ソルティはかた、かく語りき

東京近郊に住まうオス猫である。 半世紀以上生き延びて、もはやバケ猫化しているとの噂あり。 本を読んで、映画を観て、音楽を聴いて、芝居や落語に興じ、 旅に出て、山に登って、仏教を学んで瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

反戦・脱原発

● 映画:『蠅の王』(ピーター・ブルック監督)

1963年イギリス
87分、白黒

 原作は、英国作家ウィリアム・ゴールディング(1911-1993)のノーベル文学賞受賞作。
 「蠅の王」とは聖書に出てくる悪魔ベルゼバブのこと。
 と言っても、オカルト映画ではない。
 『十五少年漂流記』の闇バージョンといった内容で、無法状態におかれた少年たちが陥った狂気を描く反ヒューマニズム・サバイバル・サスペンスである。

 飛行機事故により南海の孤島に取り残された数十人の少年たち。
 最初のうちはリーダーやルールを決めて、みんなで協力し合い、サバイバル生活を送っていた。
 が、リーダーを快く思わない一部が離反し、集団は二つに分かれる。
 次第に野性をむき出しにして獣のように狂暴になっていくグループと、最後まで人間らしく文化的に生きようとするグループ。
 次第に、狩猟にすぐれた前者に荷担していく者が増える。 
 そのうち前者は悪魔に憑りつかれたようになって、カリスマ性あるリーダーの命令のもと、後者を一人また一人と血祭りにあげていく。 

 原作を読んだのは学生時代だった。
 夏休みだったが、うなじから背中に氷を入れられたような冷感に襲われた。
 ゴールディングが本作を書いたきっかけとなったのは、彼が小学校の教員をしていた時の体験だと、解説に書かれていたのを覚えている。
 つまり、身の回りの少年たちの言動の中に常日頃、“悪魔”的なものを見ていて、それをもとにこの小説を作り上げたのである。
 「ずいぶんと観察眼ある、しかし性悪説の作家だなあ」と当時ソルティは思った。
 「よほど、生徒たちに振り回され、痛い目にあったんだろうなあ」
 
 むろん、これは一種の寓意小説である。
 少年の集団に仮託して、ゴールディングが描きたかったのは、人間の奥底に潜む支配欲や攻撃性や獣性、集団となったときの人間が帯びる負のグループダイナミズムやファッショの狂気である。
 沖縄戦や南京虐殺における日本軍の蛮行、アウシュビッツにおけるユダヤ人大量虐殺、連合赤軍やオウム真理教内部で起きていたこと、キリングフィールド(殺戮場)と呼ばれたカンボジア、スハルト政権下のインドネシア、十字軍のイスラム教徒蹂躙、関東大震災時に起きた朝鮮人虐殺や福田村事件、ルアンダの悲劇・・・・人類史に例は事欠かない。

 ただ、これを獣性とか鬼畜の所行と言ってしまうのは、譬えられる動物にとって迷惑千万な話であり、動物は普通ここまで同じ種に対して残虐な仕打ちはしない。
 本能によって限界が設けられている。
 本能の壊れた=自我を持つ人間だけが、この世に地獄を作り出せる。

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野獣グループが神と仰ぐ「蠅の王」

 原作の設定でもそうだったのかよく覚えていないのだが、悪魔化していく少年グループのコアメンバーは、もともと教会の聖歌隊であった。
 彼らは讃美歌を口ずさむながら、人間狩りをする。
 ここには強烈な皮肉がある。

 本作のラストは、「蠅の王」への贄を求める狂気集団の標的とされた元リーダーの少年が、島中を逃げ回り、あわや捕らえられる絶体絶命の瞬間、救助に来た大人と砂浜で遭遇するシーンで終わる。
 助かった!
 孤島の殺戮劇は終了した。
 最後のカットは、燃える森をバックに、安堵の涙を流す少年のアップである。

 しかし、原作のラストは違った。
 助けに来たのは、島の近くを通りかかった戦艦の乗組員、すなわち兵士であった。
 少年の瞳には、兵士が島に漕ぎつけるのに使用したボートのはるか向こうを遊弋する、巨大な戦艦の姿が映る。
 ――ジ・エンド。
 少年たちの殺戮ゲームを裁ける資格を、大人は持っているのか。
 
 この重要なラストシーンがなぜ映画ではカットされたのか、不明である。
 『蠅の王』は、1990年にハリー・フック監督によって再映画化されている。
 そちらの最後はどうなんだろう?

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軍艦島
Jordy MeowによるPixabayからの画像



おすすめ度 :★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損






● 田中角栄の遺言 本:『戦争の大問題 それでも戦争を選ぶのか。』(丹羽宇一郎著)

2017年東洋経済新報社

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 経営戦略とか組織マネジメントとかPDCAサイクルといった概念や言葉が、日本で広まり、官民問わず様々な分野で取り入れられるようになったのは、90年代に入ってからだったと思う。
 戦後ずっと日本の景気は右肩上がりで来て、80年代に空前のバブル景気を迎えたので、経営戦略とかリスクマネジメントとか特に難しいことを考えないでも、多くの企業はやって来られた。
 そこでは事実の客観的分析や的確な状況判断よりも、ワンマン社長の才覚一つとか、「みんなが心を一つにし、死ぬ気で頑張ればなんとかなる」という精神論が重きをなしていた。
 官もまた同じで、国の決めた泥縄式政策を各自治体は実施するのだが、その効果についてはなんら評価することなく、失敗しても誰も責任をとることがない。
 日本の各地に遺跡のように残る、使われていない高速道路や廃墟と化した公共施設を見れば、その証拠は十分であろう。
 こうした「日本式戦法」の最大にして最悪の失敗例が、太平洋戦争であったことは言うまでもない。
 猪瀬直樹の『昭和16年夏の敗戦』に見るように、大日本帝国は「負けると分かっていた」戦争にあえて飛び込んだ。
 そして、「負けたと分かって」からも戦争を続け、硫黄島の戦い沖縄戦カミカゼ特攻隊中国での行軍、そして広島・長崎原爆投下に代表されるような無駄死を積み上げた。
 それこそ「自虐死観」とでも言うべきものだ。
 
 そういう意味では、科学的な経営戦略や組織マネジメントが各分野で導入されるのは基本的に良いことだと思う。
 2000年に創設された介護保険制度など、まさにPDCAサイクルを利用したケアマネジメントが主軸である。
 グローバル化した世界の中で生き残るには、やはり、運まかせ・天まかせ・神風まかせではいけない。
 事実をもとにした冷徹な状況判断と情勢予測、巧みな戦略と戦術、成員の持てる力を十全に発揮させる組織マネジメントが必要であろう。 
 企業運営しかり、国家運営しかり。
 

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Gerd AltmannによるPixabayからの画像

 著者の丹羽宇一郎は、1939年愛知県生まれ。
 伊藤忠商事の社長として約4000億円の負債を処理したうえ、同社史上の最高益を記録。
 内閣府の委員や日本郵政取締役やWFP(国際食糧計画)会長を歴任したのち、2010年に民間出身では初の中国大使に就任。本著刊行時、公益社団法人「日中友好協会」の会長を務めている。
 つまり、卓越した企業家であり、政治・経済・外交・国際情勢にも明るく、組織運営に長けた人である。
 実社会を肌で知っている人であり、お坊ちゃま育ちの2世、3世議員や体制べったりの太鼓持ち学者のような、最初に結論ありきの机上の空論を振り回す人ではない。
 本書はこのような著者による戦争論、安全保障論、国防論ということができる。
 その言は、『新国防論』の伊勢崎賢治同様、信頼に値する。
 
 まさに、成功した企業家ならではの客観的にして合理的な論述が、非常にわかりやすく展開されている。すなわち、

① エビデンス(根拠となる事実)の収集
  • 過去の日米戦の推移
  • 戦争体験者から聞いた戦場の真実
  • 日本・アメリカ・中国・北朝鮮の軍事力や国力の評価
② 状況把握&情勢分析
  • 各国の思惑と関係性
  • 日米安保の信頼性(日本が中国と戦争になったら、アメリカは加勢してくれるのか?)
  • 国際情勢と国際社会のオピニオン潮流、日本に対する評価
  • 軍事力や核による抑止効果の査定
  • 戦争することによる利益と損失の分析
③ 方針決定
  • 日本は戦争はしてはならない、巻き込まれてはならない
  • 外交による安全保障政策こそ第一であり、軍事力増強は次善の策
④ 戦略&戦術策定
  • 各国との付き合い方
  • 国民への啓発はいかにあるべきか

 昭和14年生まれの著者は当然戦地には行っていないし、戦時中の日本をよく覚えていない。
 そこで、実際に戦地に派遣され戦争を体験してきた人たち(その数は少なくなっている)に取材し、思い出すのもつらい事実――被害だけでなく加害の!――を聞きとっている。
 本書の一番の美点は、戦争体験者の証言が核となっている点である。
 そう。戦争について何か言おうとするのなら、実際の戦場を知る人間の話に耳を傾けることから始めるのが当然である。
 中国や北朝鮮の脅威をしきりに煽り、憲法改正や軍備増強を訴える保守右翼の人たちや国会議員には、まず著者のこの姿勢をこそ学んでもらいたいものだ。
 戦場の真実というエビデンスをもとにしない方針や戦略など、ソルティは認めない。
 (ちなみに、少子化対策について考えるなら、まず子供を産む性である女性たちに意見を求めるのが常識だと思うのだが、なぜそれをしないのか? 女性たちが「産みたい」と思う対策を講じない限り、何をやっても無駄なのに・・・)

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沖縄南部海岸沿いにある魂魄(こんぱく)の塔
沖縄戦で亡くなった約35,000人の遺骨が納められている。

 以下、引用。
 量が多くなるが、本書にはそれだけ重要な文章が多い。
 しかもこれらは、ソルティの小さな頃(60~70年代)はあたりまえに日本のメディアを占めていた言葉ばかり。
 しばらくぶりに出会った「まっとうな」言葉の数々に、思いがけず落涙した。
 これが戦後昭和の大人の良心であった。 
 
 責任をとる覚悟のない人間は、企業であれ、国であれ、組織のトップをやるべきではない。
 優等生ばかりの集団は、自分の保身に頭を使うが、責任を取ることを躊躇する。戦前の日本政府でも、同じことがあったのだと思う。

 戦争は人を狂わせる。繰り返すが、日本国内にいたときは、ほとんどの兵士は善良な市民である。善良な市民も戦場では鬼畜・悪鬼の振る舞いができるのである。それが戦争なのだ。

 戦術の誤りは戦略で補うことができるが、戦略の誤りを戦術で補うことはできない。これは鉄則中の鉄則である。この鉄則に、企業も国家も変わりはない。ところが戦前の日本の指導者は、この鉄則さえ守ろうとしていない。戦略の誤りを兵士や国民の犠牲という戦術で補おうとしたのだ。戦前日本の精神主義は、その一例である。

 国力とは、その国の国民の質と量の掛け算である。土地は借りればよいし、資源は買ってくればよい。しかし、質の高い国民を買ってくることも、戦争で獲得することもできない。質の高い国民は、自国で育てるしかないのだ。
 その国民を戦争の犠牲にして、益のない領土を守ったり、無理に他国から資源を奪うことにどれだけ合理性があるだろうか。これもまた、本末転倒である。

 防衛力と安全保障は軍事と政治という明らかに違う世界である。これを混同した議論をしてはいけない。
 安全保障政策とは国際政治である。
 国際政治とは冷徹に国際関係上の利害を計算し、最も有利な選択をすることだ。そこに「共通の思想や価値観」などというイデオロギーの入り込むすき間はない。単に中国が嫌いという情緒論をベースにした議論も国際政治ではあり得ない。嫌いな相手とでも我が国に有利となれば友好関係を結ぶのが国際政治であり、安全保障政策である。

 防衛費を増やすことができるのは国内経済が拡大するからで、国内経済を犠牲にして防衛費だけを増やすことはできないのだ。したがって抑止力を無制限に拡大するという戦略は、成熟経済下の我が国では選択できない。

 日本の現代史は“敗者の物語”であるが、私も日本人はあえて敗者の歴史を、勇気を持って学ぶべきと思う。普通の国は“勝者の物語”を勉強するが、日本が目指すべきは敗者の歴史も真摯に検証していく特別な“歴史”の学び方である。・・・・・・・
 戦争は国民を犠牲にする。
 戦争で得する人はいない。
 結局みんなが損をする。
 特に弱い立場の人ほど犠牲になる。
 日本は二度と戦争をしてはいけない。
 これらは敗者の歴史からしか学べない重要なことだ。だから日本人は敗北の現代史を学ぶべきなのである。
 
 民意はときに過ちを犯すということが、民主主義の最大のウィークポイントだ。
 最大の過ちは戦争である。政治家の使命の第一は、国を戦争に導かないことだ。国益のために戦争も辞さずという声を聞くこともあるが、その国益とはいったい何なのか。国民を犠牲にして成り立つ国益などあろうはずがない。

 最後に、自民党総裁で内閣総理大臣だった田中角栄が、いつも新人議員に語っていたという言葉。

 戦争を知っている世代が政治の中枢にいるうちは心配ない。平和について議論する必要もない。だが、戦争を知らない世代が政治の中枢となったときはとても危ない。 

Kakuei_Tanaka
毀誉褒貶ある人だった




おすすめ度 :★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
★     読み損、観て損、聴き損






● 本:『飛ぶ教室』(エーリッヒ・ケストナー著)

1933年原著刊行
2003年講談社文庫

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 児童文学の傑作として名高いが、未読であった(おそらく)。
 タイトルからして、楳図かずお『漂流教室』のようなSF設定、あるいは主人公ドロシーが家ごと飛ばされる『オズの魔法使い』のようなファンタジーなのかと思っていた。
 が、蓋を開けたら違った。
 ドイツの寄宿学校を舞台とする普通(BL色なし)の少年小説である。
 個性的で腕白な5人の少年を主人公に、ケンカや友情や尊敬する教師との心温まるエピソードなどが描かれる。
 「飛ぶ教室」というのは、彼等がクリスマスの余興として体育館で上演する創作芝居のタイトルであった。
 
 評判通り、実に楽しく、面白く、感動的で、心が洗われる。
 友情、正義、勇気、誇り、思いやり、感謝、かしこさ、自由、寛容、誠実、親子の情愛といった古き良きドイツの価値――それはまた人類に普遍的な良き価値でもある――が、押しつけがましさのない、ユーモアたっぷりの語りのうちに謳われている。
 本作の刊行年を思うとき、これはある種の奇跡といった気がしてくる。

 というのも、1933年こそはナチス=ヒトラーが政権をとった年であり、ドイツという国がファシズムの狂気とジェノサイドへと突き進むスタートを切った年だからである。
 戦争末期のドイツ領の様子を描いた身辺雑記である『ケストナーの終戦日記』に見るように、自由主義・民主主義の立場を貫いたケストナーはナチスに目をつけられ、二度逮捕され、執筆を禁じられ、著書を焼かれた。
 本作のような小説はこれを最後に書くことができなくなったし、そもそも現実のドイツ自体が、ドイツの教育現場自体が、ここに書かれている自由と友愛と正義の空気をまったく失ってしまったのは言うまでもない。
 友が友を裏切り、子供が親を売り渡し、隣人同士が疑心暗鬼に陥った時代であった。
 そうした暗黒の夜に突入するぎりぎり直前に、最後の光線のごとく放たれたのが本作だったのである。
 本作にはかなり長めの「まえがき」がついている。
 その中でケストナーは次のように語っている。

