ソルティはかた、かく語りき

首都圏に住まうオス猫ブロガー。 還暦まで生きて、もはやバケ猫化している。 本を読み、映画を観て、音楽を聴いて、神社仏閣に詣で、 旅に出て、山に登って、瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

●旅・山登り

● 2025年夏・みほとけまつり4 即成院、悲田院

 京都市内観光はレンタサイクルが便利。
 渋滞も駐車場探しも一方通行も待ち時間も関係なく、狭い路地でもスイスイ入っていける。
 東福寺駅そばのサイクルステーションで電動アシスト自転車を借りて、泉涌寺(せんにゅうじ)の2つの塔頭寺院をめぐった。

日時 2025年8月12日(火)曇り
行程
10:00 JR東福寺駅
10:15 即成院
11:15 悲田院
12:30 鳥戸野陵
13:00 東福寺駅
15:00 新幹線・京都駅発 

DSCN7626
即成院(そくじょういん)
藤原頼通の次男・橘俊綱による創建と伝わる
真言宗泉涌寺の塔頭の一つ

DSCN7627
本堂

IMG_20250813_165555
阿弥陀如来と二十五菩薩
最下段左隅の光輪を持たない如意輪観音をのぞいて25菩薩と数える
26体のうち、阿弥陀如来坐像を含む11体が平安時代作、残りの15体は江戸時代の補作(画像は受付でいただいたポストカード)

DSCN7641
この観音菩薩像が見たかった!
阿弥陀如来に向かって右隣に座す
手にもっているのは蓮台である
27体中、飛び抜けた美しさ。
定朝の孫の院助作とする説がある

DSCN7637
本堂から渡り通路を登っていくと・・・

DSCN7636
那須与一の墓
源平合戦屋島の戦いの際、敵(平家)の船上に掲げられた扇を一射で落としたことで知られる日本のウィリアム・テル。
即成院の阿弥陀仏への信仰篤く、晩年は当地に庵を結び、没したと伝えられている。

DSCN7643
泉桶寺総門
山内に9つの塔頭寺院をもつ広大な寺

DSCN7645
悲田院
悲田院と言えば、聖徳太子や光明皇后や鑑真がつくった福祉施設。平安京にも存在したが、当寺との関係は不明である。
拝観は予約が必要。

 ここの何よりの目玉は、快慶作の宝冠阿弥陀如来坐像。
 2009年の調査で頭部内より「アン(梵字)阿弥陀仏」の墨書が見つかり、快慶作と判明した。快慶がこの署名を使ったのは「法橋」という地位を授かる1203年までなので、それ以前の作と考えられている。
 醍醐寺の弥勒菩薩坐像に似た、左右対称性の強い、非常に洗練された像容。
 快慶仏の特徴の一つは、切れ長の目の美青年ってところにあると思う。
 たとえれば、昭和のアイドル沖田浩之。  
 衣もまた、昭和時代のアイドルがよく着ていた、スパンコールをあしらったドレープの波打つきらきらドレスを思わせるところがある。

 このお寺にはまた、土佐光起・土佐光成父子が描いた襖絵がある。
 これが素晴らしい。
 なんでも、長い間お寺の天井裏に丸められ捨て置かれていたものを、平成18年(2006)に京都市観光文化資源保護財団が修復し、3室34面の襖絵に仕立て上げたという。
 「松に猿」、「竹に鶴」、「紅葉に雁」、「蓮・梅・菊」、「滝を見る李白」、「ホトトギスを聴く杜甫」など、よくもまあ紙屑のような古紙からこれだけ修復したものと、保存科学技術の技に感心した。 
 繊細にして優美な筆致も見どころであるが、興味深いのは人物の左目がすべて潰されているところ。
 どういった謂れがあるのやら?
 ちょっと、ぞっとした。


DSCN7646
境内から北西方向に京都市街を望む
左端に京都タワーが見える

DSCN7647
東側に広がる鳥戸野陵と東山

DSCN7655
鳥戸野(とりべの)陵
平安時代以降、葬送の地として知られる
東の鳥辺野、西の化野(あだしの)、北の蓮台野が京の三大葬地

DSCN7648
ここに来たのにはわけがある

DSCN7653
清少納言『枕草子』の主人公である一条天皇妃・定子のお墓なのだ

DSCN7650
ほかにも、醍醐天皇妃・穏子、円融天皇女御・詮子、後朱雀天皇妃・禎子など王朝時代の6人の后が祀られている

DSCN7649
お経の代わりに朗読

春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山際、少し明かりて、紫立ちたる雲の細くたなびきたる。

夏は夜。月の頃はさらなり。闇もなほ、蛍の多く飛びちがひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。雨など降るもをかし。

秋は夕暮れ。夕日の射して、山の端いと近うなりたるに、烏の寝どころへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど、飛び急ぐさへあはれなり。まいて、雁などのつらねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。日入りはてて、風の音、虫の音など、はた言ふべきにあらず。

冬はつとめて。雪の降りたるは、言ふべきにもあらず。霜のいと白きも、またさらでも、いと寒きに、火など急ぎおこして、炭持てわたるも、いとつきづきし。昼なりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶の火も、白き灰がちになりて、わろし。

DSCN7654
陵墓から見える京都市街
清少納言との楽しき日々を思い出してくれただろうか

DSCN6194

カンカン照りではなかったけれど、奈良と京都の蒸し暑さは関東とはレベルが違う!
徒歩5分でシャツが背中に張り付いた。
でも、この湿気ゆえにお寺や仏像が守られてきたのかもしれないな。

いにしえの人々のいろいろな思いに浸った旅だった。
















● 2025年夏・みほとけまつり3 奈良国立博物館・仏像館

 奈良国立博物館の一角を占める仏像館は、仏像専門の展示施設として2010年にオープン。
 飛鳥時代から南北朝時代にいたる日本の仏像を中心に、常時100体近くの仏像を展示している。
 まさに仏像の巨大集積地であり、仏像マニアにとっての聖地である。
 ついにここにデビューした。

DSCN7584
仏像館
一般入場料700円だが、奈良大学の学生は学生証提示で無料
写真撮影可の仏像もある

DSCN7625
現在、吉野金峯山寺の金剛力士像が展示されている

DSCN7585
出山釈迦如来立像(木造、南北朝時代)
苦行で悟りは開けないと知ったお釈迦様が山を下りたところ
このあと乳がゆを飲んで菩提樹の下に座す

DSCN7587
五大明王像(木造、平安時代)
多面多手の奇怪な姿は密教の影響
空海帰国以降の像と知られる

DSCN7597
二十八部衆立像(木造、鎌倉時代)
左より、婆藪仙人、毘沙門天、毘楼博叉天、五部浄居天
力強く写実的な像容はおそらく慶派?

DSCN7599
憤怒の五部浄居天

DSCN7618
金峯山寺仁王門・金剛力士立像(木造、南北朝時代)
康成作、像高約5m
東大寺南大門の次にデカい仁王像
寄木造のため分解して運び入れた(by警備員さん)
天井ぎりのド迫力!

