ソルティはかた、かく語りき

東京近郊に住まうオス猫である。 半世紀以上生き延びて、もはやバケ猫化しているとの噂あり。 本を読んで、映画を観て、音楽を聴いて、芝居や落語に興じ、 旅に出て、山に登って、仏教を学んで瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

スピリチュアル

● 嵐のあとの喜ばしい家路: L.v.B.室内管弦楽団 第51回演奏会

IMG_20230416_150153
 
日時: 2023年4月16日(日)
会場: 光が丘IMAホール(練馬区)
曲目: 
  • L.v.ベートーヴェン: 交響曲第6番 ヘ長調 作品68『田園』
  • A.ドヴォルザーク: チェロ協奏曲 ロ短調 作品104 (B.191) 
チェロ: 印田 陽介
指揮 : 苫米地 英一

 今日は、中野ZEROで同じ時間帯に催される中野区民交響楽団定期演奏会と、どちらに行くかで直前まで迷った。
 そちらも、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番&交響曲第6番『悲愴』(指揮:高橋勇太)という鉄板の人気プログラム。
 チェロかピアノか、ベートーヴェンかチャイコか、練馬か中野か。
 結局、ドヴォコンことドヴォルザークのチェロコンチェルトの美しくも妖しい魔力に抗いがたく、光が丘に足を運んだ。
 新緑鮮やかな光が丘公園は、日曜の午後を楽しむたくさんの人であふれ、すっかりコロナ前の日常に戻っていた。
 思えば、どっちの演奏会に行くか迷うという贅沢も、数年ぶりである。
 i-amabileの演奏会リストによれば、4月のアマオケ演奏会登録件数は114件。
 これはコロナ前(2019年)同月の95件をしのぐ過去最高件数である。
 めでたい、めでたい。

IMG_20230416_150237
光が丘IMAホール
到着した時は青空が広がっていたが・・・

 ときに、ベートーヴェン『田園』を聞くと、昔働ていた自然食品店のことを思い出す。
 店内にはいつもクラシック音楽が流れていた。
 業務用BGMを配信する会社と契約していたのである。
 お買い物のBGMであるから、暗い曲や重たい曲や小難しい曲はなくて、軽やかで明るい癒し系の曲が何曲かプログラミングされ、それが一日中リピートする。
 とくによく流れていたのが、『田園』第1楽章だった。
 タイトル通り、牧歌的で明るく心浮き立つ曲なので、お買い物する人にとっては耳に心地よく、(たぶん)購買欲をそそるものなのだが、店内にいて一日中リピートを聴く者にとっては事は別。
 そもそもが、渦巻きのように旋回するメロディが幾度となく繰り返される曲である。
 それを何度もリピートされると、うざったくて仕方ない。
 無限回廊にはまったような気分になる。
 たいてい、そのうち店員の誰かが「もう、やめて~!」と悲鳴を上げて、電源を切るのであった。
 あれから20年以上経つけれど、トラウマなのか、今でも第1楽章にはウザったさを感じる。
 他の人はどうなんだろう? 
 けれど、このウザったさあればこそ、第2楽章の清冽が癒しとなるのは確かである。

 ドヴォコンは、オケもチェロ独奏の印田陽介も素晴らしかった。
 印田のほぼ真正面、前から4列目にいたので、手の動きがよく見えた。
 鮮やかなテクニック、メリハリの効いた力強い演奏に感服した。
 オケもよく頑張ったと思う。
 個人的に、この曲の第1楽章は、すべてのクラシック音楽の中で、マーラーの交響曲第9番第1楽章と並ぶ傑作だと思う。
 とくに、ソナタ形式の提示部(ABAB)が終わって、展開部に入ってチェロが静かに語り出す低音の調べが、「明」でもない「暗」でもない、この世の秘密に触れている気がして、いつもここで背筋が寒くなる。
 こんなことを努力もなくできてしまうドヴォルザークの天才にはたまげる。
 ブラームスが羨ましがったというのもよく分かる。
 ドヴォルザークくらい天上に近いところに最初からいた作曲家は、モーツァルトのほかあるまい。(ベートーヴェンは苦労してそこに辿りついたという気がする)

 演奏会が終わって会場を出たら、よもやの雷鳴と土砂降り。
 急激に天気が変わっていた。
 しまった! 傘がない!
 が、10分ほど雨宿りしたら、陽が射して青空が戻ってきた。
 東の空に、うっすらと虹がかかった。
 まるで、『田園』第4楽章「雷雨、嵐」から第5楽章「嵐のあとの喜ばしい感謝の気持ち」をなぞるような光景。
 雨に洗われた光が丘公園の緑を縫って、家路に着いた。
  

IMG_20230416_163803









 

● 奥むさし、春の花浴 : 釜伏峠(550m)

 晴れの休日。
 桜を見るチャンスである。
 関東平野は終わりかけているので、近場の山に出かけてみた。
 このコースは、埼玉県寄居町が発行しているハイキングガイドで知った。
 20kmの歩きは、2019年12月の足のかかと骨折以来の最長距離。
 これを克服できれば、秩父の両神山(1723m、歩行時間約6時間半)制覇も見えてこよう。
 奥武蔵の里山に、色とりどりの春の花を愛でながら、マイペース・ウォーキング。

● 歩行日 2023年3月29日(水)  
● 天気  晴れのち曇り
● 行程
10:10 秩父鉄道・波久礼駅
    歩行開始
10:30 「風のみち」入口、夫婦滝
11:15 姥宮神社、胎内くぐり
    休憩(10分)
11:40 無人駄菓子屋
12:15 日本水(やまとみず)水汲み場
    休憩(10分)
13:00 釜伏峠、釜伏神社(550m)
    昼食(30分) 
14:30 中間平緑地公園
    休憩(20分)
16:10 県道坂本寄居線・食品店のベンチ
    休憩(10分)
16:40 鉢形城跡
17:20 東武東上線鉄橋
    休憩(10分)
17:40 東武東上線・玉淀駅
    歩行終了
● 最大標高  550m
● 所要時間  7時間30分(歩行6時間+休憩1時間30分)
● 歩行距離   約20km

DSCN5860
秩父鉄道・波久礼駅
無人である
公衆電話ボックスがいまや懐かしく感じる

DSCN5863
寄居橋を渡る

DSCN5862
下を流れるは荒川
玉淀ダムで堰き止められて湖となっている
紅葉きれいだろうなあ

DSCN5864
満開に間に合った!
やはり青空とのコントラストは美しい(ポストも然り)

DSCN5865
荒川の支流である風布川に沿って遊歩道が続く

DSCN5867
夫婦滝
落差約3mのかわいい滝
奥が夫、手前が妻

DSCN5868
この里山風景に浸りたかった!

