ソルティはかた、かく語りき

東京近郊に住まうオス猫である。 半世紀以上生き延びて、もはやバケ猫化しているとの噂あり。 本を読んで、映画を観て、音楽を聴いて、芝居や落語に興じ、 旅に出て、山に登って、仏教を学んで瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

旅・山登り

● 秩父神社でカウントダウン

 年越し3日間は秩父で過ごした。
 スマホもテレビもOFFにして、午前中は瞑想、午後は散歩、夜は読書と瞑想にふけった。
 基本、人とは喋らない。

 たまにこういう生活をすると、テレビはともかくとして、自分がいかにスマホ依存しているかに気づかされる。
 LINEやゲームやツイートをしていないので、他の人にくらべればスマホをいじっている時間は少ないと思っていたのだが、暇な瞬間あれば、ついスマホに手が伸びてしまう自分がいる。
 スマホをいじる時の手の形や人差し指の動きが癖になってしまって、それがないと手のひらや指が淋しがっている気がするほど。
 5年前まではスマホのない生活を送っていたのに・・・・。
 休肝日ならぬ休スマ日をつくるかなあ。 

 瞑想はこのところスランプというか集中力が途切れがち。
 年末にコロナ陽性になってから、いまひとつ身が入らない。
 ウイルスで脳の一部が変容してしまったんじゃないか・・・と恐れている。
 某国が極秘開発した“人間を馬鹿にするウイルス”がその正体だったのか?
 まあ、修行には波がある。
 いまはそういう時期なのだろう。

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冬の秩父の稜線は美しい
 
 午後はずいぶん歩いた。
 天気が良かったので、連日12キロ以上は歩き回って、おろしたてのシューズがすっかり足に馴染んだ。
 秩父は朝方こそ寒いものの、日中は風がなく、遮るもののない陽射しが降りそそぎ、都心よりむしろ暖かいくらい。
 1時間も歩けば上着が邪魔になり、ズボン下のスパッツが汗ばんでくる。

 市内はずいぶん歩き尽くしたので、もう目を惹くような新奇なものは残っていまいと思っていたが、いやいや、まだまだ奥が深かった。
 秩父は関東大震災も戦災も被らなかったので、レトロな建物が残っていることで知られている。
 実際、江戸、明治、大正、昭和(戦前・戦後)、平成、令和といくつもの時代の建物が町中に併存して、ソルティのような建築物好き素人にはたまらない面白さ。
 今回は中でも、味のあるハイオク=廃屋=あばら家に惹かれてしまった。

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結構広いウチだが、さすがに住人はいない

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玄関前にバイク。住んでいるのか?

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売り家のようだが、果たして買い手はつくか?

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ここでカフェをやっていたらしい
古民家を部分的に修繕し、小ぎれいに住みなしている家も少なくない

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家の造りから、養蚕をやっていたのではないか?

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この壁に何があったのか?

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これは民家ではなくて病院
冬でも枯れ落ちないのは品種のせい?

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クラブ湯
秩父の街中にある創業85年の銭湯

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外側は改装しているが、中は昭和レトロそのもの
更衣室にロッカーはなく、脱いだ服は竹籠に入れる
富士山を眺めながら43度を超える熱い湯に
桶はもちろんケロヨン

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昭和11年創業のたから湯と並び、秩父名所の一つと言ってもいいだろう

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秩父鉄道の開運列車
これを見た人には幸運が訪れるとか


 大みそかの夜は、23時半に宿を出て、除夜の鐘を聴きながら秩父神社に向かった。
 境内には一年間世話になったお札や破魔弓やダルマなどを燃やす浄めの火が焚かれ、その周囲で暖をとる人の輪が幾重にも広がっていた。
 やはり若い人が多い。

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秩父神社参道にあるレトロな煙草屋
夜見るとまた雰囲気がある

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秩父神社の境内で年の変わるのを待つ人々

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お好み焼きや甘酒などの屋台も出ていた

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4本の竹としめ縄で囲った結界の中で火が焚かれる

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瞳の入っていないダルマが燃やされていた
願い叶わず・・・か

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新年を迎えるとともに拝殿に行列する人々
日本人が無宗教ってのは何かの間違いだろう

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賽銭箱の中味もコロナ前に戻っただろうか?
おみくじは「大吉」でした

 初詣のあとは、冷えた体を温めるべく神社近くの居酒屋の暖簾をくぐり、武甲正宗を燗で。
 すっかりお屠蘇気分の帰り道、空を見上げると、北斗七星、北極星、オリオン、カシオペア、白鳥座・・・・久しぶりに見る満点の星に平和な一年を願った。

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荒川(巴橋から)


 元日には、市街地の広がる秩父盆地から荒川に架かる秩父公園橋を渡り、長尾根丘陵の展望台に登って武甲山参拝し、秩父ミューズパークの広がる尾根を越えて、小鹿野町まで歩いた。
 昨年の夏に歩いた札所32番法性寺から33番菊水寺への巡礼路に合流し、ようばけを右手に見送りながら、星音の湯でゴール。
 明治17年(1884年)に秩父事件の義士たちが取ったのと逆コースである。
 足の痛みも出現せず、これで今年、両神山に挑戦する自信がついた。


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長尾根丘陵の展望台からの風景

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小鹿野町にて両神山を望む

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星音の湯
16時半に入ったが、結構混んでいた

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湯上りに、秩父名物・豚肉の味噌漬け定食を堪能する


 この一年、生きとし生けるものが幸せでありますように!




 
 

● 沖縄戦跡めぐり4 (首里城)

 帰りの飛行機の時間まで首里城見学した。
 国際通りからバスに乗り、石畳前バス停下車。
 琉球王国時代の遺跡である「金城町石畳道」を首里城に向かって登る。

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金城町石畳道
16世紀に琉球王国の3代国王尚真によって造られた南部に通じる真珠道(まだまみち)の一部。
琉球石灰岩の石畳と石垣、赤瓦の家並みが続く。
道のほとんどが沖縄戦によって失われ、現在残っているのはこの約300mだけ。

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結構傾斜がきつく、汗ばんだ。

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カジュマルの木陰がうれしい

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休憩所として利用されている金城村屋
心地良い風が通り抜け、眺めも良く、落ち着ける。

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沖縄戦がなければ、どれだけの素晴らしい遺跡が残っていたことか・・・。

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沖縄の街角でよく見かける石敢當(いしがんとう)の石碑
中国伝来の魔除けで、邪気が集まりやすいT字路や三叉路、辻に建てられる。

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眼下に広がる那覇市街

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首里城守礼門

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2019年10月31日の火災により本殿は焼失した。
2026年の復元を目指してもっか復興中。
復興の工事現場を見学することができる。

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首里城の地下30~40メートルに沖縄戦を指揮した日本軍の司令部壕があった。
総延長は約1キロ。指令室や炊事場など30以上の部屋があり、多い時は千人以上が生活していたと言われる。
南部へと撤退する際、軍は機密書類などを隠蔽するために壕内を爆破したため、あちこちで崩落が起きている。
安全面の問題があってこれまで放置されてきたが、最近、沖縄県がこれを保存・公開する方針を決めた。
公開されれば、もっとも主要な戦跡の一つとなるのは間違いない。

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西(いり)のアザナ
城郭西側にある物見台からの景色

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沖縄県立芸術大学
こんなとこで学生時代を過ごせたらサイコー!

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事前の天気予報では滞在中の3日間☂☂☂
海水浴するわけでなし、別に関係ないと思って現地入りした。
フタを開けてみたら、確かに雨が降り続いた。
ただし夜間ばかり。
日中はほとんど傘をさす必要がなく、しかも快晴だとまだまだ陽射しの厳しい時期に薄曇りの空が続き、屋外の移動や見学には最適であった。
必要な時にタクシーが現れたり、ガイドしてくれる土地の人が登場したり、修学旅行生と共に館長の話が聞けたり、ソルティに沖縄戦を学ばせるべく、何かが導いているような感覚すらあった。
実りの多い楽しい旅であった。

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また会いに来るシーサー







● つくし作品展と高尾山

 高尾駒木野庭園は、JR高尾駅から歩いて15分のところにある。
 小林医院(現・駒木野病院)院長の自宅として昭和初期に建てられた日本家屋と、枯山水や露地のある池泉回遊式の日本庭園は、瀟洒にしてどこか懐かしい風情が漂っている。
 先日、ここで開催された「つくし作品展」に行き、そのあと約2年ぶりの高尾登山をした。


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高尾駒木野庭園
平成21年3月に八王子市へ寄贈された。

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入園料は無料

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つくしさんは高尾山のふもとに暮らすイラストレーター。
国内だけでなくアメリカでも発揮されたその多彩な才能と画風は Tukushi Works で知られる。

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細やかな色合いの和紙を使った自然描画が家屋に見事マッチしていた。

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外からの光線具合によって絵の印象が変化するところがまた面白い。

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もみじがまだ残っていた。

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喫茶スペースでコーヒーをいただきながら、つくしさんと会話。
つくしさんのスピリチュアルトークは深くて面白い。

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高尾の山々が借景になり、人工と自然との見事なハーモニーが奏でられる。

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たまに来て瞑想するのもよいなあ。
ここから歩いて15分で高尾登山口へ。

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高尾山の霊気(バイブレーション)にはいつも身心を清められる思いがする。

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高尾山頂
この日は午前中雨模様で寒かったので、登山者が少なかった。

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展望台
晴れていれば富士山や丹沢の山々が望める。

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首都圏方向を望む

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下山はリフトを使った

高尾極楽湯
ふもとの温泉で体を芯からあたためる。
豊かな一日だったなあ~。







● 沖縄戦跡めぐり3(嘉数高台~佐喜眞美術館)  

 宿は国際通りから東に伸びる浮島通りにあった。
 ゆいレールの県庁前駅から歩いて10分、最寄りのバス停には5分、コンビニには2分。
 どこに行くにもまったく便利な位置でありながら、国際通りに面していないので静かだった。
 ホテルや旅館ではなく、普通のマンションの一室(1K、バストイレ付)を宿として提供しているので、滞在中は自宅にいるような気分で、とてもくつろげた。
 もちろん、フロントも食堂もルームサービスもない。
 他の宿泊客と顔を合わせることもなかった。

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清潔で明るくゴロ寝ができる部屋

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火は使えないがキッチンもついている

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ボディソープ、シャンプー、タオル、ドライヤーも完備

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電子レンジ、オーブントースター、冷蔵庫あり

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真綿色の照明と南国風の飾り布が安らぎを演出
また泊まりたい宿である。

 3日目は那覇から北上して宜野湾市に行った。
 米軍の普天間飛行場を間近に見下ろせる嘉数高台(かかずたかだい)に登った。
 そのあと、1992年に米軍に返還させた土地に建てられた佐喜眞美術館に足を運んだ。
 ここには、広島「原爆の図」で有名な丸木位里・俊夫妻の描いた「沖縄戦の図」が展示されているのだ。
 本日は当地に住む知人が車を出してくれた。

日時 2022年11月26日(土)
天候 曇り一時雨
行程
 8:00 国際通り
 8:20 嘉数高台
10:00 佐喜眞美術館
12:30 国際通り

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早朝の国際通り
怪しい空模様

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国際通りのPCR検査センター
ソルティは地元市役所発行の4回目ワクチン接種証明書を持参して沖縄入りした。

