ソルティはかた、かく語りき

首都圏に住まうオス猫ブロガー。 還暦まで生きて、もはやバケ猫化している。 本を読み、映画を観て、音楽を聴いて、神社仏閣に詣で、 旅に出て、山に登って、瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

●シャフクへの道

● シャフクへの道6  祝 杯 

 社会福祉士養成課程(通信教育)の修了証が届いた。
 1年10ヶ月(正味1年7ヶ月)の学習が正式に終わって、晴れて国家試験の受験資格が得られた。長かったような、短かったような・・・(しみじみ)。

サンシャイン終了証 002
 

○ 完読したテキスト20冊
○ 提出したレポート33本(各1000~1200字)
○ 参加したスクーリング4回(計10日)
○ 現場実習180時間(約1ヶ月)
○ 払った学費 約30万円(テキスト代含む)

 振り返ってみると・・・・結構面白かった。
 自分(ソルティ)は過去20年くらい市民活動やNGO活動に関わってきた。その中でカウンセリングや福祉手続き支援などの相談援助も行ってきた。その時その時で、自分で調べたり上司や仲間に教えてもらったり研修を受けたりして、実際のやり方や留意点を学んできた。それらの経験は自分の中に蓄積されて肥やしとなっているのは間違いないだろう。が、それぞれの知見や経験は脳の別々の場所に個別に保管されていて、また学術的・制度的な裏づけも弱いままであった。
 それが今回体系的に学んだことで、バラバラだったジグゾーパズルのピースが然るべき位置にあてはまって全体の絵柄が判明してくるように、自分がやってきたことの全体像が立ち現れた。個々の経験が社会福祉の全体像のどこに位置しているのかが見えてきた。それぞれの支援方法についても、「なるほど、あの時の援助はこの法律のこの制度に基づいていたんだな」とか「あの時、上司が言っていたことは、日本の社会福祉の歴史の中のこういう経緯に基づいての発言だったんだなあ」とか「自分のやってきた(学んできた)カウンセリングや対人援助技術の要は、バイスティックの七原則にあったんだな」とか、いろいろ後付けされ、活動の根拠が明確になり、今さらながら合点がいった。
 もちろん、新しいことを学ぶ面白さもあった。
 とくに、2000年以降の社会福祉基礎構造改革の流れについて学べたのはとても為になった。高齢者支援も、障害者支援も、児童・家庭支援も、低所得者やホームレス支援も、刑務所から出てきた人の更生保護も、生活保護も、あらゆる福祉領域がいま基礎構造改革の影響を受け、180度と言っていいくらいに中味(理念)も制度も支援スタンスも以前とは変わっている。 
 それゆえに、『社会福祉法』『介護保険法』『障害者総合支援法』『難病法』『子ども・子育て支援新制度』等々の成立を経て、基礎構造改革が一定の成果を上げて落ち着いてきたこの時期に、社会福祉について広く深く体系的に勉強できたのはベストタイミングだったなあと思っている。もっと早く勉強して、もっと早く社会福祉士の資格を取ることもできたのだろうが、それだと基礎構造改革以前の古い理念や支援スタンスを引きずったままのテキストや授業内容であった可能性があるし、学んだそばから法律やら制度やらが変わっていくことになったろうから、混乱しそうである。
 今で良かった。

 スクーリングも面白かった。
 いろいろな福祉現場で働く受講生との情報交換や苦労話(愚痴)も面白かったし、グループワークでの事例検討も参加者それぞれの人となりや背景が、その人の発言や振る舞いからうかがえて、人間観察とコミュニケーションスキルを磨く良い機会になった。受講生は、いろいろな年代の社会人ばかりだったので、それぞれに背負ってきたもの(仕事面でも家庭面でも)がある。若い学生ばかりのグループとはまったく違った‘ディープさ’が話の端々に感じられた。やっぱり、成功よりも失敗や挫折において、人は学ぶし成長するものだと改めて実感した。
 内気な自分。誰とも連絡先交換はしなかった。
 が、狭い世界。そのうちどこかで会えるだろう。

 最初から一番の重荷は約1ヶ月の現場実習だった。
 すべてのレポートやスクーリングを合わせた以上に、現場実習が気がかりであり、不安であり、ときに気重ですらあった。
「変な施設だったらどうしよう?」
「意地の悪い担当者だったらどうしよう?」
「施設の職員や利用者とうまくコミュニケーションとれるだろうか?」
「一ヶ月、体力・気力続くかな?」
・・・といった心配があった。50歳過ぎても、こういう‘はじめてのこと不安’はついて回るものである。元来、悲観的なタチなんだな、自分。
 ありがたいことに、しっかりした運営基盤を持つ、地域で評判の高い施設であり、スタッフも担当者も親切で(担当者は剽軽なイケメンで)、利用者と楽しく交流することができ、体調を崩すことなく最後まで元気に通うことができた。実習生をたくさん受け入れている施設で、自分と重なる時期に社会福祉士志望の実習生が3名いて、同じ立場で励ましあうことができた。これがずいぶん助かった。
 以下、学校に提出した実習報告書より抜粋。

