ソルティはかた、かく語りき

首都圏に住まうオス猫ブロガー。 還暦まで生きて、もはやバケ猫化している。 本を読み、映画を観て、音楽を聴いて、神社仏閣に詣で、 旅に出て、山に登って、瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

●仏教

● 本:『AIという鏡 人の価値とは何か』(佐々木閑、佐々木斎生著)

2026年法蔵館

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 本書の著者二人は親子です。私たちは、仏教学者の父と数学者の息子という、一見交わりにくい分野を専門とする親子の対話を通じてこの本を執筆しました。その一番の目的は、AIによって人類の持つ既存の価値が奪い尽くされたとしても、なお私たちには「生きる意味」や「存在する価値」が残されるという確信を表明し、「我執を捨てて生きる」という新しい道をAI時代の新たな生き方として提案することです。(「はじめに」より)

 佐々木閑の仏教とAIに関する講演は、前に聴いた。 
 AIの驚異的な進化が、世界を根底から変え、人間の生活ばかりか意識をも変えていくことになるだろうとの予測を口にされた。
 本書はその道筋をより丁寧に、より具体的に、より科学的に、さらったものと言える。

 全体が2部からなり、第1部が佐々木親子による対談、第2部が息子の斎生(ときおう)によるAI技術とその背後にある数理の解説となっている。
 前者は縦書きの右開き、後者は横書きの左開き。例えるなら、国語の教科書と数学の教科書の合体形態である。
 さらに言えば、仏教用語が登場する第1部が文系的、数式が並ぶ第2部が理系的。
 むろん、95%文系人間であるソルティが読めたのは第1部のみで、第2部は最初からお手上げだった。
 佐々木斎生は1987年生まれ。専門は代数幾何学。東京大学理学部数学科の出身である。
 
 ソルティは、数理的なことは全然理解できないが、AIが進化していった先に私たちを見舞うであろう究極の問いは想像できる。
 それは、「人間はAIに仕事を奪われてしまうのか?」――ではない。
 学問や芸術や医療やボードゲーム(囲碁や将棋など)やスポーツの領域において、AIが人間を凌駕してしまうことから生じる問い、すなわち、「地上最高の知的生命体の座をAIに譲らなければならないのか?」――でもない。
 あらゆる分野で人間がAIに打ち負かされ、AIに取って代わられることは、人間の尊厳を傷つけ、人間から生きがいを奪っていく可能性がある。
 だが、それは「AIと人間」を別個のものとして比較する視点に基づいた、勝敗レースに過ぎない。
 ウサギと亀とどっちが早いか――みたいなものである。

 より重要な問いは、次のものだ。
 「はたして、人間はAIとどこが違うのだろう?」

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Alexandra_KochによるPixabayからの画像
 
 いや、人間には心がある。喜びや悲しみや怒りや恥を感じることができる。
 人間は美を感じ、自然や人を愛し、過去を振り返って後悔したり、未来に希望を持ったり、適切に判断して自己決定し、他人の気持ちを想像して適切に振る舞うことができる。
 AIが、一見そのように振る舞うことができているように見えたとしても、実際にはそれは入力されたデータに文字通り“機械的に”反応しているだけであって、思考しているわけでも、感情が働いているわけでもない。
 あくまでロボットに過ぎない。
 そうした反論が一般であろう。 

 しかるに、AIが生活の隅々まで入り込み、その反応の“人間らしさ”が、人間とまったく区別できないあるレベルを超えたとき、人間はこういう問いを自らに向けざるをえなくなるだろう。
「ひょっとしたら、人間自身がかつてAIだったんじゃなかろうか?」
「どこかの惑星の宇宙人が開発した最先端AIロボット、それがヒトの正体なのではなかろうか?」
 つまり、人の「心」が数理的・生理的なものに徹底的に還元され尽くして、「私」とか「個性」とか「自己」とかいう概念が幻想であったと、認めざるをえなくなる瞬間の到来である。

 AIとの比較で言えば、「AIには心がない」と思いたくなるけれども、むしろ逆で、「私たちには“人間だけが持つ心”というものがあるんだ」という感覚こそが錯覚だと。
 「AIには心がないじゃないか」というその言葉の投げかけ自体が、実は我欲の一端なのです。「心を持つ自分たちの方が心のないAIよりも優れている」という、自分だけが特別でありたいという、我欲の表れです。

 AIと仏教が出会うのは、この地点である。
 人間たちに、いやでも「無我」を知らしめるAIの暴力的な力に対して、あらかじめ免疫をつけておくために、仏教の「諸行無常・諸法無我・一切皆苦」という教えが役に立つ、という論点。
 なぜなら、到来するAI社会において、もっとも苦しみに苛まされるのは「自我」の強い人間なのである。

 これから私たちが迎える社会とは、ある意味で「すべてが無意味な社会」に他なりません。私たちはその現実を直視し、受け入れる必要があるかもしれない。・・・(中略)・・・「社会にどれほどの影響を与えられるか」といった価値観にしがみつき、他人と比べることで自分の立場を確立しようとしても、虚しさが募るばかりです。なぜなら、社会に最も大きな影響を与えるのは、今後は人ではなくAIだからです。だとすれば、私たちは自分自身の内側に目を向け、一人ひとりが自分自身の生き方や生きがいを築いていく必要があります。

 佐々木親子の予言、はたして当たるのか?
 AIに聞いてみよう。




おすすめ度 :★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損




 


● 「律」あればこそ 本:『仏教はいかにして多様化したか』(佐々木閑著)

2025年NHK出版

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 「仏教はどのように変容し、どのように多様化したのか」を理解するということは、「なぜ私たちは今、このような仏教世界にいるのか」を理解することであり、そして「今の私たちにとって、仏教はどのような意味を持っているのか」を理解することでもあります。これからますます混迷の度を増すと思われる現代社会で、釈迦がつくり出した仏教の価値観、世界観は重要な視点を我々に与えてくれると確信しています。(本書「はじめに」より)

 ――という趣旨から書かれたコンパクト仏教史(日本版)。
 世界3大宗教の一つとされ、2500年もの歴史を持つ仏教を、わずか160ページほどの冊子にまとめてしまう佐々木の「難しく複雑なことを、わかりやすくシンプルに解説する」相変わらずの手腕に敬服した。
 取り急ぎ日本仏教史のポイントをさらいたいという初学者におススメ。

 いま暴挙は承知の上、さらにそれを500字以内のダイジェスト版にすると、

 紀元前500年頃のインドで釈迦により説かれた教えは、没後100~200年の根本分裂による部派仏教の成立、および紀元前後の大乗仏教興隆を経て、シルクロードを伝って中国に渡り、そこで新たに沢山の経典を加え、538年に日本に入ってきた。
 現世利益を叶えてくれる“新しい神”として受け入れられた(大乗)仏教は、7~8世紀には国を一つにまとめ国を護る手立てとして用いられ、平安初期に最澄・空海が唐からもたらした密教で呪術的要素を加味し、1052年の末法到来に向けて極楽往生を願う貴族の間に急速に広まっていった。
 武家政権に移るとともに一気に大衆化・易行化し、浄土宗・浄土真宗・時宗・臨済宗・曹洞宗・日蓮宗など現在まで続く宗派の林立を生み、徳川幕府の統治政策のもと檀家制度による国民総仏教徒化に至った。いわゆる葬式仏教の始まりである。
 明治初期に神仏分離令からの廃仏毀釈というピンチが訪れるも、国策協力することでこれを切り抜け、アジア・太平洋戦争では戦意高揚・一億玉砕のため大いに宗旨と組織力を活用した。戦後、組織の立て直しを図ったが、日本人の宗教離れが加速化し、現在の末期的状況に至る。(486字)

 こうやって流れをふり返った時に、いくつかの疑問が浮かぶ。
 たとえば、
  • なぜ、根本分裂は起きたのか?
  • なぜ、大乗仏教と小乗仏教に分かれたのか?
  • なぜ、大乗仏教にはたくさんの宗派があるのか?
  • 日本の仏教はどういった点が特殊なのか?
 本書は上記の問いについて、実に鮮やかに、実にわかりやすく、答えてくれる。
 特に、部派仏教の成立の背景を、「律(出家集団が守るべき決まり)」の改変あるいは解釈の変更によって解き明かしていく箇所は、良くできた推理小説並みにスリリングで面白く、「なるほど~」と唸らされた。

 仏教における三宝と言えば「仏・法・僧」、すなわち「ブッダ・ブッダの教え・出家集団(サンガ)」のことを指す。
 また、三蔵と言えば「経・律・論」、すなわち「お経・サンガの規則・仏教哲学」のことを言う。
 在家のテーラワーダ仏教徒であるソルティにとって、三宝のうち「僧(サンガ)」はやや遠いところにあり、したがって三蔵のうち「律」は――在家が守るべき五戒をのぞけば――ほとんど関係がない。
 なので、「律」の重要性について、これまであまり考えたことがなかった。

