ソルティはかた、かく語りき

首都圏に住まうオス猫ブロガー。 還暦まで生きて、もはやバケ猫化している。 本を読み、映画を観て、音楽を聴いて、神社仏閣に詣で、 旅に出て、山に登って、瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

●ライブ(音楽・芝居・落語など)

● ALTAがない! :豊島区管弦楽団 第101回定期演奏会

豊島オケ101回

日時 2026年5月6日(水)14:00~
会場 新宿文化センター大ホール
曲目
  • ヨハネス・ブラームス: 『悲劇的序曲 作品81』
  • エドワード・エルガー: 独創主題による変奏曲(エニグマ変奏曲)
  • ヨハネス・ブラームス: 交響曲第1番 ハ短調 作品68
  • 〈アンコール〉 エドワード・エルガー: 威風堂々 第1番
指揮 和田 一樹

 ブラームスの交響曲とはどうも相性が悪い。
 これまでほとんど感動したことがない。
 率直に言って、「堅苦しく、遊び心にかけて、つまらない」と思ってしまう。
 なので、メインプロがブラームスの交響曲である演奏会は自然と避けてしまうのが常なのだが、今回は別である。
 いろいろと驚かしてくれることの多い和田一樹&豊島オケのコンビだからだ。
 これまでのマイナスイメージを払拭してくれるかもしれない。
 久しぶりに新宿駅で下車した。

 あれ? ALTAがない!
 ビルのあった場所が、歯が欠けたように空間になっている。

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新宿駅東口

 7階のALTAスタジオでやっていたタモリ司会の『笑っていいとも!』(フジテレビ)が2014年3月で終了し、その後、しばらくしてスタジオ自体がなくなったのは聞いていた。
 が、ビルの解体は知らなかった。
 ウィキによると、現在三越伊勢丹の運営になっているが、営業赤字のため2025年2月で閉館、昨年4月より解体工事が始まったという。
 またひとつ、昭和遺産がなくなった。
 駅前を行きかう令和の若者や多国籍の外国人たちにとっては、なんの感興も湧かないだろうが・・・・。

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新宿文化センター

 1曲目から「ブラボー!」が飛んだ。
 ソルティ同様、根強い和田&年増豊島ファンがいるんだな~。
 たしかにテクニックと安定感は玄人はだしである。
 しかるに、残念ながらやっぱり面白くない。
 まだブルックナーのほうが面白いよなあ~、とブルヲタが聴いたら憤激するようなことを思う。

 2曲目エルガー『エニグマ変奏曲』によって、その思いはさらに強まった。
 エルガーの面白いこと!
 同じ一つの主題を趣向を変えて14回繰り返す、しかもそれぞれが作曲家自身の家族や友人の性格や特徴を反映させた人物描写になっている。
 遊び心あるなあ~。
 実に楽しい。
 ソルティは、ティンパニーが縦横無尽に暴れる7曲め、ゴシック建築のごとく壮麗にして堂々たる9曲目、晩秋の森の清澄さを思わすチェロの甘美なる12曲目が良かった。
 
 メインの交響曲第1番。
 やはり、「ブラボー!」が飛び交った。
 それに十分値する良い演奏だったと思う。
 だが残念ながら、やっぱり乗り切れなかった。(途中、気が遠のいた)
 和田&豊島オケにして駄目なら、救いはないかもしれない。
 というか、和田とブラームスってなんか合わないような気がする。
 和田って、見るからに遊び心満載の男だし。

 その意味で、今回はアンコール曲『威風堂々』が一番良かった。
 会場のオーラを一気に明るくし、帰途の足を軽やかにする完璧フィニッシュ。
 
 ブラームスよりブルックナー開眼のほうが早いかもな。

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● フライングブラボーのない午後 : 新交響楽団第273回演奏会

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日時 2026年4月12日(日) 14:00~
会場 東京芸術劇場 コンサートホール
指揮 中田 延亮
曲目
  • J. S. バッハ(ウェーベルン編)/6声のリチェルカーレ
  • シェーンベルク/浄められた夜 弦楽合奏版
  • メンデルスゾーン/交響曲 第5番 ニ短調「宗教改革」
  • J. S. バッハ(シェーンベルク編)/前奏曲とフーガ 変ホ長調
  • (アンコール)J. S. バッハ(レーガー編)/おお人よ、汝の罪の大いなるを嘆け
 今回はバロックの色合いの濃い、落ち着いた音楽会であった。  
 シェーンベルクとメンデルスゾーンはロマン派に分類されているが、『浄められた夜』の甘美な透明感も、『宗教改革』の壮麗なコラールも、PAPAバッハの広く厚い胸のうちに抱かれ、揃って澄み切った天上の碧を指しているかのようであった。
 逆に言えば、シェーンベルクとその弟子ウェーベルンによって編曲されたバッハが、ロマン派の色調を帯びたことで、プログラム全体が統一され、アンコール曲も含め全体で一つの交響曲『浪漫派スピリチュアル』を聴いたかのように感じられた。
 新交響楽団の安定したテクニックによる信頼感のため、客席にいて最初から最後まで緊張の糸が張ることなく、くつろいで音に身をまかせた。
 
