ソルティはかた、かく語りき

東京近郊に住まうオス猫である。 半世紀以上生き延びて、もはやバケ猫化しているとの噂あり。 本を読んで、映画を観て、音楽を聴いて、芝居や落語に興じ、 旅に出て、山に登って、仏教を学んで瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

●美術館・博物館・ギャラリー

● いざ、源氏ワールドへ : 初春の京都、寺めぐり 1

 いま時分の京都は比較的空いているはずと思い、平日からめて三日間の京めぐり。
 天気は時折、小雨や小雪に見舞われたけれど、おおむね晴れた。
 思ったほど寒くなく、上着一枚、不要だった。

 今回の主目的は、風俗博物館と栂尾三尾(とがのおさんび)巡り。
 前者は、NHK大河ドラマ『光る君へ』の舞台となっている王朝時代の貴族の生活を、1/4縮尺でリアルに再現したジオラマがある。
 京都には何度も行っているのに、迂闊にもここは訪れてなかった。
 目の前にある西本願寺にも久しぶりに参詣したい。
 後者は、京都市北西の静かな山中に位置する高山寺、西明寺、神護寺。
 高山寺は夢日記を書いた明恵上人と鳥獣戯画で知られている。
 あとの二寺は弘法大師空海とゆかりの深い名刹である。もちろん、素晴らしい仏像との出会いも楽しみ。
 残り一日は、レンタル自転車で市内を好き勝手に回ろう。

3/7(木)晴れ
09:00 京都駅着
10:00 風俗博物館
12:00 西本願寺
14:00 昼食
15:00 壬生寺
16:00 四条大宮駅
     阪急京都線で四条河原町へ
17:00 宿入り

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京都駅は外国人観光客でごった返していた
春節が終わり中国人が減ったのが、せめてもの慰め

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徒歩15分ほどで風俗博物館に着く(井筒左女牛ビル5階)
古代から近代にいたる日本の風俗・衣装を実物展示する博物館として
昭和49年オープンした

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エレベータが開くと、そこは平安時代
雅楽の調べが流れてくる

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十二単を来た女性(実物大)

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後ろ姿
人の着物を踏まないように歩くのは大変だったはず

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貴族メンの正装着である束帯は位ごとに使用できる着物の色が決まっていた
左端が一番高位、右に下がっていく

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今回のメイン展示は『源氏物語・御法(みのり)の巻』より
光源氏の正妻・紫の上が二条院で主宰した法華経千部供養の模様を再現

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一等席で見物する光源氏(白い衣)と息子の夕霧(手前)

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細かいところまでリアルに再現されたジオラマの完成度に感嘆しきり

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中国の故事にちなんだ舞楽「陵王」が披露される
館のなかでは粛々と法会行事が進行中

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馬の房飾りや従者の草履などキメ細かい

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見物する童子たち
可愛い!

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なにやらBLっぽい想像を掻き立てる貴公子ふたり

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廂の間(今の廊下)で出番を待ち団らんする僧侶たち
「今日のご祝儀は期待できるな」「しっ、聞こえるぞ」

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塗籠(ぬりごめ)で法会を見守る紫の上と侍女たち
御簾や几帳で周りを覆い、顔を見せないのが貴族女性のたしなみだった

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このとき紫の上は自らの死を予感していた
(紫式部の名の由来は「紫の上」からくる)

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光源氏の妾妻である、花散里と明石の上も訪れて、紫の上と歌を交わした
「貴族の妻は嫉妬深くてはやっていけません」(道綱の母、反省の弁)

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互いに髪の手入れをし合う女房たち
エクステンション(つけ毛)というのもあった

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着物に香を焚きしめる女子

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偏つぎをする女性たち
『光る君へ』でも登場した平安の代表的インドアゲーム

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生地色のグラデーションやコントラストで季節に合わせた着物をまとうのが粋
「かさね色目」と言う(上は「梅かさね」)

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かぐや姫もとい『竹取物語』のクライマックス、天人来迎シーン
絵本でも映画でも、かぐや姫は十二単姿で描かれることが多いけれど、
物語が書かれた時期(平安初期)を考えると、上のような唐風であったはず

夢のような2時間。
館内を3周も回ってしまった。
『光る君』オンエア中は混むことだろう。
平日の朝一番、空いていて良かった。

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西本願寺は親鸞聖人を宗祖とする浄土真宗本願寺派の本山
現在の地所は豊臣秀吉からの寄進による
宗徒の多さを感じさせる巨大感
上は阿弥陀堂

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親鸞聖人の木造が安置されている御影堂
世界最大級の木造建築(227本の柱、115,000枚の瓦)
ベートーベンの交響曲のような風格と美しさがある

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国宝・唐門(からもん)
このデコトラ風のキンキラキン、まさに秀吉好み

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京都三名閣の一つと言われる飛雲閣が、ガイドさん説明付きで特別公開されていた
残り二つは言うまでもない
建物の左肩からのぞく京都タワーが可愛い

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桃山~江戸初期の建築とされ、全体が軽やかで空に浮かぶ雲のようだとして、
その名がついたといわれる。
左右非対称でありながら調和のとれた独特のたたずまいが面白い
池の端から舟に乗って、1階の座敷に直接入れる仕組みとなっていた
なんだか隅田川から舟に乗って遊びに行ったという、昔の吉原を想起させる
浴室(右端の小屋)もあるというし、ゲストハウスとして”そういう”使われ方をしたのでは?