 障害者の生活介護の現場を見るのは初めてであった。
 まず、様々な障害を持つ利用者と出会い、障害の多様性に気づかされた。「障害者」とひとくくりにして支援できるものではなく、障害の種別に応じ、またそれぞれの方の性格や年齢や家族背景やADL(日常生活動作)や生活歴に応じ、個別の丁寧な支援が必要であることを、利用者やその家族を知る中で、またスタッフの支援方法を間近に見ることで、実感した。
 とても重い病気および障害を持ち常時の医療支援が必要な利用者がいた。通所中は2名の看護師がそばについて生活支援員と連携を取りながら適宜療養の世話を行い、本人が仲間と一緒に日常活動に参加できるようサポートしていた。障害者福祉の主要理念であるノーマライゼーションを実感した。また、自閉症の方々に接し、障害の特質を知り、これまで自分が持っていた偏見・誤解を是正することができた。
 普段の自分の職場である高齢者介護施設現場との違いをまざまざと知り、その理由を考察する機会になった。人手不足と業務過多のため「自立支援」という言葉がなかば形骸化している今の高齢者介護のあり方について改めて疑問を感じ、また‘スピード優先’で、利用者のできることでも奪ってしまいがちな自分の介護のあり方を反省すること度々であった。
 一般に、障害者福祉の方が、職員配置含めケアが手厚く、本人や家族の権利意識が強く、施設運営への関わりも深いと感じた。(障害者自立運動の歴史、および面倒を見る相手が自分の親である場合と自分の子供である場合との違いに拠るのであろうか。)
 実習後半は、利用者の中から一人選び、その方の個別支援計画を作る作業をした。自分は20代のダウン症の女性を選んだ。朝から夕まで、彼女の近くで日常の様子を見守り交流しながら、できること・できないこと・興味あること・どのような支援が可能なのか・・・といった検討をし、個人ファイルからご家族の要望や入所以降の状況を把握し、自分なりの支援計画を作成した。
 ここでもやはり、自施設の支援計画書に慣れた自分の作った計画書は、当事者の意思や要望を尊重するという点で思慮の足りないところがあった。相談援助における主役はあくまでも当事者であるという基本を改めて学ぶことができた。
 振り返ると、利用者の魅力とスタッフの方々の親切な指導に助けられて、乗り切った実習であった。深く感謝するものである。
 今後は、広い分野の社会福祉の現場に関心を持ち、動向を知り、新しい情報を取り入れるとともに、できるだけ現場で働く人や当事者の声を聞いて、生きた情報を取り入れていきたい。そして、当事者の自立や自己決定を尊重し、人としての尊厳を保つことのできるような相談支援や介助のあり方を学び、身につけていきたい。

中央法規テキスト


 社会福祉士を取って「どうする」というのは、現段階では実はあまり考えていない。
 ただ、今やっている介護の仕事は体が資本なので、いずれ限界が来るのは間違いない。すでに、ここ最近、膝と腰が悲鳴を上げはじめている。右目もよく見えなくなった。重大事故につながる前に、身を引いたほうが無難だろう。少なくとも、体力や筋力や敏捷性を必要とするようなヘビーな現場からは・・・。
 その後、どうするかな?
 
 ただ、たとえ社会福祉士の資格を取れなくても、そういった仕事にこの先就くことがないとしても、この2年弱の勉強は無駄にはならないと思う。やって良かったと思う。変わってゆく社会情勢を知って頭の中をアップデートすることができ、これまで知らなかった世界(障害者施設)でディープな体験ができ、学生時代にはあまり味わえなかった‘知ること’の面白さを味わうことができ、毎日を張りを持って過ごせたのだから。

 今夜は一人で祝杯だ。

祝杯
 



● シャフクへの道5 映画:『ショート・ターム』(ディスティン・ダニエル・クレットン監督)

2013年アメリカ。

 現在、自分(ソルティ)は社会福祉士国家試験の受験資格を得るために、障害者施設で実習中である。
 馴染んだ職場を離れて、約一ヶ月(180時間以上)の他施設での現場研修は、緊張と戸惑いの連続であり、結構疲れるものである。指導担当者(イケメン!)は自分の息子世代であるし、スタッフの9割は間違いなく自分より年下である。変なプライドがあったら、とうてい続くものではない。
 我ながらよくやってる
 スクーリングの時の先生が言っていたが、「実習から一番傷ついて戻ってくるのは、児童養護施設に行った学生たち」だそうである。
 さもありなん。
 親に虐待されたり育児放棄されたりした子供たちの可愛そうな姿に若く純粋な心が傷つくのではない。ケアの対象者であるほかならぬ子供たちに苛められて傷つくのである。言葉をかけても無視されるのはまだいいほうで、暴言・暴行・持ち物を隠される・帰りがけに下駄箱から靴を取り出したら、中にウンコが詰まっていた、なんて学生もいたそうだ。
 「恵まれない子供たちのために、私はマザーテレサのような無辺の愛を注ぐ」なんて気高い志を持って入っていったら、みじんに打ち砕かれることだろう。

 この映画は、そんな子供たち――家庭環境に恵まれず行き場を失ったティーンエイジャーが、次の行く先が決まるまでの短期間(ショートターム)を仲間とともに過ごす寮が舞台となっている。深い傷を負い‘ぐれた’子供たちの起こす様々な問題行動と、怒りの裏側に彼らが抱える孤独や絶望や悲しみを描くことが、一つのテーマとなっている。
 主人公は、この寮で働く若く有能な女性グレイス(=ブリー・ラーソン)と、彼女の同僚かつ恋人である優しく剽軽なメイソン(=ジョン・ギャラガー・Jr)。二人は、互いを信頼し尊敬し愛し合っているかに見える。が、グレイスはメイソンには言えない子供の頃の深い傷を抱えている。それが二人が結婚し親になる上での障害となっている。これがもう一つのテーマ。
 二つのテーマをうまく絡ませながら、大団円に導いていく脚本が優れている。
 子役を含め演技者も良い。とくにブリー・ラーソンは存在感があって、美しく知的で、かつてのジョディ・フォスターを髣髴とさせる。(もしやレズビアン?) 休学して施設に研修に来た学生ネイトを演じるラミ・マッレクは、オリエンタルな風貌のキュートなイケメン。息詰まりそうなディープな物語の中で、“箸休め”のような役割を果たしている。
 