 かしこさをともなわない勇気はらんぼうであり、勇気をともなわないかしこさなどはくそにもなりません! 世界の歴史には、おろかな連中が勇気をもち、かしこい人たちが臆病だったような時代がいくらもあります。これは、正しいことではありませんでした。勇気のある人たちがかしこく、かしこい人たちが勇気をもったときにはじめて――いままではしばしばまちがって考えられてきましたが――人類の進歩というものが認められるようになるでしょう。 

 ケストナーは相当の危機感を抱いていたのは間違いない。






おすすめ度 :★★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
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● この世は地獄じゃ 本:『時間』(堀田善衛著)

1955年新潮社より刊行
2015年岩波現代文庫

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 ニノ、こと二宮和也主演『硫黄島からの手紙』の記事において、敵国であった日本人の視点に立って過去の日米戦を描き出したクリント・イーストウッド監督の凄さについて讃え、それと同じことができる、つまり中国人の視点に立って日中戦を描ける日本の監督がはたしているか、と問うた。
 映画監督はいざ知らず、小説家はいたのである。
 堀田善衛がその人であった。
 この『時間』という小説は、一中国人の視点から、1937年12月13日に起きた南京虐殺の模様を描いた作品である。

 南京城は、城壁に囲まれた一つの熱風炉であって、そこでは人間の血も精液も、涙も汗も、要するに人間が外部に吐き出し得る一切のものがどろどろに熱せられ溶け混りあい漂い、その上に、怒りや嘆きや悲しみやの濃いガスがかかり、このどろどろは家をも人をも溺没させ、いまにも城壁を越して熔岩のように長江へと溢れ出てゆこうとする・・・・
 (本文より、以下同) 

 語り手は、陳英諦という名の南京に住む中国人。
 当時中国は、蒋介石をリーダーとする国民党と毛沢東をリーダーとする共産党とが覇権争いをしていたが、1937年の日中戦争勃発を機に国共合作し、抗日戦線を組んでいた。
 陳英諦は、国民党政府の首都である南京に、妊娠中の妻と幼い息子と暮らしていた。
 世間向けには海軍部につとめる役人であるが、本当の正体は政府の諜報員であった。
 各地で勝利を重ねながら南下してくる日本軍の猛攻を前に、国民党政府が漢口に一斉避難した後も、なお南京に残って、家の地下に隠された無電機を使って、南京の状況を党中央に伝える役目を負っていた。
 ゆえに、陳一家は南京から逃れられなかったのである。

 本作は陳の日記という体裁なので、とても読みやすく、かつリアルで臨場感がある。
 政府の重鎮の一人として漢口へと出航する兄を見送る1937年11月30日から始まり、日本軍の南京入城および虐殺事件、傀儡政権である中華民国維新政府の樹立をはさみ、日本が国際連盟と完全に袂を分かった1938年10月3日までが描かれる。
 その間に、陳一家は鬼子(くいず)こと日本軍に捕らわれ、他の住民と一緒に近所の小学校に集められ、虐殺の真っただ中に投げ込まれた。
 陳の妻・莫愁は胎児と共に殺され、浮浪児になった息子・英武は日本軍の番兵に斬り殺され、一家のもとに身を寄せていた若い従妹・楊は集団レイプされて妊娠堕胎を経たうえ、麻薬づけにされる。
 からくも生き延びた陳は、日本軍に収用された我が家に戻り、桐野大尉の従僕として仕えながら、深夜になるとこっそり地下室に潜って諜報の仕事を行う。
 
 12月13日の南京虐殺の模様は、半年たってからようやく日記に書かれる。
 つまり、1937年12月11日のあとは空白になって、次の日付は翌年5月10日になっている。 
 陳が環境的にも精神的にも日記を書ける程度の落ち着きを取り戻すまで半年の月日を必要としたという意味であるが、それゆえ、虐殺の生々しい描写であるとか陳自身の慟哭や悲しみや怒りといった激しい感情の吐露は抑えられている。
 またそれは、国際的にも高く評価された堀田の筆をもってしても、十分に描き切れるものではなかっただろう。


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現在の南京(lujunjunzhangによるPixabayからの画像)

 本書の主要なテーマを言うなら、戦争のむごさ、戦争という非日常的「時間」に見られる人間性といったあたりになろう。
 その点では、中世ヨーロッパの十字軍の異端カタリ派に対する暴虐を描いた、同じ著者の『路上の人』と共通する。
 傲慢不遜で差別的で不寛容な精神――『路上の人』では法王を頂点とする正統派カトリックのそれ、『時間』では天皇を頂点とする大日本帝国のそれ――が、神の名のもとに美辞麗句を掲げながら、いかに残酷非道なことをなし得るか、文明や法や恥や良心という縛りを解かれた人間がいかに野蛮になり得るか。
 人間性のもつ底知れない残虐性がむき出しにされている。
 ソルティが堀田善衛を読むのはこれが2冊目なので断言できないけれど、堀田善衛という作家の資質として、人間に対する不信や絶望、この世に対する悲観といった「ニヒリズム」に近いものがあったのではないか。
 ショーペンハウアやエミール・シオランやシモーヌ・ヴェイユ、そして最近よく話題となる反出生主義(「親ガチャ」もその変形だろう)に近い志向を感じる。
 あるいは、仏教か・・・。
 
 今一つのテーマは、被害者である一中国人を語り手に置くことで、外から見た日本という国家、日本人という国民を描き出そうという試みにある。
 これが可能だったのは、堀田自身が太平洋戦争中の1945年3月から戦後の1947年12月までの2年半以上を上海で過ごし、中国国民党宣伝部に徴用された経験をもつからである。
 中国文化や中国人をよく理解していたので、中国人を主人公にできたのである。
 とはいえ、陳英諦は堀田善衛の分身でもある。

 逃亡と暴発、これが南京暴行の潜在的理由ではないだろうか。いま中国にあって、彼(ソルティ注:陳を従僕として使っている桐野大尉)は自分が日本人であるという当然事にさえ苦しむ。中国侵略は、彼等にとっては、心理的には、こうした、一種の日本脱出の夢の実現だったのではないか。がしかし、どこにいようとも、日本人であることをやめることは、出来ない。
 彼等は国際連盟、つまりは国際社会からさえも脱退し逃亡しようと夢見る。孤独に堪えずして他国に押し込み、押し込むことによって孤立する。やがて全世界(彼ら自身の民衆も含めて)を征服しない限り、そして征服してもなお、破滅するだろう。全世界の征服と、全世界からの逃亡とは、彼等にとって同義語ではなかろうか。孤立、破滅、そこに一種の美観にも似たものがあるらしい。

 そうか!
 あの当時、日本という国自体が、全世界に対するテロリズムを行っていたのか。
 「自分が滅ぶか、世界が滅ぶか」という二者択一妄想に追い込まれていたのだ。
 上記の文章は、笠井潔が『8・15と3・15 戦後史の死角』の中で説いた日本人の心性(=ニッポン・イデオロギー)の分析と通じるものがある。

 生産経済が普及して以降の日本列島住民の心性は、不適切な自然環境で稲作を選好した事実を規定としている。過重で単調な反復作業に耐え(「頑張ればなんとかなる」)、しかも集団的な農作業(「みんなで一緒に」)のため共同体的な相互抑圧に耐えるという二点が、この国の住民の心性を根本的に規定してきた。
 この精神的抑圧が、ときとして「日本の特殊な現象としてのヤケ(自暴自棄)」という激情の嵐を生じさせる。しかも「忍従に含まれた反抗はしばしば台風的なる猛烈さをもって突発的に燃え上がるが、しかしこの感情の嵐のあとには突如として静寂なあきらめが現れる」。 
(笠井潔著『8・15と3・15 戦後史の死角』NHK出版より)

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May_hokkaidoによるPixabayからの画像画像:


 堀田善衛の資質としてニヒリズムへの志向ということを上げたけれど、それと同時に、ニヒリズムに傾斜することに対する抵抗も上げなければいけない。
 絶望や悲観主義に陥り、諦観や虚無に捕われ、意志的な行動を放棄することを、堀田は戒める。
 現世における闘いを捨て去り、来世や天上に望みをつなぐだけの生き方に、陳の口を借りて警醒する。

 戦争は、宿命論的な感情をもっとも深く満足させる。平和とは、戦争がないという消極的な事柄であるよりも、むしろ、奴隷的な宿命論や、破滅的な人生観に屈従せぬということなのだ。

 自分自身と闘うことのなかからしか、敵との闘いのきびしい必然性は、見出されえない。これが抵抗の原理原則だ。この原理原則にはずれた闘いは、すべて罪、罪悪である。莫愁を殺し、その腹のなかの子を殺し、英武を殺し、南京だけで数万の人間を凌辱した人間達は、彼等自身との闘いを、その意志を悉く放棄した人間達であった。

 ニヒリストとは、いつもいつも触発されてばかりいる人のことをいうのだ。

 人間認識と社会認識のあいだに、戴然たる裂け目がある。分裂しているのだ。前者は、何等かの信仰、神の方へと向おうとし、後者は組織の方へ向おうとする。それらの統一された、主体的な存在でありたいという渇望を別とすれば、こうした状況は、別に不思議なことでも嘆かわしいことでもない。普通のことなのだ、人間の条件なのだ。この両者を結ぶもの、あるいはこの両者を同時に生きているものがわれわれの身体なのだ。

 堀田善衛は、宮崎駿が最も尊敬する作家の一人だという。
 ゼロ戦設計者である堀越二郎の半生を描いた宮崎の『風立ちぬ』を観ると、その理由がわかるような気がする。
 虚無(ニヒリズム)へと人を誘いかねない人生の無意味さや残酷さ、人の命の儚さを前にして、それでも「生きよ」と宮崎監督は告げていた。

 本文庫は作家の辺見庸が解説を書いている。
 これ以上にふさわしい人選はないだろう。
 この小説の今読まれるべき意義を訴える素晴らしい解説である。
 
 

おすすめ度 :★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
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★★    いい退屈しのぎになった
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● 鎌倉殿の血統 本:『新・沖縄ノート 沖縄よ、甘えるな!』(惠隆之介著)

2015年WAC株式会社

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 大江健三郎の『沖縄ノート』を探している時に本書を知った。
 ソルティは著者の惠隆之介については何も知らなかったが、発行元のWACは『関東大震災「朝鮮人虐殺」はなかった!』(加藤康男著)の版元なので、読む前からバイアスがかかってしまうのは致し方あるまい。
 いわゆる安倍元首相シンパ、雑誌『Hanada』周辺にたむろするジャーナリストの一人である。

 本書の内容を簡単に言えば、

 中国の脅威が迫っている。
 このまま行けば、沖縄は中国に奪われる。
 沖縄にいる左翼グループもその手引きをしている。
 それをかろうじて守ってくれるのが米軍であり米軍基地なのに、沖縄県民はもとより日本人の多くがそこを理解していない。
 沖縄県民と来た日には、戦後沖縄の復興と民度向上に多大なる貢献をしてくれた米軍への感謝を忘れている。
 それどころか、米軍基地あることをネタに、政府から多額の補助金を引き出すことに汲々としている。
 普天間飛行場の辺野古への移設反対運動をするなど、もってのほかである。
 危険な左翼思想に侵された沖縄の教育界やメディアなどを、日本政府が強権をもって糺さなければ、とんでもないことになる。
 沖縄よ、甘えるな! 

 ――ということになろう。

 内容についてここでとやかく言うつもりはない。
 著者が昨今のアジア情勢に非常な危機感を抱き、早急な対策すなわち日本の軍事力強化と日米同盟の緊密化を求めていることは確かである。
 一つの視点としてそれは理解した。
 
 ソルティが一番気になったのは、恵隆之介が1954年コザ市(現沖縄市)生まれだという点である。
 いくつの時まで沖縄にいたのか知らないが、真藤順丈著『宝島』に描かれているような戦後沖縄を少年時代にリアルタイムで見てきたはずである。
 年長の肉親や親戚には沖縄戦で無惨な最期を遂げた者も少なくないだろう。
 同年代の知人の中には、米兵による性暴力の被害を受けた女子だっていることであろう。
 それがなぜ、海上自衛隊に入ることになったのか?
 そこをなぜたった4年で辞めて、琉球銀行に転職することになったのか?
 いつから親米家になったのか? 
 なぜジャ-ナリズムの世界に飛び込み、本書のような作品を書くことになったのか?
 どうして、生まれ故郷の沖縄の多くの人々の気持ちを逆撫でするような思想を持ち、沖縄県民を愚弄するような発言をするようになったのか?
 ソルティが知りたいと思うのは、惠隆之介当人の幼児体験であり、育ちであり、トラウマであり、思想形成であり、つまるところアイデンティティ形成である。

 沖縄県民の特性は、理念闘争に終始して物事の本質を見失う欠点がある。なにより、演繹的思考に乏しい。これは亜熱帯の気候に主因がある。(本書より) 
 
 ブーメラン?

 ある人間が右翼的になり、ある人間が左翼的になるのは、いったいどんな原因や背景によるものなのだろう?
 
