2023年フランス
152分、仏語、英語、独語
2023年カンヌ国際映画祭でパルム・ドールとパルム・ドッグ(!)賞を受賞したサスペンス&法廷ドラマ。
パルム・ドッグ(PALM DOG)というのは冗談か余興かと思ったら、2001年から始まった本当に存在する賞だった。
映画祭で上映された映画の中で優秀な演技を披露した1匹またはグループの犬(アニメーション含む)に与えられると言う。
本作に登場する飼い犬メッシが、その卓抜なる演技によって同賞に輝いた。
十分納得できる授与である。
夫殺しの容疑を着せられる妻役のザンドラ・ヒュラーはどこかで見たことあるような気がしたが、ジョナサン・グレイザー監督『関心領域』に出てきたアウシュヴィッツ収容所所長ルドルフ・ヘスの妻ヘートヴィッヒであった。
壁一つ隔てた強制収容所で起きていることにまったく無関心な、エゴイスティックで気の強い主婦を演じて強烈だった。
同じ年に公開されたこの2つの役で、ザンドラ・ヒュラーは国際的な演技派女優としての確固たる地位を築いた。
が、同時に、マクベス夫人並みの烈女イメージがついてしまったんじゃないかと思う。
『パーフェクト・ケア』のロザムンド・パイクあるいは『極道の妻たち』の岩下志麻サマのような・・・。
人里離れた雪の山荘で暮らす夫婦と一人息子と飼い犬メッシ。妻サンドラは小説家として成功し、夫サミュエルは教師をしながら自らもまた物書きを志していた。息子ダニエルは数年前に交通事故にあい、視覚障害を負っている。ある日、ダニエルがメッシを散歩に連れ出している間、サミュエルが家の階上から転落し、頭を打って即死した。警察は事故死か他殺と断定。現場の状況から、外部の人間の仕業とは思えない。事故当時、屋内で寝ていたと言うサンドラに殺人容疑がかけられ、裁判となる。
驚くべき真相が最後に明かされるサスペンスミステリーなのかと思っていたら、そうではなかった。
裁判の結果=事件のとりあえずの真相=物語の決着そのものには、観る者を仰天させるどんでん返しも大トリックも仕掛けられていない。
しかし、非常にスリリングかつドラマチックで、152分という長尺を長く感じなかった。
検事V.S.弁護士の火花散る論戦による刑事裁判ならではのスリルとサスペンス。
それに加え、裁判の過程で次々と繰り出される新たな証拠によって次第に明らかになっていく、夫の秘密、妻の秘密、夫婦の複雑な関係、家族模様が、観る者を強烈に引きつける。
どんな夫婦でも、長く連れ添い、子供でもできれば、いろいろな問題を抱え込む。
感情的な行き違いや誤解や衝突、口にはしないだけに積み重なる心のしこり、性生活上の不満、子供への愛のための譲歩や忍耐、それぞれが抱える夢や希望や挫折や失望や怒りや不安。
ふだんはそれらが表に出ないよう取り繕われる。
世間的には、成功した人、理想の夫婦、幸福な家庭を演じ、そのようにみなされる。
ところが、いったん裁判ともなると、容赦なくベールが引きはがされてしまう。
法廷によって、マスコミによって、プライベートがすべて暴きだされ、世間の目にさらされ、噂され、憶測され、嘲笑され、批判され、断罪される。
成功した有名な小説家の転落を、世間は好奇の目で見つめる。
『落下の解剖学』(Anatomie d'une chute)というタイトルは、階上から落下(chute)した男の死因を探るという意味合いであるとともに、一人の有名な女性小説家が殺人容疑を着せられることで、どのように社会的に転落(chute)していくかの解剖もとい検証という意味なのではないかと思う。
あるいはこれを「転倒(chute)の解剖学」と読むならば、男と女の立場が従来とは転倒した夫婦関係――妻が主、夫が従――の一つの失敗したサンプルと解することも可能かもしれない。
トリエ監督(♀)の作品はこれが日本初公開。
人間の複雑な心のさまを描くのが上手い。
本作も、ある一つの家族の実情に深く切り込み、人間の多面性を描きだすために、法廷ドラマという形式をあえて利用したという見方もできる。
刑事裁判ででもなければ、ここまで関係者のプライバシーに踏み込んだ介入すなわち表現は難しかろう。
弁護士役スワン・アルローのエキゾチックな雰囲気は、ベルトルッチ監督『ラスト・エンペラー』のジョーン・ローン(懐かしい!)を彷彿とする。ヴァンパイヤー役が似合いそうな陰あるイケメン。
検事役アントワーヌ・レナルツは、役柄上憎々しく見えるが、赤い法服姿がカッコいい。フランスの法廷では現在も法服を着用するという。
息子ダニエル役のミロ・マシャド・グラネールの上手さは末恐ろしい。どんな役者になっていくことやら。
妻のサンドラはバイセクシュアルという設定で、女性との不倫が法廷で取り上げられている。
が、それが特別スキャンダラスでセンセーショナルな事実として扱われていないところに、この種の事柄に対する現代フランスの成熟が窺われる。
今年1月9日~9月5日まで首相を務めたガブリエル・アタルは、ゲイを公言している。
ガブリエル・アタル前首相
HUGUES DE BEAUCHESNE
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おすすめ度 :★★★★
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