ソルティはかた、かく語りき

東京近郊に住まうオス猫である。 半世紀以上生き延びて、もはやバケ猫化しているとの噂あり。 本を読んで、映画を観て、音楽を聴いて、芝居や落語に興じ、 旅に出て、山に登って、仏教を学んで瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

●シャフクへの道

● 寝た子を起こすな? 本:『今日もあの子が机にいない 同和教育と解放教育』(上原善広著)

2014年『差別と教育と私』のタイトルで文藝春秋より刊行
2018年河出書房新社で文庫化

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 上原善広は『日本の路地を旅する』など被差別部落をテーマにした本を多く書いている1973年生まれのノンフィクションライター。本人も大阪府松原市の被差別部落出身である。
 本書は副題の通り、戦後の同和教育について、特に1969年に同和対策特別措置法(同対法)が制定されて以降の同和教育と解放教育の様相を、著者自身の体験や関係者へのインタビューを組み込みながらスケッチしたものである。

 同和教育と解放教育の違いについて、著者はこう書いている。

 解放教育というのは、正確には「部落解放教育」というが、同和教育から派生した、より過激な左派的教育で、解放同盟と強いつながりをもった教師たちがおこなっていた教育運動だ。

 解放教育の中心となった大阪では、同和教育というと「主に国や都道府県の公務員、保守派が使っていた公的な名称」であったという。

 60~70年代の埼玉県で生まれ育ったソルティが受けた同和教育は、わずかに高校2年生の時の一コマ(50分)だけであった。
 部落差別の歴史を描いたビデオを見せられた記憶があるが、ビデオの内容もそのときの教師の話もほとんど覚えていない。
 ただ、授業の最後に自分が手を上げて質問したことは覚えている。
「こういった差別があることをわざわざ教えなければ、自然消滅していくのではありませんか?」
 教師は「そんな単純なことではない」と答えたけれど、その理由を納得いくように説明してはくれなかった。それ以上、問うてはいけないような雰囲気があった。
 授業後しばらくたって、新潮文庫の島崎藤村『破戒』と巻末につけられた長大な解説を読んで、自分の発した質問がいわゆる「寝た子を起こすな」論であることを知った。
 が、「寝た子を起こすな」論がなぜいけないのか、はっきりと理解できなかった。
 (そもそも知らなければ差別のしようもないのに・・・・)

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 本書には、同和教育(解放教育)をめぐって学校現場で起きた3つのケースが取り上げられている。
  1.  解放教育の「牙城」と呼ばれた大阪府松原市立第三中学校のケース(同対法制定前後から70年代)・・・・被差別部落出身の生徒が多く荒れていた中学校が、熱意あふれる2人の教師の奮闘によって立て直されていく経緯が描かれる。熱血教師が主役の青春学園ドラマを見るような面白さ。「蛇の道は蛇」ではないが、アクの強い一癖も二癖もある武闘派教師にしてはじめて、旧態依然の現場の変革と生徒たちの更生は可能だったのだと知られる。三中はその後、解放教育のモデル校となった。
  2.  解放同盟の糾弾により教職員が多数負傷し、裁判となった兵庫県養父市の八鹿高校のケース(1974年)・・・・被差別部落出身の生徒たちが「部落解放研究会」のクラブ公認を求めたところ、教職員が反対したのがきっかけとなった。概要だけは知っていたが詳しい経緯は知らなかったので、興味深く衝撃をもって読んだ。冷静に考えれば、「解放同盟という外部団体に紐づけされているクラブの認可を拒む」という教職員の決定は一理あるもので、必ずしも部落差別というわけではないように思う。
  3.  卒業式での「日の丸・君が代」をめぐって、強制する官側と反対派との板挟みとなった校長が自殺した広島県世羅町の世羅高校のケース(1999年)・・・・反対派の急先鋒は天皇制に反対する解放同盟広島県連と日教組。当時大きなニュースとなり国会でも取り上げられたので、よく覚えている。亡くなった校長先生は定年まであと3年だったそうな。この事件の5か月後に国旗国歌法が制定された。
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 2002年、ついに同対法が期限切れとなり、同和問題の解決は国策ではなくなった。21世紀になると同和教育は時代遅れとなり、同和教育は「人権教育」と名を変えた。また解放教育は過去の「過激な教育実践」として、急速に忘れ去られようとしていた。
 しかし、だからといって同和教育や解放教育の実践が、日本の教育界に何も意味を成さなかったのかといえば、そうではない。同和教育の理念は、地道に「人権教育」と取り組む教師たちを確実に残している。

 著者は同和教育に取り組む教育者たちの現状をスケッチしているが、被差別部落をめぐる状況が70~80年代とは大きく変わってしまった現在、「どのように授業を進めていってよいのか」戸惑う教師たちの姿が浮き彫りにされている。
 わざわざ扱いの難しい同和問題を取り上げずに、別のテーマで人権教育のコマを埋めようという担当者がいても不思議ではない。

 ソルティはNPOに所属しHIV感染の支援活動をしていた2000年代はじめに、「人権教育」の講師として学校に呼ばれることがよくあった。
 HIVというテーマは、感染者に対するきびしい差別が存在した(存在する)という点では人権教育の恰好のテーマとなり、一方、現在あるいはこれから活発な性行動に乗り出す生徒たちの感染予防という点では保健教育にもなりうる。
 生徒ばかりでなく、学校職員や行政職員、JICA(青年海外協力隊)の派遣隊員や企業で働く社員などを対象に話したこともある。

 その際に、一通りHIV/AIDSの歴史を説明し、80年代後半に日本でエイズパニックが起きたことや感染者に対する様々な差別があったことを話し、病気の知識と感染予防の具体的な方法を伝えるのがいつもの流れであった。
 「エイズ=死」と言われた時代を知りエイズパニックの記憶生々しい大人たちに対してはこのプログラムでとくに問題なかったのであるが、エイズパニックを知らない世代(おおむね80年以降の生まれ)に対して話すときは、いつもちょっとした懸念を抱いた。
 何も知らない白紙のような若い人に対し、わざわざ悲惨なエイズ差別の事例を伝えることで、かえって「寝た子を起こす」ことになってしまうのでは?――というためらいがあった。「悲惨なエイズ患者、可哀想なHIV感染者」というイメージだけは与えたくなかった。
 なるべく感情的にならず事実だけを淡々と話すよう心がけてはいたが、若い人に限らず人間というものは、そうした極端に悲惨なケースとか不幸な話というものにどうしても耳をそばだててしまうので、話す方としては(顧客サービスというわけではなしに)場の集中を途切れさせることなく最後まで話を聞いてもらうために、やや芝居がかって語ってしまうところなきにしもあらず――であった。

 しかしながら、講演後に生徒たちが書いてくれた感想文などを読む限りでは、たとえば「エイズは恐いと思った」とか「感染者にはなるべく近づかないようにしようと思った」といったような否定的なものはなく、大人たちよりよっぽど素直で共感力が高かった。
 おそらく、差別事件を新聞記事のように客観的に語るのではなく、差別を受けた当事者の人となりや思いが伝わるように語るべく心がけたことが良かったのではないかと思っている。
 高校時代のソルティのような理屈をこね回す生徒ともついぞ会わなかった(心の中で疑問に思っていたのかもしれないが)。
 
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 今では「寝た子を起こすな」論は間違いと分かっている。
 「知らなければ差別しないのに」という言い分は何重にも見当違いである。