 一般的に有名な曲がなかったためか、あるいは、それと分かる派手な終わり方の曲がなかったためか、今回は昨今の演奏会で問題となっているフライング拍手もフライングブラボーもいっさいなかった。
 指揮棒が止まってからの一瞬の沈黙が味わえた。
 そういった意味でも落ち着いた音楽会であった。
 
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東京芸術劇場


 
 

● ハイFの衝撃 : METライブビューイング V.ベッリーニ作曲オペラ『清教徒』

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メトロポリタン歌劇場(ニューヨーク)

上演日 2026年1月10日
会場  メトロポリタン歌劇場(ニューヨーク)
キャスト
  • エルヴィーラ: リセット・オロペーサ(ソプラノ)
  • アルトゥーロ: ローレンス・ブラウンリー(テノール)
  • リッカルド : リカルド・ホセ・リベラ(バスバリトン)
  • ジョルジョ : クリスチャン・ヴァン・ホーン(バスバリトン)
指揮 マルコ・アルミリアート
演出 チャールズ・エドワーズ
上映時間 3時間41分
言語 イタリア語

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銀座東劇METライブビューイングにて鑑賞

 『清教徒』はベルカントオペラの極である。
 全編、美しいメロディ、美しくアクロバティックな歌声が、これでもかとばかり溢れ来る。
 オーケストレイションもシンプルで耳障りな不協和音がない。
 作業BGMにぴったりの耳に心地好いオペラである。(そのぶん、生の舞台でないと、アリアと重唱以外のパートで退屈して眠くなってしまうリスクがある)

 美しく感動的で万人に愛されるメロディを作る才において、ベッリーニに並ぶ作曲家はいない。
 現在のTVドラマや映画において重要な場面で効果的に使われるBGMの原点をたどれば、ベッリーニに突き当たるんじゃないかとソルティは思う。
 ベッリーニの音楽を使って現代ドラマを作っても、まったく違和感はなかろう。
 とくに悲しいシーンで流される悲哀のメロディにおいて、ベッリーニを超える作曲家はいまだに現れていない。
 荒唐無稽の紋切り型ストーリーと分かってはいても、ベッリーニの音楽がかぶさると、自然涙腺が緩んでくる。
 物語に依らずとも音楽単体で、人の琴線を鳴らし感情を揺り動かす力を担えることを、確認させられる。
 33歳で亡くなったベッリーニの遺作にして、もっともベルカント的すなわち歌の美しさとテクニックを追求したオペラが、この『清教徒』である。
 
 上演に際しての難しさは歌のテクニカルな部分にある。
 主役の2人、エルヴィーラを歌うソプラノとアルトゥーロを歌うテノールには、途方もなく難しい歌唱と強靭な声帯が要求される。
 例としてよく上げられるのが、第2幕のエルヴィーラの30分にわたる一人舞台〈狂乱の場〉。ここで主役ソプラノは、声域とテクニックの限りを尽くして狂気を演じなければならない。
 また、第3幕フィナーレの四重唱では、アルトゥーロに裏声でない地声による「ハイF」が要求され、テノール歌手泣かせになっている。
 世界三大テノールの一人ルチアーノ・パヴァロッティは、「キング・オブ・ハイC」の異名で知られたが、「ハイF」は音階でいえばその3つ上、高い「ファ」である。(ちなみに、1980年に大ヒットしたクリスタルキング『大都会』の冒頭の最高音が「ハイC」つまり高い「ド」である)
 エルヴィーラとアルトゥーロ、完璧に歌いこなせる2人の歌手がなかなか揃わないので、なかなか上演される機会がめぐって来ないのである。

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清教徒革命の立役者、オリバー・クロムウェル
Ron Porter
によるPixabayからの画像

 さすが世界のメトロポリタンオペラ。
 エルヴィーラ役のリセット・オロペーサも、アルトゥーロ役のローレンス・ブラウンリーも、見事に歌っている。
 ベッリーニの抒情たっぷりの美しいメロディラインを尊重しながら、申し分のないテクニックを披露している。
 とくに、今回初めて存在を知ったローレンス・ブラウンリーの「ハイF」の衝撃たるや!
 「大都会」が壊滅するかと思った。
 この一音を聴けただけでも、はるばる銀座まで出てきた甲斐があった。

 ローレンス・ブラウンリーは、現在ベルカントオペラの諸役で世界中の歌劇場から引っ張りダコという。
 それも当然と思ったが、一方、時代の変化をしみじみと実感するところもあった。
 というのも、ブラウンリーは黒人なのである。
 マリアン・アンダーソン、レオンタイン・プライス、シャーリー・ヴァレット、キャスリーン・バトル、ジェシー・ノーマン・・・・黒人女性歌手のオペラ界での奮闘と活躍は知っていたが、黒人男性歌手については知らなかった。
 脇役や準主役でのキャスティングはこれまでにもあったと思うが、黒人のテノール歌手が主役で歌っているのを観たのはこれが初めて。

 最初のうちは、黒人男性が中世イングランドの王党派の騎士に扮して、清教徒の白人の娘と恋に陥る設定に違和感を覚えた。とくにブラウンリーが、可愛らしい子熊体型をしていて、演技も決して上手とは言えないだけに。
 それが一声歌い始めるや、違和感が消えて不自然を感じなくなってしまう。
 これぞ歌の力。
 いまだにアメリカには黒人差別の色が根強く残っている。
 METでのブラウンリーの活躍を苦々しく思っている輩も少なくなかろう。
 奇跡の「ハイF」で吹き飛ばしてほしい。

