ソルティはかた、かく語りき

東京近郊に住まうオス猫である。 半世紀以上生き延びて、もはやバケ猫化しているとの噂あり。 本を読んで、映画を観て、音楽を聴いて、芝居や落語に興じ、 旅に出て、山に登って、仏教を学んで瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

仏教

● 美術展:『救いのみほとけ――お地蔵さまの美術――』(根津美術館)

 根津美術館は南青山(渋谷区)にある。
 ブティックや高級レストランが立ちならぶ気取った(鼻持ちならない)界隈である。
 ソルティはずっと千代田線の根津駅(文京区)近辺にあるものと思っていた。
 紛らわしいが、根津美術館の根津は地名ではなく、創設者である根津嘉一郎(1860-1940)の名前から来ているのであった。
 ここを訪れるのは初めて。
 目的はお地蔵さまである。

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表参道駅からの道

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根津美術館

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1Fホールに並んだ古代アジアの仏像たち
右端は3世紀ガンダーラ地方でつくられた弥勒菩薩像

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正面より
ギリシア彫刻の影響が見られる

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今展のポスター

 お地蔵さま(地蔵菩薩)は庶民にとって最も身近で親しみやすい仏である。
 お釈迦さまが亡くなって1500年後に末法の世が到来し、正法は失われた。
 日本では平安末期の1052年がそれに当たる。 
 以後、56億7千万年後に弥勒菩薩が出現するまで、修行も悟りも不可能。
 さあて、困った。
 我々は永遠に六道輪廻するほかないのか?
 でも大丈夫。
 その間に娑婆世界に降りてきて、六道にいるあらゆる生命を救済してくれるのがお地蔵さまである。
 なので、お地蔵さまの仏画や仏像が盛んに作られ、広く信仰されるようになったのは、平安後期からなのである。
 今回の特別展は、日本における地蔵信仰の歴史を、書写された経典や絵巻物や仏画や仏像によってたどる試みである。
 とくに平安時代末期から鎌倉・室町時代につくられた地蔵菩薩の絵や彫像が目玉である。

 展示室は撮影禁止なので残念ながらここに紹介できないが、いくつかの彫像の美しさに心打たれた。
 お地蔵さまと言えば、風雨に打たれ摩滅し顔立ちもはっきりしない道ばたの石像のイメージが強いので、こんなに美しい地蔵像があるとは思わなかった!
 平安時代末(1147年)に作られた木造彩色の地蔵菩薩立像(ポスターの下半分)などは、興福寺の阿修羅像や法隆寺の百済観音に匹敵するほどの優美さ、高貴さ、慈しみ深さを湛えていて、これを観れただけでも性に合わない青山まで足を運んで良かった。

 1~2Fで6つある展示室をめぐったあとは、根津美術館ご自慢の日本庭園を見学。

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17,000㎡を超える広さをもつ

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ところどころに置かれた仏像がなかなか愉快

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都会の真ん中にこんな緑豊かな空間があるとは・・・


 ところで、末法思想は大乗仏教において花開いた(?)信仰なので、初期仏教の流れを汲むテーラワーダ仏教(卑称:小乗仏教)に「末法」という概念はなく、地蔵菩薩も存在しない。
 お釈迦さまの説いた法(ダルマ)はいまもちゃんと残っており、修行も悟りも可能である。

六地蔵
秩父の町中で見かけた六地蔵















● アラカンの秩父札所巡り(1~5番)


 GW中に秩父34観音札所の1~5番を回った。
 2018年の春以来5年ぶり、2巡目である。
 今回は主としてウォーキングが目的なので、白衣もつけず、笠もかぶらず、輪袈裟もかけず、納経もしない(御朱印をもらわない)。
 お堂の前で般若心経と慈悲の瞑想を唱えるだけの簡易スタイル。
 この先を続けるかどうかも未定である。
 昼過ぎからスタートして、「行けるところまで行ければいいや」という暢気なペース。
 前回はかなり気張っていたなあ~とつくづく思う。
 修行モードになっていたのだ。 
 寺も道も逃げない。
 軽い気持ちで、時間を気にせず、風景や路傍の花や人との交流を楽しみながら、のんびり歩いた。

● 歩行日 2023年5月5日(金)  
● 天気  晴れ
● 行程
12:17 秩父鉄道・秩父駅より西武観光バス「定峰行き」乗車
12:40 栃谷バス停
    歩行開始
12:50 第1番四萬部寺(20分stay)
13:50 第2番真福寺(30分stay)
15:10 第3番常泉寺(20分stay)
15:50 第4番金昌寺(10分stay)
16:20 第5番語歌堂(20分stay)
17:00 秩父湯元・武甲温泉
    歩行終了
● 所要時間 4時間40分(歩行3時間+休憩&読経1時間40分)
● 歩行距離 約9km


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西武観光バス、栃谷バス停
第1番まで徒歩10分
前回は秩父鉄道和銅黒谷駅からスタートした

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第1番・誦経山 四萬部寺(ずきょうさん しまぶじ)
永延2年(988)幻通という僧侶が秩父を訪れ、4万部の経典を読経し、経塚を築いたことが寺名の由来

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巡礼者は朝早くにここを発つのが一般なので、人はほとんどいなかった
納経所に寄り、『般若心経』の載っている経本だけ買った(500円)

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平和な里山の道をゆく
「こんな素晴らしい道だったのか・・・」
先を急いでいた前回はじっくり味わわなかった

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カキツバタ(杜若)

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ヤブデマリ(藪手毬)

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人家を離れ、高篠山の木立を登る
第2番は標高390mの地点にある

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ふう~、やっと着いた!
苦が快に変わる瞬間

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お堂の入口にある聖観音菩薩
宝冠に阿弥陀仏を付しているのが特徴
ここまで登ってきた疲れが癒されるホステスぶりで迎えてくれる

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第2番・大棚山 真福寺(おおたなさん しんぷくじ)
16世紀初期にここが最後に加わって、秩父札所34とあいなった
現在は無人である
新緑を抜ける爽やかな風、鶯の鳴き声、心が洗われる

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その名も大棚川に沿って下る(横瀬川に注ぐ)
健康な人なら、バスやマイカーで回るなんて、もったいないパワースポット

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山を下りて人家の見えるあたりで、片足を引きずった男を追い抜く

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第3番・岩本山 常泉寺(いわもとさん じょうせんじ)
背後は秩父聖地公園のある丘陵、周囲は畑、ほんとに良いロケーション
読経を済ませ休んでいたら、さっきの足の悪い男が畑道をやって来るのが見えた
彼も巡礼していたのだ!

