ソルティはかた、かく語りき

首都圏に住まうオス猫ブロガー。 還暦まで生きて、もはやバケ猫化している。 本を読み、映画を観て、音楽を聴いて、神社仏閣に詣で、 旅に出て、山に登って、瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

●雑記

● 昭和ルッキズム 本:『ガラスの城』(松本清張著)

1962~1963年雑誌『若い女性』連載
1976年講談社
2023年講談社文庫

IMG_20260526_204337

 本作は未読であった。
 これまでに3度テレビドラマ化されているが、それも観ていない。
 現代の日本社会(と言っても1960年代)を舞台にした殺人ミステリーである。
 清張ミステリーと言えば「社会派」だが、掲載されていたのが“若い女性”向け雑誌だったためか、社会派っぽさは希薄である。
 構成も変わっている。一流企業に勤める2人のOLの手記を並べる形になっている。
 つまり、女性読者を意識した、女性視点の小説と言える。
 読みやすさ抜群。 
 ちなみに、発表当時、OL(オフィス・レディ)という言葉はなかった。
 BG(ビジネス・ガール)と呼称していたらしいが、これは「商売女=売春婦」を連想させるという理由から使用中止となり、週刊『女性自身』の公募の結果、OLが選ばれたという。
 そのOLという言葉も、いまや死語になりつつある。

 三上田鶴子と的場郁子は同じ会社の同じフロアに勤める女性社員。
 2人とも独身で、ルックスに自信がなく、人づきあいが得意でない。
 毎年恒例の課の慰安旅行で伊豆修禅寺に行った先で、女性社員に人気あるダンディな課長が行方不明となり、数日後に伊豆山中でバラバラ遺体で発見される。
 犯人は土地勘ある人物らしい。
 警察の捜査が行き詰まりを見せるなか、三上と的場はそれぞれ別個に、事件の真相究明に乗り出し、記録を取り始める。

 さすが清張、読み始めたら止まらない面白さ。
 巧みなストリーテリングでぐいぐい引き込まれる。
 最初の三上の手記に描かれるのは、課内の複雑な人間関係、出世をめぐる男たちの攻防、タイピングやお茶くみのような単純作業しか任せてもらえない女子社員の鬱憤、水面下で密かに発展している社内恋愛、女子社員間の嫉妬や見栄の張り合い、同僚の外見や性格に対する遠慮ない評価・・・・。
 組織や人間の醜い面がこれでもかとばかり描き出され、えげつないことこの上ない。
 発表後60年以上が過ぎた令和現在の感覚からすれば、殺人事件の真相そのものより、むしろ、昭和時代の会社生活の実態のほうが、極めて奇っ怪なものにうつり、興味をそそられる。
 ソルティも昭和時代の会社員を経験した一人だが、「昭和の会社って、こんなだったかなあ?」と思わず昔を振り返った。
 ソルティが都内で会社勤めをしていたのは、40年近くも前のことで、スーツを着なければならないような仕事には6年ほどしか就かなかったから、よくわからんというのが正直なところ。
 出世競争にも、社内派閥にも、人事にも、興味なかった。 
 いろいろな面における男女格差や、(義務感しかない)慰安旅行や、(奥さんにばれて大ごとになった)社内不倫スキャンダルは、記憶の片隅にあるけれど・・・。

 純粋にミステリーとしては、ちょっとびっくりさせられた。
 清張が、“この種”のトリックを使ったものを書いているとは思わなかった。
 ネタばれになるので詳しくは書かないが、女性2人の手記の形にしたことの意味が最後に明かされ、「そう来たか!」と唸った。
 これをどうテレビドラマ化したんだろう?

IMG_20260516_175424

 それにしても、本作は女性の容貌に関する言及が非常に多い。
 対象読者が女性であったためが大きいと思うが、令和の今では「ルッキズム」と批判されるところだろう。
 清張は、それを三上田鶴子と的場郁子の口を借りて(すなわち手記の中で)書いているのだが、実は清張自身の見解なのではないかと思う。

 いったい、美とは何であるか。醜とはなんであろうか。
 わたしは美に関するさまざまな本をよんだ。美学も、哲学も。・・・・それから、いわゆる文化人のかいた教養書の中にもそれをさがした。
 結局、どの本にも美醜の関係はきわめてまわりくどいあいまいな記述しかなかった。ひどい書になると、美を最上の価値におくと同時に、醜にたいしては精神的な宥和をこころみている。たぶん、読者の中に美しくない女のいることを意識したからかもしれない。言葉は最高に思想的であり、美学的であり、哲学的だが、ただよむ者は抽象的な言葉の迷路にふみこむだけであった。
 結局、美にたいして醜は対立するものであり、美は幸福な雰囲気にとりまかれている。これにたいし、醜はたえず不幸な中に孤立し、自分自身からもつきはなされてうずくまっている。――としかおもえない。

 清張には容貌コンプレックスがあったらしい。





おすすめ度 :★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損


● 理想の相方 映画:『コンパニオン』(ドリュー・ハンコック監督)

2025年アメリカ
97分

コンパニオン

 レンタルショップのサスペンスコーナーに置いてあったので、サスペンスとは分かっていた。
 が、どういった内容か、まったく知らなかった。
 人里離れた湖水の豪華なペンションに友人6人が集まる冒頭から、「13金」的なスプラッタホラーを予想した。
 ただし、惨劇の担い手となるのはジェイソンのような外来の怪物ではなく、6人の中で精神をいささか病んでいるように見える美しきヒロインなのかな?
 つまり、サイコサスペンスかな?と思った。

 この予想は半分当たっていて、半分はまったく違っていた。
 予想もつかない展開が待っており、度肝を抜かれた。
 えっ、そういう映画なの!?
 これまでソルティが観た記憶のない奇抜な設定に、これが長編映画デビューというハンコック監督の才を感じた。
 これだから、事前情報を取り過ぎないで映画を観ることが大切である。

 なので、これ以上の言及は控えたい。
 サスペンスホラーでありながら、どこかコミカルな味を備えているところ、センス抜群。
 色彩設計もクール。
 美貌のコンパニオンを演じるソフィー・サッチャーが上手い。
 今後の活躍が期待される。

 いつの日か、こんな未来が来るのかしらん?
 それまで生きていられるかな?