 本書を読んで、「仏・法」を守るためには、「律」によって統制された「僧(サンガ)」の存在がいかに重要であるかを認識させられた。
 仏教が、根本分裂によっていくつもの部派に分かれたのも、大乗仏教が起こったのも、日本仏教が異なる宗旨や経典を奉じるいくつもの宗派を擁しているのも、「あるがままの状態がそのまま悟りである」という天台本覚思想が生まれたのも、日本の仏教宗派が進んで戦争協力(=暴力肯定)したのも、日本のお坊さんが妻帯し酒を飲み風俗で遊ぶのも、すべては釈迦没後の第一結集のときに弟子たちが確認し合った「律」の根幹が崩れてしまったことに因を発していたのである。

 佐々木は、日本仏教の特徴の一つとして、次の点を挙げている。

 律蔵にもとづいて運営されるサンガは存在せず、僧侶の生活を厳密に規定する規則は存在しなかった。これは現代に至るまで続いている特性である。

 その結果、僧侶の妻帯(=お寺の跡を継ぐ息子の存在)という他の仏教国では見られない特異な現象を生み出したわけだが、最も重要かつ深刻なのは暴力の肯定である。

 律蔵では、僧侶が他者に暴力を振るうことは絶対に禁じられています。武器を手にして争うことはもちろん、たとえ教育上の必要によって弟子を叱責する場合でも、暴力を用いることは決して許されません。僧侶が軍隊の行進を見ることさえも禁じられているのです。

 しかし日本仏教では、その律蔵が機能していません。その結果として当然予想できることですが、聖戦思想を利用した暴力が積極的に容認されるようになりました。「仏教の教えを守るためならば僧侶が暴力を振るうことも許される」、あるいは「仏教の教えを守るために暴力的に戦うことは、進んでなすべき善いおこないである」といった暴力肯定の姿勢が容認されるようになったのです。

 「律」がなくとも、「経」と「論」があれば仏教は守られる。「僧(サンガ)」がなくとも、「仏」と「法」があれば仏教は守られる。
 ――と言いたいところだが、現実的には、その時々の政治の状況によって、「経」も「法」も改変され、都合よく解釈されてしまった歴史の経緯がある。

 「反戦の意志があれば、憲法9条がなくとも平和は守れる」という、最近よく耳にする言説を思い出した。

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P.S. 新たに「●読んだ本・マンガ」の下位に佐々木閑カテを立てました。



おすすめ度 :★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
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● キュートな神たち2 :静嘉堂@丸の内

 静嘉堂@丸の内「たたかう仏像」展を再訪した。
 3月22日(日)の閉幕間近であった上に、この展覧会の模様がテレビで放送されたらしく、平日午前中にも関わらず混んでいた。

 今回は、前回出展されていなかった十二神将像の残り、子神像と丑神像を観るのが目的だったので、仏像展示室に直行した。

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子神像
鎌倉時代、木造彩色

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丑神像

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憤怒の表情と頭髪から覗く牛さんののどけさとのミスマッチが面白い

 やっぱり、キュートな奴らである。
 作者不明であるが、ソルティは「酉」像と興福寺国宝館にある天燈・龍燈鬼立像との類似、あるいは「亥」像と六波羅蜜寺にある空也上人像との類似を思ってしまう。
 運慶の息子・孫たちによる共作ではなかろうか。

十二神将酉像
酉神像

十二神将亥像
亥神像
 
 これで、静嘉堂にある「子・丑・寅・卯・午・酉・亥」の 7 体すべてを観ることができた。
 東博にある5体「辰・巳・羊・申・戌」神像もそのうち観たいものだが、どうせなら12体揃って展示してくれるといいのだが・・・・。

 人波が少し引けたところで、他の展示作品を巡った。

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騎獅文珠菩薩像(右)、騎像普賢菩薩像(左)
江戸時代

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兜跋毘沙門天立像(平安時代)

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康円作・四天王眷属像
文永4年(1267)奈良・内山永久寺(廃仏毀釈で廃寺)に安置された
ただならぬ迫力に霊威を感じた

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五大力菩薩像(南北朝時代)

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渡海文殊菩薩ご一行様(宋時代の「妙法蓮華経変相図」より)
安倍文珠院で観たばかりなので親しみが湧いた。
ところで、御一行様が渡った海はどこの海だったのだろう?
日本海?

 今回は国宝の曜変天目(稲葉天目)はお目見えなかった。
 この静嘉堂には、俵屋宗達作「源氏物語関屋澪標図屛風」や河鍋暁斎作「地獄極楽めぐり図」や葛飾北斎作「忠臣蔵討ち入り」など、気になる絵画がたくさんある。
 今後も展覧会情報をチェックしていきたい。

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● 本:『日本仏教のこころ』(渡辺照宏著)

1970年筑摩書房
2025年ちくま学芸文庫

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 奥付に2025年発行とあったので新刊と思って買ったら、復刊本だった。 
 1970年と言えば半世紀以上前。
 大阪万博が開かれ、三島由紀夫事件があった年である。
 その頃の日本の仏教界はどんなだったろう?
 都心郊外のサラリーマン家庭の子供だったソルティには知るべくもないが、「かなり安泰」だったのではないかと思う。
 江戸時代から続く葬式仏教が生きており、地域のお寺は檀家たちから法事のたびに受け取るお布施で、かなり潤っていたことだろう。
 元手が要らず、税金がかからないお寺の財布は、「坊主丸儲け」と揶揄されていた。
 バブルの頃などは、高級車を乗り回し祇園で遊興する住職や跡継ぎたちの素行が話題になったものだ。
 
 現在、「お寺崩壊」という言葉が叫ばれているように、観光で成り立つ有名寺院や宗派のトップに立つ大寺院などを除けば、どのお寺も経営に苦しんでいるようである。
 檀家が減り、法事が減り、葬儀が簡素化され、墓じまいする人も増え、後継者も見つからず、地域からお寺が消えていきつつある。

 こうした存続危機の背景にあるのは、日本人の宗教観の変化であり、それに対応できないでいる既存仏教界の体質のためであろう。
 生きることの苦しみは昔も今も変わっていないので、心の拠り所を求める人は決して減ってはいない。
 要は、令和の今を生きる日本人が望むものを既存仏教界が提供できなくなっているのである。
 既存仏教界の教え、すなわち日本的大乗仏教が人々から見放されつつあることが根本問題である。

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 本書は、伝統的な日本仏教に対する手厳しい批判がなされている。
 仏教が、ブッダの成道の地であるインドから、中国を経て、日本に入って来る過程でいかに変容したか、そして日本に入ってからもいかに大本のブッダの教えと離れていったかが、説かれている。
 その点で、2018年発行の大竹普著『大乗非仏説をこえて 大乗仏教は何のためにあるのか』はむろんのこと、1992年発行の末木文美士著『日本仏教史 思想史としてのアプローチ』をも先取る内容と言える。
 日本的大乗仏教にまだ勢いがあった70年代に、これだけ鮮烈な批判をやってのけた渡辺の学者としての自負や意地を感じる。
 1977年にちょうど70歳で亡くなっているので、「これが最後の仕事」という覚悟もあったのかもしれない。
 当時本書を読んだ日本仏教界はどのような反応を見せたのだろう?

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 まず、手厳しい批判の一端を引用する。

 日本のばあいには政府の力をかりずに大陸と連絡することはまず不可能であったから、初伝以来、後世まで、仏教の流伝は必ず政府の手を通すことになった。日本仏教に官製のにおいが強い第一の原因である。第二には、日本人の一般の性格として、個人や団体の自由意志によって行動をおこす意欲が乏しく、宗教のような良心の問題までも、政府や権力者の力にすがって解決しようとする傾向が強い。のちに述べる宗派仏教もそのひとつの現われであるが、敗戦後、占領下にあって、さまざまな宗教団体は占領軍司令部に訴えて問題の有利な解決を嘆願したり、最近では大宗派が信仰の自由を迷惑がって、戦前のような宗教による国家の干渉を希望したりするのも、いわば仏教伝来以来の伝統である。

 明治・大正・昭和においても、仏教の社会事業はあまり盛んとは言えない。敗戦後、占領軍司令部で日本の宗教の実態を調査したときに調査官を驚かせたのは、仏教の社会事業の貧弱さよりも、むしろ「なぜ仏教者が社会事業をしなければいけないのか」という仏教側からの反問であった。

