ソルティはかた、かく語りき

東京近郊に住まうオス猫である。 半世紀以上生き延びて、もはやバケ猫化しているとの噂あり。 本を読んで、映画を観て、音楽を聴いて、芝居や落語に興じ、 旅に出て、山に登って、仏教を学んで瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

反戦・脱原発

● 18切符で巡る、2023みちのくの夏(仙台編)

 8月26日は、加藤哲夫さんの13回忌だった。
 25と26の両日、仙台で『市民と社会のこれからを考える2Days「私たちはどう生きるか?~加藤哲夫さんの宿題を考える~」』が有志の呼びかけにより開催された。
 
 加藤哲夫さんは、仙台の街中で自然食品店&出版社『ぐりん・ぴいす&カタツムリ社』を経営しながら、反戦、脱原発、環境問題、ディープエコロジー、精神世界、HIV問題、市民活動支援(NPO)など実に幅広い分野の活動を展開した。
 とりわけ、市民活動支援セクターである「せんだい・みやぎNPOセンター」の設立に関り、全国を飛び回って行政や民間相手の研修講師を務め、一時は“NPO四天王”などと呼ばれるほどだった。(あとの3人が誰かは覚えていない)
 頭が切れ、弁が立ち、快活で、稀代のネットワーカーで、日本酒とアロマオイルと夏目雅子が好きで、人の悲しみをよく知る人だった。
 
 30代を仙台で過ごしたソルティは、HIV感染者支援の活動を通じて加藤哲夫さんと知り合い、以後、公私にわたりたいへん世話になり、多くのことを学んだ。
 加藤哲夫さんの活動や思いを振り返り、旧知の人々と再会し、還暦以降の生き方の指針が得られたらと思い、参加した。
 ついでに、ずっと乗りたかったJR五能線、ずっと歩いてみたかった奥入瀬渓流にも足を延ばし、全5日間のみちのく一人旅を決行した。
 旅のお伴は、青春18切符とJR時刻表と本3冊である。

DSCN6244
JR時刻表
ページをめくって列車の連絡を調べるのが旅の醍醐味
スマホは持って行かなかった

8月25日(金)、26日(土)晴れ

 仙台も関東に負けず劣らず暑かった!
 陽の当たる通りを歩いているだけで汗だくになった。
 ただ、東北本線の白河駅を越えたあたりで空気が変わったのを感じた。
 首都圏の濃厚とんこつスープの中に浸かっているようなギトギトの暑さとは違い、昭和の夏のジリジリした炎天下の暑さがあった。

 X君と仙台フォーラス前で待ち合わせ。
 国分町にある有名な牛タン専門店『太助』に行った。
 X君は、以前記事に書いた2年間ムショ暮らししていた旧友である。
 昨年9月に務めを終え円満退所(?)し、娑婆に戻って約1年。
 強制ダイエットされた体ももとに戻り、肉付きも顔色もよく、五十路越えとは思えない黒々した髪もふさふさとし、精神的な脆さは見られるものの、とりあえず元気そうであった。
 地域のNPOの支援を受けながら職業訓練所に通っていると言う。
 共通の友人を通じてたまに彼の動向は聞いていたものの、実際にこうして会って話すのは、東日本大震災のあった年の夏が最後だったと思う。
 海辺の町に住んでいたX君の被災見舞いだった。
 12年ぶりの再会。
 しかし、そんなに久しぶりの感がない。
 観光客で混みあう『太助』のカウンターで、すぐにムショ暮らしの苦労を包み隠さず滔々と語り始める主役感。(ツイッターへの投稿がもとで、某ビジネス雑誌のインタビューを受け、「中高年の貧困と孤独」と題する記事にもなった)
 そこが約30年前に仙台のゲイコミュニティで最初に出会ったときから変わらぬX君の持ち味なのだった。転んでもただでは起きない。
 炭火で焼く牛タンの旨さを堪能したあと、場所を移した。
 印象に残った話をあげる。(注意:尾籠なものもあります)
  • ムショでは起床時にビリー・ジョエルの『HONESTY(誠実、正直)』が流れていた。いまもこの曲を聴くとトラウマが蘇る。
  • ムショでは「ピンク」がもっとも軽蔑され、仲間内のランクが下だった。「ピンク」とは性犯罪者のことである。(特に小児性犯罪者は他の受刑者から蛇蝎のごとく嫌われると聞いたことがある)
  • トイレ付きの8畳くらいの部屋に3人で入っていた。トイレは一応仕切りがあったが、隠されているのは下半身だけで、上半身は廊下から見えるよう透明仕切りになっていた。
  • イケメンが全然いなくて残念だった。(何を期待しているんだか・・・)
  • 所内のカラオケ大会で尾崎紀世彦の『また逢う日まで』を歌って準優勝した。
  • ひと月に一度「アイスの日」というのがあり、それが一番の楽しみだった。
  • 雑居房ではオ×ニーをしなかった。他の男たちもしていなかった。当然、屈強な牢名主に“掘られる”ようなこともなかった。(互いにBLメディアの見過ぎ)
  • 娑婆を出た日にNPOにつながって、生活保護の申請やアパートを借りる手続きを手伝ってもらった。それがなければ、更生保護施設に行くほかなかった。
 織田信長が「人生50年」と言った時から500年以上経ち、今や「人生100年」の時代である。
 50歳なんて、ようやっと折り返し地点。
 とりあえず生きていてほしい。
 また逢う日まで。
 
DSCN6460
仙台駅の伊達政宗騎馬像
なんであまり人の来ない3Fに移したんだろう?

 夕方より、「2DAYS加藤哲夫さんの会」に参加。
 会場は広瀬通りに面した仙台市市民活動サポートセンター。(錦町にあった昔のサポートセンターに間違って行ってしまい、15分ほど探し回った)

プログラム

〇セッション1 (8/25 18:30~21:00)
「2011年の覚醒はどこへ~東日本大震災で社会は変わったのか」
進行:渡邉一馬(せんだい・みやぎNPOセンター)
ゲスト:
 高橋敏彦(前北上市長)
 高橋由佳(イシノマキ・ファーム)
 高橋美加子(北洋舎クリーニング)
コメンテーター:菅野拓(大阪公立大学)

〇セッション2 (8/26 9:30~12:00)
「加藤哲夫とNPO~市民、自治、民主主義」
進行:赤澤清孝(大谷大学)
ゲスト:
 川崎あや(元アリスセンター事務局長)
 福井大輔(未来企画)
 青木ユカリ(せんだい・みやぎNPOセンター)
コメンテーター:川中大輔(シチズンシップ共育企画)

〇セッション3 (8/26 13:30~16:00)
「これからの『市民の仕事』~加藤哲夫の宿題」
進行:田村太郎(ダイバーシティ研究所)
ゲスト:
 白川由利枝(地域創造基金さなぶり)
 葛巻徹(みちのく復興・地域デザインセンター)
 前野久美子(book cafe火星の庭)
コメンテーター:長谷川公一(尚絅学院大)

