ソルティはかた、かく語りき

東京近郊に住まうオス猫である。 半世紀以上生き延びて、もはやバケ猫化しているとの噂あり。 本を読んで、映画を観て、音楽を聴いて、芝居や落語に興じ、 旅に出て、山に登って、仏教を学んで瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

読んだ本・マンガ

● Jの悲劇 本:『「特攻」のメカニズム』(加藤拓著)

2023年中日新聞社

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 中日新聞に2019年5月から足掛け5年にわたって連載された記事をまとめたもの。
 著者は1981年生まれの中日新聞記者で、大学院生だった時分から特攻の調査・研究を独自で続けてきた、いわばライフワークである。

 (本書は)太平洋戦争末期の陸軍特別攻撃隊を取材テーマに、生き残った隊員や遺族などの証言、日記、手紙などを取材し、個人の生死より国家を優先した戦時下の狂気と恐怖、非人間的な組織の論理を暴いた。さらに、組織優先の論理や風潮が戦後の日本社会に引き継がれ、企業不祥事や過労死など個人が犠牲になる温床になっていると警鐘を鳴らしている。過去の歴史を振り返るだけでなく、現代に生きる私たちが学ぶべき教訓として描かれている。
(中日新聞社編集局長・寺本政司による「まえがき」より)

 たとえば、ブラックバイトや過労死や派遣切り。人を部品か消耗品のように扱う非人間的組織の実態。
 たとえば、2018年に起きた日大アメフト部の悪質タックル事件。タックルを行った当人はコーチからの「命令」と言い、コーチ側はそれを否定する。上からの「命令」なのか本人による「志願」なのかを曖昧にする無責任体質。
 たとえば、100人以上の犠牲者を出した2005年のJR西日本福知山線の脱線事故。当時同社で行われていた、業務でミスした運転士を再教育する「日勤教育」にみるパワハラ、モラハラ、懲罰的な精神論。
 たとえば、安倍元首相夫妻が絡んだ森友事件で公文書の改竄を上司に強要され、自らの命を絶った財務省の赤木俊夫氏。組織上層部の保身によって、忠実で真面目な中間管理職が精神的な破滅に追い込まれていく悲惨な構図。
 たとえば、新型コロナウイルス禍の自粛警察や、マスクしない人や休業しない店に対するバッシング。相互監視と逸脱者への村八分につながる世間の同調圧力。

 著者は、戦後70年以上経った現在起きている数々の事件の背景に、「特攻」という人類史上稀に見る愚かで野蛮な戦術(という言葉すら当たらない愚行)を可能にした、我が国の精神文化、思想、組織体質、社会の空気――つまりは国民性が垣間見られるとしている。
 その通りであろう。 
 特攻こそは、日本というシステムにおける「負」の集積的象徴であり、日本人の究極の欠陥が具現化した徒花なのである。
 特攻の中に日本人が見える。

 理想の勇姿を消耗品扱いする作戦がまかり通ったのは、戦局悪化の責任を回避し、そのツケを前線の兵士に押しつける組織の論理でしかない。上層に向かうほど責任の所在が不明確になり、矛盾のしわ寄せが末端に押しつけられる。それは、今も変わらない日本型組織の特異性と言えるだろう。

日本刀

 本書ではじめて知ったが、特攻に失敗した兵隊――いったん出撃したものの、機体の故障や悪天候などで自爆という目的を果たさないまま帰還した兵隊――を隔離収容する「振武寮」という施設が福岡にあった。
 そこは帰還した特攻隊員の「仕置き部屋」と化し、上官による虐待が日常茶飯だったという。
 こんなひどい話もある。
 「特攻で亡くなった」と大本営が発表した兵隊に対し、天皇陛下が名誉の勲章を授与することになった。ところが、本人が生きて還ってきた。
 いまさら「間違っていました」と取り消すのもまずいと、上官はその兵隊を暗殺する命令を出した。(さすがにこの命令は部下たちの猛反対を受け実行されなかった)
 
 子供の頃から徹底した軍国主義教育を受けた少年兵ほど、特攻に対する抵抗感が低く、「お国のために散る」ことに憧れすら持つ――というのは、まさに洗脳の賜物だろう。
 自我が十分育たないうちに隔離して、組織に都合の良い情報だけを繰り返し注ぎ込む。
 国のために命を捧げる特攻隊を「軍神」と位置づけ、国民がこぞって持て囃す風潮をつくる。
 少年たちは自らが置かれた生贄的境遇を不自然に思うことなく、「神」を演じて戦場に出ていく。

 なんだか、最近話題のジャ×ーズの元少年たちのことを思い出した。
 

 

おすすめ度 :★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損

  
 

● 本:『黎明 日本左翼史 左派の誕生と弾圧・転向1867‐1945』(池上彰、佐藤優共著)

2023年講談社現代新書

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 彰優(えいゆう?)コンビニよる日本左翼史シリーズ第4弾。
 今度こそ完結編だ。
 明治維新から太平洋戦争までの左翼史を扱っている。
 4冊目ということで、二人の対話も役割分担もスムーズで、概して読みやすいものになっている。
 おそらく、前3冊と合本にして、かなり厚めの新書『日本左翼史』がそのうち刊行されることになるのだろう。
 よい企画だったと思う。

 日本の左翼がいつ誕生したかを特定するのは難しい。 
 板垣退助らによる自由民権運動(1874~)か、秩父事件(1884)か、幸徳秋水や片山潜らによる社会主義協会の設立(1990)か、日本社会党の結成(1906)か、日本共産党の結成(1922)か・・・。
 それはたぶん、左翼をどう定義するかによって変わってくるのだろう。
 マルクス主義に根差した改革(革命)運動という意味でとれば、社会主義協会の設立をもって左翼の誕生と言えそうな気もするが、1917年ソ連成立の影響を受けた、国体(天皇制)の変革を前提にした共産社会に向けての組織的運動という意味でとれば、日本共産党の結成が起点となるように思う。
 1922年には日本で初めての人権宣言である水平社宣言が発表されてもいる。
 この年が、日本左翼史において一つのメルクマールであることは疑いえない。

水平社宣言記念碑
奈良県御所市柏原に建つ水平社宣言記念碑

 いずれにせよ、戦前の左翼史についてはひと言でまとめることができる。
 「弾圧」である。
 開国このかた、欧米の植民地になることを防ぐための国民一丸となっての富国強兵・殖産興業、すなわち近代化を焦眉の急とした大日本帝国政府が、その流れに竿さそうとする動きに対して弾圧を加えたがるのは、わからなくもない。
 また、伝統的国体である天皇制の解体を目指す、背後に人類初の社会主義国家ソ連の影が揺曳する組織に対し、保守的な層のみならず、天皇を敬愛していた国民の大多数が危険なものを感じたのも無理はない。
 ただし、弾圧の仕方は到底、近代民主主義国家にふさわしいものではなかったが。
 その意味では、日本の左翼の真の誕生は、言論・集会・結社の自由が保障された戦後と言えるのかもしれない。

 以下、引用

佐藤 戦前の世直し運動、異議申し立て運動には右翼と左翼に加えて宗教というもう一つの極があり、この三者がときに対立し、ときに相互に重複しつつ展開していったというのが実際のところだと思うのです。

佐藤 自由民権運動は佐賀の乱や西南戦争など明治初期の士族反乱の延長線上にあるものであって、維新政府の「負け組」が仕掛けた単なる権力闘争にすぎない、というのが私の評価です。この運動を左翼の誕生とダイレクトに結びつけるのは無理があるでしょうね。
 
佐藤 右翼は宗教との親和性が高いので宗教と結託し、宗教の力を利用することもできたわけですが、左翼の場合は核の部分に無神論があるがゆえに宗教の活用ということはなかなかできなかった。