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 本書を読んで、沖縄の歴史に興味を持った。
 初めて知ったのだが、琉球王国の開祖である舜天(しゅんてん1166-1237)は、沖縄に流れ着いた源為朝と土地の豪族の娘との間にできた子供だという。
 源為朝と言えば、鎌倉幕府を開いた源頼朝の叔父である。
 つまり、貴種流離譚であり、落ち武者伝説なのだ。
 おそらく伝説の域を出ない物語だとは思うが、沖縄の男の名前に「朝」がつくことが多いのはそのせいであったか、と合点がいった。
 鎌倉殿の血統が首里城の主だったと思うと、なんだか面白い。
 もしかすると、ソルティの沖縄戦跡めぐりは、源実朝の計らいだったのか・・・。
 
 世の中は つねにもがもな 渚こぐ
 海人の小舟の つなでかなしも

(波打ち際を綱に引かれながら漕いでいる小舟。なんとしみじみと平和な光景だろう。こんな世が続くといいのになあ~)


青龍寺の猫
四国遍路第38番札所・青龍寺付近の浜辺 

 

おすすめ度 :★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損




● アムロ世代 本:『宝島』(真藤順丈著)

2018年講談社

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 『宝島』と言えばスティーヴンソンの冒険小説であるが、本作もある意味、冒険小説と言えないこともない。
 悪漢を主人公としたピカレスクロマン(悪漢小説)の風味があるからだ。
 代表的なピカレスクロマンの主人公と言えば、アルセーヌ・ルパンや石川五右衛門や『羊たちの沈黙』のハンニバル・レクター博士や『悪の教典』の蓮実聖司あたりだろう。
 映画では、『ジョーカー』やエミール・クストリッツァ監督『アンダーグラウンド』にとどめを刺す。
 本作の主人公らは、米軍基地からの窃盗行為を繰り返す「戦果アギヤー」と呼ばれる若者たち。
 
 ただ、本作がピカレスクロマンあるいはミステリーあるいは青春小説というジャンルにどうあっても収まらないのは、宝島とはすなわち沖縄のことであり、本作で語られるのは1952年から1972年の沖縄――サンフランシスコ平和条約締結から本土返還に至るまでの沖縄――が舞台となっているからである。
 GHQによる占領が終わり主権回復、経済白書が「もはや戦後ではない」と高らかに言い放った本土の平和と繁栄の陰で、いまだ米軍による占領が続いていた沖縄20年間の苦闘の歴史である。

 読み終わるまで知らなかったが、本作は2019年に直木賞を受賞している。
 当然評判になり、ベストセラーの一角を占め、多くの人――ヤマトンチュウ(本土出身者)もウチナンチュウ(沖縄出身者)も――が手に取ったことだろう。
 出身地により、世代により、政治信条により、それぞれどんな感想を持ったのだろうか。
 
 少なくとも一つ言えるのは、沖縄戦の実態とその後の米軍基地をめぐる問題についてある程度知っている読者と、本作で初めてそれに触れた読者とでは、まったく読みの深さが異なるだろうということである。
 本作には20年間に実際に沖縄であった事件――米兵による現地婦女子レイプ殺害事件、石川市(現うるま市)宮森小学校への米軍戦闘機墜落事故、地元ヤクザの那覇派とコザ派の対立、コザ暴動など――がたくさん出てくるし、実在の人物も実名のまま多く登場する。
 また、「特飲街、Aサイン、オフリミッツ」といった戦後沖縄の風俗シーンを彩った用語も詳しい説明なしに使用されるし、「ウタキ(御嶽)、ユタ、ニライカナイ」など古くからの琉球文化の重要な概念にも触れられる。

 読者が沖縄のことを知っていれば知っているだけ、本書の深みと魅力はいや増すに違いない。
 登場するウチナンチュウたちの心情にも一歩なりとも近寄ることができよう。
 ソルティはここ半年で、実際の戦跡めぐりも含め、ずいぶん沖縄戦や戦後の沖縄事情を学んできたこともあって(沖縄のスピリチュアル文化については永久保貴一の漫画で学んだ)、本書を読むに際してわからない用語や概念がほとんどなかった。
 戦後沖縄で実際にあったこと、あるいはあっても全然おかしくなかったことの記述なのか、それとも話を盛り上げるために作者が誇張して創作しているのか、と戸惑うこともなかった。
 主人公たちにも自然と共感できた。
 これがもし半年前に読んでいたら、幕の向こうから触れるみたいなもどかしさやリアリティへの疑問を感じたかもしれない。
 つくづく本との出会いにはタイミングが重要だと思う。

 もちろん、事前にこういった知識を持たぬ読者でも、理解できて楽しめるような物語性やキャラの魅力は有しているし、本書を読むことで若い読者が沖縄文化や沖縄問題に興味を持ち、調べ考えるきっかけになれば何よりであろう。

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 一番の驚きは、本書を書いたのが沖縄出身の作家、少なくとも沖縄在住経験の長い本土生まれの作家とばかり思っていたのだが、そうではなく、1977年東京生まれ東京育ちの男であるということ。
 沖縄返還後の生まれではないか!
 よくまあ、並み居るベテラン作家が怖気づくようなこの戦後最大級の重いテーマを取り上げて、よく取材し、よく小説化したなあと、その度胸と力量に感心した。
 逆に言えば、安室奈美恵と同年生まれの作家だからこそ、「沖縄問題」に対して無用な偏見やイメージや固定観念を持たず、想像力を縛られることなく、真正面から立ち向かえたのかもしれない。

 直木賞受賞の価値は十分ある。
 が、それ以上に本書の価値を高めるのは、『沖縄アンダーグラウンド』と一緒に受けた「沖縄書店大賞」の受賞であろう。
 ウチナンチュウの書店員らに選ばれたことは、真藤が沖縄の人々の思いをしっかりと受け止めて、表現し得た証拠であると思う。
 



おすすめ度 :★★★★

★★★★★ 
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● 野辺の花が私にささやきかけた 本:『沖縄ノート』(大江健三郎著)

1970年岩波新書

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 個人的に2022年一番良かったのは、沖縄戦跡めぐりをしたことだ。
 人生の中でもやって良かったことの上位に入る。
 なにがそんなに良かったのか説明するのは難しい。
 強いて言えば、行かなければならない場所に行き、見聞きしなければならないものを見聞きし、知らなければならないことを知り、祈るべき人たちのために祈ったという、かねてからの気がかりをようやく解決したという安堵感である。
 沖縄戦を知り、沖縄の戦跡とくに言語を絶する惨状を呈した南部の海岸を自分の足で歩いたことで、自分もやっと日本の歴史につながったという思いがした。

 しかるに、なぜにもっと早く訪れなかったのか。
 アラ還になるまで待たずとも、広島原爆ドームや長崎平和祈念公園を訪れた20~30代の暇あれば旅していた頃に、あるいは仕事で沖縄を訪れる機会のあった40代の頃に、沖縄戦跡も行けたじゃないか。
 ひめゆりの塔は1989年には開館していた。平和の礎(いしじ)の除幕式は1995年だった。
 行こうと思えばもっと早く行けたはずである。
 戦争を厭い平和を願う気持ちは人並みにずっとあったのだから・・・。 

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 沖縄戦跡に足が向かなかった理由、沖縄戦や沖縄問題に関心が行かなかった理由はいろいろあるのだが、大きいところではまず自分の問題で手一杯だったというのがある。
 「ゲイ」というセクシュアリティと向き合い、仲間と出会い、疎外感を払拭し、内面化されたホモフォビアに気づき、ありのままの自分を受け入れ自己肯定する――それだけで青春のあらかたを費やしたのである。
 ソルティは30代初めからHIV/AIDSに関する市民活動に関わってきたが、性や差別の問題と強く結びついて感染者の支援や予防啓発活動に関わることが自らの問題の解決にもつながるからこそ、この問題に携わってこられたのであり、それ以外の人様の困りごとや社会問題にまで関心を抱き何らかの行動をする余裕はなかった。
 自分が問題を抱えているのに他人の問題に首を突っ込むのは賢明ではあるまい。 

 いま一つの理由は、本土に生まれた日本人の一人として、沖縄問題に“うかつに”関わることにより「罪責感」に襲われそうな予感があった。
 バブル絶頂期に青春を過ごしたノンポリ新人類らしく、社会人になってもソルティは政治経済や国際問題や近代史にはまったくの門外漢であり続けた。
 けれど、さすがに沖縄の米軍基地にまつわる理不尽な事件の数々はニュースなどで耳にしていたし、本土との格差(本土による差別)は知っていた。
 日米安保のもと勝者アメリカから敗者日本に、防衛の名において押しつけられる負担の多くが沖縄に課せられていて、その犠牲の上に本土の人間があぐらをかいているという構図は認識していた。
 また、沖縄戦において、すでに背水の陣にあった大日本帝国司令部が、沖縄を本土決戦の時間稼ぎのための「捨て石」「防波堤」とした事実も、そのためにひめゆり学徒隊をはじめとする多くの一般住民が戦争に巻き込まれ、「鉄の暴風」と言われた激しい攻撃に身を晒し、あたら命を失ったことも聞きかじっていた。
 それゆえに、本土の人間である自分にとって罪責感なしに沖縄問題に関わること、自己嫌悪せず沖縄戦を学ぶことはあり得ないという予感があったのである。
 若い頃のソルティはくだんの事情で自己肯定感が低く、たやすく自己嫌悪や自己否定に陥りやすかったので、さらなる罪責感を上乗せすることで精神的安定を保てなくなる可能性大であった。
 そんなわけで、沖縄は実際の距離以上に遠くにあったのである。
 
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ひめゆりの塔

 本書はノーベル文学賞作家の大江健三郎が、沖縄返還を目前に控えた1969~70年に記したエッセイである。
 大江は当時35歳。代表作とされる『個人的な体験』や『万延元年のフットボール』を上梓し、海外作家との交流が増え、名実ともに日本を代表する若手作家の一人であった。
 60年日米安保においては石原慎太郎、浅利慶太らと共に反対の声を上げ、65年には『ヒロシマノート』を書き、反戦・反核・反天皇制の反体制の作家として気を吐いていた。
 当然本書も、反戦・反米・反基地・反自民の力強いメッセージがあふれていると思うところ。
 が、本書を覆いつくす一番のムードは、まさに本土の人・大江健三郎の罪責感であり、自己嫌悪・自己卑下なのである。

 僕はやがてこの、日本人らしく醜い、という言葉を、単なる容貌の範囲をはるかにこえて、認識してゆくことになった。そしてそれは沖縄こそが、僕をそのような認識にみちびいたのだと、そしてその認識が、より多くのことどもにかかわって僕を、日本人とはなにか、このような日本人ではないところの日本人へと自分をかえることはできないのか、という無力な嘆きのような、出口なしのつきあたりでの思考へと追いやっているのだと、あらためて僕のいま考える、そもそもの端緒であった。(ゴチはソルティ付す)

 この「日本人とはなにか、このような日本人でないところの日本人へと自分をかえることはできないのか」という問いは本書でたびたび繰り返される。
 『沖縄ノート』は、1972年の沖縄返還を前に、本土と沖縄とアメリカの三角関係にあって過去の因縁により生じている様々な問題を、本土出身の護憲派の作家が沖縄の人々の立場に身を置いて論じている一種の社会評論ではあるけれど、それ以上に、大江自身が「沖縄を核として、日本人としての自己検証をめざす」と言っているように、日本人論の向きが強い。
 それもかなりネガティブな日本人論である。

 日本人とはなにか、という問いかけにおいて僕がくりかえし検討したいと考えているところの指標のひとつに、それもおそらくは中心的なものとして、日本人とは、多様性を生きいきと維持する点において有能でない属性をそなえている国民なのではないか、という疑いがあることもまたいわねばならない。

 ・・・・沖縄についていくらか知識を確かにするにしたがって、ますます奥底の償いがたく遠ざかる恐ろしい深淵について思わないではいられなかった。その深淵がなぜ恐ろしいのかといえば、それは、日本人とはこのような人間なのだと、自分自身の疾患からふきあげてくる毒気をもろにかぶってしまうような具合に、眼のくらむ嫌悪感ともども認めざるをえない、凶まがしいものの実質を、内蔵しているところの深淵にほかならないからである。

 日本人のエゴイズム、鈍感さ、その場しのぎの展望の欠如、しかもそれらがすけてみえる仮面をつけてなんとか開きなおりうる、日本の「中華思想」的感覚・・・・・。

 この百年間において、沖縄の人間の事大主義が発揮される現場には、それこそ形影相伴うごとくに日本人がいた。日本人の政治家が、官僚が、商人が、学者がいた。それは沖縄の民衆の事大主義にちょうどみあうだけの、ほかならぬ事大主義的性向の日本人がそこにはいりこんでいたということである。事大主義は、沖縄の人間と日本人とのあいだに張りつめられたロープのごときものですらあったというべきであろう。・・・・・
 ただ、沖縄の人間が、その事大主義についてはしばしば自覚的であったのに対して、本土の日本人は、沖縄の人間の劣等感を踏み台にすることで、かれ自身の事大主義に頬かぶりする逃げ道をえたのである。

 どうだろう?
 日本嫌悪、日本人否定のオンパレードである。
 ちなみに、事大主義とは、「自分の信念をもたず、支配的な勢力や風潮に迎合して自己保身を図ろうとする態度・考え方」(小学館『大辞泉』より)のことを言う。
 大江健三郎のパーソナリティという面はかなりあると思う。
 大江自身、自らの感じ方・考え方の底に、「ペシミスティックに、危機的な深い淵へおちこんでゆこうとする」傾向があることを認めているし、それこそが大江健三郎という文学者のデビュー当時からの特性ではあった。
 また、連載中の本エッセイを読んだ本土の友人たちから「被害妄想の徴候」があると指摘されたことも記している。
 それはまさに、令和の保守右翼の人たちが口を酸っぱくして批判する「祖国を愛し誇りを持つことできない自虐史観に侵された戦後日本人」の最右翼ならぬ最左翼であろう。

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平和の礎(いしじ)
 
 しかるに、本書が刊行された70年当時の日本では、大江のような意識の持ち方は今よりずっと一般的だったはずだ。
 それは保守右翼の言う「自虐史観教育」を受けた人が多かったからではなく、それとは逆の「忠心愛国教育」を子供の頃に受けて戦争を体験した人が多くいたからであって(1935年生まれの大江もその一人であろう)、その国家的洗脳こそが一億玉砕という過ちに日本を導いたことを痛みをもって記憶し反省していたからである。
 その事情は、戦争を知らない世代、すなわち「自虐史観教育」を受けた世代の比率が増すにしたがって、むしろ日本全体が右傾化しているのを見れば知られよう。
 大江健三郎と認識を同じくする日本人は、70年代には全共闘の若者たちを含め日本人の相当数を占めて主流に近いところにいたはずであるが、それが半世紀を経て、どんどん数が減って、どんどん“左”に追いやられていった。
 安部元首相の国葬反対デモに参加していたのが「かつての団塊世代の高齢者ばかり」などと揶揄され、あたかも“アカ”に扇動されたマイノリティの遠吠えのように喧伝される始末・・・。

 この『沖縄ノート』をソルティはかなり共感をもって読んだし、現在でも十分通用し読まれるべき内容――なぜなら沖縄問題は解決していないのだから――と思ったけれど、保守右翼は論外として、どうだろう、令和日本人(沖縄の若い世代も含めて)の中には、「半世紀も前の終わった話だろう?」あるいは「なんで本土の人間が罪責感を持たなければいけないの?」と、大江の回りくどく難解な文体ともども退ける者が多数いるのではなかろうか。
 大江健三郎と座標上の対極に位置する安倍元首相や日本会議の面々、雑誌『Hanada』に寄稿する論者のような「愛国者」たち、辺野古基地建設の反対運動する人々を高見から馬鹿にするひろゆきや高須某などの言動を見聞きするにつけ、そして彼らに誘発されたネトウヨのコメントを目にするにつけ、ここ半世紀の日本人の変容を思わずにはいられない。
 少なくとも、ソルティが日本人を誇りに思えない最たる原因は、歴史認識と弱者への想像力を欠いた上記の保守右翼の面々の陋劣な品性にある。
 
 この前の戦争中のいろいろな出来事や父親の行動と、まったくおなじことを、新世代の日本人が、真の罪責感はなしに、そのままくりかえしてしまいかねない様子に見える時、かれらからにせの罪責感を取除く手続きのみをおこない、逆にかれらの倫理的想像力における真の罪責感の種子の自生をうながす努力をしないこと、それは大規模な国家犯罪へとむかうあやまちの構造を、あらためてひとつずつ積みかさねていることではないのか。
 沖縄からの限りない異議申立ての声を押しつぶそうと、自分の耳に聞こえないふりをするのみか、それを聞きとりうる耳を育てようとしないこと、それはおなじ国家犯罪への新しい布石ではないのか。