 70名くらい入る会場には、加藤哲夫さんと親交のあった様々な分野の人々が集まって、活況を呈していた。
 登壇者にも、客席にも、古くからの顔見知りがチラホラいて、ゆっくりと語る時間こそ持てなかったものの、元気に活動している姿が伺えてパワーをもらった。
 2日間のセッションの中で、印象に残った言葉。(主観的変換あり)
  • 人生は後付けである。
  • 男は構造をつくりたがる。できあがった構造の中で、当初現場にあった覚醒や思いが薄れていく。
  • 優しい人たちのつくる、文句のつけようのない優しい制度の中に空白が生じ、そこに落ち込んで苦しんでいる人がいる。
  • ひとりひとりの人格ではなく、システムが人を殺す。
  • SNSに象徴されるように、今の社会は人と人とを分断する方向に進んでいる。
  • 社会のアプリケーションでなく、OSを変えることが重要。
  • 本来なら、国や行政が立法化するなどして仕組みを変えなければならないことを、仕組みを変えないままにNPOが安く下請けする、ニッチ産業のような構造ができてしまっている。そこに共助という落とし穴がある。
 加藤哲夫さんがその八面六臂の素晴らしい活動において最重要に位置付けていた思いは、「人を殺すシステムを変えること」であった。
 薬害エイズ事件にみるように、組織(当時の厚生省)に属する一人一人は巨悪でも悪魔でもない、普通の感覚を持った一市民にすぎない。
 それが歪な風通しの悪い組織の中で、自らを殺して組織のために働くことで、結果的にシステムとして人を殺すことに荷担してしまうのである。
 だから、中にいる人を変えたところでシステムがそのままであれば、同じことが繰り返される。
 誤ったシステムを変えなければならない。
 ソルティもまた、生前の加藤哲夫さんの口から同じような言葉を幾度も聴いた。
 加藤哲夫さんにとって、誤ったシステムによって起こる最大最悪の産物は「戦争」であった。
 天皇を神とする大日本帝国というシステムの中で、男たちは人殺しに駆り出されていったのだ。 

DSCN6230
加藤哲夫さん
 
 システムを変えるためには、まず、人はシステムの歪さに気づく目を持たなければならない。 
 システムの中で苦しんでいる弱者の声に耳を傾けなければならない。
 それから、“空気を読まず”に口に出して、それを変える行動を起こすための勇気を持たなければならない。
 すると、仲間が見つかる。
 
 薬害エイズ事件の頃、カレル・ヴァン・ウォルフレン著の『人間を幸福にしない日本というシステム』という本が流行った。
 あれから四半世紀が経って、いまだに「人間を幸福にしない日本というシステム」は、拘束服のように我々を縛り続けている。

 2日間のセッションを終えて、盛岡に向かう列車に飛び乗った。
 車窓に広がる東北ならではの稲穂の波を見送りながら、システムに捕らわれることなくその表層を飄々とした風情で飛び回った、あるいはカタツムリのようにのそのそと忍耐強く這い進んでいた、加藤哲夫さんの笑顔を思い出した。

DSCN6232

加藤哲夫かたつむり


 




● 関東大震災朝鮮人・中国人虐殺100年犠牲者追悼大会


IMG_20230831_175405~2

日時 2023年8月31日(木)18:15~
会場 文京シビック大ホール(東京都文京区)

 高麗博物館で開催中の特別展『関東大震災100年 隠蔽された朝鮮人虐殺』を見に行き、四谷区民ホールでの講演会『関東大震災から100年の今を問う』を聴きに行き、ついに犠牲者追悼会に参加する運びとなった。

 思えば、渡辺延志著『関東大震災「虐殺否定」の真相』(2021年ちくま新書)を読んでからというもの、ここ2年ばかり、このテーマを追ってきた。
 やはり関東大震災時に千葉県福田村で起きた、香川の被差別部落から来た行商一行虐殺事件とともに。(こちらは現在、森達也監督の映画『福田村事件』上映中である)
 本を読んで、現地に行って、絵巻を見て、講演を聴いて、虐殺事件のあらましは頭に入ったけれど、知識を身につけるだけでは意味がない。
 亡くなった人たちを追悼するとともに、このような残虐な事件が起こった原因を探り、同じようなことが二度と起こらないようにするという決意がなければ、知識にはなんの価値もない。
 そう思って、満月の夜の集会に参加した。

 シビックホールは後楽園ドームの近くにあり、大ホールの席数は1800あまり。
 ざっと見たところ、1200~1300人くらいの参加があった。
 長らく地域で犠牲者追悼の活動をしてきた人、最近知って興味を抱いた人、共産党や社民党の政治家たち・・・・100年経った今も、この問題に関心を持つ人がこんなにたくさんいるという事実に、なにか心強いものを感じた。

 舞台の上も、客席も、非常に熱い感情に満ちていた。
 それは、虐殺された朝鮮人・中国人犠牲者の遺族(孫など)による怒りと慟哭と告発の叫びであり、その叫びを言葉の壁を越えて受け止めた日本人参加者たちの恥と共感の波であり、ヘイトスピーチやネット上のコメントに見るようにいまなお続く在日朝鮮人・中国人への差別や恫喝に対する当事者の怯えと救いを求める声であり、なにより、虐殺事件をあたかもなかったことのように扱おうとする昨今の日本政府や東京都に対する全会場の怒りと闘いへの連帯意志であった。
 義憤にかられ声を上げる日本人同志がこれだけいることに感動した。
 と同時に、100年経ってもこれだけの抗議集会を開催せざるを得なくしてしまった日本という国の厚顔無恥ぶりに暗澹たる思いを持った。
 1923年9月初めに数千人規模の虐殺があったのは事実であり、その虐殺を政府が扇動したのも事実である。公式な記録に残っている。
 事実を事実として認め、反省や謝罪や償いができない国家が、他国から尊敬を受けられるべくもない。
 国民同士の信頼に基づいた国家間の友好関係を築けるはずもない。
 安部元首相が語った「世界に誇れる美しい国、日本」の内実とは、こんなものなのである。

IMG_20230831_204418~2
李政美氏と紫金草合唱団のみなさん
 
 プログラムには、在日韓国人3世のピアニストである崔善愛(チェ・ソンエ)氏によるショパンの『革命』と『別れの歌』、アリランの演奏があった。
 また、やはり在日韓国人2世の歌手である李政美(イ・ジョンミ)氏と紫金草合唱団による関東大震災時の虐殺をテーマにした歌曲なども披露された。
 魂のこもった演奏や歌声は、人種や国籍や言葉の壁を超える力がある。
 「我々は同じ人間なのだ」と、あたりまえの原点に立ち返らせてくれる。

 本集会実行委員会の共同代表をつとめた田中宏氏(一橋大学名誉教授)の発言にあったのだが、関東大震災のあと、東京帝国大学に学ぶ朝鮮人留学生は『帝国大学新聞』にこう寄稿したという。
 「日本の教育は、人間となるよりもまづ国民になれと云ふ。・・・朝鮮人を殺すことを以て、日本国家に対する大いなる功績と思って居たやうに見える」

 人間たることを止めたとき、人は狼にも鬼にもなりうるのだ。

wolf-7105073_1280
Peace,love,happinessによるPixabayからの画像



 

● 戦犯作家と呼ばれて 本:『革命前後』(火野葦平著)

1960年中央公論社
2014年社会批評社

革命前後

 本書の刊行は、1960年1月30日、火野葦平はその一週間前の1月23日に服薬自殺した。
 本書は火野の遺作であると同時に、遺書と言っていい。
 というのも、戦時中『土と兵隊』『麦と兵隊』などの従軍記を書き“兵隊作家”として持て囃され、自ら進んで戦意高揚に協力した火野が、戦後15年経って“戦犯作家”としての自らの戦争責任について内省し総括しているからである。
 自死の理由ははっきりしていないのだが、少なくとも、本書を書き終えた後、火野の中で何か吹っ切れるものがあったのは間違いあるまい。

 本書は、1945年7月中旬から1947年5月までの火野の身辺雑記あるいは私小説である。
 この間に、B29による度重なる本土爆撃があり、不可侵条約を破ったソ連の満州侵攻があり、広島と長崎への原爆投下があり、玉音放送があり、ポツダム宣言受諾があり、GHQの占領があり、獄中にいた共産党員の釈放があり、パンパンや闇商売の横行があり、戦犯追及の嵐があり、天皇の人間宣言があった。
 タイトルにある「革命」とはまさに1945年8月15日のことで、この日を境に、火野の周囲がどのように変わっていったかが生々しく描かれている。
 “革命”前の火野は、故郷九州の博多で西部軍報道部に所属し、地域の戦意高揚のため、軍人や文化人らとともに、軍が徴用したホテルに泊まり込んで軍務に従事していた。
 軍国主義下の日本で、「お国の為」に生きていた。
 “革命”後の火野は、文芸復興を期して九州文学という出版社を仲間と立ち上げるとともに、博多の焼け跡を利用した食べ物屋街「太平街」の設立に関わった。(いずれも頓挫した)
 焼け跡が広がり物資のない日本で、自責の念から筆を折った自分がこれからどうやって生きていくか、模索していた。