 グレイスやメイソンは、なぜこのように大変な骨の折れる仕事をユーモアを持ってできるのだろうか。囚人を見張るサディスティックな看守のようでもなく、慈愛あふれる(しかし子供たちに裏切られる)教会のシスターのようでもなく、なぜ子供たちの心に入り込み、信頼を得られるのだろうか。
 メイソンは、孤児院育ちであることが明かされる。素晴らしい養父母に出会えて、愛されることの喜びを知ったことで、「今の自分がある」と自覚している。彼の経歴が、仕事のモチベーションになっているのである。
 一方、グレイスはどうか。彼女が、どうしようもない両親のもとに育ったことが少しずつ明かされていく。男をひっかえとっかえする母親。刑務所に収容されている父親。子供の頃から続く自傷癖。
 しかし、彼女が悲惨な身の上をはじめて打ち明けたのは恋人のメイソンではなかった。怖くてそれはできない。彼女が気を許せた相手は、寮にやってきたばかりの少女、父親の虐待を受けているジェイデンだったのである。自分と同じ境遇に置かれている少女を目の前にし、救いたいという一心が、グレイスに勇気をもたらしたのであった。

 すべからく、人を助ける人間は、助けられる相手によって、また助けられている。
 そんな真実を教えてくれる一本である。
 (自分の実習も利用者に助けられている部分が大きい。) 


評価:B+

A+ ・・・・めったにない傑作。映画好きで良かった。 
「東京物語」「2001年宇宙の旅」「馬鹿宣言」「近松物語」

A- ・・・・傑作。できれば劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」「スティング」「フライング・ハイ」「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」   

B+ ・・・・良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」「ギャラクシークエスト」「白いカラス」「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・純粋に楽しめる。悪くは無い。
「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」

C+ ・・・・退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・見たのは一生の不覚。金返せ~!!





● シャフクへの道4 本:『善意からソーシャルワーク専門職へ』(メアリー・リッチモンド著)

善意からソーシャルワークへ 001

1907年原著刊行。
2014年筒井書房より邦訳発行。
 
 100年以上前の本である。
 が、いまだに古さを感じさせないところが名著の名著たるゆえん、改革者の天才の証である。

 メアリー・リッチモンド(1861-1928)はアメリカのソーシャルワーカーの先駆となった女性で、のちに「ケースワーク(個別援助技術)の母」と呼ばれるようになった。彼女の一番の功績は、この本のタイトルが示すとおり、「善意からソーシャルワーク」への道を切り開いたところにある。

 それまで欧米では、地域に住む貧しい人や病む人を助けるのは、教会関係者を中心とした篤志家や善意のボランティア達であった。むろん、公的機関も救貧院を作ったり、貧しい家庭に食糧や衣類の配給を行ったり、仕事の斡旋をしたりしていた。
 これらの活動の特徴は、一言で言うと「施し」である。そこでは、富める者を社会的にも宗教的(霊的)にもますます優位の賞賛すべき立場に押し上げる一方、貧しい者からは自尊心や自立心を奪い、「施し」への依存を高め、彼らをいよいよ堕落させてしまうことが少なくなかった。
 何日も飲まず食わずで餓死寸前とか、大雪の晩に泊まるところがないとか、といった緊急時の援助としては「施し」は役立つし、必要であることは明白である。が、長い目で見たときに「施し」では人は救えない。人間は簡単に現状に甘んじてしまうものであり、働かずに食える手立てをいったん知ってしまうと、楽な方向に流れるからである。だから、福祉ゴロなんて言葉も生まれる。

 そもそも、人を救うことなど誰にもできない。自分を救うことができるのは自分だけである。周囲ができるのは、そのための力の存在に本人が気づき、力を発揮できるように障害物を取りのぞく手伝いをすることくらいであろう。
 貧困家庭を訪問する慈善組織協会(COS)の友愛訪問の活動を通じて、リッチモンドが骨の髄まで悟ったのは、当人の自立・自律を育むように関わることの重要性と、当人だけを対象とするのではなく周囲の環境(家族・友人・近隣・職場・支援団体等)をよく知り、本人とそれらとの調整をはかっていくことの大切さであった。
 「自立支援」と「環境調整」――まさに現代まで続く社会福祉の基本理念、ケースワークの原点である。
 これは「施し」のような一時的、表面的、無差別、無計画な行動からは、決して達成され得ない。(とはいえ、ただ一回の「施し」が人の一生を変えることもあろう。)
 リッチモンドは、友愛訪問による多くの体験や知見の蓄積を科学的に分析・体系化することで、人を支援する上での効果的で汎用性ある方法論を打ち立てた。
 それがソーシャルワークである。

 リッチモンドは長年にわたり当時のケース記録を分析し、1917年に『社会診断』を発刊した。リッチモンドはこの『社会診断』でケースワーカーが共通に所有することのできる知識、方法を確立し、次世代のソーシャルワーカーを養成するための知識と方法を伝えようとした。(新・社会福祉士養成講座『相談援助の基盤と援助』中央法規)

 おかげさまで100年後の現在、我々は欧米のソーシャルワークを、体系的・学際的・包括的・総合的・専門的・実践的に学ぶことができる。自分が今学習中の通信教育のテキストなど、それこそ21巻からなる大著である。各巻のタイトルだけ挙げてみても、いかに現代のソーシャルワーカー(社会福祉士)が広範な知識と技術を身につけることを期待されているかが分かろうものである。
 
