ソルティはかた、かく語りき

首都圏に住まうオス猫ブロガー。 還暦まで生きて、もはやバケ猫化している。 本を読み、映画を観て、音楽を聴いて、寺社仏閣に詣で、 旅に出て、山に登って、瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

●雑記

● 本:『日航123便墜落 疑惑のはじまり 天空の星たちへ』(青山透子著)

2010年マガジンランド刊行
2018年河出書房新社
2021年文庫化

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 森永卓郎著『書いてはいけない』で薦められていた本。
 著者の青山は1985年8月12日夜の123便墜落事故時、日本航空(JAL)のスチュワーデスだった。
 後に転職し、企業・官公庁・大学等の人材育成プログラムの開発及び講師として働き、現在は「日航123便墜落の真相を明らかにする会」の事務局を務めている。
 スチュワーデスという呼称は現在は使われていない。客室乗務員あるいはフライトアテンダントと言う。
 堀ちえみ主演『スチュワーデス物語』は遠い昔だ。

 青山は今やJAL123便事故に関する真相究明派の旗頭的存在となっていて、本書を含み7冊の関連本を出している。
 本書は「疑惑のはじまり」というタイトル通り、その出発点となった第一作であり、ノンフィクション作家青山透子の誕生を告げた記念すべき書である。
 ちなみに青山透子はペンネームである。

 本書は3部構成である。

 第1部は、青山が一人前のスチュワーデスになるまでの若き日々を振りかえった回想録。
 厳しい訓練や失敗の数々、仲間や先輩との友情や助け合い、次第にプロ意識を身につけていく様子など、まさに『スチュワーデス物語』そのものの面白さ。
 もっとも、風間杜夫のようなイケメン教官との色恋や片平なぎさのような珍キャラは出てこないが。
 航空業界の専門用語や慣習についての要領のよい説明や、初フライト時の感動的な逸話など、文才が感じられる。
 JAL社員としての誇りと喜び、乗客の命を預かるプロとしての使命感をもって、青山が充実感のうちに働いていたことが伝わってくる。
 それだけに、1985年8月12日の出来事はたいへんな衝撃だった。

 第2部は、あの日のこと。 
 会社の女子寮でスチュワーデス仲間とともにニュースを耳にしたときの様子が、情景が浮かぶような臨場感をもって描かれている。
 我々外部の人間は、墜落事故の被害の凄まじさ、愛する者を突然失った遺族の姿、修理ミスという人為的原因などに感情を動かされ、加害者としてJALを非難し怒りをぶつけたものだけれど、辛く悲しいのはJALの社員も同じだったのである。
 苦楽を分かち合った同僚を失い、世間から後ろ指を指され、JALの社会的信用とプロフェッショナルとしての矜持を叩きつぶされ、それでも休まず飛行機を飛ばし続けなければならない。
 事故で亡くなったスチュワーデスやパイロットの遺族たちは、被害者でありながら、一方で加害者としてもみなされ、悲しみをあらわにすることすらままならなかった。
 遺族の世話を担当した社員の中には、その後自殺した者や過労で亡くなった者もいたという。

 いま思うに、JALの幹部が現場に足を運び遺族に謝罪するのは当然だが、遺族の世話は一般社員にさせるべきではなかった。
 一般社員は墜落原因とは何の関係もなかったのだし、心のケアは専門職に任せるほうが適切だ。
 過失致死を犯した人間の家族に、被害者遺族の世話をさせるようなものなのだから。
 一般社員に必要以上の罪悪感を抱かせ、遺族の怒りをぶつけるサンドバッグにし、過酷な肉体的労働や心労を与え、新たな犠牲者を生み出した。
 会社のために尽くす“会社人間”が称賛される昭和時代の大きなあやまちであった。
 もっとも、懸命に世話にあたったJAL社員と遺族の間に生まれた、事故後も長く続く交流を否定するものではない。 

 死亡者名簿の中に新人のとき世話になった先輩スチュワーデス数名の名前を見つけた青山は、衝撃を受け、悲しみに暮れた。 
 後日、深い追悼の思いと共に、事故について新聞記事を調べていくうち、様々な疑問が湧き上がる。
 それはスチュワーデスとして専門教育を受け、空の上の現場で何百時間も働いてきた者だからこそ抱き得る当然の疑問であった。

がくあじさい

 第3部は日航退職後、2000年代に入ってからの話である。
 教育の仕事に転じた青山は、航空会社への就職を希望する学生たち相手に講義する機会を持った。
 ある時、1985年当時はまだ物心つくかつかない年齢だった生徒たちに、JAL123便墜落事故について調べてクラスの前で発表するという課題を与えた。
 生徒たちははじめて知る事故の詳細に衝撃を受けるとともに、当事者の一人であった青山の影響を受けることなしに、新鮮な第三者の目で事故に関する記事を読み、知り合いの年配者にインタビューし、レポートにまとめた。
 彼らの発表はまさに疑問のオンパレードだった。
 そこには青山も気づかなかったような、思いつかなかったような事柄もあった。
 たとえば、事故当時の中曽根康弘首相の動向など、ソルティもまた本書を読んではじめて知った。
 事故のあった8月12日は夏休み中で軽井沢滞在。翌13日上京し、池袋サンシャイン開催の輸入品バザールに足を運び、15日は戦後初の靖国神社公式参拝を終えたあと二泊三日の人間ドック入り。17日軽井沢に戻って家族と過ごし、知人の別荘のプールで水泳に散歩。
 事故現場はおろか、遺族が参集していた軽井沢からほど近い群馬県藤岡の検視会場にも足を運んでいない。
 令和の今ならネットが爆発するようなふざけたものである。
 当時の日航は民間会社ではなかった。政府主導の半官半民の組織で、皇室や国会議員御用達のいわゆるナショナル・フラッグ・キャリアだった。

 事故直後に抱いた青山の数々の疑問は、次第に疑惑となって固まっていく。
 偶然が重なって、映画『沈まぬ太陽』にエキストラとして参加することになった2009年、ついに事故現場である御巣鷹の尾根をはじめて訪れることになる。
 現地では、当時群馬県警高崎署の刑事官で遺体の身元確認班の責任者だった飯塚訓氏(『墜落遺体』の著者)、上野村の村長だった黒澤丈夫氏に話を聞き、さらには飯塚氏とともに検視に携わった歯科医師の大國勉氏、地元消防団員で生存者を発見した黒澤武士氏から、現場を案内してもらう機会を得た。
 黒澤武士氏は言う。

「最初はねえ、生存者はいないだろうってことで来たからね、今思えば、担架を持ってきて、ヘリで空から落としたってよかったのにねえ、そういうことが全然出来ていなかった。だから吉崎さんの奥さんも、けっこう周りにいた人たちと話をしたって言ってたもんね。もっと救助が早ければ・・・・今24年経ってみて、落ち度があったっていえばそういう点が欠けていたよね」

 吉崎さんの奥さんとは、4人の生存者の一人で当時35歳だった吉崎博子氏のことである。
 青山は事故現場に立ち並ぶ犠牲者の名前の書かれた墓標をひとつひとつ拝み、そこにスチュワーデス時代にお世話になった先輩たちの名前を見つける。
 初フライトの時に助けてくれた前山先輩の墓標と出会うシーンには思わず背筋がぞわっとした。

