ソルティはかた、かく語りき

首都圏に住まうオス猫ブロガー。 還暦まで生きて、もはやバケ猫化している。 本を読み、映画を観て、音楽を聴いて、神社仏閣に詣で、 旅に出て、山に登って、瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

●旅・山登り

● 野口五郎の謎 本:『日下を、なぜクサカと読むのか 地名と古代語』(筒井功著)

2024年河出書房新社

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 長野県と富山県の境をなす飛騨山脈の中に野口五郎岳(2924m)という山がある。
 はじめてこの名を地図上で見つけた時は冗談かと思った。
 野口五郎も偉くなったもんだなあと思った。

 いまの若い人は知らないだろうが、野口五郎は70~80年代のスーパーアイドル歌手だった。
 西城秀樹、郷ひろみとともに「新御三家」の一人として、世の多くの女性たちの人気を集めた。
 『私鉄沿線』、『甘い生活』、『針葉樹』、『季節風』、『コーラスライン』など名曲も少なくない。
 ひょっとしたら、野口五郎の出身地にある山だから、記念にその名を冠したのかなあと思った。

 が、これは逆であった。
 ちびっ子のど自慢大会の常連だった佐藤靖少年は、歌手デビューするにあたって、「雄々しく逞しい歌手になるように」という願いを込めて、この山から芸名をもらったのである。
 やはり同じ飛騨山脈中にある黒部五郎(2840m)とどっちにするか迷ったというから、芸名を考えた人はかなりの登山マニアだったのだろう。
 ちなみに、野口五郎は岐阜県出身である。

 野口五郎岳の名の由来は、「野口」集落にある「ゴロ」。
 ゴロとは「大きな岩がゴロゴロしているところ」の意で、場所によっては「ゴウラ、ゴウロ、ゴラ」とも呼ばれる。
 箱根温泉の有名な強羅(ごうら)はまさにその一例である。

野口五郎岳
野口五郎岳
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=81900301による

 土地の名前の由来を知るのは面白い。
 由来を探るのはさらに面白い。
 とくに、大昔から継承されている地名は由来が文献に記されていないため、想像や推理で探るほかない。
 「野口」や「強羅」のように地形や土地の特徴から推測したり、名前の音(オン)から大和言葉以外の起源(たとえばアイヌ語や朝鮮語)を想定したり、その土地に伝わってきた古い風習や代表的な生産物に起源を求めたり、いろいろなアプローチがある。
 本書はまさに、文献には見つからない、日本の古い地名の由来を探っている。
 
 著者の筒井功は、民間の民俗研究家。
 机上の文献調査ももちろん怠りないが、自ら車を運転しての現地調査いわゆるフィールドワークに重点を置いているところが、この人の面目躍如である。
 まさに文字通り、“在野”の研究家。
 それゆえ、この著者の書く物は民俗研究レポートであると同時に、日本の辺境をめぐる旅行エッセイみたいなニュアンスを帯びる。
 出かけた先の役所や図書館などで地域資料を調べ、現地の古老をつかまえては古い記憶を引っ張り出す。
 そこからオリジナルな仮説を組み立てていく。
 「足で稼ぐ」探偵を主人公とする推理小説を読むような魅力がある。

 本書で取り上げられている地名、及びその由来についての著者の仮説を一部紹介する。
  • クサカ(日下)=クサ(日陰)+カ(処)→日の当たらないところ
  • ツルマキ(鶴巻、鶴牧、弦巻など)=弦巻(弓に弦を巻く円形の器具)→円形の土地
  • イチのつく地名(市、市場、一ノ瀬など)=イチ(巫女などの宗教者)が住んでいたところ (もちろん「市(マーケット)」や「一番」の意によるところも多い)
  • ツマのつく地名(川妻、上妻、下妻など)=「そば、へり」の意→川べりにある土地
  • アオイヤのつく地名(青山、青木、伊谷、弥谷など)=葬地だったところ
  • サイノカワラ(賽の河原)=サエ(境)+ノ+ゴウラ(石原)→石がゴロゴロしている境界の地
徳島県市場町

 2018年の秋に四国歩き遍路したとき、八十八ある札所の中で、「なんか不気味だなあ」、「ここは出そうだなあ」と思ったところ、参拝した後に“憑かれた”ような重さを感じたところがあった。
 香川県にある71番弥谷寺(いやだにでら)である。
 382mの山の中腹にあり、570段の急な石段を登りきったところにある本堂からは、素晴らしい眺望が得られた。
 弘法大師空海が子供の頃に勉強をした岩窟があることでも有名で、人気スポットになってもおかしくない場所であった。
 が、なんとも言いようのない空気の澱みを感じた。
 訪れたのは一日の巡礼の最後で足が棒のようになっていたので、境内で景色を見ながらゆっくり休憩するつもりだった。
 が、岩窟の中にある納経所で御朱印をもらったら、一刻も早く山を下りなくちゃという気になった。  
 霊感のないソルティには珍しいことであった。

 本書によれば、この山は地元では「死者の行く山と考えられており、葬送儀礼の一環として弥谷参りが行われた」そうである。

同地の例では、葬式の翌日か死後三日目または七日目に、血縁の濃いものが偶数でまずサンマイ(埋め墓)へ行き、「弥谷へ参るぞ」と声をかけて一人が死者を背負う格好をして、数キロから十数キロを歩いて弥谷寺へ参る。境内の水場で戒名を書いた経木に水をかけて供養し、遺髪と野位牌をお墓谷の洞穴へ、着物を寺に納めて、最後は山門下の茶店で会食してあとを振り向かずに帰る。(吉川弘文館『日本民俗大辞典』より抜粋、筆者は小嶋博巳)

 弥谷(イヤ+タニ)はまさに葬地だったのである。
 地名の由来を事前に知っていたら、怖くて写真を撮れなかったろう。

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遍路道から望む弥谷山

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山門

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金剛挙菩薩(約6m)

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「いやだに~」と毒づきながら登った石段


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本堂

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水場の洞窟

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大師堂
この中に岩窟がある

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岩窟への入口

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下山してほっとした



おすすめ度 :★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損






● オオクボレンセキ? NHKドラマ:『クライマーズ・ハイ』

2005年NHK制作
150分
原作:横山秀夫
演出:清水一彦、井上剛

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 JAL123便墜落事故20周年の節目に、原田眞人監督×堤真一主演の映画版に先駆けて、NHKが制作・放映したもの。
 来年で40周年と思うにつけ、月日の速さをつくづく感じる。
 と同時に、520人が亡くなった事故の衝撃の大きさと、いまだ治まることのない事故原因や事故後の対応をめぐる疑惑の噴出ぶりに、いっこうに鎮まらない心をもてあます。
 昭和・平成・令和と60年生きてきて、国内のいろんなニュースに接してきたが、こんな未消化で不快な思いを引き摺る事件はほかにない。
 府中3億円強奪事件(1968)やグリコ・森永毒入り菓子事件(1984)など犯人が捕まらないまま時効となった未解決事件、あるいはオウム真理教地下鉄サリン事件(1995)や薬害エイズ事件(1997年裁判和解)など多数の被害者を出した悲惨な事件はあったけれど、JAL123便墜落事件ほどの不気味さや後味の悪さはない。
 間違いなくそれは、森永卓郎が書いたように、この事件がいまも巨大な政治的圧力によってタブー視されていることと関係している。
 事件の詳細について知れば知るほど、そこに深い闇があるのを感得せざるをえないのだ。