おすすめ度 :★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損





● ヤンチャな青春のつけ 本:『テロリストのパラソル』(藤原伊織著)

1995年講談社
1998年文庫化

IMG_20260329_120145~2

 第41回江戸川乱歩賞、第114回直木賞に輝いた快挙作。
 今のところ同じ一つの作品で両賞を獲った作家はいない。
 それだけの価値ある、書き手の実力のほどを感じさせる小説である。

 なにより面白い。
 冒頭の新宿中央公園での爆弾テロで読む者を物語世界に引き込むや、スピーディーかつ緩急自在にプロット展開し、多様な過去を背負った魅力的な人物を登場させ、一気に大団円まで持って行く。
 文章もとても上手く、リズムが良い。
 とても新人作家の手によるものとは思えないレベルと思ったら、プロフィールによると、藤原は1985年に第9回すばる文学賞を受賞している。
 少なくとも10年以上の小説修行を積んでいたのである。

 タイトルの「テロリスト」という言葉から、ソルティは2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ以降の国際テロを想像し、秘密結社が暗躍する世界を股にかけた政治スパイ小説のようなものを想像していた。
 が、基本的にハードボイルドミステリーである。
 ミステリー好きなら同意してくれるかと思うが、レイモンド・チャンドラーのある小説に似ている。オマージュと言ってもいい。
 読みながらその印象が強くあったため、結末が予想できてしまい、真犯人の意外性が削がれたのはちょっと残念であった。 
 
 考えてみたら、令和現在の「テロリスト」という語感と、本作が刊行された1995年当時のそれとはずいぶん違っているかもしれない。
 95年3月にはオウム真理教地下鉄サリン事件があったから、ひょっとしたら、宗教テロの話を想像して読み始めた人も多かったのではなかろうか。
 60年代生まれのソルティは、「テロリズム」という言葉から、地下鉄サリン事件や9・11以降のイスラムテロを連想するけれど、そこに世代の、というか時代のギャップがあった。
 藤原伊織は1948年生まれ。全共闘世代なのである。

 全共闘世代の、あるいは彼らを含む左翼が日本社会を揺り動かした動乱の時代を知る者にとって、「テロリズム」はその時代を知らない者にはうかがい知れぬ、特別の響きと生々しさを伴った言葉なのかもしれない。
 なので、ソルティにとって本作の意外性は、真犯人の正体云々よりも、本作が全共闘の残党(?)を主人公とし、本作のプロットが「全共闘、その後の人生」を描いているところにあった。
 そういう話とはまったく想像していなかった。

 全共闘で気を吐いた若者たちは、その後、長い髪を切ってスーツを着て企業戦士となったり、結婚して主婦となってパートで働いたり、おおむね社会化・体制順応化していったわけだが、中にはそうすることができずに、「いつまでも見果てぬ夢を追い続ける」あるいは「青春のつけを残りの人生で払う」みたいな生き方になった人もいる。
 笠井潔はそういった群像をミステリーの中で書いているし、現実においても、(全共闘ではないが)60年安保闘争の立役者だった唐牛健太郎(かろうじけんたろう)などは、生涯公安に監視され続け、職を転々とした。

 本作の主人公は、青春の志を貫いて革命家(テロリスト)として生きることもできず、かと言って、体制に与して一億総中流の家庭人や企業戦士となることもできず、宙ぶらりんなままにアルコール中毒に陥っている。
 そのような“青春の蹉跌”を描いたところに、本作の一番の魅力と高い評価の理由があるのではなかろうか。





おすすめ度 :★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損






● なんなら、奈良29 (奈良大学通信教育日乗) 膠(にかわ)の復権

 冬季最後のスクーリングの申込〆切り直前に、考古学概論レポートの合格通知が届いた
 これで学科試験を受けることができる。
 それは嬉しいのだが、懸念が一つあった。
 本年4月から学科試験の出題範囲が5題から10題に増えるので、答案作成および暗記に使う労力が倍増するのだ。
 ここはどうあっても3月中に考古学概論の試験を受けて、単位を取ってしまいたい。
 東京会場での試験日程はすでに終了しているので、試験を受けるなら奈良大学まで行かなければならない。
 といって、試験を受けるためだけに日帰りで奈良に行くのも勿体ない。
 2月のスクーリングで10日間連続で休みを取って同僚に迷惑をかけた手前、いささか気が引けるのであるが、背に腹は代えられない。
 残りの有休をつぎ込んで、文化財修復学のスクーリングを申し込んだ。

DSCN8224
JR奈良駅

【1日目】 講義 
  • 江戸時代後期から明治時代初期の絵具について
  • 膠(にかわ)について
【2日目】 講義と実習 
  • 板絵の破損劣化について
  • 剥落止め処置材料の変遷と修復処置について
  • 実習:膠絵具の剥離剥落疑似サンプル作製
  • 実習:基礎的な剥落止め処置
  • 実習:膠絵具の彩色(絵馬制作)
【3日目】 講義とレポート作成
  • 社寺建造物彩色の調査と様々な修復方法について
  • レポート作成
 お寺や神社の彩色が劣化する要因と修復方法について、膠について、江戸時代の絵具について等々、知らなかったことばかりで興味深かった。
 また、今回は学外実習こそなかったが、実習室に移動しての絵具や膠や筆を使った彩色実習があり、中学時代の美術の授業を思い出した。
 膠を混ぜた胡粉(ごふん)を団子状に練って白色絵具を作ったり、湿らせた指に藍棒をこすりつけて藍色絵具をつくったり、自分で作り出した絵具を用いて絵馬を作成したり、いろいろな体験ができて楽しかった。

 講師は、山内章先生。
 京都生まれで、美術学校で日本画を学んだのち、文化財保存修復の世界に飛び込んだ。
 社寺の建物の壁画や葛飾北斎が晩年に描いた肉筆画の修復などを専門とされている。
 「ミスター膠」「膠博士」とお呼びしたいくらい膠について詳しく、日本ではほとんど作られなくなった天然の膠を作るために、2011年に自ら一般社団法人天野山文化遺産研究所を立ち上げられた。
 自らの豊富な文化財保存修復の現場体験をもとに、実例を映像で示しながら、素人にもわかりやすい講義をしていただいた。
 スクーリングを重ねるたびに、奈良大学の講師陣の素晴らしさをつくづく感じる。
 入学して良かったなあ。

