ソルティはかた、かく語りき

東京近郊に住まうオス猫である。 半世紀以上生き延びて、もはやバケ猫化しているとの噂あり。 本を読んで、映画を観て、音楽を聴いて、芝居や落語に興じ、 旅に出て、山に登って、仏教を学んで瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

  白土三平を読む

● 白土三平作画『カムイ伝』を読む 1

1964~1971年『月刊漫画ガロ』連載
1988年小学館叢書1~5巻

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 「いつか時間があったら読もう」と思っていたボリュームある小説や漫画のうちの一つであった。
 『神聖喜劇(漫画版)』といい『橋のない川』といい『チボー家の人々』といい、ソルティにとって今がその「いつか」らしい。
 間に合ってよかった(何に?)

 白土三平と言えば、子供の頃再放送されるたびに観たTVアニメの『サスケ』と『カムイ外伝』、つまり江戸時代の忍法漫画のイメージが強く、本作もまたタイトルからして当然その系列と思っていたのだが、5巻まで読んだところでは、“苛烈な封建社会に対するアジテーション”が中心テーマのようである。
 もちろん、非人あらため忍者カムイは主役の一人で、忍術を駆使した剣士や忍者とのスリリングな闘いシーンは出てくるし、忍者社会の厳しい掟(とくに“抜け忍”に対する)も語られている。
 そこは上記のテレビアニメと同様のアクション漫画としての面白さがある。(「解説しよう」で始まる忍法の種明かしこそないが・・・)
 
 カムイ以上に目立っているのは、下人(百姓と非人の間の身分で畑をもつことができない)の生まれながらも、才覚と勇気と根性で百姓に這い上がった正助である。
 下人仲間はもちろん、非人にも百姓にも(庄屋にまで!)頼りにされ慕われる正助というキャラから目が離せない。
 新しい農具(センバコキ別名後家殺し)を開発したり、稲作のかたわら養蚕や綿の栽培を始めたり、自ら読み書きを覚えた後に百姓相手の学習塾を開いたり、現状を改善していこうと骨折る正助。
 封建社会の重圧や理不尽に負けず、知恵を尽くし、持てる力を発揮し、あきらめずに仲間と共に闘っていく姿が、時代を超えた共感を呼ぶのであろう。

 正助の最大の味方であるスダレこと苔丸。
 紀伊国屋文左衛門を思わせる才覚とスケールの大きさをもつ元受刑者の七兵衛。
 七兵衛に惹かれて力を貸す抜け忍の赤目。
 男同士の友情も読みどころの一つである。

 ところで、読みながら思い当たったのは、ソルティの中の江戸時代の百姓イメージが『サスケ』と『カムイ外伝』の白土ワールドによって原型を作られ、その後のステレオタイプな時代劇で補強されたってことである。
 曰く、重い年貢と日照りや長雨に苦しめられ、悪代官や「切り捨てごめん」の武士に怯え、姥捨てや間引き(嬰児殺し)や娘の身売りが横行し、五人組や村請制度の連帯責任・相互監視によって土地と世間に縛られる。
 徹底的にみじめで不自由な人々。

 だが、本当にそれだけなのか?
 網野善彦著『日本の歴史をよみなおす』を読むと、「百姓」という言葉の定義自体を見直さなければならないことが分かるが、ステレオタイプの農民像も今一度見直してみる必要を感じる。(見直してどうしようというのか?)

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 『チボー家の人々』を読み終わらないうちに本コミックに取りかかってしまったので、意識の中に20世紀初期の第一次大戦下のヨーロッパと、17世紀日本の地方の一藩と、コロナとウクライナ問題に苦しむ2022年の世界とが、並行して存在している。
 第一次大戦にプーチンが出てきたり、江戸時代の農村をジャックが飛行したり、職場の帰り道にカムイの殺気を感じたり、なんだか混乱している。






● 白土三平作画『カムイ伝』を読む 2

1964~1971年『月刊漫画ガロ』連載
1988~1989年小学館叢書6~10巻

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 最近『ゴールデンカムイ』という漫画が人気らしいが、これは白土の『カムイ伝』とはまったく関係ないらしい。江戸時代が舞台でもないし、忍者物でもない。
 ウィキによれば、『週刊ヤング・ジャンプ』に掲載されていた野田サトルの作品で、明治末期の北海道・樺太を舞台にした金塊をめぐるサバイバル・バトルという。
 主人公は元陸軍兵とアイヌの少女で、カムイとはアイヌ語で「神」なのであった。
 ゴールデンカムイ=金の神=金塊ってことか・・・・。
 面白そうなので、そのうち機会あったら読んでみたい。

 カムイがアイヌ語とは気づかなかった。
 となると、『カムイ伝』の舞台は東北あたり?
 たしかに正助の暮らしている日置藩の村の名は花巻である。
 冬には雪がそれなりに積もっている。
 岩手県なのか?

