ソルティはかた、かく語りき

首都圏に住まうオス猫ブロガー。 還暦まで生きて、もはやバケ猫化している。 本を読み、映画を観て、音楽を聴いて、神社仏閣に詣で、 旅に出て、山に登って、瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

●反戦・脱原発

● 本:『対論 1968』(笠井潔、絓秀実共著)

2022年集英社新書

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 全共闘世代(1947~49年生まれ)である小説家の笠井潔と文芸評論家の絓秀実が、“1968年”をテーマに語り合った対談本。
 外山恒一(とやまこういち)という1970年生まれの政治活動家が聞き手をつとめている。
 この人については知らなかったが、なかなか過激な男のようだ。

 絓秀実をこれまで数十年間、「けい・ひでみ」と解してきた。
 「すが・ひでみ」である。
 絓という字は、音読みで「カイ」、訓読みで「しけ」。
 その意味は「繭の上皮。粗悪な絹糸・真綿の材料となる」(小学館『大辞泉』)。
 どこから「すが」が出てくるのか?
 Wordの漢字変換でも出てこない。

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LoggaWigglerによるPixabayからの画像

 全共闘世代にとって、1968年という年は特別なものであるらしい。
 そのことの意味がソルティにはよく分かっていなかった。 

 だいたいソルティが常々不思議に思っていたのは、1960年と1970年の二つの安保闘争がマスメディア等で語られる際に、60年安保の象徴というかハイライトがまさに1960年6月19日の日米安全保障条約承認の周辺、すなわち唐牛健太郎が活躍した6月10日の羽田空港のハガチー事件、あるいは樺美智子が圧死した6月15日の国会前デモに当てられるのに対し、70年安保のそれは1970年6月22日の安保条約自動延長決定の周辺ではなくて、1968年10月の新左翼による新宿騒擾事件であるとか、1969年1月の東大安田講堂事件であるとか、1972年2月の連合赤軍あさま山荘事件に当てられる点である。
 どれも安保とは直接関係ない。
 いずれも日本中を騒然とさせた大事件であったし、ビジュアル的なインパクトからマスメディアが繰り返し取り上げたがる理由も分からないでもない。
 が、それによって70年安保が、日本の平和と自立を求める市民運動というより、暴力的かつ反社会的かつ陰惨な結末で終焉した若者たちのあやまちといった偏ったイメージでしかとらえられなくなってしまった感は否めない。

 同じ安保闘争と言っても、60年安保と70年安保は質的にずいぶん異なるように思われる。
 60年安保が日米安全保障条約の撤廃や岸信介首相退陣を求めることに焦点が置かれた、わかりやすい社会運動であるのにくらべ、70年安保はそれ以外の付帯物があまりに多い。
 全共闘をリーダーとする学園紛争であるとか、ベトナム戦争反対運動であるとか、沖縄返還問題であるとか、三里塚闘争であるとか、セクト化した新左翼の内ゲバであるとか、三島由紀夫と全共闘の対決であるとか・・・。  
 焦点がどこにあるのかよくわからない。
 安保問題はむしろ後景に退いてしまったかのように思える。
 おそらく、その謎を解くのが“1968年”なのだろう。

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東大安田講堂

 青年活動家として当時を生きた笠井と絓の対論は、左翼用語はもちろんのこと、ソルティが聞いたことない事件や活動家や団体の名前が次から次へと飛び出し、内輪話的なものや小難しい思想談義もあり、外山や編集サイドの注釈をもってしてもすべてを理解するのは難しい。
 池上彰と佐藤優の『日本左翼史』シリーズを読んでいなかったら、まったくのチンプンカンプンだったろう。
 三人の発言からいくつか拾う。

笠井 日本に限らず“68年”の最も重要なポイントは“大衆蜂起”・・・・

笠井 戦後民主主義の国民運動だった60年安保を、学生や市民の群衆運動としての“68年”が乗り越えた・・・・

外山 “68年”の最重要のスローガンは“戦後民主主義批判”・・・・

 “68年”のメインのスローガンの一つだった“大学解体”が、全共闘学生たちの闘争とは無関係に、すでに実質的に始まっていたということでもあると思います。逆に、“60年”の学生たちは、“大学解体”なんて夢にも思わなかったでしょう。

笠井 “68年”が画期的だったのは、「失われた30年」の間に生まれ育った若者には想像もつかないだろうけれども、“豊かな社会”を拒否する叛乱だった・・・・

笠井 “68年”とは一体何だったのか、その後もずっと考え続けて、やがて閃いたのは、1848年の革命がそうであったのと同じような意味で、“68年”も“世界革命”だったということ・・・・

 強引にまとめると、1968年とは、「戦後民主主義を批判する大衆レベルの革命の機運が最高度に高まった年」ということになろう。
 その延長線上に70年安保を位置づけるならば、たしかに60年安保と70年安保の意味はまったく異なってくる。
 いや、“68年革命”を、60年にせよ70年にせよ安保闘争の枠組みに入れて論じること自体が誤っているのかもしれない。
 安保条約の撤廃を求めて声を上げデモに行った(全共闘世代以外の)国民の多くは、さすがに戦後民主主義を否定することまでは考えていなかったであろうから。(戦後ずっと自民党政権が続いていたことが示すように)

 いったい、なぜ全共闘あるいは新左翼の若者たちは戦後民主主義を批判し、革命を望んだのか?
 笠井はこう記す。

 今風に言えば“承認”をめぐる不全感や飢餓感が、日本の“68年”を駆動させていたことは確かですね。それが敗北していった果てに、政治性を一切脱色したアイデンティティ探究が青年たちの間に広がって、それが“自分探し”と呼ばれるようになる。つまり、“自分探し”自体が、“68年”の敗北の一形態なんだ・・・

 平和で繫栄する戦後社会の頽落に耐え難いものを感じ、黙示録的な破局と世界の一新を渇望していた青年たちが、その果てに「戦争とか火の海の世界が一瞬見えた気がした」、「戦争なんだ」と一瞬だけにしても信じた。その「妄想」の帰結を、連合赤軍の大量「総括」死として否応なく突きつけられたとき、足許が崩れ落ちていくような衝撃に見舞われ、暗澹たる精神状態に陥っていく。

 これはまさに笠井潔の『哲学者の密室』の主題そのものである。
 哲学者パルバッハ(ハイデガーがモデル)の説く「死の哲学」に魅せられた気概ある若者は、ヒトラーの説く理想国家「第三帝国」の建設に共鳴しナチスを支持するが、やがてホロコーストという大量「総括」死を否応なく突きつけられ、信仰とアイデンティティの瓦解をみる。
 であるのならば、“1968年”とは笠井にとって、「死の哲学」を信じ充実感をもって生きられた“至福の時間”だったということになるであろうし、同時に、決して繰り返してはいけない“魔の時”ということにもなるはず。
 そうしたアンヴィバレントな思いが笠井の発言からは感じとれる。
 一方、絓にとっての“1968年”はそこまでの実存的意味合いはなかったようで、同じ全共闘世代でも受け取り方はさまざまであることが察しられる。(当たり前の話だが)

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 革命を夢見る権利はだれにでもある。
 政治運動に身を捧ぐ自由もだれにでもある。
 さらには、理想に燃えていた青春時代を反芻するのも個人の勝手である。
 だが、自らの個人的な疎外感や空虚を埋めるために、「平和で繁栄する戦後民主主義社会」に満足してそれなりに幸福を感じて生きている大衆を下に見て、戦争や革命を志向するのはハタ迷惑な行為であろう。
 それこそ90年代にオウム真理教の幹部たちがやったことだ。
 「生」の強度がほしいのなら、ウクライナでもガザ地区でもアフガニスタンでもロッククライミングでも山口組でもSMクラブでもハプニングバーでも、受け入れ皿はいくらでもあろう。

 「1968年」論は、国内だけでなく世界の動向も含めて、いろいろな人が書いている。 
 遅ればせながら、少しずつ追っていこうかな。
 

 
おすすめ度 :★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損





● 本:『唐牛伝 敗者の戦後漂流』(佐野眞一著)

2016年小学館より刊行
2018年文庫化

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 唐牛とは中国産の闘牛のことである。
 愛媛宇和島名物の闘牛大会では、世界中からやって来る並みいる猛牛どもを一突きのもとに打ち倒し、最多優勝回数を誇っている。
 ――というのは冗談で、60年安保闘争の立役者として名を広めた唐牛健太郎(かろうじけんたろう)のことである。
 
 恥ずかしながら、ソルティはこの男を知らなかった。
 安保闘争と聞いて名前の上がる学生闘士と言えば、60年安保ならデモ中に亡くなった樺美智子、70年安保なら全共闘議長でその後予備校の講師となった山本義隆がせいぜい。
 とくに、東大安田講堂陥落や連合赤軍あさま山荘事件といった、メディアにたびたび取り上げられヴィジュアル的に映える大事件を有する70年安保に比べれば、60年安保は地味な印象があった。

 60年安保の主役が唐牛であり、ブント全学連だったのに対し、70年安保の主役は北小路であり、中核派や革マル派に指導された全共闘だった。こうした変化に伴い、理論的支柱も変わった。
 60年安保のオピニオンリーダーは清水幾太郎であり、丸山眞男だった。これに対して70年安保の理論的支柱は、俗受けする『都市の論理』などのベストセラー本を書いた羽仁五郎に変わった。