DSCN8165
昼休みの学食風景
このひとときがうれしい。
一番最初に受講したスクーリングで一緒だったK氏と一年ぶりに再会。
互いの進捗状況を報告した。
奈良大学の通信教育で卒業まで漕ぎつける人は5人に1人以下という。
途中脱落組が結構多いのだ。
「ひょっとしてやめたのかと思ったよ」とK氏。
いやいや頑張ってます。

DSCN8153
デミグラスソースのハンバーグ定食
ご馳走感あったな

にかわ【膠】
動物の皮、腱(けん)、骨、結合組織などを水で煮沸し、溶液を濃縮・冷却・凝固してつくった低品質のゼラチン。牛馬などの獣類からのものを獣膠(じゅうこう)、魚類からのものを魚膠(ぎょこう)という。淡黄褐色ないし暗褐色の固形物。水に浸すと吸水膨潤し、加温するとゾルに、冷却するとゲルになる。接着剤に用いられるほか、写真乳剤、製紙、染色などに広く用いられる。
(小学館『日本国語大辞典精選版』より)

膠
膠(にかわ)
ゼラチン(gelatin)という英語名のほうが知られているかもしれない。
我が国の彩色文化において、紙や布や木や漆に絵具を接着するための固着剤として伝統的に用いられてきたほか、バイオリンや伝統家具の接着や墨の原料としても活用されてきた。長所は可逆性があること、短所は耐水性に欠けカビが生じやすいこと。(山内先生は現在、短所をカバーする膠の開発に取り組んでいる)

DSCN8161
実習室
学生さんたちが絵具や膠の準備をしてくれたり、片付けしてくれたり、いろいろお世話になった。ありがとうございました。

DSCN8154
左の板は、膠の性質を学ぶための実験中
右の板は、絵馬を描くために下地を白絵具で塗ったもの

DSCN8162
膠の性質を学ぶ実験
1.水で溶いただけの絵具(粉)は乾いてから指で擦れば落ちる。
2.膠を混ぜた絵具は板面に付着し落ちない。(左半分の黄土)
3.濃度の高い膠をさらに上塗りすると、かえって剥落しやすくなる。これは先に塗った絵具(粉)が濃い膠に引っ張られて板の表面から浮き上がってしまうため。(右半分の白)

DSCN8157
藍色をつくる藍棒

DSCN8158
用意された色を混ぜて、自分が求める色を作り出すのが難しい

みなの絵馬
受講者59名が作成した絵馬(ぼかしています)
絵の上手な人が多くてびっくらこいた!
なんで筆でまっすぐの線が引けるの???
つくづく自分は不器用かつ絵ごころがないと痛感した。
これが成績評価の対象でなくてホント良かった。

 文化財学購読Ⅰで文化財保存科学について学んだとき、膠やふのりなど伝統的な材料に代わって、アクリル樹脂などの現代科学材料を用いた保存修復技術が進んでいるという印象を持った。
 しかるに、考古学分野での遺構や遺物についてはともかくとして、絵画や建築や仏像彫刻などの美術工芸品においては、現在、膠絵具で彩色された物の修復処置は膠を用いるのが基本になっているとのこと。アクリル樹脂は、絵の質感が変化してしまう、アクリル樹脂自体が変色するなどの問題が浮上してきたのである。
 1000年以上使われてきた実績があり、その性質が十分理解されている膠の復権が果たされたのである。

 最終日のレポートは「持ち込みなし・90分一本勝負・原稿用紙3枚程度」というルールであった。
 事前にテーマが伝えられるので考える時間も調べる時間もある。文化財特殊講義のレポートほど大変ではないので安心されたし。
 ただし、事前学習に書いてある「近隣の寺社の建造物彩色を見ておく」はきちんとやっておくことをおすすめします。

秩父神社社殿
秩父神社の社殿
天正20年(1592)徳川家康の寄進により建立された。

お元気三猿
社殿の壁画のひとつ「お元気三猿」
2019~2023年に伝統的な工法による修復工事が行われ、建てられた当時の色彩が蘇った。

お元気三猿修復前
修復前(2018年)
よく見ると、配色がずいぶん変わっている。
前回昭和40年代の修復工事のとき、ややいい加減だったらしい。
今後、寺社の彩色や修復工事を見る楽しみが増えた。

 ときに、ソルティは膠と言えば、住井すゑ著『橋のない川』を想起する。
 明治の終わりから大正にかけての奈良盆地の被差別部落・小森を舞台にした大河小説である。(ソルティは2023年春、小森のモデルになった御所市柏原に足を運び、水平社博物館を見学した)
 理不尽な差別に耐え続けてきた小森の人々が、やがて人権に目覚め、声を上げ、立ち上がり、水平社設立へとつながっていく流れが、リアリティ豊かに描かれている。
 その中で、小森部落の主要な産業として、草履表の漂白とともに膠づくりが出てくる。
 漂白に使う亜硫酸ガスの匂い、牛の皮や骨を煮るとき発生する臭気が、周囲からの差別をさらにきついものとする要因として描かれていた。

 日本の芸能のルーツが「河原者」と呼ばれた被差別の民から生まれたことはよく言われるが、竹細工や武具・太鼓・三味線といった皮製品や漆器・木器製作など、日本の伝統工芸もまた、差別された人々の手によって生産・製造されてきたものが少なくない。
 我が国の文化財の保存・修復を考えるときは、こうした視点を忘れてはならないと思う。
 現在、日本で伝統的な製法で膠を作っているのは姫路市だけだという。

DSCN8150
食堂の上の学生ラウンジ
仲間と団欒したり、食後のコーヒーを飲んだり、読書したり、スマホいじったり、学科試験の勉強したり・・・・使い勝手のいい、落ち着ける空間である。
スクーリング終了後、ソルティもここで考古学概論の答案を一心不乱に暗記した。
単位取得できますように!