DSCN5870
山道に入ると、檜の香りに身も心も浄化される
檜風呂の10倍は効果ある
体内の澱んだ電磁波が抜けていく(気がする)

DSCN5873
風布川のせせらぎも癒し効果高い

DSCN5874
飛び石を伝って何度も渡りかえす

DSCN5875
オオアラセイトウ(別名:紫花菜)
この時期もっともよく見かける野辺の花である

DSCN5881
姥宮神社(とめみやじんじゃ)で休憩
祭神は石凝姥神(いしこりどめのみこと)
三種の神器の一つである八咫鏡(やたかがみ)を造った神と言われる

DSCN5880
なんと、狛犬ならぬ狛ガエル!

DSCN5882
夫婦ガエルらしく、一方の背には子ガエルが乗っていた

DSCN5879
神殿の裏山にある胎内くぐり(入口)
この岩穴をくぐると、天然痘やはしかに罹らないと書かれていた
蛙のイボからの連想で「出来物に効く」ということか

DSCN5877
胎内くぐり(出口)
這いつくばって潜りました
メタボ診断に使える微妙な狭さ

DSCN5884
えっ、ミズバショウ!?
ちょっと早くないか?

DSCN5892
ただの観光案内所&休憩所と思ったら・・・

DSCN5885
なに? 無人駄菓子屋?
どーゆーこと?

DSCN5888
中には昔懐かし駄菓子の数々が並んで、感動もの!
ガラスケースの蓋を開けて好きな菓子を取り、お代は左奥の賽銭箱に
ハイカーやキャンパーの良心にたよる経営スタイルはえらい

DSCN5891
もちろんソルティも買いました
これで200円ちょうど

DSCN5894
木蓮は紫のドレスを着たアルト合唱団

DSCN5897
ドライブウェイを包む桜の雲

DSCN5899
穴場である

DSCN5903
日本水(やまとみず)の水汲み場
全国名水百選に選ばれている
古来より枯れることのない「子授け・不老長寿の霊水」
ポリタンクを車に積んで、水汲みに来る人で絶えない
お爺ちゃんと一緒に水汲みしていた男児にチョコパイをあげました

DSCN5901
釜を伏せたような形状から釜伏山と名付けられた
ゆるやかな登りが続く

DSCN5915
釜伏峠(550m)に到着!
寄居地方と秩父盆地を結ぶ峠として、鎌倉時代から往来があったという
看板裏の東屋でおにぎりを頬張る

DSCN5914
釜山神社
この参道、すこぶる気持ちいい

DSCN5910
この世の五大要素である“木火土金水”の霊神が祀られているとの由
「神威輝四海」とは、“神の御力は四海に及ぶ”の意か

DSCN5908
ここの狛犬は秩父地方同様、オオカミだった

DSCN5925
下山途中にある中間平緑地公園
展望デッキからの景色が素晴らしい

DSCN5917
展望デッキから
西に秩父の山々が連なる

DSCN5918
東は眼下に寄居町
春霞で遠景がぼけているが、筑波山やスカイツリーが見えるとか
夜景がまた素晴らしいとか

DSCN5922
南は東秩父村
山との対話ですっかり心静まった

DSCN5929
下ったところで見事な桜が我を招いた
お堂とのコラボが絶妙

DSCN5932
東国三葉躑躅(トウゴクミツバツツジ)

DSCN5933
路傍の庚申塔や月待塔に古くからの民間信仰を見る
この庚申塔は2mくらいの高さがあった

DSCN5934
馬頭尊は道中を守る仏さま
水仙と鈴蘭に囲まれてうれしそう

DSCN5937
県道脇の食品店のベンチで休憩
地元の人にとってみれば、なんてことない風景なのだろう

DSCN5945
鉢形城跡
小田原北条氏が北関東進出の拠点として築城
当時の建物は残っていない

DSCN5950
正喜橋
荒川に戻ってきました

DSCN5949
渡っていると、5時の「夕焼け小焼け」が鳴った
平和だなあ~

DSCN5951
なごり椿も散る時を知り

DSCN5957
鉄橋を渡る東武東上線

DSCN5959
東武東上線・玉淀駅
頑張った足に感謝

DSCN5939
年々幸福を感じる沸点が低くなっていくソルティ
野の花を見るだけで幸せって、チッチか、あるいは裸の大将か・・・










● 輪廻転生ミステリー 本:『我々は、みな孤独である』(貴志祐介著)

2020年角川春樹事務所
2022年文庫化

IMG_20230311_092705
装画:日田慶治 装幀:鈴木久美

 貴志祐介の本はこれで6冊目(検索カテゴリーを立てた)。
 やっぱり面白い。
 奇抜なプロット、緻密なリアリティ、抜群のストーリーテリング。
 いったん読み始めたら、またたく間に作品世界に入り込んでしまい、寝不足必死になる。
 本書も22時半に、布団の中で寝落ちを目論んでページを開いたが最後、気がつけば深夜1時を回っていた。
 このまま読み続けたい。
 でも、明日の仕事が・・・。
 人と会う約束が・・・。
 生皮をはがすような決心で、しおりを挟んで、文庫本を遠くに放り投げた。 

 本小説をジャンル分けするなら、「スピリチュアル・バイオレンス・ミステリー・サスペンス」といったところ。
 スピリチュアル(精神世界)とバイオレンス(暴力)という、両立しそうもない分野が共存しているところに、貴志祐介らしさがある。
 しかも、貴志の描くバイオレンスは、ありきたりの暴力ではない。
 サディスティックで悪趣味な、読みながら身体の末端に痛みを感じるような暴力である。
 ソルティは、あまりに過激な暴力描写は好まないので、正直、途中でげんなりした。
 自らの性器を咥えたメキシコ人の活け造りとか、貴志祐介のファンの一角をなすであろうサイコパスマニアへの読者サービスとしても、下劣で趣味が悪い。
 もう一つのスピリチュアルという要素がなかったなら、その時点でソルティは離脱していただろう。
 
 そう、本書の一番の魅力は、前世すなわち輪廻転生をテーマにしているところ。
 場末のしがない探偵事務所所長である茶畑は、有名企業の正木会長から依頼を受ける。
 「私は前世で切り殺された。その犯人を突き止めてほしい」
 茶畑は内心それを、怪しげな占い師に洗脳された正木の与太話としか受け取らない。
 が、多額の報酬に釣られて仕事を引き受ける。
 正木をそれなりに納得させるエセ物語をつくるため、彼が語る前世について過去の資料を調べていくと、まさに正木が語った通りの出来事が史実として残っていた。
 これは偶然なのか?
 それとも、占い師が正木を操っているのか?
 だとしたら、いったい何の目的で・・・。
 