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観音堂の虹梁(こうりょう)部分が龍の透かし彫りになっているのが珍しい

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観音堂の本尊は行基作と伝えられている
(実際は室町時代作らしい)
像高97cm、一本造り

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弘化4年(1847)の火災の際に堂から運び出された
胸部にやけどの痕が確認される

横瀬川
ふるさと歩道橋で横瀬川を渡る
足の悪い男としばし同行
昨年暮れに怪我をして3ヶ月入院していたとのこと
リハビリを兼ねての歩き遍路だったのだ
12時に第1番を発ち、あの山道を上り下りしたそうで、「今日はもう、これ以上無理」と。
3年半前に足の骨折を経験したソルティ
彼の回復あれかし、と祈った

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第4番・高谷山 金昌寺(こうこくさん きんしょうじ)
まさにここは山門の大わらじをシンボルとする健脚祈願の寺
自らの左足のここまでの回復を感謝した

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観音堂は、頂点を一つもつ四角すい状の屋根、宝形造(ほうぎょうづくり)という
周りを1300を超える野天の石仏が囲んでいる

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納経所のそばにあったカップル石像
十六羅漢のうちの2人かと思うのだが不明
保阪嘉内と宮沢賢治?)
分かる人がいたら、教えてください

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第5番・小川山 語歌堂(おがわさん ごかどう)
5年前は畑の中にぽつんとあって、どこからもよく見えたのだが、いまや住宅が迫っている
残念だが、畑を売らなければならない事情があるのだろう

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本尊は准胝(じゅんてい)観音 
たくさんの仏の母であり、子授け観音として信仰されてきた
(“胝”の字を出すには“たこ”と打つのが近道)

語歌堂の聖徳太子
ここにも聖徳太子信仰が垣間見られる
太子が頭を丸めた僧侶の恰好をしているのが可笑しい

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今日はここで終了
第5番から武甲山を望みながら道なりに進むと、武甲温泉に着く

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横瀬川の渓流の上を泳ぐ鯉のぼりの群れ
温泉もなかなか群れていた

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もちろん、“アラカン”とは阿羅漢ではない
アラウンド還暦のことである











● 和をもって貴しとなす 本:『聖徳太子信仰とは何か』(榊原史子著)

2021年勉誠出版

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 本書によれば、日本には聖徳太子が建てたと伝えられているお寺が355あるそうだ。
 いくら太子が天才で仏教を篤く信仰していたとしても、50年に満たない生涯で355は無理だろう。
 その多くは、寺の開基を太子と結びつけることで寺格を高め、国家の保護を期待すると同時に、参拝客や檀家を増やそうという“良き”魂胆からと思われる。
 ソルティが2017年に訪れた千葉県の神野寺も、聖徳太子が598年に建てたと伝えられ、関東一の古刹を誇っているが、まずありそうもない話である。
 虎やタヌキの出没する房総の山奥に、何が悲しくて太子がお寺を建てようか。
 
 720年成立の『日本書紀』の記述によれば、太子の没後2年が経過した推古天皇32年(624年)の時点で、早くも46の寺院が太子建立とされているという。
 その所在の大半は畿内(京都・奈良・大阪・兵庫)および近江(滋賀)で、むろん千葉県はない。
 一番初期の聖徳太子伝である『上宮聖徳法王帝説』では、太子建立として7つの寺院が挙げられている。法隆寺、四天王寺、中宮寺、広隆寺、橘寺、葛木寺、法起寺である。
 太子信仰の広がりに伴って、太子ゆかりのお寺の数はどんどん増えていったのである。

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法隆寺夢殿

 では、実際に聖徳太子が生前に建立した寺院はどれなのだろうか?
 本書によれば、法隆寺(改名前は斑鳩寺)は確からしい。
 法隆寺のすぐそばに尼寺として建てられた中宮寺も、太子創建の可能性がある。
 それ以外の初期5寺は、太子が亡くなってから太子を偲んで建てられたという説が有力である。
 歴史を通じて、長いこと「聖徳太子建立の寺」として法隆寺と並び称され、太子信仰の中核を担ってきた大阪の四天王寺(旧名は荒陵寺)もまた、考古学的な調査をもとに、その創建は620~630年代と推定されており、太子没後の可能性が高い。
 創建したのは、朝鮮半島から日本にやって来た渡来人を祖とする、難波吉士(なにわきし)と呼ばれた有力な氏族の集合体ではないか、という。
 四天王寺にとっては、とうてい受け入れがたい説であろう。

 この四天王寺と法隆寺のライバル関係を描いた章が面白い。
 どっちがより聖徳太子と強いつながりを持ち、極楽浄土に行ける効験があるかで、本家本元争いの如き、何世紀にもわたる両寺の張り合いがあった。
 太子没後387年経った寛弘4年(1007)に、四天王寺が、金堂内に安置されていた六重塔の中から聖徳太子直筆の『四天王寺縁起』を発見した!
 ――と世間の注目を一身に集めれば、方や法隆寺は、これまで門外不出で非公開を貫いてきた聖徳太子の遺言『四節文』をやおら公開し始めるという具合。(『四節文』の書かれた原文を見た者はいない)
 この2つの文書は類似点が多いという。