 確かに言えることが二つある。

 一つは、青山透子はまったく陰謀論者などではない。
 公になっている記事や証言を粘り強く調べ、論理的科学的な思考によって物事の道理が判断できる、頭のいい人である。
 亡くなった同僚や乗客に対する深い哀悼の気持ち、当時のJAL経営陣や一部政治家に対する不信の念や怒りは当然あろうが、決して感情に引きずられて妄想をふくらませることをしていない。
 本物のジャーナリストがここにいる。

 いま一つは、やはりJAL123便墜落事故には不可解なことが多すぎる。
 機体が墜落してから墜落現場が特定されるまで9時間以上かかったこと。
 舵を失った飛行機が横田基地に緊急着陸せず、わざわざ長野県方面に方向転換したこと。
 遺族の要求に応じず、いまだにボイスレコーダーとフライトレコーダーの開示を拒んでいること。
 隠したい何かがあると疑わざるを得ない。

悪魔と議事堂





おすすめ度 :★★★★

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もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
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★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損





● 狼は生きろ、豚は死ね 映画:『白昼の死角』(村川透監督)

1979年東映
154分

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 高木彬光原作のミステリーにしてピカレスクロマン(悪漢ドラマ)。
 公開時、「狼は生きろ、豚は死ね」のキャッチコピーが話題となった。
 村川透監督は、『蘇える金狼』、『野獣死すべし』など松田優作とのコンビによるハードボイルド映画やTVドラマ『あぶない刑事』の演出で気を吐いた。
 「悪」を描くのが上手い人である。

 本作の主人公鶴岡七郎(演・夏八木勲)も、「悪」のために「悪」を重ねるサイコパスのような男で、東大法学部出身の切れる頭脳を企業相手の手形詐欺に用い、巧妙な手段で巨額な富を手に入れていく。
 一方、私生活では友人を失い、妻や愛人は自殺を遂げ、孤独な人生を強いられる。
 「正義は勝つ」「勧善懲悪」のラストではないので、人によっては受け入れがたいストーリーかもしれない。
 が、「そのようにしか生きられない」鶴岡の哀しい宿縁が、渋く手堅い夏八木の演技と虚無的風貌によって描き出されている。
 実際、犯罪が成功しようが、何億という大金を手にしようが、美しい女たちに命がけで愛されようが、鶴岡はまったく笑顔を見せない。
 鶴岡が破顔一笑する唯一のシーンは、外国人神父が主宰する教会を利用して手形詐欺を働いたが失敗し逮捕された仲間が、件の神父の説教によって改心したと聞いた時である。
 彼は神も悪魔も信じない無神論者なのである。
 映画の中では描かれていないが、おそらくその背景には昭和20年代という時代的要因、すなわち太平洋戦争時の従軍体験や、鶴岡の生い立ちが関係しているのだろう。

 鶴岡を演じる夏八木勲がすばらしい。(この映画の頃は夏木勲と名乗っていた)
 この役者はどちらかと言えば地味な風貌で、脇役で光るタイプだった。
 主役を演じるのを観たのはこれが初めてかもしれない。
 本作はこの人の“生涯の一本”と言っても過言ではなかろう。
 (2012年に園子温監督『希望の国』で主演しているが未見)

 共演者がまた魅力的。
 鶴岡の愛人を演じる島田陽子の美しさ。
 考えてみたら、島田は『砂の器』、『犬神家の一族』、TVドラマ『氷点』、『白い巨塔』など、犯罪ドラマのイメージが強い。
 どこか淋し気な陰のある美人という役が似合っていた。
 銀幕の匂いを感じさせる最後の世代の女優であった。

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島田陽子と夏八木勲

 鶴岡の同窓生にして相棒である九鬼を演じるは、先日81歳で亡くなった中尾彬。
 本作をレンタルしたのは訃報の前で、中尾が出演していることは知らなかった。
 思いがけず、中尾をその代表作によって偲ぶことになった。
 30代の中尾はトッチャン坊やのような初々しさがあり、後年バラエティや池波志乃とのCMで観たようなふてぶてしさはない。
 ただ、さすがに学ラン姿の大学生役はきびしい。

 ほか、鶴岡の妻役の丘みつ子、ひたすらカッコいい「悪」の先輩千葉真一、ガッツ石松、佐藤蛾次郎、コミカル担当の藤岡琢也、長門勇、佐藤慶、鈴木ヒロミツ、成田三樹夫、丹波哲郎、西田敏行、柴田恭兵、嵐寛寿郎、明智小五郎にしか見えない刑事役の天知茂、室田日出男、伊吹吾郎、バーのママ役がはまる沢たまき、音楽も担当しているダウン・タウン・ブギウギ・バンド(宇崎竜童)など、個性的な出演陣に目が眩む。
 プロデューサーの角川春樹、原作者の高木彬光がチョイ役で出ているのは、角川映画のお約束である。

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左より、中尾彬、夏八木勲、竜崎勝

 この映画の時代背景は1950年代の戦後間もない混乱期の日本なのだが、今(2024年現在)観ると、作られた当時つまり1970年代後半の日本の匂いをビンビンと感じる。
 40分に一度はベッドシーンを挿入する脚本のあり方とか、その際に女優の乳首は決して映さないとか、ギャグシーンにおけるお笑いのセンスとか、脂ぎった画面の質感とか、“バブル突入前の昭和”の空気がみなぎっている。
 ソルティは、「なんて70年代の昭和なんだ!」と思いながら観ていた。
 あたりまえと言えばあたりまえの話であるが、歴史ドラマや時代劇というものは、題材となった時代の風俗を描き出すと同時に、制作された時代の価値観や流行を反映する。
 リアルタイムで(本作なら1979年に)映画を観ている人間は、そこになかなか気づかない。
 なぜなら、自分が生きている時代を客観的に見るのは難しいからである。
 79年に本作を映画館で観た人間は、「戦後の日本ってこんなだったんだ」、「昔の人はめんどくさい価値観に縛られていたんだなあ」と思いながら観る。
 しかるに、令和の現在本作を観る者は、そこに2つの時代を重ねつつ見ることができる。
 50年代と70年代と――。
 そして、70年代の日本人もまた、「めんどくさい価値観に縛られていたんだなあ」と知る。 
 昔の映画を観る面白さは、こんなところにもある。





おすすめ度 :★★★★

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 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
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★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損


● フランキー堺と南田洋子 映画:『幕末太陽傳』(川島雄三監督)

1957年日活
110分、白黒

 この映画、たいへん評価が高い。
 1989年文藝春秋発行『大アンケートによる日本映画ベスト150』では第9位に選ばれている。
 2009年『キネマ旬報』創刊90周年記念「映画人が選ぶオールタイムベスト100・日本映画編」では第4位に選ばれている。
 45歳という若さで世を去った川島雄三の代表作として、また50年代日本映画黄金期の傑作の一つとして、すでに揺るぎない地位を占めている。
 
