ソルティはかた、かく語りき

首都圏に住まうオス猫ブロガー。 還暦まで生きて、もはやバケ猫化している。 本を読み、映画を観て、音楽を聴いて、神社仏閣に詣で、 旅に出て、山に登って、瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

●旅・山登り

● なんなら、奈良30(奈良大学通信教育日乗) 大和古道の旅人

 2泊3日のスクーリングを終えたあと、天理にある奈良健康ランドに泊まった。
 入館料大人2200円のところ、60歳以上と学生は1320円である!(深夜料金は別途1650円)
 受付で嬉々として学生証を提示したけれど、あとから気づいたがシニアでよかった(笑)

 これまでこの施設に行くときは、JR郡山駅(豊臣秀長のお城がある町)か近鉄平端駅発着の無料送迎バスを利用していた。今回も平端駅からの送迎バスで入店した。
 が、調べてみたら近鉄二階堂駅から歩いて15分の距離にあった。
 バスの発車時刻に合わせて行動しなくてもよいのであった。
 露天風呂やヒノキ風呂や薬草風呂やサウナを満喫し、広い休憩スペースのリクライニングチェアですっかりくつろいだ翌朝、二階堂駅へ向けて出発した。

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奈良健康ランド

 二階堂駅まではほぼまっすぐの一本道。
 これがなんと由緒ある道、すなわち大和古道だったのである!

 大和古道とは、日本の古代道路のうち、大和国内に設置されたもの。
 奈良盆地の中央より東側を南北に平行して伸びる三本の縦貫道、つまり、平城京(現・奈良市)と藤原京(現・橿原市)をつなぐ幹線道路で、東側より順に、上ツ道(かみつみち)、中ツ道(なかつみち)、下ツ道(しもつみち)と呼ぶ。
 三道は、ほぼ4里(約2120m)の等間隔をなしており、現在でも形跡が残っている箇所も存在する。

大和の古道2
大和古道
文化財学購読Ⅱ
のスクーリング時に奈良文化研究所・藤原京跡資料室で撮影した資料

 上ツ道は、桜井市から奈良盆地東端の山沿い(山辺の道近く)を北上して、天理市を経て奈良市中部(猿沢池)に至る。
 中ツ道は、橿原市の天香具山北麓から奈良市北之庄町に至る。南は藤原京の東京極をなし、北は平城京の東京極をなしていた。
 下ツ道は、藤原京の西京極から、奈良盆地の中央を北上し、平城京の朱雀大路につながる。橿原市から天理市にかけては、現在の国道24号とおおむね合致・平行する。
 奈良健康ランドから近鉄二階堂駅に向かう道は、下ツ道の一部だったのである。

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敷設年代は、7世紀半ば頃と推定されている。

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 『日本書紀』に壬申の乱の時に武士が通ったとある。
 奈良の寺社詣、伊勢、吉野、高野山参りの信仰遊山の道でもあった。
 710年に藤原京から平城京に遷るときは、元明天皇はじめ貴族や役人や僧侶たちはこの道を通ったに違いない。

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地蔵堂
 ここに膳夫姫(かしわでひめ)ゆかりの膳夫寺があったという。
 膳夫姫と聞いてピンとくる人は、相当の古代史通あるいは仏像通あるいは漫画通である。
 法隆寺金堂の釈迦三尊像は、聖徳太子とその后である膳夫姫の追善供養のために鞍作止利がつくったものである。
 また、山岸涼子作『日出処の天子』には、蘇我毛人にふられた聖徳太子が自暴自棄になって、知的障害のある膳夫姫を妻とするエピソードが創作されている。
 二階堂という地名は、膳夫寺のお堂が二階造りに似ていたことに由来すると言う。


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二階堂駅へ続く道沿いには古風で洒落たつくりの家々が並び、いまも古道の風情を醸している。

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二階堂駅
近鉄二階堂駅

 奈良の奥深さ、奈良旅の面白さを感じた朝であった。








● 桜井のハリウッド

 スクーリング翌日は休みをとって、寺社めぐりするのが恒例となっている。
 月曜日なのでどこも空いていて、ゆっくり見物することができる。(ただし博物館系は定休日である)
 今回は、聖林寺の十一面観音菩薩像と安倍文珠院の快慶作・渡海文殊群像を拝観することにした。
 どちらも、JR桜井駅から自転車で回れる距離にある。

10:30 JR桜井駅
     自転車レンタル
10:45 崇峻天皇陵
11:00 聖林寺(40分滞在)
12:00 安倍文珠院(40分滞在)
12:50 安倍の山城跡と土舞台
13:10 JR桜井駅
     自転車返却

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JR桜井駅
奈良から天理・三輪・畝傍を通って大和高田に至るJR桜井線は、山の辺の道沿いに走って、桜井駅で90度右転回し、藤原京跡を横断する。車窓からは、大小の古墳や寺社や三輪山や大和三山が眺められ、いにしえから変わらぬのどかな光景が広がる。古代史好きにはたまらない聖地列車である。

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電動自転車をレンタルした「ザ・トリシクル 輪」
桜井駅徒歩4分。3時間借りて1500円だった。

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談山神社の第一鳥居
藤原鎌足を祀る神社で、木造の十三重塔で有名。
やや離れているので今回は行かなかった。

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談山神社に向かう多武峰(とうのみね)街道の途中に崇峻天皇陵がある。
入口が分かりづらい。

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崇峻天皇(553?~592)
あまり知られていないが、歴史上唯一、臣下(東漢駒)に暗殺された天皇である。黒幕は蘇我馬子で、事件後、馬子の姪である額田部皇女が推古天皇として即位した。山岸涼子のコミック『日出処の天子』では、馬子と聖徳太子と額田部皇女の3者による謀殺説がとられている。

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陵の近くには崇峻天皇の営んだ倉橋柴垣宮跡がある。
飛鳥からずいぶん離れた山間である。
蘇我氏から距離を置きたかったあらわれだろうか。

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駅方向に少し戻ると聖林寺が見えてくる。
清らかな森に抱かれた風情は、まさにその名の通り、
ハリウッド・テンポー(Holly Wood Temple)。

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聖林寺
和銅5年(712)藤原鎌足の長男・定慧が創建。
もとは天台宗の寺だったと思われるが、江戸時代に真言宗の律院となった。

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境内からは三輪山と箸墓古墳(卑弥呼の墓ではないかと議論されている)を一望することができる

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ご本尊は、江戸時代中期に寺僧が作った巨大な石の子安延命地蔵。これだけ大きな石を一体どこから運んできたのだろう? 
ほかにも鎌倉後期の阿弥陀三尊像や勇壮なる毘沙門天像――なぜか宝塔を持っていない。毘沙門天ではないのでは?――など、なかなか見甲斐あるお堂である。

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階段を昇って特別に作られた収蔵庫へ

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十一面観音菩薩像(8世紀後半、木心乾漆造)
もともとは三輪山の神宮寺である大御輪寺(だいごりんじ)の本尊だった。明治初期の廃仏毀釈の嵐を免れるため、大御輪寺と親交の深かった聖林寺に移されたと言われている。

【ソルティ所感】
 209cmのスレンダーな姿と両足の外側に垂れる天衣の優美な曲線が、法隆寺の百済観音を想起させる。が、この像のなによりの特徴は、胸のすぐ下の位置で胴が搾られているところだろう。ウエストにしては高すぎる。人体を模した写実ではない。
 その不自然に搾られた胴と両腕の生み出す空間、および両足を包む裙と左右に垂れた天衣とが形づくる空間とが、像を浮き立たせ、軽やかさを与えている。側面から見ると、正面から見たときほどスレンダーでなく、どっしり充実している。
 失われた光背のかわりに、上半身を白い人工の光で取り巻く設計が目覚ましい効果を生んでいる。この展示室の設計自体も見どころであろう。いつまでも見ていたい仏像である。

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安倍文珠院
大化元年(645)、安部倉梯麻呂(あべのくらはしまろ)が安倍一族の氏寺として建立。鎌倉時代に現在地に移転。こんな立派な由緒ある寺とは思わなかった。

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広い境内に、小山(展望台)あり、池あり、古墳あり、神社あり、お花畑あり、お堂あり・・・の見どころたっぷりのお寺だった。もっと知られてもいい。安倍一族でなくとも、文珠系(卯年生まれ)でなくとも、行かないのは勿体ない。

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白山堂
室町時代建立。ご祭神は菊理媛神(くくりひめのかみ)。
白山信仰と陰陽道の結びつきにより、安倍晴明ゆかりの当山に勧請された。

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ウォーナー博士の報恩供養塔
第2次世界大戦において、親友のハル国務長官に戦争防止を進言した。開戦すると、アメリカ政府と軍の上層部に対し、京都と奈良の文化的価値を説き、両古都を戦禍から守るのに尽くした。この人のお陰で、我々はいま京都や奈良の文化財を学び鑑賞することができるのである。奈良大学文化財歴史学科の学生たるや、一度はたずねてウォーナー詣をしておきたい。

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晴明堂
創建者の安倍倉梯麻呂と安倍清明とのつながりははっきりと分かっていない。晴明がこの寺で陰陽道の修行をし、展望台から星の観察をしたとされている。

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展望台からの景色
毎年の干支の絵が花で描かれる。これは上から見ないと分からない。
★(五芒星)はもちろん晴明のシンボル。

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大和三山(耳成、香久山、畝傍)と二上山をいっぺんに眺めることができるのは、ひょっとしてここだけでは?

