3日目は土曜日だったので、街中を避けて郊外へ足を延ばした。
栂尾(とがのお)に行くのは初めて。
街中からバスでちょうど1時間、北山杉の林立する谷深い山中に入る。
時折、桜吹雪と見まがうような雪が舞ったが、それもまた風情があった。
3月9日(土)曇り、一時雪
08:00 宿出発
08:37 四条烏丸バス停より市バス乗車
09:40 栂尾着
高山寺
11:00 西明寺
12:00 神護寺
13:00 昼食
13:50 高雄バス停より市バス乗車
15:00 四条烏丸着
17:00 京都駅発
栂尾バス停
市バスの終点である
市バスは一律料金なので、1時間乗っても大人230円
ずいぶんお得である
高山寺
774年創建、光仁天皇の勅願と伝わる
国宝・石水院は、鎌倉時代に明恵上人が後鳥羽上皇より賜った建物
善財童子像の向こうに庭が見える
今時分がいちばん殺風景な頃合いであろう
欄間にかかる額『日出先照高山之寺』は後鳥羽上皇の筆による
寺名の由来となった
座敷より山々を望む
紅葉の頃はさぞかし壮麗であろう
『古都』執筆中の川端康成はここで長時間眺め過ごしたという
明恵上人
『鎌倉殿の13人』北条泰時と同時代の人である
生涯にわたり夢日記をつけた人としても知られる
国宝・鳥獣戯画(平安~鎌倉時代)
複数の作者によって段階的に描かれたとされる
蛙とウサギの絵は有名だが、猫やネズミもいたのね
明恵上人のお墓
高山寺はお茶の発祥地と言われている
明恵上人が中国から持ち帰った茶種を当地で栽培したのが始まり
谷を流れる清滝川沿いに寺から寺へと歩くのが気持ちいい
西明寺
弘法大師の弟子智泉によって神護寺の別院として開かれたのが始まり
この本堂は1700年に5代将軍綱吉の母・桂昌院の寄進により再建されたもの
千手・十一面観音菩薩像(平安時代)や愛染明王(鎌倉時代)など見事な仏像に時を忘れる
苔庭の枯れた風情もまた良い
案内してくれた住職によると、「静かなのは今だけ。紅葉の頃は大変な人出」
最近は外国人参拝客も多いそうである
たしかに、「さすがにここでは会わないだろう」と思って来たのに、3組の外国人グループとすれ違った。
聖天様が祀られていたのに驚いた
大根と巾着がなによりの標
元禄時代に聖天様を勧請し堂を建てたとのこと
3つのお寺はそれぞれ山の上にあるので、登って降りてを3回繰り返さなければならない
足が動くうちに行きたいところに行っておくことの大切さをひしひし感じる今日この頃である
神護寺
ここから山門まで結構きつい
平安京造営の最高責任者であった和気清麻呂による創建
824年に神護寺と命名された
広々とした境内は気宇壮大にしてエネルギーが満ちている
大師堂
留学していた唐から京都に帰った弘法大師は、当地にしばらく住んだ
ここで恵果から学んだ密教の教えを広め始めた
つまり、真言宗誕生の地
金堂(1623年再建)
本尊は国宝の薬師如来像
厳めしい表情と農婦のように逞しく肉厚な体つきが特徴的
左右に居並ぶ十二神像のダイナミックな動きにも目を奪われる
もう一つの目的であった国宝・五大虚空蔵菩薩像は期間限定の開帳(次は5/10~13)
今年7月には上野の国立博物館で神護寺展が開かれる
虚空蔵菩薩にも会えるといいのだが・・・
素焼きの小皿を谷に向かって投げる「かわらけ投げ」という験担ぎがある
戦国時代、武将が出陣する際、必勝祈願で盃を地面に投げつけていたのが起源
神護寺が発祥地とされているそうで、ちゃんと投げる場所がある
たしかに、何かを投げたくなるような絶景が広がる
神護寺に来たら、ここに来ない選択はない
1000年以上前、空海が見たまんまの景色である
京の都からこの深い山中まで、僧として最高位にいた最澄は密教の教えを請いに来た
最澄の謙虚さ、仏法への信心の篤さは見上げたものと思う
山腹にある茶屋でひとやすみ
客は3組ほど
小雪が舞っていた
もみじうどん(900円)
高雄バス停
清澄な空気の中、静かな谷歩きと名刹めぐりが満喫できた
今回の京都旅でつくづく感じたのは、外国人旅行客の多さであった。
それも実に多国籍。
京都タワーの周辺には民家を改造した旅籠(はたご)のような旅館がたくさんあって、洋風ホテルでなく和風の生活を楽しみたい外国客であふれていた。
昔からある路地裏の個人経営の喫茶店や食堂にも外国人の姿が見られ、店の人の応対ももはや手慣れたものであった。
今回ソルティが訪ねた中で外国人の姿を見かけなかったのは、一日目の風俗博物館と二日目の瑞泉寺だけであった。
ソルティのような京都好きの日本人でさえ、なかなか訪ねていかないところまで入り込んでいる。
インターネットとりわけSNSの力であることは言うまでもないが、それにしても、「なぜ、日本?」という不思議な思いは拭いえない。
たしかに日本には素晴らしい自然や文化遺産や工芸品がいっぱいあるけれど、それは日本に限ったことではない。
治安の良さや食べ物の旨いのは昔からだ。
やっぱり、相対的な物価の安さが大きいのだろうか。
一方、四国遍路にチャレンジする外国人の多さは、そればかりが理由ではないことを告げているような気もする。
21世紀初頭の日本が、世界にとってまさに「ジパング」になっていることの意味を考えさせられた。