 一つには、人は「知らないうちに差別して相手を傷つけてしまう」からである。
 たとえば同和問題について言えば、根掘り葉掘り相手の出身地を尋ねたり、親の職業をきいたりすることは、悪気がなくとも相手に負担を強いる可能性がある。有名人の家柄や血筋の良さを云々する何気ない教室や職場での会話が、そこにいる当事者をいたたまれない気持ちにさせるかもしれない。
 実は、ソルティが通っていた高校のあった地域にもかつて被差別部落だった地区があり、そこから通っている生徒がいたことを、ずいぶんあとになって知った。(そもそも埼玉は有名な狭山事件があった県である)
 高校時代の自分は、「同じクラスの中にいるかもしれない」という想像力をまったく欠いていた。

 また、「知らなければ差別しないのに」は、逆に言えば、「知ったら差別してしまっても仕方ない」と言っているに等しい。
 「知っても差別しない」ことが大切なのであって、知識の有無と差別するかしないかはまったく関係ない二つの事柄である。

 さらに、部落差別についてたまたま学ばなかったがゆえに「部落差別をしない」でいられる人であっても、他のマイノリティ問題にぶつかったときに差別しないでいられるかと言えば、その限りではない。
 なぜなら、誰の心の中にも差別する心は存在しているので、世の中に存在する人権問題について知り、自らもまた人を差別する可能性のあることを自覚していなければ、いつかどこかで加害者になってしまう可能性があるからだ。
 
 ハンセン病差別在日朝鮮人中国人差別、アイヌ民族差別、障害者差別、HIV感染者差別、婚外子差別、セクシャルマイノリティ差別・・・・e.t.c.
 歴史上あった事実を「なかったことにする」のは、被害当事者にとって二重の差別になり得るのみならず、社会が同じ過ちを繰り返すもっとも簡単な方法であろう。

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Krzysztof PlutaによるPixabayからの画像


 本書のいま一つの“売り”は、路地(被差別部落)に生まれ育った上原善広自身の生い立ち、家庭内暴力が横行する“火宅”の少年時代、ケンカやシンナーに明け暮れた不良時代、解放教育との出会いにより立ち直っていく経緯・・・・などが率直に描かれているところである。
 「よくもまあ道を外れることなくやって来られたなあ」と感心するほどのしんどい育ち。
 戦争はもちろん、学園紛争も安保闘争も知らず、いまだ田んぼの残るのどかなベッドタウンで外でも内でも暴力とはほとんど無縁に生きて来られたソルティにしてみれば、関東と関西の違いはおいても、まったく異なる文化圏を生きてきた人という感じで、興味深く読んだ。
 他者を発見するのはいつだてエキサイティングである。


P.S. 本年7月、島崎藤村『破戒』の3度目の映画が公開予定である。(監督:前田和男、主演:間宮祥太朗、企画・製作:全国水平社創立100周年記念映画製作委員会)





おすすめ度 :★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損





● 漫画:『わたし中学生から統合失調症やってます。』(作画:ともよ)

2018年合同出版

 副題『水色ともちゃんのつれづれ日記』
 タイトル通り、ともちゃんは中学生の時から統合失調症を患い、根拠のない不安や強い自己否定からリストカットや不登校を繰り返し、15歳で精神科入院。
 退院後は精神科デイケアに通ったり、社会復帰(というより社会デビュー)を目指して就労支援を受けたり、興味をもったピアノを習い始めたり、こうして自らの経験を漫画に描きブログ投稿したり・・・。
 統合失調症とのつらく苦しい闘いと、本人がその状態を受け入れ、「この相棒と共生」するようになるまでの日々が、『オバケのQ太郎』に出てくるO次郎(「バケラッタ!」)みたいな可愛いキャラに託されて描かれる。
 1990年生まれとあるから現在21歳か。
 統合失調症患者が書いた闘病記は世界にも珍しく、例外的に『ボクには世界がこう見えていた』(小林和彦著)があるが、十代の当事者によるものはさらに珍しいのではないか。
 その意味で、貴重な症例記録と言えよう。

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 病気に関する解説を主治医の成重竜一郎氏(若宮病院児童精神科医長)が書いている。
 統合失調症について、また患者の内面世界について知り、病気への理解を深めるのに恰好の一冊である。
 
 人の脳は、日々膨大な量の知覚情報や思考の流れを処理しています。通常であればそれらのほとんどは意識されず、必要なものだけを意識に上げて処理するよう自動的に調整されています。視界には入っていても気づかないということが起きるのはそのためです。
 ところが、統合失調症にかかるとどういう理由かは不明ですが、このシステムの働きが悪くなり、普段であれば不要だとみなされ、意識に上らない知覚情報や思考の流れが、部分的に意識されるようになります。その際に、本来意識されないものが意識されてしまうことのつじつまを合わせようとして、脳が勝手な意識づけしてしまうのが“幻覚”であり、“妄想”です。
(成重竜一郎による解説より) 


おすすめ度 :★★★

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● 本:『ヤクザの文化人類学 ウラから見た日本』(ヤコブ・ラズ著)

1996年岩波書店

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 ソルティの中のヤクザのイメージと言えば、まず60年代東映の任侠シリーズ。
 鶴田浩二、高倉健、菅原文太、藤純子といった錚々たるスターが銀幕に焼き付けた“義理と人情”の裏街道。
 着流し、入れ墨、日本刀、親分子分の盃、日本家屋、番傘、博打、啖呵、出入り、一宿一飯の恩、カタギには迷惑かけん・・・・・。
 あくまで忍耐強く、あくまでストイック。
 画面を彩る敗者の美学。 
 緋牡丹のお竜こと藤純子の花そのものの美しさといったら!

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 その後、東映は73年公開の『仁義なき戦い』(深作欣二監督)の大ヒットを皮切りに実録路線に変更していったが、ソルティはこちらには興味が湧かなかった。
 ダブルのスーツ、白いエナメルの先のとがった靴、外車、サングラス、角刈り、チャカ(拳銃)、シャブ(覚醒剤)、シマの取り合い、壮絶な銃撃戦、簀巻きにして大阪湾、イロ(女)を風俗で働かせてのヒモ生活・・・・。
 刑事ドラマや東映Vシネに描かれるようなその後のヤクザ像は、この実録路線の延長上にあるのだろう。
 それはもはや、任侠道とか敗者の美学というものとは程遠く、まさに暴力団とか“反社”という呼称こそふさわしい。(岩下志麻主演の『極妻』については未見なのでよくわからない)
 
 いずれにせよ、ソルティのヤクザイメージはマスメディアによって作られたもので、現実にヤクザの知り合いもいなければ、パチンコや賭け事もやらず、近所に組の事務所があるわけでもないので、まず彼らとは接点のない半生を送ってきた。
 たまに繁華街のサウナに行ったときに、それらしき入れ墨の主を見るくらいである。
 その点では、本書で著者が述べている通りである。
 
 一般社会にとって意味があるのは、ヤクザは犯罪者で暴力的で社会に寄生しているという事実だけである。それ以上の情報は必要としない。なるほどその情報は事実であるかもしれないが、そのような態度からは個人としてのヤクザを完全に非人間化するというプロセスしか生じない。 

 だから、東海テレビが制作したドキュメンタリー『ヤクザと憲法』(2015)は大変面白く、刺激的であった。
 カメラが大阪にある某ヤクザ事務所に入っていって、親分はじめ組員一人一人にインタビューして、その人柄や来歴を見せてくれたのである。
 そこに映し出されたヤクザの素顔は、おおむね不器用かつ直情径行で、世渡り上手とはおせじにも言えず、人間っぽさ濃厚であった。
 
 本書はそれに先立つこと20年前、1986年から1990年にヤクザの世界に単身乗り込んだ一研究者が、丹念なリサーチの結果をまとめあげた稀有なる記録である。
 それを実現したのが、本邦の研究者ではなく、イスラエルの文化人類学者であるところが衝撃的である。
 本書が発刊された時の反響を自分は覚えていないが、日本の文化人類学界や社会学界のみならず、マスコミ関係者や警察関係者においても、いや一般読者においても相当な衝撃をもって迎えられたのではなかろうか?
 日本人の研究者でもよくし得ないことが、イスラエル人にしてやられるとは・・・・!
 