 日本では後世になっても、解脱は真剣な問題としてとりあげられることがまれであった。現世と、そしてそれに続くすぐ次の世だけが関心の的となった。仏教の本質的な問題であるところの、輪廻と解脱の問題、およびその根底にあるところの論理的必然性ということを無視して、ただ現世と来世という狭い視野に限って生死観を構成した。それが日本仏教の大勢であった。

 日本で中世にアミダ教が発達したひとつの大きな理由は、民衆にとっては生前にかなえられなかった希望を彼岸において実現すること、貴族にとっては現世の享楽を来世まで延長することにあった。いずれも、“感性的世界”に属する欲望にすぎず、本来の宗教体験以前の問題であるが、平安期から鎌倉期にかけて流行したアミダ教は原則としてこの段階にとどまるものであった。

 上記のような日本仏教に対する批判は、当然、本来の仏教との乖離を前提としてなされている。
 では、渡辺は本来の仏教をどのようなものと解しているか。
 その一端を次に示す。

 仏教の思想は、無因論(断見)と宿命論(常見)とをともに否定し、宇宙現象と人間実存とをすべて縁起として説く点に特徴がある。仏教ぜんたいは一個の厳密な論理的体系であると見ることができる。

 仏教がどのように形を変えても、いやしく仏教という名に値する以上は、その終局の目標は人生問題の究極的な解決――インド流にいえば輪廻からの解脱――でなければならない。通俗的な自称仏教が約束するような、感性的世界の欲望の満足や、後生安楽などは真の仏教の目的とはなりえない。仏教の理想は仏陀であり、仏陀は人間の理想像である。

 仏陀の教えの中心は生命の尊重と慈愛である。このうちには人間はもちろん動物をも含める。社会奉仕事業は仏教の基本精神に関する。

 道徳の実践なしには仏教の道に歩みだすことができない。戒律を守ることはすべての仏教者の出発点であり、しかもつねに忘れてはならない問題である。

 まったくもって渡辺の言うとおり。
 本来の仏教(原始仏教)がなんであるかを見事に言い当てている。
 70年初頭で、すでにこれだけの卓見を持し、堂々と言い放っている人がいたのかと感嘆した。
 令和の今でこそ「大乗非仏説」は常識となりつつあり、日本の仏教が、「日本の風土・伝統的宗教観に適合するよう改良が加えられたものであり、原始仏教のみならず他国の大乗仏教とも異なる宗教に変容している(ウィキペディア「大乗非仏説」より)」ことは、佐々木閑をはじめとする仏教学者や一部大乗仏教の僧侶たちの間でも了解されている。
 また、80年代にスリランカから来日したアルボムッレ・スマナサーラ長老を中心に日本テーラワーダ仏教協会が設立されて以来、一般市民の間でも、タイやスリランカやミャンマーに伝わる南伝仏教(テーラワーダ仏教、かつて小乗仏教と僭称された)こそがブッダ本来の教えに近いということが知られるようになった。
 大乗非仏説の真偽、あるいは「テーラワーダ仏教=仏説か?」の議論はひとまず置いといて、少なくとも、令和を生きる日本人の多くが、テーラワーダの教えに生きるための拠り所を見出していることは確かである。ソルティもまた、そのひとりである。
 渡辺の先見の明に驚く。

 ――と思ったら、最後の最後にとんだ「どんでん返し」があった!
 渡辺は、インド仏教から変容してしまった日本的大乗仏教にあっても、空海・親鸞・道元は「真の仏教の具現者」として評価すべきところがあることを指摘した後で、「わが心―わが仏」と題した最終章で、次のように本書をまとめている。

 大乗仏教は『華厳経』においてその最高点に達したということができるであろう。『華厳経』そのものが、思想の書であり、哲学書であり、聖典でもあるが、中国においては法蔵を中心として華厳教学として大成された。日本でもまた早くから経と注釈書とを輸入し、いつの時代にもこれを学ぶ者が絶えなかった。

 ここはどう読んでも、渡辺が『華厳経』を仏教の発展形態の最高峰として位置付け、自身の心の拠り所にしているとしか解せない。
 別にそのこと自体は個人の信仰の自由なのでかまわないが、『華厳経』はインドで作られたものとは言え、大乗仏教の経典である。
 ブッダの直説でないのは明らか。
 中国や日本の大乗仏教を否定する一方で、インドの大乗仏教を良しとする渡辺の真意が不可解であるが、察するに渡辺は、「大乗非仏説」論者ではなくて、「中国(由来)仏教非仏説」論者のようなのだ。
 次のように述べている。

日本などでは華厳と天台とを対照させることがよくあるが、前者はインド仏教の継続であり、後者は中国独自の構想であってとうてい比較にはならない。

 どうやら、渡辺の意図は、天台宗を筆頭とする中国(由来)仏教を否定し、華厳経や密教のようなインド(由来)仏教を肯定するところにあったようである。
 必ずしもテーラワーダ仏教を評価しているわけでないのである。

 ソルティは『華厳経』を読んだことがないので内容をほとんど知らないが、毘盧舎那仏(密教的には大日如来)を宇宙の中心とする曼荼羅的世界観というイメージがある。
 一神教に近いように思うのだが・・・。

東大寺大仏
毘盧遮那仏と言えば奈良の大仏様である



おすすめ度 :★★★

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● マオ観音との再会

 半年前に奈良国立博物館・仏像館で出会い、一目惚れした平安時代の十一面観音菩薩立像。
 黒檀のように滑らかで光沢ある肌と細くくびれたウエスト、現役時代の浅田真央に似たあどけなさの残るたおやかな顔立ち。 
 勝手に「マオ観音」と名づけた。
 再会の喜びを胸にいそいそと仏像館に出向いた。

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奈良国立博物館・仏像館
奈良大学の学生は学生証提示で無料で入館できる。
ソルティは国立博物館メンバーズパスを提示した。

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今回は、興福寺伝来の四天王像が特別公開されていた。
平安~鎌倉時代の作とみられるが、作者もどこのお堂にあったかも不明。
現在4体は別々の所有者の所蔵となっているが、このたび増長天と多聞天の保存修理を実施したのを機に、28年ぶりに一堂に会した。
なかなか迫力ある像だが、全体に丸っこく、柔和な曲線が目立つ。
平安末期とみた。(つまり慶派以前)

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持国天(滋賀・MIHO MUSEUM所蔵)

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増長天(奈良博物館所蔵)
4体の中ではこの像が一番優れていると思う。
若き日の運慶だったりして・・・・

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広目天(興福寺所蔵)
筆と巻物を手にしていたと思われる。

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多聞天(奈良博物館所蔵)
片手で掲げた宝塔を見上げているポーズは、興福寺中金堂の多聞天(昨秋のトーハク北円堂展に出品)と同じである。運慶(康勝)はこれを参考にしたか?

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増長天横顔

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金峯山寺仁王門・金剛力士立像(南北朝時代)
この子らとも再会しました。(2度目だと可愛らしく見えるから不思議)

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五部浄居天(鎌倉時代)


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大将軍神坐像(平安時代後期)
方位をつかさどる陰陽道の神。今年(午)は東の方角におられる。

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大黒天
叡尊上人が仏師善春に造らせたと伝わる

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やはり見るたびに和まされる「走り大黒」さま

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玉眼をほどこした無垢な瞳とアヒルくちがかわゆい。
この子との再会もうれしいかも。

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青銅館にある紀元前11~10世紀の中国の器
鳳凰の文様が浮き彫りにされている。
同じ頃、日本ではまだ縄文土器をつくっていた。
中国文明の深さを実感させられる。

 さて、肝心のマオ観音だが、奈良博物館の所蔵品データベースにはなぜか載っていない。所蔵ではなく預かっているだけってことなのだろうか?
 仏像館のポスターに使われているのをネットで発見した。

mao観音ポスター
まったく国宝になってもおかしくないトリプルアクセル級の美しさ。
同じ室内に10体ほどの平安仏が置かれているのだが、マオ観音の周囲だけ空気が違う。奥入瀬渓流のブナの天然林がかもしだす“気”をまとっている。

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ドキドキした胸をしばし休めた。


P.S. 書き忘れていた。
 昭和18年(1943)3月に盗まれ、以来83年間行方不明になっている香薬師如来像の、唯一現場に残されていた右手が展示されていた! 思ったよりずっと小さくて、まるで貝殻のよう。
 由来も何も表示されていなかったので、何も知らない人は「なんだこれ?」で通り過ぎてしまうだろう。
 この小さな手の中にどれだけドラマチックな物語が隠されていることか!