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平和の火


 閑話休題。
 ソルティが今回沖縄戦跡めぐりをした直接的なきっかけは、ドキュメンタリー『沖縄戦 知られざる悲しみの記憶』を観たことにある。
 で、『沖縄戦』を観るきっかけとなったのは、吉永小百合主演の『ひめゆりの塔』であり、『ひめゆりの塔』を観るきっかけとなったのは、同じ吉永小百合主演の『伊豆の踊子』であった。日活時代の小百合サマの可憐な魅力に参って作品を追っていたのだ。
 『伊豆の踊子』を観たいと思ったきっかけは何かと、記憶を過去のブログ記事に探っていったら・・・・これが驚き、夏の秩父の巡礼路で出会った道端の花だったのである。
 名も知らぬピンク色の可愛い花である。

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のちにサフランモドキという名を知った

 この花を見たときに吉永小百合を連想し、夏の秩父の巡礼路が伊豆の天城越えと重なった。
 その時には自分が今年中に沖縄戦跡めぐりをするなんて、まったく予想だにしていなかった。(今思えば、「ハイビスカスに似ているなあ」と思ったことも沖縄へつながっていたのかもしれない)
 なので、ある種の罪責感混じりの義務感にかられて「行きたい」と意志したわけではなく、こういった因縁によって自然と「行くことになった」のである。
 むろん、ロシアによるウクライナ侵攻や7月の参院選で自民党が圧勝したことが、日本の戦争傾斜への危機意識を高め、ソルティの背を押したのは間違いない。(「全国旅行支援」という国家の政策を利用して、沖縄戦跡に行ってやろうじゃないか!という魂胆もあった)
 現地ではいろんな物事が自然とうまく運んでいるような感覚があった。
 物事は起こる時には起こるべくして起こるものだなあ~と、スピリチュアルな感慨に打たれた一件である。
 
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 沖縄みやげの琉球グラス
これで古酒やワインを飲むと格別


  
おすすめ度 : ★★★★

★★★★★ 
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● 死に軍、ふたたび 映画:『硫黄島からの手紙』(クリント・イーストウッド監督)

2006年アメリカ
141分、パートカラー
日本語

 1945年2月19日から3月26日にかけて小笠原諸島の硫黄島で行われた日米の戦いを、日本軍の視点から描いた作品。
 3月10日に東京大空襲があり、4月1日に沖縄本島上陸があったことからも分かるように、太平洋戦争末期のすでに日本の敗北が明らかな状況における軍(いくさ)、いわば死に軍である。
 日本兵たちは、生きて祖国に還れぬことが分かっていた。
 双方の攻撃がもたらす火炎のみカラー、それ以外はくすんだセピア色で統一した映像が、物哀しいBGMとともに、日本軍を被っている疲弊と悲愴と絶望とを表現してあまりない。
 一気に話に引きこまれる。 

 どこまでが史実でどこからが創作なのかという点は措いといて、まず、勝者アメリカの映画監督が、敵国だった日本軍の視点に立って過去の日米戦を描き出せる度量と技量がすごいと思う。
 渡辺謙、二宮和也、伊原剛志、加瀬亮、中村獅童ら日本人の役者を使って日本語で撮るのは当然の前提だが、描き出される日本人像が同じ日本人であるソルティが見ても、まったく違和感がない。
 多くの洋画で描かれてきたステレオタイプのアジア人像あるいは日本人像という型にはまらず、いわんや、米軍を最後まで悩ました敵として「憎々し気に、恐ろし気に、あるいはカミカゼやハラキリに象徴される狂気の民族として」描かれるのでもなく、郷土に残してきた家族を思い死を恐れる、米兵と変わりない市井の人間として描かれている。

 同じことをやった日本人作家がこれまでにいただろうか?
 たとえば、過去の日中戦争の一シーンでもいいが、侵略される中国人の視点から、中国人の役者を起用して中国語で撮影し、しかも現代の中国人が見ても違和感ないレベルの作品に仕上げたことのある日本人監督はいただろうか?
 それだけ考えても、イーストウッド監督の人間的度量と映画監督しての技量がわかろうものだ。

 そのうえに、本作はソルティがこれまでに観た戦争映画の中でも屈指の傑作である。
 戦場のリアリティは抜群で、役者がみな優れた感性と演技により個性あるキャラを打ち出し、抑制の効いたプロットと演出は格調高く、撮影も印象的である。(火炎以外にもう一箇所、カラーが使われるショットがある)
 戦争の怖ろしさと無意味さ、国家主義の非人間的な残酷さがあますところなく描き出されている。
 人民の本当の敵は、国家が想定し「悪」として祭り上げる敵国ではない。
 国家主義を押しつけ、「全体のために個を犠牲にせよ」と唱導する連中なのだ。
 ロシアや中国を見ればその事情は明らかではないか。
 人民がそのことに気づかない限り、日本はまた死に軍をすることになる。

硫黄島の闘い
日本軍が立て籠もった摺鉢山に星条旗を掲げるアメリカ軍
(従軍カメラマンのジョー・ローゼンタールによる撮影)

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摺鉢山





おすすめ度 :★★★★

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● 本:『沖縄アンダーグラウンド 売春街を生きた者たち』(藤井誠二著)

2018年講談社より刊行
2021年集英社文庫

 本書と出会ったのは、ほかならぬ沖縄の地。
 嘉数高台と佐喜眞美術館を訪れた日の午後、那覇の繁華街を足の向くまま気の向くままぶらついていた。
 国際通りから、土産物屋がずらりと並ぶ平和通りに入って、途中のドライフルーツ店で買ったココナッツジュースを飲みながら迷路のようなアーケード街を奥へ奥へと進んでいくと、いつのまにか、夕餉の食材を買う地元住民で賑わう昔ながらの商店街に出た。
 ふと見ると古本屋がある。
 どこの土地にいようが、本屋を見ると条件反射的に入ってしまうソルティ。
 特に買うつもりはなかったのだが、文庫棚から誘いかけてくる本書の圧に負けて、ほぼ半値で購入した。

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 ソルティは国内でも国外でも初めての街を訪れたとき、たいてい風俗街がどこにあるのか気になるほうだ。
 場所が分かると、とりあえず足を向けて様子を探る。
 むろん、ゲイの自分がノンケ男子専門の風俗店を利用することはハナからないのだが、そういう場所の存在を知ることでなんとなく街の裏の顔を見たような気になって、親近感が増す。
 観光名所だろうが文化都市だろうが芸術の都だろうが、人間の住むところ何処も同じだなと――。
(長いことNGOでエイズの相談を受けていたせいもある。性風俗情報を取り入れておく必要があった)

 国際通り周辺にはどうもそれらしき一角が見当たらないので、「さて、那覇の風俗街はどこにあるのだろう?」と思っていた。
 これだけの観光地で、しかも米軍基地がある。ないわけがない。
 戦跡を巡りながらもどこかでそんなことを考えていたので、つい本書のタイトルに惹かれたのであった。

 本書を開いたのは内地に帰って来てから。
 最初の数ページで、「なんだ、そうだったのかあ~」とつい声を上げた。
 というのも、本書でメインに取り上げられている売春街、著者が本書を書くきっかけを作った沖縄でもっとも有名な(悪名高い?)風俗街――それは普天間飛行場のすぐ近くにあった真栄原新町いわゆる「真栄原社交場」であり、嘉数高台のほぼ真下に位置しているからだ。
 ソルティはそれと知らず真栄原社交場を眼下に見ていたのであった。
 あの時ハクソー・リッジ(前田高地)や沖縄国際大学を教えてくれたジョガーマンも、さすがに真栄原社交場は教えてくれなかった。
 まあ、朝っぱらから初対面の人間にするような話題ではないか。

 90年代に真栄原社交場をはじめて知った時の模様を著者は次のように記している。

 県道34号の真栄原交差点から大謝名方面に向かう途中の角を左に折れ、街路灯や家々の玄関灯ぐらいしか明かりがないひっそりとした住宅地をタクシーで200~300メートル進むと、妖しい光を放つ空間が忽然とあらわれた。タクシーを降りた私は思わず息をのんだ。魔界の入り口に立ったような気がして、歩を止めて立ちつくす。夜10時をまわっていた。

 私が降ろされた場所は、「ちょんの間」と呼ばれる性風俗店が密集した街だった。タクシードライバーは「真栄原新町」という街の名前と、買春の料金と時間などについて説明をしてくれ、「ゆっくりしてくればいいさ」と言って笑った。女性たちが体を売る値段は15分で5000円。「本番行為」まで含んだ値段だという。夜だけでなく、ほぼ24時間営業の不夜城の街だと教えられた。私は魅入られたように一人で街の中を歩いた。

 この真栄原新町に加えて、ソルティがレンタル自転車で対馬丸記念館に向かうときに通り抜けた海岸沿いの「辻」という街も、琉球王国の時代から遊郭があったところで、戦後は米兵や観光客相手の売春街として栄えたという。
 事前に知っていたら探索したのに・・・・。
 もっとも、辻はいざ知らず、真栄原新町は今ではすっかり廃れてしまって、往時の面影はない。
 2010年前後から始まった警察・行政・住民一体の浄化運動で、店舗は撤退せざるをえなくなり、働いていた女性たちはどこかへ消えてしまったからだ。

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嘉数高台から普天間飛行場を臨む
この間にかつて「真栄原社交場」と呼ばれた売春街があった

 本書は、真栄原新町という一つの売春街が、どのように生まれ、どのように栄え、どのように消えていったか、そこで働いていたのはどういう人たちであったかを、関係者への丹念なインタビューをもとに描き出している。
 同時に、コザ(現・沖縄市)の八重島やセンター通りや照屋や吉原、那覇市の辻や小禄新町や栄町などかつて存在した他の売春街も取り上げ、広い視点から戦後沖縄の性風俗史、売買春事情を浮かび上がらせている。
 占領下の米兵による凄まじい性暴力の実態、各地に売春街が誕生するまでの経緯、米軍当局の政策に翻弄される売春街の様子、本島の人間による奄美大島出身者への差別、沖縄の売春街をレポートした作家・佐木隆三や沖山真知子へのインタビュー、沖縄ヤクザの暗躍と売春街で働く女性からの過酷な収奪システム、ついに始まった浄化運動の顛末など、実によく調べ、よく取材し、よくまとめてある。
 ネットに見るような、街のアンダーグラウンド的な場所を好奇心まじりに訪問し煽情的・暴露的に描いたレポートとは一線を画す力作である。
 学ぶところ大であった。
 とくに、コザの売春街で働く若い女性アケミを描いたドキュメンタリー『モトシンカカランヌー 沖縄エロス外伝』(1971年布川徹郎ほか)は機会あればぜひ観たいと思う。
 ちなみに、売春街のことを昔は「特飲街」(特殊飲食店街の略)と言ったそうだ。

 半世紀以上にわたって続いてきた、真栄原新町や吉原という沖縄の売春街が、2010年前後を境にゴーストタウンと化した。官民一体となった「浄化作戦」が成功したからだ。本書は、戦後長きにわたって続いてきたそれらの街の「近い過去」と「遠い過去」を記録したものだと言えるだろう。
「近い過去」は、この十数年のうちにこの街で働いてきた人々への取材を通して得ることができた、これまで外部に漏れ出ることのなかった街の内実とその変遷だ。そこには、「浄化作戦」を担って、街をゴーストタウンに追い込んだ側の人々の意見も含まれる。
「遠い過去」とは、1945年以降、戦後のアメリカ占領下でどのように売春街が形成されたかという「沖縄アンダーグラウンド」の戦後史だ。当事者の証言や新聞報道、アメリカ側の稀少資料などを織りまぜながら、国策的かつ人工的につくられた街の軌跡を辿った。

 本書の記述をもとに、沖縄の売春街の歴史を大まかにまとめてみる。
  • 1945年4月  米軍上陸により沖縄戦本格化
  • 1945年8月  日本降伏、沖縄はアメリカの領土となる。これ以降、米兵による沖縄女子への強姦事件、殺戮事件が多発。また、生活のため米兵相手に売春する女子ら増加
  • 1949年  コザの八重島に、町の治安および風紀を守り一般婦女子を守る「性の防波堤」として、米兵相手の売春街が誕生
  • 1950年  普天間に真栄原社交場誕生。以降、沖縄各地に米兵相手の売春街が誕生する  
  • 1950-53  朝鮮戦争。沖縄にたくさんの米兵が送り込まれ、売春街が繁盛する
  • 1961-1973  ベトナム戦争。同上
  • 1972年  沖縄返還。日本の領土となる。以降、売春街には日本人観光客が増え、米兵は減少していく
  • 1980年代  バブル期。内地からの買春ツアーで賑わう
  • 1995年  米兵による少女暴行事件で反基地世論高まる。普天間基地返還合意
  • 1990年代後半  インターネットで真栄原社交場が世界的に広まる
  • 2005年頃  市民の間で真栄原社交場を無くそうという声が高まる
  • 2010年  真栄原社交場消滅。ほかの売春街も衰退する

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 20代の著者は真栄原社交場を最初に知った時、「青い空と青い海」でも「反戦・平和」でもない、沖縄の別の顔に触れて興味を抱いたそうだ。
 明るい観光客向けでもない、反米左翼向けでもない、もう一つの顔。
 それがアンダーグラウンドの世界、すなわち売春街であった。
 しかるに、売春街というアンダーグラウンドは昔も今も世界中どこにでもある。
 また、パンパンやGIベイビーに象徴されるような、貧困女性の犠牲と米軍の落とす金によって成り立つ戦後日本の性風俗事情は、都下の立川や横浜の黄金町の例を上げるまでもなく、内地でも同じであった。
 沖縄の真栄原新町や吉原は、内地の立川や黄金町、あるいは大阪の飛田遊郭や浅草の吉原や滋賀の雄琴とどこがどう違ったか、その理由はなんなのか。
 そこに我々が知るべき沖縄アンダーグラウンドの最大の肝があるのだろう。
 あとがきで著者は次のように述べている。

 私が記録した沖縄は、「アンダーグラウンド」に視点を据えた、戦後史の一断面に過ぎない。だがその姿は、過酷な戦争体験の後、日本から切り離されてアメリカの占領下に置かれ、復帰後も今に至るまでヤマトの敷石にされ続けている沖縄のありようと歴史の底流でつながっている。

 最後になるが、著者の筆致からは真栄原社交場が浄化され消滅したことに一抹の寂しさを感じているような印象を受ける。
 しかし、ソルティは戦後の赤線そのものの売春街が2010年まで公然と存在し続けたところに、戦後の沖縄が置かれてきた内地との圧倒的な不均衡があるように思った。
 明らかに、街自体は無くなって良かった。
 が、街の記憶は風化させるべきではない。