 映画版にしろ、このTV版にしろ、本作の肝となるメッセージをしっかりと受け止めるためには、この闇に触れないわけにはいかない。
 なぜ、「日航全権デスク」を託された主人公悠木和雄は、部下を駆使して掴んだ「事故原因は圧力隔壁の損壊」というスクープの掲載を最後の最後に断念したのか。
 結果として、全国紙に出し抜かれる“ミス”を犯してしまったのか。
 悠木という男の性格、すなわち過度の慎重さ(あるいは優柔不断や臆病)に原因を帰するならば、この物語は単に、「ここ一番で勝負できず、周囲の期待を裏切った男」の失敗譚に終わってしまう。
 同僚にしてライバルの田沢が言うように、「いざとなると腰を引いてしまう悪い癖」がまたしても出たのだと。
 が、そうではない。
 「圧力隔壁の損壊」という事故原因は疑わしい=真相は別にあるということを、悠木という男の振る舞いを通して読者や視聴者に暗示したかった――というのが作り手の隠された意図であろう。
 であればこそ、TV版において、新聞をもらいに社を訪れた遺族母子が悠木に向けて放ったセリフ、「事故で亡くなった人の為にも真実を伝えて下さい」が生きてくる。
 映画版においてラストに映し出されるテロップ、「再調査を望む声は、いまだ止まない」が効いてくる。
 要は、「機体後部の圧力隔壁の損壊」という事故原因を安易に信用せず、寸でのところでスクープを思いとどまった悠木を、“クライマーズ・ハイ”という精神の興奮が引き起こす麻痺状態から「降りてきた」男として描いたのである。

 その意味で、原作者の横山秀夫はもとより、NHKドラマ制作班も原田眞人監督はじめ映画制作者も、「タブーに挑んだ」ということができる。
 とくに、国営放送であるNHKであってみれば、政府公式発表に疑問を抱く現場サイドがなし得るぎりぎりの抵抗が、本作の制作と放映だったのかもしれない。(今回の都知事選のNHK政見放送で、このタブーを堂々と破った泡沫候補がいたのには驚いた。)

宇宙人襲来

 このTV版、第43回ギャラクシー賞などいくつかの賞をもらい、評価が高い。
 実際、非常によく出来ている。
 映画版とほぼ同じ150分の尺で、映画版よりずっと話が整理されて分かりやすく、より濃いドラマが生み出されて、感動を呼ぶ。
 まず、脚本が上手い。
 映画版ではバランスを誤った3つのテーマ――墜落事故の様相、新聞社で働く男たちの群像、谷川岳登山をめぐってあぶり出される父子関係――が、適切な比重をもってバランス良く描き出されている。
 ナレーションや字幕の使用によって、視聴者が混乱しないような工夫もされている。
 映画版ではなんのことやら分からなかったベテラン記者たちの言葉「オオクボレンセキ」が、連続女性強姦殺人事件の犯人大久保清と、あさま山荘で有名な連合赤軍事件のことだと、TV版を観て知った。
 どちらも同じ1971年に群馬県で起きた事件だったのだ。

 北関東新聞社の社長と悠木の母親の浅からぬ関係、佐山とともに事故現場に足を運んだ神沢記者(映画では滝藤賢一、TVでは新井浩文演ず)の精神不安と自殺――両エピソードが省かれているのは、映画版との大きな違いであるが、話をシンプルにするためには、これは削って正解だった。
 このようなスケールの大きな話の場合、原作そのままを決められた尺(約150分)で映像化するのはどだい無理なのだから、どこかを思い切って削らなければならない。
 エピソードを詰め込み過ぎて映像作品としての質が落ちては、元も子もない。
 そこを理解してくれる原作者の存在は、映像化に際して非常に有難いところであろう。

 役者については、映画版に負けず劣らず、TV版も良かった。
 悠木役の堤真一と佐藤浩市のどちらがいいかは好みの問題だろう。
 暑苦しいほどの存在感はTV版の佐藤が一頭地抜いているが、男たちの群像劇として見れば、逆にそこがちょっと鼻につく。
 佐山役は、映画版の堺雅人のほうが若々しい切れがあって印象に残る。
 が、TV版の大森南朋のやさしい顔立ちは、生き馬の目を抜くマスコミ業界で「24時間戦う」昭和の男たちが互いに容赦なく罵り合う、観る者が思わず引いてしまう“喧嘩・パワハラ上等”場面にあって、貴重な癒し効果を生んでいる。
 社長役は、映画版の山崎努が個性際立つキャラを作って気を吐いていたが、出番の少なさを思えばTV版の杉浦直樹の威圧感ある眼差しもエグい。
 TV版の社員たち――岸部一徳、塩見三省、光石研、松重豊、岡本信人ら――は、それぞれが役者自身の個性や顔立ちとかぶるような役柄で、いい味を出している。
 悠木の妻役の美保純だけはちょっと××クソ。

 “ワースト・オブ・ワースト”の異名をとる谷川岳の衝立岩に登るスリリングなシーンは、巨大スクリーンを前提とした映画版こそバエるはずであるが、どういうわけかソルティは、TV版のほうが観ていてゾッとした。
 これはしかし、映画館のスクリーンのために撮られた映像をDVDでテレビモニターで観るよりも、あらかじめTV放映を念頭に置いて撮られた映像をテレビモニターで観るほうが、迫力があるってことなのかもしれない。
 映画とTVドラマでは、キャメラの使い方が違って当然である。 

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谷川岳
KanenoriによるPixabayからの画像


 
 
おすすめ度 :★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損





 

● 大瀬慕情 本:『万延元年のフットボール』(大江健三郎著)

1967年講談社
1988年講談社文芸文庫

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 大江健三郎の代表作である本作を読んでなかった。
 大学生の頃この作家にかぶれ、芥川賞を受賞した『飼育』はじめ『死者の奢り』、『芽むしろ仔撃ち』、『われらの時代』、『性的人間』、『個人的な体験』と初期作品をほぼ発表された順に読んできて、「次は『万延元年のフットボール』だ」と思っていたところ、なぜか『洪水はわが魂に及び』を先に読んでしまい、そこで打ち止めとなった。(小説以外では『沖縄ノート』を一昨年読んでいる)

 『洪水は~』がつまらなかったわけではない。
 脳に障害を持って生まれた息子と父親との言葉を超えた交感、および二人を包む不器用な若者集団の「連合赤軍あさま山荘」的破滅を描いた『洪水は~』は、寓意性や物語性に富んで、とても面白く感動的だった。
 タイトルが聖書の一節からとられていることからわかるように、スピリチュアルな色合いも濃かった。これを読んだ80年代初頭、“スピリチュアル”という概念はまだ日本になかったが・・・。
 面白かった一方、これまで読んできた大江作品とはカラーが違っていた。
 初期作品はどれも青年期の鬱屈が感じられた。
 性的抑圧と連動するようなカタチで、周囲の世界に対する苛立ちや畏れが基調を成していた。
 大江自身、初期作品群は「監禁」が主要テーマだったと後に述懐しているし、そこにGHQ支配下におかれた敗戦国日本の屈辱を見る論者もいる。
 20代のソルティは、戦後の政治状況や日本人の屈辱というテーマにはぴんと来なかったが、青年期の鬱屈は自分ごととしてビンビン共感できた。
 そこに大江作品にかぶれた理由があった。
 根暗な青年、今で言うなら「陰キャ」だったのである。

 『洪水は~』を読んだとき(正確にはその前に読んだ『個人的な体験』あたりから)、大江が内に抱いて作品として結実させるテーマが、自分の関心とはかけ離れたものになっていることを察し、「もう大江は十分だ」と思ったのであった。
 当然のことながら、若くデビューした作家も成長する。疾風怒濤の青春期を後にし、社会化する。齟齬や摩擦のあった周囲の世界と、とりあえずの和解をもつ。
 そのうえ大江の場合、脳に障害ある息子(作曲家・大江光)の父親になる――父親になることを引き受ける――という大きな転機があった。
 言ってみれば、アフリカの原住民部族のバンジージャンプのような通過儀礼である。
 つまるところソルティは、“大人になった”大江健三郎に置いてけぼりにされたような気がしたのであった。
 これは初期作品から順に読んできたからこそ、つまり小説家の成長過程を追ってきたからこそ起こり得た現象だろう。はじめの一冊に『洪水は~』以降の作品を手にとっていたら、逆に初期作品を読むことはなかったかもしれない。

