2018年9月下旬のある日、四国遍路88札所と別格20札所、あわせて108の霊場を歩いてめぐる旅に出た。これはその記録である。
各札所には御詠歌と呼ばれる短歌がある。お寺の名前を歌の中に盛り込み、法の尊さや御仏のありがたさを説いたものが多い。
ここでは、やはり寺の名前を盛り込みながら、道中の思い出や札所の印象などをオリジナル御詠歌にして詠んでみた。
【徳島県】
山また山の道が続く
犬墓大師
犬を友として山野を行脚する空海
微笑ましい光景だ
微笑ましい光景だ
さっきから、なんてことない景色がこの上なく美しく感じられるのはなぜ?
徳島自動車道の支柱
これまた美しい
阿波市立市場中学校

ああそうだよ。10番に行く途中の店だよ
8番から9番へ行く道に立つ鳥居
なぜこんなところに?と不思議に思ったものだ
なぜこんなところに?と不思議に思ったものだ
7番十楽寺山門
前回はもみじがあったことに気づかなかった
前回はもみじがあったことに気づかなかった
7番札所: 光明山 十楽寺 (こうみょうざん じゅうらくじ)
御本尊: 阿弥陀如来
本歌 : 人間の 八苦を早く 離れなば 至らん方は 九品十楽
十楽寺境内
あの休憩所で一息ついたのが、御朱印をもらい忘れた原因だった
第6番善楽寺近くの真念しるべ石
はじめてのお接待は豆パンだった(追憶しきり)
はじめてのお接待は豆パンだった(追憶しきり)
第6番善楽寺の多宝塔
紅葉するとこうも景色が変わるか
紅葉するとこうも景色が変わるか
1番霊山寺
1番札所:竺和山 霊山寺(じくわさん りょうぜんじ)
御本尊: 釈迦如来
本歌 : 霊山の 釈迦の御前にめぐり来て よろずの罪も 消え失せにけり
コメント: 2度目の御朱印を受ける。ここで2ヶ月前に購入した金剛杖。どれだけすり減ったかを真新しい杖と比べてみた。なんとまあ酷使したことか。三本目の足として頼っただけでなく、蜘蛛の巣をはらったり、邪魔な草や枝をなぎ倒したり、手拭いを干すのに使ったり、本当に世話になった。せめて減った分だけでも煩悩が落ちたのならよいのだが。
霊山寺境内
たけくらべ
歩き遍路の出発地点についに戻ってきた(JR高徳線・池谷駅)
徳島駅
四国最後の宿は大鶴旅館
親切で話好きの女将がいるきれいな宿だった
出がけにおむすびの接待もいただいた(これがまた旨い!)
また泊まりたい宿である
出がけにおむすびの接待もいただいた(これがまた旨い!)
また泊まりたい宿である
さらば、四国
【和歌山県】
真言宗総本山: 高野山 金剛峯寺(こんごうぶじ)
ご本尊: 薬師如来(弘法大師)
本歌 : ありがたや 高野の山の 岩かげに 大師はいまだ おはしますなる
コメント: 徳島からフェリーで和歌山へ。南海電鉄で橋本駅へ。そこから代行バスで高野山に向かった。(ケーブルカーは修理中だった)
金剛杖を奉納したかったが、奥の院にいた若い僧に「杖は奉納するものではありません」と断られた。家まで持って帰ることにした。(今も部屋の鴨居にかけ渡してある)
バスの中で会った男の話が興味深かった。
【京都】
真言宗総本山: 東寺(とうじ)
ご本尊: 薬師如来(弘法大師)
本歌 : 身は高野 心は東寺に納めおく 大師の誓い あらたなりけり
コメント: 高野山にも東寺にも弘法大師の魂はいない。母の地ふるさと四国にいて、庶民や遍路を見守っておられる。これが四国遍路を体験した人の偽らざる実感であろう。