ソルティはかた、かく語りき

首都圏に住まうオス猫ブロガー。 還暦まで生きて、もはやバケ猫化している。 本を読み、映画を観て、音楽を聴いて、神社仏閣に詣で、 旅に出て、山に登って、瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

●雑記

● なんなら、奈良2(奈良大学通信教育日乗) 教科書が届いた!

 履修登録から2週間、奈良大学から宅急便で9科目の教科書が届いた。

  文化財学購読Ⅰ
  考古学概論
  美術史概論
  江戸文学論
  歴史文学論
  書誌学
  平安文学論
  古文書学
  民俗学

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 ざっとページをめくって字面を見て、早くも後悔が押し寄せてきた。
 細かい字がびっしり紙面を埋め、専門用語がぎっしり並び、注釈もばらけたホチキスの針のように細かい。
 いわゆる学術書。
 少しでも売り上げを伸ばすため、読みやすくわかりやすく編集された大衆向けの教養本とは違う。
 これすべて読み通すことができるのか?

 上記のテキスト科目は課題レポートを作成し提出しなければならないが、設題がエグい。
 たとえば、「書誌学」の場合、

 江戸時代刊本の外題と内題について説明し、書名決定の方法について述べよ。

 う~ん、質問の意味すら分からない。
 外題と内題?
 伊勢神宮の外宮と内宮のようなものか?
 ・・・・・・。 
 教科書を読めば、ちゃんと理解して回答できるようになるのだろうか?

 しかも、レポートが合格した後で、筆記試験が待っている。
 設題はあらかじめ5問が示されているのであるが、試験当日1番~5番のどれが出題されるか分からないので、5問すべて筆記できるように準備しておかなければならない。
 これまた、設題がエグい。
 たとえば、「書誌学」の場合、

 「きりしたん版」について、古活字版との関連を含めて説明せよ。

 きりしたん版?
 踏み絵と関係ある何かだろうか?
 いや、だったら、きりしたん“板”か。
 ・・・・・・。

踏み絵

 なにか、とんでもないぬかるみに自ら飛び込んでしまったような気がする。
 同じ勉強するなら、放送大学か朝日カルチャーセンターくらいにしておけば良かった――って放送大学を馬鹿にしているか、実態もよく知らないのに。
 はあ~(ため息)

 自ら望んで始めたことなのに、この憂鬱感はなに?
 急に寒くなったせい?
 抜け毛のせい?

 とりあえず、始めるしかない。
 やっているうちに、興が乗ってきて、ペースがつかめてくることを祈るしかない。

 卒業まで23科目(卒論を除く)取得しなければならないが、3ヵ年計画なので、今年度は最低8科目の単位を狙う。
 うち3科目はスクーリング科目なので、スクーリングにちゃんと参加さえすれば落とすことはないだろう(多分)。
 すると、残りはテキスト5科目。
 上記9科目から5科目を選び、4科目を来年度以降に回す。

 さて、どの科目から手をつけたものか?
 1科目ずつ集中して取り組んでいくべきか、それとも2~3科目を同時進行したほうが飽きが来なくてよいのか?
 週何時間くらいを勉強に当てる必要があるのか?
 ノートはとったほうがいい? それともノートパソコン?
 どこで勉強する? 自宅? 図書館? 喫茶店?
 
 通信教育は自分のペースでできるからこそ、自己管理が鍵となる。
 ソルティは社会福祉士の資格を取るときに福祉学校の通信教育(2年)を経験しているのだが、あのときは「国家資格を取る→あわよくば転職」という目的があったので、頑張れた。
 今回は純粋に道楽なだけに、モチベーションの維持が難しい。
 どうなることやら。

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とりあえず、新春の奈良行きを楽しみに頑張ろう








● なんなら、奈良1(奈良大学通信教育日乗) 大学生になった!

 10月から大学生になった。
 私立奈良大学文学部文化財歴史学科の3年次編入生。
 もちろん、通信教育である。

 きっかけは年初めに見かけたネットの広告。
 興味が惹かれ、資料を取り寄せた。
 パンフレットを開いたら、面白そうな科目が並んでいた。
 仏教考古学、建築学、古文書学、書誌学、日本美術史、民俗学、平安文学論、江戸文学論、文化財修復学、奈良文化論・・・・e.t.c.
 基本は、〈自宅テキスト学習+レポート提出+学科試験〉で単位を取るシステムだが、いくつかの科目は〈3日間のスクーリング+学科試験〉で取得する。
 すなわち、年に数回奈良に行って、興味・関心を同じくする人たちと出会って、フィールドワーク含め実地に学べる!
 なんか楽しそう。

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 卒業後さらに指定された9科目19単位を取得すれば、博物館学芸員資格を取ることができるらしいのだが、ソルティは資格はもう要らない。
 今回は仕事や収入に直接つながる学びではない。
 純粋に道楽である。

 しいて実際的な面を上げるなら、記憶力の減退が進んでいる昨今、新しいことを学ぶことは認知症予防になろう。
 また、コロナ騒ぎも落ち着き、日常が戻ってきたはいいが、最近どうも仕事も私生活もマンネリ化している、怠惰に流れ、無駄に時間を過ごしているような気がする。
 大事な瞑想修行も、時間があると思うとかえって後回しになり、さぼってしまいがちである。 
 ここであえて自分に負荷をかけて、生活に緊張感とメリハリをつけたほうが良いのでは?と思った。
 そのためには、卒業という目標を設定し、それなりの金額を投入するに限る。
 お金を払えば、回収してもとをとらねばという貧乏人インセンティヴが働く。

 ――とは思ったものの、仕事をしながらの勉強はたやすくはない。
 ソルティは現在非常勤で働いているので、ある程度の時間は確保できるはずだが、半年あるいは1年間くらいで完了するプロジェクトクトならともかく、卒業するまで少なくとも2年間は机に縛られる。
 いや、おそらく、2年間で卒業は難しいだろう。3年か4年は覚悟しなければなるまい。
 果たしてそこまで気力・体力が続くかどうか・・・・・。
 とかく迷っているうちに申込期限は過ぎてしまい、4月入学はならなかった。
 桜並木の新入生ならず。

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 尻を叩いてくれたのは、何を隠そう、われらが聖子ちゃんであった。
 聖子ちゃんが今春、中央大学法学部の通信教育課程を卒業したというニュースに、ソルティも世間同様、びっくりした。
 あの忙しい聖子ちゃんが、つらく悲しい思いを抱えているはずの聖子ちゃんが、4年間大学に籍を置いて勉強していた。
 しかも、中央大学法学部と言ったら、法科の中央と呼ばれ、高い司法試験合格率を誇る超難関である。
 聖子ちゃんが頭がいいことはデビュー当時から知っていたが、これはほんとうに快挙である。
 やっぱり、無敵のアイドルだ。
 よし、聖子ちゃんに続け!

