ソルティはかた、かく語りき

東京近郊に住まうオス猫である。 半世紀以上生き延びて、もはやバケ猫化しているとの噂あり。 本を読んで、映画を観て、音楽を聴いて、芝居や落語に興じ、 旅に出て、山に登って、仏教を学んで瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

 ★オリジナル御詠歌でめぐる四国遍路108

● オリジナル御詠歌でめぐる四国遍路108 第20回(お礼参り)


 2018年9月下旬のある日、四国遍路88札所と別格20札所、あわせて108の霊場を歩いてめぐる旅に出た。これはその記録である。
 各札所には御詠歌と呼ばれる短歌がある。お寺の名前を歌の中に盛り込み、法の尊さや御仏のありがたさを説いたものが多い。
 ここでは、やはり寺の名前を盛り込みながら、道中の思い出や札所の印象などをオリジナル御詠歌にして詠んでみた。


【香川県】


霊山参り(大窪寺前の茶店)
88番大窪寺前に並ぶ店
熱いコーヒーで結願を静かに祝い、一路徳島へ


霊山参り(さらば女体山)
女体山よ、さらば


霊山参り(トラックの絵)
トラックのデコレも遍路デザイン


霊山参り(徳島県入り)
香川県から徳島県へ(県道377号)


【徳島県】


霊山参り(山の中の道)
山また山の道が続く


霊山参り(畑の中の立木)


霊山参り(地蔵の集会)


霊山参り(犬墓大師)
犬墓大師

霊山参り(犬墓大師2)
犬を友として山野を行脚する空海
微笑ましい光景だ


霊山参り(キャベツ畑)
さっきから、なんてことない景色がこの上なく美しく感じられるのはなぜ?


霊山参り(徳島自動車道)
徳島自動車道の支柱
これまた美しい

霊山参り(コスモスと学校)
阿波市立市場中学校


霊山参り(この店はいつか見た店)
この店はいつか見た店
ああそうだよ。10番に行く途中の店だよ


霊山参り(8~9番への道)
8番から9番へ行く道に立つ鳥居
なぜこんなところに?と不思議に思ったものだ


霊山参り(7番山門)
7番十楽寺山門
前回はもみじがあったことに気づかなかった



7番札所: 光明山 十楽寺 (こうみょうざん じゅうらくじ)

7番
 おへんろは 苦しきものと 言ふけれど
 十に八つは 楽と思へり

御本尊: 阿弥陀如来
本歌 : 人間の 八苦を早く 離れなば 至らん方は 九品十楽
コメント: これでやっと御朱印完成。7番をもらい忘れたのは、ある人にもう一度会うためでは?と思っていた相手に再会した。
振り返ってみれば、おへんろは歩いている最中はしんどいこともあったけれど、なにもしないで物見遊山することが歓迎される不思議な空間だった。ある程度のお金と時間と健康が揃って可能となる最高の贅沢である。俗世間のほうがよっぽど苦が多い。だから、人は「お四国病」になるのだ。

霊山参り(7番境内)
十楽寺境内
あの休憩所で一息ついたのが、御朱印をもらい忘れた原因だった


霊山参り(真念道しるべ)
第6番善楽寺近くの真念しるべ石
はじめてのお接待は豆パンだった(追憶しきり)


霊山参り(6番の多宝塔)
第6番善楽寺の多宝塔
紅葉するとこうも景色が変わるか


霊山参り(5~6番の道中)
功徳を積んでいるカフェ
このあたりは、別格1番を経由したゆえに通らなかった道


霊山参り(3番山門)
3番金泉寺
井戸に顔を探したっけ

霊山参り(2番山門)
2番極楽寺
ここで般若心経を読むのを止めたっけ


霊山参り(1番山門)
1番霊山寺



1番札所:竺和山 霊山寺(じくわさん りょうぜんじ)

1番
 霊山で 買いし大師の 杖のたけ
 減った分だけ 落ちよ煩悩

御本尊: 釈迦如来
本歌 : 霊山の 釈迦の御前にめぐり来て よろずの罪も 消え失せにけり
コメント: 2度目の御朱印を受ける。ここで2ヶ月前に購入した金剛杖。どれだけすり減ったかを真新しい杖と比べてみた。なんとまあ酷使したことか。三本目の足として頼っただけでなく、蜘蛛の巣をはらったり、邪魔な草や枝をなぎ倒したり、手拭いを干すのに使ったり、本当に世話になった。せめて減った分だけでも煩悩が落ちたのならよいのだが。


霊山寺境内
霊山寺境内


霊山寺境内(杖の長さくらべ)
たけくらべ


池谷駅
歩き遍路の出発地点についに戻ってきた(JR高徳線・池谷駅)


吉野川
吉野川を渡る


徳島駅2
徳島駅


旅館大鶴
四国最後の宿は大鶴旅館
親切で話好きの女将がいるきれいな宿だった
出がけにおむすびの接待もいただいた(これがまた旨い!)
また泊まりたい宿である


さらば四国
さらば、四国



【和歌山県】


真言宗総本山: 高野山 金剛峯寺(こんごうぶじ)

高野山1

 結願を 奥の院にて 報告す 
 こんごうぶじ(今後を無事)に 送れますよう


ご本尊: 薬師如来(弘法大師) 
本歌 : ありがたや 高野の山の 岩かげに 大師はいまだ おはしますなる

コメント: 徳島からフェリーで和歌山へ。南海電鉄で橋本駅へ。そこから代行バスで高野山に向かった。(ケーブルカーは修理中だった)
金剛杖を奉納したかったが、奥の院にいた若い僧に「杖は奉納するものではありません」と断られた。家まで持って帰ることにした。(今も部屋の鴨居にかけ渡してある)
バスの中で会った男の話が興味深かった。



