ソルティはかた、かく語りき

東京近郊に住まうオス猫である。 半世紀以上生き延びて、もはやバケ猫化しているとの噂あり。 本を読んで、映画を観て、音楽を聴いて、芝居や落語に興じ、 旅に出て、山に登って、仏教を学んで瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

旅・山登り

● アラカンの秩父札所巡り(1~5番)


 GW中に秩父34観音札所の1~5番を回った。
 2018年の春以来5年ぶり、2巡目である。
 今回は主としてウォーキングが目的なので、白衣もつけず、笠もかぶらず、輪袈裟もかけず、納経もしない(御朱印をもらわない)。
 お堂の前で般若心経と慈悲の瞑想を唱えるだけの簡易スタイル。
 この先を続けるかどうかも未定である。
 昼過ぎからスタートして、「行けるところまで行ければいいや」という暢気なペース。
 前回はかなり気張っていたなあ~とつくづく思う。
 修行モードになっていたのだ。 
 寺も道も逃げない。
 軽い気持ちで、時間を気にせず、風景や路傍の花や人との交流を楽しみながら、のんびり歩いた。

● 歩行日 2023年5月5日(金)  
● 天気  晴れ
● 行程
12:17 秩父鉄道・秩父駅より西武観光バス「定峰行き」乗車
12:40 栃谷バス停
    歩行開始
12:50 第1番四萬部寺(20分stay)
13:50 第2番真福寺(30分stay)
15:10 第3番常泉寺(20分stay)
15:50 第4番金昌寺(10分stay)
16:20 第5番語歌堂(20分stay)
17:00 秩父湯元・武甲温泉
    歩行終了
● 所要時間 4時間40分(歩行3時間+休憩&読経1時間40分)
● 歩行距離 約9km


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西武観光バス、栃谷バス停
第1番まで徒歩10分
前回は秩父鉄道和銅黒谷駅からスタートした

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第1番・誦経山 四萬部寺(ずきょうさん しまぶじ)
永延2年(988)幻通という僧侶が秩父を訪れ、4万部の経典を読経し、経塚を築いたことが寺名の由来

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巡礼者は朝早くにここを発つのが一般なので、人はほとんどいなかった
納経所に寄り、『般若心経』の載っている経本だけ買った(500円)

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平和な里山の道をゆく
「こんな素晴らしい道だったのか・・・」
先を急いでいた前回はじっくり味わわなかった

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カキツバタ(杜若)

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ヤブデマリ(藪手毬)

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人家を離れ、高篠山の木立を登る
第2番は標高390mの地点にある

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ふう~、やっと着いた!
苦が快に変わる瞬間

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お堂の入口にある聖観音菩薩
宝冠に阿弥陀仏を付しているのが特徴
ここまで登ってきた疲れが癒されるホステスぶりで迎えてくれる

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第2番・大棚山 真福寺(おおたなさん しんぷくじ)
16世紀初期にここが最後に加わって、秩父札所34とあいなった
現在は無人である
新緑を抜ける爽やかな風、鶯の鳴き声、心が洗われる

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その名も大棚川に沿って下る(横瀬川に注ぐ)
健康な人なら、バスやマイカーで回るなんて、もったいないパワースポット

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山を下りて人家の見えるあたりで、片足を引きずった男を追い抜く

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第3番・岩本山 常泉寺(いわもとさん じょうせんじ)
背後は秩父聖地公園のある丘陵、周囲は畑、ほんとに良いロケーション
読経を済ませ休んでいたら、さっきの足の悪い男が畑道をやって来るのが見えた
彼も巡礼していたのだ!

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観音堂の虹梁(こうりょう)部分が龍の透かし彫りになっているのが珍しい

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観音堂の本尊は行基作と伝えられている
(実際は室町時代作らしい)
像高97cm、一本造り

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弘化4年(1847)の火災の際に堂から運び出された
胸部にやけどの痕が確認される

横瀬川
ふるさと歩道橋で横瀬川を渡る
足の悪い男としばし同行
昨年暮れに怪我をして3ヶ月入院していたとのこと
リハビリを兼ねての歩き遍路だったのだ
12時に第1番を発ち、あの山道を上り下りしたそうで、「今日はもう、これ以上無理」と。
3年半前に足の骨折を経験したソルティ
彼の回復あれかし、と祈った

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第4番・高谷山 金昌寺(こうこくさん きんしょうじ)
まさにここは山門の大わらじをシンボルとする健脚祈願の寺
自らの左足のここまでの回復を感謝した

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観音堂は、頂点を一つもつ四角すい状の屋根、宝形造(ほうぎょうづくり)という
周りを1300を超える野天の石仏が囲んでいる

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納経所のそばにあったカップル石像
十六羅漢のうちの2人かと思うのだが不明
保阪嘉内と宮沢賢治?)
分かる人がいたら、教えてください

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第5番・小川山 語歌堂(おがわさん ごかどう)
5年前は畑の中にぽつんとあって、どこからもよく見えたのだが、いまや住宅が迫っている
残念だが、畑を売らなければならない事情があるのだろう

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本尊は准胝(じゅんてい)観音 
たくさんの仏の母であり、子授け観音として信仰されてきた
(“胝”の字を出すには“たこ”と打つのが近道)

語歌堂の聖徳太子
ここにも聖徳太子信仰が垣間見られる
太子が頭を丸めた僧侶の恰好をしているのが可笑しい

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今日はここで終了
第5番から武甲山を望みながら道なりに進むと、武甲温泉に着く

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横瀬川の渓流の上を泳ぐ鯉のぼりの群れ
温泉もなかなか群れていた

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もちろん、“アラカン”とは阿羅漢ではない
アラウンド還暦のことである











