ソルティはかた、かく語りき

東京近郊に住まうオス猫である。 半世紀以上生き延びて、もはやバケ猫化しているとの噂あり。 本を読んで、映画を観て、音楽を聴いて、芝居や落語に興じ、 旅に出て、山に登って、仏教を学んで瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

読んだ本・マンガ

● 本:『念処経 ブッダの瞑想法』(宮本啓一訳)

2022年花伝社

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 ソルティは、ブッダの瞑想法として知られるヴィパッサナー瞑想(マインドフルネス瞑想)を初めて10年以上になるが、肝心の原典を読んでいなかった。
 本書は、『パーリ経典』(漢訳『阿含経典』)の経蔵中部に収録されている『念処経』(サティパターナ・スッタ)の全訳である。
 スッタは「経」の意である。サティパターナ・スッタを宮本はこう訳している。
 「対象を記憶に刻み込む集中力の発動を説く経」

 「はじめに」において、ブッダの開発した瞑想法をこう解説している。

 観と察とによって如実知見を目指す瞑想法で、その具体的な方法を順序立てて説いたものこそが、本書で和訳した『念処経』です。
 これは、身体の在り方、外界の認知受容の在り方、心的な在り方、それを冷静に観察することで得られる如実知見の真理、以上の四部門の一々に意識を集中せよと説きます。

 如実知見とは「ものごとをありのままに見ること」である。
 世界を、生命現象を、人間存在を、苦を、「ありのままに見る」ことができれば、それが「悟り」だということだろう。

 いろいろな原因や理由で、物事を「ありのままに見る」ことができなくなっているのが、人類一般である。
 たとえば、現在のイスラエル×パレスチナ問題。
 ユダヤ教徒でもイスラム教徒でもキリスト教徒でもない多くの日本人は、同じ神(エホバ、ヤハウェ、アドナイ、アッラー、エロヒム、主)を頂きながら、神の名のもとに何世紀も憎み合い戦い続ける彼らを「愚かである」と、「ありのままに見る」ことができよう。
 しかし、それぞれの信仰と長い伝統文化と異なった母語と過去の因縁をもつ当事者たちは、如実知見を失っている。
 では、日本人が彼らより賢いのかと言えば、そんなことはない。
 自分のことは自分ではなかなか見えないだけであって、イスラム教徒やキリスト教徒から見れば、神を祖先とする日本の天皇制は理解の外であり、その“ヒト”のために一億玉砕で戦って原爆を落とされた日本人は「愚か」としか思えないだろう。
 かほどに、如実知見は難しい。

 本書は、『念処経』のほか、道元禅師の『普勧坐禅儀』『現成公案』、瑩山禅師の『坐禅用心記』、パタンジャリ『ヨーガ・ストーラ』から、瞑想法に関する一節が取り上げられている。




おすすめ度 :★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
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★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損




● セルフ・ネグレクトと愚行権 本:『ルポ ゴミ屋敷に棲む人々』(岸恵美子著)

2012年幻冬舎新書

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 家から7~8分歩いたところにゴミ屋敷がある。
 建物の周囲はもちろん、2階のベランダや1階の屋根の上までさまざまな物で埋まっている。
 家の中を覗いたことはないが、推して知るべし。
 高齢男性が一人住まいしているようだ。
 隣り近所に住んでいる人の不安や苦労が思いやられる。
 なんと言っても悪臭。
 ゴミなだれの危険。
 火事の延焼リスク。
 ねずみや蠅やゴキブリなど害虫の被害。
 当人が誰とも、どこともつながっていない場合、孤立死からの死体放置もあるやもしれない。

 ゴミ屋敷が珍しいものでなくなってから久しい。
 外からは分からなくても、家の中がゴミだらけという例も多い。
 厄介なのは、周りにとってはゴミでも、本人にとっては宝だったりするので、誰かが勇を鼓して本人に注意したところで、容易には解決できない点である。
 そのあたりを描いたのが橋本治の『巡礼』(新潮社)であった。

 本作はゴミ屋敷をメインにしたルポではない。
 主要テーマは、副題の『孤立死を呼ぶ「セルフ・ネグレクト」の実態』にある。
 ゴミ屋敷問題とは、セルフ・ネグレクトの一つなのである。
 著者は、1960年生まれの看護師、保健師、地域看護や公衆衛生を専門とする研究者。
 現場をよく知る人と言える。

 セルフ・ネグレクトとは何か。
 甲南女子大学の津村智恵子氏によると、

 高齢者が通常一人の人として、生活において当然行うべき行為を行わない、あるいは行う能力がないことから、自己の心身の安全や健康が脅かされる状態に陥ること。

 セルフ・ネグレクトの特徴として、次の8つが挙げられている。
  1.  身体が極端に不衛生(何日も入浴しない、同じ服を着続けるなど)
  2.  失禁や排泄物の放置
  3.  住環境が極端に不衛生(ゴミ屋敷、猫屋敷など)
  4.  通常と異なって見える生活状況(たとえば、夏なのに厚着、冬なのに下着一枚など)
  5.  生命を脅かす治療やケアの放置(服薬しない、食事制限を守らないなど)
  6.  必要な医療・サービスの拒否(福祉制度や介護保険を利用したがらないなど)
  7.  不適当な金銭・財産管理
  8.  地域の中での孤立
 セルフ・ネグレクトの研究が始まったのは1950年代のアメリカだという。
 イギリスでは、1975年に「ディオゲネス・シンドローム」という名で、論文が発表されたそうな。
 ディオゲネスと言えば、古代ギリシアの哲学者。世俗を疎んじ、何も持たず樽の中で生活したことで知られる。
 噂を耳にしたアレキサンダー大王が大勢の供を連れて本人に会いに来た。
 大王が問う。「なにか欲しいものはないか?」
 ディオゲネスは答えた。「そこに立たれると日陰になるからどいてください」

 もちろん、ディオゲネスのような自己哲学と信念をもつ人間をセルフ・ネグレクトというのは間違っている。
 彼はまた市民に愛されたらしく、住み家にしている樽(甕とも)が何者かによって破壊された時、市民が代わりの樽を与えたという。

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ディオゲネスとアレキサンダー大王
Clker-Free-Vector-ImagesによるPixabayからの画像

 本書では、人がセルフ・ネグレクトに陥る要因をいくつかリストアップしている。
 認知症や精神疾患など病気によるものをのぞけば、「社会的孤立」と「生きがいの喪失」が二大要因と言っていいのではないかと思う。
 分かりやすい例が仕事一筋に生きてきたサラリーマンの場合。
 定年を迎え、やっとゆっくり老後を楽しめると思ったら、妻が病死する、あるいは妻から離婚を言いわたされる。
 娘や息子は遠い地でそれぞれの仕事や家族のことで手一杯。
 会社関係以外に親しい人もおらず、地域のつき合いもなく、趣味らしい趣味もなく、家事もできない。
 この年齢では新しいことを一から始めるのも億劫。
 すると、社会的孤立と生きがいの喪失が一挙に襲いかかる。
 「生きている意味なんかない」
 そう思ったら、すでにセルフ・ネグレクトの入口にいる。

 セルフ・ネグレクトは、当事者を支援する側にとっても、壁が立ちはだかっている。
 一つは、プライバシーの問題。個人情報保護の制約が、本人を支援するために欠かせない情報を、関連機関で交換したり共有したりするのを難しくしている。
 しかし、これは例外規定による緩和もある。
 今一つがより厄介である。
 セルフ・ネグレクトしている本人が外からの支援を望まない場合、他者に害を与えたり、法律に反していない限り、本人の行動に干渉できないという点である。
 これを愚行権という。

 人は「健康に悪い」とわかっていても、それをあえて行う「自由」が認められています。それは「愚行権」という権利です。愚行権とは、たとえ他人から愚かな行為だと評価・判断されても、個人の領域に関する限り、邪魔されない自由のことです。
 生命や身体など、自己の所有に帰するものは、他者への危害を引き起こさない限り、たとえその決定の内容が理性的に見て愚行と見なされようとも、対応能力を持つ成人の自己決定に委ねられるべきである、とするものです。