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二上山
一度登った山とは気心が知れる。見守られているような気になる。これはヤマノボラーでないとわからない心境である。それにしても、この展望台は非常に気持ちがいい。晴明伝説を信じたくなるようなパワースポットである。

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文珠池の上に建つ金閣浮御堂
安倍仲麻呂、安倍晴明の像が置かれている。そのうち、安倍晋三の像も加わるかもしれない?

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西古墳
7世紀後半頃つくられた古墳で、国の特別史跡に指定されている。
横穴式石室の中に入ることができる。

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壁面の美しさ!
内部は当時のまま保存されており、良質な花崗岩で石組みされている。
当時の技術の高さに驚いた。
創建者の安倍倉梯麻呂の墓と伝えられている。

安倍文珠院本堂
本堂

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快慶作・渡海文殊群像(国宝)
左から、維摩居士(ゆいまこじ)、須菩提(すぼだい)、獅子に乗った文殊菩薩、善財童子、優填王(うでんのう)
獅子に乗った文殊菩薩の高さは約7m。思ったよりずっと大きかった。堂々たる迫力ある群像である。文珠菩薩と獅子は接合されていない(乗っているだけ)なので、現在地震対策の修理工事のための基金を集めている。
〈画像はお寺でもらったパンフレットより〉

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快慶仏の特徴の一つである切れ長の目の美青年は、男優で言えば、石濱朗や沖田浩之や菅田将暉を想起する。快慶はゲイ色があったんじゃないかなあ~。

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東博にある康円作の善財童子や奈良西大寺本堂の善財童子とくらべると、動きも表情も軽やか。一方、優填王(うでんのう)の威風堂々たるさまは、東大寺南大門の阿形像に通じるものがある。快慶の仏像は運慶にくらべると地味だが、観ていると敬虔な気持ちにさせられる。

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卯年生まれのソルティは文珠様が守護本尊

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土舞台
聖徳太子がはじめて国立の演劇研究所と劇場を設けた場所。「芸能発祥の地」とされ、過去には森繁久彌など演劇人が詣でている。

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太子は、百済から伝えられた伎楽舞を少年たちに習わせたという。

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安倍の山城跡
南北朝時代に、北朝方の細川顕氏がここに陣を構えたという。
右手に三輪山を望む。

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正面に広がる奈良盆地
はるかに春日山や若草山まで確認できた。
知られざる絶景スポット。

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天気の良かったこともあるが、桜井はすがすがしさに満ちていた。
こころ洗われる一日であった。










● 京博と秀吉と耳塚と

 これまで何度も京都に行きながら、京都国立博物館には行ったことがなかった。
 京都そのものが一つの大きな博物館&美術館みたいなものなので、あえて行く気にならなかったのが主たる理由である。
 例えてみれば、アフリカの草原のど真ん中に作った動物園のようなもので、たくさんの野性の獣が大自然の中で見られるというのに、わざわざ檻の中で飼育された動物を見る物好きもおるまい――といったところ。
 でも、それは間違いであった。

 明治30年(1897年)オープンした京都国立博物館(当時は帝国京都博物館)は、明治初期の廃仏毀釈によって破壊・消滅の危機に瀕していた京都中の社寺の文化財を守るために生まれた。
 国宝に限っても、館が所蔵する作品27件に対し、社寺や個人から預かっているものは87件に上るという。
 つまり、京都中から質の高い作品が集められているのである。
 所蔵品数は令和元年度末時点で14600件にのぼり、考古・絵画・陶器・彫刻・刀剣・書籍・染織・金工・漆工など様々な分野の文化財が常設展示してある。
 ここに来れば、京都選り抜きの文化財がいっぺんに短時間で観ることができるわけで、むしろ、これから京都探訪を始める者が最初に訪れるべきガイダンス的施設なのであった。

 中学校の修学旅行ではじめて京都を訪れてから約50年、長い長いシカトを心の中で詫びつつ、京博デビューを果たした。

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京都国立博物館・正門(重要文化財)
赤坂迎賓館を設計した片山東熊による開館当時のもの。
現在は三十三間堂に面した南門が入口となっている。

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明治古都館(旧本館)
特別展の会場として使用されている。

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常設展観覧料は一般700円、大学生350円、18歳未満と70歳以上は無料。
ソルティは国立博物館メンバーズパスで入館。
文化財を学び守る者に対するこのような館の配慮を無下にするかのような、このたびの政府のやり口(国立博物館・美術館への締め付け)には憤りを感じざるを得ない。

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平成知新館
所蔵品・寄託品を入れ替えながら、常時展示している。
博物館というより“ミュージアム”といったほうがふさわしいモダンかつクールなデザインで、展示も見やすい。考古史料の並ぶ3階から始めると、おおむね歴史順に観られる。ソルティはじっくり鑑賞して丸3時間滞在した。

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1階ロビーのグッズ売り場

印象に残ったもの
  • 縄文時代の遺物の中に性具としか思えない男根状の石器があった。さすがに解説にはそうと書かれてなかったけれど、多分そうだろう。“大人のおもちゃ”の歴史は古い。
  • 平安時代(11世紀)の絹本着色の仏画「釈迦金棺出現図」にびっくり! なんと、涅槃したはずのお釈迦様がキリストばりに「復活!」して起き上がるという図柄。その理由が、今わの際に間に合わなかった摩耶夫人(お母さん)の嘆きを聞いて慈悲心を起こしたからというのが面白い。
  • 1階には仏像が並んでいた。京都・安祥寺所蔵の平安中期の五智如来(木造)が素晴らしかった。五智如来とは、密教における5つの智慧を5体の如来に当てはめたもの。大日如来を中心に、阿弥陀(あみだ)・阿閦(あしゅく)・宝生(ほうしょう)・不空成就(ふくうじょうじゅ)の4如来が並ぶ。それぞれにイケメンながらも表情が微妙に異なっていて、ぜひここは自分の“推し”を見つけたい。ソルティの“推し”は癒し系の宝生如来。
  • 1階特別展示室では、雛人形が時代を追って飾られていた。身代わり信仰で川などに流す形代から始まった人形が、次第に人間らしくなり、夫婦雛から宮中の婚礼を表したものへと豪華絢爛になっていくさまが興味深かった。昭和天皇と香淳皇后をモデルにした内裏雛がつくられたとは知らなかった。
  • 最後の部屋は若者たちや外国人で混雑していた。「何事?」と思ったら、刀剣の部屋。日本刀ブームとは聞いていたが、若い女性たちが目を輝かせて刀を見てあれこれ批評している姿に、『刀剣乱舞』の人気の凄さを実感した。
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の中、なにが流行るかわからないなあ~
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博物館の裏手には豊国神社総本社がある

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むろん祭神はこの猿。失礼、豊臣秀吉公である。
出世開運・良縁成就の神様として崇められている。

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伏見城の遺構と伝わる唐門(国宝)

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秀吉が文禄4年(1595)に建てた方広寺の旧寺域外周をなした石塁。
方広寺には日本一巨大な大仏さま(高さ19mの毘盧遮那仏)があったが、豊臣家の滅亡、地震、火災、落雷など不運が続き、4代目大仏が焼失した昭和48年(1973)に京都から姿を消した。

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豊国神社の参道にある耳塚
こんなものがあったとは知らなかった・・・!

