ソルティはかた、かく語りき

首都圏に住まうオス猫ブロガー。 還暦まで生きて、もはやバケ猫化している。 本を読み、映画を観て、音楽を聴いて、神社仏閣に詣で、 旅に出て、山に登って、瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

●新型コロナ雑感

● 映画:『夜明けまでバス停で』(高橋伴明監督)

2022年日本
91分

 高橋伴明監督の一般映画は、道元の生涯を描いた『禅 ZEN』くらいしか観ていない。
 ピンク映画出身なので、そっちのほうは何本か観ているかもしれない。
 連合赤軍事件を描いた『光の雨』(2001)や『BOX 袴田事件 命とは』(2010)など、いくつか気になる作品がある。
 おいおい観ていきたい。

 1949年生まれの団塊世代、学生運動で早大を除籍されたというプロフィールから分かるように、きほん「左の人」なのだろう。
 本作でも、成田空港建設をめぐって起きた三里塚闘争のかつての闘士(演・柄本明)が登場し、主人公女性に爆弾づくりを教えるシーンがある。
 いまや公園のホームレスであるかつての闘士は、こう呟く。
 「あの闘いをまだ総括できていない」
 これは高橋監督自身の心の声なのかもしれない。

学生運動

 本作は2020年11月に渋谷区幡ヶ谷で起きたホームレス女性殺害事件が元ネタになっている。
 居酒屋でアルバイトしながら天然石アクセサリーを制作販売している40代の三知子(演・板谷由夏)が主人公。
 独り暮らしの三知子は、別れた夫の借金返済など苦しい生活を強いられていた。
 そこをコロナが襲う。
 店は休業せざるを得なくなり、三知子らアルバイトはクビを切られる。
 退職金ももらえなかった。
 ほかに雇ってくれるところも見つからず、家賃が払えなくなり、ついにホームレスに。
 律儀で人に頼るのが苦手な三知子は、福祉の助けも受けず、スーツケースを引きずりながらゴミ箱を漁り、バス停のベンチで夜を明かす。

 ホームレスの世界で、三知子はこれまで会ったことのないような風変りな人々と出会い、これまで耳にしたことのないような人生譚を聞き、目が開かれる。
 自らが、知らぬ間に政府の言う「自己責任」の倫理に縛られていたことに気づく。
 国への憤りに目覚め、一矢報いようとした矢先、バス停で眠る三知子を一人の男が狙っていた。

 三知子役の板谷由夏、および居酒屋のいけすかないマネージャー役の三浦貴大がいい。
 三浦貴大はこれまで注目したことなかった。
 両親(友和&百恵)の血を受けた天性の役者精神を感じる。
 海千山千のホームレスを演じる下元史朗、根岸季衣、柄本明はそれぞれに味があって素晴らしい。
 下元と高橋はおそらくピンク映画時代からの同志だろう。
 『福田村事件』はじめ、こうした反体制的な作品を選ぶ柄本明の心意気を感じる。 
 息子の藤原道長こと柄本佑もどこかに出ているらしいのだが、気がつかなかった。

 いまもコロナは地道に流行っており、コロナ感染がきっかけで亡くなる人も少なくない。
 また、コロナ後遺症の実態が次第に明らかになってきて、裁判になるなど社会問題化している。
 コロナは終わっていない。
 とはいえ、緊急事態宣言の折りにあったさまざまな負の社会現象――たとえば、各地で起きたパニック、感染者やその家族への差別、デマゴギーによる風評被害、大量解雇、ホームレスの増加、病院や介護施設における人権侵害や地獄シフト、アベノマスクe.t.c.――に関しては、ほうっておけば記憶は薄れていく。
 そろそろ総括してもいい頃だろう。
 
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那覇市国際通りのPCRセンター 
 


おすすめ度 :★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損





● 悲しき針葉樹

 4月の中頃から不調が続いた。
 喉の痛みと倦怠感から始まって、悪寒・頭痛・くしゃみ・微熱・咳・鼻水・痰と、一連の風邪様症状を経過したあげく、食べ物の味がおかしくなった。
 なにを食べても塩味しか感じられない。
 まさに、砂を噛むよな味気なさ。
 常備しているラベンダーとヒノキのアロマオイルを鼻孔に近づけたところ、まったくの無臭。
 味覚と嗅覚に異常が起きている。
 そのままGW入りした。

アロマオイル

 なんだか落ち着かないのは原因が特定できないからだ。
 コロナ?
 風邪?
 コロナ後遺症?

