ソルティはかた、かく語りき

東京近郊に住まうオス猫である。 半世紀以上生き延びて、もはやバケ猫化しているとの噂あり。 本を読んで、映画を観て、音楽を聴いて、芝居や落語に興じ、 旅に出て、山に登って、仏教を学んで瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

●ほすぴたる記(2019年12月踵骨骨折)

● ほすぴたる記 その後3 (事故後50日)

 事故後に応急処置でつけたシーネ(副木)や手術後に作ったギプスによる長期の固定で、左足首や足指の筋肉はすっかり硬くなってしまった。リハビリの主軸は、筋肉をほぐし、可動域を広げ、できる限り事故前の状態に近づけるところにある。
 
 前回(12/14)ギプスを作った時、左足のふくらはぎと足の裏の線がつくる角度は、およそ120度で固定された。そこから、体の前方(すね方向)に倒す=120度未満にすることも、後方(ふくらはぎ方向)に倒す=120度以上にすることもできなくなった。(下図参照)
 怪我をしていない右足はどうかと言うと、前方は70度まで、後方は150度まで倒すことができる。つまり、かかとを支点に前後80度の可動域がある。ソルティはもともと体が硬いので、たいがいの人はもっと大きい可動域を持っていると思う。
 怪我した左足を右足と同じレベルまで戻すには、前方に120-70=50度分、後方に150-120=30度分、余計に倒せるようにならなければいけない。それができなければ、普通に歩くことも、正座することもままならない。

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足首可動域図(角度はアバウト)

 週に2~3回通院してはリハビリ担当者(20代の青年)と雑談しながら小一時間頑張り、自宅では夕食後に茶の間でテレビを観ながら自主リハビリしている。タオルやゴム紐を使ったり、ストレッチしたり、足の裏でゴルフボールをころがしたり・・・。
 最初のうち感じた痛みやしびれは、だんだん曳いていった。むくみだけは最後までとれないらしい。
 現在の可動域は、前方に95度、後方に135度くらい、合わせて40度である。
 まだ道半ばってことだ。

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 数日前にギプスを巻きなおした。
 角度を修正して、100度くらいになった。 
 ただ、ギプスをつける時間が長いと、またそこで足が固まってしまうので、いまは外出時のみつけるようにしている。家にいるときは(寝ているときも)外している。いつでも気が向いたときに足首をクキクキ動かし、足指を曲げたり伸ばしたりしている。
 
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2代目ギプス
(足底に荷重用ヒールをつけている)

 
 今一番やりたいことは、温泉である。
 好きな時にふらっと遠出して、せせらぎや鳥の声を聴きながら露天風呂に入ることが、どれだけ幸せなことか!
 秩父34札所巡礼のときに行った秩父満願の湯に入って、秩父名物「わらじカツ」を食べながらビールを飲むことが、最大のモチベーションになっている。




 

● ほすぴたる記 その後 4(事故後60日)

本日、ふたたび入院した。
抜釘(ばってい)手術、すなわち前回かかとの骨を整復し固定するのに入れたビスを、抜き取る手術を、明日行うためである。

今日は、同意書にサインしたり、レントゲン撮ったり、前回同様、腕に点滴用ルートを作ったりした。
2度目ともなると、そして今回は難しいオペではないので(局所麻酔だ)、気分的に楽である。

前回の退院後、部屋にこもりがちなブタな日々を送っていたので、いい気分転換になる。

今回はちょっと贅沢して、一日1500円プラスの特別室を選んだ。
前回と同じ4床の相部屋でも、お隣りさんとのしきりがカーテンでなく、チェスト付きの壁になっている。
個室感&セレブ感が高い。
ナースステーションや共用ラウンジからも離れているので、前回の部屋よりずっ~と静かで、とても落ち着く。

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しかも、テレビと冷蔵庫は使い放題(利用料に含まれている)である。
さっそく、冷蔵庫を埋めるべく、買い出しに出かけた。

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今のところ遠足気分😎

そうそう。
入院手続きを済ませ、エレベーターで病棟に上がったら、目の前のナースステーションで塗り絵をしていたのは、懐かしきエリーゼであった。

まだ入院していたのか!