 そこで、真栄原新町の跡地利用の提案を一つ。
 「沖縄アンダーグラウンド館」なるものを作って、本書で書かれているようなことをテーマに各種資料やありし日のお店の再現セット(マネキン人形含む)を展示し、関係者の証言を集め、フェミニズム視点も取り入れ、広く人々に「戦争の怖ろしさ、および人間(男)の性と暴力について考えてもらう機会を作る」ってのはいかがだろう?
 もちろん、街の下に広がる文字通りのアンダーグラウンド、すなわち鍾乳洞見学も含めて・・・。


鍾乳洞
Marliese ZeidlerによるPixabayからの画像





おすすめ度 :★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損






● 沖縄戦跡めぐり4 (首里城)

 帰りの飛行機の時間まで首里城見学した。
 国際通りからバスに乗り、石畳前バス停下車。
 琉球王国時代の遺跡である「金城町石畳道」を首里城に向かって登る。

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金城町石畳道
16世紀に琉球王国の3代国王尚真によって造られた南部に通じる真珠道(まだまみち)の一部。
琉球石灰岩の石畳と石垣、赤瓦の家並みが続く。
道のほとんどが沖縄戦によって失われ、現在残っているのはこの約300mだけ。

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結構傾斜がきつく、汗ばんだ。

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カジュマルの木陰がうれしい

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休憩所として利用されている金城村屋
心地良い風が通り抜け、眺めも良く、落ち着ける。

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沖縄戦がなければ、どれだけの素晴らしい遺跡が残っていたことか・・・。

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沖縄の街角でよく見かける石敢當(いしがんとう)の石碑
中国伝来の魔除けで、邪気が集まりやすいT字路や三叉路、辻に建てられる。

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眼下に広がる那覇市街

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首里城守礼門

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2019年10月31日の火災により本殿は焼失した。
2026年の復元を目指してもっか復興中。
復興の工事現場を見学することができる。

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首里城の地下30~40メートルに沖縄戦を指揮した日本軍の司令部壕があった。
総延長は約1キロ。指令室や炊事場など30以上の部屋があり、多い時は千人以上が生活していたと言われる。
南部へと撤退する際、軍は機密書類などを隠蔽するために壕内を爆破したため、あちこちで崩落が起きている。
安全面の問題があってこれまで放置されてきたが、最近、沖縄県がこれを保存・公開する方針を決めた。
公開されれば、もっとも主要な戦跡の一つとなるのは間違いない。

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西(いり)のアザナ
城郭西側にある物見台からの景色

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沖縄県立芸術大学
こんなとこで学生時代を過ごせたらサイコー!

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事前の天気予報では滞在中の3日間☂☂☂
海水浴するわけでなし、別に関係ないと思って現地入りした。
フタを開けてみたら、確かに雨が降り続いた。
ただし夜間ばかり。
日中はほとんど傘をさす必要がなく、しかも快晴だとまだまだ陽射しの厳しい時期に薄曇りの空が続き、屋外の移動や見学には最適であった。
必要な時にタクシーが現れたり、ガイドしてくれる土地の人が登場したり、修学旅行生と共に館長の話が聞けたり、ソルティに沖縄戦を学ばせるべく、何かが導いているような感覚すらあった。
実りの多い楽しい旅であった。

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また会いに来るシーサー







● 前田高地の奇跡 映画:『ハクソー・リッジ』(メル・ギブソン監督)

2016年アメリカ、オーストラリア
139分

 1945年4月から始まった日米沖縄戦で死闘を極めた前田高地の闘いが舞台である。
 前田高地の峻厳たる地形をアメリカ軍は Hacksaw Ridge(弓鋸の崖)と呼んだ。

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ハクソー・リッジ(前田高地)
標高約120~140mの丘陵。
ここから約4キロ南西に首里の軍司令部があった。

 本作はしかし、沖縄戦がテーマあるいは戦争一般がテーマというよりも、一人の新米兵士の堅い信念と英雄的な行為が描かれる伝記映画という感じ。
 それもそのはず、この映画は沖縄戦で衛生兵として従軍したデズモンド・ドスの実体験をもとにしているのである。

 デズモンド(アンドリュー・ガーフィールド)の堅い信念とは、「絶対に人を殺さない。銃は持たない」ということであり、そこには子供の頃に喧嘩で弟を危うく殺しかけた苦い体験と、その後のデズモンドのキリスト者としての信仰があった。
 また、デズモンドの英雄的な行為とは、激しい戦闘を経て部隊が前田高地から一時退却したあとも、ただひとり、日本軍が見回る戦場に残り、負傷し取り残された同僚を何十人も手当し救い出したことであった。
 こんな人間が米軍にいたとは驚きである。

 ただ、ソルティがより驚いたのは、「銃は持たない」「人は殺さない」と堂々と宣言し実際に銃の訓練を拒否する一兵卒を、軍隊に居続けさせるアメリカ軍の度量というか法治性である。
 かつての日本軍なら、おそらくその場で殴って従わせるか、それでも駄目なら仲間と引き離して投獄し拷問をかけ、強制除隊させるだろう。
 銃を持たない者=敵と戦う意志のない者など邪魔なだけである。
 戦争とは人を殺しに行くところなのだ。

 デズモンドの上官らは、説得してもダメなことを知ると、まずデズモンドが精神異常であることの言質を取ろうと試みる。
 精神異常であれば除隊させられるからだ。
 しかし、デズモンドがその手に乗らないことが分かると、上官の命令に従わないという理由で軍法会議にかける。
 軍法会議で違反となれば投獄された上、除隊となる。
 だが、結果的には軍法会議より上位にある合衆国憲法の規定により、「従軍の意志がある者の参加を軍は拒むことができない」「個人の信仰を侵して武器の使用を強制することはできない」という理屈が通って、デズモンドは衛生兵として銃の訓練を受けずに従軍することになる。
 合衆国憲法がデズモンドの味方をしたのだ。

 戦時にもかかわらず、憲法を絶対的に尊重する法治性がすごいと思う。
 否、戦時だからこそ、憲法が守られなければならないのだ。
 平和な時の憲法を国が守るのは難しくない。
 戦時という非常時に国が守ってこそ、憲法の最高法規たるゆえんがある。
 これが実話なら、やはり法と論理重視のアメリカに、「考えたくないことは考えない、考えなくてもみんなで頑張ればなんとかなる」という法と論理軽視のニッポン・イデオロギーが敗北するのも無理はないと思う。

 ハクソー・リッジでの戦闘の様子は凄まじいかぎりのリアリティ。
 これを見れば誰だって、「戦争に行きたくない」「戦争なんかしたくない」「絶対に戦争はしてはいけない」と思うのが普通だろう。
 負けたら地獄は当然だ。
 けれど、勝っても天国は待っていない。
 この映画の優れた点は、過去の従軍体験のトラウマによってアル中に陥り、その後の人生を自暴自棄に生きるデズモンドの父親をあらかじめ描くことで、「ハクソー・リッジを落として万歳!」「アメリカが日本に勝って万歳!」で終わらせる戦意高揚的ハッピー・エンドを回避しているところである。
 衛生兵としてのデズモンドの活躍は奇跡としか言いようがない立派なものだが、負傷兵を救うよりは、最初から負傷する人間を作らないほうがいいに決まっている。

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嘉数高台から望む前田高地





おすすめ度 :★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損





● 沖縄戦跡めぐり3(嘉数高台~佐喜眞美術館)  

 宿は国際通りから東に伸びる浮島通りにあった。
 ゆいレールの県庁前駅から歩いて10分、最寄りのバス停には5分、コンビニには2分。
 どこに行くにもまったく便利な位置でありながら、国際通りに面していないので静かだった。
 ホテルや旅館ではなく、普通のマンションの一室(1K、バストイレ付)を宿として提供しているので、滞在中は自宅にいるような気分で、とてもくつろげた。
 もちろん、フロントも食堂もルームサービスもない。
 他の宿泊客と顔を合わせることもなかった。

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清潔で明るくゴロ寝ができる部屋

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火は使えないがキッチンもついている

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ボディソープ、シャンプー、タオル、ドライヤーも完備

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電子レンジ、オーブントースター、冷蔵庫あり

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真綿色の照明と南国風の飾り布が安らぎを演出
また泊まりたい宿である。

 3日目は那覇から北上して宜野湾市に行った。
 米軍の普天間飛行場を間近に見下ろせる嘉数高台(かかずたかだい)に登った。
 そのあと、1992年に米軍に返還させた土地に建てられた佐喜眞美術館に足を運んだ。
 ここには、広島「原爆の図」で有名な丸木位里・俊夫妻の描いた「沖縄戦の図」が展示されているのだ。
 本日は当地に住む知人が車を出してくれた。

日時 2022年11月26日(土)
天候 曇り一時雨
行程
 8:00 国際通り
 8:20 嘉数高台
10:00 佐喜眞美術館
12:30 国際通り

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早朝の国際通り
怪しい空模様

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国際通りのPCR検査センター
ソルティは地元市役所発行の4回目ワクチン接種証明書を持参して沖縄入りした。

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嘉数高台公園
標高84.3メートル、東西に伸びる約1キロの丘である。
沖縄戦の最初にして最大の激戦地となった。
1945年4月1日に中部西海岸から上陸した米軍がここを抜くのに16日間を要した。
戦死傷者は日本軍 64,000人、アメリカ軍 24,000人、住民の半数以上が亡くなった。

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弾痕のある塀
民家の豚小屋の外にあった塀と言われる。

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日本軍の陣地壕
高台の南斜面にある

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壕の中
米軍の空爆が終わると、ここから飛び出て北側から攻める敵に反撃した。

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地球デザインの展望塔

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北側に広がる普天間飛行場
宜野湾市の1/4を占める

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オスプレイ
展望台で出会った地元のジョガーマンによれば、飛行場の騒音はとくに基地の南側と北側で喧しいのだそう。(彼は東側に住んでいる)

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北西に残波岬を望む
1945年4月1日、米軍はこの湾一帯から上陸を開始した。
岬の突端に集団自決のあった読谷村のチビチリガマがある。

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南に前田高地を望む
嘉数が米軍に占拠された後、次の激戦地となった。
これもジョガーマンからの情報だが、2016年にメル・ギブソン監督が撮った『ハクソー・リッジ』という映画は、前田高地の戦いを描いている。
Hacksaw Ridge とは「弓鋸の崖」の意。 

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北東に沖縄国際大学を望む(右上端のオレンジの建物群)
2004年8月13日に米軍の大型ヘリコプターが構内に墜落、爆発、炎上した。
幸い夏休みだったため、学生はいなかった。

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日本軍の作ったトーチカ(入口側)
トーチカ(tochka)はロシア語で「城塞」の意。
コンクリートや鉄板で作った陣地のこと。
高台の北斜面にある。

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トーチカの内部
結構広い
くり抜いた穴から銃を出して敵を狙った。

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北側(敵面)の風貌
弾痕が無数にある

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京都の塔
ここで亡くなった62師団の多くの兵士が京都出身であったことから、1964年に建てられた。
「再び戦争の悲しみが繰り返されることのないよう、また併せて沖縄と京都とを結ぶ文化と友好の絆がますますかためられるよう、この塔に切なる願いをよせるものである」(碑文より)

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北斜面にあった亀甲墓
原型をほとんど失っている。
頑丈で中の広い亀甲墓はトーチカや防空壕として利用された。

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普天間飛行場返還後の跡地利用計画が進んでいる。
飛行場の地下には、観光資源となる大きな鍾乳洞が3,4ヵ所もあるという。
嘉数高台は沖縄の過去、現在、未来を見ることのできる場所なのだ。

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嘉数高台公園でゲートボールに興じる高齢者たち

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佐喜眞美術館
嘉数高台から基地の東端に沿って約4km北上したところ(上原)にある。
1994年11月23日開館。
館長である佐喜眞道夫のコレクションを中心に展示している。
戦争で息子と孫を失ったケーテ・コルヴィッツというドイツの女性画家と、20代を軍隊で過ごした浜田知明(1917-2018)という日本の版画家の作品が展示されていた。
丸木夫妻の「沖縄戦の図」は言葉で表現しようがない。
沖縄に行ったら絶対に見ておくべき!

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美術館のすぐ隣は普天間基地すなわち治外法権区域

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緑の多い美しい美術館である
庭には亀甲墓(1740年ごろ建立)や県立盲学校生徒たちのユニークな作品などが展示されている。

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美術館の屋上から東シナ海を望む
びっくりしたのだが、基地の周囲は深い森に囲まれていた。

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ソルティが訪れた時、ちょうど埼玉から修学旅行生が来ていた。
これ幸いと教員の振りして、「沖縄戦の図」を前に、生徒たちと一緒に佐喜眞館長の話を聴かせてもらった。曰く、
「投降して捕虜になったら、男は戦車の下敷きにされ、女はなぶりものにされる。そう言って日本軍は住民たちに自決を迫った。なぜそんなことを言ったのか。おそらく、日本軍がまさにそうしたことを大陸で中国人や朝鮮人相手に行っていたからだろう。自分たちがやったことを敵もやると考えたのだ」
ソルティもその可能性を思っていた。
関東大震災時の朝鮮人虐殺の扇動者となった自警団の男たちもまた軍役経験者が多かった。
人は自分の物差しで他人を測るのだ。

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嘉数高台の展望塔の屋根の下にいたちょうどその時、豪雨来襲。
宜野湾市だけに降っているようであった。
10分ほどして雲が行き過ぎると、晴れ間がのぞいた。
いろいろ教えてくれたジョガーマンはびしょぬれになったことだろう。
(沖縄の人は傘を差さないというから慣れっこか)













● 沖縄戦跡めぐり2(沖縄陸軍病院南風原壕群~旧海軍司令部壕~対馬丸記念館)

 レンタカーを使わずに沖縄を旅するのはなかなか大変である。
 タクシーを借り切るという手もあるけれど、予算的な問題は別として、ソルティは自分が施設見学している間、運転手を待たせておくというのがどうも苦手である。
 誰にも気兼ねせず、時間の許す限り見学したい。
 となると、路線バスを上手に活用することになる。
 
 沖縄戦跡めぐりに行くと決めてから、沖縄バスマップを取りよせて路線と停留所を調べ、ネットで時刻表をダウンロードし、綿密な移動計画を立てた。
 乗り換えが必要となる場合、接続が上手くいかないと次のバスまで1時間以上待たねばならないこともあるので、事前に調べておく必要があるのだ。
 それはしかし、手間というより楽しい作業であった。
 自室の床にバスマップと時刻表とガイドブックを広げ、いろいろと計画を練っている時間はすでに旅の一部、浮かれモードである。
 路線バスの利点は他にもある。
 土地の人を観察したり触れ合う機会になるし、車窓からの景色を存分に楽しむことができる。
 方言が飛びかう停留所や車内こそが、地方色を感じさせる。
 実際、座席シートから綿がはみ出したおんぼろバスがいまだに走っているのは愉快であった。

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バスマップとOKICA
沖縄のSUICAであるOKICAは
ゆいレールとほとんどの路線バスで使える。
小銭の用意しなくて済むのでほんと便利!