● 寄居男衾・7つの寺めぐり

 今回も寄居町発行のハイキングガイドを手に歩いた。
 東武東上線の男衾(おぶすま)駅を発着点とし、7つの寺を一筆書きでめぐるコース。
 ちょっとした巡礼気分が味わえる。
 ガイド上では全長11.5kmと表記されていたので、見物&休憩入れて4時間半あれば回れると踏んでいたのだが、実際には6時間かかってしまった。
 これは主として道迷いのためなのだが、実際の距離も13km近くあるのではなかろうか?
 寄居町には再確認してもらいたい。
 道は平坦だが、日陰のないアスファルト道のため、思った以上に疲弊した。
 この日、気温27度まで達した。

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寄居町ハイキングガイド(男衾コース)より
 
● 歩行日 2023年4月20日(木)  
● 天気  晴れ
● 行程
09:15 東武東上線・男衾駅
    歩行開始
09:30 1昌国寺
09:45 2常楽寺
10:40 3普光寺
     休憩(10分)
11:35 4高蔵寺
11:50 5今市地蔵堂
     休憩(10分)
13:10 6長昌寺
     昼食(40分) 
14:30 7不動寺
     休憩(20分)
15:15 東武東上線・男衾駅
    歩行終了
● 所要時間 6時間(歩行4時間+寺見物40分+休憩1時間20分)
● 歩行距離 約14km(道迷い含む)

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東武東上線・男衾駅
平日の昼間は人影がほとんどない。

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1.昌国寺(曹洞宗)
徳川家康のいとこである水野長勝が創建
鐘楼はあったが、ほぼ廃寺の風情

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境内の高野槇は町の天然記念物
樹齢約400年、高さ約25m 

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如意輪観音さま
右膝を立て、右手を頬に当てているのが特徴

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2.常楽寺(真言宗智山派)
畑と木立に囲まれた静かな寺   

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寄居七福神の一つで、恵比寿さまを祀る

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ここから崖を下って荒川土手を行く
青空の下、広がる畑がすがすがしい

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「いざ、鎌倉!」
御家人たちが馬を飛ばした古道
このあたり(男衾郡畠山庄)は畠山重忠の領地だった

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盆地の彼方に秩父・長瀞の山々が霞む

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3.普光寺(天台宗)
1200年以上の歴史を持つ地域最大のお寺

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畑中の広々した境内が気持ちいい

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昭和8年の農地開墾時に発見された板碑群
鎌倉街道往来中に病没した旅人を埋葬供養したものとされている
最古のものは文永2年(1265)、元寇の直前だ

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御本尊の木造薬師如来は平安後期のものと推定されている

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厄除け角大師のお札をいただいた
ここから畑中の道を行く

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交差点に置かれた石碑群
百万遍(ひゃくまんべん)供養とは、疫病退散などの目的で、集落の人々が講を作り、「なむあみだぶつ」を百万回唱えること
寛政2年(1790)にこの土地で何かあったのだろうか?

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街道沿いにはこのような石の蔵(大谷石?)が目立つ
何を保存したのだろうか?

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4.高蔵寺(天台宗)
開基は、柳沢吉保の祖父・柳沢信俊

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閻魔大王が祀られていた

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こちらは十一面観音菩薩さま
新緑を背景に麗しい

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不動明王
人の煩悩を焼き尽くし、清めてくれる

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5.今市地蔵堂
ほぼ折り返し地点に到着
屋根の紋章が気になってズームしてみたら・・・

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逆卍、すなわちハーケンクロイツ(鉤十字)ではないか!
思わぬところにあるものだ

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木造の地蔵菩薩像は室町時代の作と伝えられる
高さ3m、玉眼を施してある
青々とした頭頂と黒衣が珍しい

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子育て地蔵として地域の人に親しまれている

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兒泉(こいずみ)神社
祭神はヤマトタケル
村の鎮守さまである

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腕が多く、悪鬼を踏みつけている姿から、
大元帥明王ではないかと思われる
鎮護国家に霊験あり

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6.長昌寺(天台宗)
場所がわかりづらく行き過ぎてしまったところ、同じように探している方と遭遇
一緒に探し回った(四国遍路を思い出す)

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寄居七福神「寿老尊」の寺である
寿老尊と福禄寿はキャラがかぶっているので見分けが難しい
鹿を連れているのが寿老尊、鶴を伴っているのが福禄寿
と思ったら、逆の場合もある
単体の場合も多い
一般に、頭のひょろ長いのが福禄寿と思っていいようだ

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藤棚の下のベンチで昼食、および20分の昼寝
安らぐなあ~

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7.不動寺(真言宗智山派)
道を間違って30分のロスで最後の寺に到着
Googleで経路を確かめながら歩けばいいのだが・・・
それはつまらない
広い境内をもちながら、ひっそりしたお寺
ここで20分瞑想

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やっぱり、あなたが呼んだのですね

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帰りは小川町駅にある花和楽(かわら)の湯に寄る

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店内は五月人形や鯉のぼりでいっぱい

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今日も、おつかれナマでした!












● 奥むさし、春の花浴 : 釜伏峠(550m)

 晴れの休日。
 桜を見るチャンスである。
 関東平野は終わりかけているので、近場の山に出かけてみた。
 このコースは、埼玉県寄居町が発行しているハイキングガイドで知った。
 20kmの歩きは、2019年12月の足のかかと骨折以来の最長距離。
 これを克服できれば、秩父の両神山(1723m、歩行時間約6時間半)制覇も見えてこよう。
 奥武蔵の里山に、色とりどりの春の花を愛でながら、マイペース・ウォーキング。

● 歩行日 2023年3月29日(水)  
● 天気  晴れのち曇り
● 行程
10:10 秩父鉄道・波久礼駅
    歩行開始
10:30 「風のみち」入口、夫婦滝
11:15 姥宮神社、胎内くぐり
    休憩(10分)
11:40 無人駄菓子屋
12:15 日本水(やまとみず)水汲み場
    休憩(10分)
13:00 釜伏峠、釜伏神社(550m)
    昼食(30分) 
14:30 中間平緑地公園
    休憩(20分)
16:10 県道坂本寄居線・食品店のベンチ
    休憩(10分)
16:40 鉢形城跡
17:20 東武東上線鉄橋
    休憩(10分)
17:40 東武東上線・玉淀駅
    歩行終了
● 最大標高  550m
● 所要時間  7時間30分(歩行6時間+休憩1時間30分)
● 歩行距離   約20km

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秩父鉄道・波久礼駅
無人である
公衆電話ボックスがいまや懐かしく感じる

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寄居橋を渡る

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下を流れるは荒川
玉淀ダムで堰き止められて湖となっている
紅葉きれいだろうなあ

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満開に間に合った!
やはり青空とのコントラストは美しい(ポストも然り)

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荒川の支流である風布川に沿って遊歩道が続く

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夫婦滝
落差約3mのかわいい滝
奥が夫、手前が妻

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この里山風景に浸りたかった!