DSCN7620
阿!

DSCN7591


DSCN7619
吽!

DSCN7593


DSCN7595
血管が蛇のようにのたくっている

DSCN7592


DSCN7600
毘沙門天立像(木造、鎌倉時代)
これも慶派だろう

DSCN7602
男女神坐像(木造、平安時代)
ひな人形の原型のように見える

DSCN7604

伊豆山権現立像(木造、平安~鎌倉時代)
静岡県熱海市の伊豆山神社の祭神
これぞ『源氏物語』時代のイケメン!

DSCN7612
獅子(木造、鎌倉時代)
かつて背上に文殊菩薩を乗せていた
主を失って、どことなく淋しげである

DSCN7616
伽藍神立像(木造、鎌倉時代)
「走り大黒」と呼ばれていたが、禅宗寺院を護る伽藍神との説
宅急便のキャラクターにしたら受けそう

DSCN6196

 今回仏像を見るにあたってソルティがチャレンジしたのは、キャプション(解説)を読む前に、仏像の造られた時代を推定するゲーム。
 奈良大学通信教育の美術史概論で、時代ごとの仏像の様式を学んだので、観るだけでどれだけ当てられるものか試してみた。
 結果、約7割くらいの仏像について、正しい(キャプションどおりの)時代を当てることができた。
 難しいのは、鎌倉時代以降の仏像について、鎌倉か室町か南北朝か、見分けがつかなかった。
 〇〇派や仏師の名前まで当てられるようになれば、上級者入り?

 今回もっとも感動した仏像は、金峯山寺仁王像のほかに2点あった。
 1点は、快慶の阿弥陀如来立像。
 よもやここで快慶仏と出会えると思っていなかった。
 建仁元年(1201)に快慶が兵庫県浄土寺のためにつくったもので、奈良国立博物館が預かっているのだという。
 浄土寺の阿弥陀如来三尊像と言えば快慶の代表作(国宝)として有名だが、これはそれとは別物。
 俗に「裸阿弥陀」と呼ばれ、法会の際に裸の上半身に実際の衣を着せ、台座に乗せて信徒の間を練り歩くのに使われた像らしい。
 普通に考えて、あの国宝がなんの広報も宣伝もなく、仏像館に並んでいるわけがなかった。
 しかし、この阿弥陀如来像も素晴らしいことこの上ない。
 像高266.5cmのすらりとした麗姿と、透過力ある眼差しを前にすると、一歩も動けなくなる。
 蜘蛛の巣にかかった虫のように身動き取れなくなってしまうところが、快慶仏の凄さ。  
 巣の中心から放射されたキラキラした糸が、慈しみの光で観る者を包み込む。

 もう1点は、平安時代の十一面観音菩薩立像。
 木造、等身大、なめらかな黒檀のような肌と細くくびれたウエストをもつ非常に美しい像で、インドの女神のごとく下半身を軽く捻った姿勢が官能的である。
 一方、表情はたおやかにして童女のようにあどけない。
 どことなく現役時代の浅田真央に似ている。
 衣の彫りは丁寧で、指先の表情の豊かさは、法隆寺の百済観音か、中宮寺の菩薩半跏像を思わせる。
 この完成度、超国宝展でお会いした京都・宝菩提院の菩薩半跏像に近い。
 一目惚れしてしまった

 帰宅後に調べたところによると、斑鳩の勝林寺が所有していたのだが、現在廃寺になってしまった。
 東京文化財研究所のデーターベースによると、1960年2月の記事に、

奈良県斑鳩町高安の勝林寺では、本堂再建資金の調達と重要文化財の仏像の保持困難を理由に、重要文化財指定の仏像三体を売却する法的手続をとつた。仏像は、木造十一面観音立像、聖観音立像、薬師如来座像の三体で、文化財保護委員会ではこれを許可した。
 
とあるので、このとき奈良博に所有が移ったものと思われる。
 なんと、白洲正子がその著『十一面観音巡礼』の中でこの仏像に触れている。

 殊にくびれた胴から腰へかけての線はなまめかしく、薄ものの天衣を通して、今や歩みだそうとする気配がうかがわれる。十一面観音にはよく見られるポーズだが、この観音の場合は、極端に細い胴と、豊満な腰のひねりによって、その動きが強調され、太っているわりにはひきしまって見える。(白洲正子著『十二面観音巡礼』、新潮社)

IMG_20250817_193220

 また会いに行くよ












  

 
 





 





● 2025年夏・みほとけまつり2 奈良市・元興寺

 奈良大学の3日間のスクーリングを終えた翌日、目覚ましをかけない朝寝坊を楽しみ、ホテルの食堂でゆっくりモーニング。
 荷物をフロントに預かってもらって、チェックアウト。
 本日は歩いて行ける仏閣・仏像めぐり。
 
日時 2025年8月11日(月)晴れのち曇り
行程
09:30 元興寺
12:00 猿沢池
     昼食
12:30 奈良国立博物館・仏像館
16:00 JR奈良駅
17:30 京都入り 

 元興寺は猿沢池から徒歩5分強の住宅街にある。
 あまり知られておらず、訪れる旅行客もさほど多くないのだが、実は長い長い歴史を誇る由緒ある寺である。
 なんと、日本で一番古い寺!なのである。

 いや、日本で一番古い寺は、蘇我馬子が596年に飛鳥の地に建てた法興寺(飛鳥寺)、鞍作止利のつくった金銅造の釈迦如来像がある別名・安居院だろう?
 そのとお~り。
 実は、飛鳥寺は平城遷都のときに当地に移され、元興寺と名を変えたのである。
 それゆえ、元興寺は「平城(なら)の飛鳥」と呼ばれたという。
 知らなかった。

 もとの飛鳥寺のほうはその後、元法興寺と呼ばれて平安時代頃まではそれなりに栄えていたらしい。
 が、室町時代には廃寺同然となり、釈迦如来像は吹きさらしに置かれていたという。現在の本堂は江戸時代に再建されたもの、釈迦如来像は顔の一部と右手の3本の指をのぞいてあとから作り直されたものなのである。

DSCN7322
飛鳥寺(安居院)

DSCN7318
飛鳥大仏(釈迦如来像)

 もし、平城京に移る際に釈迦如来像も一緒に移していたら、日本で一番古い仏像がもっとマシなかたちで残っていたかもしれない、と一瞬思う。
 が、平重衡による南都焼討ち(1180年)によって、興福寺・東大寺を含む現在の奈良市主要部の大半が焼け野原になったというから、やっぱり期待はできなかった。
 文化遺産の最大の敵は戦である。


