ソルティはかた、かく語りき

東京近郊に住まうオス猫である。 半世紀以上生き延びて、もはやバケ猫化しているとの噂あり。 本を読んで、映画を観て、音楽を聴いて、芝居や落語に興じ、 旅に出て、山に登って、仏教を学んで瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

●ほすぴたる記(2019年12月踵骨骨折)

● ほすぴたる記 1 転落

今朝、通勤途中に駅のホームの階段から落ちた。

ほぼ階段の中ほどでつまずき、そのまま前のめりに頭から突っ込みそうになった。
どういう反射をしたのか分からないが、とっさにもう一方の足が出て、階段を蹴った。
そこから空中を泳ぎながら、数十段ジャンプしてホームに着地、勢い余って転がった。

おそらく、家の2階の窓から飛び降りた以上の衝撃だった。

自分も驚いたが、周囲はもっと驚いたようだ。
何人か駆けつけて声をかけてくれた。

外傷や痛みがないか確かめながら、ゆっくり身を起こすと、左足首に強い痛みを感じた。

しばらくしゃがみ込んだ状態で足首をさすったが、異変あるようだった。
ホームの柱に捕まって、ゆっくり立ち上がったら、左足を地面につけることができない。
歩くのもままならない。

立ち往生していたら、駅員が3人降りてきた。
親切な人が伝えてくれたのだ。

駅員が持って来た車椅子に乗ってエレベーターを上がり、駅員室に運ばれた。

痛みが続く。 
左足が動かせない。

「救急車を呼んでいいですか?」

これはそのレベルだと思った。

患者の付き添いではなく、当事者として乗る初めての救急車!
サクサクと必要な処置をし、搬入先を探す救急隊員のプロフェッショナルに感心する。

運ばれたのは自宅から歩いて20分ほどの大きな総合病院。
まずはひと安心。

良くて捻挫か脱臼、悪ければアキレス腱か骨折。
とりあえず、職場と自宅に連絡とった。
こういうとき携帯は便利だ。

触診やレントゲンやCTや心電図や肺活量や採血や、一通りの検査が済んだ。
その間に両親もやって来た。

ノートパソコンの画像を示しながら、若い男性医師は言った。
「くるぶしの骨が折れています。入院して手術したほうが良いでしょう」

起こったことは仕方ない。
医師の指示に従って、そのまま入院手続きをとった。

申しわけないのは職場の仲間たちに対して。
人手不足の折にこんなことになってしまって……
病室に落ち着いたあと、意を決して電話をかけ、状況を説明し、当分働けない旨、伝えた。
ここまでで事故から3時間余り。

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手術まで、腫れないように左足首を固定して冷やす。
痛み止めを出してもらう。

午後はズキズキする痛みと付き合いながらウトウト過ごした。

夕食終え、これから夜である。

考えてみたら、入院するのは50年ぶり。
小学1年の秋、交通事故に遭ったとき以来である。

災難と言えば災難だが、あの高さからあの落ち方をして、足首以外なんともなかった、前方に人がいなかった、ホームから転落しなかった、たまたま列車が来ていなかった、のは幸いと言うほかない。

ついているのか、いないのか?


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病院食も久しぶり





























● ほすぴたる記 2 遠慮

入院第一夜は、案の定、眠れなかった。

夕食後に飲んだ錠剤の効果が切れた深夜あたりから、左足のズキズキ痛に悩まされた。
痛みには波があって、「もう辛抱たまらん。夜勤スタッフを呼んで薬をもらおう」と、ナースコールに手が伸びるや、スウッと引いていく。
その繰り返しは陣痛のやう?

