ソルティはかた、かく語りき

東京近郊に住まうオス猫である。 半世紀以上生き延びて、もはやバケ猫化しているとの噂あり。 本を読んで、映画を観て、音楽を聴いて、芝居や落語に興じ、 旅に出て、山に登って、仏教を学んで瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

雑記

● 千葉真一がエモすぎ! 映画:『沖縄やくざ戦争』(中島貞夫監督)

1976年東映
96分

 チャカが出てくるヤクザ映画は好きじゃないが、日本返還後の沖縄が舞台というので、当時の風俗や街の匂いが伺えたらと思い、借りてみた。

沖縄やくざ戦争DVD

 戦後沖縄のヤクザ抗争は、スターこと又吉世喜を親分とする那覇派と、ミンタミーこと新城喜史を親分とするコザ派の対立から始まったとされる。
 このあたりの模様は、真藤順丈著『宝島』に実名のままに描かれている。
 1972年の返還を前に、本土最大組織である山口組が沖縄を配下に収めようと乗り込んできた。
 これをきっかけに、那覇派とコザ派(やんばる派と改名)は大同団結した。
「ヤマトンチュウに沖縄を奪われてたまるものか!」というわけだ。
 いったん状況は落ち着いたかに見えたが、そこは抑えの効かない狂犬の集まり。
 やんばる派で起きた内部抗争が引き金となって、那覇派、山口組も入り混じえた全島を揺るがす壮絶な闘いが勃発する。

 本作は、このやんばる派の内部抗争を描いた実録風ドラマである。
 もちろん、冒頭クレジットではフィクションと銘打ってあり、登場人物に実名は使われていない。
 が、ヤンバル派⇒国頭派、新城喜史⇒国頭正剛(千葉真一)、又吉世喜⇒翁長信康(成田三樹夫)、山口組⇒旭会、と変換されていることは、ちょっと調べれば分かる。
 本作の主役である中里英雄のモデルは、新城喜史とは兄弟分でありながら、内輪もめからやんばる派を脱会することになり、その後、組織から追われることになった上原勇吉という実在した男。
 演じるは松方弘樹である。

 どこまでが事実でどこからが創作か、誰が実在した人物で誰が創作上のキャラクターか、いちいち調べる気はないけれど、全編に溢れかえる暴力と残虐と怒りと愚かさだけは、現実にあったものと変わらないだろう。
 中里の子分の一人が、国頭組に拉致監禁されたうえ、ペンチで陰茎を捩じ切られるシーンが出てくる。
 見ていて思わず腰を引いてしまった。(これは実際にあったことらしい)
 こういった映画を観ていると、ある種の男にとって、暴力とは問題を解決する手段ではなくて、目的そのものなのだとつくづく感じる。
 暴力のための暴力。
 実に阿修羅とはこういう存在を言う。

阿修羅
 
 国頭正剛を演じる千葉真一が、異次元の怪演をみせている。
 酒場で一般人相手に暴れまくったり、上半身裸になって沖縄民謡に合わせて空手の型を見せたり、猿のようにテーブルに飛び乗ったり、人間離れした無頼ぶりが精彩を放っている。
 この千葉真一の演技は一見の価値がある。
 
 ほかに、ぴちぴちジーンズ姿が若々しい渡瀬恒彦や、あいかわらず悲惨な役柄の尾藤イサオ、旭会(=山口組)幹部役の梅宮辰夫、国頭組の冷酷にしてニヒルな参謀石川役の地井武男など、東映スター大集結といった豪華さが感じられる。

 残念ながら、ある事情があって、本作は沖縄ロケを敢行できず、ほぼ全編京都撮影となったそうだ。(ウィキ「沖縄やくざ戦争」より)
 返還直後のリアルな沖縄の風景は見られなかった。

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松方弘樹と千葉真一、手前は地井武男




おすすめ度 :★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損








● 映画:『メイズ・ランナー』(ウェス・ボール監督)

2014年アメリカ
113分

 原作はジェームズ・ダシュナーが2009年に発表したヤングアダルトSF小説。
 『メイズ・ランナー』の題名で角川文庫から邦訳が出ている。
 巨大な迷路(Maze)の真ん中に閉じ込められた若者たちの脱出劇を描くシチュエイション・スリラーである。

迷路
 
 意識と記憶を奪われて、ある日突然、迷路の中に放り込まれた若者たち。
 迷路をつくる分厚い壁は日々縦横無尽に移動し、迷路の中には獰猛醜悪なサソリを思わす怪物が棲んでいるので、容易には抜け出すことができない。
 外的環境の厳しさのみならず、主導権を巡っての仲間割れなど内的事情もなまなかなものではない。

 観ていて想起したのは、貴志祐介のサバイバル・ホラー『クリムゾンの迷宮』。
 あの作品と同様、迷路の中の若者たちを外部からモニターで監視する大人たちがいる。
 その目的はいったい何なのか?

 借りたときは気づかなかったが、映画は原作同様3部作仕立てであった。
 よって、謎が解明されず、若者たちの置かれている状況も理解できず、無事迷路を脱した者たちの苦難も去らないまま、続編に続く。
 しかし、ソルティはもう続きを追うことはないだろう。
 あくまでヤングアダルト向け。
 内容も映像もゲーム感覚である。
 いち早く抜けることにした。
 
 


おすすめ度 :★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
★     読み損、観て損、聴き損







 

● 豊島区管弦楽団ニューイヤーコンサート2023


日時: 2023年1月8日(日)
会場: 豊島区立芸術文化劇場(東京建物ブリリアホール)
曲目:
  • ベートーヴェン: 交響曲第7番
  • 武満徹: 系図 -若い人たちのための音楽詩-
  • ストラヴィンスキー: バレエ組曲「火の鳥」(1919年版)
指揮: 和田 一樹
アコーディオン: 大田智美
語り: 都立千早高等学校演劇部員

 昨年は和田一樹の素晴らしいマーラー1番で幕を閉じたが、年明けも和田一樹となった。
 2019年11月開館のブリリアホール(豊島区立芸術文化劇場)に行くのは初めて。
 池袋駅東口(西武があるほうが東口である)から徒歩5分、お隣が豊島区役所。
 この辺を訪れるのは10年ぶり。 
 かつてホームレスや終電逃した酔っ払いのたまり場であった中池袋公園が、明るくモダンな都市空間に変貌しているのにビックリした。
 ソルティも20代の会社員時代、ここのベンチで朝焼けとカラスに蹂躙されたこと度々。

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池袋駅東口

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ブリリアホール

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ホール前の中池袋公園

 TVドラマ『のだめカンタービレ』で一躍人気ナンバーとなったベートーヴェン交響曲第7番、通称ベト7は、年明けを飾るにふさわしい華やかで躍動的な曲。
 10年近く常任指揮者をつとめているだけあって豊島管弦楽団と和田の呼吸はぴったり。
 危うげなところが微塵もない。
 上記ドラマにおいて指揮指導をした和田にとって、ベト7は自家薬籠中といった余裕すら感じる。
 各演奏者のレベルも相当なもの。
 海外ツアーしてもいいんじゃなかろうか。

 珍しいのが2曲目の武満徹『系図』。
 配布プログラムによると、

武満晩年にあたる1992年に作曲された。40年来の親友である詩人、谷川俊太郎の詩集『はだか』から、“自分と家族”に関わる詩を選び、一連のストーリーとなるよう並べ、音楽で彩った。語り手は12歳から15歳の少女が望ましい、と武満は言っていたそうで、若手女優を起用する例が多い。 

 今回語り手の少女は、豊島区にある都立高校の演劇部の女子学生6人がつとめた。
 自らの祖父母、両親のことを順に語り、最後は自分の将来を夢見るという構成。
 しかし、描き出されるのは『サザエさん』や『ちびまる子ちゃん』風の幸福な家族ではなく、むしろ心がバラバラの現代的な一家の姿。
 認知症っぽい祖父、寝たきりの祖母、燃え尽き症候群の父、キッチンドリンカーの母。 
 そこに、映画BGMでも発揮される武満の奇っ怪な音楽が、アコーディオンの庶民的な響きと共にかぶさる。
 正直、どうとらえていいか分からない作品である。
 これで「系図」と言われてもなあ・・・・。
 (よもや虐待の系図ではないよね?)