 そこで、多くの専門家は「本人に拒否があるとき、どこまで介入するか」迷い、手を差し伸べるか否かジレンマに陥るわけである。
 個人主義の強いアメリカの場合、本人が意図して“セルフ・ネグレクト状態”になっているのであれば、支援の対象から外すという。

 その理由は、そういう人に対して、保護したり介入するのは、「個人の自由」や「自己決定の尊重」の侵害になるという考え方からです。命に関わる問題だとしても、あくまで当事者が自分の生き方を決めることを尊重しているのです。ただし、意図的と判断するためには、専門医が診察するというプロセスが必要です。

 つまり、生きるも死ぬも本人が好きで選んでいることだから介入するな、ということだ。
 この考え方の延長上に、安楽死肯定の思想が出てくるのは言うまでもない。
 上記の津村氏や著者の岸は、しかし、日本の高齢者の場合、セルフ・ネグレクトを権利として認め、そのまま見過ごすのは問題ありと言う。

 日本において、セルフ・ネグレクトを「本人の意思」で行っていると決定づけるのは、とても難しいことです
 それは津村氏らが述べているように、日本人は「自己主張をせず、人に合わせること」を美徳とする国民であり、まして現在の高齢者は、多くは戦争体験によりきびしい時代を生き抜いてきた人たちです。少しでも贅沢をしたり、物を要求したり、人の世話になったり、人の迷惑になることを避けようとする世代なのです。

 その通りだろう。
 ただ、それが単に世代的な問題なのか、それとも国民性の問題なのか、定かではない。
 本書の発行からすでに10年以上経ち、介護を必要とする高齢者の中に戦後生まれの団塊の世代が入ってきている。
 世代的な要因が大きいのなら、安楽死の可否含め、日本社会の自己決定に関するパラダイムも変わってくるかもしれない。

 と、ここまで他人事のように書いてきたが、肝心の自分もまたセルフ・ネグレクト予備軍と自覚している。
 いまは同居の親がいて、仕事があるから、社会生活を無難に営めている。
 けれど、この先何年かして、両親が亡くなり、仕事も失うことになったら、友人が少なく、パートナーも子供もいないソルティは、社会的孤立と生きがいの喪失に直面するかもしれない。
 そのうえ、健康を害したら、生きているのはつらいであろう。

 そのときに最後の支えになるのは・・・・やはり仏教か。
 ディオゲネス的出家を目指すか・・・。

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おすすめ度 :★★★

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● 本:『日本海軍400時間の証言 軍令部・参謀たちが語った敗戦』(NHKスペシャル取材班編)

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2011年新潮社

 2009年8月、NHKスペシャルで3回にわたって放映されたドキュメンタリーの書籍化。

 1980~1991年まで、大日本帝国海軍の中枢にいた元エリート軍人たち約40人が、ほぼ毎月原宿にある水交会に集まって、太平洋戦争の反省会を開いていた。
 それを録音した400時間にも及ぶ外部初公開のテープや関係者への取材をもとに、作戦を「命じられた側」でなく「命じた側」から見た太平洋戦争の顛末、日本海軍の姿を浮き彫りにしている。
 
 まさにバブル真っ盛りの時期に、まさにバブリーな人々が行きかう表参道や竹下通りや青山のある原宿で、このような反省会が開かれていたことに驚く。
 まさにNHKの目と鼻の先である。
 好景気に浮かれ騒ぐ戦後生まれの人間たちの目を盗むように、人生の最盛期を戦争に捧げた70~80代の男たちが、家族以外の者には会の存在を知らせることなく、毎月律儀に原宿に通い、30年以上も昔の体験を語り合い、議論していたのである。
 バブルの頃の日本は、日本人の多くは、「戦争なんてもう過去のまぼろし。終わった話」みたいな観念にひたっていた。
 国民総浮かれ状態にあった。

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 太平洋戦争に関しては、陸軍が強硬に開戦を主張し、もともと対米戦に消極的だった海軍が最後には押し切られた、といったイメージがあった。
 日中戦争における盧溝橋事件でっち上げや南京虐殺、無謀で無計画な行軍による若年兵の大量の犬死に、終戦間際の宮城クーデター未遂など、戦後に伝わる陸軍のイメージは総じて悪い。
 一方、海軍は、華々しい幕開けを飾った真珠湾攻撃や戦艦ヤマトの雄々しい最期など、いまだにヒロイックに語られることが多く、陸軍との比較で言えば「善玉」待遇に浴している。
 事実、戦後の東京裁判ではA級戦犯として処刑された者は、陸軍からは東条英機元首相はじめ6人も出たのに、海軍からは1人も出なかった。
 「主犯は陸軍」というイメージは戦後日本人の多くが抱いているところだと思う。

 しかるに、本書を読むと、この固定観念が覆される。
 「海軍よ、お前もか・・・」
 というより、ことに及んで、水も漏らさぬ一致団結ぶりで組織防衛に動き、器用に立ち回って悪玉イメージがつくのを逃れる、海軍のタチの悪さが白日の下にさらされる。
 東京裁判において戦犯(救出)対策に奔走した元海軍大佐は、反省会においてこう発言している。

 およそ二年半の審理を通じ最も残念に思ったことは、海軍は常に精巧な考えを持ちながら、その信念を国策に反映させる勇を欠き、ついに戦争・敗戦へと国を誤るに至ったことである。陸軍は暴力犯、海軍は知能犯。いずれも陸海軍あるを知って国あるを忘れていた。敗戦の責任は五分五分であると

 猪瀬直樹著『昭和16年夏の敗戦』に描かれているように、昭和16年(1941)当時、開戦するか否かで大本営がもめにもめたことはよく知られる。
 暴走する陸軍をだれも止められなかった。
 アメリカと日本の国力や軍事力の差をよく知っていたはずの海軍も、あえて反対意見を述べなかった。
 その裏事情について、開戦時の海軍作戦課参謀だった元大佐がこう発言している。

 私が申しあげておきたいのはねえ、私は軍令部におる間はね、感じておったことはですな、海軍が“アメリカと戦えない”というようなことを言ったことがですね、陸軍の耳に入ると、それを利用されてしまうと。
 どういうことかというと、海軍は今まで、その、軍備拡張のためにずいぶん予算を使ったじゃないかと、それでおりながら戦えないと言うならば“予算を削っちまえ”と。そしてその分を、“陸軍によこせ”ということにでもなればですね、陸軍が今度はもっとその軍備を拡張し、それから言うことを、強く言い出すと。(略)そういうふうになっちゃ困るからと言うんですね、一切言わないと。負けるとか何とか、戦えないというようなことは一切言わないと。こういうことなんですな。

 予算獲得のために危機を煽り、事態が予想を超えて深刻化すると、引っ込みがつかなくなってさらに強硬な意見を主張する。その主張を正当化するために、現実をねじ曲げる。できあがったのは「夢みたいな」計画だった。
 しかしそれは、国民にとっては悪夢でしかなかった。

 このくだりを読んでいると、令和の今まさに起こっている事態を憂慮せざるをえない。
 中国や北朝鮮の脅威をひたすら煽って軍備拡大をはかる岸田政権。
 一度獲得した予算が削られることは、保守派も右翼も自衛隊も防衛省も軍事関連企業も外郭関連団体も、決して許さないだろう。
 予算を維持あるいは増加させるためには、さらなる危機を煽るよりない。
 その先にはいったい何が待ち受けているのだろうか?

