ソルティはかた、かく語りき

首都圏に住まうオス猫ブロガー。 還暦まで生きて、もはやバケ猫化している。 本を読み、映画を観て、音楽を聴いて、神社仏閣に詣で、 旅に出て、山に登って、瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

  同行二人で行く四国遍路

● 本:『四国徧禮道指南 しこくへんろみちしるべ』(眞念著)

1687年初版刊行
2015年講談社学術文庫

 江戸時代の僧侶である眞念(?-1692)が、自ら何十回も挙行した四国八十八札所巡礼について、遍路を志す老若男女のために書き下ろした実用ガイドブック。旅の準備・心得、道順、ご本尊イラスト、御詠歌、宿を貸してくれる人、土地の伝承や見所など実用情報が満載で、現在あまた出版されている同種の本の元祖にして手本と言えよう。
 原文読み下しと現代語訳に加え、実際に眞念が歩いたルートを現代の2万5千分の1地図上に再現したページが付いていて、非常に興味深い。

 弘法大師の足跡をたどる四国遍路の起源は不明であって、それこそ空海の弟子真済(800-860)が遺跡を巡拝したのがはじまりという説もあるくらい古いのだが、現在の八十八ヶ所巡りが定番となったのは戦国から江戸時代初期にかけてらしい。眞念が本書を書こうと思い立ったのも、それまで行者や聖といった求道者のための修行の場であった四国遍路が、この頃から一般庶民に開かれてきたことが背景にあるようだ。

 読んでいて現在の遍路との違いが面白い。

1. 札所が現在と違うところがある
これは明治初期の神仏分離令によって、これまで神仏習合で一緒だった神社とお寺が分かたれて混乱が生じたためである。秩父34ヵ所札所巡礼でも同様のことが起こっている。当時の関係者の戸惑いはいかばかりであったろう。

2. 般若心経は唱えていなかった
巡礼と言えば般若心経であるが、眞念の心得によると、

男女ともに光明真言大師の寶号にて回向し、其札所の哥三遍よむなり

つまり、密教の光明真言と「南無大師金剛遍照」(弘法大師法号)を唱えた後、札所の御詠歌を3回読むと言っている。
ソルティは般若心経がどうも苦手で(とくに最後の呪文のところ)秩父巡礼でもよんでいない。よもやそれで功徳が減るとは思っていないが、こうやって弘法大師爾来のことではないと証明されるとすっきりする。
 
3. 男と女で道が違う
これは道中のところどころで女人禁制の拝所があったためである。

4. 身分差別の存在
松山の道後温泉にある第51番石手寺の記述(現代語訳)。

湯壺が全部で五つあります。まず鍵湯といって、雑人の入らない湯があります。この湯の中に薬師の石仏が安置されています。この足元から湧き出る湯は谷川のようです。二の湯は女性の入る湯です。三の湯は男の湯です。第四の湯は養生湯といって男女の別なく入ります。諸国の湯治の人が夜、昼別なく入ります。第五の湯は非人と牛馬が入ります。

5. 民宿はなかった
当然のことであるが、当時大きな町以外に宿はなかった。巡礼者はお堂や善意で泊めてくれる人を当てにするほかなかった。宿を施してくれる人の固有名詞が「かのみて村三右衛門宿かす」といったように掲載されている。現在ではちょっと考えられないことである。
 かのみて村(現・愛媛県松山市鹿峰)の三右衛門さんも、よもや330年後に自分の名前がこうして同じ日本人の目に触れることになるとは思っていなかったであろう。



十悪のわが身を捨てず そのままに
浄土の寺へ 参りこそすれ

(四国遍路第49番浄土寺御詠歌)


宝仙寺 017



● 本:『空海の風景』を旅する(NHK取材班著)

2002年中央公論社


司馬遼太郎の代表作の一つである『空海の風景』は映像化され、2002年1月NHKスペシャルで放映された。
本書は、担当スタッフらが、制作秘話を盛り込みながら、今度は活字で、天才・空海を描き出そうと試みたものである。
讃岐・奈良・室戸岬・長安・博多・京都(東寺)・高野山など空海が足跡を残したゆかりの土地を訪ねて、その今昔の風景描写を盛り込んでいるのは、先立つ映像作品と同様であろう。(ソルティは映像作品のほうは未見)