 そのうちに、茶畑も自分の前世としか思えない夢を見るようになる。
 すべてを見通すかのような瞳を持つ不思議な女性霊能者との出会いと謎の言葉、行く先々で起こるシンクロニシティ、目の前に次々と示されていく輪廻転生のしるし。
 一方、事務所スタッフの失踪事件に絡んで、幼馴染の暴力団員や日本でのコカイン販促を狙うメキシカン・マフィアなどが茶畑に接近し、周囲は暴力的な色合いを濃くしていく。
 身に迫る命の危険を知りながらも、茶畑は最早、輪廻転生の謎を突き止めずにはいられない。
 
 最後は、正木からの依頼も、メキシカン・マフィアと日本の暴力団との抗争も、探偵事務所の経営も、スタッフ女性とのお安くない関係も、すべての伏線が回収されぬまま打っちゃられて、輪廻転生の謎に飲み込まれてしまう。
 壮大なる宇宙意識の前には、人間の命や日々の営為や人類の歴史など、大海の一滴にも値しない。
 そのあたりの強引さというか、読者置いてきぼりのパラダイム変換は、諸星大二郎の『暗黒神話』を思わせる。
 一種の「夢オチ」とも言える漫画チックな結末は、小説としては、貴志の他の作品にくらべると不出来という声もあろう。
 だが、輪廻転生や唯識や非二元といったスピリチュアルテーマに関心あるソルティは、最後まで興味深く読んだ。
 本作で明かされる輪廻転生の仕組みに則れば、弥勒菩薩はすでに現世に生まれ変わっているのかもしれない。


IMG_20230227_180921



おすすめ度 :★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損






 
 
 

● 京都&奈良、初春の神仏めぐり(序)

 2月末に、全国旅行支援を利用して2泊3日の旅をした。
 主な目的は以下の通り。

【京都】
  1. 伏見稲荷大社・・・山頂まで連なる朱色の鳥居で有名
  2. 三十三間堂・・・千躰の千手観音で知られる
  3. 無鄰菴・・・山縣有朋の別荘だった名庭
  4. 街中サイクリング
【奈良】
  1. 蟹満寺・・・国宝の白鳳釈迦如来像がある
  2. 法隆寺・・・柿食えば鐘が鳴るなり
  3. 水平社博物館(御所市柏原)・・・全国水平社発祥の地で、住井すゑ著『橋のない川』の舞台
 初日の京都は小雪の舞い散る凍えるような寒さ、二日目と三日目の奈良はコートもズボン下も要らないポカポカ陽気であった。


第1日(2/26)京都

【行程】
08:24 京都駅着、JR奈良線乗り換え
09:00 伏見稲荷大社
10:15 稲荷山頂上
11:30 下山
11:45 自転車レンタル
12:00 三十三間堂(90分)
14:00 昼食(八坂神社近く)
15:45 無鄰菴(60分)
17:20 神泉苑(15分)
17:50 ホテル着

 京都駅でJR奈良線に乗り換えて、稲荷駅下車。
 目の前に大鳥居がある。
 日曜日とは言え、まだ朝早く寒いので、人はそれほどでもない。

DSCN5809
大鳥居
外国人参拝客もちらほら
実はソルティ、稲荷とはなんとなく相性合わず、ここは詣でたことなかった

DSCN5831
拝殿
背後に山をいただく境内は鎌倉の鶴岡八幡宮と似て、広くて清々しい
全国に約3万社あると言われる稲荷神社の総本社である
拝観料は無料

DSCN5820
鳥居のトンネルを山頂まで登って下山するのに2時間を要す

DSCN5811
本殿横のスタート地点

DSCN5812
途中までで引き返す人が多く、登るほどに空いてくる

DSCN5813
鳥居の裏側には奉納者の名前と年月が書かれている
鳥居の料金(初穂料)はサイズや場所によって異なるが、20~200万円くらい
木でできているので4~5年が寿命

DSCN5816
山腹から京都市街を一望する
東西に伸びる新幹線の高架
その向こうに右京区から嵐山方面

DSCN5817
時折、雪がぱらついた
「空寒み 花にまじえて 散る雪に すこし春ある 心地こそすれ」(清少納言)

DSCN5821
鳥居は続くよ どこまでも

DSCN5823
外人さんも奉納している

DSCN5822
山頂(233m)
売店はあるが見晴らしはない

DSCN5826DSCN5824
稲荷と言えばお狐様
境内にいったい何匹いることか?

DSCN5830
眼力社
お参りすると眼が良くなるとか
近眼と老眼と夜盲症と飛蚊症が改善しますように!

rental_cycle_bicycle
下山後、一番近いHELLO CYCLINGのステーションで電動アシスト自転車を借りる

DSCN5832
北上して高架をくぐる
七条通りに面した三十三間堂(蓮華王院)
南北120メートルに及ぶ本堂は圧巻である

DSCN5834
境内を囲む朱塗りの柱の回廊も美しい

千手観音行列

もちろん、堂内の千躰を超える千手観音も壮観にして森厳たり
ここに来たいと思ったのは、溝口健二監督の名作『西鶴一代女』の冒頭シーンでこのお堂が出てくると勘違いしたからであった。
「なんか違うな?」と思い、帰ってから映画を観直したところ、ロケに使われたのは滋賀県彦根にある天寧寺の羅漢堂であった。

IMG_20230302_100017
『西鶴一代女』(1952年大映)
田中絹代が演じる辻君(遊女)が羅漢堂に入って、かつて愛し合った男によく似た羅漢様を見つけるシーン。
「いくら江戸時代でも、遊女が勝手に三十三間堂には入れないよな。それに千手観音の顔はどれも似たり寄ったりで、知り合いの顔を見つけるほどのバリエーションも個性もない。変だな」と気づいた。
天寧寺にはあらためて行こう。

IMG_20230226_182606
東大路通を北上
八坂神社付近の食堂で鍋焼きうどんを食べる
寒い日はこれに限る

DSCN5851
東大路通から南禅寺に向かう仁王門通沿いに無鄰菴はある
明治29年に造営された山縣有朋の別荘で、今は京都市が管理している

DSCN5839
はじめて訪れたのは高校2年の修学旅行
以来、各年代で一度は訪れている
自然と人工の調合が実に見事で、来るたびに心休まるお気に入りスポット

DSCN5838
庭から見た母屋
座敷から庭を観ながら、コーヒーや抹茶、特製どら焼などを楽しめる

DSCN5842
園内にある洋館
ここで有朋は、伊藤博文らと日露外交について話し合ったという

DSCN5847
無鄰菴とは、「隣人が無い」人里離れた庵の意
今の無鄰菴は住宅街にあるが、周囲の建物はうまい具合に隠されている

DSCN5846
40年前にはじめて訪れたとき一等感動したのは、東山を借景とするアイデアであった。
実は東山こそが主役であり、それを引き立てるために造られた庭なのだ。
東山からの延長上に自分がいる、自分の中に東山がある、そんな気持ちを抱く50代。