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沖縄戦で亡くなった3万5千人の遺骨が収められている

 特攻と言えば、零戦による自爆攻撃の神風特攻隊を連想する人が多いと思うが、兵士が乗り込んだ魚雷を敵艦に向けて発射する水中特攻もあった。
 ある研究によれば、航空特攻の命中率は11.6%で、これは敵艦まで到達した飛行機のうちの約半数にあたるという。
 一方、水中特攻の命中率はわずか2%。50回に1回である。
 むろん、敵艦に命中してもしなくても、中に乗っている兵士は死ぬ。(零戦のように帰還することはできない)
 ひどい話じゃないか。
 これが作戦という名に値するだろうか。
 水中棺桶といったほうが正確であろう。
 こんな世界戦史上稀に見る愚策を、どこでだれが考えて、決定したのか。
 それをめぐっても遂には明確な答えは出されないまま、「やましき沈黙」が反省会を支配する。
 元軍令部にいた者はただ、特攻は軍の「命令」ではなく、兵士個々人の「志願」によるものだったとうそぶくばかり。

 特攻作戦を生み出した海軍幹部は、戦果を検討することなく、兵士たちを死地に送り込み続け、さらに士気高揚のために特攻隊員の死を利用した。戦後は、特攻作戦が戦争犯罪につながると自覚しながら、自らの責任を覆い隠し、罪を逃れようとしていたのである。

 捕虜の扱いについても同様で、海軍も陸軍に負けじと凄惨な捕虜虐殺を各占領地で行っていた。
 その一つ「スラバヤ事件」の話が出てくる。
 日本軍が占領していたインドネシアのスラバヤで捕虜になったオーストラリア兵およびスパイ容疑の現地住民を、スバラヤの守備にあたっていた部隊が殺害した事件である。
 戦後になって事実を知ったオーストラリア兵の遺族が告発したことにより、部隊長の篠原大佐が戦犯裁判にかけられて処刑された。
 NHK取材班は、篠原大佐の命令のもと実際に手を下した元日本兵を探し出し、証言をとる。

 あのとき、篠原大佐が“自分は命令をしていない”と裁判で主張していたら、私たちは絞首刑になっていた筈です。艦隊司令部は命令を否定したが、篠原大佐は私たち一兵卒を救うために自ら命令をしたことを認めたんだ。あれから58年。いつも篠原さんに感謝しながら生きてきたんです。(ゴチック、ソルティ付す) 

 現地の隊長が、部下の命を救うためにすべての責を一人で負ったというわけだ。
 しかるに、ピラミッド型組織の上意下達の徹底していた日本軍で、上から命令のないことを現場の指揮官が自己判断で勝手に行うなど考えられないという。
 しかも現場には司令部に所属していた法務官が立ち会って、捕虜の処刑を見届けていた。
 責任を中間管理職に押しつけて自分は逃げる。
 現在も続く、政府を筆頭とする日本型組織の十八番――トカゲのシッポ切り。
 
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 本書から見えてくるのは、同じNHK取材班が2011年に制作・放映した『日本人はなぜ戦争へと向かったのか』と同様の結論である。
  • 組織の利益や体面を優先し、個人の命を軽視する。
  • 国民より国体を重視する。
  • 長期的な方針をもたず、楽観的な予測に基づき、その場しのぎの作戦を繰り出す。
  • 最前線に無理を強いて、幹部は責任を取らない。
 ソルティは日本型組織における以上のような欠陥の根源は、やはり天皇制にあるんじゃないかと感じている。
 日本のいちばんの中心にして最高点を「絶対不可侵」という空洞にしていることが、すべての責任を有耶無耶にするブラックホールとして機能しているのではないだろうか。
 その“人”は裁かないし裁かれない。
 その“人”の為であればすべての行為が正当化される。
 そんな絶対的な無化装置を有し続けている日本の歴史に思いをはせる。

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Ali Mert BEKTAŞによるPixabayからの画像

 それにつけても、本書を読んで思うのは、NHKの取材力の凄さ。
 人や資料を探し出す、調べる、読み解く、インタビューを取り付ける、足を使って何度も会いに行く、粘り強く交渉する、撮影・放送の許可をとる、膨大な材料から選定し編集する、わずかな写真の断片から過去を再現し映像化する・・・・。
 個々のスタッフの力量も、組織としての力も、半端ない。
 NHKが、本作のような良心的で国民目線の番組を制作してくれるぶんには大いに結構だが、逆様に使われると、おっかない組織に転じる可能性大なあとつくづく思う。
 本番組の放映は2009年8月。時の政権は民主党だった。
 2012年12月に始まった自民党の第2次安倍政権におけるメディアへの圧力の中で、本番組を制作したスタッフたちがどんな思いをしていたか(今もしているか)、気になるところである。
 よもや転向しているとは思いたくないが・・・。

 いま、私たちが反省会の証言から学び取るべきものは、ただ一つのことではないかと思います。
 それは、ひとりひとりの「命」にかかわることについては、たとえどんなにやむをえない事情があろうと、決して「やましき沈黙」に陥らないことです。
(第2回『特攻 やましき沈黙』放送時のキャスターのラストコメントより)





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● Jの悲劇 本:『「特攻」のメカニズム』(加藤拓著)

2023年中日新聞社

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 中日新聞に2019年5月から足掛け5年にわたって連載された記事をまとめたもの。
 著者は1981年生まれの中日新聞記者で、大学院生だった時分から特攻の調査・研究を独自で続けてきた、いわばライフワークである。

 (本書は)太平洋戦争末期の陸軍特別攻撃隊を取材テーマに、生き残った隊員や遺族などの証言、日記、手紙などを取材し、個人の生死より国家を優先した戦時下の狂気と恐怖、非人間的な組織の論理を暴いた。さらに、組織優先の論理や風潮が戦後の日本社会に引き継がれ、企業不祥事や過労死など個人が犠牲になる温床になっていると警鐘を鳴らしている。過去の歴史を振り返るだけでなく、現代に生きる私たちが学ぶべき教訓として描かれている。
(中日新聞社編集局長・寺本政司による「まえがき」より)

 たとえば、ブラックバイトや過労死や派遣切り。人を部品か消耗品のように扱う非人間的組織の実態。
 たとえば、2018年に起きた日大アメフト部の悪質タックル事件。タックルを行った当人はコーチからの「命令」と言い、コーチ側はそれを否定する。上からの「命令」なのか本人による「志願」なのかを曖昧にする無責任体質。
 たとえば、100人以上の犠牲者を出した2005年のJR西日本福知山線の脱線事故。当時同社で行われていた、業務でミスした運転士を再教育する「日勤教育」にみるパワハラ、モラハラ、懲罰的な精神論。
 たとえば、安倍元首相夫妻が絡んだ森友事件で公文書の改竄を上司に強要され、自らの命を絶った財務省の赤木俊夫氏。組織上層部の保身によって、忠実で真面目な中間管理職が精神的な破滅に追い込まれていく悲惨な構図。
 たとえば、新型コロナウイルス禍の自粛警察や、マスクしない人や休業しない店に対するバッシング。相互監視と逸脱者への村八分につながる世間の同調圧力。

 著者は、戦後70年以上経った現在起きている数々の事件の背景に、「特攻」という人類史上稀に見る愚かで野蛮な戦術(という言葉すら当たらない愚行)を可能にした、我が国の精神文化、思想、組織体質、社会の空気――つまりは国民性が垣間見られるとしている。
 その通りであろう。 
 特攻こそは、日本というシステムにおける「負」の集積的象徴であり、日本人の究極の欠陥が具現化した徒花なのである。
 特攻の中に日本人が見える。

 理想の勇姿を消耗品扱いする作戦がまかり通ったのは、戦局悪化の責任を回避し、そのツケを前線の兵士に押しつける組織の論理でしかない。上層に向かうほど責任の所在が不明確になり、矛盾のしわ寄せが末端に押しつけられる。それは、今も変わらない日本型組織の特異性と言えるだろう。

