ソルティはかた、かく語りき

首都圏に住まうオス猫ブロガー。 還暦まで生きて、もはやバケ猫化している。 本を読み、映画を観て、音楽を聴いて、神社仏閣に詣で、 旅に出て、山に登って、瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

●スピリチュアル

● 本:『熊楠と幽霊』(志村真幸著)

2021年インターナショナル新書

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 南方熊楠(クマグス)の名を最初に知ったのは、たしか男色がらみだったと思う。
 画家で男色研究家の岩田準一(1900-1945)と、男色をめぐる往復書簡をした人物というので興味を持った。
 調べて見ると、博物学・生物学の大家であり、とくに粘菌の研究では世界的権威という。
 昭和天皇にキャラメル箱に入れた粘菌標本を献呈した話もよく知られる。
 裸族のはしりでもあり、夏の間は真っ裸で過ごし、周囲から「てんぎゃん(天狗)」と呼ばれていた。
 平賀源内同様、奇行の多い天才であった。

 肖像写真を見ると、ギョロっとした眼のむさくるしい感じの親爺で、男色家っぽくない。(どういったのが“男色家っぽい”のか自分でもよくわからないが。ジャニーさん? 三島さん?)
 図書館で著書を探して手に取ったが、文章が難しいというか、とりとめがないというか、わけがわからなくて読むのをあきらめた。
 以来、疎遠となっていた。

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南方熊楠(1867ー1941)

 実はクマグスは民俗学者としても有名なのである。
 柳田国男を民俗学の「父」とすれば「母」はクマグスだとか、いや、「父」がクマグスで「母」が柳田だとか、ジェンダー観念にとらわれた意味不明な議論があるようだが、ともあれ、日本民俗学の誕生に多大な貢献をした人である。
 柳田とは生涯に一度きり、和歌山県田辺の自宅で会っている。
 二日酔いのクマグスは布団にくるまりながら柳田と話したそうで、実りある対談とはいかなかったようだ。
 二人はその後も頻繁に書簡のやりとりをしていたが、民俗学における「性」をめぐるテーマの扱いがきっかけで袂を分かってしまった。
 男色を始めとする日本人の性風俗について、すすんで学問として取り上げようとしたクマグスの姿勢を、柳田は受け入れられなかったようだ。
 それでも柳田は、クマグスが亡くなった際に「日本人の可能性の極限」と評した。

 本書は、クマグスの生涯や業績や思想について述べたものではない。
 『クマグスと幽霊』のタイトルが示す通り、スピリチュアルな視点から読むクマグス、あるいはクマグスにおけるスピリチュアリズム(心霊主義)の概説である。
 クマグスは、若い頃から不思議な体験を多くもった。
 熊野の山中で幽体離脱したり、夢の中に出てきた父親から新種のキノコの生息地を告げられたり、知人の死を予知したり・・・。
 自然、博物学や民俗学の研究に勤しむのと並行して、心霊研究にものめり込むようになる。
 世界各地の幽霊や妖怪に関する証言を集め、英国の著名な心霊研究家フレデリック・マイヤーズの書を熟読し、18歳から亡くなるまで明恵上人のごとく見た夢の記録を日記に書きとめた。
 ただ、さすがに科学者である。
 本書によれば、降霊術のようなオカルティズムには懐疑的で、予知や幽体離脱や輪廻転生などの不思議な現象に対して、なんらかの科学的な説明が可能なのではないかと思っていたようだ。

 著者の志村真幸は1977年生まれの比較文化史研究者。
 南方熊楠顕彰会の理事をしている。
 知の巨人クマグスの別の一面を知ることのできる一冊である。




おすすめ度 :★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損


● 古代史"トンデモ”ミステリー 本:『アマテラスの暗号』(伊勢谷武著)

2020年廣済堂出版

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 人気沸騰の古代史ミステリー。
 主人公は日本人の父とイタリア人の母を持つアメリカ人のケンシ(賢司)。
 最近までゴールドマンサックスで働いていた40代の男である。
 ある朝、ニューヨーク市警から一本の電話が入る。
 「あなたのお父さんが宿泊していたホテルで何者かに殺されました」
 子供の頃に別れたきり40年以上会っていない父親は、なにか大切なことをケンシに伝えるために、日本からやって来ていた。
 ケンシは父親の殺された理由を解明するため、元同僚3人とともに日本へ旅立つ。
 父親・海部直彦は、元伊勢と呼ばれる籠(この)神社の第82代宮司であった。

 伊勢神宮諏訪大社、出雲大社、籠神社、下鴨神社、大神神社・・・・・。
 日本各地の由緒ある神社を駆けめぐり、そこに仕込まれた父親からの暗号メッセージを順に読み解きながら、ケンシは日本書記にも古事記にも書かれていない日本誕生にまつわる秘密に近づいていく。
 だが、その秘密を先に手に入れるべく、暗躍する組織があった。
 殺し屋を使ってケンシの父親を手にかけた組織は、今度はケンシをつけ狙う。

