ソルティはかた、かく語りき

東京近郊に住まうオス猫である。 半世紀以上生き延びて、もはやバケ猫化しているとの噂あり。 本を読んで、映画を観て、音楽を聴いて、芝居や落語に興じ、 旅に出て、山に登って、仏教を学んで瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

反戦・脱原発

● 時には将校のように 映画:『日本のいちばん長い日』(岡本喜八監督)

1967年東宝
157分、白黒
原作 大宅壮一編・半藤一利著『日本のいちばん長い日』
脚本 橋本忍

 ポツダム宣言受諾間際の大日本帝国首脳部のごたごたを描いた歴史ドラマ。
 とりわけ、終戦を受け入れられない陸軍青年将校たちが起こした8月14日深夜のクーデター未遂、いわゆる宮城事件がメインに描かれる。

 とにかく全編に漲る緊迫感が凄い!
 ドラマというよりドキュメンタリーのようなリアリティと臨場感に満ちていて、出だしから一気に引きずり込まれた。
 157分をまったく長いと感じなかった。
 政府や軍の様々な組織に属する多数の(実在した)人物が登場する錯綜した話を、見事に捌いた橋本忍の脚本。
 戦時下の空気を再現しつつサスペンスを持続させる岡本のダレのない演出。
 そして、東宝35周年記念作に、ここぞと集められた錚々たる役者陣の白熱した芝居。
 実に見ごたえあった。

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陸軍大臣(三船敏郎)と海軍大臣(山村聡)の火花散るやり取り
その奥に鈴木首相役の笠智衆がおっとり構えている
 
 昭和を代表する人気男優総出演とでも言いたいような顔触れに、斜陽化にあったとはいえ、名門東宝の底力を感じた。
 阿南惟幾(陸軍大臣)を演じる三船敏郎を筆頭に、鈴木貫太郎(内閣総理大臣)役の笠智衆、東郷茂徳(外務大臣)役の宮口精二、米内光政(海軍大臣)役の山村聡、昭和天皇役の八代目松本幸四郎、ほかに志村喬、加藤武、戸浦六宏、高橋悦史、黒沢年男、石山健二郎、藤田進、伊藤雄之助、天本英世、二本柳寛、中村伸郎、小林桂樹、児玉清、加東大介、加山雄三、ナレーターに仲代達矢。
 あたかも、黒澤映画と小津映画の男優陣合体のような贅沢さ。
 (一方、セリフのある女優は新珠三千代ただ一人)
 
 中でも、クーデターの首謀者となった畑中健二少佐を演じる黒沢年男の熱演に驚いた。
 ソルティの中で黒沢年男は、昭和45年(1978)に大ヒットした『時には娼婦のように』のふしだらな大人のイメージと、バラエティ番組の髭面にニッカ帽のボケキャライメージしかなく、役者としての実力を知らなかった。
 本作では、主役の三船敏郎を食うほどの鮮烈な印象を刻んでいる。

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上官(高橋悦史)に決起をうながす畑中(黒沢年男)
 
 また、予科練の少年達を扇動して鈴木首相暗殺を謀る狂気の軍人を天本英世が演じている。
 いつものことながら“面しろ怖すぎる”怪演。
 官邸と首相私邸の焼き討ち事件は実際にあったことで、首謀者の佐々木武雄は数年間潜伏して逃げ回ったのち、戦後は大山量士の名で世間に舞い戻り、「亜細亜友の会」を設立した。
 なんか無茶苦茶な人だ。

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佐々木武雄を演じる天本英世の禍々しさ

 ソルティは宮城事件も首相官邸焼き討ち事件もよくは知らなかったのだが、敗戦を受け入れるってのは実に大変なことだったのだ、とくに軍人にとっては身を切られるようなことだったのだ、と改めて思った。
 冷静な目で客観的に見れば、どうしたって本土決戦なんかできる余力はなく、ポツダム宣言を拒否して抵抗し続ければ、第2、第3の広島・長崎が誕生するのは明白だった。
 それこそ今度は皇居や大本営のある東京に落とされたかもしれなかった。
 そしたら国体護持どころの話ではない。
 思うに、暴走した軍人たちの胸のうちにあったのは、「敗北を認めるくらいなら、日本が滅んでもかまわない」だったのではなかろうか。
 ウクライナとロシアの例に見るまでもなく、戦争は始めるより終わらせるほうがずっと難しい。
 泥沼化は必至である。
 
 本作のクレジットでは原作大宅壮一となっているが、大宅はその名を貸しただけで、実際に執筆したのは当時『文藝春秋』編集者だった半藤一利だった。
 2015年に原田眞人監督の手により再映画化(松竹)されたバージョンでは、原作半藤一利と訂正されている。
 こちらも、役所広司、山崎努、本木雅弘、松坂桃李、松山ケンイチなど実力派豪華キャストを揃えている。
 見較べてみたい。



 
おすすめ度 :★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損



● Jの悲劇 本:『「特攻」のメカニズム』(加藤拓著)

2023年中日新聞社

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 中日新聞に2019年5月から足掛け5年にわたって連載された記事をまとめたもの。
 著者は1981年生まれの中日新聞記者で、大学院生だった時分から特攻の調査・研究を独自で続けてきた、いわばライフワークである。

 (本書は)太平洋戦争末期の陸軍特別攻撃隊を取材テーマに、生き残った隊員や遺族などの証言、日記、手紙などを取材し、個人の生死より国家を優先した戦時下の狂気と恐怖、非人間的な組織の論理を暴いた。さらに、組織優先の論理や風潮が戦後の日本社会に引き継がれ、企業不祥事や過労死など個人が犠牲になる温床になっていると警鐘を鳴らしている。過去の歴史を振り返るだけでなく、現代に生きる私たちが学ぶべき教訓として描かれている。
(中日新聞社編集局長・寺本政司による「まえがき」より)

 たとえば、ブラックバイトや過労死や派遣切り。人を部品か消耗品のように扱う非人間的組織の実態。
 たとえば、2018年に起きた日大アメフト部の悪質タックル事件。タックルを行った当人はコーチからの「命令」と言い、コーチ側はそれを否定する。上からの「命令」なのか本人による「志願」なのかを曖昧にする無責任体質。
 たとえば、100人以上の犠牲者を出した2005年のJR西日本福知山線の脱線事故。当時同社で行われていた、業務でミスした運転士を再教育する「日勤教育」にみるパワハラ、モラハラ、懲罰的な精神論。
 たとえば、安倍元首相夫妻が絡んだ森友事件で公文書の改竄を上司に強要され、自らの命を絶った財務省の赤木俊夫氏。組織上層部の保身によって、忠実で真面目な中間管理職が精神的な破滅に追い込まれていく悲惨な構図。
 たとえば、新型コロナウイルス禍の自粛警察や、マスクしない人や休業しない店に対するバッシング。相互監視と逸脱者への村八分につながる世間の同調圧力。