 家にある抗原検査キットを日をあけて3回やったが、すべて陰性(-)。
 コロナでは・・・ない?(もっとも、抗原検査陰性でもコロナ感染しているケースが多いようだ)
 風邪にしては妙に長引くし、これまでに風邪で味覚障害になったことはない。
 ひょっとして、いま巷で騒がれているコロナ後遺症?

 子供の頃にかかった水疱瘡ウイルスが、大人になってから宿主の免疫力の低下によりヘルペス(帯状疱疹)を引き起こすように、一昨年わが身に侵入したコロナウイルスの残党が、復活のチャンスとばかりに活性化したか? 
 たしかに発症前の数日、寝不足と疲れが続いていた。

 とりあえず、外出時はマスクをつけるようにし、市販の葛根湯で症状を抑えた。

 GW後半に知り合いの山荘に2~3日遊びに行った。
 周囲はウグイスやコジュケイの鳴き声しきりの深い森。
 そこで症状が悪化した。
 滞在中は天気こそ良かったが、結構な風が吹いていた。
 森の中を散策した後に、くしゃみや咳や鼻水や体熱感が起きて、頭がぼうっとした。
 鏡を見たら顔全体が赤かった。
 これ、ひょっとして花粉症?

 たしかに、数年前からスギ花粉アレルギーの洗礼を受けていた。
 が、スギ花粉のシーズンは早春である。(ピークは2月上旬から4月中旬)
 ありがたいことに、今年はスギ花粉の影響はほとんど感じなかった。
 「今年は無事乗り切った」と安堵していた。
 よもやGWに花粉症になるとは思わなかった。
 スギでなければその正体は・・・・?
 
 ヒノキ花粉のシーズンはスギより一ヶ月ほど遅れる。 
 ピークは3月中旬から5月上旬。
 たしかに、GW明けてからは楽になっている。
 アロマオイルの香りが戻り、味覚も復活した。
 
 南無三。
 スギに加えてヒノキも天敵になってしまったのか?
 もはや春の山登りはあきらめるほかないのか?
 あれだけ愛した針葉樹が・・・!


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wal_172619によるPixabayからの画像






● AC/秋の一日: 中央フィルハーモニア管弦楽団 第86回定期演奏会


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日時: 2023年10月29日(日)14:00~
会場: 杉並公会堂 大ホール
曲目:  
  • チャイコフスキー: 歌劇「エフゲニー・オネーギン」作品24よりポロネーズ
  • チャイコフスキー: ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品35
  • シベリウス: 交響曲第2番ニ長調作品43
ヴァイオリン: 岸本 萌乃加
指揮: 米田 覚士

 ほんの数日前まで猛暑日&真夏日が続いて辟易していたのに、ここ数日、ビルの谷間には雪をかぶった富士山が冴え冴えと、雲の陰からは澄みきった月の光が煌々と、居座り続けた夏の背後で秋は静かに熟していたようである。
 10月最後の日曜日、午前中はめずらしく部屋の片づけなどして、それから電車に乗って都内の図書館に。
 ミステリーや瞑想の本など5冊借りた。
 別に買った本と合わせて計7冊が待機となる。
 返却期限付きの本が机辺に積まれているのは結構なプレッシャーなのだが、活字依存のソルティ、次に読む本が用意されてないと、毛布を奪われたライナスのように禁断症状を起こす。

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 デイバッグを書籍で満たしたところで、お次は腹の番。
 我を招くは地味な外観の街角のラーメン店。
 豚骨ラーメンを注文する。
 当たり! 
 あとを引かない程よいコッテリ感が、還暦近い胃袋にやさしかった。

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 中央線で荻窪駅へ。
 杉並公会堂大ホールは6~7割の入り。
 本日のメインは、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲とシベリウス交響曲第2番という贅沢この上ないカップリング。
 とろけるように美しく、泣きたくなるほどロマンティックなチャイコ節。
 ソリスト岸本萌乃加(ほのか)の卓抜なテクニックに、「ブラボー」がかかった。
 シベリウス2番は、噛めば噛むほど旨味が増してくるスルメのような名曲。
 聞くほどに「好き!」が増してくる。
 思わず、帰り道のブックオフで、カラヤン指揮の中古CDを買ってしまった(500円)。

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1980年ベルリンフィル管弦楽団演奏
 
 駅近くの喫茶店に入って、ケーキセットで一服。
 濃厚カボチャのケーキはまさにハロウィーンの風物詩。
 お菓子でありながら野菜であることも罪悪感的にポイント高い。
 さっそく借りたばかりの本をめくる。 

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 切りのいいところまで読み進めて、店を出たらすでに真っ暗。
 早く家に帰って『どうする家康』を観なくちゃ。
 もうすぐ天下分け目の合戦だ。
 
