ソルティはかた、かく語りき

東京近郊に住まうオス猫である。 半世紀以上生き延びて、もはやバケ猫化しているとの噂あり。 本を読んで、映画を観て、音楽を聴いて、芝居や落語に興じ、 旅に出て、山に登って、仏教を学んで瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

●旅・山登り

● ジパング現象 : 初春の京都・寺めぐり 3

 3日目は土曜日だったので、街中を避けて郊外へ足を延ばした。
 栂尾(とがのお)に行くのは初めて。
 街中からバスでちょうど1時間、北山杉の林立する谷深い山中に入る。
 時折、桜吹雪と見まがうような雪が舞ったが、それもまた風情があった。

3月9日(土)曇り、一時雪
08:00 宿出発
08:37 四条烏丸バス停より市バス乗車
09:40 栂尾着
     高山寺
11:00 西明寺
12:00 神護寺
13:00 昼食
13:50 高雄バス停より市バス乗車
15:00 四条烏丸着
17:00 京都駅発

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栂尾バス停
市バスの終点である
市バスは一律料金なので、1時間乗っても大人230円
ずいぶんお得である

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高山寺
774年創建、光仁天皇の勅願と伝わる
国宝・石水院は、鎌倉時代に明恵上人が後鳥羽上皇より賜った建物
善財童子像の向こうに庭が見える

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今時分がいちばん殺風景な頃合いであろう

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欄間にかかる額『日出先照高山之寺』は後鳥羽上皇の筆による
寺名の由来となった

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座敷より山々を望む
紅葉の頃はさぞかし壮麗であろう
古都』執筆中の川端康成はここで長時間眺め過ごしたという

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明恵上人
『鎌倉殿の13人』北条泰時と同時代の人である
生涯にわたり夢日記をつけた人としても知られる

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国宝・鳥獣戯画(平安~鎌倉時代)
複数の作者によって段階的に描かれたとされる

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蛙とウサギの絵は有名だが、猫やネズミもいたのね

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明恵上人のお墓
高山寺はお茶の発祥地と言われている
明恵上人が中国から持ち帰った茶種を当地で栽培したのが始まり

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谷を流れる清滝川沿いに寺から寺へと歩くのが気持ちいい

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西明寺
弘法大師の弟子智泉によって神護寺の別院として開かれたのが始まり
この本堂は1700年に5代将軍綱吉の母・桂昌院の寄進により再建されたもの
千手・十一面観音菩薩像(平安時代)や愛染明王(鎌倉時代)など見事な仏像に時を忘れる

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苔庭の枯れた風情もまた良い
案内してくれた住職によると、「静かなのは今だけ。紅葉の頃は大変な人出」
最近は外国人参拝客も多いそうである
たしかに、「さすがにここでは会わないだろう」と思って来たのに、3組の外国人グループとすれ違った。

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聖天様が祀られていたのに驚いた
大根と巾着がなによりの標
元禄時代に聖天様を勧請し堂を建てたとのこと 

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3つのお寺はそれぞれ山の上にあるので、登って降りてを3回繰り返さなければならない
足が動くうちに行きたいところに行っておくことの大切さをひしひし感じる今日この頃である

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神護寺
ここから山門まで結構きつい

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平安京造営の最高責任者であった和気清麻呂による創建
824年に神護寺と命名された
広々とした境内は気宇壮大にしてエネルギーが満ちている

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大師堂
留学していた唐から京都に帰った弘法大師は、当地にしばらく住んだ
ここで恵果から学んだ密教の教えを広め始めた
つまり、真言宗誕生の地

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金堂(1623年再建)
本尊は国宝の薬師如来像
厳めしい表情と農婦のように逞しく肉厚な体つきが特徴的
左右に居並ぶ十二神像のダイナミックな動きにも目を奪われる
もう一つの目的であった国宝・五大虚空蔵菩薩像は期間限定の開帳(次は5/10~13)
今年7月には上野の国立博物館で神護寺展が開かれる
虚空蔵菩薩にも会えるといいのだが・・・

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素焼きの小皿を谷に向かって投げる「かわらけ投げ」という験担ぎがある
戦国時代、武将が出陣する際、必勝祈願で盃を地面に投げつけていたのが起源
神護寺が発祥地とされているそうで、ちゃんと投げる場所がある

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たしかに、何かを投げたくなるような絶景が広がる
神護寺に来たら、ここに来ない選択はない
1000年以上前、空海が見たまんまの景色である
京の都からこの深い山中まで、僧として最高位にいた最澄は密教の教えを請いに来た
最澄の謙虚さ、仏法への信心の篤さは見上げたものと思う

神護寺うどんやうどん屋
山腹にある茶屋でひとやすみ
客は3組ほど
小雪が舞っていた

神護寺もみじうどん
もみじうどん(900円)

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高雄バス停
清澄な空気の中、静かな谷歩きと名刹めぐりが満喫できた


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 今回の京都旅でつくづく感じたのは、外国人旅行客の多さであった。
 それも実に多国籍。
 京都タワーの周辺には民家を改造した旅籠(はたご)のような旅館がたくさんあって、洋風ホテルでなく和風の生活を楽しみたい外国客であふれていた。
 昔からある路地裏の個人経営の喫茶店や食堂にも外国人の姿が見られ、店の人の応対ももはや手慣れたものであった。
 今回ソルティが訪ねた中で外国人の姿を見かけなかったのは、一日目の風俗博物館と二日目の瑞泉寺だけであった。
 ソルティのような京都好きの日本人でさえ、なかなか訪ねていかないところまで入り込んでいる。
 インターネットとりわけSNSの力であることは言うまでもないが、それにしても、「なぜ、日本?」という不思議な思いは拭いえない。
 たしかに日本には素晴らしい自然や文化遺産や工芸品がいっぱいあるけれど、それは日本に限ったことではない。
 治安の良さや食べ物の旨いのは昔からだ。
 やっぱり、相対的な物価の安さが大きいのだろうか。
 一方、四国遍路にチャレンジする外国人の多さは、そればかりが理由ではないことを告げているような気もする。
 21世紀初頭の日本が、世界にとってまさに「ジパング」になっていることの意味を考えさせられた。

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これこそ「黄金の国ジパング」の象徴である






 



● 自転車で修学旅行 : 初春の京都・寺めぐり 2

 今回の旅の目的の一つを書き忘れていた。
 八坂神社である。

 2018年12月に最寄り駅の階段から転落して、左足かかとの骨を折って入院した。
 無事手術を終えて退院する明け方、京都か奈良のどこかの古い泉で湧水を飲む夢を見た。
 甘く美味しい水だった。
 今年になって、サンドウィッチマン出演の旅番組を観ていたら、
 「あっ、ここ夢で見た水飲み場だ!」
 それが八坂神社境内の御神水(ごじんずい)だったのである。

 もちろん、八坂神社には何十年も前に行ったことがあるので、記憶に残っていた映像が夢に現れたのであろう。そこに不思議はない。
 が、ここを訪ねて水を飲みなさい、といういずこからの声を聞いたように思った。
 こういったスピリチュアルな直観は大事にするソルティである。

 2日目は八坂神社以外、とくに予定を決めてなかった。
 嵐電に乗って広隆寺の弥勒菩薩に久しぶりに会いに行くことにした。
 昨年訪ねた中宮寺の弥勒菩薩と比較してみるのも一興。
 そこから自転車をレンタルして、龍安寺、金閣寺と、黄金の修学旅行コースを回ることにした。

3月8日(金)晴れ時々曇り、一時小雨
08:00 宿出発
08:10 八坂神社
      市バスと嵐電に乗って太秦広隆寺へ
09:30 広隆寺
10:40 東映映画村
12:30 昼食
      自転車レンタル 
13:30 龍安寺
14:40 金閣寺
16:15 六角堂
16:50 瑞泉寺
17:20 自転車返却後、河原町散策

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八坂神社
主祭神は素戔嗚尊(すさのをのみこと)
疫病退治の神として、コロナ禍で大活躍された

