ソルティはかた、かく語りき

首都圏に住まうオス猫ブロガー。 還暦まで生きて、もはやバケ猫化している。 本を読み、映画を観て、音楽を聴いて、神社仏閣に詣で、 旅に出て、山に登って、瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

●読んだ本・マンガ

● 本:『スマナサーラ長老が道元禅師を読む』(アルボムッレ・スマナサーラ著)

2024年佼成出版社

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 曹洞宗祖師の道元禅師が著した『正法眼蔵』の冒頭に置かれている「現成公案」を、テーラワーダ仏教の僧侶であるスマナサーラ長老が解説している。
 と言っても、75の文章からなる「現成公案」の全文ではない。
 「仏道をならふといふは、自己をならふなり」、「たき木、灰となる」、「風性常住、無処不周なり」、「同事といふは、不違なり」など、いくつかの有名なパラグラフ(節)が選ばれているほか、同じ『正法眼蔵』の中の「山水経」と「菩提薩埵四摂法」、および道元禅師の語録である『永平広録』からも一部採られている。
 現成公案(げんじょうこうあん)とは、「禅宗で自然のままに完成されている公案。常に一切の上に仏法が現れていること。」(小学館『大辞泉』)の意。
 スマナサーラ長老は次のように定義している。

「現成公案」とは、「わたしたちの目の前に現れているものは、そのまま真理を表している」ということを言っているのです。

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 数ある大乗仏教の経典や思想書の中でも最も難解とされ、その解釈において仏教研究者や禅僧の間でも議論百出たる『正法眼蔵』を、かつて小乗仏教と揶揄されたテーラワーダ仏教の僧侶が読み解いている。そのことがまず驚きである。
 同じ仏教とはいえ他宗派の僧侶が、曹洞宗の“聖典”である『正法眼蔵』を解説するなど、日本仏教界あるいは日本仏教学会の常識ではなかなかできることではあるまい。
 本家本元にとってみれば、「縄張りを荒らされた」みたいな感を抱くのではないかと、悪名高き日本の縦割り社会の一員であるソルティは思ってしまうのである。
 が、スマナサーラ長老には『般若心経は間違い?』(2007年宝島社刊行)という極めて過激で挑発的な本を出した前歴があり、日本的な忖度とはいっさい無縁なのである。
 それはおそらく、スリランカ出身であるということに加え、「テーラワーダ仏教こそが約2500年前から受け継がれてきたブッダの真の教えである」という確信と自負によるのだろう。
 その盤石な視点から日本の大乗仏教各派の教えを調べ、本来の仏教との同異を指摘することができるわけで、挑戦を受けた大乗仏教各派にとってみれば戦々恐々、容易には論駁しがたいものと想像される。

 とは言え、本書でスマナサーラ長老は『正法眼蔵』もとい道元禅師を批判したり、間違いを指摘したりしているわけではない。
 そこは『般若心経』に対する場合とは異なっている。
 次のように言っている。

 道元禅師は真理を知りたいだけの人でした。だから、日本の歴史で唯一のお坊さんといえると思います。道を求め続けたほんとうに真面目なお坊さんであったと思います。

 テーラワーダ仏教の僧侶として道元禅師を見ると、仏道をしっかり歩んでいるえらい先輩のお坊さんとして見えるんですね。

 禅師には新しい宗派仏教をつくろうという意図はまったくなく、ただひたすらブッダの正法を伝えていきたい、といった思いだけがあったことでしょう。

 高評価である。
 そもそも日本に初来日された折、スマナサーラ長老は駒澤大学で道元禅師を研究したと、どこかで読んだことがある。
 たくさんの“日本仏教”の祖師の中から、空海でも最澄でも栄西でも親鸞でも一遍でも日蓮でもなく、道元を選んだのにはそれなりの理由があったからに違いない。

 一方、道元禅師の限界にも言及している。
 たとえば、「自己をならふといふは、自己を忘るるなり」という『現成公案』の一節に関して、「自己を忘るるとは解脱の境地を語ったもの」と説明したあとで、

 自己がなくなる。物や人が突然姿を消す、消える、存在しなくなるんです。
 同時に、森羅万象も消えてしまいますよ。
 見事な順番で道元禅師は語ったんですよ。
 しかし残念なことに、それをどう実践するかというところまで道元禅師は教えていないんです。
 
 つまり、悟りとはどういうものかを道元禅師は知っていたけれど、そのための方法論を持っていなかったということである。
 これは、スマナサーラ長老と曹洞宗の僧侶である南直哉氏が対談した『出家の覚悟』(サンガ、現在絶版)という本の中でも指摘されていた。
 道諦(悟りへの道)の教えが伝わらなかったこと。それが大乗仏教の祖師たちを苦しめた最大の障壁であった。

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 本書を曹洞宗の僧侶や研究者、なにより草葉の陰(あるいは天界)の道元禅師が読んだらどう思うのか気になるところである。
 すべてをパーリ経典(阿含経典)に説かれたブッダの言葉によって読み解いていくスマナサーラ長老。本日も通常運転である。

 以下、引用。

本来のブッダの教えは、「信仰」ではありません。信心あるいは信仰を求めるものではありません。要するに、「自分とは何なのか、生きるとは何なのか」、それを自分自身で発見することです。

自分の心を観察するためには思考はいらないんです。心を観察するためには、できるだけ思考を停止したほうがいいんですね。
たいせつなのは自分の心の動きを観察することです。それが「自己をならう」ということになります。

一人ひとりの人生が禅なんです。
そこに自分はいない。他人もいない。
ただ単に現象が、そのままあらわれているだけ。
だから人生が全部、禅そのもの。


  サードゥ、サードゥ、サードゥ。





おすすめ度 :★★★★

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     読み損、観て損、聴き損




● 本:『世界はありのままに見ることができない』(ドナルド・ホフマン著)

2019年原著刊行
2020年青土社(訳・高橋洋)

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 非常にスリリング、かつ啓発的、かつ面白い、かつ難しい本であった。
 難しさの理由は二つ。

 一つは、本書が最先端の科学イシューを扱っているからで、進化生物学を基盤としつつ、神経科学、脳生理学、遺伝学、宇宙物理学、相対性理論、量子力学、色彩工学、情報理論など様々な科学分野を自在に横断し、いきおい科学用語や科学理論が科学者の名前とともに頻繁に出てくるからである。
 しかも、著者が自らの理論を説明するのにもっぱら利用するのが、インターフェースとかアイコンとかデスクトップとかファイルといったコンピュータ用語。
 科学オンチ、ITオンチの文系人間であるソルティには敷居が高い。
 
 今一つの理由――多くの読者にとってはこっちのほうが乗り越えがたい敷居かもしれない――は、本書で著者が主張しているテーマが、我々が普通に抱いている直観(世界把握)に反するからである。
 それはちょうど、天動説をあたりまえと思っている16~17世紀の人々が、「いや、動いているのは地球だ。地球は自転しながら公転している」という地動説を聞かされた時に感じたのと同様レベルの「バカらしさ、わけのわからなさ、受け入れ難さ」を読者にもたらす。
 つまり、本書は読者の認識に「コペルニクス的転換」を迫るのだ。

 本書を手に取って、「おや?」とすぐに気づくが、プロフィールが掲載されていない。
 著者ドナルド・ホフマンのプロフィールだけでなく、訳者の高橋洋のそれも載っていない。
 たいていの本のカバーや奥付には著者プロフがあり、とりわけ名の知れた学者先生の書いた本なら、錚々たる輝かしき履歴が、高い学識&教養をうかがわせる顔写真とともに掲載されるのが常である。
 日頃それに慣れている本好きにしてみれば、「どこかにあるはず」と本をひっくり返しプロフを探してしまうのも無理なかろう。(探してみた)

 訳者のプロフがないのは原著者のそれがないからに違いない。原著者がプロフを載せていないのに、訳者だけが載せるわけにはいくまい。
 おそらく、ドナルド・ホフマンは確信犯的にプロフを載せることを拒絶したのだろう。
 そこにまさに、「プロフィールを先に読むことによる先入観や固定観念を持って本書に臨んでほしくない」、「あらゆるバイアスから自由になって、書いてあることを虚心坦懐に精査してほしい」という著者(と出版社?)の思いを汲み取ったのだが、うがち過ぎ?