伊勢神宮内宮
伊勢神宮・内宮
祭神はアマテラスオオミカ三

 2003年に刊行され世界的ベストセラーになって映画化されたダン・ブラウン著『ダ・ヴィンチ・コード』の日本版といった趣き。
 日本の古代史や神道や神社、トンデモ本に興味ある人は楽しめるのではないかと思う。
 ソルティは神社仏閣めぐりが趣味で、マンガ版『古事記』や映画『日本誕生』など古代史も好きなので、それなりに面白く読んだ。
 ただし、これが伊勢谷のデビュー作というだけあって、小説としての出来は芳しくない。
 構成にも章立てにも人物描写にも不手際が目立ち、リアリティに欠け、叙述は乱雑で、ご都合主義がはなはだしい。
 『ダ・ヴィンチ・コード』と比較するのは、ブラウンに失礼であろう。
 アイデアそのものは面白いのだから、もっと巧みな書き手によって読みたかった。あるいはマンガならちょうど良かったかもしれない。
 実のところ、読みながら連想したのは『ダ・ヴィンチ・コード』ではなく、諸星大二郎の『暗黒神話』だった。 
 古代遺跡をめぐる少年の探索が宇宙的&仏教的結末に逢着する驚天動地の傑作『暗黒神話』を思わせる着想の奇抜さと飛躍的展開は、トンデモと分かっていても心躍るものがある。

暗黒神話

 登場人物に語らせるセリフの端々から、伊勢谷が保守右翼の愛国者であることが伺われる。
 たとえば、下鴨神社の神職であった男・小橋のセリフ。

 宗村、いい加減気づけよ。合理が一体、なにをもたらしたっていうんだよ。おまえのような合理崇拝の先にあったのは、文化や価値や道徳を破壊し、自由の名のもとに自由を抑圧し、寛容の名の下に他の意見を封殺してきたリベラルと称する全体主義や宗教さえ否定した共産主義じゃないか。日本人の力を削ぐために昔は神社で行われていた地域のミーティングを、戦後神社から切り離して日本中に公民館を建てまくったのは、ソ連にシンパシーを感じていたアメリカのリベラルだってことをおまえも知っているだろ?・・・(中略)・・・
 なにも俺は不合理や反合理まで擁護するつもりなんて毛頭ない。でもいいか、非合理がおまえの好きな合理を守っているんだよ。伝統こそが自由や価値や道徳を守る最後の砦なんだよ。これこそがおまえがまだ気づいていない、気づこうともしない、あるがままの真実だ。

 まったく、保守右翼の良心たる中川八洋先生のお言葉そのもの。
 おそらく伊勢谷は、アメリカにあってはトランプ推しの共和党支持者、日本にあっては自民党右派で、同性婚にも選択的夫婦別姓にも女系天皇にも反対の立場と思われる。
 そこで面白いのは、この小説の根幹をなす謎=日本誕生の真相が、伝統重視の国粋主義者からしてみたら、それこそトンデモない設定だろうという点である。
 日本人が中国大陸からやってきた騎馬民族の後裔だとか、朝鮮からやって来た渡来人と原住のアイヌ民族とのハーフだとかいうならまだしも、シルクロードを渡ってやって来た〇〇〇人の血統を引いていて、日本の神様のおおもと=アマテラスの正体は〇〇〇だというのだから。
 やっぱり、伊勢谷はたんなる右翼じゃないのかも。

 ともあれ、本書を読んでいたら、神社めぐりがしたくなった。
 今年は数十年ぶりに出雲大社に行きたいな。

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出雲大社
マサコ アーントによるPixabayからの画像
  


おすすめ度 :★★

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● 光が丘管弦楽団 第58回定期演奏会

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日時: 2024年11月17日(日)14:00~
会場: 光が丘IMAホール
曲目:
  • シューベルト: イタリア風序曲第1番
  • ハイドン: 交響曲第101番「時計」
  • モーツァルト: 交響曲第41番「ジュピター」
指揮: 小野 富士

 会場に向かうバスの中、アナウンスが言った。
 「次は、光ヶ丘いま、光ヶ丘いま、お降りの方はブザーでお知らせください」

 光ヶ丘IMAを知ってから数十年、今日はじめて「いま」と読むのだと知った。
 ちょっとした衝撃。
 たしかに、そのままローマ字読みすれば「いま」なのだが、「アイエムエー」と英語読みしていた。
 IBMを「アイビーエム」と読むのに釣られていたのかもしれない。

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光ヶ丘IMA

 本日はオール古典派プログラム。
 秋らしくて良き。

 シューベルトの『イタリア風序曲』、はじめて聴いた。
 20歳のときの作品である。
 当時ウィーンではロッシーニ・ブームが起きていて、それに触発されて作曲したという。
 たしかに、作曲者の名前を知らされずに耳にしたら、「ロッシーニかな?」と思うような、バーゲンセール風狂騒感がある。
 当時シューベルトは窮乏に苦しんでいたから、大金持ちのロッシーニに「あやかりたい」という思いがあったのかもしれない。

 ハイドン『時計』は親しみやすい曲。
 とくに時を刻む振り子のリズムさながらの第2楽章はCMに使用されることが多い。
 ソルティは、やはり、旺文社系列の(財)日本英語教育協会が制作し、1958~1992年まで文化放送で流されたラジオ番組『百万人の英語』のテーマ曲の印象が強い。
 この曲と、やはり旺文社『大学受験講座』のテーマ曲になったブラームス『大学祝典序曲』が蛍雪時代の音楽的記憶である。
 J・B・ハリス先生には直接お会いして、著書『ぼくは日本兵だった』にサインをいただいたこともあった。

 モーツァルトやベ―トーヴェンを押さえて「交響曲の父」と冠せられるだけあって、ハイドンのオーケストレイションの技と完成度は素晴らしい。 
 『時計』や『驚愕』やドイツ国歌になった『神よ、皇帝フランツを守り給え』など、メロディメイカーとしての才能にもきらきらしいものがある。
 もっとハイドンを攻めていきたい。

ぼくは日本兵だった
旺文社刊行

 生の『ジュピター』は久しぶり。
 名曲なのに、なぜか演奏される機会が少ない。
 i-amabile の「演奏される機会の多い曲」ランキングでも30位に入っていない。
 なんでだろう?

