ソルティはかた、かく語りき

首都圏に住まうオス猫ブロガー。 還暦まで生きて、もはやバケ猫化している。 本を読み、映画を観て、音楽を聴いて、寺社仏閣に詣で、 旅に出て、山に登って、瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

●老い・介護

● 本:『うちの父が運転をやめません』(垣谷美雨 著)

2020年(株)KADOKAWA
2023年文庫化

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 田舎に住む78歳の父親の車の運転をどうにかやめさせようと骨を折る、都会に住む50代の息子の物語。
 帰省するたびに、あちこち凹みや傷をつけている父親の車を見るにつけ、また、父親と同世代の男たちが運転事故を起こしたという近所の話を聞くにつけ、一刻も早く運転をやめさせなければと焦るのだが、当の父親は聞く耳を持たない。 
 言えば言うだけ頑なになる。
「免許を返したら、買い物できなくなるじゃないか」と父親は言う。
 通販の利用をすすめたり、ふた親を都会に呼び寄せる算段をしてみたり、いろいろ試してみるがうまくいかない。
 事故が起きてからでないと、本人を納得させるのは無理なのか・・・・

 介護業界で働いているソルティも、「うちの父が運転をやめません」という娘息子からの相談をたまに受ける。
 免許返納拒否問題。
 当人が持ちだす理由はだいたい同じで、「足が無くなると、買い物や通院に困る。バス便は少ないし、タクシー代は高すぎる」
 もっともなところである。
 だが、多くの場合、根本的な理由は別にある。
 男のプライド――である。
 男にとって、愛車を奪われるのは、去勢されるに等しいものなのだ。
 だから、免許を取り上げるのは酷でもあるし、難しくもある。

車と男

 どういった結末に落ち着くのか、はたして父親は運転をやめるのか――という“引き”はたしかに気になる。
 けれど、読み進めているうちに、本書のほんとうの主人公は、田舎の父親ではなくて都会の息子のほうであり、ほんとうのテーマは、父親の免許返納問題ではなく息子の生き方の問題であることが判明する。
 自然豊かで地縁の根付いた故郷を離れ、憧れの都会に出て就職し家庭を持った息子は、いつのまにか仕事に追われ、夢を失い、妻や子供との食事や会話もままならない、味気ない日々を送っている。
 隣人の顔も名前も知らない、土や雨の匂いもわからないマンションで、定年だけを楽しみに生きている。
 その親父の姿をみている高校生の息子は、将来に希望が持てず、活気を失くしている。
 いったい、どこでどう間違えたのか・・・・。
 
 著者は1959年生まれ。
 ソルティとおなじく、子供時代を高度経済成長期の日本の変貌を見ながら過ごし、青春時代を「一億総中流」の幻想のうちに遊び惚け、就職したらバブルの狂騒に巻き込まれたイケイケ世代。
 豊かさの指標が、国民総生産や所有物の多寡で測られた。
 偏差値の高い大学に入り給料の高い会社で働くこと、そのような高スペックを持つ男と結婚すること、それが幸福と世間は言う。
 その教えにしたがって我武者羅に働いてきて、ふと気づくと、バブルは崩壊、日本経済は失速し続け、所得格差は広がる一方。
 次々と開発される文明の利器はたしかに生活を便利にしてくれたが、余暇が増えるかと思えば、逆に忙しくなるばかり。
 家族はそれぞれが好き勝手なことをし、地縁はとうに消滅し、引きこもりや孤独死が増えた。
 これが、我々が子供時代に夢見ていた21世紀日本の姿なのか。
 日本人はこの半世紀で、より幸福になったのか。
 著者が読者に問いかけているのはそこだと思う。
 その意味で、『パーフェクト・デイズ』と相通じるところがある。

 しばらく前から、昭和懐古ブームが起きている。
 とくに西岸良平の漫画『三丁目の夕日』に描かれた昭和30年代の下町の風景が、多くの人々の郷愁を誘っている。
 「決して裕福ではなかったけれど、あの頃は良かった・・・・」
 一方、現在放映中のTVドラマ『不適切にもほどがある!』で揶揄されているように、セクハラやパワハラや男尊女卑や父権主義やマイノリティ差別や受動喫煙の害など、昭和文化にはいろいろと問題も多かった。
 「昔は良かった」とは一概に言えない。
 本書で著者は、失われた「昭和」の美点を謳いながらも、たんなる懐旧で済まさず、新しい時代の地域像、家族像、男の生き方像を描き出そうとしている。

11番への道(移動スーパー)
移動スーパーは買い物難民の光

 今年87歳になるソルティの父親は、10年以上前に免許返納した。
 駐車場から車を出す際にコンクリートの柱に車をぶつけ、本人は怪我しなかったが、車体はかなり損壊した。
 対人事故でなくてほんとうに良かった。
 さすがに、「免許返納してくれ」という母親の要求に反論する言葉を持たなかった。
 災い転じて福となる、ってところか。



 
おすすめ度 :★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
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★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損

 
 
 
 

● 離被架 映画:『HUNGER/ハンガー 静かなる抵抗』(スティーヴ・マックイーン監督)

2008年イギリス
96分

 北アイルランド紛争をテーマとするノンフィクション刑務所ドラマ。
 『SHAME シェイム』、『それでも夜は明ける』のスティーヴ・マックイーン監督の長編デビュー作であり、両作で主役を務めているマイケル・ファスベンダーが、強い意志でもってハンガーストライキをやり遂げる囚人を演じている。
 
 しばらく前まで、リアルタイムなイギリスを舞台にした小説を読んだり映画を観たりすると、決まって北アイルランド問題に触れられていた。
 IRA(アイルランド共和軍)とか、アルスター義勇軍(UVF)とか、血の日曜日事件とか、ロンドン地下鉄の爆弾テロとか、穏やかでない言葉が出現するたびに、「紳士の国とか言われるわりには物騒なところだな」、と思った。
 ソルティは2000年にロンドンを訪れる機会があって、その際にはじめて北アイルランド紛争について調べたのだが、とにかく紛争の歴史が長く、経緯も複雑で、よくわからなかった。(ウィキのない時代である)

 大雑把なところで、アイルランドという島がいろいろな因縁から、南部のカトリック派と北部のプロテスタント派に分かれてしまい、北部は同じプロテスタントである英国の一部となった。
 が、北部にもカトリックの人々がいて、その人たちは英国から離脱してのアイルランド統一を願った。
 そこで、親・英国のプロテスタント派と脱・英国のカトリック派が争うことになり、当然、英国は前者の、南部アイルランドは後者の味方につく・・・・という図式で理解した。

