ソルティはかた、かく語りき

東京近郊に住まうオス猫である。 半世紀以上生き延びて、もはやバケ猫化しているとの噂あり。 本を読んで、映画を観て、音楽を聴いて、芝居や落語に興じ、 旅に出て、山に登って、仏教を学んで瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

雑記

● 豊島区管弦楽団ニューイヤーコンサート2023


日時: 2023年1月8日(日)
会場: 豊島区立芸術文化劇場(東京建物ブリリアホール)
曲目:
  • ベートーヴェン: 交響曲第7番
  • 武満徹: 系図 -若い人たちのための音楽詩-
  • ストラヴィンスキー: バレエ組曲「火の鳥」(1919年版)
指揮: 和田 一樹
アコーディオン: 大田智美
語り: 都立千早高等学校演劇部員

 昨年は和田一樹の素晴らしいマーラー1番で幕を閉じたが、年明けも和田一樹となった。
 2019年11月開館のブリリアホール(豊島区立芸術文化劇場)に行くのは初めて。
 池袋駅東口(西武があるほうが東口である)から徒歩5分、お隣が豊島区役所。
 この辺を訪れるのは10年ぶり。 
 かつてホームレスや終電逃した酔っ払いのたまり場であった中池袋公園が、明るくモダンな都市空間に変貌しているのにビックリした。
 ソルティも20代の会社員時代、ここのベンチで朝焼けとカラスに蹂躙されたこと度々。

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池袋駅東口

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ブリリアホール

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ホール前の中池袋公園

 TVドラマ『のだめカンタービレ』で一躍人気ナンバーとなったベートーヴェン交響曲第7番、通称ベト7は、年明けを飾るにふさわしい華やかで躍動的な曲。
 10年近く常任指揮者をつとめているだけあって豊島管弦楽団と和田の呼吸はぴったり。
 危うげなところが微塵もない。
 上記ドラマにおいて指揮指導をした和田にとって、ベト7は自家薬籠中といった余裕すら感じる。
 各演奏者のレベルも相当なもの。
 海外ツアーしてもいいんじゃなかろうか。

 珍しいのが2曲目の武満徹『系図』。
 配布プログラムによると、

武満晩年にあたる1992年に作曲された。40年来の親友である詩人、谷川俊太郎の詩集『はだか』から、“自分と家族”に関わる詩を選び、一連のストーリーとなるよう並べ、音楽で彩った。語り手は12歳から15歳の少女が望ましい、と武満は言っていたそうで、若手女優を起用する例が多い。 

 今回語り手の少女は、豊島区にある都立高校の演劇部の女子学生6人がつとめた。
 自らの祖父母、両親のことを順に語り、最後は自分の将来を夢見るという構成。
 しかし、描き出されるのは『サザエさん』や『ちびまる子ちゃん』風の幸福な家族ではなく、むしろ心がバラバラの現代的な一家の姿。
 認知症っぽい祖父、寝たきりの祖母、燃え尽き症候群の父、キッチンドリンカーの母。 
 そこに、映画BGMでも発揮される武満の奇っ怪な音楽が、アコーディオンの庶民的な響きと共にかぶさる。
 正直、どうとらえていいか分からない作品である。
 これで「系図」と言われてもなあ・・・・。
 (よもや虐待の系図ではないよね?)

 女子高生たちの好演には拍手を惜しまないが、本作も含め、今回の曲目選定には疑問が残った。
 普通ならベト7をラストに持って来て、明るく盛り上がって終わりだろう。
 新春でもあり、豊島区90周年のお祝いも兼ねている催しなのだから。
 しかしそうすると、『火の鳥』か『系図』を一番に持って来なければならない。
 それはあまりに無謀だろう。
 ってわけで、ベト7からスタートしたんじゃないかと推測する。

 『火の鳥』をプログラムに入れたのは、もちろん手塚治虫『火の鳥』とのからみである。
 豊島区には手塚治虫、赤塚不二夫、藤子不二雄、石ノ森章太郎らが青春時代を過ごしたトキワ荘があって「マンガの聖地」になっているのだ。
 今春3月には世界最大規模のアニメショップ「アニメイト池袋本店」が、それこそブリリアホールとは豊島区役所をはさんだ反対隣りにオープンする。
 今回の曲目を誰が選んだか知らないが(区長?)、ここぞとばかり「豊島区=アニメ」を強調したかったのだろう。

 ともあれ、一曲一曲の出来は良かったのだけれど、感動が相殺し合うようなバランスの悪いプログラムで、すっきりしない終演。
 こういうこともあるんだなあ~と一つ学んだ。
 5月5日には、和田一樹&豊島区管弦楽団で R.シュトラウスの交響詩「ドン・ファン」とマーラー交響曲第9番に挑戦するらしい。
 これぞ実力見せどころの名プログラム。
 掛け値なしの必聴コンサートである。