DSCN8147
大学から高の原駅に向かう途上で見た夕焼け
いかなる天才も、この色彩を再現することはできまい。









● 「春眠暁を覚えず」のわけ

 ここ最近、朝眠くて仕方ない。
 目覚ましは二度寝・三度寝のためにある――といった呈で、起きるのがつらい。
 唐の詩人孟浩然(もうこうねん、689-740)はホント良く詠ったものである。

春眠不覚暁(しゅんみんあかつきをおぼえず)
処処聞啼鳥(しょしょていちょうをきく)
夜來風雨聲(やらいふううのこえ)
花落知多少(はなおつることしるたしょう)

【ソルティ訳】
春の朝は眠いなあ。夜が明けたことも気づかなかった。
小鳥があちこちでうるさいことだ。
それにしても昨夜は風雨が激しかったなあ。
いったい、どれくらい花が散ってしまったのか?
ふああ~。

 8世紀につくられた歌が、それから1300年後の今も十分通じるのだから、いつの時代も「春の朝は眠いなあ~」と思って、布団でグズグズしていた人がいたってことだ。
 その理由としてよく言われるのは、
  1. 夜が短くなって夜明けが早まると、脳の体内時計はそれに合わせようとする。が、体のほうは付いて行かず眠気を感じる。
  2. 春になり暖かくなると体をリラックスさせる副交感神経が働き、眠気が起こりやすくなる。
 ってあたり。
 いずれも至極納得のいく説明である。

 しかし、ソルティは最近、これとは別の原因があるのではないかと気づいたのである。
 初春になると始まるもの――花粉症である。

スギ花粉

 花粉症という言葉が一般的になったのは、スギ花粉の大量飛散が世間を騒がした1980年代くらいからと記憶している。
 が、もちろん、そういった症状に悩まされる人はそれ以前から存在した。
 一般的には、「アレルギー性鼻炎」と理解されていたのではなかろうか?
 ソルティが高校生のとき(70年代中頃)に好んで読んだアガサ・クリスティのミステリーの中で「枯草熱(Hay fever)」という言葉がよく出てきた。
 「かれくさねつ、って何だ?」と頭をひねったのを覚えている。
 
 枯草熱は、19世紀初頭にイギリスで初めて報告されたアレルギー疾患です。
 1819年、イギリスの医師ジョン・ボストックが、干し草に接触する農民の間で見られる症状(夏風邪のような症状、鼻炎、喘息、流涙など)を医学会に報告し、「Hay fever(枯草熱)」と名付けました。当時は干し草の臭いが原因と考えられていました。
 1873年、イギリスのチャールズ・H・ブラックレイが、枯草熱の原因がイネ科植物(牧草)の花粉であることを実験的に証明しました。これにより、「Pollinosis(花粉症)」という病名が生まれ、ブラックレイは「花粉症の父」と呼ばれています。
(AIによる「枯草熱」の解説)

 ちなみに、「かれくさねつ」ではなく「こそうねつ」と読むらしい。
 日本で最初の「スギ花粉症」の報告は、1964年、東京医科歯科大学耳鼻科の斎藤洋三医師によるという。
 以前BS-TBSで放映していた『メディカルα』という番組のホームページによると、

 昭和38年、東京医科歯科大学耳鼻科の医師・斎藤洋三は、栃木県日光市の診療所に赴任しました。
 日々、患者を診ていた斎藤はあることに気づきました。
「春先になると、目のかゆみや、鼻水やくしゃみが止まらない人が多い・・・。これは、もしかして花粉症では・・・?」
 斎藤は早速、調査を開始しました。
 やがて彼は患者が現れる時期と、日光市の名物、スギの花粉が飛ぶ時期が同じ2月上旬である事をつきとめます。
 そこで斎藤洋三は、鼻水や目の痒みなどの症状を訴える患者に、スギの花粉を使って、アレルギー反応のテストを行いました。
 すると患者たちの反応は全て陽性!
 斎藤洋三はこの病気に「スギ花粉症」と名付け、発表しました。
 こうして昭和39年、斉藤洋三によって報告されたスギ花粉症は、新たな花粉症として、世界で認められたのです。

 実に1960年代から「花粉症」という言葉はあったのである。
 市民権を獲得するまでに20年近くかかったってことだ。

 しかるに、「枯草熱」や「花粉症」という言葉が誕生するもっと前から、春になるとこの症状に悩まされていた人は多かれ少なかれ存在したはずである。
 ただ、その原因が何であるかは分からなかったであろうし、どうしてそういう症状が出る人と出ない人がいるのか、どうして春先など特定の時期にだけ起こるのか、不思議に思っていたことだろう。

 一般社団法人『君津健康センター』の「健康コラム」によると、

 世界で最も古い記録は、何と紀元前1800年のバビロニアのシュメール人の呪文に記された鼻アレルギー症状です。そして紀元前460年頃の古代ギリシアの医師ヒポクラテスが花粉症と思われる病気について記録しており、体質と季節と風が関係していると述べています。
 また、紀元前100年頃の古代中国にも、春になると鼻水や鼻づまり、くしゃみなどの症状がよく発症するとの記録があり、花粉症の歴史は非常に長いことがうかがえます。

咳をするパンダ

 ソルティは2月中旬からスギ花粉に悩まされている。
 ソルティの症状は、鼻水やくしゃみはほとんどなく、もっぱら喉の痛みと「頭がぼーっとする」である。
 特に朝方がひどくて、目ざめがすっきりしない。
 どんなに寝ても寝足りない気がする。
 目覚ましは、二度寝・三度寝のためのスイッチと化している。

 もう、お分かりだろう。
 孟浩然さんも実は、ソルティ型の花粉症だったのではないかと思うのだ。
 
 夜来風雨聲
 花落知多少

 「昨晩は風雨が凄くて、花粉が散乱したに違いない」

 だから、今朝はいつも以上に頭がボーっとして眠いのである。
 ふああ~。

fayclon-cat-4381455_1920








 




● 続・とがなくて死す 本:『猿丸幻視行』(井沢元彦著)

1980年講談社
2007年講談社文庫(新装版)

IMG_20260303_163318~2

 本書を借りたのは、2月の奈良大学のスクーリングに行く前であった。
 江戸川乱歩賞受賞作で、百人一首の歌人のひとりである猿丸太夫をテーマとした歴史ミステリーという事前知識しかなかった。
 猿丸大夫は、