 面白い(といったら語弊があるが)のは、英国という巨大権力にプロテスト(抵抗)しているのがカトリックであるという逆説である。
 考えてみたら、かつてソ連であったウクライナの東部でいま起きていること――親・ロシア派と脱・ロシア派の対立――と構造的によく似ているのかもしれない。
 
google map より
 
 本作は、長きに渡る北アイルランド紛争の中で、1981年に発生した北アイルランドの刑務所内での出来事に焦点を当てている。
 アイルランド統一のために闘うIRAの若者たちが、親・英国側に捕らえられ収容されている。
 そこでは、囚人に対する凄まじい虐待がある一方で、祖国統一を夢見る囚人たちの不屈の精神によるレジスタンスが行われている。
 時の英国首相は、“鉄の女”マーガレット・サッチャーであった。

 カメラは前半、一致団結して抗議行動する囚人たちの様子を映していく。
 「自分たちはテロリストでも罪人でもない。祖国のために闘う政治活動家だ」という誇りから、囚人服の着用を拒み、寒い牢内でも素っ裸に毛布一枚で過ごす男たち。
 待遇の改善を求め、牢内に設置されているトイレを使わず、尿を通路に垂れ流し、便を壁に擦りつける。(これは絵的にキツイ!)
 それに対する刑務所側は、彼らを牢から引きずり出して、殴り、蹴り、突き飛ばし、体中の穴という穴を調べ尽くし、無理やり体を押えつけて髪を切り、浴槽に放り込んでデッキブラシで体を擦り上げる。
 その報復として、牢の外にいるIRAの仲間は、休日の刑務官をつけ狙い、銃で射殺する。
 暴力シーンの連続に、言葉を失う。
 セリフの少ないことが、暴力だけが支配する世界の残酷さを強調する。
 キリストはどこにいるのやら?
 
 囚人たちのリーダーであるボビー(演・マイケル・ファスベンダー)は、ついに、ハンガーストライキを決行する。
 映画の後半は、凄惨な餓死に至るボビーの様子が映し出される。
 やせ衰え、体中にひどい褥瘡(床ずれ)ができ、自力で立つ力を失い、最後は妄想のうちに家族に見守られながら息を引き取る。
 これは実際にあったことで、ボビー・サンズは1981年3月1日から5月5日までの66日間の絶食の果てに亡くなった。27歳だった。(ウィキペディア Bobby Sands より)
 
 介護施設で働いていたとき、自力で体を動かせなくなり、あちこちに褥瘡ができた高齢者をずいぶんと見た。
 褥瘡は、足のかかとや臀部や肩甲骨や肘など、寝具や椅子に触れる骨張ったところにできやすく、栄養失調や皮膚の湿潤により悪化する。
 ひどい場合は、タオルケットを掛けるくらいの圧力でさえ、悪化し、痛みを訴える。
 そんなときは、毛布が直接患部に触れないよう離被架(りひか)というアーチ状の架台を使う。
 映画の中で、骨と皮だけになったボビーが離被架を使っているのを見て、懐かしく思った。

りひか
離被架(りひか)

 刑務所で働く看護師たちは、ボビーの褥瘡に軟膏を塗ったり、柔らかい毛皮の敷物をマットの上に広げたり、離被架を使用したりと、プロに徹して必要なケアを施すのだが、最後まで決して、点滴で栄養補給することはしない。
 あくまで、ハンガーストライキを邪魔せず。たとえ死のうが、受刑者の自己決定を尊重する。
 こうした刑務所の(英国の)姿勢が、虐待の様相とちぐはぐで、なんだかおかしい。
 日本の刑務所だったら、どうするかな?
 
 1998年に英国とアイルランドの間で結ばれたベルファスト合意により、北アイルランド問題は一応の解決を見た。
 時の英国首相は、トニー・ブレアであった。





おすすめ度 :★★★

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● 清潔で優しい顔した・・・ 映画:『PLAN 75』(早川千絵監督)

2022年日本、フランス、フィリピン、カタール共同制作
112分

 満75歳になった国民は、自ら安楽死を選ぶことができる。
 ――という法律が決まった近未来の日本を描くSF社会派ドラマ。

 高齢者介護施設における虐殺シーンから始まる。
 高齢者に使われる莫大な社会保障費のせいで自らの生活が圧迫されている、と苛立った若者らが、全国各地で同じような事件を起こす。
 その解決策として、国が作ったのが、PLAN 75という制度。
 75歳以上の高齢者は、自らの意志で自らの人生に幕を引くことができる。
 もちろん、遺産や家財の整理、薬による安楽死、遺体処理や葬儀の手配まで、行政がしっかりサポートしてくれる。お金のある人は、民間による手厚いサポートも得られる。
 申請した人には支度金として一律10万円が支給される。
 78歳の角谷ミチ(倍賞千恵子)は身寄りのない未亡人で、ホテルの客室清掃員として働いていた。しかし、ある日、高齢を理由に解雇される。次の仕事も見つからず、生活保護にも抵抗あるミチは、ついにプラン75を申請する。

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 冒頭の介護施設での虐殺シーンが想起させるのは、2016年7月26日に相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で起きた入所者大量殺傷事件であり、それをもとに作られた石井裕也監督の映画『』である。
 「生産性のない人間は生きている資格がない」という鬼畜テーゼをめぐる話という点で、両作は共通している。『月』では知的障害者、本作では高齢者がその対象である。
 しかも、びっくりしたことに、『月』で凶悪殺人者サトくん(植松聖がモデル)を演じた磯村勇斗が、本作にも出演している。
 時系列から言えば、本作の好演を観た石井監督が、磯村を『月』の殺人者役に抜擢したのであろう。
 本作では、PLAN 75の申請を高齢者に勧める真面目な公務員の役である。
 実際、非常に巧い役者であることが本作でも証明されている。
 若手男優ではトップなのではあるまいか。

 両作品が意図するところは、もちろん、鬼畜テーゼの肯定ではない。
 「生産性」という効率重視の経済用語によって、人間の生が量られてしまうことに対する批判であり、命の価値や生きることの意味を観る者に問いかけるところにある。
 そこを踏まえて両作品を比較したときに、本作の“志操の高さ”をこそ、ソルティは評価したい。
 暗くて煽情的でホラー映画まがいの『月』にくらべ、本作は淡々と静かに進行する。観る者を煽らない。
 が、随所に、『銀河ヒッチハイク・ガイド』のダグラス・アダムスばりのブラック・ユーモアが見られる。
 病院の待合室に流れるPLAN 75 のメリットを語る(あたかも公共広告機構CMのような)利用者インタビュー映像とか、「政府はPLAN 75の年齢引き下げの検討に入っています」なんてニュースの挿入とか、思わず笑ってしまった。(シリアスなドラマにしないで、全編ブラックコメディにしたほうが、面白かったのではないかな?)