 女子高生たちの好演には拍手を惜しまないが、本作も含め、今回の曲目選定には疑問が残った。
 普通ならベト7をラストに持って来て、明るく盛り上がって終わりだろう。
 新春でもあり、豊島区90周年のお祝いも兼ねている催しなのだから。
 しかしそうすると、『火の鳥』か『系図』を一番に持って来なければならない。
 それはあまりに無謀だろう。
 ってわけで、ベト7からスタートしたんじゃないかと推測する。

 『火の鳥』をプログラムに入れたのは、もちろん手塚治虫『火の鳥』とのからみである。
 豊島区には手塚治虫、赤塚不二夫、藤子不二雄、石ノ森章太郎らが青春時代を過ごしたトキワ荘があって「マンガの聖地」になっているのだ。
 今春3月には世界最大規模のアニメショップ「アニメイト池袋本店」が、それこそブリリアホールとは豊島区役所をはさんだ反対隣りにオープンする。
 今回の曲目を誰が選んだか知らないが(区長?)、ここぞとばかり「豊島区=アニメ」を強調したかったのだろう。

 ともあれ、一曲一曲の出来は良かったのだけれど、感動が相殺し合うようなバランスの悪いプログラムで、すっきりしない終演。
 こういうこともあるんだなあ~と一つ学んだ。
 5月5日には、和田一樹&豊島区管弦楽団で R.シュトラウスの交響詩「ドン・ファン」とマーラー交響曲第9番に挑戦するらしい。
 これぞ実力見せどころの名プログラム。
 掛け値なしの必聴コンサートである。




● 漫画:『地獄星 レミナ』(伊藤潤二作画)

2005年小学館
併録『億万ぼっち』

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 伊藤潤二には一時ハマった。
 出世作『富江』はじめ短編集をずいぶん読み、江戸川乱歩に通じるような不気味で変態チックなアイデアと、草間彌生に通じるようなゲテモノ趣味で精密な画風に惹かれた。
 どんないかがわしい風体の人だろうと思っていたが、実物の写真を見ると普通の常識的なサラリーマンみたいな感じで拍子抜けした。(いや、昨今、普通の常識的なサラリーマンこそがよっぽど変態チックなのかもしれないが)

 日常生活に潜む恐怖を切り取ったアイデア勝負の短編が得意な人と思っていたので、本作のようなある程度の長さのストーリー仕立ての、しかもSF作品があるとは知らなかった。
 古本屋で見つけた。

 別宇宙からやって来た謎の新惑星レミナが地球に迫ってくる。
 冥王星が、海王星が、土星が、火星が、月が、カメレオンのような舌でペロリと飲み込まれていく。
 地球消滅寸前のパニックの中、狂気に落ちた群衆は、惑星と同じ名前を持つ美少女レミナを生贄にしようと狩りを始める。

 あいかわらず、不気味で変態チックでゲテモノ趣味で精密であった。
 惑星レミナの描写はまさに地獄そのもの。
 こういったものに惹かれる感性というのは、たとえば爪楊枝で歯カスをとるのに熱中したり、わざわざカサブタをはがして出血させたり、歩道の通気口の四角い穴に煙草の吸殻を押し込んだり、博物館のミイラに行列したりするのと通じるようなものを感じる。
 多くの子供がウンチが好きなように、人の原初的な部分に存在する志向なのかもしれない。
 でなければ、伊藤潤二の人気を説明できまい。

 読んでいて、子供の頃にテレビで観た『妖星ゴラス』(1962東宝)を思い出した。
 ゴラスと名付けられた天体が地球に衝突するのを回避するため、世界一丸となって人智を尽くし、地球の軌道を変えるという話であった。
 兄と一緒に、ドキドキしながら固唾をのんで観たのを覚えている。

 併録作『億万ぼっち』は、奇抜なアイデアで驚かす伊藤潤二ならではの奇編。




おすすめ度 :★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
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● 新型コロナ感染記

 昨年末に新型コロナ陽性になった。
 幸いなことに軽症ですんだ。
 オミクロン対応ワクチンこそ打っていなかったが、これまでに4回ワクチン接種していたのが重症化を防いだ一因ではないかと思う。
 幸いなことに同居の両親は感染しなかった。
 経過を記録しておく。
 発熱した日を発症日(0日)とする。

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携帯に送られてきたPCR検査結果通知
やはり目にした瞬間はショックだった
  • -2日 勤務日。深夜までブログ書き。
  • -1日 休日。倦怠感強し。午後はずっと横になっていた。
  •  0日 朝方より倦怠感強し。風邪かと思い熱を測る。6.4度。出勤するも14時で早退。帰宅し横になる。食欲なし。夜間より寒気と咳込みあり。7.5度に上がる。小青竜湯服用。
  • +1日 起床時より強い倦怠感とのどの痛み、体熱感あり。8.5度まで上昇。血中酸素(SPO2)は95%。小青竜湯および葛根湯服用。コロナを疑い勤務先に連絡入れる。自室隔離開始。午前中は起き上がれず。午後2時に7.5度に下がる。痰と咳込み続く。近隣の病院にPCR検査の予約入れる。夜、おかゆを食べる。寝る前の体温は7.3度
  • +2日 朝の体温は6.5度。倦怠感もかなり抜けている。咳たまにあり。のどの痛みはとれたが違和感あり。鼻のあたりにムズムズ感あり。匂いは感じられる。午前中にPCR検査を受ける。日中はブログを書いて過ごす。午後3時、陽性判明。勤務先に報告し一週間の出勤停止指示を受ける。家族に外出自粛を依頼する。食欲復活。
  • +3日 体温は5.7度(平熱)まで下がる。のどのイガイガ感あり。声がかすれている。咳たまにあり。そのほか、ほぼ平常通り。
  • +4~6日 特変なし。食べ物の味が塩辛く感じられる。匂いは通常通り。のどに痰が絡まっているような感覚続く。高音が出ない。一日一回は人通りの少ない道を散歩する。
  • +7日 午後3時、買ってきた抗原検査キットで「陰性」結果確認。9日ぶりに入浴。抜け毛が気になる。
  • +8日 床屋に行く。
  • +9日 のどの調子と味覚戻る。図書館に行く。
  • +10日 出勤再開。
金長さん

 いつどこで感染したのかわからない。
 発症前の数日、家族以外との濃厚接触はなかった。
 しいて言えば、家の近くのサイゼリアに1人で行ったとき、通路を挟んだ隣のテーブルの4人家族が食事中ずっと喋っていたのが可能性として思い当たる。疲れと寝不足で抵抗力が落ちていた。 
 一番重かった症状は倦怠感。
 7度以上の発熱、のどの痛みは丸一日程度。
 激しい咳込みや関節痛はなし。
 抜け毛はあったかもしれないが、年齢のせいか区別つかず。
 インフルエンザよりまったく軽かった。
 家族の体調不良もなし。

 5人いる職場では自分がコロナ感染第1号となったが、出勤再開後まもなく他の職員1名が感染、また別の職員が濃厚接触者となって出勤停止。
 結局、職員全員揃わないまま、仕事納めとなった。
 現在、日本では3000万人近い感染者が報告されているから、4人に1人は感染している勘定になる。
 もうちっとも珍しいことではなくなった。
 こんなふうにコロナ感染を平気でカミングアウトできる現状をみるにつけ、3年前のコロナパニック時に感染が発覚した人が各地で厳しい差別を受けたことを理不尽に思う。
 なんだったんだ、あれは・・・・・?

 感染から半月以上経った。
 後遺症なのかどうか分からないが、若干の喉のかすれは残っている。
 また、集中力が減退しているようで、瞑想中に雑念に振り回されている。
 ブレインフォグ(直訳すると「脳の霧」)というやつだろうか?
 脳の配線が感染前と違っているような別人感がある。
 仕事上のミスの言い訳に使おうと思っている。 

P.S. 感染時の症状は、ワクチン接種後の副反応同様、個人差が大きい。上記はあくまでソルティのケースに過ぎないので、軽視は禁物。くれぐれもご用心を!
 
脳みそ




 

● 還ってきたX君

 やや旧聞に属するが、今秋に良い知らせがあった。
 行方不明になっていた旧友X君が無事生きていたのである。

 コロナ感染の波が収まっていた5月の連休に、友人らと一緒に、東北にX君を探しに行った顛末は『みちのく・仏めぐり』で書いた。
 その時は結局、行方が分からず空振りに終わった。

 9月のある日、一緒に探索に行ったP君からメールがあって、「X君がフェイスブックを再開したみたい」という連絡をもらった。
「そうか、生きていたのか」と一安心した。

 先日、仕事中にP君から電話があり、「いまX君と一緒にいる」と言う。
 年末年始の休みを利用して仙台に会いに行ったのだ。
 電話を代わってもらった。

 つまるところ、X君は地方の某刑務所に服役していたのであった。
 連絡がつかないわけである。 
 最後に会ったときは、デブ専ゲイにモテそうな体系になっていたX君。
 「体重落ちた?」と聞くと、
 「10㎏減った。9月に娑婆に出てから3ヶ月で20㎏増えた」と言う。
 やはり、娑婆の食事は美味しいのだろう。
 ますますデブ専モテ系になったんじゃなかろうか。
 
 お互い生活習慣病に気をつけて、良い年にしよう!