 著者は、戦後70年以上経った現在起きている数々の事件の背景に、「特攻」という人類史上稀に見る愚かで野蛮な戦術(という言葉すら当たらない愚行)を可能にした、我が国の精神文化、思想、組織体質、社会の空気――つまりは国民性が垣間見られるとしている。
 その通りであろう。 
 特攻こそは、日本というシステムにおける「負」の集積的象徴であり、日本人の究極の欠陥が具現化した徒花なのである。
 特攻の中に日本人が見える。

 理想の勇姿を消耗品扱いする作戦がまかり通ったのは、戦局悪化の責任を回避し、そのツケを前線の兵士に押しつける組織の論理でしかない。上層に向かうほど責任の所在が不明確になり、矛盾のしわ寄せが末端に押しつけられる。それは、今も変わらない日本型組織の特異性と言えるだろう。

日本刀

 本書ではじめて知ったが、特攻に失敗した兵隊――いったん出撃したものの、機体の故障や悪天候などで自爆という目的を果たさないまま帰還した兵隊――を隔離収容する「振武寮」という施設が福岡にあった。
 そこは帰還した特攻隊員の「仕置き部屋」と化し、上官による虐待が日常茶飯だったという。
 こんなひどい話もある。
 「特攻で亡くなった」と大本営が発表した兵隊に対し、天皇陛下が名誉の勲章を授与することになった。ところが、本人が生きて還ってきた。
 いまさら「間違っていました」と取り消すのもまずいと、上官はその兵隊を暗殺する命令を出した。(さすがにこの命令は部下たちの猛反対を受け実行されなかった)
 
 子供の頃から徹底した軍国主義教育を受けた少年兵ほど、特攻に対する抵抗感が低く、「お国のために散る」ことに憧れすら持つ――というのは、まさに洗脳の賜物だろう。
 自我が十分育たないうちに隔離して、組織に都合の良い情報だけを繰り返し注ぎ込む。
 国のために命を捧げる特攻隊を「軍神」と位置づけ、国民がこぞって持て囃す風潮をつくる。
 少年たちは自らが置かれた生贄的境遇を不自然に思うことなく、「神」を演じて戦場に出ていく。

 なんだか、最近話題のジャ×ーズの元少年たちのことを思い出した。
 

 

おすすめ度 :★★★

★★★★★
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★★    いい退屈しのぎになった
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● 映画:『福田村事件』(森達也監督)

2023年日本
137分

福田村事件

 本作は関東大震災100年後の9月1日に公開された。
 なかなか評判になっているようで、9月9日(土)池袋シネマロサでの午後の回は8割くらい埋まっていた。
 どんどん全国拡大し、ロングランしてほしい。
 一人でも多くの人に観てほしい。

 100年前の史実である福田村事件をじっくり丁寧に描いている。
 クライマックスとなる香川の行商9人(胎児含めると10人)虐殺に向かって、その数日前から、舞台となった千葉県野田村の様子を描き込んでいく。
 日本に併合された韓国から帰ってきた夫婦、シベリア出兵で戦死した夫の遺骨を持ち帰る寡婦、デモクラシーを唱える村長を馬鹿にして村を仕切る元軍人たち、蔓延する在日朝鮮人への偏見、女子供とジジババが銃後を守る村や家庭の様子、男尊女卑の家制度、皇国史観が横行する大正末期の世相、軍隊や警察(特高)が威張りくさる軍国主義の風潮、国策に順応するマスコミ・・・。
 どのような背景・前提のもとで、この事件が起こったかを十分に観る者に知らしめる。

 その中に、物語の中心となるべき人物が据えられる。
 片や、朝鮮半島から故郷の福田村に帰国してきた男、澤田智一(井浦新)と妻の澤田静子(田中麗奈)。
 この二人は史実には出てこない創作上の人物であり、映画を観る者の視点、つまり日本人ではあるものの大日本帝国臣民の価値観には完全には染まっていない人間として、観客の感情移入しやすいキャラに設定されている。
 うまい仕掛けである。
 観客は、この智一と静子の二人を通して、事件の推移につき合っていくことになる。

 片や、香川から野田村にやって来た薬売りの一行である。
 大人と子供の総勢15人、中に妊娠した女もいる。
 頼りがいのある親方(永山瑛太)のもと仲良く行商しているが、彼らには人に知られてはならない秘密があった。
 被差別部落の民だったのである。

 前半、滔々と(ややぎこちなく)進んできた流れが、9月1日の関東大震災を機に一気に速度を速め、荒々しさを増していく。
 それまで個々に描かれてきた登場人物たち各々の物語――智一と静子の破綻寸前の微妙な夫婦関係、夫を戦争で亡くした寡婦と渡し守の男との人に後ろ指さされる恋、部落差別を背負いながら生きる行商一行の哀しみと逞しき商魂と強い絆、唯々諾々と国策に従って紙面を作ろうとする上司に抗う女性新聞記者の意気地、東京にいる夫が震災時に朝鮮人に殺されたと聞き悲嘆する若妻、戦争に行っている間に妻が自分の父親と関係したと勘繰る夫、等々――のエピソードが、打ち鳴らされる警鐘とともに香取神社の建つ利根川岸でひとつに収斂し、血みどろの殺戮劇に発展する。
 よくできた脚本である。

 しかし、なんといっても本作最大の魅力にして成功のポイントは、役者たちの熱意だろう。
 主役の澤田夫妻を演じる井浦新と田中麗奈、色男の渡し守を演じる東出昌大、行商の親方を演じる永山瑛太、この4人は甲乙つけがたく素晴らしい。
 いずれも、それぞれの役者人生における最高の演技ではないだろうか。
 演技の技術そのものよりも、この作品に対する、それぞれの役に対するひたむきな思いが彼らの演技を支えて、芝居を本物にする磁力が生じている。
 この磁力がスクリーンの密度を高め、観る者を最後まで引っ張っていく。
 とりわけ、不倫問題によって芸能界を締め出された東出の、逆境によって一皮むけた不逞なる存在感が印象的。
 倫理やら道徳やらを持ち出しバッシングに熱を上げる大衆とそれに迎合する無責任なメディアによって村八分にされた東出ほど、この福田村事件の因を成す群集心理の怖さを身をもって知る者はいまい。
 村の女たちの欲求不満のはけ口にされる軽薄な色男という、いかにも世間が東出に抱くイメージを自ら戯画的に演じながら、狂気にかられる村人たちから行商を守ろうと盾になる。
 東出は本作で本物の役者になったと思う。
 森監督が東出を起用してくれたことに感謝したい。
 本作のリアリティを一気に高める柄本明の起用は言うに及ばず。