香薬師像の右手





















● 本:『大仏師運慶 工房と発願主そして「写実」とは』(塩澤寛樹著)

2020年講談社

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 昨今の仏像ブームを牽引するトップランナーが運慶であることは言うまでもない。
 昨秋トーハク(東京国立博物館)で開催された『興福寺北円堂展』はたった7体の仏像の展示にもかかわらず、約80日の会期で入場者30万人を超えたというし、主要作品22体を集めた2017年の本格的な『運慶展』では約60日で60万人が殺到した。
 単独の仏師でこれだけ高い動員力を誇り話題沸騰するのは、ほかに快慶くらいしか思い浮かばない。
 が、絵画的で静謐感ある快慶の作風は運慶にくらべると地味目で、造った像の種類も運慶ほど多彩ではないためか、動員力では運慶に水をあけられている。(2017年4-6月に奈良国立博物館で開催された『快慶展』は入場者12万人強であった)
 なんと言っても、2008年にニューヨークのオークションに出品された運慶作の大日如来像が14億円で落札されたというニュースが、運慶ブームに火をつけたのは間違いなかろう。
 まさに、猫も杓子も運慶サマサマといった態で、運慶の名を冠した本もたくさん出版されている。

 本書もそうした流れの中で書かれ出版されたものの一つと言っていいと思うのだが、ほかの運慶“推し”本とちょっと毛色が異なるのは、この空前の運慶ブームに水を差してクールダウンさせる内容になっている点である。
 「天才」「天下無双」「朝廷からも幕府からも持て囃された鎌倉彫刻の第一人者」「奇跡を呼び起こす霊験仏師」「一人で何十体もの傑作を彫り上げたスーパースター」「日本彫刻の集大成を担った芸術家」といった言葉やイメージで語られる運慶論に「待った」をかけ、事実をもとにした冷静な視点で運慶という仏師を客観的に評価することを提議している。
 もっとも、ターゲットはソルティのような素人仏像オタクではない。
 素人が好き勝手言うのは誰にも止められないし、そこに学術的な価値がないのは最初からわかりきっている。
 塩澤が警鐘を鳴らしているのは同じ仏像研究者に向けてである。
 仏像を研究する美術史もまた人文科学のひとつである以上、科学的な態度をなおざりにしてはならないと繰り返し述べている。
 これを耳の痛い指摘と感じて自らを省みるのか、的外れの言いがかりと受け取って無視するのか、各研究者の判断が問われるところである。

 上記を別とすれば、本書の白眉は、運慶仏をはじめ鎌倉彫刻の特徴を表現するときによく用いられる「写実的」という言葉の用法について深掘りし考察した点、そして、鎌倉時代に仏像が理想主義を離れ「生身」化していく背景に仏教の本覚思想の影響を示唆した点にあろう。
 この2点の指摘と考察が、個人的には非常に興味深く感じられた。

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 「写実」とは本来、「見たままを写す」の意である。
 だが、釈迦如来や阿弥陀如来や弥勒菩薩や十一面観音や四天王を実際に見た人はいない。
 誰も見たことがないのに、「見たままの姿を写している=写実的だ」と評するのは、考えてみるとおかしい。
 日本彫刻史における「写実」という評価は、仏像の外見的特徴に関して、人間を基準にして「現実性、実在感」が問われているのであって、本来の「写実」の意味とは異なっていると塩澤は言う。
 より端的な言葉を当てるなら、「人間っぽい」であろう。
 飛鳥時代の仏像より白鳳時代の仏像のほうが「人間っぽい」。さらには、天平時代の仏像のほうが、より「人間っぽい」。平安時代の仏像は「人間っぽさ」を離れて「密教風」カリカチュアあるいは「定朝様」という一つの理想型に収斂されるが、鎌倉時代に入ってまた「人間っぽさ」が復活する。
 そう考えると、鎌倉彫刻ってのは古代の「人間っぽさ」の復活(=ルネサンス)という意味付けも可能なのかもしれない。(興福寺を活動拠点とした奈良仏師⇒慶派の仏師たちが、天平時代の仏像から多く学んだであろうことはよく指摘されるところである) 
 ソルティもまた、仏像について書くとき「写実的」という言葉をあまり深く考えずに使っていた。
 一考をも二考をも要する指摘と思った。

 この「写実=人間っぽさ」がどんどん追求されるようになったのが鎌倉時代である。
 塩澤は、玉眼の使用、裸形着装像(いわゆる着せ替え人形的仏像)、歯吹像(口の中に歯を彫る)、仏足文(足の裏に文様を描く)といった技法を例として挙げている。
 それがさらに発展すると「生身の仏」への信仰が生まれる。

 生身の仏とは、現世に姿を現した仏のことをいう。『大般涅槃経』や『大智度論』などの経典には、仏は行者の願いに応えて現世に姿を現すことがあると説かれ、そうした姿を生身の仏と呼んでいる。やがて、往生伝や仏教説話類には生身の仏に巡り合った人の話がいくつも載せられるようになる。それらの成立時期から見て、生身の仏への関心や信仰が高まるのは、概ね平安時代後期からのことと考えられる。生身の仏への憧れや信仰は、それに巡り合うべく、各地霊場への信仰隆盛とも結びついていった。
 すると、次には既存の仏像を生身の仏とみなすことが行われるようになる。
 
 もっとも有名な例は京都・清凉寺の釈迦如来立像であろう。
 この像は、宋に留学した東大寺の僧が彼の地に安置されていた釈迦生前に造られた釈迦像を模刻し、日本に持ち帰ったものと言い伝えられている。
 つまり、生き写しの釈迦像である。
 この由緒が仏像に対する特別な信仰を生むのは時間の問題である。
 やがて「清凉寺式釈迦如来像」と呼ばれる、全身あるいは頭髪などの一部を模刻した釈迦像があちこちに造られるようになった。
 お釈迦様そのままの姿であることが価値を高めたのである。(もちろん、あり得ない話である) 

清凉寺式釈迦如来像
清凉寺式釈迦如来像 

 一般に、こうした写実の行き過ぎや生身の仏の流行は、「彫刻性の放棄」「仏像彫刻衰退の徴」とみなされ、美術史において芳しい評価を得ていないようなのだが、そもそもなぜこういう傾向が平安後期以降に現れるようになったか。
 塩澤はその背景に本覚思想の成立との関連を指摘する。

 本覚思想とは、「あるがままのこの具体的な現象世界をそのまま悟りの世界として肯定する思想」である。
 天台宗の一乗説「すべての人に仏性がある=人は誰でも悟ることができる」という思想を梃子に、この世が末法に入った平安末期(1052年)頃から広まっていった。
 ソルティは次の3点を本覚思想の特徴として上げられるのではないかと思う。
  1. 人はすでに「悟って」いる。ただそこに気づかないだけ(仏性主義)
  2. ありのままの世界を肯定することが「悟り」(現世肯定)
  3. そのためには修行など特別な手段は必要ない(修行不要)
 本覚思想では現実は悟りの世界そのものであり、他に悟りが存在するとは考えない。言い換えると、現実は悟りに溢れており、そのすべてが悟りのさまと言える。これを念頭に仏像が実在感に富み、そこに生きて存在しているように見えるということを考えてみると、本覚思想によく適ったやり方ではないかと思える。現実に存在するようだ、あるいは人体に近いというのは、悟りのさまとしての現実や人体を表現したということになろう。鎌倉彫刻における実在感という特徴は、本覚思想を背景に解釈が可能であるし、むしろそれをもたらした要因として最も説明しやすいのではなかろうか。

 仏像の様式の変化を考える上で、その時代に流行した仏教思想、日本人の宗教(仏教)観、仏像を注文する施主あるいは仕事を請け負った仏師の信仰を考慮しなければならないのは自明の理である。
 仏教あっての仏像、思想あっての様式なのだから。
 本書は、そのことを改めて気づかせてくれた。



おすすめ度 :★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
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● 本:『仏教モダニズムの遺産 アナガーリカ・ダルマパーラとナショナリズム』(杉本良男著)

2021年風響社

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 エヴェン・トンプソン著『仏教は科学なのか 私が仏教徒ではない理由』で批判されていたモダニズム仏教の起源が、植民地時代のミャンマーやスリランカなどのテラワーダ仏教国にあるというので、気になって検索してたら本書に当たった。
 著者は、1950年生まれの社会人類学者で、専門は南アジア研究。1981年から40年以上にわたってスリランカで現地調査をおこなってきたという。

 本書の構成は、必要な前提知識と見取り図を授けてくれる序論に続き、第1部がアナガーリカ・ダルマパ-ラというスリランカ人についての評伝的研究、第2部がダルマパーラ没後のスリランカにおける仏教ナショナリズムの展開とその遺産、となっている。
 どうやらアナガーリカ・ダルマパーラ(1864-1933)こそは、スリランカにおける仏教モダニズム誕生の立役者、および現在も続く仏教ナショナリズムの生みの親とみなされているらしいのだ。
 はじめて聞く名であった。