 去る6月3日に放映されたNHKドキュメンタリー『映像の世紀 バタフライエフェクト』で60年安保闘争が取り上げられているのを見て、はじめて唐牛健太郎という人物を知った。
 唐牛は当時北海道大学の学生で、安保反対に立ち上がった全国の学生を束ねる全学連(全日本学生自治会総連合)の委員長だった。
 石原裕次郎ばりの長身のイケメンで、国会前のデモでは警察の装甲車に飛び乗って演説をぶちかまし、その後警官隊にダイブするなど行動力抜群の頼れるリーダーであった。
 たしかにカッコいい。
 がしかし、ソルティがこの男に興味を抱いたのは、安保闘争当時の唐牛の勇姿を映した白黒のニュース映像を見たからではなく、その10年後にNHKが北海道紋別のトド撃ち名人のドキュメンタリーを制作したときに、たまたま乗組員の一人として登場することになった漁師姿の30代の唐牛のカラー映像を見たからである。

 20代で革命の闘士として全国的に名を馳せた英雄が、闘争に敗れて漂流し、30代には最果ての北の海でトドやアザラシを撃っている。
 しかも、唐牛は一番下っ端の乗組員で、漁師たちの食事の賄いや甲板の掃除など雑用を引き受けている。
 と書くと、都落ちしたかつてのヒーローの零落とか失意の人生とか想像してしまうところだが、船上でインタビューされている唐牛は、姿かたちこそすっかり中年オヤジと化しているが――70年代の30歳は令和現在の50歳くらいの見当だろうか――その表情はあくまで人懐っこく純粋で、自己卑下したところも、世を恨んで拗ねたようなところも、見栄を張って強がっているところも、連合赤軍の残党のように一発逆転を狙って虎視眈々と闘志を燃やしているようなところも、おそらく久しぶりのマスコミの取材に緊張しているところもなく、およそ自然体で、笑顔が可愛い。
 「なんか面白いオヤジだなあ~」と思って、この男のことが知りたくなった。
 図書館で蔵書検索してみたら、この本がヒットした。

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60年安保当時の唐牛健太郎

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1971年紋別で漁師をやっている唐牛健太郎

 佐野眞一の本は、ソフトバンク創業者の孫正義の半生記『あんぽん』を読んだことがある。
 毀誉褒貶ある作家で、外連味(けれんみ)たっぷりの文章を書く。
 たとえば、妙に偶然や符牒を強調したり、あえてドラマチックな見方をしてみたり。
 「一昔前の(昭和時代の)立志伝だなあ~」と、いささか辟易するところもある。
 が、自在なフットワークと徹底した取材は大いに称讃すべきで、対象とする人物に対する愛情と尽きせぬ興味が、紙面から伝わってくる。
 『あんぽん』同様、面白く読んだ。(しかし、「あんぽん」の次は「あんぽ」って、偶然にしては面白い)

 それにしても、唐牛健太郎(1937‐1984)の47年の人生は波乱万丈、そのキャラはあまりにも濃くてユニーク、活力と人たらしの才能は無尽蔵、人脈の広さには端倪すべからざるものがあり、成るべくして全学連のリーダーに成ったのだなあと、納得至極であった。
 安保闘争に加わらなかったら、別の分野で大成していたであろうことは間違いない。
 運動から身を引いたあとの人生は、まさに「無頼」という言葉がぴったり。

 名利は求めず、あるときは居酒屋の親父、あるときは長靴姿の漁師、あるときは背広とネクタイに身を固めたコンピュータのセールスマン、そしてあるときは徳田虎雄の選挙参謀となって買収作戦を指揮・・・・

 北はオホーツク海、南は九州、与論島と流れのままに各地に移り住み、親友から奪った2番目の妻とともに四国遍路を巡り、どこに行っても自然と周りに人が集まり酒宴が始まる。
 その人脈は一般によく知られる名を上げるだけでも、評論家の吉本隆明、鶴見俊輔、西部邁、経済学者の青木昌彦、大物右翼の黒田清玄、山口組三代目組長の田岡一雄、日本人で初めてヨットでの太平洋横断に成功した堀江謙一、作家の長部日出雄、桐島洋子、ジャーナリストの岩見隆夫、歌手の加藤登紀子、そして医療法人徳州会を立ち上げた徳田虎雄・・・・・錚々たる異色の顔触れである。
 安保闘争の敗者という事実を、あるいは富や栄誉や名声や成果という尺度でみた人生の“勝ち負け”を超越したところで、とても面白い人生を、たくさんの友人や素晴らしい伴侶に恵まれて目一杯生き抜いた男であったのは間違いない。
 それに比べたら、国家の命令に唯々諾々と従って、唐牛の行く先々に現れて監視を続けていた公安職員の人生の、なんとみじめなことか!
 同時代の仲間たちは、挫折して孤独のうちに漂流する唐牛の姿に、映画の中の高倉健を重ねていたらしいが、ソルティはむしろ、寅さんこと渥美清演じる車寅次郎に近い印象を受けた。
 そこには、市井の庶民に対する、ブルーカーラーに対する強い共感や誇りがあり、自らは決して“上級国民”やホワイトカラーにはなるまいという強い自負と覚悟を感じた。

 「まえがき」ほかで佐野はこう記している。

 本書の目的は、60年安保時代に生きた日本人といまの時代に生きる日本人の「落差」を書くことにあったと言っても過言ではない。

 60年代の日本及び日本人と現在の日本及び日本人では時代を超えて明らかに世界観のスケールが、つまり人間の器の大きさが全く違ってしまった。

 左右のイデオロギーは問わない。60年安保の当時煮えたぎっていた日本民族のエネルギーはどこに消えてしまったのだろう。

 上記の「60年安保」を「70年安保」と変えてもよいと思うが、本書を読んで、あるいは前述のNHKドキュメンタリーを観てソルティが思ったのは、まさにこれにほかならない。
 日本人のエネルギー、特に若者ならではの既成権力に対する反抗心はどこに行ってしまったのか?

 ソルティはいわば「幻の80年安保」世代と言っていい生まれなのであるが、たしかに、権力と闘うという発想や気運は世代的に希薄であった。
 社会を見渡しても、社会党や共産党などの野党や新左翼の残党たちの、すでにマンネリ化し日常風景の一つとなった“反体制”仕草が視野の片隅に入るだけで、それはどちらかと言えば、時代遅れでダサいものと映った。
 89年のベルリンの壁崩壊や中国天安門事件、その後のソ連消滅につづく世界的な共産主義の衰退は、左翼運動の時代遅れ感を浮き彫りにした。
 すなわち、歴史の終わりが宣言された。
 
 70年安保以降の日本及び日本人の政治的傾向には、こうした全世界的な左翼思想の失墜、連合赤軍事件に終わった革命運動に対する反省や嫌悪、巨大な権力機構を打ち倒すことの困難なることを骨の髄まで悟ったこと、日本人のエネルギーが政治運動から経済による世界制覇に向けられたこと、そして、高度経済成長からバブルに至る「豊かさ」の中で一億総中流となった国民が、生活に満足し戦意を喪失したことが、影響しているのではないかと思う。
 戦争のない平和な社会で、衣食住足りて、面白い娯楽がたくさんあるのに、なぜ闘う必要がある?
 何十万というデモ隊が国会を取り囲んだ60年安保、70年安保でも、体制を引っくり返せなかったというのに・・・!

デモする人々

 ソルティが不思議に思うのは、全学連や全共闘の若者たちが将来を棒に振る危険を冒してまでどれほど必死に闘おうが、左翼陣営が連帯を組んで大衆に「反戦・反米・反安保」をどれほど声高く呼びかけようが、結局、日本国民は戦後約65年間、自民党を支持し続けたってことである。
 自民党が戦後はじめて野に下ったのは、安保の「あ」の字ももはや人々の口に登らなくなった2009年のことである。
 いかなるデモやテロリズムも、選挙による政権交代ほどの威力はない。
 60年安保も70年安保も、大多数の国民の意識を変えられなかった、自民党以外の政党に票を投じようという気持ちを抱かせられなかった、そこに一番大きな敗因があると思うのだが、違うのだろうか?