 だが、もちろん外国人の研究者だからこそ、このような恐れ知らずの、偏見知らずの、しがらみ知らずのフィールドワークができたのは間違いあるまい。
 取材される相手(=ヤクザたち)も、表社会にいてヤクザを偏見の目で見ることに慣れたカタギの日本人ではなく、日本文化の外にいる外国人という部外者だからこそ、すんなりと受け入れ、胸襟を開き、本音を晒したのであろう。
 それは『さいごの色街 飛田』で飛田遊郭を取材した井上理津子に言えることと同じである。
 
 本書は、ヤクザという存在について、文化人類学、社会学、心理学、ジャーナリズムの扱いなど様々な視点からの洞察がなされ、興味深い。
 縁日には欠かせないテキヤの仕組みや日常の記述などは、著者も彼らと一緒に旅して露店で売り子もしたというだけあって、非常に具体的で面白い。 
 また数年に及ぶフィールドワークの結果として生じた著者とインフォーマント(情報提供者)たるヤクザたちとの友情や親睦の様子も描かれ、「ヤクザ」「外国人」「学者」といったレッテルをはがした人と人との真摯な関係の可能性について教えてくれる。

 一連の研究の果てに著者が実感したのは次のようなことであった。
 
 ヤクザは日本人の中心的自我の一つの変形であり、逆もまた真なりと言える。この主張に対してはたいていの日本人が異議を唱えるだろう。たいていの日本人はヤクザの中に自分自身を認めることなどできないだろうし、また認めようともしないであろう。しかし私の考えでは、ヤクザは伝統的社会からは排除され拒絶されてはいるが、多くの点で日本人の文化的な自己の一部であって、しかも周縁とは言い切れない一部である。二つの社会が似ているからこそ排除や拒絶が起こるのである。
 
 裏社会という言葉は言い得て妙で、表社会の正確な倒立像が裏社会たるヤクザの世界であろう。
 性風俗や賭博やドラッグなど、表社会の健全な人々がもつ後ろ暗い欲望を密かに叶えてくれるのが、裏社会の役割であった。
 ジギルとハイドの正体は、同じ一人の人間である。
 両者は分けられない。

 著者があとがきで記しているように、フィールドワークが行われたのは92年の暴力団対策法施行の以前であり、その後、日本社会(表社会)も裏社会も大きく変わってしまった。
 暴力団への締め付けが厳しくなり、組からの離脱者が増えている。
 既存の組織もまた存続の危機にあるが、それは「暴力団壊滅、バンザイ!」と市民社会が一概に喜んでばかりいられるものでなく、掟も縛りもない半グレや国際ギャングのようなアウトローの増加を生んでいる。
 著者が言うように、「昔風のヤクザは、もうこの世界の規範ではなく、骨董品めいたものになった」のである。

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 60年代の東映任侠映画に入れ込んでいた20代の頃、ソルティは「人はなぜヤクザの道を選ぶのか」、ほとんど考えることがなかった。
 ただ美しくスタイリッシュな映像と、カッコいい科白と、見事な太刀さばきに見とれているばかりであった。
 関西の人間なら暗黙の了解として知っているであろうことを、関東生まれで世間知らずの自分は知らなかった。
 無知っていうのは罪だなあと思う。
 と同時に、タブーを作って顕在化させないでいるのは、やはり日本人にとって教育上よろしくないと思う。
 被差別部落や在日朝鮮人などマイノリティの視点から、再度、東映ヤクザ映画を見直してみたい。
 
ヤクザ世界に庇護を求める者たちのもっとも根本的な動機は、通常社会に順応できないことにある。周縁的であるからこそヤクザは、自分がそこに所属し、そこで成功した気持ちがもてるのだ。反転世界での逆転した成功は、差別されうまく適応できなかった人々の周縁的なアウトローの世界にいるという思いに基づいている。



 
おすすめ度 :★★★

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● 映画:『かぞくのくに』(ヤン・ヨンヒ監督)

2012年スターサンズ(日本)
100分

 ヤン・ヨンヒの小説『朝鮮大学校物語』が面白かったので、借りてみた。
 本作は同年のキネ旬1位、ブルーリボン作品賞を獲っている。
 日本アカデミー賞にはノミネートすらされなかったのはなぜ?
 
 朝鮮総聯幹部の父の勧めで16歳で家族と離れて北朝鮮に渡ったソンホ(=井浦新)。
 結婚し、いまでは一児の父である。 
 彼の地ではできない脳腫瘍の手術を受けるため、25年ぶりに日本に戻って来られることになった。
 慈父のような金主席の配慮で3ヶ月という特別滞在許可が下りたのだ。
 人が変わったように無口で笑わなくなったソンホを温かく迎える母(=宮崎美子)と妹リエ(=安藤サクラ)、そして旧友たち。
 しかし、ソンホの帰国生活は同志ヤンによる監視付きで、そのうえリエを北朝鮮のスパイとしてスカウトするよう命じられていた。兄の言葉に傷つき、激しく拒絶するリエ。
 数日後、手術の見込みも立たないまま、突然なんの理由もなく帰国命令が出て、家族はまた離れ離れになる。 

 主演の安藤サクラは本作で主演女優賞を総ナメにしたが、それも納得の好演技。
 樹木希林の衣鉢を継ぐのはやっぱこの人だ。
 井浦新はこれまで注目したことがなかった。雰囲気のいい役者である。
 宮崎美子演じる母親(おそらく在日2世)も、安藤や井浦演じる子供たち(おそらく3世)も、言葉や仕草の点で在日コリアンの演技としてはどうなのかな?――と一瞬思ったが、ソルティがステレオタイプの在日コリアン像(それと分かる1世の人の言動より抽出された)を知らず身に着けているだけと気づいた。お恥ずかしい・・・。
 
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 1910年の日韓併合によって、労働力として日本に強制連行されたのが在日朝鮮人の始まりと言われる。
 その当事者や家族、子孫ら約10万人は、1950年代から1984年にかけての壮大な帰還事業で北朝鮮に永住帰国した。
 当時、北朝鮮は「地上の楽園」と言われていたのである。(吉永小百合の代表作『キューポラのある街』にこのへんのことが描かれている)
 蓋を開けてみたら、その実態は楽園とは正反対の金一族の独裁体制による生き地獄。
 もはや自由は微塵もなかった。
 結果的に、「在日」として不当な差別や抑圧を受けながらも、日本に残ることを選択した者たちのほうが賢かったのである。
 こんな皮肉な話もあるまい。
 
 同じ朝鮮民族が、朝鮮戦争による分断の結果、あるいは北朝鮮に生き、あるいは韓国に生き、あるいは在日の子孫として韓国語を忘れて日本に生き、あるいは朝鮮人の誇りを胸に帰国して北朝鮮に生きている。
 いったいどの朝鮮人が一番幸せなのか?
 まるでユダヤ民族のそれのような朝鮮民族の受難に思いを馳せざるを得ない。
  
 日本人がこうした歴史を教えない、教わらないのは罪としか言いようがない。

  
 
おすすめ度 :★★★★

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● 君の名前を教えて 本:『朝鮮大学校物語』(ヤン・ヨンヒ著) 

2018年(株)KADOKAWA

 朝鮮学校を舞台とするドキュメンタリー『アイたちの学校』を観ていて生じた疑問、

 朝鮮学校では金主席や北朝鮮という国の体制をどこまで批判できるのか?