 もっとも、路線バスだけではうまく回れない地点もあった。
 そこはタクシーをつかまえて最短距離で移動した。
 あるいは、那覇市内であれば奥の手があった。
 シェアサイクルである。 
 ソルティは HELLO CYCLINGというシェアサイクルのネットワークに会員登録しているので、全国どこでもサイクルステーションがあるところならば、好きな時に電動自転車を借りることができる。
 調べてみたら、那覇市にはたくさんのステーションがあった。
 施設見学した後で最寄りのステーションまで歩いて自転車を借り、次の目的地までサイクリングする。
 自転車が必要なくなったら、そこから一番近いステーションに返却すればいい。 
 これならバス停でバスを待つ必要もないし、タクシーを探す手間も省ける。
 那覇名物の渋滞も関係ないし、駐車にも困らない。
 なにより見知らぬ街を風を切って自転車で走るのは最高に気持ちいい!
 (もっとも、酷暑の時節や雨風の強い日は快適とはいかないが・・・・) 
 これまで自宅周囲で利用していたシェアサイクルであったが、観光でも使える実に便利で快適なシステムであることを実感した。
 旅先でのシェアサイクル。今後大いに活用したい。(京都市内なんかも楽しそうだ)
 ちなみに、自転車でも飲酒運転はNGである。

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ハイビスカス


日時 2022年11月25日(金)
天候 曇り
行程
 9:40 開南バス停(309番バス乗車)
10:00 福祉センター入口下車
         沖縄陸軍病院南風原壕(南風原文化センター)
13:15 南風原町役場前よりタクシー乗車
13:30 旧海軍司令部壕
15:00 最寄りのサイクルステーションにて自転車レンタル
15:30 対馬丸記念館
17:00 波上宮~波の上ビーチ
18:00 沖縄家庭料理「まんじゅまい」にて夕食
19:30 国際通りにて自転車返却

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南風原(はえばる)文化センターと黄金森(こがねのもり)
1944年10月、那覇市内にあった沖縄陸軍病院が米軍の空襲により焼失し、南風原国民学校校舎に機能を移転した。
米軍の攻撃が激しさを増した1945年3月、日本軍は住民の力を借りて近くの黄金森に約30の横穴壕を掘り、壕の中に患者を収容した。
看護婦として動員されたひめゆり学徒222人と教師18人がここで働いた。
その様子は吉永小百合あるいは津島恵子主演の映画『ひめゆりの塔』に描かれている。

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飯あげの道
飯あげとは、炊きあがったご飯などを樽に入れて炊事場から各壕(病棟)へ運ぶこと。
当時、黄金森は一面の茅畑で空から丸見えだった。ひめゆり学徒たちは爆撃の下、重い樽を下げた天秤棒を二人で担いで、急な山道を上り下りした。

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悲風の丘の碑
1945年4月1日米軍が沖縄本島中西部に上陸し、本土決戦が始まった。
日本軍は首里司令部を占拠され、南部への撤退を余儀なくされる。
5月下旬、南風原陸軍病院にも撤退命令が下される。
その際、移動できない重症患者には青酸カリ入りのミルクが配られた。
(題字は沖縄返還時の首相だった佐藤栄作の手による)

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沖縄陸軍病院壕址
黄金森に約30の壕(トンネル)がつくられ、多い時は約2000人の患者が収容された。
もとからあった鍾乳洞を利用した壕(ガマ)ではなく、鍬やつるはしを使って一から掘ったものである。
戦後、壕の中からはたくさんの人骨が見つかった。

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丘全体が今ではすっかり南国らしい瑞々しい森におおわれている。
これらの樹々の下にまだ多くの白骨化した遺体が埋まっているという。

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20号壕入口
現在ガイド付きで見学することができる唯一の壕。
長さ約70m、高さ約1.8m、床幅1.8m、病室・手術室・勤務者室などがあった。
見学者には、ヘルメットと長靴と懐中電灯が渡される。

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壕の中からは、多数の医薬品類、患者の石鹸箱や筆箱や着物、ひめゆり学徒のものと思われる文具などが見つかっている。
少女たちは、まさか病院が攻撃される、まさか日本が敗けるとは思わず、はじめのうちは半ば遠足気分で働いていたという。

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壕の中
負傷した何十人もの兵士の発する体臭、腐敗しウジ虫のたかる患部、消毒薬、汗や尿や便・・・。
壕の中は何とも形容し難い匂いが立ち込めていたという。
その中をひめゆり学徒たちは瀕死の患者らに呼ばれて走り回った。

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ひめゆり学徒たちの休憩所
食事の運搬と配布、シモの世話、清拭、患部の消毒や包帯の交換、手術(と言っても患部の切断が主)の手伝い、患者の移動や寝返りの手伝い、ウジ虫の除去、亡骸の運搬と埋葬・・・。
まともな設備も医療用具も、十分な水や食糧もない中で、どれだけしんどかったことか。
だが、本当の地獄はここを離れた先にあった。

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20号壕の出口
壕の見学は事前予約が必要。
この日はソルティのほか沖縄長期滞在中の60代くらいの夫婦一組。
ここはガイドブックにはまず載っていないが、ぜひとも訪れたい戦跡の一つである。
(ここを勧めてくれた友人に感謝)

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町立南風原文化センター
南風原の沖縄戦の経緯、沖縄戦後史、ハワイや北米や南米への移民事情、昔の沖縄の暮らしなどが展示されている。
上記は黄金森の病院壕を再現したもの。1.8m幅の横穴の半分は、一人一畳分の患者の寝台が並び、もう半分が通路になっていた。

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黄金森の全景

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米軍の投下した砲弾
これが地上で炸裂し、半径数百メートルに灼熱の鉄の破片が猛スピードで飛び散った。

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これと竹槍で闘う?
なんという御目出度さだ!

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1955年(昭和30年)の国際通り
「荷馬車、三輪車、バス、タクシーが共存」とある。
むろん返還前。自動車が右側通行なのに注目。

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南風原町役場
南風原町は、県内で唯一海に面していない町。
それゆえ、軍関係の施設が多く集められたのだ。
ここからタクシーを拾って次なる戦跡へ。

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旧海軍司令部壕
1944年、地域の住民を駆り出して掘られた壕に海軍司令部を設置した。
壕内に入って見学できるほか、旧日本海軍に関する資料や銃器や軍服、家族への手紙などが展示されている資料館がある。

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ビジターセンター
那覇市の南西の小高い丘(豊見城)に位置する。
ここから資料館と壕のある階下へ降りていく。

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ビジターセンターからの風景

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東シナ海を望む

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壕への入口
南風原の壕にくらべると実に立派で頑丈なつくり

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壕内見取図
まるでアリの巣のよう。
全長450mあったと言われている。

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カマボコ型にくり抜いた横穴をコンクリートと杭木で固めてある。

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司令官室
司令官であった大田實少将はじめ幹部6人は、1945年6月13日に壕内で自決した。
実際に沖縄戦で戦死者が増えたのはそのあとである。

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幕僚室の壁
幹部たちが手榴弾で自決した時の破片のあとが残っている。

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下士官室
寝台の木枠の残骸が残っている

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旧海軍司令部壕は大概のガイドブックに載っているので、観光客が絶えなかった。
それも外国人や団体客が多かった。(自衛官や米兵らしきマッチョもいた)
ここは、「日本軍がどれだけ潔く戦ったか」「兵隊さんがどれだけお国のために尽くしたか」「沖縄県民がどれほど立派に最後まで闘い抜いたか」を強調し称揚するための施設という感じ。
自決するくらいなら最後まで住民を守ってくれよ!

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旧海軍司令部壕の脇にある沖縄様式のお墓
墓室の屋根が亀の甲の形をしているので亀甲墓(きっこうばか、カーミナクーバカ)と呼ばれる。
17世紀後半頃より作られるようになったという。
沖縄戦では多くの墓が破壊された。

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シェアサイクルで海岸沿いを疾駆する

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対馬丸記念館
1944年8月22日の深夜、学童疎開の子供たちを乗せて那覇港を出港した対馬丸は、米潜水艦の魚雷攻撃を受けて沈没した。
乗船していた1788名のうち1484名(うち学童784名)が命を失った。

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犠牲者の遺影や遺品のほか、当時の学校生活を偲ばせる教科書や文具や玩具、奇跡的に助かった人々の証言映像などを見ることができる。

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亡くなった子供たちの写真が壁を埋め尽くす。
出港する子供たちは修学旅行のようにはしゃいでいたという。
沖縄の海はすでに米軍の支配下にあったが、子供たちは日本の勝利を信じていた。

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波上宮(なみのうえぐう)
創建不詳。日本神話に出てくる神々が祀られているが、もとはニライカナイ(海の彼方の理想郷)の神々に祈りを捧げる聖地であった。

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本殿
正面からは分からないが、岩の上に立っている。

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岩の上に立つ波上宮
ビーチでは修学旅行の高校生がはしゃいでいた。

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沖縄家庭料理の店「まんじゅまい」で夕食
オリオンビール、まんじゅまい(パイナップル)炒め、ピタローのバター焼き、豆腐よう
どれも優しい味で美味しかった!











● 沖縄戦跡めぐり 1(健児の塔~平和祈念公園~ひめゆりの塔~魂魄の塔)

 本当は、地元の人が案内してくれる戦跡パッケージツアーに参加したかった。
 が、時期的にちょうど良いのがなかった。
 施設の場所や開設時間や交通機関などはネットで調べて旅程を立てることができるけれど、肝心の沖縄戦にまつわるエピソードや見るべきポイントなどは、やはり詳しい案内がほしいところ。
 どうしようかと思っていたら、近所の図書館で恰好の本を見つけた。
 大島和典著『歩く 見る 考える 沖縄』(2021年高文研発行)。 
 
大島和典『沖縄』

 1936年香川県生まれの大島和典氏は、四国放送で技術や制作の仕事に携わり、退職後に沖縄移住。
 沖縄戦の研究をはじめ、米軍基地建設反対運動の記録を撮りビデオ作品として発表するほか、戦跡を案内するガイドツアーを10年以上(計1000回以上)つとめてきた。  
 その背景には、大島氏の父親が沖縄戦に出兵し、激戦地の南部で戦死したという事情があった。
 当時、父親は33歳、和典氏は小学3年生だった。
 本書は、大島氏が修学旅行生相手にいつも行なってきた、自身の思いや願いのこもった戦跡ガイドを、語り口調そのままに収録したものである。
 取り上げられている場所は、ひめゆりの塔、平和祈念公園、魂魄の塔、米須海岸、嘉数高台、安保の見える丘。
 まさに最適のガイドブック。
 出発前に2回通読し、見るべきポイントを頭に入れた。
 さらに、沖縄に詳しい友人に尋ねたところ、南風原文化センター(沖縄陸軍病院壕)や集団自決のあったチビチリガマ、辺野古座り込みテントなどもすすめられた。
 3日間ですべてを回るのは時間的にも体力的にも無理なので、今回は南部を中心に回ることにした。

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平和祈念公園から臨む島南端の海岸
 
日時 2022年11月24日(木)
天候 曇り一時雨
行程
 8:50 開南バス停(50番バス乗車)
 9:43 具志頭バス停(82番バスに乗り換え)
 9:53 健児の塔入口下車
     健児の塔~平和祈念公園~平和祈念資料館
12:52 平和祈念堂入口バス停(82番バス乗車)
13:00 ひめゆりの塔前下車
     昼食~ひめゆりの塔~ひめゆり平和祈念資料館~魂魄の塔
16:43 ひめゆりの塔前バス停(82番バス乗車)
17:00 糸満バスターミナル(89番バスに乗り換え)
18:00 那覇バスターミナル

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宿最寄りの開南バス停で地元の人に雑じってバス待ち
桃色のマニキュアを塗った女性の爪のようなトックリキワタの花があでやか
アオイ目アオイ科の落葉高木である

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乗り換えのバス待ち
純白の漆喰で塗り固めた赤瓦屋根
沖縄らしい民家の軒先に旅情を感じた

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健児の塔
沖縄戦に召集され命を失った沖縄師範学校の教師と生徒319名が祀られている
1946年3月建立

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ひめゆり女子学徒たち同様、学校のあった中部から南部へ移動し、海岸に追いつめられたあげく、非業の死を遂げた。

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このあたりの地形は険しい
こうした岩陰に隠れて米軍の攻撃から身を守ったのだろう

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平和祈念公園全景
くまなく見るには丸1日は必要とする広さと深さ

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国立沖縄戦没者墓苑
この地域には各県の戦没者慰霊碑が並んでいる
沖縄戦で亡くなった日本兵は、県外出身約6万6千人、県出身約2万8千人
犠牲となった一般県民約9万4千人と推定される(県資料による)

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平和の礎(いしじ)
国籍や敵味方、軍民の区別なく、沖縄戦で亡くなった20万人余の氏名を刻んだ記念碑

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朝鮮半島の人たちの礎
上記の大島氏の本によると、1万3千~4千人の朝鮮人が沖縄戦のため半島から連れて来られ、1万1千~2千人が亡くなったという
だが、ここに刻まれている名前はたった500名弱
その理由は推して知るべし

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平和の火
米軍が最初に上陸した沖縄県座間味村の阿嘉島で採取した火、広島の平和の灯(ともしび)、長崎の誓いの火、3つの火を合わせ、1995年6月23日「平和の礎」除幕式典において点火された。

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平和の火を囲む修学旅行の小学生たち
子供たちが真剣に学んでいるのを見るとホッとする

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ギーザパンダ(慶座集落の崖)
平和の火がある広場から見える風景
米軍はあの崖をスーサイドクリフ(自殺の崖)と呼んだ
日本国民は捕虜になるより自決せよと教え込まれていた

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公園内にあるガジュマルの木
遺体の集積場、焼却場があった場所
今でも土の中から銃弾や砲弾の破片が見つかるという

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沖縄県平和祈念資料館
生き残った人々の証言が圧巻!
広島および長崎の原爆資料館とともに生涯一度は訪れておきたい
とりわけ政治家と国家公務員は!

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資料館の展望室から見る景色
77年前にここに地獄が現出した

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平和への道はない
平和が道である
(マハトマ・ガンジー)

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ひめゆりの塔
大島氏によると、目の前にある「優美堂」のサーターアンダーギーは日本一
たしかに外はカリッと中は栗のようにほっこり、豊かな味わいだった

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看護要員として動員されたひめゆり学徒は、軍とともに中部から南部に移動
教師13名、生徒123名が亡くなった
第三外科壕として当てられたこのガマ(鍾乳洞)は最も死者が多かった

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こちらが最初に作られたひめゆりの塔
娘をここで失った金城和信氏が1946年4月5日に建てた

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ひめゆり平和祈念資料館(1989年6月23日設立)
生き残った元ひめゆり学徒たちの手によって設立された。
沖縄陸軍病院(南風原)における生徒たちの必死の救護活動、第三外科壕の模型、亡くなった生徒や教師たち一人一人の名前や写真、生き残った人々の証言など、戦火を生きた少女たちの姿が見え、声が聴こえてくる。
無事に生き残ったことがこれほど彼女たちを苦しめるとは!