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 本書ではじめて知ったが、特攻に失敗した兵隊――いったん出撃したものの、機体の故障や悪天候などで自爆という目的を果たさないまま帰還した兵隊――を隔離収容する「振武寮」という施設が福岡にあった。
 そこは帰還した特攻隊員の「仕置き部屋」と化し、上官による虐待が日常茶飯だったという。
 こんなひどい話もある。
 「特攻で亡くなった」と大本営が発表した兵隊に対し、天皇陛下が名誉の勲章を授与することになった。ところが、本人が生きて還ってきた。
 いまさら「間違っていました」と取り消すのもまずいと、上官はその兵隊を暗殺する命令を出した。(さすがにこの命令は部下たちの猛反対を受け実行されなかった)
 
 子供の頃から徹底した軍国主義教育を受けた少年兵ほど、特攻に対する抵抗感が低く、「お国のために散る」ことに憧れすら持つ――というのは、まさに洗脳の賜物だろう。
 自我が十分育たないうちに隔離して、組織に都合の良い情報だけを繰り返し注ぎ込む。
 国のために命を捧げる特攻隊を「軍神」と位置づけ、国民がこぞって持て囃す風潮をつくる。
 少年たちは自らが置かれた生贄的境遇を不自然に思うことなく、「神」を演じて戦場に出ていく。

 なんだか、最近話題のジャ×ーズの元少年たちのことを思い出した。
 

 

おすすめ度 :★★★

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● 本:『黎明 日本左翼史 左派の誕生と弾圧・転向1867‐1945』(池上彰、佐藤優共著)

2023年講談社現代新書

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 彰優(えいゆう?)コンビニよる日本左翼史シリーズ第4弾。
 今度こそ完結編だ。
 明治維新から太平洋戦争までの左翼史を扱っている。
 4冊目ということで、二人の対話も役割分担もスムーズで、概して読みやすいものになっている。
 おそらく、前3冊と合本にして、かなり厚めの新書『日本左翼史』がそのうち刊行されることになるのだろう。
 よい企画だったと思う。

 日本の左翼がいつ誕生したかを特定するのは難しい。 
 板垣退助らによる自由民権運動(1874~)か、秩父事件(1884)か、幸徳秋水や片山潜らによる社会主義協会の設立(1990)か、日本社会党の結成(1906)か、日本共産党の結成(1922)か・・・。
 それはたぶん、左翼をどう定義するかによって変わってくるのだろう。
 マルクス主義に根差した改革(革命)運動という意味でとれば、社会主義協会の設立をもって左翼の誕生と言えそうな気もするが、1917年ソ連成立の影響を受けた、国体(天皇制)の変革を前提にした共産社会に向けての組織的運動という意味でとれば、日本共産党の結成が起点となるように思う。
 1922年には日本で初めての人権宣言である水平社宣言が発表されてもいる。
 この年が、日本左翼史において一つのメルクマールであることは疑いえない。

水平社宣言記念碑
奈良県御所市柏原に建つ水平社宣言記念碑

 いずれにせよ、戦前の左翼史についてはひと言でまとめることができる。
 「弾圧」である。
 開国このかた、欧米の植民地になることを防ぐための国民一丸となっての富国強兵・殖産興業、すなわち近代化を焦眉の急とした大日本帝国政府が、その流れに竿さそうとする動きに対して弾圧を加えたがるのは、わからなくもない。
 また、伝統的国体である天皇制の解体を目指す、背後に人類初の社会主義国家ソ連の影が揺曳する組織に対し、保守的な層のみならず、天皇を敬愛していた国民の大多数が危険なものを感じたのも無理はない。
 ただし、弾圧の仕方は到底、近代民主主義国家にふさわしいものではなかったが。
 その意味では、日本の左翼の真の誕生は、言論・集会・結社の自由が保障された戦後と言えるのかもしれない。

 以下、引用

佐藤 戦前の世直し運動、異議申し立て運動には右翼と左翼に加えて宗教というもう一つの極があり、この三者がときに対立し、ときに相互に重複しつつ展開していったというのが実際のところだと思うのです。

佐藤 自由民権運動は佐賀の乱や西南戦争など明治初期の士族反乱の延長線上にあるものであって、維新政府の「負け組」が仕掛けた単なる権力闘争にすぎない、というのが私の評価です。この運動を左翼の誕生とダイレクトに結びつけるのは無理があるでしょうね。
 
佐藤 右翼は宗教との親和性が高いので宗教と結託し、宗教の力を利用することもできたわけですが、左翼の場合は核の部分に無神論があるがゆえに宗教の活用ということはなかなかできなかった。

池上 廣松渉が『〈近代の超克〉論〉』(講談社学術文庫)でも言っているように、戦前において革命はタブーではなかったし、社会主義も決してタブーではなかった。ただ天皇制の否定だけがタブーでした。


 最後に――。
 本シリーズのそもそもの目的の一つは、「格差の拡大や戦争の危機といった現代の諸問題が左翼の論点そのものであり、左翼とは何だったのかを問うことで閉塞感に覆われた時代を生き抜く上での展望を提示する」というところにあった。
 しかるに、4冊終わってみると、この目的が十分達しられたとは言い難い。
 池上も佐藤も、左翼批判とくに共産党批判の向きが強く、美点よりも欠点をあげつらってばかりいる。
 欠点や過ちを指摘するのはよいが、それを検証してより良い方法論を示し、時代を生き抜く上での「展望を提示する」ところまでは至っていない。 
 読者に託された課題ということか。





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● 本:『ルポ 死刑』(佐藤大介著)

2021年幻冬舎新書

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 副題は「法務省がひた隠す極刑のリアル」。
 著者は1972年生まれ。
 毎日新聞社、共同通信社での記者活動を経て、現在、共同通信社の編集員兼論説委員を務める。
 
 著者の基本姿勢は死刑廃止なのだと思うが、ここではそれを声高に訴えていない。
 むしろ問題としているのは、副題にある通り、日本の死刑制度の実態が法務省によって徹底的に伏せられていて、国民に正確な情報が伝えられていない点である。
  •  死刑囚はどのような日常を送っているのか。
  •  外部とのやり取りはどの程度許されているのか。
  •  日々なにを思って過ごしているのか。
  •  誰がどう死刑執行日を決めるのか。
  •  どのように受刑者に伝えられるのか。
  •  死刑がどのように行われ、誰と誰が立ち会っているのか。
  •  担当する刑務官はどのような思いを抱えているのか。e.t.c.
 死刑制度の是非はいったん別として、米国では情報を公開することで議論が起き、それだけ死刑制度について考えることができる。一方、日本では密行主義で情報はほとんどなく、死刑が行われながらも議論は深まらない。死刑は国家が合法的に命を奪える究極の権力行使であるのにもかかわらず、多くの人々は無関心という状態が日常化している。 

 我々国民は、死刑に関する十分な情報を与えられないまま、死刑制度の是非を議論する環境に置かれている。
 確かにこれはおかしい。
 国がどのように一人の国民を監禁し抹殺したかを、他の国民たちが知ることができないのは、殺された対象がどんな人間であるかに関わらず、由々しき事態だ。
 国家が一国民に対しどのようなことをなし得るかが不透明にされているからだ。
 民主主義の根幹にかかわる問題である。

 本書では、死刑囚、元死刑囚の遺族、弁護士、刑務官、死刑囚の世話をする衛生夫、検察官、法務省官僚、牧師や神父や僧侶などの教誨師などへのインタビューやアンケートなどをもとに、日本の死刑囚の置かれている状況や彼らの思い、死刑執行までの具体的な段取りが、でき得る限りに描き出されている。
 日本の死刑は絞首刑だが、これは明治6年に作られた法律によるもので、140年変わっていないという。
 科学も医学も薬学も進み、もっと穏やかな殺害方法があるだろうに、「絞首刑は苦痛がもっとも少なく、残虐性なし」と結論付けた1828年の学者論文をもとに、いまだに他の手段を検討することなく続けられている。
 サディストか。
 死刑執行方法見直しの議論は民主党政権時代に持ちあがっていたのだが、2012年末の総選挙で民主党が惨敗し、政権が再び自民党に戻ったことで立ち消えてしまった。
 ときの法相は谷垣禎一、首相は安倍晋三であった。
 