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本殿
この地下に青龍の棲む龍穴があるという

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御神水
夢見たとおりの甘く柔らかい水であった
ご利益がありますように

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嵐電で太秦広隆寺へ
実に40年ぶりの訪問

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上宮王院太子殿
1730年に再建された入母屋造のお堂
本尊は聖徳太子像
太子建立の寺と言われているが、実際は渡来系の秦河勝(はたのかわかつ)の可能性が高い

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弥勒菩薩半跏思惟像    
64年前、この像に魅せられてジュディ・オング京大生が思わず抱きついてしまい、
薬指を折ってしまったという伝説の仏像(そのせいか今も監視の目が厳しい)
個人的には奈良の中宮寺の像のほうが、高貴で慈悲深い感あって好き

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中宮寺の弥勒菩薩像

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東映太秦映画村
訪れたのは中学の修学旅行で『銭形平次』撮影中の大川橋蔵と香山美子を目撃して以来
ずいぶん様変わりしていて驚いた
いまや撮影所というより巨大テーマパーク(大人の入村料2400円)

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港町の風景
5分に1回、水中から怪獣が現れ、水しぶきを吐く
(東映なのでゴジラではない)

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オープンセット
江戸の街並み
はるか先に望むは方角的に嵐山だろうか

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銭形平次の住む長屋風景

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江戸吉原通り
子連れの親たちがここを子供にどう説明するか見物である

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一日数回、芝居小屋(中村座)で忍者ショーを実演している(見物無料)
さすがに迫力あるアクションシーン
遠足で来た園児たちが目を丸くしていたのが可愛かった

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映画文化館
ここが一番の目的
1階は美空ひばり展示館、2階は映画記念館

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日本映画の名作、名優、名監督、名スタッフらの仕事が紹介されている
映画好きにはたまらない空間

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マキノ雅弘監督『お艶殺し』(1951)のポスター
谷崎潤一郎原作、山田五十鈴・市川右太衛門共演
フィルム現存するなら観てみたい

昼食は村内のうどん屋で
京都名産九条ネギをふんだんに使った「九条ネギうどん」が爽やかな苦みで胃袋を熱くした
映画村近くの HELLO CYCLINGステーションで電動アシスト自転車を借りる
ここからサイクリング開始

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臨済宗龍安寺
1450年に細川勝元が創建した禅寺
京都人の言う“先の大戦”すなわち応仁の乱(1467-1477)で焼失したが、1499年に再建
有名な石庭はその際に造られたという

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庭園の梅の花が見事
外国人旅行客の撮影スポットと化していた

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外国人観光客はこれを見て、何を思うのであろうか
仏道修行15年のいまソルティ思うに、この庭のテーマは「色即是空、空即是色」なのでは?
岩が「色」を示し、地の白砂が「空」を表す
「空」から起こった心のさざなみが、澱みを生み、凝り固まって岩となる
すなわち「我」が誕生する

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漢字クイズのような銭形のつくばい
水戸黄門が寄進したという
4つの漢字が隠されています
わかるかな?

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石庭で有名な寺だが、鏡容池を囲む庭も風情があって良い

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きぬかけの道を気持ちよく走って金閣寺へ
外国人:日本人=7:3くらいの比率だった
3組の外国人の写真撮影に協力した

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ここで空がにわかにかき曇り雨が落ちてきた
慈悲の瞑想をすること10分、雲間より青空がのぞいた
陽が射すと射さないとでは、景色がまったく違う

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ここも一応、臨済宗の禅寺なのだが、そうは見えない
豪華絢爛ぶりは藤原氏の宇治平等院といい勝負と思う

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1950年、見習い僧による放火で全焼、その後再建された
外国人旅行客の中には、三島由紀夫の小説や市川崑の映画で興味を持った人も多かろう

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京の街中を下ル
路地を縦横無尽に走れるのが自転車の魅力

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昭和がたっぷり残っていて、嬉しくなる
一条千本通付近のアパート

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六角堂(天台宗紫雲山頂法寺)
三条烏丸通り、ちょうど京都観光マップの中心あたりに位置する
聖徳太子創建という伝承があるが、実際の創建は藤原時代(10世紀後半)と想定される
華道、池坊発祥の地としても知られる

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名前の由来は本堂が六角形をしているから

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隣のビルのエレベータから見下ろす

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そのまま三条通を東進したら、鴨川ほとりに気になる寺があった
浄土宗慈舟山瑞泉寺
門前に自転車を止めて参詣する

瑞泉寺由来
豊臣秀吉の甥っ子で養子となった秀次ゆかりの寺であった
秀次は関白の地位まで上るも、秀吉と淀君との間に秀頼が生まれたことにより、
一転、秀次は邪魔者となった
石田三成らの奸計で謀叛の罪をかぶせられ、自刃させられた(1595年)

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同時に、秀次の息子、娘、34人の側室は鴨川の河原で惨殺された
一族の菩提を弔うために、瑞泉寺は建てられたそうな(1611年)
境内には、秀次はじめ亡くなった一族の墓がある

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境内にある地蔵堂
亡くなった一族および家臣たちをかたどった49体の京人形が地蔵菩薩を囲んでいる
合掌

 宿に帰ってスマホで調べていたら、なんとびっくり!
 瑞泉寺の住職は、ソルティお気に入りのイラストレーター、中川学であった。
 僧侶であることは知っていたが、よもや京都のお坊さんとは思わなかった。
 それも非業の死を遂げた豊臣秀次一族ゆかりのお寺とは。

 泉鏡花原作の『化鳥』や『榲桲(まるめろ)に目鼻のつく話』や『朱日記』など、中川の描く世界は、虐げられる“おんな、こども”の苦しみと悲しみに満ちている。
 そのテーマ性の源にあるのは、ひょっとしたら、この地蔵堂なのでは?
 
天神橋
『化鳥』に出て来る金沢の浅野川と天神橋が、京都の鴨川と三条大橋に重なった

 還暦にして学ぶこと多し。
 まったくもって修学旅行の一日であった。 






  

● いざ、源氏ワールドへ : 初春の京都、寺めぐり 1

 いま時分の京都は比較的空いているはずと思い、平日からめて三日間の京めぐり。
 天気は時折、小雨や小雪に見舞われたけれど、おおむね晴れた。
 思ったほど寒くなく、上着一枚、不要だった。

 今回の主目的は、風俗博物館と栂尾三尾(とがのおさんび)巡り。
 前者は、NHK大河ドラマ『光る君へ』の舞台となっている王朝時代の貴族の生活を、1/4縮尺でリアルに再現したジオラマがある。
 京都には何度も行っているのに、迂闊にもここは訪れてなかった。
 目の前にある西本願寺にも久しぶりに参詣したい。
 後者は、京都市北西の静かな山中に位置する高山寺、西明寺、神護寺。
 高山寺は夢日記を書いた明恵上人と鳥獣戯画で知られている。
 あとの二寺は弘法大師空海とゆかりの深い名刹である。もちろん、素晴らしい仏像との出会いも楽しみ。
 残り一日は、レンタル自転車で市内を好き勝手に回ろう。

3/7(木)晴れ
09:00 京都駅着
10:00 風俗博物館
12:00 西本願寺
14:00 昼食
15:00 壬生寺
16:00 四条大宮駅
     阪急京都線で四条河原町へ
17:00 宿入り

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京都駅は外国人観光客でごった返していた
春節が終わり中国人が減ったのが、せめてもの慰め

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徒歩15分ほどで風俗博物館に着く(井筒左女牛ビル5階)
古代から近代にいたる日本の風俗・衣装を実物展示する博物館として
昭和49年オープンした

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エレベータが開くと、そこは平安時代
雅楽の調べが流れてくる

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十二単を来た女性(実物大)

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後ろ姿
人の着物を踏まないように歩くのは大変だったはず

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貴族メンの正装着である束帯は位ごとに使用できる着物の色が決まっていた
左端が一番高位、右に下がっていく

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今回のメイン展示は『源氏物語・御法(みのり)の巻』より
光源氏の正妻・紫の上が二条院で主宰した法華経千部供養の模様を再現

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一等席で見物する光源氏(白い衣)と息子の夕霧(手前)

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細かいところまでリアルに再現されたジオラマの完成度に感嘆しきり

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中国の故事にちなんだ舞楽「陵王」が披露される
館のなかでは粛々と法会行事が進行中

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馬の房飾りや従者の草履などキメ細かい

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見物する童子たち
可愛い!