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嘉数高台公園
標高84.3メートル、東西に伸びる約1キロの丘である。
沖縄戦の最初にして最大の激戦地となった。
1945年4月1日に中部西海岸から上陸した米軍がここを抜くのに16日間を要した。
戦死傷者は日本軍 64,000人、アメリカ軍 24,000人、住民の半数以上が亡くなった。

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弾痕のある塀
民家の豚小屋の外にあった塀と言われる。

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日本軍の陣地壕
高台の南斜面にある

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壕の中
米軍の空爆が終わると、ここから飛び出て北側から攻める敵に反撃した。

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地球デザインの展望塔

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北側に広がる普天間飛行場
宜野湾市の1/4を占める

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オスプレイ
展望台で出会った地元のジョガーマンによれば、飛行場の騒音はとくに基地の南側と北側で喧しいのだそう。(彼は東側に住んでいる)

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北西に残波岬を望む
1945年4月1日、米軍はこの湾一帯から上陸を開始した。
岬の突端に集団自決のあった読谷村のチビチリガマがある。

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南に前田高地を望む
嘉数が米軍に占拠された後、次の激戦地となった。
これもジョガーマンからの情報だが、2016年にメル・ギブソン監督が撮った『ハクソー・リッジ』という映画は、前田高地の戦いを描いている。
Hacksaw Ridge とは「弓鋸の崖」の意。 

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北東に沖縄国際大学を望む(右上端のオレンジの建物群)
2004年8月13日に米軍の大型ヘリコプターが構内に墜落、爆発、炎上した。
幸い夏休みだったため、学生はいなかった。

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日本軍の作ったトーチカ(入口側)
トーチカ(tochka)はロシア語で「城塞」の意。
コンクリートや鉄板で作った陣地のこと。
高台の北斜面にある。

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トーチカの内部
結構広い
くり抜いた穴から銃を出して敵を狙った。

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北側(敵面)の風貌
弾痕が無数にある

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京都の塔
ここで亡くなった62師団の多くの兵士が京都出身であったことから、1964年に建てられた。
「再び戦争の悲しみが繰り返されることのないよう、また併せて沖縄と京都とを結ぶ文化と友好の絆がますますかためられるよう、この塔に切なる願いをよせるものである」(碑文より)

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北斜面にあった亀甲墓
原型をほとんど失っている。
頑丈で中の広い亀甲墓はトーチカや防空壕として利用された。

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普天間飛行場返還後の跡地利用計画が進んでいる。
飛行場の地下には、観光資源となる大きな鍾乳洞が3,4ヵ所もあるという。
嘉数高台は沖縄の過去、現在、未来を見ることのできる場所なのだ。

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嘉数高台公園でゲートボールに興じる高齢者たち

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佐喜眞美術館
嘉数高台から基地の東端に沿って約4km北上したところ(上原)にある。
1994年11月23日開館。
館長である佐喜眞道夫のコレクションを中心に展示している。
戦争で息子と孫を失ったケーテ・コルヴィッツというドイツの女性画家と、20代を軍隊で過ごした浜田知明(1917-2018)という日本の版画家の作品が展示されていた。
丸木夫妻の「沖縄戦の図」は言葉で表現しようがない。
沖縄に行ったら絶対に見ておくべき!

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美術館のすぐ隣は普天間基地すなわち治外法権区域

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緑の多い美しい美術館である
庭には亀甲墓(1740年ごろ建立)や県立盲学校生徒たちのユニークな作品などが展示されている。

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美術館の屋上から東シナ海を望む
びっくりしたのだが、基地の周囲は深い森に囲まれていた。

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ソルティが訪れた時、ちょうど埼玉から修学旅行生が来ていた。
これ幸いと教員の振りして、「沖縄戦の図」を前に、生徒たちと一緒に佐喜眞館長の話を聴かせてもらった。曰く、
「投降して捕虜になったら、男は戦車の下敷きにされ、女はなぶりものにされる。そう言って日本軍は住民たちに自決を迫った。なぜそんなことを言ったのか。おそらく、日本軍がまさにそうしたことを大陸で中国人や朝鮮人相手に行っていたからだろう。自分たちがやったことを敵もやると考えたのだ」
ソルティもその可能性を思っていた。
関東大震災時の朝鮮人虐殺の扇動者となった自警団の男たちもまた軍役経験者が多かった。
人は自分の物差しで他人を測るのだ。

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嘉数高台の展望塔の屋根の下にいたちょうどその時、豪雨来襲。
宜野湾市だけに降っているようであった。
10分ほどして雲が行き過ぎると、晴れ間がのぞいた。
いろいろ教えてくれたジョガーマンはびしょぬれになったことだろう。
(沖縄の人は傘を差さないというから慣れっこか)













● 沖縄戦跡めぐり2(沖縄陸軍病院南風原壕群~旧海軍司令部壕~対馬丸記念館)

 レンタカーを使わずに沖縄を旅するのはなかなか大変である。
 タクシーを借り切るという手もあるけれど、予算的な問題は別として、ソルティは自分が施設見学している間、運転手を待たせておくというのがどうも苦手である。
 誰にも気兼ねせず、時間の許す限り見学したい。
 となると、路線バスを上手に活用することになる。
 
 沖縄戦跡めぐりに行くと決めてから、沖縄バスマップを取りよせて路線と停留所を調べ、ネットで時刻表をダウンロードし、綿密な移動計画を立てた。
 乗り換えが必要となる場合、接続が上手くいかないと次のバスまで1時間以上待たねばならないこともあるので、事前に調べておく必要があるのだ。
 それはしかし、手間というより楽しい作業であった。
 自室の床にバスマップと時刻表とガイドブックを広げ、いろいろと計画を練っている時間はすでに旅の一部、浮かれモードである。
 路線バスの利点は他にもある。
 土地の人を観察したり触れ合う機会になるし、車窓からの景色を存分に楽しむことができる。
 方言が飛びかう停留所や車内こそが、地方色を感じさせる。
 実際、座席シートから綿がはみ出したおんぼろバスがいまだに走っているのは愉快であった。

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バスマップとOKICA
沖縄のSUICAであるOKICAは
ゆいレールとほとんどの路線バスで使える。
小銭の用意しなくて済むのでほんと便利!

 もっとも、路線バスだけではうまく回れない地点もあった。
 そこはタクシーをつかまえて最短距離で移動した。
 あるいは、那覇市内であれば奥の手があった。
 シェアサイクルである。 
 ソルティは HELLO CYCLINGというシェアサイクルのネットワークに会員登録しているので、全国どこでもサイクルステーションがあるところならば、好きな時に電動自転車を借りることができる。
 調べてみたら、那覇市にはたくさんのステーションがあった。
 施設見学した後で最寄りのステーションまで歩いて自転車を借り、次の目的地までサイクリングする。
 自転車が必要なくなったら、そこから一番近いステーションに返却すればいい。 
 これならバス停でバスを待つ必要もないし、タクシーを探す手間も省ける。
 那覇名物の渋滞も関係ないし、駐車にも困らない。
 なにより見知らぬ街を風を切って自転車で走るのは最高に気持ちいい!
 (もっとも、酷暑の時節や雨風の強い日は快適とはいかないが・・・・) 
 これまで自宅周囲で利用していたシェアサイクルであったが、観光でも使える実に便利で快適なシステムであることを実感した。
 旅先でのシェアサイクル。今後大いに活用したい。(京都市内なんかも楽しそうだ)
 ちなみに、自転車でも飲酒運転はNGである。

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ハイビスカス


日時 2022年11月25日(金)
天候 曇り
行程
 9:40 開南バス停(309番バス乗車)
10:00 福祉センター入口下車
         沖縄陸軍病院南風原壕(南風原文化センター)
13:15 南風原町役場前よりタクシー乗車
13:30 旧海軍司令部壕
15:00 最寄りのサイクルステーションにて自転車レンタル
15:30 対馬丸記念館
17:00 波上宮~波の上ビーチ
18:00 沖縄家庭料理「まんじゅまい」にて夕食
19:30 国際通りにて自転車返却

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南風原(はえばる)文化センターと黄金森(こがねのもり)
1944年10月、那覇市内にあった沖縄陸軍病院が米軍の空襲により焼失し、南風原国民学校校舎に機能を移転した。
米軍の攻撃が激しさを増した1945年3月、日本軍は住民の力を借りて近くの黄金森に約30の横穴壕を掘り、壕の中に患者を収容した。
看護婦として動員されたひめゆり学徒222人と教師18人がここで働いた。
その様子は吉永小百合あるいは津島恵子主演の映画『ひめゆりの塔』に描かれている。

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飯あげの道
飯あげとは、炊きあがったご飯などを樽に入れて炊事場から各壕(病棟)へ運ぶこと。
当時、黄金森は一面の茅畑で空から丸見えだった。ひめゆり学徒たちは爆撃の下、重い樽を下げた天秤棒を二人で担いで、急な山道を上り下りした。

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悲風の丘の碑
1945年4月1日米軍が沖縄本島中西部に上陸し、本土決戦が始まった。
日本軍は首里司令部を占拠され、南部への撤退を余儀なくされる。
5月下旬、南風原陸軍病院にも撤退命令が下される。
その際、移動できない重症患者には青酸カリ入りのミルクが配られた。
(題字は沖縄返還時の首相だった佐藤栄作の手による)

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沖縄陸軍病院壕址
黄金森に約30の壕(トンネル)がつくられ、多い時は約2000人の患者が収容された。
もとからあった鍾乳洞を利用した壕(ガマ)ではなく、鍬やつるはしを使って一から掘ったものである。
戦後、壕の中からはたくさんの人骨が見つかった。

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丘全体が今ではすっかり南国らしい瑞々しい森におおわれている。
これらの樹々の下にまだ多くの白骨化した遺体が埋まっているという。

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20号壕入口
現在ガイド付きで見学することができる唯一の壕。
長さ約70m、高さ約1.8m、床幅1.8m、病室・手術室・勤務者室などがあった。
見学者には、ヘルメットと長靴と懐中電灯が渡される。

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壕の中からは、多数の医薬品類、患者の石鹸箱や筆箱や着物、ひめゆり学徒のものと思われる文具などが見つかっている。
少女たちは、まさか病院が攻撃される、まさか日本が敗けるとは思わず、はじめのうちは半ば遠足気分で働いていたという。

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壕の中
負傷した何十人もの兵士の発する体臭、腐敗しウジ虫のたかる患部、消毒薬、汗や尿や便・・・。
壕の中は何とも形容し難い匂いが立ち込めていたという。
その中をひめゆり学徒たちは瀕死の患者らに呼ばれて走り回った。

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ひめゆり学徒たちの休憩所
食事の運搬と配布、シモの世話、清拭、患部の消毒や包帯の交換、手術(と言っても患部の切断が主)の手伝い、患者の移動や寝返りの手伝い、ウジ虫の除去、亡骸の運搬と埋葬・・・。
まともな設備も医療用具も、十分な水や食糧もない中で、どれだけしんどかったことか。
だが、本当の地獄はここを離れた先にあった。

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20号壕の出口
壕の見学は事前予約が必要。
この日はソルティのほか沖縄長期滞在中の60代くらいの夫婦一組。
ここはガイドブックにはまず載っていないが、ぜひとも訪れたい戦跡の一つである。
(ここを勧めてくれた友人に感謝)

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町立南風原文化センター
南風原の沖縄戦の経緯、沖縄戦後史、ハワイや北米や南米への移民事情、昔の沖縄の暮らしなどが展示されている。
上記は黄金森の病院壕を再現したもの。1.8m幅の横穴の半分は、一人一畳分の患者の寝台が並び、もう半分が通路になっていた。

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黄金森の全景

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米軍の投下した砲弾
これが地上で炸裂し、半径数百メートルに灼熱の鉄の破片が猛スピードで飛び散った。

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これと竹槍で闘う?
なんという御目出度さだ!

