ソルティはかた、かく語りき

首都圏に住まうオス猫ブロガー。 還暦まで生きて、もはやバケ猫化している。 本を読み、映画を観て、音楽を聴いて、神社仏閣に詣で、 旅に出て、山に登って、瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

●老い・介護

● 映画:『search/#サーチ2』(ウィル・メリック&ニック・ジョンソン監督)

2023年アメリカ
111分

 ITオンリー・スリラー映画『search/サーチ』の第2弾。
 前作同様、デジタル機器の画面上でストーリーのすべてが完結する。
 前作では行方不明になった娘を、IT音痴の父親が不器用にアプリを操作しながら必死に探す話だった。
 今回は逆に、ITマスターである十代の娘が、恋人との旅行中に行方不明になった母親を、パソコンを自在に駆使して探索する。
 原題はmissing

 二転三転するミステリーとしての面白さもさることながら、ITの凄まじい進歩に口をあんぐり。
 自分は旧世代の人間であると、つくづく感じた。
「パソコンやスマホでいったい何ができるの?」と問う人には、本作を見ることをお勧めしたい。
 自宅にいながらにして、こんなことも、あんなことも、そんなこともできる。
 本作の主人公であるジュン(演・ストーム・リード)は、家から一歩も出ることなしに、警察やFBI顔負けの捜索をITを駆使してやってのける。
 もっとも、これはあくまでフィクションであり、実際には存在しないアプリや素人が容易にはアクセスできないサイト(情報)もあるとは思うが・・・。
 恐るべし、Z世代。
 (しかし、この映画を見ると目が疲れる)
 
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Gerd AltmannによるPixabayからの画像

 ケアマネという仕事柄、よく高齢者(おおむね80歳以上)から、「スマホで何ができるの?」と質問を受けることがあり、答えに窮する。
 自分も全然使いこなせていないからってこともあるが、スマホやパソコンを持っているだけでは駄目で、アプリをダウンロードしないとなにも始まらない、ということを分かってもらうのが難しいのである。
 そしてまた、ソルティはどうもIT技術には信用が置けなくて、いろんなアプリをダウンロードすることに抵抗がある。
 プライヴァシーの漏洩やネット詐欺、SNSを使った犯罪など、落とし穴がほうぼう空いているイメージ。 
 下手に高齢者にアプリを紹介して、害を与えることになったらまずいと思ってしまうのである。
 ネットで新たな人間関係をつくることも高齢者はよくしないので、ガラ携レベルの機能があれば十分なんじゃないかと思うことが多い。
 が、一方、認知症の人が行方不明になった時、スマホを持ち歩いていれば、GPS機能を使って居所を突き止めることができる。
 そのために、子供世代が高齢の親にスマホを持たせるケースも増えている。
 2024年に実施されたある調査では、スマホを持っている人の割合は、60代で9割超、70代で8割超、80代前半で6割超であった。(モバイル社会研究所のホームページより)
 今の50代が高齢者になった暁には、ほぼ100%、スマホか、それに代わる何らかのモバイル通信端末を持ち歩いていることだろう。

 ソルティもじき高齢者(65歳以上)になる。
 本音を言えば、「スマホは卒業したい」のであるが、世の中の動向がどんどんそれを許さなくなっていく。(たとえば、キャッシュレスオンリーの店の増加や「JRみどりの窓口」の軒並み閉鎖など)
 ピーター・ウィアー監督、ハリソン・フォード主演の映画『刑事ジョン・ブック 目撃者』に登場するアーミッシュは、アメリカやカナダに住むドイツ系移民の宗教集団で、電気も自動車もテレビもない、移民当時の自給自足の生活を今も送っている。
 移動は馬車で、讃美歌以外の音楽は禁じられている。
 もちろん、スマホやパソコンなんて論外である。
 時々、アーミッシュに憧れるソルティなのだが、やっぱり無理だろうなあ。
 聖書以外の本が読めないのは耐えられん。

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おすすめ度 :★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損


● 尿をめぐる男だけの話

 しばらく前から尿の匂いが気になっていた。
 小便の際に甘い匂いが立ち込める。
 「ひょっとして、糖尿病では?」
 このところ、食べ過ぎで体重が生涯MAXになっている。
 近所の泌尿器科に足を運んだ。

 待合室で問診票を書く。
 気になる症状の欄に「尿の匂いが甘い」と書き込み、ほかに「残尿感がある」、「頻尿である」のマスにチェックを入れた。
 トイレで採尿。
 名前を呼ばれ、診察室に入ると、30代くらいの若い男の医師だった。
 「尿に異常は見られません。匂いは気にする必要ありませんよ」と言う。
 なんとなく腑に落ちない気分でいると、
 「ああ、頻尿や残尿感がある? 前立腺肥大の可能性がありますね」
 机上のパソコンを操作して、泌尿器の図解を画面に映し出す。
 「男性は50歳を過ぎると、この前立腺が大きくなって尿道を圧迫するので、おしっこが近くなったり、最後まで出しきらなかったりします。ちょっと調べてみましょうか」
 言われたとおりベッドに横になると、下腹部になにか器具を当てられた。
 超音波検査だった。
 「ああ、やっぱり少し肥大が見られますね」

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『前立腺の病気』(日本新薬株式会社発行のパンフレット)より

 前立腺肥大!
 ふだんケアマネとして高齢者の健康相談を受けていて、多くの男性が前立腺肥大にかかっているのを見てきた。
 白内障や難聴や物忘れと同じく、加齢が原因で起こる老人病のひとつという認識であった。
 まさか自分がなるとは!・・・・と一瞬思ったが、自分も還暦越え、なっても全然おかしくなかった。
 実際、固有名詞が出てこないのは日常茶飯事だし、暗くなると視力が効かないし、わけなく咽ることが多くなった。
 「お薬を出しておきますから、毎日飲んでください。これで万事OKです」
 と医師は言い、意味ありげな笑みを浮かべた。