 しかし読み進めていくと、海には鯨が泳いでいるし、寒さに弱い綿花の栽培も行っている。
 ネットで調べてみたら、大阪の岸和田という説や紀州和歌山という説もあった。
 白土はあまり細かく設定しないで描き始めたようだ。

 白土の性格なのか月刊連載だったためなのか分からないが、『カムイ伝』の話の設定や構成自体はかなり大まかなところがある。(カムイが双子だったのにはびっくり)
 登場人物が多いうえに話があちこち飛ぶ。場所だけでなく時間も飛ぶ。
 すっかり忘れた頃に途中で終わったエピソードの続きが出てくるので、「ああ、そうだった。この一騎打ちは途中で終わっていたんだっけ・・・」と思うようなことも多々ある。
 リアルタイムで連載で読んでいた人は、よく話についていけたなあと思う。
 10巻まで読んできて、ソルティは誰が味方で誰が敵なのか、誰が非人で誰が百姓なのか、誰と誰が血縁関係にあるのか、よく分からなくなってきた。
 ウィキ『カムイ伝』の登場人物一覧をプリントアウトして、コミックに挟んで読んでいる。
 
 それにしても、白土の絵はクセがすごい
 絵の上手さはこの時代の漫画家としては当然のこととして、個性が際立っている!
 これほどアクの強いタッチには滅多にお目にかかれまい。
 非人や百姓の暮らしぶり、人が斬られる場面(体の一部が千切れる絵が多いこと!)、それに弱肉強食の自然界の描写には残酷なまでに生々しいリアリティがあるのだが、それらも含めて作品全体が墨絵のようなスタイルで統一されている。
 それが、江戸時代の農村を描いた話というレベルを超えて、なにか壮大な寓話めいた印象を作品に付与している。
 あくまでも白土ワールドの中の江戸時代であり、士農工商であり、非人であり、忍者であり、男であり女であるのだ。
 フランスの文豪バルザックは、自らの小説中の人物をあまりにリアルに創造したため、晩年には自らの創作したキャラと現実世界の人間との区別がつかなかったと聞いたことがある。自らバルザック・ワールドを生きていたのだ。
 白土もまたそうだったのではなかろうか。
 
 カムイたちが使う忍術の物理的あり得なさ(たとえば分身の術)や、どうしたってバレて当然と思われる変装に相手がいとも簡単に騙されてしまう不可解さ(たとえばカムイ=美形剣士・鏡隼人)――こういった漫画ならではの奇想天外な非リアリズムと、封建社会の矛盾を突く写実的リアリズムとが両立しうるのは、読む者もまた白土ワールドの住人になってしまうからだろう。
 

 
 
 
 

● 歴史リテラシー 本:『百姓の江戸時代』(田中圭一著)

2001年ちくま新書

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 田中圭一(1931-2018)は新潟県佐渡生まれの歴史学者。高校教諭を経て、筑波大学、群馬県立女子大学の教授を歴任。専門は近世史。
 「どこかで聞いたような名前・・・・」と思ったら、『うつヌケ』『ペンと箸』の漫画家と同姓同名であった。

 『日本の歴史をよみなおす』を書いて「日本は農業中心社会」「百姓=農民」という固定観念を打ち破った網野善彦同様、本書において田中圭一もまた、江戸時代について、あるいは江戸時代の百姓について、我々が歴史の授業で習いテレビ時代劇で補強された固定イメージを払拭せんとしている。