香取神社
事件の舞台となった野田の香取神社参道

 ソルティは、森監督が本作を撮るにあたって、どこまで部落問題に踏み込むのか興味津々であった。
 部落問題に触れるのがタブーだからというのではない、
 森監督ほどタブーと向き合って、タブーを破ってきた表現者はいない。
 そうではなく、朝鮮人差別や集団パニックだけでも扱うのに大きなテーマなので、そこに部落差別というテーマを絡ませることで、焦点がぼやける可能性を思ったのである。
 福田村の自警団をはじめとする村人たちが香川の行商を殺害したのは、彼らを朝鮮人とみなしたからであって、彼らが部落民だったからではない。村人は行商たちの素性を最後まで知らなかった。
 つまり、そこに部落差別を組み込む必要はない。
 しかし、史実である以上、まったく部落問題に触れないのも不自然だ。
 どう処理するのかな?――と思っていたら、なんと水平社宣言という裏技を出してきた。
 ・・・・・!
 そうだった。
 関東大震災および福田村事件が起きたのは1923年9月。
 それに先立つ一年前の3月3日、京都で全国水平社が結成された。
 史実がどうだったかは知るべくもないが、全国各地を旅して回る香川の行商たちがどこかで水平社宣言を読み、どこかで活動家の講演を耳にし、歓喜に震え、解放運動に目覚めていたとしても、決しておかしな話ではない。
 それだけに、解放と平等への希望を抱いて行商していた一行が、同じように日本人によって差別されている朝鮮人と間違えられて虐殺されるという顛末は、あまりに酷く、悲しく、絶望的だ。
 「なんで? なんで? なんで?・・・」
 殺戮を目撃し生き残った行商の少年の慟哭に答えられる者はいるのか?

 森監督、本作に希望を盛り込まなかった。
 おそらく、監督の分身は女性新聞記者であろう。
 彼女は福田村事件の惨状を目の当たりにし、記事に書くことを決意する。
 福田村村長は泣いて懇願する。
 「私たちはこれからもこの土地で生きてゆかねばならない。どうか書かないでくれ」
 彼女は答える。
 「書くことでしか、これまで朝鮮人差別を黙って見逃してきた自分を許せない。亡くなった香川の行商たちに償いえない。」
 森監督も本作を撮るにあたって、同じように自問自答したのだろう。

 ラストシーン。
 船で川へと漕ぎ出す澤田夫妻。
 妻は問う。「ねえ、どこへ行くの?」
 夫は答える。「・・・教えてくれ」
 二人の乗った行先わからぬ船は、“新しい戦前”を漂う現在日本の比喩に違いない。
 
 
 
おすすめ度 :★★★★★

★★★★★ 
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● 楽園の中の地獄 映画:『野火』(塚本晋也監督)

2015年日本
87分

 塚本晋也の作品はこれがはじめてだが、噂通りたいへん才能ある監督と納得した。
 制作、脚本、監督、撮影、編集に加え、なんと主演までやってのけ、いずれも高い水準の出来栄えである。
 とくに演技がこれほど巧いとは意外であった。

 最近観た市川崑による『野火』と自然比較してしまう。
 脚本つまりシーン構成はほぼ同じと言っていい。
 市川作品(105分)よりセリフが刈り込んであるぶん、引き締まってスピーディーな感がある。
 なによりの違いはやはりカラーであるところ。
 南国(レイテ島)の美しさが際立って表現されている。
 透き通った海、鮮やかで幻想的な夕焼け、原色のエロチックな花々、緑濃き森、蒼い闇に飛び交う夜光虫・・・・。
 撮影が素晴らしい。
 「ああ、ここは戦争さえなければ、兵隊さえいなければ、まんま楽園なのだ。」
 日本の兵隊たちは楽園にあって地獄を生きているのだ、と観る者に教えてくれる。
 
 一方、カラーであることは別の部分で容赦ない効果を生む。
 米軍の圧倒的な武力によって虫けらのごとく殺される日本兵たちの死に様が、実にグロテスクで生々しい。
 血しぶきが飛び、千切れた腕や頭部が散乱し、内臓や脳漿がドロドロと流れ出し、びっしりとウジ虫が蝟集する。
 ここまで凄惨なリアリティは市川作品にはなかった。
 欧米なら年齢制限がつくのでなかろうか。

 市川作品が、生き残った主人公が野火に向かって歩き出すシーン、すなわち米軍への投降を暗示することで終わったのにくらべ、塚本作品では帰国した主人公の戦後の姿も描いている。
 この違いも大きい。
 塚本は主人公の職業を物書きと設定し、作家として世過ぎしながらトラウマに苦しむ男の姿を描く。
 いわゆる、PTSD(心的外傷後ストレス障害)だ。
 彼にとって、戦争はまだ終わっていない。地獄は続いている。
 確かにベトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争を経た令和の現在、本作を映画化するならそこまで描かなければ意味はなかろう。
 結果、市川作品より悲劇の重厚性は勝っている。

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David MarkによるPixabayからの画像

 楽園と地獄のコントラスト。
 これが市川作品にはない本作のコンセプトであり、一番の仕掛けであろう。
 銃や手榴弾を捨てれば、戦いを止めれば、日本兵たることを捨てれば、「お国や天皇のために戦うことこそ日本男児」という共同幻想から解かれれば、今いる地獄はそのまま楽園に転じる。
 野火を焚いて神に祈る原住民のように、自然とともに生きる平和で豊かでエロチックな暮らしが眼前にある。
 地獄はまさに主人公の頭の中にのみ存在し、戦い殺し合う人間の心のうちにその種を持ち、その根と茎をのばし、その毒々しい花を咲かせる。
 楽園と地獄――それは自然と人間の対峙でもある。
 この世に地獄を作り出すのは、神でも悪魔でも阿修羅でも閻魔大王でもない。
 人間の心なのである。

 本作で主人公が最後まで自らに決して問いかけないセリフがある。
 「なぜ、自分は闘っているのだろう?」
 その問いが奪われたところに、兵士たちの悲劇がある。
 それにくらべれば、カニバリズム(人肉食)なんて、たいしたテーマではない。

 個人的には、市川作品より塚本作品を推したい。



おすすめ度 :★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
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● 18切符で巡る、2023みちのくの夏(仙台編)

 8月26日は、加藤哲夫さんの13回忌だった。
 25と26の両日、仙台で『市民と社会のこれからを考える2Days「私たちはどう生きるか?~加藤哲夫さんの宿題を考える~」』が有志の呼びかけにより開催された。
 
 加藤哲夫さんは、仙台の街中で自然食品店&出版社『ぐりん・ぴいす&カタツムリ社』を経営しながら、反戦、脱原発、環境問題、ディープエコロジー、精神世界、HIV問題、市民活動支援(NPO)など実に幅広い分野の活動を展開した。
 とりわけ、市民活動支援セクターである「せんだい・みやぎNPOセンター」の設立に関り、全国を飛び回って行政や民間相手の研修講師を務め、一時は“NPO四天王”などと呼ばれるほどだった。(あとの3人が誰かは覚えていない)
 頭が切れ、弁が立ち、快活で、稀代のネットワーカーで、日本酒とアロマオイルと夏目雅子が好きで、人の悲しみをよく知る人だった。
 