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 およそ35年ぶりに大江の作品を手にとったのは、かつての“推し”にして我が国で川端康成に継ぐノーベル賞作家の代表作を読んでいないという長年の気がかりを解消したかったのと、2018年の秋に四国遍路をした折、大江健三郎の生まれ故郷であり、本作の舞台である大窪村のモデルとなった愛媛県喜多郡内子町大瀬を訪れたからである。
 小説を通じて、もう一度大瀬に会いたかった。

内子駅で下車して東方に道をたどると、駅前の集落はたちまち尽きてしまい、そこから渓谷を蛇行している小田川に沿って昔ながらの街道が山間部にずっと延びている。その狭隘な街道を約5キロほども遡行すると、やっと小さな村落にたどりつく。そこが大瀬の集落である。村落の北東方面に目をやると遠く近く石鎚山脈の巨大な峰々が起立していて、いかにもここで行き止まりといった印象を受ける。(本書巻末「作家案内」より抜粋)

 むろん、本作で描き出される大窪村(大瀬)は、ソルティが訪れるより半世紀以上も前の1960年代初頭の姿であり、交通事情やら家並みやら人口構成やら村人のたつきやら、まったく現在とは違っている。
 また、あくまでもフィクションの中に設定された集落であり村人であり、大窪村=大瀬と単純に受け取るのは早合点が過ぎる。
 が、大江健三郎の出身地という以外に特別な観光名所もない、遍路道沿いにあるとは言え巡礼札所からは離れている――67キロ離れた43番と44番の間にある――ので歩き遍路でなければ立ち寄ることもない、アクセスの悪い山間の僻地ゆえ、半世紀前と変わっていないところも多かろう。
 地形であるとか、左右に広がる深い森と谷間を流れる小田川の透き通った水の色であるとか、空気感であるとか、土地柄であるとか、古くから住みついている人々の“村民性”であるとか、60年代当時から残っている建物であるとか、リンを鳴らし通り過ぎる遍路の姿であるとか・・・・。
 2018年に訪れた際の大瀬の光景を脳裏に浮かび上がらせながら本書を読むという、まことに贅沢な、臨場感ある読書体験をした。

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江戸や明治の町屋や蔵屋敷が並ぶレトロな内子町

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大正14年から昭和40年まで営業していた映画館(旭館)
少年時代の大江健三郎も通ったことだろう

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内子から大瀬に向かう遍路道

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大瀬

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小田川

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小田川を渡ったところにある遍路休憩所

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大瀬の目抜き通り

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大江健三郎の実家

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大江の母校の大瀬小学校
シンメトリカルで瀟洒な造りに驚いた

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大瀬の館(大瀬自治センター)
元村役場だった

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見学や休憩ができる
掲示されていた昔の村地図に「朝鮮部落」とあった
『万延元年』に朝鮮人が登場するのは故あることだった

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宿泊することもできる

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大江健三郎の写真が飾られていた

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もちろん書籍も

 翻訳の仕事をしている蜜三郎と妻の菜採子は、はじめての子供が脳に障害を持って生まれ自分たちの手では育てられそうもないことにショックを受けた。蜜三郎はまた親友の奇矯な自殺を目撃し、引きこもり状態になっている。
 そこへ60年安保の闘士であり、挫折を胸にアメリカ放浪してきた蜜三郎の弟鷹四が帰ってくる。鷹四は兄夫婦に、「新しい人生を始めるために、一緒に生まれ故郷の大窪村に行こう」と誘いかける。
 鷹四を信奉するヒッピー風の若い男女一組も引き連れ、一行は四国の谷間を目指して出発する。
 だが、実は鷹四には兄には告げていない過去の秘密と、闘士としての密かな目論見を持っていた。
 やがて、万延元年に大窪村で起きた一揆をなぞるように、静かな山間に鬨の声がとどろく。

 ――という物語が、大江の特徴である翻訳調のごつごつした文章で綴られていく。
 難解で固い文章には違いないのに不思議と土俗性を醸し出していく才は、この作家ならでは。
 食べるのを止められない病いにかかった大女のジンや、かつて徴兵逃れのため森に入って戦後もそのまま森に棲み続ける隠者ギーなど、印象に残るキャラクターづくりもさすが。
 思った以上に面白かった。
 文庫の裏表紙の短い解説文では、物語の簡潔なあらすじと共にこう紹介されている。

 幕末から現代につなぐ民衆の心をみごとに形象化し、戦後世代の切実な体験と希求を結実させた画期的長編。谷崎賞受賞。

 おそらく、一般的にはこの通りの解釈で間違いないのだろう。
 けれど、「戦後世代の切実な体験と希求」を共有していない、60年安保も70年安保も知らない、一揆はもちろんゲバ棒にヘルメットのような暴力をともなう政治運動を経験したことがない、“戦後”という言葉すら時代遅れとなった昭和元禄&バブル世代に育ったソルティは、この兄弟をめぐる物語を、上記解説のように読むのは難しかった。
 まったく別の読み方、違った解釈で読むことになった。
 ソルティは本作を、鷹四という主人公の一種のトラウマドラマとして、すなわち鷹四という人物の一連の行動を精神分析的に解釈する誘惑にかられながら読まずにはいられなかった。

 鷹四には兄の蜜三郎に隠していた、家族の誰にも話すことのできずにいた少年時代のあやまちがあった。
 そのあやまちは残酷な結末を迎え鷹四は致命的な傷を負うのだが、誰にも話せないことであるがゆえに、そのトラウマは鷹四をその後ずっと束縛し、苦しめ続けることになる。
 鷹四が安保闘争に飛び込んで恐れ知らずの闘士として同志から英雄視されるようになるのも、アメリカ旅行中に単身スラムに入って無防備な探索をするのも、自らを罰したいという破滅願望ゆえなのである。
 そしてその破滅願望は、生まれ故郷の大窪村で、村人たちを扇動し“伝説の一揆”を起こすという無鉄砲をもって表出される。ほかならぬたった一人の肉親である兄の目の前で、自らのトラウマをさらなる暴力によって昇華させ、良くも悪くもケリをつけたいという、やむにやまれぬ衝動のあらわれとして――。
 鷹四は、兄蜜三郎にすべてを目撃してもらい、すべてを知ってもらい、過去のあやまちを償う自らの“証人”になってもらいたかったのだ。

 そのように解釈してみると、鷹四というキャラクターは初期作品に共通して見られた「鬱屈」の形象化であり、一方、鷹四の暴発と悲劇的最期を傍らで目撃しつつ、その根源にあるものをつきとめ、荒ぶる魂を鎮静し、日常生活に復帰していく蜜三郎は「社会化」の比喩である。
 本作は初期作品から後期作品への「乗越え点」と、「あとがき」で大江健三郎自身が述べている。
 まさに“通過儀礼”的な作品なのである。

 一つだけ釈然としない点をあげる。
 ラストで鷹四の子供を妊娠した菜採子が蜜三郎のもとに戻ってくるが、これは夫である男性の視点からはともかく、妻である女性の心情からして不自然な気がする。
 ここまで決定的なことがあって、夫婦関係をこれまでどおり継続できるものだろうか?
 離婚するかどうかは別として、少なくとも、二人には冷却期間が必要だろう。
 妻の菜採子の実家は裕福らしいので、いったん里に帰らせるというやり方もできたはず。 
 「なんかとってつけたような、無理くり大団円にしたラストだなあ」という感がした。
 女性読者の多くはどう思うのだろう? 

 それにつけても、やっぱり、大江健三郎は凄い。
 またいつの日か大瀬の里に行きたいな。

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おすすめ度 :★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
★     読み損、観て損、聴き損




● 悲しき針葉樹

 4月の中頃から不調が続いた。
 喉の痛みと倦怠感から始まって、悪寒・頭痛・くしゃみ・微熱・咳・鼻水・痰と、一連の風邪様症状を経過したあげく、食べ物の味がおかしくなった。
 なにを食べても塩味しか感じられない。
 まさに、砂を噛むよな味気なさ。
 常備しているラベンダーとヒノキのアロマオイルを鼻孔に近づけたところ、まったくの無臭。
 味覚と嗅覚に異常が起きている。
 そのままGW入りした。

アロマオイル

 なんだか落ち着かないのは原因が特定できないからだ。
 コロナ?
 風邪?
 コロナ後遺症?