DSCN5852
二条通を走って、市街を横断する
二条大橋から比叡山を望む

DSCN5853
森鴎外の小説で有名な高瀬舟(復元)
運河に散る桜はきれいだろう

DSCN5858
車では入れない、徒歩ではなかなか足を運べない、こういった路地の風情を楽しめるのが、サイクリングのいいところ。
観光スポットだけが京の魅力ではない。

DSCN5859
あちこちに残る京町屋の趣きもゆかしい

DSCN5855
二条城近くの神泉苑
平安時代にはここで、空海と守敏の雨乞い合戦があった(もちろん勝ったのは空海)
現代の人気霊能者・寺尾玲子によると、ここは龍の通るパワースポットだとか
ソルティ的には、池のほとりに立つ朝鮮石人像の由来が気になった

最寄りのステーションに自転車を返し、コンビニで夕食を買い、ホテルにチェックイン。
夜遊びするパワーはいただけなかった。

DSCN5828



















































● ホルン奏者の二の腕 : アリエッタ交響楽団 第16回演奏会

日時: 2023年2月12日(日)14時~   
会場: 和光市民文化センター サンアゼリア大ホール
曲目:
  • メンデルスゾーン: 演奏会序曲『夏の夜の夢』 作品21
  • リヒャルト・シュトラウス: ホルン協奏曲第1番変ホ長調 作品11
  • アントニン・ドヴォルザーク: 交響曲第7番ニ短調 作品70
ホルン: 北山順子
指揮: 大市 泰範

 コロナ後遺症なのか、早くも花粉症なのか、軽度認知症なのか、判断のつきかねる脳の朦朧(もうろう)加減。
 ぐっすり眠った感がここ久しくない。
 こういう状態のとき、たぶん人は容易に洗脳されちゃうんだろうなあ。

 アントニン療法を求めて、埼玉県のへりにある和光市に出かけた。
 サンアゼリアホールは東武東上線の和光市駅南口から歩いて15分。
 お隣の成増駅は、東京都板橋区である。

IMG_20230212_173807
和光市市民文化センター サンアゼリア

 今回このコンサートを選んだのは、アントニン=ドヴォルザークはもとより、ホルン協奏曲というのを聴いてみたかったからである。
 ヴァイオリンやチェロやピアノとオケの協奏はよくあるけれど、ホルンは珍しい。

 まず意外だったことに、てっきり椅子に座っての演奏かと思ったら、立って演奏した。
 楽器に詳しくないので、今回の奏者の使用していたホルンの種類は分からなかったが、一番軽いホルンでも2.0kgはするという。
 それを抱えながら20分近く立ちっぱなしで演奏する(しかも女性が)のは並大抵のことではなかろう。
 ソルティは舞台向かって左側の席にいたのだが、指揮台の横に立つ奏者のドレスの肩口から伸びた、ミケランジェロの彫像のように立派でたくましい右腕ばかりに気を取られた。
 やはり、あれくらいでないと、ホルンは吹きこなせないのだろう。
 腕力とスタミナに感心しきり。

 いつもは弦楽器や木管楽器の後ろに隠れていて客席からは見えないホルンの奏法も面白かった。
 右手をベル(朝顔部分)の中に突っ込んでいる姿が、金色のマフの中に手を入れている貴婦人のようで、いったいあの中でどんな手の動きがなされているのだろう?――と興味津々。
 ときおり、客席に背を向けて、お辞儀をするような格好で、なにか操作している仕草も謎だった。
 あれは何をしているのだろう?
 溜まった唾液を抜いている?(まさかね)

 それにしても、ホルンは最も難しい楽器と言われていて、音を外しやすいことで知られているけれど、長い演奏中、音が外れることがなかった。
 やっぱり、プロは凄い。
 ベルカントさながらの美しい音色と技巧を堪能した。

ホルン

 ドヴォルザークの7番もはじめて聴いた。
 不穏な入り方で、「このドヴォはちょっと暗いぞ」とかまえていたが、出口は明るくなごやかだった。
 第1楽章の途中から、瞑想モードに入り込んだ。
 “気”のかたまりが下半身から這い上がって、眉間に固定する。
 眉間の前方空間に窓が開く感じ。
 この状態になると、頭も体もととのう。
 音楽は、耳で聴いているというより、体全身で音波を感じているふうになる。
 そのまま最終楽章まで運ばれた。

 治療終了。
 治療費(=入場料)はなんと500円。
 アマオケシーンもようやくコロナ前の水準に戻ってきたようで、喜ばしいかぎり。

 帰り道にあった中華料理店でチャーハンと餃子を食べた。
 スタミナつけなきゃ!

IMG_20230212_185724

IMG_20230212_185643






 
 
 
 
 
 


● 生まれたところに還る旅 : フライハイト交響楽団 第50回記念演奏会

日時: 2023年1月22日(日)13時30分~
会場: すみだトリフォニーホール 大ホール
曲目: 
  • バッハ(シェーンベルク編曲): 前奏曲とフーガ
  • マーラー: 交響曲第9番
指揮: 森口真司

IMG_20230122_162901
錦糸町駅北口(墨田区)

 フライハイト(Freiheit)とはドイツ語で「自由」の意。
 1996年創設時の第1回演奏会の曲目も、このマーラー交響曲第9番だったという。
 団員にとっては深い思い入れのある曲であろう。

 旗揚げ公演にこの曲を選ぶってのもユニークである。
 マーラーが完成させた最後の交響曲となった9番は、やり切れないほど切なく哀しい曲調で、作曲者の指示により「死に絶えるように」終わる。
 そのため、死や別れのイメージで語られることが多い。
 旗揚げにマーラーを選ぶなら、景気よく終わって人気も高い1番や5番あたりが無難であろう。
 そういった固定観念に縛られない姿勢こそが、オケ名の由来かもしれない。

 最初のバッハは、手ならしといったところか。
 独奏も合奏も安定して、よくまとまったオケの力が伺い知れた。
 多彩な色調のシェーンベルク編曲のバッハからマーラーへ、というプログラム構成もうまい。
 たしかに、9番を聴くにはそれなりの心の準備が要る。
 いきなり突き落とされてはかなわない。 

 9番をライブで聴くのは実はこれが初めて。
 やっぱり、家でディスクで聴くのとは違って、一つ一つの音が立ち上がって、ホログラムのごとく客席上の空間に像を結ぶ。
 家で聴くと陰々滅滅とした印象ばかりが先立ち、イメージがなかなか広がらなかった。
 空間もまた、オーケストラの重要な楽器の一つなのだ。