 30代を仙台で過ごしたソルティは、HIV感染者支援の活動を通じて加藤哲夫さんと知り合い、以後、公私にわたりたいへん世話になり、多くのことを学んだ。
 加藤哲夫さんの活動や思いを振り返り、旧知の人々と再会し、還暦以降の生き方の指針が得られたらと思い、参加した。
 ついでに、ずっと乗りたかったJR五能線、ずっと歩いてみたかった奥入瀬渓流にも足を延ばし、全5日間のみちのく一人旅を決行した。
 旅のお伴は、青春18切符とJR時刻表と本3冊である。

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JR時刻表
ページをめくって列車の連絡を調べるのが旅の醍醐味
スマホは持って行かなかった

8月25日(金)、26日(土)晴れ

 仙台も関東に負けず劣らず暑かった!
 陽の当たる通りを歩いているだけで汗だくになった。
 ただ、東北本線の白河駅を越えたあたりで空気が変わったのを感じた。
 首都圏の濃厚とんこつスープの中に浸かっているようなギトギトの暑さとは違い、昭和の夏のジリジリした炎天下の暑さがあった。

 X君と仙台フォーラス前で待ち合わせ。
 国分町にある有名な牛タン専門店『太助』に行った。
 X君は、以前記事に書いた2年間ムショ暮らししていた旧友である。
 昨年9月に務めを終え円満退所(?)し、娑婆に戻って約1年。
 強制ダイエットされた体ももとに戻り、肉付きも顔色もよく、五十路越えとは思えない黒々した髪もふさふさとし、精神的な脆さは見られるものの、とりあえず元気そうであった。
 地域のNPOの支援を受けながら職業訓練所に通っていると言う。
 共通の友人を通じてたまに彼の動向は聞いていたものの、実際にこうして会って話すのは、東日本大震災のあった年の夏が最後だったと思う。
 海辺の町に住んでいたX君の被災見舞いだった。
 12年ぶりの再会。
 しかし、そんなに久しぶりの感がない。
 観光客で混みあう『太助』のカウンターで、すぐにムショ暮らしの苦労を包み隠さず滔々と語り始める主役感。(ツイッターへの投稿がもとで、某ビジネス雑誌のインタビューを受け、「中高年の貧困と孤独」と題する記事にもなった)
 そこが約30年前に仙台のゲイコミュニティで最初に出会ったときから変わらぬX君の持ち味なのだった。転んでもただでは起きない。
 炭火で焼く牛タンの旨さを堪能したあと、場所を移した。
 印象に残った話をあげる。(注意:尾籠なものもあります)
  • ムショでは起床時にビリー・ジョエルの『HONESTY(誠実、正直)』が流れていた。いまもこの曲を聴くとトラウマが蘇る。
  • ムショでは「ピンク」がもっとも軽蔑され、仲間内のランクが下だった。「ピンク」とは性犯罪者のことである。(特に小児性犯罪者は他の受刑者から蛇蝎のごとく嫌われると聞いたことがある)
  • トイレ付きの8畳くらいの部屋に3人で入っていた。トイレは一応仕切りがあったが、隠されているのは下半身だけで、上半身は廊下から見えるよう透明仕切りになっていた。
  • イケメンが全然いなくて残念だった。(何を期待しているんだか・・・)
  • 所内のカラオケ大会で尾崎紀世彦の『また逢う日まで』を歌って準優勝した。
  • ひと月に一度「アイスの日」というのがあり、それが一番の楽しみだった。
  • 雑居房ではオ×ニーをしなかった。他の男たちもしていなかった。当然、屈強な牢名主に“掘られる”ようなこともなかった。(互いにBLメディアの見過ぎ)
  • 娑婆を出た日にNPOにつながって、生活保護の申請やアパートを借りる手続きを手伝ってもらった。それがなければ、更生保護施設に行くほかなかった。
 織田信長が「人生50年」と言った時から500年以上経ち、今や「人生100年」の時代である。
 50歳なんて、ようやっと折り返し地点。
 とりあえず生きていてほしい。
 また逢う日まで。
 
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仙台駅の伊達政宗騎馬像
なんであまり人の来ない3Fに移したんだろう?

 夕方より、「2DAYS加藤哲夫さんの会」に参加。
 会場は広瀬通りに面した仙台市市民活動サポートセンター。(錦町にあった昔のサポートセンターに間違って行ってしまい、15分ほど探し回った)

プログラム

〇セッション1 (8/25 18:30~21:00)
「2011年の覚醒はどこへ~東日本大震災で社会は変わったのか」
進行:渡邉一馬(せんだい・みやぎNPOセンター)
ゲスト:
 高橋敏彦(前北上市長)
 高橋由佳(イシノマキ・ファーム)
 高橋美加子(北洋舎クリーニング)
コメンテーター:菅野拓(大阪公立大学)

〇セッション2 (8/26 9:30~12:00)
「加藤哲夫とNPO~市民、自治、民主主義」
進行:赤澤清孝(大谷大学)
ゲスト:
 川崎あや(元アリスセンター事務局長)
 福井大輔(未来企画)
 青木ユカリ(せんだい・みやぎNPOセンター)
コメンテーター:川中大輔(シチズンシップ共育企画)

〇セッション3 (8/26 13:30~16:00)
「これからの『市民の仕事』~加藤哲夫の宿題」
進行:田村太郎(ダイバーシティ研究所)
ゲスト:
 白川由利枝(地域創造基金さなぶり)
 葛巻徹(みちのく復興・地域デザインセンター)
 前野久美子(book cafe火星の庭)
コメンテーター:長谷川公一(尚絅学院大)

 70名くらい入る会場には、加藤哲夫さんと親交のあった様々な分野の人々が集まって、活況を呈していた。
 登壇者にも、客席にも、古くからの顔見知りがチラホラいて、ゆっくりと語る時間こそ持てなかったものの、元気に活動している姿が伺えてパワーをもらった。
 2日間のセッションの中で、印象に残った言葉。(主観的変換あり)
  • 人生は後付けである。
  • 男は構造をつくりたがる。できあがった構造の中で、当初現場にあった覚醒や思いが薄れていく。
  • 優しい人たちのつくる、文句のつけようのない優しい制度の中に空白が生じ、そこに落ち込んで苦しんでいる人がいる。
  • ひとりひとりの人格ではなく、システムが人を殺す。
  • SNSに象徴されるように、今の社会は人と人とを分断する方向に進んでいる。
  • 社会のアプリケーションでなく、OSを変えることが重要。
  • 本来なら、国や行政が立法化するなどして仕組みを変えなければならないことを、仕組みを変えないままにNPOが安く下請けする、ニッチ産業のような構造ができてしまっている。そこに共助という落とし穴がある。
 加藤哲夫さんがその八面六臂の素晴らしい活動において最重要に位置付けていた思いは、「人を殺すシステムを変えること」であった。
 薬害エイズ事件にみるように、組織(当時の厚生省)に属する一人一人は巨悪でも悪魔でもない、普通の感覚を持った一市民にすぎない。
 それが歪な風通しの悪い組織の中で、自らを殺して組織のために働くことで、結果的にシステムとして人を殺すことに荷担してしまうのである。
 だから、中にいる人を変えたところでシステムがそのままであれば、同じことが繰り返される。
 誤ったシステムを変えなければならない。
 ソルティもまた、生前の加藤哲夫さんの口から同じような言葉を幾度も聴いた。
 加藤哲夫さんにとって、誤ったシステムによって起こる最大最悪の産物は「戦争」であった。
 天皇を神とする大日本帝国というシステムの中で、男たちは人殺しに駆り出されていったのだ。 