 薬局で薬を受け取り、家に戻った。
 ネットで前立腺肥大について調べる。
 前立腺の良性腫瘍で命にかかわることはないとある。(悪性の場合が前立腺がんである)
 が、放っておくと尿閉になって自分の力で排尿できなくなり、その場合は手術が必要になる。
 早めの治療が大切なのである。
 それにしても、医師が最後に見せた“意味ありげな笑み”とセリフが気になる。
 「これで万事OK」
 あれはいったいどういう意味だろう?
 薬袋から薬を取り出す。
 タダラフィルという名前の小さな白い錠剤。
 説明には「前立腺肥大を改善する」とある。
 ネットで検索する。

タダラフィル(Tadalafil)は、長時間型のホスホジエステラーゼ5阻害剤であり、日本での適応は、勃起不全 (ED) 、肺動脈性肺高血圧症、前立腺肥大の排尿障害である。

勃起不全の症状がある場合、ペニスが勃起し、性行為が正常に行える。性的刺激があったときのみ勃起が起こる、勃起機能改善効果であって、催淫剤ではないので性欲を亢進させる働きはない。
(ウィキペディア「タダラフィル」より抜粋)

 なんとバイアグラと並ぶ勃起不全(Erectile Dysfunction)の治療薬だった!
 機序としては、「血管を拡張させ、血流量が増える」、つまり海綿体に流れ込む血液が増えるのでカタくなる、ということらしい。
 前立腺肥大の治療においては、尿道を広げ排尿をスムーズにすることに加え、骨盤内の血流をよくすることで症状を改善する効果がある。
 男性医師の“意味ありげな笑み”の理由が分かった。
 いや、先生、ソルティは別にそこに悩んでいたわけではないんだが・・・・。

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 服薬を開始して1ヶ月。
 効果はてきめんで、1回に出る尿の量が増えて、トイレの回数が減った。
 夜間含め3時間に1回はトイレに行っていたものが、日中4時間に1回くらいになり、夜間は行かなくても大丈夫になった。
 これで長時間の映画やコンサートも安心して鑑賞することができる。
 残尿感もなくなり、しぼり残しの露で下着を濡らすことが無くなった。
 (そろそろ男性用パッドが必要なのではと、松岡修造のCMを見ながら考えていた)
 また、そもそもの受診の原因だった尿の甘い匂いが気にならなくなった。
 一回の尿量が増えたことで、尿が薄くなったためではないかと思う。

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 もう一つのほうの効果のほどは・・・・・。
 言わぬがホトケ、止めておこう。

テントを張る空海
四国88札所第21番太龍寺の舎心ヶ嶽に建つ弘法大師像




● IT的安楽椅子探偵 本:『ロスト・ケア』(葉真中顕 著)

2015年光文社文庫

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 第16回日本ミステリー文学大賞の新人賞に輝いた社会派本格ミステリー。
 「はまなかあきら」と読む。

 「社会派」と言えるのは、高齢者介護問題がテーマになっているからである。
 高齢の親の介護を抱え、心身ともに行き詰った息子や娘たち。
 お金があれば、介護付きの有料老人ホームに入れて厄介払いする負担を軽減することができる。
 その余裕がなければ、介護保険を利用していろいろなサービスを導入して、なんとか回していくしかない。
 しかし、介護保険でできることには限界があり、利用者が払うのは1~3割相当分とはいえ、たくさんのサービスを使えば月々の費用は馬鹿にならない。

 たとえば、介護保険を使って入れる介護老人福祉施設(いわゆる特養)の場合、一番重い要介護5の人の施設サービス費は、1割負担で月々25,410円(多床室)まで抑えられる。
 しかし、これに居住費と食事代が必ず付く。一日当たり2,300円、月々70,000円は取られる。
 プラス理美容代や娯楽費などの日常生活貨約10,000円が加算される。
 結局、毎月10~12万円の入居費用がかかる。
 しかも、医療費は別である。
 年金がこの額を上回る親あるいは十分な貯蓄のある親ならばよいが、そうでなければ、負担は子供世代にかかる。
 低所得者層にとっては、死活問題である。
 かといって、働いている子供が、親と同居して介護するのはたいへんである。
 とりわけ、親が認知症を発症していて、常時の見守りが必要な場合、その苦労は並大抵ではない。
 介護保険サービスでは到底カバーできない。

 そういったケースにおいて、子供が親を、あるいは夫が妻を、虐待し殺害する事件が後を絶たない。いわゆる、介護殺人である。
 本作の真犯人は介護職の人間で、介護殺人すれすれの数多くの悲惨な現場を見ているがゆえに、「善意から」要介護高齢者を殺害していく。自然死に見せかけて。
 親が殺されたことを知らない息子や娘たちは、悲しみの一方で、内心「救われた」と思い、重い荷物を取り除かれて、新しい人生を始めていく。
 一人暮らしのある老女は、ホームレスにならないために、万引きを繰り返す。
 捕まって刑務所に入れば、三食出て、風呂にも入れて、病気も診てくれる。光熱費もかからない。見守りもあるから安心だ。
 刑務所を無料の老人ホームとして利用しているのである。
 犯人の真の動機=作者の狙いは、このような社会状況に一石を投じるためであった。
 社会派と冠される所以はここにある。

 一方、本格派である所以は、連続殺人事件があり、捜査官たちの推理があり、驚きのトリックが仕込まれているからである。
 とくに、統計学とコンピュータを駆使した推理は初めて接したが、興味深い。
 いわば、IT的安楽椅子探偵である。
 トリックについては、まんまと引っかかった。
 介護殺人というテーマがあまりに重く、またケアマネである自分にとって身近な問題でもあるので、トリックが仕掛けられている可能性を考える余裕がなかった。