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1955年(昭和30年)の国際通り
「荷馬車、三輪車、バス、タクシーが共存」とある。
むろん返還前。自動車が右側通行なのに注目。

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南風原町役場
南風原町は、県内で唯一海に面していない町。
それゆえ、軍関係の施設が多く集められたのだ。
ここからタクシーを拾って次なる戦跡へ。

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旧海軍司令部壕
1944年、地域の住民を駆り出して掘られた壕に海軍司令部を設置した。
壕内に入って見学できるほか、旧日本海軍に関する資料や銃器や軍服、家族への手紙などが展示されている資料館がある。

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ビジターセンター
那覇市の南西の小高い丘(豊見城)に位置する。
ここから資料館と壕のある階下へ降りていく。

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ビジターセンターからの風景

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東シナ海を望む

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壕への入口
南風原の壕にくらべると実に立派で頑丈なつくり

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壕内見取図
まるでアリの巣のよう。
全長450mあったと言われている。

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カマボコ型にくり抜いた横穴をコンクリートと杭木で固めてある。

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司令官室
司令官であった大田實少将はじめ幹部6人は、1945年6月13日に壕内で自決した。
実際に沖縄戦で戦死者が増えたのはそのあとである。

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幕僚室の壁
幹部たちが手榴弾で自決した時の破片のあとが残っている。

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下士官室
寝台の木枠の残骸が残っている

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旧海軍司令部壕は大概のガイドブックに載っているので、観光客が絶えなかった。
それも外国人や団体客が多かった。(自衛官や米兵らしきマッチョもいた)
ここは、「日本軍がどれだけ潔く戦ったか」「兵隊さんがどれだけお国のために尽くしたか」「沖縄県民がどれほど立派に最後まで闘い抜いたか」を強調し称揚するための施設という感じ。
自決するくらいなら最後まで住民を守ってくれよ!

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旧海軍司令部壕の脇にある沖縄様式のお墓
墓室の屋根が亀の甲の形をしているので亀甲墓(きっこうばか、カーミナクーバカ)と呼ばれる。
17世紀後半頃より作られるようになったという。
沖縄戦では多くの墓が破壊された。

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シェアサイクルで海岸沿いを疾駆する

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対馬丸記念館
1944年8月22日の深夜、学童疎開の子供たちを乗せて那覇港を出港した対馬丸は、米潜水艦の魚雷攻撃を受けて沈没した。
乗船していた1788名のうち1484名(うち学童784名)が命を失った。

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犠牲者の遺影や遺品のほか、当時の学校生活を偲ばせる教科書や文具や玩具、奇跡的に助かった人々の証言映像などを見ることができる。

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亡くなった子供たちの写真が壁を埋め尽くす。
出港する子供たちは修学旅行のようにはしゃいでいたという。
沖縄の海はすでに米軍の支配下にあったが、子供たちは日本の勝利を信じていた。

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波上宮(なみのうえぐう)
創建不詳。日本神話に出てくる神々が祀られているが、もとはニライカナイ(海の彼方の理想郷)の神々に祈りを捧げる聖地であった。

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本殿
正面からは分からないが、岩の上に立っている。

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岩の上に立つ波上宮
ビーチでは修学旅行の高校生がはしゃいでいた。

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沖縄家庭料理の店「まんじゅまい」で夕食
オリオンビール、まんじゅまい(パイナップル)炒め、ピタローのバター焼き、豆腐よう
どれも優しい味で美味しかった!











● 沖縄戦跡めぐり 1(健児の塔~平和祈念公園~ひめゆりの塔~魂魄の塔)

 本当は、地元の人が案内してくれる戦跡パッケージツアーに参加したかった。
 が、時期的にちょうど良いのがなかった。
 施設の場所や開設時間や交通機関などはネットで調べて旅程を立てることができるけれど、肝心の沖縄戦にまつわるエピソードや見るべきポイントなどは、やはり詳しい案内がほしいところ。
 どうしようかと思っていたら、近所の図書館で恰好の本を見つけた。
 大島和典著『歩く 見る 考える 沖縄』(2021年高文研発行)。 
 
大島和典『沖縄』

 1936年香川県生まれの大島和典氏は、四国放送で技術や制作の仕事に携わり、退職後に沖縄移住。
 沖縄戦の研究をはじめ、米軍基地建設反対運動の記録を撮りビデオ作品として発表するほか、戦跡を案内するガイドツアーを10年以上(計1000回以上)つとめてきた。  
 その背景には、大島氏の父親が沖縄戦に出兵し、激戦地の南部で戦死したという事情があった。
 当時、父親は33歳、和典氏は小学3年生だった。
 本書は、大島氏が修学旅行生相手にいつも行なってきた、自身の思いや願いのこもった戦跡ガイドを、語り口調そのままに収録したものである。
 取り上げられている場所は、ひめゆりの塔、平和祈念公園、魂魄の塔、米須海岸、嘉数高台、安保の見える丘。
 まさに最適のガイドブック。
 出発前に2回通読し、見るべきポイントを頭に入れた。
 さらに、沖縄に詳しい友人に尋ねたところ、南風原文化センター(沖縄陸軍病院壕)や集団自決のあったチビチリガマ、辺野古座り込みテントなどもすすめられた。
 3日間ですべてを回るのは時間的にも体力的にも無理なので、今回は南部を中心に回ることにした。

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平和祈念公園から臨む島南端の海岸
 
日時 2022年11月24日(木)
天候 曇り一時雨
行程
 8:50 開南バス停(50番バス乗車)
 9:43 具志頭バス停(82番バスに乗り換え)
 9:53 健児の塔入口下車
     健児の塔~平和祈念公園~平和祈念資料館
12:52 平和祈念堂入口バス停(82番バス乗車)
13:00 ひめゆりの塔前下車
     昼食~ひめゆりの塔~ひめゆり平和祈念資料館~魂魄の塔
16:43 ひめゆりの塔前バス停(82番バス乗車)
17:00 糸満バスターミナル(89番バスに乗り換え)
18:00 那覇バスターミナル

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宿最寄りの開南バス停で地元の人に雑じってバス待ち
桃色のマニキュアを塗った女性の爪のようなトックリキワタの花があでやか
アオイ目アオイ科の落葉高木である

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乗り換えのバス待ち
純白の漆喰で塗り固めた赤瓦屋根
沖縄らしい民家の軒先に旅情を感じた

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健児の塔
沖縄戦に召集され命を失った沖縄師範学校の教師と生徒319名が祀られている
1946年3月建立

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ひめゆり女子学徒たち同様、学校のあった中部から南部へ移動し、海岸に追いつめられたあげく、非業の死を遂げた。

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このあたりの地形は険しい
こうした岩陰に隠れて米軍の攻撃から身を守ったのだろう

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平和祈念公園全景
くまなく見るには丸1日は必要とする広さと深さ

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国立沖縄戦没者墓苑
この地域には各県の戦没者慰霊碑が並んでいる
沖縄戦で亡くなった日本兵は、県外出身約6万6千人、県出身約2万8千人
犠牲となった一般県民約9万4千人と推定される(県資料による)

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平和の礎(いしじ)
国籍や敵味方、軍民の区別なく、沖縄戦で亡くなった20万人余の氏名を刻んだ記念碑

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朝鮮半島の人たちの礎
上記の大島氏の本によると、1万3千~4千人の朝鮮人が沖縄戦のため半島から連れて来られ、1万1千~2千人が亡くなったという
だが、ここに刻まれている名前はたった500名弱
その理由は推して知るべし

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平和の火
米軍が最初に上陸した沖縄県座間味村の阿嘉島で採取した火、広島の平和の灯(ともしび)、長崎の誓いの火、3つの火を合わせ、1995年6月23日「平和の礎」除幕式典において点火された。

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平和の火を囲む修学旅行の小学生たち
子供たちが真剣に学んでいるのを見るとホッとする

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ギーザパンダ(慶座集落の崖)
平和の火がある広場から見える風景
米軍はあの崖をスーサイドクリフ(自殺の崖)と呼んだ
日本国民は捕虜になるより自決せよと教え込まれていた

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公園内にあるガジュマルの木
遺体の集積場、焼却場があった場所
今でも土の中から銃弾や砲弾の破片が見つかるという

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沖縄県平和祈念資料館
生き残った人々の証言が圧巻!
広島および長崎の原爆資料館とともに生涯一度は訪れておきたい
とりわけ政治家と国家公務員は!

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資料館の展望室から見る景色
77年前にここに地獄が現出した

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平和への道はない
平和が道である
(マハトマ・ガンジー)

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ひめゆりの塔
大島氏によると、目の前にある「優美堂」のサーターアンダーギーは日本一
たしかに外はカリッと中は栗のようにほっこり、豊かな味わいだった

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看護要員として動員されたひめゆり学徒は、軍とともに中部から南部に移動
教師13名、生徒123名が亡くなった
第三外科壕として当てられたこのガマ(鍾乳洞)は最も死者が多かった

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こちらが最初に作られたひめゆりの塔
娘をここで失った金城和信氏が1946年4月5日に建てた

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ひめゆり平和祈念資料館(1989年6月23日設立)
生き残った元ひめゆり学徒たちの手によって設立された。
沖縄陸軍病院(南風原)における生徒たちの必死の救護活動、第三外科壕の模型、亡くなった生徒や教師たち一人一人の名前や写真、生き残った人々の証言など、戦火を生きた少女たちの姿が見え、声が聴こえてくる。
無事に生き残ったことがこれほど彼女たちを苦しめるとは!

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「戦争はいつも身近にあったのに、本当の戦場の姿を私たちは知らなかった」という元ひめゆり学徒の言葉が突き刺さる。本当の戦場の姿を知らぬままに、「天皇陛下、万歳」の軍国少女に仕立てられていったのだ。(資料館の前庭に咲くベンガルヤハズカズラ)

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資料館の中庭
見聞した事柄について、ゆっくり考えたり、気持ちを整理したり、共感して苦しくなってしまった心を和らげたりするのに恰好の場である

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魂魄(こんぱく)の塔
ひめゆりの塔から1.5kmほどの海岸沿いにある
戦後このあたりの至る所に散乱していた遺骨を集め、その上に建てられた。
3万5千人の遺骨が収められているという

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糸満バスターミナルへ向かうバスの中から
この日、沖縄の海は哀しい色をしていた



 

● 天国と地獄

 沖縄3日めは、普天間基地を見に行った。
 オスプレイがカトンボのように並んでいた。
 人間というものは、作ったからには使う機会を作るものだ。
 戦争に勝つための武器から、武器を試すための戦争、武器を売るための戦争を必要とするようになる。
 オス(男の)プレイ(行為)は、そういう倒錯にはまりやすい。

 沖縄最後の夜は、庶民的な飲み屋が軒を連ねる安里に行った。
 ちょうどアメ横の飲み屋横丁のような感じだ。
 狙っていた居酒屋がいっぱいだったので、酔っぱらい浮かれ騒ぐ市場をうろうろしたあげく、海老料理専門店を見つけた。
 メニューのすべてが海老を使っている。
 ソルティのような海老好きにはたまらない店だ。
 海老めしと海老クリームコロッケと海老チンジャを頼んだ。
 海老アレルギーある人には地獄のような店。
 もちろん、海老にとっても。

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● 疲れの正体?