 惜しむらくは、花粉症で頭がぼーっとしていたせいなのか、東劇の古い音響システムのせいなのか、歌声がスクリーン内に籠って鮮明さを欠いている印象を受けた。
 次回からはMOVIXで視聴しよう。

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トゥリオ・セラフィン指揮、マリア・カラス主役『清教徒』(東芝EMI)
これを超えるものはいまだにない








● おお、人間よ : 東京楽友協会交響楽団 第120回定期演奏会

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日時 2026年3月21日(土)
会場 ミューザ川崎シンフォニーホール
曲目 
  • マーラー: 交響曲第3番 ニ短調
      アルト独唱: 手嶋眞佐子
指揮: 森口真司
女声合唱: 手嶋眞佐子とマーラー3番を歌う会
児童合唱: ゆりがおか児童合唱団

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ミューザ川崎

 本年2回目のマーラー3番。
 アマオケの水準が上がったためか、聴衆の耳が肥えたためか、昨今はこの3番はじめ、2番『復活』、8番『千人の交響曲』など、マーラーの大曲が演奏される機会が増えた。
 100分間休憩なしのクラシック、しかも伝統的なソナタ形式を逸脱した複雑怪奇な構成をもつマーラーの音楽など、なかなか簡単には足が向かない代物である。
 それが最近では、2000名の大ホールをそれなりに埋めるくらい人が入るのだから、そして終演後には盛大な喝采と「ブラボー」が飛び交うのだから、「やがて私の時代が来る」と言ったマーラーの予言は当たったわけである。
 創立65周年を迎える東京楽友協会交響楽団による今回の演奏も、安定した技術と高い音楽性に裏打ちされたもので、100分という長さを感じさせなかった。

 が、残念なことにこの時期の音楽鑑賞は、ソルティにとって鬼門である。
 小青竜湯のおかげで症状は緩和されているが、霞のかかったようなぼーっとした頭と水泳授業の後のようなけだるさは、五線入りを鈍くする。
 おおむね忘我の境地で聴いていた。
 それでも、くしゃみや咳の出るタイプの花粉症でないだけマシである。

 面白かったのは、第4楽章のアルト独唱者の位置。
 合唱団が並ぶ舞台上方のひな壇にも、オケの中央にも、その姿が見当たらず、どこにいるのかと思ったら、チェロとコントラバスの間の舞台向かって右寄りに、オケに埋もれるように立っておられた。
 この位置で独唱者が歌うのを見た(聴いた)のははじめて。

 合唱団と一緒にしないのは、おそらく、天使の合唱団(天界)に対する地上(苦界)という対比ゆえかと思うが、舞台中央でなく右寄りというのがどういう意図からなのか分からなかった。
 ただ、ソルティの座席は、舞台向かって左手の2階席だったので、ちょうどアルト独唱者と相対する位置であった。
 あたかも、ソルティに向けて歌いかけてくれているかのような錯覚が起きた。

 おお、人間よ
 世界の苦悩は深い

 まったくその通り。
 この世界が、第6楽章が表現するような慈悲と祝福に満たされる日がはたして来るのだろうか?

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● 優しい雨だれ、あるいはリスペクト for MAO & YUTAKA :ニューイヤーコンサート2026

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日時 2026年1月18日(日)15:00~
会場 埼玉会館・大ホール
曲目
  • チャイコフスキー:歌劇 『エフゲニ・オネーギン』より“ポロネーズ”
  • チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番 変ロ長調 op.23
  • ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番 ハ短調 op.18
  • アンコール:尾崎豊 『I LOVE YOU』
ピアノ: ジョージ・ハリオノ
指 揮: 太田弦
管弦楽: 東京交響楽団
  
 チャイコフスキーとラフマニスキーの一番有名なピアノ協奏曲のカップリング。
 なんて贅沢でファビュラスなプログラムだろう!
 それをチャイコフスキー・コンクール第2位の24歳のイケメン英国人ピアニストが演奏し、プロオケ総なめの赤丸急上昇の若手指揮者が指揮するとあっては、期待しないほうが無理というもの。
 開演1時間前に会場に到着し、静かなスペースを見つけて奈良大学通信教育『考古学概論』の勉強をしていた。

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埼玉会館

 1曲目はインスツルメント。
 太田弦の指揮は、2017年10月のOB交響楽団との共演、2019年10月の慶応ワグネル・ソサエティー・オーケストラとの共演、過去2回聴いている。
 精密機械のような精度と正確さ、ゴブラン織のタペストリーのような繊細で美しい仕上がりが、太田の持ち味と感じた。
 久しぶりに聴いて、その印象は間違っていなかったことを確認した。
 きびきびと正確に、繊細な配慮をもって、オケを先導していく。

 2曲目のチャイコは、ジョージ・ハリソンもといジョージ・ハリオノという英国人ピアニストの指鳴らし(ウォーミングアップ)という感じ。
 テクニックの高さと、“優しい雨だれ”とでも形容したい奏者の性格の表れのような音色と、日本人受けする貴公子然とした穏やかな風貌が、刻印された。
 途中、“優しい雨だれ”が脳を叩くマイルドな感触に気持ちよくなって、ウトウトしてしまった。