 また、『月』では描き損ねていた「生産性のない」人間たちの生の営みが、本作ではしっかり描き込まれている。
 ミチが、同世代の職場の仲間たちとカラオケに行ったり、家に呼ばれて一緒に食事をしたり、PLAN 75で働く“終活カウンセラー”の若い女性を誘ってボウリングしたり思い出を語ったり・・・・・。
 このようななんてことない日常の生の営みが、「生産性」あるいは「自己決定」という金科玉条のもとに否定されていく過程が描かれていく。
 ミチを演じる倍賞千恵子の演技はとても素晴らしく、「ああ、日本にも『さざなみ』のシャーロット・ランプリングのような大人の芝居のできる女優がいたんだ!」、という発見があった。
 
 本作は、現代版『楢山節考』ということもできる。
 一定の年齢に達した老人を山に捨てる掟をもつ村の話、いわゆる姥捨て伝説。
 日本が本当に貧しくて、飢饉が防げなかった時代、そういったこともあったろう。
 木下惠介監督『楢山節考』では、老いた母親を雪山に置き去りにして来なければならない孝行息子の苦悩が描かれ、涙を誘う。
 平気で父親を谷に突き落とす酷い息子も登場するが、それは一部の例外であって、基本的には家族の愛情が謳われている。
 その点に、本作との違いを見ることができる。
 ミチは身寄りのない未亡人で、子供も孫も持たず、頼れる親族がいない。
 PLAN 75のスタッフをつとめる岡部ヒロム(磯村勇斗)は機能不全の家に育ち、幼い頃に父母は離婚、その後父親は亡くなり、母親は再婚し、いまは一人暮らしをしている。
 家族の崩壊、地域社会(地縁)の消滅という、戦後から令和にかけて進行した日本社会の変貌がそこにはある。
 現代社会の中で孤立した個々人を狙い撃つように、PLAN 75が清潔で優しい顔して浸透していく。

姨捨駅
 
 ひとつ安心してほしい。
 現実的には、PLAN 75は国会を通過することはないだろう。
 我が国の国会議員の平均年齢は60歳を超えているし、各世代ごとの投票率も年齢が高くなるほど上がるのだから。
 




おすすめ度 :★★★

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● ACPにはまだ早い? 漫画:『老いる自分をゆるしてあげる。』(上大岡トメ・作画)

2019年幻冬舎

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 40代後半で高齢者介護施設に就職したソルティが、数ヶ月働いてつくづく思ったのは、「年を取るってたいへんなんだなあ~」であった。
 それまで一度も祖父母と一緒に暮らしたことがなかったし、当時は一人暮らしで、70代の両親の姿も盆正月に帰省する時しか見なかった。
 自分自身、記憶力の減退や体力の低下こそ感じていたが、老眼や抜け毛やイ×ポはまだ来ておらず、老いを問題に感じるまでに至らなかった。
 つまり、自分事としても他人事としても、老いの現実を知らなかった。
 80~90代が大半を占める介護施設で、身体の故障や認知力の衰退からくるADL(日常生活動作)低下に苦しむ人々に接したことで、遅まきながらはじめて「老い」の大変さを知ったのだった。
 
 しかしながら、現代日本ではかなりの人が、施設で働く前のソルティと同じ状況に置かれているのではなかろうか。
 サザエさん一家のような三世代同居が珍しくなり、人生の最後を施設で過ごし病院で死ぬのが当たり前になった現在、人間の老いと死を間近に見て当事者の生の声を聞く機会は少なくなっている。親の介護を女房まかせにしてきた男たちはとくに。
 まだしもソルティは、40代後半で介護の世界に飛び込んだので、同世代の男たちにくらべれば老いを学ぶ機会が持てた。
 日々職場で介護という実践を通して施設入所者から学び、その間に受けたたくさんの研修を通して学び、また介護福祉士や介護支援専門員(ケアマネ)の資格試験の勉強を通して学び・・・。振り返ってみれば自分の50代は「老いと死」を学んだ10年間であった。
 ソルティが今や80代になった同居の両親の老いてゆく姿にさして戸惑うことがないのも、60代に突入した自らの老化を「仕方ない」とそれなりに受け入れられるのも、この10年間の介護者としての学び――および仏道修行のおかげ、かもしれない。言うまでもなく、諸行無常はブッダの教えの核心である。
 ふつう50代と言ったら、仕事も遊びも現役バリバリ、恋もグルメも酒も趣味もまだまだ楽しみたい、老いや死を考えるなどまだ早いってのが相場であろう。とくにバブル時代に青春を過ごした我々“新人類”世代は・・・・・。
 
 しかしながら、不確実なこの世で唯一100%確実なことがあるとすれば、それは誰にでも平等にやってくる老いと死である。
 この二つは避けることができない点では共通しているが、大きな違いがある。
 死は経験することができないが、老いは経験することができる。
 死を学ぶことはできないが、老いを学ぶことはできる。
 つまり、死は一瞬のことであり、それを経験し学ぶ主体は消滅してしまうので、結局、経験者や学習者はいない。(生まれ変わりがなければ)
 一方、老いはおおむね長期にわたり、人は自らの老いの進行を実感し、経験し、そこから学ぶことができる。老いの終点である死への準備を始めることができる。
 そう思うと、老いを学ぶ機会というのが現代日本社会に用意されていないことに思い当たる。
 むろん、テレビや雑誌を見れば、老いを遠ざけ、いつまでも若々しく健康でいるための様々な断片的な知識はいくらでも得ることができる。
 が、自らの老いと向き合い、その仕組みを知り、ありのままに受け入れ、老いる自分とどうつきあっていくか、その先に訪れる死をどう受け入れていくか、という一大事を学ぶ機会がない。
 介護施設で働いている時、ソルティは冗談がてら、「定年退職した人に、介護施設での短期間ボランティアを義務付けたらどうだろう?」なんて思ったものだ。
 自分の老後や最期を考える最高のショック療法になるし、施設にとっては人手不足解消になる・・・。

 最近、医療介護現場ではACP(Advance Care Planning)という言葉が盛んに飛びかっている。
 これは、「将来の変化に備え、将来の医療及びケアについて、 本人を主体に、そのご家族や近しい人、医療・ ケアチームが、繰り返し話し合いを行い、本人による意思決定を支援する取り組みのこと」で、日本語では「人生会議」と呼ばれている。
 端的に言えば、「どんな死に方をしたいか、元気な今のうちに決めておいてください」ということなのであるが、なかなか浸透が進まない様子である。
 死のタブーは強い。
  