池上 廣松渉が『〈近代の超克〉論〉』(講談社学術文庫)でも言っているように、戦前において革命はタブーではなかったし、社会主義も決してタブーではなかった。ただ天皇制の否定だけがタブーでした。


 最後に――。
 本シリーズのそもそもの目的の一つは、「格差の拡大や戦争の危機といった現代の諸問題が左翼の論点そのものであり、左翼とは何だったのかを問うことで閉塞感に覆われた時代を生き抜く上での展望を提示する」というところにあった。
 しかるに、4冊終わってみると、この目的が十分達しられたとは言い難い。
 池上も佐藤も、左翼批判とくに共産党批判の向きが強く、美点よりも欠点をあげつらってばかりいる。
 欠点や過ちを指摘するのはよいが、それを検証してより良い方法論を示し、時代を生き抜く上での「展望を提示する」ところまでは至っていない。 
 読者に託された課題ということか。





おすすめ度 :★★★

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● 本:『ルポ 死刑』(佐藤大介著)

2021年幻冬舎新書

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 副題は「法務省がひた隠す極刑のリアル」。
 著者は1972年生まれ。
 毎日新聞社、共同通信社での記者活動を経て、現在、共同通信社の編集員兼論説委員を務める。
 
 著者の基本姿勢は死刑廃止なのだと思うが、ここではそれを声高に訴えていない。
 むしろ問題としているのは、副題にある通り、日本の死刑制度の実態が法務省によって徹底的に伏せられていて、国民に正確な情報が伝えられていない点である。
  •  死刑囚はどのような日常を送っているのか。
  •  外部とのやり取りはどの程度許されているのか。
  •  日々なにを思って過ごしているのか。
  •  誰がどう死刑執行日を決めるのか。
  •  どのように受刑者に伝えられるのか。
  •  死刑がどのように行われ、誰と誰が立ち会っているのか。
  •  担当する刑務官はどのような思いを抱えているのか。e.t.c.
 死刑制度の是非はいったん別として、米国では情報を公開することで議論が起き、それだけ死刑制度について考えることができる。一方、日本では密行主義で情報はほとんどなく、死刑が行われながらも議論は深まらない。死刑は国家が合法的に命を奪える究極の権力行使であるのにもかかわらず、多くの人々は無関心という状態が日常化している。 

 我々国民は、死刑に関する十分な情報を与えられないまま、死刑制度の是非を議論する環境に置かれている。
 確かにこれはおかしい。
 国がどのように一人の国民を監禁し抹殺したかを、他の国民たちが知ることができないのは、殺された対象がどんな人間であるかに関わらず、由々しき事態だ。
 国家が一国民に対しどのようなことをなし得るかが不透明にされているからだ。
 民主主義の根幹にかかわる問題である。

 本書では、死刑囚、元死刑囚の遺族、弁護士、刑務官、死刑囚の世話をする衛生夫、検察官、法務省官僚、牧師や神父や僧侶などの教誨師などへのインタビューやアンケートなどをもとに、日本の死刑囚の置かれている状況や彼らの思い、死刑執行までの具体的な段取りが、でき得る限りに描き出されている。
 日本の死刑は絞首刑だが、これは明治6年に作られた法律によるもので、140年変わっていないという。
 科学も医学も薬学も進み、もっと穏やかな殺害方法があるだろうに、「絞首刑は苦痛がもっとも少なく、残虐性なし」と結論付けた1828年の学者論文をもとに、いまだに他の手段を検討することなく続けられている。
 サディストか。
 死刑執行方法見直しの議論は民主党政権時代に持ちあがっていたのだが、2012年末の総選挙で民主党が惨敗し、政権が再び自民党に戻ったことで立ち消えてしまった。
 ときの法相は谷垣禎一、首相は安倍晋三であった。
 
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Heinz HummelによるPixabayからの画像

 ソルティは基本、死刑廃止論者である。
 が、時々、「こいつだけは死刑もやむを得ない」と思わざるをえないような、残虐極まりない卑劣な犯行、個人的に許しがたいと感じる犯罪者が出現し、そのたび心が揺れ動く。
 すぐに思いつくのが、1988年2月に起きた「名古屋アベック殺人事件」であり、同じ年の11月に東京都足立区で起きた「女子高生コンクリート詰め殺人事件」である。
 この2つの犯罪の凄惨なまでの残虐さは言語に絶するもので、被害者の受けた恐怖や苦痛や絶望、被害者遺族の受けた打撃や苦痛や喪失感を想像すると、「目には目を、歯には歯を」ではないが、加害者にも同等の苦しみを与えなければ承知できない、「死刑は当然」と当時思った。
 個人的にソルティは、女性が男達によって拉致監禁され、暴行され、強姦を繰り返される類いの犯罪が一番嫌いで、許し難く思うのだ。

 びっくりしたことに、本書にはなんとこの「名古屋アベック殺人事件」の加害者、それも6人の加害者のうちの主犯格Nが登場する。
 一審でNは未成年であったものの死刑判決を受けた。そこまではソルティも知っていた。
 その後、二審での6年余りに及ぶ審議の結果、無期懲役が下り、判決が確定した。
 現在、無期懲役囚として岡山刑務所に収容されていて、著者は数年前からNと面接や手紙のやり取りを行ってきた。
 「そうか。生きていたのか・・・」
 驚くとともに、いまや40代になるNという男の変化に戸惑った。
 服役態度の良い模範囚であり、被害者遺族への謝罪や償いを心がけ、更生の途上にあるらしい。
 35年前のNと同一人物なのかと思わず疑ってしまった。

 それに輪をかけて驚いたのは、被害者女性の父親とNとが文通をしているという事実であった。
 一体そんなことが可能なのか!
 大切な娘をこれ以上ないほど残酷なやり方で殺されて、自ら復讐することも叶わずに、人生を滅茶苦茶にされ、せめてもの慰みの「死刑判決」すら「無期懲役」に減刑されてしまった。
 そんな憎き相手と文通できるこの父親の存在に愕然とした。
 もちろん許しているわけではなかろうが、それとは別に、“人と人として”相手と対峙できる度量というか、精神性に恐れ入った。
 韓国のドキュメンタリー『赦し――その遥かなる道』(チョウ・ウクフィ監督)を観たとき、妻と子供を殺された父親が、その殺人犯の減刑運動をしているエピソードを知って、ぶったまげた。
 それはキリスト教など宗教的バックボーンのある特別な人の場合と思っていたけれど、日本にも同じような人がいたのである。
 この父親がいる以上、ソルティはもはや、「名古屋アベック殺人事件」の犯人を断罪することができなくなった。

観音さま

 世界各国の約7割が死刑を廃止、または事実上廃止しているなかで、日本は少数派に属している。そうした中、米国が連邦レベルでの死刑執行を停止したことから、先進国主体の経済協力開発機構(OECD)加盟国(38ヵ国)で通常犯罪に対する死刑執行を続けているのは、日本だけと言うことができる。

 日本には日本独自の文化や風習や価値観がある、外国の目を気にしてそれに合わせる必要はないと言うのは一見カッコよいけれど、意地を張って国際連盟脱退の二の舞のようなことにならなければよいのだが・・・・。
 あとからどれだけ高くついたことか。




おすすめ度 :★★★

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● 戦犯作家と呼ばれて 本:『革命前後』(火野葦平著)

1960年中央公論社
2014年社会批評社

革命前後

 本書の刊行は、1960年1月30日、火野葦平はその一週間前の1月23日に服薬自殺した。
 本書は火野の遺作であると同時に、遺書と言っていい。
 というのも、戦時中『土と兵隊』『麦と兵隊』などの従軍記を書き“兵隊作家”として持て囃され、自ら進んで戦意高揚に協力した火野が、戦後15年経って“戦犯作家”としての自らの戦争責任について内省し総括しているからである。
 自死の理由ははっきりしていないのだが、少なくとも、本書を書き終えた後、火野の中で何か吹っ切れるものがあったのは間違いあるまい。