 家にある抗原検査キットを日をあけて3回やったが、すべて陰性(-)。
 コロナでは・・・ない?(もっとも、抗原検査陰性でもコロナ感染しているケースが多いようだ)
 風邪にしては妙に長引くし、これまでに風邪で味覚障害になったことはない。
 ひょっとして、いま巷で騒がれているコロナ後遺症?

 子供の頃にかかった水疱瘡ウイルスが、大人になってから宿主の免疫力の低下によりヘルペス(帯状疱疹)を引き起こすように、一昨年わが身に侵入したコロナウイルスの残党が、復活のチャンスとばかりに活性化したか? 
 たしかに発症前の数日、寝不足と疲れが続いていた。

 とりあえず、外出時はマスクをつけるようにし、市販の葛根湯で症状を抑えた。

 GW後半に知り合いの山荘に2~3日遊びに行った。
 周囲はウグイスやコジュケイの鳴き声しきりの深い森。
 そこで症状が悪化した。
 滞在中は天気こそ良かったが、結構な風が吹いていた。
 森の中を散策した後に、くしゃみや咳や鼻水や体熱感が起きて、頭がぼうっとした。
 鏡を見たら顔全体が赤かった。
 これ、ひょっとして花粉症?

 たしかに、数年前からスギ花粉アレルギーの洗礼を受けていた。
 が、スギ花粉のシーズンは早春である。(ピークは2月上旬から4月中旬)
 ありがたいことに、今年はスギ花粉の影響はほとんど感じなかった。
 「今年は無事乗り切った」と安堵していた。
 よもやGWに花粉症になるとは思わなかった。
 スギでなければその正体は・・・・?
 
 ヒノキ花粉のシーズンはスギより一ヶ月ほど遅れる。 
 ピークは3月中旬から5月上旬。
 たしかに、GW明けてからは楽になっている。
 アロマオイルの香りが戻り、味覚も復活した。
 
 南無三。
 スギに加えてヒノキも天敵になってしまったのか?
 もはや春の山登りはあきらめるほかないのか?
 あれだけ愛した針葉樹が・・・!


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wal_172619によるPixabayからの画像






● 笛吹峠(80m)~物見山(135m)~岩殿観音  

 五月の風に吹かれ、鳥のさえずりを聴きたい!
 と思うものの、ゴールデンウイークの山はどこも人盛りの山。
 移動もまた大変である。
 近場で人の訪れないところを狙って、奥武蔵の峠道を選んだ。
 標高はないに等しいが、距離は結構なものであった。

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路傍の花(以下同じ)

● 歩行日 2024年4月28日(日)
● 天気  晴れ(最高気温30度)
● 行程
10:35 JR八高線・明覚駅(埼玉県比企郡ときがわ町)
    歩行開始
11:25 旧道(山道)入口
11:45 笛吹峠
    休憩(25分)
12:50 地球観測センター(JAXA)
    見学(50分)
14:10 物見山
    休憩(15分)
14:30 昼食「日の出家」(30分)
15:10 岩殿観音(坂東札所10番正法寺)
    参拝(40分)
16:00 弁天沼(鳴かずの池)
16:35 東武東上線・高坂駅(埼玉県東松山市)
    歩行終了
● 所要時間  6時間(歩行3時間20分+休憩ほか2時間40分)
● 歩行距離   約14 km

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JR八高線・明覚駅
はじめて下りた
ログハウス風の駅舎が好ましい

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ちょっと歩けば里山風景が広がる

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弁財天の碑
かつてここに池があったのかもしれない

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青々とした麦畑がさわやか
麦秋の頃はまた黄金の波が美しかろう

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旧道入口
ここから起伏の少ない山道を行く

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檜の道
ソルティは花粉症なのだが逆療法で免疫をつける
(推奨しません)

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笛吹峠
埼玉県鳩山町と嵐山町の境をなす
かつてはここを北関東と鎌倉を結ぶ鎌倉街道が走っていた
後醍醐天皇の皇子である宗良親王が足利尊氏と戦った際(1352年)
月明かりの下ここで笛を吹いたのがその名の由来という
「笛吹童子」とは関係なかった

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峠付近ではまさに「笛を吹く」ごとく鳥のさえずりが賑やか
ウグイスしか判別できないのが情けない

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地球観測センター(JAXA)
こんな山中にこんな施設があったとは知らなんだ

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地球の環境状態を人工衛星から観測するリモートセンシング技術の確立・発展のため
1978(昭和53)年10月、埼玉県比企郡に設立された
巨大パラボラアンテナが目立つ

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見学は無料

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地球の歴史

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人工衛星の模型
親子連れが数組いたくらいで空いていた
もう少し展示に工夫がほしいところだ

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ここから東松山市民の森に入る
針葉樹から広葉樹に変わった
羽虫が顔の周囲を飛び回ってうっとうしかった

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物見山(135m)
桜、ツツジ、紅葉の名所として市民に親しまれている

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標高は低いが、その名の通り、展望は素晴らしい

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東側に関東平野が広がる

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14時過ぎ、やっと昼食
今日はお弁当を用意して来なかった

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そば定食(1100円)
野菜の煮物がうれしい

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岩殿観音(坂東札所第10番正法寺)
養老2年(718)の開山と伝わる
中世に源頼朝(大泉洋)の命により比企能員(佐藤二朗)が復興した
比企の尼(草笛光子)も深く信心したという(by『鎌倉殿の13人』)
本尊は千手観音

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立派な木組みに宮大工の伝統の技を見る

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大イチョウ
推定樹齢700年、周囲11m
色づいたら圧巻だろう

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根元でしばし瞑想、エナジーチャージした

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我が心の友、お大師さま
真言宗智山派の寺院である

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鐘楼
茅葺きの屋根が風情ある
生きとし生けるものの幸せを祈り、鐘を撞いた

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鐘楼から見下ろす参道

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山門の仁王像
なんだか可愛い

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寺の裏から入って表から出ることになった
ここから約600mの参道が続く

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参道の両側の家にはかつての屋号や寺号が掲示されていた
明治初期の廃仏毀釈の波にさらわれるまで、門前町として栄えていたのだ

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参道入口から山門を望む

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赤い橋が優美な弁天沼

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祠の中の弁天様

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かつての巡礼路だろうか
風情ある野辺の道

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東武東上線・高坂駅
歩行終了!
思った以上に時間がかかった
やはり朝早い出発が大切

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5月の野の花があでやかだった











● ジパング現象 : 初春の京都・寺めぐり 3

 3日目は土曜日だったので、街中を避けて郊外へ足を延ばした。
 栂尾(とがのお)に行くのは初めて。
 街中からバスでちょうど1時間、北山杉の林立する谷深い山中に入る。
 時折、桜吹雪と見まがうような雪が舞ったが、それもまた風情があった。

3月9日(土)曇り、一時雪
08:00 宿出発
08:37 四条烏丸バス停より市バス乗車
09:40 栂尾着
     高山寺
11:00 西明寺
12:00 神護寺
13:00 昼食
13:50 高雄バス停より市バス乗車
15:00 四条烏丸着
17:00 京都駅発

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栂尾バス停
市バスの終点である
市バスは一律料金なので、1時間乗っても大人230円
ずいぶんお得である

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高山寺
774年創建、光仁天皇の勅願と伝わる
国宝・石水院は、鎌倉時代に明恵上人が後鳥羽上皇より賜った建物
善財童子像の向こうに庭が見える

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今時分がいちばん殺風景な頃合いであろう

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欄間にかかる額『日出先照高山之寺』は後鳥羽上皇の筆による
寺名の由来となった

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座敷より山々を望む
紅葉の頃はさぞかし壮麗であろう
古都』執筆中の川端康成はここで長時間眺め過ごしたという

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明恵上人
『鎌倉殿の13人』北条泰時と同時代の人である
生涯にわたり夢日記をつけた人としても知られる

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国宝・鳥獣戯画(平安~鎌倉時代)
複数の作者によって段階的に描かれたとされる