 そんなわけで、久しぶりに母校に出向いて卒業証明書と成績証明書を発行してもらい、奈良大学の入学申請書を作成し、20万円強の年間授業料を振り込んで、晴れて大学生になったのである。(入学試験はなかった)
 分厚いガイダンス資料と共に送られてきた学生証を手にし、気持ちがウキウキした。
 学生割引が使える!(しかし、シニア割引とどっちが得か?)

奈良大学ソルティ学生証
写真・学籍番号・氏名・生年月日は変えています
――って分からいでか

 卒業までには最低23科目60単位を履修し、卒業論文を書かなければならない。
 結構、ハード。
 先日、今年度(10月~翌年9月)受講したい科目を選び、履修届を提出した。
 大学時代の春先を思い出した。
 あの頃は、とにかく単位が取りやすい授業、テストやレポートがなくて出席さえしていれば単位がもらえる授業、友人による代返が可能な授業、そんなのばかり選んでいた。
 要領よく進級し、卒業することが重要だった。
 40年以上経た今回は、ほんとうに自分が好きなテーマ、興味があることを、じっくりと学んでいけたらと思う。
 いまのところ、卒業まで3年間計画で考えているが、進行具合によっては4年か5年、あるいは途中休学を入れてもっと長くかかるかもしれない。(最長10年間在籍できる)

 来年の2~3月に最初のスクーリングがある。
 しばらくは奈良にどっぶり漬かることになりそうだ。
 まさに奈良漬け。

法隆寺
昨春の奈良旅行がこういう展開につながるとは!


P.S. 「なんで聖子ちゃんが法学を?」と不思議に思っていたが、ちゃんと道理があった。松田聖子の本名は「蒲池子」なのである。




● 悲しきワルツ : オーケストラ・ディマンシュ 第57回演奏会

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日時: 2024年9月1日(日)14:00~
会場: 北とぴあ さくらホール(東京都北区)
曲目: 
  • チャイコフスキー: 交響曲第1番 ト短調作品13《冬の日の幻想》
  • シベリウス: 交響曲第1番 ホ短調作品39
  • アンコール シベリウス: 『悲しきワルツ』
指揮: 金山隆夫

 北とぴあは東京都北区にある17階建ての複合文化施設で、平成2年 (1990年) 9月17日にオープンした。
 JR王子駅北口から徒歩3分という便利な立地にあり、8つのホールと16の会議・研修室、3つの音楽スタジオを有する北区の誇る「産業と文化の拠点」である。
 ここ数年、日本テーラワーダ仏教協会のスマナサーラ長老の講演会や会員有志が主宰する瞑想会がこの施設でよく開かれるため、ソルティは何度か足を運んでいる。

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JR王子駅

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北とぴあ

 行くたびに思うのだが、なんとなく暗くて落ち着けない。
 瞑想していてもなぜか集中できないことが多く、半日たっぷり瞑想するつもりで勇んで来たものが、だらしないことに、2~3時間で切り上げることがしばしば。
 特に地下のホールがどうも居心地悪い。
 もちろんこれは、純粋に個人的印象である。
 おそらく、怠け心を場所のせいにしているだけなのだろう。
 弘法筆を選ばず、瞑想場所を選ばず、でなくてはいけない。

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Ginger GuillotによるPixabayからの画像


 本日(8/31)は首都圏で魅力的なアマオケコンサートが複数開催されている中から、指揮・金山隆夫の名に惹かれ、本コンサートを選んだ。
 過去にカラーフィルハーモニックとの共演によるマーラー交響曲の第2番『復活』第5番の素晴らしい演奏を聴かせてもらい、その名がしっかり銘記されたからだ。
 どんな美しいシベリウスを聴かせてくれるのか期待大で臨んだ。
 北とぴあ2階のさくらホールは1300名定員、きれいで立派なホールであった。

 一曲目のチャイコフスキーから眠くて仕方ない。
 コロナ感染時のブレインフォグみたいに頭の中がぼうっとする。
 なんだろう?
 寝不足のはずはないし、満腹でもないし、疲れがたまっているわけでもない。
 台風通過による気圧の変化のせいだろうか?
 オケの音が妙に遠くに聞こえる。
 座った席が悪かった?(1階席の最後尾でそこだけ天井が低かった)

 後半のシベリウスは繊細さと迫力とを兼ね備えた上々の演奏だったのだが、やっぱり音楽に入り込めなかった。
 チャクラがまったく動かなかった。 
 指揮棒が下りた後の周囲の聴衆たちの惜しみない喝采と「ブラボー」とアンコール懇望からするに、感動的な演奏だったに違いない。
 ソルティの体調がおかしかったのだろう。
 それとも、やっぱり北とぴあとは相性が悪いのか?

 帰宅後にウィキを見ていたら、2001年(平成13年)12月21日、さくらホールの定期点検中に事故が起こり、メンテナンスに入っていたスタッフ3人が死亡、2人が重傷を負ったという。
 まさかね・・・・・・。

秩父巡礼4~5日 051















● カーク艦長の黒歴史、あるいは公民権運動以前 映画:『侵入者』(ロジャー・コーマン監督)

1962年アメリカ
84分、白黒

侵入者

 ロジャー・コーマンはB級映画の帝王として名を馳せた人で、最も知られている作品はミュージカルになって大ヒットした『リトル・ショップ・オブ・ホラー』(1960年)であろう。日本でも何度も舞台化されている。
 エドガー・アラン・ポーの小説を原作とする怪奇映画でも知られており、『アッシャー家の惨劇』(1960年)、『恐怖の振子』(1961年)、『姦婦の生き埋葬』(1962年)、『赤死病の仮面』(1964年)、『黒猫の棲む館』(1964年)などがある。
 ミステリーファンのソルティが一時はまったのは言うまでもない。

 本作はロジャー・コーマン唯一の社会派映画で、まったくもってB級ではない。
 日本劇場未公開で、DVD発売は2012年というから、実に半世紀たってのお目見えである。
 こんな映画を撮っていたとは思いもよらなかった。
 それも非常によく出来た傑作で、脚本といい、演出といい、撮影といい、演技といい、音楽といい、間然とするところがない。
 なぜ日本で公開されなかったのか不思議である。