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なにやらBLっぽい想像を掻き立てる貴公子ふたり

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廂の間(今の廊下)で出番を待ち団らんする僧侶たち
「今日のご祝儀は期待できるな」「しっ、聞こえるぞ」

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塗籠(ぬりごめ)で法会を見守る紫の上と侍女たち
御簾や几帳で周りを覆い、顔を見せないのが貴族女性のたしなみだった

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このとき紫の上は自らの死を予感していた
(紫式部の名の由来は「紫の上」からくる)

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光源氏の妾妻である、花散里と明石の上も訪れて、紫の上と歌を交わした
「貴族の妻は嫉妬深くてはやっていけません」(道綱の母、反省の弁)

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互いに髪の手入れをし合う女房たち
エクステンション(つけ毛)というのもあった

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着物に香を焚きしめる女子

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偏つぎをする女性たち
『光る君へ』でも登場した平安の代表的インドアゲーム

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生地色のグラデーションやコントラストで季節に合わせた着物をまとうのが粋
「かさね色目」と言う(上は「梅かさね」)

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かぐや姫もとい『竹取物語』のクライマックス、天人来迎シーン
絵本でも映画でも、かぐや姫は十二単姿で描かれることが多いけれど、
物語が書かれた時期(平安初期)を考えると、上のような唐風であったはず

夢のような2時間。
館内を3周も回ってしまった。
『光る君』オンエア中は混むことだろう。
平日の朝一番、空いていて良かった。

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西本願寺は親鸞聖人を宗祖とする浄土真宗本願寺派の本山
現在の地所は豊臣秀吉からの寄進による
宗徒の多さを感じさせる巨大感
上は阿弥陀堂

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親鸞聖人の木造が安置されている御影堂
世界最大級の木造建築(227本の柱、115,000枚の瓦)
ベートーベンの交響曲のような風格と美しさがある

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国宝・唐門(からもん)
このデコトラ風のキンキラキン、まさに秀吉好み

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京都三名閣の一つと言われる飛雲閣が、ガイドさん説明付きで特別公開されていた
残り二つは言うまでもない
建物の左肩からのぞく京都タワーが可愛い

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桃山~江戸初期の建築とされ、全体が軽やかで空に浮かぶ雲のようだとして、
その名がついたといわれる。
左右非対称でありながら調和のとれた独特のたたずまいが面白い
池の端から舟に乗って、1階の座敷に直接入れる仕組みとなっていた
なんだか隅田川から舟に乗って遊びに行ったという、昔の吉原を想起させる
浴室(右端の小屋)もあるというし、ゲストハウスとして”そういう”使われ方をしたのでは?

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2階の戸板には紀貫之や小野小町ら三十六歌仙の姿が描かれている

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鐘楼もいかがわしいまでに飾り立てられている

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滴翠園(てきすいえん)
この庭もふだん非公開

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やっと昼飯だ~
西本願寺そばの『カンパネラ』
ここのカレーライスと和三盆プリンは超おススメ!
元気復活の旨さ。
ここから30分ほど歩いて壬生寺に向かう

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律宗・壬生寺(みぶでら)
991年快賢僧都によって創建された
壬生狂言と新選組と壬生菜(みぶな)で有名な寺である

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千躰の石仏が側面を覆う東南アジア風のパゴタ(仏塔)が目立つ

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境内には新選組関連の遺跡がある
近藤勇の胸像や、新選組組長芹沢鴨以下、隊士10名の墓がある
ソルティは新選組にあまり興味がないのだが、これも縁だ、『壬生義士伝』を観てみるか
壬生狂言は、演目に『玉藻の前』、『土蜘蛛』、『道成寺』など鬼・妖怪ものが多い
土地柄なのか、気になる

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嵐電の踏切を超えて、四条大宮まで歩く

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四条大橋ふもとのカフェで一休み
四条河原町へと繰り出す外国人旅行客ら

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鴨川
四条大橋から五条橋を望む
うららかな夕暮れであった

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八坂神社近くのカプセルホテルに宿泊
屋上の露天風呂の眺めがよく、気持ち良かった







● 両神山(1,723m)でその人と逢う

両神山
簑山から見た両神山

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秩父市街から見た両神山

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小鹿野町から見た両神山

 両神山は秩父の奥座敷にあるので、自家用車がなければ日帰り登山は厳しい。
 公共交通機関利用組は、秩父市内か小鹿野町内のホテルに前泊して早朝のバスで麓に向かうか、あるいは麓にある民宿両神山荘に前泊するのがベター。
 足にも体力にも地形図読解にも自信のないソルティは、できるだけ朝早く歩行スタートしたかったので両神山荘に予約を入れた。

 前日(11/3)、西武秩父駅17:05発の小鹿野町営バスに乗って薬師の湯で下車、17:55発の日向大谷(ひなたおおや)行き最終バスに乗り換えた。
 乗客は1人。
 あたりはすでに真っ暗で、道の両側にどんな景色が流れているのか皆目わからない。
 トンネルのような細くて暗い道をひたすら奥へ奥へと突き進んでいく。
 20個以上あるバス停をどんどん通過していく。
 どこに連れていかれるのだろう?
 バックミラーに映った運転手の顔がキツネだったら相当コワい。
 そうでなくとも両神山にはどこか人を畏怖させる、簡単には寄せ付けないものを感じるのだ。
 なんといっても神の山。古くから修験道の聖地だった。 
 自分はまだ呼ばれていないのではないか?

 ――なんてことを思ったのは、昼前にリュックを背負って意気揚々と自宅を出たものの、途中駅で財布を忘れたのに気づいて引き返したドジな一幕があったからである。
 2時間のロス。
 本当は西武秩父駅14:35発のバスに乗って明るいうちに麓に到着する予定でいたのに。
 なにかが「行くな」と引き留めているような気がする。
 こういうサインは無視しないほうがよいのでは・・・・。
 滑落? 道迷い? クマと遭遇? 神隠し?
 不吉なことばかり頭に浮かぶ。

 だが、最終バスにぎりぎり間に合うようなタイミングで財布忘れに気づいたのは、やっぱり許されている証拠ではないか?
 連休にもかかわらず、宿の予約もすんなり取れたではないか?

 いまさら自問自答しても遅い。
 バスは右に左に揺れながら、より深い暗闇に飲み込まれていく。 
 
 18:30、日向大谷に到着。
 木々に囲まれた駐車場は人っ子一人いない。
 街灯もない暗闇に一人取り残され、心細さが募る。
 懐中電灯を取り出して足元を照らす。
 と、目の前の崖の上に灯りの点った山荘らしきが見えた。
 そのはるか上は・・・・
 見たことないほどの満点の星空。
 うん、呼ばれているに違いない。

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● 歩行日 2023年11月4日(土)
● 天気  晴れ
● 行程
06:30 両神山荘
    歩行開始
07:00 七滝沢コース分岐
07:50 八海山(10分休)
08:30 弘法ノ井戸
08:40 清滝小屋(10分休)
09:45 両神神社、御嶽神社(10分休)
10:30 山頂(1,723m)
    昼食(30分)
11:00 下山開始
12:00 清滝小屋(30分休)
12:40 弘法ノ井戸(10分休)
13:10 八海山(15分休)
14:15 七滝沢コース分岐(15分休)
15:00 両神山荘
    歩行終了
● 最大標高  1,723m
● 最大標高差 1,090m
● 所要時間  8時間30分(歩行6時間20分+休憩2時間10分)
● 歩行距離   約10.3km

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「ポツンと一軒家」を地で行く両神山荘。
90歳前後の夫婦が明るく迎えてくれる。
話好きな親爺さんによると、昭和51年から民宿を始めたとのこと。
「秩父で一番早く水洗トイレにしたのはウチだよ」

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このあたりは戦国時代に武田信玄に追われた鉢形城(北条氏)の落武者の里と伝えられる。
民宿の傍らには両神神社の里宮がある。
「ここには400年前から住んでいる。自分は10代目の婿養子だよ」と親爺さん。

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一泊2食8000円だった。
とにかく夕食が盛沢山! 
10皿を軽く超える「ザ・おふくろの味オンパレード」に感動。

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朝食は5時半から
宿の向かいに両神山の尾根が朝日に輝く。
一番高いところが目指すべき剣ヶ峰。
準備運動して6時半に歩行スタート!