 本書は、1945年7月中旬から1947年5月までの火野の身辺雑記あるいは私小説である。
 この間に、B29による度重なる本土爆撃があり、不可侵条約を破ったソ連の満州侵攻があり、広島と長崎への原爆投下があり、玉音放送があり、ポツダム宣言受諾があり、GHQの占領があり、獄中にいた共産党員の釈放があり、パンパンや闇商売の横行があり、戦犯追及の嵐があり、天皇の人間宣言があった。
 タイトルにある「革命」とはまさに1945年8月15日のことで、この日を境に、火野の周囲がどのように変わっていったかが生々しく描かれている。
 “革命”前の火野は、故郷九州の博多で西部軍報道部に所属し、地域の戦意高揚のため、軍人や文化人らとともに、軍が徴用したホテルに泊まり込んで軍務に従事していた。
 軍国主義下の日本で、「お国の為」に生きていた。
 “革命”後の火野は、文芸復興を期して九州文学という出版社を仲間と立ち上げるとともに、博多の焼け跡を利用した食べ物屋街「太平街」の設立に関わった。(いずれも頓挫した)
 焼け跡が広がり物資のない日本で、自責の念から筆を折った自分がこれからどうやって生きていくか、模索していた。

 遺書と言うと重苦しい印象を受けるかもしれないが、革命前後の疾風怒濤の日々の記録はドラマチックで、ドキュメンタリー風の面白さがあり、その中にも鋭い社会風刺や人間観察が顔をのぞかせ、やはり人気作家にして芥川賞作家だなあと感心した。
 背水の陣をとうに越えた日本存亡の危機だからこそ、あるいは価値観が180度引っくり返った混乱期だからこそ、人間の本性が暴かれる。
 報道部の同僚、火野の家族、親戚、友人、文芸仲間、闇商売の相手、復員してきた兵隊、巷の庶民等々、さまざまな立場の人々のさまざまな振る舞いが描き出されていて、一種の「人間喜劇」の様相を呈している。
 九州のみならず、日本中で同様なことが起きていたのだ。
 そして、自らもまた喜劇の登場人物とみなし、客観的におのれの愚かさと滑稽さを見つめようとする火野の目は、あやまたず作家のそれである。
 九州革命――米軍の本土上陸前に九州を独立させ革命政府を作り、九州独自で米軍と闘おう――なんて本気で考えていた人がいたとは驚きであった。
 また、ポツダム宣言受諾の数日後には、連合国の国旗を掲げる日本人の変わり身の早さも興味深い。
 敗戦で自決した者をのぞいて、「日本人総パンパン化」みたいな米軍忖度ぶり・・・。

桜と川面

 さて、火野は自らの戦争責任をどう総括したか。
 戦時中の火野の活動について調査するために訪ねて来たGHQのCIC(民間情報局)ケインジャー大尉に向かって、火野はこう語る。

 私は太平洋戦争が侵略戦争なのかどうか、よくわからないのです。少なくとも、戦っている間は、一度もそう考えたことはありませんでした。祖国が負けては大変だという一念があったばかりで、私などがいくら力んでみてもなんにもならなかったのですけれど、ともかく全身全力をあげて、祖国の勝利のために挺身しました。米英撃滅をモットーにして戦争に協力しました。私には老いた両親があり、妻と三人の子供があることはさきほど申し上げましたが、私は祖国の勝利のためには命をすててもかまわない覚悟でいました。それというのもただ日本が負けては大変だという一途の気持だけです。私とともに戦線を馳駆した兵隊たちの多くもその気持であったと信じます。けれども負けてしまうと、日本は侵略戦争に狂奔したということになり、軍閥の姿が大きく表面に出て来て、実のところ、茫然として居ります次第です。

 恐らく私がお人よしの馬鹿だったのでしょう。軍閥の魂胆や野望などを看破する眼力がなく、自己陶酔におちいっていて、墓穴を掘ったのでしょう。しかし、私は私なりに戦争に協力したことを後悔しません。敗北したことは残念でありますが、私の気持は勝敗にかかわらず今も変わっておりません。

 これが本心なのだろう。
 「国のため」「天皇陛下のため」という絶対的な価値が火野のアイデンティティの核を成していたのである。
 子供の頃からそういったしつけや教育を受け続け、社会全体がその観念を共有しているのであれば、そこから脱して体制に疑問を持ったり、別の視点を持つのは難しかろう。
 それは、戦後生まれのソルティが、「民主主義」「基本的人権の尊重」を当たり前とし、疑問を抱かないのと同様である。
 国家は国民に奉仕するもの、「国<人民」とソルティは思っているが、“革命前”の普通は、「国>人民」だったのである。
 いまでも、祖国あっての人民、祖国あっての百姓、祖国あっての水田、祖国あっての自分・・・すべてのものの上に「国」が来るという観念は、保守右翼が好むところであるが・・・。
 
 また、火野の場合、独自の美意識を持っていた。

 英雄となるか、ピエロとなるか。それはしたりげな後世の歴史家がアヤフヤなレッテルを貼るにすぎないのであって、瞬間に昂揚される人間の火花の美しさこそ、英雄の崇高さというものだろう。(ソルティ、ゴチ付す)

 一瞬一瞬の正直な実感こそが、人間の行動の中で信じ得られる唯一のものではあるまいか。真実には盲目であり、虚妄に向かって感動したとしても、それは尊ばるべきではあるまいか。滑稽と暗愚の中にこそ、人間がいるのではないか。戦争も、国家も、歴史も、なにがなにやらわからない。革命の名の下に大混乱がおこっているが、その中で信じられるのは人間の、自分の、自分一人の実感だけだ。

 換言すれば、人間にとって大切なのは、目的や結果の良し悪しではなく、瞬間瞬間の行為における誠実さや真剣さや熱意である、ということだろう。
 そのような視点に立てば、たとえばゼロ戦による自爆攻撃も美化され、称讃されるべきものになる。
 なんとなく、これは『葉隠れ』的な、晩年の三島由紀夫的な、つまり武士道につながる美意識のような気がする。
 本書を読んでいても、火野葦平という男の“もののふ”っぷりが感得される。
 生粋の九州男児で、父親は仲仕玉井組の親方であったという出自からは、相当の硬派(マッチョ)であったことが伺えよう。
 自らが信じるところに、結果を顧みずに自己投棄する。
 それを「美しい」「雄々しい」と言っていいのかどうか、ソルティにはよく分からない。(そういう機会に巡り合わなかったゆえに、この歳までおめおめと生きてこられたのだろう)

 最後に――。
 火野葦平は、『土と兵隊』で描かれている最初の従軍(杭州敵前上陸)の際、続けて南京入城を果たしている。
 すなわち、1937年(昭和12年)12月13日のいわゆる南京虐殺事件に居合わせたことになる。
 が、『土と兵隊』には当然ながらその記述はない。
 戦後、他の作品に書いたという話も聞かない。
 謎だ・・・・。

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国明 李によるPixabayからの画像




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● 兵隊作家と呼ばれて 本:『土と兵隊』、『麦と兵隊』(火野葦平著)

1938年改造社より発表
1953年新潮文庫

 火野葦平(1907-1960)は読んだことがなかった。
 どういう人で、どういう文学的または社会的評価を受けていたかも、よく知らなかった。
 興味をもったのは、NHKで4月3日に放送された『映像の世紀 バタフライ・エフェクト~戦争の中の芸術家』を観たからである。
 番組では、ナチスドイツ時代を生きた指揮者フルトヴェングラー、スターリン独裁下のソ連を生きた作曲家ショスタコーヴィチ、そして日中戦争に従軍し“兵隊作家”としてマスコミの寵児となった火野葦平の3人が取り上げられていた。
 つまり、芸術家の戦争責任がテーマだった。

 火野は、戦後になってから“戦犯作家”として批判を浴びた。
 自らの戦争責任に言及した『革命前後』という本を書いた後、睡眠薬を飲んで自殺した。

 いったい、火野はなぜ自ら進んで戦争協力するようになったのだろう?
 自分につけられた“兵隊作家”というレッテルを、のちには“戦犯作家”というレッテルを、どう受け止めていたのだろう?
 最後の瞬間、彼の心のうちで何が起きていたのだろう?
 