 白人至上主義団体KKK(クー・クラックス・クラン)をバックに持つ組織から南部のある町に派遣されたアダム(演・ウィリアム・シャトナー)は、法律で決まった「人種統合政策」に反感を抱く町民たちを巧みな演説で焚き付け、組織化し、町に住む黒人少年少女らが地元高校に入学するのを阻止しようと企む。
 黒人の地位向上に不満をたぎらせていた町民たちは、アダムを中心に反対運動に連なるが、次第に暴徒化していく。
 黒人たちの教会を爆破して牧師を殺害し、統合政策に賛成する白人の新聞記者を集団リンチし、当のアダムですらコントロールできなくなっていく。

 60年代のアメリカの人種差別をめぐるリアルな状況が、生々しく、迫力たっぷりに描かれている。
 リンカーンによる奴隷解放宣言(1863)から100年経っても、現実はこのようなものだったのだ。
 それを思うと、その後の半世紀のアメリカの人権状況の向上は十分評価に値しよう。
 やはり、マルコムXやマーティン・ルーサー・キングに象徴される50~60年代の公民権運動は偉大であった。

 他人事のように言っているが、実のところ本作を観ていて思ったのは、「現代日本人の他人種に対する意識のありようは公民権運動以前のアメリカ人に等しいかもしれない」ってことであった。
 埼玉県川口市におけるクルド人問題を筆頭に、いま日本各地で外国人移住者と地元民との間で軋轢や紛争が起こっている。(それもなぜか非難されるのは非白人種ばかり)
 排外主義的な言動はこれまでになく高まっており、ネットでなんらかの他人種・他文化に対する差別発言や敵対的言動を見ない日はない。
 そもそも日本は、在日朝鮮人や在日中国人、東南アジアから日本に働きに来る外国人労働者に冷たい国であった。
 日本の多文化共生政策、日本人の公民権意識向上に本腰を入れるべきはこれからなのであって、黒人差別をする白人を批判する資格も余裕もないのである。

 侵入者アダムを演じるイケメン白人のウィリアム・シャトナーはどこかで見た覚えがあると思ったら、なんと『スタートレック』のカーク艦長ではないか!
 TV シリーズ『宇宙大作戦』の開始が1966年だから、その4年前の出演作ということになる。
 ここではカーク艦長とは真逆の悪役であるが、それがかえってシャトナーの演技力の高さを証明してあまりない。
 大衆を前に人種統合政策反対の演説をぶつシーンは、ヒトラーもかくやとばかりの素晴らしいスピーカーぶりを発揮して、TVモニターの前にいてさえ陶然となり、思わず賛同してしまいそうになる。
 おそらく映画史の中で最高の演説シーンの一つであろう。
 このシーンを見るだけでも、この映画を観る価値はある。

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演説するカーク艦長もといウィリアム・シャトナー

 原作はチャールズ・ボーモントの小説 “The Intruder”。
 原作者自身も校長先生役で出演しており、なかなかの好演である。




おすすめ度 :★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損




● 荒川区民オペラ第22回公演:ヴェルディ作曲『ナブッコ』

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撮影するソルティが映り込んで面白い絵柄となった

日時: 2024年8月12日(月)14時~
会場: サンパール荒川(大ホール)
指揮: 小﨑雅弘
演出: 澤田康子
キャスト
 ナブッコ  : 野村 光洋(バリトン)
 アビガイッレ: 柳澤 利佳(ソプラノ)
 ザッカーリア: 鹿野 由之(バス)
 イズマエーレ: 秋谷 直之(テノール)
 フェネーナ : 河野 めぐみ(ソプラノ)
 アンナ   : 東 幸慧
 アブダッロ : 黒田 大介
 ベルの司祭長: 上野 裕之
荒川オペラ合唱団
荒川区民交響楽団

 『ナブッコ』は、好きなオペラの一つである。
 初めて舞台で聴いたのは、1988年9月のミラノスカラ座来日公演。会場はNHKホールだった。
 当時、スカラ座の音楽監督になって間もないリッカルド・ムーティの『ナブッコ』が評判をとっていた。
 とくに、第3幕の奴隷たちの合唱『行け、わが想いよ、黄金の翼に乗って』がことのほか素晴らしく、気難しい観客の多いスカラ座で大喝采を博しアンコールされたとメディアを通じて伝わって来た。(ネットのない時代である)
 そのムーティが日本でも『ナブッコ』を振るという。
 頑張ってチケットを獲った。

 そのときのタイトルロール(ナブッコ役)はバリトンのレナート・ブルソン、準主役ともいうべきアビガイッレはリンダ・ローク・ストランマーというソプラノ歌手だった。
 王座を追われたナブッコが哀れな囚人に転落してからのブルゾンの歌と演技が圧倒的な印象を刻み、ほかの歌手については覚えていない。
 ただ、スカラ座合唱団の合唱は、噂以上、想像以上に素晴らしかった。
 低音から高音まで、ピアニシモからフォルティシモまで、どのレンジにおいても一糸の乱れなく、天女がまとう羽衣のように柔らかく艶々しかった。
 『行け、わが想いよ』では最後のバスの重低音がNHKホールの空間に飲み込まれるように消えた後、延々と拍手が続いた。アンコールしてくれるんじゃないかと期待したほどだった。

 イタリアの第二国歌と言われるこの名曲以外にも聴きどころはたくさんある。
 ソルティは、第2幕冒頭のアビガイッレのレチタティーヴォ『運命の書よ』からアリア『かつては私も幸せだった』を経てカバレッタ『黄金の王冠を戴いて』のダイナミックな流れが好きで、マリア・カラス録音のものをたまに聴く。出だしのメロディーが、『庭の畑でポチが鳴く』を連想させるアリアの美しさと哀切さにはいつも心かきむしられる。
 第2幕のクライマックスで、ナブッコから開始され、アビガイッレ、ザッカーリア、フェニーナと順に加わり、四重唱から大合唱に展開していく『避けられぬ怒りの時が』も興奮させられる。ドニゼッティ作曲『ルチア』の有名な六重唱と並ぶ名シーン、名アンサンブルだと思う。

 そんなこんなで今年の荒川区民オペラが『ナブッコ』と知って楽しみにしていた。
 JR山手線大塚駅で都電荒川線に乗り換えて延々40分、庚申塚や飛鳥山公園や荒川遊園地や町屋を通って荒川区役所前駅で下車。
 やっぱりチンチン電車はいいなあ~。
 これで168円はお得である。

