に立つ、頭陀第一のマハー・カッサパと多聞第一のアナンダの表情や姿恰好の違いが対照的で面白い。
 カッサパは骨皮筋衛門に、アナンダは上品な美男子に彫られている。

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本堂
本堂に納まりきらない羅漢像は別に羅漢堂に納められている

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再起地蔵

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五百羅漢寺のパンフレットより
ここの羅漢さまは総じて真面目な顔、厳しい顔が多かった。
にしても、500体の修復は大変な仕事だ。

 羅漢寺から路地を通って、目黒不動尊に抜けることができる。
 大同3年(808)慈覚大師・円仁(天台座主第三祖)によって開かれた関東最古の不動霊場である。
 そもそも目黒という土地の名の由来がここであった。
 江戸五色不動と称され、江戸城を中心に5つの方角に5つの不動尊――目黄(東)・目赤(西)・目白(南)・目黒(北)・目青(中央)――があったのだが、現在地名として残っているのは目黒と目白だけである。
 
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目黒不動尊(天台宗 泰叡山 瀧泉寺)

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庶民のアイドル・水かけ不動尊
ヒシャクで狙い撃ちされた顔がすっかり美白化
鈴木その子みたいになっている(えッ、知らない?)

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本堂
円仁が彫ったという本尊の不動明王像は12年に一度、酉年に開帳される。

 帰りはJR目黒駅から列車に乗ろうと思い、目黒雅叙園の横の急な行人坂を登っていたら、途中にある寺にふと惹きつけられた。
 天台宗大円寺とあった。
 山門をくぐって境内に足を踏み入れたら、なんとびっくり、ここにも五百羅漢がいた。
 羅漢寺のヒノキ造りの(かつては金箔で覆われた)ご立派な尊者たちとは違い、野ざらしの石仏である。

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大円寺
寛永年間(1624-1644)湯殿山修験道の行者大海が創建したのに始まると伝えられる。
羅漢寺より開基は古い。
本尊の木造釈迦如来立像は特定の日にご開帳。

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五百羅漢像
明和9年(1772)江戸市中を焼く大火事があった。
そのとき火元と見られたのが大円寺であった。
五百羅漢像はこの火事で亡くなった人々を供養するために建てられたという。

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こちらの羅漢さんたちはユニークな表情で親しみやすい。

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釈迦如来像が手にしているのは背中を掻くツール――ではなくておそらく蓮の茎だろう。
周囲を菩薩、十大弟子らが囲んでいる配置は羅漢寺本堂と同様。

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マハー・カッサパ尊者
口元のしわが写実的

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大黒様を祀っている七福神のお寺でもある。

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境内にはちょっと変わった石仏があった。
胴体はどこにいったのだろう?

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道祖神
夕日を浴びて照れくさそうな2人。
「もうすぐ夜だね」
「そうね、あなた・・・」

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個人的にはこちらの五百羅漢のほうが「目黒のらかんさん」の愛称に添うような気がした。
説教臭くない、天衣無縫なたたずまいに癒された。

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目黒駅周辺もすっかり開発されたなあ~

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JR目黒駅到着
約4時間の散策、汗をしぼられた。
目黒という街は、古い庶民信仰の上に、昭和バブルの猥雑さと平成のソフィストケイトされた空間が積み重なっている、現代日本の都市の特徴がよく映し出されている。

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羅怙羅(らごら)尊者はお釈迦様の息子
世に言うラーフラである














● 18切符で巡る、2023みちのくの夏(谷地温泉編)

 谷地温泉は日本三大秘湯の一つと言われている。
 あとの二つは、徳島県の祖谷温泉(祖谷のかずら橋で有名)、北海道のニセコ薬師温泉。
 誰がいつ決めたのか知らないが、知る人ぞ知るだからこそ「秘湯」と呼ばれるに値するのだから、「三大」という煽り文句とはそもそもコンセプト的に矛盾する。
 アクセスが困難な僻地という点だけなら、那須の三斗小屋温泉とか日光の八丁の湯とか、もっと秘湯らしいところはある。
 いったいなぜここが選ばれたのだろう?
 確かめるべく、『日本秘湯を守る会』に挙げられている近隣の酸ヶ湯温泉をあえてはずして、宿泊先に選んだ。

〒034-0303青森県十和田市法量谷地1
電話: 0176-74-1181

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谷地温泉バス停から徒歩10分
山小屋風の造りが心和ませる
秘湯っぽい

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入口にかけられたかんじきが雪の深さを物語る

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部屋には冷房がなかったが、朝晩は必要なかった

谷地温泉下の湯
温泉は撮影禁止
宿のホームページから転載させていただきました。
下の湯と呼ばれる38度の無色透明の源泉と、上の湯と呼ばれる42度の白濁した硫黄泉に交互に浸かる。
それとは別に、浴場内の石の階段を降りたひときわ暗い洞窟ようなところに源泉が噴き出しており、このスペースが秘湯っぽい土俗性に満ちている。(混浴あたりまえの昔は、おそらく“いろんな”使われ方をされたのでは?)
温泉は飲むこともでき、肝臓に効くと評判が高い。
下の湯に30分ほど浸かったら、体のすべての凝りや詰まりがほぐれるようであった。

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湯上りに見る夕空
最近空をゆっくり見てなかったと気づく

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お待ちかねの夕食
いわなの塩焼き、いわなのお造り、いわなの天ぷらははずせない

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柔らかな牛肉も美味

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食堂に飾られたテンの写真
雪の季節の夜に遊びに来るのだという
見事にカメラ目線なのがかわゆい
秘湯のアイドル

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静寂な山間の夜にぎしぎしと鳴る廊下はウグイス張りのよう
人の気配や木のぬくもりが感じられる昭和っぽさが心をつくろがせる
数年ぶりにぐっすり寝た