● 漫画:『地獄星 レミナ』(伊藤潤二作画)

2005年小学館
併録『億万ぼっち』

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 伊藤潤二には一時ハマった。
 出世作『富江』はじめ短編集をずいぶん読み、江戸川乱歩に通じるような不気味で変態チックなアイデアと、草間彌生に通じるようなゲテモノ趣味で精密な画風に惹かれた。
 どんないかがわしい風体の人だろうと思っていたが、実物の写真を見ると普通の常識的なサラリーマンみたいな感じで拍子抜けした。(いや、昨今、普通の常識的なサラリーマンこそがよっぽど変態チックなのかもしれないが)

 日常生活に潜む恐怖を切り取ったアイデア勝負の短編が得意な人と思っていたので、本作のようなある程度の長さのストーリー仕立ての、しかもSF作品があるとは知らなかった。
 古本屋で見つけた。

 別宇宙からやって来た謎の新惑星レミナが地球に迫ってくる。
 冥王星が、海王星が、土星が、火星が、月が、カメレオンのような舌でペロリと飲み込まれていく。
 地球消滅寸前のパニックの中、狂気に落ちた群衆は、惑星と同じ名前を持つ美少女レミナを生贄にしようと狩りを始める。

 あいかわらず、不気味で変態チックでゲテモノ趣味で精密であった。
 惑星レミナの描写はまさに地獄そのもの。
 こういったものに惹かれる感性というのは、たとえば爪楊枝で歯カスをとるのに熱中したり、わざわざカサブタをはがして出血させたり、歩道の通気口の四角い穴に煙草の吸殻を押し込んだり、博物館のミイラに行列したりするのと通じるようなものを感じる。
 多くの子供がウンチが好きなように、人の原初的な部分に存在する志向なのかもしれない。
 でなければ、伊藤潤二の人気を説明できまい。

 読んでいて、子供の頃にテレビで観た『妖星ゴラス』(1962東宝)を思い出した。
 ゴラスと名付けられた天体が地球に衝突するのを回避するため、世界一丸となって人智を尽くし、地球の軌道を変えるという話であった。
 兄と一緒に、ドキドキしながら固唾をのんで観たのを覚えている。

 併録作『億万ぼっち』は、奇抜なアイデアで驚かす伊藤潤二ならではの奇編。




おすすめ度 :★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損





● 新型コロナ感染記

 昨年末に新型コロナ陽性になった。
 幸いなことに軽症ですんだ。
 オミクロン対応ワクチンこそ打っていなかったが、これまでに4回ワクチン接種していたのが重症化を防いだ一因ではないかと思う。
 幸いなことに同居の両親は感染しなかった。
 経過を記録しておく。
 発熱した日を発症日(0日)とする。

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携帯に送られてきたPCR検査結果通知
やはり目にした瞬間はショックだった
  • -2日 勤務日。深夜までブログ書き。
  • -1日 休日。倦怠感強し。午後はずっと横になっていた。
  •  0日 朝方より倦怠感強し。風邪かと思い熱を測る。6.4度。出勤するも14時で早退。帰宅し横になる。食欲なし。夜間より寒気と咳込みあり。7.5度に上がる。小青竜湯服用。
  • +1日 起床時より強い倦怠感とのどの痛み、体熱感あり。8.5度まで上昇。血中酸素(SPO2)は95%。小青竜湯および葛根湯服用。コロナを疑い勤務先に連絡入れる。自室隔離開始。午前中は起き上がれず。午後2時に7.5度に下がる。痰と咳込み続く。近隣の病院にPCR検査の予約入れる。夜、おかゆを食べる。寝る前の体温は7.3度
  • +2日 朝の体温は6.5度。倦怠感もかなり抜けている。咳たまにあり。のどの痛みはとれたが違和感あり。鼻のあたりにムズムズ感あり。匂いは感じられる。午前中にPCR検査を受ける。日中はブログを書いて過ごす。午後3時、陽性判明。勤務先に報告し一週間の出勤停止指示を受ける。家族に外出自粛を依頼する。食欲復活。
  • +3日 体温は5.7度(平熱)まで下がる。のどのイガイガ感あり。声がかすれている。咳たまにあり。そのほか、ほぼ平常通り。
  • +4~6日 特変なし。食べ物の味が塩辛く感じられる。匂いは通常通り。のどに痰が絡まっているような感覚続く。高音が出ない。一日一回は人通りの少ない道を散歩する。
  • +7日 午後3時、買ってきた抗原検査キットで「陰性」結果確認。9日ぶりに入浴。抜け毛が気になる。
  • +8日 床屋に行く。
  • +9日 のどの調子と味覚戻る。図書館に行く。
  • +10日 出勤再開。
金長さん