 昨晩はあんなにへたばったのに、今夜は元気もりもりだ。
 今日も一日中、那覇市内外を路線バスやタクシーやレンタサイクルを駆使して飛び回り、3つの戦跡巡りをしたというのに・・・。
 やはり、ウコンが効いたのか?
 
 思うに、「疲れた」は「憑かれた」なのだろう。
 昨日の南部海岸巡りでは、平和祈念公園はじめ、いろいろなところで手を合わせ祈り、沖縄戦を生き残った人たちの証言に耳を傾けているうちに、だんだん心と体が重くなった。
 しまいには、歩くのさえしんどくなった。

 その疲れは、丸一日山歩きしたときの疲れとは、まるっきり違う。
 考えたら、四年前には四国遍路で1400キロ歩き通したソルティである。
 今だって週に3回、500米弱泳いでいる。
 アラ還とはいえ、こんなにいきなり体力が落ちるはずがない! 
 何かを背負って宿に帰ってきたに違いない。
 よく覚えていないが、なんだか重苦しい夢を見た。

 夜通し降り続いた雨は、昼前に上がった。 
 雨が上がると共に体は軽くなり、旅の楽しさが実感されてきた。
 午後は、電動アシスト自転車でスイスイと那覇の海岸沿いを走り抜けた。
 波の上ビーチで潮風に当たったら、すっかりいつもの調子を取り戻した。
 夕食は沖縄家庭料理を堪能した。 


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波と遊ぶ修学旅行の生徒たち



 






● 国際通りの雄叫び

 昨晩から那覇にいる。
 国の旅行支援事業を利用して、3日間の戦跡巡り。
 今日は、平和祈念公園とひめゆりの塔、つまり最も被害の甚大だった南部の海岸沿いを巡った。

 後日、記事にまとめたいと思うが、とにかく身も心も疲れ果てて、今、宿に帰って風呂入って、床に伸びている。
 せっかく1万円分の自由に使える地域クーポンが手元にあって、名店並ぶ国際通りが目の前にあるというのに、外出する気力が湧かない。

 昨晩はワールドカップで日本がドイツに勝ったため、夜1時過ぎまで国際通りの若者たちの雄叫びが轟き渡っていた。
 おそらく夜通しどこかで祝勝会して飲むのだろう。
 ああいう時代も自分にもあったと思うにつけ、加齢を実感する。
 いや、むろん愛国心のことではない。若さのことだ。

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 コンビニで見つけたウコン入り活力剤を試してみた。
 効いてくれるといいのだが・・・。
 さんぴん茶は沖縄名物の一つだが、何のことはない、ジャスミン茶のことである。

 明日はまた重要な戦跡に行く予定。
 夜遊びをあきらめて、大人しく寝ることだ。

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ひめゆり平和祈念資料館の中庭


 

● 鎌倉アルプスを歩く(大平山159m)

 月曜の午前中という、もっとも空いていそうな時間をねらって、大河ドラマブームに湧く鎌倉を逍遥した。
 鎌倉市最高峰の大平山より街並みを見下ろす天園ハイキングコース。

● 歩行日 2022年11月7日(月)  
● 天気 くもり
● 行程
10:00 JR鎌倉駅
    歩行開始
10:15 鶴岡八幡宮
10:45 建長寺
11:40 勝上献展望台
12:20 大平山(159m)
12:30 天園
    昼食休憩(20分)
13:30 下山口(瑞泉寺門前)
13:40 永福寺
14:30 JR鎌倉駅
    歩行終了
● 最大標高 159m
● 最大標高差 150m  
● 所要時間 4時間30分(歩行4時間+休憩30分)

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JR横須賀線・鎌倉駅
案の定、人混みはなかった


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鶴岡八幡宮
この石段で源実朝は公暁に刺殺されたという

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本殿より参道を見やる

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建長寺は日本初の禅寺(臨済宗)
開基は第5代執権北条時頼(1253年)
けんちん汁発祥の地である

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樹齢760年を超える見事な柏槇(びゃくしん)

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仏殿
空間と拮抗する見事な反り屋根

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本尊は地蔵菩薩

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法堂(はっとう)の釈迦苦行像と千手観音
苦行像は2005年にパキスタンより寄贈された

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こんなところに朝鮮石人像が・・・

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観光客のいない静かな奥へと進む
きつい石段を上れば天狗が並ぶ半蔵坊本殿

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勝上献(けんじょうけん)展望台より
鎌倉市街を望む
晴れた日には相模湾越しに富士山も見える

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出会う人は稀
静かな山歩きが楽しめた

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本日の最高峰・大平山(159m)
木々に囲まれて眺めはない

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ススキとセイタカアワダチソウの熾烈な縄張り争い
やはり外来種が強い

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南東方向に横浜のビル街が霞む

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横浜市と鎌倉市の境に位置する天園
かつて茶屋があったところが空き地となっている

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天園より相模湾と鎌倉市街を望む
ここで昼食

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森のヌシたる巨木との交感も山歩きの醍醐味

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下山口に到着
鎌倉は基本、山なんだと実感した

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永福寺(ようふくじ)跡
源頼朝が1189年平泉を攻めた後、数万の兵の鎮魂のために建てたと言われる。
幾度も大火に遭い、1405年頃に廃絶した。

CG永福寺
CGによる復元図
平泉の毛越寺や中尊寺をモデルとしたという
ここで頼家や実朝は蹴鞠や花見や歌会に興じた

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JR鎌倉駅に帰着


宮柱 ふとしき立てて よろづ世に
いまぞ栄えむ 鎌倉の里
(社殿に立派な柱を立てて、万世も栄えあれ、鎌倉よ)

三代将軍源実朝















 

● 晩秋の赤城山(黒檜山1828m、駒ケ岳1685m)

 JR高崎線、八高線の窓から見える赤城山は、黒々と大きな一匹のイグアナのように地平線に蟠っている。
 しかし、赤城山という名の峰は存在しない。
 赤城山は一つの火山体の総称であり、カルデラ湖である大沼と小沼を取り巻くように配列されている複数の山――黒檜山(くろびさん1828m)・駒ヶ岳(1685m)・地蔵岳(1674m)・長七郎山(1579m)・小地蔵岳(1574m)・鍋割山(1332m)・荒山(1572m)・鈴ヶ岳(1565 m)など――の集合である。

 なので、少なくとも上の8つの山を制覇しなければ、「赤城山を登った」とは言えないような気もするが、今回は最高峰である黒檜山と2番目に高い駒ケ岳を縦走し、大沼と小沼を愛でたので、「6割がた制覇」といったところか。

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JR八高線・児玉駅あたりから見た赤城山


● 歩行日 2022年10月26日(水)  
● 天気 晴れ
● 行程
07:32 JR前橋駅より関越交通バス乗車(赤城山線)
08:55 赤城山大洞(だいとう)下車
    歩行開始
09:20 大沼、赤城神社
09:35 黒檜山登山口
10:55 黒檜山頂上(1828m)
11:00 絶景ポイント
    昼食休憩
11:50 出発
13:00 駒ケ岳頂上(1685m)
13:20 出発
14:00 駒ケ岳登山口
14:05 覚満淵周遊
14:45 赤城公園ビジターセンター
    歩行終了
15:15 関越交通バス乗車
16:00 富士見温泉下車
● 最大標高 1828m
● 最大標高差 483m  
● 所要時間  5時間50分(歩行4時間20分+休憩1時間30分)

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前橋駅前からのバスは、群馬大付属小学校に通う
賢そうな児童たちでいっぱいだった。(今日は平日)

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赤城山大洞で下車
平日始発バスでの赤城入りは 7~8名だった

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大沼
火山活動によってできたカルデラ湖である
湖中に突き出た半島にパワースポットとしても有名な赤城神社がある

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赤城神社参道より啄木鳥橋を臨む
(修理中で渡れなかった)
標高約1340m、紅葉は湖畔にまばらに残るのみ

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赤城神社
創建不詳
ご神体はむろん赤城山
評判に違わず気持ちのいい空間だった

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賽銭箱には皇室ゆかりの菊および桐のご紋と並んで葵の紋も。
徳川家康も祀られているのだ

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黒檜山登山口
ここからいきなりの急登岩登りが続く
10分で息が切れた

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振り返れば絶景
対岸の見晴らし山と地蔵岳が大きい
きつい登りが報われる瞬間

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これが登山道だもん・・・

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やっと尾根に到達
クマザサの道が気持ちよい

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黒檜山頂上
絶景ポイントはこの先にある

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絶景ポイント
270度のパノラマビューに圧倒される!
ここで、おにぎり2個・ゆで卵・おしんこの昼食
日陰はさすがに肌寒かった

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鈴ヶ岳、榛名山の彼方、雪をうっすら纏った浅間山(西方面)

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子持山との間に広がる沼田市(西方面)

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中央に突き出て見えるのは尾瀬燧ケ岳と会津駒ケ岳か(北方面)

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名のよく知らぬ日光の山々(東方面)

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おぼろに霞む前橋・高崎(南方面)

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山頂にあった祠に手を合わせ、駒ケ岳に向かう

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尾根道にある御黒檜大神
ここも恰好のランチポイント

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駒ケ岳に向かう途中に小沼が見える

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天空にあって神秘的な輝きを放つ

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黒檜山と駒ケ岳の鞍部(大ダルミ)
70代くらいの地元の男性と雑談しながら歩く。
けもの道やイノシシの泥浴び場を教えてくれた。

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彼によると、昨今赤城山の木枯れが甚だしいとのこと
原因はカビ
たしかに白い斑点に覆われている木が多い
早めに処置しないと・・・

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こんなふうに木全体が腐ってしまう

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駒ケ岳頂上
ここで地元の方と別れる
道連れありがとうございました

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駒ケ岳山頂より大沼を望む
静謐なる20分の休憩

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赤城神社

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下山開始
黒檜山と駒ケ岳が見送ってくれた

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高度を下げると紅葉の絨毯が現れる

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下りは木や鉄の階段が多い
膝サポーターをつけて慎重に一歩一歩

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駒ケ岳登山口

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覚満淵
湧水と雨水によってできた湿原
木道を歩いて30~40分で一周できる
奥まったあたりは尾瀬の風景そのもの

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赤城公園ビジターセンターに到着
ケガも道迷いもなく無事下山できたことに感謝
帰りのバスを待ちながら足をマッサージ

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富士見温泉見晴らしの湯で途中下車
露天風呂から沈みゆく夕陽が見える素晴らしいロケーション
塩分の強いお湯が体を芯から温めてくれる
大人一日520円は大特価!


