ソルティはかた、かく語りき

東京近郊に住まうオス猫である。 半世紀以上生き延びて、もはやバケ猫化しているとの噂あり。 本を読んで、映画を観て、音楽を聴いて、芝居や落語に興じ、 旅に出て、山に登って、仏教を学んで瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

雑記

● 映画:『モスクワは涙を信じない』(ウラジーミル・メニショフ監督)

1979年ソ連
142分、カラー
ロシア語

 この映画、80年代に都内のあちこちの映画館でリバイバル上映されていた。
 米国アカデミー賞の外国語映画賞ほか、数々の国際的な賞をとっている評価の高い映画なのだが、ソルティはついぞ観なかった。
 3人の女性を主人公とするソ連映画で、タイトルからしてメロドラマチックな印象だったので、ちょっと小馬鹿にして敬遠したんじゃないかと思う。
 同じソ連映画なら、アンドレイ・タルコフスキーとかニキータ・ミハルコフといった重厚で哲学的な作品に惹かれがちだった。
 高尚ぶった映画青年だったのである。

 タイトルの『モスクワは涙を信じない』とは、「泣いても現実を変えることはできない」という意味のロシアの格言。
 逆境にめげず希望を持って生きていく3人のモスクワ女性の友情と恋愛と苦悩の20年を、重すぎず軽すぎず、愛情ある眼差しをもって描いている。
 登場人物ひとりひとりのキャラが個性的で、話の展開も軽快で小気味よく、二つの時代――50年代末と70年代末――のソ連の風俗も窺えて、面白かった。
 特に第1部は、『セックス・イン・ザ・シティ』50年代モスクワ版といったところで、理想の結婚相手を探す女性たちの奮闘ぶりが、ユーモラスで楽しい。
 セルゲイ・ニキーチンによる主題歌『アレクサンドラ』をはじめとする音楽も良かった。

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モスクワ
Evgeny GoTown.ruによるPixabayからの画像

 公開当時、この映画が世界的評判になったのは、映画自体の出来の良さももちろんあろうが、これまで「鉄のカーテン」の向こうに隠れていたソ連の庶民生活が、ようやく世界に明かされたところにあったのではなかろうか。
 第1部の舞台は1958年のモスクワ。
 独裁者スターリンが亡くなって5年後、フルシチョフの「スターリン批判」から2年後である。
 街は、自由を謳歌し豊かな暮らしを求める市民たちや、地方からモスクワにやって来て、「一旗揚げよう」「いい結婚相手を見つけよう」とする野心的な若者たちの活気であふれている。
 第2部はそれから20年後、映画公開当時のモスクワ。
 外見上は、欧米や日本とそれほど変わりない市民生活の様子が垣間見られる。
 スターリンの圧政が終わり、雪解けして、重い鉄のカーテンを開いてみたら、そこには自分たちとまったく変わりない、夢や希望や孤独や野心や悲しみや優しさを抱き、暴力を嫌い、友や家族を愛するソ連の庶民の姿があった。(男尊女卑の風潮も同じ)
 世界はそこに感動したんじゃなかったろうか?
 
 アメリカのロナルド・レーガン大統領は、1985年にソ連のミハイル・ゴルバチョフ大統領と初対談するに際して、一般のロシア人の心を理解するために、この映画を繰り返し観たという。

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主人公の女性が執務室でTVインタビューを受けるシーン
壁に掲げられている写真は、スターリンでなく、レーニンである






おすすめ度 :★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損

 
 
 

● ヴィーガンホラー 映画:『アノニマス・アニマルズ 動物の惑星』(バティスト・ルーブル監督)

2020年フランス
64分

 無声映画で字幕なし。
 ストーリーらしきものもない。
 シチュエイションもよくわからないまま、人間がひたすらに虐待されるシーンが続く。

 首に鎖をかけられて木に繋がれる。
 森の中を狩られ、捕縛され、車の荷台の檻に閉じ込められ、運ばれる。
 他の人間と闘うことを強要され、賭けの対象とされ、見世物にされる。
 集団で工場のようなところに連れていかれ、高圧電流の流れる囲いに入れられる。
 スタンガンで気絶させられ、引きずられ、体を電ノコで切り刻まれる。
 逃げ出したところを猟銃で撃たれる。