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加藤哲夫さん
 
 システムを変えるためには、まず、人はシステムの歪さに気づく目を持たなければならない。 
 システムの中で苦しんでいる弱者の声に耳を傾けなければならない。
 それから、“空気を読まず”に口に出して、それを変える行動を起こすための勇気を持たなければならない。
 すると、仲間が見つかる。
 
 薬害エイズ事件の頃、カレル・ヴァン・ウォルフレン著の『人間を幸福にしない日本というシステム』という本が流行った。
 あれから四半世紀が経って、いまだに「人間を幸福にしない日本というシステム」は、拘束服のように我々を縛り続けている。

 2日間のセッションを終えて、盛岡に向かう列車に飛び乗った。
 車窓に広がる東北ならではの稲穂の波を見送りながら、システムに捕らわれることなくその表層を飄々とした風情で飛び回った、あるいはカタツムリのようにのそのそと忍耐強く這い進んでいた、加藤哲夫さんの笑顔を思い出した。

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加藤哲夫かたつむり


 




● 関東大震災朝鮮人・中国人虐殺100年犠牲者追悼大会


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日時 2023年8月31日(木)18:15~
会場 文京シビック大ホール(東京都文京区)

 高麗博物館で開催中の特別展『関東大震災100年 隠蔽された朝鮮人虐殺』を見に行き、四谷区民ホールでの講演会『関東大震災から100年の今を問う』を聴きに行き、ついに犠牲者追悼会に参加する運びとなった。

 思えば、渡辺延志著『関東大震災「虐殺否定」の真相』(2021年ちくま新書)を読んでからというもの、ここ2年ばかり、このテーマを追ってきた。
 やはり関東大震災時に千葉県福田村で起きた、香川の被差別部落から来た行商一行虐殺事件とともに。(こちらは現在、森達也監督の映画『福田村事件』上映中である)
 本を読んで、現地に行って、絵巻を見て、講演を聴いて、虐殺事件のあらましは頭に入ったけれど、知識を身につけるだけでは意味がない。
 亡くなった人たちを追悼するとともに、このような残虐な事件が起こった原因を探り、同じようなことが二度と起こらないようにするという決意がなければ、知識にはなんの価値もない。
 そう思って、満月の夜の集会に参加した。

 シビックホールは後楽園ドームの近くにあり、大ホールの席数は1800あまり。
 ざっと見たところ、1200~1300人くらいの参加があった。
 長らく地域で犠牲者追悼の活動をしてきた人、最近知って興味を抱いた人、共産党や社民党の政治家たち・・・・100年経った今も、この問題に関心を持つ人がこんなにたくさんいるという事実に、なにか心強いものを感じた。

 舞台の上も、客席も、非常に熱い感情に満ちていた。
 それは、虐殺された朝鮮人・中国人犠牲者の遺族(孫など)による怒りと慟哭と告発の叫びであり、その叫びを言葉の壁を越えて受け止めた日本人参加者たちの恥と共感の波であり、ヘイトスピーチやネット上のコメントに見るようにいまなお続く在日朝鮮人・中国人への差別や恫喝に対する当事者の怯えと救いを求める声であり、なにより、虐殺事件をあたかもなかったことのように扱おうとする昨今の日本政府や東京都に対する全会場の怒りと闘いへの連帯意志であった。
 義憤にかられ声を上げる日本人同志がこれだけいることに感動した。
 と同時に、100年経ってもこれだけの抗議集会を開催せざるを得なくしてしまった日本という国の厚顔無恥ぶりに暗澹たる思いを持った。
 1923年9月初めに数千人規模の虐殺があったのは事実であり、その虐殺を政府が扇動したのも事実である。公式な記録に残っている。
 事実を事実として認め、反省や謝罪や償いができない国家が、他国から尊敬を受けられるべくもない。
 国民同士の信頼に基づいた国家間の友好関係を築けるはずもない。
 安部元首相が語った「世界に誇れる美しい国、日本」の内実とは、こんなものなのである。

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李政美氏と紫金草合唱団のみなさん
 
 プログラムには、在日韓国人3世のピアニストである崔善愛(チェ・ソンエ)氏によるショパンの『革命』と『別れの歌』、アリランの演奏があった。
 また、やはり在日韓国人2世の歌手である李政美(イ・ジョンミ)氏と紫金草合唱団による関東大震災時の虐殺をテーマにした歌曲なども披露された。
 魂のこもった演奏や歌声は、人種や国籍や言葉の壁を超える力がある。
 「我々は同じ人間なのだ」と、あたりまえの原点に立ち返らせてくれる。

 本集会実行委員会の共同代表をつとめた田中宏氏(一橋大学名誉教授)の発言にあったのだが、関東大震災のあと、東京帝国大学に学ぶ朝鮮人留学生は『帝国大学新聞』にこう寄稿したという。
 「日本の教育は、人間となるよりもまづ国民になれと云ふ。・・・朝鮮人を殺すことを以て、日本国家に対する大いなる功績と思って居たやうに見える」

 人間たることを止めたとき、人は狼にも鬼にもなりうるのだ。

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● 戦犯作家と呼ばれて 本:『革命前後』(火野葦平著)

1960年中央公論社
2014年社会批評社

革命前後

 本書の刊行は、1960年1月30日、火野葦平はその一週間前の1月23日に服薬自殺した。
 本書は火野の遺作であると同時に、遺書と言っていい。
 というのも、戦時中『土と兵隊』『麦と兵隊』などの従軍記を書き“兵隊作家”として持て囃され、自ら進んで戦意高揚に協力した火野が、戦後15年経って“戦犯作家”としての自らの戦争責任について内省し総括しているからである。
 自死の理由ははっきりしていないのだが、少なくとも、本書を書き終えた後、火野の中で何か吹っ切れるものがあったのは間違いあるまい。