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2階の戸板には紀貫之や小野小町ら三十六歌仙の姿が描かれている

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鐘楼もいかがわしいまでに飾り立てられている

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滴翠園(てきすいえん)
この庭もふだん非公開

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やっと昼飯だ~
西本願寺そばの『カンパネラ』
ここのカレーライスと和三盆プリンは超おススメ!
元気復活の旨さ。
ここから30分ほど歩いて壬生寺に向かう

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律宗・壬生寺(みぶでら)
991年快賢僧都によって創建された
壬生狂言と新選組と壬生菜(みぶな)で有名な寺である

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千躰の石仏が側面を覆う東南アジア風のパゴタ(仏塔)が目立つ

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境内には新選組関連の遺跡がある
近藤勇の胸像や、新選組組長芹沢鴨以下、隊士10名の墓がある
ソルティは新選組にあまり興味がないのだが、これも縁だ、『壬生義士伝』を観てみるか
壬生狂言は、演目に『玉藻の前』、『土蜘蛛』、『道成寺』など鬼・妖怪ものが多い
土地柄なのか、気になる

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嵐電の踏切を超えて、四条大宮まで歩く

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四条大橋ふもとのカフェで一休み
四条河原町へと繰り出す外国人旅行客ら

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鴨川
四条大橋から五条橋を望む
うららかな夕暮れであった

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八坂神社近くのカプセルホテルに宿泊
屋上の露天風呂の眺めがよく、気持ち良かった







● 半蔵門ミュージアムでブッダに会う

 半蔵門ミュージアムは、仏教系教団『真如苑』が運営している仏教美術館。
 2018年4月にオープンしたのだが、存在を知ったのはつい最近である。
 なかなか貴重で珍しい展示があるようなので、訪れてみた。

半蔵門ミュージアムポスター

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 地下鉄半蔵門駅の真上、皇居まで徒歩3分という好立地。
 現代的で、美しくシンプルな建物。
 展示品の由来や見どころを、わかりやすく丁寧に伝えてくれるシアターホール。(座席シートが快適すぎて、上映時間の半分は寝ていた)
 コーヒーを飲みながら関連資料を閲覧できる居心地の良いラウンジ。(60分まで利用可)
 あたたかい笑顔と親切な応対が気持ちよい女性スタッフたち。
 そして、運慶作と推定される大日如来像(重要文化財)や京都醍醐寺伝来の如意輪観音菩薩坐像をはじめとする見応えある所蔵品の数々。
 これで入場料無料というのだから、『真如苑』の力のほどが察しられよう。
 スタッフの女性たちはおそらく信徒なのだろう。
 奉仕の精神が感じられた。

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ポスター右より、大日如来、如意輪観音、不動明王、こんがら童子&せいたか童子

 地下の静かな暗闇に浮かび上がる大日如来の毅然とした美しさ、片足を床におろした珍しいお姿の如意輪観音、子供のくせに典雅なたたずまいの二童子、下部に中将姫が描かれた當麻曼荼羅(写本)、見事な色彩で描かれた虚空蔵菩薩像の絹本・・・・等々。
 いずれも鑑賞者の目を喜ばせ、脳を活性化し、心を浄め、敬虔な気持ちを呼び覚ます。

 ソルティが最も惹かれたのは、仏像が作られ始めた紀元2~3世紀のガンダーラ美術。
 ヘレニズム文化すなわちギリシア彫刻の影響を帯びた顔格好の仏像や、石に彫られた仏伝が興味深かった。
 仏伝は、「前世、誕生、四門出遊(出家)、降魔成道(悟り)、梵天勧請、初転法輪(最初の説法)、アジャータサットゥ王の帰依、入滅」といったブッダの生涯を描いたもの。
 各場面におけるブッダを取り巻く人々(家族や弟子たち、世俗の人々、悪魔や神々など)の表情や動きが、当時としてはかなり写実的に表現されている。ルネサンスの端緒となった画家ジョットの『キリスト伝』を連想させた。
 別のフロアに場面ごとの詳しい解説があり、絵解きの面白さとともに、当時の人々の素朴な信仰のさまが伺える。

死せるキリスト
ジョット「死せるキリストへの哀悼」
(イタリア、スクロヴェーニ礼拝堂)

 平日だったので館内は空いていて、落ち着いた空間で心ゆくまで鑑賞できた。
 なんとまあ、4時間近くも滞在してしまった。
 ブッダ推し、仏像ファンなら、一度は行っておきたいオアシスである。
 (「真如苑」への勧誘行為はなかったよ)