耳塚
秀吉の朝鮮侵攻は、わが国に活字出版文化をもたらし、有田焼や萩焼など新たな陶磁器を生んだ。が、もちろん陰の部分も大きかったのである。

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鴨川にかかる正面橋から北方面を望む
右手奥に比叡山が見える

今さらながら、京都の奥深さ(=日本の歴史の闇)を感じた次第。














● 2周め、行ってみよう! :『巡礼者は秩父を目指す!』展(埼玉県立川の博物館)


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 今年午歳は秩父巡礼にとって12年に1度の特別な年。
 普段は非公開の各札所の御本尊(観音像)が一斉にご開帳されるのだ。(3/18~11/30)
 それに合わせて、いろいろなイベントも打たれるようで、すでに賑わいが感じられる。
 埼玉県寄居町にある県立・川の博物館(かわはく)では、『巡礼者は秩父を目指す!』と題する企画展が開かれている。(5/6まで)

 最寄り駅で見つけたチラシによると、秩父巡礼の歴史や意義が感じられる様々な品が展示されているとともに、札所の住職を招いた講演会『秩父札所の歴史と文化』も開かれるとあった。
 秩父ファンで、8年前に歩き巡礼を果たしているソルティは、即講演会参加を申し込んだ。

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東武東上線・鉢形駅
池袋から1時間半弱。
鉢形城跡には行ったことがあるが、この駅で降りたのは人生初。

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ちょっと歩くと、このような景色が広がる。

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波羅伊門(はらいど)神社
聞いたことのない名前に足が引かれた。
AIで調べたところによると、

創建年代不明。社の脇を流れる宮川で祓の行事が行われたことに由来すると推定される。住吉三神(底筒之男命、中筒之男命、表筒之男命)を主祭神とし、神功皇后を配祀。一方、古事記や日本書紀には登場しない瀬織津姫(せおりつひめ)を御祭神とする神社としても知られている。瀬織津姫は、災いや穢れを川に流して海に運ぶ、祓い清めの女神である。

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川の博物館(かわはく)
1997年8月1日に、「埼玉の母なる川(荒川)を中心とする河川や水と、人々の暮らしとのかかわりを、様々な体験学習をとおして理解してもらうこと」を目的に開館した。いろいろなアミューズメント施設を併設した家族で楽しめるようなテーマパークである。

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受付でもらったパンフレットより

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敷地の裏手を荒川が流れ、支流の宮川が敷地を横切っている。
北方面に赤城山を望む。
大きな水車(観覧車ではない)がシンボル。

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水車小屋

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ミニ水族館

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本館
観覧料は大人410円(学生200円)
スタッフはみな親切だった。

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秩父巡礼は、観音様を本尊とする34のお寺(札所)を巡る約100kmの祈りの旅。
各札所で観音様を拝み、御朱印をもらう一種のスタンプラリーでもある。
上記のような恰好が基本(周囲からすぐに巡礼と分かる)だが、自由なスタイルでかまわない。自転車やバイクや車で回ってもいいが、やはり歩きが一番味わい深く面白い。ソルティは4回に分けて5日間で回った。

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現在見つかっている最古の納経帳
最初は札所の御朱印がなかったので、納経帳と呼んだ。

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納経帳(御朱印帳)の変遷

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札所4番金昌寺の慈母観音(レプリカ)
寛政4年(1792)江戸の商人・吉野屋半左衛門が、相次いで亡くなった妻子の冥福を祈って奉納した。歌麿のデッサンではないか、隠れキリシタンのマリア観音ではないか等々、いろいろ話題にされることの多い美しい母子像である。

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26番札所・円融寺岩井堂を描いた絵馬

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岩井堂
かつて修験者の修行地として知られた。

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鳥山石燕筆『景清の牢破りの図』
遠方の信者から円融寺に奉納されたもの。

 秩父巡礼の成り立ちから始まって、札所の見どころ、昔の人の書いた道中日記や巡礼道具、明治初めの神仏分離の影響、鉄道とのコラボによるキャンペーンの様子など、さまざまな角度からの展示が興味深く、札所の歴史と人々の信仰の篤さが感じられた。

秩父札所マップ
秩父札所マップ

 講演会の講師は、秩父札所連合会の会長であり、札所11番常楽寺住職である柴原幸保氏。
 西国33札所や坂東33札所とは異なる秩父札所の特徴――距離が短く気軽に回れる――や、秩父札所を作った十三権者の正体、午年総開帳の意義、巡礼の楽しみ方と効能など、ユーモアあふれるわかりやすい語り口であった。
 「人はなぜ巡礼するのか?」という問いに対して、「日常の役割を脱ぎ捨て、自然との語らいの中で自己回帰する」という指摘が腑に落ちた。
 また、西国札所や坂東札所が皇室関係者や幕府の肝入りで(言わば「上」から)作られたのに対し、秩父札所は地元の人々が信仰心に基づき(「下」から)作ったという話も印象深かった。
 たしかに、西国札所ならば長谷寺や石山寺や清水寺、坂東札所ならば浅草観音や大谷観音や立木観音といった、誰でも耳にしたことあるような有名な寺院が、秩父札所にはない。
 この庶民的な素朴さが、かえって疲れた心を潤すのかもしれない。

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13番音楽寺の裏手の峰に立つ案内板
実際の創設者は、13人の最後に上げられている地元の通観法印(仏師?)ではないかと、柴原氏は推測された。

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十三権者を祀る石像

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よし、今年、2週目行ってみよう!










● とがなくて死す :御霊神社と相国寺

 スクーリングを終えた翌月曜日、新幹線発車時刻までの京都見物を楽しんだ。
 前から気になっていた御霊神社と、伊藤若冲の絵を多数所蔵していることで知られる臨済宗相国寺に行った。

11:00 JR京都駅 
11:20 地下鉄烏丸線・鞍馬口駅
11:30 御霊神社、応仁の乱勃発地
12:00 相国寺、承天閣美術館
14:00 地下鉄烏丸線・今出川駅
15:00 新幹線・京都駅発
延暦13年(794)5月、桓武天皇が崇道天皇(早良親王)の霊を現在の地に祀ったのをはじまりとする。その後、井上内親王、他戸(おさべ)親王、藤原吉子、橘逸勢、文室宮田麻呂、火雷神、吉備真備の霊を合祀した。前者6名は政争に巻き込まれて憤死したとされる人々――うち4名は桓武天皇がらみ――で、その怨霊を慰めるために創建されたのである。(火雷神を菅原道真とする説もあり)

早良親王(さわらしんのう)(750ー785)
光仁天皇の皇子で、母は高野新笠。桓武天皇の同母弟。
桓武天皇の皇太子に立てられたが、藤原種継の暗殺に関与した罪により廃され、絶食して没した。崇道天皇(すどうてんのう)と追諡されたが、皇位継承をしたことはないため、歴代天皇には数えられていない。
(ウィキペディア「早良親王」より抜粋)

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本殿
日本三大怨霊と言われる平将門、菅原道真、崇徳上皇を筆頭に、恨みをもって死に祟る霊を神として祀ることによって慰め、逆に護りに変える――いわゆる御霊信仰は日本独特のもののようだ。日本人の精神構造(スピリチュアリズム)の根底をなしている要素なのかもしれない。

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福壽稲荷神社

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社頭の梅

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「応仁の乱」勃発地の記念碑
御霊神社境内における畠山政長と畠山義就との合戦から応仁の乱は始まったと言われる。京都を焼き尽くし歴史的文化財のほとんどを壊滅させた11年間に及ぶ戦乱こそ、怨霊たちがちっとも慰められていない証拠だったのでは?――と言いたくなるのが日本人的感性か。

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臨済宗相国寺
足利義満が明徳3年(1392)に創建。夢窓疎石を開山とする禅寺。

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境内は今もとても広く、12の塔頭寺院を有す。
金閣寺と銀閣寺は、寺外の塔頭寺院である。

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法堂(はっとう)
慶長10年(1605)豊臣秀頼の寄進により再建された。
天井に描かれている狩野光信筆の龍が有名。
特別拝観期間に観ることができる。

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本尊の釈迦如来像と脇侍の迦葉像・阿難像
相国寺のホームページによると、「運慶作と伝えられている」
まったく猫も杓子も・・・・

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中国開封市にある大相国寺から日中友好記念として送られた梵鐘。
般若心経が刻まれている。
こうした民間レベルの交流にすら水を差すような外交政策ってどうよ!