 ここでは人間たちは声を失っているらしい。
 迫りくる恐怖にただキョロキョロと怯えるばかり。

 人間たちを虐待する暴君の姿がやがて映し出される。
 鹿、犬、熊、牛、馬・・・・。
 
 ここは、人間と動物の立場が逆転した世界。
 地球上で人間が動物に対して日常的に行っている行為を、ここでは動物が人間に対して行っている。
 そんな不思議な惑星の物語。

 ホラー映画のような、スプラッタ映画のような、SF映画のような、声を上げないプロパガンダ映画。
 フランスはじめ欧州のヴィーガニズムの高まりを知らしめる。


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おすすめ度 :★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損



 
 

 



● クリスティ・ベスト20 本:『忘れられぬ死』(アガサ・クリスティ著)

1945年原著刊行
2004年早川書房(中村能三・訳)

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 原題は、Sparkling Cyanide「泡立つ青酸カリ」
 クリスティ中期の作品で、名探偵ポワロも、詮索好きな老嬢ミス・マープルも、おしどり探偵トミー&タペンスも、登場しない毒殺ミステリー。
 邦題とは裏腹に、すっかり忘れられた『忘れられぬ死』だった。――昔読んだものの、内容も犯人もトリックも覚えていなかった。
 本作をクリスティのベスト1に選ぶ評論家もいるのだが、謎である。
 中心トリックが無謀すぎるし、狙った殺人が失敗した理由もちょっと苦しすぎる。席を間違えるなんて・・・。謎解きも弱い。
 個人的には、おそらくベスト30にも入らない。
 
 とは言え、さすがクリスティ。
 巧みなストリーテリング、鮮やかな人物描写(とくに女性陣の心理描写)、軽妙な会話、レッドヘリング(怪しい人物)による引っかけの見事さ・・・・クリスティを読みまくった十代の頃同様、読み始めたら止まらなかった。
 さらに、十代の頃はとんと分からなかった男女の機微というやつも、よく分かったとは言えないまでもそこそこ理解できるようになった現在、クリスティの真価がますます明瞭に実感される。
 『春にして君を離れ』やいくつかのマープル作品に見られるように、「女」という謎を読者に提示し、登場人物たちに托して解明することも、作家クリスティのテーマだったのである。
 痴情と嫉妬と盲愛が錯綜する本作をベスト1に押す評論家の意図も、そこらにあるのかもしれない。

黄色いアイリス

 閑話休題。
 高校時代だったか、英語の教師に言われたことで非常にためになったことがある。
「小説でも詩でも戯曲でもいいが、君たちがこの先、西洋文学を読んで理解したいのなら、前もって二つの書を読んでおく必要がある。ギリシア神話と聖書だ」
 ソルティはこれにシェイクスピアを加えたいと思う。
 西洋文学には、この3つ――ギリシア神話、聖書、シェイクスピア――の中に出てくるエピソードが譬えとして用いられたり、聖書やシェイクスピア作品の一節が原典の呈示もなしに引用されたりということが、実にしばしばある。
 読む人は当然それらをわかっているものとして扱われる。
 つまり、西洋人にとっての基本教養の一種なのだ。
 
 クリスティの作品も例外ではない。
 どころか、クリスティは引用好きの作家で、どの作品でも少なくとも一回は、3つのどれかが言及されているのではないか。
(加うるにクリスティの場合、前提として『マザーグース』も読んでおくのがベターである)
 本作でソルティが見つけたのは、次の3ヵ所。

 それにはふれずに、レイスはおだやかに言った。「きみも気づいているとは思うがね、ジョージ、きみにもちゃんと、申し分のない動機があるんだよ」
「ぼくに?」ジョージはめんくらったような表情をみせた。
「オセロとデズデモーナを思い出してみるんだな」
(出典はシェイクスピア『オセロ』、「お前の動機は嫉妬だ」と暗に言っている)

 ふたりはおたがいをみつめていた――あまりにかけはなれているので、どちらも相手の考えがほんとうに理解できないのだ。アガメムノンとクリュタイムネストラも、娘のイピゲネイアの名を口にしながら、そんなふうにたがいをみつめ合っていたのだろう。
(出典は『ギリシア神話』、アガメムノンは妻クリュタイムネストラの同意を得ずに、イピゲネイアをトロイア戦争に勝つための供物とした)