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 ソルティは20代にレンタルビデオ店で借りたVHSテープで観たのだが、画質も音声もあまりにひどく、最初の30分くらいで観るのを止めてしまった。
 その最初の30分がまた、ちっとも面白くなかった。
 舞台となっているのは幕末の品川宿の遊郭なのだが、物語がなかなか始まらない。
 遊郭の女郎たちと客たちが馬鹿騒ぎし、むさ苦しい侍たちが一部屋にこもってなにやら密談めいたことをしている。
 侍の一人を演じているのが石原裕次郎。
 侍姿がまったく板につかず、観ているこちらの怒りを呼ぶほど芝居が下手。
 大物を気取る馬鹿笑いにも辟易させられた。
 本作品に対する個人的印象は最悪で、再度鑑賞する気も起きなかった。
 
 ソルティは近所のゲオで映画を借りているのだが、行くたびにDVDコーナーが縮小され、陳列棚の作品が減っている。
 オンライン配信が主流の時代、場所代や人件費がかかる店舗は採算が合わないのだろう。
 たしかに、いつ行っても客は数えるほどしかいない。
 とりわけ若者の姿をほんとうに見かけなくなった。
 アダルトDVDコーナーをたまに覗くと、ネットを使いこなすのが不得手そうな高齢男性ばかりが品定めに熱中している。
 ライバルのTUTAYAも閉店が相次いでいる。
 お店で観たい映画を探してレンタルする時代は、終わりを告げるのだろう。
 たくさんの作品が並ぶ棚のあいだを渉猟して、思いがけない傑作や怪作や珍作を発見するのが大きな楽しみだったのに・・・。
 またひとつ昭和が遠ざかる。

 そんなわけで、次に来店した時にはこの昭和の旧作も置いてないかもしれない。
 いや店自体も、無くなっているかもしれない。
 そう思って、35年ぶりに本作をレンタルした。

 さすがに令和。
 画質や音声は信じがたいほど向上していた。
 つまらないと思った最初の30分を超えて、最後までしっかり観ることができた。
 物語がなかなか始まらないと思ったのには無理もなく、これはグランドホテル形式の作品なのだった。
 グランドホテル形式というのは、グレタ・ガルボ主演『グランドホテル』(1932年)から取られた言葉である。
 通常の映画のように、特定の主人公をめぐる一つの物語を描くのとは違って、ホテルのような大勢の人が集まる場所で、複数の登場人物のそれぞれの人生ドラマを同時並行的に描いていく形式である。
 そういう意味では、真の主役はさまざまな物語の舞台となる遊郭『相模屋』である。
 『相模屋』に集まるさまざまな人々――女郎、店の主人一家、雇い人、出入りの商人、常連客、尊王攘夷を企む藩士たち、博打で作った借金のカタに娘を女郎屋に売ろうとする親父など――が巻き起こす悲喜劇が、全般的に滑稽なタッチで描かれる。
 『三枚起請』、『品川心中』といった古典落語のネタがいくつかのエピソードのもとになっているところからわかるように、幕末当時の遊郭をリアリズムの視点で描いた歴史映画あるいは風俗映画と言うのとは、いささか趣きが異なる。
 作品全体が一本の落語のようなのだ。
 
 その中で狂言回しとなるのが、肺病持ちで手先の器用な佐平次、演じるはフランキー堺である。
 これが一世一代の名演。
 三枚目で、剽軽で闊達自在、図々しく抜け目ない、典型的“陽キャ”の明るさの裏に死を見据えている、複雑で魅力的な人物像を造り上げている。
 佐平次の生きることへの執着は、筋萎縮性側索硬化症(ALS)に冒されていた川島監督自身の分身ゆえなのだろう。
 人気一番の女郎こはるを演じる南田洋子も清々しいまでのなりきり演技。
 女優としてはあまり目立たなかったが、南田は美人だし、色っぽいし、芝居も上手い。
 『青い山脈』の芸者梅太郎や『ハウス』の妖怪女主人なんか、とても良かった。
 ライバル女郎おそめ役の左幸子とのつかみ合いの大喧嘩シーンは見物である。(ここのキャメラは上手い)

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左から、南田洋子、左幸子、フランキー堺

 ほか、相模屋の主人夫婦の金子信雄と山岡久乃、やり手ばばあの菅井きん、おそめと心中未遂するあばたの金造の小沢昭一など、芸達者な役者陣が脇をしっかり締めている。
 一方、日活アクション映画からの出演組――石原裕次郎、芦川いづみ、岡田真澄、二谷英明――は、時代劇の空間から浮き上がって、芝居的には見るも無残。(小林旭だけは溶け込んでいる)
 が、そのチグハグぶりが、遊女の人身売買の悲惨や、高杉晋作ら尊皇攘夷志士の狂気といった社会的リアリズムに陥ることから作品を救い上げ、監督の狙い通りの適度なスラップスティック人情ドラマの領域に保持させている。
 
 35年ぶりに観たら、面白かった。
 よくできていると感心した。
 けれど、これが日本映画オールタイムベスト10位以内ってのは、いくらなんでも持ち上げすぎ。
 夭折の天才・川島雄三および石原裕次郎の名前にほだされた選者が多かったためではなかろうか?
 まあ、50位以内なら納得しないでもない。
 川島なら若尾文子と組んだ『しとやかな獣』が一番ではないか。





おすすめ度 :★★★

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● マスコミ3大タブー 本:『書いてはいけない 日本経済墜落の真相』(森永卓郎著)

2024年三五館シンシャ発行、フォレスト出版発売

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 ベストセラーとなった『ザイム真理教』に続く、膵臓がん末期にある著者渾身の告発第2弾。
 店頭で目次を見て、今回は財務省関連のことだけでなく、旧ジャニーズ事務所の未成年男子に対する性加害事件や1985年に起きた日本航空(JAL)123便墜落事故のことも書いてあると知り、気になって買ってしまった。
 財務省と芸能スキャンダルと航空機事故。
 なぜこの3つなのかというと、著者森永のメディア業界での長いキャリアにおいて、「けっして触れてはいけないタブー」がこの3つだったからという。

 この3つに関しては、関係者の多くが知っているにもかかわらず、本当のことを言ったら、瞬時にメディアに出られなくなるというオキテが存在する。それだけでなく、世間から非難の猛攻撃を受ける。下手をすると、逮捕され、裁判でも負ける。

 情けなくも外国メディア(BBC)の力を借りてその一角が崩れたことは、世間が知る通りである。
 財務省の“カルト的財政緊縮主義”については、森永自身がついに告発し、世論に一石を投じた。(10万部を超えたという。が、大手メディアは無視を続けている)
 残りの一つ、JAL123便墜落事故がいまだタブーのままと言える。

 ソルティは、この未曽有の被害をもたらした航空機墜落事故の原因をめぐって、政府によって公式に発表されたもの――機体後部の圧力隔壁の損壊――とは違った説が巷で唱えられていることは知っていた。
 例えば、まことしやかに聞かされたものの一つが、在日米軍による実戦訓練中のミサイル誤射だ。
 だが、松本清張『日本の黒い霧』に描かれていたGHQ占領下の1940年代、あるいはその余韻を引く1950年代ならともかく、いみじくも Japan as No 1 と言われた80年代で、米国主導によるそんな大がかりな隠蔽工作が可能だろうか?
 一種の陰謀論の域を出ないものと認識していた。