 富士見温泉から前橋駅に向かうバスで、50~60代の韓国人男性と知り合った。
 コロナ解禁で3年ぶりに日本に来れたと大喜び。
 聞けば、2日前に日本に着いて水上温泉泊、翌日谷川岳に登って前橋泊、今日赤城山に登り上野泊、明日成田から韓国に帰るそうな。
 なんつう強行軍。
 日本百名山を5年間ですべて制覇、赤城山は2度目とのこと。
 キリマンジャロ、マッターホルン、チベットの山々にも足を運んだ猛者。
 その気力と体力と財力は日本の中高年が失ったものか?
 恐るべし、韓国パワー。
 ちなみに日本の山では映画にもなった劔岳(つるぎだけ2999m)が一番きつかったと言っていた。
 (日本語を覚えるために木村大作監督『剣岳 点の記』を3回も観たそうだ)
 話好きで陽気な男だった。

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前橋市より望む赤城山
峰の重なりがよくわかる

「今宵限り」と言わず、新緑の頃にまた来たい











● 謎の石像の正体 ~深大寺&祇園寺探訪~

 深大寺の国宝・釈迦如来仏に会いたくて、台風前の曇天を調布に出かけた。
 今回は深大寺から1キロほど離れたところにある同じ調布市内の祇園寺にも足を延ばす。
 もちろん、深大寺蕎麦に舌鼓を打つことも予定のうち。

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寺の周囲の小屋はみな蕎麦屋である

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深大寺門前
14時半頃に着いたので人出は一段落していた
 
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本堂
おみくじは「吉」であった

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おびんずるさまもコロナ予防
 
 国宝・釈迦如来仏の由来は、貴田正子著『深大寺の白鳳仏』に詳しい。
 深大寺を開基した満功上人の腹違いの弟である高倉福信が、武蔵から京に上って大出世し、聖武天皇や光明皇后や橘諸兄の愛顧を得てこの見事な仏像を賜わり、故郷で僧侶していた兄に手渡した――というのが、貴田の説であった。
 加うるに、最初に仏像が納められたのは深大寺ではなく祇園寺、と貴田は推理する。
 その裏には、満功上人の生誕地と言われる祇園寺こそは、高句麗系渡来人であった一族の菩提寺であり、調布地域を開拓した渡来人たちの生活と信仰の中心であり、おそらくは深大寺より先に創られたであろう、という読みがある。
 いずれにせよ、ブロンズの滑らかな曲線と上品な輝き、童子のように可愛らしい佇まい、両性具有的なアルカイックな微笑み、実に魅力的な仏像である。

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銅造釈迦如来倚像
 像高83.9cm
 飛鳥時代後期(7世紀後半~8世紀初頭)

 参拝を終えて、お待ちかねの蕎麦タイム。
 門前の店に飛び込んだ。

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ざるそば(1050円)

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店内から見える弁天池

 胃袋が落ち着いたところで、祇園寺へと向かう。
 曇ってはいるが湿度が高く、汗だくになった。

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虎狛山祇園寺
(東京都調布市佐須町2丁目)

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本堂

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周囲の風景

 祇園寺もまた深大寺同様、天平年間(729~749)に満功上人よって開かれたお寺である。
 もともとは法相宗であったが、平安に入って天台宗に改宗し、現在に至っている。
 法相宗から天台宗への移行は、日本仏教史上最大の論争が徳一(法相宗)と最澄(天台宗)の間に繰り広げられたものであることを思うとき、すごい飛躍というか寝返りに映る。
 やはり時代の趨勢は無視できなかったのか。


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明治41年に板垣退助が境内に植えた松

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こんなとこまで秩父事件の余波が来たとは・・・!
自由と民権を愛する当地の人々の姿が浮かぶ

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当時の住職(中西悟玄)の息子・中西悟堂の歌碑
悟堂は僧侶にして「日本野鳥の会」の創設者である
当寺で坐禅修行の日々を送ったことが知られる

 参拝後、本堂前の御影石のテーブルでしばし休む。
 整然として静かで、落ち着くお寺である。
 天台宗ではあるが、座禅会などもやっているようであった。

 1キロ強歩いて、京王線・布田駅に。
 本日の探訪はこれにて終了。
  
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野川

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京王線・布田駅


 ――と思いきや、真の探訪はここからであった。

 祇園寺でソルティが一番注意を惹かれたのは、山門入ってすぐのところにある石像であった。
 神社の狛犬のごとく、左右一対で置かれている。
 見た目どうも和風ではなく、朝鮮風。
 花崗岩の摩滅具合から見て、せいぜい遡っても100年くらい前のものか。

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本堂向かって右側

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向かって左側

 すぐに思い浮かんだのは、朝鮮半島の村落に見られる将軍標(チャングンピョ)。
 日本の道祖神みたいなもので、村落の境界を示すとともに外敵を防ぐ魔除けである。
 天下大将軍と地下女将軍の男女の将軍が対になっているのが特徴で、埼玉県の西武池袋線・高麗(こま)駅の駅前広場にあるトーテムポールがよく知られる。(県民以外は知らないか)

高麗駅 (3)
 西武新宿線・高麗駅前の将軍標

 渡来人ゆかりのお寺だけのことはあるなあと感心したが、やはり当てずっぽうはいけない。
 なんの像か確かめたい。
 帰宅してからネットで調べてみたら、いろいろな説が載っていた。
  1. 将軍標説
  2. 深沙大王説(深大寺開山の謂れとなったインドの神様。『西遊記』の沙悟浄である)
  3. 七福神の福禄寿説(祇園寺は「調布七福神めぐり」の一つになっている)
  4. 満功上人の父母を記念するために作った説(これはソルティ推測)
 2と3の場合、像が2体あることの説明が必要だろう。
 お寺に直接電話して聞いてみようと思ったところ、ある記事を見つけた。
 深田晃二という人が書いた『朝鮮石人像を訪ねて(1)』というレポートである。
 神戸にある「むくげの会(無窮花会)」の機関誌『むくげ通信230号』(2008年9月発行)に掲載されたもので、当会は1971年1月に設立された「朝鮮の文化・歴史・風俗・言葉を勉強する日本人を中心としたサークル」との由。
 このレポートにまさに祇園寺の石像のことが書かれていた。
 抜粋する。

 寺の住職に由来を尋ねると、「戦前か戦中に付近の山にあった4体をこの寺に運んだと聞いている。2体は市立郷土博物館に移した」とのこと。
 引き続き2駅先の調布市立郷土博物館に向かった。年配の職員に由来を聞くと、「昭和49年にこの博物館はできた。そのとき祇園寺から2体移設した。調布一体は昔は別荘地帯で銀行や企業の保養所がたくさんあった。祇園寺の住職から以前聞いた話だが、“付近の山”という所は今、北部公民館のある場所で池貝鉄工の別荘があった場所だ。そこで装飾用に置かれていた物であろうとのことだった。」という。4体が2体ずつに別れた事情は判明したが、最初の4体をいかにして入手・所有したのか不明のままである。

 近所の別荘の装飾用に用いられていたとは!
 深田氏によると、「日本の各地には半島から渡ってきたと思われる石人像や石羊などが数多く見られる。これら朝鮮石造物は王陵や士大夫の陵墓の前の墓守として建てられたもの」だという。
 士大夫とは文武官すなわち高級官僚のことである。
 石人像には文人像と武人像があり、「故人が文人であった場合は文人石像を、武人であった場合は武人石像を建てる」。
 文人像は冠をかぶり笏(しゃく)を手にし、武人像は鎧を着て刀を持っている。
 祇園寺の石像は明らかに文人像である。

 よもや朝鮮の墓守り人とは思わなかった。
 祇園寺の本堂裏手には墓地がある。半島からの渡来人ゆかりのお寺という点も合わせて、二重の意味でふさわしい場所に移設されたわけである。
 驚いた。

 深田氏の『朝鮮石人像を訪ねて』は、2008年9月から2022年7月まで同機関誌に連載されていた。
 全75回である。
 驚くべき知的好奇心と研究熱心さ、そして各地を取材するフットワークの軽さ。
 ソルティも定年後はかくありたいものである。
 記事のアップロードに感謝!

秩父巡礼4~5日 133
無窮花(むくげ)

 同記事を読んで、はっと胸を射抜かれ、考えさせられたことがあった。
 なぜ日本にこれほど多くの朝鮮石造物があるのか。
 それは日本が朝鮮を占領していた時代(1910~1945)に、日本人が朝鮮半島から工芸品や文化遺産を略奪し持ち帰ったからである。
 その数は、少なくとも100,000点に上るという。
 たとえば、初代朝鮮総督の寺内正毅は、書画1855枚、書物432冊、2000に及ぶ工芸品を集め日本に持ち帰った。
 大英帝国がインドやアフリカの植民地から数々の財宝を力づくで奪い本国に持ち帰ったのとまったく同じことを、大日本帝国もやっていたのである。
 当時の富裕層は、そうした略奪品を植民地の役人や民間収集家から買い取り、自らの屋敷や別荘に飾ったのであろう。
 胸糞悪い話であるが、これまで考えたことなかった自分にも腹が立った。

 日本人の所有者の中には後になって、自らのコレクションを韓国に返還した立派な人もいる。
 上記記事によれば、2001年7月には三重県に住む会社経営者である日下守氏が、所有していた約70点の石造物を韓国に返還したことが、米TIME誌に掲載された。
 また、日本に現在ある朝鮮石造物のすべてが略奪されたものというわけではなく、正当なルートで購入・譲渡されたものや、戦後インテリアとして新たに国内で造られたものもあるようだ。

 文字が刻印されていないこれらの石像は、故郷を離れると由来が分からなくなってしまうのが普通。
 おそらく祇園寺の石人像もまたその一つであるが、使命ある持ち場(墓)から連れ去られ、海峡を越え、人から人の手に渡った最後に、ここ祇園寺――古代朝鮮半島からやって来て調布を拓き、数々の技術を日本に伝えた渡来人が眠る寺――に安息の地を得て本来の使命を果たしているわけで、その不思議な因縁は、深大寺の国宝・釈迦牟尼仏の来歴に勝るとも劣らない。


朝鮮石人像(秩父美術館)
秩父美術館にある朝鮮石人像
文人(左)と武人(右)
やっと正体がわかった!



















● あの日見た花の名前をぼくは知っている

 埼玉県の小鹿野ハイキングの際に見かけた道端の花で、名前が判明しないものがあった。
 これである。

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 記事を読んでくれた数人から、「それはサフランモドキではないか」というコメントをいただいた。
 ネットで検索してみたら、まさにそう、ドンピシャ。

サフランモドキ(学名:Zephyranthes carinata)は、中米・西インド諸島原産で、ヒガンバナ科タマスダレ属の小形の球根植物です。別名でゼフィランサスとも呼ばれます。
サフランと似ているのが花名の由来です。雨後に一斉に花が咲くことから、英名では、レインリリー(Rain lily)とも呼ばれます。

原産地:中米・西インド諸島
草丈:30cm 
開花期:7月~9月
花色:桃
花径:7~8cm
かぎけん花図鑑より抜粋)

 ソルティが花の名前を調べるのにいつも利用しているのは、手持ちの数冊のポケット図鑑のほか、四季の山野草というサイトである。
 トップページの検索欄に「花びらの数」「花の色」「開花時期」「つる性か否か」などを打ち込んで検索をかけると、候補の花が画像付きでずらっと並ぶ。
 今回もポケット図鑑に見当たらなかったので、「四季の山野草」のお世話になった。
 「花びらの数→7枚以上、花の色→ピンク~赤、季節→夏、非つる性」と打ち込んだ。
 が、出てこなかった。

 なんと、サフランモドキの通常の花びらの枚数は6枚で、「まれに8枚」だったのである!
 花びらの数を6枚に設定して検索すると、ちゃんと出てきた。
 ソルティが小鹿野で出会ったのは、2枚サービスバージョンのサフランモドキであった。

 昨夕、家の近くを散歩していたら、路地の壁ぎわの日陰に見知った顔があった。
 こんな近くに咲いていたのか!