 俄然興味が湧き、まず彼の代表作である2作品が載っている本書を借りた。
 この2作品プラス『花と兵隊』の兵隊3部作の大ヒット(300万部を超えた)ゆえに、彼のその後の人生は決定づけられていったのである。

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 本書は、1937年(昭和12年)7月7日の盧溝橋事件を発端に始まった日中戦争の従軍記である。
 火野葦平は、1937年9月に応召され、10月杭州湾に敵前上陸し、一兵卒として中国軍と戦った。
 当時30歳だった。
 翌38年2月、『糞尿譚』により第6回芥川賞を受賞。
 一躍、時の人となった。
 報道部に転属となり、1938年5月には攻略後の南京に入り、徐州会戦に参戦した。
 1939年11月に退役して帰国。
 日本出立から中国大陸上陸、杭州での戦いの様子を記したのが『土と兵隊』である。
 徐州会戦の様子を記したのが『麦と兵隊』である。
 題名通り、前著は泥の中での行軍が、後者は一面の麦畑の中での行軍が、日記形式で書かれている。
 どちらの場合も、中国軍との激しい戦闘の模様が描かれているのは言うまでもない。
 火野葦平は、銃弾や砲弾が飛びかい、死傷者があふれる前線で、死と向き合いながら戦った勇士なのである。
 その体力と精神力は筋金入りと言ってよかろう。

 本書は、お国や天皇陛下のために命をかえりみずに戦う日本兵たちを称賛するものであり、飢えや喉の渇きや足のマメや寒さやダニなどさまざまな困難に遭いながらも、助け合って行軍する、同じ釜の飯を食う兵隊同士の連帯と友愛の素晴らしさを伝える内容である。
 火野のナショナリズム(祖国愛)や仲間の兵隊たちへの愛情はまごうかたない。

 多くの兵隊は、家を持ち、子を持ち、肉親を持ち、仕事を持っている。しかも、何かしら、この戦場に於て、それらのことごとくを、容易に捨てさせるものがある。棄てて悔いさせないものがある。多くの生命が失われた。然も、誰も死んではいない。何も亡びてはいないのだ。兵隊は、人間の抱く凡庸な思想をも乗り超えた。死をも乗り超えた。それは大いなるものに向って脈々と流れ、もり上がっていくものであるとともに、それらを押し流すひとつの大いなる高き力に身を委ねることでもある。又、祖国の行く道を祖国とともに行く兵隊の精神である。私は弾丸の為にこの支那の土の中に骨を埋むる日が来た時には、何よりも愛する祖国のことを考え、愛する祖国の万歳を声の続く限り絶叫して死にたいと思った。(『麦と兵隊』より)

 一方、それをもって、本書を単純に、「戦争賛美、帝国陸軍万歳、中国憎し」の戦意高揚の書と言えるかと言えば、ソルティはそうは取れなかった。
 やはり、ここに描かれている「土」の行軍、「麦畑」の行軍は、たいへん厳しいものに違いなく、これにくらべればソルティのおこなった四国歩き遍路1400キロなどパラダイスである。
 いったいに、日中戦争体験者の手記を読むと、地獄のような行軍の話がよく出てくるが、ほんとうにこのような行軍が必要だったのか、疑問に思う。
 敵と出会う前に、ほかならぬ行軍によって体力と気力をあらかた奪われて、食糧も尽きて、いざという時に十分な力を発揮できなかったのではないか?
 あるいは、行軍によって兵士を徹底的に疲れさせ、正常な感覚や思考を麻痺させることで、人を殺すという人倫の壁を乗り越えさせたのだろうか?
 火野のリアリズムな筆によって描かれる、凄惨な戦闘場面、累々と積み重なる死体、捕虜となった中国人への残虐な仕打ち、戦争に巻き込まれた民間人の悲劇など、普通に読んでいれば、「やっぱり、戦争は嫌だ」、「戦争は人を狂気にする」、「戦争なんかするもんじゃない」としか思えない。
 また、火野は、敵である中国人があまりに日本人とよく似ているため厭な気持ちを抱いたことや、中国人捕虜の首を軍刀で刎ねる陸軍曹長の行為を前に自らの心を確かめ、まだ自分が「悪魔」になっていないことに安堵したことなども、ありのままに書いている。
 本書が戦意高揚の役に立つとはとても思えなかった。
 むしろ、「よくこの従軍記の発表を軍は許可したなあ」と思ったくらいである。
 (捕虜の中国兵が殺される場面に、日本国民の多くは快哉の叫びを上げたのかもしれないが) 
 違う時代の違う価値観に生きている目で読めば、同じ本でも違ったふうに受けとれるってことだろうか。

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PeggychoucairによるPixabayからの画像

 戦後になってから、本書について、「作家としての独自の判断力も批判も放棄して」いる、と某文芸評論家に批判された火野は、「(当時は検閲と弾圧があったため)ここに表現されているのは、書きたいことの十分の一にすぎない」と反論したという。(本書「解説」より)
 書きたかった残り十分の九は、どんな内容だったのだろう?
 そして、本書発表を契機に、どんどん体制翼賛へと傾いていった火野の真意はどこら辺にあったのだろう?
 
P.S. 2019年にアフガニスタンで狙撃されて亡くなったペシャワール会の中村哲医師は、火野葦平の甥っ子だという。この叔父と甥の関係も気になる。



 
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● 本:『ショスタコーヴィッチの証言』(ソロモン・ヴォルコフ編)

1979年原著刊行
1980年中央公論新社より邦訳刊行(水野忠夫訳)
1988年文庫化

ショスタコの証言

 ソ連出身の音楽研究家ソロモン・ヴォルコフ(1944- )が、晩年のショスタコーヴィチにインタビューした内容をまとめたもの。
 ヴォルコフは、ショスタコーヴィチが亡くなった後、アメリカに亡命してこれを発表した。
 ショスタコーヴィチの回想録ではあるが、自身について語っている部分はそれほど多くなく、その人生において出会ってきた同じソ連の作曲家や演奏者や演出家や文学者についてのエピソードや評価、スターリン独裁下に生きた芸術家の苦悩や悲劇などが、多くを占めている。

 スターリンやソ連の社会体制に対する批判が書かれている以上、出版後、ソ連当局から「偽書」と断定されたのは仕方あるまい。
 たとえば、

 当然、ファシズムはわたしに嫌悪を催させるが、ドイツ・ファシズムのみならず、いかなる形態のファシズムも不愉快である。今日、人々は戦前の時期をのどかな時代として思い出すのを好み、ヒトラーがわが国に攻めてくるまでは、すべてがよかったと語っている。ヒトラーが犯罪者であることははっきりしているが、しかし、スターリンだって犯罪者なのだ。

 スターリンにはいかなる思想も、いかなる信念も、いかなる理念も、いかなる原則もなかった。そのときそのときに、スターリンは人々を苦しめ、監禁し、服従させるのにより好都合な見解を支持していたにすぎない。「指導者にして教師」は、今日は、こう言い、明日は、まったく別なことを言う。彼にしてみれば、何を言おうが、どちらでもよいことで、ただ権力を維持できればよかったのである。 

 一方、アメリカの音楽学者からも「偽書」疑惑を投げかけられ、議論を招いた。
 ヴォルコフがショスタコーヴィチに数回インタビューしたことは事実であるが、書かれている内容の多くは、ショスタコーヴィッチ自身の口から出たものではなく、ヴォルコフ自身がソ連にいた時に見聞きしたことを材にとった創作――必ずしも捏造ではない――なのではないか、という疑惑である。
 長年の研究の結果、現時点では「偽書」の可能性が高いようだ。
 ヴォルコフ自身が今に至るまでなんら反論していないというのが、確かにおかしい。

