ソルティはかた、かく語りき

首都圏に住まうオス猫ブロガー。 還暦まで生きて、もはやバケ猫化している。 本を読み、映画を観て、音楽を聴いて、神社仏閣に詣で、 旅に出て、山に登って、瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

●美術館・博物館・ギャラリー

● なんなら、奈良10(奈良大学通信教育日乗) むくよ柿の葉、藤原京

 スクーリング第2弾は「文化財学購読Ⅱ」。
 寒気が緩み、3月初旬の春らしい日射しが注ぎ、心地よい外歩きが楽しめた。
  • 1日目 講義(基礎編) 
    翌日の学外授業のための事前レクチャー
  • 2日目 学外授業(バス移動)
    藤原京跡(奈良文化研究所・藤原京跡資料室)⇒大神(おおみわ)神社⇒天理大学付属天理参考館
  • 3日目 講義(応用編)
    弥生時代の櫛から分かること
    魏志倭人伝に出てくる織物について
    平城京大極殿から東大寺法華堂が見えることの意味
    東大寺戒壇堂の四天王像の来歴
    鑑真和上は本当に盲目だったのか
    法隆寺の柱の中にあった大量の桃の種の謎
    ・・・等々
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2度目の母校通学
高の原駅からの道順も覚えた
歩いて20分

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奈良大学は平城山にある
山と言っても、奈良市と京都木津川市の県境を東西にのびる海抜100mの丘陵

 今回のメインもまた2日目の学外授業。
 50名余の参加者を2台に分乗した貸し切りバスは、大学のある平城山を出発し、奈良バイパスを一路南下、平城京跡、大和郡山市、天理市を抜けて、飛鳥の地に到着した。
 目指すは藤原京跡である。

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藤原京は大和三山を都城内に含む大きな都市だった

 今回なによりショックだったのは、自分の無知というか、時代遅れを痛感したことである。
 ソルティは大学受験の際に日本史を選択したくらいには日本史が好きで、結構勉強したほうであるが、藤原京についてはほとんど学ばなかった。
 日本で最初の本格的な都は、唐の長安をモデルに創った平城京で、その始まりは「なんと(710)大きな平城京」と覚えた。元明天皇の御世である。
 平城京の前に、藤原宮をはじめ、飛鳥宮や近江大津宮や飛鳥浄御原宮などいくつかの宮を転々とした記録はあるが、その頃は天皇(当時は大王と言った)が変わるたびに宮を遷すのが通例だったので、都と言えるほど大きなものではなく、政治・歴史的な重要度も高くないと思われていた。
 試験の出題対象にならなかったので、年号なども覚える必要がなかった。

 それから40年余。
 いかに日本史や考古学から遠ざかった生活を送っていたことか。
 知らない間に、古代史における藤原京の位置付けがまったく変わっていた!
 1990年代の東西の京極大路の発見により、その規模は、5.3km(10里)四方、少なくとも25㎢はあり、平安京(23㎢)や平城京(24㎢)をしのぎ、日本で初めて条坊制――碁盤の目状に大路が交差する――を取り入れた、古代最大の都市であることがわかったのである。
 今では日本最初の本格的な都は藤原京であり、その遷都は持統天皇の694年。
 歴史教科書にしっかり記載され、試験にも出る。
 「むくよ(694)柿の葉、藤原京」という語呂合わせまで出来ている。

柿の葉寿司
奈良の名産・たなかの柿の葉すし

 この過程を知らなかった、あるいはニュースを見てもたいして気に留めず記憶に刻まれなかったものだから、今回、大和三山(香具山・畝傍山・耳成山)を見晴るかす広大な藤原京跡に立った時に、また、遺跡から発見された様々な文化財から復元された当時の都の姿を、奈良文化研究所・藤原京跡資料室でかいま見た時に、40年余のタイムラグをしたたか痛感したのであった。
 もっとも、学問とは縁のない社会生活を送っていれば誰しも同じようなものとは思う。また、子育てしなかったソルティは子供の教科書を見るということもなかった。
 40年間の放置でカビの生えた知識を一掃し、学び直し、更新する必要がある。
 この気づきこそ、今回のスクーリングの一番の収穫かもしれない。

 担当教師は深澤芳樹先生。
 1952年山梨生まれで、奈良文化研究所に勤めて発掘調査などを数多く手がけられた。弥生時代を専門に研究されている。
 教室での講義でも、バス移動の道中でも、施設を巡っている時でも、語り出したら止まらないあふれる知識と雑学と面白いエピソードの持ち主で、考古学というのは、文学・民俗学・植物学・建築学・化学・史学・神話学・美術・宗教学を総動員する学際的な学問で、加えてシャーロック・ホームズばりの想像力と推理力と洞察力が要求されるのだと、ご本人みずからの語りをもって証明し、伝えてくださった。
 軒丸瓦の文様によって建物の造られた時代が分かるという話、相手の髪の毛を掴んでの喧嘩必勝法、聖武天皇と光明皇后が東大寺法華堂にかけた思い、鑑真和上は盲目でなかった説の論拠など、遺物や古文書から過去の人間の姿をよみがえらせる考古学の面白さは、出来のいいミステリーそのものと思った。
 人あたりもたいへんマイルドで、受講生からの質問に丁寧に応じられていた。

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藤原京跡から西に望む二上山
その向こうは大阪府太子町

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香久山(かぐやま)
藤原宮の東を守る
「春過ぎて 夏来たるらし 白妙の 衣ほしたり 天の香久山」
百人一首にも採られた持統天皇(645‐703)の歌で有名
藤原京への遷都と大宝律令の制定を行った彼女は、日本史上最大の女帝である

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耳成山(みみなしやま)
藤原宮の北を守る

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藤原宮の東を守る畝傍山(うねびやま)と大極殿跡

香具山は 畝火を惜しと
耳成と 相あらそひき
神代より 斯くにあるらし
いにしえも 然にあれこそ
うつせみも つまを あらそふらしき

(現代語訳)香具山は、畝火山を愛して耳梨山と争った。神代からそうであったらしい。昔からそうであったのだから、今の世においても人々は妻を争うのだろう。
(『万葉集』巻1-13にある中大兄皇子=天智天皇の歌)

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奈良文化財研究所・藤原京跡資料室
遺跡から出土した文化財を展示している

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儀式の際に大極殿の前に立てられた飾り
東に青龍、西に白虎、南に朱雀、北に玄武の守護神が描かれている

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三本足のカラス!
アマテラスの暗号』にも出てきたヤタガラス(八咫烏)
神武天皇を熊野国から大和国に案内した神の使いとされる

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「形式重視・事なかれ主義」のいかにも役人らしい顔つきは現代と変わらない

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貴族の食事

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下級役人の食事

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庶民の食事

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バスで大神神社に移動
どこに行っても目立つオジ&オバ軍団

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拝殿
三輪山(467m)をご神体とする大神神社には本殿がない。
御祭神の大物主(おおものぬし)大神は記紀では蛇の姿で登場する。
今年は巳年なので、参拝客であふれていた。
ソルティは20代の初夏の旅で、境内のどこかで真っ裸で滝を浴びた記憶がある。
当時は参拝客が少なかったのだ。

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天理参考館に移動
天理大学の施設である。
天理教を広めるために世界各地に派遣される信徒たちに、諸外国の生活習慣や歴史などの知識を身に着けてもらうために、国内外から民俗資料や考古資料を集めた。
そのコレクションは一見の価値がある!