● ほすぴたる記 その後5 記念品

 オペが終わった。

 午前中の患者のオペが長引いて、午後1時開始の予定が4時半になった。

 待っている間、道尾秀介の『向日葵の咲かない夏』(新潮文庫)を読み終えた。
 生まれ変わり(輪廻転生)をテーマに絡ませたミステリーで、その点は新機軸だけれど、推理小説としては感心しなかった。
 登場人物たちが死んでもすぐに生まれ変わっちゃうという設定が、肝心の殺人自体を卑小に感じさせてしまうのは致し方あるまい。
 ただ、ダークファンタジー作家としての道尾の才能は十分認められた。
 手術前不安を緩和してもらえたストリーテリングにも感謝!

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 4時半に手術室入りして、なんやかんやと準備に時間がかかり、麻酔注射を打った時は5時を回っていた。

 足元から家庭内手工業的な音がする。異和感はあるが、痛くはない。
体の緊張と心拍音の上昇は、実際の痛みのせいではなく、痛みを予期してしまうからだ。
 局所麻酔は全身麻酔に比べ侵襲性が低いと言われるのだが、心臓と精神には良くない。
 とはいえ、華岡青州の時代と比べたら天国である。

痛み、痛み、痛み、音、音、音、(おなかの)膨らみ、膨らみ、膨らみ・・・・

 ここぞとばかり、ヴィパサナ瞑想していたら、オペの終わり頃に波動が変わり、脳内ルクスが上がった。

 オペにかかった時間は正味15分、一番痛かったのは、結局、麻酔注射だった。

 5時半に病室に戻って数独していたら、術前説明時に担当ドクターに頼んでおいた品物が届けられた。

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 これでアクセでも作ろうか!


● ほすぴたる記 その後6 陣痛未満

昨夜は塗炭の苦しみを味わった。

局所麻酔が切れた20時頃から、痛みがカメレオンのように忍び寄ってきた。
夕食後に飲んだロキソニンの効果がまったく望めないと見切りをつけた21時半、ナースコールを押して坐薬を頼んだ。
前回は坐薬にずいぶん救われたのだ。

痔持ちのソルティは、坐薬挿入には慣れている。
肛門の粘膜から吸収された薬効成分が血管に入って、全身を巡り、神経をマヒさせてくれるさまを思い描き、しばらく痛みに耐えていた。

が、いっこうに楽にならない。

「あの坐薬、さてはプラシーボだな?」
と、夜勤ナースを疑う始末。
もはや、入院初日の遠足気分は完全に吹っ飛び、嫌足気分に支配された。

ベッドの上で七転八倒していたが、どうにも身の置きどころなく、車椅子に移って、痛みから気を逸らすべく超難解レベルの数独にチャレンジした。

痛みはズキンズキンと領土を拡張し、そのうちに数独のマス目が歪んできた。

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ああ、これが障子の桟が歪んで見えるという、出産の苦しみか!

頑張ったところで赤ん坊は誕生しないから、ナースコールを押した。

手術のために腕に付けていた点滴の管から、鎮痛剤を入れてもらう。
「これが一番強い薬ですよ」とナース。

これが効かなかったら、あとがない!

祈るような気持ちで、ベッドに這い戻って安静にしていたら、遠い日の花火よろしく徐々に痛みは退いていった。

ああ、世のお母さんたちよ!
あなたがたは偉い!

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ソルティは保育所の増設と、医療用麻薬の認可に、一票!












● ほすぴたる記 その後7 マーメイドのごとく

 手術の翌日からリハビリを再開した。
 「まだ傷口もふさがってないのに・・・。まだ動かすと痛いのに・・・」
 と思うところだが、仕方ない。
 別に退院をせき立てられているわけではない。リハビリ介入は早ければ早いほど、原状回復につながる、後遺症を残さずに済むからである。

 この2カ月、立つ時は右足1本で約60キロの体を支えていた。歩く時は松葉杖との3本で。左足は宙に浮いていた。
 これを元に戻す。
 左足に荷重をかけていく訓練が始まった。