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「戦争はいつも身近にあったのに、本当の戦場の姿を私たちは知らなかった」という元ひめゆり学徒の言葉が突き刺さる。本当の戦場の姿を知らぬままに、「天皇陛下、万歳」の軍国少女に仕立てられていったのだ。(資料館の前庭に咲くベンガルヤハズカズラ)

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資料館の中庭
見聞した事柄について、ゆっくり考えたり、気持ちを整理したり、共感して苦しくなってしまった心を和らげたりするのに恰好の場である

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魂魄(こんぱく)の塔
ひめゆりの塔から1.5kmほどの海岸沿いにある
戦後このあたりの至る所に散乱していた遺骨を集め、その上に建てられた。
3万5千人の遺骨が収められているという

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糸満バスターミナルへ向かうバスの中から
この日、沖縄の海は哀しい色をしていた



 

● 天国と地獄

 沖縄3日めは、普天間基地を見に行った。
 オスプレイがカトンボのように並んでいた。
 人間というものは、作ったからには使う機会を作るものだ。
 戦争に勝つための武器から、武器を試すための戦争、武器を売るための戦争を必要とするようになる。
 オス(男の)プレイ(行為)は、そういう倒錯にはまりやすい。

 沖縄最後の夜は、庶民的な飲み屋が軒を連ねる安里に行った。
 ちょうどアメ横の飲み屋横丁のような感じだ。
 狙っていた居酒屋がいっぱいだったので、酔っぱらい浮かれ騒ぐ市場をうろうろしたあげく、海老料理専門店を見つけた。
 メニューのすべてが海老を使っている。
 ソルティのような海老好きにはたまらない店だ。
 海老めしと海老クリームコロッケと海老チンジャを頼んだ。
 海老アレルギーある人には地獄のような店。
 もちろん、海老にとっても。

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● 疲れの正体?

 昨晩はあんなにへたばったのに、今夜は元気もりもりだ。
 今日も一日中、那覇市内外を路線バスやタクシーやレンタサイクルを駆使して飛び回り、3つの戦跡巡りをしたというのに・・・。
 やはり、ウコンが効いたのか?
 
 思うに、「疲れた」は「憑かれた」なのだろう。
 昨日の南部海岸巡りでは、平和祈念公園はじめ、いろいろなところで手を合わせ祈り、沖縄戦を生き残った人たちの証言に耳を傾けているうちに、だんだん心と体が重くなった。
 しまいには、歩くのさえしんどくなった。

 その疲れは、丸一日山歩きしたときの疲れとは、まるっきり違う。
 考えたら、四年前には四国遍路で1400キロ歩き通したソルティである。
 今だって週に3回、500米弱泳いでいる。
 アラ還とはいえ、こんなにいきなり体力が落ちるはずがない! 
 何かを背負って宿に帰ってきたに違いない。
 よく覚えていないが、なんだか重苦しい夢を見た。

 夜通し降り続いた雨は、昼前に上がった。 
 雨が上がると共に体は軽くなり、旅の楽しさが実感されてきた。
 午後は、電動アシスト自転車でスイスイと那覇の海岸沿いを走り抜けた。
 波の上ビーチで潮風に当たったら、すっかりいつもの調子を取り戻した。
 夕食は沖縄家庭料理を堪能した。 


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波と遊ぶ修学旅行の生徒たち



 






● 国際通りの雄叫び

 昨晩から那覇にいる。
 国の旅行支援事業を利用して、3日間の戦跡巡り。
 今日は、平和祈念公園とひめゆりの塔、つまり最も被害の甚大だった南部の海岸沿いを巡った。

 後日、記事にまとめたいと思うが、とにかく身も心も疲れ果てて、今、宿に帰って風呂入って、床に伸びている。
 せっかく1万円分の自由に使える地域クーポンが手元にあって、名店並ぶ国際通りが目の前にあるというのに、外出する気力が湧かない。

 昨晩はワールドカップで日本がドイツに勝ったため、夜1時過ぎまで国際通りの若者たちの雄叫びが轟き渡っていた。
 おそらく夜通しどこかで祝勝会して飲むのだろう。
 ああいう時代も自分にもあったと思うにつけ、加齢を実感する。
 いや、むろん愛国心のことではない。若さのことだ。

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 コンビニで見つけたウコン入り活力剤を試してみた。
 効いてくれるといいのだが・・・。
 さんぴん茶は沖縄名物の一つだが、何のことはない、ジャスミン茶のことである。

 明日はまた重要な戦跡に行く予定。
 夜遊びをあきらめて、大人しく寝ることだ。

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ひめゆり平和祈念資料館の中庭


 

● 本:『運命の人』(山崎豊子著)

2009年文藝春秋
2011年文庫化
全4巻

 映画『ひめゆりの塔』、ドキュメンタリー『沖縄戦』と、このところ沖縄戦がマイブームになっている折、最寄りのブックオフに行ったら店頭ワゴンで一冊105円で売っていた。
 沖縄をテーマとした山崎豊子の最後の完成作である。

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 『暖簾』『ぼんち』『女系家族』『白い巨塔』『沈まぬ太陽』と山崎作品には原作や映画でずいぶん接してきたが、共通して言えることは、実に良く取材していること、骨太で構成がしっかりしていること、そして男を描くのが上手いこと。
 とくに、男を主人公とした『白い巨塔』『沈まぬ太陽』『運命の人』を読むと、よくもまあ女の身で、男の欲望や嫉妬やコンプレックスや孤独が分かるものだなあと感心する。
 男を描いてここまで成功した本邦の女性作家は、紫式部をのぞくと他に見当たらない。
 骨太の構成力という点も合わせて、著者自身かなり男性的な人だったのではなかろうか。

 本作は、1985年8月の日本航空123便墜落事故を描いた『沈まぬ太陽』と同様、「事実を取材し、小説的に構築したフィクション」である。
 1972年の沖縄返還をめぐる日米交渉の中で実際に起こった事件がもとになっている。
 俗に言う、沖縄密約暴露事件あるいは西山事件である。

 沖縄返還協定成立直後の1972年(昭和47)3月末から4月初めにかけて、衆議院予算委員会を舞台に、社会党の横路孝弘代議士ら野党議員が、外務省の極秘電報2通を材料に、沖縄返還交渉をめぐる日米間の密約問題を暴露し、佐藤内閣の責任を追及した。
 これをきっかけに、同年4月4日外務省は、同省の蓮見喜久子事務官が電報の内容を新聞記者に漏らしたという疑いで、同事務官を国家公務員法第100条(秘密を守る義務)違反容疑で告発した。警視庁は、蓮見事務官と、同事務官に秘密漏洩をそそのかした容疑(国家公務員法111条)で毎日新聞社政治部の西山太吉記者を逮捕、起訴した。
(『コトバンク 小学館日本大百科全書』より抜粋)

 当時ソルティは小学生だったので、この事件について知らなかった。
 長じてからも、沖縄密約と言うと在日米軍基地にある核の有無にかかわる問題という認識であった。
 が、当事件で問題となったのは核ではない。
 沖縄返還にあたって地権者に対する土地原状回復費400万ドルをアメリカ政府が支払うことになっていたが、実際には日本政府がその分を肩代わりして、形の上だけアメリカが支払ったように見せかける「密約」をしていたのである。
 毎日新聞記者だった西山太吉は、外務省事務官の蓮見喜久子に近づき男女関係を結んだうえで密約の証拠となる資料を手に入れ、政府の不正をすっぱ抜いた。
 佐藤栄作首相を頭にいだく政府は密約を全面否定し、西山と蓮見を国家機密漏洩のかどで裁判に訴えた。

 結果だけ言えば、西山と蓮見はともに有罪となり、職も家庭も社会的信用も失った。
 どちらも既婚者だったのでW不倫(当時この言葉はなかったが)であり、男女関係をもとに西山が蓮見を「そそのかし」罪を冒させたというストーリーが出来上がって、週刊誌を中心にマスコミを騒がす桃色スキャンダルとなり、二人(とくに西山)は世間の非難を浴びることになった。
 裁判では西山の取材方法が、法にてらして適切か否かが問われた。
 
 結果だけ言えば、密約はあった。
 後年になって、米国側の資料からそれは裏付けられた。
 つまり、密約による国民への背信行為および国民の「知る権利」という重要な問題が、大衆の喜ぶ桃色スキャンダルに覆い隠されていったのである。
 のちにノーベル平和賞をもらうことになる佐藤首相にとって、自らの花道を飾る沖縄返還に関してケチをつけられることは、絶対に許容できなかったのであろう。
 
 もちろん、「事実を小説的に構築して」いる本書に実名は出てこない。
 西山太吉は弓成亮太に、蓮見喜久子は三木昭子に、佐藤首相は佐橋首相に変えられている。
 ほかにも、ナベツネもとい渡邊恒雄、大平正芳、田中角栄、福田赳夫、横路孝弘、後藤田正晴ほか、それと分かる著名人が別名で登場する。
 フィクションとノンフィクションの合い間を狙った小説は、裁判になった三島由紀夫の『宴のあと』に見るように、プライバシー侵害や名誉棄損や営業妨害などの問題が生じやすいので、書くのは難しいと思うが、同じ手法を用いた『沈まぬ太陽』で成功をみている山崎にとって、お手の物だったのだろう。
 言うまでもなく読者にとっては、どこまでが事実でどこからが創作(想像)なのだろう?――という好奇心をくすぐって、面白いことこのうえない。
 地裁から高裁、そして最高裁へと続く“国家権力V.S.ジャーナリズム”の法廷闘争の描写も、被告原告双方をめぐる人間関係の模様とともに関心をそそられる。
 あとがきによると、すでに80歳を超えていた著者は病気をおして執筆していたらしい。
 前作の『沈まぬ太陽』にくらべれば筆力の低下は否めないものの、驚くべきパワーである。
 
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David MarkによるPixabayからの画像

 本書の主人公は弓成(西山)なので、事件は弓成の視点から描かれている。
 弓成は、有能でエネルギッシュで野心あふれる一記者として描かれる。
 政府の隠したがる機密を暴いて時の首相の逆鱗に触れたため、権力を敵に回すことになり、記者生命ばかりか家族をも失うことになった悲劇の人として描かれている。
 特ダネを手に入れるため男女関係を巧みに利用した卑劣な男としてではなく・・・。
 一方、某週刊誌がスクープした30代女性事務官の涙の告白――「私は弓成記者に酔った勢いで体を奪われ、一方的に利用されたあげく捨てられた」――は、現在なら鼻白むところであるが、70年代は十分通用した物語であった。
 男と女の間のことだけに、真相はどこらにあるのか、正直わからない。
 ただ、弓成(西山)が「取材源の秘匿」という記者の使命を守れなかったのは事実であり、一審判決のように秘密書類を持ち出した女性事務官だけが有罪となるのは、心情的に解せないところではある。
 
 社会的破滅に追いやられた弓成が、自死すら考えて沖縄へと渡る最終巻が、この物語の真骨頂であろう。
 弓成はそこで沖縄戦の真実に触れていくことになる。
 住民たちが集団自決した洞窟(読谷村のチビチリガマ)や、爆弾が雨あられと降り注いだ本島南部に足を運び、生き残った人から想像を絶する体験を聞く。
 米軍に集団レイプされた現地の女性から生まれ、父からも母からも捨てられた女性の苦しみに寄り添う。
 米軍統治下において先祖伝来の土地を収用された住民たちの怒りの声に耳を傾け、粘り強い奪還運動のさまを知る。
 また、1995年の3人の米兵による少女暴行事件と怒りの県民大集会、2004年の琉球大学キャンパスへの米軍大型ヘリ墜落事件を、リアルタイムで経験する。
 そこには、米軍そして日本政府から沖縄が被ってきた圧倒的な暴力と冷遇と無視の歴史がある。

 沖縄はつねに本土を守るための犠牲、人身御供になってきた。
 本土の大新聞社のエリート記者としてばりばりと特ダネをものにし、ある意味権力のお膝元で働いてきた弓成は、人生ではじめて挫折し、逃げるように沖縄にわたった。
 そこで現地の人々のあたたかさと美しい自然に触れて心の傷をいやし、沖縄の歴史と沖縄戦の真実を学び、人々の深い悲しみや怒りを知って、「語るべきこと」を見出し再生してゆく。
 これは一人の人間の成長の物語でもある。
 
 日本にある米軍基地の75%が集中している沖縄という島の現状と、そこで日々起きている様々な理不尽の因は、ひとえに戦後の日米間の不平等な関係にある。
 沖縄に犠牲を強いてきた政府もとい本土の人々の冷たさと無関心にある。
 戦後75年経つのに一向に改善できない、どころか緊張高まる東アジア情勢においてますます物騒な様相を呈している。
 沖縄戦で亡くなった20万を超える御魂も浮かばれまい。
 
さとうきび畑



おすすめ度 :★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損





● 喜ばしき降伏:フィルハーモニック・ソサエティ・東京 第10回定期演奏会


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日時 2022年11月6日(日)14:00~
会場 ミューザ川崎 シンフォニーホール
曲目 マーラー:交響曲第3番 ニ短調
指揮 寺岡 清高
メゾソプラノ 中島 郁子
合唱 東京アカデミッシェカペレ
児童合唱 すみだ少年少女合唱団

 前の晩は12時前に床に就いて、たっぷり8時間は寝た。
 9時に朝ごはんを食べて、昼飯は抜いた。
 開演2時間前に最後の水分を取って、開演30分前にトイレを済ませた。
 指定予約した席は1階席の一番前列だった。
 周囲1.5mは空席。
 考えられる限り最高のマーラー第3番を聴く用意が整った。
 これから100分間、待ったなしの一本勝負が始まる。

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ミューザ川崎

 第1楽章が一番の難関。
 長いうえに構成がつかみにくい。
 荒れ狂った波に、右に左に、上に下に、ゆるく激しく、引きずり回される。
 終わったと思ったらまだ続く。
 船酔い寸前!
 最もマーラーらしい、意地悪な楽章と言えなくもない。
 この楽章の狙いは聴衆のぬるま湯的日常を揺さぶり、実存不安に突き落とすことにあるような気さえする。
 寺岡のタクトはきびきびと容赦なく突き進む。

 打って変わって第2楽章は甘ったるさ全開。
 優しいフレグランス満ちるお花畑でしばし夢心地。
 これはもしやケシの花か・・・。

 清新な気が吹き込まれる第3楽章。
 動物たちの躍動と自然讃歌はまるで「ダーウィンが来た!」
 世界は人間なしで完成していた。
 自然も大地も、なんの過不足なく調和していた。
 そこに、唐突に現れるポストホルンの響き。
 人類の登場――。
 生物界にどよめきが走る。

 人間界は深い悲しみと憂いに閉ざされている。
 世界は痛みに覆われている。
 果てしない戦争と自然破壊によって滅ぼされた大地と生き物たち。
 人々の孤独と叶えられなかった祈りが、虚空に残響のようにこだまする。
 第4楽章のメゾソプラノの荘厳な歌唱はあたかも被災地に響く鐘の音のよう。