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さわやかな朝の散歩

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八甲田の大岳が頭をのぞかせる。
ここから約2時間30分で山頂に立てるという
いつか登りたいな

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なんとこの温泉に入らないと、行くことができない神社と池があった
旅館の中にあるドアから、裏手の森に出る

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旅館の裏手の沢を渡る

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天然のイワナが泳ぐ薬師池
そばに谷地神社がある
 
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お待ちかねの朝食
白いおまんまが美味しい

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帰りは青森駅まで車で送っていただいた
約1時間、思ったよりずいぶん速い
ご主人はじめスタッフみな親切でした
また泊まりたいな

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青森駅で駅弁を購入
JR大館駅発のヒット商品、花善の鶏めし弁当(税込み950円)

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青い森鉄道にはじめて乗る
ここからはひたすら列車で南下
持ってきた書籍の出番である

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一ノ関駅ホームの表示板
英語、中国語、韓国語併記はもう当たり前
30年前の旅との一番大きな違いはやっぱりここにある
仙台牛タン店、盛岡冷麺店、五能線、奥入瀬渓流、谷地温泉、どこに行っても外国人と会わずには済まなかった。
ネット時代の人の動きって凄いな。

ガラ携と紙の時刻表をもって旅するソルティはシーラカンスみたいだ。





















● 18切符で巡る、2023みちのくの夏(奥入瀬渓流編)

 青森駅に降りたのは30年ぶりくらいだろうか。
 道の両側にアーケードの続く、長い駅前通りこそ記憶に残るままだが、日本のどの都市にもあるような立派なビルディングが立ち並び、最果ての港町といった感がない。
 30年前は街角の公衆電話ボックスの土台の高さ(冬の積雪のため)に「なるほどな~」と感心したものだが、いまや電話ボックスそのものを見つけるのが難しい。
 東口を出て左手に進むと見えてくる青森湾の青さと、かつての青函連絡船・八甲田丸の雄姿だけが、「ああ、青森に来た」と感興を呼びさましてくれた。

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青森駅は改修工事中だった

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青森湾
下北半島の山々が見える

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青函連絡船・八甲田丸


8月28日(月)晴れ、ときどき曇り、一時雨

 青森駅前から十和田湖行きのJRバスに乗る。
 街中を過ぎ、森の道を高度を上げていくと、ひらけた台地の彼方に八甲田の山々が見えてくる。
 車内アナウンスが、高倉健主演で映画にもなった明治35年「八甲田山死の彷徨」のドラマを語る。
 1977年の映画公開当時、北大路欣也のセリフ「天は我々を見放した」は流行語となり、中学生だったソルティも授業で抜き打ちテストなんかあると、よく叫んだものだ。
 八甲田山ロープウェイはこの日強風のため運転中止となり、それを目的にやって来た乗客たちから落胆の声が上がった。(せめて乗車前に分かれば良かったのにね)

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八甲田の山々
最高峰は大岳(1,585m)

 山の中に入ると、S字カーブのところどころに温泉が続く。
 城ケ倉温泉、千人風呂で有名な酸ヶ湯温泉、猿倉温泉、日本三大秘湯の一つ谷地温泉、蔦温泉・・・・。
 約2時間で奥入瀬渓流入口にある奥入瀬渓流館に着いた。
 ここを出発点とし十和田湖をゴールとする14kmのウォーキングスタート。

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奥入瀬渓流館
ここでマップがもらえる

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途中にある石ヶ戸休憩所から歩く人が多い
それだと約9kmの歩行となる

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整備された遊歩道
昨晩雨が降ったせいもあるが、このあたりの透明度は低い
上流に向かうほど澄んでくる

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阿修羅の流れ
水音は想像されたし

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気温30度を超えていたが、水音と木陰のおかげでしんどくはなかった

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千筋の滝

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雲井の滝
落差約25m
滝の真下まで近づいて轟音とマイナスイオンを浴びられる
ここで昼食休憩をとった

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白布の滝

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景観を損ねない山小屋風のトイレ

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九段の滝

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銚子大滝
道中一番の人気スポット
幅20m、落差7mの爆流はスモール・ナイアガラと呼ばれるにふさわしい

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ここだけはインターナショナルな観光バス客で混みあっていた
ほかはたまに人とすれ違う(追い抜く)静かなウォーキングだった

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最後に裸足になって渓流の中に足を浸した
自然との一体感つうか

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十和田湖からの取水堰

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流れに漂う水草が美しい

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考えてみたら、こっちが渓流のスタート地点だな

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十和田湖に到着!
14kmを4時間20分で歩いた
うち休憩が50分なので時速4km


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周囲46km、最大水深326.8mのカルデラ湖

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ああ、あの山の姿も湖水の水も
静かに静かに黄昏れて行く
(佐藤惣之助作詞、高峰三枝子歌唱『湖畔の宿』より)

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湖畔の樹々があざやか
紅葉時はいかばかりか

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子ノ口バス停
軽食のほか土産も売っている

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平日にもかかわらず、バスは補助席使用の満席だった
三分の一、いや半分は外国人とくに中国人のようだった
インバウンド効果は馬鹿にならないが、福島原発汚染水問題でこの先どうなることやら?