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AS PhotograpyによるPixabayからの画像

 社会派ミステリーと本格ミステリーという、一見水と油のような二つのジャンルを見事に融合させた秀作である。
 同じ介護殺人を扱った久坂部洋著『介護士 K 』(角川書店)より、テーマが明確に打ち出されており、よくできている。




おすすめ度 :★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
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★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損


● 入院関連機能障害 本:『いえに戻って最期まで。』(中澤まゆみ著)

2024年築地書館

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 高齢者介護施設で働いているときに、自宅から家族に付き添われて施設にやって来る、気の進まない表情の高齢者をずいぶん見た。
 「ここでしっかりリハビリしてね。また様子見に来るから」
 「頑張っておウチ帰ろうね」
 という息子や娘の言葉に渋々うなずいて、契約を済ませた彼らが暗証番号付きのエレベータで去っていく姿を恨めし気に見送っていた。
 しかるに、家族の期待や思惑もむなしく、施設入所でADL(日常生活動作)が改善して自宅復帰できる入所者は3割にも満たなかった。
 7割以上は、ADLが落ちていくか認知症が進んでいき、介護度が上がっていく。
 もはや、自宅に引き取って自分たちで面倒を見ようという家族は滅多いなかった。
 となると、いったん入所した高齢者が施設を出られるのは、肺炎や転倒を起こして救急車で入院するときか、他の介護施設に移るときか、あるいは、亡くなったときであった。

 介護施設にはリハビリ専門職である理学療法士(PT)が常駐して、入所者は週に2~3回はリハビリ専用フロアに行って、数十分のリハビリを受ける。
 だが、その程度では現状維持がいいところで、自宅に戻って人の手を借りずに生活できるようになるのは難しい。
 かといって、生活フロアでは看護師も介護職員も忙しすぎて、とても入所者一人一人のリハビリにまで手が回らない。
 入所者の中には、車椅子から立ち上がって、廊下の手すりの伝い歩きをしようとする前向きな人もいるが、それは転倒リスクが高いので、職員が付き添わない自主リハビリは基本禁じられていた。
 施設の入所者は、食事をつくる必要もなく、掃除や洗濯をする必要もなく、もちろん外出して運動や散歩や買い物をすることもない。
 日がな一日、ぼーっとフロアでテレビを観ているか、雑誌をめくっているか、居眠りしている。
 これでは、ADLや認知機能が低下しないほうがおかしい。
 「いったん施設に入ったら、片道切符なんだな」
 と思ったものである。
  
 これは病院もまったく同じ。
 たとえば、高齢者が肺炎や骨折で入院する。
 1~2週間も入院すると、心身機能は落ちていく。
 肺炎や骨折の治療はうまくいったのに、寝たきりにさせられたため、全身の筋力が落ちて歩けなくなったとか、認知機能が低下して妄想を口にするようになったとか、追加された睡眠剤の影響で覚醒が悪くなって転倒したとか、食欲が低下して栄養失調になったとか、入院前より健康が損なわれ、介護度が上がることはよくある。
 そうなるとやはり在宅復帰が危ぶまれ、病院側は家族に施設入所や転院をすすめる。
 こうした現象を、最近、入院関連機能障害と呼んでいる。

入院関連機能障害(Hospitalization-Associated Disability:HAD)
入院する原因となった病気(原疾患)を治すために、長期に渡って安静に横になっている(安静臥床)ことがきっかけで、日常生活のための機能が失われること。

 70歳以上の高齢者の入院において、その30〜40%になんらかの入院関連機能障害が見られたという報告もある。
 また、寝たきりによる身体機能や認知機能の低下だけでなく、エコノミークラス症候群――長時間同じ姿勢でいたことで手や足に血の塊ができ、それが急に体を動かしたことで肺に飛び、肺栓塞症を起こす――のリスクもある。
 命に別条のない火傷で入院した母親がエコノミークラス症候群を起こして、あっという間に亡くなった経緯が、井上理津子著『親を送る その日は必ずやってくる』(集英社)に描かれている。
 抵抗力や回復力の強い若い人はともかく、高齢者はなるべくなら入所・入院しない、あるいはできるだけ早く退所・退院して在宅復帰するに限る。

在宅復帰する爺さん
 本書は、『退院・在宅支援13人のプロに聞くその「叶え方」』という副題通り、介護・医療現場で働く下記の専門職13人に著者がインタビューし、高齢者が入院先から早めに自宅に戻ることの重要性やそのためのノウハウを聞きとったものである。その中の一人、在宅ケア移行支援研究所を主宰している宇都宮宏子が執筆協力している。
  •  退院支援のスペシャリスト
  •  訪問診療医
  •  医療ソーシャルワーカー(MSW)
  •  ケアマネジャー
  •  ホームヘルパー
  •  訪問看護師
  •  福祉用具専門相談員
  •  訪問リハビリの理学療法士(PT)
  •  訪問歯科医
  •  管理栄養士
  •  訪問薬剤師
  •  病院の退院支援看護師
 現在の医療・介護に携わる職種のバラエティ豊かさは、昭和の時代と隔世の感がある。
 ソルティが子供の頃(昭和40年代)は、入院できるほどの大きな病院で働いているのは、医師と看護と検査技師と付添婦くらいの認識であった。
 介護保険成立以前なので、ケアマネや福祉用具相談員などもちろんいなかった。
 これらの専門職がそれぞれの得意分野から一人一人の患者をアセスメントして、回復のための指導や治療やリハビリを行い、また相互に連携し、患者や家族をサポートしていくのが、いまの医療介護連携の真骨頂である。