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山道に入ると、檜の香りに身も心も浄化される
檜風呂の10倍は効果ある
体内の澱んだ電磁波が抜けていく(気がする)

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風布川のせせらぎも癒し効果高い

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飛び石を伝って何度も渡りかえす

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オオアラセイトウ(別名:紫花菜)
この時期もっともよく見かける野辺の花である

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姥宮神社(とめみやじんじゃ)で休憩
祭神は石凝姥神(いしこりどめのみこと)
三種の神器の一つである八咫鏡(やたかがみ)を造った神と言われる

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なんと、狛犬ならぬ狛ガエル!

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夫婦ガエルらしく、一方の背には子ガエルが乗っていた

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神殿の裏山にある胎内くぐり(入口)
この岩穴をくぐると、天然痘やはしかに罹らないと書かれていた
蛙のイボからの連想で「出来物に効く」ということか

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胎内くぐり(出口)
這いつくばって潜りました
メタボ診断に使える微妙な狭さ

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えっ、ミズバショウ!?
ちょっと早くないか?

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ただの観光案内所&休憩所と思ったら・・・

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なに? 無人駄菓子屋?
どーゆーこと?

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中には昔懐かし駄菓子の数々が並んで、感動もの!
ガラスケースの蓋を開けて好きな菓子を取り、お代は左奥の賽銭箱に
ハイカーやキャンパーの良心にたよる経営スタイルはえらい

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もちろんソルティも買いました
これで200円ちょうど

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木蓮は紫のドレスを着たアルト合唱団

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ドライブウェイを包む桜の雲

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穴場である

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日本水(やまとみず)の水汲み場
全国名水百選に選ばれている
古来より枯れることのない「子授け・不老長寿の霊水」
ポリタンクを車に積んで、水汲みに来る人で絶えない
お爺ちゃんと一緒に水汲みしていた男児にチョコパイをあげました

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釜を伏せたような形状から釜伏山と名付けられた
ゆるやかな登りが続く

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釜伏峠(550m)に到着!
寄居地方と秩父盆地を結ぶ峠として、鎌倉時代から往来があったという
看板裏の東屋でおにぎりを頬張る

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釜山神社
この参道、すこぶる気持ちいい

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この世の五大要素である“木火土金水”の霊神が祀られているとの由
「神威輝四海」とは、“神の御力は四海に及ぶ”の意か

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ここの狛犬は秩父地方同様、オオカミだった

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下山途中にある中間平緑地公園
展望デッキからの景色が素晴らしい

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展望デッキから
西に秩父の山々が連なる

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東は眼下に寄居町
春霞で遠景がぼけているが、筑波山やスカイツリーが見えるとか
夜景がまた素晴らしいとか

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南は東秩父村
山との対話ですっかり心静まった

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下ったところで見事な桜が我を招いた
お堂とのコラボが絶妙

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東国三葉躑躅(トウゴクミツバツツジ)

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路傍の庚申塔や月待塔に古くからの民間信仰を見る
この庚申塔は2mくらいの高さがあった

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馬頭尊は道中を守る仏さま
水仙と鈴蘭に囲まれてうれしそう

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県道脇の食品店のベンチで休憩
地元の人にとってみれば、なんてことない風景なのだろう

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鉢形城跡
小田原北条氏が北関東進出の拠点として築城
当時の建物は残っていない

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正喜橋
荒川に戻ってきました

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渡っていると、5時の「夕焼け小焼け」が鳴った
平和だなあ~

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なごり椿も散る時を知り

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鉄橋を渡る東武東上線

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東武東上線・玉淀駅
頑張った足に感謝

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年々幸福を感じる沸点が低くなっていくソルティ
野の花を見るだけで幸せって、チッチか、あるいは裸の大将か・・・










● 治兵衛とコンドル :旧古河庭園に行く

 JR駒込駅北口から徒歩12分のところに旧古河(ふるかわ)庭園がある。
 しばらく前から気になっていた。
 瀟洒な洋館と、それを取り巻く何十種類もの薔薇で有名なのは知っていた。
 5月中旬ともなれば、たくさんの薔薇好きで賑わうことも。

 それとは別に、広大な敷地内には日本庭園もある。
 気になったのはそちらである。
 休日の午前中に訪ねてみた。

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開演時間は午前9時から午後5時
入園料は大人150円


 ここは明治時代、陸奥宗光の土地であった。
 どこかで耳にした名前だなあと思ったら、井上馨や大隈重信らと共に、江戸末期の開国から続いていた不平等条約の改正に尽くした人である。
 関税自主権の撤廃とか治外法権の回復とか、世界史で習ったのを覚えている。
 宗光の次男・潤吉が、足尾銅山の経営で知られる古河財閥の初代当主・古河市兵衛の養子になった時に、土地は古河家の所有に移った。
 それまで実子のできなかった市兵衛は、その後芸者との間に男子・虎之助をもうける。
 2代目当主潤吉は早逝し、虎之助が3代目当主となった。
 この古河虎之助が、1917年に本邸として造ったのが、今ある洋館と庭園である。