消灯時に美人ナースが、「痛かったら、我慢しないで呼んでくださいね」と言ってくれたのに、なかなかコールが押せない。
職業病だ。
深夜の病棟のあちこちから響くナースコールと、そのたびに訪室する夜勤スタッフのパタパタという足音は、介護施設で同じような立場で働いているソルティを十分遠慮がちにする。
「なるべくスタッフの手を煩わせたくない」と自然思ってしまうのだ。
そしてまた、最新のペインコントロール技術で痛みをすっかり消してしまうことに、なんとなく違和感というか罪悪感というか、おかしな気持ちがある。
「骨を折ったのだから、このくらいの痛みは当然だ」
「ちょっとくらい苦しまないと、病人らしくない。迷惑かける同僚たちにも申しわけない」
「今こそ、感覚を観察することで“私”の虚構性を見抜くヴィパッサナ瞑想の出番じゃないか」
やせ我慢なのか、マゾなのか、修業熱心なのか、単に小心者なだけなのか、自分でもよく分からないが、朝まで思い出したように、「痛み、痛み…」と実況中継していた。

翌朝、眠れなかった旨を美人ナースに伝えると、座薬を出してくれた。 
ケツから挿入してしばらくしたら、ウソのように痛みが曳いた。
ベッドから車椅子に移って、気持ちよくシャワーを浴びられた。
「なんでもっと早く頼まなかったんだ、われ?」

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仕事がら病院にはよく行く。
入退院手続きを手伝ったり、お見舞いに行ったり。
病室の様子もフロアの雰囲気も見慣れているので、目新しいものはない。
あちこちから聞こえるナースと認知症患者のトンチンカンな会話も、車椅子から立ち上がって歩き出そうとする患者への叱咤の声も、リハビリ職員が患者を励ます声も馴染みである。
普通なら非日常となる入院生活が自分にとっては日常の延長のよう。
違うのは、いつもとは立場が違うことだ。
ケアする側だった自分が、ケアされる側になっている。
やはり、される側になってみると、いろいろ気のつくことがある。

たとえば、いま排尿はベッド上で寝たままの姿勢で尿瓶を使っている。
この作業がなかなか難しい。
うまい体勢と正しい尿瓶の向きと適切な発射角を作らなければ、出した尿が逆流し、布団にこぼれてしまう。
自分のような短い“クダ”の主ではなおさらだ (*^^*)
毎度ハラハラしながら排尿している。

患者の苦労や気持ちを知るために、こういう経験も必要なのだろう。

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ベッドで尿瓶を倒さないで♪










● ほすぴたる記 3 労災

入院3日目。

今日はやっとが出た。
ほぼ毎日通じのあるソルティにしてみれば、中2日出ないのは結構な便秘である。
朝方、ナースが言った。
「今日一日出なかったら、夕食時に液体状の下剤を飲みましょう」
(やっぱ来たか)

看護・介護の世界では、中2日マイナス(通じなし)で何かしらの処置をするのが一般。
下剤を入れたり、浣腸したりする。
「はい、お願いします」

昼食は肉うどんだった。
一日動かないので全然腹は減っていなかったけれど、うどんは好物なので頂いた。
そのあと、しばらくして催してきた。
遠慮なくコールを押して(成長😁)、車椅子に移乗、トイレに連れて行ってもらった。

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スッキリした午後は、見舞いに来た親戚と話したり、読書したり、テレビ見たり、昼寝したり、労災保険についてスマホで調べたり、のんびり過ごした。

通勤途中に起きた事故なので、労災が適用となる。
通常の医療保険より断然おトクなのだ。

医療保険は自己負担3割である。
ただ、入院や手術の場合、かかった費用の3割でも高額になることが多い。
その場合に使える福祉制度として、高額療養費制度がある。
ひと月にかかった医療費の自己負担分について、あらかじめ決められた金額(上限額)を超えた分は払わなくてもいい制度である。
たとえば、住民税非課税世帯の場合の上限額は35400円、それ以上については医療保険から補填される。

一方、労災保険は基本全額が保険から支払われる。
自己負担なし。
むろん、高額療養費制度は関係ない。
その上、ケガや病気で仕事を休んでいる間について、給与の8割程度が支給される休業補償というのがある。
使わない手はあるまい。