 法隆寺と四天王寺の歴史を振り返り、伝えられてきた史料を見ていくと、法隆寺、四天王寺ともに、聖徳太子信仰の中心寺院としての自負と、互いの寺に対する対抗意識を常に持ち続けていたことが明らかである。こういった意識は、実際に行動に移され、それぞれの寺院の歴史となり、それが繰り返されてきた。法隆寺側が行動を起こせば、それを受けて、四天王寺側が行動を起こし、さらにそれを受けて、法隆寺、そしてまた、四天王寺といったように、連鎖した行動となっていったのである。(ゴチはソルティ付す)

 実際の行動とは、ありていに言えば、由緒の誇張や偽造である。
 寺院の奥で高僧たちが禿頭を集め、こうした策略を練っているところを想像すると、なんとも面白い。
 停滞に悩む現代のお寺さんもこれだけの図々しさとアイデア精神があれば・・・・と思うけれど、仏への信仰を失った現代人はちょっとやそっとのことでは乗せられないだろう。

四天王寺
四天王寺(ウィキペディアより)

 聖徳太子は日本に仏教を広め、お寺や仏像を作り、自ら経典の講義をし、仏教文化の礎を築いた。
 日本初の憲法を作った人であり、氏姓にとらわれず才能ある人物を重用し、遣隋使を送り中国と対等の関係を築こうとした。
 天皇を中心とする中央集権体制の確立につとめた。
 現代まで続く日本という国の骨格を作った人と言える。
 そればかりでなく、日本に大陸由来の建築技術や製紙技術、お香や伎楽の文化を広め、「大工の神様」「紙の神様」として信仰されてきた。
 華道もまた太子由来で、聖徳太子の命で出家した小野妹子(遣隋使だった人!)が仏前に花を供えたことが華道の始まりという。
 流派の一つとして有名な「池坊」とは、小野妹子が住んでいた建物(坊)が池の辺りにあったことから、そう呼ばれるようになったそうな。(現在の京都六角堂)
 実に、日本人の精神文化、政治意識に深い影響をもたらした、いや、日本人の国民性の土台を築いた人と言っても過言ではあるまい。
 「和をもって貴しとなし、逆らわないのを教義とせよ」という十七条憲法の冒頭の言葉くらい、協調性に富み、お上に対して従順で、かつ同調圧力の強い国民性を端的に表現した言葉はない。

 我々は聖徳太子に、良い意味でも悪い意味でも、呪縛されている。
 聖徳太子について知ることは、日本人について知ること、日本人である自分自身について知ることなのだと思う。
 なので、今はまだ「聖徳太子虚構説」は早過ぎる。
 個人的にはそう思う。






おすすめ度 :★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損









● 寄居男衾・7つの寺めぐり

 今回も寄居町発行のハイキングガイドを手に歩いた。
 東武東上線の男衾(おぶすま)駅を発着点とし、7つの寺を一筆書きでめぐるコース。
 ちょっとした巡礼気分が味わえる。
 ガイド上では全長11.5kmと表記されていたので、見物&休憩入れて4時間半あれば回れると踏んでいたのだが、実際には6時間かかってしまった。
 これは主として道迷いのためなのだが、実際の距離も13km近くあるのではなかろうか?
 寄居町には再確認してもらいたい。
 道は平坦だが、日陰のないアスファルト道のため、思った以上に疲弊した。
 この日、気温27度まで達した。

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寄居町ハイキングガイド(男衾コース)より
 
● 歩行日 2023年4月20日(木)  
● 天気  晴れ
● 行程
09:15 東武東上線・男衾駅
    歩行開始
09:30 1昌国寺
09:45 2常楽寺
10:40 3普光寺
     休憩(10分)
11:35 4高蔵寺
11:50 5今市地蔵堂
     休憩(10分)
13:10 6長昌寺
     昼食(40分) 
14:30 7不動寺
     休憩(20分)
15:15 東武東上線・男衾駅
    歩行終了
● 所要時間 6時間(歩行4時間+寺見物40分+休憩1時間20分)
● 歩行距離 約14km(道迷い含む)

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東武東上線・男衾駅
平日の昼間は人影がほとんどない。

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1.昌国寺(曹洞宗)
徳川家康のいとこである水野長勝が創建
鐘楼はあったが、ほぼ廃寺の風情

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境内の高野槇は町の天然記念物
樹齢約400年、高さ約25m 

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如意輪観音さま
右膝を立て、右手を頬に当てているのが特徴

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2.常楽寺(真言宗智山派)
畑と木立に囲まれた静かな寺   

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寄居七福神の一つで、恵比寿さまを祀る

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ここから崖を下って荒川土手を行く
青空の下、広がる畑がすがすがしい

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「いざ、鎌倉!」
御家人たちが馬を飛ばした古道
このあたり(男衾郡畠山庄)は畠山重忠の領地だった

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盆地の彼方に秩父・長瀞の山々が霞む

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3.普光寺(天台宗)
1200年以上の歴史を持つ地域最大のお寺

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畑中の広々した境内が気持ちいい

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昭和8年の農地開墾時に発見された板碑群
鎌倉街道往来中に病没した旅人を埋葬供養したものとされている
最古のものは文永2年(1265)、元寇の直前だ

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御本尊の木造薬師如来は平安後期のものと推定されている

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厄除け角大師のお札をいただいた
ここから畑中の道を行く

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交差点に置かれた石碑群
百万遍(ひゃくまんべん)供養とは、疫病退散などの目的で、集落の人々が講を作り、「なむあみだぶつ」を百万回唱えること
寛政2年(1790)にこの土地で何かあったのだろうか?

