2023年エトセトラブックス
ホームレス体験を書いた男性の手記は昨今めずらしくない。
当ブログでも、塚田努著『だから山谷はやめられねえ 「僕」が日雇い労働者だった180日』(幻冬舎アウトロー文庫)、國友光司著『ルポ 路上生活』(KADOKAWA)を取り上げている。
一方、ホームレスの女性による手記はめったにない。
山谷で売春しながら生きた昭和の女性たちを描いた宮下忠子著『思川(おもいがわ)』(筑摩書房)、車中生活する英国の老女を主人公とするニコラス・ハイトナー監督『ミス・シェパードをお手本に』(2015年)、コロナ禍の不況でホームレスになった女性を描いた高橋伴明監督『夜明けまでバス停で』(2022)など、福祉関係者やプロの作家の手による作品はあるが、当事者女性が書いたものを読むのはこれがはじめてであった。
小山けい子さん、1948年10月14日生まれ。団塊の世代。
15歳で家を出て上京。
男性と暮らしながら、さまざまな職を渡り歩く。
2000年3月より都内の某公園でテント暮らし開始。
すなわち52歳でホームレスとなる。
すなわち52歳でホームレスとなる。
2013年12月末、テント内にて息を引き取る。
享年65歳。
本書は、晩年の小山さんを支えていた同じ女性の野宿者や福祉関係者が周囲に呼びかけ、集まった人々でワークショップを何十回と重ねながら、小山さんが遺した手書きノート(日記)を協同でまとめあげたものである。
80冊を超える大量の日記のうち、1991年1月から2004年10月まで、すなわち小山さんがテント生活に入る前から始まって、年下の支援者らと出会うまでの13年あまりのことが書かれている。
小山さんは、“書く”ことによって自らを支えていた物書きだった。
小山さんの詳しい来歴や過去はわからないものの、どんな女性であったかは日記からある程度うかがえる。
読むことと書くことを生きがいとし、音楽やダンスが好きで、オシャレで、芸術や哲学を愛し、フランスやイタリアに憧れ、人間関係は得意でなく、自分が自分でいられる孤独や自由を大切にし、公的な福祉や医療によって尊厳が奪われることを嫌い、喫茶店で過ごすひとりの時間をオアシスともシェルターともサンクチュアリ(聖域)ともしていた。
こう書いている。
人間が自由に生き、自由に歩める町と人の間を通りながら、人間であることの自分自身を取り戻す。まっすぐ喫茶に向かう。やはり私の本来の一日の意識を回復する所は西洋風の喫茶しかない。食べ物にかえられない時がある。一体、五十にもなって何をしているんだと、いい年をしてまだ本をもち、売れもしないものを書いて喫茶に通っているのか・・・・と、怒り声が聞こえそうな時、私の体験の上、選んだ生き方だと、私の何ものかが怒る。同じ人間でも、これほどの感覚の相違がある。良いも悪いもその人の生き方と現状がある。あまり人の言に左右されてはならない。私の現在に必要なものは、大切に使っているだけだ。福祉の援護を受け、住宅街で規則きびしい生活には耐えられないだろう。強制のときはやむをえないが、もう少し自分の本来をとりもどし、明るい近代を生きていけるよう頑張ってみることだと、とりあえず現在はこれ以上深く過去の事情をたずねられたりすることは苦痛だ。
Engin AkyurtによるPixabayからの画像
なんだかとってもソルティに似ている。
ソルティも女に生まれていたら、小山さんのようになっていたのだろうか?
いや、将来、働けなくなって住む家を失ったら、小山さんのようになるのだろうか?
他人事でない気がした。(ただしソルティは、一カ所滞在のテント暮らしより、野宿を続ける草遍路のほうを好む)
一方、理解できない部分もあった
小山さんは、ホームレスになる前から、同居の男から頻繁に暴力を受けていた。
DV被害者なのである。
ホームレスになってからもその男と別れることなく、同じ一つのテントで暮らし、暴言を吐かれ、暴力を受け続ける。
「もうこりごりだ。二度とあの男とは関わらない」と決意するものの、しばらくすると、元の木阿弥、またしても同じ沼にはまってしまう。
命の危険にさらされているのに、どこか別の場所に逃げることも、誰か――たとえばボランティアの教会関係者など――に助けを求めることもしない。
その男が急死すると、毎日のように男を追悼し、思い出し、男のために泣く。
この感覚は、ソルティには理解不能である。
これは、小山さんのもともとの性質の一端であると同時に、この世代の女性が持っている柔弱な部分(つつましさの装いのうちに内面化された男尊女卑)の表れなのかもしれないと思った。
さらに、男ばかりのテント村で“紅一点”とも言える小山さんは、おそらく、さまざまな性被害を受けたのではないかと思う。
だが、それについて何も書かれていない。
みずからの性について女性があけすけに表現できるのは、一世代下の山田詠美(1959年生まれ)あたりを待たなければならなかったのか。
もっとも、編集作業を行った女性たちが、小山さんの尊厳を守るため、性被害に関する記述を割愛した可能性もあるが・・・・。
一方、小山さんが公的な福祉の援助を拒む気持ちは、よく理解できる。
生活保護、ホームレス自立支援制度、介護保険、障害福祉サービス、社協の生活福祉資金貸付制度・・・・e.t.c.
行政が提供する福祉サービスはいろいろあるけれど、どれも利用するには敷居が高すぎる。
落伍者、失敗者、社会のお荷物という烙印を押され、あちこちの窓口をたらい回しにされ、上から目線で応対され、良くても同情的な振る舞いをぶつけられる。
専任の担当者からいろいろとプライヴァシーをほじくり出され、自立のための目標設定や計画の作成を求められ、定期的に監査され、その都度、助言と言う名のお説教を聞かされる。
自尊心のある人なら到底耐えられるものではない。
もっとも、個々の窓口には人権意識が高く受容力に富んだ素晴らしい職員もいることだろうし、そうした人に当たった幸運な申請者も少なくないだろう。
だが、制度設計そのものが、国民が受けられる当然の権利を保障するものにはなっていない。不当な受給者をはじき出すべく精査して、行政の言うことに素直にしたがう者だけに恩恵を施すものになっている。
ソルティは、やはりベーシックインカムこそが、日本国憲法25条の理念を完全に実現する道だと思っている。
日本国憲法第二十五条すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
小山さんがホームレス生活を送っていた2000~2013年は、石原慎太郎都政(1999~2012)とぴったり重なる。
本書の記述の中心をなす2001~2004年に総理大臣をつとめていたのは、小泉純一郎(2001~2006)であった。
つまり、本書は、自己責任が声高に叫ばれ、社会的弱者に対して行政や世間がもっとも冷たい時代のホームレスの記録である。
國友光司が書いたルポを読むと、令和時代のホームレスをめぐる環境は、小山さんの頃にくらべると格段と良くなっているような印象を受ける。
けれど、國友が描いたのはあくまで男性視点のホームレス生活である。
女性というジェンダーならではの問題はいまだに残されたままなのかもしれない。
社会からはじかれたテント村にあっても、弱者が虐げられる構造は変わらない。
おすすめ度 :★★★
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損