  奥山に 紅葉ふみ分け 鳴く鹿の 声聴くときぞ 秋はかなしき

の作者である。
 山登りが趣味のソルティは、秋の山中を落葉を踏みしめながら独り歩いているときによくこの歌が頭に上る。
 恋(=交尾)の相手を探す鹿の痛切な鳴き声を実際に耳にしたときなど、「なんとよくできた歌だろう!」と感心したりする。
 歌の作者がどういう人物なのかよく知らないが、蝉丸(「知るも知らぬも逢坂の関」)と響き合う猿丸という語感から、「あまり身分の高くない人」と、百人一首で遊んでいた少年の頃からなんとなく思っていた。
 大夫(だゆう)という名称も、江戸時代の高尾太夫とか吉野太夫など、いわゆる遊廓のトップ女郎か、あるいは、昔物語『安寿と厨子王』に出てくる悪人・山椒大夫を想起させ、好ましいイメージは結ばれなかった。
 しかるに、今回知ったところでは、大夫(太夫)とは、古代中国における身分呼称のひとつで、本邦の律令制では五位以上の男性官吏を指す称号として用いられていたとの由。

やがて時代が下ると、大夫は五位の通称となり、さらに転じて身分のある者への呼びかけ、または人名の一部として用いられるようになった。五位というのは貴族の位の中では最下の位であったが、地方の大名や侍、また庶民にとってはこれに叙せられるのは名誉なことであった。そこでたとえ朝廷より叙せられなくとも一種の名誉的な称号として、大夫(太夫)を称するようになったのである。
(ウィキペディア『大夫』より抜粋)

 猿丸大夫は生没年不明の謎の多い人物であるが、くだんの歌は『古今和歌集』に収録されているので、少なくとも『古今和歌集』が成立した平安前期以前、すなわち藤原京か平城京の律令制の始まる時代に生きた歌人なのである。
 とすれば、宮中に出仕していた貴族のひとりということになる。

IMG_20260303_200404~2

 10日間のスクーリングツアーから帰ってきて、おもむろに本書を読み始めたら、びっくらこいた。
 本書の主人公=探偵役は古代に詳しい文学者の折口信夫で、国学院大学の学生である20代の折口が、ひょんなことから“いろは歌”と猿丸大夫の歌に隠された秘密を知り、その謎を解いていくという話なのである。
 びっくらこいたのは、謎解きの過程で触れられるトピックに、持統天皇による大津皇子の謀殺と、桓武天皇による早良親王の謀殺が出てきたこと。
 つまり、今回ソルティがスクーリングに合わせて訪れた二上山御霊神社がまさに物語のテーマとリンクしていたからである。
 そう、このミステリーの肝は御霊信仰にあった!

DSCN7901
二上山

DSCN8098
御霊神社

 あたかも、本書を深く読むための予習として今回の旅が用意されていたかのような、いや、むしろ、何者かが本邦における御霊信仰の闇をソルティに教えるために、本書との出会いを含む一連の事象を仕組んだかのような、“動かされている”感を味わった。
 折口信夫がソルティと同じセクシャルマイノリティであるということも、また、本書の終わりのほうで奈良の猿沢池における折口信夫と南方熊楠との出会いが描かれていることも、なんだかスピリチュアルな因縁を感じさせた。
 読むべき時に読んだ本、といった納まり方。 
 権力者の謀略によって虐げられ非業の死を遂げた歴史上の人たちに対するソルティの思い入れが、そういう因縁を生じさせたのだろうか。


DSCN7850
猿沢池

 本書の面白さは、暗号ミステリーと歴史ミステリーの融合にある。
 猿丸大夫と柿本人麻呂が残した歌を利用して、よくこんな暗号を考えついたなあと井沢の発明力に感心した。
 (猿丸大夫=柿本人麻呂)同一人物説は、梅原猛の『水底の歌―柿本人麿論』が元ネタらしい(ソルティ未読)が、それを敷衍して、「××一族を倒して皇統を正す」ことを宿願とし、隠れ里で千年以上も伝承と儀式を続ける猿丸一族――なんて着想も面白過ぎる。
 ここまで来ると、もはや伝奇小説の範疇に入るだろう。
 『写楽殺人事件』同様、江戸川乱歩賞のミステリー定義の幅の広さを証明する快作である。

 

  
おすすめ度 :★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損

 



 

● 優しい雨だれ、あるいはリスペクト for MAO & YUTAKA :ニューイヤーコンサート2026

IMG_20260118_140327

日時 2026年1月18日(日)15:00~
会場 埼玉会館・大ホール
曲目
  • チャイコフスキー:歌劇 『エフゲニ・オネーギン』より“ポロネーズ”
  • チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番 変ロ長調 op.23
  • ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番 ハ短調 op.18
  • アンコール:尾崎豊 『I LOVE YOU』
ピアノ: ジョージ・ハリオノ
指 揮: 太田弦
管弦楽: 東京交響楽団
  
 チャイコフスキーとラフマニスキーの一番有名なピアノ協奏曲のカップリング。
 なんて贅沢でファビュラスなプログラムだろう!
 それをチャイコフスキー・コンクール第2位の24歳のイケメン英国人ピアニストが演奏し、プロオケ総なめの赤丸急上昇の若手指揮者が指揮するとあっては、期待しないほうが無理というもの。
 開演1時間前に会場に到着し、静かなスペースを見つけて奈良大学通信教育『考古学概論』の勉強をしていた。

IMG_20260118_140403
埼玉会館

 1曲目はインスツルメント。
 太田弦の指揮は、2017年10月のOB交響楽団との共演、2019年10月の慶応ワグネル・ソサエティー・オーケストラとの共演、過去2回聴いている。
 精密機械のような精度と正確さ、ゴブラン織のタペストリーのような繊細で美しい仕上がりが、太田の持ち味と感じた。
 久しぶりに聴いて、その印象は間違っていなかったことを確認した。
 きびきびと正確に、繊細な配慮をもって、オケを先導していく。