 アフター・コロナ。
 こんな平凡な秋の一日が戻ってきたことに感謝。





 
 
 
 
  

● キャッチ22 : みなとみらい21交響楽団 第24回定期演奏会


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日時: 2023年4月1日(土)14:00~
会場: ミューザ川崎シンフォニーホール
曲目: 
  • セルゲイ・プロコフィエフ: バレエ音楽『ロメオとジュリエット』第2組曲
  • ドミトリ・ショスタコーヴィチ: 交響曲第10番
  • 《アンコール》 アレクサンドル・モロソフ: 交響的エピソード「鉄工場」
指揮: 田部井 剛

 ロシアv.s.ウクライナ戦争が始まってから、ロシア(ソ連)出身の芸術家が矢面に立たされるような状況が続いているが、国内の演奏会でもまた、ロシア(ソ連)の作曲家が取り上げられる機会が減っているようだ。
 とりわけ、スターリン独裁時代のソ連で、体制賛美の国民的作曲家として“利用された”ショスタコーヴィチの凋落が激しい。
 i-Amabileの「演奏される機会の多い作曲家ランキング」を見ても、ここ40年間30位以内をキープしていたショスタコーヴィチが、2020年以降は圏外に落ちている。
 ショスタコーヴィチを演奏する=ソ連(ロシア)の味方、みたいなイメージがあるのだろうか。
 としたら、残念な話である。

 アメリカ作家ジョセフ・ヘラーが1961年に『キャッチ=22』(Catch-22)という小説を発表した。
 堂々巡りの戦争の狂気を描いた作品としてベストセラーとなり、1970年にはマイク・ニコルズ監督により映画化された。
 その後、「キャッチ22」という言葉は、「ジレンマ、板挟み(の状況)、不条理な規則に縛られて身動きが取れない状態、お手上げ」を意味するスラングとして定着した。
 I'm in a catch-22 situation. (どうにもならない状況です)のように使う。
 ショスタコーヴィチの伝記を読んでいて浮かんでくるのは、この「キャッチ22」という言葉である。

 「才能ある芸術家としての自由な表現=ショスタコーヴィチの個性や魂」が、「スターリン独裁体制=ファシズム共産主義」の圧迫によって窒息寸前にまで追い詰められ、文字通り生きのびるために体制に肯定される曲を作らなければならなかった。
 一方、魂を殺してしまっては元も子もない。
 まさに板挟み。 
 そこで苦肉の策として、ベートーヴェン由来の交響曲の伝統的な型であり、かつマルクス主義者の好きな「苦闘から勝利へ」というドラマになぞらえることのできる《暗から明へ》によって、表面的には体制順応的な姿勢を見せながら、実質は「殺される危機にある魂の叫び」を表現したのではないか。
 ――というのが、現時点のソルティのショスタコーヴィチ観である。
 周囲の社会が、政治的状況が、作曲家としてのスタイル(文体)を決定した典型的なケースのように見える。
 もっともそこには、作曲家廃業、あるいは体制への徹底的抵抗、あるいは他国への亡命、のいずれをも選ばなかったショスタコーヴィチ自身の性格や生き方が反映されているわけであるが・・・。
 
 結果的に見れば、「キャッチ22」状態において作られた数々の曲が、白黒はっきりつけられない、混沌として複雑極まる世界の中で生きる、現代人の閉塞した状況を見事に表現しているわけで、その意味ではやはり、時代に選ばれた作曲家なのだと思う。

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 交響曲第10番は、宿敵とも言えるスターリンの死(1953年3月)の直後から作曲され、同年12月に発表された。
 雪解けの気配は漂っているが、まだまだ先の見通しは立たない。(スターリンの衣鉢を継ぐ、スターリン以上の暴君が出現するかもしれない)
 しかし、ともあれ独裁者は死んで、希望の光が生まれた。
 ソビエト社会も国民も混乱していたことだろう。
 今回はじめて10番を聴いて頭に浮かんだ単語は、まさに「混乱」であった。
 構成の混乱、主題の混乱、曲想の混乱、曲調の混乱・・・ショスタコーヴィチの混乱した精神状態がそのまま楽譜に写し取られたような感じを受けた。
 
 この日の午前中、コロナワクチンの5回目接種をした。
 副反応のせいか、頭がポーっとなっていた。
 前半のプロコフィエフ『ロメオとジュリエット』は、半スリープの朦朧状態で聴いた。
 休憩後にやっと起動したけれど、いま一つ身が入らなかった。
 「混乱」という印象は、聴き手に要因があったのかもしれない。
 機会あれば、また聴いて確かめたい。
 