 といっても、いきなり全体重を支えることはできない。無理をすると、せっかくついた骨が分離してしまいかねない。
 まずは2分の1すなわち30キロまで荷重する。それで約二週間訓練したら、次の二週間は3分の2すなわち40キロまで荷重する。一ヶ月後に左足だけで全体重を支られるようにする。
 まだまだ松葉杖を手放せ、もとい足放せない。

 リハビリ室の平行棒の間に入って、右足を低い台の上に、左足を体重計に載せる。 
 「じゃあ、左足に体重かけてください」
 と、リハビリスタッフが言う。
 「よし!」とばかりに左足を踏み込んだが、体重計の針は5キロ以上に振れない。
 踏み込み方を忘れてしまったのだ。自分では思い切り踏み込んでいるつもりなのだが、力が全然入っていない。
 スタッフの助けを借りて何度か繰り返すうちに、目盛りの値は10キロ、15キロと上がっていき、20分近くしたら、やっと30キロに届くようになった。
 が、ちょっと力を抜くと、すぐ値は下がってゆく。意識的にかなり頑張らないと荷重できないのである。

 人は立っているだけで、歩いているだけで、体重分の重さを両足で支えている。
 ハイハイから立ち上がった幼児の時から、それに慣れてしまっているから、そのことを普段は自覚していない。
 プールでしばらく遊泳したあと、プールサイドに上がる瞬間、体の重さを感じない人はいないだろう。だが、プールサイドを歩き出したとたん、もう忘れてしまう。両足が即座に普段の感覚を取り戻すゆえに。
 
 人類は二足歩行したときに、赤ん坊がつかまり立ちしたときと同様、体重(重力)をプレゼントされたのである。

 魔法の力で足をもらった人魚姫が、苦痛に喘ぎながら岩場で立ち上がる。イケメン王子に会うために!

 そんなイメージを抱きながら、訓練に励んでいる。

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● ほすぴたる記 その後8 ツララ落つ

 今朝7時に目が覚めて、病室の窓を見上げたら、窓枠にツララが光っていた。ほんの数センチのかわいい奴だが、本物である。

 晴れた日に、地元でツララを見たのは何十年ぶりだろう?
 今朝の氷点下の寒さと、田んぼだらけの野ざらしに建っている病院の立地と、ソルティが居るのが5階の北向きの部屋という条件が重なって、この奇観を生んだのだろう。

 「このツララが溶けるとき、自分の命も尽きるのだ」
 と、『最後の一葉』のジョンジーみたいな心境を愉しんだ。
 スマホで撮影した直後、ツララは落ちていった。

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 その数時間前、向かいのベッドの物音に目覚め、何事かと聞き耳立てたら、患者とナースが話している。
 三日前に入院した初老の男である。世話焼きの奥さまが毎日のようにやって来る。
 どうやら今から外出するらしい。
 時計を見たら午前4時半。外は真っ暗だ。

 「どちらまで行かれるんでしたっけ?」と、支度を手伝いながらナースが聞く。
 「〇〇区の現場まで」と男が答える。
 「〇〇区って、東京の?」
 「そう」
 「結構、遠いですね~」

 いったい、何の現場なのか?
 なぜ、こんな早い時刻に行かなくてはならないのか?
 病気で入院中の(常時点滴している)彼が、どうあっても行かねばならない仕事なのか?
 体調は大丈夫なのか?
 奥さまも止められないほど大切な用件なのか?

 好奇心が湧いた。
 もしかしたら、現場というのは殺人現場か? 男の正体は刑事一課の敏腕課長か?(まだ顔を見ていない) 
 あるいは建築現場か? 高層ビルのコンクリート流し込みが今日から始まるのか? 男の正体は現場監督か?

