ソルティはかた、かく語りき

首都圏に住まうオス猫ブロガー。 還暦まで生きて、もはやバケ猫化している。 本を読み、映画を観て、音楽を聴いて、神社仏閣に詣で、 旅に出て、山に登って、瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

●雑記

● 本:『人間の未来 AIの未来』(羽生善治&山中伸弥共著)

2018年講談社

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 「永世七冠」の称号を持ち2018年に国民栄誉賞を受賞した羽生善治と、iPS細胞(人工多能性幹細胞)の発見で2012年にノーベル生理学・医学賞を受賞した山中伸弥。
 2人の天才による AI をテーマにした対談である。

 てっきり、棋士の羽生が科学者の山中に AI について問いかけるスタイルなのかと思ったら、意外なことに逆であった。
 羽生が AI にこんなに詳しいとは知らなかった。
 だが、考えてみれば不思議でもなんでもなく、将棋の世界ではすでに AI の活用なしに練習したり、勝因・敗因分析したり、新しい手を研究したり、ということは考えられないのである。
 プロ棋士の対局中継でも、差し手ごとに将棋ソフトが同時解析して、現在の局面がどちらがどのくらい有利かを瞬時に算出してくれる。
 もちろん、インターネット対戦はあたりまえである。
 藤井聡太が出現するまでトップを走り続けてきた羽生が、AI に興味を抱き、勉強し、詳しくなるのも当たり前なのであった。
 ノーベル賞受賞の科学者といろいろなテーマで対等に話せる羽生の知的能力の高さに感心した。

羽生 AI はデータに基づいて人々が好むもの、選ぶものを予測するのは得意ですが、とんでもないものを好きになる、意外性を愛する人間の可能性は予測できないはずです。それこそ人間にしかできない創造的行為だと思います。

羽生 ある特定の目的に限定した専門人工知能は順調に開発が進み、活用されていくと思います。でも一つの分野で学習した知能を他の分野で応用できる、人間の知性のような「汎用性」を持った人工知能ができるのは、まだまだ先でしょうね。

 一方、山中は、 iPS細胞発見の経緯や医療への応用の可能性、ノーベル賞受賞の裏話、新しいアイデアが生まれる秘訣、科学研究をめぐる日本の状況など、専門的にならない一般大衆向けトークに長けている様を見せる。
 学生時代にラグビーや柔道をやっていて、もともと整形外科医だったという経歴には、驚かされる。
 日の当たらない実験室に一日中こもっている白衣を着たうらなり、という科学者に対するイメージが払拭される。

 2人のお互いへの敬意とコミュニケーション能力の光る、読みやすくて面白い本である。



おすすめ度 :★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損






● 本:『優等生は探偵に向かない』(ホリー・ジャクソン著)

2022年創元社推理文庫

服部京子・訳


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 『自由研究には向かない殺人』に続いて、女子高生探偵ピッパが活躍するYAM(ヤングアダルトミステリー)。

 前作同様、フェイスブックやポッドキャストやインスタグラムやマッチングアプリなど、インターネット上のソーシャルメディアを駆使して、警察顔負けの捜査をやってのける。

 ITが苦手な人はこのミステリーは理解不能だろう。

 ブログとマッチグアプリ止まりのソルティも、ついていくのがやっとである。

 金田一耕助や刑事コロンボがやっていたような足で稼ぐ地道な捜査ってのは、昭和とともに消え去った。

 

 YAM小説だからと言ってバカにしてはいけない。

 大人社会の複雑で冷徹なリアリティには欠けるものの、ストーリーテリングも構成も伏線配置もうまく、一気に読ませる筆力がある。

 ピッパの直感まがいの推理と行動力(いったい何回他人の留守宅に無断浸入するのやら?)は、爽快ですらある。

 大人と対等に向きあい、時には大人を出し抜くスーパー少女。

 YA読者は、自らをピッパに重ねて、ふだん大人たちから味わわされている屈辱に対して、溜飲を下げるのだろう。

 

 ホリー・ジャクソンはイギリス出身の作家で、本小説もイギリスが舞台なのだが、なぜかアメリカン・ミステリーのような感がある。

 それはおそらく、インターネットの世界は無国籍、無境界、「いつでもどこでも」のユビキタス (ubiquitous)だからなのだろう。

 ミス・マープルが暮らしていたセント・メアリー・ミードのような英国らしさを愛する者としては、いささか残念ではある。


イギリスの村



おすすめ度 :★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損


 

 

● VRゴーグル初体験 :東京国立博物館「江戸大奥」展に行く

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 盆明けの平日の午後なら空いているかと思ったのだが、結構混んでいた。
 女性客が多いのは想定内だが、外国人の多さは不思議。
 外国人がなぜ江戸時代の大奥に関心ある?
 よしながふみのコミック『大奥』(男女逆転!パラレル時代劇)が英訳されて、アザーワイズ賞(旧ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア賞)を獲ったことが影響しているのだろうか?