 と言って、ソルティは60年安保や70年安保が「壮大なゼロ」、すなわち無駄だったとは全然思わない。
 60年安保はA級戦犯上がりの岸信介首相(安倍元首相の祖父である)を退陣させ、それ以上のバックラッシュ(保守反動)を防いだし、70年安保は政治運動のあり方について国民に考えさせるきっかけを作った。
 抵抗勢力がなければ、権力は思うがまま振舞うことができる。
 大衆が何もしないでお上に任せていたら、中国やロシアや北朝鮮、ひいてはナチスドイツや大日本帝国のような管理主義ファシズム国家になってしまいかねない。
 勝算があろうなかろうが、体制批判の声を上げることは大切である。

 唐牛は面倒見のよさと人を思いやる人情味の篤さではピカ一だった。これは生前の唐牛を知る関係者が口を揃えて言う言葉である。

 唐牛はなぜこれほど多くの人間から慕われたのか。
 私が推察するところ、それは唐牛に嫉妬心というものがほとんどなかったからではないかと思っている。男の嫉妬心は女の嫉妬心より粘着質で厄介なものだが、唐牛には時に戦争を起こす男の嫉妬心とは無縁だった。
 とりわけ学生運動という男の集団では、嫉妬心が権力闘争の導火線となる、その嫉妬心がゼロに近く希薄だったことが、唐牛が周囲に爽やかな印象を刻む最大の要因ではなかったか。

 NHK『映像の世紀 バタフライエフェクト』で目撃した30代の唐牛健太郎の漁師姿になぜ自分が惹かれたのか。
 その答えはここらにあるようだ。




おすすめ度 :★★★★

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● 本:『タブーの正体!』(川端幹人著)

2012年ちくま新書

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副題:マスコミが「あのこと」に触れない理由

 ここ数十年のマスメディアにおける三大タブーを暴いた森永卓郎著『書いてはいけない』が、2024年上半期ベストセラーの17位にランクインした。
 ビジネス本の中では第3位という快挙である。
 ――のわりには、TVや新聞など大手メディアが、この本を紹介したり、書評に取り上げたり、著者の森永を取材したりしていない様相が、まさに森永の指摘が正鵠を射ていることを証明しているようで興味深い。
 森永はテレビ出演多数の著名人であり、末期ガンと闘う男というニュースバリューもあり、暴いたテーマの一つが最近タブーが解けてマスメディアの猛省が求められたジャニーズ事件というホットな話題であるにも関わらず・・・。
 残り二つのタブーは、財務省の財政均衡主義による増税礼讃(ザイム真理教)と1985年8月12日に起きた日航123便墜落事故である。

 マスメディアが敢えて取り上げたがらないテーマは他にもたくさんある。
 すぐに思いつくだけでも、天皇制、被差別部落、創価学会、原発、自衛隊、憲法9条、靖国参拝、在日米軍基地。ちょっと前までは、安部晋三元首相批判や旧統一教会もそうであった。
 昭和の頃はそれでも、田原総一朗司会『朝まで生テレビ』(テレビ朝日系列)あるいは『噂の真相』のような、タブーとされるテーマを果敢に取り上げる番組や雑誌があって、多くの国民は「そこにタブーがあること」を知り、「それがタブーとなっている理由」について納得しないながらも了解することができた。
 それが昨今は事情が違ってきた、と川端は語る。

 以前であれば、自主規制や圧力によって報道が封殺されると、メディアの内部でなぜ報道できないのかという経緯、つまりタブーの理由が問題となり、それが外部にも漏れ伝わってきた。ところが、数年前から、「タブーだから」「その話はヤバイから」という一言だけで簡単に報道がストップされるようになり、理由について説明したり、議論したりということがほとんどなくなってしまったのである。
 最近では、ある事実の報道を「タブーにふれるから」と封じ込めた当事者が、なぜそれがタブーになっているのかを知らないという事態まで起きている。(表題書より引用、以下同)

 あたかも、神の祟りを恐れて禁足地に足を踏み入れない古代人か未開人のようで、文化人類学や宗教学における本来の「タブー」に近いものとなっているというのだ。
 つまり、思考停止である。

 報道できない領域があったとしても、それが何によって引き起こされたのか、理由が明らかになっていれば、将来、その意図を除去して状況を変えることができるかもしれない。あるいは、状況を変えるのは無理でも、どの部分にどういうリスクがあるかが認識できれば、そこを避けながら限界ギリギリの表現まで踏み込むことは可能だ。だが、タブーを生み出した理由が隠されてしまうと、そういった条件闘争や駆け引きすらできなくなり、タブーをそのままオートマティックに受け入れざるをえなくなる。そして、「タブー」という言葉が、目の前で起きている事態と闘わないことのエクスキューズとして、これまで以上に頻繁に使われるようになる。

 思考や議論を許さないタブーは、そのまま権力にも暴力装置にもなり得る。
 ジャニーズ事件を見れば、そのカラクリは明らかであろう。

現在のメディアはタブーを克服するという以前に、その実態をまったく見ないまま「タブー」という言葉で一くくりにして、恐怖心だけを募らせている。だとしたら、まず、その恐怖の被膜を取り除いて、タブーの実態、つまりそれを生み出した要因や理由を正面から見つめなおすしかないのではないか。

 本書は、タブーに覆われつつある現在のメディア状況を憂えた著者が、「タブーの可視化」をはかったものと言うことができる。
 川端幹人は1959年生まれ。1982年から2004年までの約20年間、“タブーなき反権力ジャーナリズム”を標榜する『噂の真相』の編集部に在籍し、取材・執筆に当たってきた。2001年には、雅子皇后(当時は東宮妃)の記事を掲載するにあたって、敬称をつけず「雅子」と記したことで右翼団体の不興を買い、襲撃を受け負傷している。
 同誌休刊後はフリーのジャーナリスト兼編集者として活動している。

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 本書では、メディアにおけるタブーを、要因別に「暴力」「権力」「経済」の3類型に分けて、その生成過程を分析している。
 取り上げられているのは、次のようなテーマである。

1.「暴力」が怖いからタブーとなっている
 皇室(右翼)
 宗教組織(創価学会、旧統一教会、イスラム教、オウム真理教など)
 同和問題(解放同盟による糾弾、エセ同和団体による恐喝)

2.「権力」が怖いからタブーとなっている
 政治権力(小泉純一郎)・・・本書は第2次安倍晋三内閣前の刊行である
 検察や警察
 財務省(税務署)・・・まさにザイム真理教のことだ

3.「経済」的損失が怖いからタブーとなっている
 ジャニーズやバーニングなどの大手芸能プロダクション
 ユダヤ(イスラエル問題)・・・いまのアメリカの状況に顕著
 原発(大手電力企業)
 電通 

 詳細は本書を読んでもらいたいところであるが、ソルティは読んでいてずっしりと気持ちが落ち込んだ。
 タブーの壁があまりに高くて分厚くて、それをこれでもかとばかり突きつけられて、自分のような無力な小市民が束になったところで、到底太刀打ちできないことを痛感させられるからである。
 とりわけ、同調圧力が強く、事を荒立てない(陰で処理する)のが美徳とされる日本においては、表立って権力と闘う者は否が応でも孤立させられてしまう。
 本来なら社会の木鐸たるべきメディアからして、簡単に権力に屈してしまう現状がある。

 日本のメディアは孤立を異常に恐れる一方で、連帯して権力に対峙することをしない。欧米では、報道の自由を侵害されるような問題が起きると、メディアは立場のちがいを超え、連帯して抗議の声を上げ、徹底的に戦うが、日本のメディアはそれができない。むしろ、権力側から切り崩しにあうと、必ず黄犬契約を結ぶメディアが出てくる。

 黄犬契約( yellow-dog contract )とは、労働組合不加入または脱退を条件として雇用契約を結ぶことを言うが、ここでは権力に阿って仲間を裏切る行為を指す。
 ソルティは以前冗談で、2009年に自民党から民主党への政権交代が起きていなかったら、2011年3月の東日本大震災の際に起きた福島第一原発メルトダウン事故は“原子力村”の圧力によって隠蔽されていただろう――と書いたことがあるけれど、日本のマスメディアのていたらくを思えば、これは冗談でなかったかもしれない。
 正義は一体どこにある?

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 読後しばらく暗澹たる思いに沈んだ。
 が、冷静に考えてみると突破口がまったくないわけでもなかった。
 というのも、本書が刊行されたのは2012年であって、当時と2024年現在ではずいぶん状況が変わっていることに気づいたからである。
 すなわち、
  1. 無敵と思われたジャニーズタブーが破れた。他の大手芸能プロダクションも最早無茶はできないだろう。
  2. 無敵と思われた安倍派が崩れた。同時に旧統一教会タブーの呪縛が解けた。
  3. 森永卓郎や青山透子のようにタブーと闘い続ける個人がいて、それを支援する出版人がいる。
  4. ネットとくにSNSの威力が増大して、既存の権力機構でさえ、もはや無視できない存在になっている。匿名による内部告発が(良くも悪くも)増えている。
  5. 戦後長らく議論することさえ許されなかった憲法9条が、今では改憲手前まで来ている。つまり、櫻井よしこのような保守陣営の絶えまぬ努力が功を成している現実がある。(ソルティは個人的には「改憲、ちょっと待った!」の立場であるが、9条タブーを破り世論を変えていった保守陣営の戦略と熱意と粘りは認めざるを得ない。)
  6. 政権交代による刷新(選挙)、違法企業に対する不買運動など、市民にできることもある。
  7. 国際的にSDGsが常識となってきているので、日本だけがその潮流を無視することはできない。(ジャニーズ問題が外圧で敗れたことに象徴される)

 とにかくギリギリまでタブーに近づくこと、そしてタブーの正体を常にあらわにし続けること。最後にもう一度いうが、タブーの肥大化・増殖を食い止めるためには、まず、そこから始めるしかないのである。

 その意味では、巷にあふれる“陰謀論”も、「根も葉もない与太話」と切り捨てる前に、「そこに幾分かの真実が混じっているのかもしれない」と立ち止まって考えることが必要なのかもしれない。
 たとえば、2020年の段階で、「旧統一教会が与党自民党内に根を広げて政策に影響を与えている」と言ったら、「なにを陰謀論めいたことを!」と誰も相手にしてくれなかったろう。
 実際には、2022年7月の安倍元首相暗殺後に明らかになった通りであり、自民党の憲法改正案の中には、旧統一教会の教義が反映されているとしか思えない箇所すら指摘できる。