 『ジュピター』と言えば平原綾香、と言う人は多いと思うが、あの曲の原曲はイギリスの作曲家ホルストの管弦楽組曲『惑星』の第4楽章「木星」である。
 ソルティは『ジュピター』と言えば、かわぐちかいじのコミック『沈黙の艦隊』を思い出す。
 20代の会社員時代にずいぶんはまった。
 実を言えば、モーツァルトの交響曲41番『ジュピター』あるのを知ったのが『沈黙の艦隊』によってであり、BGMにしながら『沈黙の艦隊』を読もうとレコード店に足を運び、人生で初めて手にした交響曲CDこそ『ジュピター』であった。
 『ジュピター』と『沈黙の艦隊』こそは、ソルティのクラシック街道の日本橋(=出発点)であった。(声楽についてはキャスリーン・バトルである) 
 購入したのは、レナード・バーンスタイン指揮×ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の1984年1月のライヴ・レコーディングである。

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交響曲40番と41番のカップリングだった

 そういういきさつがあるので、20~30代の頃は『ジュピター』を聴くとどうも戦闘的気分になりがちだった。
 還暦を迎えた今は、「天界からのお迎え」の響きのように聞こえる。
 第4楽章なんか、天使たちの吹きならすラッパと笛の調べに乗って、このままホールの座席で昇天してしまいそうな、「まっ、それも悪くないな」と思うほどの美と愉悦と神々しさに包まれる。
 ちょうど、高畑勲監督のアニメ映画『かぐや姫の物語』で、彩雲に乗ったブッダや天女たちに伴われて地上を去っていくかぐや姫のように。

かぐや姫の昇天

 数日前にベートーヴェンの第5番『運命』を「人類史上最高の名曲」と書いたばかりであるが、モーツァルトの第41番『ジュピター』もそれに匹敵する奇跡である。
 ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト。
 この4人はベートーヴェンを介して、つながっている。
 つくづく凄い時代だ。

 光が丘管弦楽団による演奏は素晴らしく、光ヶ丘“いま”を体感した。









● 「運命」とフィンクの危機理論 : 第25回EGK演奏会

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日時: 2024年11月10日(日)14:00~
会場: 北とぴあ さくらホール
曲目:
  • ブラームス: 弦楽六重奏曲第2番 ト長調 作品36
  • コントラバス・アンサンブル「コンバース」: 爆風スランプ『Runner』、井上陽水『少年時代』、YOASOBI『舞台に立って』、ベートーヴェン『運命~ボサノバ風』
  • ベートーヴェン: 交響曲第5番 ハ短調 作品67「運命」
指揮: 平尾 純

 このオケを聴くのははじめて。
 EGK(Ensemble Grosen Kunstlers)とは、「偉大な芸術家たちのアンサンブル(合奏会)」といった意。
 過去の演奏会の記録を見ても、このオケの演奏会のプログラム構成は、
  1. 古典派~ロマン派の弦楽重奏曲(室内楽)
  2. 4名のコントラバス奏者による現代ポピュラーソング数曲
  3. 古典派~ロマン派の交響曲
 となっている。
 一回のコンサートで軽重、硬軟、明暗、新旧取り合わせた、さまざまな響き、さまざまな味わいが楽しめるのは、オトク感がある。
 よく知られているポピュラーソング――クラシック調にアレンジされている――を間にはさむことで、ふだんクラシックに縁遠い層の関心を引きつけ、会場に足を運ばせ、クラシックの魅力に目覚めさせ、クラシックファンを増やすことも期待できる。
 とてもよい試みだと思う。
 しかも入場無料!
 会場には、家族連れや子供連れの姿が多く見られ、固定ファンがついていることが察しられた。
 指揮者にしてコントラバス奏者の平尾純は、ふだんはサラリーマンをしているとか・・・。
 コンバースのリーダーでもあり編曲もこなしているようだ。
 うらやましくも素晴らしい才能。
 それにしても、コントラバス奏者って個性的な人が多くない?