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尾瀬ヶ原(2022年7月) 





 

 

● 274分の意味 映画:『ボストン市庁舎』(フレデリック・ワイズマン監督)

2020年アメリカ
274分

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 原題は City Hall
 邦題の通り、ボストン市庁舎で働く市長はじめ市職員たちの日頃の仕事ぶりを撮ったドキュメンタリー。

 『パリ・オペラ座のすべて』『ナショナルギャラリー 英国の至宝』『ニューヨーク公共図書館』など公共施設を撮ってきたワイズマン監督が、次なるターゲットに選んだのが市役所。
 インタビューにおいて監督は、「6つの市役所に撮影許可を求めたところ、ボストンだけが受けてくれたのでここになった」と語っている。
 結果的にそれが金的を射止め、さまざまなルーツをもつ多民族から構成されるボストン市において、市民自治を実現すべく精力的に動き回るマーチン・ウォルシュ市長はじめ市の職員たち、そして市政に積極的に関わり自らの意見を堂々と述べる市民たちの姿を通して、多様性社会アメリカの現時点における民主主義の到達点が描き出されていく。
 一言で言えばそれは、ワイズマン監督自らが述べているように、「トランプが体現するものの対極にある」政治であり、とりもなおさず、安倍政権の流れを汲む現在の日本の自民・公明連立政権が体現するものの対極にあるということである。
 トランプの熱狂的支持者による連邦議事堂襲撃など民主主義の危機が叫ばれるアメリカであるけれど、やっぱり、「人民の人民による人民のための政治」という建国理念は生きている、アメリカの強さの秘密はここにあるのだなと感じさせる。

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Gordon JohnsonによるPixabayからの画像

 日々ボストン市庁舎のさまざまなセクションで行われている市民のための業務が、ボストン市の街並みや由緒ある建築物のショットを挟みながら、次々と映し出されていく。
 総合相談窓口、治安維持のための警察との会議、同性同士の結婚式、住民の強制的立ち退きを防止する策の検討、地域企業を集めての温暖化対策、若者のホームレス支援、ゴミ回収、公共施設の改善を求める障害者の集まり、麻薬対策、道路の舗装工事、中華料理のワークショップ、保護犬のワクチン接種、民家のネズミ駆除、大麻ショップ出店に対する地域の話し合い、賃金格差是正を求めるラテン女性の集まり・・・e.t.c. 
 すべての現場に市職員が出向き、多様な市民の意見を聴き、集会を重ね、施策にまとめていく。
 そこには高度のヒアリング能力とコーディネート能力、それに人権尊重を基盤とした民主主義に対する確固たる信念が必要とされる。
 むろんそれは、ボストン市民ひとりひとりにも求められるものである。

 本作を観ながら、ソルティは笠井潔が『新・戦争論 「世界内戦」の時代』で書いていた一節を思い出した。

国家の統治形態でない本物の民主主義は、さまざまな国や地域から吹き寄せられてきた、難民のような人々が否応なく共同で生活する場所、先住民と移民とが雑居していたニューイングランドや、カリブ海の海賊共同体のような場所で生まれます。

 『ボストン市庁舎』で描き出されていること、人口約71万のマサチューセッツ州ボストン市で日々起きていることは、まさに上記のことである。
 さまざまな人種・民族・宗教・文化・言語をもつ人々、障害者、LGBTQ、高齢者、ホームレス、戦時トラウマに苦しむ帰還兵などのマイノリティ。
 多様な背景をもつ人々が、それぞれの権利を主張しつつ、互いの違いと基本的人権を認め合いながら、平和的手段で合意形成を図っていく気の遠くなるような対話が日々繰り返される現場――それが民主主義を選択した市民が担わざるを得ない義務と使命なのだと、映画は語っている。
 この骨の折れる、誰もが自らの価値観を点検し修正せざるをえない衝突と葛藤と気づきと妥協を通して、市民は他者との共生のための流儀を学び、成熟していく。
 一枚岩でない多様性は地域を強くする。文化的にも経済的にも。
 真の民主主義を日本に根付かせるために、「移民を無制限に受け入れよ」という笠井潔の発言が実に理に適っていることが、本作を観ると実感される。

 274分という上映時間はたしかに長い。
 劇場でいっぺんに観るには、かなりの体力と気力を必要とする。
 しかし、「どこか削って、せめて3時間にまとめてくれれば・・・」と思っても、削ってもいいと思われる部分が指摘できない。
 一つ一つのエピソードが、一つ一つの対話や市長コメントが等価に重要。
 それが民主主義というものなのだ。
 
 「同性愛は非生産的」とか、「女性はいくらでも嘘がつける」とか、チマチョゴリやアイヌ民族衣装を「品格がない」と貶める発言をする人間を国会議員にしておく、あまつさえ内閣の要職につけている日本は、いったい何周遅れだろう?




おすすめ度 :★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
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★★    いい退屈しのぎになった
★     読み損、観て損、聴き損

 

● 忘れられぬ殺人 本:『バースへの帰還』(ピーター・ラヴセイ著)

1995年原著刊行
1996年早川書房より邦訳(山本やよい訳)
2000年文庫化

バースへの帰還


 ピーター・ラヴゼイ(1936- )は英国のミステリー作家。
 1982年発表の傑作『偽のデュー警部』で一躍、世界中のミステリーファンにその名を知らしめた。
 本作はラヴゼイが創造した名探偵ピーター・ダイヤモンドが活躍する、シリーズ3作目である。
 沖縄への旅のお供にせんと、ブックオフで購入した。
 昔読んだような気もするが、カバー裏のあらすじを読んでもピンと来ないし、読み始めてみても先の展開が見えない。
 読んだとしても、いい具合に忘れている。

 ITやら最先端の科学捜査法やらは出てこない牧歌的な時代(ウインドウズ95以前)で、コンピュータ音痴・科学音痴のソルティにしてみれば、気楽に読めるのが最大の長所。
 空港での待ち時間や狭苦しい機内、宿で寝入る前のひとときにちょうど良かった。
 
 終盤に来て、「あっ、これは読んだ」と真犯人の正体がその動機とともに記憶から浮かび上がった。
 その通りだった。 
 どうせなら完全に忘れてしまって、意外な犯人にビックリしたかった。
 まったく、いいところで思い出すんだから!
 記憶力だけはどうにも制御できない。
 
 気になったのは、内容よりむしろ解説。
 本邦のミステリー作家の二階堂黎人が、本作を「現代本格ミステリーの最高峰に位置する傑作」と評している。(帯にも書かれている)
 本作は駄作でも凡作でもないけれど、ちょっと持ち上げすぎ。
 あっと驚く奇想天外なトリックがあるわけでなし、名探偵の快刀乱麻の鋭い推理があるわけでもなし、サスペンスやホラーにとくだん秀でているわけでもない。
 ソルティが記憶していなかったのがなによりの証拠だ。
 二階堂氏、早川書房に忖度したのか?
 
 それを思うと、アガサ・クリスティのミステリーは、読後40年経つ今でも真犯人を記憶しているものが多い。
 『アクロイド殺し』『オリエント急行殺人事件』『そして誰もいなくなった』『予告殺人』『ABC殺人事件』『ナイルに死す』『ゼロ時間へ』『葬儀を終えて』『ねずみとり』『カーテン』などは、犯人やトリックや筋書きを忘れたくても決して忘れることができない。
 同じ高校時代にはまったエラリー・クイーンの国名シリーズなどは、筋書きも犯人もトリックもまったく覚えていないというのに・・・・。 
 クリスティの筆力の凄さをつくづく思う。





おすすめ度 :★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損



 

● TVドラマ:『横溝正史シリーズ・仮面舞踏会』

1978年毎日放送
55分×4回
脚本 椋露地桂子
演出 長野卓

 古谷一行=金田一耕助シリーズの一作。
 同シリーズ『悪魔が来りて笛を吹く』にも出ていた草笛光子が、今度は離婚4回の大女優・鳳千代子役で登場している。
 この人は市川崑監督×石坂浩二主演の東宝・金田一耕助シリーズにも毎回顔を出していた。
 警部役の加藤武や長門勇とともに、横溝正史の世界(および橋田寿賀子の世界)に住んでいるような気がする。

 あいかわらずの探偵ぶりを発揮しまくる金田一耕助。
 千代子の婚約者である飛鳥忠熙(木村功)に調査を依頼された金田一の周りで、4人の人物が殺され、2人が自害する。
 たぶん、金田一が関わらなかったほうが被害は少ない。(射殺された看護婦さんは明らかに金田一によって巻き込まれた被害者である)
 いったいなんのために雇われたのやら?
 金田一耕助は事件を解決するというより、良く言って事件の目撃者、悪く言えば死神である。
 そのうえ、ラストで真犯人が自殺するのをいつも防ぐことができない。
 『犬神家の一族』しかり、『悪魔が来りて笛を吹く』しかり、この『仮面舞踏会』しかり。

 そんな金田一に出し抜かれる警察も実にだらしがない。
 スコットランドヤードのレストレード警部のほうがまだましである。
 加藤武も長門勇もドラマの陰惨さを中和する道化役に甘んじている。

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左から、草笛光子、古谷一行、長門勇、乙羽信子

 横溝正史作品、少なくとも金田一耕助シリーズは、推理小説としても捕物帳としても正直、出来は良ろしくない。
 斬新なトリックがあるわけでなし、見事なひらめきと論理展開による推理があるわけでなし、真犯人と探偵の手に汗握る闘いが繰り広げられることもない。
 なのに、どうしてこうやって惹きつけられてしまうのか?
 真犯人は十中八九、出演陣の中でもっとも有名な女優が扮しているキャラであることが、あらかじめ分かっているのに。(この『仮面舞踏会』はその例外である)

 思うに、このシリーズの本当の主役は人間の「業」なのだ。
 先祖由来の因縁や過去のふとしたあやまちや人間関係のもつれが、時の中で発酵し内圧を高め、ついに表面に現れてくる瞬間に、金田一耕助は立ちあうことになる。
 真犯人は「業」なので、ひとりの人間の力ではどうにも防ぎようがなく、せいぜいできることは「業」が表面化し結実するのを促進して、早く終結まで持っていくことくらい。
 「業」の力に振り回された関係者たちが、それぞれの因縁を生き抜いて、あるいは因縁によって命を奪われて、それぞれの積もりに積もった感情が表沙汰にされ爆発するとともに「業」がガス抜きされ、ひねこびた人間関係のバランスが解消されて、それぞれがあるべきところに落ち着く。
 陰惨と残虐このうえないプロットにもかかわらず、最後はいつも心地良いカタルシスを与えられるのは、ひとつの事件の解決=ひとつの「業」の解消、であるためなのだ。