 学術書なので人名・書名・固有名詞・引用・注釈が非常に多く、この手の物を読み慣れていない人間(=ソルティ)にはいささかわずらわしい。
 当然、スリランカの歴史(とくに近現代史)・宗教史・民族史・政治史が語られていくが、その複雑さと過激さに頭がくらくらした。(これにくらべると、日本の歴史・宗教史・民族史・政治史はいかにすっきりして単調であることか)
 叙述は論理的で、文章(語彙)はわかりやすい。章末ごとに概要をまとめてくれているので論旨もつかみやすい。
 そもそもが、植民地からの独立そして現代に続く宗教紛争というリアルな動乱の歴史ドラマなので、興味深く読むことができた。
 ソルティなりに流れをまとめると、

 16世紀以降、スリランカは、ポルトガル⇒オランダ⇒イギリスの植民地とされ、西洋文化とキリスト教の流入を許した。19世紀に入ると、アナガーリカ・ダルマパーラを中心とする独立を志すエリートたちは、近代化された仏教(仏教モダニズム)を焚き付けにナショナリズムの炎を勢いづかせ、民意統一をはかった。1948年スリランカは平和裡にイギリスから独立。が、その後、先鋭化した仏教ナショナリズムのために、古くから共生してきたヒンズー教徒やイスラム教徒と対立を深める結果となり、いまにつづくテロリズムの横行に至っている。

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 面白いのは、キリスト教(主にカトリック)の島への流入によって危機感を抱いたダルマパーラが、それと対抗して仏教の優越性を説くのに用いた手段が、仏教のプロテスタント化にあったという点である。

ダルマパーラはプロテスタンティズムからカトリシズムを批判するときの道具立ての儀礼主義と偶像崇拝、具体的には儀礼、聖職者、迷信、儀式、天国、地獄などの存在への信仰を批判して、科学的仏教へと衣替えすべきことを主張する。(本書より引用、以下同)

要するに、ダルマパーラの仏教改革は、宗教的にはプロテスタンティズムの影響をうけた、仏陀一仏・呪術排除・現世内禁欲主義などを特徴とする社会改革運動であった。これはもともと多分に神衹・鬼霊信仰などとの「混淆的(syncretic)」な色彩をおびていたシンハラ仏教体系を、釈尊仏陀の威光のもとに一元化しようとする構想に貫かれたものにほかならなかった。逆に、呪術的信仰は、「原始的」な「迷信」とみなされ、仏陀一仏のみを信ずることが要請された。そのさいに批判の対象となったのが偶像崇拝と儀礼主義である。

 上記のシンハラ仏教とは、スリランカの総人口の約7割を占めるシンハラ人が古くから信仰してきた仏教、いわゆるテラワーダ仏教のこと。
 スリランカのテラワーダ仏教は、紀元前243年に仏教が島に到来してからの長い年月の間に、悪魔祓いや星占いといった迷信や呪術的要素を包含し、偶像崇拝と儀礼主義がまかり通る、初期仏教視点からすれば“異教的”なものに、近代的視点からすれば“原始的”なものに堕していたのである。
 このままではキリスト教ひいては西洋近代文化に太刀打ちできないという焦りが、ダルマパーラをつき動かし、“西欧流の路線に則った近代的仏教を目指す仏教改革運動に邁進させた。
 奇しくも、イギリスの植民地政策によって西洋の近代的教育を受けられるようになった島のエリート層の若者たち(もちろんダルマパーラもその一人)は、近代思想や近代的価値観を身に着けていた。その結果、旧態依然とした国の制度や文化や宗教を変えなければならないと思ったのである。
 ある意味、イギリスはスリランカを支配すると同時に、スリランカ独立の種をまいたってところか。

 こうして、植民地からの独立を目指すナショナリズムと、西洋世界に通用するシンハラ仏教の確立を目指す近代主義(仏教モダニズム)とが合体して、シンハラ仏教ナショナリズムが誕生した。
 それが、“唯我独尊”の排他的なものに転じていくのはナショナリズムの宿命である。(注:ここで用いた“唯我独尊”は仏教的意味ではなく、「世の中で自分が最も優れていると自惚れること」の意です)

ダルマパーラの転機は、仏教を通じて普遍的真理へ到達するという普遍主義から、仏教が最上の宗教であり、他宗はこれを阻害する要因になるという排他的なイデオロギーへの転換であった。こうした排除の論理は、シンハラ民族・仏教徒・アーリヤ「人種」の三位一体によって構築されたシンハラ仏教ナショナリズムのかたちをとって後世に大きな影響を残している。それは反面でタミル民族、異教徒(キリスト教、ムスリム、ヒンドゥー)、ドラヴィダ「人種」を仮想敵として激しく排斥する。

 アーリヤ人種って言葉に不吉な響きを感じた人は正解。
 ナチスドイツがドイツ民族の“アーリヤ”性(サンスクリット語で「高貴」を意味する)を顕揚するためにこの言葉を用い、非アーリヤ人であるユダヤ人を迫害する根拠としたことはよく知られている。
 一般に、アーリヤ人とは、紀元前に中央アジアの高原地帯で遊牧生活を営んでいた民族を祖先とする人々のことを言うが、その一部が紀元前2000~1000年ごろにインドやイランに移動したとされている。
 ダルマパーラは、シンハラ人がこの由緒あるアーリヤ人の末裔であるとし、ナチス同様、「アーリヤ人こそ世界一の優等人種」という言説を広め、ナショナリズムを高める手段としたのである。

アウシュビッツ
アウシュビッツ収容所

 読んでいると、黒船到来後の日本の歴史を重ね合わせてしまう。
 日本は幸か不幸か植民地にこそならなかった。
 が、当時の人々にとって、列強に飲み込まれる危機感は相当なものだったろう。 
 そこで、「富国強兵・殖産興業」による猛スピードの近代化がはかられた。
 その過程で民意統一のためのナショナリズムが要請され、天皇を神とする神道が利用された。いわゆる「神国日本」だ。
 江戸時代を通じて檀家制度によって民衆の間に根付いていた仏教は、排斥された(神仏分離)。
 一方、政治や法制度や産業や教育などあらゆる分野での欧化が急がれた。 
 鹿鳴館に象徴される近代化と、神道に象徴されるナショナリズム。
 この2つを両輪として、大日本帝国は列強入りを目指して爆走した。
 そのゴールがどこにあったかは言うまでもない。

 日本ほど徹底的な破滅には至らなかったまでも、19世紀に列強という大蛇に睨まれたアジアの蛙たちは、多かれ少なかれ、同じような受難の道を歩まざるを得なかった。
 スリランカの場合、それが独立後に長く続く宗教民族紛争という形をとったのである。
 ダルマパーラが没して15年後、スリランカは独立を果たした。
 第2部では、その後の仏教徒とヒンズー教徒との、あるいは仏教徒とイスラム教徒との衝突やテロリズムの様相が描かれている。
 ヤクザのシマ争いさながらの滅茶苦茶ぶり。
 ソルティは、これまでキリスト教やイスラム教にくらべれば、仏教は暴力を好まない平和的な宗教と思ってきた。
 が、本書を読むと、「仏教よ、お前もか・・・」といった感慨を持たざるを得ない。
 戦うべき敵を見出した仏教徒にとっては、たくさんある仏教説話の中から、暴力を正当化するエピソードを見つけ出すのは容易なのである。

宗教は、国家ともに社会を大きく統合するための、おおきな物語を提供する物語である。それだけでなく、とくに近代の宗教は、社会・政治よりも人びとの内面により深く関わる制度にもなった。宗教は人々の精神性・内面性を支配する最強の原理となったのである。こうして、人びとは自らの生存の原理を宗教に深く委ねることになる。それがナショナリズムと連動するとき、自らの存在を脅かす外部の力にたいしては、生存を賭けた闘いをいどむ結果にもなる。現在各地で起こっている宗教民族紛争は、こうした建前としての近代的政教分離主義と、人びとの内面により深く浸透した宗教が矛盾し、また反近代を旗印に提携したときに、もっとも危険な暴力性をもつことをしめしている。スリランカからインドにかけての混乱は、そうした近代の矛盾を抱えた世界の縮図である。
 
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Markéta BouškováによるPixabayからの画像