コントラバスを引く狸

 ブラームスもコンバースも良かったけれど、やっぱり圧巻はべートーヴェン『運命』。
 この曲が人類史上最高の名曲であることを、それも、何度聴いても感動せざるをえない奇跡のような曲であることを、実感させてくれる演奏であった。
 完全無欠とはこの曲のためにあるような言葉だ。
 第1楽章から第4楽章まで、それぞれが違った色合いを持ちながらも、全体でひとつの流れとして感じられる統一感――形式的というより気分的統一感――が飛び抜けている。
 いつもはマーラーの散文性に惹かれがちなソルティであるが、ベートーヴェンあってのマーラー、古典派あってのロマン派、形式あっての自由、ということをつくづく思った。

 ときに、看護理論においてフィンクの危機モデルというのがある。
 たとえば、交通事故に遭って体に一生残る障害が生じた、というようなショッキングな出来事があったとき、患者がいかにそれを受容し適応していくか、ということをモデル化したものだ。(詳しいことは知らないが、エリザベス・キューブラ=ロスの説いた「死の受容」のプロセスを下敷きにしているのではないかと思われる)
    1. 衝撃の段階 
      迫ってくる危険や脅威を察知し、自己保存への脅威を感じる段階。現実には対処できないほど急激で、結果的に生じる強烈なパニックや無力状態を示し、思考が混乱して判断や理解ができなくなる。
    2. 防御的退行の段階
      危機の意味するものに伴って自らを守る時期。危険や脅威を感じる状況に、現実に直面するには圧倒的な状況のために、無関心や非現実的な多幸症を抱く。これは、変化に対しての抵抗であり、現実を逃避し、否認し、希望的思いのような防御機制をつかって自己の存在を維持しようとする。そうすることで、不安は軽減し、急性身体症状も回復する。
    3. 承認の段階
      承認の段階は、危機の現実に直面する時期。現実に直面して省察することで、もはや変化に抵抗できないことを知り、自己イメージの喪失を理解する。あらためて、深い悲しみや苦しみ、強度の不安を示し、再び混乱を体験する。しかし、徐々に新しい現実を判断し、自己を再認識していく。
    4. 適応の段階
      期待できる方法で積極的に状況に対処する時期。適応は、危機の望ましい結果であり、新しい自己イメージや価値観を築いていく段階である。現在の自分の能力や資源で満足をする経験が増えて、しだいに不安が軽減する。
(城ヶ端初子著『新訂版 実践に生かす看護理論19 第2版』サイオ出版より抜粋)

 見事に、第5番『運命』の第1楽章から第4楽章までの流れに添っている。
 第1楽章の「ジャジャジャ、ジャーン!」の衝撃、第2楽章の平和な子供時代に逃避するような現実否認、第3楽章の現実回帰と混乱と諦念、そして第4楽章の受容。
 しかも、ベ-トーヴェンは単なる「受容」にとどまらず、その先にある「神=運命」への讃歌と自己投棄すら表現している!

 もちろんベートーヴェンは、フィンクやキューブラ=ロスはもとより、フロイトやユングといった名だたる精神分析家が登場するはるか以前に生きた人で、心理学や精神分析の概念すら持ちえなかった。
 直感で真理に到達し、万言を費やすことなく、音楽で表現してしまう。
 天才たるゆえんである。

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王子駅と北とぴあ

  
  

● 映画:『最後の乗客』(堀江貴監督)

2023年日本
55分

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 えっ、ホリエモンが映画をつくった!?
 ――と一瞬びっくりしたが、堀江貴文ではなく貴だった。
 堀江貴は1971年仙台市生まれ。ニューヨーク在住の映像作家である。

 「世界の映画祭で評判、予想外の結末、上映時間55分」という3つのキーワードに惹かれて鑑賞した。
 とりわけ、上映時間55分というのは、昨今、長時間の館内上映に眠気や尿意や腰痛などの不安を抱えるソルティとしてはまことに有り難い。
 若い頃は2本立ては愚か、3本立て、4本立て、オールナイトの5本立てだって嬉々として観たものであるが、いまや2本立て興行の1本だけ見て退出、という贅沢も珍しくなくなった。
 とくに字幕を読まなければならない洋画がしんどい。
 せっかくのシニア料金適用なのに・・・・。

 閑話休題。
 宮城県のタクシー運転手の体験を描いたこの作品について、多くを語るのはかえって不親切であろう。
 筋書きや結末を知らずに、なるべく白紙に近い状態で鑑賞するのがおススメ。
 出てくるのは無名の役者ばかりで、必ずしも演技が上手いとは言えないし、セリフや演出にも若干のぎこちなさを感じる。
 しかし、それらを払拭してあまりない感動がある。
 日本人なら誰だって泣かずにはいられないと思ったが、世界の映画祭で評判というからには外国人にも十分通用する物語なのだろう。
 ひとつだけ種明かしする。
 最後の乗客とはその席に座った「あなた」である。

砂浜とタクシー

 池袋シネマロサにて鑑賞。
 出入口で堀江監督自身から挨拶をいただいた。
 撮影場所を聞けばよかったな。(元仙台人のソルティ)




おすすめ度 :★★★★

★★★★★
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● 蒲田で味わう : Orchestre de SAVEUR 第3回演奏会

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日時: 2024年8月24日(土)
会場: 大田区民ホール アプリコ大ホール
曲目:
  • シューマン: 交響曲第3番「ライン」
  • ベートーヴェン: 交響曲第3番「英雄」
指揮: 山上紘生

 Orchestre de SAVEUR は、2022年結成のアマオケ。
 SAVEUR とはフランス語で「味わい」を意味するそうだ。
 練習を「サボ~る」と掛けているのかなと思ったが、発音は「サブール」らしい。
 旗揚げ時から山上が指揮をしている。
 山上の音楽哲学が良く表現され、味わえるオケと言っていいだろう。
 山上はほかに、ボヘミアン・フィルハーモニッククラースヌイ・フィルハーモニー、オーケストラ・ノット、Orchestra Largoの常任指揮者的立場にあるようだ。
 アマオケ業界事情はよく知らないが、売れっ子と言っていいのではないか。
 指揮者としての才能はもとより、見るからに穏やかで優しそうな人柄が、人気の理由ではなかろうか。
 パワハラNGの昨今の風潮は当然音楽業界にも及んでいるだろう。