危篤

 本コミックは、誰にでも訪れる老いについて、最新の医学的見地、解剖学的見地、リハビリ学的見地、脳科学的見地から、その仕組みを解き明かし、老いを忌避することなく、上手に心地良く付き合っていく方法を教えてくれる。
 食事や運動や歩き方などの具体的なコツもイラストを通してわかりやすく伝授してくれる。
「いくら昔たくさん動いて筋肉を鍛えたとしても、筋肉の貯金はできない」という一文にはドキッとした。「若い頃よく山登りして歩いたから」は保証にならないのだ。
 逆に、筋肉はいくつになっても鍛えられるというのは朗報である。
 かつてのオリンピック金メダルのアスリートで今は運動していない人よりも、今毎日少しでも運動している凡人の方が、長く健康を保てる。

 なによりも素晴らしいのは、タイトルが示すように、老いを否定せず、むしろ人間だけに与えられた有意義な時間として、前向きにとらえている点であろう。
 そう、ソルティが介護の仕事を通じて知った“老いの苦しみ”の震源は、肉体的な苦痛より、むしろ精神的な苦痛であった。
 酸いも甘いも噛み分けて、いい加減悟っていてもいいのではないかと思える齢80、90の爺ちゃん婆ちゃんの心の中が、中2坊主のように疾風怒濤の混乱を来たしているのを目の前に見た時、「いや、これは一筋縄ではいかんぞ。老後のための資金形成も大切だが、それ以上に心の持ち方を学ばなければつらいぞ」とつくづく思った。

 精神的な苦痛をもたらす要因は、様々なことに対する“執着”である。
 自分の中にある“執着”とどう付き合っていくか、どう解消し手放していくか。
 還暦後のソルティの課題である。

自撮り(遍路姿影)


 
おすすめ度 :★★★

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● 映画:『月』(石井裕也監督)

2023年日本
144分

 とにかく暗い、とにかく重い、とにかく気が滅入る。
 スペインのホラー映画のようなこの暗さはただごとではない。
 実際、藪の中をうごめく蛇がでてきたり、雷鳴とどしゃぶりが不穏な空気をあおったり、暗闇を懐中電灯の光が跳ねたりと、ホラー映画の常套手段がそこかしこに使われている。
 いったい知的障害者施設の虐待の実態を描くのになぜホラー仕立てにするのか・・・という疑問と不快がつきまとう。
 愛児を失った夫婦(宮沢りえとオダギリジョー)、障害者施設で働く職員(磯村勇斗、二階堂ふみ、モロ師岡ほか)、職員の家族(鶴見辰吾、原日出子)、マンションの管理人など、登場する人間がみな病んでいる者ばかりで、交わされる会話も異様に毒々しく、施設に収容されている障害者のほうがまともに見える。
 出だしからずっと陰々滅々で、「これが現実です。現実から目を背けるな。」という正論を盾に、知的障害者施設とそこで働く職員のイメージを悪化させようと過剰な演出であおっているとしか思えない。 
 高齢者の介護施設で働いていたソルティ、不快感から途中退席しようかと思ったが、主演の宮沢りえとオダギリジョーの演技の深みに惹かれて、そのまま見続けた。

 磯村勇人演じる職員のサト君が、思いつめた表情で、「生産性のない人間は生きている資格がない」と呟いた瞬間、「ああ、これはそういう話だったのか!」と遅まきながら気がついた。
 ソルティは、宮沢りえ主演の障害者ストーリーで公開が困難を極めた、という事前知識だけをもって、スクリーンの前に座ったのである。
 むろん、辺見庸が2017年に発表した同名の原作も知らなかった。
 なるほど、この暗さも、重さも、陰々滅々も、あの事件の衝撃と悲惨を思えばわからなくもない。
 本作は、2016年7月26日に相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で起きた入所者大量殺傷事件に取材したもので、サト君のモデルこそは植松聖だったのである。

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Oscar Chavez MendozaによるPixabayからの画像

 生産性のない人間、人と会話することのできない(心を持たない)人間、社会のお荷物になるだけの人間に生きる意味はあるのか?
 生かしておくだけ可哀想ではないか?

 その問いにはっきりと、「いや、違う。生きていること自体に意味がある。生産性で人の価値は測れない。」と、この社会が断言できないのは、出生前診断で胎児になんらかの障害が見つかったとき、90%近いカップルが中絶を選択しているという現実があるからだ。
 宮沢りえとオダギリジョー演じる夫婦が、第2子の妊娠を知った時に出産するかどうか思い悩むのも、欠陥を持って生まれ、3年間でこの世を去った第1子のことを思うからである。
 高齢出産の妻は思う。「生まれてくる子供が障害を持っていたら、当人も自分もあまりに辛いから、中絶しよう。」
 90%の人間がやっていること。その選択を責めることは誰にもできない。
 しかし、妻は知的障害者施設でサト君と一緒に働いている。
 「生産性のない人間に生きる資格はない」というサト君の言葉を、妻は必死に否定するが、自らの中のダブルスタンダード(矛盾)と向き合わざるを得なくなる。

 宮沢りえ、オダギリジョー、磯村勇斗が素晴らしい。
 この三人で主演、助演賞総なめしてもおかしくはないほどの渾身の演技。
 宮沢りえの内面を深く掘り下げて表出する芝居は、若い頃の十朱幸代を彷彿とさせる。
 今や、この人を美人女優というのはかえって失礼だろう。
 芸はルックスを超越している。(ああ、吉永小百合!)