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経蔵
万延元年(1860)建立

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修学旅行生や訪日外国人がわんさと訪れるような寺ではないので、静謐に満ちている。

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承天閣美術館

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所蔵の屏風を展示していた。
狩野常信筆「源氏物語図屏風」が良かった。物語を知っていればこその愉しみ。
伊藤若冲の水墨画「竹虎図」「芭蕉図」「葡萄小禽図(ぶどうしょうきんず)」「月夜芭蕉図」「群鶏蔬菜図押絵貼屏風」なども見られた。

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お庭も風流
秋に来たいね

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石庭

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昔、金閣寺のジグゾーパズルを作ったことを思い出した。
引っ越しの際に焼いてしまったっけ(笑)

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同志社大学アーモスト館
同志社大学および同志社女子大学は、もともと相国寺の敷地だった。

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帰りの新幹線より

遊んで、遊んで、遊んで、遊んで、遊んだ、しかし非常に濃い10日間だった。







● なんなら、奈良28(奈良大学通信教育日乗) ナント大きな平城宮

 今回は、金土日の3日間を使って開催されるスクーリングを2週連続で受けた。
 つまり、中4日(月~木)のフリーデーを挟む丸々10日間を奈良で過ごした。
 一つの町でのこれだけ長い滞在(在住でなく)は、20代末のイタリア旅行のローマ1ヶ月滞在以来だった。

 近鉄奈良駅から徒歩10分弱のならまちにある格安ホテルにstayした。
 ホテルの玄関も各部屋のドアも事前に伝えられた暗唱番号で開けるシステムなので、建物に管理人がいない(フロントがない)。
 各部屋にはロフト、トイレ、シャワーがついて、もちろん wifi 完備。
 無料で使える共用の洗濯機や乾燥機やキッチン(食器)があり、長期滞在にはいたって便利であった。
 なにより、春節の中国人がいないので、ホテル代が軒並み安くなっているのは助かった。

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ずっと、“もいちど(もう一度)の”センター街と思ってた。
“もちいどの”である。
名前の由来はこちら

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ホテルの部屋
夜も静かで落ち着けた。

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寝るのはロフト。
若い頃ロフト付きアパートに憧れたものだが今は歓迎せず。
夜中に一度はトイレに行くので、下り上りがめんどくさい。

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新花園温泉(500円)
たまには湯船に浸かりたい。
宿から8分の銭湯を利用した。
外も中も昭和の匂いがぷんぷん。
洗い場には地域のクリカラモンモンの男衆や2m級の外国人もいた。

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宿近くのスーパー
食材の仕入れに重宝した。
前にあるたこ焼き店につい足を止めてしまう。

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5個入り500円

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着いた翌朝、宿を出るといきなり鹿と遭遇。
路地にまで入り込んでくるとは、さすが奈良だ。

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奈良大学正門

 スクーリング第5弾は「文化財学演習Ⅱ」。
 講師は岩戸昌子先生であった。
 奈良国立博物館に14年間勤務したあと、奈良文化財研究所で平城宮遺跡の発掘調査に関わったという経歴の持ち主。
 話し出すと止まらないのは考古学者の特徴なのか、それとも奈良大学教職員の文化なのか、教室でも資料館でも遺跡でも次から次へとあふれ出す蘊蓄とパワフルなオーラに圧倒された。

1日目
 午前 〈講義〉考古学の方法と調査、遺構・遺物を見る
 午後 〈講義〉考古資料から歴史にせまる~論文をまとめるまで~
     〈実習〉3つの班に分かれて自己紹介
2日目
 午前 〈講義〉平城宮跡概説
     〈実習〉図書館の利用法、遺物の観察
 午後 〈実習〉平城宮巡検
3日目
 午前 各自の研究計画のポスター作成
 午後 ポスター発表

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 1日目は、「考古学とはどういう学問か」の総論的講義であった。
 ソルティは『考古学概論』のレポートを2回も書いているので(3回にならないことを望む)、復習になった。
 考古学の定義、目的、歴史、文献史学との違い、基礎的方法(型式学と層位学)、自然科学的方法(炭素14年代法と年輪年代法)、文化財を研究しかつ守る意義などを、考古学界隈で起きた興味深いエピソードを交えながら、わかりやすく語られた。
 先生は考古学の目的を、「過去のヒトの“営み”の痕跡を探し、人間の過去を復元すること」と定義された。
 さまざまな時代、さまざまな地域の人間の過去を復元することで、人間社会を理解することが最終的な目的であり、だからこそ、文化財を学びかつ守る意義があると力説された。
 バブル崩壊このかた、予算逼迫の日本社会にあって、国会議員を筆頭に功利主義的言説が飛び交う中、研究者としてのアイデンティティを自身に問いかけながら、地道な研究を続けて来られたんだなあと思った。

 また、自ら学生時代に書いた卒論を紹介しながら、卒論の書き方についてレクチャーしてくれた。
 実践的で役に立つ内容だったが、奈良時代の建物の鬼瓦に関する先生の卒論があまりにも質が高すぎて、「いや、自分にはハードルが高すぎる」と思ったのは、ソルティひとりではあるまい。

 2日目はメインの平城宮巡検。
 80名を超えるオジ&オバ軍団がバス2台に分乗し、奈良大学から平城宮に向かい、朱雀門前に解き放たれた。
 奈良大学の通信教育も昨年20周年を迎えた。
 イヤホンを片耳につけたシルバー軍団の行列は、いまや、極寒と酷暑の奈良の名物と化しているのではあるまいか(笑)
 上着もスパッツも要らないほどのぽかぽか陽気で、最高のフィールドワーク日和であった。

 3日目のポスター作成&発表は、昨年とった『文化財学演習Ⅰ』のスクーリングで体験済みなので戸惑うことはなかった。
 が、卒論テーマがまだ見えていないソルティは、昨年とまた違ったテーマを選んだので、それを調べてまとめるのに手間取った。
 事前にしっかり準備してきた人は、大学が用意した模造紙に持参の原稿や写真を貼り付け、氏名と学籍番号を書き入れ、20分もかからず完成させ、あとは自由時間を満喫していた。
 ソルティは昼休みに入っても仕上がらず、ちょっと焦ってしまった。

 3つの教室の壁にびっしり貼られた80名余の研究計画ポスターは、実にバラエティに富んで、面白かった。
 同じ歴史文化財学科の文化財専攻でも、ひとりひとりの関心の的はこんなにも違うものか!
 坂出の国宝神社、隠れキリシタンの遺跡、道祖神について、鎌倉時代の十二神将像、犬山古墳、川口市(クルド人問題で揺れているところ)の縄文遺跡、ヤマト王権の鉄づくり、奈良時代の食事、古代のトイレ、宝塚の船型埴輪、多賀城にあった寺、高千穂神社の彫刻・・・e.t.c.
 もっと一つ一つじっくり読んで、作成者の話を聞きたかったなあ。

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学食のカレーライス


 今回は初日の講義を終えた後に、大学の食堂で茶話会があった。(参加費500円)
 どれくらいの人が参加するんだろうと思いつつ、ソルティも参加希望に丸を付けた。
 ふたを開けたところ、200名以上の参加者。
 広い食堂のほぼすべてのテーブルがびっしり埋まっている光景は圧巻であった。
 図書館でポスター作成のための調べ物をしていたソルティが、開始時間にちょっと遅れて入ったところ、すでに会場は会話の花が咲き、団欒の実がたわわ。
 みんな、他の受講生との情報交換や気持ちのシェアを望んでいたんだなあ。
 各テーブルには学長はじめ教職員や学生さんも加わって、盛り上がる一方。
 あっという間の60分であった。
 ソルティのついたテーブルでも、互いの学習の進捗状況を報告しあったり、通過するのが難しいレポート科目や試験科目について情報交換したり、それぞれの地元の文化財について話したり、学長や教職員に質問をぶつけたり、話のタネが尽きなかった。
 各人に紙パックのお茶とクオリティ高い奈良のお菓子が配られて、総じて有意義な会であった。
 こういう機会があると、モチベーション回復に役立つな。(現在、ソルティは若干の“中2病”にかかっている) 

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近鉄奈良駅のそばの啓林堂書店
受講生ならだれもが一度は行っているだろう。
えっ、行っていない?