サフランモドキ

 こちらが通常の花びら6枚バージョンである。
 薄い桃色の花弁とスイセンのような線形の葉っぱが、涼やかにして美しい。
 きれいなのに出しゃばらず、静かでやさしげで、秘めやかに愛らしい。
 まるで着物姿の吉永小百合サマのよう・・・・。

 それにしても、サフランモドキという名前はあんまりだ。
 英名のレインリリーのほうがずっといい。
 ソルティは個人的に「ラブリーピンク」と命名した。



 



● ひばり芳紀17歳 映画:『伊豆の踊子』(野村芳太郎監督)

1954年松竹
98分、白黒

 美空ひばり主演ということで、旅芸人の少女に扮したひばりが、伊豆の名所をバックに子供離れした歌を披露するアイドル歌謡映画を想定していた。
 が、見事に裏切られた。
 これまた非常に質の高い一篇に仕上がっている。
 ひばりの歌はBGM風に2曲ほど流されるだけで、ここではしっかり一人の役者となっていた。

 それにしても17歳にしてこの芝居の上手さ、貫禄。
 やはり天才と言うほかない。
 上手すぎるのがかえって、生娘である踊子から初々しさを奪ってしまっていると感じられるほど。
 恐れずに言えば、ルックスやスタイルの点では、吉永小百合や山口百恵の踊子にはひけを取る。
 学生が(観客が)一目惚れするには説得力に欠けるように思われる。
 ひばりファンは絶対そうは思わないだろうが・・・。

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薫に扮する美空ひばり

 野村芳太郎監督は『五辯の椿』『砂の器』『事件』『疑惑』『八つ墓村』『八甲田山』などカラー映画で代表作が目白押しなので、そうとは気づかなかったが、白黒映画も実に上手い。
 いや、白黒映画にこそ本領が発揮されているかもしれない。
 たとえば天城峠に降る雨の風景など、白黒だからこそ出せる抒情性が本作には横溢して、実に見応えある。
 老人や子供などの演出も滅法うまい。
 音楽の木下忠司(木下惠介監督の実弟)はさすが地元出身だけあって、見事な叙景音楽を添えている。
 
 1963年の西河克己監督『伊豆の踊子』が踊り子役の吉永小百合に焦点をあてているのにくらべ、本作の焦点は意外にも大スターひばりではなく、学生役の石濱朗にあたっている。
 何より、ひばりよりも石濱朗のアップが断然多いのだ。
 そしてまた、当時19歳の石濱ときた日には、アップが決まる貴公子然とした美貌の主である。
 眼光けざやか目鼻立ちのくっきりした顔立ちは誰かに似ているなあと思ったら、菅田将暉であった。
 菅田将暉に気品と落ち着きを加えた感じか。 
 こんなに美しい男優とは思わなかった。
 
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学生役の石濱朗
 
 学生(私)に焦点を置くという点では、小百合バージョンよりも川端の原作に近いのではないかと思う。
 高橋英樹の学生にはなかった鬱屈や孤独が石濱の学生には付与されて、孤児根性に苦しんだ若き日の川端青年により近い。
 心なしか石濱の眼光のきらめきも、フクロウのようなギョロ目で相手をじっと見据える癖があった川端自身を彷彿とさせる。(ただし、川端は美男ではなく、若い頃は容貌コンプレックスの主だった)

 考えてみれば、若き川端の実体験を書いた『伊豆の踊子』は本邦の恋愛小説の代表作の一つとみなされているのだけれど、若い二人は手も握らなければキスもしない。(であればこそ、清純派アイドルが演じられる)
 いやいや、互いに思いを打ち明けもしない。
 ほんの4泊5日の旅の道連れに、恋が始まり、別れがやって来る。
 それがこうして小説となり、映画に(6回も!)なり、今日に至る伊豆のシンボルにもなるのだから、実らなかった恋のポテンシャルというのも馬鹿にならない。

 こうなったら、鰐淵晴子、田中絹代、内藤洋子ら他の踊子の映画も観たい。
 第7波が下火になったら、天城越えの旅に出たいものである。




おすすめ度 :★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損


● 盛夏の小鹿野・花と崖めぐり

 2018年の秩父34観音札所巡礼の際の心残りは、32番法性寺の奥の院に登った時、曇っていたことであった。
 晴れていたら、周囲を山と森に囲まれた目くるめくような岩山の頂きから、どんな景色が見えるのだろうと思った。
 また、小鹿野名物「ようばけ」も遍路道沿いに遠くから拝むだけで、通り過ぎてしまった。
 そこで今回は、32番札所から33番札所までの約8kmをリ・トレースしてみた。
 30度を超える炎天下であったが、里山の花々に力をもらい、ラストに待つ温泉&ビールを励みに、歩き通した。

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西武秩父駅のバスステーション

● 歩行日 2022年7月18日(月・祝)  
● 天気 晴れ
● 行程
10:20 西武秩父駅より小鹿野町営バス乗車(両神温泉・薬師の湯行)
10:50 長若中学校前下車
    歩行開始
11:20 秩父札所32番・般若山法性寺
    本堂~観音堂~奥の院(大日如来、お船観音)388m
13:10 出発
13:50 日本武(ヤマトタケル)神社
15:00 ようばけ
15:40 秩父札所33番・延命山菊水寺
16:10 星音の湯
    歩行終了
● 最大標高  338m
● 所要時間  5時間20分(歩行4時間10分+休憩1時間10分)

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長若中学校前バス停(ここまで500円)
秩父市街からヘアピンカーブ続きの峠を越えて小鹿野町へ至る
バス停から寺まで30分の歩き

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陽射しは強くとも里山歩きは気持ちよい

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木槿(ムクゲ)

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春車菊(シュンジャギク)とモンシロチョウ

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姫小百合(ヒメサユリ)

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おお、武甲山!
あの河岸段丘の向こうが秩父市街

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秩父札所32番・般若山法性寺(曹洞宗)
山門の2階に梵鐘がある

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生きとし生ける者の幸福を願いつつ、撞かせていただきました
(鐘は参拝の前に撞くのがしきたり)

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山門からは急な石段を上る
本堂を経て、観音堂
1707年(宝永4年)建立

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ここまで来ると深山幽谷の気配漂う

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奥の院への入口
藪と岩の山道を20分ほど登る
生半可な気持ちでは危ない

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平面に見えるが、かなりの傾斜
横に渡した鎖につまからずには登れない

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ほぼ垂直の岩場
てっぺんの岩穴に大日如来がおられます

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おお、如来さまが見えた!
最後のひと登り

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岩のてっぺんから下を見る
この鉄柵をつけた人、本当にえらい!

秩父巡礼4~5日 117
大日如来
ここで10分ほど瞑想する
(やはり高所は落ち着かない)

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大日如来が見ている景色(右手方向)
バス停からの道が見える

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大日如来が見ている景色(正面)
一寸先は奈落

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奈落
苔が生えているのがいっそうスリリング

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全長200mの巨岩の先にお船観音がおはします
雨の日、雪の日、風の強い日は絶対歩けない

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反対側から見る

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お船観音

秩父巡礼4~5日 122
岩の舳先側から
これが自分の限界

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お船観音が見ている景色
なんと、武甲山が見えるじゃありませんか

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来た道を戻る

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このあたりは昔日の風情を残し、秩父巡礼路でもっとも美しい

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ノウゼンカズラ

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タマスダレ(だと思うんだが)

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この花の名前がなかなか出てこなかった
四文字で「シ」がつくまでは思い出せたのだが・・・
(答えは記事の最後※に)

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日本武(ヤマトタケル)神社
古事記』の英雄ヤマトタケルが当地に来たことを由来とする
武甲山三峰神社のついでに寄ったのか・・・

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秩父はワインの産地でもある

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道に迷ったときに見つけるとありがたい

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こんな道、通ったっけ?
記憶のあやふやさに戸惑う

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日照りによる不作が心配だったが、ここ数日の雨で持ち直したよう

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小鹿野名物「ようばけ」現る!

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ようばけとは「陽の当たるがけ」の意
新世代新第三期の地層が赤平川によって浸食されてできた
国指定の天然記念物になっている

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崖の直下まで近寄ることができる

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地層からは、鯨・鮫・パレオパラドキシア・海亀などの化石が見つかる

パレオパラドキシア復元模型
パレオパラドキシア(復元模型)
(埼玉県立自然の博物館ホームページより)

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赤平川

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33番札所に向かう
タオルも下着も汗でぐっちょり、足も重い
ほとほと苦行僧のような自分

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秩父札所33番・延命山菊水寺(曹洞宗)

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入母屋造りの本堂
庭に「菊水の井」という井戸があったことからその名が付いた

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菊水紋
菊水の紋
楠木正成は後醍醐天皇より菊の紋を下賜され
それに流れる水をデザインした

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禅寺らしい簡素で落ち着いたしつらいに自然の美が映える

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この花の名前を僕はまだ知らない

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星音の湯に到着

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GOAL!!
一日のすべての苦労が報われて余りある瞬間


※花の名前の答え:ハシドイ――という名前の喫茶店に行ったことがあった!










 

● 尾瀬まるごとデトックス(第2日)

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尾瀬の朝
湿原に立ち込めた霧は朝日が射すと舞い上がる
(燧小屋の窓から)

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燧小屋の1階廊下

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朝食
最近では珍しく、ご飯をお代わりした
高級ホテルの豪華で盛沢山の食事より、こういったメニューが好き

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さあ、出発!
至仏山(2,228m)を目指して尾瀬ヶ原に踏み入る


● 歩行日 2022年7月2日(土)  
● 天気 晴れ
● 行程
07:30 燧小屋出発(1,400m)
    歩行開始
08:00 竜宮十字路
09:00 牛首分岐
09:50 山ノ鼻、植物研究見本園
10:40 アイス休憩(20分)
12:30 鳩待峠(1,591m)
    歩行終了
12:40 連絡バス乗車
13:15 尾瀬戸倉着(1,420m)
    昼食
    温泉、ネイチャーセンター(尾瀬ぶらり館)
15:30 高速バス乗車(川越観光)
18:30 川越駅西口着
● 最大標高  1,591m
● 歩き標高差 191m
● 所要時間  5時間(歩行3時間30分+休憩1時間30分) 


7月初旬の尾瀬の花シリーズ2

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ワタスゲ(綿菅)

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拡大画像
カヤツリグサ科
花言葉「揺れる思い」

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ニッコウキスゲ(日光黄菅)
鹿の大好物のため数が減少している
蕾は中華料理にも使われるとか
尾瀬ではこれからが見頃

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カキツバタ(杜若)

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拡大画像
らごろも(唐衣)
つつなれにし(着つつ慣れにし)
ましあれば(妻しあれば)
るばるきぬる(はるばる来ぬる)
びをしぞおもふ(旅をしぞ思ふ)
――と平安の色男・在原業平が『伊勢物語』に詠んだ

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オゼヌマタイゲキ(尾瀬沼大戟)

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拡大画像(四季の山野草より)
名前とは裏腹に尾瀬沼にはほとんど見られず、
尾瀬ヶ原に咲いている


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牛首分岐

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池塘(ちとう)
湿原の泥炭層にできる水たまりのことを言う
尾瀬ヶ原には1800個以上の池塘がある

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池塘を覗いてみると

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イモリ(井守)や

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ルリイトトンボ(瑠璃糸蜻蛉)や

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燧ヶ岳の姿も!