「マクベスは、覚えてらっしゃるかな、明らかにしたたかな犯罪者ですよ、そのマクベスが、宴会の席でバンクォーの幽霊を見たときには、自制心を失ってしまった」
(出典はシェイクスピア『マクベス』、マクベスは王位を守るために親友バンクォーを殺害した)

 以上は、原典を読んでなければ、意味不明の引用だろう。
 知ったところで生活の糧になるような知識ではないが、西洋文学や西洋美術や洋画をより深く楽しむための役には立った。
 先生、ありがとう!

ギリシア神話

 最後に、ソルティが選ぶクリスティ・ベスト20は以下の如し。(ミステリーのみ、発表年順)
  • アクロイド殺し ・・・言わずと知れた「語りトリック」の金字塔!
  • おしどり探偵(短編集) ・・・トミー&タペンスが好き
  • 謎のクィン氏(短編集) ・・・幻想的な雰囲気が味わい深い逸品
  • 火曜クラブ(短編集) ・・・老嬢マープルが思い上がった若人たちの鼻を明かす痛快
  • エッジウェア卿の死 ・・・女優、女優、女優!
  • オリエント急行の殺人 ・・・言わずと知れた「意外な犯人」の金字塔!
  • なぜ、エヴァンズに頼まなかったのか? ・・・純粋に楽しめる青春スリラー
  • 三幕の殺人 ・・・演劇好きな英国らしい趣向あふれる
  • ABC殺人事件 ・・・ポワロの推理が冴える名作
  • ナイルに死す ・・・二度の映画化。異国情緒あふれる傑作
  • そして誰もいなくなった ・・・言わずと知れた「クローズドサークル」「見立て殺人」の金字塔! 徹夜必死の強烈サスペンス!
  • 愛国殺人 ・・・変わりゆく英国に対する保守派クリスティの複雑な思いが伝わってくる
  • 白昼の悪魔 ・・・大胆なトリックと英国海岸風景
  • NかMか ・・・タペンスが、トミーと上司の鼻を明かす冒頭が最高!
  • ゼロ時間へ ・・・メロドラマとミステリーの見事な融合。香気高い絶品
  • 予告殺人 ・・・マープル物の最高傑作!哀しい動機
  • 葬儀を終えて ・・・このトリックの実現可能性については今も時々考える
  • 蒼ざめた馬 ・・・オカルティックな趣向の良品。タイトルは『ヨハネ黙示録』から。
  • 親指のうずき ・・・タペンスが絵に描かれた家の所在を思い出すシークエンスが秀逸
  • カーテン ・・・ポワロ最後の事件。読んだ当時はなぜ「カーテン」なのか分からなかった。「幕」ね。
 しかし凄い作家だ。
 今となっては、クリスティを読んでいること自体が、文学愛好家にとって必須の教養になった。




おすすめ度 :★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
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★★    いい退屈しのぎになった
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● 千葉真一がエモすぎ! 映画:『沖縄やくざ戦争』(中島貞夫監督)

1976年東映
96分

 チャカが出てくるヤクザ映画は好きじゃないが、日本返還後の沖縄が舞台というので、当時の風俗や街の匂いが伺えたらと思い、借りてみた。

沖縄やくざ戦争DVD

 戦後沖縄のヤクザ抗争は、スターこと又吉世喜を親分とする那覇派と、ミンタミーこと新城喜史を親分とするコザ派の対立から始まったとされる。
 このあたりの模様は、真藤順丈著『宝島』に実名のままに描かれている。
 1972年の返還を前に、本土最大組織である山口組が沖縄を配下に収めようと乗り込んできた。
 これをきっかけに、那覇派とコザ派(やんばる派と改名)は大同団結した。
「ヤマトンチュウに沖縄を奪われてたまるものか!」というわけだ。
 いったん状況は落ち着いたかに見えたが、そこは抑えの効かない狂犬の集まり。
 やんばる派で起きた内部抗争が引き金となって、那覇派、山口組も入り混じえた全島を揺るがす壮絶な闘いが勃発する。