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帰路の途中で下車
今日の宿りは谷地温泉♨





● 18切符で巡る、2023みちのくの夏(JR五能線編)

 今回ショックだったのは、18切符では盛岡(岩手県)から青森(青森県)に直接行けないという事実を知ったことであった。
 いつの間にかJR東北本線の終点は、青森駅でなく、盛岡駅になっていたのだ。
 もちろん、盛岡駅から、岩手県内(盛岡~好摩~金田一温泉)を走るIGRいわて銀河鉄道、および青森県内(目時~八戸~青森)を走る青い森鉄道を乗り継いで、青森駅に行くことはできる。
 しかし、この2つの路線の運営はJRではなく、半官半民のいわゆる第3セクターなので、18切符は使えない。別に切符(5590円)を買わなければならない。
 どうあっても18切符だけを使って盛岡から青森に行きたいのなら、盛岡駅からJR田沢湖線で大曲駅まで行ってJR奥羽本線に乗り換え、秋田~東能代~大館~弘前経由で青森駅を目指すという、秋田県経由の大回りをとるしかない。
 JRの在来線が、本州のすべての都府県をつないでいる時代はとうに終わっていたのだと、今さらながら気づかされた。


googleマップより

 今回は、秋田県から五能線に乗って日本海沿線を北上したかったので、盛岡からIGRいわて銀河鉄道で好摩まで行き、JR花輪線に乗り換えて大館まで行き、JR奥羽本線に乗り換えて東能代下車。
 そこから五能線に乗った。
 五能線は日に数本の各駅停車のほか、春から秋の期間は観光用の臨時快速列車「リゾートしらかみ」が走っている。
 全席指定で乗車券(18切符もOK)のほかに500円強の指定席券が必要となる。
 となると、どうあっても海側の窓側席をとりたいのが人情。
 出発5日前にJRのホームページで空席状況を確認したら、すでに窓側席は埋まっていた。  
 各駅列車でもいいかなと思いつつ、出発前日に再度確認したら、一席キャンセルが出た。
 即クリックした。

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盛岡駅前で食べた冷麺


8月27日(日)晴れ

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盛岡発大館行きのJR花輪線
(盛岡~好摩区間はIGRいわて銀河鉄道の管轄)

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早朝の空いた車両で緑のトンネルを抜ける快適さ

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進行方向左手に岩手山(2,038m)
石川啄木のふるさと「渋民」付近

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右手に姫神山(1,124m)
なだらかでシンメトリカルな山容が美しい

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十和田南駅
ここでスイッチバックする(進行方向が変わる)ため数分間停車

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東能代駅
能代市は林業とバスケが盛ん

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列車の形をした待合室
中は冷房が効かず暑かった

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五能線リゾートしらかみ「くまげら」号

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ゆったりした柔らかいシート、大きな窓、別に展望ラウンジも設けてあり、快適そのもの

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ザ・日本海
秋田と青森の県境あたり

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もっとも景色の美しい区間で列車速度を落としてくれる=シャッターチャンス

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おだやかな波
冬の日本海はこうはゆかない


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十二湖駅(青森県)で下車

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バスで山の中へ
白神山地の端っこに足を踏み入れる

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このあたりには大小12の湖沼が点在する

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もっとも有名な青池
天候や時間帯によって色が変化する

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ブナ天然林を歩く

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小一時間の散策コースがおすすめ
ここから白神岳(1,232m)頂上へは約8時間かかる
コースは廃道状態にあるとか

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沸壺の池

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五能線に戻って白神山地をあとにする

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漁村
湾の向こうに男鹿半島

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千畳敷
1792年(寛政4年)の地震で隆起したと伝えられる海岸段丘面。
津軽藩の殿様がここに千畳畳を敷かせ大宴会を開いたとされることからこの名がある。
この駅で10分間ほど停車時間を設け、警笛が鳴るまで自由に散策できる。

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津軽出身の作家太宰治の小説『津軽』に出てくるらしい

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カメラを向けたら近寄ってきた人懐っこい海鳥

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シギだろうか?
七面鳥くらいの大きさがあった
かわいい目をしている
「あっ、警笛が鳴った!」


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進行方向右手に岩木山(1,625m)
「帰って来いよォ~」







● 18切符で巡る、2023みちのくの夏(仙台編)

 8月26日は、加藤哲夫さんの13回忌だった。
 25と26の両日、仙台で『市民と社会のこれからを考える2Days「私たちはどう生きるか?~加藤哲夫さんの宿題を考える~」』が有志の呼びかけにより開催された。
 
 加藤哲夫さんは、仙台の街中で自然食品店&出版社『ぐりん・ぴいす&カタツムリ社』を経営しながら、反戦、脱原発、環境問題、ディープエコロジー、精神世界、HIV問題、市民活動支援(NPO)など実に幅広い分野の活動を展開した。
 とりわけ、市民活動支援セクターである「せんだい・みやぎNPOセンター」の設立に関り、全国を飛び回って行政や民間相手の研修講師を務め、一時は“NPO四天王”などと呼ばれるほどだった。(あとの3人が誰かは覚えていない)
 頭が切れ、弁が立ち、快活で、稀代のネットワーカーで、日本酒とアロマオイルと夏目雅子が好きで、人の悲しみをよく知る人だった。
 
 30代を仙台で過ごしたソルティは、HIV感染者支援の活動を通じて加藤哲夫さんと知り合い、以後、公私にわたりたいへん世話になり、多くのことを学んだ。
 加藤哲夫さんの活動や思いを振り返り、旧知の人々と再会し、還暦以降の生き方の指針が得られたらと思い、参加した。
 ついでに、ずっと乗りたかったJR五能線、ずっと歩いてみたかった奥入瀬渓流にも足を延ばし、全5日間のみちのく一人旅を決行した。
 旅のお伴は、青春18切符とJR時刻表と本3冊である。

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JR時刻表
ページをめくって列車の連絡を調べるのが旅の醍醐味
スマホは持って行かなかった

8月25日(金)、26日(土)晴れ

 仙台も関東に負けず劣らず暑かった!
 陽の当たる通りを歩いているだけで汗だくになった。
 ただ、東北本線の白河駅を越えたあたりで空気が変わったのを感じた。
 首都圏の濃厚とんこつスープの中に浸かっているようなギトギトの暑さとは違い、昭和の夏のジリジリした炎天下の暑さがあった。