 思考停止ほど危険なものはない。





おすすめ度 :★★★★

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もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
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● モッくんがいたではないか 映画:『日本のいちばん長い日』(原田眞人監督)

2015年松竹
136分

日本のいちばん長い日

 半藤一利著『日本のいちばん長い日』の2度目の映画化。
 1945年8月15日の玉音放送に至る、終戦間際の大日本帝国本営(内閣、陸海軍、天皇)の動向が描かれる。

 実際の戦場を、あるいは8月15日を記憶しているスタッフと役者たちによって制作された岡本喜八版(1967年)と比べるのは酷という気がしないでもないが、映画としての出来は前作にまったく及ばず、いい役者を揃えているだけに残念であった。
 しかし、塚本晋也監督『野火』(2015)が、市川崑監督『野火』(1959)に匹敵する、あるいは後者を凌駕する出来栄えであったことを思うと、作られた時代や作り手の体験の有無を言い訳にすることはできないと思う。
 作り手の才能と技術不足に原因を帰するほかない。

 なにより脚本が良くない。
 これもまた、『砂の器』、『切腹』、『七人の侍』、『八つ墓村』など日本映画史上の傑作を何本も手掛けた天才橋本忍による旧作と比べるのはあまりにも酷であるが、もう少しなんとかならなかったものか。
 『クライマーズ・ハイ』でも感じたが、原田監督は脚本には手を出さないほうがいいと思う。
 物語を構成するセンスを欠いている。
 題材の取捨選択ができず、エピソードを詰め込み過ぎる。
 そのため、どのエピソードも中途半端な描かれ方に終わって、あたかも不発弾のよう。
 例を上げると、宮城事件に呼応して首相官邸を焼き討ちした国民神風隊の佐々木武雄(旧作では天本英世の怪演がエモい!)の扱いである。
 原田版では国民神風隊を結成する経緯がまったく描かれず、最後の最後に松山ケンイチ扮する佐々木が唐突に首相官邸前に出現する。
 歴史を知らない者にしてみれば、「これは誰? どっから出て来たの? なんで官邸に火をつけるの????」であろう。
 松山ケンイチだって、これでは演じようあるまい。
 阿南陸軍大臣(役所広司)の戦死した次男をめぐるエピソードもとってつけたような描かれ方で、観る者に何ら感動をもたらさない。
 上映時間との兼ね合いを見て、エピソードを絞る決断が必要である。

 シーンの配置も良くない。
 複数のエピソードが同時に進行しているとき、各シーンを交互に描くことは普通にあることだが、転換があまりに速すぎて、観る者が感情移入できるだけのゆとりがない。
 阿南大臣の切腹シーンにおいてとりわけ顕著で、あたかもCMがしょっちゅう入るTVドラマのようにシーンが寸断されてしまい、せっかくの役所の渾身の演技が台無しになってしまった。
 観る者のうちになんらかの感動を呼び起こしたいのなら、ある程度の時間の持続が必要である。

 同じことはカット割りにも言える。
 全般にカットが短い上に、撮影方向がめまぐるしく切り換わるので、観ていて疲れるし、キャラクターの表情がしっかりと観る者の記憶に刻み込まれない。
 有名な役者以外は、誰が誰だか見分けつかないうちに映画が終わってしまう。
 なんとなく、『犬神家の一族』など市川崑作品のカット割りを意識しているような気がするが、形だけまねても意味はない。
 ひとつひとつのカットが、なぜこの方向から、この角度で、この距離で、この長さで、この動きでないといけないのか、考えて作っているのであろうか?
 カットの連鎖こそ映画の命であるのに。
 撮影(柴主高秀)や美術(原田哲男)がいいだけに、長回しを入れないのはもったいない。
 原田監督、セッカチな人なのではなかろうか?

 『クライマーズ・ハイ』を観た時も思ったが、とにかく事件の背景をあらかじめ知っている人でないと、ほとんど理解できない作りである。
 悪いことは言わない。
 少なくとも脚本は別の人にまかせたほうがいい。

 役者では、昭和天皇に扮する本木雅弘、鈴木首相を演じる山崎努がいい。
 以前の記事で、ジャニーズ出身の役者ベスト3として、草彅剛、岡田准一、二宮和也の名を挙げたが、モッくんこと本木がいるのを忘れていた。
 本木はもはやジャニーズ出身というのを忘れるほど、役者として自立している。
 それに樹木希林一派というイメージのほうが強い。




おすすめ度 :★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損






● 映画:『関心領域』(ジョナサン・グレイザー監督)

2023年アメリカ・イギリス・ポーランド
105分
原題:The Zone of Interest

 『アンダー・ザ・スキン 種の捕食』(2014)、『記憶の棘』(2004)のジョナサン・グレイザー監督は、現在世界でもっとも挑発的で才能ある監督の一人であろう。
 10年に1本しか撮らない寡作作家であるのが残念至極だが、そのぶん、発表される作品はそのたび業界の話題となり、賛否両論を巻き起こし、観る者に衝撃を与える。
 本作も、カンヌグランプリと米国アカデミー賞の国際長編映画賞を受賞した。

 本作の主人公はルドルフ・ヘス。実在の人物である。
 と言っても、ヒトラーの個人秘書からナチスの副総統にまでのし上がったルドルフ・ヴァルター・リヒャルト・ヘス(1894-1987)ではなくて、アウシュビッツ強制収容所の所長をつとめたルドルフ・フェルディナント・ヘス(1901-1947)のほうである。
 1940年からアウシュビッツ所長を務めたヘスは、妻ヘートヴィッヒと5人の子供と共に収容所に隣接する広大な敷地に家を建てて暮らしていた。
 緑と季節の花あふれる美しい庭園、園芸好きの妻のために建てたガラス張りの広い温室、子供たちのための遊具やシャワー付きプール、使用人を何人も雇い、休日には近くの河原でピクニック。
 優しい夫、美しい妻、可愛い子供たち、良き仲間。
 言うことのない理想的な生活。
 絵に描いたような幸福な一家。

 しかし、壁一枚隔てた向こうは、ほんの数年間で100万人以上が虐殺されたアウシュビッツ収容所。
 各地から汽車に詰め込まれたユダヤ人が連れて来られては、衣服をはぎ取られ、髪の毛を切られ、用途によって分別される。
 焼き鏝で囚人番号を皮膚に標され、収監され、強制労働に従事させられる。
 拷問され、レイプされる。
 “生産性”がないとみなされた者はガス室に送られ、遺体は焼却される。
 ヘスの立派な屋敷内には、昼夜を問わず、ユダヤ人たちの悲鳴や助けを求める声が切れ切れに届く。
 塀の向こうには、汽車の煙がたなびくのが見え、焼却炉から上る黒煙が見える。
 妻のヘートヴィッヒは、ユダヤ人から取り上げた宝石や毛皮で身を飾る。

 壁一枚隔てた天国と地獄。
 天国に住まうものは、地獄のことなど気にもかけない。
 聞こえてくる悲鳴は、庭を飛ぶ蜂の羽音ほどの騒音にもなり得ない。
 煙突から立ち上る黒煙は、パン焼き窯の煙ほどの日常性をもって無視される。
 “関心領域”の外にあるがゆえに・・・。
 妻のヘートヴィッヒが願うことは、いつまでもこの理想の環境が維持されること、夫が休暇をもらって家族で温泉地に出かけること、戦争が終わったら農家に転身することである。
 
 本作を観る者が突きつけられるのは、観る者にとっての現在の“関心領域”と、その外で起こっていることへの意識のありようである。
 平和な国の立派な映画館の心地良いシートに身をまかせて、ポップコーンを頬張りながらスクリーンに向き合っている誰ひとりも、ヘス一家を責め立てることが容易にはできまい。

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華徳院(東京都杉並区)の本尊である閻魔大王
舌を抜くための巨大ペンチも完備



おすすめ度 :★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
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     読み損、観て損、聴き損

 
 
 

● 怒りのショスタコ :横浜国立大学管弦楽団 第122回定期演奏会

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日時: 2024年5月25日(土)
会場: 大田区民ホール・アプリコ 大ホール(蒲田)
曲目:
  • A.ボロディン: 交響詩「中央アジアの草原にて」
  • A.ボロディン: 歌劇「イーゴリ公」よりダッタン人の踊り
  • D.ショスタコーヴィチ: 交響曲第5番「革命」
  • (アンコール) エルガー: エニグマ第9変奏 「ニムロッド」
指揮: 和田 一樹

 和田一樹のショスタコーヴィッチははじめて聴く。
 これまであまり振っていないのではないか?
 どう見ても“陽キャ”の和田と、“陰キャ”の極みとしか思えないショスタコーヴィチは相性が良くないように思われるが、どうなのだろう?
 そんな好奇心を胸に蒲田に馳せ参じた。

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太田区民ホール・アプリコ

 ボロディン『ダッタン人の踊り』については前に書いたことがあるが、やはり、アルタードステイツすなわち意識の変容を引き起こすスピリチュアルな音楽と思う。
 一曲目の『中央アジアの草原にて』も同様で、知らないうちに瞑想状態、いや催眠状態に引き込まれた。
 ボロディンについてはほとんど知らないが、ソロモン・ヴォルコフ編『ショスタコーヴィッチの証言』(1979)によれば、博愛主義者でフェミニストだったという。
 そのあたりのスピリチュアル性が音楽に反映されているのかもしれない。