 本作でも、事件のそもそもの発端を作った人物が最後に自害するが、その人物は肌身離さず毒薬を持っていた。
 つまり、常にいつ死んでもいいように覚悟を決めていた。
 自らが過去に作ったあやまちの責任を、いつか自ら取らなければならなくなることを予期していたのであろう。

 金田一耕助は探偵というより狂言回しなのだと思う。




おすすめ度 :★★

★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損






● しばし現実逃避を BBCドラマ:『分別と多感』(ジョン・アレクサンダー監督)

2008年BBC(英国放送協会)放映
50分×3話
原作 ジェイン・オースティン

 たまに我が身に襲い来るロスト・セレブ・コンプレックス(英国上流階級懐古趣味)。
 今回は『高慢と偏見』に並ぶジェイン・オースティンの名作『分別と多感(Sense and Sensibility)』TVドラマ版DVDを手に取った。
 映画版はアン・リー監督『いつか晴れた日に』(1995)を観ている。

 緑なす広大な領地に聳え立つ豪壮なカントリーハウス。
 壮麗で贅沢にして品ある調度の数々。
 馬駆ける貴公子と二頭立て馬車に揺られる貴婦人。
 男らしさ、女らしさを際立てるファッショナブルで機能軽視の衣装。
 華やかにして陰謀めぐる舞踏会。
 マナーとジェンダーの規範の中で揺れ動く男と女の心模様。

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 のっけから19世紀初期の英国セレブの世界に引きこまれ、寝不足になるも顧みず、3話立て続けに観てしまった。
 BBCドラマの素晴らしいところは、本物志向あふれる丁寧なつくり。
 そして、原作を尊重しつつも現代的な視点を取り入れて、新鮮さを感じさせるところ。
 たとえば、現代先進国のジェンダー感覚あるいはフェミニズム視点からすれば、不平等で抑圧的な社会制度や風習や性役割に満ちている物語において、女性登場人物たちに原作にはないこんなセリフを言わせている。
 「今度生まれてくる時は男がいいな。女はいつも座って待っているだけなんだもの」
 「女は男のおもちゃでしかないのかしら」 等々
 古き良き時代をただ懐かしむだけでなく、そこに潜む矛盾や不合理にも照明を当て批評精神を忘れないアンドリュー・デイヴィスの脚本が素晴らしい。

 配役もピッタシ決まっている。
 「分別」を象徴する姉エリノア・ダッシュウッドを演じるハティ・モラハンの凛とした美しさ。
 「多感」を象徴する妹マリアンヌ・ダッシュウッドを演じるチャリティー・ウェイクフィールドの情熱的な輝き。
 本邦の役者で言えば、ちょうど是枝裕和監督『海街diary』における綾瀬はるかと長澤まさみの感じ。

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チャリティ・ウェイクフィールドとハティ・モラハン 
 
 紆余曲折の後、最後は姉妹と結ばれる恋男たちも揃ってカッコイイ。
 エリノアと結ばれるエドワード・フェラース役のダン・スティーヴンスは、どこかで見た顔と思ったら、『ダウントン・アビー』で早逝する弁護士マシュー・クローリーではないか。
 本作への出演と人気急上昇が、『ダウントン』抜擢のきっかけになったのかもしれない。
 まったく、少女漫画の理想男子のような超イケメンぶり。

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ダン・スティーヴンス 
  
 一方、マリアンヌと結ばれるブランドン大佐役のデビッド・モリシーは、寡黙で気骨ある軍人タイプの男に扮して、高倉健のような渋さ。
 マールボロ・ハットがよく似合っている。
 その上、たいへんな資産家と来た日には、18歳の年の差なんて「へ」でもなかろう。

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デビッド・モリシー 
 
 豪邸+イケメン+シンデレラストーリー。
 この黄金ルールは、フェミニズム意識の高い現代英国女性たちの琴線すら、じゃんじゃん掻き鳴らして止まないのだろう。
 ソルティの琴線も鳴った。

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英国デボン州の海岸風景も興趣深い
 
 ロスト・セレブ・コンプレックスの一番の効用は、現実逃避にある。
 核使用目前のロシア×ウクライナ情勢、ミャンマー内乱、北朝鮮のミサイル発射、イランの保守勢力バックラッシュ、気候変動とあいつぐ自然災害、劣化する一方の日本の政治と経済と民主主義。
 国内外のあまりの出鱈目ぶりは、まともに向き合うと鬱になるか狂気に陥りそう。
 意識的に現実逃避して、精神バランスを保つ必要がある。
 逃避しっぱなしもマズいけれど・・・。






おすすめ度 :★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
★     読み損、観て損、聴き損








 
 

● 映画:『クイーン』(スティーヴン・フリアーズ監督)


2006年イギリス、フランス、イタリア
104分

 エリザベス2世女王の国葬がつつがなく終わった。
 伝統に則った盛大で格式ある葬礼、弔問に訪れた多くの国民の悲しみと喪失感、亡き女王の偉大さをこぞって称えるマスコミ――それらをテレビやネットニュースで観ていて、「さすが大英帝国」と思ったけれど、一方、なんとなく違和感というか空々しさを感じもした。 
 1997年8月31日に起きたダイアナ妃の交通事故死直後の英国マスコミのセンセーショナルな報道や、それに煽られた一般市民のふるまいを覚えている人なら、きっとソルティと同じようなことを感じたと思う。
 「あのときは、あんなにエリザベス2世を非難し、憎み、罵倒していたのに!」
 「王室廃止の声さえ上がっていたのに!」

 そう。スキャンダルまみれなれど、その美貌と博愛精神と人の心を一瞬でつかむ魅力とで人気絶大だったダイアナ妃の非業の死に際して、英王室とくに元姑であるエリザベス2世が何ら弔意を示さなかったことで、大騒動が巻き起こったのだ。
 本作は、その一部始終をクイーンエリザベス2世の視点から描いたものである。

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ヘレン・ミレンとマイケル・シーン

 エリザベス2世を演じているのは、ロンドン生まれのヘレン・ミレン。
 本作で数々の女優賞を総なめにしたが、それももっともの名演である。
 君主としての威厳と気品のうちに英国人らしいユーモアと忍耐力を備え、国家と国民に対する強い責任感と、突然母親を失った孫(ウィリアム王子とヘンリー王子)はじめ家族に対する愛情を合わせ持った一人の女性を、見事に演じている。
 その威厳は、ヘレンの父親がロシア革命の際に亡命した貴族だったせいもあるのだろうか。
 
 時の首相であるトニー・ブレアに扮しているのはマイケル・シーン。
 顔立ちは本物のトニーによく似ている。
 左翼政権を率いた野心あふれる男の精悍さより、母性本能をくすぐる甘いマスクが目立つ。
 
 ソルティはエリザベス2世をテレビで見るたびに、亡くなった祖母を思い出したものである。
 冷静で強情なところ、ハイカラでファッショナブルなところ、職業婦人として自立していたところ(祖母は看護婦長であった)、賢明で物知りなところ、目鼻立ちにも似通ったところがあった。
 久し振りに祖母を思い出した秋分の日。
 
エリザベス2世
エリザベス2世の冥福を祈る
 
 


おすすめ度 :★★★

★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損

 
 


 

● 本:『漂流 日本左翼史 理想なき左派の混迷』(池上彰、佐藤優共著)


2022年講談社現代新書

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 池上、佐藤両氏による戦後『日本左翼史』シリーズの三巻目にして完結編。
 敗戦から新左翼の誕生まで(1945-1960)の『真説編』、日米安保闘争から連合赤軍あさま山荘事件まで(1960-1972)の『激動編』に次いで、本編では、新左翼の失墜、労働運動の高まりと衰退、大量消費社会の到来、そしてソ連の崩壊と冷戦終結がもたらした左派陣営への打撃と現在まで続くその余波、が語られている。

 ソルティが小学校高学年くらいからの話なので、まさにリアルタイムで見て生きてきた日本なのだが、やはり知らないことが多かった。
 子供の頃、ストライキという言葉が頻繁に飛びかって、それになると会社員だった父親がなぜか仕事を休んで家にいたので、「ストライキっていいなあ」と単純に思ったものだ。
 国鉄のストライキ(順法闘争)――当時公務員であった国鉄職員はストライキ権を持っていなかったので、法に違反しない形での労働停滞闘争をした――が原因で起こった1973年の上尾駅事件、首都圏国鉄暴動など今回はじめて知った。

 赤羽駅ホームにいた約1500人の乗客が勤労の順法闘争により下り列車に乗車できなくなったことに激怒し、電車停止中に運転士を引き摺り下ろして電車を破壊し始め、赤羽駅での列車運行がすべて停止してしまったのです。その影響が山手線など他の路線にも及んだことで、上野、新宿、渋谷、秋葉原、有楽町など合わせて38駅でも同時多発的に暴動が起きてしまいました。
 上野駅ではいつまで経っても電車が発車しないことに怒った乗客が列車に投石して運転士を引き摺り下ろし、改札事務室や切符売り場を破壊。危険を感じた職員たちが逃げ出し無人状態となった駅で放火騒ぎが起きました。(池上による「首都圏国鉄暴動」の解説)

