ソルティはかた、かく語りき

東京近郊に住まうオス猫である。 半世紀以上生き延びて、もはやバケ猫化しているとの噂あり。 本を読んで、映画を観て、音楽を聴いて、芝居や落語に興じ、 旅に出て、山に登って、仏教を学んで瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

 ★木下惠介監督

● 映画:『風花』(木下惠介監督)

1959年松竹
78分、カラー

 同じタイトルで相米慎二監督が2001年に発表した映画がある。
 30歳超えてアイドル臭がいまだ抜けないキョンキョンこと小泉今日子が、幼い娘を持つ風俗嬢を見事に演じ、完全にアイドル脱皮を果たした記念碑的作品。
 舞い散る風花の中で優雅に踊るキョンキョンの姿が印象的であった。
 
 こちらの『風花』はその40年以上前のクラシック。
 昭和30年代の地方の農村を舞台とする家族ドラマである。
 場所は信濃川の流れる長野盆地(善光寺平)。北信五岳(斑尾山、妙高山、黒姫山、飯縄山、戸隠山)を望む胸のすくような美しい光景が広がる。
 が、そこは哀しい田舎の性。
 身分違いの恋や年上女房を許さない男尊女卑の家制度が強く根づいていた。
 
 大地主の名倉家に嫁いできた祖母(東山千栄子)は夫より8つ年上のため後ろ指をさされ続けた。その次男英雄は小作人の娘・春子(岸恵子)と身分違いの恋をして心中を図る。英雄は死に、生き残った春子はお腹の子供と共に名倉家に使用人として引き取られる。捨雄と名付けられた子供(川津祐介)は成長して、いままた、同じ屋根の下で育った従妹・さくら(久我美子)への叶わぬ恋に苦しんでいた。
 
 東山千栄子さすがの名演。剣呑で頑固な姑ぶりは観ていて憎らしくなるほど。が、嫁いできた頃に周囲から受けた冷たい仕打ちが、彼女を頑なにしたのであった。
 岸恵子も存在感たっぷり。この女優はどんな作品にどんなチョイ役で出演しても存在感だけは一等である。一人息子を愛する着物姿のたおやかな母親ぶりに、後年の市川崑監督『悪魔の手毬唄』の犯人が重なる。
 木下監督の秘蔵っ子たる川津祐介。ここでは『惜春鳥』の不良青年、さらには『青春残酷物語』のニヒルな犯罪青年とはまったく違う、憂愁に沈む真面目な青年役を与えられている。監督の意のままにどんな役柄にも染まる川津のカメレオン性は特筆すべき。
 小津映画以上に木下映画の常連である笠智衆が、名倉家の使用人役で登場する。やはり、演技者としては決して巧みとは言えない。この人は役を演じるということが基本的にできないのだと思う。人間としての地の良さが、役柄に何とも言えない風情と好ましさを与えるのだ。むろんソルティは大好きだ。
 
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川津祐介と岸恵子

 木下監督の作品には、こういった日本の田舎の因循姑息たる閉鎖性を批判する系列が存在する。
 北海道の開拓地を描いた『死闘の伝説』が最たるものだが、『永遠の人』『楢山節考』『遠い雲』『野菊の如き君なりき』、それに一般に明るい牧歌風コメディとされている『カルメン故郷に帰る』などはその系列に入るだろう。未見だが、『破戒』『生きてゐる孫六』もおそらくは・・・。
 ソルティはそこに、おそらくはゲイであった木下惠介監督のマイノリティとしての抵抗と自由への希求を読むのである。
 
 今から60年以上前の作品で、さすがに令和の日本の田舎はここまで旧弊じゃないよな、と思いたいのだが、今回のコロナ禍で地方ではかなり酷い感染者差別が起こっていると聞く。村八分文化がいまだ残存している現実がある。
 ソルティはたまに「晩年は田舎暮らししようかな~」とか思うのであるが、都会の孤独と無関心の方がやっぱり性に合っているかもしれない。
 

 
おすすめ度 :★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損

 

● 新年一本目 映画:『惜春鳥』(木下惠介監督)