DSCN7570
養老2年(718)、飛鳥より現在地に遷された
もとは猿沢池のほとりを北辺とする広大な寺所があった

DSCN7582
国宝・極楽堂(本殿)
本尊は、天平期に智光僧都がつくった曼荼羅(浄土変相図)
現在は模写が飾られている

DSCN7573


DSCN7574
手入れが行き届いた気持ちいい空間
この寺を愛する地元民のこころを感じる

DSCN7575
極楽堂を裏手から見ると、飛鳥時代(創建当初)の瓦が見える
鎌倉時代にお堂が再建されたときに再利用された

DSCN7576


 ここの宝輪館の展示が実に面白い。
  • 奈良時代唯一の五重塔(高さ約5.5m)は、ずっと屋内に保管されていたため保存状態がとても良く、国宝指定されている。ただし、当初の色は失われている。2階に上って、塔の上層部を真横から見ることができるのは貴重。
  • 平安時代の阿弥陀如来像、鎌倉時代の毘沙門天像、桃山時代の閻魔大王像、江戸時代の弁財天像など、各時代の仏像が居並び、バラエティ豊か
  • 聖徳太子2歳像、16歳像、弘法大師坐像と揃っているのが民間信仰を感じさせる
  • 3階には、国家でも貴族でもなく地元庶民の篤い信仰によって支えられてきた寺の歴史を感じる資料がたくさん展示されている。鎌倉時代の女性が作った「DV夫との離婚を祈願する祭文」はじめ、中世の庶民信仰の様子をうかがえる第一級の資料の数々に感嘆した。国の庇護を受けた東大寺、藤原氏の氏寺である興福寺のそばに、奈良庶民の寺があった。
  • 卒塔婆など木製遺物の保存修復の実際など、文化財保存科学に関するわかりやすい展示もあって、テキストで勉強したことの復習ができた。

DSCN7572
境内に咲く桔梗に癒される

DSCN7578


DSCN7580
かえる石
太閤秀吉により大阪城に召し出された奇石
淀君の霊がこもっていると言われ、城堀に身投げした人は必ずこの石の下に帰り着いたとか
いかなる縁からこの寺にたどり着いたのやら
毎年7月7日に供養しているとのこと

DSCN7579
春日山を借景とする緑豊かな境内は、市中とは思えない静かさ
落ち着いた時を過ごせる良い寺である

DSCN7583
興福寺の梵鐘を聴きながら、猿沢池のほとりで昼食
午後から仏像館へ。











 

 
 

● 2025年夏・みほとけまつり1 愛知県・瀧山寺

 奈良大学のスクーリングに合わせての寺社仏閣・仏像めぐり。
 今回も、名宝&秘宝&珍宝てんこもりの満足至極な旅となった。
 40度近い炎天下の行軍(?)を覚悟していたが、曇りや雨が多く、身体的にはさほどしんどくなかった。
 スクーリング前日、名古屋で途中下車し、運慶・湛慶父子作の仏像がある瀧山寺に寄った。

日時 2025年8月7日(木)曇り時々晴れ
行程
11:18 JR名古屋駅発(名鉄名古屋本線)
11:47 名鉄・東岡崎駅着
12:00 東岡崎駅発(名鉄バス・上米河内行)
12:30 滝山寺下バス停着
     瀧山寺参詣(約2時間)
14:48 滝山仁王門前バス停発
15:17 東岡崎駅着
15:47 新幹線・名古屋駅発 

DSCN7486
東岡崎駅北口から名鉄バスに乗る
本数が少ないので、事前チェックは必須

DSCN7496
滝山寺下バス停下車
こんな里中にあるとは思わなかった
「市街地より気温が2度ほど低い」とご住職

DSCN7487
その名の通り、滝のある川沿いの山の上にある
石段で汗を絞られた

 瀧山寺は、天武天皇(673-686)の時代に役行者によって開かれたと言われる。
 もとは吉祥寺という名前であったが、平安末期に天台宗になり、瀧山寺となった。
 以来、源頼朝や足利義氏や徳川家光の庇護を受け、三河屈指の古刹として地域の人々の信仰を集めてきた。
 
 
DSCN7489
本堂
鎌倉時代建立
本尊は50年に1度御開帳の薬師如来坐像
内陣には十二神将が立ち並ぶが、暗くてよく見えなかった

IMG_20250813_172056
瀧山寺パンフレットより
薬師如来三尊像と十二神将

DSCN7490
本堂の背後にある日吉山王社
平安末期、瀧山寺の守護神として山王権現を勧請した
いわゆる神仏習合である
建物自体は江戸時代建立

DSCN7492
徳川家光建立の東照宮
岡崎は家康公誕生の地なのである

DSCN7495
宝物殿
拝観料500円
ちょうどご婦人団体と一緒になり、住職の愉快な解説が聞けた

IMG_20250813_165529
運慶・湛慶作の聖観音立像
(瀧山寺パンフレットより)

 なぜ、鎌倉からも京都や奈良からも離れたこんな愛知の里中に運慶作の仏像があるのか?
 それは鎌倉時代初期に瀧山寺の住職を務めた寛伝僧都が、源頼朝の母方の従弟だったから。
 頼朝が亡くなった際、寛伝は頼朝の追善供養のため堂を建て、頼朝と関係の深かった運慶に本尊と脇侍の制作を依頼。
 運慶は、息子の湛慶と共に、聖観音菩薩立像、梵天立像、帝釈天立像の3体を彫像。
 寺の縁起によれば、頼朝の3回忌にあたる正治3年(1201年)に完成、像内に頼朝の鬚(あごひげ)と歯を納入したという。
 近年のX線撮影では、聖観音像の頭部に人の髪の毛と歯が発見されている。

 実を言えば、美術の本やインターネットで観た時は、運慶作という点に疑心暗鬼なところがあった。
 肌を白ベタや金ベタに塗りたくられ、カラフルな衣装をまとった3像からは、温泉地の土産物屋で売られている人形のようなゴテゴテしい安っぽさを感じた。
 しかるに、実物を目の前にしてみたら、思ったより大きくて、周囲の空気を薙ぎ払う風格と品の良さがあった。
 静かな落ち着きのうちに神々しいオーラを放っていた。
 聖観音と梵天は、とても優しい顔立ちで、体の線には女性らしい柔らかさとなまめかしさがある。母性的といおうか。
 対して、帝釈天は、きりっとした勇ましい顔立ちで、アスリートのごとく引き締まった体から漲る力を感じる。“美しい緊張”は願成就院の毘沙門天像に近い。
 個人的な印象では、帝釈天は運慶、梵天は湛慶、聖観音が合作といった感じ。
 江戸時代に彩色されてしまったため、国宝指定は受けられないのだそう。

 宝物殿にはほかに、深大寺の巨大彫刻のミニチュア版のような元三大師坐像(鎌倉時代)、いっとき快慶作ではないかと騒ぎになった十一面観音菩薩立像(美術史家の奥健夫氏によって否定されたそうな。but 慶派の作であるのは間違いなかろう)、愛知県で一番古い木彫りの狛犬、旧正月七日に行われる瀧山寺鬼まつりの鬼面、まつりの光景を描いた巨大絵画などが展示され、見どころたっぷりだった。