 ――を確かめようと、検索していたら本書に当たった。
 著者は1964年大阪生まれの映画監督。在日コリアン2世である。

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 朝鮮大学校は東京都小平市にある。
 武蔵野美術大学(通称「ムサビ」)、創価学園(いわゆる「ガッカイ」)、白梅学園、津田塾大学、都立小平西高校などが集まる文教地区で、玉川上水の緑豊かな遊歩道が続く閑静な住宅地である。
 最寄りは西武国分寺線の鷹の台駅。毎朝、小学生から中・高・大学生まで多くの学生たちが改札を抜けて、それぞれの学校へと向かう。
 ただし、その中に朝鮮大学校の学生の姿はない。
 全寮制だからである。
 ここは民族教育の最高学府であり、全国の朝鮮高校からやって来た在日コリアンの若者たちが、在日本朝鮮人総聯合会(朝鮮総聯)を担う幹部となるべく、勉学や民族意識の確立に励んでいる。
 文部科学省から大学としての認可は受けておらず、法律上は各種学校である。

 本書は、80年代前半に大阪の朝鮮高校から朝鮮大学校へ入学した一人の女性、パク・ミヨンを主人公とした学園青春物語である。
 むろん、ミヨンのモデルは若かりし日の著者ヤン・ヨンヒ自身であり、三人称のフィクションという形を取ってはいるが、書かれていることのかなりの部分――朝鮮大学校での授業や寮生活の様子、卒業旅行で訪れた北朝鮮での見聞など――は、著者の体験に基づいた事実と思われる。

 ミヨンが朝鮮大学校に入学した一番の目的は、東京でたくさんの芝居や映画を観ること。将来は演劇の道に進むつもりなのである。
 本書に登場する映画のタイトルや劇場名、劇団名は、同じ80年代の東京で『ぴあ』を片手に青春を過ごしたソルティの耳に懐かしく響くものばかりであった。
 入学早々、六本木の俳優座に芝居を観に行って夜8時の門限破りをしてしまったミヨンは、生活指導員に呼び出され、厳しく注意される。

「ここは日本ではありません! 朝鮮大学校で生活している貴女は、共和国で、すなわち朝鮮民主主義人民共和国で生きているのだと自覚しなさい!」

 比較的自由が享受できた大阪の朝鮮高校とは違って、朝鮮大学校は規則づくめで管理のきびしい、まるで中世のカトリック修道院のような場所であった。
 修道院と違うのは、敬愛と信仰の対象となるのがイエス・キリストや聖母マリアではなくて、北朝鮮の最高指導者たる金日成(キム・イルスン)・金正日(キム・ジョンイル)親子であること。
 朝は、「放送事故のような音量で」流される革命的行進曲と合唱団が歌う戦闘曲で起こされ、毎夜の政治学習の時間には金親子の著作集を読まなければならない。
 そのあとに一日の自分の言動をルームメイトの前で振り返る“総括”が待っている
 抜き打ちの持ち物チェックでは、倭風(日本的)や洋風の物を持っていないか徹底的に調べ上げられ、ミヨンの持っていた外国音楽のカセットや映画雑誌、バタイユの『エロティシズム』などは没収されてしまう。
 外出できるのは週一回日曜日のみ。外出先と目的を書いた許可書を提出し、5人の管理者の印を受けなければならない。
 外部の日本人との交流は制限され、とくに日本人男子との交際などもってのほか。
 つまりは、まったくの洗脳教育機関である。

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玉川上水


 映画や演劇を愛するだけあって自由な感性の持ち主であるミヨンは、校風に馴染めず、事あるごとに反抗を重ね、お隣のムサビの男子学生との恋愛騒ぎを巻き起こし、問題児のレッテルを貼られてしまう。
 卒業旅行では、幼い頃に北朝鮮に“帰国した”実の姉との数年ぶりの再会を心待ちにするも、当局の不興を買った姉夫婦は首都ピョンヤンから僻地に追放されていた。
 持ち前の度胸と袖の下を使ってやっと姉のもとを訪れることができたミヨンは、その道中、貧しい祖国の悲惨な現実を知り、監視社会のもと自由が奪われた人々の絶望しきった暗い表情を見る。
 ひたすら姉のことを心配するミヨンに向かって、姉は言う。

「アンタは私の分身やから。私の分も幸せになってくれな困るの! 組織や家族のためとかアホなこと言うたら私が許さへん。後悔せんように。わかった? 朝鮮で生きるのもキツいけど、この国背負わされて日本で生きるのも大変やと思うわ」

 日本への帰国間近、ミヨンたち一行は思いがけずも金日成主席の姿を拝謁する機会を得る。
 アフリカのどこかの国の大統領を迎える金主席を讃えるサクラとなるため、空港に召集されたのである。
 「民族の太陽」のおでましに、号泣しながら「万歳!」を叫ぶ教員や同級生たちの間にあって、ミヨンはひとり冷めている。
 
「これが本物のキム・イルソン・・・・」
 伝説のカリスマを目撃しているという事実よりも、集団心理に感染しない自分を発見した実感の方がスリリングだ。
 この人はこの国をどう思っているのだろう? この国の実情を知っているのか。部下たちはちゃんと報告するのだろうか。この国の現状にどれほど満足しているのだろうか。

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Tomoyuki MizutaによるPixabayからの画像


 本書に描かれているのは、30年以上前の朝鮮大学校の実態であり、いまの金正恩(キム・ジョンウン)主席の祖父にあたる金日成時代の北朝鮮である。
 令和の現在、当時とはいろいろと違っていることだろう。
 まず間違いなく状況は悪化しているに違いない。
 本書の裏表紙に載っている朝鮮大学校の校舎の黒ずんだ外壁の写真を見れば、相当な経営難に陥っていることは推察できるし、入学する生徒も激減していると聞く。
 コロナ禍のいま、北朝鮮の内情に至っては想像するだに怖ろしい。

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 世界中の誰だって、自ら望むことなく前もって定められた条件下に生まれ落ち、歴史に翻弄されながら、各々が属する国や民族や宗教や文化や社会制度や伝統に絡めとられ、かつ、そこにアイデンティティを見出しながら生きている。
 日本人しかり、在日コリアンしかり、台湾人しかり・・・・。  
 アイデンティティとは“条件付け”にほかならない。
 同じ日本に生まれ、同じ空気を吸いながら、在日コリアンの人々と日本人とではいかにバックグラウンドが異なることか。
 見ている景色が違うことか。
 アイデンティティの中味が異なることか・・・・。