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アイヌ、朝鮮、中国、台湾、バリ、ボルネオ、インド、メキシコ、パプアニューギニア、そして昔の日本の文化財や美術品の数々に圧倒される。
と同時に、天理教信者の信仰の力をまざまざと感じた。

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中国の傀儡劇のあやつり人形

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パプアニューギニアの祭礼に使用された仮面

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わが国最初の鉄道切符
横浜ー川崎間(明治5年)

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古墳時代の布留の祭場
布留は奈良県天理市の地名。石上神宮がある場所。

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三角縁神獣鏡
魏志倭人伝』には魏の皇帝が卑弥呼に大量の鏡を送ったことが記されている。
これと同種のものではないかと言われている。

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銅鐸も不思議が多い。
鐘として使われていたものがどんどん大きくなり、祭祀具となった。
3世紀(卑弥呼の時代)に入って突然造られなくなった理由も解明されていない。

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この二人、野球拳をしているわけではないと思う。

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ウルトラ怪獣ドドンゴのモデル?

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メキシコの巨大顔面像
どうやってここまで運んだのやら???

 この日は頭も体もさすがに疲れて、奈良市に向かう帰りのバスではコクリコクリしてしまった。
 周囲も同様に。
 思いは熱くとも持久力がないのが中高年集団(笑)

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今回の宿泊は猿沢池そばのホテル。
静かな立地で落ち着けた。
朝食もおいしかった。

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猿沢池
毎朝この池を見ながら通学するのは気分がいい

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興福寺南円堂の裏を通って近鉄奈良駅へ

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近鉄奈良駅
空海でも空也でもなく、行基である。
東大寺の大仏は、全国を巡り歩いて勧進につとめた行基がいなければ完成しなかった。

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学食の日替わり定食(450円)
チキンソテーと野菜

 授業以外の今回のスクーリングの大きな収穫は、最終日、奈良学友会(通信教育同窓会)が主宰する学習相談会に参加し、相談に乗ってもらったことである。
 昼休みに相談室に飛び込んで、疑問に思っていることを卒業した先輩に聞き、今後の学習のための指針を得ることができた。
 レポートや学科試験に合格するコツ、卒論までの計画の立て方、参考文献や資料の集め方など、経験に裏打ちされた話を聴くことができた。
 立て板に水の関西弁も楽しく、話をしていたらなんだか気持ちが軽くなった。
 一方、生半可な姿勢では、卒業論文に合格するのは難しいと分かった。
 ソルティの40年前の卒論は、ゼミの先生がとても寛大で、何か書いて提出さえすれば素通り合格させてくれる、まったくゆるゆるの通過儀礼であった。
 今回はかなりしっかり準備して取り組まないといけないようだ。
 また、相談会を利用しよう。
 持つべきは学友だ。

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キャンパスの川津桜

 
 

 
 



 

 



 

● 九段しょうけい館(戦傷病者史料館)に行く

 塚本晋也監督『ほかげ』を観て、傷痍軍人のことが気になって調べていたら、千代田区九段にこの施設あることを知った。
 「しょうけい」は「承継」のことで、「戦傷病者とそのご家族等の労苦を受け継ぎ、語り継ぐ」という趣旨で、平成18年3月に設立された国立の施設である。

 国立で、靖国神社の近くにあり、安倍晋三政権のときに作られた、と聞けば、およそどういった施設か見当つかないでもないが、入館無料でもあることだし、神ブラ(神保町散策)のついでにのぞいてみようと思った。

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九段下交差点と九段会館

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しょうけい館の入っているビル
地下鉄九段下駅、徒歩3分

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入口 

 ビルの2階に受付、企画展示室、シアタールーム、図書室があり、3階に常設展示スペースがある。(館内撮影は禁止)
 2階企画展示では、『ゲゲゲの鬼太郎』で有名な漫画家の水木しげるの戦争体験が、水木が描いたイラストや本人へのインタビュー映像を通して語られていた。
 ソルティは、『水木しげるのラバウル戦記』、『昭和史 全8巻』、『敗走記』などを読んでいたので、おおむね知っていることであった。
 ニューブリテン島で敵機の爆撃を受けてジャングルを逃げ回っているときに、ぬりかべと出会った話が面白い。
 そう、水木しげるは太平洋戦争で左腕を失くした傷痍軍人だったのである。

ジャングルの中のぬりかべ

 3階常設展示では、日中戦争・太平洋戦争において戦傷病者となった兵士の一連の体験が、彼らの残した多くの証言や遺品をもとに、時系列で語られている。
 すなわち、赤紙により徴兵された兵士は、
  • 家族や地域の人に万歳三唱で見送られて出征し、
  • 中国や南方諸島での激戦で負傷、あるいはマラリアやハンセン病や結核などに罹患し、
  • ろくな治療設備もない野戦病院等に搬送され、ずさんな治療を受け、
  • 九死に一生を得て内地に戻って来るも、
  • 戦後の生活困窮や後遺症や差別などに苦しめられ、
  • それでも同じ傷痍軍人同士で会を作って励まし合い、家族に支えられて戦後を生き抜いてきた。
 展示は、わかりやすい説明パネルと多数の証言ノート、そして、戦争のリアルを伝える大小さまざまな遺品、たとえば、
  • 甲種合格の表彰状
  • 召集令状(赤紙)
  • 千人針の腹巻き
  • 慰問袋
  • 銃弾が貫通した軍帽や軍靴
  • 傷口から摘出した銃弾
  • 止血に用いた日章旗
  • 野戦病院の様子を再現したジオラマ
  • 戦場で兵士が描いた搬送船のスケッチ
  • リハビリ用の義足や義手や義眼
  • 脊髄損傷した患者のために特別に作られた車いす
  • 傷痍軍人の街頭募金を伝える新聞記事
  • 傷痍軍人に授与された記章 など
 ――が要領よく並べられ、この施設の目的である「戦傷病者とそのご家族等の労苦を知る」のに適ったものであった。
 図書室の関連書籍も充実しており、日中戦争・太平洋戦争について何か調べたければ、それなりに役に立つ施設であろう。(図書はコピーはできるが貸出しはしていない)
 3時間半も滞在した。
 
野戦病院
 
 ひとつ大きな勘違いをしていた。傷痍軍人の定義についてである。

戦闘その他の公務のために傷痍を受けた軍人、あるいは軍属。傷痍軍人は恩給法により増加恩給、傷病年金または傷病賜金を受給でき、軍人傷痍記章を授与される。(出典/平凡社「改訂新版 世界大百科事典」)

 すなわち、国によって要件を認められ、軍人傷痍記章を授けられ、恩給を受ける資格を持つ者を指して言うのである。
 同じように徴兵されて、戦地で爆撃を受けて手足を失おうが、病に冒されて帰還後も働けないほどの後遺症を得ようが、国に認められない限り、傷痍軍人にはなれない。
 つまり、傷痍軍人とは、戦傷病者の中の特別な存在を言うのであった。 
 だから、厳密に言えば、在日コリアンの戦傷病者はいても、在日コリアンの傷痍軍人はいない。