この制度は自己申請が原則なので、知らずにいつもどおり保険証を出して医療保険を使ってしまうと、損をする!
病院は患者がいずれの保険を使ってもお金はちゃんと入るから、特に教えてくれない。
自分の場合も、入院時に高額療養費制度の申請書類を渡された。
そのまま申請したら、自動的に医療保険扱いになってしまっただろう。
社会福祉士資格試験の勉強がこんなところで役に立った。

ただ、これも労災保険(雇用保険に含まれる)に入っていてこその権利である。
しっかりした雇用契約のもとで働くことはやはり大切なのだ。

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ベッド周りの風景














● ほすぴたる記 4 エリーゼのために

静かな日曜の夜。
入院4日目。

いまのところフロアは寝静まっている。
数時間もすれば、早々と床入りしたため早々と目を覚ました認知ばあちゃんが、ベッドから起きて歩き出そうとし、床に仕掛けられたセンサーが鳴り響くだろう。
何度も!
そのメロディーは聞き知っている。
ベートーヴェン「エリーゼのために」。

そこからは、あちこちからのナースコールや、夜勤スタッフと患者の会話や、スタッフ同士の眠気覚ましのおしゃべりが朝まて続く。
病院の夜は意外に賑やかだ。

このエリーゼばあちゃんには驚かされる。
一日中、起きている間はひっきりなしに喋っているのだ。
他の患者や病院スタッフと話してない時は、独りごとを言っている。
その7割は愚痴やクレームである。
彼女の最大の悩みは、自分で立って歩きたいのに、周りが許してくれないことにあるようだ。
車椅子から立って歩こうとする彼女と、それをなんとか押しとどめようとするスタッフの不毛なやりとりが、ソルティの寝ている病室まで届いてくる。

「わたしゃ、トイレに行きたいだけなんだよ! 行っちゃいけないのかい?」
「じゃあ、一緒に行きますから、まず車椅子に座ってください」
「いいよ、子どもじゃないんだから。一人でいけるよ」
「ダメです。転ぶと危ないから、ちゃんと便器に腰掛けるところまでは見守らせてください」
「あんた、わたしのお尻が見たいのかい?」
「・・・・」

ボケてるエリーゼと孫世代の若いナースとの会話は漫才のようで、結構笑える。
エリーゼのマシンガンクレームにいい加減ぶち切れたナースが押し黙る空気が伝わって来て、心の中で「がんばれ、ナース!」と応援してしまう。

残念ながら、ソルティがベッドから降りてフロアに行けるのは、の時か入浴時だけなので、いまだエリーゼの顔を知らない。
声や話し方からすると、90才は超えているように思う。
困り者の反面、天真爛漫なふうがあり、憎みきれないキャラのようだ。

とにかく、朝から夜まで喋り続ける無尽のパワーには感嘆する。
ソルティの経験から、こういうタイプはおばあちゃんに多く、おじいちゃんには滅多いない。
ジャンダー差を思ってしまう。

退院までにはエリーゼの顔を見たいものである。

ほら、センサーが鳴り出した。

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若き日のエリーゼ?












● ほすぴたる記 5 インフォームドコンセント  

 入院5日目。
 今日は忙しかった。

 午前中に、麻酔科の医師から明日の手術で使う麻酔について説明を受けて、署名した。いわゆるインフォームドコンセント。
 局所麻酔でなく、全身麻酔するとのこと。意識を失っている間にすべてが終わっている。意識のワープと言ったところか。
 初めての体験にワクワクする。幽体離脱しないかな~(^_^;)

 そのあと入浴して体を清める。
 オペ中は上半身は心電図等つけるため素っ裸、下半身はケガしていない右足に弾性ストッキングをつける。術後の安静により足の循環が悪くなり血栓ができやすくなる、いわゆるエコノミークラス症候群を防ぐための処置だ。
 全裸にストッキング一枚?
 なかなか変態チック。
 肌を磨いておかねば!