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都電荒川線・荒川区役所前

 会場(975席)は6~7割くらいの入りだった。
 ソルティは2階右ブロックの最後列に近い席を取ったが、ネット予約したときは埋まっていた目の前のブロックがごっそり空いていた。
 まとめてチケットを購入したグループが事情で来られなかったのだろうか?
 コロナがまた流行っているからなあ。
 こういう場合に、当日でも座席変更できるといいのに・・・。

 勇ましい序曲に続いて幕が上がり、ナブッコ王に虐げられる人々の合唱が始まった瞬間、あることに気づいた。
 「そうだ、これはバビロン捕囚の物語だった!」
 つまり、紀元前6世紀にナブッコ(ネブカドネザル2世)が統治する新バビロニア王国に攻め込まれ、神殿を破壊され、捕虜として連行され、バビロニアへの移住を強制されたユダヤ民族の受難の物語だった。
 イスラエルのガザ地区侵攻と民間人虐殺が世界中から非難されている折も折、なんとまあ皮肉なことか!
 アブラハムの放浪、出エジプト、バビロン捕囚、アウシュビッツ・・・かつての被害者がいま加害者としか言えなくなっている現状にあって、それが大昔の物語とはいえ、ユダヤ民族の受難に心を寄せるのはなかなか難しい。
 いったいなぜ、わざわざこのオペラを選んだのだろう?

 ――と不思議に思ったが、今回イスラエルのガザ地区侵攻が始まったのは2023年10月7日。国際世論がイスラエル批難に傾いたのは年末にかけて。
 オペラ公演には長い準備期間が必要だ。
 今年の演目はそのときにはすでに決まっていたのかもしれない。
 まあ、こんなことが気になるのはソルティくらいかもしれないが・・・。

 ときに、『ナブッコ』が日本でなかなか上演されないのは、それが硬派の歴史ドラマであること以上に、準主役であるアビガイッレを歌えるソプラノが少ないからであろう。
 本来、鋼のように重く強靭な響きと、蝶々が舞うように柔らかで軽やかな響き、この両方を兼ね備えたソプラノ・ドラマティコ・タジリタのために作られた役なのである。
 が、この声の持ち主(マリア・カラスがその一人だった)が滅多に出現しない。
 そこで、たいていの場合、後者の声質が犠牲となって、鋼のように重く強靭な響きをもつドラマティック・ソプラノによって歌われることになる。
 体格のせいか肺活量のせいか声帯のせいか知らん、日本人の声はやっぱり小さくて線が細く、昔からドラマティック・ソプラノ自体が少ない。
 役柄的に多少声がか弱くても許容できる『蝶々夫人』や『椿姫』はなんとか歌えても、猛女烈女が主役で激しい感情表現が必要とされる『マクベス(夫人)』、『トゥーランドット』、そしてアビガイッレは歌える人が限られてしまう。
 その意味では、今回アビガイッレを歌った柳澤利佳は頑張ったと思う。
 声の足りない部分を、女王らしい毅然たるたたずまいと鋭角的表現で補っていた。

 声量の点でいえば、イズマエーレを演じたテノールの秋谷直之が圧巻であった。
 ホールの最後列までびんびんと届くヴォリュームと力強さは、欧米の歌手にひけをとらない。恵まれた声の持ち主である。

 ザッカリーアを歌った鹿野由之も、朗々としたよく通る声と貫禄ある立ち姿で、舞台を引き締めていた。
 抑制の効いた丁寧な歌い回しにベテランの味を感じた。

 今回一番の敢闘賞はナブッコ役の野村光洋。
 風邪か流行り病か、体調の悪さ、喉の不調は歴然としていた。
 本番で、ここまで苦しそうな歌唱を聴いたことがない。
 代役(11日にナブッコを歌ったバリトン)を立てられない訳があったのだろうか。
 だが、最初のうちこそ失望感に襲われたものの、「声が裏返らないか、かすれないか、音程をはずさないか」、とハラハラしつつ聴いているうちに、次第に心の中で応援している自分に気づいた。
 歌い手のもがき苦しむ姿が、ちょうど神の逆鱗にふれて雷に打たれ、正気を失い、アビガイッレによって王位を奪われ監禁されてしまうナブッコの、哀れな老人の苦しみとオーバーラップしていた。
 最後までよく頑張った。

 荒川区民オペラのなによりの美点は、庶民ならではの親しみやすさ。
 手作り感たっぷりの舞台衣装、眼鏡をかけた古代の男たち、赤ん坊を抱えて座席案内するスタッフの姿、カーテンコールでの達成感に満ちた合唱団の誇りかな表情、いずれもが「人が協力して物を作る喜び」という創作の原点を思い起こさせてくれる。
 その感動が、来年もまた来ようという気にさせるのだ。

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どうもサンポールと言い間違えてしまう







● 映画:『ナイル殺人事件』(ケネス・ブラナー監督)

2022年アメリカ、イギリス
127分

 ケネス・ブラナー監督&主演による『オリエント急行殺人事件』(2017)は良かった。
 同じアガサ・クリスティ原作で、エジプトが舞台で映像ばえする『ナイル殺人事件』に期待が高まるのも当然である。
 多くの鑑賞者同様、ソルティもまた、筋書きも犯人もトリックも知っているので、見どころは疑似エジプト旅行を味あわせてくれる豪華な映像と、スター俳優たちの競演という点にある。

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Peace,love,happinessによるPixabayからの画像

 映像はまったく素晴らしい。
 ナイル川の広々とした悠久の風景、ピラミッドやアブシンベル神殿など神秘的な古代エジプト遺跡、金持ち御用達の豪華客船、美しい衣装やアクセサリー、スタイル抜群の美男美女。
 一気に物語の世界に運んでくれる。

 役者もそれぞれ好演なのだが、残念なことに出演俳優の中でソルティが見知っているのは、ケネス・ブラナーただ一人だった。
 これは、ソルティが最近の映画を観ていないのと、記憶力が減退しているので役者の顔を一度で覚えられないのが大きな理由だろう。
 調べてみたら、サイモン・ドイル役のアーミー・ハマーはルカ・グァダニーノ監督のBL映画『君の名前で僕を呼んで』の恋人役を演じているし、ポワロの親友ブーク役のトム・ベイトマンは『オリエント急行』に続く出演だし、ブークの母親役のアネット・ベニングはサム・メンデス監督『アメリカン・ビューティ』で英国アカデミー主演女優賞を受賞している名優であった。
 観る人が観れば、今を時めく豪華スター総出演なのかもしれない。
 それでもやはり、1978年版『ナイル殺人事件』の出演陣――ピーター・ユスティノフ、ジェーン・バーキン、ベティ・デイヴィス、ミア・ファロー、ジョン・フィンチ、オリヴィア・ハッセー、ジョージ・ケネディ、アンジェラ・ランズベリー、マギー・スミスほか――に比べると、小物感が漂い、見劣りする感がある。
 そんな中でも、サロメ・オッタボーンを演じるソフィー・オコネドーという黒人女優が、素晴らしい歌声と酸いも甘いも知る成熟した女性の魅力を醸していて、印象に残る。
 原作ではサロメ・オッタボーンは、ハーレクイン小説まがいの性愛小説を書き散らすアルコール中毒の作家だった(アンジェラ・ランズベリー演ず)が、ここではポワロが好意を抱く人気ブルース歌手に変えられている。