 しかるに、本書で推測されている墜落の原因は、よりショッキングなものだった。
 これがもし事実であることが証明され大っぴらになったら、事故から40年近く経った令和の今でも、岸田自公政権は一夜にして吹き飛ぶだろう。
 阪神淡路大震災や東日本大震災はじめ、ここ数十年天災あるたび懸命な救助に当たり、国民の間に評価と信頼を培ってきたJ隊の好感度も、それこそ失墜するだろう。
 個人的には陰謀論であってほしいと思うけれど・・・・まさか、ね。

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 看過できないのは、著者が約40年前のJAL123便墜落事故の真相解明を、今も強く訴える理由である。

 この30年間、日本経済は転落の一途をたどった。かつて世界シェアの2割を占めていた日本のGDPは今、4.2%にまで転落している。
 なぜ、こんなことが起こったのか。私は原因は2つだと考えている。
 1つは財務省が進めてきた必要以上の財政緊縮政策。財政をどんどん切り詰め、国民生活を破壊する。これに関しては前著『ザイム真理教』に詳しく書いた。
 そして、もう1つが本作で述べた日本航空123便の墜落事故に起因する形で日本が主権をどんどん失っていったという事実だ。国の経済政策をすべてアメリカにまかせてしまえば、経済がまともに動くはずがない。

 JAL123便の事故原因の隠蔽――そこにこそ過去30年間の日本経済低迷の最たる理由があると言うのである。
 これは、ソルティの耳には新説であった。
 珍説であることを祈るばかりだ。

 旧ジャニーズ事務所の“醜聞”――という生ぬるい表現ではもはや済ませられない時代である――については、J氏と同じセクシュアルマイノリティの一人として同時代を生きてきた人間として、いろいろと思うところはあるのだが、それはまたそのうち書きたい。
 とりあえずは、前著と本書による森永氏の告発の行方を注視したい。

 それにしても三五館シンシャさん、やりましたな!




おすすめ度 :★★★★

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● 本:『傷つきやすいアメリカの大学生たち』(グレッグ・ルキアノフ+ジョナサン・ハイト共著)

2018年原著刊行
2022年草思社

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 この数年で10代の若者の間で、不安症、うつ病、自殺率が急増している。キャンパス文化が思想的に均質化され、研究者が真理を探究する能力や、学生が幅広い思想家から学ぶ能力が低下している。極端な右寄りもしくは左寄りの思想を持つ過激論者が急増し、お互いがこれまでにないほど憎しみ合っている。党派心あらわにした激情がソーシャルメディア(SNS)上で繰り広げられ、〈コールアウト・カルチャー〉をつくり上げている。善意から何か発言しようとも、他の誰かがそれを意地悪く解釈すれば、おおっぴらに恥をかかせられる。

 若者があらゆるところに危険が潜んでいると考えるようになっており、それは教室内やプライベートな会話の中にまで及ぶ。万人が絶えず警戒し、脅威があれば当局に通報しなければならない。例えばニューヨーク大学では、2016年、大学職員がトイレ内に貼り紙をし、講演に対して「違和感があれば通報してください」の手法を取るよう促した。貼り紙には、大学コミュニティ内の誰かが「偏見、差別、ハラスメント」を受けた際に匿名で届け出ができる方法が書かれており、その一つが「偏見通報ライン(Bias Response Line)だ。

 本書は、アメリカの大学キャンパスで最近起きている驚きの事態を扱っている。
 副題は『大学と若者をダメにする「善意」と「誤った信念」の正体』。
 2人の著者のうち、グレッグ・ルキアノフは「キャンパスにおける学問の自由ならびに言論の自由」のために活動している弁護士。ジョナサン・ハイトは大学で教鞭をとってきた社会心理学者で『社会はなぜ左と右にわかれるのか』の著者である。
 グレッグとジョナサンは、おおむね2013年あたりからアメリカの大学生たちに大きな変化が生じたこと、それに伴うようなかたちで大学キャンパスが“おかしく”なっていることに気づき、これを憂慮し、調査や議論を重ね、共著として発表するに至った。
 『社会はなぜ~』同様、興味をそそる豊富なエピソード、統計資料、先行研究の知見を散りばめた叙述は、楽しく読み進めるうちに知らず説得されてしまう巧みさ。
 各章の終わりにまとめページがついているのも同様で、論旨を整理するのに役立つ。
 
 ちなみに、コールアウト・カルチャー(call-out culture)とは、あるコミュニティの成員が犯した悪事を特定し、その人物を公的に呼び出して、恥じ入らせたり罰したりする行為を指す。(ウィキペディア『コールアウト・カルチャー』参照)
 我が国では、ほぼ同意のキャンセル・カルチャーという言葉の方が知られているかもしれない。
 日本語にすると「糾弾」がもっとも近いのではなかろうか。

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Gerd AltmannによるPixabayからの画像

 変化が起こり始めた2013年とは、1995年生まれの若者が大学に入ってきた年である。
 いわゆる「インターネット世代」または「Z世代」。
 生まれた時からインターネットと携帯電話が存在し、感受性の強い10代でスマホと出会い、人間関係の大きな部分がSNSによって成立している世代である。
 この世代以降の若者(2024年現在30歳未満)は、先行する世代と大きな断絶が見られるのだという。
 そういった意味で、本書は一種の世代論ということもできるし、「近頃の若者は・・・」と嘆く、相も変らぬ年配者の繰り言と取ることもできよう。
 
 著者らはZ世代に特有に見られ、大学キャンパスの混乱のもととなっている“誤ったものの見方、考え方”を、3つの〈大いなるエセ真理〉と定義している。
  1.  困難な経験は人を弱くする
  2.  常に自分の感情を信じよ
  3.  人生は善人と悪人の闘いである
 Z世代でない年配の人間からすれば、自分が身につけてきたのと全く逆の価値観であることは言うを俟たない。
 つまり、常識的には、
  1.  困難な経験は人を強くする。「艱難、汝を玉にす」
  2.  感情に振り回されるな。理性を働かせよ。
  3.  ひとりの人間の中には善もあれば悪もある。世の中にはグレーゾーンがあるのが当たり前。
 もし、人が〈大いなるエセ真理〉を信じると、どういうことが起こり得るか。
 困難だと思うことをなるべく避けるように行動し、自らの感情を正当化し、自分に不快な感情を与えた人や環境に怒りを覚え、そのような人間を悪人と思い、否定し敵視する。
 結果的に、打たれ弱く、傷つきやすく、常に自他のメンタルに振り回され、「白か黒か」で人や物事を判断したがる、被害者意識の強い人間が出来上がる。
 冒頭に挙げたような昨今の大学キャンパスで見られる憂うべき状況は、Z世代に多く見られるこのようなメンタリティ、および〈大いなるエセ真理〉を否定するどころか、むしろ肯定し助長するような対応をとる大学当局のいびつな姿勢に端を発していると、著者らは指摘する。
 