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親爺さんによると、年間50人の遭難があるという。
週に一人は遭難している計算になる。
なんて危険な山なんだ!
滑落による負傷や死亡事故、道迷いによる救助隊出動なども珍しくない。
「秩父市と小鹿野町の消防隊が連携して山岳救助隊を作っているよ」
たしかに、ところどころ道が細く、路肩がやわらかく、崩れやすい。

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三連休の中日、登山客は結構多かった。
人の姿が前後に見えるのはやはり安心である。

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山道に立つ不動明王
登る前は畏怖を感じていたが、山中に入ってみると包み込まれるような安堵感があった。
同じ修験道の聖地だからだろうか、高尾山と似たような“気”を感じた。

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いくども沢(薄川)を渡りながら高度を上げていく

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弘法ノ井戸
この湧水はほんとうにありがたい、そして旨い!

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やっぱりあなたが呼んだのですね。
そうじゃないかと思ってました。

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清滝小屋(1,282m)
かつては宿泊施設だったが、現在は無人の避難小屋となっている。
周囲にはテーブルも多く設置されて、最後の急登前の小休止にうってつけ。

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ここなら十分泊まれる。

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産泰尾根
ここから岩場やクサリ場が続き、気が抜けない。

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両神神社
ご祭神はイザナミ・イザナギ
もともとは龍神を祀る山だったらしい。
「竜神山」転じて「両神山」になったとか。

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御嶽神社もあった。
三峰神社同様、御使いはオオカミである。

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長押に立派な龍の彫刻があった。
あなたがこの山の主でしたか・・・。

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御嶽神社の内陣
右横の貴族の像が気になる。

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いったい誰だろう?
菅家? 聖徳太子?
分かる人いたら教えてください。

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歩行3時間越え、足がガクガクで思うように上がらない。

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迷いやすい箇所には進入禁止ロープが張られ、枝に正道を示す赤いリボンが巻き付けてある。
下山時に2度山道をはずれたが、リボンに助けられた。

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ついに山頂到達!
正味4時間。
ごつごつした岩場で腰を下ろせるような場所はない。

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左足の踵の骨折から丸4年。
ついにここまで復活した。
感無量。

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南側(丹沢方面)

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蜃気楼のような富士山

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西側(南アルプス方面)

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山頂は狭く、人で混雑していた。
ちょっと下りた岩陰で弁当を広げる。

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東側(秩父市街方面)
まんなかあたりの突起が懐かしの武甲山

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おお! 秩父市街が見えるじゃないか!

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河岸段丘に囲まれた市街地は砦のよう
あそこから幾度も仰ぎ見た山にいま来ている!

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11:00下山開始
来た道を戻る。

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清滝小屋で30分の休憩
汗だくの下着を着替え、爆弾を抱えた右膝にサポーターを巻く。

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登り時は紅葉を愛でる余裕もなかったな・・・

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今年の紅葉は半月ほど遅いらしい
ラッキーだった

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登りより下りのほうが断然怖かった。
砂利の坂道で靴が滑って、3回尻もちついた。
他の人も結構滑っていた。
最後まで気を抜かず、焦らず、足元を確かめながら。

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右膝をなだめるため、下りは休憩を多めにとった。
やはり朝早く立ったのが正解。

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朝は気づかなかったが、登山口でこの方が見守っておられた。
そう、単独行ではない。いつだって同行二人

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ただいま~。
15:00ちょうどに下山。
山頂から正味4時間。

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15:15発の小鹿野町営バスに十分間に合った。
ちなみにこのバスの運賃は驚きの安さ!
90分乗って500円である。

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薬師の湯で途中下車
ぼろきれのように草臥れきった体を休める。
湯あがりの缶ビール。「このために生きてるよな~」

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その夜は秩父市街に泊まった。
翌日曜日は完全にグロッキーかつ筋肉痛で動けなかった。
月曜早朝、秩父神社を詣で、無事下山を感謝。

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菊花展をやっていた

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正直、ここまで足が治るとは思っていなかった。
人間の自然治癒力と医学の進歩はグレイトだ。

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熊には遭遇しなかった。
宿の親爺さん情報では、秩父ミューズパーク周辺に出没しているとか。
家族連れが憩う公園だ。
秩父市は市内の小中学校に通うすべての児童・生徒に、クマよけの鈴と笛を配布している。













● 陣馬(855m)~高尾(599m)縦走トレッキング

 2019年12月の左足首骨折から、じき丸4年になる。
 通院リハビリ、家での自主リハビリ、スポーツジムでの水中ウォーキングやストレッチ、マシントレーニング・・・と徐々にステップアップしながら、少しづつ連続歩行距離を伸ばしてきた。
 趣味の登山も、これまでに高尾山大高取山武甲山赤城山と難度を上げてきた。
 最終的な目標は秩父の両神山(1723m)である。
 そこで要となるのは標高ではない。長時間・長距離のアップダウンにどれだけ足首が耐えられるか、である。
 今秋の両神山制覇を視野に入れ、全長約15km、関東でもっとも有名な「富士の見える縦走コース」にチャレンジした。

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標高の一番高い陣馬山からスタート
だんだんと尾根を下って、高尾極楽湯をゴールとする

● 歩行日 2023年10月2日(月)
● 天気  曇り時々晴れ
● 行程
07:25 JR中央線・藤野駅前発(神奈川中央交通西バス)
07:35 陣馬登山口バス停下車
    歩行開始
09:30 陣馬山頂上(855m)
10:00 出発
10:35 明王峠(738m)
11:50 景信山頂上(727m)
    昼食(60分)
12:50 出発
13:35 小仏城山頂上(670m)
14:00 出発
14:45 高尾山頂上(599m)
15:00 出発
16:15 高尾山口駅
16:20 高尾極楽湯
    歩行終了
● 最大標高  855m
● 最大標高差 530m 
● 所要時間  8時間45分(歩行6時間5分+休憩2時間40分)
● 歩行距離   約15km

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JR中央線・藤野駅
ここからバスに乗って登山口へ(徒歩なら約30分)

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陣馬登山口バス停
ここで降りたハイカーは自分を含め5人だった

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一の尾尾根コースを登る
なだらかで歩きやすいファミリー向けのコース
・・・・と言われるが

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結構きつかった!
とくに最後の階段は「どこまで続くのか、このヤロー!」と思った
山頂まで1時間50分、休憩2回
休憩時には靴と靴下を脱いでマッサージするのが筋肉痛を防ぐコツ

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山道の真ん中に陣取って励ましてくれたヤマアカガエル
全長6cmくらい

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陣馬山登頂!
甲斐の武将・武田信玄が陣を張ったことからこの名がある

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雲に隠れて富士山は見えなかったが、平日の山頂は人もまばらで広々とすがすがしい
本日最高点
あとは下りだから楽チン・・・と思ったら大間違い

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なんとここは東京都であった
陣馬山~景信山~小仏城山の稜線は、東京と神奈川の境界線をなしている

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景信山までの尾根道はもっとも快適な鼻歌ロード
(ただし、まき道をたどれば)
前を行く2人組の外国の男を追い抜く

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まるで公園の遊歩道のような歩きやすい道が続く

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雰囲気あるクマザサの道

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シロヨメナ(別名ヤマシロギク)

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山には山の愁いあり(ノアザミ)

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景信山登頂!
ここには東側(東京)と西側(神奈川)、2つの休憩所がある

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関東平野を見下ろしながら、上半身裸になって昼食

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都心のビル群がつくる地平線の壁
東京スカイツリー(634m)が頭一つ抜けている

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富士の見える西側の休憩所
これからの季節、休日は人であふれる

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これから歩く小仏城山~高尾山の稜線の向こうに、丹沢の山々が望める
もちろん天気が良ければ富士山も

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小仏峠(548m)の狸ファミリー

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小仏城山登頂!