 ボロディンはまた優れた化学者でもあり(むしろ作曲は副業)、ボロディン反応(別名ハンスディーカー反応)という化学用語を残している。
 意識の変容を起こすこの特徴も「ボロディン反応」と名付けたいところだ。

ボロディン反応
ボロディン反応

 ショスタコーヴィチの第5番『革命』をライブで聴くのは2回目、前回は東京大学音楽部管弦楽団(三石精一指揮)によるものだった。
 その時感じたのは、『革命』という標題はまったく合ってないなあということと、最終楽章で表現される「暗から明へ」の転換はどうにも嘘くさいなあということであった。
 むしろ、第1楽章から第3楽章で表現される「不安・緊張・恐怖・悲愴・慟哭」が限界に達し精神が崩壊したために生じた“狂気”――という印象を持った。
 その後、ショスタコーヴィチの伝記を読んだり、他の交響曲を聴いたり、彼が生きた時代とくにスターリン独裁時代のソ連の内実などを知って、自らが受けた印象があながち間違っていなかったと思った。
 最終楽章は、体裁上は「暗から明」の流れをとって「ソビエト共産党の最終的勝利」、「スターリンの偉大さ」を讃えているように見える。
 が、それは二重言語であり、裏に巧妙に隠されたメッセージは、「ファシズムの狂気」、「独裁者の凱歌」、「強制された歓喜」なのである。
 マーラーに匹敵する天才と官能性を兼ね備えていたショスタコーヴィチが、自らのもって生まれた個性を自由自在に表現することを禁じられた、その“抑圧の証言”こそが、彼の音楽の個性とも特徴ともなってしまったのは、悲劇である。
 が、一方それはまた、「巨大権力による抑圧と迫害」という、ロシアやガザ地区やミャンマーをはじめ現在も世界各地で起こっていて、インターネットで世界中の人々に配信・共有されている“悪夢の現実”を、内側(被害者の視点)から表現しているわけである。
 もしかしたら、しばらく前から音楽的な時代の主役は、「マーラーからショスタコーヴィチに」移っているのかもしれない。


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ガザ地区
 hosny salahによるPixabayからの画像

 和田一樹の第5番を聴いて“革命”的と思ったのは、最終楽章である。
 大太鼓の皮が破れるのではないかと思うほどの爆音の連打にソルティは、「狂気」でもなく、「悪の凱歌」でもなく、「強制された歓喜」でもなく、ショスタコーヴィチの「怒り」を聴きとった。
 それは指揮者の怒りと共鳴しているのやもしれない。
 そうなのだ。
 人民は抑圧する権力者に対して、いろいろな態度を取りうる。
 諦めたり、悲しんだり、絶望したり、流されるままになったり、従順になったり、抑圧に手を貸す側に回ったり、内に引きこもったり、他国に逃避したり・・・・。
 ショスタコーヴィチが置かれた境遇のように、たとえ表立って抗議するのが困難な場合でも、少なくとも怒りは持ち続けることができる。
 怒りは忘れてはならない。
 怒りこそ「革命」の源なのだから。

 横浜国立大学の学生たちの若いエネルギーを怒りのパワーに転換させたのが、今回の第5番だったように思った。
 





● オペラと蛆虫 本:『傷魂~忘れられない従軍の体験』(宮澤縦一著)

1946年11月大阪新聞社東京出版局発行
2020年冨山房インターナショナル

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 図書館のドキュメンタリー文学コーナーで、タイトルに惹かれて手にとった。
 太平洋戦争中フィリピンに派遣され、地獄の戦場を生き抜き、生還した男の体験談である。
 著者名を見て、「あれ? なんとなく見たことあるような・・・」と思ってプロフィールを確認したら、まさに知っている人であった。
 と言って、親戚とか知り合いとか言うのではない。
 宮澤縦一(1908-2000)は音楽評論家とくにオペラ研究家として有名で、『名作オペラ』、『私がみたオペラ名歌手名場面』など多くのオペラ関係の本を書いている。
 オペラの魅力を知ったばかりの20代の頃、ソルティは宮澤の著書を通して多くのことを学び、また楽しませてもらったのであった。
 いわば、オペラという絢爛豪華な美の世界の案内人だった。
 その宮澤が、よもやこんな苛烈な体験をもっていたとは・・・・!

 一方は、着飾った紳士淑女が集い、華麗な歌声と管弦楽が響く豪華なオペラホール。
 一方は、飢餓と疲労と熱帯病で痩せこけた蛆だらけの兵士が、爆音と断末魔の呻きの中をさまよい歩く戦場。
 天国と地獄。
 相反する二つの世界が、宮澤の中で拮抗しつつ共存していたことを今初めて知った。

 ハンサムでダンディな俳優として人気を集めた宝田明(1934-2022)が、実は満州からの引き揚げ組であり、子供の頃ソ連兵の銃弾を受けて重傷を負ったことが、『沖縄戦 知られざる悲しみの記憶』(太田隆文監督)の中で語られていた。
 一見、華やかに見える人間の中にも、他人には簡単に言えないような過去や癒やしがたい心の傷があるものなのだ。
 「傷魂」というタイトルはまさにそのことを示している。
 
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普天間飛行場近くの嘉数高台にある沖縄戦の弾痕

 終戦の前年(1944年5月)、赤紙をもらった宮澤は37歳。
 ほかの新兵とともに目黒で訓練を受け、北九州の門司から輸送船でフィリピンに向かう。
 途中、魚雷爆撃を受け、船は炎上。
 すんでのところ救出され、台湾漂着。武装を整えたあと、マニラからミンダナオ島へ。
 もはや敗戦は必至。 
 米軍の激しい空襲から逃れるため山中を逃げ惑う中、足を負傷し、動けなくなる。
 手榴弾による自決を試みるも、うまくいかず。
 1945年7月に米軍に発見され、収容所へ連れていかれる。
 
 経緯だけをざっと記すと上のようになる。
 それぞれの場面で実際に宮澤が体験したことの凄まじさには言葉を失う。
 終戦一年後に発行されていることからわかるように、記憶生々しいうちに書いたものなので、描写は具体的で非常にリアル。
 塚本晋也監督『野火』そのものの世界。

 赤紙一枚で駆り出され、生き地獄の戦地に連れていかれ、さんざん苦闘したあげく、傷ついたり、栄養失調やマラリヤ、赤痢、破傷風などのために動けなくなり、置き去りにされて野たれ死にしていった数多の兵隊達に、いったい何の罪があるのでしょう。
 
 こうした日本の下級兵たちの体験記を読むたびに感じるのは、敵であるはずの米軍以上に残酷なのは、味方であるはずの日本軍である――という“不都合な真実”だ。
 太平洋戦争(日中戦争含む)では、米軍による攻撃で亡くなった日本兵よりも、日本軍による無謀きわまりない戦略で亡くなった日本兵の方が多かった。
 とくに終戦間近になると、それは際立った。
 武器も装備も、十分な水や食料の補給の当てもない中での召集と戦地派遣。
 意味も目的もない何百キロの行軍で命を落とした若者のどれほどいたことか。
 
 宮澤もまた、米軍と闘う機会などついに訪れないまま、無駄に召集され、無駄に前線に送られ、無駄に飢餓地獄に落とされ、無駄に命を危険にさらしただけであった。
 あたかも死ぬためだけに派遣されたかのよう・・・。
 大方の日本人の真の敵は、アメリカでなく大日本帝国だったのだ。
 (あえて言えば、そのことに気づくのが遅すぎたことが大衆の罪である)
 
 ソルティが高齢者介護施設で働いていた10年前、戦時を生きた90代の女性たちが口々に言っていたのを思い出す。
 「日本はアメリカさんに負けて良かった」
 「もし勝っていたら、北朝鮮みたいなおかしな国になっていた」

 大日本帝国はアジア諸国を植民地支配から解放せんと闘った――いわゆる大東亜共栄圏構想をいまだに信じている人がいるけれど、正味のところ、アメリカこそが日本国民を今の北朝鮮のような独裁主義ファシズムから解放してくれたのである。
 残念ながら、それが歴史の真実だ。
 
 米軍の捕虜となった宮澤は、自分がいつ殺されるのか戦々恐々としていた。
 担架で連れていかれた先には赤十字の旗がひらめいていた。

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3282700によるPixabayからの画像



おすすめ度 :★★★

★★★★★ 
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● 第77回日本アンデパンダン展に行く

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 ひさァ~しぶりのアンデパンダン展。
 友人の出品作を観るため、そして、3/23(土)に行われた北原恵氏(大阪大学名誉教授・美術史家)の講演『ジェンダーの視点から見た美術(史)』を聴くため。

 アンデパンダン(INDEPENDENT)展は、日本美術会が1947年から開催している自由出品・非審査の美術展で、「芸術に対する権威や制度的意識からの自主・独立・解放を目指す」ことを目的としている。
 いきおい、平和・自由・人権・反体制・反差別・多様性といった左派的な価値を大切にするアーティストたちが集うことになるが、展示作品自体は、プロパガンダ性の強い諷刺画から里山の自然といった風景画や人物画、抽象的な彫刻やインスタレーションアートまで、多彩である。
 ここ十数年は六本木にある国立新美術館で開催されている。
 