 ここで重要なのはやはりケアマネジャーである。
 各専門職はその道のプロであるがゆえ視野が狭くなりがちで、患者の生活面より医療面を、心より体を、優先的に見る傾向がある。根拠に基づく医療(Evidence Based Medicine)を提供することが求められる。
 患者本人や家族に寄り添いながら、患者の本音や生きがいや死生観や生活能力を探り出し、家族の意向や介助力や本人との関係性を推し量り、必要な社会資源を調整し、必要によっては医療従事者や行政の担当者に向かって本人や家族の思いを代弁し、本人のQOL(生活の質)向上をはかっていくのは、主としてケアマネの役目である。
 時には、「自宅で死にたい、看取りたい」と言う本人や家族の希望を優先するため、延命を至上価値とする医療の専門職を相手に踏ん張らなくてはならないこともある。
 ケアマネの立ち位置は、医療従事者や行政職員と、本人や家族との、中間より数メートル後者寄りにある。

 ソルティは現在、ケアマネの端くれ(ケアマネ真似)なのであるが、医療職(とくに医師)に言われると、ついつい日和ってしまいがち。
 子供のころから植え付けられた「お医者様信仰」は根強い。
 考えてみたら、自分より年下の、人生経験の浅いドクターが増えているのに・・・・。
 『ケアマネジャーはらはら日記』(フォレスト出版)の岸山真理子さんを見習わなければ。
 
 病や老いとともに生きること。医療が、背負わない、囲わない。起きていることや、医療者が抱えているつらさとか、心模様も発信していくことで、地域にいるさまざまな人が、目指したい姿に向かって、動き出す動機づけになるのです。



 
おすすめ度 :★★★

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● 因縁の書 本:『緑は危険』(クリスチアナ・ブランド著)

1943年原著刊行
1978年ハヤカワ・ミステリー文庫(中村保男・訳)

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 クリスティ、クイーン、カーといった本格推理小説の黄金時代(1920~30年代)を築いた作家たちと何かと比肩されることの多いブランド女史。
 たしかに、『はなれわざ』はクリスティの『ナイル殺人事件』や『白昼の悪魔』を想起させるゴージャスな舞台設定とアクロバティックなトリックに魅了されたし、『ジェゼベルの死』の悪魔的トリックには、チェスタトン『翼ある剣』やカー『妖魔の森の家』を読んだ時と同じレベルの戦慄が走った。
 また、短編集『招かれざる客たちのビュッフェ』の上質な味わいにも耽溺した。
 海外本格ミステリーの歴史を語る上で無視することのできない作家である。

 彼女の最高傑作とされているのが『緑は危険(GREEN FOR DANGER)』。
 実はソルティにとって、ちょっとした因縁のある本である。
 20才のときに購入して旅のお供に持って行ったところ、数ページも読まないうちに列車の中に置き忘れてしまった。「アメちゃん」をきっかけに話しかけてきた隣席の大阪のオバチャンのせいである。
 40才のときに出張先の書店で買って、ホテルの浴室で読んでいたら、最初の殺人事件が起こる前に泡風呂の中に落としてしまった。ドライヤーで乾かしたら紙がゴワゴワになって、とても読めたものじゃない。ホテルのごみ箱に投じてしまった。
 ケチがついた気がして、それ以来、読む気にならなかった。

大阪のおばちゃん
アメちゃん、あげよか~
 
 60代に突入した今、ついに何者にも邪魔されず読むことができた!
 が、なんとも拍子抜けしたことに、あまり面白くなかった
 なぜこれがブランドの“最高傑作”と評されるのか理解に苦しむ。
 子供だましのようなペンキトリックには呆れるほかなかったし、それを見抜けぬコックリル警部は名探偵と言うにはほど遠いし、全般に話の運びが雑で、殺人事件をめぐる状況(場所や時間や人物のアリバイ設定)が分かりにくく、ご都合主義の展開が目立つ。
 さすがに苦労人のブランドだけあって、人物描写には先輩のクリスティやクイーンやカーをしのぐ観察の鋭さやリアリズムが感じられる。
 男女関係の描写も、先輩作家たちの上品さにくらべると、かなり辛辣でえぐい。
 その点は他の作家に替え難いブランドの魅力と言える。(ブランド自身が恋愛で苦渋をのんだのかもしれない)
 
 かくして、約40年待った出会いは期待外れに終わってしまったのだが、ふと思ったのは、もし40年前あるいは20年前に本を失うことなく完読していたら、別の感想を持ったかもしれない。
 さすがブランド! 最高傑作と言われるだけある!――と思ったかもしれない。
 というのも、60代の今、物語に入り込むまでに苦労を要したからだ。

 本作には7人の主要登場人物(=容疑者)がいる。
 この7人の名前とプロフィールを頭に入れるのが容易でなかった。
 もちろん、全員イギリス人なので英語名である。カタカナ表記だ。
 そして、たとえばその中の一人フレデリカ・リンリーならば、ある時はフレデリカと表記され、別のところではミス・リンリーと呼ばれ、仲間内の会話ではフレディーと愛称で呼ばれる。
 それが同一人物であると認識するために、何度も冒頭の登場人物リストに戻らなければならなかった。
 その手間が7人分ある。
 しかも、7人の関係は複雑で、誰と誰が付き合っていて、誰が誰にお熱で、誰が誰を嫉妬しているか、人物関係図でも作らないことにはなかなか理解できない。
 登場人物を整理するのに手間取って、肝心の内容に身が入らない。
 「筋が分かりにくい、ご都合主義」と思ったのも、ひょっとしたら、ソルティの記憶力の衰えのせいで、読むそばから前に読んだ部分を忘れてしまっているからなのかもしれない。
 つまり、若い頃に比べて、海外小説を読むのが圧倒的に不得手になったのである。
 そうでなくとも、老眼は小さな活字を嫌うのに・・・。
 ブランドが「ミステリーの女王」クリスティにかなわないのは、クリスティ作品のもつ簡潔さ、平明さ、読みやすさに欠けるからだ。