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虚空菩薩坐像(ポストカード)
記憶力を増強する力があるとのことで、かの空海も念仏した。
認知症予防を期して購入。







● 9分の1のご来迎 特別展『京都・南山城の仏像』(東京国立博物館)

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 行こう行こうと思いながら先送りになっていたこの催し。気がつけば会期終了目前だった。
 混んでいるかもしれないなと思いつつ、11/11(土)の午後に出かけた。

 南山城というのは、京都府南部、奈良県に接する一帯をいう。
 緩やかな丘陵地を木津川が流れる心安らぐ地である。
 宇治茶の産地としても知られる。 
 このあたりは由緒あるお寺や素晴らしい仏像がたくさんあるのだが、世界的観光名所の京都と奈良にはさまっているせいか、人が殺到していない。
 ソルティは、東日本大震災のあった2013年10月に、9体の金色阿弥陀仏で知られる浄瑠璃寺とその近くの岩船寺に行った。
 秋の里山歩きが実に気持ち良かった。
 今年3月には木津川市の畑中にある蟹満寺に行き、白鳳時代につくられた国宝・釈迦如来坐像に会ってきた。
 「こんな田舎に、こんな立派な仏像が、こんな無防備に、おわすのか!」と驚いた。

蟹満寺
白鳳時代の釈迦如来坐像がある蟹満寺

 今回の展示では、浄瑠璃寺・岩船寺のほか南山城地区の7つのお寺の仏像たち、計18体が招かれていた。
 平安時代(9~12世紀)のものが16体、残り2体が鎌倉初期である。
 メインとなるのは浄瑠璃寺の9体の阿弥陀仏像の中から選び出された1体。
 修理を終えたばかりの金色に輝く肌と、堂々たる風格、人の心のすみずみまで見通しつつもあくまで慈悲深い眼差し、会場を一際明るくするオーラ。同じ国宝の広目天と多聞天に左右を守られて、圧倒的存在感であった。
 浄瑠璃寺で拝観したときよりずっと間近で見ることができて、うれしかった。

 ほかに、海住山寺の十一面観音立像、浄瑠璃寺の地蔵菩薩立像のあまりの美しさにときめいた。
 少し前にあった根津美術館『救いのみほとけ展』でも思ったが、平安時代の地蔵菩薩像の洗練された美しさはもっと認識されて良いと思う。 
 内部は撮影禁止だったので、素晴らしい仏像の数々はここで紹介できない。
 京都南山城古寺の会『南山城の古寺巡礼』というホームページにその一部を見ることができる。

 最近ソルティは、有料の音声ガイドリストを進んで使うようになった。
 作品の横に掲示されている説明書きを読むのが老眼でわずらわしくなったのと、音声ガイドだと鑑賞ポイントを的確に教えてくれるから見落としがない。
 今回の音声ガイドには、仏像マニアとして知られるみうらじゅん氏といとうせいこう氏による対談風解説がついていた。
 テレビの副音声みたいで面白かった。浄瑠璃寺の本堂に居並ぶ阿弥陀如来を「ロイヤルストレートフラッシュ」と表現したのは至言。

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東京国立博物館
来場者は多かったが鑑賞の妨げになるほどではなかった。
 
 特別展のあと、本館1階の常設展の仏像コーナーに行った。
 前回(今年6月)観た時と微妙に展示が変わっていた。
 中で面白かったのは、鎌倉時代の康円作『文殊菩薩騎師像および侍者立像』。
 文殊菩薩が4人の侍者を伴って海を渡る姿を彫った群像である。
 4人の侍者の一人、善財童子がなんとも可愛かった。

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 左から、大聖老人、于闐王(うてんのう)、文殊菩薩、善財童子、仏陀波利三蔵
 仏師康円は運慶の孫。
(奈良興福寺)

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こんなフィギュアがほしい










● 高麗博物館企画展 :『関東大震災100年 隠蔽された朝鮮人虐殺』


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 7/5(水)より始まった当展をツイッターで知り、さっそく足を運んだ。
 高麗博物館は在日コリアンが多く居住する新宿区新大久保にある。
 JR山手線新大久保駅から徒歩10分、職安(ハローワーク)通りに面したビルの7階にあった。
 ここを訪れたのは初めて。

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JR新大久保駅
15年ぶりに下車した。若者、外国人が多くてビックリ!