空海の人間としての大きさ、ふところの広さ、ダ・ヴィンチに匹敵する万能ぶり、密教(あるいは仏教すら)分からなくとも「お大師さま」を父母のように愛着する、今も昔も変わらぬ素朴な人びとの信心。
司馬遼太郎の原作や制作背景は置いといて、単純に空海の一つの伝記として読んでも楽しめる本となっている。


空海って、その名の通り、海のように「なんでも飲み込む」寛容さと、空のように「いつもそこにあって見守ってくれている」心強さが、最大の魅力なのだと思う。
つくづく、空海が日本人に残したのは、密教ではなく、お大師様教だったのだと思う。

本書に頻繁に(無自覚に)出てくるフレーズに、「中国から帰った空海は密教を日本に広めようとした」というのがある。
よく考えると、この言葉は矛盾している。
密教を広めることなんかできない。
秘密だから、一子相伝だからこその、密教なのだから。(この場合の「子」は弟子の意)
広められるものなら、それは密教でなく顕教である。

空海のような密教完成者がせいぜいできるのは、密教の効験の勝れていることを世に広めて、国家や民衆が密教に依存し、密教完成者(理屈ではこの世に一人しかいないはず)を神のごと天皇のごと崇拝するよう仕向けることであろう。
空海はそんなこと望んでいなかったと思う。
それとも庶民レベルの密教ってのがあるのか。
真言立川流?

空海にとって仏教とはなんだったのか。
この世とは、生きるとは、なんだったのか。
ソルティが本当に知りたいのはそこである。


宝仙寺 021

関頑亭作 : 弘法大師像(中野の宝仙寺)




● ソルティはかた、かく旅立てり

四国遍路にいくことになった。
仕事を辞めてフリーになったからには、それしかないだろうと――。

鐘付堂山&羅漢山 038


四国八十八ヶ所通し打ちは、若い時から、「人生で一度はやってみたいこと」の一つだった。
いつかその時が来るだろうと思っていたが、どうやら来たらしい。
今ならまだ体力的に(たぶん)可能だと思うし、周囲の状況も許せる。
養うべき家族もいないし、介護すべき親族もいない。
80代の両親はまずまず健康で、2ヶ月くらい顔見なくとも問題なかろう。 
経済的に余裕のあるわけでは全然ないけれど、2ヶ月分の旅費ぐらいは捻出できるだろう。
帰ったらまた頑張って働けばよい。

ありがたいことに、10年前区切り打ちで満願した友人や四国出身の知り合いがいて、いろいろアドバイスを受けることができた。(高知の道は軍手2枚必須です、ってのは笑った。どんな道だ!)

荷物は出来るだけ軽くしたいので、パソコンは持っていかない。
体力維持のため、基本、宿に泊まる。
日記はアナログ式にペンと帳面でつけることにする。
スマホは・・・・・
最後まで迷いに迷った。

道案内(GPS機能)やら、宿の予約やら、バスや列車の時刻調べやら、遍路同士の情報交換やら、役立つことは今さら言うまでもない。
だけど、スマホを持っていると、どうしてもスマホに頼ってしまいがちになる。
何かにつけポケットから取り出して、路上で、宿で、スマホ操作している自分が目に浮かぶ。
それはあまり好きな絵ではない。
地元の人に道を尋ねたり、宿の人に情報を教えてもらったり、ベテラン遍路に案内を乞うたり、心細いひとり旅ならではの、そうした人との交流の機会が減ってしまうのは本意ではない。
それに、道に迷って途方に暮れて、泣きたくなるところに見えた宿の灯りの安堵感こそ、遍路の醍醐味じゃないか、という気もする。
同行二人の相手はスマホじゃない。


多摩全生園 006
弘法大師


一方、GPS機能だけはあるにこしたことはない。
山の中で道に迷い遭難したら、ケガや死のリスクがあるばかりでなく、周囲にも多大なる迷惑がかかるからだ。(ソルティは愛媛にある西日本最高峰の石鎚山1,982mにも挑戦したいと思っている)
目の前にあるセーフティネットをわざわざ敬遠して、危険を冒すのも大人げない気がする。
ソルティが無事帰ってくることを願ってくれる人が一人でもいる以上・・・。
それに、やっぱり若さを頼みとすることは最早できない。
体調も、退職してからは上がり調子ではあるものの、万全とは言えない。

迷いに迷った挙句、スマホを購入した(2年ぶりである)。

でも、遍路を歩くときはなるべく使わずに、バッグの奥に水戸黄門の印籠のごと忍ばせておこうと思っている。
先人や「へんろみち保存協力会」の人たちが作ってくれた道標や紙地図を一番の頼りにしよう。


へんみち協力会地図表紙


というわけで、近日中に東京からフェリーで徳島入りします。
スマホがうまく使いこなせるようになったら、そして一日30キロ近い歩行のあとに気力体力残っていたら、道中経過をここに上げていきたいと思います。

それでは、お大師さまの大いなる袂に!