 アンコールは、昨年10月のクラースヌイ・フィルハーモニー管弦楽団定期演奏会で聴いたA. モソロフ作曲の『交響的エピソード《鉄工場》』。
 指揮者の田部井は、工事現場用ヘルメットをかぶり、ハンマーを手に登場した。
 オケの数名も色とりどりのヘルメットをかぶった。
 以前、別のオケでアンコールに「スターウォーズのテーマ」をやった時は、ダースベーダーの恰好で指揮していた。
 こうした遊び心がこの指揮者の身上である。

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川崎駅







 
 

● アントニン療法 : Blue-Tコンチェルト管弦楽団 第6回定期演奏会


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日時: 2023年1月29日(日)13:30~
会場: 渋谷区文化総合センター大和田 さくらホール
曲目:
  • ドヴォルザーク: チェロ協奏曲ロ短調 作品104
  • ドヴォルザーク: 交響曲8番ト長調 作品
チェロ: 河野 明敏
指揮: 原田 博之

 コロナ後遺症のブレインフォグによるものなのか、頭がぼんやりして集中力を欠く最近のソルティ。
 この日も朝から倦怠感とともに、時差ボケにでもなったかのような心身の違和感があった。
 「ととのって」ない感じ・・・。
 日曜の渋谷の人混みを思うと出かけるのは気が進まなかった。
 が、ほかならぬドヴォコン、ことドヴォルザークのチェロコンチェルト(協奏曲)。
 自分が最も好きなクラシックの名曲である。
 頑張って行くことにした。

 渋谷駅周辺の変わりようは凄まじい。
 都営地下鉄の渋谷駅で降りたはいいが、自分が一体どこにいるのか、どっちに行けばいいのか、よくわからない。
 とりあえず、表示に従ってJR渋谷駅の西口を目指したが、西口もまたえらい変わりよう。
 長年目印としてきたビルディングや公衆便所が見当たらず、別の街に来てしまったかのよう。
 駅ビルに沿った右手奥の一角に、寂しく立っているモヤイ像を目にし、やっと位置関係が把握できた。
 渋谷区文化総合センター大和田は、西口から徒歩5分。

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渋谷駅西口

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渋谷区文化総合センター大和田
プラネタリウムがある

 Blue-Tコンチェルト管弦楽団の名ははじめて聞く。
 なんでも元々は、渋谷区笹塚にあったクラシック専門のライブハウス「笹塚Blue-T」所属のオーケストラとか。
 小編成(50名弱)なのはそのためか。
 腕前は素晴らしく、少人数を感じさせない迫力と安定感とチームワークの良さ。
 ライブハウス当時からのファンがついているのだろうか。客層が通常のクラシックコンサートとは微妙に違っていた。
 中年の男連中、それも仲間連れで来ているのが目立った。
 心なしかゲイ率が高いように思えた。
 気のせい?

 チェロ奏者の河野明敏は、1994年生まれというから、まだ20代である。
 繊細な感性の持ち主で、曲想の理解に優れ、テクニックも鮮やか。
 ドヴォルザークの一見優美でロマンチックなメロディラインに潜む、祈りにも似た深い悲哀と、天上的とさえ言える荘厳なる畏敬の念を、的確にとらえ表現していた。
 テクニックの凄さは、チェロという楽器のあらゆる可能性を誇示するかのようなアンコール曲、マーク・サマー「Julie-O」で遺憾なく発揮された。
 今後の活躍が楽しみな青年。
 
 交響曲8番では、第1楽章始まってすぐ意識が遠のいた。
 気がついた時には第3楽章の終わりだった。
 2楽章、まるまるワープ! 
 と言って、眠ったようにも思えない。
 音符の渦に取り巻かれて、いっさい抵抗することなく浮遊していた。
 音楽を耳で聴くというより、体全体で感じていたようだ。
 その証拠に、演奏が終わったあとは、頭も体もすっきりしていた。

 ととのった!
 