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 演奏レベルはかなりのものだった。
 息の合ったトゥッティ(総奏)の輝かしく張りのある音と切れ味、ソロ(独奏)における技巧の高さと安定性。
 山上のコミュニケーション力が優れているのか、秘められたカリスマ性ゆえなのか、あるいは砂に水が沁み込むようなオケメンバーの飲み込みの良さのためなのか、指揮者とオケとが一体となって最初から最後まで統一されたフォームを維持していた。
 3回目にしてこの完成度はすごい。

 1曲目は『ライン』(SNSではなくて、ライン川のことだ)。
 実はシューマンはどこがいいのかよく分からない作曲家だった。
 オーケストレーションではベートーヴェンの二番煎じみたいな印象があり、ブラームスやドヴォルザークやチャイコフスキーのようなメロディメイカーでもなく、個性がよくわからなかった。
 が、今回はじめて「おっ、いいじゃん!」と思った。
 第3楽章、第4楽章の深い陰影ある宗教性は、シューマンの個性というか人生観を匂わせているように思った。
 山上の指揮が、これまで関心なかった作曲家の良さに気づかせてくれたのは、ショスタコーヴィチについで二人目である。

 2曲目の『英雄』。
 曲自体があまりに素晴らしいので、アマオケ平均レベルの演奏で十分感動する。
 山上&サブールは平均以上だったので、感動は大きかった。
 なにより、聴いているこちらのチャクラを刺激する音波の威力がはんぱない。
 舞台から放たれた音波が、丹田のチャクラ、胸のチャクラ、喉のチャクラ、額のチャクラを直撃し、ビリビリと震わせ、固い扉をこじ開け、体内に侵入する。
 それによって、体内に詰まっていた“気”の塊が解きほぐされ、活性化し、さまざまな感情の澱みを解放しながら、周囲に揺らめく透明の煙となって湧き上がり、消えていく。
 脳内ルクスが上がり、心身が浄化される。
 丸1日間部屋にこもって瞑想したのと同じ効果が、ほんの1時間足らずで達成され、鍼治療受けた後のように心身が整った。
 ソルティが山上の指揮するコンサートに足を運んでしまうのは、このチャクラ・マッサージによる“整い”効果ゆえである。

 同じ効力は和田一樹の指揮でも実感される。
 本日は、18時から県立神奈川音楽堂で和田一樹指揮によるベートーヴェン交響曲第2番(オケはEnsemble Musica Sincera ←横文字の使用はそんなにカッコいいか?)があった。
 JR蒲田から桜木町へ、京浜東北線によるベートーヴェン行脚を予定していたのだが、『ライン』と『英雄』を十分“味わい”、満腹になったので行くのは止めた。
 雷雨の予感もあった。

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午後4時のJR蒲田駅


● 本:『聖なる女 斎宮・女神・中将姫』(田中貴子著)

1996年人文書院

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 著者の田中は1960年京都生まれの国文学者。
 中世の説話と女性の問題などを研究している。

 本書は一種の「聖女論」である。
 日本史や古典物語に登場する日本の聖女たち――中将姫、伊勢神宮の斎宮、京都賀茂神社の斎院、天皇の娘である内親王――の半生やその語られ方の変容を通して、日本における「聖女」の意味を問うたものである。
 田中はまた『〈悪女〉論』も書いているようだ。

 中将姫についてはよく知らん。
 ――と思っていたら、実は子供のころからよく見かけていた。
 バスクリンで有名な津村順天堂のロゴマークが中将姫だったのだ。

津村のロゴマーク

 明治26年(1893)、弱冠23歳の津村重舎は婦人薬「中将湯」の製造販売で、津村順天堂を創業しました。中将湯は、藤原豊成(藤原鎌足の孫)の子「中将姫」が、仏の道に仕えた奈良の当麻寺で学んだ薬草の知識を基に、庶民に施したことが由来とされ、創業当時から巻物を持つ「中将姫」が商標登録されています。大正時代後半からは、挿絵界を席巻した人気画家高畠華宵を中将湯の広告に起用しました。華宵の描いた「中将姫」は時代の移り変わりとともに姿を変えましたが、それぞれの時代の理想の美人像として長年にわたり親しまれてきました。昭和63年(1988)社名を株式会社ツムラに変更し、ロゴマークも変更しましたが、「中将姫」は今も中将湯のパッケージから人々の健康を見守っています。
(『日本家庭薬協会のホームページより』)

 歴史物語上の中将姫は、しかし、薬草学とは別の意味で有名だった。
 「継子いじめ」である。

 幼少より信心深かった中将姫は、父である藤原豊成が新たに迎えた北の方(継母)にいじめられ、山中に捨てられる。が、臣下に助けられて生き延びる。長じてその美しさが知れ渡り、后として入内するよう求められるも、信仰の心やみがたく、16歳にして奈良の當麻寺(たいまでら)にて出家する。