 本書でドナルドが読者に迫る「コペルニクス的転換」とは何か。
 それを上手く言い表しているのが、邦題『世界はありのままに見ることができない』である。
 原題のTHE CASE AGAINST REALITY は「対リアリティ裁判」といった意で、アメリカの科学者が一般大衆向けの本を書くときにやりたがる、ちょっと気の利いたジョークを狙ったネーミング――代表的な例がSelfish Gene「わがままジーン=利己的遺伝子」――だと思うが、これを上記のように邦訳したのはグッジョブ!

 あなたがスプーンを見ているあいだ、それは存在している。だが目を離すやいなや、スプーンは存在しなくなる。何かが存在し続けるのは確かだが、それはスプーンではないし、時間と空間の内部に存在するのでもない。スプーンとは、あなたがその何かとやり取りする際に構築するデータ構造、すなわち適応度利得と、その獲得方法をめぐってあなた自身が作り出した記述なのだ。
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qwer6695571によるPixabayからの画像

 いったい何を言っているのやら、首をひねる人も多いと思う。 
 これはソルティ流に解釈すると、認識と存在の関係を語っている。
 我々人類を含む地球上に存在する生命(種)は、各々に備わっている知覚(=認識システム)を通して外界を見ている。つまり、それぞれの生命が見ている(受け取っている)世界の姿は異なっている。
 いかなる生命(種)も、「ありのままの世界(存在)」を認識してはいない。

 なぜ、そういうことが起こるかと言えば、生命の至上目的は「生き残って子供をつくること」にあるからで、それぞれの生命は与えられた環境の中でその目的を果たすために“最適化”されている。生き残って子供をつくるために役立つ遺伝情報が、ほかのすべてに優先されて、子孫に受け継がれていく。
 当然、知覚(=認識システム)も然り。
 「ありのままの世界」(本書では「実在」と訳されている)を認識することは二の次、三の次であって、優先されるべきは、環境にうまく適応し自然淘汰(種としての絶滅)を免れるために役立つ知覚(=認識システム)を備えることである。
 同じ趣旨のことが、『なぜ今、仏教なのか――瞑想・マインドフルネス・悟りの科学』(ロバート・ライト著)に書かれている。

 ダーウィン由来の進化生物学から導き出されたこの理論を、著者はFBT(Fitness Beats Truth)定理と呼んでいる。

FBT定理:少なくとも(N-3)/(N-1)の確率で、適応度戦略は真実戦略を絶滅に追いやる。

 FBT定理は「空間、時間、形、色調、彩度、明るさ、肌理、味、音、におい、運動などの知覚の語彙は、実在をありのままに記述することができない」という結論を導く。

 それぞれの生命(種)がやっているのは、与えられた知覚(=認識システム)によって、ありのままの世界(実在)という素材から、種ごとの固有の“世界”を作り出すことである。
 ソルティ流にいえば、我々は存在しているものを認識しているのではなく、認識したものを存在させている。

 ここでの知覚の働きを、ドナルドはパソコンのデスクトップ画面のようなインターフェースにたとえ、知覚のインターフェース理論(ITP)と呼んでいる。

 インターフェースは自然選択によって形作られ、生物種ごとに、さらには同じ生物種でも個体ごとに異なりうる。

 ITPの主張によれば、進化は私たちの感覚を、人間の必要性に調整されたユーザーインターフェースになるよう形作ってきた。インターフェースは実在を隠し、私たちが生きる生態的地位のもとで適応的行動を導く。時空は私たちのデスクトップ画面であり、スプーンや星のような物体はホモ・サピエンスが持つインターフェースのアイコンなのである。空間、時間、物体に対する私たちの知覚は、真正たるべく、すなわち実在を開示したり再構築したりするために自然選択によって形作られたのではない。子供を生み育てるのに十分な期間生き残れるよう形作られてきたのだ。

 FBT理論によれば、人間の感覚が自然選択によって形作られたのなら、私たちは実在をありのままに見ていない。ITPによれば、私たちの知覚は人類固有のインターフェースをなす。また知覚は実在を隠し、子どもを生み育てることを支援する。時空はこのインターフェースのデスクトップ画面であり、物体はそのなかのアイコンである。
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DeactivatedによるPixabayからの画像

 驚くべきことに、我々が外界に見ている物体のみならず、時間や空間さえも!「実在=ありのままの世界」ではないと述べている。
 ここまで来ると最早、映画『マトリックス』に出てくる、ポッドの中で脳に電極をつながれ、コンピュータによって作られた仮想現実を“本物と信じて”生きている人々とさして変わりない。
 我々が体験している“世界”はバーチャルリアリティであり、夢とよく似た脳内現象だと言っているに等しい。

 「それはちょっと言い過ぎだろう」とさすがに思ったが、ドナルドは本気である。
 どころか、量子論やホログラフィック原理、あるいはホーキング博士のトップダウン宇宙論など最先端の理論物理学の成果によれば、「時空は存在しない」という命題は絵空事ではなくなりつつあるのだと言う。
 現代科学はそこまで来ていたのか!

 著者がFBT定理(適応>真実)の証拠の一つとして採用しているのが、錯覚である。
 何もないところに線を見たり図形を見たり色を見たり、一つの図形が見方によって向きを変えたり、同じ一つの色が周囲に置かれた色との関係によって異なった二つの色に見えたり、あるいは、同じ人物が履いている同じ型のジーンズが、尻ポケットのデザインや縫い目の曲線一つで一段とセクシーに見えたり・・・さまざまな錯覚の例が紹介されている。
 錯覚は、我々の知覚が“事実”をいかに歪めてしまうかを示す恰好の例なのである。
 カラーページもあって、この章はとても面白い。

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(本書中のカラーページより)

 人類を含む生命の形質や機能のすべてを、種の存続のための自然淘汰の結果とする、すなわち進化生物学に還元させるドナルドの言説には、ソルティはやや強引なものを感じる。
 子供をつくることだけが、人類の唯一の存在理由であり目的なのか!――という問いが反射的に浮かんでくるのは、ソルティがゲイで子供を持たないからだけではあるまい。
 「それを言っちゃあ、おしまいよ」という寅さんのセリフがどこからか聞こえてくる。
 つまり、それだけが目的なら、人類は動物となんら変わりなく、つまらない存在である。
 人類が作り上げてきた文化や文明に対する侮辱のようにすら感じられる。
 そもそも、「子供をつくるため」だけなら、人類にこれほどの知能は必要なかったろう。

 人類が、「生きるとはなんぞや?」といった哲学や本書のように“不都合な真実”を暴いてしまう科学を持つこと自体が、ドナルドの示す「生の目的」の反証のように思われる。
 というのも、難しいことを考えたり、生きる意味をあれこれ悩んだりしない人間のほうが、ばんばん子供を作るだろうから。(十代のヤンキーのように←偏見?)
 「なぜ?」という問いをもつ生命が作り出されたことは、人類の使命というか大自然の目的に単なる種の存続以上のものがあることを含意しているのではなかろうか。

 それとも、「なぜ?」という問いを持ったがゆえに、人類は地上の生物間の生存競争に敗れ絶滅する運命にあるのだろうか?(少なくとも、西洋近代哲学&科学にかぶれることなく、アッラーの命じるがままに子供をつくるムスリムのほうが、生き残る可能性が高いのは確かである)

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Muzammil Ibn MusthafaによるPixabayからの画像