 本作は、このやんばる派の内部抗争を描いた実録風ドラマである。
 もちろん、冒頭クレジットではフィクションと銘打ってあり、登場人物に実名は使われていない。
 が、ヤンバル派⇒国頭派、新城喜史⇒国頭正剛(千葉真一)、又吉世喜⇒翁長信康(成田三樹夫)、山口組⇒旭会、と変換されていることは、ちょっと調べれば分かる。
 本作の主役である中里英雄のモデルは、新城喜史とは兄弟分でありながら、内輪もめからやんばる派を脱会することになり、その後、組織から追われることになった上原勇吉という実在した男。
 演じるは松方弘樹である。

 どこまでが事実でどこからが創作か、誰が実在した人物で誰が創作上のキャラクターか、いちいち調べる気はないけれど、全編に溢れかえる暴力と残虐と怒りと愚かさだけは、現実にあったものと変わらないだろう。
 中里の子分の一人が、国頭組に拉致監禁されたうえ、ペンチで陰茎を捩じ切られるシーンが出てくる。
 見ていて思わず腰を引いてしまった。(これは実際にあったことらしい)
 こういった映画を観ていると、ある種の男にとって、暴力とは問題を解決する手段ではなくて、目的そのものなのだとつくづく感じる。
 暴力のための暴力。
 実に阿修羅とはこういう存在を言う。

阿修羅
 
 国頭正剛を演じる千葉真一が、異次元の怪演をみせている。
 酒場で一般人相手に暴れまくったり、上半身裸になって沖縄民謡に合わせて空手の型を見せたり、猿のようにテーブルに飛び乗ったり、人間離れした無頼ぶりが精彩を放っている。
 この千葉真一の演技は一見の価値がある。
 
 ほかに、ぴちぴちジーンズ姿が若々しい渡瀬恒彦や、あいかわらず悲惨な役柄の尾藤イサオ、旭会(=山口組)幹部役の梅宮辰夫、国頭組の冷酷にしてニヒルな参謀石川役の地井武男など、東映スター大集結といった豪華さが感じられる。

 残念ながら、ある事情があって、本作は沖縄ロケを敢行できず、ほぼ全編京都撮影となったそうだ。(ウィキ「沖縄やくざ戦争」より)
 返還直後のリアルな沖縄の風景は見られなかった。

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松方弘樹と千葉真一、手前は地井武男




おすすめ度 :★★★

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● 映画:『メイズ・ランナー』(ウェス・ボール監督)

2014年アメリカ
113分

 原作はジェームズ・ダシュナーが2009年に発表したヤングアダルトSF小説。
 『メイズ・ランナー』の題名で角川文庫から邦訳が出ている。
 巨大な迷路(Maze)の真ん中に閉じ込められた若者たちの脱出劇を描くシチュエイション・スリラーである。

迷路
 
 意識と記憶を奪われて、ある日突然、迷路の中に放り込まれた若者たち。
 迷路をつくる分厚い壁は日々縦横無尽に移動し、迷路の中には獰猛醜悪なサソリを思わす怪物が棲んでいるので、容易には抜け出すことができない。
 外的環境の厳しさのみならず、主導権を巡っての仲間割れなど内的事情もなまなかなものではない。

 観ていて想起したのは、貴志祐介のサバイバル・ホラー『クリムゾンの迷宮』。
 あの作品と同様、迷路の中の若者たちを外部からモニターで監視する大人たちがいる。
 その目的はいったい何なのか?

 借りたときは気づかなかったが、映画は原作同様3部作仕立てであった。
 よって、謎が解明されず、若者たちの置かれている状況も理解できず、無事迷路を脱した者たちの苦難も去らないまま、続編に続く。
 しかし、ソルティはもう続きを追うことはないだろう。
 あくまでヤングアダルト向け。
 内容も映像もゲーム感覚である。
 いち早く抜けることにした。
 
 


おすすめ度 :★★

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★     読み損、観て損、聴き損







 

● 豊島区管弦楽団ニューイヤーコンサート2023


日時: 2023年1月8日(日)
会場: 豊島区立芸術文化劇場(東京建物ブリリアホール)
曲目:
  • ベートーヴェン: 交響曲第7番
  • 武満徹: 系図 -若い人たちのための音楽詩-
  • ストラヴィンスキー: バレエ組曲「火の鳥」(1919年版)
指揮: 和田 一樹
アコーディオン: 大田智美
語り: 都立千早高等学校演劇部員