 これまで、江戸時代は封建支配者が暴力的・強制的、あるいは経済外的な強制によって、無権利の人民に対して法と制度を押しつけ、庶民はその暴政のもと、悪法に苦しみ、ときには法に反抗しながら270年を経過した、と考えられてきた。わたしはそうした歴史理解について、いささか考えを異にする。
 村を回っていると、庶民は力を合わせて耕地をひらき、広い屋敷と家をもち、社を建て、大きな寺院を建てている。百姓の子弟の多くは字を読み、計算をし、諸国を旅した者も多い。婚礼の献立は驚くほど立派である。日頃の粗食は貧しさだけが理由ではない。それは生活信条なのである。一口に言って、百姓は元気なのである。

 日本の江戸時代史を勉強する上で、これまで欠けていた点を一つ挙げるとするなら、百姓・町人を歴史の主役としてみることがなかったという点だ。あらゆる禁令や制度を支配者の意志による政策として疑わなかった。だから、法と制度だけで歴史をえがいてしまったのである。

 田中がこのような結論をもつに至ったのは、新潟県史編纂事業のため、幕府最大の直轄領であった佐渡の260に及ぶ村の資料調査を行ったことがきっかけらしい。
 国に残る支配者寄りの資料ではなく、村々に残る庶民寄りの資料――地域の実態を細やかに示し、文面から庶民の肉声が聴こえてくるような――を丁寧に読み込むことで、これまで多くの歴史学者が語ってきたのとは相貌を異にする江戸時代像、百姓像が浮かび上がって来たのである。
 天意でなく民意を汲んだ歴史学ってところか。
 百姓の訴状により勘定奉行がクビになった例とか、百姓一揆が幕府の理不尽で一方的な契約違反に対する民衆運動であったとか、著者が資料と共に示す様々な事例を読むと、これまで自分が江戸時代の百姓を「愚かで無力で情動に生きる子供のような存在」として捉えてきた安直さに気づかされる。
 たしかに一口に江戸時代といっても、初期と中期と後期とでは変化があって当然であるし、地域差も無視できないだろう。 

 網野史学や田中史学が、中世史や近世史の研究フィールドにどういう影響を及ぼし、現在どういう評価を得ているか、歴史の教科書にどう反映されてきたかは知るところでない。
 が、歴史教科書の内容が、時の権力の都合のいいように捻じ曲げられてしまう実態は、ドキュメンタリー映画『教育と愛国』で明らかである。
 「誰が、どのよう意図をもって、どんな資料をもとに、歴史を語っているか」
 歴史リテラシー能力を高める必要性を感じた。





おすすめ度 :★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損



● 四万十川の大文字焼き 本:『忍びの者 その正体』(筒井功著)


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2021年河出書房新社

 ソルティにとって忍者と言ったら、「サスケ、カムイ、赤影、花のピュンピュン丸、風車の弥七、服部半蔵、忍者ハットリくん」あたりであるが、ウィキ「忍者」の項をみると「忍者をテーマにした代表的な漫画は『NARUTO ーナルトー』」とあり、ちょっとビックリしてしまった。
 もはや『伊賀野カバ丸』ですらないのか・・・・。

 在野の民俗研究家・筒井によると、 
黒覆面に黒装束、背中に柄の長い直刀を負って、蜘蛛のように城の石垣を登ったり、「草木も眠る丑三つどき」に闇の中を風のように駆け抜けていく姿など虚像にすぎず、現実にはまず存在しなかったろう。

 漫画や映画やテレビ時代劇に描かれる忍者像は架空のものであり、歴史上(主に戦国時代)に暗躍した忍者の実像とはかけ離れているらしい。
 そもそも「忍者」という言葉ができたのも大正か昭和初期で、それまでは「忍び」「草」「悪党」「スッパ」などと呼ばれていた。(スッパが「すっぱ抜き」の語源とのこと。忍者の如く極秘情報を抜きとる、ということか)

 では、実在した忍びはどんな働きをしていたのか。

 忍びの仕事は大きく分けて、正規軍とは別に奇襲・遊撃隊を担当することと、いわゆる諜報活動の二つであったらしい。前者は、やや集団的で、ことの性質上、外部の目を完全に遮断することが難しいのに対して、後者はしばしば個別に行われ、かかわった当事者以外には何があったのかわからず、記録に残されることもまずない。

 わかりやすく現代風に言えば、「傭兵とスパイ」といったことになろう。
 いずれにせよ、忍びに関する学問的研究はこれまでほとんどされてこなかったようで、結果的に虚実入り混じった忍者像が独り歩きしているのである。
 2017年三重大学に国際忍者研究センターが設立され、2018年同大学に日本初の専門科目「忍者・忍術学」が導入されたというから、今後の調査研究によって忍びの実像が露わになっていくことが期待される。