 遺書と言うと重苦しい印象を受けるかもしれないが、革命前後の疾風怒濤の日々の記録はドラマチックで、ドキュメンタリー風の面白さがあり、その中にも鋭い社会風刺や人間観察が顔をのぞかせ、やはり人気作家にして芥川賞作家だなあと感心した。
 背水の陣をとうに越えた日本存亡の危機だからこそ、あるいは価値観が180度引っくり返った混乱期だからこそ、人間の本性が暴かれる。
 報道部の同僚、火野の家族、親戚、友人、文芸仲間、闇商売の相手、復員してきた兵隊、巷の庶民等々、さまざまな立場の人々のさまざまな振る舞いが描き出されていて、一種の「人間喜劇」の様相を呈している。
 九州のみならず、日本中で同様なことが起きていたのだ。
 そして、自らもまた喜劇の登場人物とみなし、客観的におのれの愚かさと滑稽さを見つめようとする火野の目は、あやまたず作家のそれである。
 九州革命――米軍の本土上陸前に九州を独立させ革命政府を作り、九州独自で米軍と闘おう――なんて本気で考えていた人がいたとは驚きであった。
 また、ポツダム宣言受諾の数日後には、連合国の国旗を掲げる日本人の変わり身の早さも興味深い。
 敗戦で自決した者をのぞいて、「日本人総パンパン化」みたいな米軍忖度ぶり・・・。

桜と川面

 さて、火野は自らの戦争責任をどう総括したか。
 戦時中の火野の活動について調査するために訪ねて来たGHQのCIC(民間情報局)ケインジャー大尉に向かって、火野はこう語る。

 私は太平洋戦争が侵略戦争なのかどうか、よくわからないのです。少なくとも、戦っている間は、一度もそう考えたことはありませんでした。祖国が負けては大変だという一念があったばかりで、私などがいくら力んでみてもなんにもならなかったのですけれど、ともかく全身全力をあげて、祖国の勝利のために挺身しました。米英撃滅をモットーにして戦争に協力しました。私には老いた両親があり、妻と三人の子供があることはさきほど申し上げましたが、私は祖国の勝利のためには命をすててもかまわない覚悟でいました。それというのもただ日本が負けては大変だという一途の気持だけです。私とともに戦線を馳駆した兵隊たちの多くもその気持であったと信じます。けれども負けてしまうと、日本は侵略戦争に狂奔したということになり、軍閥の姿が大きく表面に出て来て、実のところ、茫然として居ります次第です。

 恐らく私がお人よしの馬鹿だったのでしょう。軍閥の魂胆や野望などを看破する眼力がなく、自己陶酔におちいっていて、墓穴を掘ったのでしょう。しかし、私は私なりに戦争に協力したことを後悔しません。敗北したことは残念でありますが、私の気持は勝敗にかかわらず今も変わっておりません。

 これが本心なのだろう。
 「国のため」「天皇陛下のため」という絶対的な価値が火野のアイデンティティの核を成していたのである。
 子供の頃からそういったしつけや教育を受け続け、社会全体がその観念を共有しているのであれば、そこから脱して体制に疑問を持ったり、別の視点を持つのは難しかろう。
 それは、戦後生まれのソルティが、「民主主義」「基本的人権の尊重」を当たり前とし、疑問を抱かないのと同様である。
 国家は国民に奉仕するもの、「国<人民」とソルティは思っているが、“革命前”の普通は、「国>人民」だったのである。
 いまでも、祖国あっての人民、祖国あっての百姓、祖国あっての水田、祖国あっての自分・・・すべてのものの上に「国」が来るという観念は、保守右翼が好むところであるが・・・。
 
 また、火野の場合、独自の美意識を持っていた。

 英雄となるか、ピエロとなるか。それはしたりげな後世の歴史家がアヤフヤなレッテルを貼るにすぎないのであって、瞬間に昂揚される人間の火花の美しさこそ、英雄の崇高さというものだろう。(ソルティ、ゴチ付す)

 一瞬一瞬の正直な実感こそが、人間の行動の中で信じ得られる唯一のものではあるまいか。真実には盲目であり、虚妄に向かって感動したとしても、それは尊ばるべきではあるまいか。滑稽と暗愚の中にこそ、人間がいるのではないか。戦争も、国家も、歴史も、なにがなにやらわからない。革命の名の下に大混乱がおこっているが、その中で信じられるのは人間の、自分の、自分一人の実感だけだ。

 換言すれば、人間にとって大切なのは、目的や結果の良し悪しではなく、瞬間瞬間の行為における誠実さや真剣さや熱意である、ということだろう。
 そのような視点に立てば、たとえばゼロ戦による自爆攻撃も美化され、称讃されるべきものになる。
 なんとなく、これは『葉隠れ』的な、晩年の三島由紀夫的な、つまり武士道につながる美意識のような気がする。
 本書を読んでいても、火野葦平という男の“もののふ”っぷりが感得される。
 生粋の九州男児で、父親は仲仕玉井組の親方であったという出自からは、相当の硬派(マッチョ)であったことが伺えよう。
 自らが信じるところに、結果を顧みずに自己投棄する。
 それを「美しい」「雄々しい」と言っていいのかどうか、ソルティにはよく分からない。(そういう機会に巡り合わなかったゆえに、この歳までおめおめと生きてこられたのだろう)

 最後に――。
 火野葦平は、『土と兵隊』で描かれている最初の従軍(杭州敵前上陸)の際、続けて南京入城を果たしている。
 すなわち、1937年(昭和12年)12月13日のいわゆる南京虐殺事件に居合わせたことになる。
 が、『土と兵隊』には当然ながらその記述はない。
 戦後、他の作品に書いたという話も聞かない。
 謎だ・・・・。

tragedy-2039486_1280
国明 李によるPixabayからの画像




おすすめ度 :★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損







● 映画:『野火』(市川崑監督)

1959年大映
105分、白黒
脚本 和田夏十
音楽 芥川也寸志

 大岡昇平の原作を読んだのは高校生の時。
 テーマを受け止めるには重すぎた。
 カニバリズム(食人)の衝撃だけがあとに残った。
 読後まもなく、佐川一政のパリ人肉事件(1981年)が起こった。
 実際にそういうことがあるのだとびっくりした。
 佐川の場合、飢えからでなく、性愛からの行為だったと記憶する。
 猟奇殺人として世間を騒がした。

 市川の映画で描かれるのは、カニバリズムの猟奇性より、恐怖と飢えという極限状態に置かれた人間のありさまである。
 太平洋戦争末期のフィリピンのレイテ島で、米軍に敗れ、ジャングルの中をばらばらになって遁走する日本兵たち。
 米軍の爆撃や銃弾も怖い。米軍に協力する現地住民の反乱も怖い。
 鬱陶しい雨季のジャングルも、ぬかるみもしんどい。
 しかし、一番の問題は飢えである。
 芋が尽き、塩が尽き、ヒルや草を食べる日々。
 極度の空腹から幻覚を見る兵士。
 力尽きて倒れる兵士。
 主人公である田村(船越英二)も米軍への投降を考える。
 そんななかで出会った永松(ミッキー・カーチス)と安田(滝沢修)は、猿を撃ち殺して、その肉を食べているという。

 ほとんどが野外ロケである。
 ボロ靴のごとく草臥れた敗残兵たちの恰好や爆撃シーンなど、迫力あるリアルな映像は、さすが大映、さすが市川崑。
 某大河ドラマとはレベルが違う。
 CGでは出せない即物性がある。
 芥川也寸志の音楽もよい。
 芥川はマーラーの影響をかなり受けているように思う。
 マーラー風の不安と狂気を映像に結びつけている。 