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Sue RickhussによるPixabayからの画像

 休憩後のラフマニノフ。
 圧巻であった!
 この曲の第1楽章を聴いて、2014年2月ソチ・オリンピックの浅田真央のフリーの演技を思い起こさない日本人がはたしているだろうか?
 マーラーの交響曲第5番第4楽章を聴けばヴィスコンティ『ベニスに死す』が想起されるように、リヒャルト・シュトラウスの『ツァラトゥストラはかく語りき』を聴けばキューブリック『2001年宇宙の旅』が想起されるように、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番第1楽章は、浅田真央の魂のスケーティングと完全に一体化してしまった。
 オケの上手さやピアニストの腕前を超えて、その記憶が感動を呼び起こす。
 前席の御婦人連がハンカチで目を抑えていたが、やはり、ソチの真央を思い出したのだろう。
 ソルティもウルッと来た。

 第2楽章で、ハリオノの実力が完全に開示された。
 強い音も弱い音も、速い音もスローな音も、すべて“優しい雨だれ”で統一されているのだが、雨の色にヴァリエイションがあった。
 曲調に合わせて、雨の色が七変化した。
 無色透明のH2Oから、クリスタルに、銀色に、黄金に、虹色に、エメラルドに、真珠色に。
 同じピアノ、同じ指先から紡ぎ出されているとは信じ難い多様さがあった。
 ラフマニノフの音楽の美しさの真髄に触れた思いがした。

 第3楽章では、太田弦の実力と成長ぶりが開示された。
 正直ソルティは、太田弦が、なぜこんな若くしてプロオケを次々と振れるのか、不思議で仕方なかった。
 指揮者の世界の序列とか出世街道というのがよく分からないのだが、ソルティが高く評価し贔屓する和田一樹だって、40歳になってやっとメジャーなプロオケから声がかかるようになったというのに、太田弦ときたら20代でNHK交響楽団や読売日本交響楽団をはじめ日本の有名オケと共演し、地方のプロオケの首席指揮者なんかに抜擢されている。
 指揮者界のサラブレット?
 強いバックがついている?
 過去2回聴いた太田の指揮に別に不満があるわけではないけれど、落語家が「前座見習い」から始まって、「前座」から「二ツ目」を経て、少なくとも10年は修行してやっと「真打ち」になれるのと比べると、指揮者の出世街道は分かりにくいなあ。

 ともあれ。
 第1、第2楽章では、ハリオノのピアノを十全に引き立たせるべく抑えた音作りに終始していたものが、第3楽章でオケが前面に乗り出し、ゴブラン織のタペストリーの中に“優しい雨だれ”も編み込んでしまった。
 すなわち、太田弦の音楽の中にハリオノを吸収し、見事なアンサンブルを成立させた。
 「これがプロオケを唸らせる実力か・・・・」
 6年間の太田の成長ぶりに刮目した。

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 アンコールは、なんと尾崎豊の “I LOVE YOU”
 これが実に繊細で美しく、切なかった。
 ソルティは世代的に、尾崎豊にも彼の曲にもほとんど惹かれなかったのだが、ハリオノのピアノを聴いてたら自然と泣けてしまった。
 貴公子風イケメンの上に、観客の琴線をつかむ賢さ。
 この男はきっと日本で人気沸騰するね。
 そう予言する。

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浦和駅前のネオンサイン 











● もしもチェロが弾けたなら : 新交響楽団 第272回演奏会

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日時: 2026年1月12日(月)14:30~
会場: 東京芸術劇場コンサートホール
曲目:
  • 坂田 晃一: 管弦楽のための「詩篇」― “Don’t Stop Talking About Them”―世界初演
  • マーラー : 交響曲 第3番 ニ短調
      アルト: 池田 香織
指揮: 矢崎 彦太郎
女声合唱: 東京アルカイク・レディースシンガーズ
児童合唱: 東京少年少女合唱隊

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 昨今、アマオケの演奏会においても、錦糸町トリフォニーホール(約1800席)やミューザ川崎シンフォニーホール(約2000席)、そしてこの池袋芸劇(約2000席)のような都内有数の大ホールが満席になることが多い。
 アマオケの質の向上や営業努力もさることながら、クラシックファンが増えているのは――少なくとも都会では――間違いないように思われる。
 また、仏像展や絵画展などに行っても混雑していることが多く、「いつの間に日本人はこんな文化度の高い国民になったのだろう?」と思ったりする。
 考えてみるに、人口の多い団塊の世代が次々と定年を迎え、文化活動に余暇を当てる人が増えたからなのかもしれない。
 ソルティが20年前から続けている山歩きも、ここ数年、一挙に仲間が増えた感がある。
 とくに平日単独行の男性高齢者が増えた。
 平日の登山者が多くなったことは、山中ひとりぼっちの孤独と静寂が得られ難くなった面がある一方、心強くもある。
 加齢による体力低下に加え、最近のクマ騒動もあって、平日の単独行が怖くなったのだ。
 「熊出没注意‼」の標識の下でお弁当を広げていた時代が懐かしい。