 ちなみに、敵と戦って負傷した兵士が戦傷者、戦地でマラリアや肺炎などの病気に罹った者が戦病者である。
 野戦病院では、戦病者より戦傷者のほうが大事にされ、戦病者は肩身の狭い思いをしたという。

 予想していた通り、安部政権下に作られた国の施設なので、国(=自民党)にとって都合の悪い展示はない。
 これだけの戦傷病者を出したのに、昭和天皇はじめ戦争責任についての言及は一行もない。
 在日コリアンの戦傷病者が戦後置かれた状況にもまったく触れられていない。
 また、元兵士が被った肉体的障害については多々語られているが、精神的障害、すなわち戦場における過酷な経験がもとで引き起こされた戦争神経症の凄まじい実態には、ほとんど触れられていない。
 傷痍軍人が始めた街頭募金(白衣募金と言う)は、しばらくして社会の猛批判を浴びて一掃されたらしいが、その理由や経緯も知りたかった。

 戦傷病者やその家族の体験した労苦は確かに伝わる。
 戦争の恐ろしさも確かに伝わる。
 当事者からの平和へのメッセージも展示の最後に“形ばかり”掲示されている。
 しかるに、この展示はそのまま、「戦争は恐ろしい。負けたら傷病を負って悲惨な生活が待っている。だから、負けないように軍事力を高めて強い日本をつくろう! 平和を守るために憲法を改正しよう!」という、保守右翼にとって都合の良い文脈に利用される可能性がある。
 ちょうど、日本軍や沖縄県民がどれほど勇ましく戦い抜いたかを賞揚する沖縄の旧海軍司令部壕のように。
 そのとき、「しょうけい」は「憧憬」とでも解されるのだろうか?
 “国立”ということを念頭に置いて見学することをおすすめする。


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神保町まで歩いて天婦羅屋「はちまき」に

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天丼(1300円)
外はからっとサクサク、中はほっこりジューシー
平和は美味しい!




● 紅葉の旧古河庭園

 うららかに晴れた休日、東京都北区の旧古河庭園に出かけた。
 昨年3月今年9月に続いて、3度目の訪園である。
 さすがに紅葉時だけあって来園者は多かったが、この近くにある六義園ほどの混雑はなかった。

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JR山手線・駒込駅から徒歩12分
入園料大人150円

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高台から見た庭園全景

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12月に紅葉の見頃を迎えるとはね・・・

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雪吊りの 指し示したる 空のあお

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水面に映った紅葉とのアンサンブルはまさに万華鏡

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見晴台からの風景
ここにあった石のベンチが無くなっていた
座って鑑賞(瞑想)するのにお手頃だったのに・・・・

古河庭園2023年3月
同じ地点から(2023年3月)

古河庭園2023年9月
同じ地点から(2024年9月)

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紅葉の中に立つ十五層塔

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プリンセス・オブ・ウェールズ

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ツワブキ


 次は雪の庭園を見たいものだ。







  

● 九品仏なら世田谷浄真寺

 九品仏と言えば『枕草子』を思い出す。
 女房勤めしていた清少納言が“推し”である中宮定子から、「私はお前をどれくらい愛したものか? 一番でなくてもよいかね?」と問われたときに、「九品蓮台に入っていれば一番下であってもかまいません」と答え、定子に「それは良くない。一番の人に一番に愛されようと努めるのがよい」とたしなめられたエピソードである。
 九品蓮台(くほんれんだい)というのは、極楽には9つの階位があって、亡くなった人はもとからの性質や生前の行いや阿弥陀仏への信仰の深さによって、往生した後に座る場所が異なる、という『観無量寿経』の中にある教えである。
 清少納言は、「極楽であるのなら、一番下でも文句は言いません」、つまり、「中宮様に目をかけていただけるのであれば、一番なんて贅沢は言いません」と言ったのである。
 9つの階位は上から順に次のようになる。
  1. 上品上生(じょうぼん・じょうしょう)
  2. 上品中生(じょうぼん・ちゅうしょう)
  3. 上品下生(じょうぼん・げしょう)
  4. 中品上生(ちゅうぼん・じょうしょう)
  5. 中品中生(ちゅうぼん・ちゅうしょう)
  6. 中品下生(ちゅうぼん・げしょう)
  7. 下品上生(げぼん・じょうしょう)
  8. 下品中生(げぼん・ちゅうしょう)
  9. 下品下生(げぼん・げしょう)
 上品は大乗仏教を信仰する人、中品は小乗仏教を信仰する人、下品は多くの悪をなした人という見解もある。
 要は、阿弥陀仏はどんな人でも漏れなく救ってくれるのであり、浄土宗祖師の法然が言ったように、「一遍でも南無阿弥陀仏を唱えたら極楽往生しない者はいない」のである。
 ちなみに、「上品」「下品」という言葉の由来はここから来ている。

 9つの階位を象徴する9つの阿弥陀仏をまつる風習は、末法の世に入った平安時代末期から流行ったようだが、現存するのは京都木津川にある浄瑠璃寺と世田谷にあるこの浄真寺のみである。
 ソルティは浄瑠璃寺には2011年の秋に行った。
 昨年、9体のうち1体が展示された東京国立博物館主催『京都南山城の仏像展』にも足を運んだ。
 が、浄真寺には行ってなかった。
 暑さもやや和らいだ晴天の午後に、双眼鏡を携えて、のんびり拝観した。

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東急大井町線・九品仏駅下車徒歩2分
小学生の下校と重なった
生意気そうなガキ賢そうなお子様たち

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樹木の立ち並ぶ立派な参道に驚いた

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総門

創建 延宝6年(1678年)
開基 珂硯上人(かせきしょうにん)
宗派 浄土宗
場所 東京都世田谷区奥沢7-41-3
拝観無料

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総門入ってすぐ左手にある閻魔堂

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閻魔大王
賽銭箱にお金を入れるとお告げが下る
「人は自分でも気づかぬうちに罪を犯す。貪り・怒り・無知に惑わされないよう気を引き締めよ」と言われた。

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地蔵菩薩

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立派な山門(仁王門)

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山門をくぐると清らかな気が満ちる

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緑あふれる静かな境内
都会の一角とは思えない

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水場もある
8月上旬に咲く鷺草(サギソウ)が見物という

サギソウ
サギソウ

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枯山水の庭が一見、禅寺っぽい
浄土宗である

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都の天然記念物指定のイチョウ(樹齢300年)
紅葉時には壮麗であろう

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本堂(龍護殿)

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本尊・釈迦如来坐像
寄木造、漆箔、玉眼、高さ295cm
珂硯上人作と伝わる

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いかめしい顔をしておられる
髪の毛が青いのは、大乗経典で説かれているお釈迦様の特徴(32相80種好)に従っている

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横顔が高貴で美しい

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浄土宗開祖・法然上人
ひょうきんな顔立ちである

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五劫思惟像
「どうしたら愚かな衆生を救うことができるのだろう?」
五劫という長い時間ひたすら思惟していた法蔵菩薩の髪が伸びてしまった
チコちゃんに似ている?
「ぼーっと生きてんじゃないわよ!」