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蛙とウサギの絵は有名だが、猫やネズミもいたのね

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明恵上人のお墓
高山寺はお茶の発祥地と言われている
明恵上人が中国から持ち帰った茶種を当地で栽培したのが始まり

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谷を流れる清滝川沿いに寺から寺へと歩くのが気持ちいい

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西明寺
弘法大師の弟子智泉によって神護寺の別院として開かれたのが始まり
この本堂は1700年に5代将軍綱吉の母・桂昌院の寄進により再建されたもの
千手・十一面観音菩薩像(平安時代)や愛染明王(鎌倉時代)など見事な仏像に時を忘れる

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苔庭の枯れた風情もまた良い
案内してくれた住職によると、「静かなのは今だけ。紅葉の頃は大変な人出」
最近は外国人参拝客も多いそうである
たしかに、「さすがにここでは会わないだろう」と思って来たのに、3組の外国人グループとすれ違った。

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聖天様が祀られていたのに驚いた
大根と巾着がなによりの標
元禄時代に聖天様を勧請し堂を建てたとのこと 

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3つのお寺はそれぞれ山の上にあるので、登って降りてを3回繰り返さなければならない
足が動くうちに行きたいところに行っておくことの大切さをひしひし感じる今日この頃である

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神護寺
ここから山門まで結構きつい

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平安京造営の最高責任者であった和気清麻呂による創建
824年に神護寺と命名された
広々とした境内は気宇壮大にしてエネルギーが満ちている

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大師堂
留学していた唐から京都に帰った弘法大師は、当地にしばらく住んだ
ここで恵果から学んだ密教の教えを広め始めた
つまり、真言宗誕生の地

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金堂(1623年再建)
本尊は国宝の薬師如来像
厳めしい表情と農婦のように逞しく肉厚な体つきが特徴的
左右に居並ぶ十二神像のダイナミックな動きにも目を奪われる
もう一つの目的であった国宝・五大虚空蔵菩薩像は期間限定の開帳(次は5/10~13)
今年7月には上野の国立博物館で神護寺展が開かれる
虚空蔵菩薩にも会えるといいのだが・・・

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素焼きの小皿を谷に向かって投げる「かわらけ投げ」という験担ぎがある
戦国時代、武将が出陣する際、必勝祈願で盃を地面に投げつけていたのが起源
神護寺が発祥地とされているそうで、ちゃんと投げる場所がある

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たしかに、何かを投げたくなるような絶景が広がる
神護寺に来たら、ここに来ない選択はない
1000年以上前、空海が見たまんまの景色である
京の都からこの深い山中まで、僧として最高位にいた最澄は密教の教えを請いに来た
最澄の謙虚さ、仏法への信心の篤さは見上げたものと思う

神護寺うどんやうどん屋
山腹にある茶屋でひとやすみ
客は3組ほど
小雪が舞っていた

神護寺もみじうどん
もみじうどん(900円)

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高雄バス停
清澄な空気の中、静かな谷歩きと名刹めぐりが満喫できた


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 今回の京都旅でつくづく感じたのは、外国人旅行客の多さであった。
 それも実に多国籍。
 京都タワーの周辺には民家を改造した旅籠(はたご)のような旅館がたくさんあって、洋風ホテルでなく和風の生活を楽しみたい外国客であふれていた。
 昔からある路地裏の個人経営の喫茶店や食堂にも外国人の姿が見られ、店の人の応対ももはや手慣れたものであった。
 今回ソルティが訪ねた中で外国人の姿を見かけなかったのは、一日目の風俗博物館と二日目の瑞泉寺だけであった。
 ソルティのような京都好きの日本人でさえ、なかなか訪ねていかないところまで入り込んでいる。
 インターネットとりわけSNSの力であることは言うまでもないが、それにしても、「なぜ、日本?」という不思議な思いは拭いえない。
 たしかに日本には素晴らしい自然や文化遺産や工芸品がいっぱいあるけれど、それは日本に限ったことではない。
 治安の良さや食べ物の旨いのは昔からだ。
 やっぱり、相対的な物価の安さが大きいのだろうか。
 一方、四国遍路にチャレンジする外国人の多さは、そればかりが理由ではないことを告げているような気もする。
 21世紀初頭の日本が、世界にとってまさに「ジパング」になっていることの意味を考えさせられた。

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これこそ「黄金の国ジパング」の象徴である






 



● 自転車で修学旅行 : 初春の京都・寺めぐり 2

 今回の旅の目的の一つを書き忘れていた。
 八坂神社である。

 2018年12月に最寄り駅の階段から転落して、左足かかとの骨を折って入院した。
 無事手術を終えて退院する明け方、京都か奈良のどこかの古い泉で湧水を飲む夢を見た。
 甘く美味しい水だった。
 今年になって、サンドウィッチマン出演の旅番組を観ていたら、
 「あっ、ここ夢で見た水飲み場だ!」
 それが八坂神社境内の御神水(ごじんずい)だったのである。

 もちろん、八坂神社には何十年も前に行ったことがあるので、記憶に残っていた映像が夢に現れたのであろう。そこに不思議はない。
 が、ここを訪ねて水を飲みなさい、といういずこからの声を聞いたように思った。
 こういったスピリチュアルな直観は大事にするソルティである。

 2日目は八坂神社以外、とくに予定を決めてなかった。
 嵐電に乗って広隆寺の弥勒菩薩に久しぶりに会いに行くことにした。
 昨年訪ねた中宮寺の弥勒菩薩と比較してみるのも一興。
 そこから自転車をレンタルして、龍安寺、金閣寺と、黄金の修学旅行コースを回ることにした。

3月8日(金)晴れ時々曇り、一時小雨
08:00 宿出発
08:10 八坂神社
      市バスと嵐電に乗って太秦広隆寺へ
09:30 広隆寺
10:40 東映映画村
12:30 昼食
      自転車レンタル 
13:30 龍安寺
14:40 金閣寺
16:15 六角堂
16:50 瑞泉寺
17:20 自転車返却後、河原町散策

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八坂神社
主祭神は素戔嗚尊(すさのをのみこと)
疫病退治の神として、コロナ禍で大活躍された

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本殿
この地下に青龍の棲む龍穴があるという

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御神水
夢見たとおりの甘く柔らかい水であった
ご利益がありますように

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嵐電で太秦広隆寺へ
実に40年ぶりの訪問

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上宮王院太子殿
1730年に再建された入母屋造のお堂
本尊は聖徳太子像
太子建立の寺と言われているが、実際は渡来系の秦河勝(はたのかわかつ)の可能性が高い

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弥勒菩薩半跏思惟像    
64年前、この像に魅せられてジュディ・オング京大生が思わず抱きついてしまい、
薬指を折ってしまったという伝説の仏像(そのせいか今も監視の目が厳しい)
個人的には奈良の中宮寺の像のほうが、高貴で慈悲深い感あって好き

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中宮寺の弥勒菩薩像

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東映太秦映画村
訪れたのは中学の修学旅行で『銭形平次』撮影中の大川橋蔵と香山美子を目撃して以来
ずいぶん様変わりしていて驚いた
いまや撮影所というより巨大テーマパーク(大人の入村料2400円)

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港町の風景
5分に1回、水中から怪獣が現れ、水しぶきを吐く
(東映なのでゴジラではない)

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オープンセット
江戸の街並み
はるか先に望むは方角的に嵐山だろうか

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銭形平次の住む長屋風景

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江戸吉原通り
子連れの親たちがここを子供にどう説明するか見物である

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一日数回、芝居小屋(中村座)で忍者ショーを実演している(見物無料)
さすがに迫力あるアクションシーン
遠足で来た園児たちが目を丸くしていたのが可愛かった

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映画文化館
ここが一番の目的
1階は美空ひばり展示館、2階は映画記念館

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日本映画の名作、名優、名監督、名スタッフらの仕事が紹介されている
映画好きにはたまらない空間

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マキノ雅弘監督『お艶殺し』(1951)のポスター
谷崎潤一郎原作、山田五十鈴・市川右太衛門共演
フィルム現存するなら観てみたい

昼食は村内のうどん屋で
京都名産九条ネギをふんだんに使った「九条ネギうどん」が爽やかな苦みで胃袋を熱くした
映画村近くの HELLO CYCLINGステーションで電動アシスト自転車を借りる
ここからサイクリング開始

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臨済宗龍安寺
1450年に細川勝元が創建した禅寺
京都人の言う“先の大戦”すなわち応仁の乱(1467-1477)で焼失したが、1499年に再建
有名な石庭はその際に造られたという

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庭園の梅の花が見事
外国人旅行客の撮影スポットと化していた

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外国人観光客はこれを見て、何を思うのであろうか
仏道修行15年のいまソルティ思うに、この庭のテーマは「色即是空、空即是色」なのでは?
岩が「色」を示し、地の白砂が「空」を表す
「空」から起こった心のさざなみが、澱みを生み、凝り固まって岩となる
すなわち「我」が誕生する

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漢字クイズのような銭形のつくばい
水戸黄門が寄進したという
4つの漢字が隠されています
わかるかな?