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茶屋の周りにハイカーが憩う

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ここの昔からの名物はなめこ汁だが、最近はかき(夏季)氷も大人気
レモンシロップを惜しみなくかける(400円)
こぼれたシロップめがけて蜂が飛んできた
さあ、あとひと踏ん張り

高尾城山尾根
最後に待っていた城山―高尾間の下り上りが堪えた
土の道より階段のほうがきつい
リュックからステッキを取り出した
(画像は2019年4月登山時のもの)

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高尾山登頂!
ここはやはり外国人含め人が多かった
富士山は見えなかったが、江の島が見えた

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高尾薬王院
本日登った4つの山をくらべた時、やはり高尾の空気はスピリチュアルなものを感じる。

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薬王院(真言宗)と言えば空海を想起するが、
開基は天平16年(744年)行基による

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表参道コース(一号路)を下りて高尾山口駅に到着
実はこの下りが一番きつかった
13年前に会津駒ケ岳下山中の滑落で痛めた右膝が痛みを訴えてきた
サポーターをきつく巻いてなんとかなだめつつ乗り切った
ネックは左足首でなく、右膝だった‥‥!

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吸い込まれるように高尾極楽湯へ
休日だったらここには寄らなかった
芋を洗う混雑で気が休まらない

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湯上りは生ビールと冷やしとろろそば

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はちみつレモンサワーを飲みながら、今日のふりかえり
最高のひととき

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さあ、準備は整った
いざ、両神山へ!

















● らかんさんに呼ばれて

 「目黒のらかんさん」として知られる五百羅漢寺には行ったことがなかった。
 どうせなら、桜並木で有名な目黒川沿いを歩いて行こうと思い、東急東横線の中目黒駅で下車した。
 ここで降りたのは実に40年ぶりくらい。
 駅前のそば屋で軽く腹ごしらえし、東横線のガード下から品川方面に目黒川を下向した。
 炎天下で直射日光はきびしかったが、川沿いの道は木陰続きで、ときに風が抜けて、心地良かった。

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東急東横線・中目黒駅
学生時代、テニスのサークルでここで飲んで潰れたような記憶が・・・

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「吉そば中目黒」店の冷しかき揚げそば
かき揚げは大きく、そばは喉ごし良く、美味だった

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東急線ガード下より品川方向を見やる
目黒川は世田谷区三宿を起点とし、東京湾に注ぐ
全長およそ8km

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このようなベンチがところどころにあるのがうれしい。
超高齢化時代には欠かせない施設である。

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河岸には美術館や公園、モダンなマンションや小粋なレストランが並ぶ。
なかなかハイブロウな感じ。

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モダンでメタリックな外観にもどこか昭和クラシカルな風情が漂う。

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柊(ヒイラギ)庚申講
地域の古い信仰が垣間見られる
柊は古くから邪鬼の侵入を防ぐと信じられ、庭木に使われてきた。家の庭には表鬼門(北東)にヒイラギ、裏鬼門(南西)にナンテンの木を植えると良いとされている(鬼門除け)。また、節分の夜にはヒイラギの枝に鰯の頭を門戸に飾って邪鬼払いとする風習(柊鰯)が全国的に見られる。(ウィキペディア「柊」より抜粋)

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目黒区民センター
裏手に目黒美術館がある

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ふれあい橋より上流(渋谷方向)を振り返る
清掃工場の煙突がひときわ高い

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下流(品川方向)
桜の季節の賑わいが目に浮かぶ

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散歩やジョギングに恰好の道

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目黒の名を一躍有名にしたのは「さんま」と「エンペラー」
目黒エンペラーは1973年(昭和48年)12月創業のラブホテル
ラグジュアリーな装飾で一世を風靡した
このお城が見えれば目黒駅は近い
羅漢寺も近い

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天恩山五百羅漢寺
元禄8年(1695)建立、開基は松雲元慶(1648-1710)

 松雲は40歳の時に五百羅漢を彫ろうと発願し、江戸に出て托鉢により資金を集めた。
 時の将軍徳川綱吉などの援助を受けながら独力で彫像し、完成に近づいたところで、像を納めるために堂宇を建てた。
 当初は本所五ツ目(現在の東京都江東区大島)にあったのだが、明治41年(1908)に現在地に移転した。
 現在、305体が残っているという。(堂内は撮影禁止)

 五百羅漢とはその名の通り、五百人の阿羅漢(完全な悟りに達した人)の謂いである。
 お釈迦様が亡くなったあとその教えを守り伝えるために、500人の阿羅漢が集い、マハー・カッサパとアナンダが中心となって教えの確認作業を行った。
 いわゆる第一結集である。
 そこに参加した比丘たちを称え敬うことから、五百羅漢像が作られるようになった。
 ソルティもこれまでにいろんな場所で五百羅漢像を見てきたが、とくに印象に残っているのは、秩父の羅漢山と四国遍路第66番雲辺寺のそれである。
 概して、通常の仏像(如来や菩薩や明王など)が生真面目で厳かな顔、あるいは聖人らしい穏やかで慈悲深い顔をしているのにくらべ、五百羅漢は表情も姿恰好も持ち物も非常にヴァリエーションに富み、ユニークで人間らしく、見て面白いのが特徴である。
 それゆえ、庶民に親しまれやすいのだ。

羅漢山1
秩父の羅漢山の羅漢さん

羅漢山2
こんなのもある

雲辺寺羅漢1
四国66番札所雲辺寺の羅漢さん

 目黒五百羅漢寺の羅漢さまにはお一人お一人に名前(〇〇尊者)が付けられ、それぞれ教訓のような「おことば」が付与されていた。
 たとえば、
  • 仲良く睦みあう(衆和合尊者)
  • 道は山のごとく登ればますます高し(山頂竜衆尊者)
  • わけへだてのない心(心平等尊者)
  • 仏も昔は凡夫なり(没特伽尊者)
  • 苦しみから逃げると楽しみも遠ざかる(雷光尊者)
  • 仕事にうちこむ美しい顔(勇精進尊者)
 鑑賞する人は、たくさんの羅漢さんの中から自分が惹きつけられた顔や言葉と出会って、わが身を振り返ったり、心の拠り所にしたり、今後の人生の指針を得たりすることができよう。
 本堂には、羅漢さんのほかに釈迦如来と十代弟子、達磨大師、観音菩薩、地蔵菩薩などの像が所狭しと並んでいた。
 ほどよい室内の暗さ、インド音楽に合わせて流される住職の説法テープ、心を落ち着けたいときには恰好の空間である。
 まろやかでやさしいお顔のお釈迦様の左右に立つ、頭陀第一のマハー・カッサパと多聞第一のアナンダの表情や姿恰好の違いが対照的で面白い。
 カッサパは骨皮筋衛門に、アナンダは上品な美男子に彫られている。

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本堂
本堂に納まりきらない羅漢像は別に羅漢堂に納められている

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再起地蔵

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五百羅漢寺のパンフレットより
ここの羅漢さまは総じて真面目な顔、厳しい顔が多かった。
にしても、500体の修復は大変な仕事だ。

 羅漢寺から路地を通って、目黒不動尊に抜けることができる。
 大同3年(808)慈覚大師・円仁(天台座主第三祖)によって開かれた関東最古の不動霊場である。
 そもそも目黒という土地の名の由来がここであった。
 江戸五色不動と称され、江戸城を中心に5つの方角に5つの不動尊――目黄(東)・目赤(西)・目白(南)・目黒(北)・目青(中央)――があったのだが、現在地名として残っているのは目黒と目白だけである。
 
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目黒不動尊(天台宗 泰叡山 瀧泉寺)

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庶民のアイドル・水かけ不動尊
ヒシャクで狙い撃ちされた顔がすっかり美白化
鈴木その子みたいになっている(えッ、知らない?)