善意からソーシャルワークへ 002

 100年前に欧米で萌芽した慈善活動に関する新しい概念や方法論が、その後1世紀間の人間や社会に関する新たな知見や研究成果によって彫塑されながら次第に充実して、現代日本にここまで組織だって浸透していることに素直に感動を覚える。
 一方、ソーシャルワーク揺籃期の情熱や意気込みが全編から湧き出している本書に、すでに現在の社会福祉の仕事のキーワードがほとんど出揃っていることにも驚きを禁じえない。
 自立支援、環境の調整、他機関との連携、当事者の未来を視野に入れた具体的・現実的な支援計画を作ることの必要性、事実に基づいたアセスメントの重要性、公的資源よりインフォーマルな資源(家族や友人やご近所など)を優先すべきe.t.c.・・・・
 すべてはリッチモンドから始まったのである。
 そのうえに、本書には、自分が今勉強している専門用語や制度名や法律名だらけのお固いテキストには載っていない、ケースワーカーが貧困者に実際に関わるときに役に立つ‘金言’とでも言うべきエッセンスが随所に盛り込まれている。
 そこが何よりの魅力である。
 
以下引用。

 貧しい男性との友好的な関係を形成する過程で、しばしば苦労するのが、共通の話題づくりである。ここに、豊かな者と貧しい者に、最低でも1つの共通した話題がある。それは、彼らが共通して多くの不平をもっていることが認められることである。共通の不平のなかで、良い友好的な関係のきっかけをつくれるものは何なのか?である。もう1つの共通の話題は、その日のニュースである。非常に貧しい者さえ毎日の新聞を読むからである。

 留意すべきもう1つの事実は、貧しい人の近隣のつながりと相互依存の結びつきが、慈善事業によって弱められることがある。それは、そのような自然発生的で健康的な関係を考慮しないためである。豊かな地区、あるいは施し物が潤沢に与えられる地区では、貧しい人々がお互いに親切ではない。親切な人々の無差別の施しは、かえって近隣の相互支援的な雰囲気を全体的に低下させ、近隣の助け合いをなくし、不信と嫉妬を生む。

 衛生環境、家計費と収入、経歴、食料についての入念な研究をしても、何がその家族の喜びなのかを知るまでは、実は私たちは彼らを理解できていないのである。ある訪問員は、その家族と心から大笑いできるまでは、貧困家庭を理解したとは感じられないと述べている。訪問員がユーモアの精神に欠けていると、仕事はうまくいかなくなってしまう。貧しい人々も、陰気な人々が嫌いな点では私たちと同じなのだ。

 友愛訪問は、貧困家庭の喜び、悲しみ、考え、感情、および生活の全体像について、本質的にまた絶え間なく理解し、共感するものなのである。それがあれば訪問員は、救済やそのほかのことで失敗することはあまりない。もしそれがなければたいへんな失敗を、家族との慈善的関係においてしでかすことになるだろう。訪問員は、私に、友好的な感情に駆られて訪問し続けたけれども、自分たちが何らかの役に立ったのかわからないと述べた。
むしろ特に報告すべきことがないという訪問員が、最大の貢献をすることがしばしば見られる。

 かかわりを深めるために続けて訪問することにより、やがて訪問時に関心をもつ力が私たちの中に生じる。貧しい人々との接触において、私たちはいつもおおらかに自分を提示しているわけではない。彼らについて知ることに集中して、彼らが私たちについて聞きたがっていることを忘れてしまう。もしいつも同情を示す代わりに、私たちがそれを問うてみたらうまくいかなくなるだろうか? もし私たちが自分の友人の喜びと悲しみについて彼らが質問してくることに注目すると、しばしばすばらしいものがある。このような相互関係は彼らの恵まれない生活の幅を広げ、私たちとの接触をより人間的なものにする。

 ソーシャルワークが今のように体系化・専門化し、大学でも通信教育でも学べる学問として成立していることは、別の観点から言うと、マニュアル化・テクニック化・機械化が進んだということでもある。
 そのことによって失われてしまうものがある。
 一人の人間と一人の人間との‘今ここ’での関わりにおいて生じる言葉にできない‘何か’、それがなければどんなに立派で非の打ちどころない自立支援計画も無に帰してしまうような‘何か’、それあればこそ「支援する・支援される」の垣根を越えて両者が一緒にくつろげる‘何か’。
 その‘何か’を忘れないで社会福祉に関わっていきたいものである。






 
 

● シャフクへの道3:生活保護未満

生活保護 昨年4月から始めた社会福祉士養成通信講座。
 毎月、社会福祉の様々な分野やテーマ毎に編纂された分厚いテキストを1~2冊読んでは、レポートを提出している。
 現在読んでいるのは『低所得者に対する支援と生活保護制度』(中央法規)である。
 ホームレス支援には興味があるし、自分もまた長らくワーキングプアの1人であり、いつ生活困窮者自立支援法(2015年4月より施行)や生活保護制度のお世話になるやもしれないので、勉強がはかどることこの上ない。
 やはり、自分に関係ある、役に立ちそうな情報は頭に入りやすい。

 生活保護はわが国の貧困者を救う最後のセーフティネット(砦)である。
 ここから落ちたら、もはやホームレスになるか、犯罪者になるか、自殺するか、出家するしかない。というより、前の二つの境遇まで‘落ちて’はじめて、生活保護が受けられるケースが後を絶たない。セーフティネットというより‘金魚すくい’である。
 
 平成23年(2011年)時点での生活保護を受けている人は約207万人(世帯数だと約150万世帯)、もちろん戦後最高である。もっとも少なかったのは平成7年(1995年)の約88万人(約66万世帯)である。16年間で約2.4倍になっている。
 気になる国家予算であるが、平成25年度の生活保護費は約29兆8614億円。天文学的な数字である。国家予算に占める生活保護費の割合をみると、対一般会計予算比で3.1%、対一般歳出予算比で5.3%、対社会保障関係予算比で9.8%となっている。ちなみに、防衛費は対一般歳出予算比で10%くらいである。
 被保護世帯の類型でみると、高齢者世帯、母子世帯、傷病・障害者世帯が総数の約8割を占めている。高齢化が進むのは確実であるから、生活保護世帯数も国家予算に占める生活保護費の割合も今後ますます増大することは明らかである。
 一方、生活保護費の不正受給やワーキングプアとの逆転現象--生活保護を受けずに働いている者の生活レベルが、生活保護をもらっている者より低い--などがメディアに取り上げられて、生活保護に対する締め付けが強くなっている現状がある。「生活保護に値するかどうかを調べる資力調査(ミーンズ・テスト)をもっと厳しくせよ」とか「生活保護基準を引き下げよ」という意見も多く聞かれる。
 不正受給対策はともかく、生活保護基準の引き下げはどうなのだろう?