熊注意

 ほぼ満席の東京芸術劇場。
 2階センターブロック上段の一番前列に席を取った。
 舞台全体がよく見える。
 音も極めて良かった。
 以前、芸劇の3階席ではあまりいい印象を受けなかった。
 2階席は、ステージから音がじかに飛び込んできて、全身が音に包まれ音波にもみくちゃにされる感覚が得られた。
 実際、今回のマーラー交響曲第3番は、細かいところがどうのこうのよりも、「マーラーという巨大な波に乗って、大海原を滔々と周遊」した気分であった。
 
 第1楽章から、音波は頭蓋骨を突き抜けて脳を振動させた。
 電子レンジに入れた冷凍食品のように、脳は震え、熱を帯び、分子構造を変え、固体から液体になって、頭蓋骨の隙間から脳ミソがとろけ出すかのようであった。
 第2、第3と楽章が進むにつれ、音波の矢は額、胸、腹部と的を移し、突かれたチャクラが口を開き、中から沸き上がる“気”によって体の輪郭がおぼろになった。
 第4楽章のアルトの独唱も効いた。
 いつもは他の楽章に埋もれがちな第4楽章が、これほど際立ったのははじめて。
 独唱者の池田香織がイゾルデやブリュンヒルデなどを歌えるワーグナー歌いであることも大きい。
 強靭で芯のしっかりした意志的な響きが、背骨から尾骶骨へと振動を伝え、骨盤底にあるムーラダーラチャクラに気を集めた。
 第6楽章はもはや音による全身マッサージ。
 客席がそのまま温浴施設にあるマッサージチェアに変貌したかのごとく、全身の筋肉や神経の緊張がほぐれて、気力がよみがえり、免疫値が上がった――ように思えた。
 すっかり音に蹂躙された“オケ初め”であった。

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 今回初めて知ったのだが、新交響楽団のチェロパートの中に、なんと坂田晃一がいた!
 坂田晃一と言えば、昭和時代に活躍した作曲家で、NHK朝ドラ『おしん』、大河ドラマ『おんな太閤記』、『春日局』、アニメ『母をたずねて三千里』、TBS『東芝日曜劇場』などのテーマ曲のほか、西田敏行『もしもピアノが弾けたなら』、杉田かおる『鳥の詩』、ビリーバンバン『さよならをするために』など昭和歌謡の名曲&ヒット曲を数多く作った才人である。
 ちなみに、ソルティがもっとも好きな曲は、山本達彦の歌った「アゲイン」である。 
 よもや、アマオケの楽団員の一員としてチェロを弾いているなんて、想像もしなかった。
 それもこれも、今回の前プロが坂田晃一作曲『管弦楽のための「詩篇」』であったがゆえに、曲が終わった際に指揮の矢崎がチェロパートの先頭にいた坂田を観客に紹介したがゆえに、知った事実である。
 プログラムによれば「2016年から入団」とのこと。
 ソルティは2016年以降、新交響楽団のコンサートに6回足を運んでいるが、まったく気づかなかった。
 御年83歳。東京芸大の学生時代はチェロをやっていたらしいから、みんなと一緒に音楽を作っていた若かりし頃に戻る思いであろう。
 青春、アゲインだ。

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芸術劇場2階から見渡す池袋駅西口






● ウクライナ国立歌劇場管弦楽団・合唱団『第九&運命』

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日時: 2025年12月29日(月)13:30~
会場: 東京オペラシティ コンサートホール
ソリスト:
 ソプラノ   テチアナ・ガニナ
 メゾソプラノ アンジェリーナ・シ ヴィチカ
 テノール   ドミトロ・クジミン
 バス     セルゲイ・マゲラ
指揮: ミコラ・ジャジューラ

 ベートーヴェンの「運命」と「第九」のカップリングという贅沢きわまりないプログラムで、今年の音楽シーンを締めくくった。
 しかも、1834年の誕生から2世紀近い歴史と伝統を誇るウクライナの名門オケ&合唱団で。
 チャイコフスキー、リムスキー=コルサコフ、ラフマニノフ、グラズノフ、ショスタコーヴィチなども、このオケを指揮したという。
 むろん、1922~91年までの約70年間は、ウクライナはソビエト連邦の一部であった。

 2022年2月のロシアのウクライナ侵攻によって始まった戦争もなかなか終結が見えないが、その間、たびたびこのオケは来日し、各地で演奏を重ねている。
 今回もウクライナ国立バレエ団の『ドン・キホーテ』『雪の女王』『ジゼル』を演奏したほか、1月にはオペラ『アイーダ』『トゥーランドット』上演を予定している。
 ソルティは初めて聴いた。

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 会場の東京オペラシティも初めてであった。
 ソルティはアマオケを中心にクラシックを聴いているのだが、アマオケは滅多にここを使わないからである。
 会場費が高いせい?
 たしかに立派で美しいフォルムである。 
 ただ、アクセス(新宿)やホールの音響効果はいいのかもしれないが、客席の設計はとても褒められたもんじゃない。
 ソルティは、ホール後ろ寄りの3階バルコニーの最前列に座ったが、ここからだと舞台が半分しか見えなかった。
 もっと舞台寄りの席だと、舞台の2/3は隠れてしまうんじゃないか?
 管弦楽はまだしも、オペラなどまったく楽しめたもんじゃない。
 高い料金に見合わない。