 Z世代に対する著者らの分析がはたしてどこまで正当なのか、現在、甥っ子と姪っ子をのぞいてZ世代の人と接点をもたないソルティには、何とも言えない。
 傷つきやすい、やさしい子が増えたなあ(とくに男の子)という印象は持っているが。
 同じZ世代でも、日本とアメリカではまたいろんな条件が異なるから、同一視できないかもしれない。
 実際、本書で取り上げられているアメリカの大学でのコールアウト・カルチャーの実態は、日本の大学では考えられないほど凄まじいものである。
 いったん招請が決まった外部講師による講演会が、演者の思想や発言が気に入らない一部の学生の反対によりキャンセルされるのは日常茶飯事。
 講演中に(日本の)右翼の街宣車さながらの騒音を立てて講演妨害を行ったり、聴きに来た学生が会場に入れないよう暴力で阻止したり、抗議グループの暴動に巻き込まれ死者が出たケースもある。
 かと思えば、教員がメーリングリストや学術誌に投稿した文章の言葉尻をとらえ、ポリコレの名のもと教員を糾弾し辞職や解雇に追い込んだり、「責任をとらせるために」学長や大学幹部を一室に隔離したり。
 著者らは「魔女狩り」にたとえているが、むしろソルティが連想したのは、我が国で学生運動はなやかなりし時代(70年安保前後)にキャンパスを跋扈した革マル派や中核派といった新左翼であった。
 そう、現在の日本とアメリカの学生の一番の違いは、政治意識の高低と、動機や手段が何であれ、声を上げて闘う意志の多寡にあろう。
 
学生運動

 著者らは、〈大いなるエセ真理〉がZ世代に広まった理由として、次の6つを挙げている。
  1.  政治の二極化(共和党と民主党の対立の激化)
  2.  うつや不安症を抱える学生の増加(とりわけ女子に顕著)
  3.  過保護な子育て(子供に世界は危険なものと刷り込む)
  4.  自由遊びの時間が減少(アメリカでもお受験は過酷化)
  5.  企業化した大学の官僚主義(学生をお客様扱いする)
  6.  社会正義をもとめる情熱の高まり(ブッラク・ライヴズ・マターや#me too 運動)
 肝心のネットやスマホの影響については、サンディエゴ州立大学の社会心理学者ジーン・トゥエンジの研究成果を援用し、電子デバイスの使用頻度が高いほど心の健康が悪化することを述べている。

 〈トゥエンジは〉うつ病やその他自殺と関連する行動(自殺を考える、自殺を計画する、実際に自殺を試みるなど)と有意な相関関係があるのは、〈生徒たちが日常的に行っている活動のうち〉2つの行動だけであることを突き止めた。電子デバイスの使用(スマートフォン、タブレット、コンピューターなど)とテレビを見ることだ。
 一方で、うつ病と逆相関の関係にある行動(つまり、その行動に費やす1週間当たりの時間が多いほど、うつ病率が低くなる)は5つあり、スポーツやその他の運動をする、礼拝に出席する、本や紙媒体を読む、対面で他人と交流する、宿題をする、だった。(文中〈 〉内はソルティ補足)

 ITの進歩が人類に大きなパラダイム転換をもたらす可能性大であることは、ユヴァル・ノア・ハラリが『ホモ・デウス』で指摘している。
 なんらかの形で人類の意識のありよう、行動様式を大きく変えたとしても、不思議ではあるまい。(ユヴァルは人類が「ホモ・サピエンス」から「ホモ・デウス」に進化?すると予言している)
 Z世代と先行世代の断絶は、ジェネレーション・ギャップなんて軽い言葉で片付けられるものではないのかもしれない。
 今後、Z世代が社会の中心層となっていくにしたがい、それは明らかになってくるのであろう。
 そのとき、かつて“新人類”と言われたソルティは“廃人類”に分別される(泣)

IT少年と寝猿

 本書の原題 The Coddling of the American Mind「アメリカ精神の甘やかし」が示唆しているように、著者らは、家庭にあっては親が子供を、大学においてはスタッフが学生を、coddling(甘やかし過ぎている)ところに問題ありと言いたいようだ。
 最後に、事態改善のための対策を提案しているが、これと言って目新しいものはない。
 「かわいい子には旅をさせよ」
 「大学は真理追求の場、自由な表現と議論の場という原点に立ち返れ!」
 「誤った思考パターンから脱却するために認知行動療法を実践しよう」

 要するに、安全でないと感じるものすべてを取り除くまたは回避するのではなく挑戦を求める、常に自分のとっさの感情を信じるのではなく認知の歪みから脱却する、味方か敵かという安易な倫理観で相手を最悪だと決め込むのではなく他者に寛大な眼差しを向け、微妙な差異をすすんで受け入れよということだ。

 アメリカで起きていることは、時間差で日本でも起こる。
 いや、IT時代のいまは「ほぼ同時に」起こる。
 上記1~6の理由は日本のZ世代にもすっかり当てはまる。
 日本でも、ポリコレ案件やSNSを中心とするキャンセル・カルチャー(またはネットいじめ)が日常風景になりつつある。
 が、日本の大学キャンパスにおいて、本書で描かれているような常軌を逸した混乱は聞かない。
 アメリカの大学とは別のかたちで――外に発散するのではなく内に籠もるかたちで――起きているのではなかろうか。





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● 左翼風ミステリー??? 本:『バイバイ、エンジェル』(笠井潔著)

1979年原著刊行
1995年創元推理文庫

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 笠井潔のデビュー作にして、『サマー・アポカリプス』、『薔薇の女』、『哲学者の密室』、『オイディプス症候群』へと続く探偵・矢吹駆シリーズの第一作。
 
 所はパリの中心街。
 ある冬の朝、裕福で男好きな中年女性が自らのアパートメントで殺された。
 現場の状況から、彼女が外出する直前、訪ねてきた顔見知りに襲われたと推定される。 
 死体のそばの壁には、血で書かれた A の文字。
 玄関のドアには、姦通をテーマにしたナサニエル・ホーソンの小説『緋文字』が挟まれていた。
 痴情のもつれが原因なのか?
 それとも金目当てか?
 なによりショッキングだったのは、死体には首がなかったのである。

 まったくもって、本格ミステリーファンの魂を鷲づかみにするような設定。
 そこに修行者の如くストイックでニヒリスティックな日本人の青年が、現象学という素人には耳慣れない学問を武器に、犯人探しに乗り出す。
 これで熱中しない本格ミステリーファンがいるだろうか?
 舞台をフランスに設定したことで、日本的な因習や文化やしがらみから切り離された、ドライで個人主義な人間模様が用意されていることが、ますます「本格探偵小説」的色合いを濃くするのに役立っている。
 つまり、江戸川乱歩や横溝正史や松本清張よりも、アガサ・クリスティやエラリー・クイーンやディクスン・カーに近い装いを呈している。
 トリックの奇抜さや登場人物たちの推理合戦の面白さ、魅力ある探偵とワトスン役女子の存在など、「本格ミステリーここにあり!」と思わず叫びたくなる小説なのである。
 ちなみに、ソルティは女性殺しの下手人と首が持ち去られた理由を、早いうちに見抜きました 

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VictoriaによるPixabayからの画像

 日本のいわゆる新本格ミステリームーブメントが、1987年発表の綾辻行人『十角館の殺人』に始まったことはよく言われるところだけれど、本作を読むと、「いや、その前に笠井潔がいたじゃないか!」という思いにかられる。
 新本格ミステリーの定義というか特徴が、「横溝正史に代表される日本的土俗や情念から切り離されていながらも、松本清張に代表される社会派ミステリーの世俗的陳腐を排し、純粋にトリックと謎解きの面白さに焦点を置く清潔さ」というところにあるのなら、矢吹駆シリーズはまさに新本格ミステリーじゃないかと思うのである。
 しかるに、なぜ後出の綾辻行人に栄冠を譲ってしまったのか?