 2曲目のチャイコは、ジョージ・ハリソンもといジョージ・ハリオノという英国人ピアニストの指鳴らし(ウォーミングアップ)という感じ。
 テクニックの高さと、“優しい雨だれ”とでも形容したい奏者の性格の表れのような音色と、日本人受けする貴公子然とした穏やかな風貌が、刻印された。
 途中、“優しい雨だれ”が脳を叩くマイルドな感触に気持ちよくなって、ウトウトしてしまった。

water-2630618_1280
Sue RickhussによるPixabayからの画像

 休憩後のラフマニノフ。
 圧巻であった!
 この曲の第1楽章を聴いて、2014年2月ソチ・オリンピックの浅田真央のフリーの演技を思い起こさない日本人がはたしているだろうか?
 マーラーの交響曲第5番第4楽章を聴けばヴィスコンティ『ベニスに死す』が想起されるように、リヒャルト・シュトラウスの『ツァラトゥストラはかく語りき』を聴けばキューブリック『2001年宇宙の旅』が想起されるように、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番第1楽章は、浅田真央の魂のスケーティングと完全に一体化してしまった。
 オケの上手さやピアニストの腕前を超えて、その記憶が感動を呼び起こす。
 前席の御婦人連がハンカチで目を抑えていたが、やはり、ソチの真央を思い出したのだろう。
 ソルティもウルッと来た。

 第2楽章で、ハリオノの実力が完全に開示された。
 強い音も弱い音も、速い音もスローな音も、すべて“優しい雨だれ”で統一されているのだが、雨の色にヴァリエイションがあった。
 曲調に合わせて、雨の色が七変化した。
 無色透明のH2Oから、クリスタルに、銀色に、黄金に、虹色に、エメラルドに、真珠色に。
 同じピアノ、同じ指先から紡ぎ出されているとは信じ難い多様さがあった。
 ラフマニノフの音楽の美しさの真髄に触れた思いがした。

 第3楽章では、太田弦の実力と成長ぶりが開示された。
 正直ソルティは、太田弦が、なぜこんな若くしてプロオケを次々と振れるのか、不思議で仕方なかった。
 指揮者の世界の序列とか出世街道というのがよく分からないのだが、ソルティが高く評価し贔屓する和田一樹だって、40歳になってやっとメジャーなプロオケから声がかかるようになったというのに、太田弦ときたら20代でNHK交響楽団や読売日本交響楽団をはじめ日本の有名オケと共演し、地方のプロオケの首席指揮者なんかに抜擢されている。
 指揮者界のサラブレット?
 強いバックがついている?
 過去2回聴いた太田の指揮に別に不満があるわけではないけれど、落語家が「前座見習い」から始まって、「前座」から「二ツ目」を経て、少なくとも10年は修行してやっと「真打ち」になれるのと比べると、指揮者の出世街道は分かりにくいなあ。

 ともあれ。
 第1、第2楽章では、ハリオノのピアノを十全に引き立たせるべく抑えた音作りに終始していたものが、第3楽章でオケが前面に乗り出し、ゴブラン織のタペストリーの中に“優しい雨だれ”も編み込んでしまった。
 すなわち、太田弦の音楽の中にハリオノを吸収し、見事なアンサンブルを成立させた。
 「これがプロオケを唸らせる実力か・・・・」
 6年間の太田の成長ぶりに刮目した。

DSCN5147

 アンコールは、なんと尾崎豊の “I LOVE YOU”
 これが実に繊細で美しく、切なかった。
 ソルティは世代的に、尾崎豊にも彼の曲にもほとんど惹かれなかったのだが、ハリオノのピアノを聴いてたら自然と泣けてしまった。
 貴公子風イケメンの上に、観客の琴線をつかむ賢さ。
 この男はきっと日本で人気沸騰するね。
 そう予言する。

IMG_20260118_180357
浦和駅前のネオンサイン 











● 長澤まさみの猛演 映画:『MOTHERマザー』(大森立嗣監督)

2020年日本
126分

MOTHER

 2014年3月に埼玉県川口市で起きた17歳の少年による祖父母殺害事件、そして同事件を取材した毎日新聞記者山寺香が書いた『誰もボクを見ていない なぜ17歳の少年は、祖父母を殺害したのか』をもとに作られた作品。
 ソルティは同事件を覚えておらず、山寺の本も読んでいない。
 「こんな事件があったんだ」という驚きとともに、2014年当時の自分の脱世間ぶりにおののいた。

 少年は母親にそそのかされて祖父母を手にかけたらしい。
 普通17歳にもなれば善悪の判断はつくし、損得も判断できる。
 母親に指示されたからと言って、人を殺める息子などありえない。
 それも、ほとんど親交のなかった自らの祖父母を金目的で殺すなんて。
 しかも、捕まった当初、少年は母親から指示されていたことを否定した。
 母親を守るために。

 少年は、子供のときから学校に行かせてもらえず、離婚した母親にあちこち連れ回され、養父に虐待され、公園で野宿するなど悲惨な暮らしを送らされていた。
 その中で無力感に追いやられ、母親にマインドコントロールされた状態になっていたのである。
 彼にとってはMOTHERが世界のすべてだった。
 本作は、事件が起きるまでの母親と少年の十数年にわたる日常生活、そこで築かれた異様な母子関係を時系列で描いている。

夜逃げする母子

 MOTHER(母親)を演じる長澤まさみが凄い。
 本作でアカデミー最優秀主演女優賞を獲ったが、それも納得の猛演技。
 最初のうちはあまりの美貌と抜群のプロポーションが、生活破綻した貧困女性に扮するには不自然すぎるという気がしたが、そのうちにその美しさが逆に怖さを生みだすのに益しているように思えてくる。
 聖母のように美しいがゆえに、周囲の男達は簡単にだまされ手なずけられてしまい、息子もまた逆らい難いものを感じてしまうのだと。
 美しさが凶器になっているのである。
 長澤は、『黒い家』の大竹しのぶ、『誰も知らない』のYOUとはまた違った毒母像を生み出すのに成功している。

 少年を演じているのは奥平大兼。(子供時代は郡司翔)
 2003年生まれなので、撮影当時ちょうど17歳。
 事件を起こした時の少年と同年齢である。
 母親との関係に閉じ込められ、MOTHER以外の世界を思い描けず、奴隷のような無力感を生きる息子の表情と雰囲気を、見事に醸し出している。

 チャランポランな養父を演じる阿部サダヲの上手さは相変わらず。
 この長澤まさみと阿部サダヲの巻き散らす厄介加減が、行政はじめ周囲の大人たちが介入して少年と妹を救いだすのを妨げていたことが、十分納得できる。
 
 事件に至るまでの推移を淡々と描いていく大森監督の演出も冴えている。
 変にドラマチックな演出を取り入れないことで、ドキュメンタリー性が加味されるとともに、母親と少年の関係に観る者の焦点が向く。
 少年が祖父母を刺し殺す場面では、まったく暴力シーンを映し出さない。
 出血サービスも、少年のシャツについた返り血だけの絵で済ませている。
 この抑制力、さすがベテラン監督である。