DSCN7497
前を流れる青木川
豊田市との境で矢作川に合流し、三河湾にそそぐ

DSCN7498
三門(仁王門)
鎌倉時代建立
お寺からはバス停ひとつ分(歩いて10分)離れたところにある
かつてはここから境内が始まっていた

DSCN7501
バスの待ち時間にベンチで横になる
イチョウの緑の大群のなかに、紅葉を発見

DSCN7502
名古屋駅に戻る

DSCN7507
新幹線の車窓から
岐阜県近江八幡付近を走行中

DSCN7508
JR奈良駅到着
明日からスクーリング












● 慶派をめぐる伊豆の旅(後編)

 朝5時に目が覚める。
 1時間瞑想。  
 露天風呂独り占め。
 宿の庭を散策。

DSCN7399
夜中に一雨あったらしい。
天気予報では午後からまた雨になるという。

DSCN7398
9時過ぎにチェックアウト。

DSCN7403
千歳橋から守山を望む。
あそこまで歩く。
晴れてなくて良かった

DSCN7407
途中にある眞珠院(曹洞宗)

DSCN7406
ここには源頼朝との恋に破れ、真珠ヶ淵に身を投じた伊東祐親の娘八重姫の供養塔がある。『鎌倉殿の13人』ではガッキーこと新垣結衣が演じていた。

DSCN7405
八重姫の木像

DSCN7409
守山に抱かれた願成就院

DSCN7410
文治5年(1189)北条時政が、頼朝の奥州征伐を祈願して建立したと伝えられる。
その後は北条氏の氏寺となった。

DSCN7422
真言宗のお寺である。
このお大師様、颯爽としている。

DSCN7412
北条時政(1138-1215)のお墓
『鎌倉殿』では坂東彌十郎が好演していたが、ソルティの中では『草燃える』の金田龍之介のイメージが強い。

DSCN7423
大御堂
外国人の男性が案内&解説してくれた。

 寺院建立にあたって、時政は30代の運慶に作仏を依頼した。
 運慶は、現在大御堂にある阿弥陀如来像、毘沙門天像、不動明王像、制吒迦童子(せいたかどうじ)像、矜羯羅童子(こんがらどうじ)像などを造立した。
 その力強く大胆な造形と人間味は、平安後期の仏像の模範であった定朝様(宇治平等院鳳凰堂の阿弥陀如来像が典型)とは一線を画すものであった。
 これによって、運慶を始めとする慶派は東国の武士たちに贔屓にされ、鎌倉時代に隆盛を極めることになる。
 5体いずれもはんぱないオーラを放つ存在感に満ちた傑作であるが、とくに毘沙門天像が優れていると思う。(5体とも2013年に国宝指定を受けた)

 大御堂の背後に宝物殿がある。
 北条時政の肖像彫刻、北条政子地蔵、両界曼荼羅、上記仏像の中に見つかった木札(そこに時政の発願により運慶が造ったことが記されていた)などが展示されている。

DSCN7413
本堂前の庭
予想を超える素晴らしい仏像との出会いに、すっかり満足した。
来た甲斐あったな。

DSCN7418
五百羅漢
地元の石工さんの指導・手伝いのもと、羅漢づくりに挑戦できる。
眼鏡をかけた羅漢やゴルフクラブを持った羅漢など、ユニークで面白い。

DSCN7415
これはむしろオーソドックス羅漢

DSCN7424
願成就院の隣にある守山八幡宮
治承4年(1180)、この地で頼朝は平家追討を祈願し挙兵。手始めに山木判官平兼隆を討った。

DSCN7426
やっぱり、本殿は山の上にあるのね。

DSCN7425
わざわざ登らなくても良かったのだが・・・。
まあ、足腰を鍛えるためとしよう。

DSCN7431
三島駅に戻って、駅前の寿司屋で刺身定食(1800円)を注文。
今回の旅の一番の御馳走。

 雨が降ったら、まっすぐ帰るつもりでいたが、どうやら持ちそう。
 せっかくなので、前々から気になっていた「かんなみ仏の里美術館」に行くことにした。

DSCN7432
JR函南駅
ここからタクシーで5分の山里にある。

DSCN7434
かんなみ仏の里美術館
2012年に開設された函南町立の美術館。
函南町桑原区で古くから大切に拝まれてきた仏像24体を保管・展示している。

 洞窟のように暗い展示室に入った瞬間、別次元に連れて行かれた。
 「まったく、こんな山里に、よくもまあ、こんな素晴らしい仏像たちが眠っていたものよ!」と、驚いたのなんの。
 もとい眠っていたわけではなく、里人たちに篤く信仰されていたのであるが・・・。

 慶派の仏師と言えば、慶派の祖である康慶(運慶の父)をのぞけば、運慶と快慶が2大巨頭。
 そのほかは、運慶の長男の湛慶(京都・三十三間堂の千手観音菩薩像)、3男の康弁(奈良・興福寺の龍燈鬼像)、4男の康勝(京都・六波羅蜜寺の空也上人像と東寺の弘法大師像)あたりの名が、その代表作とともに上げられることが多い。
 しかし、ここに実慶という仏師がいたのである!

 実慶は康慶の弟子で、運慶や快慶と同年代と推測されている。
 関東中心に活躍していたらしく、ほかに伊豆修禅寺の大日如来像(毎年11月に開帳される)を残している。 
 
 実慶作の阿弥陀如来像、勢至菩薩、観音菩薩の美しいことったら!
 前に立つや、思わず、「うつくし~!」と声に出てしまった。
 慶派ならではの力強い写実性と厳しい表情は備えながらも、奈良・薬師寺金堂の薬師如来三尊像のようなエレガンスをまとっている。
 両脇菩薩のなめらかな腕のラインなどは、奈良・中宮寺の菩薩半跏像のようである。
 明らかに、実慶は、治承4年(1180)に平重衡によって焼かれる前の東大寺や興福寺、および法隆寺や薬師寺の白鳳・天平彫刻たちを学んでいる。
 また、流れるような衣文(ドレープ)の絵画的な美しさや、如来が乗っている蓮華座の細やかな意匠などは、運慶よりむしろ、快慶(京都・醍醐寺三宝院の弥勒菩薩坐像)に通じるところがある。
 3者の上下関係はわからないが、実慶はちょうど運慶と快慶の交接点に位置しているかのように思われる。

 阿弥陀三尊の右側に居並ぶ十二神将も面白い。
 3体が平安時代、4体が鎌倉時代、5体が室町時代以降の作なので、時代ごと様式変化を探るのも一興。
 ソルティはもっとも人間っぽい顔をして動きの静かな因陀羅大将が気に入った。