 日本人、熱かったなあ~。
 というより、今ならそこまでして会社に行こうとは思わないだろう。
 国鉄のストライキがある前の晩には多くのサラリーマンが会社に泊まり込んだため、都内の貸し布団屋が大繁盛したとか、まるで「風が吹けば桶屋が儲かる」みたいな笑い話である。
 エコノミック・アニマルと言われ、愛社精神の強い当時の日本人ならでは、である。
 
 それで思い出したのだが、90年代初めにイタリア一周旅行したとき、南イタリアの小さな駅で列車が止まったまま、なかなか出発しない。
 発車時刻を1時間以上過ぎて、やっと車内放送があった。
 何を言っているかわからなかったので、同じコンパートメントの学生風のイタリア青年に片言の英語で尋ねてみたら、「ショーペロだ」と言う。
 ショーペロ?
 イタリア語でストライキのことであった。
 予告もなく急にストライキが始まって、そのまま乗客は立ち往生。
 でも、誰一人騒いだり、怒ったり、駅員に詰め寄ったりすることはなく、困っているふうにも見えない。「やれやれ」と言った風情で、オレンジなど食べている。
 なんて暢気な国民性だ!と感心した。
 結局、3時間待っても列車は動きださず、その街に泊まるはめになった。
 アンコーナという街だった。
 ドーモ(教会)のある丘から見た夕焼けは、生涯見た最も美しい景色の一つであった。

イタリアの夕焼け


 副題にある通り、現在の左翼は「理想なき混迷」にある。
 マルクス主義に則った「プロレタリア革命による共産主義社会の設立」という夢の残滓に漂っている。
 池上はこう述べる。
 
現在の左翼の元気のなさというか影響力の弱さは、もはや彼らが「大きな物語」を語り得なくなってきていることにあるかもしれませんね。「いずれ共産主義の理想社会が到来する」という、かつて語られていた「大きな物語」を語り続けるのが難しくなっている。

 その通りであろう。
 実際、今の共産党員の中に、それが武力だろうが無血だろうが選挙によるものだろうが、「革命による共産主義社会の設立」を本気で目指している人が、いったいどれくらいいるのだろう? 
 一度党員アンケートを取って公表してほしいところである。
 とは言え、本来の「物語」の代わりに、「平和=憲法9条護持」や「暮らしの安定」を党是として掲げて、冷戦終結後の逆境を乗り越えてきたその戦略性と組織力の高さはたいしたものだと思う。
 社民党(旧・社会党)が青息吐息の状態であることを思えば、自民党を筆頭とする保守勢力に対抗できる最後の砦としての日本共産党の意義は決して小さくはない。
 それだけに、社会主義・共産主義なんていう世迷言から一日でも早く脱却してほしい、とソルティは願っている。

共産主義者
よろしく!


 ときに、本書の発行は2022年7月。
 佐藤優による「あとがき」に付された日付も2022年7月であるが、そこでは安倍元首相の銃殺事件について触れられていない。おそらく、7月8日以前に書かれたのであろう。
 もし、池上と佐藤の対談が7月8日以降に行われたのなら、本書の内容はずいぶん違ったものになったのではないか、少なくとも最終章はまったく異なった展開となり、まったく異なった終わり方をしたであろう。
 この一日を境に、日本の政治状況はどんでん返しと言ってもいいほど変わってしまった。
 特に、日本の右翼(保守勢力)の内実がよくわからない不気味なものに転じてしまった。
 「愛国、天皇主義」を御旗に掲げてきたはずの自民党右派とくに安倍派が、「反日、反天皇主義」のカルト教団と深く結びついてきたことがあからさまになって、世の中がひっくり返ってしまった。

 目的を失って漂流しているのは左翼だけではない。
 右翼もまた漂流、いや転覆してしまった
 三島由紀夫がこの様を見たら、どんなに激怒することか!

 おそらく、しばらく前から「右翼、左翼」といった対立概念で説明できるような時代はとうに過ぎていたのだろう。
 一部の篤い宗教信者はのぞいて、右も左も誰もみな本気で「大きな物語」など信じていなかったのだ。
 「右翼と左翼」という物語の終焉――それが安倍元首相銃殺事件が白日のもとに晒した、令和日本の現実なのではなかろうか。




おすすめ度 :★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
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★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
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● 映画:『ザ・コーヴ』(ルイ・シホヨス監督)

2009年アメリカ
91分

 和歌山県太地町のイルカ追い込み漁を批判的に描いたドキュメンタリー。
 コーヴ(cove)とは「入り江」の意。

 主役はリック・オバリーという名のアメリカ人。
 ソルティも幼少時に楽しんで観ていたTVドラマ『わんぱくフィリッパー』に出演していたイルカの調教師だった。
 ドラマの世界的ヒットで一躍有名になり財を築いたが、調教していたイルカが鬱になって死んでしまったことをきっかけに改心し、一転、イルカ解放運動の闘士となってイルカの飼育や捕獲に反対するようになった。
 今回、太地町が標的に選ばれたのは、世界各国の水族館や動物園に出荷されるイルカの多くがここで捕らえられているからという。

イルカ


 全編、イルカ漁の残酷さを訴える作りとなっている。
 不快な音を立てて、イルカを湾の生け簀に追い込む。
 ブローカーが水族館に売るイルカを選ぶ(一頭15万ドルとか)。
 残りのイルカを三方を岸壁で隠された入り江に運ぶ。
 朝焼けが水平線をおおう時刻、待機していた男たちが船を出し、数十頭のイルカを銛(もり)で突き、鉈(なた)で叩き、鳶口(とびくち)で舟に引き上げる。
 断末魔のイルカの悲鳴が岸壁にこだまする。
 入り江は真っ赤に染まり、文字通り「血の海」となる。
 
 衝撃的な映像である。
 イルカ好きの人にとっては、耳をかばい目を覆いたくなるような、吐き気を催すようなシーンであろう。
 あんなに可愛くて賢くて無抵抗な哺乳類をめった刺しにするなんて!
 ここはイルカのアウシュビッツか!

 このシーンを取るために、オバリーら撮影スタッフは真夜中に人気のない入り江に忍び込み、水中や岸壁にカメラやマイクを仕掛ける。
 それがあたかもスパイアクション映画のようなスリリングなタッチで描かれている。
 映画の作り自体はまったくのエンターテインメントベースで、視聴者の関心をそそり、一瞬たりとも飽きさせず、情動を揺り動かすものとなっている。
 訴求力ある構成や編集の上手さには舌を巻く。

 それだけに、本作を観た世界各国の人が、日本人を野蛮で残酷な民族だと思い、日本は動物愛護の精神に欠ける後進国とみなすであろうことが危惧される。
 はなからイルカ漁を悪と決めつけ、一方的に断罪する姿勢は、ドキュメンタリーというよりプロパガンダ映画に近い。

 他国の文化(食・職文化)への介入の是非、漁師たちの生活の問題、動物愛護の問題、自然環境や海産資源の保護の観点、汚染食品の出荷と体内摂取のリスク(イルカには基準値以上の水銀が含まれていると本編では主張している)、表現の自由と取材上の倫理や肖像権の問題、動物を飼育・愛玩・鑑賞することの是非、動物に順列をつけることの意味(なぜ牛や豚は良くてイルカは駄目なのか)・・・・。
 いろいろな問題が絡んでいるので、簡単には結論づけることのできないテーマである。
 ソルティがとくに気になったのは、イルカ殺しを請け負っている男たちの素性や思いである。
 殺生シーンを観ていて浮かんだのは、能の『阿漕』や『鵜飼』であった。
 これこそ日本人の古くからの文化的観念である。
 外国人にこの感覚はなかなかわかるまい。 

鵜飼

 
 もしこの先、イルカの肉を食べると寿命が延びるとか、イルカの赤ちゃんから取れる油には肌を再生する力があるとか、そういったことが科学的に判明した暁には、イルカの捕獲に先頭切って走るのはおそらくアメリカ人だろうなあ~と思う。

 公開時は上映をめぐって各地で騒ぎが持ち上がり、上映中止や延期が続いたいわくつきの作品であるが、こうしてDVDになってレンタルビデオ店に並ぶようになったのだから、少なくとも表現の自由は守られている。



おすすめ度 :★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
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● 日本の黒い霧ふたたび2 本:『赤報隊の秘密』(鈴木邦男著)

1990年エスエル出版会
1999年復刻版

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 副題は「朝日新聞連続襲撃事件の真相」
 朝日新聞記者であった樋田毅が被害者の身内の立場から赤報隊の正体を探ったのに対し、本書のポイントは、加害者と目された右翼の立場から、しかも当初警察によって作られた“最も怪しい容疑者9人リスト”にその名が上がっていた鈴木邦男が、真相を求めて推理を展開している点である。