 アントニン・T・ドヴォルザークだからこそ為しうる芸当。
 人はこれをアントニン療法と呼ぶ。
 
moyai
ドヴォルザーク、でなくてモヤイです









 
 

● 新型コロナ感染記

 昨年末に新型コロナ陽性になった。
 幸いなことに軽症ですんだ。
 オミクロン対応ワクチンこそ打っていなかったが、これまでに4回ワクチン接種していたのが重症化を防いだ一因ではないかと思う。
 幸いなことに同居の両親は感染しなかった。
 経過を記録しておく。
 発熱した日を発症日(0日)とする。

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携帯に送られてきたPCR検査結果通知
やはり目にした瞬間はショックだった
  • -2日 勤務日。深夜までブログ書き。
  • -1日 休日。倦怠感強し。午後はずっと横になっていた。
  •  0日 朝方より倦怠感強し。風邪かと思い熱を測る。6.4度。出勤するも14時で早退。帰宅し横になる。食欲なし。夜間より寒気と咳込みあり。7.5度に上がる。小青竜湯服用。
  • +1日 起床時より強い倦怠感とのどの痛み、体熱感あり。8.5度まで上昇。血中酸素(SPO2)は95%。小青竜湯および葛根湯服用。コロナを疑い勤務先に連絡入れる。自室隔離開始。午前中は起き上がれず。午後2時に7.5度に下がる。痰と咳込み続く。近隣の病院にPCR検査の予約入れる。夜、おかゆを食べる。寝る前の体温は7.3度
  • +2日 朝の体温は6.5度。倦怠感もかなり抜けている。咳たまにあり。のどの痛みはとれたが違和感あり。鼻のあたりにムズムズ感あり。匂いは感じられる。午前中にPCR検査を受ける。日中はブログを書いて過ごす。午後3時、陽性判明。勤務先に報告し一週間の出勤停止指示を受ける。家族に外出自粛を依頼する。食欲復活。
  • +3日 体温は5.7度(平熱)まで下がる。のどのイガイガ感あり。声がかすれている。咳たまにあり。そのほか、ほぼ平常通り。
  • +4~6日 特変なし。食べ物の味が塩辛く感じられる。匂いは通常通り。のどに痰が絡まっているような感覚続く。高音が出ない。一日一回は人通りの少ない道を散歩する。
  • +7日 午後3時、買ってきた抗原検査キットで「陰性」結果確認。9日ぶりに入浴。抜け毛が気になる。
  • +8日 床屋に行く。
  • +9日 のどの調子と味覚戻る。図書館に行く。
  • +10日 出勤再開。
金長さん

 いつどこで感染したのかわからない。
 発症前の数日、家族以外との濃厚接触はなかった。
 しいて言えば、家の近くのサイゼリアに1人で行ったとき、通路を挟んだ隣のテーブルの4人家族が食事中ずっと喋っていたのが可能性として思い当たる。疲れと寝不足で抵抗力が落ちていた。 
 一番重かった症状は倦怠感。
 7度以上の発熱、のどの痛みは丸一日程度。
 激しい咳込みや関節痛はなし。
 抜け毛はあったかもしれないが、年齢のせいか区別つかず。
 インフルエンザよりまったく軽かった。
 家族の体調不良もなし。

 5人いる職場では自分がコロナ感染第1号となったが、出勤再開後まもなく他の職員1名が感染、また別の職員が濃厚接触者となって出勤停止。
 結局、職員全員揃わないまま、仕事納めとなった。
 現在、日本では3000万人近い感染者が報告されているから、4人に1人は感染している勘定になる。
 もうちっとも珍しいことではなくなった。
 こんなふうにコロナ感染を平気でカミングアウトできる現状をみるにつけ、3年前のコロナパニック時に感染が発覚した人が各地で厳しい差別を受けたことを理不尽に思う。
 なんだったんだ、あれは・・・・・?

 感染から半月以上経った。
 後遺症なのかどうか分からないが、若干の喉のかすれは残っている。
 また、集中力が減退しているようで、瞑想中に雑念に振り回されている。
 ブレインフォグ(直訳すると「脳の霧」)というやつだろうか?
 脳の配線が感染前と違っているような別人感がある。
 仕事上のミスの言い訳に使おうと思っている。 

P.S. 感染時の症状は、ワクチン接種後の副反応同様、個人差が大きい。上記はあくまでソルティのケースに過ぎないので、軽視は禁物。くれぐれもご用心を!
 
脳みそ




 

● ブースター接種でラーメンを食べたくなったわけ

 3回目のコロナワクチン(ファイザー)を接種した。
 いわゆるブースター。
 ソルティは一応、“エッシェンシャル・ワーカー”の端くれなので、一般より早く打たせてもらった。

 先に打った同僚たちは、発熱や関節痛などの副反応を訴えていた。
 接種した日を含め3日間熱が下がらなくて寝込んだという人もいた。
 1,2回目接種後には何ともなかった人も、「全然大丈夫と思っていたら、夜中に熱発して翌日は寝ていた」と言う。
 ソルティの場合、1回目は強い倦怠感を当日と翌日に感じ、2回目はほぼ無症状だった。
 3回目はどうなるか予測がつかないので、三連休が取れた週末の初日に打った。