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 ドラマ『大奥』(NHK放映)で俳優たちがまとった衣装の展示から始まって、有名な御台所たちの肖像画、明治時代の浮世絵師揚州周延が描いた「千代田の大奥」シリーズ、大奥の成り立ちや構造、大奥の暮らし、女中たちの生涯、歴代ヒロインゆかりの品々、豪華絢爛な着物や調度の数々・・・。
 大奥ファンにはたまらない内容だろう。
 ソルティは大奥に詳しくないし、よしながふみの『大奥』を読んでいなければ、TVドラマや映画も観ていないので、2時間程度で大まかに鑑賞した。

 大奥ってのは、一度入ったら簡単には出られない広大な座敷牢みたいなもので、厳しい規則やしきたりがあった。
 斬首や島流しや江戸追放を含み関係者1400名が処罰された江島生島事件など、きっかけは大奥お年寄の江島が、墓参りの帰りにちょっと芝居小屋に寄って門限に遅れたことであった。
 恋もままならないし、側室間の派閥争いや権謀術数には巻き込まれるし、ふつうに町娘でいるほうがずっと幸福だと思うのだが・・・・。
 それでもセレブにあこがれる女子は多かったのだろうなあ。
 食うには困らないってのも大きかったのかもしれない。

 足が止まったのは、東京目黒区にある祐天寺の阿弥陀如来坐像の前。
 これは享保8年(1723)に5代将軍徳川綱吉の養女である竹姫(浄岸院)より寄進されたのだと言う。信仰篤き大奥人だったのだ。
 全般シンプルなつくりであるが、そのシンプルさが表面を蔽う金の輝きを品よく見せている。表情も穏やかで観る者に安心感を与える。
 大奥展で仏像を見るとは思わなかった。 
 人間よりも仏像に興味が向いてしまうソルティであった。

 実を言うと、いちばん面白かったのは入口の脇でやっていた大奥VR(Virtual Reality)体験。
 NHK番組『歴史探偵』がCG制作した大奥の内部映像を、VRゴーグルを頭に付けて体感するというもの。
 ソルティ、実はVR初体験。
 頭を左右に動かしても、上下に動かしても、後ろを振り向いても、ちゃんと奥行きある映像が不自然なく立ち現れて、まさに江戸の大奥の座敷に自分がいるような感覚が味わえる。
 隣には自分と同じようにゴーグルを付けている現代人がいるはずなのに、その存在がすっかり消えてしまう。
 不思議な感覚だった。
 これが進化したら、実際に足を運ばなくとも、観光旅行や時間旅行できるようになるのでは?

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dlohnerによるPixabayからの画像

 ソルティにとって今秋の最大のイベントは、9月9日から東博で始まる『運慶 祈りの空間ー興福寺北円堂』展である。
 なんと、奈良・興福寺北円堂の諸仏をすべて東京に運んできて、その空間を再現してしまおうというのだ。
 日本彫刻史上の最高傑作と言われる世親・無着菩薩立像、弥勒如来坐像、四天王立像の計7点の国宝がやってくる!
 はたして、リアルな運慶空間に、仮想現実は太刀打ちできるのか?

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● 芸のためなら 映画:『国宝』(李相日監督)

2025年日本
175分

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 吉田修一原作の話題沸騰の芸道映画。
 歌舞伎の世界を舞台に、芸に憑りつかれた男たちの生きざま・死にざまを描いている。
 似たようなテーマの溝口健二監督『残菊物語』(1939)、豊田四郎監督『地獄変』(1969)、ジョン・カサベテス監督『オープニング・ナイト』(1977)、陳凱歌監督『さらば、わが愛/覇王別姫』(1993)、映画ではないが栗本薫の小説『絃の聖域』、そして読んだばかりの西木暉著『仏師成朝と運慶 猜疑の果てに』を想起した。
 芸の道を究めた人間は、だいたい最後は狂気や孤独に陥るらしい。
 芸の神様は嫉妬深くて、芸を志した人間が家族や友情といった世間的幸福を犠牲にしてはじめて、その気難しい顔を綻ばすのである。
 こうしたテーマになるといつも、マリア・カラスと山田五十鈴を思い出す。

 歌舞伎の世界の裏表が赤裸々に描かれ、『道成寺』、『藤娘』、『鷺娘』、『連獅子』、『曽根崎心中』など有名な演目が登場するので、歌舞伎ファンなら一瞬たりとも目が離せないと思う。
 歌舞伎に詳しくないソルティでさえ、3時間近くの上映時間を長いと感じることなく、最初から最後までスクリーンに釘付けになった。
 脚本(奥寺佐渡子)が巧みで、退屈させない。
 撮影(ソフィアン・エル・ファニ)が美しく、遠近(ロング、バスト、アップ)や切り返しショットが効果的に用いられ、ドラマに緩急をもたらす。
 『フラガール』、『怒り』、『悪人』などで知られる李相日(リ・サンイル)監督の演出は、壮大重厚にしてたっぷりな素材を、大きな陶器の平皿に手際よく盛りつけて、御馳走感はんぱない。(ソルティが年のせいか、若干盛りすぎを感じたが)
 ここ数年の日本映画では出色の出来栄え。
 大ヒットも頷ける。