高野山2
真言密教の象徴、根本大塔


高野山1
奥の院にまします弘法大師


金剛峰寺ご朱印

奥の院御朱印

 
【京都】

真言宗総本山: 東寺(とうじ) 

東寺
 身は高野 心は東寺 しかれども
 霊(たま)は四国を 巡リたまへり


ご本尊: 薬師如来(弘法大師)
本歌 : 身は高野 心は東寺に納めおく 大師の誓い あらたなりけり

コメント: 高野山にも東寺にも弘法大師の魂はいない。母の地ふるさと四国にいて、庶民や遍路を見守っておられる。これが四国遍路を体験した人の偽らざる実感であろう。


京都東寺3
東寺はJR京都駅八条口から歩いて15分


京都東寺2
国宝の大師堂(御影堂)は修復工事中だった
仮のお堂に上がって最後の読経を上げた
現在はもう工事は完了し観覧・参拝できるようだ


京都東寺1
もみじはこの世の曼荼羅か


四国の白地図第19回

CraftMAPの白地図を使用しています。より詳しい四国地図を見たい方は、こちら(地図蔵)を参照ください。  







   


● オリジナル御詠歌でめぐる四国遍路108 エピローグ

 2ヶ月かけて巡ったネット上での四国遍路が終わった。
 自作の御詠歌と画像で振り返る四国の旅は、実に面白かった。
 とくに御詠歌を作る作業が楽しく、お寺の名前や特徴がうまく盛り込めた歌が生まれたときなど、心躍るものがあった。
 なんだかこの歌を作るために、前もって用意されたエピソードすらあった気がしたほどに。
 おかげで、別格20寺を含め、四国札所108の名前と順番と地図上の位置をすっかり覚えることができた。

 実際の遍路中も、また2018年12月初旬に結願してからも、遍路については当ブログでもたびたび書いてきたものの、中味が濃くて、なかなか消化しきれないでいた。
 旅はまだ終わっていないという感がずっとあった。 
 それが、今回の連載を終えて、「やっと、遍路が終わった!」という実感を持てた。


IMG_20200914_163516


 あらためて振り返ってみると、天候に恵まれていたなあ~と実感する。
 とくに海辺を歩いているときは快晴の記憶しかない。
 全行程にわたり、いい写真がいっぱい撮れたのは何よりであった。
 そして、あちこちで本当に土地の方の世話になった。
 いろんな形の「お接待」がなかったならば、旅はしんどいものになっていたに違いない。
 四国はいまや自分にとって第三の故郷となった。(第二は10年間住んだ仙台である)

 
 遍路をしている間は、ほとんどものを考えていなかった。
 過去のことを回想して愉しんだり後悔したりすることもなければ、未来のことを考えて妄想したり不安にかられたりすることもなかった。
 旅の先行きのこと、たとえば泊まる宿や取るルートや残り予算について思い迷うことはあったが、それも、香川に入ってからは消え失せた。
 そして、そのときそのときの様々なものとの出会いと別れを十分味わうことに心は集中するようになった。
 つまり、「いま、ここ」がすべてになった。


霊山参り(赤と黄色の花)


 遍路から日常生活に戻ると、またしても心は過去や未来にさまようようになった。
 あれこれと過去の失敗を思い出しては痛みをほじ繰り返し、もう二度とは訪れない快い追想に浸り、未来のことを想像しては浮かれたり、ブルーな気分に陥ったり・・・・。
 遍路から丸一年たった昨年12月に、駅の階段から落ちて骨を折ったのも、そのとき心が「いま、ここ」にいなかった何よりの証拠である。
 その後のコロナ騒動は、ご承知のように、未来についての不安をかき立てた。

 大体、人間は過去や未来について「考える」から問題を作り出すのであって、思考の入らない「いま、ここ」には問題も生じようがない。
 そのときそのときにやるべきことをやるだけだ。
 そしてまた、実際に存在するのは過去でも未来でもなく「いま、ここ」だけであり、我々が何とかできるのも「いま、ここ」だけである。

 過去や未来について「考え」て、その結果、幸せになるのならどんどん考えればいいと思うが、これまでの経験からも「考えることで幸せが手に入った」とは到底思われない。
 日が暮れるのも忘れて遊んでいる子どものように、「いま、ここ」にいる時が、間違いなく幸せである。

 遍路で体験した「いま、ここ」感覚を、日常生活で――せわしなく、マンネリにつながる繰り返しが多く、いろいろと結果を出すことが求められるような――日常生活で保持するのは難しい。
 大概が、過去や未来にとらわれて「いま、ここ」の価値を忘れ、そのうち煮詰まってくる。
 だから、人はまた四国に行きたくなるのであろう。
 ソルティも、連載している間に、「ああ、また行きたい!」と何度思ったことか。

 四国遍路で味わった「いま、ここ」感覚を、こちらの日常生活でも再現――いや、再現という言葉はふさわしくないな――顕現させることができたなら・・・・・。
 つまり、日常から逃避するために旅を求めるのでなく、日常がそのまま旅であるような生。

 同行二人はいまも続いている。


霊山寺境内(笠)
観るも自在 聞くも自在の 旅なれば のんびり往かん 今ここにあれ
(第40番観自在寺オリジナル御詠歌)



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