 船越英二は、どの映画出演作でもあまり強い印象を与えない役者であるが、この一作は素晴らしい。
 どことなくハーフめいた彫りの深い顔立ちと恬淡として虚ろな眼差しが、牧師のように世俗離れした雰囲気を醸して、むごい運命に流され、周囲の欲深な兵隊たちに馬鹿にされる、受動的な兵士像を造り出している。
 この役者の生涯の一本と言っていいだろう。(水谷豊主演『熱中時代』の校長先生も捨てがたいが・・・)
 海千山千のあこぎな上官下官コンビを演じる滝沢修とミッキー・カーチスも素晴らしい。
 ミッキー・カーチスが上官の滝沢を撃ち殺して、その肉にしゃぶりつくシーンは実にグロテスクで、貴志祐介の『クリムゾンの迷宮』を想起した。
 ここはカラーでなく白黒映画で良かったと思った。

野火 (2)
左から2人措いて、3人目が船越英二、滝沢修、ミッキー・カーチス

 食人と言えば、スターリン時代のウクライナで大飢饉が起こり、数百万人が亡くなった。
 飢えに苦しむ人々は、鳥や家畜や雑草はもちろん、病死した馬や人の死体を掘り起こして食べたり、時には、我が子の一人を殺して他の家族に食べさせることもあったと言う。
 なんともひどいのは、この飢饉がソ連政府による人為的かつ計画的なものであった可能性が示唆されていることだ。
 ナチスによるユダヤ人大虐殺であるホロコーストに倣って、ホロドモールと呼ばれている。
 ウクライナとロシアの間には深い因縁があるのだ。




おすすめ度 :★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
★     読み損、観て損、聴き損


● 兵隊作家と呼ばれて 本:『土と兵隊』、『麦と兵隊』(火野葦平著)

1938年改造社より発表
1953年新潮文庫

 火野葦平(1907-1960)は読んだことがなかった。
 どういう人で、どういう文学的または社会的評価を受けていたかも、よく知らなかった。
 興味をもったのは、NHKで4月3日に放送された『映像の世紀 バタフライ・エフェクト~戦争の中の芸術家』を観たからである。
 番組では、ナチスドイツ時代を生きた指揮者フルトヴェングラー、スターリン独裁下のソ連を生きた作曲家ショスタコーヴィチ、そして日中戦争に従軍し“兵隊作家”としてマスコミの寵児となった火野葦平の3人が取り上げられていた。
 つまり、芸術家の戦争責任がテーマだった。

 火野は、戦後になってから“戦犯作家”として批判を浴びた。
 自らの戦争責任に言及した『革命前後』という本を書いた後、睡眠薬を飲んで自殺した。

 いったい、火野はなぜ自ら進んで戦争協力するようになったのだろう?
 自分につけられた“兵隊作家”というレッテルを、のちには“戦犯作家”というレッテルを、どう受け止めていたのだろう?
 最後の瞬間、彼の心のうちで何が起きていたのだろう?
 
 俄然興味が湧き、まず彼の代表作である2作品が載っている本書を借りた。
 この2作品プラス『花と兵隊』の兵隊3部作の大ヒット(300万部を超えた)ゆえに、彼のその後の人生は決定づけられていったのである。

DSCN6227 (2)

 本書は、1937年(昭和12年)7月7日の盧溝橋事件を発端に始まった日中戦争の従軍記である。
 火野葦平は、1937年9月に応召され、10月杭州湾に敵前上陸し、一兵卒として中国軍と戦った。
 当時30歳だった。
 翌38年2月、『糞尿譚』により第6回芥川賞を受賞。
 一躍、時の人となった。
 報道部に転属となり、1938年5月には攻略後の南京に入り、徐州会戦に参戦した。
 1939年11月に退役して帰国。
 日本出立から中国大陸上陸、杭州での戦いの様子を記したのが『土と兵隊』である。
 徐州会戦の様子を記したのが『麦と兵隊』である。
 題名通り、前著は泥の中での行軍が、後者は一面の麦畑の中での行軍が、日記形式で書かれている。
 どちらの場合も、中国軍との激しい戦闘の模様が描かれているのは言うまでもない。
 火野葦平は、銃弾や砲弾が飛びかい、死傷者があふれる前線で、死と向き合いながら戦った勇士なのである。
 その体力と精神力は筋金入りと言ってよかろう。

 本書は、お国や天皇陛下のために命をかえりみずに戦う日本兵たちを称賛するものであり、飢えや喉の渇きや足のマメや寒さやダニなどさまざまな困難に遭いながらも、助け合って行軍する、同じ釜の飯を食う兵隊同士の連帯と友愛の素晴らしさを伝える内容である。
 火野のナショナリズム(祖国愛)や仲間の兵隊たちへの愛情はまごうかたない。

 多くの兵隊は、家を持ち、子を持ち、肉親を持ち、仕事を持っている。しかも、何かしら、この戦場に於て、それらのことごとくを、容易に捨てさせるものがある。棄てて悔いさせないものがある。多くの生命が失われた。然も、誰も死んではいない。何も亡びてはいないのだ。兵隊は、人間の抱く凡庸な思想をも乗り超えた。死をも乗り超えた。それは大いなるものに向って脈々と流れ、もり上がっていくものであるとともに、それらを押し流すひとつの大いなる高き力に身を委ねることでもある。又、祖国の行く道を祖国とともに行く兵隊の精神である。私は弾丸の為にこの支那の土の中に骨を埋むる日が来た時には、何よりも愛する祖国のことを考え、愛する祖国の万歳を声の続く限り絶叫して死にたいと思った。(『麦と兵隊』より)

 一方、それをもって、本書を単純に、「戦争賛美、帝国陸軍万歳、中国憎し」の戦意高揚の書と言えるかと言えば、ソルティはそうは取れなかった。
 やはり、ここに描かれている「土」の行軍、「麦畑」の行軍は、たいへん厳しいものに違いなく、これにくらべればソルティのおこなった四国歩き遍路1400キロなどパラダイスである。
 いったいに、日中戦争体験者の手記を読むと、地獄のような行軍の話がよく出てくるが、ほんとうにこのような行軍が必要だったのか、疑問に思う。
 敵と出会う前に、ほかならぬ行軍によって体力と気力をあらかた奪われて、食糧も尽きて、いざという時に十分な力を発揮できなかったのではないか?
 あるいは、行軍によって兵士を徹底的に疲れさせ、正常な感覚や思考を麻痺させることで、人を殺すという人倫の壁を乗り越えさせたのだろうか?
 火野のリアリズムな筆によって描かれる、凄惨な戦闘場面、累々と積み重なる死体、捕虜となった中国人への残虐な仕打ち、戦争に巻き込まれた民間人の悲劇など、普通に読んでいれば、「やっぱり、戦争は嫌だ」、「戦争は人を狂気にする」、「戦争なんかするもんじゃない」としか思えない。
 また、火野は、敵である中国人があまりに日本人とよく似ているため厭な気持ちを抱いたことや、中国人捕虜の首を軍刀で刎ねる陸軍曹長の行為を前に自らの心を確かめ、まだ自分が「悪魔」になっていないことに安堵したことなども、ありのままに書いている。
 本書が戦意高揚の役に立つとはとても思えなかった。
 むしろ、「よくこの従軍記の発表を軍は許可したなあ」と思ったくらいである。
 (捕虜の中国兵が殺される場面に、日本国民の多くは快哉の叫びを上げたのかもしれないが) 
 違う時代の違う価値観に生きている目で読めば、同じ本でも違ったふうに受けとれるってことだろうか。

grain-field-4316900_1280
PeggychoucairによるPixabayからの画像

 戦後になってから、本書について、「作家としての独自の判断力も批判も放棄して」いる、と某文芸評論家に批判された火野は、「(当時は検閲と弾圧があったため)ここに表現されているのは、書きたいことの十分の一にすぎない」と反論したという。(本書「解説」より)
 書きたかった残り十分の九は、どんな内容だったのだろう?
 そして、本書発表を契機に、どんどん体制翼賛へと傾いていった火野の真意はどこら辺にあったのだろう?
 