 昔から「継子いじめ」と言えば中将姫で、説話や歌舞伎にもなっているらしいが、ソルティはとんと知らなかった。
 ソルティにとって「継子いじめ」と言えば、シンデレラや白雪姫や『ヘンゼルとグレーテル』などの西洋童話である。
 日本なら、高校の古文で習った『落窪物語』と三浦綾子の『氷点』くらいであろうか。
 當麻寺には、中将姫が一夜で織ったという4メートル四方の曼荼羅がある。
 極楽浄土の教えが壮麗に描かれているという。(基本非公開)
 中将姫は、后の位を断り仏門に入ることで、“聖なる女”をまっとうしたのである。

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 伊勢の斎宮や賀茂の斎院は、代々、未婚の天皇の娘すなわち処女の内親王が選ばれることになっていた。
 斎宮の逸話で有名なのは、『源氏物語』の六条御息所の娘(のちの秋好中宮)、そして鎌倉時代初期に描かれた王朝ポルノ絵巻『小柴垣草紙』であろう。
 もっとも、前者は物語中の架空の斎宮であるし、後者は斎宮になる前に行う野々宮(京都嵯峨野)での潔斎中に、武士の平致光と密通してしまい任を解かれるので、伊勢には下らなかった。
 『小柴垣草紙』のヒロインは醍醐天皇の孫にあたる済子(なりこ)内親王であったと言われるが、ほかにも、伊勢の斎宮になったあとでも男との密通がばれて解任されるケースはあったらしい。
 聖なる女として人々から崇められた女性が、一転、男に穢され、性愛の淵を惑い、俗に転落したときの世間の好奇と非難の目はどれだけ厳しかったことか。(しかし、男とまぐわうこと=「穢れ」なら、男自体が「穢れのもと」ってことにならないか?)

伊勢神宮内宮
伊勢神宮内宮

 秋篠宮家の真子様の例を持ち出すまでもないが、昔から皇族の娘の身の振り方には難しいものがあった。
 身分の釣り合う男は同じ皇族しかいないのだから、適当な相手がいなければ、臣下に嫁ぐか、生涯未婚のままでいるほかなかった。
 斎宮や斎院として選ばれたところで、御代が変われば任は解かれる。
 “聖なる女”としての箔がついただけに、その後の身の振り方は難しいものとなる。
 本書には、平安末期から鎌倉時代に書かれた『鎌倉物語』に登場する内親王たちが、男女関係の中で翻弄される姿が紹介されている。
 「聖」をずっと保ち続けるには、中将姫のように出家するほかなかったのである。

 それにしても、洋の東西問わず、聖人にしても聖女にしても、異性との交わりのないことが求められる。
 「聖」の意味を探ることは、「性」の意味を探ることと等しいのだと思う。





おすすめ度 :★★★

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● 彼は笑う TVドラマ:『ソドムとゴモラ』(ジョセフ・サージェント監督)

1993年アメリカ
112分

ソドムとゴモラ

 ソドムとゴモラと言ったら、神の怒りを買って一夜にして滅ぼされた悪徳の町である。
 とくにソドムの破滅は男色行為の蔓延が主たる原因とみなされ、肛門性交を表す「ソドミー」という言葉の語源となった。
 ソドムが滅ぼされたのが住民たちの男色行為によるものなのかどうかは、研究者によって意見が異なる。
 旅人のふりをして町を訪れた二人の神の使いを足蹴にしたことが原因とする説もある。(旅人を家に泊めてもてなしたロト一家だけが、崩壊する街から逃れることができた。ただし、ロトの妻は逃げる途中、神の使いの言いつけを破って後ろを振り返ったため、塩の柱にされてしまう)
 ともあれ、ソドムは、男色行為も含め人々のありとあらゆる欲望が充満し、節制や親切や勤勉といった美徳が欠落した町だったのである。
 出典はもちろん『旧約聖書』だ。

 本作は、アメリカ制作の「歴史スぺクタクル超大作」という売り文句で、DVDジャケットには火の海となったソドムの絵が使われている。
 酒池肉林のソドムの映像(BLエロシーンあり)や、ポール・アンダーソン監督『ポンペイ』のようなVFXを駆使した迫力たっぷりの派手な破壊シーンが観られるのかと思って、レンタルした。

 ところがどっこい、看板に偽りあり。
 思っていたのとは違っていた。
 それもそのはず、本作の原題は Abraham「アブラハム」。
 つまり、『旧約聖書』創世記に出てくる最初の預言者で、すべてのユダヤ人、すべてのアラブ人の祖と言われる聖人の伝記だったのである。
 しかも、20分に一度くらい映像が途切れて暗くなる瞬間がある。
 映画ではなくて、CMタイム折り込み済みのTVドラマであった。
 となると、「スぺクタクル超大作」という煽りも空しいばかり。
 ソドムの破壊シーンは、円谷プロ『ウルトラシリーズ』ほどの迫力もなかった。

 期待は見事に裏切られたものの、ドラマとしてはなかなか面白かった。
 ソルティは『旧約聖書』の内容をしっかり把握していないので、アブラハムの生涯とソドムの破壊がどう関わるか、知らなかった。
 アブラハムと言えば、たしか神に命じられて自分の息子を生贄に捧げようとした男だったな、くらいの印象であった。
 妻サラとの間に子供ができなかったため妻の召使と関係して最初の息子イシュマエルを作ったとか、齢100歳過ぎてから90歳のサラとの間に息子イサクが生まれたとか、ユダヤ人が割礼の習慣を持つそもそもの起源がアブラハムと神との交信にあったとか、はじめて知ることが多かった。
 それにしても、「男児が生まれたら、8日目に包皮を切りなさい」と命令する神様の意図ってなに?