 オダギリジョーは表情が素晴らしい。
 生活力のない芸術家肌のやさしい夫という役を、絶妙な表情によって肉体化している。
 妻の妊娠および中絶の意向を思いがけず他人から知らされる場面(家飲みシーン)の表情には、どきっとした。

 磯村勇斗という役者のことは知らなかった。
 仮面ライダーシリーズの出身らしく、なかなかのイケメンである。
 神木隆之介にちょっと似ているなあと思いながら観ていたが、ひょっとして演技力は神木以上かもしれない。
 タイトルの『月』とはルナティックすなわち「狂気」のことであろうが、磯村はサト君がだんだんと狂気にはまっていく過程をリアリティもって演じている。
 一見、人あたりのいい真面目で優しい青年が内に抱える強い自己否定――それが次第に膨れ上がり、周囲が気づくほど外に姿を現し、反転して社会否定となり、一線を超えて暴発する。
 実在の人物をモデルとした難役にこれだけの説得力を与え得る力量は、磯村が今後相当な役者になり得る可能性を示唆してあまりない。

 チョイ役だが、入所している障害者の母親役で出ている高畑淳子はさすがに上手い。

 平成史に残る凶悪事件を描いているので後味が良くないのはある面仕方ないと思うのだが、そればかりでなく、本作がどうも釈然としないのは、テーマが分散しているからと思う。
 前半の知的障害者施設の虐待実態と、後半の狂気の大量虐殺事件と、どっちが書きたいのか、どっちを訴えたいのか?
 この接続の仕方だと、サト君が「障害者の命を奪って、酷い境遇から解放してあげました」というある種のヒーローのような持ち上げ方を許してしまう。
 一部の知的障害者施設で実際に起こっている虐待の実態および職員の精神的荒廃と、サト君=植松聖の異常なパーソナリティは分けて考えるべきこと、少なくとも一つの作品の中で両者を同時に同じような重さで語るのは無謀――とソルティは思う。(現実とフィクションの区別のつかない幼稚な鑑賞者が、「やまゆり園は入所者に虐待を行っていた」と早とちりしてしまうリスクは抜きにしても)
 
 施設の中では、職員と入所者の間の心安らぐ交流や楽しい時間はあるはずだし、本人がどんな状態であろうと、たまに見舞いに来る家族(高泉淳子演じる母親のような)にとって「子供は宝」であることは、日頃近くで見聞きしている職員なら知りえたはずである。
 そのような光景に意味を見出せないサト君(植松聖)の心の荒廃あるいは空虚、そして生産性のない人間は(神に代わって)自分が始末してもいいとする麻原彰晃のような誤った全能感、それこそが問題にされるべきであろう。
 つまり、遠藤周作の『海と毒薬』のように、最初から加害者のパーソナリティや半生に焦点を当てた作品にすべきではなかったか。
 
 本年一番の問題作であり、病者や障害者のケアに関わる者なら観ておきたい作品であることは間違いない。

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池袋シネマ・ロサで鑑賞
上映期間は短そう


  
おすすめ度 :★★★

★★★★★ 
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● 杉村春子に「ババア!」と言った男 映画:『午後の遺言状』(新藤兼人監督)

1995年日本
112分
脚本 新藤兼人

 杉村春子(撮影時88歳)、乙羽信子(70歳)の最後の映画出演作であり、老いをテーマにした代表的な邦画の一つである。
 作中で3人の老人が自死(うち2人は心中)するわりには、重くも暗くもなく、鑑賞後はどこかほのぼのした味わいが残るところが不思議。

 理由を考えるに、一つには物語の主たる舞台が信州の山間の別荘なので、夏の森の美しさや渓流の輝きがさわやかで明るい印象をもたらすところにある。

 また、新藤監督ならではのコミカルな演出も効いている。
 留置場からの脱走犯(木場勝己)が別荘に押し入るシーンなどは、リアリティを崩さないぎりぎりの線で、とぼけた風味の滑稽さを生み出すのに成功している。役柄の上とは言え、大先輩である杉村春子に向かって、「ババア」を連呼した木場。勇気が要ったことだろう。

 フラワー・メグの“オールシーン”・ヌードが衝撃的な『鉄輪』で極められた、新藤にとっての主要テーマである「生=性」。
 本作でも、若いカップル(瀬尾智美と松重豊!)をめぐる性愛や中高年カップル(乙羽信子と津川雅彦)のやむにやまれぬ不倫を描き、エロの生命力を老いや死と対置させている。

 この「老いと死」v.s.「性と生」の綱引きにおいて、最終的に後者の勝利で物語をしめくくらせる立役者は、杉村春子である。
 独居老人の首つり自殺も、認知症の妻(朝霧鏡子)とそれを介護する夫(観世栄夫)の入水心中も、杉村春子および彼女が演じる新劇大女優・森本蓉子(杉村の分身と言っていい)の圧倒的存在感の前では、「わたし、ほんとにがっくりしちゃったのよ」の一言と涙の数滴で片付けられる、芝居の傍筋の一つに過ぎないように思えてくる。それこそまさに、小津安二郎監督『晩春』、『東京物語』、『麦秋』で強く刻印された杉村春子という役者のイメージにして本質。すなわち寸分の懐疑も揺らぎもない「生きること(演じること)への飽くなき意欲と全面肯定」である。
 このしっかりした核があればこそ、本作は悲観的にも虚無的にも刹那的にもなることなく、多くの観客、とくに老いの最中にある者たちを力づけるのだろう。
 本作のテーマは「杉村春子」で、杉村春子は「杉村春子」を演じているのだ。

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杉村春子、70年に及ぶ女優人生のラストショット

 認知症の妻を演じる朝霧鏡子は、テレビのない時代の銀幕スターで、本作が45年ぶりの出演となった。
 介護施設で8年間働いたソルティの目からして、彼女の認知症の演技は実に見事である。顔つきからして、レビー小体型認知症でも脳血管性認知症でもなく、アルツハイマー型認知症と分かるのが凄い。
 共演の杉村や乙羽が本作でいろんな女優賞をもらっているのにひきくらべ、朝霧があまり評価されなかったようなのは、当時の映画関係者が認知症をよく知らなかったからとしか思えない。
 



おすすめ度 :★★★★

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● セルフ・ネグレクトと愚行権 本:『ルポ ゴミ屋敷に棲む人々』(岸恵美子著)

2012年幻冬舎新書

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 家から7~8分歩いたところにゴミ屋敷がある。
 建物の周囲はもちろん、2階のベランダや1階の屋根の上までさまざまな物で埋まっている。
 家の中を覗いたことはないが、推して知るべし。
 高齢男性が一人住まいしているようだ。
 隣り近所に住んでいる人の不安や苦労が思いやられる。
 なんと言っても悪臭。
 ゴミなだれの危険。
 火事の延焼リスク。
 ねずみや蠅やゴキブリなど害虫の被害。
 当人が誰とも、どこともつながっていない場合、孤立死からの死体放置もあるやもしれない。

 ゴミ屋敷が珍しいものでなくなってから久しい。
 外からは分からなくても、家の中がゴミだらけという例も多い。
 厄介なのは、周りにとってはゴミでも、本人にとっては宝だったりするので、誰かが勇を鼓して本人に注意したところで、容易には解決できない点である。
 そのあたりを描いたのが橋本治の『巡礼』(新潮社)であった。