 前作『オリエント急行』でもそうであったが、本作においてもエルキュール・ポワロという人物像の掘り下げが見られる。
 ベルギー人ポワロは、どんな過去を持ち、どんな恋愛をしてきたのか?
 なぜ生涯結婚しなかったのか?
 なぜ髭を生やすことにしたのか?
 クリスティが書かなかった人物背景が創作されている。
 現代という時代は、「名探偵」という肩書一つでドラマが作れる、視聴者が満足する時代ではなくなったのである。
 
 さらに現代性という点で言えば、1978年版の主要登場人物が全員白人だったのにくらべ、2022年版の人種の多様性は驚くべきものである。
 ハリウッド映画界のダイバーシティ(多様性)尊重のあらわれだろう。
 それに反対するつもりは毛頭ないが、有産階級のリネット・リッジウェイの幼馴染や従兄弟が黒人であったり、白人男性が黒人女性を結婚相手に選ぶなど、物語の時代背景(1930年代)を無視した設定にはさすがに不自然を感じる。
 史実は史実である。
 史実を曲げる形での原作変更は好ましいとは思えない。
 そんなことしたら、「きびしい差別があった」という事実さえ、観る者は学べなくなってしまう。




おすすめ度 :★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損


  

● 大正役者の”味” 映画:『気違い部落』(渋谷実監督)

1957年松竹
134分

 きだみのるの小説『気違い部落』シリーズを原作とする。
 きだみのる(1895-1975)は鹿児島県出身の小説家。フランス留学の経験を生かし、『ファーブル昆虫記』の翻訳もしている。
 戦中戦後、東京都南多摩郡恩方村(おんがたむら、現:東京都八王子市)の廃寺に20年ほど籠もるように暮らした。
 そのときの見聞をもとに書いたのが『気違い部落周游紀行』(1948年)で、一躍ベストセラーになった。
 「気違い」扱いされた恩方村の人々にしてみれば、たまったもんじゃない。
 きだに向って鎌を振りかざし、村からの立ち退きを迫ったという。

 恩方村は童謡『夕焼け小焼け』誕生の地でもある。
 作詞の中村雨紅がこの里のお宮の子供であった。
 ソルティは山登りの帰りに寄ったことがあるが、緑豊かな長閑な里といった印象を受けた。
 なお、この小説および映画のタイトル中の「部落」は被差別部落のことではない。
 本来の語義である「集落」の意である。

恩方村の夕暮れ
八王子市恩方

 国立映画アーカイブの2階ホール(310席)はほぼ満席であった。
 95%は中高年男性だった。
 古い邦画を愛する映画マニアにとって、見逃せない作品なのである。
 というのも、一見タブーの2乗のような物騒なタイトルをもつ上、実際に作品中でも放送禁止用語が頻発する本作は、TV放映NGはもちろんのこと、DVDにもなっておらず、旧作専門の映画館でも上映される機会が滅多にないからである。
 のっけから、ナレーターを務める森繁久彌が「きちがい」を連発するわ、犬を撲殺して皮を剥ぎ肉鍋にするシーンは出てくるわ、肺病患者や共産党員(アカ)を差別するセリフは飛び出すわ、セクハラ・パワハラは空気のように当たり前で、“令和コンプライアンス”に違反することだらけである。
 加えて、部落の男どもときたら、博打は打つわ、酒を飲んでくだを巻くわ、殴り合いの喧嘩をするわ、妻がいるのに女工に手をつけるわ、酒に水増しするあこぎな商売はするわ、密猟するわ・・・、片や女どもは寄ると触ると人の悪口を言うわ、猥談するわ、ノーパンでワンピースを着るわ・・・。
 前近代的で閉鎖的な村社会に生きる色と欲と偏見にまみれた男女の姿が、赤裸々に描き出される。
 前半は戯画的かつコミカルなタッチで。
 後半は悲劇的かつシニカルなタッチで。

 昭和30~40年代に首都圏のベッドタウンに生まれ育ったソルティは、こうした地方の“村社会”文化に直接触れたことはない。
 が、TVドラマや映画や小説や漫画を通じて、あるいは地方で生まれ育った知人から話を聞いて、「田舎の暮らしとはそういうものか」と思っていたので、いまさらその実態に驚くことはない。
 むしろ、新鮮な驚きは、昭和の頃の自分なら何とも思わなかったであろう「きちがい」というセリフの連発や犬殺しのシーンにショックを覚え、「これはちょっとマズいんじゃないの?」とドギマギしている、令和の自分を発見したことであった。
 つまり、昭和から平成を通過して令和に至る数十年で、表現の自由に対する自らのしきい値、つまりNGラインがいかに変わったかに気づかされた。
 その変化は、良く言えば、人権意識の向上、ソフィストケイト、紳士化、民度の向上、SDGs理解の深まりってことであるが、反面から見れば、社会に洗脳されて“いい子”になった、表現の自由の範囲を狭めようとする世の潮流に知らず押し流されていた、ということでもある。
 だいたい、戦争映画やホラー映画で人が虐殺されるシーンは平気で観ているのに、一匹の犬が殴り殺されるシーンに、「見ていられない!」「残酷だ!」「許されない!」と思ってしまうあたりが、世間の恣意的なNGラインの設定と、ソルティの洗脳されっぷりを示しているではないか。
 実際、犬撲殺シーンでは、観客席から非難とも悲鳴ともつかない声が上がっていた。