 ただ一方、偽書であるか否かは別として、すなわち、どこまでがショスタコーヴィチの“証言”で、どこからヴォルコフの“証言”なのかは不明であるものの、大変興味深く面白い書であるのは間違いない。
 登場する有名音楽家――ショスタコーヴィチの師であったグラズノフ、同窓生であったピアニストのマリヤ・ユージナ、ベルク、リムスキイ=コルサコフ、ムソグルスキイ、ストラヴィンスキー、ハチャトゥリアン、ボロディン、プロコフィエフ、トスカニーニ、ムラヴィンスキーなど――にまつわる豊富で突飛なエピソードの数々には興味がそそられる。
 とりわけ、グラズノフの天才的な記憶力や、ボロディンの博愛主義者&フェミニストぶり、スターリンに意見するを恐れないユージナの強心臓には驚いた。
 また、ショスタコーヴィチの崇拝者であった指揮者トスカニーニや、彼の曲の初演の多くを手がけた指揮者ムラヴィンスキーに対する辛辣な評価も意外であった。(ヴォルコフ評なのかもしれないが)

 あるとき、わたしの音楽の最大の解釈者を自負していたムラヴィンスキーがわたしの音楽をまるで理解していないのを知って愕然とした。交響曲第5番と第7番でわたしが歓喜の終楽章を書きたいと望んでいたなどと、およそわたしの思ってみなかったことを言っているのだ。この男には、わたしが歓喜の終楽章など夢にも考えたことがないのもわからないのだ。いったいあそこにどんな歓喜があるというのか。

 ソルティは、第5番第7番を最初に聞いたとき、終楽章が歓喜の表現とはとても思えなかった。
 ナチズムやスターリニズムのような独裁ファシズム国家における狂気や衆愚の表現と受け取った。
 「なんだ。ソルティのほうがムラヴィンスキーより、よく分かっているではないか」
 と一瞬鼻高々になりそうだったが、真相は別だろう。
 ムラヴィンスキーがどこかで本当に上記のようなセリフを吐いたことがあったとしても、それはおそらく、ショスタコ―ヴィチのためを思ってのことであろう。
 自らの発言が公になってスターリンの耳に入る可能性を思えば、友人を危険にさらすようなことは言えるはずがない。
 それがわからないショスタコーヴィチではないはずなのだが・・・。

 ともあれ、本書で何より読み取るべきは、ソ連社会とくにスターリン体制下において、芸術家たちが、いかに圧迫され、監視され、服従を求められ、自由な表現を禁止され、体制賛美の作品の創作を強制されていたか、それに抗うことがいかに危険であったか、という点である。
 スターリンの機嫌を損ねたら、その指ひとつで、地位も名誉も財産も奪われ、シベリヤに抑留され、処刑され、あまつさえ家族や親類縁者にも害が及びかねなかった。
 こんなエピソードが載っている。

 スターリンはたまたまラジオで聞いたモーツァルトのピアノ協奏曲を大層気に入って、そのレコードを部下に要望した。
 だが、そのレコードはなかった。それは生演奏だったのだ。
 機嫌を損ねることを恐れた周囲の者は、その夜のうちに再度オーケストラとピアニスト(ショスタコーヴィチの親友ユージナ)と指揮者をスタジオに集めて録音作業し、たった一枚のレコードを制作し、翌朝スターリンのもとに届けたという。

 ユージナがあとでわたしに語ってくれたことだが、指揮者は恐怖のあまり思考が麻痺してしまい、自宅に送り返さなければならなかった。別の指揮者が呼ばれたが、これもわなわな震え、間違えてばかりいて、オーケストラを混乱させるばかりだった。三人目の指揮者がどうにか最後まで録音できる状態にあったそうである。
 
 ショスタコーヴィチの友人、知人らも多く、あるは収容所送りとなり、あるは処刑され、あるは亡命を余儀なくされた。
 ショスタコーヴィチ自身も、幾度となく抹殺される瀬戸際にあったたらしい。
 その危機一髪のところを、軍の有力者に助けられたり、自らの作品の成功によって乗り超えたり、西側に知れ渡った名声によって救われたりしたようである。
 「自分の音楽で権力者のご機嫌をとろうとしたことは一度もなかった」と本書には勇ましくも書かれているが、実際には体制迎合的な作品も数多く残している。
 運よく地獄を生き残った者には、命を奪われた仲間たちの手前、自己弁護しなければいられないくらい、忸怩たるものがあったと想像される。

 生き残ったのは愚者ばかりだ、とわたしも本当は信じているわけではない。たぶん、最小限の誠意だけでも失わないようにしながら生き延びる戦術として仮面をかぶっていたにちがいない。
 
 それについて語るのはつらく、不愉快ではあるが、真実を語りたいと望んでいるからには、やはり語っておかなければならない。その真実とは、戦争(ソルティ注:独ソ戦)によって救われたということだ。戦争は大きな悲しみをもたらし、生活もたいそう困難なものになった。数知れぬ悲しみ、数知れぬ涙。しかしながら、戦争の始まる前はもっと困難だったともいえ、そのわけは、誰もがひとりきりで自分の悲しみに耐えていたからである。
 戦前でも、父や兄弟、あるいは親戚でなければ親しい友人といった誰かを失わなかった家族は、レニングラードにはほとんどなかった。誰もが、いなくなった人のことで大声で泣き喚きたいと思っていたのだが、誰もがほかの誰かを恐れ、悲しみに打ちひしがれ、息もつまりそうになっていたのである。
 
 わたしの人生は不幸にみちあふれているので、それよりももっと不幸な人間を見つけるのは容易ではないだろうと予想していた。しかし、わたしの知人や友人たちのたどった人生の道をつぎからつぎと思い出していくうちに、恐ろしくなった。彼らのうち誰ひとりとして、気楽で、幸福な人生を送った者などいなかった。ある者は悲惨な最期を遂げ、ある者は恐ろしい苦しみのうちに死に、多くの者の人生も、わたしのよりもっと不幸なものであったと言うことができる。 

 偽書であるかどうかは措いといて、一つの国の一つの時代の証言として、そしてまた現在のロシアの芸術家の受難を想像するよすがとして、読むべき価値のある書だと思う。
 
 
 
おすすめ度 :★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損






● 本:『同志少女よ、敵を撃て』(逢坂冬馬著)

2021年早川書房

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 昨年11月に図書館予約したとき、53人待ちだった。
 一ヶ月に2名が借りるとして、2年以上はかかるかと思っていたら、半年で順番が巡ってきた。
 図書館が在庫数を増やしてくれたのである。
 それでも今もまだ、新たに借りようとしたら30人以上待ちになる。
 すごい人気である。
 第11回アガサ・クリスティ賞受賞。
 「あいさかとうま」は1985年生まれの男性である。

 第2次世界大戦の独ソ戦(1941-1945)、ソ連が舞台である。
 片やヒトラー率いる全体主義国家、片やスターリン率いる社会主義国家。
 独裁国家同士の闘い。
 平和な村に侵攻してきたドイツ兵に、母親や隣人を目の前で殺された16歳の少女セラフィマは、復讐を誓い、女性ばかりの狙撃兵訓練所に入る。
 女性教官長イリーナの厳しい指導のもと、必要な知識と技術とタフネスを身につけ、最終過程まで残った4人の仲間とともに狙撃兵となり、実戦に送られる。
 スターリングラードやケーニヒスベルグでの激しい戦闘で、仲間を失いながらも腕を磨き、数十名の敵を射殺し、いまや取材が来るほどの一人前の狙撃兵となったセラフィマ。
 ついに、母親の仇のドイツ兵とあいまみえる時がやって来た・・・・。