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設計はジョサイア・コンドル(1852-1920)
鹿鳴館、ニコライ堂、岩崎久弥邸(現・旧岩崎邸庭園洋館)などを設計し、
「日本近代建築」の父と呼ばれた。
1階は見学料(400円)を払って、2階はガイドを予約して観ることができる。
庭園の見えるテラスでアフタヌーンティーを頼めば、
ダウントン・アビー』の登場人物になった気分を味わえる。


 この土地は武蔵野台地の崖線(ハケ)に位置している。
 崖の上の高台に洋館が建ち、傾斜に薔薇やツツジの花壇が並び、低地に日本庭園が広がる。
 日本庭園の周囲は木々で囲まれているので、たまに日本庭園があるのに気づかずに、洋館と花壇だけ見て帰ってしまう来場者もいるそうだ。 
 もったいない話である。
 というのも、この庭園の設計者は、京都無鄰菴の作者・小川治兵衛その人なのである!
 それを知らずにやって来たソルティ、このシンクロニシティにびっくりした。
 青い鳥は案外近くにいたのね・・・。

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浅い池の中を優雅に歩く白鷺
水面に映るマンションが残念

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地下水を汲み上げて作った滝
人工的な気配を排した野趣あふれる景観が治兵衛の理想だったようだ

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こちらは枯山水の滝

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洋館の建つ高台方面を見やる
東山を借景とする無鄰菴には適わないものの、奥行きを感じさせる造形はさすが


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治兵衛は石の使い方が天才的
様々な土地から集めた大小の石を自在に使いこなしている

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園内には巨大な灯籠がいくつかある。
富の象徴(つまりは成金の見栄)だったようで、ちょっとお下品。
施主の要望には名匠・治兵衛も逆らえまい。
木々で隠すなどの工夫の跡がうかがえる。


 関東大震災(1923年)の折に、この庭は被災した2千の人々の避難所になり、当主の虎之助夫妻は敷地にあった温室を壊して仮設住宅を建て、被災者を支援したという。
 コンドル設計の洋館はびくともしなかった。
 イギリス生まれのコンドルは、日本の地震の多さに驚き、耐震性ある建築物について研究していたという。
 戦後はGHQに接収され、返還後30年間の無人状態を経て、1982年に東京都名勝指定、2006年に国の名勝に指定された。
 現在ここの所有者は国である。
 東京都が国から無償で借り受けて一般公開している。

 新緑の頃、薔薇の頃、盛夏の頃、紅葉の頃・・・。
 お弁当を持って、季節折々の庭を訪ねたい。
 こんなに近いんだもん。

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置き物かと思ったら、ほんものだった
まったり












● 大江健三郎氏、追悼

 平和憲法の熱心な護持者で『沖縄ノート』の執筆者であったノーベル賞作家・大江健三郎氏の冥福を祈り、四国遍路にて氏の故郷・愛媛県内子町を歩いた時(2018年11月5日)の記事を再掲載します。



 弘法大師がその下で野宿したという十夜ヶ橋から久万高原に向かう途中に、内子という町がある。
 江戸や明治の伝統的な造りの町屋や豪商の屋敷が今も残るタイムスリップな町並みが、興趣をそそる。
 そこから小田川に沿って二里ほど山の中に入ったところに、大瀬の里がある。
 ノーベル文学賞作家・大江健三郎のふるさとである。

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 燃料店をしていたという実家は今も残っていて、内子ほどではないにせよ、瀟洒な家並みの中にある。

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 二十代の頃、この作家にはまったソルティにとって、ここはいわゆる“聖地“と言える。
 彼の小説(とりわけ初期)の原風景はここにあったのか! と、ワクワクしながら小さな集落を歩き回った。

 その後、また遍路に戻り、しばらく歩いていたら、80才はゆうに越えていると思われる翁に遭遇した。
 道行く遍路にお接待したり、病気や事故で困っている遍路を助けたり、近くの名所まで道案内したり、遍路との交流エピソードの尽きない人だった。
 そんな話を聞いていたら、自然、大江健三郎の話になった。

 なんと翁は、大江の親戚筋だったのである。
 若い頃、大瀬まで店の手伝いに行ったこともあると言う。
 翁曰く、 「とにかく子供の頃から頭が良かった。あんまり出来がいいから、内子の学校まで越境通学していた」
 さもありなん。
 「ノーベル賞取った時はマスコミが押し寄せて、そりゃあ、たいへんな騒ぎだったよ」

 とてつもなく澄みきった小田川のほとりの、この小さな山間の里が一躍脚光を浴び、揺れに揺れた光景を想像し、心がニンマリした。

小田川


文豪を「健ちゃん」と呼ぶ 大瀬老





● 京都&奈良・初春の神仏めぐり(急)

 2日目の夜は天理市にある奈良健康ランドに泊まった。
 露天風呂やサウナはもちろん、いろいろな種類の風呂があり、マンガ本の揃ったレストルームも広くてきれい。
 心地良く過ごせた。

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JR郡山駅前から送迎バスが出ている

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朝のJR郡山駅

 住井すゑの『橋のない川』を読んだときから「聖地巡礼したい」、すなわち舞台となった御所市柏原に行ってみたいという思いがあった。
 折しも昨年は水平社創立100周年にあたり、柏原にある水平社博物館がリニューアルされたばかり。
 コロナの状況や財布の状態と相談しながら行く機会を探っていたが、間宮祥太朗主演の『破戒』を観て、「今でしょ!」と決行した。 
 御所市は奈良県中部の西よりに位置し、大阪府と和歌山県の県境に近い。


第3日(2/28)奈良

09:49 JR郡山駅
10:41 JR掖上駅
11:00 水平社博物館(60分)
12:00 『橋のない川』聖地巡礼
    昼食
14:37 JR掖上駅
16:28 近鉄京都駅
17:05 JR京都駅発

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JR和歌山線・掖上(わきがみ)駅
無人駅である
ここから20分ほど、のどかな宅地を歩く

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曽我川と郡界橋
ここからは川に沿って進む

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住宅地の目立たぬところに建つ水平社宣言記念碑(1975年建立)
「全国に散在する吾が特殊部落民よ団結せよ」で始まる水平社宣言が刻まれている
読んでいると、「人の世の冷たさが、どんなに冷たいか」の箇所でいつも胸が詰まる