 昨年は和田一樹の素晴らしいマーラー1番で幕を閉じたが、年明けも和田一樹となった。
 2019年11月開館のブリリアホール(豊島区立芸術文化劇場)に行くのは初めて。
 池袋駅東口(西武があるほうが東口である)から徒歩5分、お隣が豊島区役所。
 この辺を訪れるのは10年ぶり。 
 かつてホームレスや終電逃した酔っ払いのたまり場であった中池袋公園が、明るくモダンな都市空間に変貌しているのにビックリした。
 ソルティも20代の会社員時代、ここのベンチで朝焼けとカラスに蹂躙されたこと度々。

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池袋駅東口

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ブリリアホール

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ホール前の中池袋公園

 TVドラマ『のだめカンタービレ』で一躍人気ナンバーとなったベートーヴェン交響曲第7番、通称ベト7は、年明けを飾るにふさわしい華やかで躍動的な曲。
 10年近く常任指揮者をつとめているだけあって豊島管弦楽団と和田の呼吸はぴったり。
 危うげなところが微塵もない。
 上記ドラマにおいて指揮指導をした和田にとって、ベト7は自家薬籠中といった余裕すら感じる。
 各演奏者のレベルも相当なもの。
 海外ツアーしてもいいんじゃなかろうか。

 珍しいのが2曲目の武満徹『系図』。
 配布プログラムによると、

武満晩年にあたる1992年に作曲された。40年来の親友である詩人、谷川俊太郎の詩集『はだか』から、“自分と家族”に関わる詩を選び、一連のストーリーとなるよう並べ、音楽で彩った。語り手は12歳から15歳の少女が望ましい、と武満は言っていたそうで、若手女優を起用する例が多い。 

 今回語り手の少女は、豊島区にある都立高校の演劇部の女子学生6人がつとめた。
 自らの祖父母、両親のことを順に語り、最後は自分の将来を夢見るという構成。
 しかし、描き出されるのは『サザエさん』や『ちびまる子ちゃん』風の幸福な家族ではなく、むしろ心がバラバラの現代的な一家の姿。
 認知症っぽい祖父、寝たきりの祖母、燃え尽き症候群の父、キッチンドリンカーの母。 
 そこに、映画BGMでも発揮される武満の奇っ怪な音楽が、アコーディオンの庶民的な響きと共にかぶさる。
 正直、どうとらえていいか分からない作品である。
 これで「系図」と言われてもなあ・・・・。
 (よもや虐待の系図ではないよね?)

 女子高生たちの好演には拍手を惜しまないが、本作も含め、今回の曲目選定には疑問が残った。
 普通ならベト7をラストに持って来て、明るく盛り上がって終わりだろう。
 新春でもあり、豊島区90周年のお祝いも兼ねている催しなのだから。
 しかしそうすると、『火の鳥』か『系図』を一番に持って来なければならない。
 それはあまりに無謀だろう。
 ってわけで、ベト7からスタートしたんじゃないかと推測する。

 『火の鳥』をプログラムに入れたのは、もちろん手塚治虫『火の鳥』とのからみである。
 豊島区には手塚治虫、赤塚不二夫、藤子不二雄、石ノ森章太郎らが青春時代を過ごしたトキワ荘があって「マンガの聖地」になっているのだ。
 今春3月には世界最大規模のアニメショップ「アニメイト池袋本店」が、それこそブリリアホールとは豊島区役所をはさんだ反対隣りにオープンする。
 今回の曲目を誰が選んだか知らないが(区長?)、ここぞとばかり「豊島区=アニメ」を強調したかったのだろう。

 ともあれ、一曲一曲の出来は良かったのだけれど、感動が相殺し合うようなバランスの悪いプログラムで、すっきりしない終演。
 こういうこともあるんだなあ~と一つ学んだ。
 5月5日には、和田一樹&豊島区管弦楽団で R.シュトラウスの交響詩「ドン・ファン」とマーラー交響曲第9番に挑戦するらしい。
 これぞ実力見せどころの名プログラム。
 掛け値なしの必聴コンサートである。




● 漫画:『地獄星 レミナ』(伊藤潤二作画)