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本堂
円仁が彫ったという本尊の不動明王像は12年に一度、酉年に開帳される。

 帰りはJR目黒駅から列車に乗ろうと思い、目黒雅叙園の横の急な行人坂を登っていたら、途中にある寺にふと惹きつけられた。
 天台宗大円寺とあった。
 山門をくぐって境内に足を踏み入れたら、なんとびっくり、ここにも五百羅漢がいた。
 羅漢寺のヒノキ造りの(かつては金箔で覆われた)ご立派な尊者たちとは違い、野ざらしの石仏である。

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大円寺
寛永年間(1624-1644)湯殿山修験道の行者大海が創建したのに始まると伝えられる。
羅漢寺より開基は古い。
本尊の木造釈迦如来立像は特定の日にご開帳。

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五百羅漢像
明和9年(1772)江戸市中を焼く大火事があった。
そのとき火元と見られたのが大円寺であった。
五百羅漢像はこの火事で亡くなった人々を供養するために建てられたという。

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こちらの羅漢さんたちはユニークな表情で親しみやすい。

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釈迦如来像が手にしているのは背中を掻くツール――ではなくておそらく蓮の茎だろう。
周囲を菩薩、十大弟子らが囲んでいる配置は羅漢寺本堂と同様。

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マハー・カッサパ尊者
口元のしわが写実的

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大黒様を祀っている七福神のお寺でもある。

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境内にはちょっと変わった石仏があった。
胴体はどこにいったのだろう?

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道祖神
夕日を浴びて照れくさそうな2人。
「もうすぐ夜だね」
「そうね、あなた・・・」

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個人的にはこちらの五百羅漢のほうが「目黒のらかんさん」の愛称に添うような気がした。
説教臭くない、天衣無縫なたたずまいに癒された。

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目黒駅周辺もすっかり開発されたなあ~

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JR目黒駅到着
約4時間の散策、汗をしぼられた。
目黒という街は、古い庶民信仰の上に、昭和バブルの猥雑さと平成のソフィストケイトされた空間が積み重なっている、現代日本の都市の特徴がよく映し出されている。

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羅怙羅(らごら)尊者はお釈迦様の息子
世に言うラーフラである














● 18切符で巡る、2023みちのくの夏(谷地温泉編)

 谷地温泉は日本三大秘湯の一つと言われている。
 あとの二つは、徳島県の祖谷温泉(祖谷のかずら橋で有名)、北海道のニセコ薬師温泉。
 誰がいつ決めたのか知らないが、知る人ぞ知るだからこそ「秘湯」と呼ばれるに値するのだから、「三大」という煽り文句とはそもそもコンセプト的に矛盾する。
 アクセスが困難な僻地という点だけなら、那須の三斗小屋温泉とか日光の八丁の湯とか、もっと秘湯らしいところはある。
 いったいなぜここが選ばれたのだろう?
 確かめるべく、『日本秘湯を守る会』に挙げられている近隣の酸ヶ湯温泉をあえてはずして、宿泊先に選んだ。

〒034-0303青森県十和田市法量谷地1
電話: 0176-74-1181

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谷地温泉バス停から徒歩10分
山小屋風の造りが心和ませる
秘湯っぽい

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入口にかけられたかんじきが雪の深さを物語る

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部屋には冷房がなかったが、朝晩は必要なかった

谷地温泉下の湯
温泉は撮影禁止
宿のホームページから転載させていただきました。
下の湯と呼ばれる38度の無色透明の源泉と、上の湯と呼ばれる42度の白濁した硫黄泉に交互に浸かる。
それとは別に、浴場内の石の階段を降りたひときわ暗い洞窟ようなところに源泉が噴き出しており、このスペースが秘湯っぽい土俗性に満ちている。(混浴あたりまえの昔は、おそらく“いろんな”使われ方をされたのでは?)
温泉は飲むこともでき、肝臓に効くと評判が高い。
下の湯に30分ほど浸かったら、体のすべての凝りや詰まりがほぐれるようであった。

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湯上りに見る夕空
最近空をゆっくり見てなかったと気づく

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お待ちかねの夕食
いわなの塩焼き、いわなのお造り、いわなの天ぷらははずせない

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柔らかな牛肉も美味

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食堂に飾られたテンの写真
雪の季節の夜に遊びに来るのだという
見事にカメラ目線なのがかわゆい
秘湯のアイドル

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静寂な山間の夜にぎしぎしと鳴る廊下はウグイス張りのよう
人の気配や木のぬくもりが感じられる昭和っぽさが心をつくろがせる
数年ぶりにぐっすり寝た

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さわやかな朝の散歩

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八甲田の大岳が頭をのぞかせる。
ここから約2時間30分で山頂に立てるという
いつか登りたいな

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なんとこの温泉に入らないと、行くことができない神社と池があった
旅館の中にあるドアから、裏手の森に出る

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旅館の裏手の沢を渡る

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天然のイワナが泳ぐ薬師池
そばに谷地神社がある
 
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お待ちかねの朝食
白いおまんまが美味しい

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帰りは青森駅まで車で送っていただいた
約1時間、思ったよりずいぶん速い
ご主人はじめスタッフみな親切でした
また泊まりたいな

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青森駅で駅弁を購入
JR大館駅発のヒット商品、花善の鶏めし弁当(税込み950円)

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青い森鉄道にはじめて乗る
ここからはひたすら列車で南下
持ってきた書籍の出番である

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一ノ関駅ホームの表示板
英語、中国語、韓国語併記はもう当たり前
30年前の旅との一番大きな違いはやっぱりここにある
仙台牛タン店、盛岡冷麺店、五能線、奥入瀬渓流、谷地温泉、どこに行っても外国人と会わずには済まなかった。
ネット時代の人の動きって凄いな。

ガラ携と紙の時刻表をもって旅するソルティはシーラカンスみたいだ。





















● 18切符で巡る、2023みちのくの夏(奥入瀬渓流編)

 青森駅に降りたのは30年ぶりくらいだろうか。
 道の両側にアーケードの続く、長い駅前通りこそ記憶に残るままだが、日本のどの都市にもあるような立派なビルディングが立ち並び、最果ての港町といった感がない。
 30年前は街角の公衆電話ボックスの土台の高さ(冬の積雪のため)に「なるほどな~」と感心したものだが、いまや電話ボックスそのものを見つけるのが難しい。
 東口を出て左手に進むと見えてくる青森湾の青さと、かつての青函連絡船・八甲田丸の雄姿だけが、「ああ、青森に来た」と感興を呼びさましてくれた。

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青森駅は改修工事中だった

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青森湾
下北半島の山々が見える

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青函連絡船・八甲田丸


8月28日(月)晴れ、ときどき曇り、一時雨

 青森駅前から十和田湖行きのJRバスに乗る。
 街中を過ぎ、森の道を高度を上げていくと、ひらけた台地の彼方に八甲田の山々が見えてくる。
 車内アナウンスが、高倉健主演で映画にもなった明治35年「八甲田山死の彷徨」のドラマを語る。
 1977年の映画公開当時、北大路欣也のセリフ「天は我々を見放した」は流行語となり、中学生だったソルティも授業で抜き打ちテストなんかあると、よく叫んだものだ。
 八甲田山ロープウェイはこの日強風のため運転中止となり、それを目的にやって来た乗客たちから落胆の声が上がった。(せめて乗車前に分かれば良かったのにね)

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八甲田の山々
最高峰は大岳(1,585m)