1959年松竹
102分、カラー

 白虎隊で有名な会津若松を舞台に、5人の青年の友情と裏切りと成長を描く青春ドラマである。

 まず何と言っても、昭和30年代の会津若松の自然や町の美しさに目を奪われる。
 木造建築の温泉旅館やアールデコ調のカフェなど、木下監督の美意識がそこここで光る。
 
 5人の青年にはそれぞれ屈託がある。
 牧田康正(津川雅彦)は妾の子であり、母親が経営するカフェでバーテンをしている。
 峰村卓也(小坂一也)は温泉旅館の跡取りであり、父親は浮気相手の寝床で急死した。
 手代木浩三(石濱朗)は貧乏士族の家柄で、組合活動に専心する薄給サラリーマン。
 馬杉彰(山本豊三)は漆塗りの職人の息子で、片方の足を引きずっている。
 岩垣直治(川津祐介)は愛のない家庭に育ち、東京でアルバイトしながら大学生活を送っている。

 それぞれが何かしらの傷を抱えているところで5人の友情は育まれた。

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左から小坂一也、川津祐介、山本豊三、津川雅彦、石濱朗

 自刃した白虎隊の志士への敬愛を胸に固い友情で結ばれていたかに見えた5人だが、成長して就職し、それぞれが世間の波にもまれるようになるにつれ、関係が微妙に変わっていく。
 中でも、東京に行った岩垣はいつの間にか大学をやめて詐欺や泥棒を働くようになっていた。
 そうとは知らず、帰郷した岩垣を温かく迎え、岩垣に頼まれるがまま金を工面してやる4人。とくに仲の良かった馬杉は久しぶりの邂逅を喜び、5人揃ったことで共に剣舞に励んだ昔日に戻ったような気分の高揚を感じていた。

 5人それぞれのキャラクターがしっかりと書き分けられ、かつ演技力ある若い役者らによって演じられているので、見ごたえがある。
 デビュー間もない津川雅彦の華と色気、歌手でもあった小坂一也の感性と見事な歌声、演技派・石濱朗の安定感、山本豊三の愛すべき庶民性、そして顔立ちの可愛らしさと相反する川津祐介の計算された大人の演技。
 それぞれの魅力を引き出す木下演出の肝は、ジャニー喜多川と比すべき炸裂するイケメン愛である。
  
 本作は日本初のゲイ映画とも一部で言われていて、確かに足の悪い馬杉の岩垣に対する思いや態度は、友情を越えた恋情のレベルにある。馬杉がゲイである可能性は高い。
 しかるに、本作のゲイっぽさは話の内容そのものというより、木下の演出にあると見るべきだろう。
 冒頭の川津と小坂の入浴シーン、後半の津川と小坂の入浴シーンなどの演出は、温泉宿で旧交をあたため打ち割った話をするのに共に風呂に入るシーンがあるのは自然な流れとは言え、その自然が自然に収まらず、不自然に達するほどの耽美な雰囲気――ヴィスコンティかデレク・ジャーマンを想起するレベル――を醸し出している。
 つまり確信犯だ。

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津川雅彦と小坂一也の入浴シーン
 
 本作ほど木下惠介が、自分の撮りたいテーマをお気に入りの役者を集めて撮りたいように撮った映画はないんじゃなかろうか。
 5人の役者から見れば大先輩たる佐田啓二と有馬稲子が昔ながらの“心中する男女(芸者と肺病持ち)”を演じてさすがの貫禄を見せてはいるが、物語的には狂言回しに過ぎない。

 令和の現在、5人の個性的な若い男優を集めて、よりBL色鮮明にして再ドラマ化したら受けるんじゃなかろうか?



おすすめ度 :★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損




● 静岡・聖地めぐりの旅

 コロナ流行の谷間である。
 これチャンスとばかり、以前から行きたかった二つの聖地に足を延ばした。
 県外へのお泊り旅は、2019年11月の金沢旅行以来。
 東京から浜松までのJR往復切符を購入したとたん、旅人モードにスイッチが入った。