 職場では、ワクチンを接種するもしないも自由である。
 強制されることはない。
 自分がもし高齢者や病人と日常的に接するような仕事をしておらず、80を超える両親と同居していなかったら、ワクチンを打たなかったかもしれない。
 まさにそういう環境にいる40代の友人は、いまも一回も打っていない。(しかも彼の場合、テレワークができる職業に就いている)
 そう考えると、自分のためというよりは他人のために打っているのかもしれない。
 主体性がないように聞こえるが、たとえこの先どこかでコロナワクチン接種による有害な副作用すなわち薬害が生じることがあるとしても、「もう半世紀以上生きてきたし、子供を作ることもないからいいや」という、ある種の覚悟と諦観は持ちつつ、一応自己決定したのである。

 先日テレビを観ていたら、都内の街頭インタビューでマイクを向けられたマスク姿の若者たちが、「他人に迷惑をかけたくないから、気をつけて行動している」と判で押したように言っているのを聞いて、「日本人やな~」とつくづく思った。
 「他人に迷惑をかけたくない」という理由が、自身の行動を制御するもっとも大きなインセンティヴ(誘因)になるのは、昔も今も、老いも若きも、日本人は変わらない、変わっていないのだろう。
 メディアがそういう発言をしそうな感じの若者を選んで、インタビューした、あるいは編集したという可能性も否定できないが・・・。

 対照的に、海外とくに欧米では自粛やロックダウンやワクチン接種に反対する人々が多い。
 反対デモをする人々が、びっしり埋まった人波の中で、マスクもせず声を上げている映像が映し出されるのを見るたび、彼我の違いを思ってしまう。
 個人の自由という価値をなにより重んじる文化に生きているのだなあ、と実感する。
 「リベラル」という言葉は、いろいろな意味で使われていて、日本ではなんとなく左翼っぽい(革新的な)イメージを帯びがちだけれど、欧米では右も左も関係なく、「個人主義」と親和性を持つものなのだ。

 幸か不幸か、日本人は聖徳太子の「和をもって貴しとなす」の呪縛からずっと抜けられないでいるので「和=世間」の力が強い。
 和をみだすこと=世間に迷惑をかけること、が何より忌避されてきた。
 それは日本人の「右へならえ」の統率力の良さや世界に名だたる気配りの精神を生んできた一方で、同調圧力からくる息苦しさやいじめのような弊害をも生んでいる。
 今回のコロナ禍においては、そうした日本人の特性が、欧米諸国のような爆発的感染を抑止するメリットとして働いた反面、マスクをしていない人、ワクチンを打たない人、感染した人に対する差別的視線というデメリットとして表面化しているように思う。

 「他人に迷惑をかけたくない」からワクチン接種したソルティもまた、純日本人の一人であると認めるにやぶさかでないが、同調圧力に加担しないようには気をつけたい。

 結局、3回目のワクチン接種はまったく副反応なしで、拍子抜けした。


P.S. ブースターという言葉がどうにも可愛い感じがするのは、幼児の頃に大好きだったテレビ番組『怪獣ブースカ』を連想するからである。はあ~、ラーメン食いたい。


ラーメン






● 永遠の田宮二郎 映画:『白い巨塔』(山本薩夫監督)

1966年大映
149分、モノクロ

 「白い巨塔」と言えば財前五郎、財前五郎と言えば田宮二郎。
 ――というのがソルティの固定観念であるけれど、山崎豊子原作のこの社会派医療ドラマは実に6回もテレビドラマ化されている(国内のみ。韓国でもドラマ化されている)。
 主役の財前五郎=友人にしてライバルの里見脩二=財前の愛人のホステス・花森ケイ子、主要3人の過去の配役を並べると、

1966年映画   田宮二郎=田村高廣=小川真由美
1967年テレビ  佐藤慶=根上淳=寺田史
1978年テレビ  田宮二郎=山本學=太地喜和子
1990年テレビ  村上弘明=平田満=池上季実子
2003年テレビ  唐沢寿明=江口洋介=黒木瞳
2019年テレビ  岡田准一=松山ケンイチ=沢尻エリカ

 その時代のトップ中堅スターが抜擢されてきたことが分かる。
 ソルティがこれまで観たのは78年テレビ版のみで、財前がガンで亡くなる最終回直前に田宮二郎の猟銃自殺があったため、なんだかドラマ(虚構)と日常(現実)の境が溶けるような奇妙な印象が生じ、そうでなくともハマリ役であった田宮=財前が強く脳裏に刻まれた。
 おそらくリアルタイムで78年版を観ていた多くの人も同じであろう。