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文殊菩薩の姿絵
エロチックな風情が漂う

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浄真寺開山、珂硯上人(1618ー1694)
弟子の珂憶上人とともに九体の阿弥陀仏像と釈迦如来像を造り、浄真寺を創建した

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本堂から庭を眺める
近所にこういうお寺があって、好きな時に静かに過ごせるのはうらやましい

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本堂から阿弥陀堂(上品堂)を臨む
こちらが此岸(穢土)、あちらが彼岸(極楽浄土)
この間に橋をかけて菩薩のお面をかぶった人々が渡る「二十五菩薩来迎会」という伝統行事が3年ごとに行われる
俗に「お面かぶり」という

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横に3つ並ぶ阿弥陀堂
手前より中品堂、上品堂、下品堂

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上品堂
阿弥陀仏は弥陀定印という手の組み方をしている
眼を閉じて瞑想している

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上品上生
親指と人さし指で輪を作っている

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上品中生
親指と中指で輪を作っている

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上品下生
親指と薬指で輪を作っている

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中品堂
阿弥陀仏は両手を胸の前に立てる説法印を結んでいる
半眼で内と外の両方を静かに見守っている

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中品上生
親指と人さし指で輪を作っている

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中品中生
親指と中指で輪を作っている

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中品下生
親指と薬指で輪を作っている

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下品堂
阿弥陀仏は右手を胸の前にかざし、左手を膝の上に置く来迎印を結んでいる
半眼よりやや開いて、衆生を憐れんでいるかのよう

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下品上生
親指と人さし指で輪を作っている

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下品中生
親指と中指で輪を作っている

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下品下生
親指と薬指で輪を作っている(はず)
現在修復中である

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境内の周囲は墓地
歴代上人の御廟もある

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珂硯上人の御廟

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都の天然記念物指定のカヤの木(樹齢800年)

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2時間ほど滞在した
木陰多く、涼しい風が吹き抜け、気持ちいい拝観だった

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お寺の前にある古本屋で文庫を購入
店主は眼鏡の上から鋭い目をのぞかせるお爺さん
――と思ったらイケメン青年だった

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帰りは自由が丘駅まで歩くことにした(約15分)
大井町線の線路沿いを行く

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東急東横線・自由が丘駅
最後に来たのは1980年代
風景が変わっているかどうか分からないほど記憶がなかった
まあ、中品から上品になったのかな?(東横線沿いは下品はない)





















● スペクタクル、神護寺展!!(東京国立博物館)

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 今年3月中旬、京都栂尾にある神護寺に行った。
 唐で密教の奥義を究めた空海が、京に戻って最初に滞在したのがこの寺であり、最澄を筆頭とする当時の日本の高僧たちに密教を伝えんと活動を始めたのもここである。
 いわば、真言密教誕生の地。
 そうした歴史・宗教的価値のみならず、栂尾は京都でも屈指の紅葉の名所であり、仏教美術の宝庫でもある。
 神護寺には、日本彫刻史上の最高傑作と評される薬師如来立像や日本最古の五大虚空蔵菩薩坐像、空海が筆を入れたと伝えられる我が国最初の巨大な両界曼荼羅、歴史の教科書でお馴染みの源頼朝の等身大肖像画などがある。
 むろん、すべて国宝。

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神護寺境内

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毘沙門堂と五大堂

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大師堂

 ソルティが訪れたときは、本堂にある薬師如来像は拝むことができたが、五大虚空蔵菩薩像には会えなかった。
 ご開帳の期間が限られている準秘仏なのだ。
 ご開帳に合わせて京都に来るのはなかなか難しいなあと思っていたら、本堂に貼ってあったポスターで、7月から東京国立博物館(以下トーハク)にて神護寺展が開催されるのを知った。
 薬師如来像が上野に来るのは間違いないが、五大虚空蔵菩薩像については情報がなかった。
 その後、時々トーハクのホームページを開いて最新情報を追っていたら・・・
 やったー‼
 五大虚空菩薩像も上野に来る!
 念じれば通ず。 

 トーハクの優秀なキュレーターの素晴らしい演出と照明設計のもと、薬師如来をもっと近くからもっとじっくり鑑賞したい、五大虚空蔵菩薩を穴の開くまで見つめたい。
 音声ガイダンス付きのチケットを買って、この日が来るのを楽しみにしていた。

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東京国立博物館・平成館
平日の午後、人は多かったが、ゆっくり鑑賞できた

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入口には神護寺貫主の谷内弘照氏による題字

 板に彫られた弘法大師像に迎えられて展示はスタート。
 金色に輝く五鈷鈴や五鈷杵などの密教法具、空海直筆のお経やライバル最澄の名が書かれた勧請歴名、神護寺とゆかりの深い文覚上人、源頼朝、後白河法皇の肖像画や書状など、神護寺の由緒正しさと歴史の深さを感じさせるものがずらり。

 文覚と言えば市川猿之助である。
 NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では、調子がよくて胡散臭い文覚を見事に演じ、芸達者なところを見せていたが、その後の親子心中事件は周知のとおり。
 おかげで文覚のイメージがずいぶん悪くなった。
 しかし、文覚は鎌倉時代初期に荒れ果てていた神護寺の惨状を見て一念発起し、後白河法皇や源頼朝に援助を求め、散逸していた寺宝を取り戻すなど、神護寺復興のために奔走したのであった。
 本展のおかげで、文覚のイメージが向上した。

 ソルティ的には、本展の目玉は二つ。
 一つ目が両界曼荼羅。
 密教の世界観を図像化したもので、悟りへの道を表す金剛界曼荼羅と仏の慈悲を表す胎蔵界曼荼羅の二面から成る。
 これを最初に日本に紹介し、日本で制作したのが空海であり、神護寺なのである。

 舞台の緞帳のごとく垂れ下がった4メートル四方の巨大な布に、金銀で緻密に象られた大小無数の仏たちが、万華鏡の幾何学性をもって居並ぶさまは壮観である。
 前期展示では、空海が実際に関わったと伝えられる平安初期の曼荼羅のうち、胎蔵界が展示されていた。
 最近修復作業を終えたばかりと聞くが、残念ながら全面ほぼ煤けたように真っ黒で、よく目を凝らさないと仏たちの姿が見えてこない。(映像コーナーで細部を観ることができる)
 むしろ、讃嘆すべきは同じ展示室に飾られていた江戸時代の原寸大の摸本。
 光格天皇(1771-1840)の発願によって製作されたもので、金剛界と胎蔵界の両面が並んでいた。
 見た瞬間言葉を失うほどの燦燦たるオーラを放っていて、多くの観客の足を引き止めていた。
 さらに別の部屋には、やはり江戸時代の高橋逸斎という画家によって描かれた両界曼荼羅がある。
 これは京都知恩院所蔵とあった。
 細密画の極北と言っていい神業に驚嘆した。
 双眼鏡、必携!