 役者がみな素晴らしい。
 渡辺謙と横浜流星の「べらぼうコンビ」の安定感。
 吉沢亮の蔭のある美しさは印象的。女形姿も艶である。
 その子供時代を演じた黒川想矢が圧巻の存在感。『博多っ子純情』(1976)の光石研、『誰も知らない』(2004)の柳楽優弥、『共喰い』(2013)の菅田将暉を思わせる鮮烈な眼力である。
 年老いた女形の人間国宝を演じる田中泯は、舞踏家としての田中の持つイメージ、すなわち“踊りの怪物”が、そのままここで演じる役に重なって見える。適役というほかない。
 三浦友和の息子の三浦貴大が歌舞伎の興行主の役で出演している。杉村太蔵か石黒賢かと思った。父親と同じ“いぶし銀”の道を歩み始めたようだ。

 一等感心したのは、歌舞伎役者花井半二郎(渡辺謙)の妻を演じる寺島しのぶ。
 寺島が出てくるだけで、この作品にリアリティがもたらされる。
 主要な3人の役者、渡辺謙、吉沢亮、横浜流星は本来歌舞伎役者ではないので、どんなに頑張って演じても、いや頑張って演じれば演じるほど、テレビ&映画的なモードが滲み出てしまう。
 どうしたって歌舞伎モードが不足する。
 そこに、由緒ある歌舞伎一家の血を引く寺島が加わることで、一挙に歌舞伎モードが備わるのである。
 やっぱり、血はあらそえない。
 立ち方、座り方、着こなし、声の出し方、家族としてあるいは師匠として歌舞伎役者を見る眼差し・・・・。こうしたものは、演技ではなかなか身に付けられまい。
 寺島しのぶの存在が、この作品を支えていると言っても過言ではない。

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Antal BódiによるPixabayからの画像

 この映画の主たる時代背景は昭和である。
 昭和時代は、歌舞伎や能にしろ、日本舞踏や三味線にしろ、落語や茶道にしろ、伝統芸能の世界にあっては近現代的価値観の通用しない面が少なくなかった。
 たとえば、役者が妾や隠し子を持つのはあたりまえ、師匠が弟子を殴るのはあたりまえ、ヤクザが興行を仕切るのはあたりまえ、男子が世襲するのはあたりまえ・・・・・。
 大衆もまた、「特殊な世界のことだから」と大目に見るのが普通であった。
 「芸のためなら女房も泣かす」という歌(作詞/たかたかし、作曲/岡千秋)がヒットしたのは昭和58年(1983)のことである。
 が、昨今の世界的なSDGsや人権やコンプライアンス遵守の風潮の中で、伝統芸能の世界も影響を受けないわけにはいかないだろう。
 その意味で、この映画は“古き悪しき?”時代の証言といった側面もある。
 




おすすめ度 :★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損




● お化け煙突 映画:『煙突の見える場所』(五所平之助監督)

1953年新東宝
108分、白黒

煙突の見える場所
左より、田中絹代、高峰秀子、芥川比呂志、上原謙

 椎名麟三原作の下町ヒューマンドラマ。
 タイトルの煙突とは、かつて東京都足立区の隅田川沿いに存在した東京電力・千住火力発電所の煙突のこと。1926~1963年まで稼働していた。
 見る場所によって煙突の数が1~4本に変化したことから、「お化け煙突」と呼ばれたという。
 実際、映画の中で隅田川を渡る列車(常磐線 or 京成電鉄)の車窓から、この煙突が4本から1本へと変化していく様子が映し出されている。
 視点によって姿を変える不思議なランドマークだったのである。

 この煙突が見えるあたりは、東京の中でも貧しい地域であった。
 隅田川の土手下にバラックのような木造の家が隙間なく立ち並ぶ。
 ラジオの音、子供の騒ぐ声、宗教一家の読経や太鼓の音、夫婦喧嘩・・・・隣近所の物音が筒抜けで、プライバシーなぞ無いに等しい。
 子供のいない夫婦(上原謙と田中絹代)は家の2階に若い男女の下宿人を置いているが、2人の部屋は襖一つで仕切られていて、女性(高峰秀子)は男性(芥川比呂志)の侵入を防ぐため、襖の内側から心張棒(つっかい棒)をしている。
 そこからそれぞれが、お化け煙突に見守られながら、バスや電車で職場へ向かう。足袋屋の会計、競輪場の場内券売り、お役所の税の徴収、商店街のアナウンス。

 ストーリーそのものよりも、昭和20年代の東京の下町風景が興味深かった。
 家屋や家の中の様子、商店街や競輪場の光景、人々の服装、隅田川の土手からの眺めなど、戦後の焼け野原と昭和30年から始まった高度経済の狭間にある、絶望と希望の中間にある日本の庶民の暮らしがここに写し取られている。
 ありがたいことに、HDリマスターによる復刻版なので、画面は驚くほど鮮明である。
 失われた時代を記録する装置としての映画の意義を感じた。

 ストーリーもまたこの時代ならではで、知らない間に家の中に置かれていた赤ん坊(捨て子)をめぐる騒動が中心である。
 捨て子が多かった子供余りの時代だったのだ。(令和の今では考えられない)
 赤ん坊の正体や処置、実の親探しをめぐって、上原と田中演じる夫婦と、高峰と芥川演じる若いカップルが、右往左往し、感情をぶつけ合い、愁嘆場を演じる。
 最終的には、“雨降って地固まる”式に大団円で終わるので、喜劇と言っていいだろう。