 生活保護法の存在が、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利がある」と規定する日本国憲法第25条(生存権)に依拠するのは周知の通り。日本国は、すべての国民に対して「健康で文化的な最低限度の生活」の具現を保障しなければならない。
 では、「健康で文化的な最低限度の生活」とはどのレベルを言うのだろうか。
 とても抽象的な概念である。
 「健康」はまだしも「文化的」というのが曖昧模糊としている。
 具体的に言うのならば、「いったい一ヶ月いくらあれば、‘健康で文化的な最低限度の生活’が保障されるのか」ということになる。
 その基準を示すのが、厚生労働大臣が定める「生活保護基準」である。 

生活保護基準は、生活保護制度によって保障される生活の水準を表しているだけでなく、国民にどの程度の生活レベルを国家が保障していくのかというナショナル・ミニマム、いわば社会保障制度の根幹にかかわる機能を有している。この水準は、・・・・・・単に生理的生存が可能な水準ということではなく、人間としての尊厳と体裁が維持できる社会的・文化的生活が充足される水準でなければならない。(上記テキストより抜粋)

 簡単に言えば、国が保障してくれる「日本人としての最低レベルの暮らし」を、生活・教育・住宅・医療・介護・出産・生業・葬祭の8種類の扶助に分けて、具体的な金額として示したものが生活保護基準である。
 生活保護基準の中でもっとも基本的な扶助である生活扶助(食費・被服費・光熱費・家具什器費など)は、おおむね要保護者の①年齢、②世帯人員、③所在地の3つによって自動的に決まる。それに、本人が妊産婦であったり、障害者であったり、要介護状態であったり、母子世帯であったり、特別な事情がある場合に加算がある。
 自分(ソルティ)の場合をやってみよう。
① 年齢   41~59歳 
 ※0歳から70歳以上までを8つの年齢層に分けている。12~19歳の層がもっとも基準額が高い。
② 世帯人員 1人暮らし
③ 所在地  東京都(1級地―1)
 ※ 全国を物価との兼ね合いから6つの地域に分けている。(1級地-1)がもっとも基準額が高い。
④ 特別加算なし

 上の条件をもとに定められた算式によって計算してみると、平成25年時点におけるソルティの一ヶ月あたり生活扶助費は80,380円であった。年間にすると、964,560円。これに期末一時扶助(年末に出る‘餅代’のようなもの)が13,500円、冬場(11~3月)の燃料費である冬季加算が15,200円。
 合計すると、一年の生活保護でもらえる金額は、993,260  ・・・・・・①
 次に、東京都の場合、1人暮らしの住宅扶助の上限額は53,700円である。つまり、家賃53,700円以下のところに住まう限り、住宅費はかからない。
 年間にすると、644,400 ・・・・・・②
 したがって、基本的な生活を整えるのに必要な衣食住について、年間1,637,660(①+②)の扶助がもらえる。・・・・・・・・③
 加うるに、生活保護受給者の場合、医療扶助(医療費は基本タダ)、税金免除、国民健康保険料免除、介護保険料免除、国民年金免除となる。

 さて、ソルティが実際に昨年(平成26年度)払った医療費その他は以下の通りであった。
 医療費           5,000円
 所得税(源泉徴収)  36,800円
 住民税           82,700円
 国民健康保険料  62,300円
 介護保険料      49,400円
 国民年金        45,780円(減免措置を受けている)
  合計           281,980円   ・・・・・・・④

③+④=1,919,640

 ソルティの昨年度の収入が1,919,640円を下回っていたら、生活保護以下の生活ということになる。
 残念ながら(?)スレスレではあるが上回っていた。
 だが、単純に月給だけでの計算なら確実に下回っている。年数回支給のボーナスによって、あるいは医療費のかからなかったことによって(健康に感謝!)、あるいは国民年金の減免によって、あるいは扶養家族や要介護家族がいないことによって、かろうじて生活保護レベルを上回ったに過ぎない。
 そしてまた、ソルティが住んでいるアパートの家賃は月45,000円である。生活保護の上限である53,700円の物件を同地域で探せばもっと広いところに住める。
 明らかにワーキングプアである。
 
 とは言うものの、「こんなの理不尽だ!生活保護基準を落とせ」と言いたいわけではない。
 自分のPoorは自己選択の結果である。ワーク&ライフバランスを優先するため、通常の日本人のようには目一杯働いていないせいである。(それでも年間200日は出勤している)
 ただ、生活に余裕がないのは事実。月々の支出が収入を上回って、なけなしの貯金の切り崩しが進行している。自己投資とはいえ、社会福祉士養成講座のために数十万円支払ったのも大きい。テキスト代もバカにならない。
 