 最後に一点。
 青年時代のダルマパーラの人格形成に非常に大きな影響を与えた組織があった。
 神智学協会。
 ロシア生まれのブラヴァツキー夫人とアメリカ生まれのオルコット大佐らが1875年にニューヨークで設立した神秘思想団体である。
 神智学協会がどういう団体かを説明するのは難しいのだが、現代日本人の平均的感覚でもって言うなら、「あやしげなオカルト団体」であろう。
 チベットに棲む聖者だとか、永遠の時を生きるサンジェルマン伯爵だとか、カバラだとか、グレート・ホワイト・ブラザーフッド(大白色同胞団)だとか、アストラル界だとか、まさに月刊『ムー』てんこもり。
 実際、いまのスピリチュアルブームの元締めみたいな存在なのである。
 それが、19世紀後半から20世紀初頭にかけて、文字通り世界を席巻した。
 この時代の東洋と西洋とのかかわりを論じるどんな書物を開いても、まず、神智学協会の名前を見ないことはない。
 ダルマパーラだけでなく、マハトマ・ガンジー、トーマス・エジソン、ルドルフ・シュタイナー、鈴木大拙など、世界の著名人たちが、多かれ少なかれ神智学協会に関わっている。
 本書では、神智学協会がインドやスリランカで果たした役割について結構ページが割かれている。霊的側面のみならず、政治的・社会的側面においても大きな影響をもっていたのである。
 近代史におけるスピリチュアリズムの意味合いを軽んじてはいけないのかもしれない。

 ソルティは、神智学協会と言えばたちどころにクリシュナムルティを想起する。
 インドの貧しい家に生まれたジッドゥ・クリシュナムルティ少年を一目見て、「世界教師」の器と見抜いたのが、神智学協会の大物リードビーダーであった。
 クリシュナムルティはリードビーターによってイギリスに連れていかれ、当時の会長であったアニー・ベサントの屋敷に住み、将来協会を率いる指導者となるべく英才教育された。
 しかるに、最終的には神智学協会と袂を分かって、独自の道を進む。
 その後のクリシュナムルティの活動と今に至る影響力の大きさを思うと、当初の目的こそ叶わなかったものの、世界教師になるという予言は当たったと言える。
 少年愛の悪評高く毀誉褒貶さまざまなリードビーターであったが、どこぞの誰かさんと同じく、タレントを見抜く目は確かだった。

若い日のクリシュナムルティ
若き日のクリシュナムルティ





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● 日本の僧侶第1号は誰? 本:『日本仏教史入門』(松尾剛次著)

2022年平凡社新書

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 以前、末木文美士(すえきふみひこ)著『日本仏教史』を面白く読んだ。
 別の研究者による別の視点からの、最新の研究成果を取り入れた仏教史を知りたいと思い、本書を手に取った。
 著者は日本中世史、宗教社会学を専門とする学者で、2019年3月まで山形大学で教員をしていた。
 ジャ×ーズ事件を一蹴するほどの日本仏教界の恥部を暴いた『破戒と男色の仏教史』を書いた人だけあって、ユニークな視点が冴える仏教史であった。
 
 以下、「へえ~」「なるほど!」と思ったポイントを挙げる。

● 日本で最初の出家者(正式な僧侶)は女性だった!
 584年、渡来人であった司馬達等(しばたっと)の娘の嶋らが、百済に渡り、正式の授戒を受け、正式の出家者となって帰国したのがはじまり。出家名を善信尼といった。(山岸涼子作のコミック『日出処の天子』に出てくる)
 日本では、奈良時代後半(754年)に鑑真が来日するまで、戒を授ける資格を持つ僧侶がいなかった。国内で正式の授戒ができなかった(=僧侶を育成できなかった)のである。
 女人禁制のイメージの強い日本仏教だが、僧侶第1号は渡来系の女性だった。

● 遁世僧とは?
 遁世僧というのは、本来、出家と同じ意味でしたが、12世紀以降には、いったん官僧となった後に、官僧身分を離脱して、仏道修行に励むことを意味しました。

 法然、親鸞、道元、日蓮、一遍といった、いわゆる鎌倉新仏教の祖師たちも遁世僧でしたし、貞慶、明恵、叡尊、忍性ら、従来、旧仏教の改革派と呼ばれた仏教者たちも遁世僧だったのです。

 もともとは官すなわち政府が庇護する教団に属していた出家者が、いろいろと縛りある教団を離れて「個人」の救済のために野に下った。これが鎌倉仏教の特徴と松尾は指摘する。
 たとえれば、国家公務員として“国のため”に働いていた官僚が、苦しむ民を目の前に一大決心し、安定した生活を投げうってNGO活動に飛び込んだ・・・・みたいなものか。
 とくに、10世紀以降、日本の僧侶は死穢に触れることが許されなかったので、葬送に携わることができなかったし、ハンセン病者の救済のような活動もできなかった。(これは穢れを忌避する日本独特の規定であり、本来の釈迦の教えではない)
 その限界を突破して、庶民への布教や虐げられた者の救済に乗り出したのが、上記の遁世僧たちだったのだ。(むろん、奈良時代には行基という先達がいた)
 ある意味、日本の大乗仏教史における、さらなる「小乗から大乗へ」の転換といった印象を受けた。

● 叡尊と忍性
 本書では、鎌倉時代の僧侶として、叡尊(1201-1290)と忍性(1217-1307)の2人の紹介に多くのページが割かれている。
 正直よく知らない人であった。だが、

 鎌倉時代においては法然、親鸞、道元、日蓮といった今日著名な僧侶たちよりも、はるかに有名で、宗教のみならず政治・経済・文化の面でも、日本社会に大きな影響を与えた人物です。
 現在において叡尊がそれほど知られていないのは、親鸞を典型とする鎌倉新仏教中心史観によって、叡尊らが重視した密教と戒律は、呪術的で難行とされ、叡尊らは旧仏教改革派として過小評価されてきたからです。また、叡尊の系譜を引く教団(真言律宗教団)の勢力が現在は優勢でないこともその背景にあります。

 なるほど。
 法然、親鸞、栄西、道元、日蓮、一遍ら鎌倉仏教の祖師たちに対する現在の評価や人気の高さや今も存続する教団の勢力がひとつのバイアスとなって、当時の社会の実情を知るのを妨げているってことだ。
 現在のモーツァルトのあまりの人気の高さのせいで、同時代の音楽家として最も評価が高く人気のあったサリエリが正当に評価されていないのと似ているかもしれない。
 戒律復興運動につとめ、橋・池・道路などの建設事業を行い、女性出家者のための尼戒壇を設立し、差別の厳しかったハンセン病者の救済や葬送に尽力した叡尊の事績は、聖人というにふさわしい。
 さらに、叡尊の弟子である忍性は輪をかけて“忘己利他(もうこりた)”の人で、ハンセン病者の救済に生涯をかけたその生きざまは、「マザー・テレサに劣らない」と松尾は称えている。

● 米沢の隠れキリシタン
 慶長18年(1613)徳川幕府がキリシタン禁止令を出したことにより、全国でキリシタンに対する弾圧と撲滅が行われたのはよく知られるところである。

 そうしたキリシタンの殉教といえば、京都や長崎など西日本の殉教者がよく知られています。しかし、東北地方、とりわけ山形県米沢市での弾圧は、京都のそれが52人に対して53人と、数の上では最も多い殉教者を出したのです。

 東北のキリシタン信仰は、東北へ流れ込む信者たちと、潜伏していた宣教師たちの活動とがあいまって、全国的には衰退期といわれる元和年間(1615-24)から寛永初期(1624-34)にかけて全盛期を迎えることになります。

 当時米沢には3000人ものキリシタンがいたというからビックリ。
 これはどうやら、山形に延沢銀山があったことが大きな理由らしい。
 各地からキリシタンの鉱夫が流れ込んでいたのだ。
 当時の文書を見ると、鉱山にはキリシタンが多くいたそうだ。
 キリシタンと鉱夫。
 この結びつきの理由には興味をそそられる。
 寛永5年(1629)1月12日、53人の米沢のキリシタンが処刑された。
 米沢市の北山原には殉教遺跡があるという。
 島原の乱(1637-38)を筆頭とする、こうしたキリシタン信仰の力におののいたがゆえに、徳川幕府は仏教を国教化した、すなわち寺請制度を用いた民衆統制をはかったのである。

マリア観音
四国遍路で見かけた隠れキリシタンの遺物
十字架型の燈籠にマリア観音が彫られている
53番札所 円明寺@松山) 

 日本の仏教は、国家統一の具として用いられたり(鎮護国家)、神道と合体したり(神仏習合)、国教の地位まで押し上げられたり(檀家制度=国民総仏教徒)、国家神道を形成するために排斥されたり(神仏分離)、いいように政治に利用されてきた。(それは神道もまた同じである)
 多くの民はそれに乗せられてきた。
 その中で、真の仏教は何たるかを真剣に追い求めていた一握りの人々がいたのである。
 




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● ここでは時間が御馳走 映画:『お坊さまと鉄砲』(パオ・チョニン・ドルジ監督)

2023年ブータン、フランス、アメリカ、台湾
112分

お坊様と鉄砲

 『ブータン 山の教室』でデビューした監督の2作目。
 前作同様、ブータンの地方村の自然に囲まれたのどかな風景と、昔ながらの落ち着いた暮らしぶりが描かれている。
 いいなあ~。