 本作の一番のポイントは、言うまでもなく、少女が主人公で、女性狙撃兵チームの戦いぶりが描かれている点である。
 それはノーベル文学賞受賞のスヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチのノンフィクション『戦争は女の顔をしていない』にある通り、史実に則っている。
 ソ連では多くの女性たちが自ら志願し、戦地に赴き、兵士として男たちと肩を並べ闘った。
 いい悪いは別として、ジェンダー平等であった。

 本作の主人公が少年であり、男性狙撃兵チームの物語であったのなら、この作品はおそらく陽の目を見ることはなかったであろう。
 その類いの物語は、小説でもマンガでも映画でも、昔から掃いて捨てるほどある。
 可憐な少女が銃を持つというヴィジュアルに、多くの男の読者は、『セーラー服と機関銃』の薬師丸ひろ子や『エヴェンゲリオン』の綾波レイや惣流アスカのイメージを重ねて萌えるのだろう。(主人公セラフィマの容姿についてはとくに描写されていないが、まず読者は、表紙の美少女を想定して読むことだろう)
 一方、多くの女の読者は、軍隊という究極の男社会の中で、男どもに負けず、男どもを歯牙にもかけず、男どもを蹴散らして、男以上に活躍する彼女たちの姿を小気味よく感じるだろうし、女性ばかりのチームにおける友情や反目や恋愛というテーマに心躍らせると思う。(この作品、宝塚ミュージカル化したらヒット間違いなし)

 『戦争は女の顔をしていない』同様、武器をもって男並みに闘う女性、殺した敵の数を勲章とするような女性に対する周囲の目を描いているところも、読みどころである。
 敵を100人殺した男性兵士は、男の中の男であり、間違いなく国家の英雄として持て囃される。
 敵を100人殺した女性兵士は、英雄と祭り上げられはするが、誰も近寄ろうとしない。嫁に貰おうとしない。
 昨今のトランスジェンダーに対するバッシングに見るように、伝統的なジェンダーを逸脱する人間は、叩かれやすい。
 女狙撃兵たちの戦後は、ともすれば、戦中よりも生きづらい。

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Javier RodriguezによるPixabayからの画像
 
 一方、独ソ戦を舞台に少女スナイパーの苦難や活躍を描くだけでは、たとえ本作が狙撃や独ソ戦に関する綿密な調査を踏まえ、個性あるキャラクターたちや臨場感ある戦闘シーンを描き出すことに成功しているとしても、やはり、クリスティ賞受賞には至らなかったと思う。
 本作にはある種の「どんでん返し」が仕掛けられており、それこそが本作をして、単なる男女の「とりかえばや物語」に終わらせずに『ガリバー旅行記』のような風刺小説の域まで高らしめ、読む者に衝撃を与えて作者のたくらみの妙に感心せしめ、ミステリーの女王の名を冠した賞の栄誉にふさわしいと納得させるトリックである。
 ここまで“萌える少女戦記”として読んできた男たちの足元をすくう結末が待っている。
 そのとき、『同志少女よ、敵を撃て』というタイトルの意味に、読者の胸は射抜かれよう。
 正直、これを書いたのが女性ではなくて30代の男性であることに、ソルティは驚いた。
 それこそ、読者の読みを最初から誤らせる、本作品最大のトリックかもしれない。 
 
 本書を存分に楽しむためには、スターリン独裁下のソ連、ヒトラー独裁下のドイツ、そして独ソ戦の概要を、ネットでざっと調べてから読み始めるのがおススメである。 
 半年待った甲斐はあった。
 
 
 

おすすめ度 :★★★★

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● 本:『日本人はなぜ戦争へと向かったのか』(NHK取材班編著)

2011年NHK出版

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 2011年1~8月にNHKスペシャルで5回に分けて放映されたドキュメンタリーの書籍化。
 日中戦争、太平洋戦争開戦に至る経緯をたどった上下巻と、真珠湾攻撃のあと戦線が拡大していく様相に焦点を当てた戦中編から成る。
 ソルティはこの放送を観ていなかった。
 当時、テレビを持っていなかった。

 今思うに、2011年という年に放映・出版されたことに、少なからぬ意味を感じる。
 一つには、もちろん、東日本大震災と福島原発事故があったからだ。
 本作品において、複数の専門家が異口同音に指摘し、制作陣が結論としてまとめている「日本人が敗けると分かっていた戦争へと向かった」原因、さらには、「敗けたと分かっても戦争を終わらせることができなかった」原因は、まさに福島原発事故の起きた原因や事故後の政府の対応のあり方と重なるところ大だからである。
 この番組を観た人は、間違いなく、「ああ、また同じことが繰り返されてしまった」と愕然とし、嘆き、憤り、落胆したことだろう。

 今一つには、時の政権が自公連立でなく、民主党だったことである。
 第2次安倍政権(2012年12月26日~)以降の政府によるマスコミへの報道圧力およびメディア側の萎縮や忖度のさまを鑑みるに、本作のような内容をもつ番組が制作・放送されるタイミングはこのときを措いてなかったのではないか、と思うのである。
 安倍政権下であったなら、安倍派国会議員や日本会議やネトウヨら歴史修正主義の保守右翼から「自虐史観」と叩かれ、NHKに何らかの横やりが入ったのではあるまいか。

チャクラの目

 開戦に至る経緯をたどるのに、本書では「外交」「陸軍」「メディアと民衆」「リーダーの不在」の4つのテーマを立て、公的史料はもとより、関係者の証言や当時の日記や手記、および専門家へのインタビューなどをもとに検証している。
 「軍部が暴走した」とか「軍国主義だったから」といったように単純化せずに、多角的な視点から原因を探っているところに、制作陣の意気込みを感じる。

 開戦を不可避とした要因は何だったのか。番組は四点、指摘する。第一は1930年代の日本外交の国際的孤立、第二は満州事変をきっかけとする陸軍の暴走のメカニズム、第三は戦争支持の国民世論を煽ったメディア(新聞だけでなく、とくにラジオ)の役割、第四が政治的なリーダーシップの問題である。番組はこれら四点の相互連関のなかで、ドミノ倒しのように開戦へと進んだ日本の姿を活写していた。(下巻より)

 なぜ日本は孤立化への道を歩んだのか。それは、時代の選択の一つひとつが、確とした長期計画のもとに行われなかったという点があげられる。むしろ浮かび上がってきたのは、定まった国家戦略を持たずに、甘い想定のもと、次々に起こる事態への対応に汲々とする姿であった。
 いったい誰が情報をとりまとめ、誰が方針を決めるのか。そして、いったん決まったことがなぜ覆るのか。そうした一連の混乱を自らの手で解決できなかった日本は、やがて世界の信用を失っていく。(上巻より)

 日本の舵取りを任された指導者たちは、自分たちの行動に自信が持てなかった。そのために世論を利用しようと考え、世論の動向に一喜一憂した。その世論は、メディアによって熱狂と化し、やがてその熱狂は、最後の段階で日本人を戦争へと向かわせる一つの要因となってしまったのである。(下巻より

 国家全体の利益より組織の利益が優先されるセクショナリズムが横行し、連携を欠いた陸海軍が独善的に戦争を続けていく。政治は指導力を失い、国民と世論に迎合したメディアには冷静な分析と批判など望むべくもなかった。日本の社会から歯止めという歯止めが失われ、膨張する戦争を押しとどめるものはいよいよなくなろうとしていた。(戦中編より)

  • 確とした国家戦略を持たず右顧左眄に終始したこと。
  • 決定権を持ち責任のとれるリーダーがいなかったこと。
  • 省庁間や陸海軍の縦割りシステムが国家の利益より組織の利益を優先させてしまったこと。
  • 戦意高揚をひたすら煽り利益増加を狙ったメディアと、その情報を妄信し踊らされた民衆。
 笠井潔が指摘した、令和の今なお続く日本人の宿痾=ニッポン・イデオロギーがここには巣食っている。