 X君と仙台フォーラス前で待ち合わせ。
 国分町にある有名な牛タン専門店『太助』に行った。
 X君は、以前記事に書いた2年間ムショ暮らししていた旧友である。
 昨年9月に務めを終え円満退所(?)し、娑婆に戻って約1年。
 強制ダイエットされた体ももとに戻り、肉付きも顔色もよく、五十路越えとは思えない黒々した髪もふさふさとし、精神的な脆さは見られるものの、とりあえず元気そうであった。
 地域のNPOの支援を受けながら職業訓練所に通っていると言う。
 共通の友人を通じてたまに彼の動向は聞いていたものの、実際にこうして会って話すのは、東日本大震災のあった年の夏が最後だったと思う。
 海辺の町に住んでいたX君の被災見舞いだった。
 12年ぶりの再会。
 しかし、そんなに久しぶりの感がない。
 観光客で混みあう『太助』のカウンターで、すぐにムショ暮らしの苦労を包み隠さず滔々と語り始める主役感。(ツイッターへの投稿がもとで、某ビジネス雑誌のインタビューを受け、「中高年の貧困と孤独」と題する記事にもなった)
 そこが約30年前に仙台のゲイコミュニティで最初に出会ったときから変わらぬX君の持ち味なのだった。転んでもただでは起きない。
 炭火で焼く牛タンの旨さを堪能したあと、場所を移した。
 印象に残った話をあげる。(注意:尾籠なものもあります)
  • ムショでは起床時にビリー・ジョエルの『HONESTY(誠実、正直)』が流れていた。いまもこの曲を聴くとトラウマが蘇る。
  • ムショでは「ピンク」がもっとも軽蔑され、仲間内のランクが下だった。「ピンク」とは性犯罪者のことである。(特に小児性犯罪者は他の受刑者から蛇蝎のごとく嫌われると聞いたことがある)
  • トイレ付きの8畳くらいの部屋に3人で入っていた。トイレは一応仕切りがあったが、隠されているのは下半身だけで、上半身は廊下から見えるよう透明仕切りになっていた。
  • イケメンが全然いなくて残念だった。(何を期待しているんだか・・・)
  • 所内のカラオケ大会で尾崎紀世彦の『また逢う日まで』を歌って準優勝した。
  • ひと月に一度「アイスの日」というのがあり、それが一番の楽しみだった。
  • 雑居房ではオ×ニーをしなかった。他の男たちもしていなかった。当然、屈強な牢名主に“掘られる”ようなこともなかった。(互いにBLメディアの見過ぎ)
  • 娑婆を出た日にNPOにつながって、生活保護の申請やアパートを借りる手続きを手伝ってもらった。それがなければ、更生保護施設に行くほかなかった。
 織田信長が「人生50年」と言った時から500年以上経ち、今や「人生100年」の時代である。
 50歳なんて、ようやっと折り返し地点。
 とりあえず生きていてほしい。
 また逢う日まで。
 
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仙台駅の伊達政宗騎馬像
なんであまり人の来ない3Fに移したんだろう?

 夕方より、「2DAYS加藤哲夫さんの会」に参加。
 会場は広瀬通りに面した仙台市市民活動サポートセンター。(錦町にあった昔のサポートセンターに間違って行ってしまい、15分ほど探し回った)

プログラム

〇セッション1 (8/25 18:30~21:00)
「2011年の覚醒はどこへ~東日本大震災で社会は変わったのか」
進行:渡邉一馬(せんだい・みやぎNPOセンター)
ゲスト:
 高橋敏彦(前北上市長)
 高橋由佳(イシノマキ・ファーム)
 高橋美加子(北洋舎クリーニング)
コメンテーター:菅野拓(大阪公立大学)

〇セッション2 (8/26 9:30~12:00)
「加藤哲夫とNPO~市民、自治、民主主義」
進行:赤澤清孝(大谷大学)
ゲスト:
 川崎あや(元アリスセンター事務局長)
 福井大輔(未来企画)
 青木ユカリ(せんだい・みやぎNPOセンター)
コメンテーター:川中大輔(シチズンシップ共育企画)

〇セッション3 (8/26 13:30~16:00)
「これからの『市民の仕事』~加藤哲夫の宿題」
進行:田村太郎(ダイバーシティ研究所)
ゲスト:
 白川由利枝(地域創造基金さなぶり)
 葛巻徹(みちのく復興・地域デザインセンター)
 前野久美子(book cafe火星の庭)
コメンテーター:長谷川公一(尚絅学院大)

 70名くらい入る会場には、加藤哲夫さんと親交のあった様々な分野の人々が集まって、活況を呈していた。
 登壇者にも、客席にも、古くからの顔見知りがチラホラいて、ゆっくりと語る時間こそ持てなかったものの、元気に活動している姿が伺えてパワーをもらった。
 2日間のセッションの中で、印象に残った言葉。(主観的変換あり)
  • 人生は後付けである。
  • 男は構造をつくりたがる。できあがった構造の中で、当初現場にあった覚醒や思いが薄れていく。
  • 優しい人たちのつくる、文句のつけようのない優しい制度の中に空白が生じ、そこに落ち込んで苦しんでいる人がいる。
  • ひとりひとりの人格ではなく、システムが人を殺す。
  • SNSに象徴されるように、今の社会は人と人とを分断する方向に進んでいる。
  • 社会のアプリケーションでなく、OSを変えることが重要。
  • 本来なら、国や行政が立法化するなどして仕組みを変えなければならないことを、仕組みを変えないままにNPOが安く下請けする、ニッチ産業のような構造ができてしまっている。そこに共助という落とし穴がある。
 加藤哲夫さんがその八面六臂の素晴らしい活動において最重要に位置付けていた思いは、「人を殺すシステムを変えること」であった。
 薬害エイズ事件にみるように、組織(当時の厚生省)に属する一人一人は巨悪でも悪魔でもない、普通の感覚を持った一市民にすぎない。
 それが歪な風通しの悪い組織の中で、自らを殺して組織のために働くことで、結果的にシステムとして人を殺すことに荷担してしまうのである。
 だから、中にいる人を変えたところでシステムがそのままであれば、同じことが繰り返される。
 誤ったシステムを変えなければならない。
 ソルティもまた、生前の加藤哲夫さんの口から同じような言葉を幾度も聴いた。
 加藤哲夫さんにとって、誤ったシステムによって起こる最大最悪の産物は「戦争」であった。
 天皇を神とする大日本帝国というシステムの中で、男たちは人殺しに駆り出されていったのだ。 