 どう頑張っても後味のいい映画にはならないので、感動したとは素直に言い難い。
 だが、この衝撃をそのまま胸に受け止め、現実から目をそらさないでいることが、大切なのだろう。

 実際の少年は、懲役15年の判決を受け、現在も服役中。
 母親は強盗罪で裁かれ、懲役4年6ヵ月の勤めを終え、“社会復帰”している。



おすすめ度 :★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損




● キラキラネームとシベリウス : 東京学芸大学管弦楽団 第60回定期演奏会

学芸大60回演奏会

日時: 2025年12月20日(土)16時~
会場: さいたま市文化センター大ホール
曲目:
  • A. ドヴォルザーク: 序曲「謝肉祭」 作品92
  • P. チャイコフスキー: イタリア奇想曲 作品45
  • J. シベリウス: 交響曲第2番 ニ長調 作品43
  • アンコール シベリウス: 組曲『カレリア』より「行進曲風に」
指揮: 苫米地 英一

 埼玉会館と勘違いして浦和駅まで行ってしまった('A`|||)
 さいたま市文化センターは南浦和駅西口から徒歩8分のところにある。
 南浦和にこんな立派な施設があったとは!
 35年以上埼玉県民やっているのに知らなかった。

IMG_20251220_151818
さいたま市文化センター
市立南浦和図書館を併設している

 苫米地英一の指揮は、ベートーヴェンを専門とするL.v.B.室内管弦楽団との共演を過去に聴いている。
 熟練のオケによる安定度の高い素晴らしい演奏であった。
 学生オケとの共演はどうであろうか?

 前プロの2曲は、非日常的なお祭り(カーニヴァル)がテーマであったり、イタリア旅行に触発されたチャイコが作った異国情緒あふれるカプリッチョ(気まぐれ)であったり、いわゆる“ノリのいい”曲。
 若くエネルギッシュな学生たちに向いている。
 教員養成校として知られる学芸大学の生徒ゆえか、総じて真面目で教科書的な演奏であったが、そこに若いエネルギーとフレッシュネスが加わり、バランスよい音楽となった。
 休憩中にプログラムを開いて、唖然とした。
 オケのメンバーたちの名前のあまりのキラキラしさに。

愛萌、叶望、咲季、颯世、唯花、愛菜、咲綾香、美音、日、実都葉、
綺花、夕姫、陽日樹、海央、華衣、芽瑠萌、桃花、美空、彩愛、
心音、藍菜、麻飛、帆乃花、理桜、花音、貴城、柚穂・・・・。

 よ、読めない (; ̄Д ̄)
 なんか凄いことになっている。
 彼らの親御さんたちは、大体70~80年代生まれだろう。
 キラキラネームは90年代半ば頃から増えたと言われるが、まさに第1世代が社会人デビューを迎えているのだ。
 大切な子供に美しい名前をつけたいという親心は理解できるものの、学校の先生は苦労しているだろうなあ~。
 ――と思ったら、彼らこそが先生になる可能性大の人たちであった。

 ちょっと前に、ソルティは仕事で地域の小学校に認知症の話をしに行った。
 生徒たちの机の上には、各人の名前が書かれた三角ネームプレートが貼り付けてあった。
 漢字の上に(あるいは英語やタガログ語の上に)大きくふりがなが振ってあった。
 そういう時代なんだな。

世界の子供

 さて、後半のシベリウス第2番。
 やはり、実直な演奏で、大きな乱れはない。
 シベリウスの代表曲と言われるほどの名曲なので、あやまたず感動をくれる。
 最終楽章ではソルティの胸のチャクラに矢が突き刺さった。

 死の淵をさまようような重苦しい第2楽章から、苦しみと哀しみを避けられない運命の受容といったふうの第3楽章を経て、生々流転・自然法爾の第4楽章。
 ソルティはこの曲に東洋的・道教的なエッセンスを聴く。
 なので、この曲を指揮し演奏するには、やっぱり人生経験がものを言うと思うのである。

 キラキラネームを持つ若者たちが、いつかこの曲の真価を悟り、自らの人生や心と呼応させながら演奏できる日が来るのだろうか?
 苦しみや悲しみを知らないまま、いつまでも子供のように無邪気に罪なく美しく生きてほしいと親は願うものだが、それが子供にとって必ずしも幸福であるとは限らないのである。
 









● 1984を回避するために 本:『デジタル・デモクラシー』(内田聖子著)

2024年地平社

 こうしてブログを綴ってはいるものの、ITには疎いソルティ。
 ツイッターもとい「X」はやっているが、ほぼブログへの呼び込みになっている。
 LINE、フェイスブック、インスタグラム、ユーチューブには興味ない。
 昨今、パソコンやスマホからでないと、コンサートのチケットも新幹線の切符も宿の予約もとれないので、仕方なくネットを利用しているが、クレジット購入というものに今ひとつ信用が置けない。
 商品を購入する際、住所や電話番号やクレジットカードのセキュリティコードなどの個人情報をPC画面に入力するとき、一抹の不安を覚えざるを得ない。

 そんな昭和オヤジ丸出しの状況でありながら、現在のITをめぐる世界的動向、とくに巨大IT企業がどれだけ世界を支配しているか、ITがどれだけ市民の生活に入り込み個々人を監視しているかという点について、これまた疎いままであった。

 本書は、巨大IT企業(ビッグ・テック)による最新技術を用いた監視と搾取のシステムについて国際的視野から現状を伝え、民主主義と人権を守るためにビッグ・テックと闘う各国の人々の姿を描いたノンフィクションである。
 著者の内田聖子は、NPO法人アジア太平洋資料センター(PARC)の共同代表をつとめ、自由貿易協定やデジタル政策のウォッチ、政府や国際機関への提言活動を行っている。
 副題は「ビッグ・テックを包囲するグローバル市民社会」

IMG_20251202_173515

 恥ずかしながら、はじめて聞いた(知った)言葉が多かった。
 ビッグ・マックならぬビッグ・テック(Big Tech)=巨大IT企業もその一つだが、以下も今回はじめて意味を知った。
  • GAFAM
    Google(Alphabet)、Apple、Meta(旧Facebook)、Amazon.com、Microsoftの5社