 それにつけても、入院していてさえ仕事に駆けつける日本のサラリーマンの執念というか習性には驚く。
 
 昼前に帰ってきた男は、昼食も取らずに爆睡していた。 

 今日は午前中シャワーを浴びてリハビリし、午後はまるまる自由時間だった。
 ヘンリー・ジェイムズ短編小説集を持って、階下のラウンジで読書に興じた。

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 学生時代に読んで以来だが、ジェイムズの巧みな語り口を堪能した。
 50代の今の自分の作品解釈が、20代の時のそれとは、まったく異なっているのに、複雑な思いがした。
 というのも、収録されている短編は、幽霊やドッペルゲンガーが登場する一種のファンタジーなのだが、今ではそうした怪異現象に現実的で合理的な理屈をつけて解釈する自分がいた。まるで某大槻教授のように。
 若い頃は、怪異を怪異としてそのまま受け取って読んだのだが。

 消え去りし
 二十歳の吾や
 ツララ落つ
 (凡人)











 
 
 

 

 

 

● ほすぴたる記 その後9 北の国から

 本日退院した。
 払った費用は、差額ベッド代の9900円(1650円×6日)であった。

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入院最終日の昼食(野菜ジュースは自持ち)

 
 ソルティは多床室で同室の患者が立てる物音は(イビキも含めて)さほど気にならないのであるが、匂いは気になった。
 今回は途中からストマ(人口肛門)を持つ寝たきり患者が入ってきて、そのストマがよく漏れるのである。排泄口に合っていない装具を使っているんじゃないかと思う。

ストーマ(stoma、ストマとも)とは、消化管や尿路の疾患などにより、腹部に便又は尿を排泄するために増設された排泄口のことである。ストーマを持つ人をオストメイトと呼ぶ。
(ウィキペディア『ストーマ』より抜粋)

 朝に、昼に、真夜中に、時を選ばずその患者のストマは漏れ、そのたび便臭が病室いっぱい充満する。
 やはり、これは気持ちいいものではない。
 ソルティは介護職なので、通常の人に較べれば他人の便臭などへっちゃらである。マスクしないで、おむつ交換や陰洗やストマ交換できる。
 だが、ケアのために他人の便を扱うのと、自分も患者として病床にいて他人の便臭に包まれるのとでは、やはり違うのだと体感した。喫煙所にしばらくいるとタバコの匂いが衣服に染みつくように、自分の寝具やパジャマやベッド周りの持ち物に他人の便臭が染みつくような気がした。
 つまり、自分の生活空間に入ってくる異臭は不快に感じるのである。
 何回かは窓を開けて換気したが、この寒さなので長いこと開けてはいられない。それに窓を開けるには、礼儀上、他の3人の患者の許可を得なければなるまい。それもメンドクサイ。

 と言って、手をこまねいていたわけではない。
 ソルティは常時ラベンダーのアロマオイルの小瓶を持ち歩いている。
 ティッシュにオイルを数滴たらし、ベッドサイドに置いておくと、消臭・殺菌・芳香・リラックス効果が期待できる!
 あら不思議。肥溜めが一瞬にして富良野の丘に。
(ただ、これも度が過ぎると、他の患者から文句が出かねないのでほどほどに)
 入院時には、消臭剤とアロマオイル。
 これは必須アイテムである。

ラベンダー畑



 家に帰ってほっと安心したけれど、実のところ、移動に関して言えば病院のほうがラクチンだった。
 病院では車椅子が使えたが、狭い家の中では車椅子も松葉杖も使えない。四つん這いになって這い回るほかない。ついには膝がこすれて痛くなったので、ネットでバレーボール選手がつけるような膝当てを購入した。
 シャワーもまた病院なら浴室用車椅子に乗り換えて、そのまま洗い場に入って洗体も洗髪もできるが、自宅だとそうスムーズにはいかない。清拭で済ませてしまうことが多い。


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 前回の17日間と今回の6日間で、いかにして心地よく入院生活を送るかをしっかりと学ばせてもらった。
 やっぱり、一番役に立ったのはマジックハンドである。





● ほすぴたる記 その後10(事故後70日)

 骨折した左足のむくみがなかなか取れない。
 リハビリスタッフに言われたように、寝るとき足を高くしたり、足を締めつける弾性ストッキングをはいたり、自分でマッサージしたりしているのだが、ケガしていない右足と比べると豚足のよう。

 むくみが引かないと可動域が広がらない。歩行訓練もままならない。松葉杖とお別れできない。社会復帰が遅くなる。遊びにも行けない。
 焦っても仕方ないけれど、なにか良い手立てはないものか?