 仏教徒のソルティとしては、“条件付け”からの解放こそが最終的な自由への道と思ってはいるけれど、それは今現在自分や他人が大切にしているアイデンティティを軽視していいということには決してならない。
 それは互いに尊重すべき、でき得る限り理解に努めるべきものであろう。
 「自分たちは国籍なんて気にしないよ。君がナニジンだろうが関係ないよ」という、ムサビの恋人をはじめとする周囲の善意の日本人たちの言葉にミヨンが傷つくのは、それが(幸運にも)国籍を気にしなくてすむ立場にいる人間による“上から目線”のセリフだからだ。
 セクシャルマイノリティの一人であるソルティも、「わざわざカミングアウトしなくたって実生活上の問題がなければ別にいいじゃん」という“決して差別者ではない”ヘテロの同僚の発言に、「それはそうだけど・・・・」とふっ切れない思いとともに口をつぐんだことがある。
 その瞬間、自分(を含むセクシャルマイノリティ)という存在が「無きもの」とされたような気持ちがしたのである。
 「多様性を受け入れる」というのは、「君が何であっても関係ないよ。差別しないよ」という表面的なものではなくて、「君が何であるか教えてくれ。自分は黙って聴くから」ということなのだろう。

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 朝鮮大学校は、ソルティが想像していた通りの、あるいはそれ以上の不自由で窮屈な怖ろしい世界であった。
 しかるに、そこで学ぶ若者たちの皆が皆、洗脳されてしまうわけではないことが本書では証明されている。
 おそらく、完全に洗脳されて金主席を神と仰ぎ、北朝鮮を理想の国と信じ込むのは一握りの“優秀な”学生だけであって、ほとんどの学生は教員や朝鮮総聯に目を付けられないよう外面は従順なふりをしつつ、それなりに楽しみを見つけながら、自己表現の手段を探しながら、したたかに生きているのだろう。

 まあ、難しいことは抜きにしても、本書はとても面白い小説である。
 「一人でも多くの人に読んでほしい」という言い回しは、たいていの場合、評者の誇張か独り善がりに過ぎないので、あまり口にしたくない。
 が、本書に限っては「一人でも多くの日本人に読んでほしい」と素直に思った。
 


おすすめ度 :★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
★     読み損、観て損、聴き損

 

● 本:『怒羅権と私 創設期メンバーの怒りと悲しみの半生』(ワンナン著)

2021年彩図社

 本書の表紙カバーにでかでかと載った著者の顔写真を見て、どう感じるだろう?
 中国人であることは分からないかもしれない。
 13年間ムショにいた男というのも分からないかもしれない。
 一見、人懐っこそうな顔立ち。
 賢そうな額。
 意志の強そうな顎の線。
 人生の辛酸が刻まれた深い皺。
 凄みのある風貌は、長く海風に吹かれた漁師か、数々の建築現場をかんな一つで渡り歩いてきた凄腕の大工のようにも見える。
 しかるに、カメラ(=読者)にひたと向けられた両の瞳をのぞき込むと、長年蓄えられた怒りと悲しみと絶望、簡単には人を信じない用心深さとある種の冷酷さ、瞬時に相手の正体を見抜く眼光の鋭さ、そしてどんな相手でも飄々と受け入れるであろう懐のふかさを読み取ることができよう。
 「修羅場をなんども潜り抜けてきた人だな」と直感する。

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 怒羅権(ドラゴン)は、東京都江戸川区葛西に暮らす中国残留孤児の2世や3世の少年たちが1980年代後半から徒党を組むようになり、88年に命名し誕生した。
 初期メンバーは12人、90年代前半の全盛期には府中や八王子にまで勢力が拡大し、800人の大所帯になったという。
 日本人の作る上下関係の厳しいピラミッド型の組織とは違い、上下関係の希薄な、ゆるやかなつながりのチームで、中国人らしい“今の瞬間の絆を大切にする精神”が息づいていたという。
 それが「反社」を取り締まる警察にしてみれば、親分やヘッドをあげれば組織が瓦解する既存の暴力団や暴走族とは異なる摘発の難しさにつながっていたのである。
 汪楠(ワンナン)は初期メンバーの一人であり、おそらく最も勇猛果敢で、最も知能が高く、最もよく稼いだ男である。
 
 1972年中国吉林省生まれ。
 日本好きな父親に強引に連れてこられ、14歳より日本に暮らすようになる。
 怒羅権と暴力団の両方に関わって悪事を働いていたが、28歳のときに逮捕され、岐阜のLB級刑務所に収監される。
 2014年出所後は犯罪の世界に戻らないことを決意し、全国の受刑者に本を差し入れる「ほんにかえるプロジェクト」に力を入れている。 

 ソルティは90年代を仙台で過ごした。
 怒羅権についてはよく知らなかった。
 怒羅権と名乗る在日中国人の若者たちが都心でひどく暴れ回っているというのは聞き知っていたが、「そんなこともあるだろう」くらいの感覚であった。
 よもや、ソルティの古くからの馴染みである池袋の文芸坐(現・新文芸坐)が組織拡大の拠点になっていたとは!
  
 本書を読んで、90年代の東京の荒れ具合というのを実感した。
 ソルティは80年代半ばから都内で一人暮らしをしていたが、91年に「東京はあまりに変だ。このまま東京にいたら自分がダメになる」と思って、仙台に越した。
 バブル絶頂期の東京があまりに異様なものに思えたのである。
 人々は「24時間闘えますか!」の覚醒剤常用者のような総躁状態、ゴールドラッシュ時の西部開拓者のような欲に目がくらんだ脱抑制状態にはまり込んで、人間としての(生物としての)あたりまえの感覚を失っていた。
 「明るさ・軽さ・浪費」がひたすら推奨・追求され、その反対の「暗さ・重さ・倹約」が軽蔑・忌避された。ネアカ、ネクラなんて言葉が流行った。
 ひとりの人間には陽の部分もあれば陰の部分もある。社会には陽の当たる層もあれば陰を背負わせられる層もある。
 ひたすら陽の面だけを追求していれば、いつかはきっと陰の面が浮上して、社会に対して復讐を開始するだろう。
 そんなことを思って、東京を離れた。 
 いや、自分の中の陰の部分が危険信号を出していたのかもしれない。
 オウム真理教の一連の事件や怒羅権の出現は、まさにバブル時代の日本人(とくに都会人)が抑圧してきた陰の部分の報復だったのだろう。
 
 90年代前半に怒羅権のニュースを聞いて「そんなこともあるだろう」と思ったのは、もちろん在日中国人(や在日朝鮮人)の境遇を知っていたからである。
 怒羅権はもともと、「日本社会で孤立していた中国残留孤児の子孫たちが生き残るため、自然発生的に生まれた助け合いのための集まり」だったという。
 同調圧力の強い日本社会でいじめや差別を受け、一袋500円の大量のパンの耳を仲間で分け合うような貧困(ときはバブルだ!)を舐め、教師をはじめ周囲の大人たちからの不等な扱いに苦しむ若者たちの鬱屈したエネルギーが、怒りとなって暴発するのは火を見るより明らかである。
 
 少なくとも私も仲間たちも、非行少年にはなりたくなかったし、ましてや刑務所に入るような人間になるとは、あの頃は思っていませんでした。
 私の犯した犯罪は私が自発的に実行したもので、これを時代のせいや環境のせいにすることは許されません。しかし、あまりにも多くの望まない現実が私たちに振りかかり、その現実に抗うためにもがいた結果として、いつしか暴力がアイデンティティとなり、犯罪を通じてしか他者とのつながりを持てなくなっていったのもまた事実なのです。
 そのようにして自分の歴史を振り返ってみると、私たちは負の存在で、負の遺産しか生み出せなかったのかもしれないと分かっていても、これまでの歩みを全否定できない自分がいます。それは自分が自己中心的な人間だからでしょうか。もしかすると、もう生きるためには肯定するしかないと思っているからなのでしょうか。 