 いつどこで感染したのかわからない。
 発症前の数日、家族以外との濃厚接触はなかった。
 しいて言えば、家の近くのサイゼリアに1人で行ったとき、通路を挟んだ隣のテーブルの4人家族が食事中ずっと喋っていたのが可能性として思い当たる。疲れと寝不足で抵抗力が落ちていた。 
 一番重かった症状は倦怠感。
 7度以上の発熱、のどの痛みは丸一日程度。
 激しい咳込みや関節痛はなし。
 抜け毛はあったかもしれないが、年齢のせいか区別つかず。
 インフルエンザよりまったく軽かった。
 家族の体調不良もなし。

 5人いる職場では自分がコロナ感染第1号となったが、出勤再開後まもなく他の職員1名が感染、また別の職員が濃厚接触者となって出勤停止。
 結局、職員全員揃わないまま、仕事納めとなった。
 現在、日本では3000万人近い感染者が報告されているから、4人に1人は感染している勘定になる。
 もうちっとも珍しいことではなくなった。
 こんなふうにコロナ感染を平気でカミングアウトできる現状をみるにつけ、3年前のコロナパニック時に感染が発覚した人が各地で厳しい差別を受けたことを理不尽に思う。
 なんだったんだ、あれは・・・・・?

 感染から半月以上経った。
 後遺症なのかどうか分からないが、若干の喉のかすれは残っている。
 また、集中力が減退しているようで、瞑想中に雑念に振り回されている。
 ブレインフォグ(直訳すると「脳の霧」)というやつだろうか?
 脳の配線が感染前と違っているような別人感がある。
 仕事上のミスの言い訳に使おうと思っている。 

P.S. 感染時の症状は、ワクチン接種後の副反応同様、個人差が大きい。上記はあくまでソルティのケースに過ぎないので、軽視は禁物。くれぐれもご用心を!
 
脳みそ




 

● 還ってきたX君

 やや旧聞に属するが、今秋に良い知らせがあった。
 行方不明になっていた旧友X君が無事生きていたのである。

 コロナ感染の波が収まっていた5月の連休に、友人らと一緒に、東北にX君を探しに行った顛末は『みちのく・仏めぐり』で書いた。
 その時は結局、行方が分からず空振りに終わった。

 9月のある日、一緒に探索に行ったP君からメールがあって、「X君がフェイスブックを再開したみたい」という連絡をもらった。
「そうか、生きていたのか」と一安心した。

 先日、仕事中にP君から電話があり、「いまX君と一緒にいる」と言う。
 年末年始の休みを利用して仙台に会いに行ったのだ。
 電話を代わってもらった。

 つまるところ、X君は地方の某刑務所に服役していたのであった。
 連絡がつかないわけである。 
 最後に会ったときは、デブ専ゲイにモテそうな体系になっていたX君。
 「体重落ちた?」と聞くと、
 「10㎏減った。9月に娑婆に出てから3ヶ月で20㎏増えた」と言う。
 やはり、娑婆の食事は美味しいのだろう。
 ますますデブ専モテ系になったんじゃなかろうか。
 
 お互い生活習慣病に気をつけて、良い年にしよう!

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尾瀬ヶ原(2022年7月) 





 

 

● 274分の意味 映画:『ボストン市庁舎』(フレデリック・ワイズマン監督)

2020年アメリカ
274分

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 原題は City Hall
 邦題の通り、ボストン市庁舎で働く市長はじめ市職員たちの日頃の仕事ぶりを撮ったドキュメンタリー。

 『パリ・オペラ座のすべて』『ナショナルギャラリー 英国の至宝』『ニューヨーク公共図書館』など公共施設を撮ってきたワイズマン監督が、次なるターゲットに選んだのが市役所。
 インタビューにおいて監督は、「6つの市役所に撮影許可を求めたところ、ボストンだけが受けてくれたのでここになった」と語っている。
 結果的にそれが金的を射止め、さまざまなルーツをもつ多民族から構成されるボストン市において、市民自治を実現すべく精力的に動き回るマーチン・ウォルシュ市長はじめ市の職員たち、そして市政に積極的に関わり自らの意見を堂々と述べる市民たちの姿を通して、多様性社会アメリカの現時点における民主主義の到達点が描き出されていく。
 一言で言えばそれは、ワイズマン監督自らが述べているように、「トランプが体現するものの対極にある」政治であり、とりもなおさず、安倍政権の流れを汲む現在の日本の自民・公明連立政権が体現するものの対極にあるということである。
 トランプの熱狂的支持者による連邦議事堂襲撃など民主主義の危機が叫ばれるアメリカであるけれど、やっぱり、「人民の人民による人民のための政治」という建国理念は生きている、アメリカの強さの秘密はここにあるのだなと感じさせる。