 上記4人の役者の中では、税の徴収をする公務員を演じる芥川がいい味を出している。芥川龍之介の長男である。
 田中絹代は、この映画の作風からすれば、演技過剰でやや重い。
 脇役で、坂本武、三好栄子、浦辺粂子らが出ているのが嬉しい。

 視点によって姿かたちが変わる。
 “お化け煙突”を人間の比喩として用いているのだろう。




おすすめ度 :★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損


● なんなら、奈良14(奈良大学通信教育日乗) 初試験

 6月1日に美術史概論と民俗学の試験を受けた。
 東京の試験会場は、丸ノ内線・茗荷谷駅から徒歩7分にある林野会館。
 昨年12月の奈良大学通信教育学部OB・OGたちによる学習相談会で知った場所なので、迷うことなく行けた。
 降り続いた雨がやっと上がって、明るい陽射しと爽やかな大気が心地よい。
 「こんな絶好の行楽日和に試験を受けなければならないなんて・・・」
 と、ちょっと悲しい気持ちになる。
 が、「誰に言われたわけじゃない。自分で選んだ道だもの」
 と、杉村春子(@『女の一生』)を気取ってみる。

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地下鉄丸ノ内線・茗荷谷駅

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林野会館

 開始30分前に会館6階の控室に入ると、すでに40~50名の中高年らが着席し、机上にノートやレポートを広げて、最後のあがき(笑)に邁進していた。
 余裕があるのか、諦めているのか、奈良でのスクーリングで知り合った仲間とお喋りしている人もいる。
 ソルティも、自分で作成した美術史概論の5つの答案を読み返し、記憶の定着をはかった。
 これで通読11回目である。

 思えば、ゴールデンウィークが終わってから、テスト勉強一色であった。
 美術史概論と民俗学のそれぞれ5つの答案(各800~1000字)を5月20日までにどうにか完成させ、残り10日はひたすら10個の答案の暗記に従事した。
 5つの設題からどれが出題されるか、試験開始直前までわからないので、全部を暗記する必要があった。
 なんだか高校時代に戻ったような気がした。

 ソルティはこれまでに、運転免許を皮切りに、教員試験、英検、TOEIC、アロマテラピー2級、介護福祉士、社会福祉士、ケアマネ、福祉住環境コーディネーターと、いろいろな資格試験を受けてきたが、いずれもマークシート方式だった(教員試験には小論文があったかもしれない)。
 100%の筆記試験はなかった。
 複数の選択肢から正しいものを選んで、マークを塗りつぶせばよかったので、漢字や人の名前や年号を正確に覚える必要はなかった。
 今回のような筆記試験は、高校時代の定期試験以来だったのである。(大学の試験に関する記憶がないのが不思議だ。「レポート提出に代える」が多かったのかもしれない) 

 舞台役者がセリフを覚えるように、しっかりと文面を頭に叩き込んで、しかも、それを間違いなくアウトプットできるようにならないといけない。
 900字×10=9000字、原稿用紙約23枚分!
 あたかも、橋田寿賀子センセイに『渡る世間は鬼ばかりスペシャル』の脚本を渡され、「来週までに覚えておいて」と言われた泉ピン子のような気分だった。

 ネットで検索したら、卒業生のブログ記事に、スマホに答案を録音してそれを繰り返し聞いて覚えた、というのがあった。
 ナイス・アイデア
 目からだけでなく、耳からも記憶する寸法だ。
 そこで、「ボイスレコーダー」という無料アプリをスマホに入れて、自分の書いた原稿を自分で吹き込んで、何度も再生して脳に浸み込ませた。
 再生速度を自由に変えられるところが便利である。

ボイスレコーダー
ボイスレコーダーのロゴマーク

 それにつけても、漢字が書けなくなっていること、はなはだしい。
 読むことはできても、いざ書こうとすると書けない。
 数十年のパソコン生活がたたっている。
 たとえば、仏像がテーマの美術史概論なら、「廬舎那仏」「弥勒菩薩半跏像」「阿修羅像」「脱活乾漆像」「塼仏(せんぶつ)」「不空羂索観音」「棟梁」「宇治平等院鳳凰堂」「比叡山」「醍醐寺」「阿形・吽形」あたりは漢字で書けないと、カッコがつかない。
 最悪の場合、ひらがなやカタカナという手もあるが、減点対象になるやもしれない。
 漢字テスト前日の小学生のように何度も繰り返し紙に書いて、手に覚え込ませた。
 さらには、数十年ぶりに単語帳を自家作成した。
 朝夕の通勤列車の中で、単語帳をめくりながらブツブツ言っているオヤジを、周囲はどう思っていたことやら・・・。

 「1日に受けられるのは2科目まで」という決まりがあるのだが、いや、2科目以上は無理です。10題以上は覚えられません。
 2026年4月からは設題が1教科につき10題になるようなので、持ち込み可の科目との合わせ技を駆使しないことには、1日1科目しか受けられまい。
 よく考えて作戦を練らなけりゃ。
 
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単語帳とこの日のために買ったPILOT製シャーペン
「疲れない」「芯が折れない」という触れ込みだった

 試験開始10分前に5階ホールに移動。
 制限時間50分はあっという間だった。
 とにかく何も考えず、記憶が背中から逃げないうちに、ひたすら手を動かすのみ。
 室内は、群れなす鳥の羽搏きのような激しい筆音が響いた。
 平家軍が驚いて逃げたとか。(by富士川の戦い)