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街道沿いにはこのような石の蔵(大谷石?)が目立つ
何を保存したのだろうか?

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4.高蔵寺(天台宗)
開基は、柳沢吉保の祖父・柳沢信俊

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閻魔大王が祀られていた

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こちらは十一面観音菩薩さま
新緑を背景に麗しい

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不動明王
人の煩悩を焼き尽くし、清めてくれる

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5.今市地蔵堂
ほぼ折り返し地点に到着
屋根の紋章が気になってズームしてみたら・・・

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逆卍、すなわちハーケンクロイツ(鉤十字)ではないか!
思わぬところにあるものだ

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木造の地蔵菩薩像は室町時代の作と伝えられる
高さ3m、玉眼を施してある
青々とした頭頂と黒衣が珍しい

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子育て地蔵として地域の人に親しまれている

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兒泉(こいずみ)神社
祭神はヤマトタケル
村の鎮守さまである

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腕が多く、悪鬼を踏みつけている姿から、
大元帥明王ではないかと思われる
鎮護国家に霊験あり

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6.長昌寺(天台宗)
場所がわかりづらく行き過ぎてしまったところ、同じように探している方と遭遇
一緒に探し回った(四国遍路を思い出す)

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寄居七福神「寿老尊」の寺である
寿老尊と福禄寿はキャラがかぶっているので見分けが難しい
鹿を連れているのが寿老尊、鶴を伴っているのが福禄寿
と思ったら、逆の場合もある
単体の場合も多い
一般に、頭のひょろ長いのが福禄寿と思っていいようだ

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藤棚の下のベンチで昼食、および20分の昼寝
安らぐなあ~

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7.不動寺(真言宗智山派)
道を間違って30分のロスで最後の寺に到着
Googleで経路を確かめながら歩けばいいのだが・・・
それはつまらない
広い境内をもちながら、ひっそりしたお寺
ここで20分瞑想

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やっぱり、あなたが呼んだのですね

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帰りは小川町駅にある花和楽(かわら)の湯に寄る

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店内は五月人形や鯉のぼりでいっぱい

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今日も、おつかれナマでした!












● 本:『ゆかいな仏教』(橋爪大三郎、大澤真幸共著)

2013年サンガ新書

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 久しぶりに読むサンガ新書。
 ブックオフで見つけた。
 コロナ禍の2021年1月にネットで(株)サンガの破産を知り本当にびっくり&残念・・・・。
 と思っていたら、元編集者らが復活を呼びかけてクラウドファンディングを開始。
 わずか一ヶ月半の間に一千万円を超える額が集まり、同年7月めでたく(株)サンガ新書が誕生。
 仏の智慧をもとめる在家信者の志しの熱さを感じる展開であった。

 本書は2人の社会学者による対談形式の仏教概説である。
 シッダールタの覚りとサンガの誕生から始まった仏教が、仏滅後の結集を経たのち、三蔵(経・律・論)を備えた初期仏教として完成(紀元前5世紀頃~紀元前後)。
 そこへ出家中心主義を批判し利他行を重んじる大乗仏教が登場し、在家修行者(=菩薩)が重視されるようになる。
 新しい経典が次々と創作された。
 仏教は、初期仏教の流れを汲む北伝仏教(ミャンマー、タイ、スリランカなど)と、大乗仏教の発展形である南伝仏教(中国、朝鮮半島、日本など)に分岐した。(4~5世紀頃)
 大乗仏教は我が日本において大きく花開き、即身成仏や密教や修験道や阿弥陀信仰や念仏やタントラや禅や56億7千万年後の弥勒菩薩や本地垂迹や葬式仏教やなにやらかにから、ディズニーランドのアトラクションのごとき種々雑多なんでもありの様相を呈す。
 本書は、このような仏教の歴史をたどりつつ、キリスト教やイスラム教と比較したり、仏法をデカルトやカントやウェーバーやヴィトゲンシュタインなどの近代哲学の視点から読み解いたり、「苦」や「悟り」や「空」や「唯識」や「自由意志と因縁」といった仏教の重要概念についてズバリと切り込んだり・・・。
 両人の幅広い学識と縦横無尽な切り口で語られる仏教の姿。
 面白く読んだ。
 
 おおむね、10歳年下の大澤(58年生まれ)が問いを発し、仏教の専門研究者であり先輩学者でもある橋爪(48年生まれ)がこれに答える、という形式をとっている。
 大澤が繰り広げる様々な世界の思想との対峙を通して、北極星のごとく不動なる橋爪の姿勢によって、仏教の仏教たるゆえんが浮き彫りにされていく――という印象を持った。
 
 以下、橋爪の言葉より引用。

 苦というと、楽とは反対で、辛かったり痛かったりする感覚的な苦しみを思い浮かべてしまう。でも、そう考える必要はない。私は、ただ単に、苦とは、「人間の生が不完全であること」だと思うのです。
 
 私の理解、仏教にいう苦は、自分の人生が思いどおりにならない、ということと等しい。「思いどおりにならない」という部分を苦と表現すれば、愛する人と出会うのは思いどおりになっているから苦にならないけれど、愛する人と別れることは思いどおりではないからそれを苦と感じてしまう。おいしいものを食べられればそれは苦ではないが、食べたいものが食べられなかったらそれを苦と感じてしまう。
 もしも思いどおりにならないことをネガティブなものとしてカウントしていくと、人生はネガティヴだらけになり、自分の人生が自分の思いどおりにならないというそのことに圧倒されて、へしゃげてしまうだろう。そうならないため、自分の人生が思いどおりにならないのはなぜなのか、と考えるわけです。
 
 覚るというのは自分を外側からみることなので、覚った結果は、自分が最大の他者になるわけです。世界の中に自分とか人間とかいうくくりがあることが不自然であり、不当であるということを含むと思うから。つまるところ、私は私でなく、私は人間でなく、私は生命でもなくて、私は奇妙奇怪な宇宙のメカニズムそのものだ、ということが結論になるはずです。
 
 覚りがあるのと、覚りがないのと、どこが違うか。覚りは、自分の人生を測り直すものさしのようなもので、価値ないもの、苦しいものである自分の人生が、価値ある覚りとの関係で意味あるものになる。そういう体験だと思う。 

 橋爪さん、預流果ってる?
 