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Gordon JohnsonによるPixabayからの画像

 日々ボストン市庁舎のさまざまなセクションで行われている市民のための業務が、ボストン市の街並みや由緒ある建築物のショットを挟みながら、次々と映し出されていく。
 総合相談窓口、治安維持のための警察との会議、同性同士の結婚式、住民の強制的立ち退きを防止する策の検討、地域企業を集めての温暖化対策、若者のホームレス支援、ゴミ回収、公共施設の改善を求める障害者の集まり、麻薬対策、道路の舗装工事、中華料理のワークショップ、保護犬のワクチン接種、民家のネズミ駆除、大麻ショップ出店に対する地域の話し合い、賃金格差是正を求めるラテン女性の集まり・・・e.t.c. 
 すべての現場に市職員が出向き、多様な市民の意見を聴き、集会を重ね、施策にまとめていく。
 そこには高度のヒアリング能力とコーディネート能力、それに人権尊重を基盤とした民主主義に対する確固たる信念が必要とされる。
 むろんそれは、ボストン市民ひとりひとりにも求められるものである。

 本作を観ながら、ソルティは笠井潔が『新・戦争論 「世界内戦」の時代』で書いていた一節を思い出した。

国家の統治形態でない本物の民主主義は、さまざまな国や地域から吹き寄せられてきた、難民のような人々が否応なく共同で生活する場所、先住民と移民とが雑居していたニューイングランドや、カリブ海の海賊共同体のような場所で生まれます。

 『ボストン市庁舎』で描き出されていること、人口約71万のマサチューセッツ州ボストン市で日々起きていることは、まさに上記のことである。
 さまざまな人種・民族・宗教・文化・言語をもつ人々、障害者、LGBTQ、高齢者、ホームレス、戦時トラウマに苦しむ帰還兵などのマイノリティ。
 多様な背景をもつ人々が、それぞれの権利を主張しつつ、互いの違いと基本的人権を認め合いながら、平和的手段で合意形成を図っていく気の遠くなるような対話が日々繰り返される現場――それが民主主義を選択した市民が担わざるを得ない義務と使命なのだと、映画は語っている。
 この骨の折れる、誰もが自らの価値観を点検し修正せざるをえない衝突と葛藤と気づきと妥協を通して、市民は他者との共生のための流儀を学び、成熟していく。
 一枚岩でない多様性は地域を強くする。文化的にも経済的にも。
 真の民主主義を日本に根付かせるために、「移民を無制限に受け入れよ」という笠井潔の発言が実に理に適っていることが、本作を観ると実感される。

 274分という上映時間はたしかに長い。
 劇場でいっぺんに観るには、かなりの体力と気力を必要とする。
 しかし、「どこか削って、せめて3時間にまとめてくれれば・・・」と思っても、削ってもいいと思われる部分が指摘できない。
 一つ一つのエピソードが、一つ一つの対話や市長コメントが等価に重要。
 それが民主主義というものなのだ。
 
 「同性愛は非生産的」とか、「女性はいくらでも嘘がつける」とか、チマチョゴリやアイヌ民族衣装を「品格がない」と貶める発言をする人間を国会議員にしておく、あまつさえ内閣の要職につけている日本は、いったい何周遅れだろう?




おすすめ度 :★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
★     読み損、観て損、聴き損

 

● 忘れられぬ殺人 本:『バースへの帰還』(ピーター・ラヴセイ著)

1995年原著刊行
1996年早川書房より邦訳(山本やよい訳)
2000年文庫化

バースへの帰還


 ピーター・ラヴゼイ(1936- )は英国のミステリー作家。
 1982年発表の傑作『偽のデュー警部』で一躍、世界中のミステリーファンにその名を知らしめた。
 本作はラヴゼイが創造した名探偵ピーター・ダイヤモンドが活躍する、シリーズ3作目である。
 沖縄への旅のお供にせんと、ブックオフで購入した。
 昔読んだような気もするが、カバー裏のあらすじを読んでもピンと来ないし、読み始めてみても先の展開が見えない。
 読んだとしても、いい具合に忘れている。