 最近、『カラマーゾフの兄弟』を読んだ40代後半の友人が、「ロシア人の名前が頭に入って来なくて難儀した」とこぼしていた。
 さもありなん。
 ソルティは、ソルジェニーツィンの『収容所群島』を老後に読もうと思っていたのだが、もう手遅れかもしれない。


 
 
おすすめ度 :

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● かんれき力 : 学習院輔仁会音楽部 第68回定期演奏会

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日時: 2024年11月5日(火)18:30~
会場: 杉並公会堂 大ホール
曲目:
  • ワーグナー: リエンツィ序曲
  • ブルックナー: テ・デウム
  • ブラームス: 交響曲第3番
  • (アンコール) ワーグナー: 『ローエングリン』より「エルザの大聖堂への行進」
指揮: 和田 一樹

 還暦の声を聞くようになって、夜が早くなった。
 仕事を終えて帰宅し、夕食後8時くらいに自室に戻ると、もう眠くてたまらない。
 畳んである布団の上に崩れるように倒れ込むと、そのまま3~4時間くらい爆睡する。
 真夜中にすっきり目覚めて、今度はそこからが長い。
 布団をちゃんと敷いて毛布にくるまるが、眠れない。
 読書やスマホの麻雀ゲームをし、何度もトイレに足を運ぶ。
 朝刊配達のバイク音がする頃、ようやくウトウトしてくる。

 一日仕事を終えたあとで、飲み屋や映画館をはしごしたり、スポーツジムに行った帰りにビデオを借りて深夜まで映画を観たり、ボランティアの集まりに参加して仲間と議論したり・・・・なんてことが普通にできた一昔前の体力がなつかしい。
(糖分の取りすぎが原因の一端か?)

 いまではクラシックコンサートも、仕事のある平日の夜は避けて、土日に行くようにしている。
 ありがたいことにアマオケの演奏会はおおむね土日の午後2時開演が多いので、昼食を食べ過ぎさえしなければ、万全の体制でのぞめる。
 本公演は午後6時半開演であったが、有休をとる予定でいたので、安心してチケットを予約した。

 ところがどっこい、急な仕事が入ってしまい、出勤せざるを得なくなった。
 バタバタと追われるように仕事を片付けて、タイムカードを押し、夕食を取る間もなく、JR中央線荻窪駅に向かった。
 TVニュースでお馴染みの生鮮市場アキダイの前を通って、杉並公会堂へ。
 なんとか開演に間に合った。

 ――と、ここまで書けばお分かりのように、今回のコンサートは感想を述べる資格がない。
 勇ましい「リエンツィ」も眠気を吹き飛ばすに至らず、合唱隊と4人のソリストが揃った壮麗な「テ・デウム」も頭を覚醒させるに及ばず(逆に単調なリズムの持続と地味な旋律の繰り返しの多いブルックナー音楽は催眠効果が高いように思う)、20分休憩後の定番ブラームス交響曲第3番でさえ、ステージとの間に透明な膜でもあるかのように、音楽が遠くに感じられた。
 そういう状態の時でさえ、生き生きした音の力で一瞬にして心身を呼び覚ましてくれるのが和田一樹なのだが、今回はソルティの“かんれき力”のほうが強かった。
 アンコール「エルザの大聖堂への行進」でやっと膜が破れた。

 やはり、仕事後のコンサートや映画はもうNGだ。
 客席でのイビキソロくらい、演奏者にも来場者にも申し訳ないものはあるまい。

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● ミステリーの原点 本:『ある行旅死亡人の物語』(武田惇志、伊藤亜衣共著)

2022年毎日新聞出版

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 昭和のミステリー小説やドラマには、自らの正体を隠すために死んだ人間に成りすます話がよくあった。松本清張の『砂の器』が代表格だ。
 あるいは、戸籍が失われたために出自が分からなくなり、それがのちになって悲劇を生む山口百恵主演『赤い運命』のような血縁ドラマも流行った。
 戦争や自然災害によって役所や登記所が破壊され、戸籍や住民票など本人を特定できる書類が紛失することがあったからだ。
 『砂の器』は米軍による大阪空襲、『赤い運命』は伊勢湾台風が原因だったと記憶する。
 複写機もなく、ワープロもパソコンもない、ましてやインターネットによるクラウド機能なんてものもない時代、いったん紙に書かれた書類が失われてしまえば、本人であることを証明できるのは、家族や知人など本人をよく知る周囲の人間たちの記憶しかなかった。
 もちろん、DNA鑑定など論外である。

 令和の現在、いくら高齢者の孤独死が多いからと言って、旅先や外出先でなく、長年住んだ自宅で亡くなった人間が、どこの誰だかわからない行旅死亡人として扱われるなんてことがあるとは、よもや思わなかった。
 本作は、40年間住みなれたアパートで突然死した独居の高齢女性の身元を、二人の新聞記者が割り出す物語、いや、ノンフィクションである。

行旅死亡人
病気や行き倒れ、自殺等で亡くなり、名前や住所など身元が判明せず、引き取り人不明の死者を表す法律用語。

 亡くなった田中千津子さんの身元が分からないのは、彼女が住民票をもっていなかったから。
 したがって、自動車免許もパスポートも各種保険証も作ることができず、国民年金も受け取れず、病気になっても医療保険を利用できず(全額負担となる)、介護が必要になっても介護保険が利用できない。
 長い間一人暮らしで、月に一度大家さんに家賃を払いに行く以外、他人との交流を避けていた。訪ねてくる者もなく、電話は引いていたものの、彼女から誰かに電話をかけた記録は残っていなかった。
 数十年前に一時働いていた近所の工場で、右手の指をすべて切断するという大事故にあっていながら、労災保険も申請していなかった。
 部屋には、たとえば手紙や住所録といった身元をたどる手掛かりになるようなものは一切なく、何十枚かの古い写真が残されていただけ。
 それは過去につきあっていたらしい男(田中竜次)との旅行写真、そして小さな男の子と女の子の写真であった。
 田中竜次がどこの誰であるかも、二人が結婚していたのかどうかもわからない。 
 つまり、田中千津子という名前が本名かどうかも不明なのである。
 なにより不思議なのは、自室の金庫から3000万円もの大金が見つかったことである。
 (あとから判明したことだが、彼女は10歳以上さばを読んでいた。が、これは女性ならば不思議ではあるまい。最近、24歳さばを読んでいた女性が捕まった事件があった)