P.S. 2019年にアフガニスタンで狙撃されて亡くなったペシャワール会の中村哲医師は、火野葦平の甥っ子だという。この叔父と甥の関係も気になる。



 
おすすめ度 :★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損








● 杉村春子と原節子 映画:『わが青春に悔なし』(黒澤明監督)

1946年東宝
110分、白黒

 この黒沢作品は観てなかった(かもしれない)。
 京大事件、ゾルゲ事件を材にした反戦映画と言われるが、そういった歴史に疎くても、面白く鑑賞できる。
 というのも本作は、一人の女性を主人公とした恋愛ドラマかつ成長ドラマの面が強いからだ。
 その意味で、岩下志麻主演『女の一生』(1967)や、司葉子主演『紀ノ川』(1966)に通じるものがある。

 大学教授の一人娘でわがままに育ったお嬢様・八木原幸枝(原節子)が、反戦活動家・野毛隆吉(藤田進)とのつらい恋を経て世間を知り、自分自身に目覚め、「非国民、スパイ」と周囲に嘲られながらも自らの意志を貫いて厳しい生き方を選んでいく姿が、感動的に描かれる。
 原節子は難役を見事にこなしている。
 とりわけ、監獄で亡くなった夫・隆吉の実家に赴いて、泥と汗まみれの畑仕事に従事する後半が素晴らしい。
 小津安二郎監督の『晩春』や『東京物語』の美しく上品な原節子とはまったく違った、文字通りの“汚れ役”を性根の据わった演技で見せている。
 内に秘めた情熱と強い意志を示す表情が素晴らしい。
 これをして「大根役者」というなら、いまの女優たちは「かいわれ役者」である。

 本作は、途中までは、「巨匠黒沢にしては力不足かな?」という、ちょっと期待外れの印象を受ける。
 「やっぱり黒沢は、男を描くのは上手くとも、女はイマイチかな・・・」と。
 が、後半になると、「やっぱり黒沢は凄い!」となる。
 幸枝が隆吉の実家に飛び込んでからが巨匠の本領発揮。
 観る者を圧倒し、心を鷲づかみにするボルテージの高さとリアリティの深みがある。
 そして、後半のドラマを第一級の演技でしっかりと支え、間然するところなきドラマに押し上げているのが、隆吉の父親役の高堂国典と母親役の杉村春子。
 この二人の名役者の存在感と鬼のような演技力は、本作の白眉である。

DSCN6212 (2)
高堂国典と杉村春子

  「スパイの家」と村八分にされた隆吉の父母は、家に引きこもって、夜しか外に出られない。
 絶望した父親は、日がな一日、働きもせず囲炉裏ばたに座し、一言も発しようとしない。
 なかば強引に野毛家に住み込んだ幸枝は、隆吉の母親を見習いながら、田んぼを耕し始める。
 いまのように耕運機も田植機もない時代、農作業は困難を極める。
 それでも、嫁と姑は力を合わせて田植えを終える。
 が、喜びも束の間、悲劇が待っていた。
 村の心ない連中が、田植えをすませたばかりの田んぼを滅茶苦茶に荒らした。

 ある朝、それを知って家に駆け込み土間に打ち伏して泣き喚く姑(杉村)、それを聞くや病床から飛び出して畑に駆けつける幸枝(原)、目の前の惨状に呆然とたたずむ二人、やがて身をつらぬく怒りをばねに田んぼを片付け始める嫁、それを見て我もと手伝う姑、そこへついに百姓の血が覚醒して駆けつける舅(高堂)。
 このシークエンスは、おそらく黒沢作品中でも一、二を競う素晴らしさ! 
 名優二人に負けていない原の存在感もやはり大変なものである。

 しばしば、原節子が演技開眼したのは小津監督の出会いによると言われる。
 しかし、本作を観て思ったのは、杉村春子との共演を重ねることで、原は女優として育てられたのではないかということである。
 本作で二人が共に経験した農作業の苦労が、『晩春』以降の二人の息の合った演技につながっているのではなかろうか。




おすすめ度 :★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
★     読み損、観て損、聴き損


● 本:『日本人はなぜ戦争へと向かったのか』(NHK取材班編著)

2011年NHK出版

DSCN6216 (2)

 2011年1~8月にNHKスペシャルで5回に分けて放映されたドキュメンタリーの書籍化。
 日中戦争、太平洋戦争開戦に至る経緯をたどった上下巻と、真珠湾攻撃のあと戦線が拡大していく様相に焦点を当てた戦中編から成る。
 ソルティはこの放送を観ていなかった。
 当時、テレビを持っていなかった。

 今思うに、2011年という年に放映・出版されたことに、少なからぬ意味を感じる。
 一つには、もちろん、東日本大震災と福島原発事故があったからだ。
 本作品において、複数の専門家が異口同音に指摘し、制作陣が結論としてまとめている「日本人が敗けると分かっていた戦争へと向かった」原因、さらには、「敗けたと分かっても戦争を終わらせることができなかった」原因は、まさに福島原発事故の起きた原因や事故後の政府の対応のあり方と重なるところ大だからである。
 この番組を観た人は、間違いなく、「ああ、また同じことが繰り返されてしまった」と愕然とし、嘆き、憤り、落胆したことだろう。

 今一つには、時の政権が自公連立でなく、民主党だったことである。
 第2次安倍政権(2012年12月26日~)以降の政府によるマスコミへの報道圧力およびメディア側の萎縮や忖度のさまを鑑みるに、本作のような内容をもつ番組が制作・放送されるタイミングはこのときを措いてなかったのではないか、と思うのである。
 安倍政権下であったなら、安倍派国会議員や日本会議やネトウヨら歴史修正主義の保守右翼から「自虐史観」と叩かれ、NHKに何らかの横やりが入ったのではあるまいか。

チャクラの目

 開戦に至る経緯をたどるのに、本書では「外交」「陸軍」「メディアと民衆」「リーダーの不在」の4つのテーマを立て、公的史料はもとより、関係者の証言や当時の日記や手記、および専門家へのインタビューなどをもとに検証している。
 「軍部が暴走した」とか「軍国主義だったから」といったように単純化せずに、多角的な視点から原因を探っているところに、制作陣の意気込みを感じる。

 開戦を不可避とした要因は何だったのか。番組は四点、指摘する。第一は1930年代の日本外交の国際的孤立、第二は満州事変をきっかけとする陸軍の暴走のメカニズム、第三は戦争支持の国民世論を煽ったメディア(新聞だけでなく、とくにラジオ)の役割、第四が政治的なリーダーシップの問題である。番組はこれら四点の相互連関のなかで、ドミノ倒しのように開戦へと進んだ日本の姿を活写していた。(下巻より)

 なぜ日本は孤立化への道を歩んだのか。それは、時代の選択の一つひとつが、確とした長期計画のもとに行われなかったという点があげられる。むしろ浮かび上がってきたのは、定まった国家戦略を持たずに、甘い想定のもと、次々に起こる事態への対応に汲々とする姿であった。
 いったい誰が情報をとりまとめ、誰が方針を決めるのか。そして、いったん決まったことがなぜ覆るのか。そうした一連の混乱を自らの手で解決できなかった日本は、やがて世界の信用を失っていく。(上巻より)

 日本の舵取りを任された指導者たちは、自分たちの行動に自信が持てなかった。そのために世論を利用しようと考え、世論の動向に一喜一憂した。その世論は、メディアによって熱狂と化し、やがてその熱狂は、最後の段階で日本人を戦争へと向かわせる一つの要因となってしまったのである。(下巻より

 国家全体の利益より組織の利益が優先されるセクショナリズムが横行し、連携を欠いた陸海軍が独善的に戦争を続けていく。政治は指導力を失い、国民と世論に迎合したメディアには冷静な分析と批判など望むべくもなかった。日本の社会から歯止めという歯止めが失われ、膨張する戦争を押しとどめるものはいよいよなくなろうとしていた。(戦中編より)