 本書では、著者のおこなってきた数々の喧嘩の模様や犯罪の手口が結構詳しく書かれている。捕まった後に求められて披露した錠前破りの手口などは、その場の警察官や刑務所関係者を蒼ざめさせたという。
 また、内側から見た裏社会や刑務所の実情も描かれ、そこで一目置かれて人脈を広げていく著者の人心掌握術と器の大きさが伺える。
 これほど賢くて器用で肝っ玉が据わっていて、人を集め動かす力のある人物が、もし最初から日本社会に正当に受け入れられ真価を発揮していたら、どれだけ社会にとって益になることだろう!
 一部の人間を疎外することで一番損害を被るのは当の社会であることを、我々は知らなければならないだろう。
 
 
おすすめ度 :★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
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● ワンチームの是非 本:『扉を開けて』(共同通信ひきこもり取材班著)

2019年かもがわ出版

 副題は「ひきこもり、その声が聞こえますか」

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 共同通信の記者たちによるルポルタージュ。
 ひきこもり当事者(と言っても“元ひきこもり”になるのはやむをえまい)、その家族、行政や民間の支援者、精神科医の斎藤環らにインタビューし、この問題を多角的視点でとらえている。
  • 多額の費用を受け取り、ひきこもりを強制的に家から引っ張り出し、刑務所のような収容施設に閉じ込め、何ら自立支援らしいことは行わない悪徳自立支援ビジネス。
  • 社会復帰を目指すひきこもりに就労の場を提供し、あたたかく見守る地域の経営者。
  • 女性のひきこもり当事者の抱える男性当事者とは異なる問題(たとえば、男性恐怖の人が多いので男性がいる会合には参加しづらい、母親との関係に悩む人が多いなど)
  • 親の高齢化や認知などの要介護化あるいは死によって、ひきこもりを可能ならしめてきた経済的基盤が失われ、生命の危機に直面する当事者。
 ひきこもり人口が全国で60万人を超え、年齢も10~70代と広い層におよび、ひきこもりが絡んだ悲惨な事件報道が増え、また当事者の中から声を上げる人が出てくるにつれて、この問題の複雑で多様な相が一挙にあぶり出されてきた感を持つ。
 
 問題が家庭内で隠されてきたこと、あるいは問題が社会に認識されない状態が長くあったことを思えば、ひきこもりが社会問題として陽の目を見た今の状況は、前進というべきなのだろう。
 とりわけ、政治的な支援の必要が認識され、厚労省肝いりで各県に「ひきこもり地域支援センター」が設置(平成21年~)されたのは大きい。
 やはり、2019年6月に東京練馬で起きた元農林水産事務次官によるひきこもりの息子殺害事件が、官僚や政治家たちにショックを与えたのだろうか。
 KHJ 全国ひきこもり家族連絡会のような当事者家族による互助&政策提言活動も全国に広がっている。(KHJ は Kazoku Hikikomori Japan の略)
 ひきこもり新聞といった紙媒体やネットを利用した情報発信や交流など、当事者自身の活動も盛んになってきた。
 地殻変動につながるような巨大で静かなうねりが起こっている気がする。
 日本社会のパラダイムを変えうるような・・・・。

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 ソルティがひきこもり問題を最初に知ったのは、90年代中頃であった。
 当時は、人間関係をつくるのが不得手で社会に出て働くのが困難、といった軽度の精神障害者などの居場所づくりが各地で盛んだった。
 80年代に不登校が大きな社会問題となっていたので、なんとなく「その延長かな?」、つまり「80年代に不登校だった子供たちが成人して、今度は社会に出られず、日中を過ごす“居場所”を必要としているのかな?」と思った。
 が、そうした居場所に出てこられる人はまだいいほうで、家から一歩も外に出てこられない若者たちがいる、という話であった。
 そのころ住んでいた地方都市で、ひきこもり(という命名があったかどうか覚えていない)に関するシンポジウムが初めて開かれて、知人に誘われて参加した。
 登壇していたのは、地元の精神科医やフリースクール運営者やアルコール依存症の自助グループの代表などであった。
 元当事者や家族の姿は、少なくとも壇上にはなかったと思う。
 話の内容はほとんど覚えていないのだが、一つ気になったのは、壇上にいる演者がみな、「ひきこもりが家から出て社会参加することが一番」というモードで語っていた点であった。
 当時も今も天邪鬼のソルティは、「なんでひきこもっていたらいけないんだろう?」、「なんで社会参加しないといけないんだろう?」と思った。
 質疑応答の場で思い切って手を上げて、こう問うた。
 「本人が暴力をふるって家族が困っているとか、家計が苦しいといった場合は別として、そうでない場合、そもそもなんでひきこもっていたらいけないのですか?」
 会場が凍りついた。

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Siggy NowakによるPixabayからの画像
 

 福祉の現場ではしばらく前から社会的包摂(ソーシャル・インクルージョン)という用語がブームとなっている。
 
 社会的包摂(しゃかいてきほうせつ)あるいはソーシャル・インクルージョン(英: social inclusion)とは、社会的に弱い立場にある人々をも含め市民ひとりひとり、排除や摩擦、孤独や孤立から援護し、社会(地域社会)の一員として取り込み、支え合う考え方のこと。 社会的排除の反対の概念である。
(ウィキペディア「社会的包摂」より抜粋) 

 ソルティも一人のマイノリティ(LGBT)として、また介護分野において福祉にたずさわる者として、このコンセプトには全面的に賛成であり、今回のコロナ感染者差別にみるような社会的排除は「もってのほか」と思っている。
 が一方、心のどこかで、「個人が社会というものに(半ば強制的に)取り込まれなければならない」ということに息苦しさを覚えてしまう。
 それが、行政が主導して用意する枠組みにしたがってのことなら、なおさらに。
 “ワンチーム”とか“一岩となって”という晴れがましい掛け声にちょっと引いてしまうところがある。

 単なるワガママ(自我の強さ)なのかもしれない。
 近代個人主義の弊害なのかもしれない。
 ただ、この国は同調圧力が強く、「右へならえ」の傾向が多分にあるので、あんまり“ワンチーム化”しないほうがいいのではないかという思いがあるのだ。
 たとえば、だれもが「一員として取り込まれる」先の“社会”がもし良からぬものであったら、一体だれがその“社会”の暴走に歯止めをかけるのであろう?
 お隣り中国における個人の自由の制約のさまを見るがいい。
 民主化への社会変革がどれだけ困難になってしまったかを見るがいい。
 つまり、ひきこもりの社会参加を語るのであれば、その“社会”の質こそがまず問われなければならないと思うのである。

 本書の中で、ソルティの琴線に触れた一節をちょっと長くなるが紹介したい。
 神奈川県でひきこもり当事者や家族支援を行っている丸山康彦氏へのインタビューである。
 1964年生まれの丸山氏は、28歳から7年間ひきこもっていた。

【なぜ人はひきこもるのでしょうか】
 当事者に直接会ったり、親御さんの相談を受けたりして感じるのは、ひきこもりは異常でも悪行でもなく、特有の心理状態による生きざまだといいうことです。一般の人は自宅と社会がセットで行ったり来たりできるのですが、ひきこもりの人の場合は自宅と社会の間が裂けていて、そこに生まれた「第三の世界」に心がある状態です。本人もどうしてそうなるのか分からないので、私は「無意識の指令」と呼んでいます。
 
