日時 2025年9月20日(土)13:00~15:00
会場 日本交通協会会議室(有楽町・新国際ビル9階)
2023年11月に続く2度目の聴講。
80名を超える参加(8割以上高齢者)は、前回の講演の評判が良かったからか。
これまで月例講演に何度か参加しながらも、日本仏教讃仰会については何も知らなかった。
講演に招かれる講師の陣容を見るに、特段どこかの宗派を背景にもっている組織ではないように思った。
講師はおおむね僧侶であるが、真言宗、浄土宗、浄土真宗、曹洞宗、臨済宗、無宗派(善光寺など)など多岐にわたっている。
会員制でもないので、仏教を広く学びたい人の為の有志運営による会とイメージしていた。
今さっき検索かけたら、公式ホームページがあった。
最近できたものだろう。
一昨年あたり、それまで毎月郵便で届いていた講演案内がメールに替わったので、ついにここもITの波に乗ったかと、最後の砦が失われたような一抹の淋しさを覚えたものだ。
ホームページによると、なんと1941年(昭和16)に浄土真宗大谷派法善寺住職・中山理々によって創設された組織で、80年以上の歴史がある!
月例講演会(仏教セミナー)は、「特定の宗派にとらわれずに、幅広い著名な講師陣にそのときどきの社会的状況において、仏教がなしえる役割と歴史について」語ってもらう趣旨で開かれている。
その意図や、良し。
残念ながら、日本テーラワーダ仏教協会のスマナサーラ長老が講師として招かれたという記録はないので、ここに越えられない壁があると思われる。
つまり、仏教は仏教でも、大乗仏教による学びがメインなのである。
ソルティ思うに、テーラワーダ仏教(かつては小乗仏教と呼ばれた)と大乗仏教との間にある溝は、大乗仏教とキリスト教やイスラム教との間にある溝より、ずっと深い。
大乗仏教とキリスト教・イスラム教との共存(棲み分け)は可能であるが、大乗仏教とテーラワーダ仏教の共存は、釈迦という同じ祖を持ち、同じ仏教という範疇に入れられているだけに厄介なものがある。
どうしたって、「どっちが正しいか?」、「どっちが釈迦のほんとうの教えなのか?」になってしまうからである。
その意味で、今回の講師・佐々木閑こそ、日本仏教讃仰会が招くことのできるギリギリの“テーラワーダ的”人選なのではないかと思う。
佐々木は、現役の僧侶ではないにしても浄土真宗の僧籍を持っているらしいし、仏教研究者・教育者・物書きとしてその名が知られている。
佐々木の書くものは、明らかに大乗非仏説的、すなわちテーラワーダ仏教寄りなのだが、日本テーラワーダ仏教協会はじめ、どこかのテーラワーダ組織に所属しているわけでもない。
大乗仏教にも詳しく、その存在価値を認める発言をしている。
他の宗教や宗派をけなさずに、釈迦の教え(と自身が信じているもの)を語る技量を持っている。
それに、佐々木が教鞭をとっている花園大学は臨済宗立であるから、あまりにテーラワーダ的言動が過ぎると、いろいろと面倒があるのかもしれない。
講演の中で、「自分はお釈迦様の教えのスポークスパーソンであって、伝道師ではない」と言っていたが、そのバランス保持の器用さは綱渡りをする曲芸師を思わせる。(別に皮肉ではありません)
講演の前半は、まさにテーラワーダ的展開。
スマナサーラ長老の講演を聴いているのと、ほとんど変わりなかった。
曰く、
- 仏教は、キリスト教やイスラム教の「神」のような外部の超越的存在を認めない。
- 自分を救えるのは自分だけ。
- そのためには、苦しみを作る原因である自分の心を知り、心を変えていくのが基本。仏教が心理学にたとえられるのはそれゆえ。
- 苦しみが生まれるのは、心がそもそも誤った物の見方(邪見)をし、その情報をもとに世界を構築するから。
- 邪見の最たるものが「自我」
- 「自我」は自己中心的な世界を構築し、「永遠の生命(魂)」「アートマン」「自分を救ってくれる絶対神」といった間違った概念を生み出す。
- だが、現実の世界は「諸行無常」「諸法無我」なので、自我の望みは叶えられない。そこに苦しみが生まれる。
- 「今より以上の幸せ」を望んでいる「私」こそが苦しみの元凶。
- 仏教は「幸せ」を願わない宗教。「私」が錯覚であることを悟って、今ここにある苦しみを退治することを目的とする。
- なので、万人に向かって説き広められる教えではない。それを必要とする者だけに向かって説くのが本分。
- こんなことを外に出て新橋のサラリーマンに向かって言っても無視されるがいいところ。この場だから言える(笑)
個人的にショッキングだったのは後半。
現在、AI(人工知能)の開発がもの凄い速さで進んでいるが、来たるべきAI社会において人間に何が起こるかに触れられた。
高齢者ばかりの参加者の顔ぶれを思いやってか、AIの基本構造から話してくれた。
- AIはプログラムを持っていない。
- 全世界のすべての情報を数字に直して保持、活用することができる。
- AIは人間の鏡像。人間の脳の働きを何万倍もの速度、正確さで行うことができる。
- 人類は自分たちより優れた知的生命体に出会ってしまった。「万物の霊長」の座が奪われていく。
- AIが今後人間からさまざまな仕事を奪っていく影響も大きいが、より重要(深刻)なのは、AIによって「自我」の概念が徹底的に崩壊する可能性。
- 「無我」を実感する世界が到来する。
- そのときに人間は変わりうるのか?
とくに後者の本の中で、ハラリは、生命工学とコンピューターテクノロジーの進歩によって人類の意識に何が起こるかを論じていた。
ソルティは、ハラリの語る人類の未来像に衝撃は受けたけれど、多くの同世代(アラ還)以上の人と同様、「自分の生きている間には起こらない」と思っている。
自動運転車くらいは数十年後に普通に街を走っていて、生きていれば自分もその恩恵に与っていると思うが、自己中心的に「私」の幸福(というより快楽)を求める人類の意識を変化させるようなドラスティックなパラダイム変化が、生きている間に生じるとは思えない。
たとえそういう日が来ても、キリスト教徒やイスラム教徒やユダヤ教徒が「神」の非在を悟り、棄教あるいは改宗するとは思えない。
否、だからこそ、AI社会が迫る現実との間に混乱が生じるのか。
う~ん、どうなるんだろう?
佐々木は、数学者である息子との共著で『仏教とAI』という本を近々刊行するらしい。
P.S. 本記事の内容はソルティの主観による講演の感想にすぎません。実際の講演内容を必ずしも反映していません。あしからず。





















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