 民俗学は1000字ちょっとで、答案用紙の裏面4行まで書いた。
 美術史概論は900字ちょっとで、表面の8割くらい書いた。
 とりあえず、ほぼ作成した原稿通りにアウトプットしたので、あとは答案自体の質の問題である。
 結果判定は1ヵ月後。 

 次の試験は、7月初めの文化財学講読Ⅰと平安文学論。
 まだまだ続く。
 たいへんだが、この荷重な脳トレは認知症予防にはもってこいだ。
 林野会館を一歩出たときから、溜め込んだ記憶が水無月の青空に飛び去っていくのが見えた。

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● なんなら、奈良13(奈良大学通信教育日乗) 民俗学の周辺

 4月中旬に提出した民俗学のレポートが早、返って来た。
 「奈良大学通信教育学部 文学部 文化財歴史学科」の名が表に入っている角2封筒を開ける瞬間、年末ジャンボの当選番号を確かめる時のように、ドキドキする。
 自分なりに精一杯がんばって書いたつもりではあるが、「設題意図を誤って理解していたかもしれない」、「オリジナリティが足りなかったもしれない」、「引用が適切でなかったかもしれない」、「誤字脱字が多かったかもしれない」などとマイナス面をいろいろ考えて、「再提出」の可能性を思ってしまうのだ。
 封筒を自分の部屋に持ち帰って、心を落ち着けて封を切った。
 「合格」だった

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 これで民俗学も単位修得のための筆記試験にのぞむことができる。
 このゴールデンウィークは、前半こそ3日間の奈良旅を満喫したが、後半はほぼ毎日図書館に通い詰めて、民俗学の勉強に明け暮れた。
 というのも、テキスト科目は、レポートを提出したら完了というわけにはいかないからだ。
 修得試験に出される5つの設題――あらかじめ提示されている――について、試験当日5つの設題のうちからどれが出されてもいいよう、解答を用意して、試験当日までに暗記しておかなければならない。
 つまり、テキスト科目の単位を取るためには、3200字(2単位)あるいは6400字(4単位)のレポートを1本と、1000字~1400字くらいのレポート5本を作成しなければならない。
 1教科につき都合6本のレポートを作成しなければならないわけで、これがなかなか大変なのである。(2026年4月からは修得試験の出題が10題からの選択になるようだ。戦々恐々

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 ほとんどの教科は、大学から送られてきたテキストとサブテキストをしっかり読んで、それを要約することでレポートを仕上げることができる。
 通信教育も大学の講義には違いないので、先生の日常の講義(=テキスト内容)をどこまでちゃんと理解できているかが問われるのである。
 そこを勘違いして、生徒がテキスト内容とは異なる自分なりの発想や斬新な説を打ち出したレポートを提出して見事に撃沈――という例が結構多いという話を、昨年、奈良学友会関東支部による学習相談会に参加したときに先輩方から聞いた。
 不合格という結果を受け入れ難くて、同じような内容で何度もトライしてそのたび突き返される、あたかも講師と紙面上でバトルしているような生徒さんもいるらしい。
 我々は院生でも博士課程でもないただの学部生なので、まずは教科内容の基本的理解が大切なのである。
 と言って、テキストやウィキペディアの丸写しやChatGPTにたよるのは論外であろう。
 テキストを読み理解した内容を“自分自身の言葉で”いかに表現するか、というところがポイントなのではないかと思う。

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 そのあたりの塩梅を飲み込みながら、ここまでレポートを作成してきたのだが、民俗学の場合、ちょっと違った。
 レポート課題も修得試験の設題も、(サブ)テキストの要約では全然どうにもならないものばかりだった。
 自分で課題を選んで、テキスト以外の関連図書を探して、それを熟読し、読み手にわかるように簡潔にまとめ上げなくてはならないのだった。
 たとえば、修得試験の5つの設題のうち2つは次のようなものである。
  • 盆行事について民俗調査し考えたことを述べよ。
  • 民話・伝説を民俗調査し報告し考えたことを述べよ。
 「それぞれ民俗文化(伝承文化)の具体例を観察して、自分の文章にて報告しなさい」と、講師からの注意書きがついている。
 つまり、日本国内に無数にある地域固有の盆行事(あるいは民話・伝説)からどれか一つを選んで、それを観察して報告しなさい、ということである。
 実際には、我々素人が、民俗学者やプロアマ問わない民俗研究家らによる専門的調査の手がいまだ入っていない盆行事や民話・伝説をこれから見つけ出して、一から調査するのはまず簡単ではないので、「民俗調査した報告書からとりあげても構わない」という。
 そこで、埼玉県民であるソルティは、埼玉県各地の盆行事や民話・伝説を最寄りの図書館で調べ、自分が興味を持った対象を選び、それについて書かれた民俗資料を探し出して目を通し、自分の言葉でまとめた。