DSCN7380

 実慶の阿弥陀三尊も十二神将も玉眼――目の部分をくりぬき、内側から水晶をはめ込む技法――がほどこされている。
 周囲が一様に明るかったり暗かったりする場所では目立たないのだが、ここの展示室のように暗い場所で、仏像の顔に懐中電灯を向けるや、玉眼が浮き上がり、鋭い光を放つ。
 数世紀の眠りからいま目覚めたかのように、表情が一変するのである!
 その効果はすさまじく、とりわけ阿弥陀如来像などは、悟りきった穏やかな慈顔と思ってそれまで観ていたものが、光を差し向けるや否や、像の前に立つ者におのれの罪業の深さを自覚させ反省させるかのような厳しさを示す。
 昼の光ではわからない。
 夜の闇でもわからない。
 蝋燭の光が揺らめく夜の堂内においてのみ、仏たちはその真の姿を、煩悩に苦しむ者たちの前に現したのではないかと想像する。 
 これはぜひ懐中電灯持参で拝観してほしい。(受付でも貸してくれる)

IMG_20250614_094600
受付でもらったパンフレット
左が実慶作の阿弥陀如来像、右が平安中期の薬師如来像

DSCN7433
この美術館は展示内容も展示の仕方も素晴らしく、スタッフの方々も親切で、(望むなら)懇切丁寧に解説してくれる。
仏像好きなら、至福の時間を過ごせること間違いなし。

DSCN7435
仏像を守って来られた桑原の人々に感謝。

DSCN7420
今回も気づきと驚きいっぱいの良か旅であった。
 


 
おわり








 

● 慶派をめぐる伊豆の旅(前編)

 全国に運慶の作ったとされる仏像は相当数ある。
 うち運慶作と確定しているもの、及び、かなり確実なものは、合わせて28体ほど。
 数えてみたら、ソルティはうち12体をこれまでに拝観していた。
 2017年に東京国立博物館で開催された「運慶展」に行っていれば、まとめて22体が観られたらしいのだが、その頃はまだ仏像マニアではなかった。
 これから機会を見つけて、運慶仏を(快慶仏も)めぐっていこうと思っている。
 旅の楽しみが増えたことひとつとっても、奈良大学に入学して良かった!

 まずは、静岡県伊豆長岡の願成就院。
 ここには、確定されている運慶仏が5体ある。
 伊豆の温泉にゆっくり浸かって、運慶をじっくり見る。
 それだけが目的の贅沢な一泊列車旅を企画した。

●1日目
 三嶋大社
 三島市立公園・楽寿園
●2日目
 願成就院
 かんなみ仏の里美術館

DSCN7359
JR三島駅
あいにく曇天で富士山は見えなかった。
が、晴れていたら真夏日(30度越え)確実、外歩きはきつかったろう。

DSCN7360
三嶋大社
ここは初めての参詣。
創建は不明だが、1300年以上の歴史をもつ。
祭神は、大山祇命(おおやまつみのみこと)、積羽八重事代主神(つみはやえことしろぬしのかみ)。後者はいわゆる恵比須様である。

DSCN7361
神池と厳島神社
境内は広々と気持ちいい。

DSCN7363
舞殿と本殿
意外と参拝者が多くてびっくり。

DSCN7364
本殿正面の千鳥破風

DSCN7365
破風の下の彫刻
天岩戸神話か? 中央がアマテラス(天照大神)のように見える。

DSCN7366
境内にある神鹿園(しんろくえん)
大正時代に奈良の春日大社から「神様の使い」として譲り受けたという。

DSCN7368
バンビちゃんとおかあさん(おとうさんか?)

DSCN7375
三島は、富士山の伏流水がいたるところで湧き出る水の都。
清流の流れる街の抒情は、井上靖や太宰治ほか文豪たちの称賛のまとであった。
「三島」の地名の由来は「水澄み(みすみ)」ではなかろうか?――などと妄想する。

DSCN7376
三島市立公園・楽寿園
明治23年に小松宮彰仁親王の別邸としてつくられた。
昭和27年三島市の所有となった。
入園料大人300円だが、学生証提示で無料だった!

DSCN7377
小浜池
溶岩の間から出る湧き水の池だが、周囲の開発の影響で近年は渇水状態が続いている。野鳥の観察にはいいところである。

DSCN7381
約1万年前の富士山の噴火で流れ出した溶岩のあと

DSCN7382
伊豆箱根鉄道駿豆線に乗る

DSCN7383
伊豆長岡駅
駅前は閑散としている。

DSCN7384
千歳橋を渡る。

DSCN7385
狩野川(かのがわ)

DSCN7402
源頼朝も入ったという1300年の歴史を持つ温泉地。
そう、源氏&北条氏ゆかりの地なのである。

DSCN7392
源氏山(約150m)の周囲に温泉宿が立ち並んでいる。
まずは源氏山(約150m)に登る。

DSCN7387
展望広場に到着。

DSCN7386
右手に、伊豆長岡駅・千歳橋を見下ろす。

DSCN7391
左手に、明日行く予定の願成就院。
地図によると、あのこんもりした山(守山)の裏側にあるようだ。

DSCN7393
下山して、今夜の宿にチェックイン。

DSCN7394
やっぱり、弘法さまでしょ。

DSCN7401
きれいで落ち着いた雰囲気の館内。
階段に昇降用リフトが付いており、バリアフリー対策も十全。(職業柄、そういうところが目についてしまう)
ラドン温泉と岩盤浴で、しこたま汗をかいた。
休憩室の電動マッサージチェア(無料)で“無重力揉みほぐし”を体験。
おかげでぐっすり眠れた。

DSCN7395


後編につづく。





● 日本最大の坐禅肖像彫刻@深大寺

IMG_20250515_140049

 東京調布の深大寺と言えば、蕎麦と国宝の釈迦如来倚像で有名であるが、令和に入って今一つの名物が誕生した。
 日本最大の坐禅肖像彫刻、元三大師像である。

 もっとも、像が造られたのは鎌倉時代であり、蒙古襲来(元寇)との関係が推測されている。
 強大な法力を持ち「厄除け大師」として知られていた元三大師(912-985)の像を、外敵調伏の本尊として造立し、戦勝祈願したという謂れである。

 この像は長らく秘仏であり、50年に一度しか開帳されないので、存在が知られてなかった。
 最後の正式開帳は元三大師1000年忌にあたる昭和59(1984)年だったらしいのだが、世間はバブル突入で国民総浮かれモード。今あるような観仏ブームなど程遠かった。
 むろん、ソルティも覚えていない。

 本来なら次回開帳は2034年になるところだが、令和4~6年に奈良国立博物館の修理所にて像の本格修理を実施、その修理完了を記念して、この春、同博物館にて特別公開を行った。
 それが済んで深大寺にご帰還されたところで、この4月26日から6月2日まで、臨時の「元三大師大開帳」が行われているのである。