【無意識の指令とは】
このままだと潰れてしまう、行き詰ってしまうということを予知して、本能的に自らを防御するということです。「逃げるは恥だが役に立つ」というテレビドラマがありましたが、あれは絶品なタイトルですね。まさに、自分を守るために逃避したというのがひきこもり状態なのかなと思います。

【もう少し詳しく説明していただけますか】
 当事者がよく口にするのは「普通でありたい」という言葉です。何が普通かというのは時代によって違いますが、現代であれば学校や仕事に行くのが当たり前で、仕事というのは企業などに雇われて、歯車として働くということでしょう。しかし、昔は町に1人や2人はぶらぶらしている人がいて、居候という言葉も珍しくなかった。
 今はそういう人がはじかれやすい世の中です。大気汚染から公害病が生まれるように、時代の空気に苦しくなった人たちが、心が折れて、ひきこもり状態になるのではないでしょうか。 

 この言葉を読んでソルティの心にすぐさま浮かんだのは、一つは渥美清演じる寅さん、こと車寅次郎の姿であり、今一つは戦後日本から消えてしまったサンカと呼ばれた人々のことである。
 日本には長いこと、国家の身分制度の外にいて一般庶民には蔑視されながらも、自然とともにたくましく生きる“化外の民”がいた。
 いわゆるマージナル・マン
 彼らは百姓を代表とする常民(=定住の民)の周縁にあって、村から村、山から山、川から川、浜から浜へと漂泊する民であった。
 ジブリ映画の『かぐや姫の物語』に出てくる竹取の翁や木地師の一家は、まさにそうした人々である。
 このような制度の外にいて日本中を漂泊する人々の存在が、「既存の日常性を破る異化効果をもたらした」と文化人類学者の沖浦和光は述べている。
 
 ひきこもりの存在を、こういった視点から見てみることも有意義なのではなかろうか。
 


 
おすすめ度 :★★★ 

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● 退会届、あるいはベーシック・インカム再考

 昨日、会員になっていたスポーツクラブを退会した。
 むろん、コロナのためである。
 
 昨年9月に入会したので、まだ7ヶ月ほどしか経っておらず、うち4ヶ月は足のケガで通えなかった。
 正味3ヶ月である。
 なのに、退会届を出すにあたって、ずいぶんと迷いあぐね、踏ん切りがつかず、度胸が要った。
 
 毎月8日が各種届の締切り日なので、この日を過ぎると翌月分も会員料金を取られる。
 銀行から自動的に引き落とされてしまう。
 4月分はすでに払い済みだが、5月分を払わずに済ませるためには、昨日が期限だった。
 
 骨折した足がある程度治ったところで、水中ウォーキングや筋トレマシーンでリハビリしたかった。
 だから、ここ4ヶ月はクラブに通えないにもかかわらず、毎月7000円の会員料金を納入してきたのである。
 
 今さら言うまでもないが、コロナ騒動でスポーツクラブ関連は甚大な被害を受けている。
 館内消毒を徹底する、定期的に換気する、プログラムを練り直して利用者の密集を防ぐ等々、クラブ側もいろいろと努力を重ねているのが、公式サイトから伺える。
 が、散歩の途中に窓の外から筋トレルームを覗くと、片手で数えられるほどしか利用者がいなくて、平素は隙間なく埋まっている専用駐輪場も櫛の歯が欠けたような有様。
 大丈夫だろうか?
 いつまで持ちこたえるだろうか?
 
 杖なしでも歩けるようになってきたので、本当ならそろそろクラブ復帰したかった。
 空いている夜のプールで歩行を楽しみ、トレーニングルームでヨガをしたかった。
 ミストサウナでぼーっとして、広いお風呂場でくつろぎたかった。
 思いっきり体を動かして汗をかいて、ぐっすり眠って、ストレス発散したかった。

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 もし、自分が高齢者や病人と関りを持つ介護の仕事をしていなかったならば、あるいは、80代の両親と一緒に暮らしていなかったならば、そのままクラブ会員であり続け、週3回通うであろう。
 おばさま会員のように、運動が終わってからロッカールームやサウナで長時間ぺちゃくちゃ喋るわけじゃないし、自分のメイン目的であるプールは塩素消毒が効いているから、コロナに感染する確率は低いと思う。
 満員電車での通勤のほうが、よっぽど危なかろう。
 とは言え、今は自分を守るためというより、他人を守るために、少しでもリスクある行動は控えなければなるまい。
 
 もし、3ヶ月後にコロナが終息すると分かっているならば、会員であり続けるかもしれない。
 その間お金はもったいないけれど、3ヶ月分くらいならば、クラブの経営を支えるために、クラブで働くスタッフの生活を支えるために、払い続けるのは惜しくない。
 つぶれてはこちらとしても困るのだ。
 
 そう、スタッフたちの生活・・・・。
 それを思うと、簡単に退会届を出せない自分がいる。
 彼らの失職に拍車をかける行為と思えば、心安からずである。
 
 一斉休校要請が出た3月半ばから「退会」という言葉が頭をかすめ、踏ん切りのつかないまま、昨日8日の期限を迎えてしまった。
 家を出てクラブに向かう途中も、クラブの入口の前のベンチでも、逡巡し続けた。
 運動を終え、はつらつとした表情の、肝の座った(?)利用者らが、三々五々出てくる。
 やっぱり、少ない。
 最盛期の5分の1くらいか?
 「ここまで利用者が減ったら、もう休館は時間の問題だろう・・・」
 そう思って、受付に向かった。
 
 退会手続きを取っている間も、人はやって来て、退会を申し出ている。
 やはり、皆ぎりぎりまで迷っていたのだろう。
 ソルティのように最近通い始めたのとは違い、何年も通い続け、日課となっている人も多い。
 スタッフと顔見知りになり、若い彼らとの交流こそが楽しみで来ている高齢者も少なくない。
 
 ここ数ヶ月ですっかり慣れたのだろう。
 担当スタッフは、淡々と事務的に、丁寧に、暗い顔ひとつ見せず、手続きを取ってくれた。
 「コロナが終息したら、また来てくださいね」
 
 こんなふうに、仕事の場がどんどん失われていっている。
 コロナ拡大防止のためには外出自粛も致し方ないけれど、失職した人たちへの補償をしっかりやってほしいものだ。
 失職した人々が失業保険申請のためにハローワークに駆け付ければ、感染拡大リスクが高まる。
 いっそ、スペイン政府のように、ベーシック・インカム(最低所得保障制度)を検討してはどうかと思う。

ウミガメ
また会う日まで





● ほすぴたる記 その後 14 事故後90日


 ギプスが取れて、大地に足をつけられるようになってからの回復ぶりに、自分でも驚いている。
 ほんの10日前まで、
「ああ、今後一生、山登りも介護の仕事もサイクリングもできないかもしれない・・・」
 と半ばあきらめていたくらい、ケガした左足は硬さと痛みとでままならなかった。

 それが、日々リハビリするにつれて、何もつかまらずに仁王立ちできるようになり、物につかまってカニ歩きできるようになり、手すりをたよりに階段を上り下りできるようになり、片松葉杖でまっすぐ歩けるようになり、今ではヨロヨロではあるが杖なしでも歩けるようになった。