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Engin AkyurtによるPixabayからの画像

 アブラハム役のリチャード・ハリスは、『ハリー・ポッター』シリーズ第1、2作でダンブルドア校長を演じた名バイプレイヤー。
 このTVドラマがそれなりに見ごたえあるのは、彼の演技の質の高さによるところが大きい。
 100歳にして授かった息子イサクを生贄に捧げるシーンの苦悩の表現(その裏返しとしての神への帰依の表現)は、役者経験と人生経験の蓄積あってこその深み。
 信者の帰依の度合いを確かめたがる神様のパワハラ気質への不快も、ハリスの名演によって緩和されよう。

 「ああ、そうなのか」と知ったことの一つ。
 アブラハムの息子イサクの英語読みはアイザック。
 つまり、物理学者アイザック・ニュートン、SF作家アイザック・アシモフ、ヴァイオリン奏者アイザック・スターン、物理学者ジェローム・アイザック・フリードマンと同じである。
 ユダヤ系男子に多い名で、上記のうちニュートン以外はユダヤ系である。
 その意味は「彼は笑う」なのだと。




おすすめ度 :★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損


● 夏越の祓 : オーケストラ・モデルネ・東京 第5回演奏会


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日時: 2024年6月30日(日)14:00~
会場: 埼玉会館 大ホール
曲目:
  • モーツァルト: 歌劇『魔笛』序曲
  • マーラー: 交響曲第9番 ニ長調
指揮: 篠﨑 靖男

 開演1時間前にJR浦和駅に到着。
 時間つぶしになりそうな場所はないかと google map を見たら、駅西口から徒歩10分のところに調神社という名のちょっと大きめな神社がある。
 あっ、そう言えば、今日は水無月晦日(6月30日)。
 日本古来の半年に一度の神事、夏越の祓(なごしのはらえ)ではないか。
 半年間で積もり積もった罪や穢れを祓い落とすチャンスである。
 行くべし。

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JR浦和駅西口

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調神社(771年創建)
「つきじんじゃ」と読む
かつて、調(律令時代の税)を納める倉があったことに由来する
鳥居がないのは、調運搬の邪魔になるため作らなかったからとか

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狛犬のかわりに狛ウサギ
調(つき)=月の連想から月待信仰と結びつき、ウサギを神の使いとするようになった

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手水舎にもウサちゃんがいた

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拝殿
ご祭神は、天照大御神(あまてらすおおみかみ)、豊宇気姫命(とようけびめのみこと)、
素盞嗚尊(すさのおのみこと)
参道に置かれた茅の輪(ちのわ)を8の字を描くように潜ることで穢れを祓う

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スサノオノミコト像
子どもの作った粘土の人形さながら

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神楽殿
干支の龍が描かれたビッグ絵馬

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木々に囲まれた池の静けさが夏の暑さを和らげる

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ここにも白ウサギ

 心も体も(?)清らかになったところで、埼玉会館に向かう。

 オーケストラ・モデルネを聴くのははじめて――と思ったら、2022年6月晴海で聴いていた。
 ソルティの週末アマオケ道楽も8年を数え、聴いたオケ数は軽く70は超える。
 2度目3度目があっても、それを初回と勘違いしていても、不思議ではない。
 だいたいが、大学オケはともかく、社会人オケはみんな同じようなカタカナ名をつけるから、差別化がはかりにくい。 

 モーツァルトの『魔笛』序曲が約7分、マーラーの交響曲第9番が約90分、休憩なしで合わせて約100分。
 途中で腰が痛くなるか、痔が痛くなるか、尿意を我慢できなくなるか、前に後ろに舟を漕いでしまうか、イビキで周囲から白い眼で見られるか・・・・と危惧した。
 もう、還暦だもん。仕方ないよね。
 よっぽど目覚ましい気の入った演奏でないと、昨今のコンサートホールの椅子の心地良い柔らかさと程よい照明のほの暗さには勝てないのだ。
 時節柄、暑かったり肌寒かったり、気圧が乱高下したり、老いの体にかかる負荷もなまなかではない。
 だいたい昼ご飯を食べた後の14時頃が疲労回復モードすなわち眠気のピークに当たるわけで、周りを見たらご高齢の観客の皆様の多くは頭をかしいでいた。
 ソルティは眠ったつもりはないのだけれど、なんか「あっ」という間に終わっていた。
 半覚半睡?
 アルタード・ステイツ(変性意識状態)?
 よくわからない。

 ただ、9番はいつもなら、悲痛・悲哀・悲愴・悲嘆・悲観といったネガティヴなイメージに胸を締めつけられ、甘美なる鬱に漂いながら終焉するのだけれど、今回の9番とくに第4楽章は、ネガティヴな感情を掻き立てることはなく、むしろ、静かさと安らぎのモードが勝っていた。
 諦念の先にある微細な優しさと言おうか。
 浄化された魂の昇天と言おうか。