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職安通り
通りを挟んだ向こう側は歌舞伎町

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博物館のある第2韓国広場ビル

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高麗博物館は日本とコリアの相互理解や友好を目的に2001年12月にオープン

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博物館入口
入館料は大人400円
(月・火は休館、12~17時)

 「朝鮮人が井戸に毒を入れた」、「あちこちで放火やレイプをしている」といったデマゴギーに端を発して起きた日本人による朝鮮人虐殺事件については、これまでにずいぶんと関連図書を読んできたので、今回の展示内容そのものに関して取りたてて新しい知見はなかった。
  •  当時の日本に蔓延していた朝鮮人に対する差別や偏見。
  •  未曽有の震災による被害の凄まじさ。
  •  錯綜する情報とパニック。
  •  群集心理の怖ろしさ(ちょっと前にJR山手線内で起きた「包丁を持った外国籍の男」事件を想起)
  •  自警団をはじめとする軍国主義下の男たちの残虐ぶり。
  •  率先して朝鮮人虐殺をそそのかし、国際社会からの批判が強まるや、今度は朝鮮人の犯罪証拠をでっち上げようとした閣僚や警察や官人たち。
  •  そして、学者たちによって認められ長く教科書に掲載されていたにもかかわらず、半世紀以上たって、「朝鮮人虐殺はなかった」、「あったのは震災に乗じて犯罪をおこなった朝鮮人たちに対する正当防衛」などと言い始め、教科書の記述を変えさせようと圧力をかける歴史修正主義者の厚顔無恥ぶり。それが現岸田政権のお膝元に巣食っているのだから、ほんとうに自民党は、日本は、おかしくなった。
 100年経ってもいまだにこの事件が大々的に蒸し返されて、こうやって展示やイベントが開かれるのも、政府が事件にきちんと向き合って来なかったからである。
 左翼のせいなんかではない。

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会場の風景
いくつかの新聞に報道されたらしく入場者は絶えなかった。

 今回の展示に惹かれたのは、本邦初公開の『関東大震災絵巻』が展示されているというからであった。
 2021年にネットオークションに出品されていたものを、前館長の新井勝紘氏が見つけて個人的に落札したという。
 作者は、福島県西白川郡出身の画家・大原彌市。雅号を「湛谷(きこく)」という。
 震災の2年半後の大正15年に描かれたもので、2巻合わせて32mにもなる長大な巻物である。
 保存状態も良い。 
 関東大震災直後の町や村の様子が生々しいタッチで描き出されているのだが、その一部に朝鮮人虐殺の場面もあった。
 場所がどこかは特定されていなかったが、警官と軍人と自警団の男たちがよってたかって無抵抗の朝鮮人をなぶり殺しにしているのを、柵の向こうにいる群衆が見物している。
 中には、柵を乗り越えて自分も加わろうとする住民らしきもある。
 まさに虐殺の動かぬ証拠である(上記チラシ参照)。

 関東大震災100周年を待っていたかのように忽然と現れた絵巻。
 「日本人よ、忘れるな!」
 安倍元首相一周忌を目前に、真に日本を愛し日本の行く末を心配する故人たちが草葉の陰から我々に伝えるメッセージのように思った。

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第二次安倍政権の頃から反韓ヘイトスピーチの舞台となった大久保通り

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韓国アイドルのグッズショップ
イケメンに国境はない
















● トーハクのみほとけ巡り

 最近、観仏が趣味の一つになりつつある。
 若い頃はギリシア・ローマ時代やルネサンス期の西洋彫刻が好きだったのだが、枯れてきたというか、ジジむさくなったというか、求めるものが違ってきた。
 肉より魚のほうが・・・といった嗜好変化と同じだ。 

 偶像崇拝は本来の仏教的にはNGで、お釈迦様は、「法と自分を拠り所にしなさい(自灯明、法灯明)」と言い残した。
 仏滅後500年近くものあいだ仏像がつくられなかったのは、バラモン教に支配されたインドではもともと神像をつくる風習がなかったことに加え、お釈迦様の遺言も影響したのではなかろうか。
 現在、タイ、ミャンマー、スリランカなどテラワーダ仏教諸国では、仏像と言えば何を置いても釈迦如来像、実在した人物をかたどった像である。
 仏像彫刻が花開いたのは、日本や朝鮮や中国など大乗仏教諸国においてであった。
 大乗経典が様々な如来や菩薩を創作し、また、もとから土地に根付いていた信仰が仏教と混ざり合うことで明王系・天部系・垂迹系など様々な神仏が生まれ、それらの像がつくられることで実に多彩で、キャラクター豊かな、めくるめく仏像世界が築かれたのである。

 テラワーダ仏教を信奉するソルティとしては、基本的には釈迦如来以外の神仏はフィクションつまり想像上の産物としか思っていないし、偶像崇拝にも興味はない。
 観仏の愉しみは、歴史学的・社会学的・美術的なものであり、また人気漫画のキャラクターや往年のスター役者を愛好するようなミーハー的なものである。「毘沙門天カッコいい!」とか。
 とはいえ、人の少ない静かなお堂や館内で、名だたる仏師が精魂込めてつくりあげ、過去数世紀に生滅した何十万何百万という人々の念が入った仏像と対面していると、自然と心が静まり、煩悩が薄らいで、仏教愛が深まるのは事実である。

 いっぺんにたくさんの種類の仏像と出会うには、どこがいいだろう?
 トーハクこと東京国立博物館に如くはない。
 ここのホームページには「おすすめコースガイド」の一つとして、「仏像大好きコース(150分)」が紹介されている。
 梅雨入り間もない蒸し暑い土曜日、上野公園に出かけた。