 本作はゴミ屋敷をメインにしたルポではない。
 主要テーマは、副題の『孤立死を呼ぶ「セルフ・ネグレクト」の実態』にある。
 ゴミ屋敷問題とは、セルフ・ネグレクトの一つなのである。
 著者は、1960年生まれの看護師、保健師、地域看護や公衆衛生を専門とする研究者。
 現場をよく知る人と言える。

 セルフ・ネグレクトとは何か。
 甲南女子大学の津村智恵子氏によると、

 高齢者が通常一人の人として、生活において当然行うべき行為を行わない、あるいは行う能力がないことから、自己の心身の安全や健康が脅かされる状態に陥ること。

 セルフ・ネグレクトの特徴として、次の8つが挙げられている。
  1.  身体が極端に不衛生(何日も入浴しない、同じ服を着続けるなど)
  2.  失禁や排泄物の放置
  3.  住環境が極端に不衛生(ゴミ屋敷、猫屋敷など)
  4.  通常と異なって見える生活状況(たとえば、夏なのに厚着、冬なのに下着一枚など)
  5.  生命を脅かす治療やケアの放置(服薬しない、食事制限を守らないなど)
  6.  必要な医療・サービスの拒否(福祉制度や介護保険を利用したがらないなど)
  7.  不適当な金銭・財産管理
  8.  地域の中での孤立
 セルフ・ネグレクトの研究が始まったのは1950年代のアメリカだという。
 イギリスでは、1975年に「ディオゲネス・シンドローム」という名で、論文が発表されたそうな。
 ディオゲネスと言えば、古代ギリシアの哲学者。世俗を疎んじ、何も持たず樽の中で生活したことで知られる。
 噂を耳にしたアレキサンダー大王が大勢の供を連れて本人に会いに来た。
 大王が問う。「なにか欲しいものはないか?」
 ディオゲネスは答えた。「そこに立たれると日陰になるからどいてください」

 もちろん、ディオゲネスのような自己哲学と信念をもつ人間をセルフ・ネグレクトというのは間違っている。
 彼はまた市民に愛されたらしく、住み家にしている樽(甕とも)が何者かによって破壊された時、市民が代わりの樽を与えたという。

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ディオゲネスとアレキサンダー大王
Clker-Free-Vector-ImagesによるPixabayからの画像

 本書では、人がセルフ・ネグレクトに陥る要因をいくつかリストアップしている。
 認知症や精神疾患など病気によるものをのぞけば、「社会的孤立」と「生きがいの喪失」が二大要因と言っていいのではないかと思う。
 分かりやすい例が仕事一筋に生きてきたサラリーマンの場合。
 定年を迎え、やっとゆっくり老後を楽しめると思ったら、妻が病死する、あるいは妻から離婚を言いわたされる。
 娘や息子は遠い地でそれぞれの仕事や家族のことで手一杯。
 会社関係以外に親しい人もおらず、地域のつき合いもなく、趣味らしい趣味もなく、家事もできない。
 この年齢では新しいことを一から始めるのも億劫。
 すると、社会的孤立と生きがいの喪失が一挙に襲いかかる。
 「生きている意味なんかない」
 そう思ったら、すでにセルフ・ネグレクトの入口にいる。

 セルフ・ネグレクトは、当事者を支援する側にとっても、壁が立ちはだかっている。
 一つは、プライバシーの問題。個人情報保護の制約が、本人を支援するために欠かせない情報を、関連機関で交換したり共有したりするのを難しくしている。
 しかし、これは例外規定による緩和もある。
 今一つがより厄介である。
 セルフ・ネグレクトしている本人が外からの支援を望まない場合、他者に害を与えたり、法律に反していない限り、本人の行動に干渉できないという点である。
 これを愚行権という。

 人は「健康に悪い」とわかっていても、それをあえて行う「自由」が認められています。それは「愚行権」という権利です。愚行権とは、たとえ他人から愚かな行為だと評価・判断されても、個人の領域に関する限り、邪魔されない自由のことです。
 生命や身体など、自己の所有に帰するものは、他者への危害を引き起こさない限り、たとえその決定の内容が理性的に見て愚行と見なされようとも、対応能力を持つ成人の自己決定に委ねられるべきである、とするものです。

 そこで、多くの専門家は「本人に拒否があるとき、どこまで介入するか」迷い、手を差し伸べるか否かジレンマに陥るわけである。
 個人主義の強いアメリカの場合、本人が意図して“セルフ・ネグレクト状態”になっているのであれば、支援の対象から外すという。

 その理由は、そういう人に対して、保護したり介入するのは、「個人の自由」や「自己決定の尊重」の侵害になるという考え方からです。命に関わる問題だとしても、あくまで当事者が自分の生き方を決めることを尊重しているのです。ただし、意図的と判断するためには、専門医が診察するというプロセスが必要です。

 つまり、生きるも死ぬも本人が好きで選んでいることだから介入するな、ということだ。
 この考え方の延長上に、安楽死肯定の思想が出てくるのは言うまでもない。
 上記の津村氏や著者の岸は、しかし、日本の高齢者の場合、セルフ・ネグレクトを権利として認め、そのまま見過ごすのは問題ありと言う。

 日本において、セルフ・ネグレクトを「本人の意思」で行っていると決定づけるのは、とても難しいことです
 それは津村氏らが述べているように、日本人は「自己主張をせず、人に合わせること」を美徳とする国民であり、まして現在の高齢者は、多くは戦争体験によりきびしい時代を生き抜いてきた人たちです。少しでも贅沢をしたり、物を要求したり、人の世話になったり、人の迷惑になることを避けようとする世代なのです。

 その通りだろう。
 ただ、それが単に世代的な問題なのか、それとも国民性の問題なのか、定かではない。
 本書の発行からすでに10年以上経ち、介護を必要とする高齢者の中に戦後生まれの団塊の世代が入ってきている。
 世代的な要因が大きいのなら、安楽死の可否含め、日本社会の自己決定に関するパラダイムも変わってくるかもしれない。

 と、ここまで他人事のように書いてきたが、肝心の自分もまたセルフ・ネグレクト予備軍と自覚している。
 いまは同居の親がいて、仕事があるから、社会生活を無難に営めている。
 けれど、この先何年かして、両親が亡くなり、仕事も失うことになったら、友人が少なく、パートナーも子供もいないソルティは、社会的孤立と生きがいの喪失に直面するかもしれない。
 そのうえ、健康を害したら、生きているのはつらいであろう。

 そのときに最後の支えになるのは・・・・やはり仏教か。
 ディオゲネス的出家を目指すか・・・。

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おすすめ度 :★★★

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● 無 映画:『生きてはみたけれど』(井上和男監督)