 そんな印象を受けたのも、コンサート前の大祓いのせいなのかもしれない。
 というのも、いつもは70年代ヒット曲イタリア童謡『チンチンポンポン』の残像のせいで、「よぉーく洗いなよ」と聞こえてしまう第4楽章の回音音型(ミーファミレ#ミソ)が、今日は「よぉーく祓いなよ」と鳴り続けていたのだから。

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埼玉会館





● それは鉄道讃歌から始まった : ボヘミアン・フィルハーモニック 第9回定期演奏会

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日時: 2024年3月16日(土)14:00~
会場: 神奈川県立音楽堂
曲目:
  • ドヴォルザーク: 交響曲第1番「ズロニツェの鐘」
  • ドヴォルザーク: 交響曲第9番「新世界より」
  • アンコール ドヴォルザーク:プラハ・ワルツ B99
指揮: 山上紘生

 神奈川県立音楽堂は桜木町駅から徒歩10分。
 自宅から1時間半以上かかるのだが、山上紘生の振る『新世界』を聴かないでいらりょうか。
 ボヘミアン・フィルハーモニックは、「ドヴォルザークやスメタナなどのボヘミアの作曲家の楽曲を中心に演奏活動するアマチュアオーケストラ」で、今回の2曲でドヴォルザーク交響曲の全曲演奏達成とのこと。おめでとう!
 交響曲第1番など、なかなか聴く機会にお目にかかれない。
 5月初旬のぽかぽか陽気、遠出も苦にならなかった。

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JR桜木町駅

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紅葉坂
女性アイドルグループのような美しい名前だが、結構傾斜がきつい

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県立音楽堂
満席(約1000席)に近かった

 今回つくづく感じたのは、アントニン・ドヴォルザークという作曲家の進化のほどである。
 1865年24歳の時に作曲された交響曲第1番と、1893年52歳の時に初演された第9番を、続けて聴くことで、一人の芸術家の、あるいは一人の人間の成熟をまざまざと感じた。
 第1番も決して悪い出来ではない。
 ベートーヴェンとブラームスの影響を受けているのは無理もないところであるが、それでも、そこかしこにドヴォルザークの才能の片鱗とブルックナーにも似たオタク的個性を感じさせる。
 が、第1楽章から第4楽章まで、すべての楽章が同じように聴こえる。
 一定のリズムに乗って、力まかせに進行する。
 あたかも蒸気機関車のように。
 それゆえ、全体に単調に聴こえるのだ。
 ドヴォルザークは鉄道オタクで有名だったが、彼の音楽の原点にあるのは、幼少のみぎり夢中になって聞いた列車の響きなんじゃないか、としばしば思う。
 名うてのメロディーメイカーなのに、第1番ではそれが十分発揮されていないのがもったいない。 
 さらには、有名なチェロ協奏曲や第9番第2楽章に見られるような、祈りにも似た静謐な悲哀と深い宗教性――それこそがドヴォルザークの人生上の経験と成熟がもたらしたエッセンスなのではあるまいか――が、まだここには見られない。
 つまり、若書きなのである。
 24歳の作品だから若書きは当然であるが、マーラー28歳やショスタコーヴィチ19歳の第1番と比べると、かなり未熟な印象を受ける。
 アントニンは大器晩成型の作曲家だったのだろう。
 ソルティが第1番に副題をつけるなら、『鉄道讃歌』あるいは『ヒョウタンツギの冒険』ってところか。

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Erich WestendarpによるPixabayからの画像

 第9番は無駄な音符がひとつもないと思うような完璧な傑作。
 楽章ごとに異なる曲調と色合いで、変化に富んでいて飽きない。
 リズムとメロディの見事な融合が果たされている。
 第2楽章中間部の深い悲哀と宗教性は、全曲の肝である。
 この魂の泉の深みと静けさあるゆえに、第1楽章におけるグランドキャニオンのごとき荘厳と第4楽章における最後の審判のごとき大迫力が生きるのだ。
 鉄道讃歌が『銀河鉄道の夜』に飛躍するのである。 

 オケは緊張か、はたまた若さゆえか、ところどころ糸のほつれが見られはしたが、全般、弾力と光沢ある織物に仕上がっていた。
 織り手の筆頭である山上は、いろんなところで成功を重ねているせいか、風格が増した。
 『エースをねらえ!』のお蝶夫人を思わせる優美な指揮姿は変わらず。
 思わず見とれてしまう指揮姿は、この人の最大の武器であろう。
 さらには、今回明らかにされたドヴォルザークとの親和性の高さ。
 これまでに聴いたショスタコーヴィチシベリウスもとても良かったが、どちらの場合も、「大曲に頑張って向き合っています」という気負った印象があった。
 ドヴォルザークではまったくそんな感じがなく、肩の力を抜いて自在に振っているように思えた。
 ひょっとして、山上も・・・・・・鉄ちゃん?
 次は、マーラーかベートーヴェンを聴いてみたいものだ。

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これほど質の高い演奏を無料で聴けた豊かさに感謝

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終演後、近くの野毛山不動尊に詣でた

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本殿
丘の上にあり、エレベータで上がることができる

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本殿前から横浜港方面を望む
横浜ランドマークタワーがひときわ高い

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不動明王

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弁天様もいらっしゃる

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野毛坂にある中華料理店がソルティのグルメレーダーに反応

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芸能人もやって来る店だった

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タンメンとグレープフルーツハイを注文
麺が太目でシコシコしていた
スープがほどよい塩加減でうまかった






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