 さて、最後に残された問題は、ずばり、「実在とはなにか?」である。
 知覚(=認識システム)を超えたところにある“何か”
 見ることも、聞くことも、嗅ぐことも、味わうことも、触れることも、心に描くことも、それについて考えることも、言葉にすることも、まったくできない“何か”
 “何か”とはなにか?
 ここに至って、話はスピリチュアリズムに、とりわけ仏教に近接する。 
 すなわち、
  •  諸行無常=世界は変化し続ける
  •  諸法無我=世界は実体を持たない
  •  因果法則=世界は因縁でできている(カルロ・ロヴェッリ著『世界は「関係」でできている 美しくも過激な量子論』を参照のこと)
  •  不立文字=悟りは文字や言葉で表せない
  •  解脱=輪廻転生(認識する生命体として生まれ変わること)から自由になる
  •  涅槃寂静=解脱したあとの境地
 思うに、仏教の悟りとは、正しい修行の果てに認識システムが一瞬壊れ、ひょいと「実在」を垣間見てしまうことなんじゃないかなあ。

 著者は、実在を説明するのに、コンシャスリアリズム(意識的実在主義)という用語を用いている。

 コンシャスリアリズムは、「時空や物体ではなく意識こそが根本的な実在であり、それは意識的主体のネットワークとして定義される」

 コンシャスリアリズムは、いかなる物体も意識を持たないと主張する。私が岩を見ると、岩は私の意識的経験の一部となる。しかし岩それ自体に意識はない。私が友人のクリスを見ると、私は自分が作り出したアイコンを見るが、アイコンそれ自体は意識を持たない。私が持つクリスのアイコンは、意識的主体の豊かな世界に臨む小さなポータルを開く。

 すべては意識であるというは、なんだか唯識論にとっても近い。
 というか唯識論そのもの?
 意識的主体=阿頼耶識? 
 仮に、この意識的主体を「神」と言ってしまえば、「神は万物の創造主」、「すべては神の御手のうちにあり」、「神は我々一人一人の中にあらします」、「神は一にして一切である」と表現することもできそうだ。
 最先端の科学ロケットの向かう先に、結局、人類は「神」を発見するのだろうか?
 それが「生の目的」ってことがありうるだろうか?




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● 本:『ブッダの瞑想修行』(石川勇一著)

2023年サンガ新社

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 「ミャンマーとタイでブッダ直系の出家修行をした心理学者の心の軌跡」という副題そのままの本である。
 あえて補足するなら、ミャンマーとタイは、中国を通じて日本に伝わった北伝仏教(いわゆる大乗仏教)ではなく、スリランカを通じて東南アジアに伝わった南伝仏教(かつて小乗仏教と卑称された)の国であり、そこでは約2500年前に説かれたブッダの教えが、サンガ――律(規則)を持った出家者の集団――というシステムによって現代まで脈々と伝えられてきた。
 「ブッダ直系の出家修行」とはそのサンガの一員になるということである。

 著者の石川勇一は1971年生まれ。
 修験道やアマゾンでのシャーマニズムの行者体験を持ち、臨床心理を実践するカウンセラーであり、心理学を教える大学教授であり、山中湖の近くに法喜楽堂という修行道場を主宰するスピリチュアルティーチャー(導師)である。
 肩書は賑やかなれど、石川にとって最も重要なアイデンティティを一言でくくれば、原始仏教徒ということになるだろう。
 本書は、原始仏教徒である在家の男が、テーラワーダ仏教の本場の国に渡航しておこなった短期間の出家体験を記したものである。
 2014年1~3月ミャンマーの「パオ森林僧院モービ支部シュエティッサ僧院」、および2020年1~3月タイの「プラプットバートタモ寺院」がその舞台である。

 昨今、日本でもテーラワーダ仏教を学ぶ人が増えているので、タイやミャンマーやスリランカといったテーラワーダ仏教国における日本人の出家体験記も珍しくなくなった。
 たとえば、ミャンマーで出家し17年間の比丘生活を送った西澤卓美(出家名ウ・コーサッラ)による『仏教先進国 ミャンマーのマインドフルネス』(2014年、サンガ)など、読みやすく面白かった。
 が、前世紀までこの手の本は稀少だった。
 もはや古典的地位を占めているものとして、人類学を学ぶ大学院生だった青木保が約6ヶ月の出家体験を綴った『タイの僧院にて』(1979年)がある。
 ソルティは、テーラワーダ仏教に出会う前の2000年頃にこれを読んだ。
 そこには、日本の仏教とも、お寺とも、坊さんとも全然違う、タイの仏教があり、寺院があり、出家者の姿があった。
 加えて、初詣かお葬式か法事の時しかお寺に行かず、普段はお坊さんと密なかかわりを持たなくなった多くの日本人とはまったく違う、タイの在家信者の姿があった。 
 同じ仏教国でも日本とタイではずいぶん違うんだなあと興味深く読んだ。

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読み直したい一冊

 一方、当時はオウム真理教地下鉄サリン事件(1995年)の影響甚大で、社会全般に宗教に対する忌避感がとても強かった。
 ソルティも、宗教とは「迷信深く、何かに依存しないと自らを保てない人の阿片」という、いささか“偏った”イメージを抱いていて、無神論者・無宗教者を軽い優越感をもって自認していた。
 なので、『タイの僧院にて』を読んでも、文化人類学的あるいは比較文化論的あるいは旅行ガイドブック的な興味以上のものは持てなかった。
 そもそも著者の青木もまた、「テーラワーダ仏教に感銘を受けそれを深く学ぶため」に、あるいは「瞑想修行して煩悩を減らすため」にタイ行きを決心したわけではなく、文化人類学者(の卵)としての異文化への興味、及び、モラトリアムにぐずっていた自身を「冒険によって再生」させることを期しての出家修行だったので、そこに仏教の真髄に触れるような記述は少なかったように記憶する。
 結果的には、タイでの出家修行は青木青年に通過儀礼とおぼしき深甚な変容をもたらすことになり、そこに読者は爽やかな感動を覚える。
 つまり、『タイの僧院にて』の面白さは、文化人類学レポート+ビルディングスロマン(教養青春小説)ってところにあった。(青木保氏がその後仏教徒になったかどうかは不明)

 それに対して、石川勇一の出家の目的はまさに、「仏教を深く学び瞑想修行によって煩悩を減らす」ことにあり、本書の記述内容はその一点に向かって絞られ、構成されている。
 石川自身のスピリチュアル修行遍歴、テーラワーダ仏教との出会い、ミャンマーやタイで出家修行しようと思った動機といったセルフヒストリーはもちろんのこと、渡航までの具体的な手続きや準備、各僧院での出家儀式やサンガの日常風景、修行仲間の僧たちの横顔、そして何より、各種の瞑想方法に関する知見や洞察、自身の修行の進展や成果が、非常に細やかにわかりやすく、「ブッダに握拳なし」の言葉通りに率直に書かれている。
 さらに、臨床心理学やトランスパーソナル心理学の専門家ならではの夢分析や自己分析も本書の魅力の一つとなっている。
 巻末に付けられている「ブッダの教えを理解するための基本用語解説」も、きわめて適確な内容で、読者が仏教をより深く理解するのに役立つとともに、瞑想修行で石川が確かめた智慧や至った境地がいかなるものであったかを反映するものとなっている。
 テーラワーダ国での出家を考えている読者にとっても、普段“ブッダの瞑想”を実践する者にとっても、恰好のガイダンスとなるのは間違いない。

 それにしても、『タイの僧院にて』は79年に出版された本だが、どうやら半世紀近く経っても、タイのお寺の様子、サンガの日常、出家者に対する在家者の敬愛の念はほとんど変わっていないようだ。
 この伝統の堅持ゆえに、約2500年前のダンマ(ブッダの教え)が継承されてきたのである。
 すべてが無常の世にあって、珍しく、かつ、貴いことである。

 以下、引用。

 修行者は、欲望を満たすことによる喜びとは異なる、欲望から自由になったことによる清らかな喜びを知るがゆえに、修行を続けることができるのです。ただ苦しいだけならば、ほとんどだれも修行を続けることはできないでしょう。修行には確かに忍耐は必要ですが、優れた清らかな喜びがあることを知れば、さらにやる気が出てくるものです。

 人間として体験できることの中で、出家修行は最上だろうと思います。それは解脱につながる出世間の正しい修行だからです。世間のいかなる体験も、出世間の体験には及びません。