 そんなとき、当ブログをお読みいただいたツクシさんから、「アーシングしてみては?」というメッセージをいただいた。

  アーシング

 アーシング(Erathing)とは、地面とつながる健康法である。

 多くの電化製品にはアース線が取り付けられている。
 漏電による感電事故を防ぐため、静電気を逃がすため、雷等による高圧がかかるのをセーブして製品の故障を防ぐため、有害な電磁波から身を守るため・・・。
 こうした理由からアース線を地面につないで、電気を逃がすわけである。

 同じ原理で、人の体内に溜まった有害な、あるいは過剰な電磁波を大地に逃がし、代わりに大地のエネルギーを取り入れて、体を整える。

 やり方は簡単。素足を地面につけるだけ。
 (くわしく知りたい人はこちらを)

 考えてみたら、ソルティは月に一度は山登りに行き、森林浴している。週一回は温泉(健康ランド含む)につかる。週2~3回はプールで泳いで汗を流す。
 “気”の良くない場所に行くことの多い都会生活で、身体が命じるままに適度にアーシングし、デトックスしている。
 もちろん、ケガする前の話である。

 昨年12月初旬にケガしてからは、まったくこれらができていない。
 加えて、部屋に引きこもりがちの生活のため、家電やスマホの電磁波浴び放題である。
 相当に帯電している。
 毒素が溜まっているような気がする。
 それがむくみが一向に引かない一因ではなかろうか?


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 そういうわけで、家の近くの、むき出しの土のある公園に出かけた。(これがなかなか少ない)
 陽当たりのいいベンチに座って、包帯とギプスをはずし、素足を地面に乗せた。
 足裏に触れる湿った土の感触が気持ちいい。
 
 タイマーを1時間後にセットして、目を閉じて瞑想する。
 普通なら2月の吹きさらしの戸外で1時間もナマ足さらして座っていられないだろう。
 が、ご承知の通り、異常気象である。
 気温15度超えのぽかぽか陽気は、日向ぼっこにちょうど良い。

 中学生がサッカーボールを蹴る音
 子どもたちのはしゃぎ声
 お母さんたちのお喋り
 春をよろこぶ鳥の声
 遠くの車のクラクション
 小学生の下校を知らせる市内放送
 常緑樹を騒がす風の音

 心が、過去でも未来でもなく、「いま、ここ」に憩う。


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アーシング開始前

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一時間後

 上記の写真の通り、むくみは軽減し、両足とも白魚のようにきれいになった。
 アーシングの効果なのか、足が冷えたせいなのか、はっきりとは分からないが。
 数時間後には元に戻ってしまったけれど、実に70日ぶりに身体が整って、その夜はよく眠れた。

 今後も続けていこう。





● ほすぴたる記 その後11 ギプス・オフ

 抜釘手術の際に縫合した糸を抜いて、本日より晴れてギプスOFFとなった。
 二ヶ月半ぶりに左の足に靴を履いて、通院外出した。
 もっとも、足のむくみのせいで普通の靴は入らないので、ゴムサンダルである。
 亀の歩みの松葉杖歩行ではあるが、両足の裏を交互に地面について前進すると、「歩けた!」というクララ気分になる。

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 担当医師より、足の荷重も全荷重(60キロ)でいいと許可が下りた。
 どこにもつかまらずに両足で立つことはできるようになったが、まだ左足一本で案山子のように立つのは難しい。左足全体の骨や筋肉が弱くなっているので体重を支えきれない。荷重をかけていると膝が痛くなってくる。
 歩行もおぼつかない。
 足首が硬くて、痛くて、うまく体重移動ができない。ロボットみたいなぎこちない動き、薄氷を踏むような恐々した動き、になってしまう。
 むしろ、ここからが正念場という気がする。
 中途半端な状態で足首が固まってしまわないよう、踏ん張らねば。

 院内では職員、患者ともマスク使用者が目立つ。
 病棟に上がる見舞客は必ずつけなければならない。これは、コロナ騒動以前からで、インフルエンザ対策のためだ。
 「よもや、こんな埼玉県の畑のど真ん中に立つ病院まではコロナも来るまい」と、つい思ってしまうけれど、ウイルスの伝播には都会も地方も関係ない。
 ソルティのリハビリを担当してくれる20代の青年は、ウイルス性胃腸炎で一週間以上、出勤停止を食らっていた。コロナだったら、当然ソルティにもうつっているだろう。
パンデミック
 