以下、2日目の平城宮巡検について。

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平城宮マップ

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朱雀大路に飾られた復元・遣唐使船
水に浮かべられていて、乗船することができる

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朱雀門ひろば
ボッチャを楽しむ老若男女や家族連れで賑わっていた。
市民に活用され愛されてこその文化財と実感した。
右側に見える「平城宮いざない館」を見学した。

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棚田嘉十郎銅造
平城宮跡保存に生涯をささげた男。
地元では小学生でも知っている郷土の誇り。
第二次大極殿跡を指している。

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第一次大極殿の1/5模型
「第一次」とあるのは、聖武天皇はいったん(740年)平城宮を捨てて、恭仁宮・紫香楽宮・難波宮と放浪したから。745年に奈良に戻り「第二次」大極殿を元あった場所の東隣りに造営した。

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平城宮の復元ジオラマを囲む受講生たち
周波数統一したFMラジオのイヤホンにより、先生の説明を聞いている。

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出土した木簡
木簡とは墨で文字が書かれた木片のこと。
歴史書とは違って、庶民のリアルな生活の様子が分かる貴重な文化財である。

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長屋王の邸に届いたアワビの荷札。
大邸宅の主を突き止める決め手になった。
邸跡は、「地元や研究者の反対にもかかわらず遺構の多くは建設により破壊され、奈良そごう、イトーヨーカドー奈良店として利用されていた。しかし、両店とも2017年に閉店してしまう。このことから“長屋王の呪い”とも囁かれた。翌2018年4月にミ・ナーラとしてリニューアルした。現在は敷地の一角に記念碑が設けられている」
(ウィキペディア『長屋王』より抜粋)


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出土した軒丸瓦
考古学を学ぶ前は、瓦(の文様)がこんなに重要だとは知らなかった。
現代の通信機器のスタイルが「黒電話⇒プッシュホン⇒肩掛け式携帯電話⇒ピッチ⇒折り畳み式携帯⇒スマホ」と変化したように、瓦の文様にも時代により変化があった。それにより、建物の造られた時代を推定することが可能となる。これがいわゆる「型式学」である。瓦は木材とは違って残りやすいのだ。

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鬼瓦
蹲踞スタイルの鬼の文様は日本独特のものだとか。
「どすこい鬼瓦」と名づけたい(笑)

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むろんソルティも「我が国のもっとも古い貨幣は708年和同開珎」と習った世代。
平成10年(1998)に奈良県飛鳥池遺跡で7世紀後半の地層から富本銭が見つかった。これにより歴史教科書が書き換えられたのである。
これぞ「層位学」の成果。

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推定・宮内省
内裏跡に隣接しているところから天皇を支える役所だったと推測される。
地層から瓦が見つかっていないので、檜皮葺(ひわだぶき)による建物が復元されている。

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第二次大極殿跡から南を望む
前に立つ3本足の列柱は、重要な儀式のときにヤタガラス、日と月、四神(青龍・白虎・朱雀・玄武)などの幡を飾った跡。正式には宝幢(ほうどう)と言う。

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第二次大極殿跡から若草山・春日山を望む
山焼きの跡があるのが若草山

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大極殿から東大寺が見えるのというのは本当であった!

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第一次大極殿
天皇の即位式など重要な国家儀式に使われていた。
設計図や図画が残っているわけではないので、発掘調査や今に残る古代の建築物をもとに復元された。上階に登ることができる(無料)

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高御座(たかみくら)
天皇が着座する玉座

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玉座から見える風景
平城の一番北、すなわち平城の一番北に大極殿はあった。
つまり、奈良盆地の北端にあり、ぐるりを山並みに囲まれつつ南側に広がる盆地を、一望のもとに見渡す位置にある。
「これが王様の視点か・・・」


 3日目の終わりに岩戸先生は次のようなことを語られた。

 「私の嫌いな言葉は先入観。考古学研究をしていると、人間のあり方や文化が多様であることを実感せざるを得ない。人間は多様性が基本。考古学を学ぶ人は先入観に縛られないことが大事」

 思わず涙が出そうになった。
 奈良県出身の某総理大臣にこの言葉を聴かせたい。

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● サイクリング平城京(法華寺・西大寺・平城宮跡・奈良大学博物館)

 京都市内観光にレンタサイクルはとっても便利――は立証済みであるが、奈良市内観光もまたレンタサイクルは大いに威力を発揮する。
 JR奈良駅を中心におおむね半径4kmの円の中に、主要な観光名所――春日大社東大寺、興福寺、正倉院、奈良国立博物館新薬師寺元興寺、ならまち、薬師寺、唐招提寺、秋篠寺、西大寺、平城京城址、法華寺――はすっぽり入ってしまうからだ。
 それもそのはず、この円の中に平城京はあった。

 京都=平安京のようには碁盤の目状に道が残ってはいないので、馴れるまでは自分がどこにいるか確かめつつ走らないと迷ってしまうけれど、平城宮城址とJR&近鉄2つの奈良駅と東大寺の位置関係さえおさえておけば、GPSで自分の居場所を知るのは難しくない。
 自転車で回るのは効率的であるし、気候さえよければ気持ちいい。
 昔からソルティは、自分の足で歩き倒すか自転車で漕ぎ回ると、その街と通じ合った気分になる。

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電動アシスト付き自転車をレンタル

09:30 ならまちの宿出発
09:40 最寄りのステーションで自転車レンタル
10:00 法華寺(80分滞在)
11:30 平城宮城址(60分滞在)
12:40 西大寺(90分滞在)
14:30 奈良大学
    昼食
14:50 奈良大学博物館&図書館
16:40 孝謙天皇陵
17:00 西大寺駅最寄りステーションで自転車返却

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法華寺
もとは藤原不比等の屋敷があった。娘の光明子が相続し、皇后となったあとは皇后宮として用い、その後、国分尼寺の総本山となった。(現在も尼寺である)
この時代、天皇と后妃たちは別居が普通だった。日本では、光仁天皇(桓武天皇の父)の御代から内裏内同居(いわゆる後宮)は始まったと言われる。

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本堂
  • 光明皇后をモデルにしたとされる十一面観音立像が御本尊。体じゅうに矢が刺さったかのような――黒澤明監督『蜘蛛巣城』の三船敏郎の最期を思わせる――お姿に一瞬ドキッとする。が、これは蓮の茎を光線に見立てた光背であり、お体に直接挿してあるのではなく、像の背後に立てたポールに挿してある。ご安心を!御本尊は期間限定で公開される。その期間外は、厨子の隣にある原寸大の模刻像を拝むことができる。こちらも、インドのネルー首相から送られた白檀を用いた原寸彫刻であり、貴重な逸品である。
  • なんともラッキーなことに、60日に1日、扉が開かれる大黒天像を拝観することができた! 大黒天はもともと憤怒相の戦闘神だったが、日本に入って柔和相の福の神へと変貌を遂げた。ここにある像は、柔和相の大黒天のもっとも古いものだいう。
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鐘楼(奥)と護摩堂
尼寺と知ったせいか、境内は穏やかなやさしい気に満ちているように感じられた。

慈光殿では、仏像や仏画、経巻などの寺宝を公開している。
国宝の維摩居士(ゆいまこじ)坐像(奈良時代)や聖徳太子童子像など、いろいろ見どころはあるが、とくに巨大三仏頭が目を引いた。
天平期の梵天・帝釈天、鎌倉時代の釈迦如来の頭部が横に並べられている。いずれも素晴らしい丈六(4.8m)像であったことをうかがわせる瑞々しさと気品に満ちた顔立ちである。

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から風呂(1766年再建)
今で言うサウナのこと。昭和時代まで実際に使われていた。
光明皇后がここでハンセン病患者の膿を吸って垢を流したという伝説がある。
隣りは井戸。

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庭園
もっとも色のない季節だったが、春から秋へのこの庭の美しさは想像し得る。本尊御開帳に合わせて、また訪れたい。

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光月亭(旧東谷家住宅)
江戸時代の民家が移築されている。
縁側に座って温かいほうじ茶(給茶機)で一服した。

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北西地点から望む平城宮城址
東西1.3km、南北1.0km
近鉄奈良線から見える広大な平原についに足を踏み入れた。
都が京都に移ったがゆえに、開発を免れ、遺跡が守られた。
ここは自転車で回るのがベスト。

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平城宮城址マップ

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朱雀門
南端にある平城宮の入口
2階建てに見えるが、中は吹き抜けになっていて、階上はない。
ちなみに平城“京”の南端にあるのが羅生門である

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ちょうど雛人形大展示中!