 午後からは執刀医によるインフォームドコンセント。家族も同席した。
 なんでも、ズレてしまった踵の骨の向きを元に戻し、足裏の骨とビスで固定するらしい。骨が穿たれるわけだ。
 抜糸は術後2週間、ビスを抜くのは半年後以降となる。

「それまでは松葉杖ですか?」と聞く。
「いや、1月末には杖を使わなくとも歩けるでしょう」
「退院はいつ頃になりますか?」
「早ければ手術の翌々日には帰れますよ」

 足の骨を折ったら、数ヶ月はぶ厚い石膏ギブスをつけて松葉杖で歩くイメージがあったので、意外であった。骨接ぎ業界もいろいろ進化しているのである。

 病室に戻ってナースから手術前後の諸注意を受ける。
 開始時間は正午前。栄養補給はオペ終了まで点滴となる。点滴するためのチューブを右腕の血管に刺した。

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 そのあと、妹が差し入れてくれたコミックを読む。
 苑場凌&JKS12による『刑務所でマンガを教えています』(2018年、株式会社KADOKAWA発行)

 山口県美祢市の「社会復帰促進センター(犯罪傾向の進んでいない初犯の人を収容する刑務所)」で、刑務作業の一環として、苑場はマンガの背景の描き方を受刑者に教えた。
 受刑者のやる気と技術向上は著しく、ついには苑場の作品の背景を担当し、コミック本となって世に出せるまでになった。
 集中力と忍耐力とチームワークを要求される背景画を完成させる作業を通して、受刑者らが前向きに変わってゆく姿は感動的である。社会復帰につながることを切に願う。
 また、スピリチュアル漫画と言ってもいいくらい不思議なエピソードも描かれ、「縁」について考えさせられる。
 超オススメ。さすが我が妹!

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 夕刻、職場の人が遠路はるばる見舞いに来てくれた。労災保険の申請書類を持って。
 ありがたいことだ🙏

 ソルティもまた、頑張ってリハビリして、社会復帰せねばなるまい。

















● ほすぴたる記 6 オペ

手術が終わった。

 手術台の上で、ふっと気が遠くなって、気がついたら2時間半が経過していた。最初に感じた息苦しさは、人工呼吸器を外したのに自発呼吸がすぐには甦らなかったせいか? 生まれたばかりの赤ん坊みたいだった。

 病室に戻ってからも麻酔は完全に抜けず、重い疲れとぼっーとした感覚が続いた。
 麻酔が抜けるにしたがって左足の痛みが起こった。事故後あるいは最初の夜に感じたよりも強い痛みが。
 ナースコールして、鎮痛薬を滴下してもらったら、40分ほどして楽になった。
 ペインコントロール技術に乾杯🍻

 実を言えば、手術そのものよりも、尿バッグをつけるためにカテーテルをペニスに入れられるのが嫌だった。
 入れる時は麻酔中だから痛くないだろうが、抜く時が痛いんじゃないかと恐れていた。
 そもそもペニスに管を入れられるってのに、生理的恐怖がある。今のように良い抗生物質がない時代、淋病治療するのにペニスの先から歯ブラシを入れて尿道をこすったという話をその昔体操教師から聞いて、文字通り“縮み上がった”ソルティである。(この話、本当なのか、デマなのか?)

 しかるに、術後一番に気になった下半身には何ら違和感なかった。
 導尿しなかったのである。

「手術前に排尿あったし、ここ数日の様子見たら排尿回数少なかったので、導尿はしませんでした」とナース。

 やった!
 入院してから水分を意識的に抑えていたのが功を奏した。

サメ先生


 手術前の不安はまったくなかった。
 たかだか骨折の整形手術にすぎないってこともあるが、起床してから手術までの間、なかなか愉快なマンガを読んでいたからである。
 森本梢子の『高台家の人々』(集英社)。

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 他人の心が読めるテレパシー能力を持つ美形3兄妹弟と、妄想癖のある地味なOLとが繰り広げるラブコメである。
 森本梢子=『ごくせん』の作者と言えば、だいたいの感じはわかってもらえよう。
 このマンガのおかげで、手術まで気楽に過ごすことができた。