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国立映画アーカイブ

 さすが「国立」を冠する施設だけある。
 フィルムの保管方法が良いのだろう。画質と音声は信じられないくらいクリアであった。(あまり上映されないせい?)
 出演者がみんな上手く、味がある。
 部落一の権力者・良介を演じる山形勲は、高峰三枝子共演『点と線』を観た時も思ったが、岸田首相に似ている。メガネをかけたらクリソツなのではないか。権威を笠にきる俗物っぽい男を好演。
 その取り巻きを演じる藤原鎌足、三井弘次、信欣三らのコミカルな演技は秀逸。
 良介の妻役の三好栄子は、木下惠介『カルメン、純情す』や小津安二郎『おはよう』での怪演ぶりが記憶に残るが、ここでもエグイほどのキャラ立ちで観客を楽しませてくれる。男優なら天本英世にならぶ希有な怪物役者だ。三好栄子特集をどこかで組んでくれないものか。(新文芸坐 or 神保町シアター or ラピュタ阿佐ヶ谷?)
 今井正監督『橋のない川』で名優ぶりを知った伊藤雄之助。ここでも地か芝居か区別つかないような渾身の演技を見せる。演じることに対する凄まじい情熱は、後輩の三國連太郎と比肩しうる。
 若い恋人役を演じる、まぎれもない美男美女の石濱朗と水野久美は、有象無象が跋扈する部落にあって唯一の清涼剤。石濱朗は、美空ひばりとコンビを組んだ『伊豆の踊子』で、水もしたたる美青年ぶりを見せていた。やっぱり、目鼻立ちが菅田将暉を思わせる。
 ほか、うれしいサプライズは、伴淳三郎、淡島千景、清川虹子、桂小金治、もちろんナレーターの森繁久彌。

 『気違い部落』というだけあって登場人物がみなそもそも個性的なのであるが、そればかりでなく、昔の役者の個性豊かさはどうだろう?
 高齢者介護施設で働いていた時に思ったのだが、大正生まれの人は個性的で面白い人が多かった。
 結構わがままで職員泣かせなのだが、どこか剽軽で憎めない。
 風変りなエピソードを持っている人も多かった。
 育った時代の空気というものだろうか。
 そのうち入所者が昭和生まればかりになってくると、日本人から個性とユーモア精神が抜けたような気がした。
 戦後生まれともなると、さらに画一化。
 役者についても当然それはあてはまる。
 本作は、大正生まれの役者たちの“味”の証言とも言える。

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階段に掲示された昔の映画ポスター
 
 前述したように、きだみのるは恩方村の人々から恨まれた。
 が、言うまでもなく、きだが言いたかったのは、恩方村は日本の縮図であり、「気違い部落」とはそのまま日本の姿だということである。
 本作の最後のナレーションでも、「このような部落は日本中どこでもあります」と言っている。
 おそらく、フランス留学で西欧文化に触れたきだは、日本の前近代性をしこたま痛感し、なかば絶望したのだろう。
 たとえば、権力への盲従、談合、根回し、同調圧力、掟、村八分、「なあなあ」主義、本音と建て前の使い分け、組織の無責任体質、男尊女卑の家制度、重要なことは会議でなく料亭や居酒屋で決まる、よそ者を嫌う閉鎖性・・・・e.t.c.
 恋人を結核で亡くし「気違い部落」に愛想をつかした石濱朗が故郷を捨てるラストシーンに象徴されるように、はたして令和日本人は、「気違い部落」の住人であることを止めたのだろうか。
 
 こういった本質的テーマを無視して、「気違い」や「犬殺し」で目くじらを立て(あるいは自己規制して)フィルムをお蔵入りさせてしまう風潮は、まったく好ましくない。
 テレビ放映は無理でも、「観る or 観ない」を一個人が選択できるDVD化はされて然るべきと思う。
 



おすすめ度 :★★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損





● これは一つのギャグハラではないか 映画:『アリバイドットコム2 ウェディング・ミッション』(フィリップ・ラショー監督)

2023年フランス
88分
原題:Alibi.com 2

アリバイドットコム2

 『世界の果てまでヒャッハー!』で監督&役者として類い稀なるコメディセンスを見せたフィリップ・ラッショーの別シリーズ。
 北条司の人気もっこり漫画『シティーハンター』を原作とする『シティーハンター THE MOVIE 史上最香のミッション』(2019)を含むコメディ10作がすでに公開されている。
 ソルティはまだ2作しか観ていないので断言はできないものの、国際的に言って、英国のローワン・アトキンソン(Mr.ビーン)、米国のジム・キャリー以来の天才コメディアンの出現と言っていいんじゃなかろうか。
 着想、脚本、演出、演技、いずれも観客の心をつかんで離さないテクニックと個性的魅力にあふれている。
 エロ系や動物虐待系のきわどい笑いもあるけれど、次から次へと繰り出す少年漫画的なギャグの応酬に、真面目に批判するのも阿保らしくなる。
 というか、“真面目”を手玉に取ることこそ笑いの骨頂である。

 スタイル的には往年のドリフのコントみたいなドタバタ&ナンセンスなのであるが、気持ちよく笑えるのはラショー監督の世界観、人生観が投影されているがゆえだろう。
 それは、多様性に対する理解と人間愛である。
 このあたり、さすが、おフランス。
 しかも、ラショー監督はシリアス社会派ドラマや恋愛ドラマでも十分通用するイケメン。
 ドリフのコントから、一瞬にしてシリアスな家族ドラマあるいはハートウォーミングな恋愛ドラマに転換して、それが不自然でない。
 イケメンはお得である。

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 面白いコメディ映画は、「こうあるべき」という思想に凝り固まった人間、他人の些細な言動にいちいち目くじらを立てる人間には作れない。
 最近では、セクハラ、アカハラ、パワハラから始まって、アルハラ、マタハラ、モラハラ、カスハラ、テクハラ、スメハラ、フキハラ、ワクハラ・・・・と、何でもかんでもハラスメントの対象になってしまう。
 何でもかんでもハラスメントにしてしまう行為に対して、ハラハラ(ハラスメント・ハラスメント)という言葉さえ生まれている始末。
 誰もが自分の言動にも他人の言動にも過敏になり過ぎて、他人を傷つけることにも自分が傷つけられることにも敏感にまたナーバスになり過ぎて、気をつかうことばかりで人間関係が七面倒くさくて仕方ない。
 これじゃ、令和の若者が恋愛も結婚もできない、したくないと言うのも当然だろう。

 たとえば、昭和の頃、ちょっとした猥談は職場の潤滑油みたいな位置づけであった。
 いまや性や恋愛やジェンダーやルックスに関する話題は触れないに越したことがない。
 それが、各々の個性を認め合い多様性と人権を尊重するって方向で、人々の言動やマナーが自発的に改善していくのなら結構なことであるが、どうも日本人の場合、周囲から非難を受けたり陰口を叩かれたりしないように、各々の個性を押し隠し周囲に同調させるという方向に流れがち。
 つまり、互いを牽制し合う形での人間の画一化。
 その結果として、「ハラスメントが減った」というのはちょっと違うよなあと思う。