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 そういうわけで、本書の内容も忍びについて総論的に語るのでなく、各論となっているのは止むをえまい。
 信頼性の高い資料から史実と認められる戦国時代の4つの忍びのケースが取り上げられている。
 章題をそのまま用いると、
  
第1章 北条氏配下の忍び軍団「風間一党」のこと
 もちろんこれは『鎌倉殿の13人』に出てくる執権・北条氏ではなく、戦国大名で関東を一時支配した後北条氏(小田原北条氏)のこと。北条氏が傭兵として要所に配していたならず者部隊が、のちに風魔小太郎伝説で有名となった風間一党である。

第2章 一条兼定へ放たれた忍び植田次兵衛のこと
 土佐(高知県)の有力大名であった一条兼定が、新勢力の長宗我部元親の放った刺客・入江左近により瀕死の重傷を負った。入江左近の手伝いをした忍びが猿回しの植田次兵衛である。

第3章 伊賀・甲賀の忍びとは、どんな集団だったか
 忍者の里と言えば伊賀・甲賀であるが、なぜこの二つが忍びで有名になったかを、今も当地に数多くの遺構が残る方形土塁の武家屋敷を手がかりに推理する。

第4章 伊達氏の「黒脛巾(くろはばき)組」と会津・摺上原の合戦
 伊達政宗が使役していたと言われる忍び部隊「黒脛巾組」は本当にあったのか、どんな働きをしていたのか。政宗の晩年に仕えていた小姓・木村右衛門の覚書から探る。
 
 1章と3章が傭兵的な忍び、2章と4章がスパイ的な忍びのケースと言えるだろう。
 いずれのケースも、複数の古い資料の読解と照合をもとに、筒井の柔軟にして洞察力に満ちた推理が組み立てられていく。
 歴史ミステリーの面白さを存分味わえる。

手裏剣

 中でもっとも筒井が関心を抱き、力を注いで取材や資料調査を行っているのは、一条兼定暗殺事件を扱った第2章である。
 本書中の白眉と言える面白さだった。
 
 一条兼定(1543-85)は土佐一条家の4代目当主であるが、名前から推察されるように、一条氏はもともと京都に長く住み代々の天皇を補佐した上級貴族であった。
 関白の地位まで登った一条教房が応仁の乱の戦火を逃れ、土佐の領地に都落ちしたのがことのはじまり。
 息子の房家が土佐一条の初代となり、房冬、房本と、土佐最強の大名家として名を馳せる。
 が、4代目兼定のときに最大の敵・長宗我部元親(1539-99)が現れる。
 土佐一国のみならず四国支配を狙う元親は、兼定を亡きものにしようと謀り、もともと一条家の重臣だった入江左近を手なずけて味方に引き入れる。
 そうとは知らない兼定は、「累代主従の厚恩」を口にして潜伏中の島を訪れた左近をこころよく受け入れて、一献交わしてしまう。
 その夜、暗殺事件は起こったのである。
 入江左近は恩ある主人を裏切った不届きものとして今も評判良ろしくないようである。

 筒井の『猿まわし 被差別の民俗学』(河出書房新社)に詳しいが、猿回しは当時、各地を歩き回りながら牛馬の祈祷を専らとした賤民であった。
 土地勘すぐれ、厩を持つ武家屋敷に入り込みやすく、馬の扱いにも長けた猿回しは、忍びとして恰好の存在だったろう。
 植田次兵衛は、入江左近の指図のもと謀略を助けたのである。
 
 この話が史実らしいのは、高知県の四万十川近くの山中に猿飼という名の村が今もあり、そこの住人たちの姓は最近まですべて植田だった。しかも次のような村の言い伝えが残っている。
「先祖の植田次兵衛は入江左近の家来だった人で、一条の殿様の暗殺に手を貸した。だから、この村の者は中村(現・四万十市中村町)にある一条神社にお参りしない」
 ぬあんて面白いんだ!
 