 ソルティは還暦を過ぎた今、海外旅行には興味薄れているのだが、ブータンだけは行ってみたいなあと思う。
 首都ティンプーは、ドルジ監督の前作で描かれていたように、近代化が進んで、もはや日本の都市と変わらない有り様のようだが、田舎に行けば“昔の日本”にタイムスリップした感覚を味わえるんじゃないか。
 “昔の日本”がいつ頃なのか、しかと分からぬが。
 1980年代には、「台湾に行けば“昔の日本”と出会える」という謳い文句を旅行雑誌によく見かけた。
 ホウ・シャオシェンの映画を観ながら台湾に憧れたものだ。(結局、行く機会を逸した)
 2018年秋に四国遍路で出会った台湾の青年の話では、台湾では開発が進んで環境破壊が社会問題になっているとのこと。
 “昔の日本”も失われてしまったかもしれない。
 
山肌掘削
愛媛県の遍路道で見た景色

 本作は2006年のブータンの山奥の村が舞台。
 前年に第4代国王ジグミ・シンゲ・ワンチュクが、退位と選挙制による民主化(立憲君主制)への移行を表明したため、2007年にブータン初の総選挙が行われることになった。
 選挙や議会がどういうものか想像もつかない村人たちのために、役人たちは地方を回って模擬選挙を実施する。
 そこで起こる混乱やハプニングをユーモラスなタッチで描いた作品である。

 模擬選挙の実施を前に、村中から敬われている老僧はひとつの決断をし、弟子に申し付ける。
「鉄砲を2丁用意せよ」
 弟子は山を下りて、村中を巡って、鉄砲を探す。
 一方、銃コレクターの米国人は、南北戦争時代の古い鉄砲を村人が所有していることを知り、破格の高値でそれを買おうと試みる。
 鉄砲は、老僧を敬愛する持ち主によって、無償で弟子に手渡された。
 弟子に先起こされた米国人は、彼を追って山に登り、老僧がとり行う儀式に参列することになる。
 いったい、老僧は何を考えているのか?
 儀式とは何なのか? 

 まず、西洋人をはじめとする世界各国の人々が命をかけて闘って勝ち取ってきた民主主義が、ブータンでは国王から与えられたというところが面白い。
 国民の多くは国王に対する深い敬愛の念を持ち、今の制度や生活に満足していた。
 取りたてて変化は望んでいなかった。
 上から与えられた民主主義なのである。
 君主制と民主制、どっちが国民にとって良かったのか。
 結果はこれから先に見えてくるのだろう。

 ブータンの仏教も興趣深い。
 国民の多くはチベット仏教を信仰している。
 チベット仏教は、テーラワーダ仏教(小乗仏教)、大乗仏教、密教、タントラ、土着のボン教、転生活仏(ダライ・ラマ)などをごった煮した「仏教の総合デパート」みたいな、よく分からないものなのだが、とりわけ、インドの後期密教に由来するタントラ色(性的要素)の強さが、現代日本人からするとビックリ仰天である。
 ブータンではいまも男根信仰が一般的で、力のシンボルとして、あるいは魔除けとして、男根を家の外壁に描いたり、簡素化したオブジェを軒先に吊るしたりすると言う。
 本作においても、老僧がとり行う重要な儀式の際に、立派な男根のオブジェが用いられる。
 このオブジェの最終的な行方には吹き出した。

金精大明神
秩父巡礼で通った金精大明神
日本でもかつては男根信仰がよく見られた

 本作を観たあと、TVで現在建設中のリニア中央新幹線の映像を観た。
 最高時速500kmに及ぶ超電導磁気浮上式リニアモーターカーで、東京ー名古屋間を40分で結ぶ。
 開業は2037年以降の見込みという。
 移動経過そのものが旅の楽しみの一つであるソルティにしてみれば、東京-名古屋を40分で移動することに「何の意味があるの?」という感じしか持てない。
 原則トンネル内を走るので、外の景色もほとんど見られない。(時速500kmでは富士山も楽しめまい)
 「いや、仕事で使えるでしょ?」と言う声もあろうが、インターネットやZOOMがある現在、高い経費を払ってわざわざ移動したり出張したりする必要があるのだろうか? 

 はたと気づいた。
 ソルティが求めている“昔の日本”とは、つまるところ、「時間の豊かさ」を意味しているのだ。
 なにものにも追われない、ゆったりとした濃密な時間。
 過去にも未来にもせかされない「今ここ」の生。
 目の前の相手だけが大切な、一期一会のこころ。
 茶道に通じるようだが、なんのことはない、誰でも知っている子供の頃の日常である。
 最適化とか効率とか費用対効果とか役に立つ付き合いとか、そういった功利的な概念に冒されない世界でこそ味わえる時間の豊かさ。
 この映画に出てくるブータンの田舎の人々は、そういう時間を生きているのである。

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● 本:『仏教は科学なのか 私が仏教徒ではない理由』(エヴァン・トンプソン著)

2020年原著刊行
2024年Evolving(藤田一照+下西風澄・監訳、護山真也・訳)

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 本書は、欧米の仏教シーンで主流となっている仏教モダニズムに対する批判書である。
 仏教モダニズムとはなにか?

仏教モダニズムは特に西洋において支配的な仏教の流れで、伝統的なアジア仏教の形而上学的・儀式的要素を軽視する代わりに、個人的な瞑想体験を強調し、仏教がキリスト教、イスラーム、ヒンドゥー教など他の有神論的な宗教とは違って合理的で経験的なものだという考え方を喧伝しています。
 
 そのよくある指標として、たとえば、次のような特徴が上げられる。
  • 「仏教は科学と親和性が高い」、「仏教は心の科学」、「仏教は宗教というより哲学」といった仏教の“宗教性”を否定する言説。
  • 座禅やマインドフルネス瞑想の重視――これらが脳の働きを変えることは科学的に裏付けられており、その実践により、ストレスの軽減や集中力の向上をはじめとする様々な有益な効果が期待できる。
  • 仏教例外主義――仏教はほかの諸宗教より優れている。
 要は、前近代までの伝統的仏教から神秘的要素をできるだけ抜き去り、近現代の価値観に合致する形に変えて、多くの人に受け入れやすいものにした仏教ということである。
 なので、ここで批判されているのは伝統的仏教ではない。

 著者のエヴァン・トンプソンは1962年アメリカ生まれの哲学者で、認知科学、心の哲学、現象学、異文化哲学などを専門としている。
 本書には、著者が自らの生い立ちを語っている部分がある。
 エヴァンの父親ウィリアム・トンプソンは、一種の宗教的コミューンであるリンディスファーン協会の創設者であった。

リンディスファーン協会(1972–2012)は、文化史家ウィリアム・アーウィン・トンプソンによって組織された非営利財団であり、多様な知識人のグループで、「新しい惑星文化の研究と実現」を目的としていました。

リンディスファーン教義は創始者ウィリアム・トンプソンの教義と密接に関連しています。リンディスファーン思想の一部として言及されているのは、ヨガ、チベット仏教、中国伝統医学、ヘルメティシズム、ケルトアニミズム、グノーシス主義、カバラ、地相術、レイライン、ピタゴラス派、古代神秘宗教など、多くの精神的・秘教的伝統です。
(ウィキペディア「リンディスファーン協会」より抜粋)

 エヴァンがどのような環境の下で生育したか、想像する手がかりになろう。
 教育は自宅で受けていたため、同年齢の子供と付き合う機会は限られていたようだ。
 当時、協会では禅仏教や瞑想が流行っていた。
 エヴァンも自然と仏教に親しみを覚えるようになり、ナーガルジュナ(龍樹)ヴァスバンド(世親)、ダルマキールティ(法称)、ツォンガパなどの仏教哲学を学ぶようになり、大学の卒業論文には日本の哲学者・西谷啓治をテーマに選ぶ。 
 その後、認知科学者との出会いから、1991年に『身体化された心――仏教思想からのエナクティヴ・アプローチ』(工作舎)という本を共著で出版した。これは、仏教哲学や瞑想が、認知科学と関連することを明らかにした最初の学術書だそうである。
 2001年には「心と生命研究所」の仕事に携わり、ダライ・ラマと科学者・哲学者らとの対話の場を設けるなどしている。
 また、机上の学問だけでは飽き足らず、何年間も瞑想実践を積んだことが記されている。

 経歴から分かるのは、エヴァンが非常に仏教に詳しい人間であり、瞑想の実践者でもあること。そして、彼こそが欧米における仏教モダニズムの旗手の一人であったという事実である。
 つまり、本書はエヴァンによる自己批判の書であるとも解される。
 原題の Why I Am Not Buddhist 「なぜ私は仏教徒でないのか」には、そのようなニュアンスが含まれているのである。
「仏教徒あるいは仏教僧になっても全然おかしくないような道を自分はずっと歩んできた。でも、自分は最終的に仏教徒にはならなかった。その理由をここで告白するよ。」