 言いたいことは、そのような状況おいては、この映画に観るようなユーモアや笑いは生まれないだろうってことである。



 
おすすめ度 :★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
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★★    いい退屈しのぎになった
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● 昇天者たち 映画:『クライマーズ・ハイ』(原田眞人監督)

2008年日本
145分

クライマーズハイ

 原作は横山秀夫の同名小説。
 1985年8月12日に起きた日航123便墜落事故の現場となった群馬県の地方新聞社の奮闘を描いたドラマ。
 クライマーズ・ハイとは「登山者の興奮状態が極限までに達すると恐怖感が麻痺してしまう状態」を言うそうだが、これを新聞記者が特ダネをつかんだ際の心理状態とかけている。
 ひょっとしたら、「高く上った者=昇天者」の意も含んでいるのかもしれない。

 横山秀夫は墜落事故があった当時、実際に群馬県の上毛新聞の記者であった。
 自らの体験がもとになっているのだ。
 新聞社内部のリアリティと臨場感ある描写はそれゆえだろう。
 ソルティは原作を読んでいない。

 どちらかと言えば、話の中心は123便の事故そのものより、地方新聞社の実態を描くほうにある。
 急を要する大事件が起きた時ほど、普段隠れている社内の部署間や人間関係のさまざまな軋轢が浮き上がってくる。
 過去の取材時の因縁であったり、地位や論功恩賞をめぐる男同士の争いや嫉妬であったり、限られた紙面を奪い合う各部署間の駆け引きであったり、広告・販売・編集各局間の積年の怨みであったり、社内の派閥であったり、単純な好き嫌いであったり・・・・。
 それは、520人の命が一夜にして奪われるような世紀の大事件に際して、人々の感情が大きく波打ち、言動が浮足立ち、普段見栄や理性で抑えているものが露わになってしまうからである。
 墜落事故に関する紙面づくりの“全権”を任された主人公悠木(演・堤真一)の視点を通して、昭和時代の一地方新聞社の実態が観る者に生々しく迫ってくる。
 群像劇としての面白さが際立っている。

 一方、墜落現場となった御巣鷹の尾根の惨状であるとか、事故原因であるとか、遺族の声であるとか、政治状況(たとえば戦後初の首相による靖国神社参拝)であるとか、当時を知る者なら忘れられない、事件を語る上で欠かすことのできない要素も描かれている。
 渡辺謙主演『沈まぬ太陽』を観たとき同様、あの事件の大きさ、あの夏の印象がソルティの中でまざまざと蘇った。

 逆に言えば、リアルタイムで事件を知らない世代がこの映画を観た時、どう感じるだろうか気になった。
 背景に関する説明不足から、内容を理解し難く、感情移入しにくいのではないか。
 つまり、観る者の記憶や体験におもねることで、作品として成り立っている部分があるような気がする。
 当時大学生だったソルティはむろん、JAL123便墜落事故に関する記憶や体験を持ってしまっているので、それを持っていない目から観た時、この映画がどう見えるかが分からないのである。 
 
 その意味でも、冒頭および所々で挿入される事故数十年後の悠木の登山シーンは思い切って削っても良かったと思う。
 中途半端な同僚との登山挿話および表面的なだけの悠木親子の愛憎譚を入れたため、物語の肝となる事故原因をめぐる詳細が浅く触れられるだけで終わってしまったからだ。
 “日航全権“である悠木は、事故調査委員会(つまりは日航&政府)の公式発表「機体後部の圧力隔壁の破壊」という情報を、部下を使った独自取材で事前に掴み、読売や朝日など全国紙に先んじる特ダネとして第一面に掲載する準備をしていた。
 が、最後の瞬間になってそれを取りやめる。「ダブルチェック」できていないからという理由で。
 その決断によって、逆に他紙におくれを取ってしまい、社長はじめ全社員を失望させ、総スカン食うことになる。
 悠木は自らを可愛がってくれた社長に辞表を出すことになる。

 この事故原因の紙面掲載に関わるシーンこそが本作のクライマックスなのだから、そこはもっと時間をかけて背景を丁寧に描くべきであった。
 もっとも、登山シーンをすべて省いてしまったら、『クライマーズ・ハイ』というタイトルの意味が薄れてしまうが・・・・。
 少し前に『セクシー田中さん』問題があったが、原作小説をTVドラマ化あるいは映画化する際の難しさを感じる。

 役者では、主演の堤真一、泥だらけになって墜落現場を取材する堺雅人、野望を秘めた女性記者の尾野真千子、車椅子に乗った社長役の山﨑努、悠木の天敵である等々力社会部長を演じる遠藤憲一がいい。
 原田監督は、役者づかいの上手い人と見た。

 映画のラスト、次の文が掲示される。

航空史上未曾有の犠牲者を出した日航機123便の事故原因には、諸説がある。事故調は隔壁破壊と関連して事故機に急減圧があったとしている。しかし、運航関係者の間には急減圧はなかったという意見もある。再調査を望む声は、いまだ止まない。

 特ダネを見送った悠木の判断の正否について、いまだ答えが出ていない。



 
おすすめ度 :★★★

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● 本:『日航123便墜落 疑惑のはじまり 天空の星たちへ』(青山透子著)

2010年マガジンランド刊行
2018年河出書房新社
2021年文庫化

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 森永卓郎著『書いてはいけない』で薦められていた本。
 著者の青山は1985年8月12日夜の123便墜落事故時、日本航空(JAL)のスチュワーデスだった。
 後に転職し、企業・官公庁・大学等の人材育成プログラムの開発及び講師として働き、現在は「日航123便墜落の真相を明らかにする会」の事務局を務めている。
 スチュワーデスという呼称は現在は使われていない。客室乗務員あるいはフライトアテンダントと言う。
 堀ちえみ主演『スチュワーデス物語』は遠い昔だ。

 青山は今やJAL123便事故に関する真相究明派の旗頭的存在となっていて、本書を含み7冊の関連本を出している。
 本書は「疑惑のはじまり」というタイトル通り、その出発点となった第一作であり、ノンフィクション作家青山透子の誕生を告げた記念すべき書である。
 ちなみに青山透子はペンネームである。