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水平社博物館
建物も立派だし、展示内容も充実していた。
特に、1922年3月3日の京都市公会堂での創立大会を一聴衆となって体感できるシアターが良かった。
この日こそは、日本の人権史において最も重要なメルクマール。
また、西光万吉、阪本清一、松本治一郎など水平社運動の基盤を作った人々が、晩年になってから、当時を振り返って語っている映像を見ることができる。
当事者の証言および表情は、いかなる展示物より多くを物語る。
じっくり見学したら3~4時間はかかるだろう。

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受付でもらった周辺マップを手にフィールドワーク
『橋のない川』の登場人物たちやエピソードを思い出しながらの聖地巡り

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西光寺(浄土真宗本願寺派)
西光万吉(本名:清原一隆)の生家。1748年に建立された。
部落の人々の心の拠り所であったろう。
現在、お寺の周囲は「人権のふるさと公園」となっている。

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境内にある西光万吉の墓
「人の世に熱あれ 人間に光あれ」

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いのち燦燦の塔
水平社創立90周年を記念して建立
3月3日には記念碑の穴から朝日が差し入る

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お寺の背後にある本馬山の一角に立つ燕神社
1921年8月28日に建立された。
万吉をはじめとする青年たちはここに集まり、部落差別をなくすための話し合いを重ねたという。

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彼らはこの集まりを燕会と称した。
燕が「日本国中どこに散らばっていても、春が来たら必ず戻ってくる」ように、同志はどこへ散らばっても一年に一度故郷に戻ってくるように、という思いを込めた。

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燕神社から掖上駅方面を望む
中央のテーブルのような山は国見山(229m)
おにぎりとゆで卵の昼食。
こんな平和でのどかな村で酷い差別があったなんて・・・

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燕神社より本馬川と曽我川の合流地点を見下ろす

中世において「穢多」とは、掃除や葬送、土木工事、斃牛馬(へいぎゅうば)の処理や皮革業など、「ケガレ」を清める仕事を担っていた「河原者」の異称であった。(ひょうご部落解放・人権研究所編/解放出版社発行『はじめてみよう!これからの部落問題学習』より抜粋)

「穢れ」を取る→穢取り→えとり→えた、という説もあるようだ。
ある種の宗教的職能者の一群だった可能性を示唆する。
筒井功の説を想起した。

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JR掖上駅にて列車待ち
2時間半の滞在のつもりが、1時間伸びた。
指定予約していた「のぞみ」に間に合わず、自由席で帰った。

今回の旅は、お稲荷さんと白鳳仏と水平社に呼ばれた旅であった。
奈良にはまだ見たことのないお寺や仏像がたくさんある。
古墳や古代の天皇の御陵にも行ってみたい。
次回は一週間くらい滞在したいなあ。
ご縁がありますように!


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神泉苑(京都)






● 京都&奈良・初春の神仏めぐり(破)

 第1日の夜はお稲荷様のおかげか、コンコンとよく眠れた。
 平日早朝の京都はすっかりビジネスタウン。
 出勤客に立ちまじってリュックかついで駅構内をうろうろする。
 エスカレータに乗ろうとして、「あっ、関西に来たんだ」と実感した。

第2日(2/27)奈良

【行程】
07:52 京都駅でJR奈良線乗車
08:42 JR棚倉駅
09:10 蟹満寺(50分)
10:17 JR棚倉駅
10:56 JR法隆寺駅
11:15 昼食
12:00 法隆寺(3時間半)
15:52 JR法隆寺駅
15:59 JR郡山駅
    大和郡山市街探索(2時間)
18:30 奈良健康ランド送迎バス乗車

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JR奈良線・棚倉駅は無人駅
昭和の風情に心なごむ
蟹満寺は京都(木津川市)の寺なのだが、風景や大気はほとんど奈良である

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駅前に「こんな田舎になぜ?」と驚くほどに立派な神社がある
涌出宮神社は天平神護二年(766)創建の古社
主神は天乃夫岐売神(あめのふきめのかみ)で、雨をもたらす神として崇拝されてきた
まずは土地の神様にご挨拶する

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駅から歩くこと20分
土手を越え、民家の細い路地を抜け、奈良線の走る畑中を行く
こんなところにホントに白鳳時代の仏像があるの?

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普門山蟹満寺(かにまんじ)
白鳳時代末期に秦氏によって建立されたと伝えられる
寺名は、「神(カム)」と織物を意味する「幡(ハタ)」からなる蟹幡(かむはた)郷という地名に由来する
『今昔物語』には創建にまつわる「蟹の恩返し」譚が載っている
現在は真言宗のお寺である

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この付近には、奈良時代の豪族で光明皇后の異父兄である橘諸兄が晩年を過ごした邸宅や、彼が建立した巨大な寺院(井出寺)があった。(貴田正子著『深大寺の白鳳仏』より)
駅前の神社の格といい、古代にはかなり栄えた土地だったのだろう

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国宝釈迦如来像は、白鳳時代に造られた時から台座から動かされていないという
2m40cmの金銅座像で、ほぼ完全に近い形のまま今日に至っている
ラグビー選手のような、砲丸投げ選手のような、重量感ある逞しいボディは迫力満点だが、表情はおだやかでやさしい
螺髪(チリチリパーマ)でないところ、白毫(眉間の珠玉)を欠いているところなど、深大寺の白鳳仏によく似ている(同じ工房で造られたのかも)
とにかく、ガラスケースも鉄柵もなく、至近距離で鑑賞できるのが凄い!
若干のひび割れと欠けはあるものの、この時代の仏像でここまで完璧なのは珍しい
堂内に50分一人っきり、心ゆくまで鑑賞し祈った

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ほんと、こんな田舎にねえ・・・・

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JR法隆寺駅
30年ぶりに来ました!
立派な駅舎になって・・・