MVIMG_20250515_152712~2
深大寺は天平5年(733)開創の古刹
JR三鷹駅からバスで行った。
バスを降りた瞬間、蕎麦の香りに包まれる。

IMG_20250515_140421
本堂
本尊は中国風の宝冠をかぶった阿弥陀如来坐像

MVIMG_20250515_140730~2
元三大師堂
元三大師の正式の名は、慈恵大師良源(りょうげん)。
第18代天台座主で、比叡山延暦寺の中興の祖とされる。
命日が元月(1月)3日だったことから「元三大師」と称された。
弟子に『往生要集』を著した源信がいる。
拝観料1000円を払って堂内に。

IMG_20250515_140453
撮影は禁止。
薄暗い内陣の奥に、黒ずんだ巨大な僧形の元三大師がおられた。
表情険しく、金色に光る目がとても鋭い。
心にやましいところがある人は対峙できないだろう。
寄木造で、内部がくり抜かれている。
頭部は鎌倉彫刻に特徴的な写実の追求が見られるも、体部は全体的に簡素にまとめられており、衣のドレープの表現などは凡庸。
美術的には、唐招提寺の鑑真像六波羅蜜寺の空也上人像には及ばないが、観る者を圧倒する迫力はすごい。

IMG_20250515_235232
入堂時にもらったパンフレット
今回の修理の概要が、写真入りでわかりやすく書かれている。
解体したところ、像内にネズミが巣を作っていた(笑)
秘すればゴミ、である。

IMG_20250515_234934
像高195.1cm
坐像としては、おそらく日本最大の肖像彫刻だろう。
ちなみに、東京国立西洋美術館収蔵のロダン「考える人」は高さ186cmである。

考える人
負けた・・・・。

MVIMG_20250515_151755~2
境内に建つ角大師像(中央)
元三大師は、頭に2本の角を生やし、両目を見開き、あばら骨が浮き立つ異様な姿で描かれることもある。俗に角大師(つのだいし)と呼ばれる。
「角大師の護符」は厄除け効果があるとして、江戸時代には大量印刷され、お寺などで配られた。

角大師
子供の頃、ソルティの家の玄関にも貼ってあった。
コロナ禍のときにも、アマビエやスサノオノミコトと並んで活躍された。

IMG_20250511_150346
国宝の釈迦如来倚像は、現在奈良国立博物館の超・国宝展に出陣中である。

IMG_20250515_135844
蕎麦観音が呼んでいる。

MVIMG_20250515_151348~2
本堂裏手、神代植物園前にある玉乃屋。
このあたりは国分寺崖線の際にあり、湧き水の宝庫である。

MVIMG_20250515_145123~2
天ぷらそば(1800円)と深大寺ビール。
十割そばのコシと香り、天ぷらの味と触感を存分楽しむ。
もちろん、〆はそば湯で滋養をつける。

MVIMG_20250515_150014~2
薫風に吹かれ、緑を愛でながら、打ちたての蕎麦を食べる。
これを仏のご加護と言わずになんと言おう。

MVIMG_20250515_151617~2
おびんずる様にまたの参詣を約束し、武蔵野の森をあとにした。












● 本:『日本の地名 おもしろ探訪記』(今尾恵介著)

2013年ちくま文庫

地名探訪記

 子供の頃から地図を見るのが大好きだった著者が、風変わりな地名をもつ日本各地の土地を訪ね歩く。
 青森県の「不魚住・十三・馬鹿川」、秋田県の「心像(こころやり)、雪車町(そりまち)」、神奈川県の「〆引・伯母様」、長野県の「東京・日本記」、滋賀県の「雨降野・酢・相撲」、和歌山県の「八尺鏡野(やたがの)・防己(つづら)」、鳥取県の「耳・白兎(はくと)」、山口県の「セメント町・硫酸町」、愛媛県の「鼠鳴・猿鳴」など、21県72地名が取り上げられている。

 読んで面白いのは、地名の由来を探るだけでなく、著者がその土地に実際に足を運んで、山中や海浜や旧道を迷いながら歩いたり、ローカル線や田舎のバスに乗ったり、土地の人と会話して昔話を聞いたり、安価な土産物を買ったり、写真を撮ったり、庶民派旅行エッセイになっているところ。
 JTB発行の『旅』という雑誌に連載されていたそうなので、読者の旅心をそそるものとなるよう苦心したのであろう。
 たしかに、「股引の破れを繕いで」旅に出たくなった。

IMG_20250510_121711

 2018年の秋に四国歩き遍路をした時、やはり、偏路沿いの変わった地名に目を引かれた。
 電信柱や家の表札横の住所表示、駅名、バス停の名前、そしてスタートからゴールまで旅の友として持ち歩いたへんろみち保存協力会編『四国遍路ひとり歩き同行二人(地図編)』で見つけた字(あざ)名。
 名前の由来が気になったが、1400kmの遍路中はそれを写真に記録したり、街道の人に由来を聞くような余裕などとてもなかった。
 いい機会なので、思い返して、ここに上げておきたい。

  切幡吉友(きりはたよしとも)
  鬼籠野(おろの)
  馬喰草(まくそう)
  和食(わじき)
  御畳瀬(みませ)
  浮鞭(うきぶち)
  高瀬絶海(たかせたるみ)
  久百々(くもも)
  宗呂丙(そうろへい)
  小才角(こさいつの)
  大駄馬(おおだば)
  浮穴(うけな)
  常保免(じょうほうめん)
  八十場(やそば)
  鬼無(きなし)
  造田是弘(ぞうたこれひろ)
  犬墓(いぬはか)

 場所は記さなかったが、圧倒的に高知県に多かった。
 なんでだろう?
 最後の「犬墓」は、結願した88番大窪寺(香川県)から徳島県に戻る途中の風光明媚な山里である。
 弘法大師が行脚に連れていた愛犬の墓があるからという。

犬墓大師


犬墓大師2

 地名を楽しむ旅は、スローペースな歩きや自転車だからこそ可能なのである。
 車や列車だったら、住所表示を読む間もなく、あっと言う間に行き過ぎてしまって、気づくこともないだろう。
 そして、地名くらいその土地のゆかりを饒舌に語るものはない。
 次に四国遍路するときは、地名に注目しながら歩きたいものだ。(←行く気になっている⁉)

 


おすすめ度 :★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損





● 2025春の奈良旅3 古代まつり

 前回飛鳥に来たのがいつだったか思い出せない。
 いや、藤原京を飛鳥に含むとすれば、3月の奈良大学通信教育スクーリングで訪れている。
 が、ソルティの中では、やはり、聖徳太子や推古天皇や蘇我氏が活躍した頃の政治・文化の中心地を飛鳥とみなしたいのである。
 つまり、山岸涼子作『日出処の天子』の舞台である。 (ただし、斑鳩宮はかなり離れている)

日出処の天子

3日目(4/27)晴れ
09:00 橿原神宮駅前
     自転車レンタル
09:20 明日香村
09:40 甘樫丘展望所
10:20 飛鳥寺(安居院)
10:50 飛鳥坐神社
11:00 酒船石
11:15 岡寺
12:00 石舞台古墳
     昼食
13:00 天武・持統天皇陵
13:20 近鉄橿原線・飛鳥駅
     自転車返却
13:30 飛鳥駅発
15:00 JR京都駅発

DSCN7305
近鉄橿原線・橿原神宮前駅
駅前のレンタサイクル店に開店と同時に行くも、電動アシスト付きは予約で押さえられていた。普通の自転車で Let's GO !