おすすめ度 :★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損







 

● 京都&奈良・初春の神仏めぐり(破)

 第1日の夜はお稲荷様のおかげか、コンコンとよく眠れた。
 平日早朝の京都はすっかりビジネスタウン。
 出勤客に立ちまじってリュックかついで駅構内をうろうろする。
 エスカレータに乗ろうとして、「あっ、関西に来たんだ」と実感した。

第2日(2/27)奈良

【行程】
07:52 京都駅でJR奈良線乗車
08:42 JR棚倉駅
09:10 蟹満寺(50分)
10:17 JR棚倉駅
10:56 JR法隆寺駅
11:15 昼食
12:00 法隆寺(3時間半)
15:52 JR法隆寺駅
15:59 JR郡山駅
    大和郡山市街探索(2時間)
18:30 奈良健康ランド送迎バス乗車

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JR奈良線・棚倉駅は無人駅
昭和の風情に心なごむ
蟹満寺は京都(木津川市)の寺なのだが、風景や大気はほとんど奈良である

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駅前に「こんな田舎になぜ?」と驚くほどに立派な神社がある
涌出宮神社は天平神護二年(766)創建の古社
主神は天乃夫岐売神(あめのふきめのかみ)で、雨をもたらす神として崇拝されてきた
まずは土地の神様にご挨拶する

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駅から歩くこと20分
土手を越え、民家の細い路地を抜け、奈良線の走る畑中を行く
こんなところにホントに白鳳時代の仏像があるの?

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普門山蟹満寺(かにまんじ)
白鳳時代末期に秦氏によって建立されたと伝えられる
寺名は、「神(カム)」と織物を意味する「幡(ハタ)」からなる蟹幡(かむはた)郷という地名に由来する
『今昔物語』には創建にまつわる「蟹の恩返し」譚が載っている
現在は真言宗のお寺である

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この付近には、奈良時代の豪族で光明皇后の異父兄である橘諸兄が晩年を過ごした邸宅や、彼が建立した巨大な寺院(井出寺)があった。(貴田正子著『深大寺の白鳳仏』より)
駅前の神社の格といい、古代にはかなり栄えた土地だったのだろう

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国宝釈迦如来像は、白鳳時代に造られた時から台座から動かされていないという
2m40cmの金銅座像で、ほぼ完全に近い形のまま今日に至っている
ラグビー選手のような、砲丸投げ選手のような、重量感ある逞しいボディは迫力満点だが、表情はおだやかでやさしい
螺髪(チリチリパーマ)でないところ、白毫(眉間の珠玉)を欠いているところなど、深大寺の白鳳仏によく似ている(同じ工房で造られたのかも)
とにかく、ガラスケースも鉄柵もなく、至近距離で鑑賞できるのが凄い!
若干のひび割れと欠けはあるものの、この時代の仏像でここまで完璧なのは珍しい
堂内に50分一人っきり、心ゆくまで鑑賞し祈った

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ほんと、こんな田舎にねえ・・・・

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JR法隆寺駅
30年ぶりに来ました!
立派な駅舎になって・・・

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駅から徒歩20分
こんな参道あったかしら?
すっかり忘れている

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南大門
青空を背景にすると美しさが際立つ

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中門
壮麗にして爽やか
ど真ん中に柱(いわゆるエンタシスの柱)がある不思議な構造
通せん坊するかのよう

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金剛力士像は怖い中にもどことなく剽軽さが感じられる

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ただただ「美しい」というほかない
わが国最古の五重塔
双眼鏡持参で最上部の相輪がよく見えた

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横並びの金堂と五重塔
金堂内には鞍作止利によって造られた釈迦三尊像がある
観光客も修学旅行生も少なく、存分に鑑賞できた

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大講堂
薬師三尊像や四天王像がある
手前の燈籠は、徳川5代将軍綱吉の母桂昌院が寄進したもの

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大宝蔵院
玉虫厨子、九面観音、百済観音、金堂小壁画、橘夫人厨子など宝の山
深大寺の釈迦如来像とともに白鳳三仏の一つ「夢違観音」を間近でじっくり拝観できた
スレンダーな姿態うるわしき百済観音も約20分独り占め、贅沢すぎる時間だった

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西院伽藍から、夢殿や中宮寺のある東院伽藍に向かう
人がいないと壮大さが実感される

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伽藍周囲の築地もまた見事である
近寄って見ると、砂や砂利や糸くずが塗りこめられてザラザラしている

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夢殿
中にある救世観音像は長いこと秘仏であったが、今は期間限定で公開されている
聖徳太子をモデルにしたと言われるこの像について、梅原猛はその著『隠された十字架』で、太子の怨霊を封じるための「呪いの人形」と解釈し、大きな議論を巻き起こした

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中宮寺本堂
昭和43年(1968)落成

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弥勒菩薩半跏像(飛鳥時代)
スフィンクス、モナ・リザと並び「世界三大微笑像」と呼ばれる
たおやかな体のラインと軽みを感じさせる造型が素晴らしい!
諸星大二郎の『暗黒神話』を連想する人はかなりの漫画好き

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西大門から退出
奥に見えるは、遣唐使阿倍仲麻呂が歌に詠んだ三笠山じゃなかろうか?
ソルティの記憶の中の法隆寺は、どういうわけか、カラスが鳴く畑中のこじんまりしたお寺と化していた
正岡子規の俳句のせいだろうか