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石庭で有名な寺だが、鏡容池を囲む庭も風情があって良い

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きぬかけの道を気持ちよく走って金閣寺へ
外国人:日本人=7:3くらいの比率だった
3組の外国人の写真撮影に協力した

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ここで空がにわかにかき曇り雨が落ちてきた
慈悲の瞑想をすること10分、雲間より青空がのぞいた
陽が射すと射さないとでは、景色がまったく違う

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ここも一応、臨済宗の禅寺なのだが、そうは見えない
豪華絢爛ぶりは藤原氏の宇治平等院といい勝負と思う

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1950年、見習い僧による放火で全焼、その後再建された
外国人旅行客の中には、三島由紀夫の小説や市川崑の映画で興味を持った人も多かろう

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京の街中を下ル
路地を縦横無尽に走れるのが自転車の魅力

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昭和がたっぷり残っていて、嬉しくなる
一条千本通付近のアパート

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六角堂(天台宗紫雲山頂法寺)
三条烏丸通り、ちょうど京都観光マップの中心あたりに位置する
聖徳太子創建という伝承があるが、実際の創建は藤原時代(10世紀後半)と想定される
華道、池坊発祥の地としても知られる

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名前の由来は本堂が六角形をしているから

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隣のビルのエレベータから見下ろす

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そのまま三条通を東進したら、鴨川ほとりに気になる寺があった
浄土宗慈舟山瑞泉寺
門前に自転車を止めて参詣する

瑞泉寺由来
豊臣秀吉の甥っ子で養子となった秀次ゆかりの寺であった
秀次は関白の地位まで上るも、秀吉と淀君との間に秀頼が生まれたことにより、
一転、秀次は邪魔者となった
石田三成らの奸計で謀叛の罪をかぶせられ、自刃させられた(1595年)

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同時に、秀次の息子、娘、34人の側室は鴨川の河原で惨殺された
一族の菩提を弔うために、瑞泉寺は建てられたそうな(1611年)
境内には、秀次はじめ亡くなった一族の墓がある

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境内にある地蔵堂
亡くなった一族および家臣たちをかたどった49体の京人形が地蔵菩薩を囲んでいる
合掌

 宿に帰ってスマホで調べていたら、なんとびっくり!
 瑞泉寺の住職は、ソルティお気に入りのイラストレーター、中川学であった。
 僧侶であることは知っていたが、よもや京都のお坊さんとは思わなかった。
 それも非業の死を遂げた豊臣秀次一族ゆかりのお寺とは。

 泉鏡花原作の『化鳥』や『榲桲(まるめろ)に目鼻のつく話』や『朱日記』など、中川の描く世界は、虐げられる“おんな、こども”の苦しみと悲しみに満ちている。
 そのテーマ性の源にあるのは、ひょっとしたら、この地蔵堂なのでは?
 
天神橋
『化鳥』に出て来る金沢の浅野川と天神橋が、京都の鴨川と三条大橋に重なった

 還暦にして学ぶこと多し。
 まったくもって修学旅行の一日であった。 






  

● いざ、源氏ワールドへ : 初春の京都、寺めぐり 1

 いま時分の京都は比較的空いているはずと思い、平日からめて三日間の京めぐり。
 天気は時折、小雨や小雪に見舞われたけれど、おおむね晴れた。
 思ったほど寒くなく、上着一枚、不要だった。

 今回の主目的は、風俗博物館と栂尾三尾(とがのおさんび)巡り。
 前者は、NHK大河ドラマ『光る君へ』の舞台となっている王朝時代の貴族の生活を、1/4縮尺でリアルに再現したジオラマがある。
 京都には何度も行っているのに、迂闊にもここは訪れてなかった。
 目の前にある西本願寺にも久しぶりに参詣したい。
 後者は、京都市北西の静かな山中に位置する高山寺、西明寺、神護寺。
 高山寺は夢日記を書いた明恵上人と鳥獣戯画で知られている。
 あとの二寺は弘法大師空海とゆかりの深い名刹である。もちろん、素晴らしい仏像との出会いも楽しみ。
 残り一日は、レンタル自転車で市内を好き勝手に回ろう。

3/7(木)晴れ
09:00 京都駅着
10:00 風俗博物館
12:00 西本願寺
14:00 昼食
15:00 壬生寺
16:00 四条大宮駅
     阪急京都線で四条河原町へ
17:00 宿入り

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京都駅は外国人観光客でごった返していた
春節が終わり中国人が減ったのが、せめてもの慰め

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徒歩15分ほどで風俗博物館に着く(井筒左女牛ビル5階)
古代から近代にいたる日本の風俗・衣装を実物展示する博物館として
昭和49年オープンした

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エレベータが開くと、そこは平安時代
雅楽の調べが流れてくる

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十二単を来た女性(実物大)

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後ろ姿
人の着物を踏まないように歩くのは大変だったはず

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貴族メンの正装着である束帯は位ごとに使用できる着物の色が決まっていた
左端が一番高位、右に下がっていく

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今回のメイン展示は『源氏物語・御法(みのり)の巻』より
光源氏の正妻・紫の上が二条院で主宰した法華経千部供養の模様を再現

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一等席で見物する光源氏(白い衣)と息子の夕霧(手前)

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細かいところまでリアルに再現されたジオラマの完成度に感嘆しきり

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中国の故事にちなんだ舞楽「陵王」が披露される
館のなかでは粛々と法会行事が進行中

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馬の房飾りや従者の草履などキメ細かい

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見物する童子たち
可愛い!

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なにやらBLっぽい想像を掻き立てる貴公子ふたり

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廂の間(今の廊下)で出番を待ち団らんする僧侶たち
「今日のご祝儀は期待できるな」「しっ、聞こえるぞ」

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塗籠(ぬりごめ)で法会を見守る紫の上と侍女たち
御簾や几帳で周りを覆い、顔を見せないのが貴族女性のたしなみだった

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このとき紫の上は自らの死を予感していた
(紫式部の名の由来は「紫の上」からくる)

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光源氏の妾妻である、花散里と明石の上も訪れて、紫の上と歌を交わした
「貴族の妻は嫉妬深くてはやっていけません」(道綱の母、反省の弁)

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互いに髪の手入れをし合う女房たち
エクステンション(つけ毛)というのもあった

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着物に香を焚きしめる女子

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偏つぎをする女性たち
『光る君へ』でも登場した平安の代表的インドアゲーム

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生地色のグラデーションやコントラストで季節に合わせた着物をまとうのが粋
「かさね色目」と言う(上は「梅かさね」)

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かぐや姫もとい『竹取物語』のクライマックス、天人来迎シーン
絵本でも映画でも、かぐや姫は十二単姿で描かれることが多いけれど、
物語が書かれた時期(平安初期)を考えると、上のような唐風であったはず

夢のような2時間。
館内を3周も回ってしまった。
『光る君』オンエア中は混むことだろう。
平日の朝一番、空いていて良かった。

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西本願寺は親鸞聖人を宗祖とする浄土真宗本願寺派の本山
現在の地所は豊臣秀吉からの寄進による
宗徒の多さを感じさせる巨大感
上は阿弥陀堂

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親鸞聖人の木造が安置されている御影堂
世界最大級の木造建築(227本の柱、115,000枚の瓦)
ベートーベンの交響曲のような風格と美しさがある

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国宝・唐門(からもん)
このデコトラ風のキンキラキン、まさに秀吉好み

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京都三名閣の一つと言われる飛雲閣が、ガイドさん説明付きで特別公開されていた
残り二つは言うまでもない
建物の左肩からのぞく京都タワーが可愛い

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桃山~江戸初期の建築とされ、全体が軽やかで空に浮かぶ雲のようだとして、
その名がついたといわれる。
左右非対称でありながら調和のとれた独特のたたずまいが面白い
池の端から舟に乗って、1階の座敷に直接入れる仕組みとなっていた
なんだか隅田川から舟に乗って遊びに行ったという、昔の吉原を想起させる
浴室(右端の小屋)もあるというし、ゲストハウスとして”そういう”使われ方をしたのでは?