 ITやら最先端の科学捜査法やらは出てこない牧歌的な時代(ウインドウズ95以前)で、コンピュータ音痴・科学音痴のソルティにしてみれば、気楽に読めるのが最大の長所。
 空港での待ち時間や狭苦しい機内、宿で寝入る前のひとときにちょうど良かった。
 
 終盤に来て、「あっ、これは読んだ」と真犯人の正体がその動機とともに記憶から浮かび上がった。
 その通りだった。 
 どうせなら完全に忘れてしまって、意外な犯人にビックリしたかった。
 まったく、いいところで思い出すんだから!
 記憶力だけはどうにも制御できない。
 
 気になったのは、内容よりむしろ解説。
 本邦のミステリー作家の二階堂黎人が、本作を「現代本格ミステリーの最高峰に位置する傑作」と評している。(帯にも書かれている)
 本作は駄作でも凡作でもないけれど、ちょっと持ち上げすぎ。
 あっと驚く奇想天外なトリックがあるわけでなし、名探偵の快刀乱麻の鋭い推理があるわけでもなし、サスペンスやホラーにとくだん秀でているわけでもない。
 ソルティが記憶していなかったのがなによりの証拠だ。
 二階堂氏、早川書房に忖度したのか?
 
 それを思うと、アガサ・クリスティのミステリーは、読後40年経つ今でも真犯人を記憶しているものが多い。
 『アクロイド殺し』『オリエント急行殺人事件』『そして誰もいなくなった』『予告殺人』『ABC殺人事件』『ナイルに死す』『ゼロ時間へ』『葬儀を終えて』『ねずみとり』『カーテン』などは、犯人やトリックや筋書きを忘れたくても決して忘れることができない。
 同じ高校時代にはまったエラリー・クイーンの国名シリーズなどは、筋書きも犯人もトリックもまったく覚えていないというのに・・・・。 
 クリスティの筆力の凄さをつくづく思う。





おすすめ度 :★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
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● TVドラマ:『横溝正史シリーズ・仮面舞踏会』

1978年毎日放送
55分×4回
脚本 椋露地桂子
演出 長野卓

 古谷一行=金田一耕助シリーズの一作。
 同シリーズ『悪魔が来りて笛を吹く』にも出ていた草笛光子が、今度は離婚4回の大女優・鳳千代子役で登場している。
 この人は市川崑監督×石坂浩二主演の東宝・金田一耕助シリーズにも毎回顔を出していた。
 警部役の加藤武や長門勇とともに、横溝正史の世界(および橋田寿賀子の世界)に住んでいるような気がする。

 あいかわらずの探偵ぶりを発揮しまくる金田一耕助。
 千代子の婚約者である飛鳥忠熙(木村功)に調査を依頼された金田一の周りで、4人の人物が殺され、2人が自害する。
 たぶん、金田一が関わらなかったほうが被害は少ない。(射殺された看護婦さんは明らかに金田一によって巻き込まれた被害者である)
 いったいなんのために雇われたのやら?
 金田一耕助は事件を解決するというより、良く言って事件の目撃者、悪く言えば死神である。
 そのうえ、ラストで真犯人が自殺するのをいつも防ぐことができない。
 『犬神家の一族』しかり、『悪魔が来りて笛を吹く』しかり、この『仮面舞踏会』しかり。

 そんな金田一に出し抜かれる警察も実にだらしがない。
 スコットランドヤードのレストレード警部のほうがまだましである。
 加藤武も長門勇もドラマの陰惨さを中和する道化役に甘んじている。

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左から、草笛光子、古谷一行、長門勇、乙羽信子

 横溝正史作品、少なくとも金田一耕助シリーズは、推理小説としても捕物帳としても正直、出来は良ろしくない。
 斬新なトリックがあるわけでなし、見事なひらめきと論理展開による推理があるわけでなし、真犯人と探偵の手に汗握る闘いが繰り広げられることもない。
 なのに、どうしてこうやって惹きつけられてしまうのか?
 真犯人は十中八九、出演陣の中でもっとも有名な女優が扮しているキャラであることが、あらかじめ分かっているのに。(この『仮面舞踏会』はその例外である)

 思うに、このシリーズの本当の主役は人間の「業」なのだ。
 先祖由来の因縁や過去のふとしたあやまちや人間関係のもつれが、時の中で発酵し内圧を高め、ついに表面に現れてくる瞬間に、金田一耕助は立ちあうことになる。
 真犯人は「業」なので、ひとりの人間の力ではどうにも防ぎようがなく、せいぜいできることは「業」が表面化し結実するのを促進して、早く終結まで持っていくことくらい。
 「業」の力に振り回された関係者たちが、それぞれの因縁を生き抜いて、あるいは因縁によって命を奪われて、それぞれの積もりに積もった感情が表沙汰にされ爆発するとともに「業」がガス抜きされ、ひねこびた人間関係のバランスが解消されて、それぞれがあるべきところに落ち着く。
 陰惨と残虐このうえないプロットにもかかわらず、最後はいつも心地良いカタルシスを与えられるのは、ひとつの事件の解決=ひとつの「業」の解消、であるためなのだ。