 秩父ファンのソルティは、秩父のA村で戦国の頃より行われてきた盆行事と、B村で伝えられてきた妖怪伝説を選んだ。
 これらを調べる作業は実に面白かった。(試験には出題されないかもしれないが)
 ソルティは趣味の山歩きの際にB村は通りかかったことがあり、くだんの妖怪伝説あるのを知っていた。が、秩父の山奥にあるA村には行ったことがない。
 せっかく調べたのだから、いつの夏にかA村に行って盆行事を見学する機会があればと思うのだが、過疎化と少子高齢化でA村の盆行事も年々縮小されている様子がうかがえる。存続の危機にある。いや、A村自体、廃村の可能性無きにしもあらず。
 早く行かないと見る機会は永遠に奪われてしまうかもしれない。

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 民俗学というのは別に、戦前の古い時代の民俗のみを対象とする学問と決まっているわけではない。
 常光徹著『うわさと俗信 民俗学の手帖から』(河出書房新書)のように現代の都市伝説を対象としてもいいし、なんなら日活ロマンポルノを手掛かりに昭和時代の性風俗や男女のセクシュアリティのありようを調べてみるのもありだろう。
 現代民俗学という言葉もある。
 ではあるが、何百年も続いてきた地域の行事が次々と消えていく現状をみるに、柳田国男が創設した民俗学というものが、まるで、戦前まで綿々と続いてきた日本の伝統文化や民俗の“待ったなしの記録保存作業”であったかのように思われるのだ。

 ともあれ、民俗学の6つのレポートは完成した。
 これから、ここまでにレポート通過した4つの科目の試験勉強に入る。
 ひとまず小休止。

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● なんなら、奈良12(奈良大学通信教育日乗) カンムリワシの暗号解読

 入学して2週間後、履修登録した科目のテキスト数冊が家に届いたとき、パラパラと中味を見て、いちばん手強そうと思ったのは『古文書学』であった。
 博物館で展示されている古文書の巻き物なんかを少しでも読めたらカッコいいじゃん、と思って履修登録したのだが、あまりに内容が高度過ぎる!
 『日本人の手習い 古文書入門』なんて、いかにも易し気にうたっているけれど、まったく入門レベルではない。

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テキスト教材

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古文書の例
(上のテキストとは関係ありません)

 ソルティのようなまったくの古文書ビギナーと、このテキストが想定している読者の間には、河岸段丘のごとき数段のギャップが存在する。
 とうてい読みこなせるものではない。
 しかも、事前に大学から送られた科目修得試験の設題集――あらかじめ出題された5つの問題の中から、試験当日いずれか1題が出題される。つまり、5題すべての回答をあらかじめ準備して記憶しておく必要がある――を見ると、ミミズがのたくったような墨書きの文章が載っていて、「これを楷書に書き改めて解説しなさい」とある。
 いやあ、無理無理、カンムリワシ(完無理ワシ)。

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LapinVertによるPixabayからの画像

 テキストを読めるレベルに達するためには、ほんとにほんとの初心者入門レベルから始める必要があると思い、図書館でその手の本を探し出し、他の教科の勉強をする合間に少しずつ読んできた。
 4,5冊くらい読んだろうか。
 とにかく、旧仮名遣いに馴れなければならないわ(たとえば「ちょうちょう」でなくて「てふてふ」)、漢字も現在は使われていない異体字が多いわ(たとえば「」でなくて「體・躰」)、候(そうろう)文や証文独特の堅い言い回しには面食らうわ、高校の漢文の授業を思い出させる返り点(レ)や「一・二点」が必要な文章が頻繁に出てくるわ、同じ日本人が書いた文章とは思えない。
 たとえ楷書で書かれていたって、読み解くのは難しい。(現代のアメリカ人やフランス人は200年前の同国人の書いた文章を難なく読める。日本人はそれができなくなってしまった。恐ろしいことだ。)
 そのうえに、くずし字である。
 厄介なのはくずし方は一様でなく、一つの漢字(たとえば「御」という字)にいくつものくずし方があるところ。
 「一体全体、どうやったらこれを“御”と読めるの?」と思うようなものも多い。

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「御」のくずし字の例
(柏書房『新編 古文書解読辞典』より)

 それでも今のところ面白く学習できているのは、昔読んだコナン・ドイル作のミステリー短編『踊る人形』を思い出すからだ。
 名探偵シャーロック・ホームズが、踊る人形の絵が並んでいる暗号文を、論理的思考によって見事に解読していく物語である。
 そう、古文書を読むのは暗号解読に等しい。


踊る人形
暗号文書
 ビギナー本を数冊読んだところで、「やっぱり、独学だけじゃ駄目だ。専門家から実地で習わないと進歩しない」
 そう思って、ネットで古文書講座を探したところ、千代田区の日比谷図書文化館(日比谷公園内にある)で「古文書塾てらこや」なるものが開催されていた。
 まずは体験講座を受けてみたら、これがなかなか面白かった。
 そのまま4月からの入門コース(全5回)を申し込んだ。
 いま、通い始めたところである。

 驚いたのは、古文書学習はとても人気があり、受講者が多い。
 一教室40名近い。
 ひょっとしたら、今やっているNHK大河ドラマ『べらぼう』が江戸時代の本屋の話で、毎回くずし字満載の古文書が画面に映し出されるからなのかもしれない。 
 配布された古文書のテキストを先生と一緒に読んでいると、なんだか少し読めるようになった気がするのだけれど、気のせいである。せいぜい「完無理ワシ」の「完」が取れたくらいか。
 ただ、古文書学習は抵抗感を解くのがまず先決で、「習うより慣れろ」が正解――ということを察しつつある昨今である。