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 さらに酷いのは、座席と手すりとの間のスペースが狭い上に、手すりの高さが腰位置くらいなので、身を乗り出すと1階席に転落する危険がある。
 開演前に先に座っている人の前を通って自分の席に着こうとする人は、手すりから上半身を外に傾けるようにして移動しなければならず、子どもやお年寄りなどの場合、はたで観ていても非常に怖い。
 手にしているバッグやスマホを落として、1階席に座っている人の頭に当たったら、大ケガする危険がある。
 しかも、手すりの下部を成す木の台座が水平ではなく、外側(座席と反対側)に向って傾斜している。滑り台そのものである。
 スマホを落としたら、そのまま台座を滑って、1階席に落ちて行くのは間違いない。
 なんてアホな設計をしたのだろう!
 もし、子どもが3階席から転落したり、落としたスマホが1階席の人に当たって大ケガした場合、オペラシティは訴えられても文句言えないと思う。(アメリカなら相当な賠償金を課せられるだろう)
 山登りが趣味のソルティは、これまで数百の山に登って危険な崖道に数多く出会ってきたが、ここはそれらに匹敵する危険地帯である。
 観客のことを全然考えていない人が設計したとしか思えない。
 JR京都駅を思い出してしまった。

 ホールの管理者もそのことを悟ったらしく、台座に注意書きが貼ってあった。
 また、演奏の始まる前に複数の女性スタッフが客席を回って、手に持ったパネルを示しながら、「手すりから身を乗り出さないでください」と注意喚起していた。
 アホな設計のせいで無駄な仕事を増やしたのである。

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3階バルコニー席の最前列 
1階客席に向かって台座が傾斜している

 そんなこんなで、演奏が始まる前から苛立たしさを覚えたが、ひとたび演奏が始まるやいなや、苛立ちなど吹っ飛んでしまった。
 やっぱりプロは凄い。
 やっぱり本場の音は深い。
 技術が高いのは当然と言えば当然だが、なにより一つ一つの音がすっきりして美しい。
 指揮者の求める音色、自分の出したい音色を自在に出せるのは、楽器を完璧に操ることができればこそ。
 CDでも聴いているような完成度と安定性であるが、それでいて機械的でなく、人間的な情感に満ちている。

 んん~、プロだからというよりも、苦難と向き合う者だから出せる音なのかもしれない。
 日本のプロオケの優等生的で洗練された響きとは違う。
 たぶん、苦難を知る者だけがベートーヴェンと出会うことができるのだろう。
 優等生的で洗練されたベートーヴェンが平和の証拠なのであれば、それはそれで祝福すべきことなのかもしれない。

 『第九』第4楽章のソリストと合唱も、日本人の歌い手では聞けないたぐいだった。
 なんと言っても、声量。
 3階後方までしっかり届く各ソリストの朗々たる声と力強さ。
 それぞれのメロディラインがくっきりと際立って、ソプラノ・メゾソプラノ・テノール・バスの掛け合い漫才のような四重唱の面白さが、はじめて了解できた。

 合唱団は総勢で50名ほどか。
 ステージに登場し並んだときは、「こんな少なくて大丈夫?」と思ったのだが、まったく杞憂であった。
 日本人100名集めたくらいの迫力があった。
 オケに負けていない。
 男性陣は20名(テノール、バス各10名)ばかりであったが、女性陣にまったく負けず、しっかりと存在感を示した。
 いつもは四声が入り乱れてごった煮のように聞こえる第4楽章中間部の二重フーガの部分も、各パートのメロディが明瞭に聴こえたので、曲の構造が把握できて愉快であった。
 やっぱり、ガタイの違いは大きいなあ。

 途中からはもう、オケやソリストや合唱団や指揮者の凄さより、ベートーヴェンの偉大さに驚嘆し、楽聖への感謝しか頭にのぼらなかった。

 人間は、こんな奇跡のように美しい音楽が作れるほど進化しているのに、なぜ互いに戦うのだろう?

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P.S. 東京オペラシティの公式ホームページによると、2026年1月1日~6月30日まで、コンサートホール他は設備改修のため休館するとの由。改善されることを願う。







 

 

● キラキラネームとシベリウス : 東京学芸大学管弦楽団 第60回定期演奏会

学芸大60回演奏会

日時: 2025年12月20日(土)16時~
会場: さいたま市文化センター大ホール
曲目:
  • A. ドヴォルザーク: 序曲「謝肉祭」 作品92
  • P. チャイコフスキー: イタリア奇想曲 作品45
  • J. シベリウス: 交響曲第2番 ニ長調 作品43
  • アンコール シベリウス: 組曲『カレリア』より「行進曲風に」
指揮: 苫米地 英一

 埼玉会館と勘違いして浦和駅まで行ってしまった('A`|||)
 さいたま市文化センターは南浦和駅西口から徒歩8分のところにある。
 南浦和にこんな立派な施設があったとは!
 35年以上埼玉県民やっているのに知らなかった。

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さいたま市文化センター
市立南浦和図書館を併設している

 苫米地英一の指揮は、ベートーヴェンを専門とするL.v.B.室内管弦楽団との共演を過去に聴いている。
 熟練のオケによる安定度の高い素晴らしい演奏であった。
 学生オケとの共演はどうであろうか?