  • 確とした国家戦略を持たず右顧左眄に終始したこと。
  • 決定権を持ち責任のとれるリーダーがいなかったこと。
  • 省庁間や陸海軍の縦割りシステムが国家の利益より組織の利益を優先させてしまったこと。
  • 戦意高揚をひたすら煽り利益増加を狙ったメディアと、その情報を妄信し踊らされた民衆。
 笠井潔が指摘した、令和の今なお続く日本人の宿痾=ニッポン・イデオロギーがここには巣食っている。

 下巻では、太平洋戦争開戦に至るまでの大本営政府連絡会議の議事の様子が描かれている。
 大本営は、総理大臣、外務大臣、陸軍大臣、海軍大臣、陸海軍統帥部の両総長、次長らが顔をそろえる実質的な日本の最高意思決定機関である。
 ここで戦略が決められなければ、日本人の他の誰も決めることはできない。
 天皇は決められたことを事後承認するだけだった。
 しかるに会議はいつも、参加者がそれぞれの要望を主張し紛糾するばかりで、重要なことは、決められずに先送りされるか、中途半端なまま投げ出されるか、体裁だけつくろい中味の矛盾する決議でお茶を濁すか、もうグダグダなのである。
 中学生の学級会のほうがまだマシだ。
 このくだりを読んでいて、背筋が寒くなった。
 四谷怪談よりも永田町会談のほうが、よっぽど避暑効果がある。
 こんな無能な男たちのために(日本人だけで)300万という命が失われたのかと思うと、あまりの理不尽に・・・・・・(言葉を失う)。

お化けと議事堂

 一方、下巻に載っているアメリカの歴史学者ジョン・ダワーのインタビューを読んで、「なるほど」と思い、自戒するところもあった。
 ジョン・ダワーは、「戦争へと至った道を、日本文化の特殊性によって説明することには、価値がない」と言い、アメリカによる「愚行」であったイラク戦争と比較する。

 イラク攻撃に至るブッシュ政権の意思決定過程を調べると、それは、真珠湾攻撃に至る日本の意思決定プロセスと非常によく似ていることがわかります。

 確かに、日中戦争時および太平洋戦争時の「愚行」の原因のすべてを、日本と日本人の特殊性に帰するのは、正当でない。
 ナチス時代のドイツ、ベトナム戦争やイラク戦争におけるアメリカ、ウクライナを攻撃するロシア・・・・国際社会から認められない大義なき戦争や、指導者の理性を疑うようなおかしな戦略はいくらでも例がある。
 組織のセクショナリズムの弊害や、マスコミに踊らされる大衆の姿も、どの国も変わりない。
 また、非常時に置かれた個人や集団がはまりやすい心理の罠――たとえば、コンコルド効果やバンドワゴン効果やリスキー・シフトなど――あるいは、脳の機能にもとから備わっているとされる認知の歪みなどは、人類に共通するものだろう。 
 戦死者が増えれば増えるほど、亡くなっていった兵士やその遺族の手前、退くに退けなくなる、簡単に降参できなくなる「死者への負債」という現象も、日本人だけのものではない。

 さらには、本書では指摘されていないけれど、やはり戦争とマチョイズムの関係は切っても切れない。
 「敗北という言葉を口にすることができない」「戦わずに引き下がるなんて男がすたる」「素直に負けを認めることができない」「生き恥をさらすくらいなら死んだ方がマシ」・・・・軍国主義下のマチョイズムがどれほど強烈なものか、今のロシアを見るとよく分かる。
 マチョイズムは、「男子たるもの教」という一つの宗教なので、理性や論理は容易に吹き飛ばされてしまう。
 
 非常時に置かれたどこの国、どこの国民にも起こり得る現象なのか、日本人特有の気質(ニッポン・イデオロギー)に由来するのか、両者をごっちゃにして語らないほうが賢明には相違ない。

サメ先生

 いずれにせよ、我々が過去の戦争の歴史を学ぶのは、「こうすれば勝てた」「こういう戦略をとれば良かった」と次の戦争に向けて敗因分析するためではないし、「こいつが悪い」「この組織が間違っていた」と当時の人間を批判したり責めたりして、留飲を下げるためでもない。
 同じ過ちを繰り返さないために、どこに破滅に向かう要素が潜んでいるか、我々日本人がどんな制度文化的弱みや思考のクセを持っているか、を知るためである。
 反省すべき点は反省し、同じ轍を踏まないことがなにより大切だ。
 そこで“いの一番”に言えるのは、「ある程度、事態が進んでしまうと、引き返すのが困難になる」ということである。
 コロナ禍での2020東京オリンピックの開催をめぐる議論や、安倍元首相の国葬の実施をめぐる騒動を思い起こせば、それは明らかだろう。
 戦争の芽は、早いうちに見つけて、摘んでおく必要がある。
 良くない流れを押し止めて、手遅れにならないうちに、方向転換する必要がある。

 毎年8月になると、戦争に関する記事や番組を登場させるのを慣例にしてきましたが、いつでも他人事のように取り扱って、自分たちの問題として考えようとしてこなかった。自分自身を正視しないジャーナリズムの報道や言論が大きな説得力をもつとは思えません。自分自身をまず正視し、そこから考えることがジャーナリズムを変えていく第一歩のはずです。(下巻より)

 頼みますよ、NHK!





おすすめ度 :★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損



 

● 虐待の連鎖 講演会:『関東大震災から100年の今を問う』(四谷区民ホール)


DSCN6210 (2)

日時 2023年7月31日(月)18:30~
会場 四谷区民ホール(新宿区)
プログラム
  1. 新井勝紘氏(高麗博物館前館長):「関東大震災 描かれた朝鮮人虐殺を読み解く」
  2. 徐京植氏(高麗博物館理事、東京経済大学名誉教授):「韓国現代アーティストの映像作品に見る 『ルワンダ虐殺の記憶』」
主催 高麗博物館

 高麗博物館で開催中の『関東大震災100年 隠蔽された朝鮮人虐殺』に行って、この講演会あるを知った。
 四谷区民ホールは新宿御苑のそばなので、早めに行って御苑の木陰で昼寝でもしようと思ったら、月曜定休であった。仕事を早退までして来たのに残念。
 開場時間まで、区民ホール9階のラウンジでクリームパン食べながら読書した。

DSCN6209 (3)
四谷区民ホール

DSCN6211
9階ラウンジからの景色
新宿御苑、明治神宮をはさんで渋谷のビル街が見える

 プログラム1では、2021年に新井氏がヤフオクで見つけて9万6千円で競り落とした湛谷(きこく)作『関東大震災絵巻』を中心に、朝鮮人虐殺を目撃した人が描いたいろいろな絵画作品をパワーポイントを使って紹介、解説された。
 視覚芸術は、文章以上に直截的でインパクトがある。
 刀や鳶口で襲われた朝鮮人の流した血の色が毒々しい。
 中には小学生が描いた絵もあった。
 震災被害だけでも相当なショックだろうに、日本の大人たちが寄ってたかって朝鮮人を虐殺している現場を目撃させられた子供は、どれだけのトラウマを背負ったことだろう? その後の人生にどう影響したことだろう?
 新井氏は繰り返し言った。
 「こんなものを子供たちに見せちゃいけない」
 まったくその通りだ。
 と言って、隠してもいけない。
 