 一番何とかならないかなあと思うのは、税金や保険料などの公租公課である。
 払いたくないわけではない。義務をきちんと果たしてこその権利の行使である。
 だが、毎月2万3千円強の支出はコタえる。
 むろん、税金や保険料などは累進性になっていて、収入の多い人ほど高い割合で納めている。その意味では、自分などはもっとも低率でこれらを支払っているはずだ。
 だが、たとえば月収100万円の人の30万円(収入の30%)と、月収10万円の人の1万円(収入の10%)とでは意味が違う。前者は税金を支払ったあとに70万円残る。贅沢するには十分だ。貯蓄も出来る。後者は9万円しか残らない。食費と家賃と光熱費・電話代でほとんど消える。爪に火をともすような暮らししかできない。貯金など出来るわけがない。病気や事故など何か急な出費が必要になったら、たちまち窮地に陥ってしまう。加えて、冠婚葬祭にも出席できない。
 結局、どこで切り詰めるかというと、公租公課(NHK受信料含む)を滞納するほかない。
 これがのちのち仇となる。
 なぜなら、税金や年金や保険料を滞納することで、市民としてのプライドを失っていくからである。お役所に対する敬遠意識が生じて、本当に困ったときに公的サービスが受けにくくなるからである。また、体調が悪くても病院に足が向かわなくなるから、病状が悪化してしまう。
 挙句の果てに、就労困難となって生活保護を受給せざるをえない事態になるのなら、税金の使い方として稚拙というほかない。公的支援のタイミングを誤っている。
 
 生活保護基準を落として被保護者の暮らしをワーキングプアと同等レベルにするのではなく、ワーキングプアの生活レベルを底上げするような対策こそが望ましい。
 一案だが、上記の自分の例の場合(1級地-1で暮らしている1人暮らしの40-50代)で言うと、生活保護受給者が貰える年間の生活扶助費と家賃(上限)の合計1,637,660円(③)を12で割ると136,472円。月々の収入がこれを下回るワーキングプアについては、年齢・世帯人数・居住地・年間労働時間数に応じて、税金・健康保険料・介護保険料・年金を減額あるいは免除するようにしたらどうだろう? そうすれば、少なくとも‘逆転現象’は緩和される。
 実際のところ、都内で暮らして月収13万円以下では、公租公課にまで回らないであろう。行政がこの収入レベルの滞納者層に対して請求する労力や経費は、それによって回収できる金額を上回るのではないだろうか?







  

● シャフクへの道2 : ジェンダーギャップ

相談援助演習テキスト 今年の4月に始めた社会福祉士養成通信講座もターンに差しかかった。毎月提出のレポート作成のコツもつかめ、毎朝眠い目をこすりながらの出勤前テキスト講読を続けている。
 先日は2回目のスクーリング(2日間の相談援助演習)に参加した。
 集合時刻ぎりぎりに指定された教室に入ると、20名くらいの同輩が席についていた。8月のスクーリングで一度会ってグループワークした仲なので、緊張感はない。それに相談援助演習は、講義形式ではなく、与えられた事例についてグループごとに検討作業するワークショップ形式なので、気持ち的にラクである。
 今回も、「クラスメートのいじめが原因で不登校になっている女子中学生」、「脳梗塞を起こし夫に死別し情緒不安定になり、娘の仕事場にしょっちゅう電話をかけてくる高齢の女性」、「認知症が進行してきて徘徊や盗食を繰り返す老人ホーム在住の独り者の女性」、「要介護状態の同居の母親に暴力を振るう無職の30代の鉄道オタク」等々、今日的でどこにでもありそうな事例をもとに、グループのメンバーたちと意見交換し、状況分析を行い、どのような社会資源を用いてどのように援助していくかを話し合い、また登場人物(当事者とソーシャルワーカー)になってのロールプレイを行った。ディスカッションの合間や休み時間には、お互いの職場の話や実習の話など面白く有意義な情報交換ができた。
 やはり普段福祉現場で働き、社会福祉士を目指す人びとだけあって、共通した性格のようなものを感じる。総じてみな聞き上手で優しく、頭が良く、控えめである。話していても、思慮深さと視点の鋭さ、それに対人コミュニケーションの柔らかさを感じる。(自分を褒めてる?) ここでは自己主張の強い人がやけに目立つのである。
 また、弱者や問題を抱える人の支援をしたいという動機の一つには、自分自身が同じような問題を抱えている、また克服してきたという体験を持っている人が多い。互いに打ち解けてきた話し合いのさなかに、ふと子供の頃の被虐待経験やパートナーからのDV体験、認知症の親の介護の苦労話をカミングアウトする参加者などもいて、なかなか濃くて面白い2日間であった。
 
 そんななかで、自分の属していたグループで白熱した議論があった。
 それは、DV(家庭内暴力)を受けている妻の事例。
 だいたいこんな内容だ。
 

 Aさん(30歳女性)は専業主婦。夫Bさん(32歳)と子供C子(4歳)の三人暮らしである。結婚後、妊娠した頃からBさんによる家庭内暴力が始まった。
○ Aさんが外出するたびに行く先を執拗に問いただし、少しでも帰りが遅くなると怒鳴りつけ、果ては「誰のおかげで食べられると思っているんだ!」と平手打ちする。Aさんは外出を控えるようになる。
○ ささいなことでAさんを怒鳴り、「お前は何をやってもダメだ」と頻繁に言う。
○ Aさんは実母に相談するが、「あなたのほうに落ち度があるんじゃないの?」と逆に非難される。
○ Bさんによる暴力は頻度を増し、激しくなっていく。
○ Aさんの沈んだ表情と腕の青あざに気づいたC子ちゃんの幼稚園の先生が、声をかけ面談する。
○ Aさんは先生に紹介された配偶者暴力相談支援センターに足を運び、一時保護所の利用を勧められるが、なかなか決心がつかない。  