 むろん、鈴木邦男は真犯人ではない。
 本書を読むと、「鈴木にはできないよなあ~」と思わざるを得ない。
 連続テロを仕掛けて正体がバレない、捕まらないでいるには、相当の緻密さと慎重さと専門的訓練、そして感情を制御できるサイコパス性が必要と思われる。
 本書の中に見る鈴木の文章や対談の語り口調からは、そういったものがまったく感じとれないのである。
 なにより自分がやったことを黙っていられる人ではない。
 9人リストから最初に落ちたのではなかろうか。

 被害者である朝日新聞社もそう思っていたようで、本書には朝日新聞編集委員で右翼に詳しい伊波新之助との対談が掲載されている。
 ここでも理路整然と冷徹に論を進める伊波に対して、鈴木の語りは全般情緒的にして文学的、伊波に突っ込まれると言葉に窮してしまう場面もみられる。
 胆力は別として、どっちが連続テロをできる資質を備えているかと言えば、まず伊波に軍配(?)が上がろう。
 
 思うに、右翼というのは任侠の世界と部分的に重なるところからも推察されるように、純粋で単細胞、理屈より行動、常識より義理人情、保身より捨て身、「自らを犠牲にして敵を討ちとって功を成す」こそ誉れであり、正体を隠しての連続テロのような知的犯罪には向かないのではなかろうか。
 本書で鈴木が繰り返し語っているのもまさにそこで、「赤報隊事件は右翼が起こしたものとは思えない」という点に尽きる。

 右翼の中では今回の事件は右翼と関係ないと思っている人が圧倒的ですよ。右翼の装いをして私憤をはらそうとしているヤクザなり暴力団なりの仕業ではないかと。

 右翼の行動にはいつも、なんらかの「臭い」とか「情緒」とか「精神」を感じさせるものがある。ところが今回はそれが全くなくて、「完全犯罪」というか、プロのやり方という感じ。
 
 新右翼でもなければ右翼でもない。また左翼的なものでもない。思想を訴えるためのものではありません。
 
 右翼の歴史というのは、みんな涙のあるテロリズムなんですね。無差別テロはやらないし、あくまでもトップを狙う。また、自分が犯行を犯したならば、それと同じような犠牲を自分も負う。血盟団でも、5・15事件でも、みんなそうでしょう。浅沼事件の山口二矢(おとや)しかり。みんな自決するか逮捕されて、出獄してきたら、殺した人の墓参りに行く。みんな情緒的で乾いていない。・・・・・・末端の記者を、それも無差別に近いかたちでやって、それで自分は逃げて、顔も現わさない。卑劣きわまるやり方だ。右翼はあんな卑劣なことはしませんよ。
 
 こうした感覚は、ひとり右翼関係者のみならず、被害者である朝日新聞社の取材陣の中にも、さらには捜査を担当した警察の内部でも共有されていたらしい。
 NHKが2018年1月28日に放映したNHKスぺシャル「未解決事件File.06 赤報隊事件」を観ると、事件を担当した元兵庫県警の捜査員が、極道方面から情報を得て、朝日新聞社に反感を持つ「ある宗教団体」の捜査に取りかかったところ、「上からストップがかかった」と語るシーンがある。(現在、NHKオンデマンドからはなぜかこの放送回がはずされている)

 事件の解決を阻んでいる勢力の存在を感じざるを得ない。





おすすめ度 :★★★

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● 日本の黒い霧ふたたび 本:『記者襲撃 赤報隊事件30年目の真実』(樋田毅著)

2018年岩波新書

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 先ごろ大宅壮一ノンフィクション賞をとった『彼は早稲田で死んだ 大学構内リンチ殺人事件の永遠』(文藝春秋)の著者による、「人生のテーマ」となったと言うもう一つの事件を描いた渾身のノンフィクション。

 早大キャンパスに自由と平和を取り戻すべく、仲間と連帯し、徒手空拳で革マル派とたたかった樋田は、卒業後朝日新聞に入社した。
 新聞記者として経験を積み、人脈を広げ、実力を身に着けてきた9年目、兵庫県西宮市にある阪神支局で一大事件が勃発する。

 1987年5月3日の夜8時過ぎ、目出し帽で正体を隠した男が阪神支局のビルに侵入し、雑談していた記者らを散弾銃で撃った。
 当時29歳の小尻友博記者が射殺され、42歳の犬飼兵衛記者は重傷を負った。
 犯人は赤報隊を名乗る右翼らしき一味で、凶行後にマスコミ宛に犯行声明を送った。
 「この日本を否定するものを許さない」「すべての朝日社員に死刑を言いわたす」云々。
 当時樋田は大阪社会部に所属していたが、3年前まで阪神支局にいた。
 事件後に担当デスクより特命を帯び、選ばれた仲間と共に事件を取材し、犯人探しに奔走する。

 私と仲間たちが、この30年間にしてきたのは、一般的な取材ではなく、犯人を追い求める取材だった。(犯罪に使用された)ワープロや銃など物証に関わる情報収集も重要な仕事だったが、より究極な任務は、犯人かもしれないと考えた人物に会うこと、犯人について何か手がかりを得られそうな人物に会い続けることだった。取材者の多くは、右翼活動家たちで、暴力団関係者もいた。(カッコ内ソルティ補足)

 実際の死傷者を出した上記の事件のほかに、赤報隊は複数のテロ事件を起こし、そのたびに同じワープロによる犯行声明を出していた。

1987年(昭和62年)
  • 1月24日 朝日新聞東京本社に発砲。怪我人なし。
  • 5月3日  朝日新聞阪神支局を襲撃。1名殺傷、1名重傷。
  • 9月24日  朝日新聞名古屋本社社員寮を襲撃。記者不在だったため寮内で発砲し逃走。
1988年(昭和63年)
  • 3月11日 朝日新聞静岡支局に時限爆弾を設置。装置に不備があり爆発ならず。
  • 3月11日 中曽根康弘・竹下登両元首相に脅迫状を送る。
  • 8月10日 江副浩正リクルート元会長宅を襲撃、発砲。怪我人なし。
1990年(平成2年)
  • 5月17日 愛知韓国人会館に放火。怪我人なし。

 警察および朝日新聞社による懸命な捜査も空しく、事件は2003年に時効を迎え、お蔵入りとなった。
 本書は、2017年に朝日新聞を退社した樋田が、これまでの膨大な取材資料をもとに執筆したものである。

赤報隊事件記事 (3)
毎日新聞1987年5月4日付朝刊より

 1987年と言えばバブル絶頂の頃合い。
 ソルティは都内に住み、都内の会社に勤務していた。
 が、この事件の記憶がほとんどない。
 当時は超タカ派の中曽根康弘が政権を握り、戦前回帰を思わす国粋主義的な政策が次々と打ち出されていた。国家秘密法案(現「特定秘密保護法」)上程、靖国神社公式参拝、復古調の教科書の検定通過 ・・・・・e.t.c.
 それに対して全社を挙げて中曽根政権を批判していたのが朝日新聞社だった。
 右翼の赤報隊が朝日新聞社を目の敵にするのは自然である。
 一方、中曽根や竹下に脅迫状を送ったのは、アジア諸国からの強い非難を浴びた両者が後退姿勢を見せたことによる苛立ちが原因と推測された。

 当時ソルティは右でも左でもなかった。
 産経新聞を取っていたが、その理由は読売や朝日より購読料が安かったからで、それがもっとも右寄りの新聞であることも知らなかった。
 ありていに言えば、政治に無関心だったのである。
 「バカな右翼が何かやってるなあ。朝日新聞も受難だなあ。さて今日は何の映画を観に行こうか」といったノンポリ気まま役立たず新人類だった。
 つくづく、感情や関心によってタグづけされなければ記憶は残らないのである。

 本書を手にしたのは、ここ最近の旧統一協会騒動をめぐるネット情報の中にこの事件の名前を見かけたからである。
 赤報隊事件は右翼の仕業だろう? なんで統一協会が?
 そう言えば、『彼は早稲田で死んだ』を書いた樋田毅が、赤報隊事件についても本を出していたっけ・・・・。
 ということで図書館で借りて読んでみたら、びっくらこいた。
 この事件の捜査線上には右翼と並んで統一協会も上げられており、当時から警察も樋田たちも協会の周辺、とくに協会肝いりの政治団体である国際勝共連合を探っていたのである。
 反共産主義を掲げている右寄りの統一協会および勝共連合にとって、朝日新聞は封じ込めたい敵(サタン)の筆頭であるが、そればかりでなく、当時朝日は統一協会のいわゆる“霊感商法”を批判する糾弾キャンペーンをおこなっていた。
 両者は強い緊張関係にあったのである。

 ソルティはこちらのほうなら覚えている。
 80年代後半から統一協会の強引な資金調達活動(信者からの集金)や教団への勧誘やマインドコントロールの実態などが、脱会した元信者の証言や被害者を支援する弁護士の解説とともに、マスコミに取り上げられるようになった。
 その頂点は92年に韓国ソウルのオリンピック・スタジアムで行われた合同結婚式。
 桜田淳子、山崎浩子、徳田敦子ら有名人が参加したこともあって、報道は熾烈を極めた。
 その後、95年にオウム真理教事件が勃発したこともあって、統一教会の動向は世間からよく見えないものになった。

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 本書第1部では赤報隊事件の概要が物語風にわかりやすく説明され、第2部では犯行声明の内容からして最も濃厚な被疑者と思われる右翼に対する樋田らの捜査経過が記されている。
 