 人生は無意味なことでとても忙しいので、修行をしない理由を見つけることは簡単です。しかし、言い訳ばかりをして生きるほど虚しいことはありません。本当に意味あることを見つけたら、あとはやろうと心に決断すれば、きっと機会は得られるでしょう。

 サードゥ、サードゥ、サードゥ。




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● 本:『聖なる女 斎宮・女神・中将姫』(田中貴子著)

1996年人文書院

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 著者の田中は1960年京都生まれの国文学者。
 中世の説話と女性の問題などを研究している。

 本書は一種の「聖女論」である。
 日本史や古典物語に登場する日本の聖女たち――中将姫、伊勢神宮の斎宮、京都賀茂神社の斎院、天皇の娘である内親王――の半生やその語られ方の変容を通して、日本における「聖女」の意味を問うたものである。
 田中はまた『〈悪女〉論』も書いているようだ。

 中将姫についてはよく知らん。
 ――と思っていたら、実は子供のころからよく見かけていた。
 バスクリンで有名な津村順天堂のロゴマークが中将姫だったのだ。

津村のロゴマーク

 明治26年(1893)、弱冠23歳の津村重舎は婦人薬「中将湯」の製造販売で、津村順天堂を創業しました。中将湯は、藤原豊成(藤原鎌足の孫)の子「中将姫」が、仏の道に仕えた奈良の当麻寺で学んだ薬草の知識を基に、庶民に施したことが由来とされ、創業当時から巻物を持つ「中将姫」が商標登録されています。大正時代後半からは、挿絵界を席巻した人気画家高畠華宵を中将湯の広告に起用しました。華宵の描いた「中将姫」は時代の移り変わりとともに姿を変えましたが、それぞれの時代の理想の美人像として長年にわたり親しまれてきました。昭和63年(1988)社名を株式会社ツムラに変更し、ロゴマークも変更しましたが、「中将姫」は今も中将湯のパッケージから人々の健康を見守っています。
(『日本家庭薬協会のホームページより』)

 歴史物語上の中将姫は、しかし、薬草学とは別の意味で有名だった。
 「継子いじめ」である。

 幼少より信心深かった中将姫は、父である藤原豊成が新たに迎えた北の方(継母)にいじめられ、山中に捨てられる。が、臣下に助けられて生き延びる。長じてその美しさが知れ渡り、后として入内するよう求められるも、信仰の心やみがたく、16歳にして奈良の當麻寺(たいまでら)にて出家する。

 昔から「継子いじめ」と言えば中将姫で、説話や歌舞伎にもなっているらしいが、ソルティはとんと知らなかった。
 ソルティにとって「継子いじめ」と言えば、シンデレラや白雪姫や『ヘンゼルとグレーテル』などの西洋童話である。
 日本なら、高校の古文で習った『落窪物語』と三浦綾子の『氷点』くらいであろうか。
 當麻寺には、中将姫が一夜で織ったという4メートル四方の曼荼羅がある。
 極楽浄土の教えが壮麗に描かれているという。(基本非公開)
 中将姫は、后の位を断り仏門に入ることで、“聖なる女”をまっとうしたのである。

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 伊勢の斎宮や賀茂の斎院は、代々、未婚の天皇の娘すなわち処女の内親王が選ばれることになっていた。
 斎宮の逸話で有名なのは、『源氏物語』の六条御息所の娘(のちの秋好中宮)、そして鎌倉時代初期に描かれた王朝ポルノ絵巻『小柴垣草紙』であろう。
 もっとも、前者は物語中の架空の斎宮であるし、後者は斎宮になる前に行う野々宮(京都嵯峨野)での潔斎中に、武士の平致光と密通してしまい任を解かれるので、伊勢には下らなかった。
 『小柴垣草紙』のヒロインは醍醐天皇の孫にあたる済子(なりこ)内親王であったと言われるが、ほかにも、伊勢の斎宮になったあとでも男との密通がばれて解任されるケースはあったらしい。
 聖なる女として人々から崇められた女性が、一転、男に穢され、性愛の淵を惑い、俗に転落したときの世間の好奇と非難の目はどれだけ厳しかったことか。(しかし、男とまぐわうこと=「穢れ」なら、男自体が「穢れのもと」ってことにならないか?)

伊勢神宮内宮
伊勢神宮内宮

 秋篠宮家の真子様の例を持ち出すまでもないが、昔から皇族の娘の身の振り方には難しいものがあった。
 身分の釣り合う男は同じ皇族しかいないのだから、適当な相手がいなければ、臣下に嫁ぐか、生涯未婚のままでいるほかなかった。
 斎宮や斎院として選ばれたところで、御代が変われば任は解かれる。
 “聖なる女”としての箔がついただけに、その後の身の振り方は難しいものとなる。
 本書には、平安末期から鎌倉時代に書かれた『鎌倉物語』に登場する内親王たちが、男女関係の中で翻弄される姿が紹介されている。
 「聖」をずっと保ち続けるには、中将姫のように出家するほかなかったのである。

 それにしても、洋の東西問わず、聖人にしても聖女にしても、異性との交わりのないことが求められる。
 「聖」の意味を探ることは、「性」の意味を探ることと等しいのだと思う。





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● クイーン的問題? 本:『ダブル・ダブル』(エラリー・クイーン著)

1950年原著刊行
2022年ハヤカワ・ミステリー文庫(訳・越前敏弥)

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 クイーン後期のライツヴィル物。
 童謡『マザーグース』の次の歌詞になぞらえて人が死んでいく、いわゆる見立て殺人物である。

Richman, poor man,
金持ち、貧乏、
Beggarman, thief,
乞食、泥棒、
Doctor, lawyer,
医者、弁護士、
Merchant, chief.
商人、首長。

 趣向は面白い。
 が、犯人がそもそも見立て殺人を行った動機があまりにナンセンス。
 歌詞の途中に出てくるある職業の男を怖がらせて遺言書を書かせるためというのだから。
 しかも、蓋を開けてみれば、殺された男が残した遺言書には犯人の名が挙げられていなかったのだから、とんだ無駄骨。
 というか、こんな不確実な動機で世話になった恩人を殺す犯人像のリアリティの欠如が受け入れ難い。
 結末の意外性もなく、奇抜なトリックや殺人方法があるわけでもなく、探偵(エラリー)の推理が目覚ましいこともない。
 エラリー・クイーン作でなければ生き残ることのない駄作である。

 せめてもの美点は、ヒロインであるリーマおよびレコード新聞社の女社長マルヴィナ・プレンティスの人物造型。
 狼少女のごと現代社会から隔絶した環境で育てられたリーマの無垢と野生的魅力が、奇抜なファッションに身を包み蓮舫か田中真紀子のごとく傲岸に振る舞うマルヴィナの強烈な個性と競い合って、作品の魅力をなしている。

 それにしても、なぜ独身のエラリーはリーマに魅かれているのに口説かないのだろう?
 親子ほどの年齢の差があるとはいえ、リーマは成人しているのだから問題あるまいに。
 やっぱり、エラリーはクイーン(米俗語で「同性愛者」)だったのかな?