琴弾八幡宮の黒猫

 本書で展開される仏教モダニズム批判の中味を完全に理解するのは、難しい。
 ソルティは2回読んだが、理解できたのは8割くらいで、残り2割はチンプンカンプンだった。
 というのも、ここでエヴァンが批判のツールとして用いている認知科学、現象学、伝統的な仏教哲学について、ソルティはあまりに疎いからである。
 エヴァンは、仏教モダニズムを象徴する典型的な本として、進化心理学の見地から仏教の正しさを説いたロバート・ライトの『なぜ今、仏教なのか』(原題:WHY BUDDISM IS TRUE)を取り上げて、容赦なく叩いている。
 その手さばきは快刀乱麻の如しなのだが、科学ジャーナリストのライトが書いた進化心理学の説明は理解するのにさほど苦労は要しないのに、哲学者であるエヴァンの書いた批判は難解で理解するのが難しい。

 それは単純に、ソルティの哲学・科学・仏教哲学に関する素養が欠けているためである。
 俗に「読書百遍、意おのずから通ず」と言うけれど、文中で用いられている言葉や概念に関する基本的知識がなければ、何度読み返そうが、あるレベル以上の理解は無理である。
 と言って、本書の内容を完全に理解するために、たとえば今から現象学について勉強するのも億劫なので、8割の理解で良しとするほかない。
 その8割の理解でエヴァンの言わんとしていることをソルティ流にまとめるならば、次のようになる。
  • 仏教モダニズムは科学とは言えない。それは、宗教と科学に関する誤解から成り立っている。
  • 人間の行動のすべてを脳の働きによって説明するのは間違いである。また、坐禅や瞑想が脳に作用し脳を変容させるという科学的根拠は疑わしい。
  • 仏教は涅槃や悟りに対する信仰であり、「超越的なものに対する感覚を育み、日常的経験を超えたものへの感性を醸成する」という点で宗教にほかならない。キリスト教やイスラム教など他の宗教にくらべて、例外的に優れているわけではない。
  • コスモポリタニズム(あらゆる人間が宗教や民族にかかわらず単一の共同体に属しているという思想)に貢献するために、仏教例外主義は排されなければならない。
 エヴァンはこう語る。

なぜ私は仏教徒になれなかったのか。これまで何年にもわたる自分自身の経験をより大きな歴史的な視点からふりかえってみて、ようやく私はその理由にたどりついた。私はもとから伝統的なテーラワーダ仏教や禅仏教、チベット仏教の僧院に入る気持ちを持ち合わせていなかったため、自分が仏教徒になれるとすれば、仏教モダニストになる道しかなかった。だが、ふたを開けてみれば、仏教モダニズムには哲学的な問題が山積していたのである。

琴弾八幡宮の白猫

 本書は、Why I Am Not a Buddhist 「なぜ私は仏教徒でないのか」という問いに対するエヴァンの個人的理由の提示であると書いた。
 それは自動的に、次のような問いをソルティに突きつけることになった。
 Why I Am a Buddhist 「なぜ私は仏教徒なのか」
 ソルティは、もう20年近くテーラワーダ仏教を学び、ヴィッパサナ瞑想を続けている。
 いったい、それはなぜなのか?

 実は、恥ずかしながら本書で初めて知ったのだが、仏教モダニズムの起源は、欧米ではなくアジアにあった。それも、ミャンマーやスリランカなどのテーラワーダ仏教国に端を発しているとされている。

仏教モダニズムは、19世紀、20世紀のアジアで、当時隆盛していた仏教の改革運動と、西洋伝来の宗教や科学、および政治的・軍事的な支配が遭遇するなかで誕生した。特にビルマ(ミャンマー)とセイロン(スリランカ)の仏教改革運動の担い手たちは、イギリスの植民地主義と宣教師たちが伝えるキリスト教に対抗すべく、国家宗教としての仏教を再度主張することを試みた。彼らの主要な戦略のひとつは、仏教を近代世界に適した唯一の科学的な宗教として提示することだった。仏教モダニズムは、自分たちの考えが仏教にもとからあった本質的なものだと示しているが、そのような形態の仏教を強力に形づくったのは、プロテスタントの価値観であり、ヨーロッパの啓蒙主義の価値観だったのである。

 ソルティは、主として日本テーラワーダ仏教協会のアルボムッレ・スマナサーラ長老から仏教を学び、ヴィッパサナ瞑想の指導を受けた。
 テーラワーダ仏教を奉じる他のお坊様の本(たとえばタイ出身のポー・オー・パユットの『仏法 テーラワーダ仏教の叡智』や、ミャンマー出身のウ・ジョーティカの『自由への旅 マインドフルネス瞑想実践講義』など)を読んだこともあれば、講話や瞑想指導に参加したこともある。
 が、根幹をなしているのは、スマナサーラ長老を通訳とするお釈迦様の教えである。
 スマナサーラ長老はスリランカ出身の僧侶である。
 ということは、仏教モダニズムの流れを汲んでいる可能性があるだろう。
 たしかに、ソルティが初めて読んで感銘を受け、渋谷区幡ヶ谷にあるゴーターミー精舎を訪れるきっかけをつくったスマナサーラ長老の本のタイトルは、ずばり、『仏教は心の科学』(宝島社)であった。
 ソルティもまた、仏教モダニズムに冒されているのだろうか?

 然り。その傾向は多分にある。
 当ブログの仏教タグに収録されている過去記事を見れば、それは明らかである。
 テーラワーダ仏教の科学性を称えたり、ヴィッパサナ瞑想が脳に及ぼす効果を喧伝したり、唯一神や魂の存在を説かない仏教の脱“迷信”性をもって他の宗教より優れていると匂わせたりしている。
 エヴァンから見たら、ソルティは“立派な”仏教モダニストであろう。
 ただ、誤解のないように言えば、これはスマナサーラ長老の教えの影響というより、テーラワーダ仏教と出会ったことで得られた喜びがあまりに大きかったので、「ひいきの引き倒し」のような現象が生じてしまったせいである。
 本来なら、テーラワーダ仏教を持ち上げるために、科学を持ち出す必要もなければ、他の宗教を貶める必要もない。 
 とりわけ、他の宗教を信仰する人とのコミュニケーションを阻害する「(テーラワーダ)仏教例外主義」的言動は慎まなければならない。

 一方、これだけは言える。
 ソルティは仏教モダニズムにかぶれてテーラワーダ仏教を信仰しているわけでもなければ、ヴィッパサナ瞑想を実践し続けているわけでもない。
 Why I Am a Buddhist 「なぜ私は仏教徒なのか」
 それは、テーラワーダ仏教が、現世において、智慧を開発し、心の苦しみを失くすことに役立っているからである。
 それは自分の中で体験的に実証されているから、否定しようがない。

 瞑想を始めた頃は、「悟りたい」「特別な自分になりたい」という動機こそあったけれど、20年近く経った今では、「智慧を得ること。それによって日常生活で生じる苦しみを減らすこと」が一番の修行理由となっている。
 「悟りたい=悟れない」という呪縛からようやく解放され、日々たんたんと瞑想を実践している。

 これから老いが進むにつれ、若い時にはわからなかった様々な苦しみの種が待ち受けているであろう。
 ブッダの教えとヴィッパサナ瞑想は、それと立ち向かう際の護符のようなものだと思っている。
 なので、現在自分が学んでいる仏教が「仏教モダニズム」なのかどうかは、どうだっていい。
 生きていく上で役に立つか、立たないかが、重要なのである。
 ただし、苦しみを失くすのに役立つ最強の武器が、神でもキリストでも阿弥陀信仰でも祈りでも聖書でも真言でも呪術でも滝行でもなくて、自らの瞑想修行によって獲得した智慧であるという点において、仏教もといテーラワーダ仏教は他の宗教とは一線を画しているとは思う。

DSCN6196

 さあ、これでエヴァンに問いを投げ返すことができる。
 Why I Am Not a Buddhist 「なぜ私は仏教徒でないのか」
 エヴァンの問いは、つまるところ、「仏教がエヴァンにとって益するものがなかった」ということを裏書きしている。
 カリスマ的な父親のつくった宗教的コミューンにおける禅仏教との出会いも、大学での仏教哲学の学びも、ダライ・ラマとの対話も、何年間にもわたる瞑想実践も、エヴァンの役に立たなかった。少なくとも、人生を生きていく上での護符や杖とするほどの価値をそこに見い出すことはできなかった。
 そういうことだろう。
 エヴァンはそれを仏教モダニズムのせいにしているけれど、はたしてそれだけが理由なのだろうか?




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