2005年小学館
併録『億万ぼっち』

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 伊藤潤二には一時ハマった。
 出世作『富江』はじめ短編集をずいぶん読み、江戸川乱歩に通じるような不気味で変態チックなアイデアと、草間彌生に通じるようなゲテモノ趣味で精密な画風に惹かれた。
 どんないかがわしい風体の人だろうと思っていたが、実物の写真を見ると普通の常識的なサラリーマンみたいな感じで拍子抜けした。(いや、昨今、普通の常識的なサラリーマンこそがよっぽど変態チックなのかもしれないが)

 日常生活に潜む恐怖を切り取ったアイデア勝負の短編が得意な人と思っていたので、本作のようなある程度の長さのストーリー仕立ての、しかもSF作品があるとは知らなかった。
 古本屋で見つけた。

 別宇宙からやって来た謎の新惑星レミナが地球に迫ってくる。
 冥王星が、海王星が、土星が、火星が、月が、カメレオンのような舌でペロリと飲み込まれていく。
 地球消滅寸前のパニックの中、狂気に落ちた群衆は、惑星と同じ名前を持つ美少女レミナを生贄にしようと狩りを始める。

 あいかわらず、不気味で変態チックでゲテモノ趣味で精密であった。
 惑星レミナの描写はまさに地獄そのもの。
 こういったものに惹かれる感性というのは、たとえば爪楊枝で歯カスをとるのに熱中したり、わざわざカサブタをはがして出血させたり、歩道の通気口の四角い穴に煙草の吸殻を押し込んだり、博物館のミイラに行列したりするのと通じるようなものを感じる。
 多くの子供がウンチが好きなように、人の原初的な部分に存在する志向なのかもしれない。
 でなければ、伊藤潤二の人気を説明できまい。

 読んでいて、子供の頃にテレビで観た『妖星ゴラス』(1962東宝)を思い出した。
 ゴラスと名付けられた天体が地球に衝突するのを回避するため、世界一丸となって人智を尽くし、地球の軌道を変えるという話であった。
 兄と一緒に、ドキドキしながら固唾をのんで観たのを覚えている。

 併録作『億万ぼっち』は、奇抜なアイデアで驚かす伊藤潤二ならではの奇編。




おすすめ度 :★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
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● 新型コロナ感染記

 昨年末に新型コロナ陽性になった。
 幸いなことに軽症ですんだ。
 オミクロン対応ワクチンこそ打っていなかったが、これまでに4回ワクチン接種していたのが重症化を防いだ一因ではないかと思う。
 幸いなことに同居の両親は感染しなかった。
 経過を記録しておく。
 発熱した日を発症日(0日)とする。

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携帯に送られてきたPCR検査結果通知
やはり目にした瞬間はショックだった
  • -2日 勤務日。深夜までブログ書き。
  • -1日 休日。倦怠感強し。午後はずっと横になっていた。
  •  0日 朝方より倦怠感強し。風邪かと思い熱を測る。6.4度。出勤するも14時で早退。帰宅し横になる。食欲なし。夜間より寒気と咳込みあり。7.5度に上がる。小青竜湯服用。
  • +1日 起床時より強い倦怠感とのどの痛み、体熱感あり。8.5度まで上昇。血中酸素(SPO2)は95%。小青竜湯および葛根湯服用。コロナを疑い勤務先に連絡入れる。自室隔離開始。午前中は起き上がれず。午後2時に7.5度に下がる。痰と咳込み続く。近隣の病院にPCR検査の予約入れる。夜、おかゆを食べる。寝る前の体温は7.3度
  • +2日 朝の体温は6.5度。倦怠感もかなり抜けている。咳たまにあり。のどの痛みはとれたが違和感あり。鼻のあたりにムズムズ感あり。匂いは感じられる。午前中にPCR検査を受ける。日中はブログを書いて過ごす。午後3時、陽性判明。勤務先に報告し一週間の出勤停止指示を受ける。家族に外出自粛を依頼する。食欲復活。
  • +3日 体温は5.7度(平熱)まで下がる。のどのイガイガ感あり。声がかすれている。咳たまにあり。そのほか、ほぼ平常通り。
  • +4~6日 特変なし。食べ物の味が塩辛く感じられる。匂いは通常通り。のどに痰が絡まっているような感覚続く。高音が出ない。一日一回は人通りの少ない道を散歩する。
  • +7日 午後3時、買ってきた抗原検査キットで「陰性」結果確認。9日ぶりに入浴。抜け毛が気になる。
  • +8日 床屋に行く。
  • +9日 のどの調子と味覚戻る。図書館に行く。
  • +10日 出勤再開。
金長さん