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トーハクと言えば上野だが、距離的にはJR鶯谷駅南口からのほうが近い。
上野駅や上野公園の混雑も避けられる。

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東京国立博物館(本館)
本館(日本の仏像)→東洋館(アジアの仏像)→法隆寺宝物館と巡る

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薬師如来像(平安時代)
シンプルな服飾、手に乗せた薬壺が目印
理由は知らないが、撮影OKの仏像とNGの仏像がある

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弁財天(鎌倉時代)
もとはインドの神サラスヴァティー。
水の神、芸術と音楽の神、七福神の一人である。
老人の顔を持つ蛇を頭に乗せていることが多い。

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千手観音(南北朝時代)と四天王(鎌倉時代)
向って右奥から時計回りに、多聞天(北)、持国天(東)、増長天(南)、広目天(西)
多聞天はまたの名を毘沙門天という。

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東洋館には、初期(1~3世紀)の仏像や中国・朝鮮の仏像が展示されている。
初期のものはギリシア彫刻の影響が多分に見られ、彫りが深く鼻が高い西欧系美男子が多い。

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釈迦如来像
1~3世紀にガンダーラでつくられたもの。
両手を前に組み、まだ印を結んでいないのに注目。

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十一面観音菩薩(中国)
石像と思えない艶
ウエストが細い!

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聖観音(中国)
台座の石には寄進者の名前がびっしりと刻まれている。

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ちょっと中庭でコーヒーブレイク
朝鮮石人像(文人像)がここにもあった。
由来が気になる。

 法隆寺宝物館には、明治11年(1878)に法隆寺から皇室に献納された300件あまりの宝物すべてが、収蔵・展示されている。
 迂闊にもこれまで入ったことがなかった。
 本館・東洋館が並ぶメイン会場からちょっと離れた、ほとんどの来館者が足を延ばさない聖地にそれはあった。

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法隆寺宝物館
平成11年(1999)に建てられた。
周囲の緑に映える白い直線配列と水面がつくる幾何学的空間がシンプルで美しい。
この禅的な雰囲気はどこがでみたことがある・・・と思ったら、

鈴木大拙館
金沢にある鈴木大拙館ではないか!
同じ設計者(谷口吉生)だった。

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法隆寺から献納された観音像
正直、これほど多くの素晴らしい宝物があるとは思わなかった。
ここを観ないで「法隆寺に行った」とは言うのは片手落ちかも。

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弥勒菩薩半跏像
仏教伝来から程ない時代の仏像たちや、聖徳太子が大陸からもたらしたと伝えられている伎楽の仮面がたくさんある。
質量ともに圧倒された。

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平安時代(1069)に絵師・秦致貞(はたのちてい)によって描かれた国宝『聖徳太子絵伝』をデジタルで観ることができる。
ただ、原画そのものの傷みがひどいので、よく分からない。
美術的価値よりも、太子の生涯という物語的価値の高い作品なのだから、きれいに修復した原寸大の絵を掲示したほうが良いと思う。
 
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上野公園噴水広場

 150分コースに180分以上かかった。
 しかも見残しがあった。
 また行こう!

 博物館内も上野公園もいろいろな人種・国籍の外国人でいっぱいだった。
 コロナ前に完全に戻っている感。
 思えば、ソルティが子供だった60~70年代、外国人はほんと珍しかった。
 天気予報の「ハロー注意報」を、外国人が出没する警報と思っていたくらいである。
 中学の修学旅行で京都に行ったとき、黒人を初めて生で観た。
 クラスがちょっとしたパニックになったのを憶えている。
 この半世紀で日本人もずいぶん外国人馴れしたものだとつくづく思う。
 (かえって戦後の頃のほうが、町中にGHQがらみの外国人が多かったのではないか?)
 それにしても、博物館での外国人の様子を見るからに、こんなにも日本文化に関心高い外国人がいるのかと驚くばかりだった。

 考えてみると、釈迦仏はじめほとんどの仏さまは異国人なのだがな・・・・。












● 美術展:『救いのみほとけ――お地蔵さまの美術――』(根津美術館)

 根津美術館は南青山(渋谷区)にある。
 ブティックや高級レストランが立ちならぶ気取った(鼻持ちならない)界隈である。
 ソルティはずっと千代田線の根津駅(文京区)近辺にあるものと思っていた。
 紛らわしいが、根津美術館の根津は地名ではなく、創設者である根津嘉一郎(1860-1940)の名前から来ているのであった。
 ここを訪れるのは初めて。
 目的はお地蔵さまである。

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表参道駅からの道

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根津美術館

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1Fホールに並んだ古代アジアの仏像たち
右端は3世紀ガンダーラ地方でつくられた弥勒菩薩像