 ミステリーファンにはたまらない謎が謎を呼ぶ設定。
 若く元気な共同通信社の記者ペア(武田&伊藤)が、列車と足を使って、わずかな手がかり(「沖宗」姓の印鑑)をもとに女性の正体を探っていく。
 それは、令和から平成を抜けて昭和を旅する不思議な感覚。
 まさに松本清張ミステリっぽい。
 しかも作り事(フィクション)ではないと来ている。

 駅ビルで本書を購入後、駅構内の喫茶店で冒頭数ページを読んだら、瞬く間に引きずり込まれ、帰りの列車内で読みふけり、家に帰って読みふけり、数時間で一気読みしてしまった。
 ここ最近読んだ本の中で一番スリリングかつ面白かった。

 武田&伊藤の根気ある調査によって田中千津子の身元は判明する。
 二人は広島の海辺の町で、女学生時代の彼女を知る人物と邂逅する。
 彼女を「千津ちゃん」と呼ぶ人がいた・・・。 
 そのあたりから物語はミステリーとは別次元に移行して、読む者はひとりの人間の人生や運命の不可思議に思いを馳せていくことになる。
 いや、そうじゃない。
 ミステリーというと、我々はどうしても奇抜なトリックとその解明に気が向いてしまいがちだけれど、一番のミステリーは人間なのである。
 読んだ後も、田中千津子さんのミステリーは読者の中でこだまして、止むことはない。 

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おすすめ度 :★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損





● 本:『うちの父が運転をやめません』(垣谷美雨 著)

2020年(株)KADOKAWA
2023年文庫化

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 田舎に住む78歳の父親の車の運転をどうにかやめさせようと骨を折る、都会に住む50代の息子の物語。
 帰省するたびに、あちこち凹みや傷をつけている父親の車を見るにつけ、また、父親と同世代の男たちが運転事故を起こしたという近所の話を聞くにつけ、一刻も早く運転をやめさせなければと焦るのだが、当の父親は聞く耳を持たない。 
 言えば言うだけ頑なになる。
「免許を返したら、買い物できなくなるじゃないか」と父親は言う。
 通販の利用をすすめたり、ふた親を都会に呼び寄せる算段をしてみたり、いろいろ試してみるがうまくいかない。
 事故が起きてからでないと、本人を納得させるのは無理なのか・・・・

 介護業界で働いているソルティも、「うちの父が運転をやめません」という娘息子からの相談をたまに受ける。
 免許返納拒否問題。
 当人が持ちだす理由はだいたい同じで、「足が無くなると、買い物や通院に困る。バス便は少ないし、タクシー代は高すぎる」
 もっともなところである。
 だが、多くの場合、根本的な理由は別にある。
 男のプライド――である。
 男にとって、愛車を奪われるのは、去勢されるに等しいものなのだ。
 だから、免許を取り上げるのは酷でもあるし、難しくもある。

車と男

 どういった結末に落ち着くのか、はたして父親は運転をやめるのか――という“引き”はたしかに気になる。
 けれど、読み進めているうちに、本書のほんとうの主人公は、田舎の父親ではなくて都会の息子のほうであり、ほんとうのテーマは、父親の免許返納問題ではなく息子の生き方の問題であることが判明する。
 自然豊かで地縁の根付いた故郷を離れ、憧れの都会に出て就職し家庭を持った息子は、いつのまにか仕事に追われ、夢を失い、妻や子供との食事や会話もままならない、味気ない日々を送っている。
 隣人の顔も名前も知らない、土や雨の匂いもわからないマンションで、定年だけを楽しみに生きている。
 その親父の姿をみている高校生の息子は、将来に希望が持てず、活気を失くしている。
 いったい、どこでどう間違えたのか・・・・。
 
 著者は1959年生まれ。
 ソルティとおなじく、子供時代を高度経済成長期の日本の変貌を見ながら過ごし、青春時代を「一億総中流」の幻想のうちに遊び惚け、就職したらバブルの狂騒に巻き込まれたイケイケ世代。
 豊かさの指標が、国民総生産や所有物の多寡で測られた。
 偏差値の高い大学に入り給料の高い会社で働くこと、そのような高スペックを持つ男と結婚すること、それが幸福と世間は言う。
 その教えにしたがって我武者羅に働いてきて、ふと気づくと、バブルは崩壊、日本経済は失速し続け、所得格差は広がる一方。
 次々と開発される文明の利器はたしかに生活を便利にしてくれたが、余暇が増えるかと思えば、逆に忙しくなるばかり。
 家族はそれぞれが好き勝手なことをし、地縁はとうに消滅し、引きこもりや孤独死が増えた。
 これが、我々が子供時代に夢見ていた21世紀日本の姿なのか。
 日本人はこの半世紀で、より幸福になったのか。
 著者が読者に問いかけているのはそこだと思う。
 その意味で、『パーフェクト・デイズ』と相通じるところがある。