四万十川
四万十川

 四国遍路で高知県を歩いていた時のこと。
 四万十川を越えてしばらく行ったところで、ソルティの足は止まった。
 遍路道の右手に大文字山が見えたのである!
 伐採されて裸になった山の斜面に、くっきりと「大」の字が浮かび上がっている。
 場所が場所だけに、とうてい観光目的とも地域のお祭りのために作ったとも思えない。
 「なぜこんなところに大文字山が???」
 不思議な思いでシャッターを切った。

大文字山(高知) (2)

 その先に看板があった。

大文字山の送り火
今から五百有余年前、前関白一条教房公は、京都の戦乱をさけて家領の中村に下向され、京に模した町づくりを行った。東山、鴨川、祇園等京都にちなんだ地名をはじめ、町並みも中村御所(現在は一条神社)を中心に碁盤状に整然と整備し、当時の中村は土佐の国府として栄えた。
この大文字山の送り火も、土佐一条家二代目の房家が祖父兼良、父教房の精霊を送るとともに、みやびやかな京都に対する思慕の念から始めたと、この間崎地区では言い伝えられている。現在も旧盆の十六日には、間崎地区の人々の手によって五百年の伝統は受け継がれている。
高知県環境共生課


 土佐一条時代の中村は、「土佐の京都」「小京都」と呼ばれていたという。
 4代目兼定の死をもって土佐一条家は滅亡したが、大文字は500年の時を越えて残り、今も道行く遍路たちを見守っている。





おすすめ度 :★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損


 



● 白土三平作画『カムイ伝』を読む 3

1964~1971年『月刊漫画ガロ』連載
1989年小学館叢書11~15巻

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 第一部完読。
 凄絶で希望のないラストに暗澹たる思いがした。
 グロテスクなまでの残虐と徹底的な正義の敗北に永井豪『デビルマン』を想起した。
 百姓一揆の首謀者たちが役人から拷問を受ける場面は、これほど名作の誉れ高くなければ今ならR指定受けそうなレベルである。まるでサド伯爵の小説のよう。
 愛着ある主要キャラたちがラストに向けてバタバタ殺されていくのも『デビルマン』に似ている。
 百姓のゴン、抜け忍の赤目、浪人の水無月右近には生きていてほしかった。
 第二部があるとはいえ、“夢が現実に負ける”後味の悪さは比類ない。

 第一部は『月刊ガロ』1964年12月号から1971年7月号までに連載された。
 これは社会的には戦後の左翼運動が盛り上がった時期と重なる。
 反ベトナム戦争、第二次日米安保闘争、学園紛争・・・・反体制の嵐が日本中を吹き荒れていた。
 『ガロ』の読者である若者たちは当然反体制だったから、圧政に虐げられる百姓や非人の立場に自らを置いて『カムイ伝』を読んでいたはずだし、作者であると同時に『ガロ』の生みの親であった白土三平が、自身の思想信条はおいといても、反体制側の意を汲んだ(読者の共感の得られる)作品を描こうとしたのは間違いあるまい。
 当時の読者は、江戸時代の「幕府(徳川)―藩(大名)―侍―商人―百姓」の姿に、リアルタイムの「アメリカ―日本政府(自民党)―役人―企業―庶民(自分たち)」の姿を投影したことだろう。
 そして、資本主義の悪を描いた作品と受け取ったであろうことは想像に難くない。
 
 その点を考慮すると、最終巻の発表された1971年という年は意味深である。
 つまり、1969年末に機動隊の投入によって学園紛争は鎮静化し、1970年6月に日米安保は自動延長となり、新左翼の過激な内ゲバやテロリズムなどで世論の風向きが変わり始めていた。
 資本家と結託した巨大で老獪な権力に庶民が立ち向かうことの困難があからさまになった一方、運動する者たちの間に疑心暗鬼や分裂や潰し合いが広がっていた。
 非人や百姓の生活向上のためにひたすら尽くしてきた庶民のヒーロー・正助が、共に闘ってきた仲間である百姓たちから「裏切者」とののしられリンチを受ける凄惨なラストは、衆愚に対する作者の絶望とともに、本作が時代を映す鏡のような位置まで高められていた消息を感じさせる。
 
 江戸時代の階級闘争と昭和時代のそれとをリンクさせたところに、この作品が伝説的存在となった理由の一端があるのだろう。
 その意味では令和の今だって十分通じる話なのであるが、お上の不正に対する庶民の怒り、声を上げる勇気、連帯する力は、江戸や昭和の頃より鈍っているやもしれない。
  