 一言で右翼と言っても、様々な思想・政治的背景、行動形態、活動分野があることが分かった。そして、私たちが追いかけている「赤報隊」は、右翼世界のどのあたりに位置しているのか。日本の右翼の世界を図式化することで、「赤報隊」に迫る道筋を探ることができるのではないかと考えてきた。

 読者の理解を助けるべく本書に掲載されている右翼世界の分類図が非常にわかりやすい。
 今後の右翼に関するニュース報道や資料を読み解く際に役だつと思うので、ここに上げさせていただく。
 
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本書より転載(樋田毅作・日本の右翼の構図)

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本書より転載(樋田毅作・日本の右翼の6つのグループ) 

 樋田および朝日新聞特命班は、警察がマークした9人の容疑者――新右翼団体「一水会」の鈴木邦男含む――をはじめ、全国約300人の右翼思想家・右翼活動家に取材して調査を進めてきた。
 暴力を肯定する猛々しい敵の中に乗り込んでいく樋田の度胸や執念、プロ根性は見上げたものである。
 同僚の死に対する「弔い合戦」的な思いは当然あったであろう。
 その奥には学生時代に挫折した革マル派との攻防の記憶、キャンパスで殺された川口大三郎君の「カタキを取る」という思いもあったのではなかろうか。
 右であれ左であれ、暴力は絶対に許さないという樋田の信念が全編にあふれている。
 だが、残念ながら樋田ら特命班は、右翼の中に犯人を特定することはできなかった。 

 第3部では、統一協会(本書ではα協会と記載)および勝共連合(同様にα連合)に対する捜査過程が記されている。
 ここでは、勝共連合内部で朝日新聞に対する憎悪が半端なく高まっていたこと、全国に20を超える射撃場付きの銃砲店を持っていること、軍事訓練を受けた秘密部隊があった(ある?)らしいこと、裏工作を専門とする機関があったこと、内輪もめから協会を追放されその後協会を告発する記事を発表した元広報局長が何者かによって瀕死の重傷を負わされたこと、などが取材によって明らかにされる。
 元信者の証言や潜入取材などから浮かび上がる統一協会の実態が(そのまま事実であるならば)実に恐ろしい。
 松本清張が『日本の黒い霧』の中で取り上げたGHQのキャノン機関の謀略の数々を連想させる。
 しかし結局、赤報隊事件とのつながりを示す明らかな証拠はここでも見つからなかった。

 犯人側はなぜ、阪神支局を襲撃したのか。なぜ、小尻記者を射殺したのか。なぜ、赤報隊と名乗ったのか。なぜ、朝日新聞の関連施設を攻撃対象に選び続けたのか。そもそもの犯行目的は何だったのか。30年間にも及ぶ取材にもかかわらず、事件をめぐる謎は何一つ解明できていない。時間の経過とともに、取材対象は広がったが、事件をめぐる闇は深まるばかりである。

 黒い霧はいまも日本を覆っている。
 この霧の背後になにが隠されているのだろうか?
 真夏の怪談にも増して怖い。
 怖いけれど、もはやノンポリではいられない。
 事態は切迫している。




おすすめ度 :★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損




 

● あの日見た花の名前をぼくは知っている

 埼玉県の小鹿野ハイキングの際に見かけた道端の花で、名前が判明しないものがあった。
 これである。

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 記事を読んでくれた数人から、「それはサフランモドキではないか」というコメントをいただいた。
 ネットで検索してみたら、まさにそう、ドンピシャ。

サフランモドキ(学名:Zephyranthes carinata)は、中米・西インド諸島原産で、ヒガンバナ科タマスダレ属の小形の球根植物です。別名でゼフィランサスとも呼ばれます。
サフランと似ているのが花名の由来です。雨後に一斉に花が咲くことから、英名では、レインリリー(Rain lily)とも呼ばれます。

原産地:中米・西インド諸島
草丈:30cm 
開花期:7月~9月
花色:桃
花径:7~8cm
かぎけん花図鑑より抜粋)

 ソルティが花の名前を調べるのにいつも利用しているのは、手持ちの数冊のポケット図鑑のほか、四季の山野草というサイトである。
 トップページの検索欄に「花びらの数」「花の色」「開花時期」「つる性か否か」などを打ち込んで検索をかけると、候補の花が画像付きでずらっと並ぶ。
 今回もポケット図鑑に見当たらなかったので、「四季の山野草」のお世話になった。
 「花びらの数→7枚以上、花の色→ピンク~赤、季節→夏、非つる性」と打ち込んだ。
 が、出てこなかった。

 なんと、サフランモドキの通常の花びらの枚数は6枚で、「まれに8枚」だったのである!
 花びらの数を6枚に設定して検索すると、ちゃんと出てきた。
 ソルティが小鹿野で出会ったのは、2枚サービスバージョンのサフランモドキであった。

 昨夕、家の近くを散歩していたら、路地の壁ぎわの日陰に見知った顔があった。
 こんな近くに咲いていたのか!

サフランモドキ

 こちらが通常の花びら6枚バージョンである。
 薄い桃色の花弁とスイセンのような線形の葉っぱが、涼やかにして美しい。
 きれいなのに出しゃばらず、静かでやさしげで、秘めやかに愛らしい。
 まるで着物姿の吉永小百合サマのよう・・・・。

 それにしても、サフランモドキという名前はあんまりだ。
 英名のレインリリーのほうがずっといい。
 ソルティは個人的に「ラブリーピンク」と命名した。



 



● 永遠の小美人 ザ・ピーナッツ2



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 キング・レコード発売『ザ・ピーナッツ~恋のフーガ』

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 『ザ・ピーナッツ~恋のバカンス』に続く2枚目。
 今回も『恋のフーガ』『銀色の道』『ウナ・セラ・ディ東京』『スター・ダスト』など有名な曲が収録され、聴きどころたっぷり。
 60~70年代和製ポップスならではの単純でリズミカルな曲の構成は作業BGMにも適している。

 今さらながら気づいたことがある。
 ソルティはこれまで、女性2人のデュオということで、ピンクレディーがザ・ピーナッツの後継と思っていた。
 ザ・ピーナッツの引退は1975年、ピンクレディーのデビューは76年。
 まさに芸能界にポッカリ空いた大きな穴を埋めるような形で、交替劇は起きている。
 ピンクレディーの国民的人気の理由の一つは、ミーとケイの二人に、ザ・ピーナッツのユミとエミの影を重ねた人が一定層いたことにあるのでは、と思っていた。

 だが、ザ・ピーナッツの歌を何曲も続けて聴いているうちに気づいた。
 音楽的には、ザ・ピーナッツの後継は明らかにキャンディーズである。
 
 所属が同じナベプロ(渡辺プロダクション)ということもあるが、楽曲がよく似ている。
 共通している作詞家が山上路夫、なかにし礼、安井かずみ、作曲家がすぎやまこういち、編曲が馬飼野康二ら。
 普段着の恋愛ポップスでハーモニー重視というところも同じである。
 
 またこれは楽曲とは関係ないが、ザ・ピーナッツは『シャボン玉ホリデー』でコントをやっていた。
 とくに、病いに臥せっている父親に扮したハナ肇を相手にした、「いつも済まないねえ」「おとっつぁん、それは言わない約束でしょ」というかけあいは、コントの定番となった。
 このノリもまた、TBS『8時だョ!全員集合』やテレ朝『みごろ!たべごろ!笑いごろ!!』などのバラエティ番組でコントを得意としたキャンディーズと重なる。(ピンクレディーはコントが下手だった)

 ウィキによると、キャンディーズは事務所の先輩であるザ・ピーナッツから、着用した舞台衣装をプレゼントされたことがあり、その際、同じデザインのものをもう1着作成し、3人分揃えてくれたという。

 思春期にリアルタイムで聴いていたキャンディーズの歌がどことなく懐かしかったのは、幼少期に聴いたザ・ピーナッツの響きが蘇っていたからなのかもしれない。 

 まあ、自民党と旧・統一協会の癒着とか、コロナ第7波とか、サル痘拡大とかのニュースにくらべれば、まことにどうでもいい話である。




 




● 一俵の価値 本:『カムイ伝講義』(田中優子著)

2008年小学館

 田中優子は刊行当時、法政大学社会学部教授だった。
 江戸時代をテーマとする授業において白土三平『カムイ伝』を使用するという画期的な試みをした。
 その過程で生まれたのが本書である。

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 『カムイ伝』には江戸時代の庶民(百姓、穢多、非人、山の民、海の民、下級武士、商人など)が登場し、それぞれの生活の場がくわしく描かれる。
 稲作、麦作、綿花栽培、養蚕、マタギ、漁師、鉱山、林業、皮革産業、刑吏、肥料の商い・・・・・。
 それらは、庶民が日々生きるための仕事、食うための仕事であって、多くは厳しい自然との闘いが必須である。いわゆる第一次産業。
 白土の綿密な取材と、それぞれの仕事現場の風景や生産過程を読者にわかりやすく臨場感もって伝える画力の高さには脱帽するほかない。
 まさに、江戸時代の庶民を研究するに恰好の素材である。
 そこに目を付けた著者の慧眼は素晴らしい。
 
 本書は江戸時代の庶民の研究書であると同時に、江戸時代の庶民の暮らしを通じて現代の日本人を振り返る一種の社会評論であり、かつ、もっとも優れた『カムイ伝』の解説書と言える。