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2階の戸板には紀貫之や小野小町ら三十六歌仙の姿が描かれている

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鐘楼もいかがわしいまでに飾り立てられている

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滴翠園(てきすいえん)
この庭もふだん非公開

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やっと昼飯だ~
西本願寺そばの『カンパネラ』
ここのカレーライスと和三盆プリンは超おススメ!
元気復活の旨さ。
ここから30分ほど歩いて壬生寺に向かう

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律宗・壬生寺(みぶでら)
991年快賢僧都によって創建された
壬生狂言と新選組と壬生菜(みぶな)で有名な寺である

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千躰の石仏が側面を覆う東南アジア風のパゴタ(仏塔)が目立つ

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境内には新選組関連の遺跡がある
近藤勇の胸像や、新選組組長芹沢鴨以下、隊士10名の墓がある
ソルティは新選組にあまり興味がないのだが、これも縁だ、『壬生義士伝』を観てみるか
壬生狂言は、演目に『玉藻の前』、『土蜘蛛』、『道成寺』など鬼・妖怪ものが多い
土地柄なのか、気になる

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嵐電の踏切を超えて、四条大宮まで歩く

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四条大橋ふもとのカフェで一休み
四条河原町へと繰り出す外国人旅行客ら

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鴨川
四条大橋から五条橋を望む
うららかな夕暮れであった

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八坂神社近くのカプセルホテルに宿泊
屋上の露天風呂の眺めがよく、気持ち良かった







● 両神山(1,723m)でその人と逢う

両神山
簑山から見た両神山

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秩父市街から見た両神山

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小鹿野町から見た両神山

 両神山は秩父の奥座敷にあるので、自家用車がなければ日帰り登山は厳しい。
 公共交通機関利用組は、秩父市内か小鹿野町内のホテルに前泊して早朝のバスで麓に向かうか、あるいは麓にある民宿両神山荘に前泊するのがベター。
 足にも体力にも地形図読解にも自信のないソルティは、できるだけ朝早く歩行スタートしたかったので両神山荘に予約を入れた。

 前日(11/3)、西武秩父駅17:05発の小鹿野町営バスに乗って薬師の湯で下車、17:55発の日向大谷(ひなたおおや)行き最終バスに乗り換えた。
 乗客は1人。
 あたりはすでに真っ暗で、道の両側にどんな景色が流れているのか皆目わからない。
 トンネルのような細くて暗い道をひたすら奥へ奥へと突き進んでいく。
 20個以上あるバス停をどんどん通過していく。
 どこに連れていかれるのだろう?
 バックミラーに映った運転手の顔がキツネだったら相当コワい。
 そうでなくとも両神山にはどこか人を畏怖させる、簡単には寄せ付けないものを感じるのだ。
 なんといっても神の山。古くから修験道の聖地だった。 
 自分はまだ呼ばれていないのではないか?

 ――なんてことを思ったのは、昼前にリュックを背負って意気揚々と自宅を出たものの、途中駅で財布を忘れたのに気づいて引き返したドジな一幕があったからである。
 2時間のロス。
 本当は西武秩父駅14:35発のバスに乗って明るいうちに麓に到着する予定でいたのに。
 なにかが「行くな」と引き留めているような気がする。
 こういうサインは無視しないほうがよいのでは・・・・。
 滑落? 道迷い? クマと遭遇? 神隠し?
 不吉なことばかり頭に浮かぶ。

 だが、最終バスにぎりぎり間に合うようなタイミングで財布忘れに気づいたのは、やっぱり許されている証拠ではないか?
 連休にもかかわらず、宿の予約もすんなり取れたではないか?

 いまさら自問自答しても遅い。
 バスは右に左に揺れながら、より深い暗闇に飲み込まれていく。 
 
 18:30、日向大谷に到着。
 木々に囲まれた駐車場は人っ子一人いない。
 街灯もない暗闇に一人取り残され、心細さが募る。
 懐中電灯を取り出して足元を照らす。
 と、目の前の崖の上に灯りの点った山荘らしきが見えた。
 そのはるか上は・・・・
 見たことないほどの満点の星空。
 うん、呼ばれているに違いない。

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● 歩行日 2023年11月4日(土)
● 天気  晴れ
● 行程
06:30 両神山荘
    歩行開始
07:00 七滝沢コース分岐
07:50 八海山(10分休)
08:30 弘法ノ井戸
08:40 清滝小屋(10分休)
09:45 両神神社、御嶽神社(10分休)
10:30 山頂(1,723m)
    昼食(30分)
11:00 下山開始
12:00 清滝小屋(30分休)
12:40 弘法ノ井戸(10分休)
13:10 八海山(15分休)
14:15 七滝沢コース分岐(15分休)
15:00 両神山荘
    歩行終了
● 最大標高  1,723m
● 最大標高差 1,090m
● 所要時間  8時間30分(歩行6時間20分+休憩2時間10分)
● 歩行距離   約10.3km

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「ポツンと一軒家」を地で行く両神山荘。
90歳前後の夫婦が明るく迎えてくれる。
話好きな親爺さんによると、昭和51年から民宿を始めたとのこと。
「秩父で一番早く水洗トイレにしたのはウチだよ」

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このあたりは戦国時代に武田信玄に追われた鉢形城(北条氏)の落武者の里と伝えられる。
民宿の傍らには両神神社の里宮がある。
「ここには400年前から住んでいる。自分は10代目の婿養子だよ」と親爺さん。

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一泊2食8000円だった。
とにかく夕食が盛沢山! 
10皿を軽く超える「ザ・おふくろの味オンパレード」に感動。

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朝食は5時半から
宿の向かいに両神山の尾根が朝日に輝く。
一番高いところが目指すべき剣ヶ峰。
準備運動して6時半に歩行スタート!

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親爺さんによると、年間50人の遭難があるという。
週に一人は遭難している計算になる。
なんて危険な山なんだ!
滑落による負傷や死亡事故、道迷いによる救助隊出動なども珍しくない。
「秩父市と小鹿野町の消防隊が連携して山岳救助隊を作っているよ」
たしかに、ところどころ道が細く、路肩がやわらかく、崩れやすい。

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三連休の中日、登山客は結構多かった。
人の姿が前後に見えるのはやはり安心である。

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山道に立つ不動明王
登る前は畏怖を感じていたが、山中に入ってみると包み込まれるような安堵感があった。
同じ修験道の聖地だからだろうか、高尾山と似たような“気”を感じた。

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いくども沢(薄川)を渡りながら高度を上げていく

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弘法ノ井戸
この湧水はほんとうにありがたい、そして旨い!