 二つ目の目玉はもちろん仏像。
 展示されているのは最後の部屋で、ここまでで目も足もずいぶん疲れていた。
 が、五大虚空蔵菩薩が目に入った瞬間、疲れが吹っ飛んだ。

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 五大(五体)はそれぞれ、次の名称、方位、色を表す。左から、
  金剛虚空蔵(東、黄色)
  業用虚空蔵(北、黒紫色)
  法界虚空蔵(中央、白色)
  蓮華虚空蔵(西、赤色)
  宝光虚空蔵(南、青色)

 丈高90センチほどの五体のヒノキの仏像たちが、目線の高さで、それぞれの表す方位のとおりに円陣を組んでいる。
 鑑賞者はその周囲をぐるぐると巡りながら、たっぷりと鑑賞し拝むことができる。
 トーハクのキュレーターの手腕が光る。
 ひとつひとつ異なる仏たちのお顔立ちの言わんかたない素晴らしさ。
 慈悲と智慧と神秘との結合である。
 ソルティの心眼には、中央に座す“赤ちゃん”法界虚空蔵を、父親(業用)、母親(蓮華)、兄貴(金剛)、姉貴(宝光)が護っているという、うるわしき5人家族のイメージが浮かんだ。
 ソルティの“推し”は法界虚空蔵。

 お次は、神護寺の楼門に立つ二天王像(持国天・増長天)。
 ここだけ撮影自由で嬉しかった。

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左から増長天、持国天

 最後の大部屋に足を踏み入れるや、圧倒的迫力で空間を支配し、近寄りがたい眼光をもって鑑賞者の胸を射抜く者あり。
 神護寺本尊の薬師如来像。
 日光・月光菩薩を左右に従え、重々しく貫禄たっぷりのお姿はまさに本展の主役。
 像高170.6センチ、1200年の時で燻されたカヤの枯淡の風合いと、丸みを帯びた体や衣装のラインが美しい。
 金堂の厨子から解き放たれ、その大きさが実感される。

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 この仏像の特徴は何と言ってもその厳めしいお顔立ち。
 悟りを達成した如来らしからぬ、厳しさと苛立ちが窺われる。
 まるで実在した人物をモデルにしたかのような写実性、人間っぽさ。(横顔はとくに個性的)
 神護寺金堂のしんとした暗がりで見上げた時は、心の底を見透かされ、これまで犯した数々の過ちを諫められたような気がした。
 が、今回は違った。
 まったく怒っていない。
 むしろ、楽しんでいる。
 酷暑の中、おのれを観にトーハクにやって来た“物好き”な見物人たちを、半ば可笑しがって、半ば喜んでいるように見受けられた。
 なんという違いだろう!
 お寺の中での拝観と、博物館での鑑賞との差によるものなのか?
 光線や見る角度の違いか?
 仏像を観賞用に寺から運び出すときは魂抜きをすると聞いたことがあるが、そのせいなのか?
 それとも、ソルティがこの像に会うのが2度目だからなのか?
 理由は分からないが、間違いなくこれもまた、如来らしい表情だったのだと気づかされた。

 薬師如来三像の背後には、薬師如来を守護する十二神将がずらりと立ち並んでいた。
 甲冑を着けた武将姿の十二神は、それぞれ個性的な表情やポーズ、持物などで彫り分けられ、十二という数にちなんで、頭の上に十二支それぞれの動物を乗っけている。
 宮毘羅大将(くびらたいしょう)は子(ねずみ)、跋折羅大将(ばざらたいしょう)は丑(うし)というように。
 厳めしい武将と可愛い動物のミスマッチがなんとも楽しい。
 ここの演出も素晴らしく、強い光線を像の下から当て、像たちの巨大な、踊るような影が背後の壁に投射され、目覚ましい効果を生んでいた。
 キュレーター、GOOD JOB !

 音声ガイドには歌手のさだまさしが出演していた。
 奈良を舞台にした『まほろば』や万葉集を題材にした『防人の歌』など、ダスキンと古典文学に詳しい人とは知っていたが、神社仏閣や仏像にも造詣の深い人なのだった。

 この夏一番のスペクタクル。
 会期中にもう一度訪れたい。

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源頼朝の肖像

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神護寺のある高雄山中
ここから土で作ったかわらけを投げる風習がある














 

 
 

 

● 護国寺の如意輪観音はキューティーハニー💛

 毎月18日は護国寺の如意輪観音像が一般公開される。
 それを知って、蒸し暑い午後に参詣した。
 長いこと都心近くに住みながら、訪れるのは初めて。
 最近、ソルティは観仏に目覚めたのである。
 それが証拠に、先日、仏像鑑賞用に4倍率の双眼鏡を購入した。

 いったいに観るほどの価値ある仏像は、お寺のお堂の奥の暗がり、あるいは博物館のガラスケースや囲いの中の、見学者の手の届かないところにいらっしゃる。
 お顔立ちや衣装、アクセサリー(宝冠や瓔珞など)や持物(薬壺や金剛杵や宝剣など)をよく見たい者にとっては、もどかしいことこの上ない。
 ソルティは山登り用に10倍率の双眼鏡を持っているが、それだと遠くはよく見えても、近くはピントを合わせられない。
 倍率は高ければ高いほどいい、というもんじゃないのである。

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Vixen ×4の双眼鏡
有楽町ビックカメラで9000円程度

神齢山悉知院 護国寺
創建 :天和元年(1681年)
創建者:五代将軍徳川綱吉
場所 :東京都文京区大塚5丁目40番1
最寄駅:地下鉄有楽町線・護国寺駅下車1分

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目白通りから山門を望む
午後2時の陽射しがまぶしい

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山門(仁王門)

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真言宗豊山派に属す   

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山門の背面に立つ広目天
西方の守護神
賢そうである

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増長天
南方の守護神
スタイルよく格好いい

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境内の木陰でくつろぐ外国人参拝者ら
日本人でも行かないような所に出没する

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境内の一角に浅間神社がある

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浅間神社と言えば富士山
ミニチュア富士(富士塚)がある

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山頂の祠を拝む
祭神は木之花佐久夜毘命(コノハナサクヤヒメ)

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水盤が涼しさを演出
徳川綱吉の母・桂昌院の寄進による

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不老門

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参道を振りかえる

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地蔵菩薩

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阿弥陀如来
最近の若い女性に人気の“アヒル口”である点に注目

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多宝塔
昭和13年4月建立
紫式部ゆかりの石山寺の多宝塔(国宝)を模したもの

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本堂(観音堂)
元禄十年(1697)建造
関東大震災も東京大空襲も免れたのは奇跡
堂内は撮影禁止である

 靴を脱いで本堂に上がると、結構な広さの外陣に椅子がたくさん並んでいた。
 内陣中央奥の厨子に如意輪観音像。
 きらきらしい黄金の王冠と瓔珞(ネックレス)の美しさもさることながら、小豆色の木肌の質感がなんとも艶めかしい。
 たおやかに曲げられた右上腕、とくに折り曲げた指の第二関節が頬に触れるか触れないかの微妙な加減は、斑鳩中宮寺の弥勒菩薩像を思い起こさせる。
 その眠りは宇宙の創造を夢見ているかのよう。
 実に美しい。

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如意輪観音菩薩像
元禄13年、新田正虎の母栄隆院の寄進による
造られた時代は不明
(画像は護国寺パンフレットより)