 本作でも、事件のそもそもの発端を作った人物が最後に自害するが、その人物は肌身離さず毒薬を持っていた。
 つまり、常にいつ死んでもいいように覚悟を決めていた。
 自らが過去に作ったあやまちの責任を、いつか自ら取らなければならなくなることを予期していたのであろう。

 金田一耕助は探偵というより狂言回しなのだと思う。




おすすめ度 :★★

★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
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● しばし現実逃避を BBCドラマ:『分別と多感』(ジョン・アレクサンダー監督)

2008年BBC(英国放送協会)放映
50分×3話
原作 ジェイン・オースティン

 たまに我が身に襲い来るロスト・セレブ・コンプレックス(英国上流階級懐古趣味)。
 今回は『高慢と偏見』に並ぶジェイン・オースティンの名作『分別と多感(Sense and Sensibility)』TVドラマ版DVDを手に取った。
 映画版はアン・リー監督『いつか晴れた日に』(1995)を観ている。

 緑なす広大な領地に聳え立つ豪壮なカントリーハウス。
 壮麗で贅沢にして品ある調度の数々。
 馬駆ける貴公子と二頭立て馬車に揺られる貴婦人。
 男らしさ、女らしさを際立てるファッショナブルで機能軽視の衣装。
 華やかにして陰謀めぐる舞踏会。
 マナーとジェンダーの規範の中で揺れ動く男と女の心模様。

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 のっけから19世紀初期の英国セレブの世界に引きこまれ、寝不足になるも顧みず、3話立て続けに観てしまった。
 BBCドラマの素晴らしいところは、本物志向あふれる丁寧なつくり。
 そして、原作を尊重しつつも現代的な視点を取り入れて、新鮮さを感じさせるところ。
 たとえば、現代先進国のジェンダー感覚あるいはフェミニズム視点からすれば、不平等で抑圧的な社会制度や風習や性役割に満ちている物語において、女性登場人物たちに原作にはないこんなセリフを言わせている。
 「今度生まれてくる時は男がいいな。女はいつも座って待っているだけなんだもの」
 「女は男のおもちゃでしかないのかしら」 等々
 古き良き時代をただ懐かしむだけでなく、そこに潜む矛盾や不合理にも照明を当て批評精神を忘れないアンドリュー・デイヴィスの脚本が素晴らしい。

 配役もピッタシ決まっている。
 「分別」を象徴する姉エリノア・ダッシュウッドを演じるハティ・モラハンの凛とした美しさ。
 「多感」を象徴する妹マリアンヌ・ダッシュウッドを演じるチャリティー・ウェイクフィールドの情熱的な輝き。
 本邦の役者で言えば、ちょうど是枝裕和監督『海街diary』における綾瀬はるかと長澤まさみの感じ。

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チャリティ・ウェイクフィールドとハティ・モラハン 
 
 紆余曲折の後、最後は姉妹と結ばれる恋男たちも揃ってカッコイイ。
 エリノアと結ばれるエドワード・フェラース役のダン・スティーヴンスは、どこかで見た顔と思ったら、『ダウントン・アビー』で早逝する弁護士マシュー・クローリーではないか。
 本作への出演と人気急上昇が、『ダウントン』抜擢のきっかけになったのかもしれない。
 まったく、少女漫画の理想男子のような超イケメンぶり。

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ダン・スティーヴンス 
  
 一方、マリアンヌと結ばれるブランドン大佐役のデビッド・モリシーは、寡黙で気骨ある軍人タイプの男に扮して、高倉健のような渋さ。
 マールボロ・ハットがよく似合っている。
 その上、たいへんな資産家と来た日には、18歳の年の差なんて「へ」でもなかろう。

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デビッド・モリシー 
 
 豪邸+イケメン+シンデレラストーリー。
 この黄金ルールは、フェミニズム意識の高い現代英国女性たちの琴線すら、じゃんじゃん掻き鳴らして止まないのだろう。
 ソルティの琴線も鳴った。