IMG_20230122_132205
すみだトリフォニーホール

 今回受けた印象を一言で言えば・・・・母胎回帰。
 第一楽章の初っ端、マーラーにしては素朴で単調にして優しいメロディが歌われる。
 甘美にしてどこか懐かしい。
 それはまるで子守歌のよう。
 遠い記憶の底、揺りかごの中で聞いた母の声。

 疾風怒濤の彼の人生を表すような第2楽章・第3楽章を経て、第4楽章はまた、泣く子をあやす声がけのような単調な「ミ・ファミレ♯ミ」の繰り返し。
 その途中、第一楽章冒頭の子守歌が顔を出す。
 子守歌で始まり、子守歌で終わる。
 その円環が、母胎回帰という印象につながったのである。
 
 この第9番は第1番『巨人』の焼き直し、というかバージョンアップ決定版という感じがする。
 幼少⇒青春⇒「明」と「暗」の綱引き・・・・と展開するマーラーの個人史だ。
 若かりし第1番ではまだ未来が見えなかったがゆえに、無理なこじつけ感のある「明」で仕上げた第4楽章であったが、今ははっきりした正体を現しているがゆえに、自然な流れで第1~第3楽章から引き取られている。
 それはやはり「明」ではなかった。
 と言って「暗」でもない。
 すべてを受け入れる優しい「哀」である。
 つまり、第1番でマーラー自身が提出した問いの答えが、第9番だったのではないか。

 放っておくと“陰キャ”に陥りがちなマーラーを、“陽キャ”に引き上げてくれるエレメントは、自然(3番、4番)、エロス(5番、6番)、神(2番、8番)の3つであった。
 うち、エロスの源の最たるものが最愛の妻アルマであったのは言うまでもない。
 しかるに、この9番にはもはや、自然も、エロスも、神も、見当たらない。
 9番を完成させたあとに降りかかったアルマの不倫事件を持ち出すまでもなく、いずれのエレメントもマーラーには効かなくなってしまったようである。

 空漠とした心を抱えたマーラーが行きついた先は、母の胸だったのではないか。
 (その解釈から言えば、第8番のラストの『ファウスト』の有名な一節、「永遠にして女性的なるもの、われらを牽きて昇らしむ」は、まさに母性原理以外のなにものでもない)
 
 母胎とは生と死の境である。
 第9番は、「生まれたところに還る旅」なのではあるまいか。
 
 その意味で、まさにフライハイト50回記念にふさわしい選曲。
 長々と続いた拍手も納得至極の好演であった。

IMG_20230122_162954




 
 

● 躁うつ病交響曲、あるいはA線上の人生: 明治大学交響楽団 第99回定期演奏会


IMG_20221229_124437

日時: 2022年12月28日(水)
会場: すみだトリフォニーホール 大ホール
曲目:
  • スッペ: 喜歌劇『軽騎兵』序曲
  • ボロディン: 歌劇『イーゴリ公』より「韃靼人の踊り」
  • マーラー: 交響曲第1番
指揮: 和田一樹

 年末最後はいつもベートーヴェン「第九」で〆るのだが、昨年は聴きそこなった。
 コロナ陽性になって自宅隔離を余儀なくされ、予約していた「第九」に行けなかった。
 隔離明けて、何か一年を〆るのにふさわしいものはないかと i-Amabile をチェックしたら、本ライブがあった。  

 マーラーの全交響曲中、2番「復活」、自然を謳った3番8番「千人の交響曲」あたりは、「第九」の代わりとして年末を〆くくるのにふさわしい。
 6番、7番、9番、10番を聴いた日には、とても目出度く新年を迎えるわけには行くまい。(まあ、あえて取り上げるオケもなかろうが)
 1番、4番、5番は一応「明るく」終わるので、無難なところである。
 和田のマーラーは5番7番を聴いたことがあり、どちらもとても良かった。

 明治大学交響楽団を聴くのは初めてであったが、とにかく大所帯で一番端のヴァイオリン奏者など舞台からこぼれ落ちそうであった。
 音の厚みと力強さは保証されたようなもの。
 それを「つかみはバッチリ」の和田が最初からガンガン鳴らしまくる。
 この指揮者の凄いところは、“生きた音”を作り出す力である。
 演奏が始まってすぐに「おおっ!」と客席から身を乗り出さざるを得なくなるのだ。
 おそらく、オケメンバーとのコミュニケーション力が飛び抜けているのだろう。
 「音」を「楽しむ」という根本をつねに忘れない、忘れさせない男なのだ。
 スッペの『軽騎兵』序曲からすでに会場は熱くなっていた。

 ボロディン「韃靼人の踊り」については、あるエピソードが頭について離れない。
 本で読んだのか誰かに聞いたのか忘れたが・・・・・
 ある人が事故で危篤状態になって医師も周囲もあきらめた。実はその時その人は臨死体験中で、幽体離脱して病室の天井から自分の体を見下ろし、暗いトンネルに引っ張り込まれ、そこを抜けたら光の洪水があった。それから慈愛あふれる宇宙空間のような場所をしばらく幸福感に満たされながら漂っていた。ある音楽が鳴り響いていた。その時はそれと分からなかったが無事回復したあとで偶然曲を聴いて「これだ!」と判明した。それが「韃靼人の踊り」だった・・・・いうスピ話。
 これは「宇宙人の正体は実は韃靼人」と言いたいわけではなく、「韃靼人の踊り」という曲が、深い瞑想状態に入っている人の脳に見られるシーター波、あるいはさらに無意識に近い熟睡状態の時(危篤状態も含む)に見られるデルタ波を、曲を聴く人の脳に生み出しやすいということなのではないか、と一介の似非スピリチュアリストたるソルティは睨んでいる。
 今回も案の定、曲の途中で意識が飛んだ瞬間があった。

宇宙の少女
AmiによるPixabayからの画像

 最後のマーラー1番。
 これがもう寒気がするほど良かった。
 何度も聴いている曲なのに、「自分、はじめて1番を聴いたかも」と思ったほど、斬新で美しく、驚きに溢れていた。
 和田一樹が、あたかも人体のあらゆるツボと経絡を熟知した中国二千年の気功師が奇跡的な施術で患者の生命力を回復させるのと同じように、自ら指揮する曲のツボと経絡を理解し、緩急・強弱・間合い・テンポの微妙なズレなどのテクニックを自在に駆使して、マンネリ化しがちな有名曲に新たな生命力を吹き込むことができるのは知っていた。
 その技術が一段と磨かれたようであった。
 それも耳の肥えた聴衆を驚かすテクニックのためのテクニックという(あざとい)レベルを超えて、もとから曲に内包されていたが未だ知られざりしテーマがテクニックと有機的に結びつくことで露わになるという感覚、言い換えれば「楽譜通りに曲を振っている」というより「曲をその場で彫琢し作っている」という印象を受けた。
 プロフィールによると、和田は作曲も手掛けているらしいから、そのあたりが影響しているのかもしれない。