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JR郡山駅
宿に行くにはまだ早いので、大和郡山市街を探索
もちろんはじめて降りた街である

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ここは郡山城を核とする城下町であった
戦国時代末期、郡山城は豊臣秀吉の弟・羽柴秀長が城主となり、隆盛を極めた
外堀が遊歩道として整備され、市民憩いの散歩道になっている

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南御門
当時の城の建物はほとんど残っていない(一部は復元されている)
秀長時代に建てられた南御門は幕末期に永慶寺へと移築され、山門としてその姿をとどめている

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街中に気になる神社を発見
正一位源九郎と書かれた旗に誘われて寄ってみたら・・・

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源九郎こと源義経を助けた白狐伝説にまつわる有名な稲荷神社であった。
お参り後に宮司らしき方に話を伺ったところ、「ここは全国から三種類の参拝客が来る。歌舞伎が好きな人、義経が好きな人、稲荷が好きな人。歌舞伎役者は『義経千本桜』を演じる前には必ずここを詣でる」(たしかに歌舞伎役者のサイン入り写真が掲示されていた)
なんでも伏見稲荷、豊川稲荷と並んで「日本三大稲荷」に挙げられるとか
どうやら、今回のソルティはお稲荷様に呼ばれたらしい

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地域の人々から奉納された雛人形がたくさん飾られていた

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宮司さんから名刺をいただいた
宮司「大和郡山の名物は3つ。郡山城と金魚と源九郎稲荷神社」
ソルティ「金魚?――ですか」
宮司「そう。江戸時代の武士が副業として始めた金魚養殖がいまも続いている」
なるほど、『カムイ伝講義』に見るとおり、下級武士は傘張りや朝顔栽培など内職をしなくては食べていけなかった

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そう言われて街中を見ると、たしかに金魚づくしだった

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マンホール

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これには「魚ッ!」とした

 大和郡山探索は、予定に入ってなかった。
 やはり、旅の面白さは予定を破ったところにあると実感しきり。
 




● 生まれ変わりは希望? 映画:『インフィニット 無限の記憶』(アントワーン・フークア監督)

2021年アメリカ
106分

 マーク・ウォールバーグ主演のSFアクション映画。
 見せパンの元祖でやんちゃ者のマーキー・マークもいまや51歳。
 いったいいつまでこんな激しいアクション映画の主役を張るんだろう?
 どこまで若作りして、マッスルな体を晒すつもりなのだろう?
 と、話の筋より余計なことばかり考えてしまう。
 いい加減、こういう役は若い俳優に譲って、演技派バイプレイヤーにシフトチェンジしてもよいのではなかろうか。
 余計なお世話か。 
 
 本作をレンタルしたのは、輪廻転生がテーマだからである。
 世界に500人しかいない、すべての前世の記憶を保持しているインフィニットたち。
 いくつもの前世で身につけた様々な知識や特技を備えている超人である。
 数世紀前から彼らは、二つのグループに分かれて戦っていた。
 一つは、「もうこの酷い人間界に生まれ変わるのは懲り懲りだから、すべての生命を解脱させ、この世界を終わりにしよう」と目論むグループ。ニヒリスト(虚無主義者)と呼ばれる。
 もう一つは、「生まれ変わっていくうちに人類は学び進歩することができる。輝かしい未来がある」というポジティブなグループ。ビリーバー(信じる者)と呼ばれる。
 ニヒリストの首領であるバサーストは、前世において、人類を絶滅させる“エッグ”という装置を開発した。
 が、使用する前にビリーバーのトレッドウェイに奪われてしまった。
 両者ともに生まれ変わった現世で、バサースト(演:キウェテル・イジョフォー)と元トレッドウェイであるエヴァン・マコーリー(演:マーク・ウォールバーグ)の“エッグ”の行方を巡る熾烈な戦いが始まる。
 
 物語そのものは荒唐無稽。
 派手なアクションシーンの連続で、CG多用の特撮技術には驚くほかない。
 予想通り、トレッドウェイらの活躍によって“エッグ”は破壊され、人類は破滅から救われ、輪廻転生は続く。
 戦いで命を失ったトレッドウェイが、インドネシアに生まれ変わったことを伝えるシーンで映画は終わる。(バサーストは特殊な銃弾を浴びて魂をチップに封じ込められ、生まれ変われなくなったという無理筋)
 伝統的アメリカ映画らしい勧善懲悪である。

生まれ変わり
 
 しかしながら、「もはや生まれ変わることはありません」という輪廻転生からの解脱こそが、ブッダが追い求め、修行と悟りの果てに実現し、弟子たちに推奨したところであるのは間違いない。
 本来の仏教の目標はそこにある。
 もちろん、それは個々人の意志において求められるところであって、ハザーストのように、生命すべてを個々の意志に反して道連れにすることは許されない。
 ハザーストがこの人間界を嫌悪し生まれ変わりたくないなら、仏道修行によっておのれ一人の悟りと解脱を目指すべきである。
 その意味で、ニヒリストグループの動機と行動は許容できるものではなく、「悪」と言っていいものではある。
 が一方、輪廻転生を進歩と希望の名によって肯定し「善」とするビリーバーの動機と行動は、究極の楽天思考という気がしないでもない。
 少なくともそれは仏教とは別の道であるので、本作でビリーバーグループの者たちが、仏像の前で坐禅や瞑想をしているシーンや、「生まれ変わるたびにアンコールワットで再会する恋人たち」といったロマンチックエピソードには、首をひねらざるを得ない。(良い転生を狙っての修行と解せばいいのか?)
 監督や脚本家は、仏教をまったく理解していないか、あるいは、仏教徒=ニヒリストというあらぬ誤解を観る者に与えるのを避けるべく、仏教をビリーバー側に引き寄せたのだろうか。
 悟り&解脱という目的を伴わない輪廻転生は苦である、というのがブッダの仏教の根本である。
 