 プログラム2では、このような悲惨な虐殺事件を後世の人々にどう伝え、どう自分事として受け止めてもらい、「省慮(かえりみてよく考えること)」を呼び起こすか、というテーマであった。
 リアルタイムで現場を見ている証言者が少なくなったとき、事件は風化され、忘却される可能性がある。つまり、繰り返される危険がある。
 もちろん、「被害者〇名、いつ誰がどこで」といったデータは残るかもしれない。
 証言集や小説や映画といった形で、2次的に事件に触れることもできるかもしれない。
 しかし、事件を直接知らない後世の人や他国の人は、そうした事実に触れる機会を持っても、「ふ~ん、そんなことがあったんだ」で終わってしまう可能性がある。
 朝鮮人虐殺についても、「100年も昔の話だろう。民主主義の進んだ現在とは関係ない」とか、「こういったパニックは災害時にはよくあること。日本人だけが特別じゃない」とか、「きっと朝鮮人のほうにも何らかの落ち度があったんだろう」とか、ひどいのになると、「朝鮮人虐殺は反日左翼が作ったデマ。デマを教科書に載せて子供たちに教える必要はない」などと言う始末。
 徐京植氏は、「重要なのは想像力。当事者の立場に身を置いて、状況や気持ちを想像できること」と語り、それを考える鍵として、1994年の『ルワンダ虐殺』をテーマにしたジョン・ヨンドゥ氏の映像作品を紹介した。

DSCN6200

 ソルティはエイズNPOで働いていた時、学校に講演に行くことが多かった。
 HIV/AIDSという病気の基礎知識や予防方法を伝えるだけでなく、感染者に対する差別の事例を話し、人権や共生について考えてもらう。
 そのときにいつも使っていたのが、メモリアルキルトという畳一帖ほどの布であった。
 AIDSで亡くなった人の家族や友人らが、故人の思い出を語りながら、その人らしいデザインを考え、遺品を縫い付けたり、イニシアルを縫い込んだりする。
 行政が発表するAIDS死者〇名という統計数字ではなく、そこに「愛する人や物に囲まれ、喜怒哀楽をもって暮らしていた人間がいた」ことの証明である。
 メモリアルキルトの説明を通じて、生徒たちにHIVと共に生きた人の生を想像してもらい、数字や“怖い”イメージばかりが先行していたAIDS患者もまた、自分たちと同じ一人の生活者であることや、実名でなくイニシアルであることの意味を考えてもらった。
 うまく伝わったのかどうか、生徒たちの想像力を喚起できたのかどうか・・・・。
 ただ、伝えるという経験を通して思ったのは、「自らが一人の人間として大切に扱われてはじめて、他の人も大切に扱えるようになる。他の人の苦しみや悲しみを想像し、共感できるようになる」ということであった。
 自分に与えられていないものを他人に施せというのは、どだい無理な話である。
 ソルティが話した生徒たちの中には、普段親から虐待を受けている子供も少なくなかっただろう。
 彼らの心にどう響いたかは、いまでも気になるところである。

 その意味で、ソルティは朝鮮人虐待の加害者となった者たち――警察、軍人、自警団の男たち――のパーソナリティがどのように作られたかが気になるのである。
 子供の頃に親や教師や周囲の大人たちから、どのような扱いを受けたかが気になるのである。
 ナチス時代のドイツ国民が、幼少の頃、体罰当然の厳格で暴力的な教育を受けていたこと。それが成人してのち、ある種の“意趣返し”として、ユダヤ人らに向けられたこと。すなはち、“虐待の連鎖”がそこにあることを指摘したのは、『魂の殺人』で有名なアリス・ミラーである。
 戦前の軍国主義教育は、子供たちに「これこれの行為は良い」「これこれの行為は悪い」と一方的に教え込む(洗脳する)ものであって、「自らの頭で是非を考える」「他人の置かれた立場を想像する」ようなものではなかった。体罰も当たり前にあった。
 令和現在の教育現場で起きている戦前回帰的兆候を思うとき、朝鮮人虐殺を昔の話にはできないと強く思う。

 約400席の会場は満席だったけれど、高齢者が圧倒的であった。
 平日ではあるが、18:30からの開始なので仕事帰りの人だって来られるはずである。
 学生だって夏休み中だろう。
 正直、団塊の世代亡き後の日本が心配だ。






● ちゃぶ台返し 本:『私が原発を止めた理由』(樋口英明著)

2021年旬報社

IMG_20230729_111447

 ソルティが原発に反対する理由は至極単純で、「赤ん坊に出刃包丁を持たせてはいけない」からだ。
 人類は、原発という危険極まりないものを扱うには、あまりに幼すぎる。
 技術的にも、メンタルにおいても。
 ロシア・ウクライナ戦争におけるサボリージャ原発の危険性を見れば、戦争をやめられない人類が原発を持ってはいけないのは、文字通り“火を見る”より明らかだ。
 とりわけ、世界の地震の10%が集中する日本の場合、列島に原発を並べることは、体じゅうにダイナマイトをぶら下げた兵隊が敵陣に乗り込んでいくようなものであろう。
 常識的に言っても、論理的に考えても、なによりかにより、2011年3月の福島第一原発臨界事故という建国史上最大の国家的危機を鑑みても、日本は原発をすぐさま止めるべきである。
 いまソルティが、「コロナガー、酷暑ガー、自民党ガー」と愚痴をこぼしながらこうやって首都圏で無事に生活できているのも、あの日奇跡がいくつも重なり合って、福島第一原発が大爆発に至らなかったおかげである。
 東日本壊滅の瀬戸際であったことは記録に残されている。

 ソルティからして見ると、いまだに原発推進を口にする人たちは、日本人を始めとする人類が原発を(核廃棄物の管理含め)完全にコントロールできると思っている極楽とんぼで、かつ、原発の危険性を理解できない無知蒙昧の徒としか思えない。
「いや、我々は赤ん坊ではない、立派な大人だ。原発は出刃包丁でない、せいぜいペーパーナイフだ」とでも言うのだろうか。
 あるいは、人間の不完全性も原発の危険性も知りながら、それでもなお原発を押し進めたいと言うのなら、それは敗けると分かっていた戦争に飛び込んで日本という国が滅亡する危機を招いた大日本帝国の指導者らとなんら変わりない。
 広島と長崎の惨劇、第五福竜丸の悲劇、そして福島原発事故・・・・これでもまだ足りないと言うのか。
 汚染され住めなくなった日本に、被爆により損なわれた肉体に、お金や地位や権力が何の役に立つ?

nuclear-power-plant-4528747_1280


 本書の著者・樋口英明は、元福井地裁の裁判長。
 2014年5月21日に福井地方裁判所において大飯原発運転差止めの判決を下し、翌2015年4月14日に高浜原発の運転差止めの仮処分決定を出した人である。
 事実と論理と憲法が重視される裁判において、「原発NO」という答えが出るのは当たり前なことなのだが、それが当たり前でないところに日本の悲劇はある。
 大飯原発運転差止めの判決は、2018年7月4日に名古屋高裁で取り消された。
 樋口は2017年8月の定年後、講演や執筆などで原発の危険性を訴える活動をしている。

 裁判官が退官後とはいえ、自分が関わった事件について、論評することはほとんどと言ってよいほどありません。論評することが法に触れるわけではありませんが、論評しないことは裁判所の伝統であることは間違いないのです。なぜ、私がその伝統を破ってまで、原発の話をしなければならないと思ったのか。それは、専門家でない私の目から見ても、原発の危険性があまりにも明らかだったからです。そして、原発の危険性が専門知識のない素人目にも明らかだということくらい恐ろしいことはないのです。
 原発や地震学についての詳しい知識は要りません。思い込みを持たずにものごとを素直に捉える目を持った高校生以上の方が、この本を読んでいただければ原発の危険性がどれくらい大きなものかお分かりになると思います。(本書「はじめに」より抜粋)

 本書第一章では、原発の危険性について科学的事実あるいは福島原発事故という歴史的事実をもとに具体的にわかりやすく説明している。
 既存の原発の耐震性(600~1200ガル)が、三井ホームや住友林業など一般住宅のそれ(3000~5000ガル)をはるかに下回るという事実には驚愕のほかない。
 第二章では、原発推進派が繰り出す5つの弁明――たとえば、「原発がないと電力が不足する。お前は夏でも冷房を使わないのか!」、「原発にはCO2(二酸化炭素)削減の効果がある。地球温暖化を防ぐ役に立つ」といったような――に対して、やはり事実をもとに検討し、理路整然と反駁している。
 原発推進派の弁明がいずれも、まったく理屈に合わない、子供だましのものであることが赤裸々にされている。
 脱原発を唱える同志は、本書を読んで論理という武器を手にすることができよう。
 第三章では、3.11という未曽有の悲劇を経験した我々が、後世の人々に対して果たすべき責任について書かれている。