 如意輪観音の左右の仏壇には、三十三の像が所狭しと並んでいる。
 これがまたユニークで面白い!
 それぞれの正体が気になって受付のお坊様に訪ねたところ、写真と名前の書かれた紙をいただいた。

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内陣向って右側

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向って左側

 いま、それぞれの素性を確かめてみると、
  • 仏(2)・・・仏、辟支仏(びゃくしぶつ)
  • 天部(6)・・・梵王、帝釈天、大自在天、自在天、毘沙門天、執金剛神(仁王)
  • 八部衆(8)・・・天、龍、夜叉、乾闥婆(けんだつば)、阿修羅(あしゅら)、迦楼羅(かるら)、摩睺羅伽(まごらが)、緊那羅(きんなら)
  • 出家修行者(3)・・・比丘、比丘尼、声聞
  • 在家信者(9)・・・小王、居士、居士婦女、長者、長者婦女、優婆夷(うばい)、優婆塞(うばそく)、童男、童女
  • その他(5)・・・婆羅門(ばらもん)、婆羅門婦女、宰官、宰官婦女、天大将軍
 どういう謂れかと思ったら、観音様の「三十三応現身像」、すなわち観音菩薩が衆生を救済する際に、相手の機根に応じて様々な姿で現れることを表しているのであった。
 『法華経』の中にある教えらしい。
 知らなかった。
 ということは、中央にまします如意輪観音が変身したお姿が、左右の像たちなのだ。
 如意輪観音がキューティー・ハニーに見えてきた。
 ハニー・フラッシュ! 

 堂内には他にも、ガリガリに痩せて骨と皮ばかりになった苦行釈迦像、修験道の開祖・役小角(えんのおずの)像、撫で仏で知られる賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)像、不動明王像、桂昌院が使用した駕籠、三猿(見ざる言わざる聞かざる)彫刻、天井を舞う天女、龍に乗った観音菩薩の絵など、珍しくて面白いものがたくさんあった。
 双眼鏡を持参したのは大正解。
 手にとるように近いところで、仏像の表情や文化財の細工がつぶさに見られて、時を忘れる楽しさだった。

 と、リンが鳴った。
 若いお坊様たちが入ってきた。
 勤行が始まるらしい。
 他の参拝者とともに椅子に座って、般若心経や知っている真言を唱えた。
 じっとしていても汗の流れる暑さだったが、読経するうちに、心は涼やかになった。


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大隈重信の墓
本堂の裏手にはほかにも、山縣有朋、團伊玖磨、ジョサイア・コンドル、中村天風、梶原一騎、大山倍達など、有名人の墓がたくさんあった。

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鐘楼

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お寺の前の中華料理店に寄った

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五目チャーハンセット(880円)
香ばしい風味で美味しかった


 涼しくなった頃にまた訪れたい。






















● 第77回日本アンデパンダン展に行く

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 ひさァ~しぶりのアンデパンダン展。
 友人の出品作を観るため、そして、3/23(土)に行われた北原恵氏(大阪大学名誉教授・美術史家)の講演『ジェンダーの視点から見た美術(史)』を聴くため。

 アンデパンダン(INDEPENDENT)展は、日本美術会が1947年から開催している自由出品・非審査の美術展で、「芸術に対する権威や制度的意識からの自主・独立・解放を目指す」ことを目的としている。
 いきおい、平和・自由・人権・反体制・反差別・多様性といった左派的な価値を大切にするアーティストたちが集うことになるが、展示作品自体は、プロパガンダ性の強い諷刺画から里山の自然といった風景画や人物画、抽象的な彫刻やインスタレーションアートまで、多彩である。
 ここ十数年は六本木にある国立新美術館で開催されている。
 
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国立新美術館
この会場になってから行くのは初めて

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若尾文子の夫だった黒川紀章の設計

 広い会場に何百点もの作品が飾られ、実に壮観。
 作品の素材も内容も形式も多様性に満ちて、面白かった。
 絵ごころのない、ぶきっちょなソルティは、絵の上手い人、手先の器用な人を見ると感心しきり。
 そのうえ、世界のあちこちで新たな紛争が勃発し、環境破壊の影響が日に日に深刻化し、民主主義の危機が叫ばれる不穏な時代に、自由と平和と民主的価値を守ろうと、自分なりに表現しているアーティストたちの作品に囲まれ、とても力づけられた。
 人間が多様であることは、ひとりひとりが自由に自分を表現することではじめて顕在化し、万人に知らしめられるのだと実感した。

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 昨年に続き特別展示された『高校生が描き・伝える「原爆の絵」』コーナーが衝撃的であった。
 これは、広島の高校生が実際の原爆被災者から体験談を聞き、その話をもとに当時の状況を再現した絵である。(広島平和記念資料館保管)
 戦争を知らない高校生――もちろんソルティ含め、いまや国民の9割が戦後生まれである――が、ここまで生々しく迫真力高い、観る者を震撼とさせる絵が描けることに驚いた。
 目の前にいる体験者からなまの言葉を聞くことの衝撃力、そして若い人たちの感性の柔らかさと想像力の豊かさを感じた。
 戦後80年、被爆体験の語り部がどんどん減っていくときに、文字だけでなく、このような絵によって体験が残され伝えられていく意義は大きい。

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 北原恵氏の講演も興味深かった。
 「ジェンダーの視点から美術および美術史を見る(批判する)」という、フェミニズムの流れを汲んだ運動は、70年代から始まったそうだ。
 北原氏は、この運動が国外および国内でどういった展開をしてきたか、どういった社会の反応を引き起こしてきたか、丁寧に解説してくれた。
 リンダ・ノックリン、イトー・ターリ、ゲリラ・ガールズ、闘う糸の会など運動の担い手となった(なっている)人々について、また、昭和天皇に対する不敬行為と非難された大浦信行『遠近を抱えて』事件など、はじめて知ることばかりで勉強になった。
 ソルティは、現代美術史にもフェミニズム史にもまったく無知。
 『西洋美術史』あたりは学んだ覚えがあるが、それはまさにルネサンスからピカソまでの偉大な男性芸術家(old masters)の系譜であった。
 美術に限らず、文学しかり、音楽しかり、演劇しかり、映画しかり、建築しかり、舞踊しかり、芸術というものは基本、男性というジェンダーに特異的に備わる資質――という思い込みが、自分の中にはある。
 芸術は、子供を産めない男性の代償行為であり、しかも戦争で闘うことのできない弱者男性の精一杯の示威行為というイメージ。
 自分の中に植え付けられている“マチョイズム”思考は結構根深い。
 
 話の中で思わず吹いたのは、ゲリラ・ガールズの活動および作品を紹介したくだり。
 『メトロポリタン美術館の現代美術部門に展示されている作品の制作者は95%以上が男性である。一方、展示されているヌード画の85%は女性』――というメッセージが入ったポスター。
 こうした統計的事実をメッセージにして、「匿名性・複製性・ユーモア」を武器に、作品として表現するのが、ゲリラ・ガールズのスタイルなのである。
 残りの15%は、デヴィッド・ホックニーやロバート・メイプルソープあたりのゲイのアーティストによる男性ヌードなのかなあと思ったら、北原氏の回答は違った。
 「残りは、十字架上のイエス・キリストです」