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木立のない木道は直射日光をまともに受け、肌が灼かれる
が、いったん風が吹くと天にも昇る心地

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山ノ鼻にある尾瀬ロッジで一休み

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至仏山のふもとにある植物研究見本園を散策

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山ノ鼻からは森の中を200mほど登る

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木立が作る日陰がうれしい
前方から来るたくさんの尾瀬入りハイカーとすれ違う
週末はやっぱり混んでいる
梅雨明けと同時にコロナ明けの気配
マスクしている人も少なかった

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鳩待峠(1,591m)に到達し歩行終了
ここから連絡バスで尾瀬戸倉まで下りる(1000円)

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尾瀬戸倉にある「尾瀬ぶらり館」(東京電力の施設)
かすかな硫黄臭がする日帰り温泉(600円)に浸かり、
併設の尾瀬ネイチャーセンターで尾瀬の自然を学ぶ(無料)

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駐車場近くに弘法大師神社を発見!
お大師様を祭神とする神社をはじめて見た

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お堂内にはたしかにお大師様が安置されている
由緒書きがなかったが、いわれが気になる
よもや尾瀬に来てまでお大師様に会うとは!

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帰りは川越観光バス
昨日三平峠で会ったご婦人2人は姿を見せず
やはり間に合わなかったか・・・
帰りはシートを倒してほぼ熟睡

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次は燧ケ岳登山にチャレンジするかな?
尾瀬ほどリピーター率の高い観光地は他にないのでは?












● 尾瀬まるごとデトックス(第1日)

 猛暑続きの首都圏から一時的に逃がれ、鋭気を養うべく、4年ぶり2度目の尾瀬に行った。

 前回は、浅草から東武特急リバティに乗って会津高原駅下車。
 バスに乗り換え、奥会津の秘境・檜枝岐村を通過して沼山峠に。
 そこから尾瀬沼、見晴(みはらし)、尾瀬ヶ原、三条の滝、御池とめぐり、再び会津高原駅から帰途に着いた。
 つまり、インもアウトも福島県。

 今回は、群馬県から尾瀬入りして、群馬県から出るルートを選んだ。
 アクセスは首都圏と尾瀬戸倉(群馬県利根郡片品村)を結ぶ高速バスを往復利用(8000円)。
 宿は前回同様、見晴の燧(ひうち)小屋を取った。

 尾瀬は福島と群馬と新潟の県境にある。

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三平峠に設置されたマップ

● 歩行日 2022年7月1日(金)  
● 天気 晴れ
● 行程
07:30 川越駅西口より高速バス「尾瀬号」乗車(関越交通)
10:30 大清水着(1,190m)
11:00 低公害車両(小型バン)乗車
11:15 一ノ瀬着(1,420m)
    歩行開始
12:25 三平峠(1,762m)
    昼食休憩(30分)
13:10 尾瀬沼(三平下)
14:15 沼尻
16:35 見晴(1,400m)
    歩行終了
● 最大標高  1,762m
● 歩き標高差 362m
● 所要時間  5時間20分(歩行4時間+休憩1時間20分) 

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大清水(標高1,190m)
平日のため高速バスは非常に空いていた
尾瀬の入口、大清水もご覧の通り

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低公害車両(700円、30分ごとに出発)
木々の間の舗装路をゆっくり登っていく
地元の高齢者が運転している

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一ノ瀬(1,420m)
ここから歩行開始
もはや携帯のアンテナは立たず

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よく整備された木陰の道続きなので助かる

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いきなりバンビとの出会い
来た甲斐あった~

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尾瀬は清水の宝庫
ところどころにちょうど良く水場がある
もちろん味は格別!
  
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三平峠頂上(1,762m)
家から持ってきたパンを食べる
高齢女性の二人組と会話したが、予定を伺うとかなり厳しいプラン
明日の帰りは同じバスのようだが、大丈夫だろうか?

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尾瀬沼に到着
日本百名山・燧ケ岳(2,356m)を臨む
ここから沼の南岸を歩く
アップダウンの続く結構タフな道だった


7月初旬の尾瀬の花シリーズ1

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ミズバショウ(水芭蕉)に間に合った
成長しすぎて葉っぱは棕櫚かバナナのよう
便所タワシのような花は、可憐というよりグロテスク?

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タテヤマリンドウ(立山竜胆)
花言葉は「物思い」

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コバイケイソウ(小梅蕙草)
有毒なので花言葉どおり「遠くから見守る」べし

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レンゲツツジ(蓮華躑躅)
これも有毒で花言葉は「情熱」
カルメンのような花だ

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ハナニガナ(花苦菜)
その名の通り、齧ると苦いとか・・・


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沼尻
ここまででTシャツは汗でぐっちょり
上半身裸になって甲羅干しできるのも人が少ないゆえ

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沼尻からみる尾瀬沼
ここからまた山道に入る

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待ちに待った水場
天然のミネラルたっぷり

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電磁波が体から抜け、清新な“気”が満ちる
「ああ、体がデトックスを欲していたのか」と気づく

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やったー! 見晴(みはらし)だ!
至仏山を望む

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キャンプ場には色とりどりのテントが開く
これも夏の尾瀬の花

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燧(ひうち)小屋
見晴のちょっと奥まったところにあるので静かで落ち着く
檜風呂もじんわり気持ちいい

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夕食
地元の食材を使った素朴な味がうれしい
量もちょうどいい

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夕食後は夕焼け見物

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見とれていたら、脛を虫に刺されて痒いのなんの
尾瀬では短パンはNGと知る

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シャクナゲ(石楠花)色に染まった雲
明日も晴れるぞ!



第2日に続く
















● 本:『四国辺土 幻の草遍路と路地巡礼』(上原善広著)

2021年KADOKAWA

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 『今日もあの子が机にいない』『断薬記』と上原の本が続いているが、本作こそまさにソルティのツボにはまった一作。
 むろん、自分が四国歩き遍路をしているからである。
 本文に出てくる地名や札所の名前から周辺の情景がさあっと目の前に立ち上がってくるし、著者が5年かけて歩いたという遍路旅のいろんなエピソードも、似たような経験をしているので、「うんうん、わかる」「そうそう」と共感を持てる部分が少なくない。
 呪縛されたように読んだ。
 
 上原が四国を歩こうと思ったきっかけは、『断薬記』に書かれているように、睡眠薬依存からの脱却を願ってのことだった。
 たしかに、新鮮な空気を吸いながら美しい風景の中を毎日20~30キロ歩いていれば、よく眠れるようになる。
 そこで四国遍路のことをあれこれ調べているうちに、本書のテーマが育ったらしい。
 それは大きく3つに分かれる。
 
 一つ目は、上原の十八番ともいえる路地、いわゆる(元)被差別部落をめぐるルポ。
 四国の路地は遍路沿いに多く存在しているので、その来歴や現状をスケッチする。
 大宅壮一ノンフィクション賞を取った『日本の路地を旅する』の四国遍路版といったところか。
 
 私が乞うのは米や金でなく、多くは路傍に落ちている小さく悲しい話だ。四国を旅しながら路地を回り、いろいろな人に話を乞うてまわろうと思った。遍路道沿いに落ちこぼれている話を乞いながら巡礼しよう、それが私のへんど旅になるのだと。 

 ここではやはり、100年前の福田村事件で朝鮮人と間違われて虐殺された行商人グループの故郷、香川県の路地(70番本山寺付近)を訪ね、「福田村事件真相調査会」の会長であった人物に話を聞くくだりが興味深い。
 
 犠牲者の遺体はすべて川に流されたため、今も香川の路地にある墓には遺骨が入っていない。 

本山寺
第70番本山寺


本山寺付近
本山寺付近の遍路道沿いの風景
 
 二つ目は、草遍路――すなわち四国巡礼が日常とも生き方ともなっている乞食遍路(「へんど」と言う)――についてのルポ。
 ソルティも数人見かけた。
 たいがいが、大きなリヤカーやキャスター付きのカートにてんこ盛りの荷物を積んで歩いていた。
 一種異様な近寄りがたい雰囲気があり、会話することはなかった。
 中には明らかに精神疾患を抱えているらしく、独り言をわめきながらリヤカーを引いている男もいた(結願寺近かったので喜びの誦経だったのかもしれないが)。
 また、草遍路ではないが、お四国病と言って、四国遍路に憑りつかれ暇あれば歩きにやって来る人も多かった。
 そういう人たちの納経帳は御朱印で真っ赤だった。

 本書で上原は、幸月とヒロユキという2人の草遍路について詳しく取り上げている。
 NHK「にんげんドキュメント」に出演したほどの名物へんどになったものの、こともあろうに番組出演がきっかけとなって、過去に起こした傷害事件がばれて逮捕されてしまった幸月。筑豊に生まれ、少年時代から窃盗を繰り返し鑑別所や刑務所の常連、戦時中は志願兵としてジャングルで闘い、戦後は闇市の売人、山谷の日雇いから土建業、その波乱万丈の生涯は昭和史そのもの。
 一方、不登校から親に精神病院に入れられた過去を持ち、どこの職場でも人間関係がうまくいかず釜ヶ崎でホームレス生活20年、還暦をこえてやっと四国遍路に安住の地を見出したヒロユキ。
 対照的な性格や来歴をもつ2人が、同じ四国遍路ですれ違い、同じ篤志家の世話になったのはどういった因縁によるものか。 
 上原はヒロユキを托鉢の師匠と仰ぎ、托鉢作法を習い、お椀をもって遍路沿いのスーパーに立つ。
 初心者の上原がなぜか師匠より多く稼いでしまい、プライドを傷つけられたヒロユキが電飾を使ったパフォーマンスを繰り広げて屈辱を晴らす場面がおかしかった。

 三つめは、上原自身の遍路旅の実況ルポ。
 旅の途上でのハプニングや、同宿の遍路仲間やお接待してくれた土地の人々との交流などが描かれる。
 四国遍路の歴史やあちこちの札所や遍路宿や名所のこぼれ話にも興味が尽きない。
 本を書くという目的あっての遍路とは言え、行く先々で面白い人と出会い、風変りな話や味わい深い話を引きだしてしまう上原の才能に感心する。
 ソルティももっと気持ちの余裕と体力あったら、善根宿やお寺の通夜堂に泊まって、いろいろな人の話を聞きたかったが、まずは1400キロ歩き通すのが先決だった。
 次の機会あれば・・・・(こうしてお四国病になっていく)

 本書を読んで改めて思った。
 四国遍路の深さというのは、つまるところ人間の業の深さなのだ。
 道もアクセスも情報ツールも昔よりずっと良くなり、観光化・国際化・カジュアル化・アスレチック化・RPG化しているのは間違いないところだけれど、底流にあるのは生きることの苦しさ・空しさ・哀しさに惑う人々が織りなす長い長い負の歴史であり、お大師様信仰による浄化や許しや悟りを乞う祈りの道なのである。
 ソルティの四国遍路は、深い河の表面をわずかに掠めただけであったけれど、足先についた河のしずくによって、河そのものとつながってしまったような気がしている。

自撮り(遍路姿影)




おすすめ度 :★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損





● この山は誰のもの? 武甲山(1304m)に登る

 とうとう武甲山に登った!
 秩父札所巡りや秩父リトリートの間、ずっと山麓から仰いできた雄大なる秩父のシンボルに、石灰岩採掘のために削りまくられ無残な姿を晒している甚大なる自然破壊のシンボルに、ついに足を運んだ。