 我が国では、所得格差や教育格差、雇用問題、年金問題、コロナの問題等、いろいろ議論されていますが、原発の過酷事故が一度起きると、これらの社会問題を議論したテーブルはテーブルごとひっくり返ります。ですから原発の問題はもっとも重要な問題なのです。この原発の問題を正しく理解して、論理にしたがって行動してください。そして、ときには健全な怒りを示して下さい。

 そう、ちゃぶ台返しの威力を持つのは、星一徹を別にすれば、原発と戦争である。
 樋口英明氏とともに、声を上げなければいかん。

ちゃぶ台返し

おすすめ度 :★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損





 

● 本:『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(加藤陽子著)

2009年朝日出版社
2016年新潮文庫

DSCN6201

 本書は、明治維新以降に日本が戦った5つの戦争――日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、満州事変からの日中戦争、太平洋戦争――について、その発端から経緯、そして結果をたどった歴史書である。
 著者の加藤は東京大学文学部教授で、日本近現代史を専攻としている。
 本書により2010年小林秀雄賞をもらっている。

 ただの歴史書と違うのは、著者の加藤が神奈川県にある私立栄光学園という男子校を訪れ、歴史好きの中学高校生20名くらいを対象におこなった5日間の授業がもとになっているところ。
 語り口調なので、読みやすく、親しみやすい。
 適宜、生徒たちに問いを投げかけて答えを考えさせるスタイルは、読者もまた中高生と一緒に授業に参加している気分にさせてくれる。
 が、内容そのものはかなり高度。
 暗記科目とみなされやすい歴史を、必然と偶然が織りなす流れとしてとらえ、タイトル通り、当時の日本人(天皇、指導者、軍人、官僚、一般庶民)が5つの戦争を選んだ(選ばざるを得なかった)背景を考えさせるものとなっている。
 政治学、地理学、社会学、経済学、心理学、哲学を総動員するような頭の働きが求められる。
 この授業についていける栄光学園の生徒たちのレベルの高さにぶったまげた。
 (高校時代のソルティなら途中脱落すると思う)

 新たに発見された資料をもとにした研究成果が取り入れられているのも本書の読みどころの一つ。
 たとえば、ソ連崩壊後のロシアでは過去の帝国時代の資料が次々と公開されている。
 それにより、日露戦争の原因をどう解釈するか変化が起きたという。

 マルクス主義の唯物史観という学問が影響力を強く持っていた頃、1970年代までは、日本という国は、帝国主義国家として成長してきたのだから、中国東北部、つまり満州のことですが、そこに市場を求めて、ロシアに門戸開放を迫るために戦争に訴えたのだ、との解釈が有力でした。
 しかし、ロシア側の史料や日本側の史料、これが公開されて明らかになったところでは、どうも、やはり朝鮮半島、韓半島のことですが、その戦略的な安全保障の観点から、日本はロシアと戦ったという説明ができそうです。
(中略)
 戦争を避けようとしていたのはむしろ日本で、戦争を、より積極的に訴えたのはロシアだという結論になりそうです。

 70年代に歴史を学んだソルティは、アップデイトが必要だ。

DSCN6196

 「敗けると分かっていて戦いの火蓋を切った。」
 「敗けたと分かってからも無駄に戦い続け、延々と犠牲者を増やした。」
 太平洋戦争時の日本の指導者たちの愚かさはよく言われるところであり、それは、「考えたくないことは考えない、考えなくてもみんなで頑張ればなんとかなる」というニッポン・イデオロギーに由来すると笠井潔は喝破した。
 2011年の福島第一原発事故に象徴される日本の原発政策や、国民の過半数の反対を押し切って挙行された2020東京オリンピックや昨年の安倍元首相の国葬モドキをみると、ニッポン・イデオロギーはなおも健在であると言わざるを得ない。
 状況の客観分析なし、論理なし、戦略なし、民意無視、責任者不在の行き当たりばったり戦法である。
 しかるに、本書を読んで思ったのは、日清・日露戦争から第一次世界大戦くらいまでは、かなり国際状況を客観的に分析し、戦略的に動いて、日本の地位向上・利益拡大に努めている。
 明治維新以降、日本の近代化を主導してきた大久保利通、木戸孝允、黒田清隆、伊藤博文、松方正義、井上馨、山県有朋、桂太郎、西園寺公望といったいわゆる元老たちは、やはり優秀だったのである。
 おかしくなったのは、満州事変のあたりから。
 これらの元老たち(=ご意見番)が次々と亡くなって政治家の力が後退し、軍部が台頭するようになってからニッポン・イデオロギーの支配が強まり、結果的に日本を地獄へと導いていったようだ。
 シビリアンコントロール(文民統制)の重要性を再認識した。
 元自衛隊にいた政治家や評論家が目立って発言力を振るうようになったとき、日本は危険な領域にいると思ってよかろう。
 
 以下、とくに興味を引いた部分を引用する。

 あるアメリカの団体が、捕虜となったアメリカ兵の名簿から、捕虜となり死亡したアメリカ兵の割合を地域別に算出しました、そのデータからは日本とドイツの差がわかります。ドイツ軍の捕虜となったアメリカ兵の死亡率は1.2%にすぎません。日本軍の捕虜となったアメリカ兵の死亡率は37.3%にのぼりました。これはやはり大きい。日本軍の捕虜の扱いのひどさはやはり突出していたのではないか。もちろん、捕虜になる文化がなかった日本兵自身の気持ちが、投降してくる敵国軍人を人間と認めない気持ちを生じさせた側面もあったでしょう。しかしそれだけではない。
 このようなことがなにから来るかというと、自国の軍人さえ大切にしない日本軍の性格が、どうしても、そのまま捕虜への虐待につながってくる。

 日本は経済が大事なのだろう、と。国家の重要物質の8割を外国に依存している国なのだから、生命は通商関係の維持にある。通商の維持などは、日本が非理不法を行わなければ守られるものである。現代の戦争は必ず持久戦、経済戦となるが、物質の貧弱、技術の低劣、主要輸出品目が生活必需品でない生糸である点で、日本は致命的な弱点を負っている。よって日本は武力戦には勝てても、持久戦、経済戦には絶対に勝てない。ということは、日本は戦争する資格がない。
 こういうことをいう軍人(ソルティ注:水野廣徳1875-1945)がいたのです。
 (中略)
 しかし、水野の議論は弾圧されます。また国民もこのような議論を真剣に受け止めない。すぐに別のところへ議論が飛んでしまうのです。

 ルソー(ソルティ注:ジャン・ジャック・ルソー1712-1778)は考えます。戦争というのは、ある国の常備兵が3割くらい殺傷された時点で都合よく終わってくれるものではない。また、相手国の王様が降参しましたといって手を挙げたときに終わるものでもない。戦争の最終目的というのは、相手国の土地を奪ったり(もちろんそれもありますが)、相手国側の兵隊を自らの軍隊に編入したり(もちろんそれもありますが)、そういう次元のレベルのものではないのではないか。ルソーは頭のなかでこうした一般化を進めます。相手国が最も大切だと思っている社会の基本秩序(これを広い意味で憲法と呼んでいるのです)、これに変容を迫るものこそが戦争だ、といったのです。
 
 繰り返し読みたい本である。
 



 
おすすめ度 :★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損

  

記事検索
最新記事
月別アーカイブ
最新コメント
ソルティはかたへのメッセージ

ブログ管理者に非公開のメッセージが届きます。ブログへの掲載はいたしません。★★★

名前
メール
本文