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お内裏さま
やはりここでは聖武天皇か。

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お雛様
光明皇后か。
(奈良時代は十二単はなかったけどね)

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三人官女
紫式部、和泉式部、清少納言か――って時代が違う!

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五人囃子
SMAPかドリフか・・・・もはや無茶苦茶。

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牛車
奈良時代に牛車はまだ普及していなかった。
天皇や上皇の移動は「輿」(こし)に乗って人に担がせた。
貴族や役人たちは歩いて宮中に通勤していた模様。

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朱雀門から見た大極門

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大極殿
天皇の即位式など重要な儀式が行われた場所
平城宮の北端にある
柱や組物の朱色と屋根瓦の青丹色が青空に映える

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西大寺
天平宝字8年(764)称徳天皇が鎮護国家と平和祈願のために、金銅四天王像を造立を発願したことに始まる。かつては東の東大寺に並ぶ大寺であった

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四王堂、本堂、愛染堂の3つを拝観できる。
それぞれの受付で説明リーフレットをもらえるので、まず熟読してから鑑賞するのがおススメ。仏像などのいわくが分かるとより面白い。西大寺愛あふれる受付の人が熱く語ってくれるので、声をかけてみよう。

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四王堂
その名の通り四天王がおられる(鎌倉時代に再造されたもの)。
像高約6mの藤原時代の十一面観音菩薩立像、日本最古の印刷物(お経)を納めた百万塔陀羅尼、なんといっても現・市川團十郎(若き日の海老蔵)をモデルにした道鏡像が見物。清らかなイケメン、女心をくすぐる子犬なまなざし。称徳(のちの孝謙)女帝がよろめいたのも無理ないと納得の美僧である。(2020年に「せんとくん」作者の薮内佐斗司が製作) 海老蔵が選ばれたいわれも深掘りしたい。

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本堂
江戸時代中期に再建された土壁のないお堂が美しい。
仏師善慶による清凉寺式釈迦如来立像、灰谷健次郎の小説『兎の眼』に登場する善財童子像のつぶらな瞳に注目。

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善財童子(お寺で購入したポストカード)

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愛染堂
見どころは、本尊の愛染明王像と国宝の叡尊上人坐像。
西大寺再興に功績あった叡尊上人(1201ー1290)。親鸞、道元ら鎌倉新仏教のスター選手たちの陰に隠れているが、乱れていた仏教界の戒律復興につとめ、非人やハンセン病患者の救済を行い、川に橋をかけるなど土木工事も手がけた。まさに菩薩というにふさわしい人である。
叡尊上人がつねに拝んでいたという愛染明王像は、「煩悩や欲望を浄化し、生命力に転化する」力があるとされる。叡尊上人もまた自らの欲望とたたかったのであろう。

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愛染明王

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叡尊上人像(国宝)
80歳を祝って造られた生前の肖像彫刻。
凛としたたたずまいに志操の高さがにじみ出ている。

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母校・奈良大学まで足を延ばした。

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目的は大学運営の博物館。
一度覗いてみたかった。

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入口に、当時の方法(脱活乾漆技法)どおりに復元された阿修羅像が陳列されている。最新の科学技術による分析の結果、現在の顔とは異なる表情をもつ原型の顔が下から現われた。

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「ザ・コレクション展」というのをやっていた。
大学の教職員が幼い頃より収集してきた趣味のグッズが披露されていた。
こちらはグリコのおまけやカプセルトーイ、食品ミニチュアサンプルなどのコレクション。

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すごい量、すごいバリエーションである!

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コップのフチに引っ掛ける「コップのフチ子さん」という玩具。2012年に発売され大ヒットしたらしいが、ソルティはとんと知らなかった。だいたいがコレクション癖というのが昔からない。

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こちらは、かつてはキーホルダーと並んで旅行記念の定番だったペナントのコレクション。

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なかなか簡単には旅行に行けない時代だったからこそ、こういったグッズがもてはやされたんだろうなあ。「年月日」を書き入れるスペースがあるのがアナログチックで面白い。

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こちらはひと昔前の民具いろいろ。
前の2つにくらべると奈良大学カラーが匂っている。
考古学や文化財を生涯の仕事とする人たちは、やっぱり子供の頃からマニアックな(オタク)気質があったのかなあと思った。

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本日最後は称徳(孝謙)天皇陵への参拝
精力絶倫の妖僧にたぶらかされ道を誤った、まるでホストにのめり込んだ箱入り娘のようなイメージがついてしまった女帝。男系天皇制における皇女の身のふり方の難しさを象徴する一人である。

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大和西大寺駅で自転車返却

また奈良に一歩近づいた感ある一日であった。

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せんとくん















 
 
 

● 中将姫と白鳳三天王 :當麻寺から二上山へ(517m)

 當麻寺(たいまでら)は当麻寺とも書く。
 奈良時代の継子いじめ譚のヒロインである中将姫で有名なお寺で、本堂の本尊は、出家して尼になった中将姫が一夜にして織り上げたという極楽浄土を描いた曼荼羅である。
 もっとも現物は非公開であり、現在厨子に納められて参拝者が目にすることができるのは、室町時代以降に造られた転写本である。
 中将姫はまた、バスクリンで知られる津村順天堂のかつてのロゴマークであった。

中将姫ロゴマーク

 しかしながら、ソルティにとって當麻行きの第1目的は、白鳳時代の弥勒菩薩像と四天王像にある。
 これを観ないことには白鳳仏を語る資格がない、いや日本の仏像を語ることができないと思った。
 奈良大学通信教育の美術史概論のテキスト『日本仏像史』(水野敬三郎監修)に載っている広目天の写真を見ただけでも、その厳かなたたずまいのうちに秘められた深い心のありようが感得される。
 実物を観たら、どんな印象を受けるだろうか?

 さらに、第2目的として當麻寺のうしろに聳える二上山(にじょうさん)に登りたかった。
 奈良市から飛鳥地方に向かう道中の右手の地平線に2つのコブを持って黒々と蟠り、藤原京跡のどこからでも眺めることのできる、ひときわ目立つ山容は登山欲をそそるに十分。
 あの山のてっぺんから、大和三山を抱く藤原京跡や、山の反対側に広がる大阪の景色をこの目で見てみたい。
 如月の山の寒さは気になるけれど、冬なればこその空気の透明度は見事な展望を約束してくれるだろう。
 実に、飯能の天覧山&多峰主山以来、1年3カ月ぶりの山登りとなった。
 
二上山
藤原京跡から望む二上山

●日時 2026年2月17日(火)
●天気 快晴、風無し
●行程
09:25 近鉄南大阪線・当麻寺駅
      歩行開始
09:40 當麻寺(2時間滞在)
11:40 登山スタート
12:00 當麻山口神社
     道を間違え40分のロス
12:40 當麻山口神社横の大池
13:20 雌岳山頂(474m) 
     昼食休憩(40分)
14:20 雄岳山頂(517m)
14:30 大津皇子の墓
15:00 葛城二上神社
15:20 近鉄南大阪線・二上神社口駅
      歩行終了  
●所要時間 6時間(歩行3時間+寺滞在2時間+休憩1時間)

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近鉄南大阪線・当麻寺駅

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我を招く二上山
藤原京跡あたりから見ると存在感はんぱなく、かなりの高さに感じる。が、実際にはソルティの庭山的存在である高尾山(約600m)よりずっと低い。小学校高学年の遠足レベルである。(と油断したのがまずかった)

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當麻寺山門

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聖徳太子の弟・麻呂子親王が612年に河内国につくった万宝蔵院を、618年に役行者が当地に移したと伝えられている。当初は南都六宗の一つである三論宗であったが、現在は真言宗と浄土宗の両宗を奉じている。

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白鳳時代の梵鐘(国宝)
日本最古の鐘である

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西側に立つ麻呂子山を背景に、奥に本堂、その手前に講堂と金堂が並び立つ。
広々とした空間がすがすがしい。

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本堂(国宝)
内陣は天平時代、外陣は藤原時代につくられた。
ここに中将姫ゆかりの曼荼羅の転写本(約4m四方)が、源頼朝寄進の須弥壇の上の厨子の中に飾られている。が、全体に黒ずんでしまっている上に堂内が暗く、部分的にしか形象がわからない。ちょっとがっかり。