 1000m以上の山に登ったのは実に3年ぶり。
 2019年5月の丹沢の鍋割山(1272m)以来であった。
 2019年12月の左足かかと骨折の後遺症で長く歩けなくなったため、平地や低い山のウォーキング・リハビリを続けてきたが、これで文字通り一つの山を越えた。

DSCN5104
武甲山北面
南面は自然が残っているというが、はたして・・・・

● 登山日 2022年5月28日(土)  
● 天気 晴れ
● 行程
09:30 西武秩父線・横瀬駅よりタクシー乗車
09:45 一の鳥居
    歩行開始
10:25 不動の滝(休憩10分)
11:10 大杉の広場(休憩10分)
12:10 武甲山御嶽神社
12:20 山頂
    昼食休憩(60分)
13:20 下山開始
14:00 長者屋敷ノ頭(休憩20分)
15:30 林道出合
16:10 秩父札所28番橋立堂(休憩20分)
16:45 秩父鉄道・浦山口駅
    歩行終了
● 最大標高  1304m
● 標高差   登り787m、下り1062m
● 所要時間  7時間(歩行5時間+休憩2時間) 

Yokoze-sta
西武秩父線・横瀬駅
ここから一の鳥居までタクシーで12分(2220円)
駅から歩くと2時間かかる

DSCN5040
一の鳥居
武甲山は山頂に御嶽神社をもつ神の山である

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30台入る駐車場はすでに満杯
鳥居横の山道に30~40台が縦列駐車していた
この山の人気ぶりがうかがえる

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丁目石
このような石が一丁(109m)毎に52丁目まで置かれている。
あとどれくらいあるか分かるので励みとなる。
一の鳥居が1丁目。

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不動の滝
毎日この水を汲みに来る人もいるとか。
もちろんソルティもマグカップに満たした。

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山道がそのまま参道であるためか
渓流(生川・うぶがわ)が伴走しているためか
清新な気が満ちていた

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広葉樹から針葉樹へ。たしかに南面の自然はかろうじて保たれている。

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立ち枯れた木の洞に何かが・・・

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かわいいお地蔵さんでした(31丁目)

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大杉の広場
ちょうど1000m地点。山頂まであと50分。
結構汗を絞られる。

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大杉

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ゴジラ? タツノオトシゴ?
倒木の根っこ

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反対から見る
ジョーズ? 象が「パオーン」?

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浮き上がっている根っこが多いのは岩盤が硬いせいか

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石灰岩がゴロゴロ
歩きづらいったらない!

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武甲山御嶽神社に到着!
由緒書きによれば、第12代景行天皇の御代(約1900年前)
日本武尊(ヤマトタケルノミコト)ご東征の折、
山頂に甲(かぶと)を埋めて関東の鎮護としたのが起源。

DSCN5064
鳥居下に52丁目石発見
1丁(109m)×51=5,559m 歩いたことになる。
隣の石碑の「武蔵国神社」は別称。

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拝殿
祭神は日本武尊(ヤマトタケルノミコト)
少彦名命(スクナビコナノミコト)
大山祓命(オオヤマヅミノミコト)ほか

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山頂(1304m)はそれほど広くない

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1900年(明治33年)の測量では標高は1,336メートルだったという。
採掘のため破壊されて、低くなってしまった。

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ワオー!!

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画像をアップ
慣れ親しんだ秩父の街がジオラマのように見える。
左中ほど、巨大な秩父公園橋が竹ひご細工のよう。
中央、住宅地の中の島のような森が秩父神社。

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さらにアップ
あの橋の上に立って、今いるこの場所をいかに遥かに感じたことか!

秩父公園橋から見た武甲山
秩父公園橋から望む武甲山(他日)

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横瀬町方面

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横瀬町にある
三菱マテリアル横瀬工場

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小鹿野町方面
うっすらと浅間山が覗いている

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御嶽神社前の広場で昼食
マスクをはずしたハイカーで賑わっていた。と、
ズバーン!
岩盤を破壊する発破の音が山中に響いた。

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下山開始まもなく、木々の間より両神山出現!
次は貴殿が目標です。

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下山路は最初のうちこそなだらかであったが、
石と木の根っこばかりの急斜面に転じ、
非常に足首と膝にこたえた(途中からサポーター装着)。

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長者屋敷ノ頭
こんな山中に長者屋敷があったとは思えない。
どういった由来なのだろう?

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橋立川の沢音が聴こえれば、山道の終わりは近い。

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渓流のある山って良いなあ、特に夏場は。

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林道の途中に見かけた滝
画像には映らないが虹がかかっていた

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秩父札所28番橋立堂横の茶店
ソフトクリームを食べた

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石灰岩の岸壁(高さ75m)
中が鍾乳洞になっている

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橋立堂
生きとし生けるものが幸わせでありますように。

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秩父鉄道・浦山口駅に到着
秩父鉄道も今春やっとSUICAを導入した。
切符を購入している間に列車が行ってしまう悲劇(喜劇?)とおさらばだ。

西武秩父駅
「秩父祭りの湯」で汗を流して、西武鉄道で帰宅

 
 7時間の道中、踵や膝の痛みで足を引きずることはなかった。
 進歩である。
 だが、温泉で温めたとたんに痛みが強くなり、そこからはびっこになった。
 一夜明けた今もまだ、普通にまっすぐ歩くことができない。(筋肉痛もあるが)
 足を酷使したあとは温めずに冷やしたほうがいいと分かっているのだが、やっぱり登山後の温泉(と生ビール)は欠かせないのである。

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 武甲山は思ったよりずっと美しく、清新な気が漂う気持ちのいい山であった。
 それというのも、登山道からは北面の採掘現場が一切目に入らないようになっているからである。
 きれいな部分だけ見させてもらった。

 いったいいつまで採掘を続けるつもりなのだろう?
 












 
  
  

● みちのく・仏めぐり その3


5月1日(日)曇りのち雨 郡山~会津若松~大宮

 郡山駅8:29発の磐越西線に乗る。
 磐梯山を車窓の左に右に前に後ろに望みながら、会津若松到着。
 駅前のバスセンターで軽食を取りながら、坂下(ばんげ)行きのバスを待つ。

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会津磐梯山は宝ぁのや~ま~よ

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会津若松駅

 勝常寺は会津若松市の北に位置する湯川村(福島で一番小さい村)にある。
 鶴ヶ城、さざえ堂、飯森山(白虎隊十九士の墓)、七日町通り、東山温泉・・・会津若松観光の定番スポットには入っていない。
 これは勝常寺の存在とその素晴らしさがよく知られていないからであろう。
 ソルティも過去に2度会津若松に来ているが、知らなかった。

 だが、自信を持って言える。
 会津若松に来て勝常寺に行かないのは、京都に来て無鄰菴に行かないようなもの、金沢に来て鈴木大拙館に行かないようなもの、長野に来て戸隠神社に行かないようなものである。
 つまり、静けさと清らかさとゆったりした時の流れを愛する、“通”な大人向けの観想空間である。
 いまの住職があまり観光やら人寄せやらに興味を持っていないのも一因である(と村の人は言っていた)らしいが、本来ならもっと注目を浴びてもいいお寺である。
 なんといっても所蔵の仏像たちがあまりに見事すぎる!

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「道の駅あいづ」でバスを下りる
ここから歩いて15分

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広大な田んぼの間を縫ってゆく
奥に見える森がお寺のあるところ

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参道
地元の人が協力して黒い板塀に揃えたとのこと

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勝常寺

 勝常寺は大同2年(807)、法相宗の徳一上人によって開かれた。
 徳一は最澄との間で繰り広げた三一論争で有名であるが、二十歳にして塵埃まみれの都から草深い会津に移り住み、恵日寺や勝常寺を建立し、当地で仏教を広めた道の人である。その生涯は謎に包まれている部分が多い。(おかざき真理の『阿吽』ではやたらと背の高い隻眼の坊主というキャラである)
 ともあれ、空海、最澄の両天才と同じレベルで論争できたのだから、その学識や思考力や弁論術の高さが比類ないものだったのは間違いなかろう。

 往時の勝常寺は七堂伽藍が奈良の古寺のように整然とたちならび、大勢の僧侶が学問していたという。法相宗の中心教義たる唯識論を学んでいたのだろう。
 鎌倉時代に真言宗に鞍替えして現在に至っている。

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薬師堂(元講堂)
応永5年(1398)再建
国指定重要文化財

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収蔵庫
国宝の木造薬師如来像と日光・月光菩薩像のほか
平安初期の仏像が9体もある

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湯川村の案内パンフレットより
実物の荘厳さ・迫力・気品ある美しさには
思わず膝をつき手を合わせてしまった

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徳一上人の像もあった!
なかなかふてぶてしいご尊顔

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境内は緑豊かで実に気持ちいい
昭和61年に皇嗣時代の令和天皇が訪れている

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本堂
平成22年6月に新築された

 心ゆくまで仏像と対話し所蔵庫を出たら、雨が降ってきた。
 雨宿りできるところはないかと思ったら、お寺の前に休憩所兼みやげ物屋らしき小屋がある。「角屋」とある。
 入ってみたら、天井や壁が竹細工で内装された洒落た造り。
 地元でとれた米や酒、工芸品などが置かれていた。
 店番の人によると、農機具の収納小屋だったものを改装したとのことで、なんとこの4月末にオープンしたばかり。
 村起こしのためいろいろ工夫して頑張っている様子が窺えた。

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角屋

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地元の人と交流できるのも魅力である

 ここで「湯川たから館」のチラシを見つけた。
 常設展として「湯川が生んだ撮影監督 高羽哲夫の軌跡」を展示しているという。
 高羽哲夫の名前は知らなかったが、彼の撮影した映画は有名である。
 なんと、山田洋次監督とのコンビで渥美清主演『男はつらいよ』シリーズの第1作から第48作までを撮っているほか、高倉健主演『幸福の黄色いハンカチ』や倍賞千恵子主演『霧の旗』などのカメラを担当している。
 湯川村出身だったのだ。
 『男はつらいよ』シリーズを順繰りに観ていこうかな~、と思っていた矢先のこの出会い。これを宿縁と呼ばずになんと呼ぼう(偶然?)
 そぼ降る雨の中、お寺の裏手にある「たから館」に足を向けた。

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高羽(たかう)という姓は湯川村でも珍しいらしい

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湯川たから館

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第1作から最終作まで、時代を映すポスターの列は壮観

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ゴッホを愛読していたというのが興味深い
ゴッホの光と影に学んだのだろうか?

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撮影現場の後藤久美子と高羽哲夫
ゴクミが国民的美少女と言われたころ

 寅さんファン、日本映画ファンなら、一度は訪れる価値がある。
 勝常寺、たから館、そして「湯川村が一枚の田んぼ」と言われる昔ながらの田園風景も都会人には新鮮である。
 新しい会津若松の観光スポットになる日も遠くあるまい。
 
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湯川村はコシヒカリの名産地
(湯川村案内パンフの写真より)

 郡山に戻り、東北本線に乗る。
 帰りの窓外はずっと雨。
 角屋で買った凍み餅をかじりながら、『チボー家の人々』を開いた。

凍み餅
もち米・うるち米・紫黒米をつき、自然乾燥して味付けたもの


 振り返ってみれば、お墓とお寺をめぐった旅であった。
 仏に出会う旅。これがソルティの黄金週間か。



 終わり





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