 前プロの2曲は、非日常的なお祭り(カーニヴァル)がテーマであったり、イタリア旅行に触発されたチャイコが作った異国情緒あふれるカプリッチョ(気まぐれ)であったり、いわゆる“ノリのいい”曲。
 若くエネルギッシュな学生たちに向いている。
 教員養成校として知られる学芸大学の生徒ゆえか、総じて真面目で教科書的な演奏であったが、そこに若いエネルギーとフレッシュネスが加わり、バランスよい音楽となった。
 休憩中にプログラムを開いて、唖然とした。
 オケのメンバーたちの名前のあまりのキラキラしさに。

愛萌、叶望、咲季、颯世、唯花、愛菜、咲綾香、美音、日、実都葉、
綺花、夕姫、陽日樹、海央、華衣、芽瑠萌、桃花、美空、彩愛、
心音、藍菜、麻飛、帆乃花、理桜、花音、貴城、柚穂・・・・。

 よ、読めない (; ̄Д ̄)
 なんか凄いことになっている。
 彼らの親御さんたちは、大体70~80年代生まれだろう。
 キラキラネームは90年代半ば頃から増えたと言われるが、まさに第1世代が社会人デビューを迎えているのだ。
 大切な子供に美しい名前をつけたいという親心は理解できるものの、学校の先生は苦労しているだろうなあ~。
 ――と思ったら、彼らこそが先生になる可能性大の人たちであった。

 ちょっと前に、ソルティは仕事で地域の小学校に認知症の話をしに行った。
 生徒たちの机の上には、各人の名前が書かれた三角ネームプレートが貼り付けてあった。
 漢字の上に(あるいは英語やタガログ語の上に)大きくふりがなが振ってあった。
 そういう時代なんだな。

世界の子供

 さて、後半のシベリウス第2番。
 やはり、実直な演奏で、大きな乱れはない。
 シベリウスの代表曲と言われるほどの名曲なので、あやまたず感動をくれる。
 最終楽章ではソルティの胸のチャクラに矢が突き刺さった。

 死の淵をさまようような重苦しい第2楽章から、苦しみと哀しみを避けられない運命の受容といったふうの第3楽章を経て、生々流転・自然法爾の第4楽章。
 ソルティはこの曲に東洋的・道教的なエッセンスを聴く。
 なので、この曲を指揮し演奏するには、やっぱり人生経験がものを言うと思うのである。

 キラキラネームを持つ若者たちが、いつかこの曲の真価を悟り、自らの人生や心と呼応させながら演奏できる日が来るのだろうか?
 苦しみや悲しみを知らないまま、いつまでも子供のように無邪気に罪なく美しく生きてほしいと親は願うものだが、それが子供にとって必ずしも幸福であるとは限らないのである。
 









● 本:『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』(トム・ストッパード著)

1966年初演(エジンバラ)
1969年日本初演
2017年ハヤカワ演劇文庫

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 イーサン・ホーク主演『ハムレット』を観たら、この戯曲が読みたくなった。
 作者自身の手で1990年に映画化されたものは、前に観ている。
 ローゼンクランツをゲイリー・オールドマンが、ギルデンスターンをティム・ロスが演じていた。

 この戯曲の成功はひとえにその独創的なアイデアにある。
 タイトルの『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』は、この2人が端役で登場するシェークスピア作『ハムレット』の最終場面のセリフそのまま。
 もともと端役であるローゼンクランツとギルデンスターンを主役に持ってきて、主要人物であるハムレットやオフィーリアやクローディアスが脇に回る。
 一方、ストーリーや設定や上記主要人物たちのセリフは原作と変わらないので、ローゼンクランツとギルデンスターンは『ハムレット』内で与えられている出番において決められたセリフを言うとき以外は、自分たちが何をしていいのか分からない。
 それどころか、自分たちがどこで生まれ、どういう過去を持ち、何の仕事をしているのか、何が目的で生きているのか、どこに住んでいるのか、も分からない。
 ただ、かつてハムレットの御学友であったことと、王の命令は絶対であることのみ、分かっている。
 作者シェークスピアから与えられている2人の情報はそれだけ。
 台本によってすべてが縛られているからである。 

 ある朝、2人は伝令によって叩き起こされ、クローディアス王の命令によりデンマークに呼び戻される。城に上がると、ハムレット王子が思い悩んでいる理由をそれとなく探るよう王に命じられる。
 その務めを果たさないうちに、ハムレットは「生きるべきか死ぬべきか」のご乱心。危機を感じたクローディアスは、暗殺を企図し、ハムレットをイングランドに送る。ローゼンクランツとギルデンスターンは王に命じられるまま、監視役としてハムレットに同行する。
 王の魂胆を見抜いたハムレットは、裏をかき、旅の途中でデンマークにとんぼ返り。残された2人はそのままイングランドに向かい、クローディアスからの親書をイングランド王に届け、ハムレットの代わりに暗殺されてしまう。