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日比谷公園

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日比谷図書文化館


P.S. 実はTOPPANN(株)が古文書解読アプリ『古文書カメラ ふみのは』を開発している。スマホのカメラで解読したい古文書資料を撮影すると、コンピュータが自動的に解読してくれる。(1日30回まで無料) 精度70%という。なんたる福音! IT革命、ここにあり。


● なんなら、奈良11(奈良大学通信教育日乗) 入学半年後の雑感

 入学して半年がたった。
 ここまでをふりかえる。
  • 単位取得 2科目
    文化財学演習Ⅰ、文化財学購読Ⅱ(いずれもスクーリング)
  • レポート合格 3科目
    平安文学論、文化財学購読Ⅰ、美術史概論(いずれもテキスト科目)
 レポート合格した3科目は、5月から始まる修得試験に合格することで、単位取得となる。
 今年度(9月末まで)の目標として、スクーリング3科目、テキスト5科目の単位取得を掲げているので、いまのところ、まずまず順調に推移と言っていいように思う。
 テキスト科目の筆記試験通過がどのくらい難しいかが、後半の鍵を握りそうだ。
 最初に提出した平安文学論のレポートでいきなり「再提出」を喰らったものだから、この先どうなるものか危ぶんだけれど、冬のスクーリングで会った仲間たちの噂話から、平安文学論は「採点がなかなかきびしい」科目として知られているようなので、2回で合格はむしろ寿ぐべきことなのかもしれない。
 現在、4科目目の民俗学に取り組んでいるところである。

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 ふりかえると、やはり、奈良でのスクーリングの愉しさが印象に強い。
 自宅でのテキスト学習で新しい知識を得ることはもちろん面白いし、いろいろな文献を渉猟しながら幾度も推敲を重ねレポートを仕上げていく過程も、“物を書く喜び”を満たしてくれる。
 が、斯界のプロフェッショナルによるライブ講義は、生涯を調査や研究や教育に捧げた人間の情熱や人となりや深い教養にじかに触れるぶん、学ぶことの喜びが大きかった。
 これがZOOM講義ではやはり味気なかったろう。コロナ禍の学生たちにはお気の毒であった。(この先、同じような疫禍のないことを祈る)
 また、全国から集まった仲間たちと同じ時と空間を共有できたことも、モチベーションを高めるのに役立った。
 文化財歴史学に興味を持つ人の特性なのか、コロナ禍の“無言行”を引きずっているためなのか、いったいにもの静かな人たちの集まりという印象を受けたけれど、言動のはしばしに向学心の高さや人生経験、それに第二の人生を学びによって楽しもうという意気込みが感じられ、さすが平均年齢60歳の大学生たちと、親しみとともに頼もしく思った。奈良愛は言うに及ばず・・・。
 
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東大寺南大門

 もともと奈良の古い仏教文化をもっと知りたいなあ~というところから始まったチャレンジであるが、学べば学ぶほど、現地に通えば通うほど、奈良愛が高まっていき、いろんな遺跡や社寺や仏像を訪ね、その偉大さや美しさを味わい、来歴を調べ、謎の解明を自分なりに図りたくなる。
 皇族や貴族から、僧侶や官僚や庶民、渡来人、奴婢にいたるまで、いにしえの日本人の“物語”に思いを馳せたくなる。
 この半年でつくづく思ったが、ひとつのことを学ぶと、それに関連したことが気になって、調べたくなってしまう。
 いまはインターネットという便利なものがあるから、ある程度の知識や情報は即座に手に入れることができる。(ただしネット情報は玉石混交で間違いも多いことは踏まえておく必要がある)
 ネットのない時代はいちいち事典や本を探して調べなければならなかったのだから、ほんと学習者には便利な時代になったものである。
 ネット情報だけでは飽き足らないものについては、関連本を検索し、図書館で借りることになる。(読みたい本が増えて困る

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三角縁神獣鏡

 ある程度の年齢になってから人文系を学び直すことの面白さは、数十年間の社会生活で身に着けた知識や雑学、経験や世間知、多角的なモノの見方が、それなりに生かされるところにあると思う。
 十代の頃は、教科書の内容をテストに備えて覚えるだけで精一杯で、紙背にあるその時代を生きた日本人の価値観や死生観や喜怒哀楽を洞察するところまで、なかなか行かなかった。
 歴史、国語(古文・漢文)、美術、音楽、地理、倫理社会などの教科も、それぞれが脳の別々の場所に収納されるばかりで、各教科で学んだことを連関させて、より包括的な視点から時代を見るには、脳のモジュールが未熟であった。
 また、社会人となってから読んだ本、観た映画、旅の記憶、友人や年輩者から聞いた話、日々の仕事やプライベートにおける様々な経験などがタグとなって、歴史を机上だけの狭いものから、自らの人生上の出来事に照合させながら理解を深められる生きたドラマとして体験できる。