鋸山20161207 068


● 徳島入り

午後1時、フェリーしまんとは徳島港に着いた。
バスで徳島駅に。

今日は駅前のホテルに泊まる。
午後いっぱい中心街を歩き回って、四国の気に心身を馴染ませた。

通りかかった立派な仏具屋に入ったら、なんと寂聴尼ゆかりの店だった。
縁起良い(?)ので、納経書と納札を買った。

明日からスタート(^_^)


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秋雨に けぶる眉山や 初へんろ














● うっかり八兵衛

四国地方は台風前夜。

今日は早めに歩き終えて、宿に入った。
明日は丸一日、ホテルに缶詰めになるだろう(^_-)
三日歩き通しだったので、ちょうど良い骨休めだ。

そのあとに、四国遍路最大の難所と言われる焼山寺越えが待っている。

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ホテルの部屋から見た鴨島の町
間近にある山々がまったくかき消されている 


まだ三日しか経っていないのに、ディープな出会いに驚いている。
よもや坊さんとスピリチュアルトークすることになるとは思わなかった^_^;
非二元とか輪廻転生とか遍路にいる悪霊とか人身受け難しとか・・・
すべての話に付いていける自分が怖い(*^^*)

今日は大チョンボの発覚。

朝一番に8番寺まで歩いて御朱印をもらおうと納経帳を開いたら、なんと7番のページが真っ白!
昨日スキップしてしまったのだ((((*゜▽゜*))))

賽銭上げて、読経して、そのまま寺をあとにして、宿入りして、温泉入って、寝てしまったのである。

あまりの抜け加減に笑ってしまった。

笠や杖を置き忘れる話はよく聞いていたので身の回りの物には注意を払っていたのだが、まさか御朱印もらうのを忘れるとは!
盲点であった。
というか、うっかり八兵衛であった。

戻るのも面倒なので、7番の御朱印は最後にもらうことにする。
むろん交通機関を使って。

でもこれには、なんか意味があるのかも・・・


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雨の音がだんだん強くなってきた。
各地とも被害が少なくて済みますように!


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曼珠沙華 あらしの前の 狂い咲き








● 初接待

歩いていると、毎日なんらかのお接待をいただく。

初めての時は「これが噂の!」と新鮮な驚きに満たされた。

感心するのは、みんな渡し方がスマートで手慣れていること。
こちらに何の負担も戸惑いも感じさせず、止めた車の窓から「はい、お接待」と言って、こちらのお礼も待たずに、さっと去っていく。
習慣になっているのを感じさせる。

遍路体験記に必ずと言っていいほど書かれていることだが、やっぱりいただくと元気が出る。
足が軽くなる。

誰に頼まれたわけでなし、自己満足でやっている遍路なのに、それを見守ってくれている人がいることが、これほど力になるとは!

今日もまた交通の激しい国道沿いを歩いていたら、止めてあった車から降りてきた60がらみの男が話しかけてきた。
しばらく並んで歩きながら会話していたら、カバンに手を入れて何か取り出した。
「お接待かな?」と思ったら、
某キリスト系宗教団体のパンフレットだった。

そういうこともある。

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おせんべいとアメちゃんがパッキングしてある用意良さ!