 
おすすめ度 :

★★★★★ 
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★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損


● 本:『唐牛伝 敗者の戦後漂流』(佐野眞一著)

2016年小学館より刊行
2018年文庫化

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 唐牛とは中国産の闘牛のことである。
 愛媛宇和島名物の闘牛大会では、世界中からやって来る並みいる猛牛どもを一突きのもとに打ち倒し、最多優勝回数を誇っている。
 ――というのは冗談で、60年安保闘争の立役者として名を広めた唐牛健太郎(かろうじけんたろう)のことである。
 
 恥ずかしながら、ソルティはこの男を知らなかった。
 安保闘争と聞いて名前の上がる学生闘士と言えば、60年安保ならデモ中に亡くなった樺美智子、70年安保なら全共闘議長でその後予備校の講師となった山本義隆がせいぜい。
 とくに、東大安田講堂陥落や連合赤軍あさま山荘事件といった、メディアにたびたび取り上げられヴィジュアル的に映える大事件を有する70年安保に比べれば、60年安保は地味な印象があった。

 60年安保の主役が唐牛であり、ブント全学連だったのに対し、70年安保の主役は北小路であり、中核派や革マル派に指導された全共闘だった。こうした変化に伴い、理論的支柱も変わった。
 60年安保のオピニオンリーダーは清水幾太郎であり、丸山眞男だった。これに対して70年安保の理論的支柱は、俗受けする『都市の論理』などのベストセラー本を書いた羽仁五郎に変わった。

 去る6月3日に放映されたNHKドキュメンタリー『映像の世紀 バタフライエフェクト』で60年安保闘争が取り上げられているのを見て、はじめて唐牛健太郎という人物を知った。
 唐牛は当時北海道大学の学生で、安保反対に立ち上がった全国の学生を束ねる全学連(全日本学生自治会総連合)の委員長だった。
 石原裕次郎ばりの長身のイケメンで、国会前のデモでは警察の装甲車に飛び乗って演説をぶちかまし、その後警官隊にダイブするなど行動力抜群の頼れるリーダーであった。
 たしかにカッコいい。
 がしかし、ソルティがこの男に興味を抱いたのは、安保闘争当時の唐牛の勇姿を映した白黒のニュース映像を見たからではなく、その10年後にNHKが北海道紋別のトド撃ち名人のドキュメンタリーを制作したときに、たまたま乗組員の一人として登場することになった漁師姿の30代の唐牛のカラー映像を見たからである。

 20代で革命の闘士として全国的に名を馳せた英雄が、闘争に敗れて漂流し、30代には最果ての北の海でトドやアザラシを撃っている。
 しかも、唐牛は一番下っ端の乗組員で、漁師たちの食事の賄いや甲板の掃除など雑用を引き受けている。
 と書くと、都落ちしたかつてのヒーローの零落とか失意の人生とか想像してしまうところだが、船上でインタビューされている唐牛は、姿かたちこそすっかり中年オヤジと化しているが――70年代の30歳は令和現在の50歳くらいの見当だろうか――その表情はあくまで人懐っこく純粋で、自己卑下したところも、世を恨んで拗ねたようなところも、見栄を張って強がっているところも、連合赤軍の残党のように一発逆転を狙って虎視眈々と闘志を燃やしているようなところも、おそらく久しぶりのマスコミの取材に緊張しているところもなく、およそ自然体で、笑顔が可愛い。
 「なんか面白いオヤジだなあ~」と思って、この男のことが知りたくなった。
 図書館で蔵書検索してみたら、この本がヒットした。

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60年安保当時の唐牛健太郎

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1971年紋別で漁師をやっている唐牛健太郎

 佐野眞一の本は、ソフトバンク創業者の孫正義の半生記『あんぽん』を読んだことがある。
 毀誉褒貶ある作家で、外連味(けれんみ)たっぷりの文章を書く。
 たとえば、妙に偶然や符牒を強調したり、あえてドラマチックな見方をしてみたり。
 「一昔前の(昭和時代の)立志伝だなあ~」と、いささか辟易するところもある。
 が、自在なフットワークと徹底した取材は大いに称讃すべきで、対象とする人物に対する愛情と尽きせぬ興味が、紙面から伝わってくる。
 『あんぽん』同様、面白く読んだ。(しかし、「あんぽん」の次は「あんぽ」って、偶然にしては面白い)

 それにしても、唐牛健太郎(1937‐1984)の47年の人生は波乱万丈、そのキャラはあまりにも濃くてユニーク、活力と人たらしの才能は無尽蔵、人脈の広さには端倪すべからざるものがあり、成るべくして全学連のリーダーに成ったのだなあと、納得至極であった。
 安保闘争に加わらなかったら、別の分野で大成していたであろうことは間違いない。
 運動から身を引いたあとの人生は、まさに「無頼」という言葉がぴったり。

 名利は求めず、あるときは居酒屋の親父、あるときは長靴姿の漁師、あるときは背広とネクタイに身を固めたコンピュータのセールスマン、そしてあるときは徳田虎雄の選挙参謀となって買収作戦を指揮・・・・

 北はオホーツク海、南は九州、与論島と流れのままに各地に移り住み、親友から奪った2番目の妻とともに四国遍路を巡り、どこに行っても自然と周りに人が集まり酒宴が始まる。
 その人脈は一般によく知られる名を上げるだけでも、評論家の吉本隆明、鶴見俊輔、西部邁、経済学者の青木昌彦、大物右翼の黒田清玄、山口組三代目組長の田岡一雄、日本人で初めてヨットでの太平洋横断に成功した堀江謙一、作家の長部日出雄、桐島洋子、ジャーナリストの岩見隆夫、歌手の加藤登紀子、そして医療法人徳州会を立ち上げた徳田虎雄・・・・・錚々たる異色の顔触れである。
 安保闘争の敗者という事実を、あるいは富や栄誉や名声や成果という尺度でみた人生の“勝ち負け”を超越したところで、とても面白い人生を、たくさんの友人や素晴らしい伴侶に恵まれて目一杯生き抜いた男であったのは間違いない。
 それに比べたら、国家の命令に唯々諾々と従って、唐牛の行く先々に現れて監視を続けていた公安職員の人生の、なんとみじめなことか!
 同時代の仲間たちは、挫折して孤独のうちに漂流する唐牛の姿に、映画の中の高倉健を重ねていたらしいが、ソルティはむしろ、寅さんこと渥美清演じる車寅次郎に近い印象を受けた。
 そこには、市井の庶民に対する、ブルーカーラーに対する強い共感や誇りがあり、自らは決して“上級国民”やホワイトカラーにはなるまいという強い自負と覚悟を感じた。

 「まえがき」ほかで佐野はこう記している。

 本書の目的は、60年安保時代に生きた日本人といまの時代に生きる日本人の「落差」を書くことにあったと言っても過言ではない。

 60年代の日本及び日本人と現在の日本及び日本人では時代を超えて明らかに世界観のスケールが、つまり人間の器の大きさが全く違ってしまった。

 左右のイデオロギーは問わない。60年安保の当時煮えたぎっていた日本民族のエネルギーはどこに消えてしまったのだろう。

 上記の「60年安保」を「70年安保」と変えてもよいと思うが、本書を読んで、あるいは前述のNHKドキュメンタリーを観てソルティが思ったのは、まさにこれにほかならない。
 日本人のエネルギー、特に若者ならではの既成権力に対する反抗心はどこに行ってしまったのか?

 ソルティはいわば「幻の80年安保」世代と言っていい生まれなのであるが、たしかに、権力と闘うという発想や気運は世代的に希薄であった。
 社会を見渡しても、社会党や共産党などの野党や新左翼の残党たちの、すでにマンネリ化し日常風景の一つとなった“反体制”仕草が視野の片隅に入るだけで、それはどちらかと言えば、時代遅れでダサいものと映った。
 89年のベルリンの壁崩壊や中国天安門事件、その後のソ連消滅につづく世界的な共産主義の衰退は、左翼運動の時代遅れ感を浮き彫りにした。
 すなわち、歴史の終わりが宣言された。
 
 70年安保以降の日本及び日本人の政治的傾向には、こうした全世界的な左翼思想の失墜、連合赤軍事件に終わった革命運動に対する反省や嫌悪、巨大な権力機構を打ち倒すことの困難なることを骨の髄まで悟ったこと、日本人のエネルギーが政治運動から経済による世界制覇に向けられたこと、そして、高度経済成長からバブルに至る「豊かさ」の中で一億総中流となった国民が、生活に満足し戦意を喪失したことが、影響しているのではないかと思う。
 戦争のない平和な社会で、衣食住足りて、面白い娯楽がたくさんあるのに、なぜ闘う必要がある?
 何十万というデモ隊が国会を取り囲んだ60年安保、70年安保でも、体制を引っくり返せなかったというのに・・・!