講堂(重文)
本尊の阿弥陀如来坐像(藤原時代)は修復中で不在であった。
ほかは、妙にセクシーな平安前期の妙幢(みょうどう)菩薩像、ジャイアント地蔵菩薩(約240cm)が見どころ。

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金堂(重文)
完全な異空間。
弥勒菩薩坐像とそれを取り巻く四天王たちが醸し出す清澄にして大らかな白鳳の空気が、観る者の体を包み、浄化する。
  • 弥勒菩薩坐像(塑像、約220cm)
    幅の広い堂々たる胸と大きな掌が示す自信と包容力に圧倒される。表情はわかりづらいが、間違いなく人間精神とは別次元におられる。左右に大きく開いた脚を覆う衣の襞が単純ながら美しい。この逞しきラガー体型、京都木津川の蟹満寺の釈迦如来坐像といい勝負である。
  • 持国天立像・増長天立像・広目天立像(脱活乾漆造、217~221cm)
    まったく非の打ちどころがない。表情の豊かさと滋味深さはギリシア古典彫刻を思わせる。持国天の憂いを含んだまなざしは興福寺の阿修羅像を連想させ、ラウンドひげの似合う増長天の闊達な笑みは、十牛図の最後に登場する酒瓶を持った仙人のよう。そして、何事にも動じない広目天の落ち着きと静かさは「悟りの境涯かくあるべし」といった趣き。こんな表情を生み出せる仏工の名が残っていないことに驚くほかない。
  • 多聞天立像(木造彩色、像高217.6cm、鎌倉時代)
    この一像だけ鎌倉時代の後補。可哀想だが、他の三像と比べると段違い。むしろ、「多聞天は紛失」で空所にしておいたほうが良かったのではないか。堂内でひとりだけ異なる次元にいて、異なる風景を見ているように思われる。
 興福寺北円堂展で観た四天王も、東大寺の法華堂や戒壇堂で観た四天王も、それぞれに素晴らしかった。
 だが、ソルティ的には、當麻寺の四天王もとい三天王に勝るものなし。
 人間業を超えたものを感じた。

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西塔(国宝)
創建当時の塔が東西ともに残っているのはここだけ。

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東塔(国宝)
どちらの三重塔も美しい。が、周囲を建物がとり囲んでいて、空間との拮抗の様子が確かめられない点が残念。

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塔に使われている軒丸瓦
複弁蓮華文軒丸瓦という。素弁蓮華文(飛鳥時代)、単弁蓮華文(白鳳時代前半)に継いで、白鳳時代に出現した型式である。文様がだんだんと複雑化していくところから、逆に瓦を見れば建物のつくられた時代が類推できる。

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中之坊・本堂(桃山時代再建)
中将姫が剃髪した授戒堂
本尊は「導き観音」の愛称を持つ十一面観音

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香藕園(こうぐうえん)
桃山時代に完成した名園
借景の東塔がばえている

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書院と茶室
第111代天皇後西院陛下を迎えたという

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中将姫像
奈良時代の右大臣藤原豊成の娘。継母による虐待を逃れ、淳仁天皇からのプロポーズを逃れ、17歳で當麻寺にて出家。法如と号す。
宝亀6年(775年)春、29歳で入滅。

中将姫絵伝(部分)_(中之坊霊宝殿)
曼荼羅を織る中将姫
「中将姫絵伝」(當麻寺中之坊霊宝殿より)

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ならまち(奈良市)にある誕生寺
ここに藤原豊成の屋敷があった

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ここを詣でると手芸が上達する
――という噂は聞かない

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當麻山口神社
山登り前に土地の神様にご挨拶するのが恒例
・・・・が、信心(あるいはお賽銭)が足りなかったのか、ここで道を間違えて往復40分のロス。たまに勘に頼って確認せず進んでしまう困った癖がある。

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神社横の大池に戻って再スタート
おかげで体が十分に温まった

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道は歩きやすく、わかりやすかった。
久しぶりの登山で息もたえだえ。すれ違った若い女性に励まされた。

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雌岳山頂(474m)
風もなく暖かい、いや暑い!

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山頂は広々して、眺めは爽快
ベンチも複数あり
Tシャツ一枚になってランチタイム

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奈良県側
盆地の中に耳成山と畝傍山が浮島のごとく見える。
両山を含む一帯が藤原京跡である。

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葛城市、御所市を経て和歌山県に至る

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大阪市方面

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堺市方面
大阪湾が霞んで見える

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雄岳山頂(517m)
こちらは展望なし

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どなたかが残した登頂記念

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大津皇子の墓
天武天皇の第2皇子で、母親は鸕野讚良皇女(後の持統天皇)の実姉だった。
天武崩御後の皇位継承をめぐる争いの中で、ライバルの草壁皇子(天武の第3皇子で鸕野讚良皇女の実子)に対する謀反の疑いをかけられ、自害に追い込まれた。享年24。
真相は、自分の息子を皇位につけたい鸕野讚良皇女による陰謀の可能性が高い。

うつそみの 人なる我や 明日よりは
二上山(ふたかみやま)を 弟(いろせ)と我(あ)が見む
(『万葉集』にある大津皇子の実姉・大来皇女の歌)

明日からは二上山を弟と見よう。
この世に置いていかれてしまった私にできるのはそれだけ。
(ソルティ訳)

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葛城二上神社(ふもとの拝所)
主祭神は、豊布都霊(とよふつのみたま)神と大国魂(おおくにたま)神。
もともとは、雄岳と雌岳を男女二神に見立てて崇拝したものと思われる。
男体山と女体山をもつ筑波山と同じだ。

筑波山
筑波山

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近鉄南大阪線・二上神社口駅
ゴール‼
体力&脚力の低下を痛感した。
7年前に四国遍路で1400km歩き通した男と同一人物とは思えない。
鍛えなきゃ。

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駅のホームから二上山にアデュー。

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樫原神宮前駅で下車し、最寄りの銭湯に寄る(480円)
地元のおっさん連中に混じって、「いい湯だな!」





● なんなら、奈良27(奈良大学通信教育日乗) アスカは怖い

 ――と言っても、エヴァンゲリオンのアスカ・ラングレーではない。
 日本国家誕生の地とも言われる飛鳥盆地である。
 スクーリング第4弾「考古学特殊講義」では、飛鳥時代の遺跡をめぐって日本誕生の過程を考古する旅であった。

飛鳥盆地
甘樫丘(あまがしのおか)から望む飛鳥盆地

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大小の山に囲まれた盆地は外敵から守るのに適していた

 講師は、相原嘉之先生。
 昨年2月19日にNHKで放映された『歴史探偵-飛鳥の巨石は何を語る?-』に出演されている。
 ソルティはこの番組をたいへん興味深く視聴した。
 が、解説されたのが奈良大学の先生で、通信教育学部のスクーリングを担当されているとは気づかなかった。
 しかも、プロフィールによると、1967年大阪生まれで、奈良大学文化財学科の卒業生とのこと。
 先輩からじきじき教わる栄誉に浴せたのであった。
  • 1日目 学内講義・・・・概説と飛鳥の諸宮、飛鳥の寺院と古墳
  • 2日目 学外実習 
    キトラ古墳(四神の館)⇒川原寺跡⇒飛鳥宮跡⇒酒船石遺跡⇒飛鳥寺⇒石舞台古墳⇒飛鳥資料館
  • 3日目 学内講義・・・・飛鳥の遺跡について、まとめとレポート作成
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半年ぶりの奈良大学キャンパス
3日間とも良く晴れて暖かかった

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学食の日替わり定食(480円)
香菜と豚肉の炒め物がご飯によく合い、美味しかった!