 理由はいろいろあるのだろうけれど、やはり、笠井潔作品の“難しさ”が一番の因なのではないかという気がする。
 矢吹駆が推理の方法として採用する現象学というものも一般読者には理解困難な代物であるし、そこを大目に見るとしても、本作のクライマックスで矢吹と連続殺人の黒幕的存在との間で交わされる議論の応酬は、とんでもなく高レベルで、大方の読者はそこで置いてきぼりにされてしまうだろう。
 それは、現実に起きた殺人事件の真相をめぐって、追及する探偵と否認する犯人との息詰まる対決という次元を大きく超えて、一種の哲学討論、思想対決の様相を見せているのである。

矢吹: 抽象的なもののみに向かって自己燃焼する、真空放電の紫の火花にも似た情念。それは、過酷で破滅的な極限への意志、眼を灼きつくすほどの鮮烈なものへの意志、そして全宇宙を素手で掴みとりたいという狂気じみた論理的なものへの意志です。そしてそれは、なによりもぎりぎりと全身を締めあげる間断ない自己脅迫です。

黒幕: 政治こそが革命の本質を露わに体現する場所です。組織は革命が棲まう肉体です。私たちは、最後の、決定的な蜂起を準備するための武装した秘密政治結社なのです。社会を全的な破滅へと駆りたてる武装蜂起こそ、観念の激烈な輝きが世界を灼きつくす黙示録の瞬間の実現なのです。


 ――てな調子である。
 このような思想バトルの描写が、学生運動家だった笠井潔の若き日の苦い挫折体験やその後の思想形成にもとづいているのは、笠井がその後に書いたものを読めば納得できる。
 あさま山荘事件に象徴される連合赤軍の酸鼻極まる結末により新左翼運動は瓦解したわけだが、何が一番間違っていたかと言えば、佐藤優が池上彰との対談の中で述べているように、

理想だけでは世の中は動かないし、理屈だけで割り切ることもできない。人間には理屈で割り切れないドロドロした部分が絶対にあるのに、それらすべて捨象しても社会は構築しうると考えてしまうこと、そしてその不完全さを自覚できないことが左翼の弱さの根本部分だと思うのです。(『激動 日本本左翼史』講談社現代新書)

 本作中の矢吹駆のセリフを用いれば、「普通に生きられない自分をもてあました果てに、観念で自分を正当化してしまう」ことであり、もっと単純に言えば、「世間知らずの頭でっかち」ということである。(実はソルティは、令和コンプライアンスの背景の一部に、この種の「観念の徹底化」の匂いを感じている)
 連合赤軍的な心性と思考で秘密結社を作り武装蜂起を企図する黒幕に矢吹が対峙する時、それはおそらく、左翼活動に打ち込んでいた過去の自分に向けて、その後転向した笠井自らが説教しているのであろう。(「バイバイ、エンジェル」とは、笠井流「グッバイ、青春」なんじゃなかろうか?)
 その意味で、本作はきわめて自伝的色合いの濃い作品であると思うし、推理小説でありながらも思想小説の域に達している。
 思想派ミステリーとでも言おうか。
 (左翼風ミステリーと言いたいところだが、笠井は自分を「左翼」と捉えていないようだ)
 
 このような小難しい思想的・政治的要素を取り除いて、「痴情のもつれ」や「遺産目当て」のような凡庸な動機を犯人に持たせたならば、本作はずっと大衆受けしたはずと思うし、笠井は新本格の旗手になったのではないかと想像するが、それではやはり笠井潔は笠井潔足り得なかったであろう。
 いったい笠井以降、思想派ミステリーの系譜はつながっているのかどうか、寡聞にして知らず。





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● 逃散という生き方 本:『ザイム真理教』(森永拓郎著)

2023年三五館シンシャ発行、フォレスト出版発売

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 コロナ禍に莫大な財政支出があったのは記憶に新しいところで、「いろいろ助かるなあ」と全国旅行支援を利用する一方で、「これで日本の借金がまた増えてしまった」、「日本もそのうちギリシアみたいに破綻するのではないか」、「これから税金が上がっていくことになるのだろうなあ」、という不安も湧いた。
 年々増えていく国家予算、積み上がっていく国債残高、国民一人あたり800万円超と言われる借金。
 いったい、この先どうなるんだろう?

 一方で、「なんだよ。これだけお金をバラ撒くことができるのなら、普段からもっと低所得者対策に使ってよ!」、という疑問と苛立ちも覚えた。
 年金や医療保険の納付額の増加、消費税率アップ、公共料金の値上げ・・・・・。
 公租公課やインフラ関連支出の収入に占める割合は増えていくばかりなのに、給料は変わらず、高齢者のもらえる年金額は年々減っていき、開始年齢も引き上げられ、医療保険や介護保険の負担割合もシビアに区分けされ、生活保護費は減額されていく。
 庶民は、絞れるだけ絞られる菜種か。

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Mirosław i Joanna BucholcによるPixabayからの画像

 それでも文句も言わず(言ってるか)、なるべく無駄をなくして生活を切り詰めながら払うべきものを払っているのは、「高齢者にかかる年金や介護医療費が膨大なのに、少子高齢化や不景気で財政は危機的状況にある」、と政府が脅かすからである。
 歳入が限られていて歳出が増えれば赤字になるのは当然で、赤字を減らして国家破綻を防ぐには、歳出を抑えるか、歳入を増やすしかない。
 大学で経済学を学んでなくとも、普通の市民ならそれはわかる。
 子供の頃からお小遣いの使い方に悩み、サラリーマンとなっては毎月の給料の残額に青くなり、主婦となっては家計簿と睨み合い、経営者となっては帳尻を合わすのに苦労する。
 支出が収入を超えてはいけないというのは、経済の鉄則である。
 そう思ってきた。

 ところが、経済アナリストの森永卓郎は言う。
 「国家予算に限っては、それは正解ではない」
 「国債残高が増えても経済が破綻することはない」
 「消費税を上げるのは間違いだ」
 庶民の経済感覚からすると、「なに無茶なことを言っているのか?」、と思うけれど、森永は本気である。
 その言説の後ろ盾となっているのが、MMT(Modern Monetary Theory)すなわち現代貨幣理論である。

自国で通貨を発行している国は、政府債務がどれだけ増大しても、返済に必要な貨幣を自由に発行できるため、財政破綻することはない、とする経済学の学説。
(小学館『デジタル大辞泉』より抜粋)