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駅から徒歩20分
こんな参道あったかしら?
すっかり忘れている

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南大門
青空を背景にすると美しさが際立つ

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中門
壮麗にして爽やか
ど真ん中に柱(いわゆるエンタシスの柱)がある不思議な構造
通せん坊するかのよう

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金剛力士像は怖い中にもどことなく剽軽さが感じられる

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ただただ「美しい」というほかない
わが国最古の五重塔
双眼鏡持参で最上部の相輪がよく見えた

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横並びの金堂と五重塔
金堂内には鞍作止利によって造られた釈迦三尊像がある
観光客も修学旅行生も少なく、存分に鑑賞できた

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大講堂
薬師三尊像や四天王像がある
手前の燈籠は、徳川5代将軍綱吉の母桂昌院が寄進したもの

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大宝蔵院
玉虫厨子、九面観音、百済観音、金堂小壁画、橘夫人厨子など宝の山
深大寺の釈迦如来像とともに白鳳三仏の一つ「夢違観音」を間近でじっくり拝観できた
スレンダーな姿態うるわしき百済観音も約20分独り占め、贅沢すぎる時間だった

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西院伽藍から、夢殿や中宮寺のある東院伽藍に向かう
人がいないと壮大さが実感される

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伽藍周囲の築地もまた見事である
近寄って見ると、砂や砂利や糸くずが塗りこめられてザラザラしている

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夢殿
中にある救世観音像は長いこと秘仏であったが、今は期間限定で公開されている
聖徳太子をモデルにしたと言われるこの像について、梅原猛はその著『隠された十字架』で、太子の怨霊を封じるための「呪いの人形」と解釈し、大きな議論を巻き起こした

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中宮寺本堂
昭和43年(1968)落成

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弥勒菩薩半跏像(飛鳥時代)
スフィンクス、モナ・リザと並び「世界三大微笑像」と呼ばれる
たおやかな体のラインと軽みを感じさせる造型が素晴らしい!
諸星大二郎の『暗黒神話』を連想する人はかなりの漫画好き

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西大門から退出
奥に見えるは、遣唐使阿倍仲麻呂が歌に詠んだ三笠山じゃなかろうか?
ソルティの記憶の中の法隆寺は、どういうわけか、カラスが鳴く畑中のこじんまりしたお寺と化していた
正岡子規の俳句のせいだろうか

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JR郡山駅
宿に行くにはまだ早いので、大和郡山市街を探索
もちろんはじめて降りた街である

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ここは郡山城を核とする城下町であった
戦国時代末期、郡山城は豊臣秀吉の弟・羽柴秀長が城主となり、隆盛を極めた
外堀が遊歩道として整備され、市民憩いの散歩道になっている

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南御門
当時の城の建物はほとんど残っていない(一部は復元されている)
秀長時代に建てられた南御門は幕末期に永慶寺へと移築され、山門としてその姿をとどめている

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街中に気になる神社を発見
正一位源九郎と書かれた旗に誘われて寄ってみたら・・・

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源九郎こと源義経を助けた白狐伝説にまつわる有名な稲荷神社であった。
お参り後に宮司らしき方に話を伺ったところ、「ここは全国から三種類の参拝客が来る。歌舞伎が好きな人、義経が好きな人、稲荷が好きな人。歌舞伎役者は『義経千本桜』を演じる前には必ずここを詣でる」(たしかに歌舞伎役者のサイン入り写真が掲示されていた)
なんでも伏見稲荷、豊川稲荷と並んで「日本三大稲荷」に挙げられるとか
どうやら、今回のソルティはお稲荷様に呼ばれたらしい

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地域の人々から奉納された雛人形がたくさん飾られていた

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宮司さんから名刺をいただいた
宮司「大和郡山の名物は3つ。郡山城と金魚と源九郎稲荷神社」
ソルティ「金魚?――ですか」
宮司「そう。江戸時代の武士が副業として始めた金魚養殖がいまも続いている」
なるほど、『カムイ伝講義』に見るとおり、下級武士は傘張りや朝顔栽培など内職をしなくては食べていけなかった

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そう言われて街中を見ると、たしかに金魚づくしだった

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マンホール

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これには「魚ッ!」とした

 大和郡山探索は、予定に入ってなかった。
 やはり、旅の面白さは予定を破ったところにあると実感しきり。
 




● 京都&奈良、初春の神仏めぐり(序)

 2月末に、全国旅行支援を利用して2泊3日の旅をした。
 主な目的は以下の通り。

【京都】
  1. 伏見稲荷大社・・・山頂まで連なる朱色の鳥居で有名
  2. 三十三間堂・・・千躰の千手観音で知られる
  3. 無鄰菴・・・山縣有朋の別荘だった名庭
  4. 街中サイクリング
【奈良】
  1. 蟹満寺・・・国宝の白鳳釈迦如来像がある
  2. 法隆寺・・・柿食えば鐘が鳴るなり
  3. 水平社博物館(御所市柏原)・・・全国水平社発祥の地で、住井すゑ著『橋のない川』の舞台
 初日の京都は小雪の舞い散る凍えるような寒さ、二日目と三日目の奈良はコートもズボン下も要らないポカポカ陽気であった。


第1日(2/26)京都

【行程】
08:24 京都駅着、JR奈良線乗り換え
09:00 伏見稲荷大社
10:15 稲荷山頂上
11:30 下山
11:45 自転車レンタル
12:00 三十三間堂(90分)
14:00 昼食(八坂神社近く)
15:45 無鄰菴(60分)
17:20 神泉苑(15分)
17:50 ホテル着

 京都駅でJR奈良線に乗り換えて、稲荷駅下車。
 目の前に大鳥居がある。
 日曜日とは言え、まだ朝早く寒いので、人はそれほどでもない。

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大鳥居
外国人参拝客もちらほら
実はソルティ、稲荷とはなんとなく相性合わず、ここは詣でたことなかった