DSCN7306
住宅街が終わり、畑と空が広がる。
そこは明日香村。
時間の流れがゆるやかになった。

PANO_20250427_094611
まずは甘樫丘(148m)に登り、北側の大和三山にご挨拶。
三山を含む広い平野(ほぼ目に入る地域)が藤原京の跡地である。
デカさが実感される。

DSCN7312
香久山

DSCN7313
耳成山

DSCN7314
畝傍山

DSCN7311
南側に飛鳥京の跡地を望む

DSCN7315
畑仕事している男性に飛鳥寺への道をきいたら、とても親切に教えてくれた。観光客ずれしていないんだな。

DSCN7322
飛鳥寺
蘇我馬子の発願により推古天皇4年(596)に創建された日本最初の寺院。
安居院という名をもつ。

DSCN7318
本尊の飛鳥大仏(釈迦如来坐像)
609年、鞍作鳥(くらつくりのとり)によって造られた日本最古の仏像。
高さ3m、銅15トン、金30kgが用いられたというから、聖徳太子や蘇我氏の仏教受容の気合いのほどが偲ばれよう。
鎌倉時代の火災による破損のため、当初の部分が残っているのは顔面の上半分と右手指3本。そのせいか国宝には指定されておらず、撮影自由であった。

IMG_20250505_224808
アーモンド形の目はたしかに、アルカイックスマイルと並ぶ飛鳥仏の特徴である。

DSCN7316
飛鳥寺より甘樫丘を望む。
中心やや左下に見えるのは、蘇我入鹿の首塚。
うららかだ。

DSCN7323
飛鳥坐(あすかにいます)神社
創建不明の古社。
大国主神の御子である事代主神(ことしろぬしのかみ)を主祭神とする。
お多福と天狗が夫婦和合の「種つけ」をし、稲の豊穣・子宝を願う天下の奇祭「おんだ祭り」で有名。
現在の宮司は飛鳥家87代目当主である。

DSCN7325
酒船石
長さ約5.3m、最大幅約2.3m、高さ約1mの謎の花崗岩。
酒を醸造したという説からこの名で呼ばれているが、用途不明。

DSCN7324編集
卜占(水占い)に使われたという説もある。

DSCN7326
岡寺
663年、義淵僧正による創建と伝わる。
国宝の義淵僧正像(木心乾漆像)は超国宝展でお会いできた。

DSCN7331
本堂
日本最大(約4.6m)の塑像である如意輪観音さまがいらっしゃる。
右手は施無畏印、左手は与願印、足は結跏趺坐というオーソドックスな像容が意外。六臂(六本の手)をもち片膝を立てて思惟する通常の如意輪観音とはまったく異なる。奈良時代の作と伝わるが、あとから作り直された部分が多そう。子供の粘土細工のような稚拙さがかえって可愛い。

DSCN7334
三重塔
1986年に514年ぶりに再建された。

DSCN7332
岡寺より見下ろす飛鳥の里
ここまでの登りが人力自転車には最もきつかった。

DSCN7335
ふと空を見上げると龍が泳いでいた。
いいことありますように。

DSCN7346
石舞台古墳
今は石が露出しているが、もともとは土がかぶせてあり、一辺約50mの方墳をなしていた。
蘇我馬子の墓とされる。

DSCN7338
飛鳥のシンボルというにふさわしい存在感。
この角度からだと、馬子(『日出処の天子』に出てきた熊親爺)が横たわっているように見える。
中は空洞(石室)になっている。

DSCN7341
馬子の頭側から中に入れる。

DSCN7342
長さ約7.8m、幅約3.4m、高さ約4.8mの花崗岩の石室。
江戸間の6畳×2間くらいの広さ。
ここに馬子の遺体を入れた棺や副葬品が納められていたのだろう。

DSCN7343
玄室内より見た出入口
夏は涼しいかもしれない。

DSCN7347
石舞台古墳を見ながらおにぎりをほおばる。
芝生広場で家族連れが遊ぶ平和な光景。
奈良っぽい。

DSCN7348
飛鳥では外国人観光客をまったく見なかった。
この良さが知れ渡るのも時間の問題だろう。

DSCN7349
天武・持統天皇陵(野口王墓)
叔父と姪の夫婦である。

DSCN7350
現在の墳丘は東西5.8m、南北4.5m、高さ9mの円墳状だが、本来は八角形の五段築城で、周囲に石段をめぐらしてあった。
以下、ウィキペディア「野口王墓」より抜粋。

本古墳は1235年(文暦2年)に盗掘にあい、大部分の副葬品が奪われた。その際、天武天皇の棺まで暴かれ、遺体を引っ張り出したため、石室内には天皇の遺骨と白髪が散乱していたという。持統天皇の遺骨は火葬されたため銀の骨壺に収められていたが、骨壺も奪い去られ、無残な事に中の遺骨は近くに遺棄されたという。

DSCN7354
近鉄橿原線・飛鳥駅
ここで自転車を返却。いい運動になった。

DSCN7355
13:30飛鳥駅発で、京都発15時の新幹線にぎりぎり間に合った。
まだまだ飛鳥は見残しが多い。
飛鳥資料館、飛鳥宮跡、高松塚古墳にも行きたかった。
向後のお楽しみ。

仏教美術と自然と信仰と歴史、そして奈良の人々の穏やかさに浸った、楽しい3日間であった。


おわり












● 2025春の奈良旅2 花まつり

 地図で言えば、奈良の都の右下あたり。三重県に接している宇陀市。
 その大半は森林である。
 2日目は宇陀の古刹・室生寺と、同じ路線にある観音様で有名な長谷寺(桜井市)に足を延ばした。
 両寺とも、満開の花に迎えられた。

2日目(4/26)晴れ
09:45 近鉄大阪線・室生大野口駅
     自転車レンタル
10:30 室生寺(2時間15分stay)
13:00 龍穴神社
13:15 吉祥龍穴
13:45 昼食「室生路」
14:30 室生大野口駅
     自転車返却
15:00 長谷寺駅
15:20 長谷寺(90分stay)
17:15 長谷寺駅
18:00 近鉄橿原線・橿原神宮前駅
宿泊 橿原市内

DSCN7245
近鉄大阪線・室生口大野駅

IMG_20250426_143737
駅舎は高台にある。
駅前のレンタサイクル店で電動アシスト付自転車を借りる。
ここから素晴らしいサイクリングロードが始まる。