 天使たちが歌っている。
 天使たちがはしゃいでいる。
 苦しみ多い地上から解き放たれた魂は、永遠を目指して、天使に伴われて飛翔する。
 軽やかに、明るく、屈託なく。
 ちょうど、メフィストフェレスの魔の手から逃れたファウストのように。

 そして・・・第6楽章。
 長い長い歳月を経て、大地は再びよみがえる。
 焦土に降り注ぐ最初の雨。
 廃墟を優しく照らす落日の光。
 大地にあまねく満ちる大宇宙の慈悲が、ふたたび生命の誕生を予感している。
 
地球


 第3番をライブで聴くのはこれが2回目なのだが、ソルティはこの曲の肝をつかんだような気がする。
 第3楽章のポストホルンこそ、全曲の転回点であり、前半と後半をつなぐ要である。
 すなわち、自然界への人類の登場。
 なので、このポストホルンはとっても重要。
 個人的には、傲岸なほどの自信をもってしっかりと吹き鳴らしてほしい。
 (マーラーがどういう指示を出しているかは知らないが・・・)
 何か決定的なことが世界に起きたのだ、もう後戻りはできないのだ、と聴衆に知らしめてほしい。
 その衝撃で、ここまででかなり疲れている聴衆の耳を覚醒させ、集中力を今一度呼び戻し、ドラマチックな後半部に備えさせてほしい。
 声楽が入る第4楽章からは一気呵成に進んでほしい。
 
 第6楽章は、これまで頑張って聴き続けてきたことへのご褒美みたいな感すらある。
 長い紆余曲折があったからこその歓び。
 心も身体もすべて音楽に預けて、喜ばしき降伏の中で感涙に咽ぶのだ。

金山出石寺夕焼け


 マーラー交響曲第3番を、音響のすぐれた立派なホールで、それなりのレベルのオケの生演奏で、庶民価格(1500円)で聴けるという歓びは、なにものにも代えがたい。
 平和と安全と文化的豊かさとが揃わなければ実現しない奇跡である。
 いまの日本に生まれて良かったとつくづく感じる。
 そして、この贅沢な日常ができる限り続くことを祈らざるを得ないし、クラシックを愛する者なら、やはり平和のために何かしなければならないと思うのである。

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終演後、川崎駅前の家系ラーメンでお腹も満たされた
平和ってやっぱり美味しい











 
  
 

● ホモ・ミリターレ 本:『新・戦争論 「世界内戦」の時代』(笠井潔著)

2022年言視舎

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 「考えたくないことは考えない、考えなくてもみんなで頑張ればなんとかなる」という、日本に固有の自己欺瞞的な精神構造を「ニッポン・イデオロギー」と定義し、それが日本社会における「空気」の支配と歴史意識の欠落をもたらしていることを検証した『8・15と3・15 戦後史の死角』(2012年NHK出版)を読んで、ソルティは笠井に大いに共鳴した。
 重要な問題ほど議論を後回しに、決定を先送りにし、いざとなるとその場の空気に引っ張られて成り行き決行するニッポン・イデオロギーは、太平洋戦争(8・15)や福島第一原発臨界事故(3・15)だけでなく、このたびの安倍元首相国葬においても遺憾なく発揮されていた。

 上記書で笠井は、このニッポン・イデオロギーを克服するための処方箋として、「原発拒否」と「親鸞」という2つのキーワードを上げていたが、いまひとつピンと来ないところがあった。
 笠井潔という、たいへんな博識で理論家で鋭い世界認識と深い洞察力をもつ人間が、いったい何を目指しているのか、笠井の政治的立ち位置がどこらにあるのか、よく分からなかった。
 若い頃に学生運動をやっていたことは確かだし、彼の手による『オイディプス症候群』などのミステリーを読めば、いまも左の人・反権力の人であるのは間違いないのだが・・・。

 本書を読んで、やっと笠井の目するところが見えてきた。
 ちょっと驚愕した。
 
 21世紀の今日、アメリカと中国で同時革命が勝利し、樹立された新政府が国際ルールを合意してしまえば、世界はそれに従わざるをえないことになる。ただし、その新権力は、なにもしません。なにもしないことに意味がある。大衆蜂起の自己組織化運動を肯定し、容認しているだけでいい。そして大小無数の自己権力体が下から積み上げられて国の規模まで成長し、あるいは国境を越えて横に連合していく過程で、静かに退場していくこと。なにもしないことを「する」、これが樹立された「革命」政権の仕事ならざる仕事です。

 わたしは全共闘時代にルカーチ主義のコミュニストでした。連合赤軍事件や『収容所群島』の体験からポリシェヴィズムは放棄し、マルクス主義批判に転じましたが、ラディカルであることをやめたつもりはありません。だからリベラリストとは立場が違います。リベラルというのは主権国家、主権権力は否定できないものとして前提にしたうえで、そこから自由の領域を少しずつ拡大していこうという立場です。・・・・・(略)
 ラディカリストが求めるのはリベラル、リバティとしての自由ではなくフリーダムです。日本語にしてしまうと同じ「自由」ですが、リバティとフリーダムの違いについてはハンナ・アレントが『革命論』で論じています。どう違うかというと、フリーダムは権力と関係がないのです。権力に関係した、権力からの相対的な自由ではなく、権力とは無関係である自由、いわば絶対的自由です。

 主権国家・主権権力を否定し絶対的自由の獲得を目指すというと、反国家主義・反近代主義の無政府主義者のように思えるが、このへんの正確な定義はソルティにはわからない。
 笠井が最終的に目しているのは「世界国家なき世界社会」というもので、それを実現する手段は、「自治・自律・自己権力を有する無数の集団を下から組織し、近代的な主権国家を解体していくこと」だという。
 う~ん。ソルティの貧困な想像力では今ひとつイメージが結ばれない。
 ともあれ、ここまでラディカルな人だとは思わなかった!
 もはや社会主義者・共産主義者という枠組みにすらはまらない。

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 本書は、『自閉症裁判』『ルポ 認知症ケア最前線』『評伝 島成郎』などの著作をもち、『飢餓陣営』という批評誌を発行している佐藤幹夫の問いかけに対して笠井が答えるという形式をとっている。
 語り言葉なので読みやすい。
 一番の特色は、「戦争論」と冠しているように、近代以降の戦争の特質の変容についての笠井の解釈が呈示されていることである。
 近代以降の戦争を、19世紀の国民戦争(植民地をめぐる列強同士の戦争)⇒20世紀の世界戦争(第1次、第2次世界大戦~冷戦)⇒21世紀の世界内戦(湾岸戦争~アメリカ同時多発テロ~現在)という3つの時代区分でとらえ、それぞれの特徴を世界情勢と絡めてわかりやすく説明している。
  • 国際法というルールの下で“紳士的”に行われた国民戦争は、日露戦争を最後に途絶えたこと。
  • 世界戦争とは、国家間の争いを終結してくれる強い力を持つ“メタ国家”を抽出するための、国家総動員体制による勝ち抜き戦であったこと。
  • その勝者となったアメリカの覇権と核の平和によって一時は「歴史の終わり」が宣言されたものの、2001年9月11日の同時多発テロを契機にアメリカもまた世界国家(世界警察)としての地位から転落したこと。
  • 世界はいまや複数の国家や武装ボランティア組織や民間軍事組織などが入り混じる、大義もルールもない修羅場と化し、いわば世界内戦の状態にあること。
  • また、近代的な福祉国家というものが、国家総動員を旨とする世界戦争の国内体制として必然的に生じたこと。
  • それが世界内戦時代への移行によって「自国ファースト」の新自由主義に取ってかわり、福祉政策の縮小や排外主義や格差社会をもたらしたこと。
  • 秋葉原事件の加藤智大、やまゆり園事件の植松聖など、いわゆる“中流”の没落によって疎外された者の暴力はこうした文脈でとらえることができること。
 まさに戦争こそが人間社会を駆動する力学であり、人間社会の質を定めていく主要モチーフであることがまざまざと解き明かされていく。
 人類はホモ・サピエンスならぬ、ホモ・ミリターレ(homo militare たたかうヒト)なのだ。

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剣の騎士

 次に、こういった世界情勢の変貌のもと、日本はどんな立場に置かれてきたかが概観される。
 鎖国で近代化の遅れた日本は、明治維新後、懸命に近代化をはかり、列強の仲間入りを果たそうとした。
 その成果が、不平等条約の改正と、国民戦争の形式で行われた最後の戦いである日露戦争の勝利であった。
 その後、世界戦争で敗北し、憲法9条と日米安保で縛られる“アメリカの犬”となった。
 アメリカの傘の下、奇跡的な復興を果たし、戦後70年以上続いた平和と経済的発展を謳歌した。
 その歴史上稀なるお花畑的安寧も、バブル崩壊と世界王者アメリカの権威失墜と世界内戦の始まりによって風前の灯火となっている。
 北朝鮮の挑発やロシアのウクライナ侵攻や中国の脅威を前に、天皇と日米安保と平和憲法と沖縄問題の四すくみで動きが取れなくなっている。
 その根本的な原因は、日本の「不徹底な敗戦」にある。必要なのは「本土決戦」のやり直しだ、というのが笠井の説である。

 日本の「68年」世代がドイツの同世代と違ったのは、親たちの思想的不徹底性と退廃がさらに痛切に感じられた点でした。なにしろ本土決戦さえやらないで、天皇を担いで一目散に逃げだしたわけだから。親たちの世代が自己保身から不徹底な「終戦」に逃げ込み、悪かったのは軍閥や戦争指導部で、自分たち一般国民は軍国主義と侵略戦争の被害者だと居直っている。その結果の平和で豊かな戦後民主主義社会には、その根本のところで倫理的な欠落や空白があって、そのため自分たちは生の不全感を抱え込んで苦しんでいる。この空虚感を埋めて本当に生きるためには、親世代が自己保身的に放棄した本土決戦を再開し、最後までやりぬくことだ・・・・・。

 ここまで率直に内面を開示してくれた全共闘世代の発言を見るのは初めてかもしれない。
 むろん、すべての全共闘世代の思いを代弁するものではなかろうが、彼らの親世代に対する不信感の根底にはこのような感情があったのかと、腑に落ちるものがあった。
 しかし、今の時代にやり直せる「本土決戦」とは何なのか。
 それに対する笠井の答えが面白い。
 「移民を無制限に受け入れること」である。

 そうなると市民社会のいたるところで、隣近所レヴェルでも言葉の通じない外国人と否応なく付き合わなければならなくなる。ごみの捨て方を教えるというレヴェルから始めて、さまざまなコミュニケーションの努力が求められることでしょう。・・・(略)・・・国家の統治形態でない本物の民主主義は、さまざまな国や地域から吹き寄せられてきた、難民のような人々が否応なく共同で生活する場所、先住民と移民とが雑居していたニューイングランドや、カリブ海の海賊共同体のような場所で生まれます。(ゴチはソルティ付す)

 つまるところ、笠井の言う「本土決戦」の先にある徹底的な敗戦とは、ニッポン・イデオロギーや天皇制のような“国体”を棄却して、他者との共生から生まれる新たな共同体、本物の民主主義を生み出すためのガラガラポンなのだろう。
 せっかくの無条件降伏によって日本は(ドイツのように)生まれ変わる機会を得たのに、GHQの戦略による中途半端な占領政策=敗戦処理によってその機を逸してしまった、ということだ。
 笠井のこの見解が的を射ているものなのかどうか、ソルティには判断できない。
 広島や長崎への原爆投下ほどの決定的な本土決戦=敗北があるのか、という異論も出てこよう。
 もし、1945年に皇統が絶たれ天皇制が廃止されていたら、何か大きな変容が日本人に訪れていただろうか?(安保闘争以上に、天皇制復活運動が盛り上がったのではあるまいか)

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教皇

 本書の発行は2022年9月30日だが、佐藤による笠井へのインタビューは2020年9月と2022年6月の2回に分かれている。
 ロシアによるウクライナ侵攻という異常事態の発生を機に、2回目のインタビューが持たれた。
 第3章では、世界内戦時代を背景とするロシア×ウクライナ戦争について論じられている。
 ここでも国民戦争⇒世界戦争⇒世界内戦の流れの中でロシア=ソ連がどのような立場にあったかが検証されるとともに、ロシアの核使用の現実性やメディア戦略を組み入れたハイブリッド戦争の様相が語られる。
 アメリカやNATO諸国が唱える「武力による現状変更は許さない」という一見“正義の味方”的言説が、実質的には既得権を持つ国家の権益維持であるがゆえ、既得権を持たぬ国々に対しては何ら説得力を持たず、戦争の抑止にはつながらないというのはもっともなところ。

 本書を手に取ったのは、国防について考えるための『蒙古襲来』『新・国防論』に続く教材第3弾としてであった。
 早くも第3弾において、ソルティは自らの限られた視野と思考の壁を思い知った。
 なぜなら、本書は戦争論は語っていても国防は語っていないからである。
 日本という主権国家をあくまでも守らなければならないというのが国防論であるなら、主権国家の否定すら射程に入れる本書は国防論ではない。
 そう、何のための国防なのかという視点がそもそもソルティには欠けていた。
 領土や国体やニッポン・イデオロギーを守るための防衛なのか。
 それとも市民――行政機構として国の下に置かれる「市」の民という意味ではなく、自己決定権を持った自立した自由な個人という意味での市民――を守るための防衛なのか。
 
 国家を守るための国防軍か、市民を守るための市民軍か。この選択を正面から提起しなければならない。市民軍の本格的な組織化に向けて構想を練る必要があります。個人や家族、自立的な民間組織を基礎的な戦闘単位として位置づけるとか、それを自治体ごとに集約するとか。絶対主義の常備軍以来の中央集権的な軍隊に対する、分散的に自由に運動する小規模な戦闘単位が、必要な場合は集結して戦えるような下からの組織。反復訓練によって、規範を内面化し身体化する規律訓練システムは、軍隊からはじまって監獄や病院から学校や工場にまで広まったわけですが、それとはまったく異なる分子的な戦闘主体を産出しなければならない。
 自衛隊の国軍化に9条平和主義を対置するのではなく、現代的な戦争機械として市民軍の組織化を対置すべきです。

 人民の権力は憲法という紙切れの中にあるのではない、議会という閉じられた特権的な場所にあるわけでもない。人民の権力は街頭から生じる。蜂起する大衆の意志こそが人民主権の実質をなしている。

 笠井潔は本気である。
 青雲の志をかくも失っていない男も珍しい。
 「凄いな」と思う一方、連合赤軍や革マル派の残党と同じく、見果てぬ夢を追い続けている少年革命家(ゆたぼん?)という印象を拭うこともできない。
 笠井の目する世界の実現を信じるには、ソルティはあまりに性善説からほど遠い。
 もっとも、ソルティがたまに夢想するアーサー・C・クラーク的世界平和プロセス――圧倒的な力を持つ宇宙人が飛来し、地上の独裁者や核を一瞬のうちに消滅させ、既存の国家機構や差別的な制度を取っ払って、地上に平和をもたらしてくれる――にくらべれば現実性があるけれど。

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愚者
 



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