 いつどこで感染したのかわからない。
 発症前の数日、家族以外との濃厚接触はなかった。
 しいて言えば、家の近くのサイゼリアに1人で行ったとき、通路を挟んだ隣のテーブルの4人家族が食事中ずっと喋っていたのが可能性として思い当たる。疲れと寝不足で抵抗力が落ちていた。 
 一番重かった症状は倦怠感。
 7度以上の発熱、のどの痛みは丸一日程度。
 激しい咳込みや関節痛はなし。
 抜け毛はあったかもしれないが、年齢のせいか区別つかず。
 インフルエンザよりまったく軽かった。
 家族の体調不良もなし。

 5人いる職場では自分がコロナ感染第1号となったが、出勤再開後まもなく他の職員1名が感染、また別の職員が濃厚接触者となって出勤停止。
 結局、職員全員揃わないまま、仕事納めとなった。
 現在、日本では3000万人近い感染者が報告されているから、4人に1人は感染している勘定になる。
 もうちっとも珍しいことではなくなった。
 こんなふうにコロナ感染を平気でカミングアウトできる現状をみるにつけ、3年前のコロナパニック時に感染が発覚した人が各地で厳しい差別を受けたことを理不尽に思う。
 なんだったんだ、あれは・・・・・?

 感染から半月以上経った。
 後遺症なのかどうか分からないが、若干の喉のかすれは残っている。
 また、集中力が減退しているようで、瞑想中に雑念に振り回されている。
 ブレインフォグ(直訳すると「脳の霧」)というやつだろうか?
 脳の配線が感染前と違っているような別人感がある。
 仕事上のミスの言い訳に使おうと思っている。 

P.S. 感染時の症状は、ワクチン接種後の副反応同様、個人差が大きい。上記はあくまでソルティのケースに過ぎないので、軽視は禁物。くれぐれもご用心を!
 
脳みそ




 

● 還ってきたX君

 やや旧聞に属するが、今秋に良い知らせがあった。
 行方不明になっていた旧友X君が無事生きていたのである。

 コロナ感染の波が収まっていた5月の連休に、友人らと一緒に、東北にX君を探しに行った顛末は『みちのく・仏めぐり』で書いた。
 その時は結局、行方が分からず空振りに終わった。

 9月のある日、一緒に探索に行ったP君からメールがあって、「X君がフェイスブックを再開したみたい」という連絡をもらった。
「そうか、生きていたのか」と一安心した。

 先日、仕事中にP君から電話があり、「いまX君と一緒にいる」と言う。
 年末年始の休みを利用して仙台に会いに行ったのだ。
 電話を代わってもらった。

 つまるところ、X君は地方の某刑務所に服役していたのであった。
 連絡がつかないわけである。 
 最後に会ったときは、デブ専ゲイにモテそうな体系になっていたX君。
 「体重落ちた?」と聞くと、
 「10㎏減った。9月に娑婆に出てから3ヶ月で20㎏増えた」と言う。
 やはり、娑婆の食事は美味しいのだろう。
 ますますデブ専モテ系になったんじゃなかろうか。
 
 お互い生活習慣病に気をつけて、良い年にしよう!

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尾瀬ヶ原(2022年7月) 





 

 

● 274分の意味 映画:『ボストン市庁舎』(フレデリック・ワイズマン監督)

2020年アメリカ
274分

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 原題は City Hall
 邦題の通り、ボストン市庁舎で働く市長はじめ市職員たちの日頃の仕事ぶりを撮ったドキュメンタリー。