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加藤哲夫さん
 
 システムを変えるためには、まず、人はシステムの歪さに気づく目を持たなければならない。 
 システムの中で苦しんでいる弱者の声に耳を傾けなければならない。
 それから、“空気を読まず”に口に出して、それを変える行動を起こすための勇気を持たなければならない。
 すると、仲間が見つかる。
 
 薬害エイズ事件の頃、カレル・ヴァン・ウォルフレン著の『人間を幸福にしない日本というシステム』という本が流行った。
 あれから四半世紀が経って、いまだに「人間を幸福にしない日本というシステム」は、拘束服のように我々を縛り続けている。

 2日間のセッションを終えて、盛岡に向かう列車に飛び乗った。
 車窓に広がる東北ならではの稲穂の波を見送りながら、システムに捕らわれることなくその表層を飄々とした風情で飛び回った、あるいはカタツムリのようにのそのそと忍耐強く這い進んでいた、加藤哲夫さんの笑顔を思い出した。

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加藤哲夫かたつむり


 




● 策士、策におぼれる 本:『点と線』(松本清張著)

1958年光文社
1961年新潮文庫

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 高峰三枝子出演の映画を観たら、原作を読みたくなった。
 約45年ぶりに読み返して、清張の文章の上手さに感心した。
 癖のない、平明で読みやすい文章で、読者の生理をつかんだ物語運びが見事。
 読み始めたらぐんぐん引きずり込まれ、ページが進んでいく。
 社会派ノンフィクションである『日本の黒い霧』とは文体が異なっている。
 清張ミステリーの人気の秘密は、ミステリーの女王クリスティ同様、この読みやすさにあるのだなと実感した。
 
 本作は、真犯人は誰かを読者に問う、いわゆるフーダニットではなくて、犯人がどうやって犯行をおこなったかを問うハウダニットである。
 捜査陣は犯人の目星を早々につけ、あとは鉄壁のアリバイを崩そうと知力・体力をふりしぼる。
 列車と飛行機の時刻表を駆使し第三者の目撃証言を作り上げてアリバイを成立させ、完全犯罪を狙った犯人が、刑事の執念によってじょじょに追いつめられていく。
 トリック破りの面白さが、一番の読みどころである。
 
 初読の中学生の時は面白さに圧倒され、読んでいる最中も読後も何の疑問も抱かなかったが、いま読むといろいろな疑問点が浮かぶ。
 中でも、この犯人安田辰郎が、トリックに手をかけ過ぎたことによって、かえってボロを出してしまったという逆説が、プロット上の一番の難点と思われる。
 
 安田は犯行をおこなう前に念入りにアリバイ工作を行う。複数の人間に前もって協力を依頼し、然るべき指示を出す。
 そして、恋人同士ではない知り合いの男女一対を博多の海岸におびき出して毒殺し、心中に見せかける。殺したい本命は男のほうである。
 さらに、その男女が東京駅で一緒に列車に乗り込むところをプラットフォーム「4分間の空白」を利用して第三者に目撃させ、2人が恋愛関係にあることをほのめかす念の入りよう。
 
 やり過ぎである。
 結果として、偶然とは思えない「4分間の空白」がきっかけとなって刑事に疑われる羽目に陥り、殺された男女につき合っていた形跡がまったく見当たらなかったことから心中を装った他殺ではないのかと怪しまれ、複数の人間にアリバイ工作の協力を頼んだことで逆に確たる証拠をあちこちに残してしまったのである。
 これなら最初から何の作為もせずに、どこかの崖っぷちで男を撲殺し、その後靴を脱がして死体を崖から突き落として自殺に見せかけたほうが、バレる可能性は低かったであろう。
 そもそも、殺された男と安田を結びつける接点は少ないのだから、捜査陣はまず容疑者を絞るのに苦労したはずだ。
 「4分間の空白」というトリックの関係者の一人として登場し、その存在をわざわざ捜査陣に知らせてしまったのは致命的エラーと言える。
 
 まあ、そんなこと言ったら、アリバイ崩しの面白さもへったくれもないわけで、この物語は成り立たなくなる。
 現実社会では、トリックを考え抜いてから人を殺す殺人者は滅多いないだろう。
 推理小説にあっては、犯人にトリックを作ってもらわないことには話にならない。探偵の出番もない。

 自信家である安田は自分(と妻の)考え出したトリックが破れるかどうか、警察に挑戦したかった。
 とりわけ、東京駅「4分間の空白」という発見を誰かに知らせたくて仕方なかった。
 そこで、自分も目撃者の一人となって容疑者の名乗りを上げた。
 策士、策に溺れる。
 そう解釈しておこう。
 
大垣行き列車
なつかしの東京駅発大垣行き最終列車



おすすめ度 :★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損





 
 
 
 

● 映画:『点と線』(小林恒夫監督)