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拝殿
背後に山をいただく境内は鎌倉の鶴岡八幡宮と似て、広くて清々しい
全国に約3万社あると言われる稲荷神社の総本社である
拝観料は無料

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鳥居のトンネルを山頂まで登って下山するのに2時間を要す

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本殿横のスタート地点

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途中までで引き返す人が多く、登るほどに空いてくる

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鳥居の裏側には奉納者の名前と年月が書かれている
鳥居の料金(初穂料)はサイズや場所によって異なるが、20~200万円くらい
木でできているので4~5年が寿命

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山腹から京都市街を一望する
東西に伸びる新幹線の高架
その向こうに右京区から嵐山方面

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時折、雪がぱらついた
「空寒み 花にまじえて 散る雪に すこし春ある 心地こそすれ」(清少納言)

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鳥居は続くよ どこまでも

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外人さんも奉納している

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山頂(233m)
売店はあるが見晴らしはない

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稲荷と言えばお狐様
境内にいったい何匹いることか?

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眼力社
お参りすると眼が良くなるとか
近眼と老眼と夜盲症と飛蚊症が改善しますように!

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下山後、一番近いHELLO CYCLINGのステーションで電動アシスト自転車を借りる

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北上して高架をくぐる
七条通りに面した三十三間堂(蓮華王院)
南北120メートルに及ぶ本堂は圧巻である

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境内を囲む朱塗りの柱の回廊も美しい

千手観音行列

もちろん、堂内の千躰を超える千手観音も壮観にして森厳たり
ここに来たいと思ったのは、溝口健二監督の名作『西鶴一代女』の冒頭シーンでこのお堂が出てくると勘違いしたからであった。
「なんか違うな?」と思い、帰ってから映画を観直したところ、ロケに使われたのは滋賀県彦根にある天寧寺の羅漢堂であった。

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『西鶴一代女』(1952年大映)
田中絹代が演じる辻君(遊女)が羅漢堂に入って、かつて愛し合った男によく似た羅漢様を見つけるシーン。
「いくら江戸時代でも、遊女が勝手に三十三間堂には入れないよな。それに千手観音の顔はどれも似たり寄ったりで、知り合いの顔を見つけるほどのバリエーションも個性もない。変だな」と気づいた。
天寧寺にはあらためて行こう。

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東大路通を北上
八坂神社付近の食堂で鍋焼きうどんを食べる
寒い日はこれに限る

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東大路通から南禅寺に向かう仁王門通沿いに無鄰菴はある
明治29年に造営された山縣有朋の別荘で、今は京都市が管理している

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はじめて訪れたのは高校2年の修学旅行
以来、各年代で一度は訪れている
自然と人工の調合が実に見事で、来るたびに心休まるお気に入りスポット

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庭から見た母屋
座敷から庭を観ながら、コーヒーや抹茶、特製どら焼などを楽しめる

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園内にある洋館
ここで有朋は、伊藤博文らと日露外交について話し合ったという

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無鄰菴とは、「隣人が無い」人里離れた庵の意
今の無鄰菴は住宅街にあるが、周囲の建物はうまい具合に隠されている

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40年前にはじめて訪れたとき一等感動したのは、東山を借景とするアイデアであった。
実は東山こそが主役であり、それを引き立てるために造られた庭なのだ。
東山からの延長上に自分がいる、自分の中に東山がある、そんな気持ちを抱く50代。

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二条通を走って、市街を横断する
二条大橋から比叡山を望む

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森鴎外の小説で有名な高瀬舟(復元)
運河に散る桜はきれいだろう

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車では入れない、徒歩ではなかなか足を運べない、こういった路地の風情を楽しめるのが、サイクリングのいいところ。
観光スポットだけが京の魅力ではない。

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あちこちに残る京町屋の趣きもゆかしい

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二条城近くの神泉苑
平安時代にはここで、空海と守敏の雨乞い合戦があった(もちろん勝ったのは空海)
現代の人気霊能者・寺尾玲子によると、ここは龍の通るパワースポットだとか
ソルティ的には、池のほとりに立つ朝鮮石人像の由来が気になった

最寄りのステーションに自転車を返し、コンビニで夕食を買い、ホテルにチェックイン。
夜遊びするパワーはいただけなかった。

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● 秩父神社でカウントダウン

 年越し3日間は秩父で過ごした。
 スマホもテレビもOFFにして、午前中は瞑想、午後は散歩、夜は読書と瞑想にふけった。
 基本、人とは喋らない。

 たまにこういう生活をすると、テレビはともかくとして、自分がいかにスマホ依存しているかに気づかされる。
 LINEやゲームやツイートをしていないので、他の人にくらべればスマホをいじっている時間は少ないと思っていたのだが、暇な瞬間あれば、ついスマホに手が伸びてしまう自分がいる。
 スマホをいじる時の手の形や人差し指の動きが癖になってしまって、それがないと手のひらや指が淋しがっている気がするほど。
 5年前まではスマホのない生活を送っていたのに・・・・。
 休肝日ならぬ休スマ日をつくるかなあ。 

 瞑想はこのところスランプというか集中力が途切れがち。
 年末にコロナ陽性になってから、いまひとつ身が入らない。
 ウイルスで脳の一部が変容してしまったんじゃないか・・・と恐れている。
 某国が極秘開発した“人間を馬鹿にするウイルス”がその正体だったのか?
 まあ、修行には波がある。
 いまはそういう時期なのだろう。

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冬の秩父の稜線は美しい
 
 午後はずいぶん歩いた。
 天気が良かったので、連日12キロ以上は歩き回って、おろしたてのシューズがすっかり足に馴染んだ。
 秩父は朝方こそ寒いものの、日中は風がなく、遮るもののない陽射しが降りそそぎ、都心よりむしろ暖かいくらい。
 1時間も歩けば上着が邪魔になり、ズボン下のスパッツが汗ばんでくる。

 市内はずいぶん歩き尽くしたので、もう目を惹くような新奇なものは残っていまいと思っていたが、いやいや、まだまだ奥が深かった。
 秩父は関東大震災も戦災も被らなかったので、レトロな建物が残っていることで知られている。
 実際、江戸、明治、大正、昭和(戦前・戦後)、平成、令和といくつもの時代の建物が町中に併存して、ソルティのような建築物好き素人にはたまらない面白さ。
 今回は中でも、味のあるハイオク=廃屋=あばら家に惹かれてしまった。

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結構広いウチだが、さすがに住人はいない

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玄関前にバイク。住んでいるのか?