 本書は、1945年7月中旬から1947年5月までの火野の身辺雑記あるいは私小説である。
 この間に、B29による度重なる本土爆撃があり、不可侵条約を破ったソ連の満州侵攻があり、広島と長崎への原爆投下があり、玉音放送があり、ポツダム宣言受諾があり、GHQの占領があり、獄中にいた共産党員の釈放があり、パンパンや闇商売の横行があり、戦犯追及の嵐があり、天皇の人間宣言があった。
 タイトルにある「革命」とはまさに1945年8月15日のことで、この日を境に、火野の周囲がどのように変わっていったかが生々しく描かれている。
 “革命”前の火野は、故郷九州の博多で西部軍報道部に所属し、地域の戦意高揚のため、軍人や文化人らとともに、軍が徴用したホテルに泊まり込んで軍務に従事していた。
 軍国主義下の日本で、「お国の為」に生きていた。
 “革命”後の火野は、文芸復興を期して九州文学という出版社を仲間と立ち上げるとともに、博多の焼け跡を利用した食べ物屋街「太平街」の設立に関わった。(いずれも頓挫した)
 焼け跡が広がり物資のない日本で、自責の念から筆を折った自分がこれからどうやって生きていくか、模索していた。

 遺書と言うと重苦しい印象を受けるかもしれないが、革命前後の疾風怒濤の日々の記録はドラマチックで、ドキュメンタリー風の面白さがあり、その中にも鋭い社会風刺や人間観察が顔をのぞかせ、やはり人気作家にして芥川賞作家だなあと感心した。
 背水の陣をとうに越えた日本存亡の危機だからこそ、あるいは価値観が180度引っくり返った混乱期だからこそ、人間の本性が暴かれる。
 報道部の同僚、火野の家族、親戚、友人、文芸仲間、闇商売の相手、復員してきた兵隊、巷の庶民等々、さまざまな立場の人々のさまざまな振る舞いが描き出されていて、一種の「人間喜劇」の様相を呈している。
 九州のみならず、日本中で同様なことが起きていたのだ。
 そして、自らもまた喜劇の登場人物とみなし、客観的におのれの愚かさと滑稽さを見つめようとする火野の目は、あやまたず作家のそれである。
 九州革命――米軍の本土上陸前に九州を独立させ革命政府を作り、九州独自で米軍と闘おう――なんて本気で考えていた人がいたとは驚きであった。
 また、ポツダム宣言受諾の数日後には、連合国の国旗を掲げる日本人の変わり身の早さも興味深い。
 敗戦で自決した者をのぞいて、「日本人総パンパン化」みたいな米軍忖度ぶり・・・。

桜と川面

 さて、火野は自らの戦争責任をどう総括したか。
 戦時中の火野の活動について調査するために訪ねて来たGHQのCIC(民間情報局)ケインジャー大尉に向かって、火野はこう語る。

 私は太平洋戦争が侵略戦争なのかどうか、よくわからないのです。少なくとも、戦っている間は、一度もそう考えたことはありませんでした。祖国が負けては大変だという一念があったばかりで、私などがいくら力んでみてもなんにもならなかったのですけれど、ともかく全身全力をあげて、祖国の勝利のために挺身しました。米英撃滅をモットーにして戦争に協力しました。私には老いた両親があり、妻と三人の子供があることはさきほど申し上げましたが、私は祖国の勝利のためには命をすててもかまわない覚悟でいました。それというのもただ日本が負けては大変だという一途の気持だけです。私とともに戦線を馳駆した兵隊たちの多くもその気持であったと信じます。けれども負けてしまうと、日本は侵略戦争に狂奔したということになり、軍閥の姿が大きく表面に出て来て、実のところ、茫然として居ります次第です。

 恐らく私がお人よしの馬鹿だったのでしょう。軍閥の魂胆や野望などを看破する眼力がなく、自己陶酔におちいっていて、墓穴を掘ったのでしょう。しかし、私は私なりに戦争に協力したことを後悔しません。敗北したことは残念でありますが、私の気持は勝敗にかかわらず今も変わっておりません。

 これが本心なのだろう。
 「国のため」「天皇陛下のため」という絶対的な価値が火野のアイデンティティの核を成していたのである。
 子供の頃からそういったしつけや教育を受け続け、社会全体がその観念を共有しているのであれば、そこから脱して体制に疑問を持ったり、別の視点を持つのは難しかろう。
 それは、戦後生まれのソルティが、「民主主義」「基本的人権の尊重」を当たり前とし、疑問を抱かないのと同様である。
 国家は国民に奉仕するもの、「国<人民」とソルティは思っているが、“革命前”の普通は、「国>人民」だったのである。
 いまでも、祖国あっての人民、祖国あっての百姓、祖国あっての水田、祖国あっての自分・・・すべてのものの上に「国」が来るという観念は、保守右翼が好むところであるが・・・。
 
 また、火野の場合、独自の美意識を持っていた。

 英雄となるか、ピエロとなるか。それはしたりげな後世の歴史家がアヤフヤなレッテルを貼るにすぎないのであって、瞬間に昂揚される人間の火花の美しさこそ、英雄の崇高さというものだろう。(ソルティ、ゴチ付す)

 一瞬一瞬の正直な実感こそが、人間の行動の中で信じ得られる唯一のものではあるまいか。真実には盲目であり、虚妄に向かって感動したとしても、それは尊ばるべきではあるまいか。滑稽と暗愚の中にこそ、人間がいるのではないか。戦争も、国家も、歴史も、なにがなにやらわからない。革命の名の下に大混乱がおこっているが、その中で信じられるのは人間の、自分の、自分一人の実感だけだ。

 換言すれば、人間にとって大切なのは、目的や結果の良し悪しではなく、瞬間瞬間の行為における誠実さや真剣さや熱意である、ということだろう。
 そのような視点に立てば、たとえばゼロ戦による自爆攻撃も美化され、称讃されるべきものになる。
 なんとなく、これは『葉隠れ』的な、晩年の三島由紀夫的な、つまり武士道につながる美意識のような気がする。
 本書を読んでいても、火野葦平という男の“もののふ”っぷりが感得される。
 生粋の九州男児で、父親は仲仕玉井組の親方であったという出自からは、相当の硬派(マッチョ)であったことが伺えよう。
 自らが信じるところに、結果を顧みずに自己投棄する。
 それを「美しい」「雄々しい」と言っていいのかどうか、ソルティにはよく分からない。(そういう機会に巡り合わなかったゆえに、この歳までおめおめと生きてこられたのだろう)

 最後に――。
 火野葦平は、『土と兵隊』で描かれている最初の従軍(杭州敵前上陸)の際、続けて南京入城を果たしている。
 すなわち、1937年(昭和12年)12月13日のいわゆる南京虐殺事件に居合わせたことになる。
 が、『土と兵隊』には当然ながらその記述はない。
 戦後、他の作品に書いたという話も聞かない。
 謎だ・・・・。

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国明 李によるPixabayからの画像




おすすめ度 :★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損







● 映画:『野火』(市川崑監督)