 要は、脇役という存在が、いかに作者に軽く扱われ、十分な人物背景が与えられず、都合の良い駒として動かされているかということを、「主・脇」を逆転することによって明らかにしているわけだ。
 それがあたかも、自らのアイデンティティを疑う不条理劇の主人公のように見えるのが面白い。
 なぜこの世に生まれてきたのか、ここで何をすればいいのか、自分は何がしたいのか、答えが出ないままに予告もなく世を去っていかなければならない我々(舞台の観客)の姿を振り返らせるのである。
 
 もっとも、この戯曲の成功によって、ローゼンクランツとギルデンスターンは、生みの親であるシェークスピアが到底予測もつかなかったくらい有名になってしまった。
 ハムレットやクローディアスのような英雄的な死が与えられず、虫けらのように意味なく殺される2人は、ある意味、カフカの小説の主人公のようで、現代の民主主義的感覚で見れば、ハムレット以上の悲劇存在である。
 しかも、その生を、何千回も、何万回も、繰り返さなければならない。
 世界のどこかで、『ハムレット』が上演される限り。 
 輪廻転生の比喩のようだ。

 今日もどこかで、ローゼンクランツとギルデンスターンは蘇っては死んでいる。




おすすめ度 :★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損


● 復活の日 : オーケストラ・ラム・スール 第11回演奏会

復活ラムスール

日時: 2025年11月3日(月)13:30~
会場: すみだトリフォニーホール大ホール
曲目: 
  • 平林遼: 神秘の存在証明 世界初演
  • マーラー: 交響曲第2番「復活」
  ソプラノ: 隠岐 彩夏
  メゾソプラノ: 藤田 彩歌
指揮: 平林 遼
合唱: コール・ラム・スール

 本年2度目の復活。
 平林遼という指揮者もラム・スールもはじめて。
 なかなか個性的かつ独創性ある指揮者のようで、気に入った。

 まず、舞台に登場してすぐ「オッ!」と注目を集めたのが、その衣装。
 タキシードではない!
 黒地に紫を基調としたカラフルな模様が編みこまれた、『銀河鉄道999』に出てくるプロメシューム(メーテルの母親)を思わせるような、お洒落なドレスシャツを着ている。
 そうよ、指揮者はタキシードを着るものと法律で決まっているわけではない。
 どんどん自分の好きなものを着て、気持ちをアゲアゲにして、いい音楽を作ってくれればそれに越したことはない。
 素晴らしい。

 次に、前プロに自ら作曲した世界初演のオリジナル曲(8分)を持ってきた。
 これが東洋風かつマーラーチック、しかも合唱付きで、場内の空気を一気に『復活』臨戦モードに変えていく。
 「ちょうど、いい曲を前プロに持ってきたもんだなあ」と感心したが、あとからプログラムを読んだら、なんとこの日のために即興的に書いたという。
 『復活』の前に置くのにふさわしい短めの曲がなかったから、という動機らしい。
 「大がかりな儀式のような『復活』を演奏するにあたり、場を浄化する露払い的な曲」と本人が記している。
 やるねえ~。
 しかも、前プロのあとに休憩は入れず、曲の切れ目がそれと分からないままに、『復活』第1楽章に突入。
 「前プロ、たしか8分のはずなのに妙に長いなあ~」と思って、途中でそれと気づき、トイレに行く機会を失った観客も少なくなかったと思う(笑)。
 いや、さすがに7度目の復活という最強ゾンビのソルティは、ちゃんとわかりましたとも。
 会場は7割くらいの入り。盛況であった。

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 率直に言って、これまで7回聴いた『復活』の中では、2019年に杉並公会堂で聴いた金山隆夫&カラー・フィルハーモニック・オーケストラと並ぶベストであった。
 全般に迫力と熱意があふれていた。
 第4楽章のオール・フォルティシモの爆風たるや、巨大なトリフォニーホールが木っ端みじんになるんじゃないかと思うほどだった。
 一つ一つの音が明確で、メリハリが効いていた。
 第1楽章がとくに緩急・強弱・硬軟自在で、扉が開けば別の世界、別の景色が目の前に広がる、遊園地のようなマーラーの音楽世界を見事に現出していた。
 合唱もあたたかみがあって良かった。
 人類は、他人からあたたかい声をかけられることで、ホモ・エレクトスからホモ・サピエンスに進化したのでは?――なんて妄想するほど、どんな腕の立つ演奏家がどんなに頑張っても、楽器では得られない人の声のもつ特質を思った。
 平林はこの曲について、マーラーが「魂の永遠の不滅性=輪廻転生」を表現したものと解釈したようだが(それゆえに東洋タッチで開始したのだろう)、そこのところはソルティはよく分からない。
 マーラーは、生まれ変わってこの世に戻りたかったのかな?
 また、最愛のアルマと出会いたかったのかな?

 素晴らしい演奏に出会った時にソルティに起こる現象として、例によって、身体中のチャクラがビクンと反応し、客席で何度もケイレンした。
 そのたびに“気”が湯気のように湧き上がった。
 しかるに――最近薄々感じていたのだが――これはソルティに憑依していた浮遊霊が浄化されている、すなわち音楽による除霊ってことなのかもしれない。
 鑑賞後に肩こりが楽になったのはそのためかも。
 

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終了後、錦糸町駅横の「てんや」で遅い昼食
いい音楽の後の飯は格別!




















 

 

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