 そうやって学んだ先に何かあるのか?――と聞かれたら、「別に何もない」と答えるほかないのだけれど、知的快楽は肉体的快楽や心理的快楽より、自分にとっても他人にとっても害が少ないのではなかろうか?
 学びの旅には終わりがないし、たいして費用もかからないし、一人でもできるし、認知症予防にもなるので、老後の暇つぶしには最適だと思う。 

 いまの望みは、奈良と京都の中間に家を借りて長期滞在し、心ゆくまで両都を探索することである。
 ――って、まずは単位をとらなけりゃな。

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奈良大学キャンパス






 

● 映画:『ふんどし医者』(稲垣浩監督)

1960年東宝
115分、モノクロ

 神保町シアター開催中の『没後10年 原節子をめぐる16人の映画監督』にて学生料金1000円で鑑賞。
 森繁久彌が田舎の宿場町の心やさしき医者を演じる、いわゆる「赤ひげ」物。
 原作はユーモア小説家の中野実(1901-1973)。

 舞台は江戸時代末期の東海道嶋田宿。現在の静岡県島田市の大井川沿岸である。
 「箱根八里は馬でも越すが 越すに越されぬ 大井川」と詠われた東海道きっての難所。大雨で水かさが増せば、何日もこの地で足止めを喰らうのが旅の常だった。
 川岸にはふんどし一枚の川越人足たちが蝟集し、威勢のいい掛け声は松林の彼方にそびえる富士山にまで届くかのようである。

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歌川広重作「東海道五十三次・嶋田」

 ふんどし医者という異名は、森繁演じる小山慶斎がいつも身ぐるみ剝がされ、ふんどし一丁で賭場から帰って来るからである。
 と聞くと、博打好き酒びたり女房泣かせのやぶ医者というイメージを抱きかねないが、実は慶斎先生、長崎でシーボルトに医術を学んだ秀才で、本来なら江戸で将軍様の御殿医になれるほどの腕の持主。
 若い時分に、親友の池田明海とともに長崎で修業し、江戸に帰る道中、嶋田で足止めを喰らったのがきっかけで、貧しい庶民のために働くことを決意したのである。
 そのとき長崎から明海を追ってやって来たのが、原節子演じる小山いく。
 嶋田宿で庶民のために身を粉にして働く慶斎の姿を見た彼女は、心変わりし、慶斎の妻となった。
 彼女の唯一の趣味は博打。慶斎が身ぐるみはがされるのは、いくが負けてばかりだからなのである。
 慶斎は文句ひとつ言わず、博打に興じるいくを肴に、楽しそうに酒を飲む。

 仲のいい中年夫婦を中心に、やくざから足を洗って医師を志望する半五郎(夏木陽介)、彼を一心に慕うお咲(江利チエミ)、慶斎を江戸に呼び寄せたい明海(山村聰)らが加わって、ひと騒動持ち上がる。
 賭場の貸し元に志村僑、庶民の婆さんに菅井きんが顔を出し、華を添えている。
 笑いあり、涙ありの楽しい人情喜劇で、なによりロケが素晴らしい。
 いまやCGでしか再現できない、ひと昔前の貴重な日本の風土がある。

 喜劇役者としての森繁の良さが十分引き出されている。
 弟子にするはずだった半五郎は、長崎や上海で修業している間に最新の医術を身につけ、嶋田に戻った時には一人前の医師となっていた。江戸から求められるのは、もはや慶斎ではなくて半五郎だと知った時の慶斎の複雑な気持ちを、森繁は絶妙に演じる。
 やっぱり、名優だなあ~。

 夫を助けるために自らの貞操を賭けて勝負する原節子の真剣な眼差しにはぞくっとさせられる。
 原は洋風なイメージ強いが、山中貞雄監督『河内山宗俊』(1936)など、時代劇も結構似合ったのではないかと思う。
 山中が長生きしていれば、間違いなく原節子の別の一面が引き出されたであろうし、早すぎる引退も避けられていたかもしれない。
 どんな役をやっても原の品格だけは隠せないことが、ここでも証明されている。
 森繁とのコンビも意外にも合っている。 

 『山の音』に引き続き、山村聰が登場。
 どちらかと言えば地味な役者ではあったが、『東京物語』、『楊貴妃』、『人間の條件』、『瘋癲老人日記』、『日本のいちばん長い日』、『トラ・トラ・トラ!』など、幅広い役がこなせる真の名優であった。
 この人の特集を組んだら、その凄さは必ずや世人に伝わるだろう。

 個人的には、森繁久彌のふんどし姿よりも、川越人足のふんどし姿のほうがインパクト大であった。
 あれだけ沢山の男の裸のケツがスクリーンいっぱいに揺れ動くなど、いまや考えられない。(そう考えると、NHKの相撲中継って凄いな)
 令和天皇も学習院時代の水泳授業でふんどし体験しているはずである。
 三島由紀夫の最期もふんどし。
 武田久美子や宮沢りえのふんどしが社会現象になったこともあった。 
 日本のふんどし文化って奥深い。

 大阪万博を盛り上げるアイデアとして、日本の伝統文化をアピールするためにスタッフ全員ふんどし着用、来場者はふんどし神輿体験もできるという企画はいかがだろう? 

西大寺裸祭り
岡山西大寺の裸祭り
Mstyslav Chernov/Unframe/http://www.unframe.com/ - 投稿者自身による著作物,
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