 これ実は、ソルティも子供の頃から不思議に思っていたことだった。
 日本政府は日本銀行に命じて、いくらでも日本銀行券つまり円を発行できるはずなのに、なぜ増刷して貧しい人に配らないのだろう?
 我々庶民は自分でお金を作ることはできない(作ったら逮捕されてしまう)から、頑張って収支を合わせる必要があるけれど、自らお金を作ることができる国家は、足りない分のお金を作って補えばいいのでは?
――という素朴な疑問があった。
 たぶん、ドルを始めとする海外通貨との関係やら、日本銀行券が市場に出回ることによるインフレ発生やら、いろいろもっともな理由があるのだろうなあと思っていたが、なにぶん経済音痴のソルティ、考えてもわからないと追究してこなかった。
 MMTについて聞くようになったのはここ最近のことだが、なんだか虫のいい話で「眉唾」という印象があった。
 だって、収入と支出の帳尻合わせないとダメでしょ? 破産するでしょ?
 子供の頃からの思い込みは、すでに常識となっているからである。

 森永は本書で、8000万の日本人が持っているその常識すなわち財政均衡主義に異を唱え、それが税収を増やすことを至上命題とする財務省による“洗脳”なのだと喝破する。
 「ザイム真理教」という命名はそこから来ている。
 その仕組みは次のようなものだ。
  • 宗旨(教義) 財政均衡主義。「プライマリーバランス(基礎的財政収支)の大きな赤字は日本経済を破滅させる」
  • 神話 日本の財政は破綻状態にある
  • 教祖 財務省
  • 幹部 国家公務員
  • 親衛隊 国税庁(盾突く者を成敗する)
  • サポーター 大手マスメディア(洗脳部隊)、富裕層
  • シンパ 岸田総理
  • 信徒 8000万人の国民
  • お題目 「増税は正義」、「国民と菜種は絞れば絞るほど取れる」
 若い頃に日本専売公社(現・JT)に勤めていた森永は、大蔵省(現・財務省)に絶対服従を強いられたという。令和の今ならパワハラ裁判になってもおかしくないエピソードがたんと書いてある。
 それだけに財務官僚たちの実態や財務省のやり口をよく知っていて、本書の告発につながったようだ。

 いまの政府の戦略は「死ぬまで働いて、税金と社会保険料を払い続けろ。働けなくなったら死んでしまえ」というものだ。この政策から逃れる方法は一つしかない。

 幕府の「増税」で追いつめられた農民のうち、一部の者は一揆を起こした。しかし、いまの日本では、一揆の気配さえ存在していない。そうしたなか、ザイム真理教の本質に気づいた国民はどう行動すればよいのか。
 私は「逃散」しかないのではないかと考えている。

 森永は現在、すい臓がんの第4ステージにあるという。
 ますます舌鋒が鋭さを増していくのは間違いあるまい。 

農民一揆

 ソルティはMMTが正しいのかどうかは分からない。
 が、社会保障費が足りないと言いながら、防衛費を増やし武器をガンガン買っていく今の政府は、詐欺師そのものだと思う。
 「国民の命を守るため」と言いながら、庶民の生活を破綻に追いやっているのだから。
 
 コクボー真理教という、より厄介なカルトがある。




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● ウサギ小屋のメリット 映画:『シャドーマン』(ドリュー・ガブレスキー監督)

2017年アメリカ
95分

 ホラーサスペンス。
 都会からペンシルバニアの田舎町に越してきた医師とその妻子に降りかかる、恐怖と危険を描いたB級映画。
 
 なんだかよくわからない映画である。
 森の中の使われなくなったトンネルの中に何かが潜んでいて、そいつが村の子供たちを誘拐し殺しているらしいのだが、最後までその正体は明かされない。退治されることもない。
 そいつは男の形をした黒い影として子供部屋に侵入し、子供を恐怖に怯えさせる。
 醜い化け物となって大人たちの夢の中に入り込んで、金縛りや悪夢を引き起こす。
 犠牲となった子供の幻影を使って、別の子供をトンネルに招き寄せる。
 肝試しで夜間トンネルに侵入した青年たちを虐殺する。
 『13金』のジェイソンのような、『エルム街』のフレディのような、『IT』のピエロのような、『ギリシア神話』のミノタウロスのような、曖昧合成キャラ。
 謎だらけのすっきりしない結末だが、続編が作られることはなかろう。(多分)

 観ていて思ったのは、なぜ子供が黒い影に怯え情緒不安に陥っているのに、両親は同じ部屋で一緒に寝てあげないのだろう?
 ひとり部屋を与えて早くから子供に自立心を植え付けること、夫婦二人の生活を大事にすることが、個人主義の強いアメリカ人にとって大切なのは分かるが、時と場合によろう。
 こういう場合、日本人のたいていの親なら、自分の目の届かないところには子供を置かないのではないか? とくに夜間は。
 映画に出てくる夫婦の家は日本にあったら豪邸と言えるほどデカくて、並みの日本の家(いわゆるウサギ小屋)とは部屋数も間取りも違う。
 いきおい夫婦の寝室と子供部屋が離れているので、いざという時、すぐには駆けつけられない。

 ソルティの子供の頃を思い出しても、10歳くらいまでは一人で寝るのが怖かった。
 兄と一緒の子供部屋であったが、それでも時たま、天井の木目がつくる顔や部屋のすみの暗がりに潜む怪物が怖くて、決死の覚悟で飛び起きて、階下で寝ている両親の布団にもぐりこんだ覚えがある。

 アメリカの家を舞台にしたホラー映画を観ていて思うのは、アメリカ人の抱く恐怖の核にあるのは、幼い頃にひとり部屋で長い夜を過ごさなければならなかった孤独と不安のトラウマなのではなかろうか、ということである。
 もっと親離れをゆっくりさせたほうが、精神衛生上よいのでは? 
 ウサギ小屋にもそれなりの利点があるってことだ。

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ThankYouFantasyPicturesによるPixabayからの画像




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● ガラ携の脱皮

 寝る前にアラームセットしようとガラ携を手にしたら、画面が真っ黒。
 「あれ? いつの間に電源切ったかな?」と思い、電源ボタンを押したが明るくならない。
 電池切れかと思い、充電して寝た。
 アラームはスマホを使った。(2台使いなのだ)

 朝、ガラ携を確認したらまだ真っ黒。
 電源ボタンを押してみても変化がない。
 あれ? どうしたんだろ?
 そのとき、誰かからのメールが着信する音がした。
 生きている!
 スマホからガラ携に電話をかけてみたら、呼び出し音が響いた。
 どうやら液晶画面の故障らしい。
 「そう言えば、昨晩、机の上に置いてあったガラ携を床に落としたっけ?」
 たいした高さからではなかったし(1mくらい)、厚手の絨毯の上に落ちたので、気に留めなかった。
 それまでも山登り時にズボンのポケットから地面に落とすようなことはたまにあったけれど、全然無事だったので、ガラ携の強度を過信していた。

 今さらであるが、画面が出てこないとなんの操作もできない。
 電話機能は使えるけれど、アドレス帳からかけたい相手の番号を検索できないし、メールも打てない、送れない。
 相手から送られてきたメールも、かかってきた電話も、どこの誰からか、わからない。
 むろん、アラーム機能も留守録も電卓も乗換検索もできない。
 携帯電話はまったくのところ画面に依存しているのだ。
 
 ネットで近隣のauショップを検索し、翌日の朝一番の予約を入れた。
 故障修理はまず無理だろうから、機器交換あるいは機種交換を想定した。
 保険に入っていたかどうかはっきり覚えていないので不安だったが、契約時の資料を探すのも面倒。
 自分の契約内容をauのホームページの会員ページから確認できるはずだが、そこに入るためには au ID とパスワードが必要。
 それが分からない。覚えていない。
 ほんとうにメンドクサイ時代だ。
 便利になったのか、不便になったのか・・・。
 ソルティは基本IT音痴なのだ。
 