 山の中に入ると、S字カーブのところどころに温泉が続く。
 城ケ倉温泉、千人風呂で有名な酸ヶ湯温泉、猿倉温泉、日本三大秘湯の一つ谷地温泉、蔦温泉・・・・。
 約2時間で奥入瀬渓流入口にある奥入瀬渓流館に着いた。
 ここを出発点とし十和田湖をゴールとする14kmのウォーキングスタート。

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奥入瀬渓流館
ここでマップがもらえる

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途中にある石ヶ戸休憩所から歩く人が多い
それだと約9kmの歩行となる

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整備された遊歩道
昨晩雨が降ったせいもあるが、このあたりの透明度は低い
上流に向かうほど澄んでくる

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阿修羅の流れ
水音は想像されたし

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気温30度を超えていたが、水音と木陰のおかげでしんどくはなかった

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千筋の滝

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雲井の滝
落差約25m
滝の真下まで近づいて轟音とマイナスイオンを浴びられる
ここで昼食休憩をとった

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白布の滝

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景観を損ねない山小屋風のトイレ

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九段の滝

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銚子大滝
道中一番の人気スポット
幅20m、落差7mの爆流はスモール・ナイアガラと呼ばれるにふさわしい

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ここだけはインターナショナルな観光バス客で混みあっていた
ほかはたまに人とすれ違う(追い抜く)静かなウォーキングだった

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最後に裸足になって渓流の中に足を浸した
自然との一体感つうか

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十和田湖からの取水堰

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流れに漂う水草が美しい

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考えてみたら、こっちが渓流のスタート地点だな

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十和田湖に到着!
14kmを4時間20分で歩いた
うち休憩が50分なので時速4km


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周囲46km、最大水深326.8mのカルデラ湖

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ああ、あの山の姿も湖水の水も
静かに静かに黄昏れて行く
(佐藤惣之助作詞、高峰三枝子歌唱『湖畔の宿』より)

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湖畔の樹々があざやか
紅葉時はいかばかりか

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子ノ口バス停
軽食のほか土産も売っている

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平日にもかかわらず、バスは補助席使用の満席だった
三分の一、いや半分は外国人とくに中国人のようだった
インバウンド効果は馬鹿にならないが、福島原発汚染水問題でこの先どうなることやら?

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帰路の途中で下車
今日の宿りは谷地温泉♨





● 18切符で巡る、2023みちのくの夏(JR五能線編)

 今回ショックだったのは、18切符では盛岡(岩手県)から青森(青森県)に直接行けないという事実を知ったことであった。
 いつの間にかJR東北本線の終点は、青森駅でなく、盛岡駅になっていたのだ。
 もちろん、盛岡駅から、岩手県内(盛岡~好摩~金田一温泉)を走るIGRいわて銀河鉄道、および青森県内(目時~八戸~青森)を走る青い森鉄道を乗り継いで、青森駅に行くことはできる。
 しかし、この2つの路線の運営はJRではなく、半官半民のいわゆる第3セクターなので、18切符は使えない。別に切符(5590円)を買わなければならない。
 どうあっても18切符だけを使って盛岡から青森に行きたいのなら、盛岡駅からJR田沢湖線で大曲駅まで行ってJR奥羽本線に乗り換え、秋田~東能代~大館~弘前経由で青森駅を目指すという、秋田県経由の大回りをとるしかない。
 JRの在来線が、本州のすべての都府県をつないでいる時代はとうに終わっていたのだと、今さらながら気づかされた。


googleマップより

 今回は、秋田県から五能線に乗って日本海沿線を北上したかったので、盛岡からIGRいわて銀河鉄道で好摩まで行き、JR花輪線に乗り換えて大館まで行き、JR奥羽本線に乗り換えて東能代下車。
 そこから五能線に乗った。
 五能線は日に数本の各駅停車のほか、春から秋の期間は観光用の臨時快速列車「リゾートしらかみ」が走っている。
 全席指定で乗車券(18切符もOK)のほかに500円強の指定席券が必要となる。
 となると、どうあっても海側の窓側席をとりたいのが人情。
 出発5日前にJRのホームページで空席状況を確認したら、すでに窓側席は埋まっていた。  
 各駅列車でもいいかなと思いつつ、出発前日に再度確認したら、一席キャンセルが出た。
 即クリックした。

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盛岡駅前で食べた冷麺


8月27日(日)晴れ

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盛岡発大館行きのJR花輪線
(盛岡~好摩区間はIGRいわて銀河鉄道の管轄)

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早朝の空いた車両で緑のトンネルを抜ける快適さ

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進行方向左手に岩手山(2,038m)
石川啄木のふるさと「渋民」付近

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右手に姫神山(1,124m)
なだらかでシンメトリカルな山容が美しい

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十和田南駅
ここでスイッチバックする(進行方向が変わる)ため数分間停車

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東能代駅
能代市は林業とバスケが盛ん

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列車の形をした待合室
中は冷房が効かず暑かった

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五能線リゾートしらかみ「くまげら」号

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ゆったりした柔らかいシート、大きな窓、別に展望ラウンジも設けてあり、快適そのもの

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ザ・日本海
秋田と青森の県境あたり

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もっとも景色の美しい区間で列車速度を落としてくれる=シャッターチャンス

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おだやかな波
冬の日本海はこうはゆかない


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十二湖駅(青森県)で下車

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バスで山の中へ
白神山地の端っこに足を踏み入れる

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このあたりには大小12の湖沼が点在する

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もっとも有名な青池
天候や時間帯によって色が変化する

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ブナ天然林を歩く

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小一時間の散策コースがおすすめ
ここから白神岳(1,232m)頂上へは約8時間かかる
コースは廃道状態にあるとか

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沸壺の池

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五能線に戻って白神山地をあとにする

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漁村
湾の向こうに男鹿半島

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千畳敷
1792年(寛政4年)の地震で隆起したと伝えられる海岸段丘面。
津軽藩の殿様がここに千畳畳を敷かせ大宴会を開いたとされることからこの名がある。
この駅で10分間ほど停車時間を設け、警笛が鳴るまで自由に散策できる。

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津軽出身の作家太宰治の小説『津軽』に出てくるらしい

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カメラを向けたら近寄ってきた人懐っこい海鳥

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シギだろうか?
七面鳥くらいの大きさがあった
かわいい目をしている
「あっ、警笛が鳴った!」


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進行方向右手に岩木山(1,625m)
「帰って来いよォ~」







● 18切符で巡る、2023みちのくの夏(仙台編)

 8月26日は、加藤哲夫さんの13回忌だった。
 25と26の両日、仙台で『市民と社会のこれからを考える2Days「私たちはどう生きるか?~加藤哲夫さんの宿題を考える~」』が有志の呼びかけにより開催された。
 
 加藤哲夫さんは、仙台の街中で自然食品店&出版社『ぐりん・ぴいす&カタツムリ社』を経営しながら、反戦、脱原発、環境問題、ディープエコロジー、精神世界、HIV問題、市民活動支援(NPO)など実に幅広い分野の活動を展開した。
 とりわけ、市民活動支援セクターである「せんだい・みやぎNPOセンター」の設立に関り、全国を飛び回って行政や民間相手の研修講師を務め、一時は“NPO四天王”などと呼ばれるほどだった。(あとの3人が誰かは覚えていない)
 頭が切れ、弁が立ち、快活で、稀代のネットワーカーで、日本酒とアロマオイルと夏目雅子が好きで、人の悲しみをよく知る人だった。
 
 30代を仙台で過ごしたソルティは、HIV感染者支援の活動を通じて加藤哲夫さんと知り合い、以後、公私にわたりたいへん世話になり、多くのことを学んだ。
 加藤哲夫さんの活動や思いを振り返り、旧知の人々と再会し、還暦以降の生き方の指針が得られたらと思い、参加した。
 ついでに、ずっと乗りたかったJR五能線、ずっと歩いてみたかった奥入瀬渓流にも足を延ばし、全5日間のみちのく一人旅を決行した。
 旅のお伴は、青春18切符とJR時刻表と本3冊である。