 下巻では、太平洋戦争開戦に至るまでの大本営政府連絡会議の議事の様子が描かれている。
 大本営は、総理大臣、外務大臣、陸軍大臣、海軍大臣、陸海軍統帥部の両総長、次長らが顔をそろえる実質的な日本の最高意思決定機関である。
 ここで戦略が決められなければ、日本人の他の誰も決めることはできない。
 天皇は決められたことを事後承認するだけだった。
 しかるに会議はいつも、参加者がそれぞれの要望を主張し紛糾するばかりで、重要なことは、決められずに先送りされるか、中途半端なまま投げ出されるか、体裁だけつくろい中味の矛盾する決議でお茶を濁すか、もうグダグダなのである。
 中学生の学級会のほうがまだマシだ。
 このくだりを読んでいて、背筋が寒くなった。
 四谷怪談よりも永田町会談のほうが、よっぽど避暑効果がある。
 こんな無能な男たちのために(日本人だけで)300万という命が失われたのかと思うと、あまりの理不尽に・・・・・・(言葉を失う)。

お化けと議事堂

 一方、下巻に載っているアメリカの歴史学者ジョン・ダワーのインタビューを読んで、「なるほど」と思い、自戒するところもあった。
 ジョン・ダワーは、「戦争へと至った道を、日本文化の特殊性によって説明することには、価値がない」と言い、アメリカによる「愚行」であったイラク戦争と比較する。

 イラク攻撃に至るブッシュ政権の意思決定過程を調べると、それは、真珠湾攻撃に至る日本の意思決定プロセスと非常によく似ていることがわかります。

 確かに、日中戦争時および太平洋戦争時の「愚行」の原因のすべてを、日本と日本人の特殊性に帰するのは、正当でない。
 ナチス時代のドイツ、ベトナム戦争やイラク戦争におけるアメリカ、ウクライナを攻撃するロシア・・・・国際社会から認められない大義なき戦争や、指導者の理性を疑うようなおかしな戦略はいくらでも例がある。
 組織のセクショナリズムの弊害や、マスコミに踊らされる大衆の姿も、どの国も変わりない。
 また、非常時に置かれた個人や集団がはまりやすい心理の罠――たとえば、コンコルド効果やバンドワゴン効果やリスキー・シフトなど――あるいは、脳の機能にもとから備わっているとされる認知の歪みなどは、人類に共通するものだろう。 
 戦死者が増えれば増えるほど、亡くなっていった兵士やその遺族の手前、退くに退けなくなる、簡単に降参できなくなる「死者への負債」という現象も、日本人だけのものではない。

 さらには、本書では指摘されていないけれど、やはり戦争とマチョイズムの関係は切っても切れない。
 「敗北という言葉を口にすることができない」「戦わずに引き下がるなんて男がすたる」「素直に負けを認めることができない」「生き恥をさらすくらいなら死んだ方がマシ」・・・・軍国主義下のマチョイズムがどれほど強烈なものか、今のロシアを見るとよく分かる。
 マチョイズムは、「男子たるもの教」という一つの宗教なので、理性や論理は容易に吹き飛ばされてしまう。
 
 非常時に置かれたどこの国、どこの国民にも起こり得る現象なのか、日本人特有の気質(ニッポン・イデオロギー)に由来するのか、両者をごっちゃにして語らないほうが賢明には相違ない。

サメ先生

 いずれにせよ、我々が過去の戦争の歴史を学ぶのは、「こうすれば勝てた」「こういう戦略をとれば良かった」と次の戦争に向けて敗因分析するためではないし、「こいつが悪い」「この組織が間違っていた」と当時の人間を批判したり責めたりして、留飲を下げるためでもない。
 同じ過ちを繰り返さないために、どこに破滅に向かう要素が潜んでいるか、我々日本人がどんな制度文化的弱みや思考のクセを持っているか、を知るためである。
 反省すべき点は反省し、同じ轍を踏まないことがなにより大切だ。
 そこで“いの一番”に言えるのは、「ある程度、事態が進んでしまうと、引き返すのが困難になる」ということである。
 コロナ禍での2020東京オリンピックの開催をめぐる議論や、安倍元首相の国葬の実施をめぐる騒動を思い起こせば、それは明らかだろう。
 戦争の芽は、早いうちに見つけて、摘んでおく必要がある。
 良くない流れを押し止めて、手遅れにならないうちに、方向転換する必要がある。

 毎年8月になると、戦争に関する記事や番組を登場させるのを慣例にしてきましたが、いつでも他人事のように取り扱って、自分たちの問題として考えようとしてこなかった。自分自身を正視しないジャーナリズムの報道や言論が大きな説得力をもつとは思えません。自分自身をまず正視し、そこから考えることがジャーナリズムを変えていく第一歩のはずです。(下巻より)

 頼みますよ、NHK!





おすすめ度 :★★★★

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● ダーウィンが叱られる! 本:『生命の劇場』(ヤーコプ・フォン・ユクスキュル著)

1950年原著刊行
1995年博品社
2011講談社学術文庫

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 ヤーコプ・フォン・ユクスキュル(1864-1944)は環世界という概念を提唱した生物学者である。
 環世界とはなにか。

 自分の諸器官を用いて、どの動物も、周囲の自然から自分の環世界を切り取ります。この環世界とは、その動物にとって何らかの意味をもつ事物、つまり、その動物の意味の担い手だけによって満たされているような世界です。同じく、どの植物も、その環境から、その特有の居住世界を切り取るのです。
 私たち人間はいかなる幻想にも身を委ねてはなりません。私たちもまた生きた自然に直接に向かい合っているのではなく、個人的な環世界の中に生きているのです。

 たとえば、朝顔には朝顔の、ダニにはダニの、イワシにはイワシの、蝙蝠には蝙蝠の、犬には犬の環世界がある。
 それは、それぞれの生物が、おのおのお認識システムを用いて“外界”を切り取っていることで成立している、その生物固有の“世界”である。
 ちょっと考えれば当たり前のことだ。
 ダニの生きる“世界”と、蝙蝠の生きる“世界”は、まったく異なる。
 それぞれの生物が持ったり持たなかったりする「視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚」は、全然違うのだから、“外界”の受け取り方が違ってくるのは当然で、生物(種)の数だけ“世界”は存在する。
 重要なのは、我々人間もまた同じことで、固有の環世界を持ち、そこに生きている。
 人間が認識している世界が“客観的に正しくてスタンダード”であり、人間以外の生物はそれを正しく認識できていないのだ――ということではない。
 人間もまた人間固有の認識システム(五感+脳)を用いて“外界=生きた自然”を切り取って、その“世界”に生きている。
 我々は、ありのままの世界を認識しているのではなく、認識することによって“世界”を、瞬間瞬間、生み出しているのである。
 認識=存在なのだ。

 いずれの主体も主観的現実だけが存在する世界に生きており、環世界自体が主観的現実にほかならない。(ヤーコプ・フォン・ユクスキュル著『生物から見た世界』より抜粋)


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Jean-Louis SERVAISによるPixabayからの画像

 環世界についての基本理解は、『生物から見た世界』(岩波文庫)がおすすめである。
 ダニやモンシロチョウやヤドカリや蠅やゾウリムシなど、いろいろな生物の環世界の様相が描かれていて、とても面白い。
 本書は、それをさらに一歩も二歩も進めて、異なった生物同士の環世界の相互関係に焦点を当て、その奇跡のような“対位法的結合”を描き出し、この世に無数ある環世界がオーケストラのように有機的に共鳴し合っているさまを説く。
 本書刊行時に東京大学教授の西垣通が書評に紹介した文章が的確である。