 そもそもが荒唐無稽な娯楽作品なので、どうでもいいことではあるが・・・・。
 

 
おすすめ度 :★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損

 

● 鎌倉アルプスを歩く(大平山159m)

 月曜の午前中という、もっとも空いていそうな時間をねらって、大河ドラマブームに湧く鎌倉を逍遥した。
 鎌倉市最高峰の大平山より街並みを見下ろす天園ハイキングコース。

● 歩行日 2022年11月7日(月)  
● 天気 くもり
● 行程
10:00 JR鎌倉駅
    歩行開始
10:15 鶴岡八幡宮
10:45 建長寺
11:40 勝上献展望台
12:20 大平山(159m)
12:30 天園
    昼食休憩(20分)
13:30 下山口(瑞泉寺門前)
13:40 永福寺
14:30 JR鎌倉駅
    歩行終了
● 最大標高 159m
● 最大標高差 150m  
● 所要時間 4時間30分(歩行4時間+休憩30分)

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JR横須賀線・鎌倉駅
案の定、人混みはなかった


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鶴岡八幡宮
この石段で源実朝は公暁に刺殺されたという

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本殿より参道を見やる

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建長寺は日本初の禅寺(臨済宗)
開基は第5代執権北条時頼(1253年)
けんちん汁発祥の地である

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樹齢760年を超える見事な柏槇(びゃくしん)

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仏殿
空間と拮抗する見事な反り屋根

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本尊は地蔵菩薩

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法堂(はっとう)の釈迦苦行像と千手観音
苦行像は2005年にパキスタンより寄贈された

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こんなところに朝鮮石人像が・・・

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観光客のいない静かな奥へと進む
きつい石段を上れば天狗が並ぶ半蔵坊本殿

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勝上献(けんじょうけん)展望台より
鎌倉市街を望む
晴れた日には相模湾越しに富士山も見える

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出会う人は稀
静かな山歩きが楽しめた

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本日の最高峰・大平山(159m)
木々に囲まれて眺めはない

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ススキとセイタカアワダチソウの熾烈な縄張り争い
やはり外来種が強い

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南東方向に横浜のビル街が霞む

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横浜市と鎌倉市の境に位置する天園
かつて茶屋があったところが空き地となっている

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天園より相模湾と鎌倉市街を望む
ここで昼食

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森のヌシたる巨木との交感も山歩きの醍醐味

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下山口に到着
鎌倉は基本、山なんだと実感した

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永福寺(ようふくじ)跡
源頼朝が1189年平泉を攻めた後、数万の兵の鎮魂のために建てたと言われる。
幾度も大火に遭い、1405年頃に廃絶した。

CG永福寺
CGによる復元図
平泉の毛越寺や中尊寺をモデルとしたという
ここで頼家や実朝は蹴鞠や花見や歌会に興じた

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JR鎌倉駅に帰着


宮柱 ふとしき立てて よろづ世に
いまぞ栄えむ 鎌倉の里
(社殿に立派な柱を立てて、万世も栄えあれ、鎌倉よ)

三代将軍源実朝















 

● 本:『神と王権のコスモロジー』(山折哲雄著)


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1993年吉川弘文館刊行

 宗教学者の山折哲雄による天皇論。
 『神隠しと日本人』『悪霊論』『日本妖怪異聞録』の小松和彦、民俗学者の赤坂憲雄、評論家の吉本隆明ら3名との対談を含む。

 日本の天皇制を、英国をはじめとするヨーロッパの王政、ダライ・ラマを代々擁するチベットの元首制、それに親鸞の血脈を何百年間も守り続ける本願寺の法主制などと比べ、その特異な性格を浮かび上がらせ、それが日本人の心性と深く結びついていることを示す。
 怨霊信仰と判官びいきの感情が日本の文化の深層を流れている感情であり、未完の天皇であった聖徳太子信仰こそが今に続く日本人の天皇信仰の原型である――という著者の説が面白い。
 日本文化や日本人の国民性における聖徳太子の影響なり存在感の大きさについては、一度考えてみたいものだ。

 また、著者は日本人の宗教的アイデンティティとして、
  1.  祖先崇拝にもとづく多元主義
  2. 「無私」の価値を強調する精神主義
  3.  現世的なユートピア願望
の3つを上げている。
 このうち「祖先崇拝」と「現世利益」については、末木文美士著『日本仏教史 思想史としてのアプローチ』でも指摘されていた。それゆえ、大陸から入ってきた仏教も日本風にアレンジされてしまったのだと。
 ここでは「無私」についての見解がふるっている。

 周知のようにインドの仏教は「無我」の思想を説いた。自我の存在を真実ならざるものとして否定したのである。このような我の否定が「空」の思想と表裏の関係にあったことはいうまでもない。
 ところが、インドの無我の仏教もわが国に紹介されると大きく軌道修正されることになった。なぜなら日本人の現世志向的な特徴が「無我」というような極度に形而上学的な観念を受けつけなかったからである。むしろそういう「無我」の観念に代わって登場してきたのが、清らかな精神状態を追求する「無心」「無私」の考え方であった。観念のレベルでは無我を説きつつも、日常的な意識や感覚のレベルでは心にわだかまりのない「無心」の状態が探究され、それが信仰心や宗教心の基礎をつくるものと考えられるようになったのである。

 諸行無常と諸法無我こそはブッダの教えの根本であり仏教の仏教たるゆえんだが、日本人は古くからこの2つを本来とは異なったふうに理解してきたように思われる。
 すなわち、 
  • 無常=栄枯盛衰=もののあはれ
  • 無我=無私=心の清らかさ
というように――。
 この民族的誤解が、真の仏教理解をいまも困難にしている要因なのかもしれない。