 本書は3部構成である。

 第1部は、青山が一人前のスチュワーデスになるまでの若き日々を振りかえった回想録。
 厳しい訓練や失敗の数々、仲間や先輩との友情や助け合い、次第にプロ意識を身につけていく様子など、まさに『スチュワーデス物語』そのものの面白さ。
 もっとも、風間杜夫のようなイケメン教官との色恋や片平なぎさのような珍キャラは出てこないが。
 航空業界の専門用語や慣習についての要領のよい説明や、初フライト時の感動的な逸話など、文才が感じられる。
 JAL社員としての誇りと喜び、乗客の命を預かるプロとしての使命感をもって、青山が充実感のうちに働いていたことが伝わってくる。
 それだけに、1985年8月12日の出来事はたいへんな衝撃だった。

 第2部は、あの日のこと。 
 会社の女子寮でスチュワーデス仲間とともにニュースを耳にしたときの様子が、情景が浮かぶような臨場感をもって描かれている。
 我々外部の人間は、墜落事故の被害の凄まじさ、愛する者を突然失った遺族の姿、修理ミスという人為的原因などに感情を動かされ、加害者としてJALを非難し怒りをぶつけたものだけれど、辛く悲しいのはJALの社員も同じだったのである。
 苦楽を分かち合った同僚を失い、世間から後ろ指を指され、JALの社会的信用とプロフェッショナルとしての矜持を叩きつぶされ、それでも休まず飛行機を飛ばし続けなければならない。
 事故で亡くなったスチュワーデスやパイロットの遺族たちは、被害者でありながら、一方で加害者としてもみなされ、悲しみをあらわにすることすらままならなかった。
 遺族の世話を担当した社員の中には、その後自殺した者や過労で亡くなった者もいたという。

 いま思うに、JALの幹部が現場に足を運び遺族に謝罪するのは当然だが、遺族の世話は一般社員にさせるべきではなかった。
 一般社員は墜落原因とは何の関係もなかったのだし、心のケアは専門職に任せるほうが適切だ。
 過失致死を犯した人間の家族に、被害者遺族の世話をさせるようなものなのだから。
 一般社員に必要以上の罪悪感を抱かせ、遺族の怒りをぶつけるサンドバッグにし、過酷な肉体的労働や心労を与え、新たな犠牲者を生み出した。
 会社のために尽くす“会社人間”が称賛される昭和時代の大きなあやまちであった。
 もっとも、懸命に世話にあたったJAL社員と遺族の間に生まれた、事故後も長く続く交流を否定するものではない。 

 死亡者名簿の中に新人のとき世話になった先輩スチュワーデス数名の名前を見つけた青山は、衝撃を受け、悲しみに暮れた。 
 後日、深い追悼の思いと共に、事故について新聞記事を調べていくうち、様々な疑問が湧き上がる。
 それはスチュワーデスとして専門教育を受け、空の上の現場で何百時間も働いてきた者だからこそ抱き得る当然の疑問であった。

がくあじさい

 第3部は日航退職後、2000年代に入ってからの話である。
 教育の仕事に転じた青山は、航空会社への就職を希望する学生たち相手に講義する機会を持った。
 ある時、1985年当時はまだ物心つくかつかない年齢だった生徒たちに、JAL123便墜落事故について調べてクラスの前で発表するという課題を与えた。
 生徒たちははじめて知る事故の詳細に衝撃を受けるとともに、当事者の一人であった青山の影響を受けることなしに、新鮮な第三者の目で事故に関する記事を読み、知り合いの年配者にインタビューし、レポートにまとめた。
 彼らの発表はまさに疑問のオンパレードだった。
 そこには青山も気づかなかったような、思いつかなかったような事柄もあった。
 たとえば、事故当時の中曽根康弘首相の動向など、ソルティもまた本書を読んではじめて知った。
 事故のあった8月12日は夏休み中で軽井沢滞在。翌13日上京し、池袋サンシャイン開催の輸入品バザールに足を運び、15日は戦後初の靖国神社公式参拝を終えたあと二泊三日の人間ドック入り。17日軽井沢に戻って家族と過ごし、知人の別荘のプールで水泳に散歩。
 事故現場はおろか、遺族が参集していた軽井沢からほど近い群馬県藤岡の検視会場にも足を運んでいない。
 令和の今ならネットが爆発するようなふざけたものである。
 当時の日航は民間会社ではなかった。政府主導の半官半民の組織で、皇室や国会議員御用達のいわゆるナショナル・フラッグ・キャリアだった。

 事故直後に抱いた青山の数々の疑問は、次第に疑惑となって固まっていく。
 偶然が重なって、映画『沈まぬ太陽』にエキストラとして参加することになった2009年、ついに事故現場である御巣鷹の尾根をはじめて訪れることになる。
 現地では、当時群馬県警高崎署の刑事官で遺体の身元確認班の責任者だった飯塚訓氏(『墜落遺体』の著者)、上野村の村長だった黒澤丈夫氏に話を聞き、さらには飯塚氏とともに検視に携わった歯科医師の大國勉氏、地元消防団員で生存者を発見した黒澤武士氏から、現場を案内してもらう機会を得た。
 黒澤武士氏は言う。

「最初はねえ、生存者はいないだろうってことで来たからね、今思えば、担架を持ってきて、ヘリで空から落としたってよかったのにねえ、そういうことが全然出来ていなかった。だから吉崎さんの奥さんも、けっこう周りにいた人たちと話をしたって言ってたもんね。もっと救助が早ければ・・・・今24年経ってみて、落ち度があったっていえばそういう点が欠けていたよね」

 吉崎さんの奥さんとは、4人の生存者の一人で当時35歳だった吉崎博子氏のことである。
 青山は事故現場に立ち並ぶ犠牲者の名前の書かれた墓標をひとつひとつ拝み、そこにスチュワーデス時代にお世話になった先輩たちの名前を見つける。
 初フライトの時に助けてくれた前山先輩の墓標と出会うシーンには思わず背筋がぞわっとした。

 確かに言えることが二つある。

 一つは、青山透子はまったく陰謀論者などではない。
 公になっている記事や証言を粘り強く調べ、論理的科学的な思考によって物事の道理が判断できる、頭のいい人である。
 亡くなった同僚や乗客に対する深い哀悼の気持ち、当時のJAL経営陣や一部政治家に対する不信の念や怒りは当然あろうが、決して感情に引きずられて妄想をふくらませることをしていない。
 本物のジャーナリストがここにいる。

 いま一つは、やはりJAL123便墜落事故には不可解なことが多すぎる。
 機体が墜落してから墜落現場が特定されるまで9時間以上かかったこと。
 舵を失った飛行機が横田基地に緊急着陸せず、わざわざ長野県方面に方向転換したこと。
 遺族の要求に応じず、いまだにボイスレコーダーとフライトレコーダーの開示を拒んでいること。
 隠したい何かがあると疑わざるを得ない。

悪魔と議事堂





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