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二日目に妙齢の女性から頂いた豆パン



初接待 真念どのに おすそ分け

マメに泣き 豆に喜ぶ 豆へんろ




● オフ中のオフ呂

今日は丸一日、雨だった。

焼山寺越えの疲れも残っていることだし、今日はオフにした。
遍路自体が人生のオフみたいなものだから、オフ中のオフってところか😁

いま泊まっているのは、徳島市内の朝食付き一泊3500円!!という安宿。
部屋はきれいだし、朝食はバイキング式で好きなだけ食べられるし、洗濯&乾燥も無料でできるし、パソコンも利用できるし、従業員の対応も良い。
お遍路だけでなく、出張中のリーマンにも人気のようだ。

ただ、連泊しても、日中11時から16時は部屋にいられない決まりになっている。
そこで、ネットで調べて、近場の温泉施設に出かけた。

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源泉掛け流しや炭酸風呂や塩サウナやジャグジーなどに2時間近く浸かって、足や肩の筋肉をほぐした。
浴後は、休憩所でゴロ寝して、東京から持って来た司馬遼太郎の「空海の風景」(中央公論)を読んでいた。

やはり空海と最澄の関係が面白い。
空海って、非常にしたたかな人間である。
機を見て敏に動く。
天才は間違いないけれど、宗教家には珍しいような戦略家という印象を受ける。

明日も雨の予報だが、遍路に戻る。
四国遍路第2の難所と言われる鶴林寺に向かって、山の中に入って行く。
さあ、歩くぞ!


そうそう。
浴後に体重計に乗ったら、開始前より約2キロ減っていた😆
これがまた歩くモチベーションになるのだ。






















● 海だ!!!

今日ようやく海岸線に到達した。

これまでずっと山の中や街の周辺だったのが、一気に視界が開けた。
徳島の海はコバルトブルーに照り輝いていた。

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抑えがたい開放感は、海を目の前にしたことだけではない。
四国遍路の難所トップ3(焼山寺、鶴林寺、太龍寺の山越え)を、無事クリアしたことがでかい。
今日の宿は日和佐というウミガメの産卵で知られる漁港だが、宿の女将がいうには、「日和佐までたどり着いた人は最後まで行ける」そうな😁

宿近くのスーパーマーケットで巻き寿司とカツオのたたきと山クラゲのお浸しを買って、防波堤に座って、暮れゆく日和佐の海を眺めながら、ノンアルコールビールで一人乾杯していたら、若い頃感じていたのと寸分たがわぬ旅情が甦ってきた。

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ウミガメも ふりだしに戻る 遍路かな





● 高知入り

高知に入った。

638mの水床トンネルを抜けたら、光溢れる高知が待っていた。

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国内外からサーファーが集まる、その名もホワイトビーチを擁する東洋町が、遍路にとっての高知入口である。朝から断続的に降っていた雨も上がって、夏の終わりのような陽光が浜辺に満ちた。

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海水に素足を浸したいというポエムな衝動に逆らいがたく、遍路スタイルを解除して、砂浜に降りた。
浜辺の東屋で潮騒を子守唄にうたた寝した。

遍路とサーファーが同宿する町。
両者を繋げているのは「海」という一文字。


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高齢者施設の看板。
高知らしい命名だけど、まず入居したくない、働きたくないなあ~😏

サーフボードの 隣りに杖を 置く夕べ



追記:むろん、この「慎太郎」とは、幕末の志士の一人である「海援隊」の中岡慎太郎のことである。









●  岬めぐり

東洋町を過ぎてから室戸岬までの約40㎞はほぼ海岸線を歩く。右手に山、左手に海、いくつもの岬と港や浜辺を繰り返しながら、国道55号を延々と行く。

日和佐で同宿した遍路経験ある女性が、「寺もなく、気晴らしになるものがないから、ここが一番しんどい」と言っていた。ソルティは逆に「こんな快適な道はない」と思った。
人それぞれ、何をしんどく感じるかは異なる。
意外なことに、ここまでの遍路路は思ったより楽だった。山歩きや秩父巡礼、なにより介護の仕事で、足を鍛えていたことが大きいようだ。

高知の岬めぐりをしていると、いろいろ気づかされることがある。
ひとつは、植生の変化。
やはり南国である。

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庭先のハイビスカス


いまひとつは、津波対策。
どの町にも鉄骨の津波避難タワーというのが立っている。それが町で一番高い建物だったりする。
高知出身の友人からのメールによると、昨晩泊まった東洋町は、10年ほど前に核の最終処分場に手を挙げて、高知で大揉めになったそうだ。3.11が起こって話は立ち消えになったらしい。
そもそも、津波対策が必要な町に核処分場をつくる、という発想がどこから出てくるのだろう?

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海が悪いのじゃない。
人が愚かなのだ。

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180度の海 中心点は空なる私






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