1958年東映
85分

 原作は『ゼロの焦点』と並ぶ松本清張ミステリーの代表作。
 そして、西村京太郎を帝王とする鉄道ミステリーの始発駅と言える。
 たしか「点は駅、線は線路」だった。
  
 原作を読んだのは中学生の時なので、ストーリーをすっかり忘れていた。
 もちろん真犯人もトリックも。
 ビートたけし主演で2007年にテレビドラマ化されているが、こちらは観ていない。
 45年以上ぶりに再会して驚いた。
 「こんなずさんなトリックだったっけ?」

 このミステリーの一番の目玉は、「東京駅ホーム空白の4分間」ってのにある。
 13番ホームで列車を待っている人物が、15番ホームを歩いている被害者二人を目撃したと証言する。
 発着列車が入り乱れる東京駅で果たしてそんなことが可能なのか?
 警察は、1日のうち17時57分から18時01分の4分間だけ、それが可能であることを突き止め、それをきっかけに容疑者を絞っていく。

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東京駅丸の内口

 このダイヤ上の「空白の4分間」を発見したことが、清張がこの小説を構想する発端になったのだと思う。
 たしかに奇抜で独創的な着眼点で、時刻表マニアや鉄道オタクでなくとも、現場に足を運んで確かめたくなるようなネタであった。
 中学生のソルティもそこに興奮したのだと思う。 
 しかるに、目撃場所をわざわざこの「稀なる4分間」に設定する物語上の必然性はない。
 東京駅であればどこだっていいのである。
 犯人は、こんな偶然とは思えないような目撃の仕方を設定したことで、かえって警察に怪しまれる羽目になるのだから、何をやっているのやら・・・?

 ほかにも、九州の福岡の海岸で殺人があった翌日に、容疑者は札幌で商談相手と会っており、とても列車では間に合わないというアリバイが築かれる。
 確かに原作が書かれ映画化された当時の(新幹線のない)列車事情では、福岡から札幌まで行くのに一日では無理である。
 警察は頭を悩ます。
 しかし当時も飛行機というものがあり、犯人は実際、飛行機を使って移動していたのだから、「なんて警察は馬鹿なんだ。飛行機を先に思いつけよ」と思わざるを得ない。

 そういうわけで、今となってはミステリーとして質的には疑問符が立ち並ぶ。
 推理小説を映画化することの難しさも含めて、映画としての出来もあまり良くない。
 本作をいま観ることの意義は別のところにある。

 ひとつは、昭和30年代の日本の風景、とくに鉄道駅や列車の姿が楽しめるところ。
 列車の発着時刻を示す駅頭の発車標が、今のような電光掲示板ではなく、反転フラップ式(いわゆるザ・ベストテン式)で、懐かしく思った。
 列車内の喫煙もあたりまえだった。

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 いまひとつは、役者を見る楽しみ。
 主演の刑事役の南広こそよく知らないが、高峰三枝子、山形勲、加藤嘉、志村喬といったベテラン勢がそれぞれにいい味を出している。
 志村喬は人間味あふれる警部を好演。
 加藤嘉は相変わらず貧乏くさい。
 犯人役の山形勲は岸田文雄首相そっくり。
 結核病みの病人に扮する高峰は、このときストレスからくる喉の病気で声を失っていた。
 弱々しい小声で話せばいい役柄だから引き受けたそうな。
 色白で細面のクールな美貌が、病床にいる人妻という役を得て、ますます冴えて見える。
 刑事役の南が、この高峰に片恋するという設定にすれば、ドラマ的に面白くなったのになあ~。

 原作を久しぶりに読みたくなった。





おすすめ度 :★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損





● 本:『マイ遍路 札所住職が歩いた四国八十八ヶ所』(白川密成著)

2023年新潮新書

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 四国八十八札所第57番・永福寺住職による「歩き遍路体験記」である。
 映画にもなった『ボクは坊さん。』の著者で、1977年生まれとある。
 2019年4月18日に第1番霊山寺をスタートし、8回の区切りうちで、2020年11月11日に第88番大窪寺を打って結願した。
 総日数は65日。
 平均40~50日と言われるから、かなりのゆっくりペースで回ったことが分かる。
 やはり札所の僧侶だけあって、一つ一つのお寺の滞在時間が長い。
 読経が丁寧だし、知り合いの住職との交流や情報交換もある。
 顔を見知っているお遍路さんに呼び止められて記念撮影なんてこともしばしば。
 ちなみにソルティの場合、別格札所20も含めて65日だった。(これでもゆっくり)

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第88番札所・大窪寺

 『ボクは坊さん。』を読んだ時も感じたが、この人のいいところは、自然体で等身大の自分を生きて表現しているところ。
 変に悟り澄ましたり、説教臭かったり、善人ぶったり、強がったりというところがない。
 空海の言葉を引用するなど真言宗僧侶らしい面はあるものの、全般に、はじめて四国遍路を体験する42歳(厄年だったのか!)の家族持ちの普通の男がここにいる。
 札所の住職だからと言って、特別な奇跡が起こったり、空海上人が出現したり、納経の順番を融通してもらったり、地元民からより多くの“お接待”を受けたり・・・ということもなかったようである。
 誰にでも平等――これが“お四国”のいいところであろう。

 読んでいて、再び旅をしている気分になった。
 同じルートをたどり、同じ景色を目にし、同じ宿に泊まり、同じ寺や神社にお参りし、同じような楽しさや辛さを体験するのであるから、遍路体験者は共感しやすいのである。
 「ああ、自分も同じようなことがあった」という共鳴と、「ああ、自分の時とはずいぶん違っているなあ」という比較とが、体験者にとってみれば非常に楽しい作業なのだ。
 白川の場合、まさに2020年初春からのコロナ禍に当たってしまったわけで、すべての納経所が3か月間閉鎖するわ、多くの宿が営業休止になるわ、外国人の姿が消えるわ、お接待にも神経を使うわ・・・・そもそもが“非日常”の遍路行がさらなる”非日常”に脅かされていく様子が伺えた。