おすすめ度 :★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損



● 仏教セミナー『坐禅に学ぶ身心の調い』(藤田一照×細川晋輔対談)


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芝増上寺と東京タワー

日時 2022年9月24日(土)14:00~15:30
会場 大本山増上寺 慈雲閣ホール
講師 藤田一照(曹洞宗僧侶)、細川晋輔(臨済宗僧侶)
主催 一般社団法人 日本仏教讃仰会

 首都圏に長いこと暮らしながら、芝増上寺には一度も行ったことがなかった。
 NHK『ゆく年くる年』でよく登場するお寺である。
 有名人の葬儀が行われる場所としても知られていて、最近ではむろん、安倍元首相が7月12日に弔われた。
 ここで日本仏教讃仰会主催のセミナーが2年ぶりに開かれる、しかも講師の一人は機会あったら話を聞きたいと思っていた藤田一照氏。
 台風通過後の不安定な空模様であったが、行ってみた。

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増上寺大門

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三解脱門
三つの煩悩(貪・瞋・痴)を解脱する門の意


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本殿
本尊は阿弥陀如来像

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法然上人
増上寺は浄土宗の七大本山の一つ

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本殿から見た浜松町

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会場となった慈雲閣

 広い境内の一角にある慈雲閣1階ホールが会場。
 参加者は50~60名であった。
 藤田一照氏は1954年生まれの68歳、細川晋輔氏は1979年生まれの42歳。
 親子ほど違う年齢差、禅僧としての経験の違い、あるいは知名度なんかもあって、対談とは言え、全般的には藤田氏の坐禅観を細川氏が合の手を入れながら引き出して展開する、といった流れであった。

 実際、藤田氏は話上手で、知識はもちろん米国での長い布教生活など話の引き出しが多く、話しぶりにもアメリカンな率直さを感じた。
 細川氏によれば、藤田氏の坐禅観は伝統的なそれとは大分異なっていて、「いま禅業界(?)に革命を起こしている」のだという。
 
 タイトルにある「身心の調い」というところから話は始まった。
 この「調い」は、「整い」とは違って、英語で言えばharmonize あるいは balance に近い。
 身心を制御(control, regulate)して自己をあるべき理想に近づけようとするのではなく、身心と周りとの関係の調和をはかる営為だという。
 悟りを求めて一心不乱に修行するのが伝統的な坐禅イメージとするなら、「あらゆるものとの関係性の中にある自分の身心に気づく」といったイメージになろうか。
 
 続いて、「健康」とはなにかという話。
 細川氏によると、「“けんこう”はもともと“堅剛”と書いた。それに“健康”という字を最初に当てたのは白隠禅師」とのこと。
 その振りを受けた藤田氏は、「健」「康」という漢字が、「手に筆をまっすぐ持っている」さまを表した象形文字から生まれたと解説し、健康を「本来の働きがしっかり現れている体と心」と定義した。
 坐禅とは、身心を調えて健康になること、すなわち、本来の働きをしっかり有らしめることなのだ。

 次に、藤田氏が今の坐禅観にたどりつくようになった経緯が語られた。
 野口体操や鍼灸や漢方との出会い、アメリカ生活で実践したボディワークやマインドフルネス。
 東洋と西洋の身体観、身心観がバックボーンとなったとのこと。
 なるほど、藤田氏はマインドフルネスの唱導者ティク・ナット・ハンの本を訳している。
 
 最後に、坐禅によって調えるべき3つについてまとめられた。
  1.  調身・・・・大地とのつながりの調和の探究
  2.  調息・・・・大気とのつながりの調和の探究
  3.  調心・・・・六感(眼耳鼻舌身意=視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚・心に触れるもの)とのつながりの調和の探究
 坐禅は自己と周囲との「関係の調律」なのであるが、言うまでもなく、自己も周囲も一瞬一瞬変動している(諸行無常である)。
 つまり、一坐一坐が毎回、未知の探究になる。
 だから、坐禅は標準化もマニュアル化もできない。

 話を聴きながら思い起こしたのは、カルロ・ロヴェッリ著『世界は「関係」でできている 美しくも過激な量子論』(2021年NHK出版)であった。
 量子の奇妙な振る舞いの説明として「関係論的解釈」を唱えた画期的な書であるが、その中で著者は、関係論的解釈と古代インドの仏教学者ナーガルジュナ(龍樹)の「空の思想」を結び付けていた。

一つ一つの対象物は、その相互作用のありようそのものである。ほかといっさい相互作用を行なわない対象物、何にも影響を及ぼさず、光も発せず、何も引きつけず、何もはねつけず、何にも触れず、匂いもしない対象物があったとしたら・・・・・その対象物は存在しないに等しい。(中略) わたしたちが知っているこの世界、わたしたちと関係があってわたしたちの興味をそそる世界、わたしたちが「現実」と呼んでいるものは、互いに作用し合う存在の広大な網なのである。そこにはわたしたちも含まれていて、それらの存在は、互いに作用し合うことによって立ち現れる。わたしたちは、この網について論じているのだ。(『世界は「関係」でできている』より)

何ものもそれ自体では存在しないとすると、あらゆるものは別の何かに依存する形で、別の何かとの関係においてのみ存在することになる。ナーガルジュナは、独立した存在があり得ないということを、「空」(シューニャター)という専門用語で表している。
(小学館『日本大百科全書(ニッポニカ)』の「龍樹」項より)

 「互いに作用し合う存在の広大な網=空」の中に自己投棄する――それが坐禅の極意ということか。


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本堂内部


※本記事は講座を聴いたソルティの主観的解釈に過ぎません。実際の講座の主旨とは異なる可能性大。あしからず。

















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