1983年松竹
123分

 小津安二郎監督没後20年に公開された伝記ドキュメンタリー。
 『大学は出たけれど』『一人息子』『父ありき』『戸田家の兄妹』『風の中のめんどり』『晩春』『麦秋』『東京物語』『早春』『秋刀魚の味』等々、無声映画からトーキーを経てカラー作品に至る小津作品の名場面の数々や、小津とゆかりのあった役者、映画監督、スタッフ、文化人らへのインタビューをつなぎながら、60年の生涯を城達也のナレーションでたどる。
 没後60年にあたる今年は回顧展が催された。
 
 小津とのエピソードを語る出演者の顔触れがとにかく豪華。
 笠智衆、岸恵子、司葉子、有馬稲子、淡島千景、岡田茉莉子、杉村春子、岸田今日子、岩下志麻、東野英治郎、中村伸郎、木下恵介、今村昌平、新藤兼人、山田洋次、厚田雄春、川喜多かしこ、ドナルド・リチー、佐藤忠男、中井貴恵、山内静男(里見弴の四男)、小津新一(実兄)、小津信三(実弟)、山下とく(実妹)等々。
 戦後の銀幕を彩った大女優たちの中年期の美貌と風格が圧巻である。(杉村春子はちょっと別枠だが・・・)
 小津安二郎の実兄と笠智衆の風貌や雰囲気がなんとなく似ており、もしかしたら小津監督は笠智衆に自らの父親を見ていたのかもしれないと思った。
 笠さんはほんと、老いていい顔している。

 役者たちは一様に、撮影現場で何十回と繰り返されたテストの話をする。
 セリフから、動きから、表情から、視線から、タイミングから、小津監督が前もって決めた通りに演じなければOKが出なかった。
 役者を一つの型にはめる演出は、家族ドラマという古くてマンネリなテーマと共に、評価が分かれるところであるが、今観ると、それぞれの役者の個性や良さはちゃんと引き出されている。
 笠智衆と原節子がその典型だろう。
 つまり、小津監督がそれぞれの役者の本質を見抜き、キャスティングしていたことを示している。
 現場ではもはや余計な演技をする必要がなかったのだ。

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 鎌倉円覚寺にある小津安二郎の墓には「無」の一字が刻まれている。
 そこに托した思いを本作では「無常観」と解していたが、そもそもなぜ小津が無常観を抱くようになったかについては深掘りされていなかった。
 ソルティはやはり、従軍体験が大きかったのではないかと思う。

 京橋の国立映画アーカイブにて鑑賞。
 客席は高齢男性“おひとりさま”が圧倒的に多かった。
 年を取れば取るほど、小津の描いた世界が切に感じられてくるのだろう。
 超高齢化時代、小津人気は今後も高止まりを続けるのは間違いない。
 隣席の男が上映中しきりに鼻を啜っていた。
 
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国立映画アーカイブ



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● 本:『毒の恋 7500万円を奪われた「実録・国際ロマンス詐欺」』(井出智香恵著)

2022年双葉社

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 んまあ面白い!!
 詐欺の被害者の手記を「面白い!」と言ったら語弊があるかもしれないが、著者は有名な漫画家すなわちプロのクリエイターなので、この場合の「面白い!」は最大の誉め言葉となろう。

 井出智香恵と言っても、男性諸氏は知らない人が多いと思う。
 1948年生まれ。もとは『りぼん』などの少女マンガ誌でお目々キラキラの少女マンガを描いていた。(代表作『ビバ! バレーボール』)
 80年代にバブルと共に巻き起こったレディスコミックブームで大ブレイク。「レディコミの女王」と呼ばれ、最盛期は年収1億を超える超売れっ子となった。
 彼女の描いたレディコミ作品でもっとも有名なのは、大映制作でTVドラマ化された『羅刹の家』(1998年テレビ朝日系列)である。
 きつい姑を演じた山本陽子の鬼気迫る演技、意地悪な義理の姉を演じた伊藤かずえのはまりぶり、ワラ人形を手に牛の刻参りにひた走る加藤紀子の勘違いな熱演、そして、忘れちゃいけない来宮良子のおどろおどろしいナレーション。
 大映ドラマ屈指の怪作と思う。
 
 人の心の表も裏も知り尽くしたような作品を数々発表してきた井出智香恵が、70歳になった2018年、ネットを使った国際ロマンス詐欺に引っかかり、約3年5ヶ月もの間、言われるがままに相手の男にお金を送り続け、結果的に7500万円を失ったというのだから、これが面白くないわけがない。
 しかも、相手の男が世界的に有名なハリウッドスターのマーク・ラファロ(現在55歳)に成りすまし、井出はそれを本物と信じ込んでしまい、甘い言葉にだまされて結婚の約束を交わし、15歳も年下の男に貢いでしまったというのだから、これが面白くないわけがない。
 有名マンガ家、ハリウッドスター、老いらくの恋、年下の男、国際恋愛、ネット詐欺、ブラックな匂いのする黒服の男たち、スーツケースいっぱいの黒塗りの紙幣、電子送金の罠、雨後の筍のごと続々と登場するわけのわからぬ仲介者たち、雪だるま式に膨らむ借金、差し押さえ警告・・・・。
 よくもまあ、こうまで劇画的な展開が続くものよ。
 よくもまあ、こうも徹底的に騙されたものよ。

マーク・ラファロ
マーク・ラファロ
 
 7500万円という被害額の大きさに我ら庶民は驚くが、年収1億を超えたことがある井出の金銭感覚は、庶民とはちょっと違っているかもしれない。
 たださすがに、息子や娘(次女)に何百万も借金させての金策、公共料金やアシスタントの給料を未払いにしての偽マークへのたび重なる送金は、非常識というか、頭のネジが抜けていたというほかない。
 「恋は盲目」と言うけれど、家族を含め周囲の誰も暴走する本人を止められなかった、周囲の誰の言葉も本人はまともに聞こうとしなかったのは、井出自身のワンマンで頑固な性格もあったようだ。
 もちろん、40歳でDV夫とやっと離婚したあと、ずっと子育てと仕事一筋で生きてきた井出が、70の声を聞いて、「失われた時間」を取り戻したい、最初の結婚で得られなかった「女としての幸福」を味わいたいと思ったのも無理はない。
 そこに目をつけて、井出の性格や懐具合も見抜いて、あの手この手で金の無心する輩の手口の巧みさよ。
 孤独癖あるソルティもまかり間違えば同じ目に遭うやもしれない。
 (まあ、金のない相手に目をつける愚かな詐欺師もおるまいが)