 『パリ・オペラ座のすべて』『ナショナルギャラリー 英国の至宝』『ニューヨーク公共図書館』など公共施設を撮ってきたワイズマン監督が、次なるターゲットに選んだのが市役所。
 インタビューにおいて監督は、「6つの市役所に撮影許可を求めたところ、ボストンだけが受けてくれたのでここになった」と語っている。
 結果的にそれが金的を射止め、さまざまなルーツをもつ多民族から構成されるボストン市において、市民自治を実現すべく精力的に動き回るマーチン・ウォルシュ市長はじめ市の職員たち、そして市政に積極的に関わり自らの意見を堂々と述べる市民たちの姿を通して、多様性社会アメリカの現時点における民主主義の到達点が描き出されていく。
 一言で言えばそれは、ワイズマン監督自らが述べているように、「トランプが体現するものの対極にある」政治であり、とりもなおさず、安倍政権の流れを汲む現在の日本の自民・公明連立政権が体現するものの対極にあるということである。
 トランプの熱狂的支持者による連邦議事堂襲撃など民主主義の危機が叫ばれるアメリカであるけれど、やっぱり、「人民の人民による人民のための政治」という建国理念は生きている、アメリカの強さの秘密はここにあるのだなと感じさせる。

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Gordon JohnsonによるPixabayからの画像

 日々ボストン市庁舎のさまざまなセクションで行われている市民のための業務が、ボストン市の街並みや由緒ある建築物のショットを挟みながら、次々と映し出されていく。
 総合相談窓口、治安維持のための警察との会議、同性同士の結婚式、住民の強制的立ち退きを防止する策の検討、地域企業を集めての温暖化対策、若者のホームレス支援、ゴミ回収、公共施設の改善を求める障害者の集まり、麻薬対策、道路の舗装工事、中華料理のワークショップ、保護犬のワクチン接種、民家のネズミ駆除、大麻ショップ出店に対する地域の話し合い、賃金格差是正を求めるラテン女性の集まり・・・e.t.c. 
 すべての現場に市職員が出向き、多様な市民の意見を聴き、集会を重ね、施策にまとめていく。
 そこには高度のヒアリング能力とコーディネート能力、それに人権尊重を基盤とした民主主義に対する確固たる信念が必要とされる。
 むろんそれは、ボストン市民ひとりひとりにも求められるものである。

 本作を観ながら、ソルティは笠井潔が『新・戦争論 「世界内戦」の時代』で書いていた一節を思い出した。

国家の統治形態でない本物の民主主義は、さまざまな国や地域から吹き寄せられてきた、難民のような人々が否応なく共同で生活する場所、先住民と移民とが雑居していたニューイングランドや、カリブ海の海賊共同体のような場所で生まれます。

 『ボストン市庁舎』で描き出されていること、人口約71万のマサチューセッツ州ボストン市で日々起きていることは、まさに上記のことである。
 さまざまな人種・民族・宗教・文化・言語をもつ人々、障害者、LGBTQ、高齢者、ホームレス、戦時トラウマに苦しむ帰還兵などのマイノリティ。
 多様な背景をもつ人々が、それぞれの権利を主張しつつ、互いの違いと基本的人権を認め合いながら、平和的手段で合意形成を図っていく気の遠くなるような対話が日々繰り返される現場――それが民主主義を選択した市民が担わざるを得ない義務と使命なのだと、映画は語っている。
 この骨の折れる、誰もが自らの価値観を点検し修正せざるをえない衝突と葛藤と気づきと妥協を通して、市民は他者との共生のための流儀を学び、成熟していく。
 一枚岩でない多様性は地域を強くする。文化的にも経済的にも。
 真の民主主義を日本に根付かせるために、「移民を無制限に受け入れよ」という笠井潔の発言が実に理に適っていることが、本作を観ると実感される。

 274分という上映時間はたしかに長い。
 劇場でいっぺんに観るには、かなりの体力と気力を必要とする。
 しかし、「どこか削って、せめて3時間にまとめてくれれば・・・」と思っても、削ってもいいと思われる部分が指摘できない。
 一つ一つのエピソードが、一つ一つの対話や市長コメントが等価に重要。
 それが民主主義というものなのだ。
 
 「同性愛は非生産的」とか、「女性はいくらでも嘘がつける」とか、チマチョゴリやアイヌ民族衣装を「品格がない」と貶める発言をする人間を国会議員にしておく、あまつさえ内閣の要職につけている日本は、いったい何周遅れだろう?




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★     読み損、観て損、聴き損

 

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