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正面より
ギリシア彫刻の影響が見られる

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今展のポスター

 お地蔵さま(地蔵菩薩)は庶民にとって最も身近で親しみやすい仏である。
 お釈迦さまが亡くなって1500年後に末法の世が到来し、正法は失われた。
 日本では平安末期の1052年がそれに当たる。 
 以後、56億7千万年後に弥勒菩薩が出現するまで、修行も悟りも不可能。
 さあて、困った。
 我々は永遠に六道輪廻するほかないのか?
 でも大丈夫。
 その間に娑婆世界に降りてきて、六道にいるあらゆる生命を救済してくれるのがお地蔵さまである。
 なので、お地蔵さまの仏画や仏像が盛んに作られ、広く信仰されるようになったのは、平安後期からなのである。
 今回の特別展は、日本における地蔵信仰の歴史を、書写された経典や絵巻物や仏画や仏像によってたどる試みである。
 とくに平安時代末期から鎌倉・室町時代につくられた地蔵菩薩の絵や彫像が目玉である。

 展示室は撮影禁止なので残念ながらここに紹介できないが、いくつかの彫像の美しさに心打たれた。
 お地蔵さまと言えば、風雨に打たれ摩滅し顔立ちもはっきりしない道ばたの石像のイメージが強いので、こんなに美しい地蔵像があるとは思わなかった!
 平安時代末(1147年)に作られた木造彩色の地蔵菩薩立像(ポスターの下半分)などは、興福寺の阿修羅像や法隆寺の百済観音に匹敵するほどの優美さ、高貴さ、慈しみ深さを湛えていて、これを観れただけでも性に合わない青山まで足を運んで良かった。

 1~2Fで6つある展示室をめぐったあとは、根津美術館ご自慢の日本庭園を見学。

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17,000㎡を超える広さをもつ

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ところどころに置かれた仏像がなかなか愉快

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都会の真ん中にこんな緑豊かな空間があるとは・・・


 ところで、末法思想は大乗仏教において花開いた(?)信仰なので、初期仏教の流れを汲むテーラワーダ仏教(卑称:小乗仏教)に「末法」という概念はなく、地蔵菩薩も存在しない。
 お釈迦さまの説いた法(ダルマ)はいまもちゃんと残っており、修行も悟りも可能である。

六地蔵
秩父の町中で見かけた六地蔵















● 女優!女優!女優! :小津安二郎展 @横浜

 久しぶりの横浜。
 前回がいつだったか思い出せない。
 目的は神奈川近代文学館で開催中の小津安二郎展である。
 今年は生誕120年、没後60年の節目なのだ。
 小津の人生はその映画スタイルのようにきっちりしていて、60歳の誕生日(12/12)に亡くなった。
 なかなかできることではない。

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マリンタワー
ソルティの中の横浜は「マリンタワー、氷川丸、中華街」で止まっている
いつの時代だ

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港の見える丘公園

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レインボーブリッジ?
いやいや、横浜ベイブリッジ

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マリンタワーと氷川丸

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巨大ガンダム
ここ(山下埠頭)にあったのか・・・

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神奈川近代文学館
来たことあるような、ないような・・・

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一般800円、月曜休館
近代文学と神奈川の関わりを辿った一般展示も見ることができる
三島由紀夫の『午後の曳航』は横浜港が舞台だったのか・・・

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入口にあった撮影コーナー(会場内は撮影禁止)
小津の代名詞であるローポジションを体感することができる
テーブルの上にカメラやスマホを置くと・・・

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小津調となる
これは『秋刀魚の味』のワンシーン

展示はとても内容が濃くて、見ごたえあった。
  • 小学校時代の小津の作文や写真(かわいい!)
  • 母親や親友たちとやりとりした手紙
  • 幻の第1作『懺悔の刃』のあらまし(フィルムが残っていない)
  • 全作品の内容紹介
  • 往年の大スターてんこもりのポスターやスチール
  • 監督デビューのきっかけとなった「カレーライス事件」など様々な逸話
  • 中国大陸従軍中の様子を伝える新聞記事や現地からの絵葉書
  • 山中貞雄、志賀直哉、谷崎潤一郎など同時代の映画監督や文学者とのつきあい
  • 愛用していた数々の日用品(机、撮影用椅子、帽子、パイプ、スーツ、時計、ライター等)
召集された小津は、南京虐殺(1937年12月)から間もない時期に南京入城している。
おそらく、いろいろな見聞あったことだろう。
戦後、小津は戦時中のことをほとんど語らなかったし、映画のテーマに据えることもなかった。
どんな思いを抱えていたのだろう?
戦争体験がどのように作品に影響したか興味ある。

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『晩春』のワンシーン
この作品は『東京物語』と並び、世界的評価が高い。
やっぱり原節子は日本映画史上一の美貌と思う。
ほかにも、栗島すみ子、山田五十鈴、高峰三枝子、高峰秀子、岡田茉莉子、久我美子、山本富士子、岩下志麻など、錚々たる大女優の写真がずらり。
「昔の女優さんは品があってきれいだね」
ご高齢夫婦が横で会話しているのが耳に入った。

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館内にある喫茶店で一服
なんと入館から3時間も経っていた