 田宮二郎が財前を演じた最初にして、今のところ唯一の映画化が本作である。
 やはり素晴らしくハマっている。翳りある冷徹な二枚目ぶりはその後のどの財前も及ぶところではない(と勝手に思っている)。
 俳優だけでなく事業にも手を伸ばした野心家であり、ポスターの名前の序列をめぐって大映とケンカ別れするほどプライドが高く、妻子ある身で山本陽子と浮名を流し、最後は精神を病んで自害に至った田宮二郎の素そのものが、財前五郎というキャラと重なるのである。
 まるで財前五郎を演じるために生まれてきたかのよう。

 本作のラストは、誤診で患者遺族に訴えられた財前が裁判に勝利して、“白い巨塔”のトップに昇り詰め、有名な院内大名行列する場面で終わる。
「あれ、ここで終わり? 財前って最後は死ぬはずでは・・・・?」
 と思ったら、本作が撮られた66年の段階では山崎豊子の原作(65年出版)はここで完結していたのである。
 ところが、読者の反響すなわち「里見が象徴する正義が通らず財前が象徴する悪が勝つこと」への批判が凄かったため、山崎は続編を書くはめになったらしい。
 続編は69年に出版されているので、ソルティが観た78年テレビ版はもちろん、勧善懲悪バージョンだったのだ。
 まあ、そうでなければこれほど何回もドラマ化されないだろう。

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ただいまより財前教授の総回診が始まります

 本作の魅力は、田宮、田村、小川のみならず出演陣の豪華な顔触れと質の高い演技にある。
 東野英治郎、小沢栄太郎、加藤嘉、加藤武、藤村志保、石山健二郎、滝沢修、船越英二・・・・。
 なんとまあ実力派を揃えたことか!
 中でも、財前五郎の義理の父を演じる石山健二郎の「この世のすべては銭でっしゃろ!」の浪花ごうつく親爺ぶりが傑作である。
 この人は黒澤明の『天国と地獄』でも叩き上げのボースン刑事役として得難い個性を発揮していた。
 日本が誇る素晴らしきバイプレイヤーの一人である。
 観客を決して飽きさせない橋本忍の脚本も、『真空地帯』で示した山本薩夫の演出もゆるぎない。

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娘婿の教授拝命を喜び芸者と踊る財前又一(石山健二郎)

 タイトルの「白い巨塔」とは、「封権的な人間関係と特殊な組織で築かれ、一人が動いても微動だにしない非情な」医学界の意である。
 このたびのコロナ禍ではっきりしたように、白い巨塔はウイルス対策のような臨機応変の柔軟な対応を必要とされる事態に滅法弱い。
 利権、既得権、縦割り、派閥(学閥)、ピラミッド型組織、政財界との癒着、身内同士のかばい合い、パワハラ・・・・。
 目に見えないウイルスは、強固につくられ微動だにしない塔の隙間から自在に入り込んで、内側から塔を蝕んでいく。
 今回のコロナ禍になにかしらの益があるとしたら、昔ながらの白い巨塔がいくらかでも風通しのいいものになってくれるところにあると思いたい。



おすすめ度 :★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損


● フェルマータ or 増えるまぁた? :ベートーヴェン第九演奏会(日本フィルハーモニー交響楽団)

日時 2021年12月22日(水)19時~
会場 東京芸術劇場(池袋)
曲目
  • J.S.バッハ : 甘き喜びのうちにBWV729
  • J.S.バッハ : カンタータ《神の時こそいと良き時》BWV106より第1曲「ソナティーナ」
  • J.S.バッハ : トッカータとフーガ ニ短調 BWV565
  • ベートーヴェン : 交響曲第9番《合唱》ニ短調
指揮 小林研一郎
合唱 東京音楽大学
ソリスト
 オルガン:石丸由佳
 ソプラノ:市原愛
 アルト:山下牧子
 テノール:錦織健
 バリトン:青戸知


 2年ぶりの《第九》。
 前回(2019年12月)はコロナの「コ」の字もなかった。
 骨折手術後の松葉杖姿で何とか会場まで辿りつけた「喜び」でいっぱいだった。

 今年はあちこちで《第九》演奏会が復活しているが、嵐の前の静けさならぬ、オミクロン爆発前のフェルマータ(休止)といった印象で、演奏する方も聴きに行く方もどこかおずおずと遠慮がちで、歳末の華やぎはまだまだ薄い。
 本日の合唱隊もみなマスクを着けたまま歌っていた。