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国立新美術館
この会場になってから行くのは初めて

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若尾文子の夫だった黒川紀章の設計

 広い会場に何百点もの作品が飾られ、実に壮観。
 作品の素材も内容も形式も多様性に満ちて、面白かった。
 絵ごころのない、ぶきっちょなソルティは、絵の上手い人、手先の器用な人を見ると感心しきり。
 そのうえ、世界のあちこちで新たな紛争が勃発し、環境破壊の影響が日に日に深刻化し、民主主義の危機が叫ばれる不穏な時代に、自由と平和と民主的価値を守ろうと、自分なりに表現しているアーティストたちの作品に囲まれ、とても力づけられた。
 人間が多様であることは、ひとりひとりが自由に自分を表現することではじめて顕在化し、万人に知らしめられるのだと実感した。

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 昨年に続き特別展示された『高校生が描き・伝える「原爆の絵」』コーナーが衝撃的であった。
 これは、広島の高校生が実際の原爆被災者から体験談を聞き、その話をもとに当時の状況を再現した絵である。(広島平和記念資料館保管)
 戦争を知らない高校生――もちろんソルティ含め、いまや国民の9割が戦後生まれである――が、ここまで生々しく迫真力高い、観る者を震撼とさせる絵が描けることに驚いた。
 目の前にいる体験者からなまの言葉を聞くことの衝撃力、そして若い人たちの感性の柔らかさと想像力の豊かさを感じた。
 戦後80年、被爆体験の語り部がどんどん減っていくときに、文字だけでなく、このような絵によって体験が残され伝えられていく意義は大きい。

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 北原恵氏の講演も興味深かった。
 「ジェンダーの視点から美術および美術史を見る(批判する)」という、フェミニズムの流れを汲んだ運動は、70年代から始まったそうだ。
 北原氏は、この運動が国外および国内でどういった展開をしてきたか、どういった社会の反応を引き起こしてきたか、丁寧に解説してくれた。
 リンダ・ノックリン、イトー・ターリ、ゲリラ・ガールズ、闘う糸の会など運動の担い手となった(なっている)人々について、また、昭和天皇に対する不敬行為と非難された大浦信行『遠近を抱えて』事件など、はじめて知ることばかりで勉強になった。
 ソルティは、現代美術史にもフェミニズム史にもまったく無知。
 『西洋美術史』あたりは学んだ覚えがあるが、それはまさにルネサンスからピカソまでの偉大な男性芸術家(old masters)の系譜であった。
 美術に限らず、文学しかり、音楽しかり、演劇しかり、映画しかり、建築しかり、舞踊しかり、芸術というものは基本、男性というジェンダーに特異的に備わる資質――という思い込みが、自分の中にはある。
 芸術は、子供を産めない男性の代償行為であり、しかも戦争で闘うことのできない弱者男性の精一杯の示威行為というイメージ。
 自分の中に植え付けられている“マチョイズム”思考は結構根深い。
 
 話の中で思わず吹いたのは、ゲリラ・ガールズの活動および作品を紹介したくだり。
 『メトロポリタン美術館の現代美術部門に展示されている作品の制作者は95%以上が男性である。一方、展示されているヌード画の85%は女性』――というメッセージが入ったポスター。
 こうした統計的事実をメッセージにして、「匿名性・複製性・ユーモア」を武器に、作品として表現するのが、ゲリラ・ガールズのスタイルなのである。
 残りの15%は、デヴィッド・ホックニーやロバート・メイプルソープあたりのゲイのアーティストによる男性ヌードなのかなあと思ったら、北原氏の回答は違った。
 「残りは、十字架上のイエス・キリストです」

 講演後の質疑応答では、中高年男性が多く手を挙げ、発言した。
 戸惑いと葛藤の声が多かった。
 「自分たちは被告だ」という声も聞こえた。
 男たち(とくにヘテロの中高年)は、フェミニズムと聞くとどうしても、「自分たちが責められている」という気持ちになってしまうのである。
 北原氏は最後にこうまとめた。

ジェンダー視点から美術史を考えるとは、(これまでの男性中心の美術史に)「女を付け加える」のではなく、インターセクショナルな視点で美術史を書き換えること

 会場の中で、この意味が理解できた者がはたしてどれくらいいたのだろう?
 「女=原告、男=被告」という単純な二項対立のパラダイムの中にいる人にとって、「遠すぎる橋」のような結論と思った。

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帰りは道に迷って「東京ミッドタウン」の中を徘徊
『六本木心中』や『六本木純情』の時代は遠い










● 本:『「歴史の終わり」の後で』(フランシス・フクヤマ著、マチルデ・ファスティング編)

2021年原著刊行
2022年中央公論新社

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 ロシア大統領選でウラジーミル・プーチンが高い得票率で5選を決めた。
 予想していたとおりの結果なので驚きはないものの、民主主義の砦である自由選挙制度がこのように悪用されてしまった事実に、慨嘆せざるをえない。
 プーチンは、「正当で民主的な選挙によって多数の国民から信頼と支持を受けた」と世界に向かって豪語するであろうし、ウクライナ侵攻はじめ現在行っている政策を、国民の合意のもと今後もなに憚りなく行っていくことだろう。
 間違いなく、スターリン再来である。

 当初プーチンは、リベラルな民主主義を標榜する欧米諸国や日本における人気者だった。
 ロシア・ソ連政治史において、ペレストロイカを行ったゴルバチョフと並んで「民主化の英雄」に成り得る立場にいた。
 それが、あっというまの闇落ち。
 ダークサイドに引っ張られ、国民も道連れになった。
 ロシア人はいつになったら平和と幸福を手に入れられるのだろう?

 ――と思う一方、プーチンを本気で支持している国民も決して少なくない、という現実がある。
 おそらく彼らの胸で燃え盛っているのは、偉大なるソ連の記憶や誇り、かつての宿敵であった欧米諸国の末席につかなければならない屈辱、リベラルな民主主義の浸透によってロシアの伝統的文化が破壊されることへの苛立ちと不安――といったあたりなのだろう。
 という推測ができるのは、もちろん、この日本という国がまさに、1945年の敗戦後にアメリカ(GHQ)主導の民主化によって国体が変えられるほどの政治的・文化的変革を余儀なくされたからであり、長いこと「アメリカの犬」という屈辱に甘んじてきたからである。そして、戦後60年経って出現した安倍晋三政権こそ、アメリカに“押しつけられた”平和憲法と戦後民主主義を刷新して、戦前の強い日本に回帰しようと企む勢力の旗頭だったのであり、多くの国民が熱狂的に彼を支持していた事実があるからだ。
 安倍氏がよく口にしていた「日本を取り戻す」という標語がまさにその間の事情を表していた。

 プーチンのロシア、安倍政権下の日本、EUを離脱したイギリス、トランプ大統領再登板の悪夢が現実化しそうなアメリカ、ヨーロッパ各国で勢いを強めているナショナリズムと排外主義的ポピュリズム・・・・e.t.c.
 こうした「歴史の終わり」後の世界の動向が示しているのは何か?
 フランシス・フクヤマはこう語る。

 かつては左右のイデオロギー対立が存在し、20世紀の政治を特徴づける産業化された社会で、資本と労働者の相対的な経済力をめぐる諸問題への対処法によってふたつの陣営に分かれていた。しかし、いまではアイデンティティの問題を軸に政治的な立場がつくられるようになりつつあり、その多くは狭い意味での経済よりも文化によって決まる。(ソルティ、ゴチ付す。以下同)

 伝統的な社会民主党は、かつての最大の票田であった古い労働者階級とのつながりを失いはじめています。同じことが多くの左派政党でおしなべて起こっている。社会民主党は多くの国で弱体化して、それらの有権者の多数は右派のアイデンティティ政党に票を投じるようになりました。

 つまり、自由と平等と権利を標榜するリベラルな民主主義になんらかの意味で失望した人々が、宗教・民族・国家といったアイデンティティを重視する政治体制支持に回帰している、というのが現代の潮流なのだ。
 それがポピュリズムと結びつくとかなり危険な様相を帯びることは、前回の大統領選で、トランプ敗北を受け入れられなかった共和党支持者が連邦議会を襲撃した一件を、記憶から引っぱり出すまでもあるまい。
 
 ポピュリズムとは
 大衆からの人気を得ることを第一とする政治思想や活動を指す。本来は大衆の利益の側に立つ思想だが、大衆を扇動するような急進的・非現実的な政策を訴えることが多い。特定の人種など少数者への差別をあおる排外主義と結びつきやすく、対立する勢力に攻撃的になることもある。(『日本経済新聞』2022年4月26日記事より抜粋)

 フクヤマは語る。

 ポピュリスト運動の土台は貧困者ではないと思います。自分は中流階級だと思っていて、その地位を失いつつあると考えている人たちです。これは相対的なものです。

 ポピュリズムの真の危険は、ポピュリスト指導者の多くがみずからの正統性を利用して、決定的に重要な制度を破壊しようとする点にあります。法の支配、独立したメディア、非人格的な官僚制といったものです。彼らはこんなふうに言います。「こうしたいろいろな法律や憲法による制約は、ほんとうに必要なのか? 我々の取り組みの邪魔になっているのに。」

 日本においては、安倍晋三こそ、ポピュリスト指導者の最たるものであった。
 統一教会との癒着は言うに及ばず、日本の民主主義がどんだけ危険な領域にいたか。思い返しても慄然とする。
 もっとも、今もまだ、第2、第3の安倍晋三が登場しないとも限らない状況は続いている。