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やっぱりあなたが呼んだのですね。
そうじゃないかと思ってました。

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清滝小屋(1,282m)
かつては宿泊施設だったが、現在は無人の避難小屋となっている。
周囲にはテーブルも多く設置されて、最後の急登前の小休止にうってつけ。

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ここなら十分泊まれる。

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産泰尾根
ここから岩場やクサリ場が続き、気が抜けない。

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両神神社
ご祭神はイザナミ・イザナギ
もともとは龍神を祀る山だったらしい。
「竜神山」転じて「両神山」になったとか。

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御嶽神社もあった。
三峰神社同様、御使いはオオカミである。

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長押に立派な龍の彫刻があった。
あなたがこの山の主でしたか・・・。

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御嶽神社の内陣
右横の貴族の像が気になる。

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いったい誰だろう?
菅家? 聖徳太子?
分かる人いたら教えてください。

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歩行3時間越え、足がガクガクで思うように上がらない。

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迷いやすい箇所には進入禁止ロープが張られ、枝に正道を示す赤いリボンが巻き付けてある。
下山時に2度山道をはずれたが、リボンに助けられた。

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ついに山頂到達!
正味4時間。
ごつごつした岩場で腰を下ろせるような場所はない。

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左足の踵の骨折から丸4年。
ついにここまで復活した。
感無量。

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南側(丹沢方面)

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蜃気楼のような富士山

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西側(南アルプス方面)

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山頂は狭く、人で混雑していた。
ちょっと下りた岩陰で弁当を広げる。

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東側(秩父市街方面)
まんなかあたりの突起が懐かしの武甲山

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おお! 秩父市街が見えるじゃないか!

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河岸段丘に囲まれた市街地は砦のよう
あそこから幾度も仰ぎ見た山にいま来ている!

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11:00下山開始
来た道を戻る。

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清滝小屋で30分の休憩
汗だくの下着を着替え、爆弾を抱えた右膝にサポーターを巻く。

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登り時は紅葉を愛でる余裕もなかったな・・・

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今年の紅葉は半月ほど遅いらしい
ラッキーだった

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登りより下りのほうが断然怖かった。
砂利の坂道で靴が滑って、3回尻もちついた。
他の人も結構滑っていた。
最後まで気を抜かず、焦らず、足元を確かめながら。

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右膝をなだめるため、下りは休憩を多めにとった。
やはり朝早く立ったのが正解。

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朝は気づかなかったが、登山口でこの方が見守っておられた。
そう、単独行ではない。いつだって同行二人

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ただいま~。
15:00ちょうどに下山。
山頂から正味4時間。

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15:15発の小鹿野町営バスに十分間に合った。
ちなみにこのバスの運賃は驚きの安さ!
90分乗って500円である。

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薬師の湯で途中下車
ぼろきれのように草臥れきった体を休める。
湯あがりの缶ビール。「このために生きてるよな~」

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その夜は秩父市街に泊まった。
翌日曜日は完全にグロッキーかつ筋肉痛で動けなかった。
月曜早朝、秩父神社を詣で、無事下山を感謝。

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菊花展をやっていた

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正直、ここまで足が治るとは思っていなかった。
人間の自然治癒力と医学の進歩はグレイトだ。

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熊には遭遇しなかった。
宿の親爺さん情報では、秩父ミューズパーク周辺に出没しているとか。
家族連れが憩う公園だ。
秩父市は市内の小中学校に通うすべての児童・生徒に、クマよけの鈴と笛を配布している。













● 陣馬(855m)~高尾(599m)縦走トレッキング

 2019年12月の左足首骨折から、じき丸4年になる。
 通院リハビリ、家での自主リハビリ、スポーツジムでの水中ウォーキングやストレッチ、マシントレーニング・・・と徐々にステップアップしながら、少しづつ連続歩行距離を伸ばしてきた。
 趣味の登山も、これまでに高尾山大高取山武甲山赤城山と難度を上げてきた。
 最終的な目標は秩父の両神山(1723m)である。
 そこで要となるのは標高ではない。長時間・長距離のアップダウンにどれだけ足首が耐えられるか、である。
 今秋の両神山制覇を視野に入れ、全長約15km、関東でもっとも有名な「富士の見える縦走コース」にチャレンジした。

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標高の一番高い陣馬山からスタート
だんだんと尾根を下って、高尾極楽湯をゴールとする

● 歩行日 2023年10月2日(月)
● 天気  曇り時々晴れ
● 行程
07:25 JR中央線・藤野駅前発(神奈川中央交通西バス)
07:35 陣馬登山口バス停下車
    歩行開始
09:30 陣馬山頂上(855m)
10:00 出発
10:35 明王峠(738m)
11:50 景信山頂上(727m)
    昼食(60分)
12:50 出発
13:35 小仏城山頂上(670m)
14:00 出発
14:45 高尾山頂上(599m)
15:00 出発
16:15 高尾山口駅
16:20 高尾極楽湯
    歩行終了
● 最大標高  855m
● 最大標高差 530m 
● 所要時間  8時間45分(歩行6時間5分+休憩2時間40分)
● 歩行距離   約15km

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JR中央線・藤野駅
ここからバスに乗って登山口へ(徒歩なら約30分)

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陣馬登山口バス停
ここで降りたハイカーは自分を含め5人だった

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一の尾尾根コースを登る
なだらかで歩きやすいファミリー向けのコース
・・・・と言われるが

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結構きつかった!
とくに最後の階段は「どこまで続くのか、このヤロー!」と思った
山頂まで1時間50分、休憩2回
休憩時には靴と靴下を脱いでマッサージするのが筋肉痛を防ぐコツ

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山道の真ん中に陣取って励ましてくれたヤマアカガエル
全長6cmくらい

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陣馬山登頂!
甲斐の武将・武田信玄が陣を張ったことからこの名がある

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雲に隠れて富士山は見えなかったが、平日の山頂は人もまばらで広々とすがすがしい
本日最高点
あとは下りだから楽チン・・・と思ったら大間違い

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なんとここは東京都であった
陣馬山~景信山~小仏城山の稜線は、東京と神奈川の境界線をなしている

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景信山までの尾根道はもっとも快適な鼻歌ロード
(ただし、まき道をたどれば)
前を行く2人組の外国の男を追い抜く

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まるで公園の遊歩道のような歩きやすい道が続く

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雰囲気あるクマザサの道

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シロヨメナ(別名ヤマシロギク)

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山には山の愁いあり(ノアザミ)

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景信山登頂!
ここには東側(東京)と西側(神奈川)、2つの休憩所がある

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関東平野を見下ろしながら、上半身裸になって昼食

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都心のビル群がつくる地平線の壁
東京スカイツリー(634m)が頭一つ抜けている

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富士の見える西側の休憩所
これからの季節、休日は人であふれる

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これから歩く小仏城山~高尾山の稜線の向こうに、丹沢の山々が望める
もちろん天気が良ければ富士山も

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小仏峠(548m)の狸ファミリー

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小仏城山登頂!

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茶屋の周りにハイカーが憩う

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ここの昔からの名物はなめこ汁だが、最近はかき(夏季)氷も大人気
レモンシロップを惜しみなくかける(400円)
こぼれたシロップめがけて蜂が飛んできた
さあ、あとひと踏ん張り

高尾城山尾根
最後に待っていた城山―高尾間の下り上りが堪えた
土の道より階段のほうがきつい
リュックからステッキを取り出した
(画像は2019年4月登山時のもの)

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高尾山登頂!
ここはやはり外国人含め人が多かった
富士山は見えなかったが、江の島が見えた

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高尾薬王院
本日登った4つの山をくらべた時、やはり高尾の空気はスピリチュアルなものを感じる。

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薬王院(真言宗)と言えば空海を想起するが、
開基は天平16年(744年)行基による

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表参道コース(一号路)を下りて高尾山口駅に到着
実はこの下りが一番きつかった
13年前に会津駒ケ岳下山中の滑落で痛めた右膝が痛みを訴えてきた
サポーターをきつく巻いてなんとかなだめつつ乗り切った
ネックは左足首でなく、右膝だった‥‥!

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吸い込まれるように高尾極楽湯へ
休日だったらここには寄らなかった
芋を洗う混雑で気が休まらない

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湯上りは生ビールと冷やしとろろそば

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はちみつレモンサワーを飲みながら、今日のふりかえり
最高のひととき

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さあ、準備は整った
いざ、両神山へ!

















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