 最終的に井出は、容赦なく物を言うのでそれまで借金するのを遠慮していた長女にも借金を願い出る羽目になる。
 そこから長女の詮索と追及が始まって、ようやっと自らが騙されていたことに気づく。
 目が覚める。
 失恋と詐欺被害の二重ショック。
 ズタズタになったプライド。
 失われた信頼。
 70歳にしてこの痛みは耐え難かっただろう。

 しかし、そこからがプロ表現者の本領である。
 自らの痛い経験が世のため人のためになる、かつ面白い作品となることに気づき、この手記を発表し、NHKのドキュメンタリーに出演し、マンガ化をはかる。
 すべての体験がマンガに活かされ、作品として昇華できる幸せ。
 それを可能ならしめる技術と才能と経験値。
 雷は落ちるべきところに落ちる。

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マンガ版『毒の恋』

 別記事で、役者としての吉永小百合の残念さについて書いたが、本作を映画化するなら、ぜひ吉永小百合に井出役をやってもらいたい。
 年齢的にもぴったりだ。(吉永は井出より3つ年上)
 自ら(と周囲)が作り上げた美しい幻想に破れ、過酷な老いの現実に向き合うプロットこそ、サユリストという牢番を蹴散らし、吉永小百合をメルヘンという檻から救い出す最後のチャンスになるんじゃないか。
 偽マーク役は、本物のマーク・ラファロに頼んだら最高の話題作りになる。
 監督は、小百合の魔力が通じない女性監督かゲイの監督がよい。
 伊藤かずえを長女役で。




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● 年金ホームレスという生き方 本:『ルポ 路上生活』(國友光司著)

2021年KADOKAWA

 令和現在のホームレスの現状(主に東京の)はどんなもんだろう?
 ――と思って読んでみた。
 著者の國友は1992年栃木県生まれのフリーライター。『ルポ西成 75日間ドヤ街生活』という既刊本がある。

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 國友が約2ヶ月間ホームレスとして過ごしたのは、東京都庁下、新宿駅西口地下、上野駅前、上野公園、隅田川高架下、荒川河川敷の6箇所。
 いずれもホームレスのメッカである。
 欲を言えばネットカフェも入れてほしかった。
 
 「ホームレス=悲惨、飢餓、凍死、貧困、無職、失業者、転落者、福祉の欠如・・・」といった前世紀からの紋切り型イメージがソルティの中にもあるわけだが、本書を読む限りでは、ずいぶんと状況は変わったようだ。
 
 まず、東京のホームレスは食い物には困らない。
 飲食店やコンビニから出る大量のゴミがあるから、ではない。
 毎日のように都心のどこかで、NPOや宗教関係者による炊き出しが行われているからである。
 國友も先輩ホームレスに連れられて一日七食の炊き出し巡りをし、さすがに腹が苦しくなったと書いている。
 肥満や糖尿病のホームレスも少なくないようだ。
 
 次に、東京のホームレスにとって凍死の心配はない。
 つらいのは冬より夏だという。
 毎年寒くなると、やはりボランティアたちが毛布や寝袋を配ってくれるからだ。
 それと段ボールを組み合わせることで、寒さはしのげる。
 92年生まれの著者は実感ないだろうが、そもそも温暖化の影響で日本の冬は暖かくなった。
 昔は関東圏でも10月にはコタツを出したものである。
 
 また、ひと昔前に比べると、生活保護がもらいやすくなった。
 かつては、行政窓口でのシャットアウト攻勢が、越え難き関所のように語られていた。
 が、2008年のリーマンショック後は対応が変わってきたとのこと。
 著者が書いているように、行政書士や弁護士が申請者本人に同行することが増えたということもあろう。
 が、ソルティ思うに、2009年8月に民主党政権に切り替わり、ホームレスや低所得者への対策が一気に進んだことが大きかったのではないか。
 むろん、2011年3月には東日本大震災があり、被災者対策は急務であった。
 2015年施行の生活困窮者自立支援法は、民主党政権下に提出されたものだ。
 自己責任を唱える自民党や石原慎太郎都知事の下では、まったく進む気配がなかった。
 公共スペースにおける悪名高きホームレス“排除アート”も、石原都知事時代に登場した覚えがある。
 本書にはそうした政治的背景への言及が欠けているのがいささか残念ではあるが、好奇心と諧謔精神に満ち、偏見から自由な著者の筆致は、冒険小説でも読んでいるようで楽しい。
 
新宿排除アート (2)
排除アート
 
 令和現在、ホームレスの人がNPOの力を借りて生活保護を受け、無料低額宿泊所に入所し、就労やアパート暮らしを目指すことは不可能ではない。
 その意味では、いま残っているホームレスの多くは、本書で著者が交流をもったような「自発的ホームレス」なのかもしれない。
 そこには、「行政のお世話になりたくない」、「生活保護なんてプライドが許さない」、「家賃を払う金があったら酒や賭け事に使いたい」、「更生施設での集団生活や管理される生活が苦手」、「貧困ビジネスに引っかかってトラウマになった」、「そもそも鬱やなんらかの精神障害やなんらかの依存症があって他人とのコミュニケーションや社会生活が困難」・・・・といった様々な理由があるのだろう。
 本書で著者が親しくなってホームレス道を教わった、You Tuber志望の「黒綿棒」や児童養護施設で育った「ター坊」など、言動を見る限りでは精神障害の印象を受けた。
 また、上野公園のトイレで、仲の良い男と心中した女装姿のホームレスの話もあったが、セクシュアルマイノリティの比率も高いと思う。
 
四国遍路1 2879

 四国遍路していたときに出会った80代の男は、退職後に家を処分してホームレスとなり、それから四国を回り続けていると言っていた。
 いわゆる乞食遍路と違うのは、彼には預金口座もあれば年金もあること。
 基本は野宿して、数日に一回は宿に泊まり、体を洗い、洗濯している。
 月にいくら貰っているか聞かなかったが、年金が余るくらいで十分回れるという。
 たしかに、食べ物や宿など、土地の人にお接待されることも多い。
 住所がないと年金受けとれないんじゃないのかと尋ねたら、「年に一回、年金事務所に顔を出しておけば大丈夫」と言う。(本書に書いてある“現況届け”のことだ)
 四国の大自然と親切な土地の人々とお大師様の見守りの中、毎日何万歩も歩いているおかげで、健康この上なし。70歳くらいに見えた。
 野垂れ死ぬなら遍路の上。
 こういう老後、こういう最期も悪くないなあ~と思った。




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