 しばらく前から、昭和懐古ブームが起きている。
 とくに西岸良平の漫画『三丁目の夕日』に描かれた昭和30年代の下町の風景が、多くの人々の郷愁を誘っている。
 「決して裕福ではなかったけれど、あの頃は良かった・・・・」
 一方、現在放映中のTVドラマ『不適切にもほどがある!』で揶揄されているように、セクハラやパワハラや男尊女卑や父権主義やマイノリティ差別や受動喫煙の害など、昭和文化にはいろいろと問題も多かった。
 「昔は良かった」とは一概に言えない。
 本書で著者は、失われた「昭和」の美点を謳いながらも、たんなる懐旧で済まさず、新しい時代の地域像、家族像、男の生き方像を描き出そうとしている。

11番への道(移動スーパー)
移動スーパーは買い物難民の光

 今年87歳になるソルティの父親は、10年以上前に免許返納した。
 駐車場から車を出す際にコンクリートの柱に車をぶつけ、本人は怪我しなかったが、車体はかなり損壊した。
 対人事故でなくてほんとうに良かった。
 さすがに、「免許返納してくれ」という母親の要求に反論する言葉を持たなかった。
 災い転じて福となる、ってところか。



 
おすすめ度 :★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損

 
 
 
 

● 離被架 映画:『HUNGER/ハンガー 静かなる抵抗』(スティーヴ・マックイーン監督)

2008年イギリス
96分

 北アイルランド紛争をテーマとするノンフィクション刑務所ドラマ。
 『SHAME シェイム』、『それでも夜は明ける』のスティーヴ・マックイーン監督の長編デビュー作であり、両作で主役を務めているマイケル・ファスベンダーが、強い意志でもってハンガーストライキをやり遂げる囚人を演じている。
 
 しばらく前まで、リアルタイムなイギリスを舞台にした小説を読んだり映画を観たりすると、決まって北アイルランド問題に触れられていた。
 IRA(アイルランド共和軍)とか、アルスター義勇軍(UVF)とか、血の日曜日事件とか、ロンドン地下鉄の爆弾テロとか、穏やかでない言葉が出現するたびに、「紳士の国とか言われるわりには物騒なところだな」、と思った。
 ソルティは2000年にロンドンを訪れる機会があって、その際にはじめて北アイルランド紛争について調べたのだが、とにかく紛争の歴史が長く、経緯も複雑で、よくわからなかった。(ウィキのない時代である)

 大雑把なところで、アイルランドという島がいろいろな因縁から、南部のカトリック派と北部のプロテスタント派に分かれてしまい、北部は同じプロテスタントである英国の一部となった。
 が、北部にもカトリックの人々がいて、その人たちは英国から離脱してのアイルランド統一を願った。
 そこで、親・英国のプロテスタント派と脱・英国のカトリック派が争うことになり、当然、英国は前者の、南部アイルランドは後者の味方につく・・・・という図式で理解した。

 面白い(といったら語弊があるが)のは、英国という巨大権力にプロテスト(抵抗)しているのがカトリックであるという逆説である。
 考えてみたら、かつてソ連であったウクライナの東部でいま起きていること――親・ロシア派と脱・ロシア派の対立――と構造的によく似ているのかもしれない。
 
google map より
 
 本作は、長きに渡る北アイルランド紛争の中で、1981年に発生した北アイルランドの刑務所内での出来事に焦点を当てている。
 アイルランド統一のために闘うIRAの若者たちが、親・英国側に捕らえられ収容されている。
 そこでは、囚人に対する凄まじい虐待がある一方で、祖国統一を夢見る囚人たちの不屈の精神によるレジスタンスが行われている。
 時の英国首相は、“鉄の女”マーガレット・サッチャーであった。

 カメラは前半、一致団結して抗議行動する囚人たちの様子を映していく。
 「自分たちはテロリストでも罪人でもない。祖国のために闘う政治活動家だ」という誇りから、囚人服の着用を拒み、寒い牢内でも素っ裸に毛布一枚で過ごす男たち。
 待遇の改善を求め、牢内に設置されているトイレを使わず、尿を通路に垂れ流し、便を壁に擦りつける。(これは絵的にキツイ!)
 それに対する刑務所側は、彼らを牢から引きずり出して、殴り、蹴り、突き飛ばし、体中の穴という穴を調べ尽くし、無理やり体を押えつけて髪を切り、浴槽に放り込んでデッキブラシで体を擦り上げる。
 その報復として、牢の外にいるIRAの仲間は、休日の刑務官をつけ狙い、銃で射殺する。
 暴力シーンの連続に、言葉を失う。
 セリフの少ないことが、暴力だけが支配する世界の残酷さを強調する。
 キリストはどこにいるのやら?
 
 囚人たちのリーダーであるボビー(演・マイケル・ファスベンダー)は、ついに、ハンガーストライキを決行する。
 映画の後半は、凄惨な餓死に至るボビーの様子が映し出される。
 やせ衰え、体中にひどい褥瘡(床ずれ)ができ、自力で立つ力を失い、最後は妄想のうちに家族に見守られながら息を引き取る。
 これは実際にあったことで、ボビー・サンズは1981年3月1日から5月5日までの66日間の絶食の果てに亡くなった。27歳だった。(ウィキペディア Bobby Sands より)
 
 介護施設で働いていたとき、自力で体を動かせなくなり、あちこちに褥瘡ができた高齢者をずいぶんと見た。
 褥瘡は、足のかかとや臀部や肩甲骨や肘など、寝具や椅子に触れる骨張ったところにできやすく、栄養失調や皮膚の湿潤により悪化する。
 ひどい場合は、タオルケットを掛けるくらいの圧力でさえ、悪化し、痛みを訴える。
 そんなときは、毛布が直接患部に触れないよう離被架(りひか)というアーチ状の架台を使う。
 映画の中で、骨と皮だけになったボビーが離被架を使っているのを見て、懐かしく思った。

りひか
離被架(りひか)

 刑務所で働く看護師たちは、ボビーの褥瘡に軟膏を塗ったり、柔らかい毛皮の敷物をマットの上に広げたり、離被架を使用したりと、プロに徹して必要なケアを施すのだが、最後まで決して、点滴で栄養補給することはしない。
 あくまで、ハンガーストライキを邪魔せず。たとえ死のうが、受刑者の自己決定を尊重する。
 こうした刑務所の(英国の)姿勢が、虐待の様相とちぐはぐで、なんだかおかしい。
 日本の刑務所だったら、どうするかな?
 