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Heinz HummelによるPixabayからの画像

 ソルティは基本、死刑廃止論者である。
 が、時々、「こいつだけは死刑もやむを得ない」と思わざるをえないような、残虐極まりない卑劣な犯行、個人的に許しがたいと感じる犯罪者が出現し、そのたび心が揺れ動く。
 すぐに思いつくのが、1988年2月に起きた「名古屋アベック殺人事件」であり、同じ年の11月に東京都足立区で起きた「女子高生コンクリート詰め殺人事件」である。
 この2つの犯罪の凄惨なまでの残虐さは言語に絶するもので、被害者の受けた恐怖や苦痛や絶望、被害者遺族の受けた打撃や苦痛や喪失感を想像すると、「目には目を、歯には歯を」ではないが、加害者にも同等の苦しみを与えなければ承知できない、「死刑は当然」と当時思った。
 個人的にソルティは、女性が男達によって拉致監禁され、暴行され、強姦を繰り返される類いの犯罪が一番嫌いで、許し難く思うのだ。

 びっくりしたことに、本書にはなんとこの「名古屋アベック殺人事件」の加害者、それも6人の加害者のうちの主犯格Nが登場する。
 一審でNは未成年であったものの死刑判決を受けた。そこまではソルティも知っていた。
 その後、二審での6年余りに及ぶ審議の結果、無期懲役が下り、判決が確定した。
 現在、無期懲役囚として岡山刑務所に収容されていて、著者は数年前からNと面接や手紙のやり取りを行ってきた。
 「そうか。生きていたのか・・・」
 驚くとともに、いまや40代になるNという男の変化に戸惑った。
 服役態度の良い模範囚であり、被害者遺族への謝罪や償いを心がけ、更生の途上にあるらしい。
 35年前のNと同一人物なのかと思わず疑ってしまった。

 それに輪をかけて驚いたのは、被害者女性の父親とNとが文通をしているという事実であった。
 一体そんなことが可能なのか!
 大切な娘をこれ以上ないほど残酷なやり方で殺されて、自ら復讐することも叶わずに、人生を滅茶苦茶にされ、せめてもの慰みの「死刑判決」すら「無期懲役」に減刑されてしまった。
 そんな憎き相手と文通できるこの父親の存在に愕然とした。
 もちろん許しているわけではなかろうが、それとは別に、“人と人として”相手と対峙できる度量というか、精神性に恐れ入った。
 韓国のドキュメンタリー『赦し――その遥かなる道』(チョウ・ウクフィ監督)を観たとき、妻と子供を殺された父親が、その殺人犯の減刑運動をしているエピソードを知って、ぶったまげた。
 それはキリスト教など宗教的バックボーンのある特別な人の場合と思っていたけれど、日本にも同じような人がいたのである。
 この父親がいる以上、ソルティはもはや、「名古屋アベック殺人事件」の犯人を断罪することができなくなった。

観音さま

 世界各国の約7割が死刑を廃止、または事実上廃止しているなかで、日本は少数派に属している。そうした中、米国が連邦レベルでの死刑執行を停止したことから、先進国主体の経済協力開発機構(OECD)加盟国(38ヵ国)で通常犯罪に対する死刑執行を続けているのは、日本だけと言うことができる。

 日本には日本独自の文化や風習や価値観がある、外国の目を気にしてそれに合わせる必要はないと言うのは一見カッコよいけれど、意地を張って国際連盟脱退の二の舞のようなことにならなければよいのだが・・・・。
 あとからどれだけ高くついたことか。




おすすめ度 :★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損





● 戦犯作家と呼ばれて 本:『革命前後』(火野葦平著)

1960年中央公論社
2014年社会批評社

革命前後

 本書の刊行は、1960年1月30日、火野葦平はその一週間前の1月23日に服薬自殺した。
 本書は火野の遺作であると同時に、遺書と言っていい。
 というのも、戦時中『土と兵隊』『麦と兵隊』などの従軍記を書き“兵隊作家”として持て囃され、自ら進んで戦意高揚に協力した火野が、戦後15年経って“戦犯作家”としての自らの戦争責任について内省し総括しているからである。
 自死の理由ははっきりしていないのだが、少なくとも、本書を書き終えた後、火野の中で何か吹っ切れるものがあったのは間違いあるまい。

 本書は、1945年7月中旬から1947年5月までの火野の身辺雑記あるいは私小説である。
 この間に、B29による度重なる本土爆撃があり、不可侵条約を破ったソ連の満州侵攻があり、広島と長崎への原爆投下があり、玉音放送があり、ポツダム宣言受諾があり、GHQの占領があり、獄中にいた共産党員の釈放があり、パンパンや闇商売の横行があり、戦犯追及の嵐があり、天皇の人間宣言があった。
 タイトルにある「革命」とはまさに1945年8月15日のことで、この日を境に、火野の周囲がどのように変わっていったかが生々しく描かれている。
 “革命”前の火野は、故郷九州の博多で西部軍報道部に所属し、地域の戦意高揚のため、軍人や文化人らとともに、軍が徴用したホテルに泊まり込んで軍務に従事していた。
 軍国主義下の日本で、「お国の為」に生きていた。
 “革命”後の火野は、文芸復興を期して九州文学という出版社を仲間と立ち上げるとともに、博多の焼け跡を利用した食べ物屋街「太平街」の設立に関わった。(いずれも頓挫した)
 焼け跡が広がり物資のない日本で、自責の念から筆を折った自分がこれからどうやって生きていくか、模索していた。

 遺書と言うと重苦しい印象を受けるかもしれないが、革命前後の疾風怒濤の日々の記録はドラマチックで、ドキュメンタリー風の面白さがあり、その中にも鋭い社会風刺や人間観察が顔をのぞかせ、やはり人気作家にして芥川賞作家だなあと感心した。
 背水の陣をとうに越えた日本存亡の危機だからこそ、あるいは価値観が180度引っくり返った混乱期だからこそ、人間の本性が暴かれる。
 報道部の同僚、火野の家族、親戚、友人、文芸仲間、闇商売の相手、復員してきた兵隊、巷の庶民等々、さまざまな立場の人々のさまざまな振る舞いが描き出されていて、一種の「人間喜劇」の様相を呈している。
 九州のみならず、日本中で同様なことが起きていたのだ。
 そして、自らもまた喜劇の登場人物とみなし、客観的におのれの愚かさと滑稽さを見つめようとする火野の目は、あやまたず作家のそれである。
 九州革命――米軍の本土上陸前に九州を独立させ革命政府を作り、九州独自で米軍と闘おう――なんて本気で考えていた人がいたとは驚きであった。
 また、ポツダム宣言受諾の数日後には、連合国の国旗を掲げる日本人の変わり身の早さも興味深い。
 敗戦で自決した者をのぞいて、「日本人総パンパン化」みたいな米軍忖度ぶり・・・。

桜と川面

 さて、火野は自らの戦争責任をどう総括したか。
 戦時中の火野の活動について調査するために訪ねて来たGHQのCIC(民間情報局)ケインジャー大尉に向かって、火野はこう語る。

 私は太平洋戦争が侵略戦争なのかどうか、よくわからないのです。少なくとも、戦っている間は、一度もそう考えたことはありませんでした。祖国が負けては大変だという一念があったばかりで、私などがいくら力んでみてもなんにもならなかったのですけれど、ともかく全身全力をあげて、祖国の勝利のために挺身しました。米英撃滅をモットーにして戦争に協力しました。私には老いた両親があり、妻と三人の子供があることはさきほど申し上げましたが、私は祖国の勝利のためには命をすててもかまわない覚悟でいました。それというのもただ日本が負けては大変だという一途の気持だけです。私とともに戦線を馳駆した兵隊たちの多くもその気持であったと信じます。けれども負けてしまうと、日本は侵略戦争に狂奔したということになり、軍閥の姿が大きく表面に出て来て、実のところ、茫然として居ります次第です。