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英国デボン州の海岸風景も興趣深い
 
 ロスト・セレブ・コンプレックスの一番の効用は、現実逃避にある。
 核使用目前のロシア×ウクライナ情勢、ミャンマー内乱、北朝鮮のミサイル発射、イランの保守勢力バックラッシュ、気候変動とあいつぐ自然災害、劣化する一方の日本の政治と経済と民主主義。
 国内外のあまりの出鱈目ぶりは、まともに向き合うと鬱になるか狂気に陥りそう。
 意識的に現実逃避して、精神バランスを保つ必要がある。
 逃避しっぱなしもマズいけれど・・・。






おすすめ度 :★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
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● 映画:『クイーン』(スティーヴン・フリアーズ監督)


2006年イギリス、フランス、イタリア
104分

 エリザベス2世女王の国葬がつつがなく終わった。
 伝統に則った盛大で格式ある葬礼、弔問に訪れた多くの国民の悲しみと喪失感、亡き女王の偉大さをこぞって称えるマスコミ――それらをテレビやネットニュースで観ていて、「さすが大英帝国」と思ったけれど、一方、なんとなく違和感というか空々しさを感じもした。 
 1997年8月31日に起きたダイアナ妃の交通事故死直後の英国マスコミのセンセーショナルな報道や、それに煽られた一般市民のふるまいを覚えている人なら、きっとソルティと同じようなことを感じたと思う。
 「あのときは、あんなにエリザベス2世を非難し、憎み、罵倒していたのに!」
 「王室廃止の声さえ上がっていたのに!」

 そう。スキャンダルまみれなれど、その美貌と博愛精神と人の心を一瞬でつかむ魅力とで人気絶大だったダイアナ妃の非業の死に際して、英王室とくに元姑であるエリザベス2世が何ら弔意を示さなかったことで、大騒動が巻き起こったのだ。
 本作は、その一部始終をクイーンエリザベス2世の視点から描いたものである。

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ヘレン・ミレンとマイケル・シーン

 エリザベス2世を演じているのは、ロンドン生まれのヘレン・ミレン。
 本作で数々の女優賞を総なめにしたが、それももっともの名演である。
 君主としての威厳と気品のうちに英国人らしいユーモアと忍耐力を備え、国家と国民に対する強い責任感と、突然母親を失った孫(ウィリアム王子とヘンリー王子)はじめ家族に対する愛情を合わせ持った一人の女性を、見事に演じている。
 その威厳は、ヘレンの父親がロシア革命の際に亡命した貴族だったせいもあるのだろうか。
 
 時の首相であるトニー・ブレアに扮しているのはマイケル・シーン。
 顔立ちは本物のトニーによく似ている。
 左翼政権を率いた野心あふれる男の精悍さより、母性本能をくすぐる甘いマスクが目立つ。
 
 ソルティはエリザベス2世をテレビで見るたびに、亡くなった祖母を思い出したものである。
 冷静で強情なところ、ハイカラでファッショナブルなところ、職業婦人として自立していたところ(祖母は看護婦長であった)、賢明で物知りなところ、目鼻立ちにも似通ったところがあった。
 久し振りに祖母を思い出した秋分の日。
 
エリザベス2世
エリザベス2世の冥福を祈る
 
 


おすすめ度 :★★★

★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損

 
 


 

● 本:『漂流 日本左翼史 理想なき左派の混迷』(池上彰、佐藤優共著)


2022年講談社現代新書

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 池上、佐藤両氏による戦後『日本左翼史』シリーズの三巻目にして完結編。
 敗戦から新左翼の誕生まで(1945-1960)の『真説編』、日米安保闘争から連合赤軍あさま山荘事件まで(1960-1972)の『激動編』に次いで、本編では、新左翼の失墜、労働運動の高まりと衰退、大量消費社会の到来、そしてソ連の崩壊と冷戦終結がもたらした左派陣営への打撃と現在まで続くその余波、が語られている。

 ソルティが小学校高学年くらいからの話なので、まさにリアルタイムで見て生きてきた日本なのだが、やはり知らないことが多かった。
 子供の頃、ストライキという言葉が頻繁に飛びかって、それになると会社員だった父親がなぜか仕事を休んで家にいたので、「ストライキっていいなあ」と単純に思ったものだ。
 国鉄のストライキ(順法闘争)――当時公務員であった国鉄職員はストライキ権を持っていなかったので、法に違反しない形での労働停滞闘争をした――が原因で起こった1973年の上尾駅事件、首都圏国鉄暴動など今回はじめて知った。