 まだ、右足にくらべると可動域は20度ばかり狭い。膝を曲げてしゃがむ姿勢が取れない。しっかりと地面を蹴って歩くこともできない。
 けれど、復帰までは時間の問題だろう。
 一昔前だったら、石膏ギプスをはずしてから本格的なリハビリが始まるので、回復までがつらく長かった。
 整形外科学の進歩をつくづく感じる。

 今日もまた、リハビリを兼ねた散歩の途中で公園に寄って、アーシング瞑想した。
 顔にあたる春の陽ざしとつがいを求める鳥の声が、今年はとりわけ心地よい。


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 今日は労災の休業補償の申請書を書いた。
 休業補償の算定は次の通り。
  1. ケガをして休業する直前の締め日を最後とし、3ヶ月間の給料を諸手当も含み総計する(ただしボーナスなどの一時手当はのぞく)。(例)ソルティの場合、昨年の9、10、11月分の給与が対象。
  2. その額を総日数で割る。(例)30+31+30=91で割る。
  3. これを「給付基礎日額」と呼ぶ。給付基礎日額の80%が、休業1日あたりの支給額となる。
  4. ただし、「最低保証平均賃金」というのが決められており、上記3で出した給付基礎日額がこれを下回っている場合、最低保証平均賃金が適用される。
  5. 休業補償請求の時効は、休業した初日から2年である。
 わざわざ書いたのは覚え書きのためもあるが、ソルティの場合、どうやら最低保証平均賃金の適用になりそうだからである。
 ワーキングプアの面目躍如である

 書類を担当地区の労働基準監督署に提出したあと、審査を受け、実際に支給されるまで、少なくとも1ヶ月以上みなければならないようだ。
 その間、収入がないわけだから、貯金のない人は困ることだろう。

 思えば、昨年は失業保険で始まり、労災保険で終わった1年であった。
 現在自分はペーパー・ソーシャルワーカーなのだが、社会保障制度の実際を身をもって勉強することになるとは・・・。
 残るは、生活保護か。





● 日英、車中生活者 映画:『ミス・シェパードをお手本に』(ニコラス・ハイトナー監督)

2015年イギリス
104分

 原題は The Lady in the Van 「ヴァンの中の淑女」
 劇作家アラン・ベネットが実体験をもとに書いたコメディドラマである。
 マギー・スミスとアレックス・ジェニングス共演で1999年に舞台化、15年間のロングランとなり、同じ顔触れで映画化された。

 内容からして、『ミス・シェパードをお手本に』という邦題はそぐわないし、ちょっとダサい。
 2001年に日本で舞台化されたときの邦題は、『ポンコツ車のレディ』。
 いいタイトルじゃん。なんでこれにしなかったのか?
 
 多くの芸術家が住むロンドンのカムデン・タウンに越してきたアラン・ベネット(=アレックス・ジェニングス)。独身の劇作家で、実はゲイである。彼はそこで、路上に停めたポンコツのヴァンの中で暮らす正体不明の老女ミス・シェパード(=マギー・スミス)と出会う。
 頑固で偏屈で不潔で感謝知らずのミス・シェパードの奇矯な行動に振り回されながらも、なぜか気になってしまい、何くれと世話するベネット。しまいには自宅の庭にヴァンを駐車させてあげるはめに。
 二人の関係は15年にも及び、やがてベネットは彼女の波乱万丈の過去を知ることになる。

 ―—といった話なのだが、この映画はタイトルや成り立ちやテーマやストーリーよりも、何を措いてもまず、英国の国民的名女優たるマギー・スミスの至高の演技を味わうべき作品である。ソルティがレンタルしたのも、マギー・スミスの演技が観たいからであった。
 期待を裏切らない、どころか期待をはるかに超えた本物の演技に脱帽するほかない。

ミスシェパード

 
 英国におけるマギー・スミスの位置づけを本邦の女優で置きかえたら誰であろう?
 すぐに浮かぶのは一昨年亡くなった樹木希林である。
 演技力といい、知名度といい、庶民的かつ個性的な顔立ちといい、頑固一徹そうな性格といい、演じた役柄の幅の広さといい、両女優は似ている。
 希林亡きあと、その座を占める女優はそうすぐには出てこないと思われる。一番近いところにいるのは、大竹しのぶだろうか。
 ちなみに、日本で舞台化されたときのミス・シェパードは黒柳徹子、ベネットは芝俊夫と田中健の“二人一役”だった。徹子さんは適役だったろう。
 
 ソルティは樹木希林の演技をあまり好まなかった。
 巧すぎてかえって鼻につく感じがしたのである。
 彼女が演じている様々なキャラクターのうしろから、「わたし、うまく演じているでしょう」という希林の心の声が聞こえてくるような気がした。とくに、物語が佳境に入り、最高の見せ場であるほど、深く複雑な感情表現が必要とされるシーンほど、その傾向を感じた。
 演じている自分をどこかで観察、計算、評価している、もう一人の希林の存在を感じた。
 
 一方、マギー・スミスは映画・演劇関係者のだれもが「上手い」と認めざるをない女優だが、彼女の芝居には「鼻につくような巧さ」を感じることがない。あまりに演じている役に同化してしまうから、観ている方もそこに、女優マギー・スミスでなく、物語の登場人物を観るからである。
 この映画でも、最初のうちこそマギー・スミスの名演技を鑑賞する心づもりでいたが、話が進むにつれ、ミス・シェパードという風変わりな老女の隠された過去や行く末に関心を寄せている自分がいた。
 ミス・シャパードとマギーが一体化し、あたかもマギーの“地”であるかのような自然さに達している。
 その意味では、樹木希林より大竹しのぶのほうが、よりマギーの演技に近いかもしれない。
 役をつくる人(姫川亜弓)と、役になりきる人(北島マヤ)の違いだろうか?

琴弾八幡宮の白猫


 ところで、この映画をレンタルしたその日の夜、NHKスペシャルで『車中の人々、駐車場の片隅で』というドキュメンタリーをやっていた。やむを得ない事情のため長期間車の中で暮らさざるを得なくなった人々(車中生活者)を取材・調査した番組だ。
 それによると、全国1160の道の駅のうち335か所の駐車場に車中生活者が存在した。単身者ばかりでなく、夫婦、子連れ家族、ペット連れ、認知症の要介護者、病気を抱える人がいて、車中で亡くなる人も少なくない。年齢は幅広く、そうなったきっかけはさまざまであるが、失業や貧困や人間関係のストレスなどが多いようである。道の駅を利用する理由は、24時間無料でトイレや売店があり、他人と話す必要がなく、夜間追い出されることがないためである。
 インタビューを受けた当事者の一人はこう言った。
 「生活保護を申請するために役所に行ったら、車があるからダメですと断られた」

 ミス・シェパードは、ロンドン市民が住む街中で車中生活をしていた。近所の人々は一様に困った顔はしていたが、追い出したり、嫌がらせしたり、警察に通報したりはしなかった。時にはお菓子や食べ物の差し入れしながら、遠くから気にかけていた。
 彼女のもとには定期的にソーシャルワーカーが訪問し、様子を見守っていた。施設への入所を進めたが、これは以前入所した精神病院で嫌な体験をしたミス・シェパードによって拒否された。
 自由と尊厳が守れる車中生活を望むミス・シェパードの決定を尊重しながら、ゆるやかなネットワークで見守っていたのである。

 ミス・シェパードをお手本に。
 なるほどなあ~。


 
評価:★★★

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