IT音痴
 
 翌朝、職場に事情を話して出勤が遅れることを伝え、ショップに向かった。
 若い男のスタッフは、パソコン上でソルティの顧客情報を確認したあと、こちらの渡したガラ携をちょっと確認し、言った。
 「これはもう使えませんので交換が必要です。新しい機種に変えると数万円かかりますが、お客様は故障紛失サポートに入っておられますので、まったく同じ機種でよければ安く交換できますよ」
 良かったー!
 「それでお願いします」
 その後、KDDIの故障紛失サポート配送センターのスタッフと電話をつないでもらい、担当者から説明を受けた。
 「故障紛失サポートは年2回まで利用できます。今回が1回目となります。代金は税込みで2,750円になります。これまで使っていたものと同じ機種の新しい携帯電話とガイドブックを、本日中にクロネコヤマトでご自宅にお届けします。代金は来月の請求時に上乗せします」
 「はい、わかりました。よろしくお願いします」
 なんと、簡単なこと!
 しかも今日中に届けてくれるとは!
 ソルティは2日や3日や一週間くらい携帯がなくとも困るような生活はしていないが、「スマホ命!」の若者たちや日々仕事で携帯を駆使している人なら、一秒でも早い対応はありがたいことだろう。
 また、これまでと同じ機種というのにも安心した。
 せっかくいろいろな操作を覚え、手に馴染んだのに、別の機種だとまたイチから覚えなおさなければならない。
 昭和のオジサンはものぐさなのだ。
 そうそう、大切なことを聞くのを忘れた。
 「前の携帯のデータを新しい携帯に移せますか?」
 「それはご自身で前もってどこかに保存していなければできません」
 「・・・・・」
 
 IT音痴で昭和のオジサンでものぐさなソルティは、そんな器用な(メンドクサイ)ことはしていない。
 すなわち、前のガラ携に入っていたおよそ20年分のアドレス帳も画像もメール履歴も、ぜんぶパアになった。
 スマホのほうはネット検索やアプリ使用が主なので、アドレス帳の類いは使っていない。もちろん、紙媒体での記録もない。
 頭の中が真っ白・・・・
 
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 ――ということはなかった。
 むしろ、なんだか重荷が取れたようなスッキリ感があった。
 「なるほど、そういうことなんだな」という納得感があった。
 というのも、ガラ携の故障を知ったのが、自分の還暦の誕生日だったからである。
 「すべてをまっさらにして、ゼロからスタートしなさい」
 なにかの啓示のように思ったのである。
 
 たぶん、秋葉原あたりの店に行けば、なんらかの方法で壊れた携帯からデータを取り出して、新しい携帯に移転することができるのかもしれない。
 が、わざわざそこまでやるつもりもない。
 必要な人脈はほうっておいても再生するだろう。
 
 さきほど、古いガラ携からSIMカードを抜いて、届いたばかりの新しいガラ携に挿入し、初期設定を完了した。
 画面が復活した!
 やったー!
 おお、さっそく数日遅れのHappy birthday メールが着信した。
  B兄ィ、わたしを覚えていてくれたのネ。
 「忘れていいのよ♪」(by谷川新司&小川知子)とは申しません。

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エロイム・エッサイム 古き骸を捨て、蛇はここに蘇るべし
(深作欣二監督『魔界転生』より) 




● 北関東のある町で 映画:『暴力の街』(山本薩夫監督)

1950年大映配給
111分、白黒

 1948年に実際にあった事件をもとにした社会派映画。
 有力な町会議員と警察とヤクザ組織が結託して街を牛耳り、ヤミ取引等の不正を行い、住民がおびえて暮らす某県東篠町。
 一人の新聞記者の書いた告発記事がきっかけとなって、暴力団追放・行政刷新の住民運動が徐々に広がり、町民大会が開催され、闇が暴かれ、町が浄化されていく過程を描く。
 なにを隠そう、某県とはわが故郷埼玉県であり、東篠町とはいまの本庄市のことである。
 この事件は本庄事件としてウィキペディアにも載っている。
 ちなみに、不正と闘った新聞記者とは朝日新聞の岸薫夫記者である。

 本庄市は埼玉県の北端に位置し、利根川をはさんだ向こうは群馬県伊勢崎市である。
 古くは中山道の宿場町として栄え、織物で有名な町だったようだが、ソルティはとんと知らなかった。
 だいたいソルティのような東京寄りの県南に住んでいる者は、親戚でもいない限りわざわざ県北に行く機会も動機もない。(小学校の社会科見学で行田に古墳見学に行ったくらい)
 同じ埼玉というよりも、群馬や茨城や栃木と込みの「北関東」という別文化に属しているような感覚がある。
 つまり、暴走族、頭文字D、トラック野郎、工藤静香、深夜のコンビニやパチンコ店にたむろするジャージの若者・・・・いわゆるヤンキー文化。
 なので、今回はじめて本庄事件を知っても別段驚くことはなく、「昔から“やんちゃ”な風土だったんだな~」という印象を強めることとなった。
 いや、現在の本庄市は平和な住みよい街だと思います、きっと。

 出演陣がバラエティに富んでいる。
 主役の岸記者(北記者と名を変えている)に原保美、歌人・原阿佐緒の息子である。
 支局長に“たらこ唇”志村喬。
 町民の敵となる町一番の権力者に三島雅夫。
 そのほか池部良、宇野重吉、三條美紀、中條静夫、根上淳、船越英二、大坂志郎、殿山泰司、滝沢修、高堂国典と、実力ある個性的バイプレイヤーたちが揃っている。
 三島雅夫はどこかで見た顔と思ったら、小津安二郎『晩春』で、再婚して若い嫁をもらったばかりに紀子役の原節子に、「おじさま、不潔よ!」と敵視されてしまうチョビ髭の親爺である。本作では、ほんものの敵役、ふてぶてしい憎まれ役に徹している。

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左より、船越英二、原保美、池部良、志村喬

 人権と民主主義を謳う日本国憲法が公布されたとはいえ、旧態依然とした封建的風土の根強く残る時代、ましてや戦後の混乱期である。
 こうした腐敗は、本庄のみならず、日本のあちこちの街で起きていたのだろう。
 保守系町会議員とヤミ取引を行う織物業者と警察署長と検事と報道機関が、座敷に芸者を呼んでの飲めや歌えやの乱痴気騒ぎ。
 こういう光景は、まさに昭和ならでは。
 ネット社会の現在では一発アウトだろう。

 映画では触れられていないが、本庄事件における朝日新聞の告発キャンペーンをGHQ(埼玉県軍政部)がバックアップしていたらしい。
 朝日以外の報道機関は、街の有力者の背後に保守系の国会議員が潜んでいたので、口をつぐんでいた。
 もちろん、1948年の日本はまだGHQ占領下にあった。
 GHQという“錦の御旗?”がついていたからこそ、朝日新聞はくじけずにキャンペーンを完遂でき、この町民運動は成功したんだろうか?
 としたら、ずいぶん皮肉な話である。





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