 1998年に英国とアイルランドの間で結ばれたベルファスト合意により、北アイルランド問題は一応の解決を見た。
 時の英国首相は、トニー・ブレアであった。





おすすめ度 :★★★

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● 清潔で優しい顔した・・・ 映画:『PLAN 75』(早川千絵監督)

2022年日本、フランス、フィリピン、カタール共同制作
112分

 満75歳になった国民は、自ら安楽死を選ぶことができる。
 ――という法律が決まった近未来の日本を描くSF社会派ドラマ。

 高齢者介護施設における虐殺シーンから始まる。
 高齢者に使われる莫大な社会保障費のせいで自らの生活が圧迫されている、と苛立った若者らが、全国各地で同じような事件を起こす。
 その解決策として、国が作ったのが、PLAN 75という制度。
 75歳以上の高齢者は、自らの意志で自らの人生に幕を引くことができる。
 もちろん、遺産や家財の整理、薬による安楽死、遺体処理や葬儀の手配まで、行政がしっかりサポートしてくれる。お金のある人は、民間による手厚いサポートも得られる。
 申請した人には支度金として一律10万円が支給される。
 78歳の角谷ミチ(倍賞千恵子)は身寄りのない未亡人で、ホテルの客室清掃員として働いていた。しかし、ある日、高齢を理由に解雇される。次の仕事も見つからず、生活保護にも抵抗あるミチは、ついにプラン75を申請する。

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 冒頭の介護施設での虐殺シーンが想起させるのは、2016年7月26日に相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で起きた入所者大量殺傷事件であり、それをもとに作られた石井裕也監督の映画『』である。
 「生産性のない人間は生きている資格がない」という鬼畜テーゼをめぐる話という点で、両作は共通している。『月』では知的障害者、本作では高齢者がその対象である。
 しかも、びっくりしたことに、『月』で凶悪殺人者サトくん(植松聖がモデル)を演じた磯村勇斗が、本作にも出演している。
 時系列から言えば、本作の好演を観た石井監督が、磯村を『月』の殺人者役に抜擢したのであろう。
 本作では、PLAN 75の申請を高齢者に勧める真面目な公務員の役である。
 実際、非常に巧い役者であることが本作でも証明されている。
 若手男優ではトップなのではあるまいか。

 両作品が意図するところは、もちろん、鬼畜テーゼの肯定ではない。
 「生産性」という効率重視の経済用語によって、人間の生が量られてしまうことに対する批判であり、命の価値や生きることの意味を観る者に問いかけるところにある。
 そこを踏まえて両作品を比較したときに、本作の“志操の高さ”をこそ、ソルティは評価したい。
 暗くて煽情的でホラー映画まがいの『月』にくらべ、本作は淡々と静かに進行する。観る者を煽らない。
 が、随所に、『銀河ヒッチハイク・ガイド』のダグラス・アダムスばりのブラック・ユーモアが見られる。
 病院の待合室に流れるPLAN 75 のメリットを語る(あたかも公共広告機構CMのような)利用者インタビュー映像とか、「政府はPLAN 75の年齢引き下げの検討に入っています」なんてニュースの挿入とか、思わず笑ってしまった。(シリアスなドラマにしないで、全編ブラックコメディにしたほうが、面白かったのではないかな?)

 また、『月』では描き損ねていた「生産性のない」人間たちの生の営みが、本作ではしっかり描き込まれている。
 ミチが、同世代の職場の仲間たちとカラオケに行ったり、家に呼ばれて一緒に食事をしたり、PLAN 75で働く“終活カウンセラー”の若い女性を誘ってボウリングしたり思い出を語ったり・・・・・。
 このようななんてことない日常の生の営みが、「生産性」あるいは「自己決定」という金科玉条のもとに否定されていく過程が描かれていく。
 ミチを演じる倍賞千恵子の演技はとても素晴らしく、「ああ、日本にも『さざなみ』のシャーロット・ランプリングのような大人の芝居のできる女優がいたんだ!」、という発見があった。
 
 本作は、現代版『楢山節考』ということもできる。
 一定の年齢に達した老人を山に捨てる掟をもつ村の話、いわゆる姥捨て伝説。
 日本が本当に貧しくて、飢饉が防げなかった時代、そういったこともあったろう。
 木下惠介監督『楢山節考』では、老いた母親を雪山に置き去りにして来なければならない孝行息子の苦悩が描かれ、涙を誘う。
 平気で父親を谷に突き落とす酷い息子も登場するが、それは一部の例外であって、基本的には家族の愛情が謳われている。
 その点に、本作との違いを見ることができる。
 ミチは身寄りのない未亡人で、子供も孫も持たず、頼れる親族がいない。
 PLAN 75のスタッフをつとめる岡部ヒロム(磯村勇斗)は機能不全の家に育ち、幼い頃に父母は離婚、その後父親は亡くなり、母親は再婚し、いまは一人暮らしをしている。
 家族の崩壊、地域社会(地縁)の消滅という、戦後から令和にかけて進行した日本社会の変貌がそこにはある。
 現代社会の中で孤立した個々人を狙い撃つように、PLAN 75が清潔で優しい顔して浸透していく。

姨捨駅
 
 ひとつ安心してほしい。
 現実的には、PLAN 75は国会を通過することはないだろう。
 我が国の国会議員の平均年齢は60歳を超えているし、各世代ごとの投票率も年齢が高くなるほど上がるのだから。
 




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