 グループは男が自分を入れて3名、女が3名の6名であった。
 Aさんが一時保護所の利用について「なかなか決心がつかない」のはなぜか、今後どんな支援が考えられるかといった演習課題をまず一人一人が考えて、順に発表するという段取りであった。自分は進行役を振られた。
 最初に発表してもらった女性・山崎(仮名、30代)がいきなりこう言った。
「実は自分がまったくこの事例と同じ経験をして夫と離婚したのです。まだ記憶が生々しくて、入り込めないんです。ごめんなさい。」
「そうですか。では、無理のない範囲で参加してください」と自分は言って、次の人に回した。
 順々に各自が意見を発表していって最後になったのは50代の男性・中山(仮名)で、知的障害者の日常生活支援を仕事としている人だった。体格が良く自己主張の強いタイプで、夏のスクーリングのときから目立った存在だった。
 こう言ったのである。
 「正直、なぜこれがドメスティック・バイオレンスなのか自分は分からない。こんなのはどこにでもよくある家庭問題のレベルで、この程度で相談支援センターを紹介したり、一時保護所を勧めたりして、家族を崩壊させるのはどうなのか。福祉予算の浪費ではないか。」
 とたんに、グループ内の女性2人が色めき立った。隣席にいた山崎が息を呑む音が聞こえた。50代の元学校教諭・坂本(仮名)がすぐさま反論した。
 「どう見たってこれはDVです。このまま放っておいたら何が起こるか分からない。AさんやC子ちゃんの命が奪われてからでは遅いじゃないですか。」
 自分以外のもう一人の男性・森岡(仮名、30代独身)は、「自分はDV問題には詳しくないから」と前置きした上で、こう発言した。
 「自分はA子さんの母親の言葉にも一理あると思う。夫婦の問題は他人からは分からない、見えないことが多い。この事例からはそこが読み取れないけれど、A子さんの態度が夫の暴力を招いている可能性もあると思う。幼稚園の先生は、もう少し客観的に事態を見て行動してもよかったのではないか。」
 かくして、男女間のバトルが始まった。
 今一人の女性は20代(独身)で、あまりピンと来ないような様子で、発言を控えていた。(処世術か。)
 自分は進行役だったので、どちらにも肩入れしないで交通整理をし、グループの雰囲気の険悪化を防ぐのに終始した。(処世術か。)
 一方で、自分と同性である中山と森岡の発言に胸中驚いていた。
 「へえ~、これがDVと思わないのか。普段福祉の仕事をしていて、社会福祉士になろうとしているコイツらがこうだとするなら、福祉関係でない一般の男たちはなおさらであろう。世の中からDVが無くならないわけだ。」
 そしてまた、口元まで出かかっていたけど、抑制して飲み込んだセリフがあった。
 「あのさ、中山さん。これが‘DVでない’と言うこと自体が、実際に目の前にいる被害者(山崎さん)に対するセカンドレイプみたいなもんですよ」
 この事例がDVであること、幼稚園の先生の取った行動がまったく理に適っていること、そしてAさんがC子ちゃんと共に一時保護所に身を隠すことが最善の策であると、例題を読んだときから疑いもしなかった自分は、やはり男としては‘例外’なのだろうか。
 ゲイである自分は、ジェンダー的にやはり女性視点を持っているのだろうか。それとも、セクシュアリティとは関係なく、HIVボランティアを通じて知り合ったフェミニストの友人たちの影響か。(ゲイの中にも――いやゲイだからこそ?――男尊女卑のマッチョがいるものである。)
 そんなことが頭の中をグルグル経巡った。
 議論は女性の剣幕に恐れをなした(?)中山が意見を引っ込めたところで時間切れとなった。
 
 げに不可思議はジェンダーギャップ。


● シャフクへの道1 本:『人間の発見と形成 人生福祉学の萌芽』(メアリー・リッチモンド著、杉本一義訳、出版館ブック・クラブ)

社会福祉テキスト シャフク(社会福祉士)の資格を取るため4月より通信教育を始めた。
 1年8ヶ月間、毎月のレポート提出(多いときには4本!)と4回のスクーリング参加(各2日~4日)、そして180時間(約4週間)以上の現場(施設)実習で、社会福祉士国家試験の受験資格が得られる。
 2016年1月の試験で合格すれば社会福祉士とあいなるわけだが、自分の場合、カイフク(介護福祉士)の試験と重なってしまうので、先に難易度の低い介護福祉士を取得し、翌2017年1月にシャフク受験を予定している。(試験日が同じため両方一挙には取れない。)

 現在、日々の仕事にしていて(老人ホームの介護職)、3年経過すれば自動的に受験資格が得られる介護福祉士だけでなく、なぜあえて社会福祉士の資格も取ろうと思ったのか。
 実は自分でもよくわからない。
 福祉系の就職に有利ってのはあるだろうが、齢も齢だし、今さらどこかの組織に属し社会福祉士(=ソ-シャルワーカー)として生計を立てるなんて気持ちはない。
 それに、社会福祉士は名称独占であって業務独占ではないので、別に国家資格を持たなくても同種の活動はすることはできる。(実際NPOで働いていた時に相談援助業務はやっていた。)
 あえて言うなら、暇だったから。
 漫然と日々を送ってしまうよりも、何か目的を立ててそこに向かっていくほうが、充実感が得られる。
 そして、職場の若い同僚に社会福祉士を目指しているイケメンがいて、触発されたから。(共通の話題が持てる!)
 純粋なような、不純なような動機であるが、いくつになっても学ぶに遅すぎることはない。(ということを自身に証明したいっていうのもあるな。)
 50万円近く自己投資して、「五十の手習い」をスタートした。