 恐らく私がお人よしの馬鹿だったのでしょう。軍閥の魂胆や野望などを看破する眼力がなく、自己陶酔におちいっていて、墓穴を掘ったのでしょう。しかし、私は私なりに戦争に協力したことを後悔しません。敗北したことは残念でありますが、私の気持は勝敗にかかわらず今も変わっておりません。

 これが本心なのだろう。
 「国のため」「天皇陛下のため」という絶対的な価値が火野のアイデンティティの核を成していたのである。
 子供の頃からそういったしつけや教育を受け続け、社会全体がその観念を共有しているのであれば、そこから脱して体制に疑問を持ったり、別の視点を持つのは難しかろう。
 それは、戦後生まれのソルティが、「民主主義」「基本的人権の尊重」を当たり前とし、疑問を抱かないのと同様である。
 国家は国民に奉仕するもの、「国<人民」とソルティは思っているが、“革命前”の普通は、「国>人民」だったのである。
 いまでも、祖国あっての人民、祖国あっての百姓、祖国あっての水田、祖国あっての自分・・・すべてのものの上に「国」が来るという観念は、保守右翼が好むところであるが・・・。
 
 また、火野の場合、独自の美意識を持っていた。

 英雄となるか、ピエロとなるか。それはしたりげな後世の歴史家がアヤフヤなレッテルを貼るにすぎないのであって、瞬間に昂揚される人間の火花の美しさこそ、英雄の崇高さというものだろう。(ソルティ、ゴチ付す)

 一瞬一瞬の正直な実感こそが、人間の行動の中で信じ得られる唯一のものではあるまいか。真実には盲目であり、虚妄に向かって感動したとしても、それは尊ばるべきではあるまいか。滑稽と暗愚の中にこそ、人間がいるのではないか。戦争も、国家も、歴史も、なにがなにやらわからない。革命の名の下に大混乱がおこっているが、その中で信じられるのは人間の、自分の、自分一人の実感だけだ。

 換言すれば、人間にとって大切なのは、目的や結果の良し悪しではなく、瞬間瞬間の行為における誠実さや真剣さや熱意である、ということだろう。
 そのような視点に立てば、たとえばゼロ戦による自爆攻撃も美化され、称讃されるべきものになる。
 なんとなく、これは『葉隠れ』的な、晩年の三島由紀夫的な、つまり武士道につながる美意識のような気がする。
 本書を読んでいても、火野葦平という男の“もののふ”っぷりが感得される。
 生粋の九州男児で、父親は仲仕玉井組の親方であったという出自からは、相当の硬派(マッチョ)であったことが伺えよう。
 自らが信じるところに、結果を顧みずに自己投棄する。
 それを「美しい」「雄々しい」と言っていいのかどうか、ソルティにはよく分からない。(そういう機会に巡り合わなかったゆえに、この歳までおめおめと生きてこられたのだろう)

 最後に――。
 火野葦平は、『土と兵隊』で描かれている最初の従軍(杭州敵前上陸)の際、続けて南京入城を果たしている。
 すなわち、1937年(昭和12年)12月13日のいわゆる南京虐殺事件に居合わせたことになる。
 が、『土と兵隊』には当然ながらその記述はない。
 戦後、他の作品に書いたという話も聞かない。
 謎だ・・・・。

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おすすめ度 :★★★★

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● 兵隊作家と呼ばれて 本:『土と兵隊』、『麦と兵隊』(火野葦平著)

1938年改造社より発表
1953年新潮文庫

 火野葦平(1907-1960)は読んだことがなかった。
 どういう人で、どういう文学的または社会的評価を受けていたかも、よく知らなかった。
 興味をもったのは、NHKで4月3日に放送された『映像の世紀 バタフライ・エフェクト~戦争の中の芸術家』を観たからである。
 番組では、ナチスドイツ時代を生きた指揮者フルトヴェングラー、スターリン独裁下のソ連を生きた作曲家ショスタコーヴィチ、そして日中戦争に従軍し“兵隊作家”としてマスコミの寵児となった火野葦平の3人が取り上げられていた。
 つまり、芸術家の戦争責任がテーマだった。

 火野は、戦後になってから“戦犯作家”として批判を浴びた。
 自らの戦争責任に言及した『革命前後』という本を書いた後、睡眠薬を飲んで自殺した。

 いったい、火野はなぜ自ら進んで戦争協力するようになったのだろう?
 自分につけられた“兵隊作家”というレッテルを、のちには“戦犯作家”というレッテルを、どう受け止めていたのだろう?
 最後の瞬間、彼の心のうちで何が起きていたのだろう?
 
 俄然興味が湧き、まず彼の代表作である2作品が載っている本書を借りた。
 この2作品プラス『花と兵隊』の兵隊3部作の大ヒット(300万部を超えた)ゆえに、彼のその後の人生は決定づけられていったのである。

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 本書は、1937年(昭和12年)7月7日の盧溝橋事件を発端に始まった日中戦争の従軍記である。
 火野葦平は、1937年9月に応召され、10月杭州湾に敵前上陸し、一兵卒として中国軍と戦った。
 当時30歳だった。
 翌38年2月、『糞尿譚』により第6回芥川賞を受賞。
 一躍、時の人となった。
 報道部に転属となり、1938年5月には攻略後の南京に入り、徐州会戦に参戦した。
 1939年11月に退役して帰国。
 日本出立から中国大陸上陸、杭州での戦いの様子を記したのが『土と兵隊』である。
 徐州会戦の様子を記したのが『麦と兵隊』である。
 題名通り、前著は泥の中での行軍が、後者は一面の麦畑の中での行軍が、日記形式で書かれている。
 どちらの場合も、中国軍との激しい戦闘の模様が描かれているのは言うまでもない。
 火野葦平は、銃弾や砲弾が飛びかい、死傷者があふれる前線で、死と向き合いながら戦った勇士なのである。
 その体力と精神力は筋金入りと言ってよかろう。

 本書は、お国や天皇陛下のために命をかえりみずに戦う日本兵たちを称賛するものであり、飢えや喉の渇きや足のマメや寒さやダニなどさまざまな困難に遭いながらも、助け合って行軍する、同じ釜の飯を食う兵隊同士の連帯と友愛の素晴らしさを伝える内容である。
 火野のナショナリズム(祖国愛)や仲間の兵隊たちへの愛情はまごうかたない。

 多くの兵隊は、家を持ち、子を持ち、肉親を持ち、仕事を持っている。しかも、何かしら、この戦場に於て、それらのことごとくを、容易に捨てさせるものがある。棄てて悔いさせないものがある。多くの生命が失われた。然も、誰も死んではいない。何も亡びてはいないのだ。兵隊は、人間の抱く凡庸な思想をも乗り超えた。死をも乗り超えた。それは大いなるものに向って脈々と流れ、もり上がっていくものであるとともに、それらを押し流すひとつの大いなる高き力に身を委ねることでもある。又、祖国の行く道を祖国とともに行く兵隊の精神である。私は弾丸の為にこの支那の土の中に骨を埋むる日が来た時には、何よりも愛する祖国のことを考え、愛する祖国の万歳を声の続く限り絶叫して死にたいと思った。(『麦と兵隊』より)