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喫茶店からベイブリッジを望む

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港の見える丘公園は薔薇園で有名
まさに見頃であった

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その後、中華街を散策
修学旅行の高校生でいっぱいだった

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店を冷やかしながらの肉マン食べ歩きは楽しい
横浜中華街=値段が高い、というイメージがあったが、千円以下で6点セット(ご飯、スープ、副菜2点、小籠包、デザート)の定食を提供している店がたくさん並んでいた。

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中華街のソウルスポット、横濱媽祖廟(よこはままそびょう)

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媽祖様は「天上聖母」とも呼ばれ、仏教、儒教、道教における最高位の女神とされる
中国人が熱心に礼拝していた

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横浜スタジアムを抜けて、JR桜木町駅まで歩いた
本日の歩数は約25000歩









● 治兵衛とコンドル :旧古河庭園に行く

 JR駒込駅北口から徒歩12分のところに旧古河(ふるかわ)庭園がある。
 しばらく前から気になっていた。
 瀟洒な洋館と、それを取り巻く何十種類もの薔薇で有名なのは知っていた。
 5月中旬ともなれば、たくさんの薔薇好きで賑わうことも。

 それとは別に、広大な敷地内には日本庭園もある。
 気になったのはそちらである。
 休日の午前中に訪ねてみた。

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開演時間は午前9時から午後5時
入園料は大人150円


 ここは明治時代、陸奥宗光の土地であった。
 どこかで耳にした名前だなあと思ったら、井上馨や大隈重信らと共に、江戸末期の開国から続いていた不平等条約の改正に尽くした人である。
 関税自主権の撤廃とか治外法権の回復とか、世界史で習ったのを覚えている。
 宗光の次男・潤吉が、足尾銅山の経営で知られる古河財閥の初代当主・古河市兵衛の養子になった時に、土地は古河家の所有に移った。
 それまで実子のできなかった市兵衛は、その後芸者との間に男子・虎之助をもうける。
 2代目当主潤吉は早逝し、虎之助が3代目当主となった。
 この古河虎之助が、1917年に本邸として造ったのが、今ある洋館と庭園である。

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設計はジョサイア・コンドル(1852-1920)
鹿鳴館、ニコライ堂、岩崎久弥邸(現・旧岩崎邸庭園洋館)などを設計し、
「日本近代建築」の父と呼ばれた。
1階は見学料(400円)を払って、2階はガイドを予約して観ることができる。
庭園の見えるテラスでアフタヌーンティーを頼めば、
ダウントン・アビー』の登場人物になった気分を味わえる。


 この土地は武蔵野台地の崖線(ハケ)に位置している。
 崖の上の高台に洋館が建ち、傾斜に薔薇やツツジの花壇が並び、低地に日本庭園が広がる。
 日本庭園の周囲は木々で囲まれているので、たまに日本庭園があるのに気づかずに、洋館と花壇だけ見て帰ってしまう来場者もいるそうだ。 
 もったいない話である。
 というのも、この庭園の設計者は、京都無鄰菴の作者・小川治兵衛その人なのである!
 それを知らずにやって来たソルティ、このシンクロニシティにびっくりした。
 青い鳥は案外近くにいたのね・・・。

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浅い池の中を優雅に歩く白鷺
水面に映るマンションが残念

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地下水を汲み上げて作った滝
人工的な気配を排した野趣あふれる景観が治兵衛の理想だったようだ

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こちらは枯山水の滝

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洋館の建つ高台方面を見やる
東山を借景とする無鄰菴には適わないものの、奥行きを感じさせる造形はさすが


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治兵衛は石の使い方が天才的
様々な土地から集めた大小の石を自在に使いこなしている

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園内には巨大な灯籠がいくつかある。
富の象徴(つまりは成金の見栄)だったようで、ちょっとお下品。
施主の要望には名匠・治兵衛も逆らえまい。
木々で隠すなどの工夫の跡がうかがえる。


 関東大震災(1923年)の折に、この庭は被災した2千の人々の避難所になり、当主の虎之助夫妻は敷地にあった温室を壊して仮設住宅を建て、被災者を支援したという。
 コンドル設計の洋館はびくともしなかった。
 イギリス生まれのコンドルは、日本の地震の多さに驚き、耐震性ある建築物について研究していたという。
 戦後はGHQに接収され、返還後30年間の無人状態を経て、1982年に東京都名勝指定、2006年に国の名勝に指定された。
 現在ここの所有者は国である。
 東京都が国から無償で借り受けて一般公開している。

 新緑の頃、薔薇の頃、盛夏の頃、紅葉の頃・・・。
 お弁当を持って、季節折々の庭を訪ねたい。
 こんなに近いんだもん。

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置き物かと思ったら、ほんものだった
まったり












● つくし作品展と高尾山

 高尾駒木野庭園は、JR高尾駅から歩いて15分のところにある。
 小林医院(現・駒木野病院)院長の自宅として昭和初期に建てられた日本家屋と、枯山水や露地のある池泉回遊式の日本庭園は、瀟洒にしてどこか懐かしい風情が漂っている。
 先日、ここで開催された「つくし作品展」に行き、そのあと約2年ぶりの高尾登山をした。