 マンガの神様、ありがとう <(_ _)>




● ほすぴたる記 7 老々介護

 術後一日め。

 午前中つらかった足の痛みは、午後になったら和らいだ。
 午後はベッドに腰掛けて、労災保険の申請書類をしこしこ書いた。文字が小さくて目が疲れる。

 病室は5階にある。
 西側に窓があって、眺めが良い。畑、住宅、学校、鎮守の森が不規則に並び広がる彼方に、晴れた日は富士山が見える。
 そう、ソルティは幸運にも窓側のベッドにいる。

 4人部屋、満床である。
 ドアを入って左側に2床、右側に2床、ソルティは右手奥にいる。
 カーテンで仕切られた一人分のスペースは四畳半くらい。テレビ、冷蔵庫は有料、電源は自由に使える。昨今は院内の携帯電話やネットの使用はうるさく言われないようだ。若い患者にとってスマホ無しの生活など苦痛以外の何ものでもあるまい。

 ソルティがここに入ったとき、カーテン一枚隔てた隣りのベッドは空いていた。
 手術が無事済んだまさに昨夜、というか草木も眠る今朝2時半、男が救急搬送で運ばれてきた。
 目が覚めていたソルティは、カーテン越しの騒動に聞き耳を立てた。というより、嫌でも聞こえてくる。
「痛いよ~、痛いよ~、痛いよ~」と絶え間なく繰り返す老いた男の声。
 ストレッチャーから「せえのオ!」でベッドに新患を移し、病院用ガウンに着替えさせ、オムツをつけ、バイタル測定し、点滴の準備をし、体位を保つためのクッションを体のあちこちに差し入れるナースたちの手慣れた様子。その間もひたすら「痛いよ~、痛いよ~」とわめき続ける患者。
「今痛み止め入れたから、すぐに効いてくるから、それまで我慢だよ」と言い残してナースたちは立ち去った。その風情たるや、立つ鳥あとを濁さず。
 その後30分近く、ソルティは隣りから聞こえる「痛いよ~、痛いよ~」に付き合っていた。

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 今日は薬のおかげで隣人の痛みは落ち着いているらしい。ときおり、いびきも聞こえてくる。
 昼過ぎに奥さんが見舞いに来られた。姿は見えないが、二人暮らしの老夫婦のようだ。
 くだんの夫は、重い荷物を持った拍子に腰を痛め、医師にぎっくり腰と診断され「絶対安静」の指示に従い、自宅で10日間ばかり寝ていた。が、痛みは強まるばかり。我慢できずに昨夜ついに救急車を呼んだ。当病院での深夜の診察の結果、腰の骨が折れていた。
 痛いはずだ 😰😰😰

 老夫婦の会話を聞くともなしに聞いているのだが、珍妙というか滑稽というか、いや、他人事なれど心配になる。
 というのも、どうやら夫のほうは軽い認知が始まっている上に、目がよく見えない(緑内障か?)苛立ちやすい気質で泣き言も多い。妻のほうは腰痛持ちの上に耳が遠く、性格はトロい感じで愚痴っぽい。二人の噛み合わない会話、すれ違う気持ち、進まない段取りに思わずカーテンを開けて介入したくなる。

 一人息子が近くに住んでいるらしいのが、すぐには来られないなんらかの事情が伺える。

 しばらく、老々介護の現実を学ばせていただこう。









 




● ほすぴたる記 8 ケガの功名

 術後2日目。

 今日からリハビリが始まった。
 迎えに来た理学療法士の青年と共に車椅子で1階に降りて、広いリハビリ室で松葉杖の手ほどきを受けた。
 片足なれど、久しぶりに歩いた。頭から足裏に抜ける1Gが新鮮である。
 早く自分の足でトイレに行けるようになりたいものだ。真夜中にジョロジョロ音を気にしながら尿瓶を使う生活から卒業したい。