 講演後の質疑応答では、中高年男性が多く手を挙げ、発言した。
 戸惑いと葛藤の声が多かった。
 「自分たちは被告だ」という声も聞こえた。
 男たち(とくにヘテロの中高年)は、フェミニズムと聞くとどうしても、「自分たちが責められている」という気持ちになってしまうのである。
 北原氏は最後にこうまとめた。

ジェンダー視点から美術史を考えるとは、(これまでの男性中心の美術史に)「女を付け加える」のではなく、インターセクショナルな視点で美術史を書き換えること

 会場の中で、この意味が理解できた者がはたしてどれくらいいたのだろう?
 「女=原告、男=被告」という単純な二項対立のパラダイムの中にいる人にとって、「遠すぎる橋」のような結論と思った。

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帰りは道に迷って「東京ミッドタウン」の中を徘徊
『六本木心中』や『六本木純情』の時代は遠い










● いざ、源氏ワールドへ : 初春の京都、寺めぐり 1

 いま時分の京都は比較的空いているはずと思い、平日からめて三日間の京めぐり。
 天気は時折、小雨や小雪に見舞われたけれど、おおむね晴れた。
 思ったほど寒くなく、上着一枚、不要だった。

 今回の主目的は、風俗博物館と栂尾三尾(とがのおさんび)巡り。
 前者は、NHK大河ドラマ『光る君へ』の舞台となっている王朝時代の貴族の生活を、1/4縮尺でリアルに再現したジオラマがある。
 京都には何度も行っているのに、迂闊にもここは訪れてなかった。
 目の前にある西本願寺にも久しぶりに参詣したい。
 後者は、京都市北西の静かな山中に位置する高山寺、西明寺、神護寺。
 高山寺は夢日記を書いた明恵上人と鳥獣戯画で知られている。
 あとの二寺は弘法大師空海とゆかりの深い名刹である。もちろん、素晴らしい仏像との出会いも楽しみ。
 残り一日は、レンタル自転車で市内を好き勝手に回ろう。

3/7(木)晴れ
09:00 京都駅着
10:00 風俗博物館
12:00 西本願寺
14:00 昼食
15:00 壬生寺
16:00 四条大宮駅
     阪急京都線で四条河原町へ
17:00 宿入り

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京都駅は外国人観光客でごった返していた
春節が終わり中国人が減ったのが、せめてもの慰め

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徒歩15分ほどで風俗博物館に着く(井筒左女牛ビル5階)
古代から近代にいたる日本の風俗・衣装を実物展示する博物館として
昭和49年オープンした

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エレベータが開くと、そこは平安時代
雅楽の調べが流れてくる

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十二単を来た女性(実物大)

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後ろ姿
人の着物を踏まないように歩くのは大変だったはず

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貴族メンの正装着である束帯は位ごとに使用できる着物の色が決まっていた
左端が一番高位、右に下がっていく

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今回のメイン展示は『源氏物語・御法(みのり)の巻』より
光源氏の正妻・紫の上が二条院で主宰した法華経千部供養の模様を再現

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一等席で見物する光源氏(白い衣)と息子の夕霧(手前)

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細かいところまでリアルに再現されたジオラマの完成度に感嘆しきり

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中国の故事にちなんだ舞楽「陵王」が披露される
館のなかでは粛々と法会行事が進行中

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馬の房飾りや従者の草履などキメ細かい

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見物する童子たち
可愛い!

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なにやらBLっぽい想像を掻き立てる貴公子ふたり

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廂の間(今の廊下)で出番を待ち団らんする僧侶たち
「今日のご祝儀は期待できるな」「しっ、聞こえるぞ」

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塗籠(ぬりごめ)で法会を見守る紫の上と侍女たち
御簾や几帳で周りを覆い、顔を見せないのが貴族女性のたしなみだった

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このとき紫の上は自らの死を予感していた
(紫式部の名の由来は「紫の上」からくる)

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光源氏の妾妻である、花散里と明石の上も訪れて、紫の上と歌を交わした
「貴族の妻は嫉妬深くてはやっていけません」(道綱の母、反省の弁)

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互いに髪の手入れをし合う女房たち
エクステンション(つけ毛)というのもあった

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着物に香を焚きしめる女子

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偏つぎをする女性たち
『光る君へ』でも登場した平安の代表的インドアゲーム

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生地色のグラデーションやコントラストで季節に合わせた着物をまとうのが粋
「かさね色目」と言う(上は「梅かさね」)

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かぐや姫もとい『竹取物語』のクライマックス、天人来迎シーン
絵本でも映画でも、かぐや姫は十二単姿で描かれることが多いけれど、
物語が書かれた時期(平安初期)を考えると、上のような唐風であったはず

夢のような2時間。
館内を3周も回ってしまった。
『光る君』オンエア中は混むことだろう。
平日の朝一番、空いていて良かった。

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西本願寺は親鸞聖人を宗祖とする浄土真宗本願寺派の本山
現在の地所は豊臣秀吉からの寄進による
宗徒の多さを感じさせる巨大感
上は阿弥陀堂

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親鸞聖人の木造が安置されている御影堂
世界最大級の木造建築(227本の柱、115,000枚の瓦)
ベートーベンの交響曲のような風格と美しさがある

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国宝・唐門(からもん)
このデコトラ風のキンキラキン、まさに秀吉好み

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京都三名閣の一つと言われる飛雲閣が、ガイドさん説明付きで特別公開されていた
残り二つは言うまでもない
建物の左肩からのぞく京都タワーが可愛い

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桃山~江戸初期の建築とされ、全体が軽やかで空に浮かぶ雲のようだとして、
その名がついたといわれる。
左右非対称でありながら調和のとれた独特のたたずまいが面白い
池の端から舟に乗って、1階の座敷に直接入れる仕組みとなっていた
なんだか隅田川から舟に乗って遊びに行ったという、昔の吉原を想起させる
浴室(右端の小屋)もあるというし、ゲストハウスとして”そういう”使われ方をしたのでは?

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2階の戸板には紀貫之や小野小町ら三十六歌仙の姿が描かれている

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鐘楼もいかがわしいまでに飾り立てられている

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滴翠園(てきすいえん)
この庭もふだん非公開

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やっと昼飯だ~
西本願寺そばの『カンパネラ』
ここのカレーライスと和三盆プリンは超おススメ!
元気復活の旨さ。
ここから30分ほど歩いて壬生寺に向かう

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律宗・壬生寺(みぶでら)
991年快賢僧都によって創建された
壬生狂言と新選組と壬生菜(みぶな)で有名な寺である

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千躰の石仏が側面を覆う東南アジア風のパゴタ(仏塔)が目立つ

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境内には新選組関連の遺跡がある
近藤勇の胸像や、新選組組長芹沢鴨以下、隊士10名の墓がある
ソルティは新選組にあまり興味がないのだが、これも縁だ、『壬生義士伝』を観てみるか
壬生狂言は、演目に『玉藻の前』、『土蜘蛛』、『道成寺』など鬼・妖怪ものが多い
土地柄なのか、気になる