 いつか第二部を読む日が来るだろう。

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おすすめ度 :★★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
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★★    いい退屈しのぎになった
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● 一俵の価値 本:『カムイ伝講義』(田中優子著)

2008年小学館

 田中優子は刊行当時、法政大学社会学部教授だった。
 江戸時代をテーマとする授業において白土三平『カムイ伝』を使用するという画期的な試みをした。
 その過程で生まれたのが本書である。

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 『カムイ伝』には江戸時代の庶民(百姓、穢多、非人、山の民、海の民、下級武士、商人など)が登場し、それぞれの生活の場がくわしく描かれる。
 稲作、麦作、綿花栽培、養蚕、マタギ、漁師、鉱山、林業、皮革産業、刑吏、肥料の商い・・・・・。
 それらは、庶民が日々生きるための仕事、食うための仕事であって、多くは厳しい自然との闘いが必須である。いわゆる第一次産業。
 白土の綿密な取材と、それぞれの仕事現場の風景や生産過程を読者にわかりやすく臨場感もって伝える画力の高さには脱帽するほかない。
 まさに、江戸時代の庶民を研究するに恰好の素材である。
 そこに目を付けた著者の慧眼は素晴らしい。
 
 本書は江戸時代の庶民の研究書であると同時に、江戸時代の庶民の暮らしを通じて現代の日本人を振り返る一種の社会評論であり、かつ、もっとも優れた『カムイ伝』の解説書と言える。

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 本書を読んで特に気づいたことの一つは、白土の『カムイ伝』(とくに第一部)が江戸時代の特定の時期の特定の場所(藩)をモデルとしているわけではなく、時間的にも空間的にも江戸時代全般にわたっているという点である。
 たとえば、第一部の主要舞台となる日置藩は、一応、江戸時代初期の地方藩という設定になってはいるが、そこで描かれる事件や文化や風習は江戸時代のいろいろな時期、いろいろな地方の出来事が混じり合って凝縮されていたのである。
 時代考証で言えば、「ザ・江戸時代」なのだ。
 
 いま一つは、この時代の武士の存在意義について。
 戦国時代が終わり曲がりなりにも天下泰平の世になって、多くの武士が存在意義を失った。
 厳しい身分制度や武家としての誇りのため、簡単に他の職業たとえば百姓や商人に鞍替えすることはできない。
 結果として、「約80%の農民が、5%の武士を養っていた」。
 それでも高給取りの上級武士たちはまだいい。扶持の少ない下級武士たちは家族を養うために様々な内職――寺子屋の講師、傘張り、行灯の絵付け、小鳥の飼育、金魚や鈴虫の繁殖など――をせざるをえなかった。
 文字通り「地に足を付け」大自然と闘い生産過程そのものを生き、不満が募れば一揆を立ち上げる百姓(農民、山の民、海の民など)の逞しさにくらべると、生産過程から離れたところで儒教精神に縛られた窮屈な生活を送り、上に反抗すれば「お家取潰し」の武士たちは、まさに生殺し状態。
 
 食べ物がどこから来るのか知らない、考えようともしない――これは何かに似ていないだろうか? そう、現代の日本人である。昼に食べた納豆の原料が、アメリカや中国から来るのを知らない。ペットの食べ物を誰がどこで作っているのか知らない。毛皮やダイヤモンドの背後に、どのような搾取構造が潜んでいるか知らない。現代の日本人はまるで、江戸時代の武士の人口がふくれあがったものであるかのように見える。

 穢多の仕事についてもそうだったが、江戸時代の人々の生き方と仕組みを見ていると、互いに必要不可欠な仕事をすることで社会が成り立っている。いなくていいのはむしろ武士だったかもしれない。一揆について考えるにはその視点が欠かせない。一揆は、搾取されているかわいそうな人々が貧しさに押し潰されて仕方なく起こしたのではなく、必要不可欠である自分たちの存在をもって、生活の有利を獲得するための方法であった。しかもその場合の生活とは個人生活である前に、生産共同体としての集落の生活だった。 

 第一次産業従事者が圧倒的に減った現代の「武士」である我々だが、少なくとも「一揆=デモ」を起こすことはできる。
 選挙で世の仕組みを変えることができる。
 一票は米一俵ほどの価値がある。

米俵

おすすめ度 :★★★

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