 赤羽駅ホームにいた約1500人の乗客が勤労の順法闘争により下り列車に乗車できなくなったことに激怒し、電車停止中に運転士を引き摺り下ろして電車を破壊し始め、赤羽駅での列車運行がすべて停止してしまったのです。その影響が山手線など他の路線にも及んだことで、上野、新宿、渋谷、秋葉原、有楽町など合わせて38駅でも同時多発的に暴動が起きてしまいました。
 上野駅ではいつまで経っても電車が発車しないことに怒った乗客が列車に投石して運転士を引き摺り下ろし、改札事務室や切符売り場を破壊。危険を感じた職員たちが逃げ出し無人状態となった駅で放火騒ぎが起きました。(池上による「首都圏国鉄暴動」の解説)

 日本人、熱かったなあ~。
 というより、今ならそこまでして会社に行こうとは思わないだろう。
 国鉄のストライキがある前の晩には多くのサラリーマンが会社に泊まり込んだため、都内の貸し布団屋が大繁盛したとか、まるで「風が吹けば桶屋が儲かる」みたいな笑い話である。
 エコノミック・アニマルと言われ、愛社精神の強い当時の日本人ならでは、である。
 
 それで思い出したのだが、90年代初めにイタリア一周旅行したとき、南イタリアの小さな駅で列車が止まったまま、なかなか出発しない。
 発車時刻を1時間以上過ぎて、やっと車内放送があった。
 何を言っているかわからなかったので、同じコンパートメントの学生風のイタリア青年に片言の英語で尋ねてみたら、「ショーペロだ」と言う。
 ショーペロ?
 イタリア語でストライキのことであった。
 予告もなく急にストライキが始まって、そのまま乗客は立ち往生。
 でも、誰一人騒いだり、怒ったり、駅員に詰め寄ったりすることはなく、困っているふうにも見えない。「やれやれ」と言った風情で、オレンジなど食べている。
 なんて暢気な国民性だ!と感心した。
 結局、3時間待っても列車は動きださず、その街に泊まるはめになった。
 アンコーナという街だった。
 ドーモ(教会)のある丘から見た夕焼けは、生涯見た最も美しい景色の一つであった。

イタリアの夕焼け


 副題にある通り、現在の左翼は「理想なき混迷」にある。
 マルクス主義に則った「プロレタリア革命による共産主義社会の設立」という夢の残滓に漂っている。
 池上はこう述べる。
 
現在の左翼の元気のなさというか影響力の弱さは、もはや彼らが「大きな物語」を語り得なくなってきていることにあるかもしれませんね。「いずれ共産主義の理想社会が到来する」という、かつて語られていた「大きな物語」を語り続けるのが難しくなっている。

 その通りであろう。
 実際、今の共産党員の中に、それが武力だろうが無血だろうが選挙によるものだろうが、「革命による共産主義社会の設立」を本気で目指している人が、いったいどれくらいいるのだろう? 
 一度党員アンケートを取って公表してほしいところである。
 とは言え、本来の「物語」の代わりに、「平和=憲法9条護持」や「暮らしの安定」を党是として掲げて、冷戦終結後の逆境を乗り越えてきたその戦略性と組織力の高さはたいしたものだと思う。
 社民党(旧・社会党)が青息吐息の状態であることを思えば、自民党を筆頭とする保守勢力に対抗できる最後の砦としての日本共産党の意義は決して小さくはない。
 それだけに、社会主義・共産主義なんていう世迷言から一日でも早く脱却してほしい、とソルティは願っている。

共産主義者
よろしく!


 ときに、本書の発行は2022年7月。
 佐藤優による「あとがき」に付された日付も2022年7月であるが、そこでは安倍元首相の銃殺事件について触れられていない。おそらく、7月8日以前に書かれたのであろう。
 もし、池上と佐藤の対談が7月8日以降に行われたのなら、本書の内容はずいぶん違ったものになったのではないか、少なくとも最終章はまったく異なった展開となり、まったく異なった終わり方をしたであろう。
 この一日を境に、日本の政治状況はどんでん返しと言ってもいいほど変わってしまった。
 特に、日本の右翼(保守勢力)の内実がよくわからない不気味なものに転じてしまった。
 「愛国、天皇主義」を御旗に掲げてきたはずの自民党右派とくに安倍派が、「反日、反天皇主義」のカルト教団と深く結びついてきたことがあからさまになって、世の中がひっくり返ってしまった。

 目的を失って漂流しているのは左翼だけではない。
 右翼もまた漂流、いや転覆してしまった
 三島由紀夫がこの様を見たら、どんなに激怒することか!

 おそらく、しばらく前から「右翼、左翼」といった対立概念で説明できるような時代はとうに過ぎていたのだろう。
 一部の篤い宗教信者はのぞいて、右も左も誰もみな本気で「大きな物語」など信じていなかったのだ。
 「右翼と左翼」という物語の終焉――それが安倍元首相銃殺事件が白日のもとに晒した、令和日本の現実なのではなかろうか。




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