1983年角川書店
求道者探偵・矢吹駆シリーズ『バイバイ、エンジェル』、『サマー・アポカリプス』に継ぐ3作目。
これでやっと、第4作にしてシリーズ随一の傑作かつ難解作と言われる『哲学者の密室』を読むことができる。(殺人ウイルスを扱った第5作『オイディプス症候群』はコロナ騒ぎに触発されて先読みしてしまった)
もっとも、このシリーズを完全に理解したいのなら、前作や笠井のほかの著作を読む前に、哲学や思想史の勉強をしたほうがよいのかもしれない。
というのも、このシリーズは本格推理小説+哲学批評のようなスタイルをとっているからだ。
『哲学者の密室』にはマルティン・ハイデッガー批判が出てくると聞くし、本作『薔薇の女』ではエロティシズム論で知られるジョルジュ・バタイユを彷彿とする人物が出てきて、矢吹駆と討論する場面がある。
哲学の基本的な教養を欠いているソルティは、第一義としてフーダニット(Who done it ?)あるいはハウダニット(How done it ?)の本格推理小説として楽しんでいるのであるが、ちょっと賢くなったような気にさせてくれる難解な哲学的部分もまた、ワイダニット(Why done it ?)すなわち「人生とはなんぞや?」「社会とはなんぞや?」というなかなか解けないミステリーを毎回提示して刺激を与えてくれるので、読み甲斐がある。
今回はまたアンドロギュヌス(両性具有者)という題材をモチーフにしている。
遠い昔、「オカマ」「男女」と馬鹿にされたことのあるLGBTの一人として、興味深く読んだ。
遠い昔、「オカマ」「男女」と馬鹿にされたことのあるLGBTの一人として、興味深く読んだ。
アンドロギュヌスは現在ならLGBTのT(トランスジェンダー)に含まれる。
トランスジェンダーの多くを占める「心と体の“性別”が異なる人々」とは違って、外見上だけを問題とした場合の概念、つまり体において男性と女性の両方の特徴を示している人を言う。
端的に言えば、胸に二つの乳房があり股間に陰茎(と睾丸)がある人だ。
逆のパターン、つまり胸が男のように平らで股間に女性器がついている場合も論理的には該当するはずであるが、見た目のわかりやすさや衝撃のためか、アンドロギュヌスと言えば〈乳房+ペニス〉というのが古来からの通念である。
本書刊行当時、まだLGBTの存在や人権問題が社会で顕在化していなかった。
そのため、見た目でそれと知られてしまうトランスジェンダーとりわけ両性具有の人たちに対する差別や偏見には、今以上にきびしいものがあった。
両性具有者は「半陰陽」、「ふたなり」、「シーメール(shemale)」などと呼ばれ、文学や絵画など芸術において非日常的存在として神秘化され祀り上げられる一方で、日常生活ではキワモノ扱いされていたことは否定できない。(草彅剛がトランスジェンダーを演じた『ミッドナイト・スワン』では、服を破かれ乳房を晒された草彅が「化け物」とののしられるシーンがある)
ともあれ。
本作におけるアンドロギュヌスのモチーフは、それほど深いものではない。
両性具有者が登場するわけでもなければ、性別適合手術を望む男性なり女性なりが殺人事件にからむわけでもない。
複数の死体(4人の女性と1人の男性の死体の一部づつ)を組み合わせて“アンドロギュヌス人形”を作らんとする異常な人間の犯行およびその解決を描いたものである。
両性具有者が殺人の首謀者であったり、両性具有者を狙った連続殺人が描かれたりしているわけでないので、LGBT諸君は安堵されたし。
考えてみたら、笠井潔作品は残虐な殺人シーンが多く出て来る割には、性的リビドーに彩られた陰惨なサイコミステリーとは一線を画している。
ある意味、健全なのである。
そんなところも、クリスティやカータ-・ディクスンやエラリー・クイーンなど本格推理小説の古典のスタイルを汲む、王道を行っていると思う。
おすすめ度 :★★★
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損
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