 本書では、生物機械論者を含む数名の討論という形をとりつつ、『それぞれの生物の環世界の上位に、全体をまとめあげる高次元の統一秩序がある』という著者の信念が姿をあらわす。それはいわば壮大な交響曲の総譜のようなものであり、個々の生物は対位法的に一定の役割を演じつつ、宇宙の巨大なドラマに参加しているというわけである。
(読売新聞1995年12月10日付)

 討論に参加しているのは、大学理事、宗教哲学者、画家、動物学者、生物学者の5人。
 生物学者がユクスキュルの分身であり、生物機械論者とは動物学者のことである。
 動物学者が自説の基盤とするのは、人間を「万物の霊長」とするダーウィンの進化論であり、「すべての生命現象は、物理学、生化学、脳科学、進化論で説明しうる」という機械論的自然観である。
 当然、「全体をまとめあげる高次元の統一秩序」といった神の存在を匂わせる概念は、彼には受け入れられない。
 生物学者と動物学者は、何かといえば対立することになる。

 面白いのは、他の3人(大学理事、宗教哲学者、画家)もはじめから生物学者の味方として設定されているところ。4対1なのである。
 動物学者袋叩きみたいなニュアンスがあり、「ダーウィン、ピンチ!」。
 動物学者が、国際連盟総会で席を蹴った松岡洋右みたいに、怒って場を辞さないのが不思議なほどである。
 ユクスキュルの「環世界」概念は、「科学的でない」として当時の学界とくに動物学には受け入れられず、学者としては不遇な生涯であったらしい。
 おそらく、そのリベンジがここでなされているのだろう。
 ユクスキュルという御仁もなかなか執念深い(笑)。

わら人形と男

 ソルティの進化論理解は乏しくて、せいぜい、「多様性の中での生存競争と適者生存によって自然淘汰が起こり、生物は進化してきた」といったくらいである。
 70年代に受けた教育がアップデイトされないまま、今に至っている。
 しかるに、たまにテレビなどで動植物の生態や共生関係をとらえたドキュメンタリーを見ると、疑問に思うことがある。
 過酷な環境を生きる動物たちの、あまりにうまくできている形態や機能や生態にはいつも驚かされるし、イソギンチャクとクマノミに例示される異なった動物同士の共生関係の見事さには――人間のように“考えて”それをやっているのではないだけに――畏敬の念に打たれる。
 そして、こう思うのだ。
 「こんなことが進化論だけで説明しうるのだろうか?」
 「こういった精密な共生関係を生み出すまでに、どのくらいの時間を要したのだろう?」
 「はたして、試行錯誤の自然淘汰説だけで、いまある自然界の多様性と生き物同士の精緻極まる関係性を説明しうるのだろうか?」
 「やっぱり、何かしらの高次元の意図(=プログラマーの存在)を想定しないことには、説明しきれないのではないか?」
 そう思わせる一番手の番組がNHKの『ダーウィンが来た!』なのだから皮肉である。

 それと同時に、子供の頃の教育によって身につけてしまったダーウィニズムで、自然界だけでなく、人間世界を見ている危険性を思うのである。
 つまり、「生存競争と適者生存は世のならい」といった観念。
 ダーウィニズムが、産業革命当時のイギリスの経済学に影響を与え、社会的な貧富の差を「優勝劣敗」という単純な図式に還元し、「持てる者」が現状肯定するのに役立ったことは、よく指摘される。
 それは21世紀の資本主義社会を生きる我々の意識の中に、今でも刷り込まれているように思う。
 格差社会を「仕方ないもの」と肯定し、人や組織を「勝ち組」「負け組」に分けたがり、福祉の必要性に疑問を投げかけ、劣性遺伝の淘汰を唱える、疑似ダーウィニズム的言説があとを絶たない。

 ユクスキュルの環世界論は、そういった、まかり間違えばナチスのような非人道的価値観の解毒剤になり得るものだ。
 神を信じるかどうかは別として、自然の驚異に対して畏敬の念を抱くことは大切なことと思う。

 天文学者が唱えるように、混沌がかつて支配していて、その後に天体の秩序が生まれてきたということはけっしてない。そうではなく、まずはじめに秩序があった、秩序は生命のうちにあり、生命がまさに秩序であった。こうした秩序を通じて、私たちの前にある広大無辺の全自然がその永遠の秩序において成立したのだ。


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おすすめ度 :★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
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● 策士、策におぼれる 本:『点と線』(松本清張著)

1958年光文社
1961年新潮文庫

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 高峰三枝子出演の映画を観たら、原作を読みたくなった。
 約45年ぶりに読み返して、清張の文章の上手さに感心した。
 癖のない、平明で読みやすい文章で、読者の生理をつかんだ物語運びが見事。
 読み始めたらぐんぐん引きずり込まれ、ページが進んでいく。
 社会派ノンフィクションである『日本の黒い霧』とは文体が異なっている。
 清張ミステリーの人気の秘密は、ミステリーの女王クリスティ同様、この読みやすさにあるのだなと実感した。
 
 本作は、真犯人は誰かを読者に問う、いわゆるフーダニットではなくて、犯人がどうやって犯行をおこなったかを問うハウダニットである。
 捜査陣は犯人の目星を早々につけ、あとは鉄壁のアリバイを崩そうと知力・体力をふりしぼる。
 列車と飛行機の時刻表を駆使し第三者の目撃証言を作り上げてアリバイを成立させ、完全犯罪を狙った犯人が、刑事の執念によってじょじょに追いつめられていく。
 トリック破りの面白さが、一番の読みどころである。
 
 初読の中学生の時は面白さに圧倒され、読んでいる最中も読後も何の疑問も抱かなかったが、いま読むといろいろな疑問点が浮かぶ。
 中でも、この犯人安田辰郎が、トリックに手をかけ過ぎたことによって、かえってボロを出してしまったという逆説が、プロット上の一番の難点と思われる。
 
 安田は犯行をおこなう前に念入りにアリバイ工作を行う。複数の人間に前もって協力を依頼し、然るべき指示を出す。
 そして、恋人同士ではない知り合いの男女一対を博多の海岸におびき出して毒殺し、心中に見せかける。殺したい本命は男のほうである。
 さらに、その男女が東京駅で一緒に列車に乗り込むところをプラットフォーム「4分間の空白」を利用して第三者に目撃させ、2人が恋愛関係にあることをほのめかす念の入りよう。
 
 やり過ぎである。
 結果として、偶然とは思えない「4分間の空白」がきっかけとなって刑事に疑われる羽目に陥り、殺された男女につき合っていた形跡がまったく見当たらなかったことから心中を装った他殺ではないのかと怪しまれ、複数の人間にアリバイ工作の協力を頼んだことで逆に確たる証拠をあちこちに残してしまったのである。
 これなら最初から何の作為もせずに、どこかの崖っぷちで男を撲殺し、その後靴を脱がして死体を崖から突き落として自殺に見せかけたほうが、バレる可能性は低かったであろう。
 そもそも、殺された男と安田を結びつける接点は少ないのだから、捜査陣はまず容疑者を絞るのに苦労したはずだ。
 「4分間の空白」というトリックの関係者の一人として登場し、その存在をわざわざ捜査陣に知らせてしまったのは致命的エラーと言える。
 
 まあ、そんなこと言ったら、アリバイ崩しの面白さもへったくれもないわけで、この物語は成り立たなくなる。
 現実社会では、トリックを考え抜いてから人を殺す殺人者は滅多いないだろう。
 推理小説にあっては、犯人にトリックを作ってもらわないことには話にならない。探偵の出番もない。

 自信家である安田は自分(と妻の)考え出したトリックが破れるかどうか、警察に挑戦したかった。
 とりわけ、東京駅「4分間の空白」という発見を誰かに知らせたくて仕方なかった。
 そこで、自分も目撃者の一人となって容疑者の名乗りを上げた。
 策士、策に溺れる。
 そう解釈しておこう。
 
大垣行き列車
なつかしの東京駅発大垣行き最終列車



おすすめ度 :★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損





 
 
 
 

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