 講義内容は(ソルティにとって?)かなり高度かつ濃いものだった。
 考古学の基礎知識はもちろん、古代史、関西方面の地理、仏教と葬送文化、主要人物たちの事績や系譜や人物関係などの前提知識がないと、なかなかついていかれないレベル。
 通学生とは違って、スクーリングの限られた時間内でいろいろなことを一気に学ばなければならない通信教育のたいへんさを思った。
 4ヵ月かけて『考古学概論』をしっかり学ばされた学んだ苦労が、ここで報われた。
 世の中、無駄なことってないなあ。
 貴重なスクーリング機会を十二分に生かすためには、テキスト科目を取る順番も工夫するのがベターと実感した。
 それと、山岸涼子の『日出る処の天子』は読んでおきたい。
 厩戸皇子はじめ漫画のキャラが飛鳥の地に揺曳するかのようで、“聖地”巡礼の気分が味わえる。

 最終日の午後にレポート課題が出された。
 これが結構ハード。
 なかなか難しいテーマ2つを制限時間60分で原稿用紙にまとめなければならなかった。(持ち込み可だが電子機器類の使用は不可)
 講義をしっかり聞いて適宜メモを取っておかないと、容易には回答できない。
 「昨日の学外実習の印象を書きなさい」レベルのものを予想していたソルティは、大甘樫の丘だった。

 以下、2日目の学外実習について。

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近鉄・樫原神宮前駅に集合

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奈良観光のバス2台に分乗
約80名の受講者+お手伝いのゼミ学生さんを乗せて、いざ飛鳥へ!

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キトラ古墳
7世紀末から8世紀初め頃に作られた。
1983年、石室内に彩色壁画が発見され、高松塚古墳に次いで2例目となる大陸風壁画古墳として一躍有名になった。(後ろ姿は解説する相原先生)

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四神の館
ファイバースコープを使ったその後の調査で、青龍、白虎、天文図、朱雀、十二支像が確認された。が、カビ被害が発生していたため、2022年11月までにすべての壁画がはぎ取られ、現在、四神の館に保管されている。(予約制で観ることができる)

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キトラ古墳の内部模型
石室に埋葬された人物(50~60代男性)の正体は不明である

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壁画の玄武(亀)

キトラという名前は、
  1. 最初に発見された壁画である亀(キ)と虎(トラ)から取った
  2. 古墳の南側の小字「北浦(きたうら)」が訛った
  3. 古墳が明日香村阿部山集落の北西にあることから、北を司る玄武(亀)と西を司る白虎(虎) から命名された
という3つの説がある。
1983年と言えばつい最近のこと(でしょう?)なのに、命名の由来がはっきりしないのが不思議である。ソルティは渡来系の語彙(古代朝鮮語)かと思っていた。

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川原寺跡
660年代の創建
天智天皇が母・斉明天皇の菩提を弔うために建てたと言う。
中金堂があった場所に、現在、真言宗豊山派の弘福寺が建っている。

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川原寺の再現模型(飛鳥資料館にて)

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飛鳥宮の井戸の跡
694年に藤原京に遷都する前にあった「飛鳥●●●宮」と称される宮城はすべてここに重なって造営された。それぞれの宮の実態を探る発掘作業はいまも進行中。
645年の乙巳の変(かつては大化の改新と習った)で蘇我入鹿が討たれたのもこのあたりとか。

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ここに天武天皇が造った巨大な宮城(飛鳥浄御原宮)があった。
この先の発掘調査次第で、「何が出てくるか分からない⇒これまでの歴史認識が大きく変わるかもしれない」ゆえの「アスカは怖い」なのである。「あんた、バカぁ?」のアスカ・ラングレーではない。

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酒船石遺跡
昨年5月の奈良旅では、丘の上にある酒船石は見たものの、こちらは素通りしてしまった。
2000年に、湧き水を木製の樋で引いて亀形の石槽に溜める古代の導水施設が発見された。周囲の石敷や石垣も当時のままである。巨石&土木工事マニアであった斉明天皇が建造したもので、祭祀場と目されている。
(解説される相原先生)

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飛鳥寺(安居院)
蘇我馬子が造った日本最初の本格的伽藍を備えた寺院。
飛鳥盆地の北端に位置する。
平城遷都とともに移転し、元興寺と名を変えた。

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飛鳥大仏
飛鳥時代の土台から動いていないことが確認されている。
ここに南向きに座って、飛鳥の歴史を1400年以上目撃してきた。(目のあたりは当時の造形が残っているという)

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飛鳥大仏の視線の先を望む
「こんなに狭い、奥まった(田舎めいた)土地で日本国家の基盤が形成されたのか!」と感慨もひとしお。

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石舞台古墳
蘇我馬子の墓である。
蘇我氏が飛鳥盆地の一等地をことごとく占めているのを実感。
大化の改新は起こるべくして起こった。
天皇中心の国家をつくらんとした聖徳太子の遺志は中大兄皇子によって叶えられたのだ。

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古墳めぐりゆえ階段や坂が多く、運動不足の中高年にはなかなかきつい。
昭和ヒトケタかと思われる男性もおられ、その学習意欲と根性には感嘆しきり。

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飛鳥資料館
飛鳥で発見された遺物の宝庫。
見学時間が限られていたのと疲れとで、じっくり観られなかった。
またの機会に。

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飛鳥資料館のパンフレット(表面)

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飛鳥資料館のパンフレット(裏面)
主要展示物を配した凝ったデザインがすばらしい

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斉明天皇時代に造られた石造物(レプリカ)
噴水の機能を持つ
なんか道祖神的なものを感じる自分はおかしい???

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猿石(レプリカ)
斉明天皇は水と石にとり憑かれた女帝だった模様。
度重なる土木工事に徴用された庶民の悲鳴が聞こえる。

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天智天皇が造った日本初の水時計(漏刻)
時を管理する=人民を支配する、の意図があった。
豊臣秀吉や徳川家康が、活字=印刷文化=マスコミを支配ようとしたのと同様であろう。現在にも通じる為政者のやり口である。

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高松塚古墳壁画(レプリカ)

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塼仏(せんぶつ)
粘土で型を抜き、焼いて作った板状の仏像。
唐から伝来し、近畿地方を中心に7世紀後半から奈良時代にかけて作られた。
装飾としてお堂の一面に貼り付けるなどした。
上記の仏像は、様式的に、神秘的な表情が特徴的な法隆寺の救世観音像(飛鳥時代)と、カワイイ系の深大寺の釈迦如来像(白鳳時代)とのちょうど中間地点に位置するように思える。

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古代飛鳥の想像ジオラマ
左上の小山が甘樫丘、その右手の広場が飛鳥寺西方遺跡(槻木の広場)
大きな槻(ケヤキ)があったという。
この広場での蹴鞠会がきっかけで中大兄皇子と中臣鎌足はタッグを組むことになった。
その右手が飛鳥寺である。

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帰りの車窓からニ上山を望む

 飛鳥時代は、国内の文献史料のほとんど無い古墳時代と、官僚機構ができあがってそれなりに文献が残っている奈良時代の間にあって、文献史学と考古学のカバー領域の重なりにある。
 『古事記』や『日本書紀』の記述はあるが、為政者の都合のいいように編纂されているので、どこまで史実かわからない。
 そこを考古学の方法論を用いて実証していくところに、この時代を研究する醍醐味があるのかな~と思った。

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● DA・I・KI・CHI ! 高尾山薬王院初詣

 恒例の高尾山薬王院初詣。
 今年は世間一般が仕事始めとなる5日(月)に出かけた。
 ソルティは基本テーラワーダ仏教徒なので、日本の大乗仏教しかも密教である 真言宗は関係ないのだが、年の初めに高尾山の清新な空気に触れて、生きとし生けるものの幸福を、多くの参拝者と一緒に願うのは悪くない。
 家で飲食にふけりながらゴロゴロとテレビを観ているよりは、健康にも良い。
 朝8時に京王高尾山口駅で友人と待ち合わせ。
 ケーブルカーで山頂駅に登り、9時からの護摩法要に参列した。

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今年は午(うま)歳。どうも「牛」と読んでしまう

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東京スカイツリーと相模湾を望見

高尾山薬王院
薬王院本堂
平日の9時台は空いていた
外国人を一人も見かけなかった

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開山は行基菩薩(天平16年=744年)
東大寺大仏造立のための勧進に尽くした僧である
奈良では空海より行基が尊い

行基
近鉄奈良駅前の行基菩薩像

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天狗は本尊・飯綱大権現さまの眷属

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山頂から見た富士山
尊い!
近隣の部活高校生がたくさんいた

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知る人ぞ知る福徳弁財天
薬王院の裏手の洞窟におわします

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昭和天皇即位の年に築かれたという
岩に穿たれた防空壕のような5mほどの洞穴である

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一番奥におわします
弁財天は七福神のひとりで、音楽・福徳・学芸の神様
今年も奈良大学通信教育の勉強がはかどりますよ~に!

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帰りはリフトで下山
気持ちいい~

極楽湯
ふもとの極楽湯で温泉はじめ

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DA・I・KI・CHI !









 
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