DSCN7248
宇陀川に沿って新緑の中を行く。

DSCN7249
渓谷美に立ち止まることたびたび。

DSCN7251
約30分で室生寺到着。

DSCN7291
太鼓橋から
参道には古風な旅館や食堂が並び、雰囲気バツグン。

DSCN7254
室生寺
680年、天武天皇の勅命で修験道の祖・役小角が創建したと伝わる。
空海ゆかりの真言宗寺院である。
かつて女人禁制だった高野山に対し、女性の参詣が許されていたことから「女人高野」と呼ばれた。

DSCN7255
仁王門

DSCN7256
石楠花(しゃくなげ)の見頃であった

DSCN7261
ツツジ科ツツジ目
あまりの美しさから修験者が錫杖(しゃくじょう)を投げて修行を忘れたことから錫投げ(シャクナゲ)と呼ばれるようになった――という謂れは今ソルティが作った出鱈目である。

DSCN7258
ここから奥の院まで心臓破りの石段が始まる。

DSCN7260
弥勒堂
鎌倉時代の杮葺きのお堂

DSCN7283
金堂
平安時代初期のお堂
拝観料を払って内陣を拝み、スマホ撮影することができた。

IMG_20250426_105035
国宝・釈迦如来像、薬師如来像(右)、文殊菩薩像(左)
平安時代初期のカヤ製の一木造

IMG_20250426_105232
十二神将より2体(鎌倉時代)
武器を持っていないので正体が分からず。

DSCN7282
本堂
室生寺本尊の如意輪観音菩薩像(平安時代)が安置されている。
カヤの風合いが残る素朴なタッチの像。

DSCN7266


DSCN7268
五重塔
平安時代初期の建立。五重塔としては法隆寺の次に古い。
丹塗りの組物が緑に映えて美しい。

DSCN7273
奥の院まで、数百段の杉木立の石段が続く。
もう少し時期が遅ければ、汗だくになるところ。

DSCN7271
清水の舞台のような建物が見えれば終点

DSCN7276
内陣に黄金の位牌がずらりと並ぶ位牌堂であった

DSCN7272
奥の院には、ほかに大師堂、御朱印をもらえる社務所がある。
位牌堂の周囲の欄干に腰を下ろせる場所がある、
宇陀の風に吹かれて一服しつつ、高野に思いを飛ばすのもオツ。
「わが身をば 高野の山に とどむとも 心は室生に 有り明の月」(伝・空海詠)

DSCN7275
位牌堂に飾られている地獄絵

DSCN7280
下山して宝物殿へ。
ここには素晴らしい仏像がある。
美しい色彩と模様の光背をもつ女性的で優美な十一面観音菩薩(約196cm)、
ダイナミックな表情とポーズがハートを鷲掴みする十二神将、
国宝・釈迦如来坐像は奈良国立博物館「超国宝展」出稼ぎ出張中でパネル展示であった。

DSCN7286
本坊・慶雲殿

DSCN7289
街の喧騒を離れた自然のふところで、命の洗濯ができる素晴らしいお寺であった。

DSCN7292
自転車で龍穴神社へ10分。

DSCN7295
龍穴神社
水の神・高龗神(たかおかみのかみ)を祀る。
奈良時代から平安時代にかけて雨乞いの神事が営まれた。
パワースポットとして人気を集める。
そこからさらに山道を登ること15分。

DSCN7299
吉祥龍穴
ここが龍穴神社の奥の院、パワーの源である。
電動アシストでなければ厳しい登りであった。

DSCN7300
禁域の滝

DSCN7302
沢のほとりに建つ遥拝所。
なにやら熱心に祈願している先客がいた。

DSCN7303
竜神が棲むという龍穴。これがご神体。
このあたりの空気は清浄にして崇高なものがあった。

IMG_20250426_142614
里に下りて遅めの昼食
「室生路」さんはメニュー豊富。

IMG_20250426_140151~2
黒毛和牛たっぷりの肉うどんが旨かった。
コーヒーの無料サービスもあった。
御馳走様!

IMG_20250426_150409
近鉄大阪線・長谷寺駅へ。
地元民らしき男性に長谷寺へ行く近道を教わった。

IMG_20250426_151801~3
お店や旅館の並ぶ参道はつい寄り道、買い食いしたくなる。
・・・しました。

IMG_20250426_165858
昔ながらの旅館が並ぶ。
紫式部もこの参道に泊まったのだろう。

IMG_20250426_152259~2
長谷寺
727年、聖武天皇の勅願により十一面観音菩薩を祀ったのが長谷信仰のはじまりと言われる。
真言宗豊山派の総本山でもある。
(結局、本日は弘法大師参りってことか・・・)

IMG_20250426_154022~2
登廊(のぼりろう)
仁王門から本堂まで399段の屋根付き石段が続く。
室生寺は日本人参拝客のみだった。ここは外国人も多かった。

IMG_20250426_153816
牡丹の見頃であった。

IMG_20250426_153429
小倉百人一首を選んだ藤原定家と父・俊成の塚があった。
「来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに 焼くやもしほの 身もこがれつつ」(定家)  
(夕なぎの松帆の浜辺で、いくら待っても来ない人を待っている私は、浜で焼いている藻塩草のように身をこがしているのです)

IMG_20250426_154903~3
本堂
1650年、徳川家康により造営された。

IMG_20250426_161837
本堂から西に望む丹色の五重塔が、緑の中に美しい。
1954年建立。

IMG_20250426_162104~2
本尊・十一面観世音菩薩立像
10mを超す楠製の巨大像に圧倒された。
1538年、東大寺僧実清作と伝わる。(紫式部はこれを拝んでいない)
内陣に入って巨大な爪先に触れながら、下から見上げることができる。
ジャイアント観音と言うにふさわしい迫力。

IMG_20250426_164121
大手毬の群生
子手毬(コデマリ)の兄貴分かと思ったが、実は別系統。
コデマリはバラ科、オオデマリはスイカズラ科である。

IMG_20250426_164746


IMG_20250426_164519
牡丹園の向こうに本殿を望む
日本的な美の粋。

IMG_20250426_174948
近鉄橿原線・樫原神宮前駅へ。

IMG_20250426_181015
駅から徒歩10分強の宿にチェックイン。
周囲に畑が広がり、畝傍山を東に望む里山ロケーション。

IMG_20250426_181624
ふつうのアパートの一室を宿として活用している。
家にいるような落ち着きと家財が揃った便利さ。
管理人さんの顔を見ることなくチェックイン・アウトした。
(訪ねて来られたが、ちょうど風呂上がりで出られなかった)

IMG_20250426_190501
風呂上がりに付近を散歩。
古代飛鳥の人々も同じ夕焼けを見たであろう。




つづく。






  
記事検索
最新記事
月別アーカイブ
カテゴリ別アーカイブ
最新コメント
ソルティはかたへのメッセージ

ブログ管理者に非公開のメッセージが届きます。ブログへの掲載はいたしません。★★★

名前
メール
本文