デモする人々

 ソルティが不思議に思うのは、全学連や全共闘の若者たちが将来を棒に振る危険を冒してまでどれほど必死に闘おうが、左翼陣営が連帯を組んで大衆に「反戦・反米・反安保」をどれほど声高く呼びかけようが、結局、日本国民は戦後約65年間、自民党を支持し続けたってことである。
 自民党が戦後はじめて野に下ったのは、安保の「あ」の字ももはや人々の口に登らなくなった2009年のことである。
 いかなるデモやテロリズムも、選挙による政権交代ほどの威力はない。
 60年安保も70年安保も、大多数の国民の意識を変えられなかった、自民党以外の政党に票を投じようという気持ちを抱かせられなかった、そこに一番大きな敗因があると思うのだが、違うのだろうか?

 と言って、ソルティは60年安保や70年安保が「壮大なゼロ」、すなわち無駄だったとは全然思わない。
 60年安保はA級戦犯上がりの岸信介首相(安倍元首相の祖父である)を退陣させ、それ以上のバックラッシュ(保守反動)を防いだし、70年安保は政治運動のあり方について国民に考えさせるきっかけを作った。
 抵抗勢力がなければ、権力は思うがまま振舞うことができる。
 大衆が何もしないでお上に任せていたら、中国やロシアや北朝鮮、ひいてはナチスドイツや大日本帝国のような管理主義ファシズム国家になってしまいかねない。
 勝算があろうなかろうが、体制批判の声を上げることは大切である。

 唐牛は面倒見のよさと人を思いやる人情味の篤さではピカ一だった。これは生前の唐牛を知る関係者が口を揃えて言う言葉である。

 唐牛はなぜこれほど多くの人間から慕われたのか。
 私が推察するところ、それは唐牛に嫉妬心というものがほとんどなかったからではないかと思っている。男の嫉妬心は女の嫉妬心より粘着質で厄介なものだが、唐牛には時に戦争を起こす男の嫉妬心とは無縁だった。
 とりわけ学生運動という男の集団では、嫉妬心が権力闘争の導火線となる、その嫉妬心がゼロに近く希薄だったことが、唐牛が周囲に爽やかな印象を刻む最大の要因ではなかったか。

 NHK『映像の世紀 バタフライエフェクト』で目撃した30代の唐牛健太郎の漁師姿になぜ自分が惹かれたのか。
 その答えはここらにあるようだ。




おすすめ度 :★★★★

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● 本:『タブーの正体!』(川端幹人著)

2012年ちくま新書

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副題:マスコミが「あのこと」に触れない理由

 ここ数十年のマスメディアにおける三大タブーを暴いた森永卓郎著『書いてはいけない』が、2024年上半期ベストセラーの17位にランクインした。
 ビジネス本の中では第3位という快挙である。
 ――のわりには、TVや新聞など大手メディアが、この本を紹介したり、書評に取り上げたり、著者の森永を取材したりしていない様相が、まさに森永の指摘が正鵠を射ていることを証明しているようで興味深い。
 森永はテレビ出演多数の著名人であり、末期ガンと闘う男というニュースバリューもあり、暴いたテーマの一つが最近タブーが解けてマスメディアの猛省が求められたジャニーズ事件というホットな話題であるにも関わらず・・・。
 残り二つのタブーは、財務省の財政均衡主義による増税礼讃(ザイム真理教)と1985年8月12日に起きた日航123便墜落事故である。

 マスメディアが敢えて取り上げたがらないテーマは他にもたくさんある。
 すぐに思いつくだけでも、天皇制、被差別部落、創価学会、原発、自衛隊、憲法9条、靖国参拝、在日米軍基地。ちょっと前までは、安部晋三元首相批判や旧統一教会もそうであった。
 昭和の頃はそれでも、田原総一朗司会『朝まで生テレビ』(テレビ朝日系列)あるいは『噂の真相』のような、タブーとされるテーマを果敢に取り上げる番組や雑誌があって、多くの国民は「そこにタブーがあること」を知り、「それがタブーとなっている理由」について納得しないながらも了解することができた。
 それが昨今は事情が違ってきた、と川端は語る。

 以前であれば、自主規制や圧力によって報道が封殺されると、メディアの内部でなぜ報道できないのかという経緯、つまりタブーの理由が問題となり、それが外部にも漏れ伝わってきた。ところが、数年前から、「タブーだから」「その話はヤバイから」という一言だけで簡単に報道がストップされるようになり、理由について説明したり、議論したりということがほとんどなくなってしまったのである。
 最近では、ある事実の報道を「タブーにふれるから」と封じ込めた当事者が、なぜそれがタブーになっているのかを知らないという事態まで起きている。(表題書より引用、以下同)

 あたかも、神の祟りを恐れて禁足地に足を踏み入れない古代人か未開人のようで、文化人類学や宗教学における本来の「タブー」に近いものとなっているというのだ。
 つまり、思考停止である。

 報道できない領域があったとしても、それが何によって引き起こされたのか、理由が明らかになっていれば、将来、その意図を除去して状況を変えることができるかもしれない。あるいは、状況を変えるのは無理でも、どの部分にどういうリスクがあるかが認識できれば、そこを避けながら限界ギリギリの表現まで踏み込むことは可能だ。だが、タブーを生み出した理由が隠されてしまうと、そういった条件闘争や駆け引きすらできなくなり、タブーをそのままオートマティックに受け入れざるをえなくなる。そして、「タブー」という言葉が、目の前で起きている事態と闘わないことのエクスキューズとして、これまで以上に頻繁に使われるようになる。

 思考や議論を許さないタブーは、そのまま権力にも暴力装置にもなり得る。
 ジャニーズ事件を見れば、そのカラクリは明らかであろう。

現在のメディアはタブーを克服するという以前に、その実態をまったく見ないまま「タブー」という言葉で一くくりにして、恐怖心だけを募らせている。だとしたら、まず、その恐怖の被膜を取り除いて、タブーの実態、つまりそれを生み出した要因や理由を正面から見つめなおすしかないのではないか。

 本書は、タブーに覆われつつある現在のメディア状況を憂えた著者が、「タブーの可視化」をはかったものと言うことができる。
 川端幹人は1959年生まれ。1982年から2004年までの約20年間、“タブーなき反権力ジャーナリズム”を標榜する『噂の真相』の編集部に在籍し、取材・執筆に当たってきた。2001年には、雅子皇后(当時は東宮妃)の記事を掲載するにあたって、敬称をつけず「雅子」と記したことで右翼団体の不興を買い、襲撃を受け負傷している。
 同誌休刊後はフリーのジャーナリスト兼編集者として活動している。

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 本書では、メディアにおけるタブーを、要因別に「暴力」「権力」「経済」の3類型に分けて、その生成過程を分析している。
 取り上げられているのは、次のようなテーマである。

1.「暴力」が怖いからタブーとなっている
 皇室(右翼)
 宗教組織(創価学会、旧統一教会、イスラム教、オウム真理教など)
 同和問題(解放同盟による糾弾、エセ同和団体による恐喝)

2.「権力」が怖いからタブーとなっている
 政治権力(小泉純一郎)・・・本書は第2次安倍晋三内閣前の刊行である
 検察や警察
 財務省(税務署)・・・まさにザイム真理教のことだ

3.「経済」的損失が怖いからタブーとなっている
 ジャニーズやバーニングなどの大手芸能プロダクション
 ユダヤ(イスラエル問題)・・・いまのアメリカの状況に顕著
 原発(大手電力企業)
 電通 

 詳細は本書を読んでもらいたいところであるが、ソルティは読んでいてずっしりと気持ちが落ち込んだ。
 タブーの壁があまりに高くて分厚くて、それをこれでもかとばかり突きつけられて、自分のような無力な小市民が束になったところで、到底太刀打ちできないことを痛感させられるからである。
 とりわけ、同調圧力が強く、事を荒立てない(陰で処理する)のが美徳とされる日本においては、表立って権力と闘う者は否が応でも孤立させられてしまう。
 本来なら社会の木鐸たるべきメディアからして、簡単に権力に屈してしまう現状がある。

 日本のメディアは孤立を異常に恐れる一方で、連帯して権力に対峙することをしない。欧米では、報道の自由を侵害されるような問題が起きると、メディアは立場のちがいを超え、連帯して抗議の声を上げ、徹底的に戦うが、日本のメディアはそれができない。むしろ、権力側から切り崩しにあうと、必ず黄犬契約を結ぶメディアが出てくる。

 黄犬契約( yellow-dog contract )とは、労働組合不加入または脱退を条件として雇用契約を結ぶことを言うが、ここでは権力に阿って仲間を裏切る行為を指す。
 ソルティは以前冗談で、2009年に自民党から民主党への政権交代が起きていなかったら、2011年3月の東日本大震災の際に起きた福島第一原発メルトダウン事故は“原子力村”の圧力によって隠蔽されていただろう――と書いたことがあるけれど、日本のマスメディアのていたらくを思えば、これは冗談でなかったかもしれない。
 正義は一体どこにある?