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空海が改築工事を指揮した満濃池(香川県)

遍路では、長い距離を移動し、丁寧に死者を悼み、聖なるものに祈りを捧げる。それはかつて人々が繰り返し行ってきたことである。そのことを「思い出す」ように取り戻すことで、人間性のバランスを再調整できるような功徳を感じ続けた。(「おわりに」より)

 四国遍路していた時、愛媛県を打ち終える頃(60番前後)に淋しさがじわじわ押し寄せてきた。
 「ああ、もうすぐ終わってしまう・・・・」
 それと同じように、本書もページが残り少なくなるにつれ、読み終えるのが惜しい気分になった。
 やっぱり、また行くことになるんだろうなあ~。
 その時には57番で本書にサインをしてもらおうか。

永福寺

 


おすすめ度 :★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
★     読み損、観て損、聴き損







 

● アラカンの秩父札所巡り(1~5番)


 GW中に秩父34観音札所の1~5番を回った。
 2018年の春以来5年ぶり、2巡目である。
 今回は主としてウォーキングが目的なので、白衣もつけず、笠もかぶらず、輪袈裟もかけず、納経もしない(御朱印をもらわない)。
 お堂の前で般若心経と慈悲の瞑想を唱えるだけの簡易スタイル。
 この先を続けるかどうかも未定である。
 昼過ぎからスタートして、「行けるところまで行ければいいや」という暢気なペース。
 前回はかなり気張っていたなあ~とつくづく思う。
 修行モードになっていたのだ。 
 寺も道も逃げない。
 軽い気持ちで、時間を気にせず、風景や路傍の花や人との交流を楽しみながら、のんびり歩いた。

● 歩行日 2023年5月5日(金)  
● 天気  晴れ
● 行程
12:17 秩父鉄道・秩父駅より西武観光バス「定峰行き」乗車
12:40 栃谷バス停
    歩行開始
12:50 第1番四萬部寺(20分stay)
13:50 第2番真福寺(30分stay)
15:10 第3番常泉寺(20分stay)
15:50 第4番金昌寺(10分stay)
16:20 第5番語歌堂(20分stay)
17:00 秩父湯元・武甲温泉
    歩行終了
● 所要時間 4時間40分(歩行3時間+休憩&読経1時間40分)
● 歩行距離 約9km


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西武観光バス、栃谷バス停
第1番まで徒歩10分
前回は秩父鉄道和銅黒谷駅からスタートした

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第1番・誦経山 四萬部寺(ずきょうさん しまぶじ)
永延2年(988)幻通という僧侶が秩父を訪れ、4万部の経典を読経し、経塚を築いたことが寺名の由来

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巡礼者は朝早くにここを発つのが一般なので、人はほとんどいなかった
納経所に寄り、『般若心経』の載っている経本だけ買った(500円)

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平和な里山の道をゆく
「こんな素晴らしい道だったのか・・・」
先を急いでいた前回はじっくり味わわなかった

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カキツバタ(杜若)

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ヤブデマリ(藪手毬)

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人家を離れ、高篠山の木立を登る
第2番は標高390mの地点にある

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ふう~、やっと着いた!
苦が快に変わる瞬間

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お堂の入口にある聖観音菩薩
宝冠に阿弥陀仏を付しているのが特徴
ここまで登ってきた疲れが癒されるホステスぶりで迎えてくれる

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第2番・大棚山 真福寺(おおたなさん しんぷくじ)
16世紀初期にここが最後に加わって、秩父札所34とあいなった
現在は無人である
新緑を抜ける爽やかな風、鶯の鳴き声、心が洗われる

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その名も大棚川に沿って下る(横瀬川に注ぐ)
健康な人なら、バスやマイカーで回るなんて、もったいないパワースポット

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山を下りて人家の見えるあたりで、片足を引きずった男を追い抜く

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第3番・岩本山 常泉寺(いわもとさん じょうせんじ)
背後は秩父聖地公園のある丘陵、周囲は畑、ほんとに良いロケーション
読経を済ませ休んでいたら、さっきの足の悪い男が畑道をやって来るのが見えた
彼も巡礼していたのだ!

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観音堂の虹梁(こうりょう)部分が龍の透かし彫りになっているのが珍しい

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観音堂の本尊は行基作と伝えられている
(実際は室町時代作らしい)
像高97cm、一本造り

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弘化4年(1847)の火災の際に堂から運び出された
胸部にやけどの痕が確認される

横瀬川
ふるさと歩道橋で横瀬川を渡る
足の悪い男としばし同行
昨年暮れに怪我をして3ヶ月入院していたとのこと
リハビリを兼ねての歩き遍路だったのだ
12時に第1番を発ち、あの山道を上り下りしたそうで、「今日はもう、これ以上無理」と。
3年半前に足の骨折を経験したソルティ
彼の回復あれかし、と祈った

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第4番・高谷山 金昌寺(こうこくさん きんしょうじ)
まさにここは山門の大わらじをシンボルとする健脚祈願の寺
自らの左足のここまでの回復を感謝した

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観音堂は、頂点を一つもつ四角すい状の屋根、宝形造(ほうぎょうづくり)という
周りを1300を超える野天の石仏が囲んでいる

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納経所のそばにあったカップル石像
十六羅漢のうちの2人かと思うのだが不明
保阪嘉内と宮沢賢治?)
分かる人がいたら、教えてください

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第5番・小川山 語歌堂(おがわさん ごかどう)
5年前は畑の中にぽつんとあって、どこからもよく見えたのだが、いまや住宅が迫っている
残念だが、畑を売らなければならない事情があるのだろう