 リハビリ後に院内の売店で買い物していたら、ソルティと同じ両松葉杖の男と出会った。右足にギプスをしている。松葉杖を操りながら大きな買い物かごを持つという、器用な、というか危険なスタイルで通路を動き回っている。見かねた女性店員が、「お手伝いしましょうか?」と声をかけたが、「いや、大丈夫です」と断っていた。

 今回ソルティが怪我をして学んだことの一つは、他人の好意を素直に受け取ること、遠慮せずに他人に頼むこと、他人に甘えること、「ありがとう」という言葉を他人にプレゼントすること——である。
 自分もどちらかと言えば、上記の男のように、「人の手を煩わせたくない、人に迷惑をかけたくない、人の好意に甘えるのが苦手」なタイプである。逆の立場なら、つまり自分が頼まれたのなら喜んで人に手を貸すほうなのに、同じことを他人に頼めない。
 おそらく、NOと言われたり、イヤな顔をされるのが怖いのだろう。「自分のことは自分でしなさい、他人に迷惑をかけるな」という子供の頃からの教育(通俗道徳)のせいもあろう。

 松葉杖の何がいちばん不便かと言えば、両手がふさがれることである。物を運ぶのはリュックサックに入れて担げばよいが、買い物がようできないのである。
 有り難いことに今の時代、ネットショッピングというものがあり、ソルティも随分 Amazon のお世話になっている。家族に頼んで買ってきてもらうこともある。
 近所のコンビニで買い物するとき、あらかじめ買いたい物が決まっている場合は、手の空いてそうな店員に頼んで、カゴを持ってもらい買い物に付き合ってもらう。みな、喜んでやってくれる。
 じっくり選んで買い物したい場合は、下のような工夫を編み出した。

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 松葉杖にS字フックをかけ、レジ袋を下げる。選んだ商品をその都度レジ袋に入れていく。最後にレジ袋をレジに持っていき清算する。
 大切なのは、万引きと間違えられないよう、あらかじめ店員に了解取っておくことである。

 病気って、本当にいろいろなことを学ばせてくれる。




 




● ほすぴたる記 その後12 ヤンキー座り

 病院でのリハビリ最中に、担当の若い理学療法士がソルティの目の前ですっと腰を落とし、ヤンキー座りをした。
 その姿にいささかショックを受けた。

「ああ君、ヤンキー座りできるんだ?」
「えっ? ソルティさん、できないんですか?」
「昔からできないんだよねえ」
「そうですか。じゃあ、もとから足首固いんですね」
 
 そうなのだ。
 中学生時分、体育館の裏手でヤンキー座りしてタバコを吸っているドカンズボンでリーゼントの不良たちを見たときに、怖さと共に抱いたのは、「よく、あんな座り方できるなあ~」という感心であった。
 家に帰ってマネしてみたが、足の裏をべったり地面につけて座ろうとすると、どうしても後ろにひっくり返ってしまう。
 足首が曲がらないので、上体が乗せられないのだ。
「ああ、自分は不良にはなれないのだな」と思ったものである。

ヤンキー座り

 いったい日本人の何パーセントがヤンキー座りできるのだろう?
 ネットで調べてみたら、「日本人を含むアジア人はできる人が多く、アメリカ人は9割方できない」と書いてある記事を見つけた。「便所座り」あるいは「うんこ座り」という別の言い方が示す通り、和式トイレで育ったか、洋式トイレで育ったかにも関係あるらしい。(だとすれば、最近の日本の若者はできない率が高いはずである)
 成人するまでソルティの家はずっと和式だった。
 けれど、ソルティにはできない。和式トイレでしゃがむときは、かかとが浮く。
 欧米か!

 この座り方、欧米では「アジアン・スクワット」と呼ばれているらしい。
 足首の可動域を広げるのに四苦八苦している最中であるが、この際、アジアン・スクワットができるようになるまで頑張ってみようか。




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