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売り家のようだが、果たして買い手はつくか?

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ここでカフェをやっていたらしい
古民家を部分的に修繕し、小ぎれいに住みなしている家も少なくない

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家の造りから、養蚕をやっていたのではないか?

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この壁に何があったのか?

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これは民家ではなくて病院
冬でも枯れ落ちないのは品種のせい?

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クラブ湯
秩父の街中にある創業85年の銭湯

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外側は改装しているが、中は昭和レトロそのもの
更衣室にロッカーはなく、脱いだ服は竹籠に入れる
富士山を眺めながら43度を超える熱い湯に
桶はもちろんケロヨン

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昭和11年創業のたから湯と並び、秩父名所の一つと言ってもいいだろう

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秩父鉄道の開運列車
これを見た人には幸運が訪れるとか


 大みそかの夜は、23時半に宿を出て、除夜の鐘を聴きながら秩父神社に向かった。
 境内には一年間世話になったお札や破魔弓やダルマなどを燃やす浄めの火が焚かれ、その周囲で暖をとる人の輪が幾重にも広がっていた。
 やはり若い人が多い。

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秩父神社参道にあるレトロな煙草屋
夜見るとまた雰囲気がある

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秩父神社の境内で年の変わるのを待つ人々

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お好み焼きや甘酒などの屋台も出ていた

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4本の竹としめ縄で囲った結界の中で火が焚かれる

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瞳の入っていないダルマが燃やされていた
願い叶わず・・・か

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新年を迎えるとともに拝殿に行列する人々
日本人が無宗教ってのは何かの間違いだろう

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賽銭箱の中味もコロナ前に戻っただろうか?
おみくじは「大吉」でした

 初詣のあとは、冷えた体を温めるべく神社近くの居酒屋の暖簾をくぐり、武甲正宗を燗で。
 すっかりお屠蘇気分の帰り道、空を見上げると、北斗七星、北極星、オリオン、カシオペア、白鳥座・・・・久しぶりに見る満点の星に平和な一年を願った。

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荒川(巴橋から)


 元日には、市街地の広がる秩父盆地から荒川に架かる秩父公園橋を渡り、長尾根丘陵の展望台に登って武甲山参拝し、秩父ミューズパークの広がる尾根を越えて、小鹿野町まで歩いた。
 昨年の夏に歩いた札所32番法性寺から33番菊水寺への巡礼路に合流し、ようばけを右手に見送りながら、星音の湯でゴール。
 明治17年(1884年)に秩父事件の義士たちが取ったのと逆コースである。
 足の痛みも出現せず、これで今年、両神山に挑戦する自信がついた。


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長尾根丘陵の展望台からの風景

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小鹿野町にて両神山を望む

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星音の湯
16時半に入ったが、結構混んでいた

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湯上りに、秩父名物・豚肉の味噌漬け定食を堪能する


 この一年、生きとし生けるものが幸せでありますように!




 
 

● 沖縄戦跡めぐり4 (首里城)

 帰りの飛行機の時間まで首里城見学した。
 国際通りからバスに乗り、石畳前バス停下車。
 琉球王国時代の遺跡である「金城町石畳道」を首里城に向かって登る。

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金城町石畳道
16世紀に琉球王国の3代国王尚真によって造られた南部に通じる真珠道(まだまみち)の一部。
琉球石灰岩の石畳と石垣、赤瓦の家並みが続く。
道のほとんどが沖縄戦によって失われ、現在残っているのはこの約300mだけ。

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結構傾斜がきつく、汗ばんだ。

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カジュマルの木陰がうれしい

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休憩所として利用されている金城村屋
心地良い風が通り抜け、眺めも良く、落ち着ける。

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沖縄戦がなければ、どれだけの素晴らしい遺跡が残っていたことか・・・。

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沖縄の街角でよく見かける石敢當(いしがんとう)の石碑
中国伝来の魔除けで、邪気が集まりやすいT字路や三叉路、辻に建てられる。

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眼下に広がる那覇市街

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首里城守礼門

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2019年10月31日の火災により本殿は焼失した。
2026年の復元を目指してもっか復興中。
復興の工事現場を見学することができる。

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首里城の地下30~40メートルに沖縄戦を指揮した日本軍の司令部壕があった。
総延長は約1キロ。指令室や炊事場など30以上の部屋があり、多い時は千人以上が生活していたと言われる。
南部へと撤退する際、軍は機密書類などを隠蔽するために壕内を爆破したため、あちこちで崩落が起きている。
安全面の問題があってこれまで放置されてきたが、最近、沖縄県がこれを保存・公開する方針を決めた。
公開されれば、もっとも主要な戦跡の一つとなるのは間違いない。

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西(いり)のアザナ
城郭西側にある物見台からの景色

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沖縄県立芸術大学
こんなとこで学生時代を過ごせたらサイコー!

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事前の天気予報では滞在中の3日間☂☂☂
海水浴するわけでなし、別に関係ないと思って現地入りした。
フタを開けてみたら、確かに雨が降り続いた。
ただし夜間ばかり。
日中はほとんど傘をさす必要がなく、しかも快晴だとまだまだ陽射しの厳しい時期に薄曇りの空が続き、屋外の移動や見学には最適であった。
必要な時にタクシーが現れたり、ガイドしてくれる土地の人が登場したり、修学旅行生と共に館長の話が聞けたり、ソルティに沖縄戦を学ばせるべく、何かが導いているような感覚すらあった。
実りの多い楽しい旅であった。

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また会いに来るシーサー







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