 とはいえ、尿瓶のおかげで自らの尿状態が観察できたのは良かった。この一週間、オシッコがみるみるきれいになっていくのが一目瞭然であった。
 食生活改善の影響である。
 病院提供の量の少ない三度のメシ以外は食べなかった。夜6時半以降は物を口にしなかった。食事に入っている以外の水分はペットボトルの水とお茶だけで、普段一日4~5杯飲んでいる砂糖入り紅茶やコーヒーは飲まなかった。もちろん、アルコールも😎
 見舞客に頼んで、食べようと思えば、飲もうと思えば、何でも好きな物を飲み食いできただろうが、一日動かないでいるせいか、あるいは痛みのせいか、食欲が湧かなかった。

 透き通った水のような無臭のオシッコはそのまま飲めそう。
 むろん、この入院生活で体重も減ったことだろう。内臓も休めたことだろう。
 文字通り、ケガの功名である。

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 一週間の入院生活で気づいた「あったら役立つ備品リスト」

〇レジ袋・・・・汚れた下着類を入れる
〇アイマスク・・・・昼間眠るときに
〇耳栓
〇ヘッドホン・・・・イヤホンは耳から抜けやすい。小型で軽量のものがあればGood
〇消臭スプレー
〇S字フック・・・・ベッド柵に引っ掛けて使う
〇マジックハンド・・・・ベッドやテーブルからともかく物が落ちやすい。簡単に体を動かせない状態のときはあると非常に便利。百円ショップのオモチャコーナーで売っている。

 次に入院するときは、忘れずに用意しよう!😁😁😁

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● ほすぴたる記 9 ナイチンゲールの誓い

術後3日め。

 西村京太郎の十津川警部シリーズ『篠ノ井線・姨捨駅 スイッチバックで殺せ』(2013徳間書店、2019双葉社)を読む。

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 推理小説としては箸にも棒にもかからない凡作だが、最後まで読ませてしまうのは、さすが天下のベストセラー作家の技量。
 改行が多く、一文一文が短く、句点が多く、難しい漢字がなく、会話が多い。ストーリーも分かりやすい。赤川次郎と同じ。
 入院中の読み物としては、マンガやこうした軽い小説が良い。頭を使う小難しいものや、深刻なあるいは深遠なテーマを追求したものは、敬遠したい。
 個室だとまた違うのかもしれないが、相部屋は気が散る要素が多すぎるのだ。

 日中は、部屋を共有する4人のもとに、なんやかやと訪れる者がいる。
 家族や友人などの見舞客、医師、ナース、リハビリ職員、栄養士、薬剤師、ソーシャルワーカー、掃除スタッフ。中でもナースは、バイタル測定、オムツ交換、食事の配膳、注射や点滴などの処置、トイレや入浴のための移動介助、そして患者のコール対応・・・と、しゅっちゅう出たり入ったりしている。
 おそらく、日中なら15分に1回、夜間なら1時間に1回、部屋に誰かがやって来ては4人のうちの誰かの用を足していく。
 また、部屋のドアは開けっ放しなので、ロビーやナースステーションの物音や会話やテレビ音声がまんま入ってくる。
 この機会に静かにゆっくり過ごそう、普段読めない大作を読もう、という初めに持っていた野望は見事くずおれた。 
 病院がこんなに騒々しいとは!
 安静を保ちたいなら自宅に限る。

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今日はこんな人まで訪れた!
・・・・いいけどね


 そんな雑多なる騒音の渦の中で、ひとつ気になるものがあった。
 毎朝、朝食が済んで歯みがきを終えて布団の中で一息つくタイミングで、ナースステーションからスタッフが何かを唱和する声が聞こえる。
 言葉はよく聞き取れないのだが、「我はなんたらかんたら、我はなんたりかんたり・・・」と、西洋の教会のミサで耳にするやうな、古めかしい詩文めいている。仕事に入る前に気持ちを整える祈りのようなものか。
「おや、この病院はキリスト教系だったのか?」
 スマホで調べてみたが、そんな感じはなかった。