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 読後しばらく暗澹たる思いに沈んだ。
 が、冷静に考えてみると突破口がまったくないわけでもなかった。
 というのも、本書が刊行されたのは2012年であって、当時と2024年現在ではずいぶん状況が変わっていることに気づいたからである。
 すなわち、
  1. 無敵と思われたジャニーズタブーが破れた。他の大手芸能プロダクションも最早無茶はできないだろう。
  2. 無敵と思われた安倍派が崩れた。同時に旧統一教会タブーの呪縛が解けた。
  3. 森永卓郎や青山透子のようにタブーと闘い続ける個人がいて、それを支援する出版人がいる。
  4. ネットとくにSNSの威力が増大して、既存の権力機構でさえ、もはや無視できない存在になっている。匿名による内部告発が(良くも悪くも)増えている。
  5. 戦後長らく議論することさえ許されなかった憲法9条が、今では改憲手前まで来ている。つまり、櫻井よしこのような保守陣営の絶えまぬ努力が功を成している現実がある。(ソルティは個人的には「改憲、ちょっと待った!」の立場であるが、9条タブーを破り世論を変えていった保守陣営の戦略と熱意と粘りは認めざるを得ない。)
  6. 政権交代による刷新(選挙)、違法企業に対する不買運動など、市民にできることもある。
  7. 国際的にSDGsが常識となってきているので、日本だけがその潮流を無視することはできない。(ジャニーズ問題が外圧で敗れたことに象徴される)

 とにかくギリギリまでタブーに近づくこと、そしてタブーの正体を常にあらわにし続けること。最後にもう一度いうが、タブーの肥大化・増殖を食い止めるためには、まず、そこから始めるしかないのである。

 その意味では、巷にあふれる“陰謀論”も、「根も葉もない与太話」と切り捨てる前に、「そこに幾分かの真実が混じっているのかもしれない」と立ち止まって考えることが必要なのかもしれない。
 たとえば、2020年の段階で、「旧統一教会が与党自民党内に根を広げて政策に影響を与えている」と言ったら、「なにを陰謀論めいたことを!」と誰も相手にしてくれなかったろう。
 実際には、2022年7月の安倍元首相暗殺後に明らかになった通りであり、自民党の憲法改正案の中には、旧統一教会の教義が反映されているとしか思えない箇所すら指摘できる。

 思考停止ほど危険なものはない。





おすすめ度 :★★★★

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● 野口五郎の謎 本:『日下を、なぜクサカと読むのか 地名と古代語』(筒井功著)

2024年河出書房新社

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 長野県と富山県の境をなす飛騨山脈の中に野口五郎岳(2924m)という山がある。
 はじめてこの名を地図上で見つけた時は冗談かと思った。
 野口五郎も偉くなったもんだなあと思った。

 いまの若い人は知らないだろうが、野口五郎は70~80年代のスーパーアイドル歌手だった。
 西城秀樹、郷ひろみとともに「新御三家」の一人として、世の多くの女性たちの人気を集めた。
 『私鉄沿線』、『甘い生活』、『針葉樹』、『季節風』、『コーラスライン』など名曲も少なくない。
 ひょっとしたら、野口五郎の出身地にある山だから、記念にその名を冠したのかなあと思った。

 が、これは逆であった。
 ちびっ子のど自慢大会の常連だった佐藤靖少年は、歌手デビューするにあたって、「雄々しく逞しい歌手になるように」という願いを込めて、この山から芸名をもらったのである。
 やはり同じ飛騨山脈中にある黒部五郎(2840m)とどっちにするか迷ったというから、芸名を考えた人はかなりの登山マニアだったのだろう。
 ちなみに、野口五郎は岐阜県出身である。

 野口五郎岳の名の由来は、「野口」集落にある「ゴロ」。
 ゴロとは「大きな岩がゴロゴロしているところ」の意で、場所によっては「ゴウラ、ゴウロ、ゴラ」とも呼ばれる。
 箱根温泉の有名な強羅(ごうら)はまさにその一例である。

野口五郎岳
野口五郎岳
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=81900301による

 土地の名前の由来を知るのは面白い。
 由来を探るのはさらに面白い。
 とくに、大昔から継承されている地名は由来が文献に記されていないため、想像や推理で探るほかない。
 「野口」や「強羅」のように地形や土地の特徴から推測したり、名前の音(オン)から大和言葉以外の起源(たとえばアイヌ語や朝鮮語)を想定したり、その土地に伝わってきた古い風習や代表的な生産物に起源を求めたり、いろいろなアプローチがある。
 本書はまさに、文献には見つからない、日本の古い地名の由来を探っている。
 
 著者の筒井功は、民間の民俗研究家。
 机上の文献調査ももちろん怠りないが、自ら車を運転しての現地調査いわゆるフィールドワークに重点を置いているところが、この人の面目躍如である。
 まさに文字通り、“在野”の研究家。
 それゆえ、この著者の書く物は民俗研究レポートであると同時に、日本の辺境をめぐる旅行エッセイみたいなニュアンスを帯びる。
 出かけた先の役所や図書館などで地域資料を調べ、現地の古老をつかまえては古い記憶を引っ張り出す。
 そこからオリジナルな仮説を組み立てていく。
 「足で稼ぐ」探偵を主人公とする推理小説を読むような魅力がある。

 本書で取り上げられている地名、及びその由来についての著者の仮説を一部紹介する。
  • クサカ(日下)=クサ(日陰)+カ(処)→日の当たらないところ
  • ツルマキ(鶴巻、鶴牧、弦巻など)=弦巻(弓に弦を巻く円形の器具)→円形の土地
  • イチのつく地名(市、市場、一ノ瀬など)=イチ(巫女などの宗教者)が住んでいたところ (もちろん「市(マーケット)」や「一番」の意によるところも多い)
  • ツマのつく地名(川妻、上妻、下妻など)=「そば、へり」の意→川べりにある土地
  • アオイヤのつく地名(青山、青木、伊谷、弥谷など)=葬地だったところ
  • サイノカワラ(賽の河原)=サエ(境)+ノ+ゴウラ(石原)→石がゴロゴロしている境界の地
徳島県市場町

 2018年の秋に四国歩き遍路したとき、八十八ある札所の中で、「なんか不気味だなあ」、「ここは出そうだなあ」と思ったところ、参拝した後に“憑かれた”ような重さを感じたところがあった。
 香川県にある71番弥谷寺(いやだにでら)である。
 382mの山の中腹にあり、570段の急な石段を登りきったところにある本堂からは、素晴らしい眺望が得られた。
 弘法大師空海が子供の頃に勉強をした岩窟があることでも有名で、人気スポットになってもおかしくない場所であった。
 が、なんとも言いようのない空気の澱みを感じた。
 訪れたのは一日の巡礼の最後で足が棒のようになっていたので、境内で景色を見ながらゆっくり休憩するつもりだった。
 が、岩窟の中にある納経所で御朱印をもらったら、一刻も早く山を下りなくちゃという気になった。  
 霊感のないソルティには珍しいことであった。

 本書によれば、この山は地元では「死者の行く山と考えられており、葬送儀礼の一環として弥谷参りが行われた」そうである。

同地の例では、葬式の翌日か死後三日目または七日目に、血縁の濃いものが偶数でまずサンマイ(埋め墓)へ行き、「弥谷へ参るぞ」と声をかけて一人が死者を背負う格好をして、数キロから十数キロを歩いて弥谷寺へ参る。境内の水場で戒名を書いた経木に水をかけて供養し、遺髪と野位牌をお墓谷の洞穴へ、着物を寺に納めて、最後は山門下の茶店で会食してあとを振り向かずに帰る。(吉川弘文館『日本民俗大辞典』より抜粋、筆者は小嶋博巳)