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 本書は、ノルウェーの経済学者であるマチルデ・ファスティングによるフクヤマへのインタビューをまとめたもので、タイトルどおり(原題『After the End of History』)、1992年にフクヤマが『歴史の終わり』を宣言した後に世界で起きた様々な政治的事件や大衆運動を取り上げ、「フクヤマが現在(2021年時点)の世界情勢をどう見るか」、「リベラルな民主主義こそ歴史の勝者(であるべき)というフクヤマの理論はいまも有効なのか?」を問うたもの、ということができる。
 インタビューの時期は、イスラエルによるガザ地区侵攻はもとより、ロシアによるウクライナ侵攻以前であったようで、フクヤマがウクライナを何度も訪れて、民主主義を推進するプログラムを主宰していることが語られている。
 また、フクヤマの生い立ちや学者としての経歴、影響を受けた本や人物などについても語られ、フランシス・フクヤマという人間をより深く理解するのに役立つ。
 『歴史の終わり』を読んだ限りでは、リベラルな民主主義を全面肯定してはいるものの、同性婚や妊娠中絶には反対の保守的な共和党支持者というイメージがあった。(渡部昇一という名うての頑迷保守オヤジが翻訳したせいもあるかもしれない。gayをホモと訳している)
 実際フクヤマは、ドナルド・レーガンやパパ・ブッシュの時代には、共和党政権の中枢で仕事をしていた。
 が、息子ブッシュのイラク侵攻やオバマ大統領誕生を機に起ったティーパーティー運動をきっかけに、民主党支持に鞍替えしたようで、オバマやヒラリー・クリントンやバイデンに投票したことを述べている。
 現在では、左派言論人の代表と言っても誤ってはいまい。
 本書のなによりの利点は、全編インタビュー形式なので難しくないところ。
 編者による適切な解説も付されているので、『歴史の終わり』を読んだ時のような苦労はなかった。
 
 以下、引用とコメント。

 共和党支持者の多くは、必ずしも共和党に非常に忠実というわけではないのですが、民主党支持者のイメージを嫌っています。彼らにとって民主党支持者はある種の人、つまりフェミニスト、ゲイ、政治的に正しい人(ポリティカリー・コレクト)、自分たちが嫌うありとあらゆる人なので、共和党候補者でさえあればその人に投票するわけです。近代経済学は、すべての人間は合理的に判断して自己の利益を追求するという仮説のうえに成り立っていますが、社会心理学の多くの文献によると、この仮説は正しくありません。人は一定のイデオロギー的あるいは文化的な見解から出発し、知力を総動員してそうした見解を正当化するのです。 

ソルティ:上記の「共和党」を「自民党」に、「民主党」を「左派野党」に変換すれば、見事に日本の状況に重なる。
 ジョナサン・ハイトが『社会はなぜ左と右に分かれるのか』で述べているように、人の行動を根底で支配するのは知識や理性ではなく、人類が生き残るために優位であった直観(=正義心)であり、それを基につくられた個々人の道徳パラダイム(=アイデンティティ)である。
 だから、思想的に対立する相手といくら言葉や理論を尽くして討論しても、相手を折伏することは難しい。
 店頭に老人を集めて健康器具や布団を販売する業者はそのことをよく知っていて、顧客の理性ではなく、感情や見栄に訴える。
 
 インターネットはこの新しいアイデンティティの政治にまさにぴったりの媒体で、そこで人びとはほかの人と話して意見を共有できるからです。自分たちと意見が異なる人の話は聞く必要がありません。インターネットは社会をさまざまなアイデンティティ集団に分割する動きを強める傾向にあって、共通の感覚や市民としての感覚をすべて弱めます。

ソルティ:自分がSNS利用に積極的でない理由の一つがこれである。

 わたしはずっと、世界秩序への最大の長期的脅威はロシアでもジハーディスト(聖戦士)でも中東でもなく中国だと感じてきました。中国はほかよりはるかに強力だからです。中国共産党は大きく豊かで強力な国を支配しています。・・・・大きな障害にぶち当たらなければ、中国は経済面でアメリカよりも大きな国になるでしょう。むこう10年のうちにそうなるはずです。

 わたしはアイデンティティに反感をもっているわけではありません。近代の人間が自分自身について考えるときに、そのあり方を根本から支えている概念なので、それから逃れることはできないのです。・・・・・・ほかの市民となにを共有しているのか、それについての一連の物語と理解がなければ、同胞と交流することはできません。意思疎通をはかれずに、物事も決められないのです。アイデンティティそのものが問題なのではありません。正しい種類のアイデンティティが必要で、現代の民主主義国ではそれは、人種や宗教や民族ではなく政治理念を中心に成立していなければならないとわたしは考えているわけです。

ソルティ:「戦争を放棄する日本国憲法を持っていることが、日本人の一番の誇りでありナショナル・アイデンティティの核である」 そう世界に向けて堂々と宣言できる政治家はいないものか。(なんなら天皇制を加えてくれてもかまわない)

 運よく民主主義国で暮らしていたら、ポピュリズムやさまざまな反民主主義勢力を打ち負かす方法は選挙で勝つことです。どうすればポピュリズムの台頭を防ぐことができるのかと、ほかの国でよくたずねられますが、答えは非常にシンプルです。投票することです。わたしたちの民主主義では、政治権力はいまも投票する人たちのもとにあります。自由主義的でひらかれた民主的秩序を支持したい人を結集させること、その人たちを選挙に行かせて政党を支えること、この種の自由民主主義をもつことが重要である理由をことばにして人びとに伝えられる指導者を得ること、これらができるかどうかにかかっているのです。 

 フランシス・フクヤマはいまも「リベラルの民主主義」の最強の擁護者である。


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Pete LinforthによるPixabayからの画像


おすすめ度 :
★★★


★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損

 
 

● 本:『歴史の終わり』(フランシス・フクヤマ著)

1992年原著刊行
1992三笠書房より邦訳(訳・渡部昇一)
2020三笠書房より新版刊行

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 この本が出版された時の社会の衝撃と反響には大変なものがあった。
 書店の店頭に上下巻が山積みに置かれていた光景と、日本と世界の名だたる言論人を巻き込んで起こった議論の沸騰を覚えている。
 それはまさに、本書のもととなった論文がアメリカの外交専門誌『ナショナル・インタレスト』に発表された1989年という年に始まった、ベルリンの壁崩壊に象徴される東ヨーロッパ諸国の一連の反共産主義革命が、ついには1991年12月のソ連崩壊に逢着し、戦後長く続いた東西冷戦が終焉を迎えた――その激動のドラマを、本書のタイトルが端的かつ挑発的に表現していたからであったし、少なくとも1989年の時点で、アメリカの政治経済学者であるフランシス・フクヤマがその後起こることを正確に予言していたように見えたからであった。

 当時30歳目前だったソルティも本書を読もうと手にしたのであるが、数ページ読んであきらめた。
 難しくて手に負えなかった。
 歴史や哲学や世界情勢に関する知識不足、読解力の欠如、政治経済に対する苦手意識に加え、いつも読むのは文芸書ばかりでこういった本を読み慣れていないことも大きかった。
 おのれの頭の悪さを嘆いた。
 が、本書の内容を噛み砕いてレクチャーしてくれる週刊誌や月刊誌などの特集記事を読んで、主旨は大方わかった(気がした)。
 「ああ、歴史の終わり(The End of History)とは、資本主義&民主主義の勝利宣言なんだな」
 邦訳刊行後の世間一般の反応としては、資本主義の勝利宣言に疑念をはさむ空気はなかったように思う。
 92年当時、日本はまだバブル崩壊の影響が深刻化する前であったし、なんといっても、ルーマニアやハンガリーなど旧社会主義国の悲惨な内情が目の前で次々と露わにされていったから、「冷戦に決着がついた」という判定が自然に受け止められた。
 
 あれから32年――。
 本書にふたたびチャレンジしようと思い立ったのは、むろん、日本でも世界でも民主主義の危機が叫ばれ、格差社会という形で資本主義の弊害がますます露わになっている現状を憂えるからである。
 自由主義経済と国民主権を楯の両面とする「リベラルな民主主義」は、ほんとうの勝利者だったのだろうか?
 「89年の精神」はいまも通用するのだろうか?
 「歴史は終わった」と言っていいのだろうか? 

ベルリンの壁
ベルリンの壁 

 30年という歳月は偉大である。
 なんとまあ、今回はそれほど困難を感じることなく、全編読めた!
 それも面白く!
 とくにこの30年、政治経済や歴史や哲学を勉強した覚えはないのだが、読書の幅が文芸書以外に広がったことと、このブログを書いてきたことが、読解力アップにつながったようだ。
 書評を書くためには、本をある程度深く読み込まなければならないし、自分が本から受けた印象や感想を文章に表すには、自らの考えを整理整頓しなければならない。調べるべきことは調べなければならない。
 そういう地道な作業が読書の進化(深化)には大切なのだと、還暦にして思い知った。(遅い!)

