2022年花伝社
ソルティは、ブッダの瞑想法として知られるヴィパッサナー瞑想(マインドフルネス瞑想)を初めて10年以上になるが、肝心の原典を読んでいなかった。
本書は、『パーリ経典』(漢訳『阿含経典』)の経蔵中部に収録されている『念処経』(サティパターナ・スッタ)の全訳である。
スッタは「経」の意である。サティパターナ・スッタを宮本はこう訳している。
「対象を記憶に刻み込む集中力の発動を説く経」
「はじめに」において、ブッダの開発した瞑想法をこう解説している。
観と察とによって如実知見を目指す瞑想法で、その具体的な方法を順序立てて説いたものこそが、本書で和訳した『念処経』です。これは、身体の在り方、外界の認知受容の在り方、心的な在り方、それを冷静に観察することで得られる如実知見の真理、以上の四部門の一々に意識を集中せよと説きます。
如実知見とは「ものごとをありのままに見ること」である。
世界を、生命現象を、人間存在を、苦を、「ありのままに見る」ことができれば、それが「悟り」だということだろう。
いろいろな原因や理由で、物事を「ありのままに見る」ことができなくなっているのが、人類一般である。
たとえば、現在のイスラエル×パレスチナ問題。
ユダヤ教徒でもイスラム教徒でもキリスト教徒でもない多くの日本人は、同じ神(エホバ、ヤハウェ、アドナイ、アッラー、エロヒム、主)を頂きながら、神の名のもとに何世紀も憎み合い戦い続ける彼らを「愚かである」と、「ありのままに見る」ことができよう。
しかし、それぞれの信仰と長い伝統文化と異なった母語と過去の因縁をもつ当事者たちは、如実知見を失っている。
では、日本人が彼らより賢いのかと言えば、そんなことはない。
自分のことは自分ではなかなか見えないだけであって、イスラム教徒やキリスト教徒から見れば、神を祖先とする日本の天皇制は理解の外であり、その“ヒト”のために一億玉砕で戦って原爆を落とされた日本人は「愚か」としか思えないだろう。
かほどに、如実知見は難しい。
本書は、『念処経』のほか、道元禅師の『普勧坐禅儀』『現成公案』、瑩山禅師の『坐禅用心記』、パタンジャリ『ヨーガ・ストーラ』から、瞑想法に関する一節が取り上げられている。
おすすめ度 :★★★
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損