 そうやって露わにされたマーラー1番であるが、ソルティは今回この曲に「躁うつ病交響曲」というタイトルをつけてもいいのではと思った。
 躁うつ病(現在では双極性障害と呼ばれている)こそが、マーラーの人生にとって愛妻アルマ以上のパートナーだったのではなかろうか。
 躁状態(明)と鬱状態(暗)がしきりに交互する彼の曲の秘密はそこにあるのではなかろうか。

IMG_20221229_124333

IMG_20221229_124307

 マーラーを「暗」から救い上げてくれるのは、信仰をテーマにした2番や8番の成功あるにも関わらず、結局のところ、啓示がやって来るのをただ待つしかない「神」ではなく、より確実な効果が期待できる「エロスと自然」だった。
 だが、それすらも彼の生まれつきの(あるいは幼少期の環境で身についた)鬱気質を払拭することはできなかった。
 最後(9番や10番)は、ベートーヴェンのように「暗」から「明」へ到達することは叶わずに、狂気すれすれの「暗」で終わっている。
 「暗」によって常に圧迫されやがては引きずり落とされる「生」という宿命を背負っていて、その不安と恐怖と癒しようのない悲しみが、マーラーの人生をひいてはその音楽を縁取っているような気がする。
 
 第1楽章の出だしは延々と続く「ラ(A)」で始まるが、この音こそが記憶の底から続いている宿命の響きであり、マーラーのトレードマークであり、「暗」の極みたる狂気に落ちないよう慎重に保持し続けなければなければならない命綱の象徴だったのではなかろうか。
 A線上の綱渡り人生。 
 第4楽章のフィナーレは一応華々しく景気よいものだが、ソルティはいつもここに無理を感じる。
 第1楽章から第3楽章までの流れからして、そして第4楽章の相当に破壊的な出だしからして、とてもとても「明」に到達できるとは思えないのである。
 だが、この華々しさや景気よさが「至福」や「喜び」から来るものではなく、「躁」状態から来るものだと思えば、至極納得がいく。
 本当の「明」ではない。(オケは本当の「明」学だが)

 多くの作家はその処女作において今後展開すべき自身のテーマの種子をまき、その後の作品と人生をそれとなく予告する。
 第1番において、マーラーはまさに名刺代わりに自らのテーマを開陳し、自分が何者かを示している。
 聴く者をして、こんな勝手な想像(創造)をさせて大昔の作曲家と引き合わせてくれるところが、和田一樹が凄いと思うゆえんである。
 指揮棒が下りたとたん、場内にひと際大きな「ブラボー」が響き渡った。
 コロナ禍の「ブラボー」は禁止されていることは当然本人も知っていようが、これはどうしたって一声発せざるを得ないよなと、理解できた。
 
 アンコールはいつものヨハン・シュトラウス1世作曲『ラデツキー行進曲』。
 聴衆とオケが一緒になって曲を作り上げ、音楽を楽しむ場を創出し、一年をhappyな気分で〆る。
 こういったところも和田一樹の愛されるゆえんであろう。
 コロナ陽性も「転じて福」と思える素晴らしいコンサートだった。

IMG_20221229_124403









● 秩父神社でカウントダウン

 年越し3日間は秩父で過ごした。
 スマホもテレビもOFFにして、午前中は瞑想、午後は散歩、夜は読書と瞑想にふけった。
 基本、人とは喋らない。

 たまにこういう生活をすると、テレビはともかくとして、自分がいかにスマホ依存しているかに気づかされる。
 LINEやゲームやツイートをしていないので、他の人にくらべればスマホをいじっている時間は少ないと思っていたのだが、暇な瞬間あれば、ついスマホに手が伸びてしまう自分がいる。
 スマホをいじる時の手の形や人差し指の動きが癖になってしまって、それがないと手のひらや指が淋しがっている気がするほど。
 5年前まではスマホのない生活を送っていたのに・・・・。
 休肝日ならぬ休スマ日をつくるかなあ。 

 瞑想はこのところスランプというか集中力が途切れがち。
 年末にコロナ陽性になってから、いまひとつ身が入らない。
 ウイルスで脳の一部が変容してしまったんじゃないか・・・と恐れている。
 某国が極秘開発した“人間を馬鹿にするウイルス”がその正体だったのか?
 まあ、修行には波がある。
 いまはそういう時期なのだろう。

DSCN5749
冬の秩父の稜線は美しい
 
 午後はずいぶん歩いた。
 天気が良かったので、連日12キロ以上は歩き回って、おろしたてのシューズがすっかり足に馴染んだ。
 秩父は朝方こそ寒いものの、日中は風がなく、遮るもののない陽射しが降りそそぎ、都心よりむしろ暖かいくらい。
 1時間も歩けば上着が邪魔になり、ズボン下のスパッツが汗ばんでくる。

 市内はずいぶん歩き尽くしたので、もう目を惹くような新奇なものは残っていまいと思っていたが、いやいや、まだまだ奥が深かった。
 秩父は関東大震災も戦災も被らなかったので、レトロな建物が残っていることで知られている。
 実際、江戸、明治、大正、昭和(戦前・戦後)、平成、令和といくつもの時代の建物が町中に併存して、ソルティのような建築物好き素人にはたまらない面白さ。
 今回は中でも、味のあるハイオク=廃屋=あばら家に惹かれてしまった。

DSCN5753
結構広いウチだが、さすがに住人はいない

DSCN5757
玄関前にバイク。住んでいるのか?

DSCN5758
売り家のようだが、果たして買い手はつくか?

DSCN5759
ここでカフェをやっていたらしい
古民家を部分的に修繕し、小ぎれいに住みなしている家も少なくない

DSCN5770
家の造りから、養蚕をやっていたのではないか?

DSCN5777
この壁に何があったのか?

DSCN5756
これは民家ではなくて病院
冬でも枯れ落ちないのは品種のせい?