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JR時刻表
ページをめくって列車の連絡を調べるのが旅の醍醐味
スマホは持って行かなかった

8月25日(金)、26日(土)晴れ

 仙台も関東に負けず劣らず暑かった!
 陽の当たる通りを歩いているだけで汗だくになった。
 ただ、東北本線の白河駅を越えたあたりで空気が変わったのを感じた。
 首都圏の濃厚とんこつスープの中に浸かっているようなギトギトの暑さとは違い、昭和の夏のジリジリした炎天下の暑さがあった。

 X君と仙台フォーラス前で待ち合わせ。
 国分町にある有名な牛タン専門店『太助』に行った。
 X君は、以前記事に書いた2年間ムショ暮らししていた旧友である。
 昨年9月に務めを終え円満退所(?)し、娑婆に戻って約1年。
 強制ダイエットされた体ももとに戻り、肉付きも顔色もよく、五十路越えとは思えない黒々した髪もふさふさとし、精神的な脆さは見られるものの、とりあえず元気そうであった。
 地域のNPOの支援を受けながら職業訓練所に通っていると言う。
 共通の友人を通じてたまに彼の動向は聞いていたものの、実際にこうして会って話すのは、東日本大震災のあった年の夏が最後だったと思う。
 海辺の町に住んでいたX君の被災見舞いだった。
 12年ぶりの再会。
 しかし、そんなに久しぶりの感がない。
 観光客で混みあう『太助』のカウンターで、すぐにムショ暮らしの苦労を包み隠さず滔々と語り始める主役感。(ツイッターへの投稿がもとで、某ビジネス雑誌のインタビューを受け、「中高年の貧困と孤独」と題する記事にもなった)
 そこが約30年前に仙台のゲイコミュニティで最初に出会ったときから変わらぬX君の持ち味なのだった。転んでもただでは起きない。
 炭火で焼く牛タンの旨さを堪能したあと、場所を移した。
 印象に残った話をあげる。(注意:尾籠なものもあります)
  • ムショでは起床時にビリー・ジョエルの『HONESTY(誠実、正直)』が流れていた。いまもこの曲を聴くとトラウマが蘇る。
  • ムショでは「ピンク」がもっとも軽蔑され、仲間内のランクが下だった。「ピンク」とは性犯罪者のことである。(特に小児性犯罪者は他の受刑者から蛇蝎のごとく嫌われると聞いたことがある)
  • トイレ付きの8畳くらいの部屋に3人で入っていた。トイレは一応仕切りがあったが、隠されているのは下半身だけで、上半身は廊下から見えるよう透明仕切りになっていた。
  • イケメンが全然いなくて残念だった。(何を期待しているんだか・・・)
  • 所内のカラオケ大会で尾崎紀世彦の『また逢う日まで』を歌って準優勝した。
  • ひと月に一度「アイスの日」というのがあり、それが一番の楽しみだった。
  • 雑居房ではオ×ニーをしなかった。他の男たちもしていなかった。当然、屈強な牢名主に“掘られる”ようなこともなかった。(互いにBLメディアの見過ぎ)
  • 娑婆を出た日にNPOにつながって、生活保護の申請やアパートを借りる手続きを手伝ってもらった。それがなければ、更生保護施設に行くほかなかった。
 織田信長が「人生50年」と言った時から500年以上経ち、今や「人生100年」の時代である。
 50歳なんて、ようやっと折り返し地点。
 とりあえず生きていてほしい。
 また逢う日まで。
 
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仙台駅の伊達政宗騎馬像
なんであまり人の来ない3Fに移したんだろう?

 夕方より、「2DAYS加藤哲夫さんの会」に参加。
 会場は広瀬通りに面した仙台市市民活動サポートセンター。(錦町にあった昔のサポートセンターに間違って行ってしまい、15分ほど探し回った)

プログラム

〇セッション1 (8/25 18:30~21:00)
「2011年の覚醒はどこへ~東日本大震災で社会は変わったのか」
進行:渡邉一馬(せんだい・みやぎNPOセンター)
ゲスト:
 高橋敏彦(前北上市長)
 高橋由佳(イシノマキ・ファーム)
 高橋美加子(北洋舎クリーニング)
コメンテーター:菅野拓(大阪公立大学)

〇セッション2 (8/26 9:30~12:00)
「加藤哲夫とNPO~市民、自治、民主主義」
進行:赤澤清孝(大谷大学)
ゲスト:
 川崎あや(元アリスセンター事務局長)
 福井大輔(未来企画)
 青木ユカリ(せんだい・みやぎNPOセンター)
コメンテーター:川中大輔(シチズンシップ共育企画)

〇セッション3 (8/26 13:30~16:00)
「これからの『市民の仕事』~加藤哲夫の宿題」
進行:田村太郎(ダイバーシティ研究所)
ゲスト:
 白川由利枝(地域創造基金さなぶり)
 葛巻徹(みちのく復興・地域デザインセンター)
 前野久美子(book cafe火星の庭)
コメンテーター:長谷川公一(尚絅学院大)

 70名くらい入る会場には、加藤哲夫さんと親交のあった様々な分野の人々が集まって、活況を呈していた。
 登壇者にも、客席にも、古くからの顔見知りがチラホラいて、ゆっくりと語る時間こそ持てなかったものの、元気に活動している姿が伺えてパワーをもらった。
 2日間のセッションの中で、印象に残った言葉。(主観的変換あり)
  • 人生は後付けである。
  • 男は構造をつくりたがる。できあがった構造の中で、当初現場にあった覚醒や思いが薄れていく。
  • 優しい人たちのつくる、文句のつけようのない優しい制度の中に空白が生じ、そこに落ち込んで苦しんでいる人がいる。
  • ひとりひとりの人格ではなく、システムが人を殺す。
  • SNSに象徴されるように、今の社会は人と人とを分断する方向に進んでいる。
  • 社会のアプリケーションでなく、OSを変えることが重要。
  • 本来なら、国や行政が立法化するなどして仕組みを変えなければならないことを、仕組みを変えないままにNPOが安く下請けする、ニッチ産業のような構造ができてしまっている。そこに共助という落とし穴がある。
 加藤哲夫さんがその八面六臂の素晴らしい活動において最重要に位置付けていた思いは、「人を殺すシステムを変えること」であった。
 薬害エイズ事件にみるように、組織(当時の厚生省)に属する一人一人は巨悪でも悪魔でもない、普通の感覚を持った一市民にすぎない。
 それが歪な風通しの悪い組織の中で、自らを殺して組織のために働くことで、結果的にシステムとして人を殺すことに荷担してしまうのである。
 だから、中にいる人を変えたところでシステムがそのままであれば、同じことが繰り返される。
 誤ったシステムを変えなければならない。
 ソルティもまた、生前の加藤哲夫さんの口から同じような言葉を幾度も聴いた。
 加藤哲夫さんにとって、誤ったシステムによって起こる最大最悪の産物は「戦争」であった。
 天皇を神とする大日本帝国というシステムの中で、男たちは人殺しに駆り出されていったのだ。 

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加藤哲夫さん
 
 システムを変えるためには、まず、人はシステムの歪さに気づく目を持たなければならない。 
 システムの中で苦しんでいる弱者の声に耳を傾けなければならない。
 それから、“空気を読まず”に口に出して、それを変える行動を起こすための勇気を持たなければならない。
 すると、仲間が見つかる。
 
 薬害エイズ事件の頃、カレル・ヴァン・ウォルフレン著の『人間を幸福にしない日本というシステム』という本が流行った。
 あれから四半世紀が経って、いまだに「人間を幸福にしない日本というシステム」は、拘束服のように我々を縛り続けている。

 2日間のセッションを終えて、盛岡に向かう列車に飛び乗った。
 車窓に広がる東北ならではの稲穂の波を見送りながら、システムに捕らわれることなくその表層を飄々とした風情で飛び回った、あるいはカタツムリのようにのそのそと忍耐強く這い進んでいた、加藤哲夫さんの笑顔を思い出した。

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加藤哲夫かたつむり


 




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