1959年大映
105分、白黒
脚本 和田夏十
音楽 芥川也寸志

 大岡昇平の原作を読んだのは高校生の時。
 テーマを受け止めるには重すぎた。
 カニバリズム(食人)の衝撃だけがあとに残った。
 読後まもなく、佐川一政のパリ人肉事件(1981年)が起こった。
 実際にそういうことがあるのだとびっくりした。
 佐川の場合、飢えからでなく、性愛からの行為だったと記憶する。
 猟奇殺人として世間を騒がした。

 市川の映画で描かれるのは、カニバリズムの猟奇性より、恐怖と飢えという極限状態に置かれた人間のありさまである。
 太平洋戦争末期のフィリピンのレイテ島で、米軍に敗れ、ジャングルの中をばらばらになって遁走する日本兵たち。
 米軍の爆撃や銃弾も怖い。米軍に協力する現地住民の反乱も怖い。
 鬱陶しい雨季のジャングルも、ぬかるみもしんどい。
 しかし、一番の問題は飢えである。
 芋が尽き、塩が尽き、ヒルや草を食べる日々。
 極度の空腹から幻覚を見る兵士。
 力尽きて倒れる兵士。
 主人公である田村(船越英二)も米軍への投降を考える。
 そんななかで出会った永松(ミッキー・カーチス)と安田(滝沢修)は、猿を撃ち殺して、その肉を食べているという。

 ほとんどが野外ロケである。
 ボロ靴のごとく草臥れた敗残兵たちの恰好や爆撃シーンなど、迫力あるリアルな映像は、さすが大映、さすが市川崑。
 某大河ドラマとはレベルが違う。
 CGでは出せない即物性がある。
 芥川也寸志の音楽もよい。
 芥川はマーラーの影響をかなり受けているように思う。
 マーラー風の不安と狂気を映像に結びつけている。 

 船越英二は、どの映画出演作でもあまり強い印象を与えない役者であるが、この一作は素晴らしい。
 どことなくハーフめいた彫りの深い顔立ちと恬淡として虚ろな眼差しが、牧師のように世俗離れした雰囲気を醸して、むごい運命に流され、周囲の欲深な兵隊たちに馬鹿にされる、受動的な兵士像を造り出している。
 この役者の生涯の一本と言っていいだろう。(水谷豊主演『熱中時代』の校長先生も捨てがたいが・・・)
 海千山千のあこぎな上官下官コンビを演じる滝沢修とミッキー・カーチスも素晴らしい。
 ミッキー・カーチスが上官の滝沢を撃ち殺して、その肉にしゃぶりつくシーンは実にグロテスクで、貴志祐介の『クリムゾンの迷宮』を想起した。
 ここはカラーでなく白黒映画で良かったと思った。

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左から2人措いて、3人目が船越英二、滝沢修、ミッキー・カーチス

 食人と言えば、スターリン時代のウクライナで大飢饉が起こり、数百万人が亡くなった。
 飢えに苦しむ人々は、鳥や家畜や雑草はもちろん、病死した馬や人の死体を掘り起こして食べたり、時には、我が子の一人を殺して他の家族に食べさせることもあったと言う。
 なんともひどいのは、この飢饉がソ連政府による人為的かつ計画的なものであった可能性が示唆されていることだ。
 ナチスによるユダヤ人大虐殺であるホロコーストに倣って、ホロドモールと呼ばれている。
 ウクライナとロシアの間には深い因縁があるのだ。




おすすめ度 :★★★

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● 兵隊作家と呼ばれて 本:『土と兵隊』、『麦と兵隊』(火野葦平著)

1938年改造社より発表
1953年新潮文庫

 火野葦平(1907-1960)は読んだことがなかった。
 どういう人で、どういう文学的または社会的評価を受けていたかも、よく知らなかった。
 興味をもったのは、NHKで4月3日に放送された『映像の世紀 バタフライ・エフェクト~戦争の中の芸術家』を観たからである。
 番組では、ナチスドイツ時代を生きた指揮者フルトヴェングラー、スターリン独裁下のソ連を生きた作曲家ショスタコーヴィチ、そして日中戦争に従軍し“兵隊作家”としてマスコミの寵児となった火野葦平の3人が取り上げられていた。
 つまり、芸術家の戦争責任がテーマだった。

 火野は、戦後になってから“戦犯作家”として批判を浴びた。
 自らの戦争責任に言及した『革命前後』という本を書いた後、睡眠薬を飲んで自殺した。

 いったい、火野はなぜ自ら進んで戦争協力するようになったのだろう?
 自分につけられた“兵隊作家”というレッテルを、のちには“戦犯作家”というレッテルを、どう受け止めていたのだろう?
 最後の瞬間、彼の心のうちで何が起きていたのだろう?
 
 俄然興味が湧き、まず彼の代表作である2作品が載っている本書を借りた。
 この2作品プラス『花と兵隊』の兵隊3部作の大ヒット(300万部を超えた)ゆえに、彼のその後の人生は決定づけられていったのである。

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 本書は、1937年(昭和12年)7月7日の盧溝橋事件を発端に始まった日中戦争の従軍記である。
 火野葦平は、1937年9月に応召され、10月杭州湾に敵前上陸し、一兵卒として中国軍と戦った。
 当時30歳だった。
 翌38年2月、『糞尿譚』により第6回芥川賞を受賞。
 一躍、時の人となった。
 報道部に転属となり、1938年5月には攻略後の南京に入り、徐州会戦に参戦した。
 1939年11月に退役して帰国。
 日本出立から中国大陸上陸、杭州での戦いの様子を記したのが『土と兵隊』である。
 徐州会戦の様子を記したのが『麦と兵隊』である。
 題名通り、前著は泥の中での行軍が、後者は一面の麦畑の中での行軍が、日記形式で書かれている。
 どちらの場合も、中国軍との激しい戦闘の模様が描かれているのは言うまでもない。
 火野葦平は、銃弾や砲弾が飛びかい、死傷者があふれる前線で、死と向き合いながら戦った勇士なのである。
 その体力と精神力は筋金入りと言ってよかろう。

 本書は、お国や天皇陛下のために命をかえりみずに戦う日本兵たちを称賛するものであり、飢えや喉の渇きや足のマメや寒さやダニなどさまざまな困難に遭いながらも、助け合って行軍する、同じ釜の飯を食う兵隊同士の連帯と友愛の素晴らしさを伝える内容である。
 火野のナショナリズム(祖国愛)や仲間の兵隊たちへの愛情はまごうかたない。

 多くの兵隊は、家を持ち、子を持ち、肉親を持ち、仕事を持っている。しかも、何かしら、この戦場に於て、それらのことごとくを、容易に捨てさせるものがある。棄てて悔いさせないものがある。多くの生命が失われた。然も、誰も死んではいない。何も亡びてはいないのだ。兵隊は、人間の抱く凡庸な思想をも乗り超えた。死をも乗り超えた。それは大いなるものに向って脈々と流れ、もり上がっていくものであるとともに、それらを押し流すひとつの大いなる高き力に身を委ねることでもある。又、祖国の行く道を祖国とともに行く兵隊の精神である。私は弾丸の為にこの支那の土の中に骨を埋むる日が来た時には、何よりも愛する祖国のことを考え、愛する祖国の万歳を声の続く限り絶叫して死にたいと思った。(『麦と兵隊』より)