  • 監視資本主義(surveillance capitalism)
    企業による広範な個人データの収集・分析を指す政治経済学の用語。分析結果に基づいて、個人仕様に選ばれた広告が表示されたり、特定の商品やサービスが推奨されたりする。目的はもちろん、企業がより多くの利益を得ることにある。

  • データブローカー
    個人の情報を収集、整理し、第三者に販売する企業や組織のこと。日本で言う「名簿屋」がこれに当たる。

  • スマートシティ
    IT・デジタル技術の活用により、都市の機能やサービスを効率化・高度化し、課題解決とともに快適性や利便性を高める都市開発のあり方。たとえば自動運転やドローンを用いた自動配達、カメラやセンサーによる騒音や人流の把握、医療や教育の遠隔化、行政サービスのIT化など、実装される技術は多岐に渡る。(本書より引用)

  • プラットフォーム労働
    アプリなどのデジタルプラッ トフォームの仲介により、個人や組織間で労務を提供する形態の労働。よく知られるものに、Uber Eatsクラウドワークスなどがある。

  • コンテンツ・モデレーター
    インターネット上のコンテンツが安全で適切に保たれるように監視する職業。
 インターネット上のプラットフォームやアプリは、基本的にユーザーが暴力やポルノ、差別シーンを目にしないように設計されている。ユーチューブにもXにもフェイスブックにも倫理基準があり、「問題あるコンテンツは削除」されることになっている。実際、これら企業はソフトウェアを使い、問題コンテンツを自動的に削除するようにしていて、AIの導入によってこの作業は飛躍的に効率化された。
 しかし、AIのフィルタリング・システムは完璧ではない。「親指の写真と男性器の写真をAIはうまく区別できない」という有名な例がそれを象徴している。現時点ではAIだけにネット空間の「適正化」を任せることは無理であるため、各プラットフォーム企業はAIでは対応できない「判断」をする「人」を必要としているのだ。
 私たちが当たり前のように享受しているインターネット世界の倫理性を最終的に支えているのが、・・・略・・・コンテンツ・モデレーターの手作業だ。

 コンテンツ・モデレーターたちは、毎日毎時間、世界中からネットにアップされるリアルな残酷映像やエログロ映像や小児虐待映像などを見続けているわけで、これが心の健康にとって良くないのは言うまでもない。
 ゾンビ映画を観てキャーキャー言ってるのとは、まったく違うレベルである。

混乱する男

 本書は、GAFAMを筆頭とするビッグ・テックが牽引するデジタル経済モデルにおいてすでに起きている、国家権力による監視や管理、プライバシーなどの人権侵害、偽情報やフェイクニュースの蔓延、差別や貧困の再生産などの様相を、さまざまな事例を出して示している。
 また、ビッグ・テックが、情報インフラの独占や莫大な資金を投入しての政治家へのロビー活動によって、市場や政治をいかに支配しているかが語られる。

 日本ではまだITの利便性のみが謳われ、人々は無料のアプリのダウンロードと引き換えに個人情報を進んでIT企業に渡しているし、街のあちこちに設置されている顔認識カメラによって自らの姿が知らないうちに記録され解析されることについても反対の声が聞こえてこない。治安維持の為なら仕方ないと思っているのかもしれない。
 だが、こうした位置情報を含む個人情報が権力の手によって悪用されると、実に怖ろしい監視社会に成り変わるのは、中国の例を見れば明らかである。
 ビッグ・テックが国家権力と結びついた“生き地獄”を描いたのが、ジョージ・オーウェル著『1984』であり、テリー・ギリアム監督『未来世紀ブラジル』であった。
 『1984』や『未来世紀ブラジル』の世界を現実化してしまったのが、今の中国であろう。(昨今、中国人の悪口ばかりやたら聞こえてくるが、ソルティは中国人は可哀想としか思えない)
 日本も気を付けないと、同じような道を歩みかねない。
 ナショナリズムの行き過ぎは国家権力の増大につながり、民主主義の危機を招くからである。

cherry-blossoms-8436420_1280
MollyroseleeによるPixabayからの画像

 「やっぱり、欧米は違うな~」と思ったのが、こうしたビッグ・テックの横暴に対して抗議の声を上げて立ち上がり連帯する市民の存在である。
 本書には、国家による監視への抵抗、ビッグ・テックの監視広告への反対、消費者(とくに子供や若者)がオンライン・ゲームやSNSによって精神的ダメージを受けないよう規制を求める運動、プラットフォーム労働者らによる組合結成運動など、市民社会が中心となった抗議活動の様子が描かれている。
 不当解雇を訴えてたった一人でAmazonに立ち向かった、元倉庫労働者のクリス・スモールズの話など、そのうち映画にでもなりそうな勇敢物語である。
 欧米の人々に根付いている人権意識と民主主義に対する信念は筋金入りだ。
 やはり、市民革命を経験しているからであろうか?
 あるいは、一神教をバックボーンに持つ個人主義のせいであろうか?

 ソルティが、現在高市政権のもと進行しているナショナリズムを危惧するのは、日本人には元来、人権意識と民主主義への信念が不足している、と思うからである。
 おそらく、その二つのものが敗戦によってGHQ=アメリカから与えられたもので、自ら勝ち取ったものでないというところに、因があるのではないかと思う。
 街頭でデモをする人々を“特殊な人、めんどくさい人”と遠目に見たり、「就職の妨げになるから政治活動には関わらない」という若者の声を聞いたりすると、いったい日本国憲法下の戦後80年間の教育ってなんだったんだろう?・・・・と思ったりする。

 ひょっとしたら、先進国では、日本人くらいビッグ・テックにとって“いい”お客さん=餌食はないんじゃなかろうか?
 中国に侵略される脅威をしきりに訴えているうちに、GAFAMに骨の髄まで支配される日常に馴らされてしまうんじゃないか?
 
 少なくともソルティは、今後しばらくはAmazonでの買い物を控えることにする。
 



おすすめ度 :★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損







記事検索
最新記事
月別アーカイブ
カテゴリ別アーカイブ
最新コメント
ソルティはかたへのメッセージ

ブログ管理者に非公開のメッセージが届きます。ブログへの掲載はいたしません。★★★

名前
メール
本文