 弥谷(イヤ+タニ)はまさに葬地だったのである。
 地名の由来を事前に知っていたら、怖くて写真を撮れなかったろう。

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遍路道から望む弥谷山

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山門

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金剛挙菩薩(約6m)

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「いやだに~」と毒づきながら登った石段


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本堂

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水場の洞窟

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大師堂
この中に岩窟がある

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岩窟への入口

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下山してほっとした



おすすめ度 :★★★

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● 人生の黄金期 本:『70歳から楽になる』(アルボムッレ・スマナサーラ著)

2023年角川新書

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 副題は「幸福と自由が実る老い方」
 
 1980年来日このかた、日本中にテーラワーダ仏教を広めてこられたスマナサーラ長老も、来年で80歳になられる。
 たまに講演会や瞑想会でお姿を見かけるが、相変わらずの説法の冴えに引きくらべ、体力の衰えは隠しようもなく、「しんどそうだなあ」と思うことも度々。
 強気な性格や眼力の鋭さ、しっかりした鷹揚な足取りに見過ごされがちだが、元来、体質的に頑健なほうではなかったのかもしれない。
 老いを実感されている様子が言葉のはしばしにのぼり、そのたびに、「誰にでも平等に老いと死はやってくる」というあたりまえの事実を思う。
 本書の良さは、長老が自らの老いの現実と向き合ったところから生まれた老年論であるところにある。
 執筆時62歳のキケロの老年論とは違う。

 雑踏の新宿駅で気を失って倒れたことや、歩くスピードが遅くなったこと、物忘れが増えたことなど、自らの老いを観察して、ありのままに受け入れている様子が、読み手に伝わってくる。
 同じ高齢の読者には、共感しやすい部分であろう。

 老年論と言えば、五木寛之のよく言っていた林住期が思い浮かぶ。
 もとは古代インドの思想で、人生を「学生期、家住期、林住期、遊行期」の4段階に分けた3番目。
 五木の言葉を借りれば、

世のしがらみや人生の些事に煩わされることなく、読書をしたり、いろいろものを考えたり、瞑想をしたり、自由闊達に生きがいを探すことが許される人生の黄金期。

 五木は50歳から75歳くらいまでを林住期と言っている。
 考えてみれば、必要最低限しか仕事を入れず、人との交遊も控えて、読書や映画・音楽鑑賞や仏道修行(瞑想)や旅行やブログ執筆に時間を割いている現在のソルティは、まさに「林住期的生き方」をしている。
 別に意図してこうなったわけではないが、そうか、いまが人生の黄金期だったのか!

 スマナサーラ長老は、人生を3つのステージに分けて語られている。
  1. いろいろなことを学び、大人になるまで(生まれてから30代半ばまで)
  2. 働き盛りの時期(30代半ばから65歳くらいまで)
  3. 退職し社会の鎖を解いて「人間」になる(65歳以降)
 人生3部作の第1部と第2部では、いろいろ「取る」ことをしてきました。
 勉強して学歴をつける、就職する、結婚する、子どもを持つ・・・・こうして、自分の周りに、たくさんのものを取ってきました。
 もちろん、その「取る作戦」には失敗もあったでしょう。
 進学や就職がうまくいかないこともあったろうし、離婚した人も、望んでいたけれど子どもができなかった人もいるでしょう。
 それはそれでいいのです。みんな、だいたい失敗のほうが多くて、失敗7割で成功3割ならいいほう。人生とはそういうものです。
 このように、たくさんの失敗を重ねながらも「取る」をやって来たあなたは、最後のステージである第3部ではなにをすべきなのでしょうか。
 一番大事なのは、これまでとは違う生き方をすること。すなわち、これまで取ってきたものから「離れる」ということです。

 本書では、どのようにして「取る」人生から「離れる」人生へと移行するか、「離れる」人生を幸福に生きるにはどういった観点や工夫が必要か、第3ステージにおいて我々が目指すべきものはなにかといったことが、平易な親しみやすい言葉で説かれている。
 当然、長老の立場としては仏教的生き方のすすめが要点なのであるが、本書はあまた刊行されている長老の他の本とくらべると、仏教の専門用語(たとえば諸行無常、諸法無我、ヴィパサーナ瞑想といった)がほとんどなく、話題もごく一般的かつ庶民的で、日本の高齢者の現状に即した、“仏教徒でなくても受け入れやすい”語りとなっている。
 仏教ならではと言えるのは、せいぜい慈悲のすすめくらいだろうか。
 そういう意味では、宗教に忌避感ある高齢者(たとえば80代後半のソルティの両親)にも自信をもってすすめられる本である。




おすすめ度 :★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損




● 本:『性のタブーのない日本』(橋本治著)

2015年集英社新書

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 2019年1月に亡くなった橋本治の全貌は、その作品群があまりに多彩かつユニーク過ぎて、まだ誰にも捕捉されていないようだが、少なくとも、日本の古典に詳しい、かつそのイメージを大きく覆した作家であったことは間違いない。
 1987年に『桃尻語訳 枕草子』が世に出たときの衝撃をソルティは覚えているが、難解で高踏的な日本の古典文学が一気に身近で親しみやすいものに感じられ、才知を鼻にかけた嫌味なインテリ女のイメージが強かった清少納言が、キャピキャピしたミーハー女子大生のように可愛らしく生き生きした存在へと変貌した。
 それは古典が、“姿勢を正して大昔のことを学ぶ”から“今も通じる変わらぬ日本人の姿に共感する”へと変わった瞬間であった。
 その後も、『窯変 源氏物語』や『双調 平家物語』などで、“昔を今につなげる”手腕は遺憾なく発揮された。

 橋本の古典文学の幅広い知識と深い人間理解をもとにした鋭く自在な解釈によって、日本人の性意識や性道徳を縦横無尽に綴ったのが本書である。
 イザナミ・イザナギの性交による国産みが描かれている『古事記』から始まって、『万葉集』、『枕草子』、『源氏物語』、『小柴垣草紙』、『台記』、『故事談』、『稚児草子』、『葉隠』、『仮名手本忠臣蔵』といった、時代時代の代表的な古典文学が俎上に乗せられ、日本人の性と愛をめぐる実態が暴かれていく。
 それは端的に言えば、タイトル通り、「性のタブーのない日本」である。

 明治時代になって、行政府が「風紀」というものを問題にして、性表現に規制をかけた。「猥褻」という概念を導入して取り締まったから、我々は「性的なもの≒猥褻」というような考え方を刷り込まれてしまった。だから、「明治以前の日本に性表現のタブーはなかった」と言われると、思う人は「え!?」と思ってしまう。
 明治時代以前の日本には性表現のタブーはなかったし、性にもほぼタブーはなかった。だから、そういうものを一々数え上げたわけでもありませんが、その昔の日本には「変態性欲」という概念がなかった。
 日本人には性的タブーがなくて、その代わりにモラルがあった。だから、夫のある女が他の男と肉体関係を持つと、女とその相手の男は「姦通」の罪に問われた。

 大塚ひかり著『本当はエロかった昔の日本』(新潮社)や三橋順子著『歴史の中の多様な「性」』(岩波書店)でも、同様の指摘がなされている。
 明治維新からの150年あまりで、少なくとも性意識や性道徳においては、原日本人が本来の姿を喪い、国策によってなかば人工的に作り変えられてしまったことは疑いえない。
 統一協会的・旧民法的な性道徳を振りかざし、「日本を取り戻そう!」と連呼する保守右翼が、いかに付け刃の伝統讃美者であることか。
 
 それにつけても、宇能鴻一郎著『姫君を喰う話』の原案となった後白河上皇作の絵巻『小柴垣草紙』をなんとしても見たいものだ。
 どこかで展示会やってくれないものかしらん。

小柴垣根草紙
『小柴垣根草紙』部分




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