 一方、それをもって、本書を単純に、「戦争賛美、帝国陸軍万歳、中国憎し」の戦意高揚の書と言えるかと言えば、ソルティはそうは取れなかった。
 やはり、ここに描かれている「土」の行軍、「麦畑」の行軍は、たいへん厳しいものに違いなく、これにくらべればソルティのおこなった四国歩き遍路1400キロなどパラダイスである。
 いったいに、日中戦争体験者の手記を読むと、地獄のような行軍の話がよく出てくるが、ほんとうにこのような行軍が必要だったのか、疑問に思う。
 敵と出会う前に、ほかならぬ行軍によって体力と気力をあらかた奪われて、食糧も尽きて、いざという時に十分な力を発揮できなかったのではないか?
 あるいは、行軍によって兵士を徹底的に疲れさせ、正常な感覚や思考を麻痺させることで、人を殺すという人倫の壁を乗り越えさせたのだろうか?
 火野のリアリズムな筆によって描かれる、凄惨な戦闘場面、累々と積み重なる死体、捕虜となった中国人への残虐な仕打ち、戦争に巻き込まれた民間人の悲劇など、普通に読んでいれば、「やっぱり、戦争は嫌だ」、「戦争は人を狂気にする」、「戦争なんかするもんじゃない」としか思えない。
 また、火野は、敵である中国人があまりに日本人とよく似ているため厭な気持ちを抱いたことや、中国人捕虜の首を軍刀で刎ねる陸軍曹長の行為を前に自らの心を確かめ、まだ自分が「悪魔」になっていないことに安堵したことなども、ありのままに書いている。
 本書が戦意高揚の役に立つとはとても思えなかった。
 むしろ、「よくこの従軍記の発表を軍は許可したなあ」と思ったくらいである。
 (捕虜の中国兵が殺される場面に、日本国民の多くは快哉の叫びを上げたのかもしれないが) 
 違う時代の違う価値観に生きている目で読めば、同じ本でも違ったふうに受けとれるってことだろうか。

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PeggychoucairによるPixabayからの画像

 戦後になってから、本書について、「作家としての独自の判断力も批判も放棄して」いる、と某文芸評論家に批判された火野は、「(当時は検閲と弾圧があったため)ここに表現されているのは、書きたいことの十分の一にすぎない」と反論したという。(本書「解説」より)
 書きたかった残り十分の九は、どんな内容だったのだろう?
 そして、本書発表を契機に、どんどん体制翼賛へと傾いていった火野の真意はどこら辺にあったのだろう?
 
P.S. 2019年にアフガニスタンで狙撃されて亡くなったペシャワール会の中村哲医師は、火野葦平の甥っ子だという。この叔父と甥の関係も気になる。



 
おすすめ度 :★★★

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● 杉村春子と原節子 映画:『わが青春に悔なし』(黒澤明監督)

1946年東宝
110分、白黒

 この黒沢作品は観てなかった(かもしれない)。
 京大事件、ゾルゲ事件を材にした反戦映画と言われるが、そういった歴史に疎くても、面白く鑑賞できる。
 というのも本作は、一人の女性を主人公とした恋愛ドラマかつ成長ドラマの面が強いからだ。
 その意味で、岩下志麻主演『女の一生』(1967)や、司葉子主演『紀ノ川』(1966)に通じるものがある。

 大学教授の一人娘でわがままに育ったお嬢様・八木原幸枝(原節子)が、反戦活動家・野毛隆吉(藤田進)とのつらい恋を経て世間を知り、自分自身に目覚め、「非国民、スパイ」と周囲に嘲られながらも自らの意志を貫いて厳しい生き方を選んでいく姿が、感動的に描かれる。
 原節子は難役を見事にこなしている。
 とりわけ、監獄で亡くなった夫・隆吉の実家に赴いて、泥と汗まみれの畑仕事に従事する後半が素晴らしい。
 小津安二郎監督の『晩春』や『東京物語』の美しく上品な原節子とはまったく違った、文字通りの“汚れ役”を性根の据わった演技で見せている。
 内に秘めた情熱と強い意志を示す表情が素晴らしい。
 これをして「大根役者」というなら、いまの女優たちは「かいわれ役者」である。

 本作は、途中までは、「巨匠黒沢にしては力不足かな?」という、ちょっと期待外れの印象を受ける。
 「やっぱり黒沢は、男を描くのは上手くとも、女はイマイチかな・・・」と。
 が、後半になると、「やっぱり黒沢は凄い!」となる。
 幸枝が隆吉の実家に飛び込んでからが巨匠の本領発揮。
 観る者を圧倒し、心を鷲づかみにするボルテージの高さとリアリティの深みがある。
 そして、後半のドラマを第一級の演技でしっかりと支え、間然するところなきドラマに押し上げているのが、隆吉の父親役の高堂国典と母親役の杉村春子。
 この二人の名役者の存在感と鬼のような演技力は、本作の白眉である。

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高堂国典と杉村春子

  「スパイの家」と村八分にされた隆吉の父母は、家に引きこもって、夜しか外に出られない。
 絶望した父親は、日がな一日、働きもせず囲炉裏ばたに座し、一言も発しようとしない。
 なかば強引に野毛家に住み込んだ幸枝は、隆吉の母親を見習いながら、田んぼを耕し始める。
 いまのように耕運機も田植機もない時代、農作業は困難を極める。
 それでも、嫁と姑は力を合わせて田植えを終える。
 が、喜びも束の間、悲劇が待っていた。
 村の心ない連中が、田植えをすませたばかりの田んぼを滅茶苦茶に荒らした。

 ある朝、それを知って家に駆け込み土間に打ち伏して泣き喚く姑(杉村)、それを聞くや病床から飛び出して畑に駆けつける幸枝(原)、目の前の惨状に呆然とたたずむ二人、やがて身をつらぬく怒りをばねに田んぼを片付け始める嫁、それを見て我もと手伝う姑、そこへついに百姓の血が覚醒して駆けつける舅(高堂)。
 このシークエンスは、おそらく黒沢作品中でも一、二を競う素晴らしさ! 
 名優二人に負けていない原の存在感もやはり大変なものである。

 しばしば、原節子が演技開眼したのは小津監督の出会いによると言われる。
 しかし、本作を観て思ったのは、杉村春子との共演を重ねることで、原は女優として育てられたのではないかということである。
 本作で二人が共に経験した農作業の苦労が、『晩春』以降の二人の息の合った演技につながっているのではなかろうか。




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