DSCN5771
クラブ湯
秩父の街中にある創業85年の銭湯

DSCN5774
外側は改装しているが、中は昭和レトロそのもの
更衣室にロッカーはなく、脱いだ服は竹籠に入れる
富士山を眺めながら43度を超える熱い湯に
桶はもちろんケロヨン

DSCN5773
昭和11年創業のたから湯と並び、秩父名所の一つと言ってもいいだろう

DSCN5761
秩父鉄道の開運列車
これを見た人には幸運が訪れるとか


 大みそかの夜は、23時半に宿を出て、除夜の鐘を聴きながら秩父神社に向かった。
 境内には一年間世話になったお札や破魔弓やダルマなどを燃やす浄めの火が焚かれ、その周囲で暖をとる人の輪が幾重にも広がっていた。
 やはり若い人が多い。

DSCN5779
秩父神社参道にあるレトロな煙草屋
夜見るとまた雰囲気がある

DSCN5787
秩父神社の境内で年の変わるのを待つ人々

DSCN5789
お好み焼きや甘酒などの屋台も出ていた

DSCN5781
4本の竹としめ縄で囲った結界の中で火が焚かれる

DSCN5791
瞳の入っていないダルマが燃やされていた
願い叶わず・・・か

DSCN5793
新年を迎えるとともに拝殿に行列する人々
日本人が無宗教ってのは何かの間違いだろう

DSCN5794
賽銭箱の中味もコロナ前に戻っただろうか?
おみくじは「大吉」でした

 初詣のあとは、冷えた体を温めるべく神社近くの居酒屋の暖簾をくぐり、武甲正宗を燗で。
 すっかりお屠蘇気分の帰り道、空を見上げると、北斗七星、北極星、オリオン、カシオペア、白鳥座・・・・久しぶりに見る満点の星に平和な一年を願った。

DSCN5766
荒川(巴橋から)


 元日には、市街地の広がる秩父盆地から荒川に架かる秩父公園橋を渡り、長尾根丘陵の展望台に登って武甲山参拝し、秩父ミューズパークの広がる尾根を越えて、小鹿野町まで歩いた。
 昨年の夏に歩いた札所32番法性寺から33番菊水寺への巡礼路に合流し、ようばけを右手に見送りながら、星音の湯でゴール。
 明治17年(1884年)に秩父事件の義士たちが取ったのと逆コースである。
 足の痛みも出現せず、これで今年、両神山に挑戦する自信がついた。


IMG_20230102_163329


PANO_20230102_020408
長尾根丘陵の展望台からの風景

DSCN5798
小鹿野町にて両神山を望む

DSCN5806
星音の湯
16時半に入ったが、結構混んでいた

DSCN5808
湯上りに、秩父名物・豚肉の味噌漬け定食を堪能する


 この一年、生きとし生けるものが幸せでありますように!




 
 

● 今年一番の衝撃作 映画:『アンテベラム』(ジェラルド・ブッシュ&クリストファー・レンツ監督)

2021年アメリカ
106分

アンテベラム


 2022年もあと半月で終わろうとしているが、今年観た中で一番衝撃的な映画、それは間違いなく本作である。
 残り半月で、これを超えるものに出会えるとは思えない。

 どれくらい衝撃的かと言うと、ソルティは本作を2晩続けて観た。
 観終わったら、もういっぺん最初から観直さずにはいられないくらい、奸智に長けたトリッキーな作品なのだ。
 なんという脚本の隙の無さ! 
 なんという象徴性!
 一方、観終わってすぐに、早送りで観直すことはできなかった。
 内容が衝撃的すぎて、重すぎて、あっと驚くどんでん返しが仕組まれた他のよく出来たパズラーやサスペンスのようには、簡単に再生ボタンを押せなかったのである。

 この衝撃と重さに近い作品を上げるとするなら、テリー・ギリアム『未来世紀ブラジル』(1985)、ラース・フォン・トリアー監督『ダンサー・イン・ザ・ダーク』(2000)、ジェニファー・ケント監督『ナイチンゲール』(2020)あたりだろうか。
 本作はジャンル的にはホラーサスペンスに分類されている。
 それは間違ってはいないけれど、むしろ社会派ドラマと言ってもいいくらい底の深い、現代的な内容である。
 たいして期待せず、暇つぶしの軽い気持ちで観始めたソルティは、途中で度肝を抜かし、居住まいを正し、胸を鷲づかみにされ、ラストは完全に持っていかれた。
 超弩級の問題作であるのは間違いない。

プランテーション

 アンテベラム(Antebellum)とは、ラテン語で「戦前」の意。
 アメリカでは特に「南北戦争前」の時代のことを指して言う。
 そのタイトル通り、本作は南北戦争時代のアメリカ南部の典型的な風景からスタートする。
 陽光降りそそぐプランテーション、緑鮮やかなる芝、影濃き木立、白亜のお屋敷、ドレスに日傘をまとった優雅な貴婦人、一面の綿花畑、風にはためくアメリカ連合国(南軍)の旗、軍服を着て銃を担ぎ行進する兵隊、そして庭や畑で働く黒人たち・・・・。
 かの名作『風と共に去りぬ』の幕開けシーンそのもの。

「ああ、これはコスチュームプレイ(時代劇)だったのか・・・」
 と、セットや美術の素晴らしさや照明・カメラワークの見事さに感心しながら観ている間もなく、惨たらしいシーンが続く。
 白人領主らによる黒人奴隷への虐待である。
 殴る、蹴る、銃殺する、レイプする、首に縄をかけて馬で引きずり回す、鞭で打つ、焼き鏝を背中に当てる、奴隷としての名前をつける・・・・e.t.c.
 目を覆うばかりの非道さ。

「ああ、これは『アンクル・トムの小屋』や『マンディンゴ』や『それでも夜は明ける』のような人種差別をテーマにした真面目な話なのか・・・」
 と、予想していたB級ホラーサスペンスとは異なる展開に、半ば残念な気持ちを抱きながらも“この時代の”黒人差別の酷さに怒りを覚えながら見続けていると、不意に場面は転じて、現代アメリカの高学歴高所得のインテリ黒人女性の日常へと話は飛ぶ。
 かつての黒人奴隷もいまや、人種差別・性差別撤廃のフェミニズムの闘士である。

「なにこれ? 二つの別の時代を交互に描いていく手法? あるいは、もしかしたら、輪廻転生がテーマ?」
 なるほど、DVDパッケージのデザインには輪廻転生の象徴である蝶があしらってある。
 また、映画の最初のクレジットには、アメリカの最も偉大な作家ウィリアム・フォークナーの言葉の引用があった。曰く、
「過去は決して死なない。過ぎ去ることさえしない」
 スピリチュアルホラーなのか・・・?

アメリカ連合国国旗
アメリカ連合国(南軍)の国旗
一般に、奴隷制や人種差別のシンボルとして忌避されている

 ここから先は書かない。
 蝶とフォークナーで暗示をかけられたソルティが真相を悟ったのは、物語もかなり進んでからであった。
 2度目の鑑賞により、真相を知る手がかりはあちこちに散りばめてあったことに気づいた。
 バイアスというのはままならない。

 真相を知った時、この身が震えるほどの衝撃が走った。
 それは見事にだまされていたことの衝撃だけではない。
 それ以上のものだ。
 暴かれた真相のあまりの狂気、あまりの非人間性、あまりの怖さ、そしてあまりの現代性に震えた。

 制作国であるアメリカでは本作の評価はかなり低かったらしい。
 そのことの意味を考えると、この映画が持っているホラーネス(怖さ)はいや増してくる。
 ただの陰謀論?
 いやいや、我々は、「カルト宗教団体が与党を支配している」という話を「陰謀論」と笑い飛ばせない現実を知っているではないか。

 はたして、松明を片手に高く掲げるヒロインの照らし出すものはなんなのか?
 軍服をはおり剣を空に突き立てジャンヌ・ダルクのごと馬駆けるヒロインが、帰る先はどこなのか?