 朝のミーティングでの日課らしい唱和を連日聞いていたが、ある日、唱和の前に一人のスタッフがこういうのが聞こえた。
「ナイチンゲールなんとか」
「!!」

 スマホで調べて、すぐに分かった。

ナイチンゲール誓詞

 看護師なら知らぬ者はいない、看護学生なら誰でも暗唱した覚えがあろう、有名な詩文だった。
 
ナイチンゲール誓詞とは、現代看護の創始者フローレンス・ナイチンゲールの偉業を讃え、1893年アメリカ合衆国ミシガン州デトロイト市にあるハーパー病院のファーランド看護学校の校長リストラ・グレッターを委員長とする委員会で「ヒポクラテスの誓い」の内容を元に作成されたものである。 (ウィキペディア『ナイチンゲール誓詞』より抜粋)

われはここに集いたる人々の前に厳(おごそ)かに神に誓わんーーー
わが生涯を清く過ごし、わが任務(つとめ)を忠実に尽くさんことを。
われはすべて毒あるもの、害あるものを絶(た)ち、
悪しき薬を用いることなく、また知りつつこれをすすめざるべし。
われはわが力の限りわが任務の標準(しるし)を高くせんことを努(つと)むべし。
わが任務にあたりて、取り扱える人々の私事(しじ)のすべて、
わが知り得たる一家の内事(ないじ)のすべて、われは人に洩(も)らさざるべし。
われは心より医師を助け、わが手に託されたる人々の幸のために身を捧(ささ)げん。


スッキリ (´▽`)ノ

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🎅からのXmasプレゼント(タオルです)


※あとから知ったが、ナイチンゲール誓詞の唱和は日課ではなく、このときたまたま看護実習生が来ていたからであった。





● ほすぴたる記 10 ギプスをつくる

 ほすぴたる記も10を数えてしまった。
 一週間程度で退院できると思っていたのに・・・。

 昨日から車椅子自操OKになった。一人でトイレはもちろん、エレベーターで階下に行って売店で買い物もできる。ラウンジでコーヒーも飲める。
 車椅子の扱いならまかせてよ! 車椅子寅次郎の異名を持つソルティである。
 ベッドに根を生やした生活を脱して行動範囲が広がった。気分的にずいぶん楽になった。

 自力でトイレに行ける安心感のためか、排便が3回もあった。
 介護の教科書には、介護高齢者が便秘になる原因として、たとえば水分不足や運動不足や消化力の衰えなど、いろんな原因をあげている。加えて、介護してくれる者への遠慮というのも大きいんじゃないかと思う。他人の手を煩わせたくなくて、知らず腸が緊張してしまうのだ。

 ギブスも作った。
 骨折治療のギブスと言うと、石膏でカチンカチンに固めて、マジックで落書き、何日も洗っていない蒸れた皮膚の発する悪臭に耐えること幾十日、鏡開きのごとく「ギブスを割った」日を祝う、というイメージがある。40年前の右腕骨折ではまさにそうだった。
 しかし、今やそんなイメージはそれこそ、石膏のごと凝り固まった古いものだ。
 今の主流は、重くて固めるのに時間のかかる石膏製ではなくて、より軽くてスピーディーに固まるグラスファイバー製なのである。
 これなら、縦に二つ分断した状態で患部につけることができるので、適宜取り外しが可能。患部を洗ったり、マッサージしたり、少しずつリハビリしたりできる。血行不良や筋肉硬化や嫌な臭いや掻くことのできない痒みに苦しめられることがない。
 素晴らしきかな、科学技術!

 ちなみに、ここまでギブスと書いてきたが、正確にはギプス(gips)である。

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寝る時は足の背面部分だけの装着にして不快感を減らす



 昨晩はテレビで『スターウォーズ フォースの覚醒』(2015)を観た。
 「相も変わらず、大宇宙を舞台の家族のトラウマドラマをやっているなあ~」と“全米”らしさにあきれたが、時の経つのを忘れる面白さは健在だった。3時間近く観ている間、足の痛みをまったく忘れていた。フォースの力?
(それにしても、実の父親と実の息子が揃ってダークジェダイとは、レイアの業は深い)

 今日は友人が見舞いに来てくれた。
 バナナやプリンと一緒に、待望のマジックハンドを買ってきてくれた。
 これこそ、今のソルティのライトセイバーである。

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