2019年2月NHK Eテレで放送
2021年DVD化

NHKで放送し、話題を呼んだ作品。
内容はほぼ、菅原千恵子著『宮沢賢治の青春』で描かれているのと変わりない。
内容はほぼ、菅原千恵子著『宮沢賢治の青春』で描かれているのと変わりない。
ただ、菅原がはっきりとは明示しなかった宮沢賢治のセクシュアリティが、ここでは「同性愛」と断定されている。
賢治が、同い年の学友であった保阪嘉内を、気の合った友人としてではなく、生涯ただ一人の恋人として慕い続けていたこと。賢治が自らを指して言った「修羅」とは、まさに、道ならぬ恋と性愛に苦しむ同性愛者としての苦しみを表現したものであること。そして、代表作『銀河鉄道の夜』の中に、賢治(=ジョバンニ)はあの世における嘉内(=カムパネルラ)との再会と結合への望みをそっと隠し入れたこと。
それらが、銀河や岩手の四季折々の美しい光景や再現ドラマや詩の朗読によって、描きだされている。
ディレクターの今野勉が2017年に発表した自著『宮沢賢治の真実 修羅を生きた詩人』(新潮社)がもとになっていることはエンドクレジットで示されているが、やはり、菅原の名前をまったく出さないのは、ちょっと不親切という気がした。
一方、『銀河鉄道の夜』になんの説明もなしに出てくる「ケンタウル祭」の正体について謎を追究していくくだりは、本作(今野)独自のものであり、とても興味深くスリリング、かつ納得のゆくものであった。
ケンタウル祭とは、ケンタウルス座と土星とが夜空で出会う稀なる夜のこと。
つまり、賢治はギリシア神話に登場する半人半馬の醜い怪物ケンタウルスを自分に見立て、嘉内をサファイア色に光り輝く土星に見立てた。
そして、ケンタウルスと土星が出会う冬の「七夕」の奇跡を、ケンタウル祭と設定したのであった。
そして、ケンタウルスと土星が出会う冬の「七夕」の奇跡を、ケンタウル祭と設定したのであった。
下半身が馬の怪物に自らをなぞらえるとは、賢治が獣性すなわち性欲に苦しめられたことを暗示していよう。
「雨ニモ負ケズ」のストイックや「永訣の朝」の透き通るように美しい情念だけを見ていては、賢治の全体像はつかめないのである。
宮沢賢治研究は、やはり、賢治のセクシュアリティや保阪嘉内との関係抜きには今後進めていかれないのではないかと思う。
それはさておき――。
この作品を観て、一つ気づいたことがあった。
賢治も嘉内も、若い頃から、世のため人のために自己犠牲する生き方に憧れていた。
賢治は法華経を通して、嘉内はキリスト教を通して、同じその夢を見ていた。
そこが、2人が出会ってすぐに肝胆相照らす間柄になった第一の理由であった。
おそらくそれは、真摯な生き方を求めた多くの青年たちが同じようにかぶれた、時代の精神だったのだろう。
明治29年生まれの2人は、感受性柔らかな13歳の時、ある事件を新聞で知ったはずだ。
明治42年2月28日に起きた塩狩峠の列車事故である。
乗客の命を救うために一身を犠牲にしたキリスト者にして国鉄職員、長野政雄。
それはどれほどの衝撃と感動を2人の少年にもたらしたことだろう。
どれだけ長野の生き方に憧れたことだろう。
「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったね、どこまでもどこまでもいっしょに行こう。僕はもう、あのさそりのようにほんとうにみんなの幸いのためならば僕のからだなんか、百ぺん灼いてもかまわない。」
ジョバンニとカムパネルラの乗った銀河鉄道の車掌が長野政雄であっても、驚かない。
おすすめ度 :★★★★
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損