 一方、それをもって、本書を単純に、「戦争賛美、帝国陸軍万歳、中国憎し」の戦意高揚の書と言えるかと言えば、ソルティはそうは取れなかった。
 やはり、ここに描かれている「土」の行軍、「麦畑」の行軍は、たいへん厳しいものに違いなく、これにくらべればソルティのおこなった四国歩き遍路1400キロなどパラダイスである。
 いったいに、日中戦争体験者の手記を読むと、地獄のような行軍の話がよく出てくるが、ほんとうにこのような行軍が必要だったのか、疑問に思う。
 敵と出会う前に、ほかならぬ行軍によって体力と気力をあらかた奪われて、食糧も尽きて、いざという時に十分な力を発揮できなかったのではないか?
 あるいは、行軍によって兵士を徹底的に疲れさせ、正常な感覚や思考を麻痺させることで、人を殺すという人倫の壁を乗り越えさせたのだろうか?
 火野のリアリズムな筆によって描かれる、凄惨な戦闘場面、累々と積み重なる死体、捕虜となった中国人への残虐な仕打ち、戦争に巻き込まれた民間人の悲劇など、普通に読んでいれば、「やっぱり、戦争は嫌だ」、「戦争は人を狂気にする」、「戦争なんかするもんじゃない」としか思えない。
 また、火野は、敵である中国人があまりに日本人とよく似ているため厭な気持ちを抱いたことや、中国人捕虜の首を軍刀で刎ねる陸軍曹長の行為を前に自らの心を確かめ、まだ自分が「悪魔」になっていないことに安堵したことなども、ありのままに書いている。
 本書が戦意高揚の役に立つとはとても思えなかった。
 むしろ、「よくこの従軍記の発表を軍は許可したなあ」と思ったくらいである。
 (捕虜の中国兵が殺される場面に、日本国民の多くは快哉の叫びを上げたのかもしれないが) 
 違う時代の違う価値観に生きている目で読めば、同じ本でも違ったふうに受けとれるってことだろうか。

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PeggychoucairによるPixabayからの画像

 戦後になってから、本書について、「作家としての独自の判断力も批判も放棄して」いる、と某文芸評論家に批判された火野は、「(当時は検閲と弾圧があったため)ここに表現されているのは、書きたいことの十分の一にすぎない」と反論したという。(本書「解説」より)
 書きたかった残り十分の九は、どんな内容だったのだろう?
 そして、本書発表を契機に、どんどん体制翼賛へと傾いていった火野の真意はどこら辺にあったのだろう?
 
P.S. 2019年にアフガニスタンで狙撃されて亡くなったペシャワール会の中村哲医師は、火野葦平の甥っ子だという。この叔父と甥の関係も気になる。



 
おすすめ度 :★★★

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● 本:『ショスタコーヴィッチの証言』(ソロモン・ヴォルコフ編)

1979年原著刊行
1980年中央公論新社より邦訳刊行(水野忠夫訳)
1988年文庫化

ショスタコの証言

 ソ連出身の音楽研究家ソロモン・ヴォルコフ(1944- )が、晩年のショスタコーヴィチにインタビューした内容をまとめたもの。
 ヴォルコフは、ショスタコーヴィチが亡くなった後、アメリカに亡命してこれを発表した。
 ショスタコーヴィチの回想録ではあるが、自身について語っている部分はそれほど多くなく、その人生において出会ってきた同じソ連の作曲家や演奏者や演出家や文学者についてのエピソードや評価、スターリン独裁下に生きた芸術家の苦悩や悲劇などが、多くを占めている。

 スターリンやソ連の社会体制に対する批判が書かれている以上、出版後、ソ連当局から「偽書」と断定されたのは仕方あるまい。
 たとえば、

 当然、ファシズムはわたしに嫌悪を催させるが、ドイツ・ファシズムのみならず、いかなる形態のファシズムも不愉快である。今日、人々は戦前の時期をのどかな時代として思い出すのを好み、ヒトラーがわが国に攻めてくるまでは、すべてがよかったと語っている。ヒトラーが犯罪者であることははっきりしているが、しかし、スターリンだって犯罪者なのだ。

 スターリンにはいかなる思想も、いかなる信念も、いかなる理念も、いかなる原則もなかった。そのときそのときに、スターリンは人々を苦しめ、監禁し、服従させるのにより好都合な見解を支持していたにすぎない。「指導者にして教師」は、今日は、こう言い、明日は、まったく別なことを言う。彼にしてみれば、何を言おうが、どちらでもよいことで、ただ権力を維持できればよかったのである。 

 一方、アメリカの音楽学者からも「偽書」疑惑を投げかけられ、議論を招いた。
 ヴォルコフがショスタコーヴィチに数回インタビューしたことは事実であるが、書かれている内容の多くは、ショスタコーヴィッチ自身の口から出たものではなく、ヴォルコフ自身がソ連にいた時に見聞きしたことを材にとった創作――必ずしも捏造ではない――なのではないか、という疑惑である。
 長年の研究の結果、現時点では「偽書」の可能性が高いようだ。
 ヴォルコフ自身が今に至るまでなんら反論していないというのが、確かにおかしい。

 ただ一方、偽書であるか否かは別として、すなわち、どこまでがショスタコーヴィチの“証言”で、どこからヴォルコフの“証言”なのかは不明であるものの、大変興味深く面白い書であるのは間違いない。
 登場する有名音楽家――ショスタコーヴィチの師であったグラズノフ、同窓生であったピアニストのマリヤ・ユージナ、ベルク、リムスキイ=コルサコフ、ムソグルスキイ、ストラヴィンスキー、ハチャトゥリアン、ボロディン、プロコフィエフ、トスカニーニ、ムラヴィンスキーなど――にまつわる豊富で突飛なエピソードの数々には興味がそそられる。
 とりわけ、グラズノフの天才的な記憶力や、ボロディンの博愛主義者&フェミニストぶり、スターリンに意見するを恐れないユージナの強心臓には驚いた。
 また、ショスタコーヴィチの崇拝者であった指揮者トスカニーニや、彼の曲の初演の多くを手がけた指揮者ムラヴィンスキーに対する辛辣な評価も意外であった。(ヴォルコフ評なのかもしれないが)

 あるとき、わたしの音楽の最大の解釈者を自負していたムラヴィンスキーがわたしの音楽をまるで理解していないのを知って愕然とした。交響曲第5番と第7番でわたしが歓喜の終楽章を書きたいと望んでいたなどと、およそわたしの思ってみなかったことを言っているのだ。この男には、わたしが歓喜の終楽章など夢にも考えたことがないのもわからないのだ。いったいあそこにどんな歓喜があるというのか。

 ソルティは、第5番第7番を最初に聞いたとき、終楽章が歓喜の表現とはとても思えなかった。
 ナチズムやスターリニズムのような独裁ファシズム国家における狂気や衆愚の表現と受け取った。
 「なんだ。ソルティのほうがムラヴィンスキーより、よく分かっているではないか」
 と一瞬鼻高々になりそうだったが、真相は別だろう。
 ムラヴィンスキーがどこかで本当に上記のようなセリフを吐いたことがあったとしても、それはおそらく、ショスタコ―ヴィチのためを思ってのことであろう。
 自らの発言が公になってスターリンの耳に入る可能性を思えば、友人を危険にさらすようなことは言えるはずがない。
 それがわからないショスタコーヴィチではないはずなのだが・・・。

 ともあれ、本書で何より読み取るべきは、ソ連社会とくにスターリン体制下において、芸術家たちが、いかに圧迫され、監視され、服従を求められ、自由な表現を禁止され、体制賛美の作品の創作を強制されていたか、それに抗うことがいかに危険であったか、という点である。
 スターリンの機嫌を損ねたら、その指ひとつで、地位も名誉も財産も奪われ、シベリヤに抑留され、処刑され、あまつさえ家族や親類縁者にも害が及びかねなかった。
 こんなエピソードが載っている。

 スターリンはたまたまラジオで聞いたモーツァルトのピアノ協奏曲を大層気に入って、そのレコードを部下に要望した。
 だが、そのレコードはなかった。それは生演奏だったのだ。
 機嫌を損ねることを恐れた周囲の者は、その夜のうちに再度オーケストラとピアニスト(ショスタコーヴィチの親友ユージナ)と指揮者をスタジオに集めて録音作業し、たった一枚のレコードを制作し、翌朝スターリンのもとに届けたという。