フェルマータ【 fermata 】
〈休止〉〈停止〉を原義とする西洋音楽の用語。イタリア語では記号の形状からコロナcoronaともいう。大別して(1)正規の拍節が停止されて音符や休符が延長されること(延長記号)、(2)曲の区切りや終止、の二つの意味がある。(1)の意味では、音符や休符の上に置かれてその音価を任意に長くする。しかし、とくに長い休符に付される場合には、必ずしも延長を意味せず、適当な長さの休みを漠然と要求している。(平凡社『世界大百科事典 』第2版より抜粋)


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フェルマータまたはコロナマーク


 コバケンの《第九》と言えば「情熱」という形容詞が定番なのであるが、今回は第一楽章から予想に反していた。

 流麗で繊細で優しい!

 「こんな優しい第一楽章は聴いたことがない」と思っていたら、そのまま、第2楽章も第3楽章も、合唱付きの第4楽章も、流麗で繊細で優しい!
 情熱とか湧き上がる歓喜といった激しさは影をひそめ、ひたすら曲そのものが持つ美しさの展開に力点が置かれていたように感じた。

 コバケンから「情熱が消失した、手を抜いている」というのではない。
 これはむしろ枯淡の境地というやつではなかろうか。
 楽譜に対する圧倒的に繊細な読みはそのままに、夢見るようなメロディをその指の先から紡ぎ出していた。
 それはベタな言葉で言えば「癒し」。
 
 ここ最近の巷のニュース――東京の列車内で起きた傷害事件、大阪のクリニックの放火事件、神田沙也加の転落死、各地の地震や火山の噴火、もちろんオミクロン株の不気味な広がり――に触れて、なんだか不穏な気配を感じて気分が塞ぎがちになっているのは、ソルティだけではあるまい。
 自然の乱れに呼応するように、人心も乱れている。
 2年に亘ろうとする自粛とソーシャル・ディスタンスとマスク着用のおかげで、人と人との触れ合いが減って、町の風景からさりげない声がけやあたたかい笑顔が消えてしまった。
 そのことが、孤独や人間不信や絶望を深め、人々の生きる気力を萎えさせていく。

 たとえば、列車内や店内での見知らぬ人からの「ありがとう」とか「大丈夫ですか?」といったほんの一言、自分に向けられた店員や子供の笑顔、セクハラではないちょっとしたスキンシップ――そんなちょっとしたことが実はとても大事だったと気づかされたのが、このコロナ禍ではなかったろうか。
 ソルティも松葉杖を使っていたとき、そうした小さな心遣いにどれだけ助けられ、感謝したことか!
 
 いま社会に必要なのは「情熱」ではない。
 お互いへの小さな「優しさ」とそれを示す「勇気」だ。
 今回のコバケン×日フィルの《第九》はそんなことを伝えているように感じたし、客席もそのメッセージを十分受け取っていたように感じた。

 
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東京芸術劇場前のXmasイルミネーション








● 東京の紅葉名所人気 No.1

 思えば、前回六義園を訪ねたのはコロナ発生前の2019年の晩秋、紅葉真っ盛りの折りであった。
 JR山手線駒込駅から歩いて、正午過ぎに国の特別名勝にも指定されているこの都立庭園に着いたはいいが、正門前には30メートル以上の行列ができていた。
 入口から中をのぞいてみると、園路は人でごった返している。
 ゆっくり紅葉や散策を楽しめる感じでは全然ない。
 あきらめて駅へと引き返した。

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駒込駅近くの染井門(通常は使われていない)

 リベンジというわけではないが、今回は午前10時過ぎに行ったら、並ばずに入ることができた。
 六義園は五代将軍・徳川綱吉に寵愛された川越藩主・柳沢吉保が、元禄15年(1702年)に築園した回遊式築山泉水の名園。
 面積は約88,000㎡、東京ドームの1.9倍。
 中央の大きな池の周囲に園路が巡らされ、四季折々の自然の景観が楽しめる都心のオアシスである。
 今の時節はもちろん紅葉、それから山茶花、紫式部、雪吊りや冬囲いした木々が見どころである。

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モミジの向こうに人の群れ

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見る角度によっては都心とは思えない光景もある

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色づき始め。見頃は来週あたりか

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園内一番の高所(35m)藤代峠から池を望む
オフィスビルが借景

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 順路から外れた人の来ない場所を見つけて瞑想
 
 一時間ほど庭園を巡って正門に戻ると、やはり行列ができていた。
 ネット情報によると、ここは東京都の紅葉名所人気ランキング1位だそう。
 道理で・・・。
 もっとも、ソルティは高尾山に一票入れたいが。



 
 

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