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高尾駒木野庭園
平成21年3月に八王子市へ寄贈された。

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入園料は無料

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つくしさんは高尾山のふもとに暮らすイラストレーター。
国内だけでなくアメリカでも発揮されたその多彩な才能と画風は Tukushi Works で知られる。

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細やかな色合いの和紙を使った自然描画が家屋に見事マッチしていた。

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外からの光線具合によって絵の印象が変化するところがまた面白い。

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もみじがまだ残っていた。

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喫茶スペースでコーヒーをいただきながら、つくしさんと会話。
つくしさんのスピリチュアルトークは深くて面白い。

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高尾の山々が借景になり、人工と自然との見事なハーモニーが奏でられる。

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たまに来て瞑想するのもよいなあ。
ここから歩いて15分で高尾登山口へ。

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高尾山の霊気(バイブレーション)にはいつも身心を清められる思いがする。

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高尾山頂
この日は午前中雨模様で寒かったので、登山者が少なかった。

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展望台
晴れていれば富士山や丹沢の山々が望める。

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首都圏方向を望む

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下山はリフトを使った

高尾極楽湯
ふもとの温泉で体を芯からあたためる。
豊かな一日だったなあ~。







● 東京タロット美術館に行く 

 昨年11月に浅草橋にオープンしたタロット美術館なるものに行ってみた。
 別にタロット占いに興味があったわけではない。
 約500種類のタロットカードが展示されているというので、図柄の美術性をこの目で見たくなった。
 運営は「ニチユ―」という名のタロットカード輸入販売会社。もともとは戦後に玩具販売会社として創業されたとのこと。

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JR総武線・浅草橋駅界隈

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「人形の久月」で有名

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駅から徒歩3分のビルの6階にある

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入口

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靴をスリッパに履き替えて受付に
(予約制、800円)

 受付でちょっとした趣向があった。
 置いてある籠の中からカードを一枚選ぶ。
 裏返すと、タロットカードの核となる22枚のカード(大アルカナと言う)のいずれかが現れる。
 大アルカナにはそれぞれ「愚者」「魔術師」「皇帝」「恋人」「運命の輪」「死神」「悪魔」「星」「太陽」「世界」などの表題がつけられ、それを表す図柄が描かれている。
 占う際にはカードの「正位置」と「逆位置(リバース)」に与えられている意味を読んでいくのが基本になる。が、重要なのはそのカードから得られた直観であるという。
 来場者は受付で引いたカードから得た直観をテーマに、館内で過ごしてほしいとのこと。
 ソルティが引いたのはこのカードであった。

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THE HERMIT
灯りを持つフクロウの図柄から「知恵」かなあと直感。

 館内には、実に多様なデザインのタロットカードが展示されているほか、企画展示コーナーやタロットカード入門書はじめ関連本を集めたライブラリー、ブローチなどオリジナルグッズ販売コーナー、サンプルカードを使って占いもできるフリースペース、それにワークショップや講演会を随時開催する小部屋などがあった。
 予約制のため静かなゆったりした雰囲気の中でじっくりと見学することができ、お茶のサービスもあった。

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撮影スポットから館内を撮る

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22枚の大アルカナ

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THE DEVIL『悪魔』
伝統的なデザイン

 やっぱり、圧倒されたのはタロットカードの種類の多さと図柄の芸術性。
 大昔(タロットカードの起源は15世紀西欧と言われている)からの伝統的な図柄はもちろん、ルネサンスの巨匠ボッティチェリやダ・ヴィンチ、アールヌーボのミュッシャやクリムトら有名画家の作品をアレンジしたもの、色彩・形象ユニークな現代美術風、キリストの生涯をテーマにしたもの、日本神話や北欧神話に材をとったもの、手塚治虫アニメのキャラクターたち(アトムやピノコなど)が描かれたもの、クマのプーさん、星の王子様、『パタリロ』や『翔んで埼玉』で知られる漫画家の魔夜峰夫デザイン、猫ちゃんデザイン、ゲイをテーマにしたもの・・・・e.t.c.

 まさに美術館というのにふさわしい一大コレクションで、時のたつのも忘れる面白さ。
 展示されているもの以外にも在庫は豊富にあり、カタログで図柄を確認することもできる。
 多くのカードはその場で購入できるようだ。
 ソルティは、ダ・ヴィンチカードとクリムトカードに強く惹かれるものがあったが、とりあえず概要を知りたいと思い――「知恵」が大切=直観!――鏡リュウジ先生の本を買った。 

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 この本によると、ソルティが引いた THE HERMIT のカードの意味は『隠者』。
 「時」「老人」「円熟」を象徴する。
 ひとりで過ごす静かな時間が魂を磨く、とあった。
 まさに今の自分にぴったりのカードではないか!




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