おすすめ度 :★★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損




 
 
 

● 宇宙も夢を見るのかしら? 本:『死は存在しない』(田坂広志著)

2022年光文社新書

IMG_20221113_210517


 副題は「最先端量子科学が示す新たな仮説」

 本書を読みながら、仙台に住んでいた30代の頃に出会ったディープエコロジーや精神世界関連のさまざまな本や人や言説のことを思い出した。90年代のことである。
 仙台の街中に、自然食品店&出版社『ぐりん・ぴいす&カタツムリ社』という店があった。
 経営者の加藤哲夫氏は、反原発運動やディープエコロジーの日本への紹介やHIV感染者の支援活動など、平和・環境・人権・食・市民活動・精神世界など幅広いヴィヴィッドなテーマを追究し、現場主義で実践行動していた人で、後年日本におけるNPO普及の立役者となった。
 自然、『ぐりん・ぴいす』は精神世界や市民活動(当時は「ボランティア活動」という呼称が一般だった)の情報の集積地&発信地となり、さまざまな分野の面白い人々が出入りする広場となった。
 ここにソルティも出入りするようになって、加藤哲夫氏の薫陶を受けながらいつのまにか市民活動にのめり込むようになったが、それと同時に、バブル真っ盛りの東京の20代会社員生活では触れたことのない新しい概念や思想と出会って、世界の見方が一変した。
 それが、ディープエコロジーであり精神世界であった。
 当時、周辺に飛びかっていた固有名詞やフレーズを思いつくままに上げると、

上田紀行『覚醒のネットワーク』、映画『ガイア・シンフォニー』、レイチェル・カーソン『センス・オブ・ワンダー』、自然農、自然療法、マインドフルネス、個人と世界は繋がっている、心と体は繋がっている、思いは現実化する、百匹目の猿、ボディーワーク、聖なる予言、山川紘矢&亜希子、金子みすず、トランスパーソナル心理学、P・ドラッカー、ワークショップ、マヤの預言、アクエリアス革命、バシャール、NPO、ティク・ナット・ハン・・・e.t.c.
 
 三十過ぎのフリーターで、こういったものに進んで染まっていった自分を、ずいぶんと“怪しい”人間になってしまったと思った。
 「堅気=スーツを着たビジネスマン」という固定観念がまだまだ世間的にも個人的にも強かったし、ほとんどのビジネスマンは精神世界にも市民活動にも見向きもしなかった。(例外は経営コンサルタントでオカルティストであった船井幸雄の周辺くらい)
 
 田坂広志は1951年生まれ。東京大学工学部卒業、原子力工学博士。
 立派な肩書が並ぶプロフィールからは具体的にどういう仕事をしてきたのか良く分からないが、本人曰く、「科学者と研究者の道を歩んできた」理系の人。
 「21世紀の変革リーダー」を育成する田坂塾を経営しているというから、船井総合研究所を主宰していた船井幸雄と近いものを感じる。
 巻末には他の著作を紹介するページがあって、その膨大な量と広いテーマに驚かされる。
 PHP研究所はもちろん、東洋経済社、ダイヤモンド社、日本実業出版など、ビジネス書出版の王道を総なめしている。
 
 本書は、科学者である著者が、上に挙げたような90年代流行ったディープエコロジー&精神世界言説に、量子論や宇宙物理学といった最先端の科学による根拠を与えて、スピリチュアルを「非科学的」「いかがわしくて危ない」と言って敬遠する層(たとえば堅気のビジネスマン)にも受け入れやすくしたもの、という印象を受けた。
 それが著者が目指すところの「宗教と科学の架け橋」の意なのだろう。
  
 筆者は、あくまでも、「科学的・合理的な思考」によって、
  • なぜ、我々の人生において、「不思議な出来事」が起こるのか
  • なぜ、世の中には、「死後の世界」を想起させる現象が存在するのか
  • もし、「死後の世界」というものがあるならば、それは、どのようなものか
を解き明かしたいと考えた。そして、永遠の探究と思索の結果、たどりついたのが、最先端量子科学が提示する、この「ゼロ・ポイント・フィールド仮説」である。

 「ゼロ・ポイント・フィールド仮説」とは、この宇宙に普遍的に存在する「量子真空」の中に「ゼロ・ポイント・フィールド」と呼ばれる場があり、この場に、この宇宙のすべての出来事のすべての情報が、「波動情報」として「ホログラム原理」で「記録」されているという仮説なのである。 

 このゼロ・ポイント・フィールドには時間が存在しないので、我々の世界における「過去・現在・未来」のすべての情報が存在し、それは永遠に消滅しないという。
 祈りや瞑想によって心の技法を高めることによって、あるいは突発的な精神的な危機にあって、人は自我に覆われた通常意識を脱し、高次の意識の段階を通過し、ゼロ・ポイント・フィールドにある情報に触れることができる。
 予知や予感や占いやデ・ジャヴューやシンクロニシティや輪廻転生などの不思議な現象は、これで説明することができる。
 また、ゼロ・ポイント・フィールドは、善悪・真偽・美醜・愛憎・好悪・幸不幸・・・といった二項対立を超えた「すべては一つ」という超自我意識すなわち「愛」しか存在しない領域なのだという。
 つまり、それが宇宙意識であり、古来より人々が「神」や「仏」や「天」と呼びならわしてきたものの正体なのだという。

 我々の意識は、「現実世界」の「現実自己」が死を迎えた後、このゼロ・ポイント・フィールド内の「深層自己」に中心を移すのである。そして、フィールド内にすでに存在する様々な情報、フィールドに新たに記録される様々な情報と相互作用を続け、変化を続けていくのである。
 すなわち、死は存在しない。

光の波動
 
 新書なれど活字が大きくて改行も多い。
 科学素人にもわかりやすい砕いた説明をしていいるので、3~4時間あれば読み終えることができる。
 滅多に新刊本を買わないソルティが、駅の本屋で本書を見たとたん、「これは読まなきゃ!」と思って購入した。
 ゼロ・ポイント・フィールドはいったい何を企んでいるのだろう?
 
P.S. 別記事で書いたばかりのアーサー・C・クラークの有名なSF『幼年期の終わり』が、最後に登場したのにシンクロを感じた。




おすすめ度 :★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損






記事検索
最新記事
月別アーカイブ
最新コメント
ソルティはかたへのメッセージ

ブログ管理者に非公開のメッセージが届きます。ブログへの掲載はいたしません。★★★

名前
メール
本文