 して、ついに本書を読んで、「ああ、そうだったのか」と意外な感に打たれたことが二つあった。
 一つは、「歴史の終わり」という概念が、別に著者であるフランシス・フクヤマの発明でも専売特許でもなかった点。
 それは、カント、ヘーゲル、コジェーブ、マルクス、ニーチェといった西洋の偉大な哲学者らが、「人間社会の進化には終点があるのか」という問いの前に思考を積み重ねてきた、哲学上の主要なテーマの一つだったのである。
 この思想史的文脈を受けてフクヤマは、「リベラルな民主主義こそ終点と言い得る」と本書で述べたのだ。
 その正否は結局、それこそ“歴史自身”が証明するのを待つしかないのだが、ある意味これは、多元主義・文化相対主義の逆を行く自文化中心主義――欧米や日本などの資本主義の民主国家をそうでない国々の上位に置く、いわばWEIRD優越思想――という見方もできよう。
 フクヤマは、リベラルな民主主義を達成した国々を「脱歴史世界」、そうでない国々を「歴史世界」と定義し、今後、世界は大きく二極に分かれていくと予言している。

 脱歴史世界では、経済が国家間の相互作用の主軸となり、武力外交の古くさい規範は今日的な意義を失っていくだろう。

 その反対に歴史世界では、そこに関与している国々に武力外交の古い規範が依然として適用されるため、特定の国の発展段階に応じて起こる多種多様な宗教的、民族的、そしてイデオロギー的衝突によって世界は相変わらず引き裂かれたままに残るはずだ。

 言うまでもなく、歴史世界の代表格は、ロシアであり、北朝鮮であり、中国であり、イスラム教国であり、ミャンマーであり、アフガニスタンである。
 フクヤマは、二つの世界が「並存状態を続けながらも別々の道を歩み、あまりかかわりあいもなくなっていくだろう」と予言しているが、そこが92年刊行時点において抱くことが可能だった楽観的見解と思われる。
 むしろ、ソルティは、歴史世界と脱歴史世界との新たな「冷戦」(ひょっとしたら世界最終戦争に至る)が始まるのではないかと危惧している。

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HUNG QUACHによるPixabayからの画像

 今一つの意外は、本書の原題が、The End of History and The Last Man、すなわち、『歴史の終わりと最後の人間』だった点である。
 邦題は、原題の前半部分しか訳されていない。
 だから、ソルティは、リベラルな民主主義を最終到達点とする「歴史の終わり」についての本とのみ、理解していた。
 しかし、むしろ本書で重要なのは、著者が読者に投げかけたかったテーマは、後半部分の The Last Man「最後の人間」のほうにあったのではないか。
 そう思ったのである。
 少なくともソルティの関心はそこに惹きつけられた。
 「最後の人間」とはなにか?

 「歴史の終わり」とは、戦争や血なまぐさい革命の終わりを意味することになるだろう。目的において合意した人間には、戦うべき大義はなくなるだろう。人間は経済活動を通じて自分の欲求を満たすが、もはや戦いにみずからの生命を賭ける必要はなくなる。言い換えれば人間は、歴史の始点となった血なまぐさい戦い以前のように、ふたたび動物になるのだ。

 「最後の人間」の人生とはまさに西欧の政治家が有権者に好んで与える公約そのもの、つまり肉体的安全と物質的豊かさである。これがほんとうに過去数千年にわたる人類の物語の「一部始終」なのだろうか? もはや人間をやめ、ホモサピエンス属の動物となりはてた自分たちの状況に、幸福かつ満足を感じていることをわれわれは恐れるべきではないのか? 

 「最後の人間」とは、いわば、現状に満足しきった家畜小屋の豚である。
 なぜ、「最後の人間」が生み出されることになるのか。
 ざっと以下のような論旨である。
  •  人間をして行動を起こさせるのは、欲望理性気概の3つである。このうち、気概とは承認欲求または自尊心のことであり、優越願望(その他大勢より上に立ちたい)と対等願望(他の人と同じ程度に認められたい)がある。
  •  歴史は方向性をもつ。累積的かつ方向性を持つ近代自然科学は、それを利用する国に軍事的優位と経済的優位をもたらす。人間の持つ欲望理性は、ほうっておけば、成長する市場経済すなわち自由主義経済を求めることになる。ここに、社会主義や共産主義に対する資本主義の優位がある。
  •  しかし、資本主義は必ずしも民主主義を必要条件としない。民主主義へのベクトルを生むのは、人間の持つ気概である。強い優越願望を持つ一人の主人(主君)が大勢の奴隷(臣民)を従えた奴隷制や封建制から、互いが互いを認め合って「対等願望」を満たし合う民主主義に移行したのは、歴史の必然である。
 リベラルな民主主義を選び取った場合に問題となるのは、それがわれわれに自由に金儲けをさせ、魂のなかの欲望の部分を満たしてくれるという点だけではない。さらに重要で、最終的にいっそうの満足を与えてくれることは、この社会がわれわれの尊厳を認めてくれるという点なのだ。リベラルな民主主義社会はすばらしい物質的繁栄をもたらす可能性を秘めているが、それはまた各人の自由を認め合うという、まったく精神的な目標実現にいたる道をも指し示してくれる。・・・・・このようにして。われわれの魂のなかの欲望の部分と「気概」の部分は、ともに満足を見出すのである。
  •  かくしてリベラルな民主主義は、人間社会における政治形態として最終的な解となりうる。が、もちろん弱点もある。たとえば、「冷酷で頑固な独裁国から自分の身を守れない」(北朝鮮やロシアや中国の脅威を見よ)、「資本主義社会は不平等をもたらすので、結局のところ、承認の平等は得られない」(格差問題を見よ)、「民族主義や宗教的原理主義との衝突」(難民問題を見よ)・・・・等々。
  •  もっとも看過できない問題が、気概の喪失である。
 リベラルな民主主義社会というのは「対等願望」の社会である。お互いにお互いの権利を認め合う。そして、その権利が認められている国家では、個人の生命が守られているかぎり、自由に財産を増やすようなその部分に国権がなるべく立ち入ってはならないということで成り立つ。これが「対等願望」の世界である。
 ところが、ここに哲学的かつ論理的な矛盾があるわけである。すなわち、みんな平等でいいというのならば、そこには偉大なる芸術も偉大なる学問もないことになってしまう。みんなと同じでいいというのならば、ほかに優越しようという気がなくなった社会である。ニーチェの言葉を使えば、奴隷の社会と同じなのである(奴隷というのは、「気概」を失ったために降参した人たちの社会なのである)。すなわちリベラルな民主主義社会というのは、お互いの権利を認めているようでありながら、究極的には奴隷の社会を志向するという危険を本質的に備えているわけである。

 このようにして、「最後の人間」が生み出されていく次第となる。
 もっと砕いた表現で言えば、「安全と物質的欲望と承認欲求が適度に満たされた平和な世界で、命を懸けるほどの対象もなく、魂を燃やすほどの生き甲斐もなく、人間は生きていけるのか?」、「永遠に続く退屈と付き合っていけるのか?」という意味になろう。
 90年代に社会学者の宮台真司がよく口にしていた「終わりなき日常をどう生きるか」というテーマと符合する。
 フクヤマは、「対等願望だけの世界=気概の喪失」に耐えられない人々が、ふたたび戦争や革命といった、気概が十全に発揮される世界を求めて反逆する可能性を示唆している。
 たしかに、民主主義から独裁主義に戻った感のあるロシアの現在、スーチー女史を再び軟禁し軍事政権に舞い戻ってしまったミャンマー、アメリカのトランプ支持者ら、大日本帝国化を企む元安倍派や日本会議の面々・・・・。優越願望あるいは気概という概念を通してこれらをみれば、「なるほど」と頷けるところもある。
 そこでは、「終わった」と思った歴史が逆流するのだ。
 敵がいないとつまらない、戦いこそ生きがい、より多くの人の上に立ちたい、なにものかに自己投棄してこその人生、生ぬるい「生」よりは激しく英雄的な「死」を・・・・という性向は、とりわけ「男♂」という種族には、多かれ少なかれ、ある。
 リベラルな民主主義がこの先ずっと継続するためには、抑圧された気概をどう解消するか、どうやって社会に役立つ方向へ昇華していくか、マチョイズムをどう克服するか、という点にかかっているのかもしれない。

 面白いのは、「歴史の終わり」を生きる人間の賢明なふるまい方のヒントとして、フクヤマは、アレクサンドル・コジェーブ(1902-1968)の言を紹介し、日本の江戸時代――鎖国下の天下泰平な日常――に触れている点である。

 コジェーブによれば、日本は「16世紀における太閤秀吉のあと数百年にわたって」国の内外ともに平和な状態を経験したが、それはヘーゲルが仮定した歴史の終末と酷似しているという。そこでは上流階級も下層階級も互いに争うことなく、過酷な労働の必要もなかった。だが日本人は、若い動物のごとく本能的に性愛や遊戯を追い求める代わりに――換言すれば「最後の人間」の社会に移行する代わりに――能楽や茶道、華道など永遠に満たされることのない形式的な芸術を考案し、それによって、人が人間のままにとどまっていられることを証明した、というわけだ。

 江戸時代がはたして「歴史の終わり」を一足早く体現していたのか、そしてまた、能楽や茶道や華道(あるいは歌舞伎や武道や武士道)が「終わりなき日常」を倦むことなく生きるための手立てとして有益なのかどうかはおいといて、せっかく日本に注目してくれるのなら、むしろ、「禅」こそが最適解に近いのではないかと、ソルティは考える。
 行住坐臥すべからく禅、過去と未来を捨て去って「いま、ここ」に在ることを善とする精神こそ、歴史の終焉後の世界を生きる人間のクールかつ美しい身の処し方なのではないだろうか。

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Benjamin BalazsによるPixabayからの画像






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