 学び始めて驚いたことに、ここ20年くらいで、我が国の社会福祉をめぐる状況は180度(と言っていいくらい)変わっているのである。
 その根本にあるのは、一つには、高度経済成長を過去のものとした現代日本社会における福祉ニーズの多様化、複雑化、高度化である。
 障害者や母子家庭や生活困窮者など一部の特定の(恵まれない)人々のみが福祉の対象となるのではなく、ホームレス、ニート、ワーキングプア、家庭内暴力、子どもや高齢者などへの虐待、引きこもりの増加など、なんらかの形で福祉を必要とする層が増えている。少子高齢化はその最たる要因で、2005年には国民の5人に1人が高齢者(65歳以上)となって、福祉を必要とする層は今後も増加の一途にある。
 つまり、福祉の普遍化が始まっている
 もう一つは、国際的な社会福祉の潮流(ノーマライゼーション思想や自己決定権の尊重)および福祉予算の増大を受けて、我が国の福祉政策に根本的変革がもたらされたことである。
 それが2000年前後から始まった社会福祉基礎構造改革である。
 ポイントを取り上げると、以下のようになろう。
1.「措置」制度から「契約」制度へ
2.民間団体も含めた多様な経営主体の参入促進
3.情報公開制度の導入と第三者によるサービスの評価
4.「施設」から「在宅(地域)」へ
5.「救貧的福祉」から「普遍的福祉」へ
6.「無料給付型福祉」から「応能負担型福祉」へ
7.「縦割り主義」から「統合的」へ
8.「パターナリズム(庇護主義)」から「自立支援」へ

 この改革の典型的モデルが2000年から施行された介護保険制度である。
 その後、この流れは他の福祉分野にも広がっていく。
 障害者(難病患者含む)に関しては、2005年の「障害者自立支援法」を経て、2013年施行の「障害者総合支援法」で一応の完成を見、児童・家庭福祉分野では2017年施行予定の「子ども家庭福祉制度」で構造改革が遂行される。

 この改革には賛否両論あるのだろうが、家族が面倒見切れなくなった障害者や高齢者について、これまで行政が一方的に行き先を決めて(措置)、しかもサービスの質は外部評価を受けないだけに酷かったものが、当事者の自己決定が全面に押し出され(契約)、民間団体の参入により競争原理が働き、情報公開制度によりサービスの質の向上につながることは、十分プラス評価に値する。
 また、「介護の社会化」という言葉に象徴されるように、福祉が法律や制度という安定的な基盤をもち、資格を持つプロによって遂行され、介護保険料や消費税などの税金による国民の相互扶助の精神で目に見える形で支えられていくことは、最終的には(うまくいけば)北欧型の福祉制度に近づいていくことを予想させる。

 過去20年、HIV感染者という「身体障害者」を対象とするボランティアに関わりながら、こういった日本の社会福祉事情の変化に疎かった自分にビックリするが、「基礎構造改革」が議論されていた当時の首相が自民党の小泉純一郎だったことが無関心の主たる原因だったのだと思う。彼の振りかざす「自己決定=自己責任」論は新自由主義の匂いが芬々とし、弱者に対して厳しい政策が進行しているという印象があった。
 また、HIV感染者は後天的な内部障害ということで、肢体不自由者とも知的障害者とも介護の必要な高齢者とも、ちょっと位相が異なるというのもある。(施設に入る必要などないのだから。) しかも、現在ではHIV治療の進歩によって、感染してもAIDS発症を抑えることができるから、基本今までどおりの自立生活が可能なのである。

 ともあれ、指定されたテキストをたよりに昨今の社会福祉の動向について勉強を開始したことで、自分が抱いていた「社会福祉」および「社会福祉士」のイメージは大きく変換を迫られることになった。自分の中では、90年代に仙台で市民活動をしていた頃の(基礎構造改革以前の)情報とイメージが固定したままだったのである。
 社会は変わる。時代はめぐる。
 やはり、いくつになっても学ぶことは大切である、ということを痛感している今日この頃である。

what is social work さて、メアリー・リッチモンド(Mary Richmond、1861 - 1928)は、アメリカのソーシャルワーカー(=社会福祉士)の先駆となった女性である。貧困層の救済を目的とした「慈善組織協会」で個別訪問に力を入れ、収集したケースワークを分析・理論化することにより、それまでの「慈善」から科学的な支援の方法としての「ソーシャルワーク」への道を切り開いた人物である。
 彼女が1922年に発表した『WHAT IS SOCIAL WORK?(ソーシャルワークとは何か)』という本の邦訳が本書である。(タイトルはそのまま訳したほうが良いのにな・・・)
 社会福祉の仕事に関わる者にとって、彼女の言葉は今でもまったく輝きを失っていない。

 

●ソーシャル・ケースワークとは人間とその社会環境とのあいだを、個々に応じて意識的に調整することにより、パーソナリティの発達をはかるさまざまな過程からなるものである。


●ケースワークという特殊な努力形態が成功するためには、まず個人の特性に対する高度な感受性が要求される。パーソナリティ、とりわけ自分自身とは似ても似つかないようなパーソナリティに対して本能的な敬意を払うこと、それはケースワーカーのもつ資性の一部でなければならない。ケースワークの目的はある優秀な典型をつくりあげ、人びとをそのような典型に合わせていくことではない。むしろ、各個人のなかにある最善の長所を発見し、それを解放し、伸ばしていくことがケースワーカーにとっての特権である。それは人間性の無限の変化に富むパターンに、さながら画家にも似た努力をもって深く働きかけ、その色調の深さと豊かさを発展させることなのである。

●人間は独立心を欠いた家畜ではない。人間が動物と異なっているという事実は、人間の福祉をはかる計画を立てたり、その計画を実行する上で、みずから参加する必要があることを明確にしている。個人はそれぞれの独自の意志と目的をもち、受動的な役割を果たすようにつくられてはいない。したがってもし人間がつねにそうした受け身の立場にとどまれば墜落しさえする。


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