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 本書を読んで特に気づいたことの一つは、白土の『カムイ伝』(とくに第一部)が江戸時代の特定の時期の特定の場所(藩)をモデルとしているわけではなく、時間的にも空間的にも江戸時代全般にわたっているという点である。
 たとえば、第一部の主要舞台となる日置藩は、一応、江戸時代初期の地方藩という設定になってはいるが、そこで描かれる事件や文化や風習は江戸時代のいろいろな時期、いろいろな地方の出来事が混じり合って凝縮されていたのである。
 時代考証で言えば、「ザ・江戸時代」なのだ。
 
 いま一つは、この時代の武士の存在意義について。
 戦国時代が終わり曲がりなりにも天下泰平の世になって、多くの武士が存在意義を失った。
 厳しい身分制度や武家としての誇りのため、簡単に他の職業たとえば百姓や商人に鞍替えすることはできない。
 結果として、「約80%の農民が、5%の武士を養っていた」。
 それでも高給取りの上級武士たちはまだいい。扶持の少ない下級武士たちは家族を養うために様々な内職――寺子屋の講師、傘張り、行灯の絵付け、小鳥の飼育、金魚や鈴虫の繁殖など――をせざるをえなかった。
 文字通り「地に足を付け」大自然と闘い生産過程そのものを生き、不満が募れば一揆を立ち上げる百姓(農民、山の民、海の民など)の逞しさにくらべると、生産過程から離れたところで儒教精神に縛られた窮屈な生活を送り、上に反抗すれば「お家取潰し」の武士たちは、まさに生殺し状態。
 
 食べ物がどこから来るのか知らない、考えようともしない――これは何かに似ていないだろうか? そう、現代の日本人である。昼に食べた納豆の原料が、アメリカや中国から来るのを知らない。ペットの食べ物を誰がどこで作っているのか知らない。毛皮やダイヤモンドの背後に、どのような搾取構造が潜んでいるか知らない。現代の日本人はまるで、江戸時代の武士の人口がふくれあがったものであるかのように見える。

 穢多の仕事についてもそうだったが、江戸時代の人々の生き方と仕組みを見ていると、互いに必要不可欠な仕事をすることで社会が成り立っている。いなくていいのはむしろ武士だったかもしれない。一揆について考えるにはその視点が欠かせない。一揆は、搾取されているかわいそうな人々が貧しさに押し潰されて仕方なく起こしたのではなく、必要不可欠である自分たちの存在をもって、生活の有利を獲得するための方法であった。しかもその場合の生活とは個人生活である前に、生産共同体としての集落の生活だった。 

 第一次産業従事者が圧倒的に減った現代の「武士」である我々だが、少なくとも「一揆=デモ」を起こすことはできる。
 選挙で世の仕組みを変えることができる。
 一票は米一俵ほどの価値がある。

米俵

おすすめ度 :★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
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★     読み損、観て損、聴き損



● 白土三平作画『カムイ伝』を読む 3

1964~1971年『月刊漫画ガロ』連載
1989年小学館叢書11~15巻

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 第一部完読。
 凄絶で希望のないラストに暗澹たる思いがした。
 グロテスクなまでの残虐と徹底的な正義の敗北に永井豪『デビルマン』を想起した。
 百姓一揆の首謀者たちが役人から拷問を受ける場面は、これほど名作の誉れ高くなければ今ならR指定受けそうなレベルである。まるでサド伯爵の小説のよう。
 愛着ある主要キャラたちがラストに向けてバタバタ殺されていくのも『デビルマン』に似ている。
 百姓のゴン、抜け忍の赤目、浪人の水無月右近には生きていてほしかった。
 第二部があるとはいえ、“夢が現実に負ける”後味の悪さは比類ない。

 第一部は『月刊ガロ』1964年12月号から1971年7月号までに連載された。
 これは社会的には戦後の左翼運動が盛り上がった時期と重なる。
 反ベトナム戦争、第二次日米安保闘争、学園紛争・・・・反体制の嵐が日本中を吹き荒れていた。
 『ガロ』の読者である若者たちは当然反体制だったから、圧政に虐げられる百姓や非人の立場に自らを置いて『カムイ伝』を読んでいたはずだし、作者であると同時に『ガロ』の生みの親であった白土三平が、自身の思想信条はおいといても、反体制側の意を汲んだ(読者の共感の得られる)作品を描こうとしたのは間違いあるまい。
 当時の読者は、江戸時代の「幕府(徳川)―藩(大名)―侍―商人―百姓」の姿に、リアルタイムの「アメリカ―日本政府(自民党)―役人―企業―庶民(自分たち)」の姿を投影したことだろう。
 そして、資本主義の悪を描いた作品と受け取ったであろうことは想像に難くない。
 
 その点を考慮すると、最終巻の発表された1971年という年は意味深である。
 つまり、1969年末に機動隊の投入によって学園紛争は鎮静化し、1970年6月に日米安保は自動延長となり、新左翼の過激な内ゲバやテロリズムなどで世論の風向きが変わり始めていた。
 資本家と結託した巨大で老獪な権力に庶民が立ち向かうことの困難があからさまになった一方、運動する者たちの間に疑心暗鬼や分裂や潰し合いが広がっていた。
 非人や百姓の生活向上のためにひたすら尽くしてきた庶民のヒーロー・正助が、共に闘ってきた仲間である百姓たちから「裏切者」とののしられリンチを受ける凄惨なラストは、衆愚に対する作者の絶望とともに、本作が時代を映す鏡のような位置まで高められていた消息を感じさせる。
 
 江戸時代の階級闘争と昭和時代のそれとをリンクさせたところに、この作品が伝説的存在となった理由の一端があるのだろう。
 その意味では令和の今だって十分通じる話なのであるが、お上の不正に対する庶民の怒り、声を上げる勇気、連帯する力は、江戸や昭和の頃より鈍っているやもしれない。
  
 いつか第二部を読む日が来るだろう。

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おすすめ度 :★★★★★

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● 歴史リテラシー 本:『百姓の江戸時代』(田中圭一著)

2001年ちくま新書

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 田中圭一(1931-2018)は新潟県佐渡生まれの歴史学者。高校教諭を経て、筑波大学、群馬県立女子大学の教授を歴任。専門は近世史。
 「どこかで聞いたような名前・・・・」と思ったら、『うつヌケ』『ペンと箸』の漫画家と同姓同名であった。

 『日本の歴史をよみなおす』を書いて「日本は農業中心社会」「百姓=農民」という固定観念を打ち破った網野善彦同様、本書において田中圭一もまた、江戸時代について、あるいは江戸時代の百姓について、我々が歴史の授業で習いテレビ時代劇で補強された固定イメージを払拭せんとしている。

 これまで、江戸時代は封建支配者が暴力的・強制的、あるいは経済外的な強制によって、無権利の人民に対して法と制度を押しつけ、庶民はその暴政のもと、悪法に苦しみ、ときには法に反抗しながら270年を経過した、と考えられてきた。わたしはそうした歴史理解について、いささか考えを異にする。
 村を回っていると、庶民は力を合わせて耕地をひらき、広い屋敷と家をもち、社を建て、大きな寺院を建てている。百姓の子弟の多くは字を読み、計算をし、諸国を旅した者も多い。婚礼の献立は驚くほど立派である。日頃の粗食は貧しさだけが理由ではない。それは生活信条なのである。一口に言って、百姓は元気なのである。

 日本の江戸時代史を勉強する上で、これまで欠けていた点を一つ挙げるとするなら、百姓・町人を歴史の主役としてみることがなかったという点だ。あらゆる禁令や制度を支配者の意志による政策として疑わなかった。だから、法と制度だけで歴史をえがいてしまったのである。

 田中がこのような結論をもつに至ったのは、新潟県史編纂事業のため、幕府最大の直轄領であった佐渡の260に及ぶ村の資料調査を行ったことがきっかけらしい。
 国に残る支配者寄りの資料ではなく、村々に残る庶民寄りの資料――地域の実態を細やかに示し、文面から庶民の肉声が聴こえてくるような――を丁寧に読み込むことで、これまで多くの歴史学者が語ってきたのとは相貌を異にする江戸時代像、百姓像が浮かび上がって来たのである。
 天意でなく民意を汲んだ歴史学ってところか。
 百姓の訴状により勘定奉行がクビになった例とか、百姓一揆が幕府の理不尽で一方的な契約違反に対する民衆運動であったとか、著者が資料と共に示す様々な事例を読むと、これまで自分が江戸時代の百姓を「愚かで無力で情動に生きる子供のような存在」として捉えてきた安直さに気づかされる。
 たしかに一口に江戸時代といっても、初期と中期と後期とでは変化があって当然であるし、地域差も無視できないだろう。 

 網野史学や田中史学が、中世史や近世史の研究フィールドにどういう影響を及ぼし、現在どういう評価を得ているか、歴史の教科書にどう反映されてきたかは知るところでない。
 が、歴史教科書の内容が、時の権力の都合のいいように捻じ曲げられてしまう実態は、ドキュメンタリー映画『教育と愛国』で明らかである。
 「誰が、どのよう意図をもって、どんな資料をもとに、歴史を語っているか」
 歴史リテラシー能力を高める必要性を感じた。





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