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本尊は准胝(じゅんてい)観音 
たくさんの仏の母であり、子授け観音として信仰されてきた
(“胝”の字を出すには“たこ”と打つのが近道)

語歌堂の聖徳太子
ここにも聖徳太子信仰が垣間見られる
太子が頭を丸めた僧侶の恰好をしているのが可笑しい

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今日はここで終了
第5番から武甲山を望みながら道なりに進むと、武甲温泉に着く

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横瀬川の渓流の上を泳ぐ鯉のぼりの群れ
温泉もなかなか群れていた

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もちろん、“アラカン”とは阿羅漢ではない
アラウンド還暦のことである











● 寄居男衾・7つの寺めぐり

 今回も寄居町発行のハイキングガイドを手に歩いた。
 東武東上線の男衾(おぶすま)駅を発着点とし、7つの寺を一筆書きでめぐるコース。
 ちょっとした巡礼気分が味わえる。
 ガイド上では全長11.5kmと表記されていたので、見物&休憩入れて4時間半あれば回れると踏んでいたのだが、実際には6時間かかってしまった。
 これは主として道迷いのためなのだが、実際の距離も13km近くあるのではなかろうか?
 寄居町には再確認してもらいたい。
 道は平坦だが、日陰のないアスファルト道のため、思った以上に疲弊した。
 この日、気温27度まで達した。

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寄居町ハイキングガイド(男衾コース)より
 
● 歩行日 2023年4月20日(木)  
● 天気  晴れ
● 行程
09:15 東武東上線・男衾駅
    歩行開始
09:30 1昌国寺
09:45 2常楽寺
10:40 3普光寺
     休憩(10分)
11:35 4高蔵寺
11:50 5今市地蔵堂
     休憩(10分)
13:10 6長昌寺
     昼食(40分) 
14:30 7不動寺
     休憩(20分)
15:15 東武東上線・男衾駅
    歩行終了
● 所要時間 6時間(歩行4時間+寺見物40分+休憩1時間20分)
● 歩行距離 約14km(道迷い含む)

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東武東上線・男衾駅
平日の昼間は人影がほとんどない。

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1.昌国寺(曹洞宗)
徳川家康のいとこである水野長勝が創建
鐘楼はあったが、ほぼ廃寺の風情

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境内の高野槇は町の天然記念物
樹齢約400年、高さ約25m 

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如意輪観音さま
右膝を立て、右手を頬に当てているのが特徴

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2.常楽寺(真言宗智山派)
畑と木立に囲まれた静かな寺   

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寄居七福神の一つで、恵比寿さまを祀る

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ここから崖を下って荒川土手を行く
青空の下、広がる畑がすがすがしい

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「いざ、鎌倉!」
御家人たちが馬を飛ばした古道
このあたり(男衾郡畠山庄)は畠山重忠の領地だった

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盆地の彼方に秩父・長瀞の山々が霞む

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3.普光寺(天台宗)
1200年以上の歴史を持つ地域最大のお寺

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畑中の広々した境内が気持ちいい

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昭和8年の農地開墾時に発見された板碑群
鎌倉街道往来中に病没した旅人を埋葬供養したものとされている
最古のものは文永2年(1265)、元寇の直前だ

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御本尊の木造薬師如来は平安後期のものと推定されている

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厄除け角大師のお札をいただいた
ここから畑中の道を行く

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交差点に置かれた石碑群
百万遍(ひゃくまんべん)供養とは、疫病退散などの目的で、集落の人々が講を作り、「なむあみだぶつ」を百万回唱えること
寛政2年(1790)にこの土地で何かあったのだろうか?

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街道沿いにはこのような石の蔵(大谷石?)が目立つ
何を保存したのだろうか?

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4.高蔵寺(天台宗)
開基は、柳沢吉保の祖父・柳沢信俊

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閻魔大王が祀られていた

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こちらは十一面観音菩薩さま
新緑を背景に麗しい

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不動明王
人の煩悩を焼き尽くし、清めてくれる

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5.今市地蔵堂
ほぼ折り返し地点に到着
屋根の紋章が気になってズームしてみたら・・・

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逆卍、すなわちハーケンクロイツ(鉤十字)ではないか!
思わぬところにあるものだ

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木造の地蔵菩薩像は室町時代の作と伝えられる
高さ3m、玉眼を施してある
青々とした頭頂と黒衣が珍しい

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子育て地蔵として地域の人に親しまれている

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兒泉(こいずみ)神社
祭神はヤマトタケル
村の鎮守さまである

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腕が多く、悪鬼を踏みつけている姿から、
大元帥明王ではないかと思われる
鎮護国家に霊験あり

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6.長昌寺(天台宗)
場所がわかりづらく行き過ぎてしまったところ、同じように探している方と遭遇
一緒に探し回った(四国遍路を思い出す)

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寄居七福神「寿老尊」の寺である
寿老尊と福禄寿はキャラがかぶっているので見分けが難しい
鹿を連れているのが寿老尊、鶴を伴っているのが福禄寿
と思ったら、逆の場合もある
単体の場合も多い
一般に、頭のひょろ長いのが福禄寿と思っていいようだ

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藤棚の下のベンチで昼食、および20分の昼寝
安らぐなあ~

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7.不動寺(真言宗智山派)
道を間違って30分のロスで最後の寺に到着
Googleで経路を確かめながら歩けばいいのだが・・・
それはつまらない
広い境内をもちながら、ひっそりしたお寺
ここで20分瞑想

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やっぱり、あなたが呼んだのですね

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帰りは小川町駅にある花和楽(かわら)の湯に寄る

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店内は五月人形や鯉のぼりでいっぱい

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今日も、おつかれナマでした!












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