 ユージナがあとでわたしに語ってくれたことだが、指揮者は恐怖のあまり思考が麻痺してしまい、自宅に送り返さなければならなかった。別の指揮者が呼ばれたが、これもわなわな震え、間違えてばかりいて、オーケストラを混乱させるばかりだった。三人目の指揮者がどうにか最後まで録音できる状態にあったそうである。
 
 ショスタコーヴィチの友人、知人らも多く、あるは収容所送りとなり、あるは処刑され、あるは亡命を余儀なくされた。
 ショスタコーヴィチ自身も、幾度となく抹殺される瀬戸際にあったたらしい。
 その危機一髪のところを、軍の有力者に助けられたり、自らの作品の成功によって乗り超えたり、西側に知れ渡った名声によって救われたりしたようである。
 「自分の音楽で権力者のご機嫌をとろうとしたことは一度もなかった」と本書には勇ましくも書かれているが、実際には体制迎合的な作品も数多く残している。
 運よく地獄を生き残った者には、命を奪われた仲間たちの手前、自己弁護しなければいられないくらい、忸怩たるものがあったと想像される。

 生き残ったのは愚者ばかりだ、とわたしも本当は信じているわけではない。たぶん、最小限の誠意だけでも失わないようにしながら生き延びる戦術として仮面をかぶっていたにちがいない。
 
 それについて語るのはつらく、不愉快ではあるが、真実を語りたいと望んでいるからには、やはり語っておかなければならない。その真実とは、戦争(ソルティ注:独ソ戦)によって救われたということだ。戦争は大きな悲しみをもたらし、生活もたいそう困難なものになった。数知れぬ悲しみ、数知れぬ涙。しかしながら、戦争の始まる前はもっと困難だったともいえ、そのわけは、誰もがひとりきりで自分の悲しみに耐えていたからである。
 戦前でも、父や兄弟、あるいは親戚でなければ親しい友人といった誰かを失わなかった家族は、レニングラードにはほとんどなかった。誰もが、いなくなった人のことで大声で泣き喚きたいと思っていたのだが、誰もがほかの誰かを恐れ、悲しみに打ちひしがれ、息もつまりそうになっていたのである。
 
 わたしの人生は不幸にみちあふれているので、それよりももっと不幸な人間を見つけるのは容易ではないだろうと予想していた。しかし、わたしの知人や友人たちのたどった人生の道をつぎからつぎと思い出していくうちに、恐ろしくなった。彼らのうち誰ひとりとして、気楽で、幸福な人生を送った者などいなかった。ある者は悲惨な最期を遂げ、ある者は恐ろしい苦しみのうちに死に、多くの者の人生も、わたしのよりもっと不幸なものであったと言うことができる。 

 偽書であるかどうかは措いといて、一つの国の一つの時代の証言として、そしてまた現在のロシアの芸術家の受難を想像するよすがとして、読むべき価値のある書だと思う。
 
 
 
おすすめ度 :★★★

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● 本:『同志少女よ、敵を撃て』(逢坂冬馬著)

2021年早川書房

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 昨年11月に図書館予約したとき、53人待ちだった。
 一ヶ月に2名が借りるとして、2年以上はかかるかと思っていたら、半年で順番が巡ってきた。
 図書館が在庫数を増やしてくれたのである。
 それでも今もまだ、新たに借りようとしたら30人以上待ちになる。
 すごい人気である。
 第11回アガサ・クリスティ賞受賞。
 「あいさかとうま」は1985年生まれの男性である。

 第2次世界大戦の独ソ戦(1941-1945)、ソ連が舞台である。
 片やヒトラー率いる全体主義国家、片やスターリン率いる社会主義国家。
 独裁国家同士の闘い。
 平和な村に侵攻してきたドイツ兵に、母親や隣人を目の前で殺された16歳の少女セラフィマは、復讐を誓い、女性ばかりの狙撃兵訓練所に入る。
 女性教官長イリーナの厳しい指導のもと、必要な知識と技術とタフネスを身につけ、最終過程まで残った4人の仲間とともに狙撃兵となり、実戦に送られる。
 スターリングラードやケーニヒスベルグでの激しい戦闘で、仲間を失いながらも腕を磨き、数十名の敵を射殺し、いまや取材が来るほどの一人前の狙撃兵となったセラフィマ。
 ついに、母親の仇のドイツ兵とあいまみえる時がやって来た・・・・。

 本作の一番のポイントは、言うまでもなく、少女が主人公で、女性狙撃兵チームの戦いぶりが描かれている点である。
 それはノーベル文学賞受賞のスヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチのノンフィクション『戦争は女の顔をしていない』にある通り、史実に則っている。
 ソ連では多くの女性たちが自ら志願し、戦地に赴き、兵士として男たちと肩を並べ闘った。
 いい悪いは別として、ジェンダー平等であった。

 本作の主人公が少年であり、男性狙撃兵チームの物語であったのなら、この作品はおそらく陽の目を見ることはなかったであろう。
 その類いの物語は、小説でもマンガでも映画でも、昔から掃いて捨てるほどある。
 可憐な少女が銃を持つというヴィジュアルに、多くの男の読者は、『セーラー服と機関銃』の薬師丸ひろ子や『エヴェンゲリオン』の綾波レイや惣流アスカのイメージを重ねて萌えるのだろう。(主人公セラフィマの容姿についてはとくに描写されていないが、まず読者は、表紙の美少女を想定して読むことだろう)
 一方、多くの女の読者は、軍隊という究極の男社会の中で、男どもに負けず、男どもを歯牙にもかけず、男どもを蹴散らして、男以上に活躍する彼女たちの姿を小気味よく感じるだろうし、女性ばかりのチームにおける友情や反目や恋愛というテーマに心躍らせると思う。(この作品、宝塚ミュージカル化したらヒット間違いなし)

 『戦争は女の顔をしていない』同様、武器をもって男並みに闘う女性、殺した敵の数を勲章とするような女性に対する周囲の目を描いているところも、読みどころである。
 敵を100人殺した男性兵士は、男の中の男であり、間違いなく国家の英雄として持て囃される。
 敵を100人殺した女性兵士は、英雄と祭り上げられはするが、誰も近寄ろうとしない。嫁に貰おうとしない。
 昨今のトランスジェンダーに対するバッシングに見るように、伝統的なジェンダーを逸脱する人間は、叩かれやすい。
 女狙撃兵たちの戦後は、ともすれば、戦中よりも生きづらい。

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Javier RodriguezによるPixabayからの画像
 
 一方、独ソ戦を舞台に少女スナイパーの苦難や活躍を描くだけでは、たとえ本作が狙撃や独ソ戦に関する綿密な調査を踏まえ、個性あるキャラクターたちや臨場感ある戦闘シーンを描き出すことに成功しているとしても、やはり、クリスティ賞受賞には至らなかったと思う。
 本作にはある種の「どんでん返し」が仕掛けられており、それこそが本作をして、単なる男女の「とりかえばや物語」に終わらせずに『ガリバー旅行記』のような風刺小説の域まで高らしめ、読む者に衝撃を与えて作者のたくらみの妙に感心せしめ、ミステリーの女王の名を冠した賞の栄誉にふさわしいと納得させるトリックである。
 ここまで“萌える少女戦記”として読んできた男たちの足元をすくう結末が待っている。
 そのとき、『同志少女よ、敵を撃て』というタイトルの意味に、読者の胸は射抜かれよう。
 正直、これを書いたのが女性ではなくて30代の男性であることに、ソルティは驚いた。
 それこそ、読者の読みを最初から誤らせる、本作品最大のトリックかもしれない。 
 
 本書を存分に楽しむためには、スターリン独裁下のソ連、ヒトラー独裁下のドイツ、そして独ソ戦の概要を、ネットでざっと調べてから読み始めるのがおススメである。 
 半年待った甲斐はあった。
 
 
 

おすすめ度 :★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損





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