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嵐電の踏切を超えて、四条大宮まで歩く

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四条大橋ふもとのカフェで一休み
四条河原町へと繰り出す外国人旅行客ら

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鴨川
四条大橋から五条橋を望む
うららかな夕暮れであった

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八坂神社近くのカプセルホテルに宿泊
屋上の露天風呂の眺めがよく、気持ち良かった







● 半蔵門ミュージアムでブッダに会う

 半蔵門ミュージアムは、仏教系教団『真如苑』が運営している仏教美術館。
 2018年4月にオープンしたのだが、存在を知ったのはつい最近である。
 なかなか貴重で珍しい展示があるようなので、訪れてみた。

半蔵門ミュージアムポスター

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 地下鉄半蔵門駅の真上、皇居まで徒歩3分という好立地。
 現代的で、美しくシンプルな建物。
 展示品の由来や見どころを、わかりやすく丁寧に伝えてくれるシアターホール。(座席シートが快適すぎて、上映時間の半分は寝ていた)
 コーヒーを飲みながら関連資料を閲覧できる居心地の良いラウンジ。(60分まで利用可)
 あたたかい笑顔と親切な応対が気持ちよい女性スタッフたち。
 そして、運慶作と推定される大日如来像(重要文化財)や京都醍醐寺伝来の如意輪観音菩薩坐像をはじめとする見応えある所蔵品の数々。
 これで入場料無料というのだから、『真如苑』の力のほどが察しられよう。
 スタッフの女性たちはおそらく信徒なのだろう。
 奉仕の精神が感じられた。

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ポスター右より、大日如来、如意輪観音、不動明王、こんがら童子&せいたか童子

 地下の静かな暗闇に浮かび上がる大日如来の毅然とした美しさ、片足を床におろした珍しいお姿の如意輪観音、子供のくせに典雅なたたずまいの二童子、下部に中将姫が描かれた當麻曼荼羅(写本)、見事な色彩で描かれた虚空蔵菩薩像の絹本・・・・等々。
 いずれも鑑賞者の目を喜ばせ、脳を活性化し、心を浄め、敬虔な気持ちを呼び覚ます。

 ソルティが最も惹かれたのは、仏像が作られ始めた紀元2~3世紀のガンダーラ美術。
 ヘレニズム文化すなわちギリシア彫刻の影響を帯びた顔格好の仏像や、石に彫られた仏伝が興味深かった。
 仏伝は、「前世、誕生、四門出遊(出家)、降魔成道(悟り)、梵天勧請、初転法輪(最初の説法)、アジャータサットゥ王の帰依、入滅」といったブッダの生涯を描いたもの。
 各場面におけるブッダを取り巻く人々(家族や弟子たち、世俗の人々、悪魔や神々など)の表情や動きが、当時としてはかなり写実的に表現されている。ルネサンスの端緒となった画家ジョットの『キリスト伝』を連想させた。
 別のフロアに場面ごとの詳しい解説があり、絵解きの面白さとともに、当時の人々の素朴な信仰のさまが伺える。

死せるキリスト
ジョット「死せるキリストへの哀悼」
(イタリア、スクロヴェーニ礼拝堂)

 平日だったので館内は空いていて、落ち着いた空間で心ゆくまで鑑賞できた。
 なんとまあ、4時間近くも滞在してしまった。
 ブッダ推し、仏像ファンなら、一度は行っておきたいオアシスである。
 (「真如苑」への勧誘行為はなかったよ)

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虚空菩薩坐像(ポストカード)
記憶力を増強する力があるとのことで、かの空海も念仏した。
認知症予防を期して購入。







● 9分の1のご来迎 特別展『京都・南山城の仏像』(東京国立博物館)

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 行こう行こうと思いながら先送りになっていたこの催し。気がつけば会期終了目前だった。
 混んでいるかもしれないなと思いつつ、11/11(土)の午後に出かけた。

 南山城というのは、京都府南部、奈良県に接する一帯をいう。
 緩やかな丘陵地を木津川が流れる心安らぐ地である。
 宇治茶の産地としても知られる。 
 このあたりは由緒あるお寺や素晴らしい仏像がたくさんあるのだが、世界的観光名所の京都と奈良にはさまっているせいか、人が殺到していない。
 ソルティは、東日本大震災のあった2013年10月に、9体の金色阿弥陀仏で知られる浄瑠璃寺とその近くの岩船寺に行った。
 秋の里山歩きが実に気持ち良かった。
 今年3月には木津川市の畑中にある蟹満寺に行き、白鳳時代につくられた国宝・釈迦如来坐像に会ってきた。
 「こんな田舎に、こんな立派な仏像が、こんな無防備に、おわすのか!」と驚いた。

蟹満寺
白鳳時代の釈迦如来坐像がある蟹満寺

 今回の展示では、浄瑠璃寺・岩船寺のほか南山城地区の7つのお寺の仏像たち、計18体が招かれていた。
 平安時代(9~12世紀)のものが16体、残り2体が鎌倉初期である。
 メインとなるのは浄瑠璃寺の9体の阿弥陀仏像の中から選び出された1体。
 修理を終えたばかりの金色に輝く肌と、堂々たる風格、人の心のすみずみまで見通しつつもあくまで慈悲深い眼差し、会場を一際明るくするオーラ。同じ国宝の広目天と多聞天に左右を守られて、圧倒的存在感であった。
 浄瑠璃寺で拝観したときよりずっと間近で見ることができて、うれしかった。

 ほかに、海住山寺の十一面観音立像、浄瑠璃寺の地蔵菩薩立像のあまりの美しさにときめいた。
 少し前にあった根津美術館『救いのみほとけ展』でも思ったが、平安時代の地蔵菩薩像の洗練された美しさはもっと認識されて良いと思う。 
 内部は撮影禁止だったので、素晴らしい仏像の数々はここで紹介できない。
 京都南山城古寺の会『南山城の古寺巡礼』というホームページにその一部を見ることができる。

 最近ソルティは、有料の音声ガイドリストを進んで使うようになった。
 作品の横に掲示されている説明書きを読むのが老眼でわずらわしくなったのと、音声ガイドだと鑑賞ポイントを的確に教えてくれるから見落としがない。
 今回の音声ガイドには、仏像マニアとして知られるみうらじゅん氏といとうせいこう氏による対談風解説がついていた。
 テレビの副音声みたいで面白かった。浄瑠璃寺の本堂に居並ぶ阿弥陀如来を「ロイヤルストレートフラッシュ」と表現したのは至言。

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東京国立博物館
来場者は多かったが鑑賞の妨げになるほどではなかった。
 
 特別展のあと、本館1階の常設展の仏像コーナーに行った。
 前回(今年6月)観た時と微妙に展示が変わっていた。
 中で面白かったのは、鎌倉時代の康円作『文殊菩薩騎師像および侍者立像』。
 文殊菩薩が4人の侍者を伴って海を渡る姿を彫った群像である。
 4人の侍者の一人、善財童子がなんとも可愛かった。

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 左から、大聖老人、于闐王(うてんのう)、文殊菩薩、善財童子、仏陀波利三蔵
 仏師康円は運慶の孫。
(奈良興福寺)

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こんなフィギュアがほしい










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