 一つ目の聖地は、浜松にある木下惠介記念館
 浜松は松竹の誇る名監督で、生涯49本もの映画を撮った木下惠介の生まれ故郷なのである。
 ソルティのもっとも敬愛する監督の一人で、今のところ25本観ている。
 ちなみに、個人的ベスト10(順不同)は、
  • ラストシーンの田中絹代が印象深い『陸軍
  • 岡田茉莉子の気の強い美しさが光る『香華
  • 望月優子の哀れな母親像が胸に迫る『日本の悲劇
  • 高峰秀子の演技力が存分発揮された『永遠の人
  • 阪東妻三郎の貫禄と魅力が爆発した『破れ太鼓
  • 原節子のコメディエンヌぶりに驚かされた『お嬢さん乾杯!
  • 小豆島の風光と子供たちの愛くるしさに涙する『二十四の瞳
  • 美しき鉄面皮に隠された高峰三枝子の悲しき性『女の園
  • 名優・滝沢修の悪役ぶりが凄まじい『新釈四谷怪談
  • 川津祐介主演、日本初のゲイ映画と評される『惜春鳥』(未視聴だがイイに決まっている!)
 久しぶりに下りた浜松駅周辺はすっかり“未来都市”化されて、「どこにウナギの寝床があるんだ⁉」という感がした。都心の主要ターミナル駅となんら変わりばえなく、地方独特の風情が薄れてしまったのは残念。いまさら言っても仕方がないが。
 
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JR浜松駅
もしかして隣の茶色いビル、うなぎデザイン?

 記念館は駅から歩いて15分のところにある。
 アール・デコ様式の旧浜松銀行(中村輿資平設計)の白亜の建物が美しい。
 入館料は100円。
 1階の3室が展示室に当てられている。
  1. 木下監督の書斎を再現し、使用していた愛用品や書籍が展示されている部屋。
  2. 当時の映画ポスター、監督自身による書き込みが生々しい脚本、撮影風景の写真、受賞トロフィーなどが飾られている部屋(一角にあるソファに座って木下惠介紹介ビデオを観ることができる)
  3. 随時テーマを決めて、木下のいくつかの作品をピックアップして紹介する特別展示室(今回は「秋と冬」がテーマだった)
 空いていて、ゆっくりと木下惠介の世界を堪能することができた。
 ここでは定期的に木下作品の上映会もやっている。

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木下惠介記念館

 記念館から歩いて5分くらいの街中に、木下惠介の生家の漬物屋はあった。
 浜松市伝馬町(現・中区伝馬町)の江馬殿小路。
 戦災とその後の区画整理のため小路は消えて、生家跡をしめすものはないのだが、かつての地図をたよりに散策してみた。

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この路地のどこかに生家はあった?

 浜松の住民のどのくらいが、木下惠介を知っているだろう?
 その作品を観たことあるだろう?
 もっともっと誇っていい。
 駅中をポスターで埋め尽くしてもいいくらいだ。

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恒例のスタンプもらいました


 上り列車に乗り、静岡駅に。
 南口からバスに乗って海岸近くまで行く。

 二つ目の聖地は、いま全国のサウナー(注:サウナを愛する人)がその噂を聞き、身をもって効験を確かめに詣でる静岡のルルドの泉、サウナしきじである。

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JR静岡駅南口
 
 実はソルティ、20代からのサ道の通人。多い時は週二回、少ない時でも月一回はサウナを利用してきた。(その時々通っていたスポーツジムのサウナはのぞく)
 20代の頃は午前3時まで会社の同僚と銀座や新宿で飲んで、そのあと屋台のラーメンをすすって、ターミナル駅周辺のサウナに泊まってアルコールを抜けるだけ抜いて、2~3時間仮眠し、そのまま出勤する――なんて荒行を繰り返したものである。
 自然、都心のサウナ店には詳しくなった。

 当時、一般にサウナはおやじのオアシスであり、ビールっ腹の中高年が多かった。店内はたいてい喫煙OKで、サウナ後の休憩ラウンジには灰色の煙がもうもうと立ち込め、健康的なんだか不健康なんだか分からないところがあった。演歌もよく流れていた。
 それがいまや、男女問わず若者に大流行りの健康&美容&癒し&グルメ&娯楽の流行最先端スポットである。
 昭和香の残る古いサウナや健康ランドはつぎつぎと廃店あるいは改装されて、家族で一日滞在して楽しめる一大アミューズメントパークのようになりつつある。むろん禁煙だ。
 関連本もたくさん出版され、雑誌の特集やテレビのバラエティ企画にたびたび取り上げられ、日本全国のサウナ番付みたいなものも掲載される。
 このブームの中、一度訪れた芸能人やスポーツ選手もこぞって虜になりSNSやらで発信し、それを見たサウナーたちが訪れた結果、一躍有名になったのが「サウナしきじ」なのである。

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 バスなら静岡駅南口から「登呂遺跡」行きに乗り「登呂遺跡入口」下車徒歩15分
または「東大谷」行きに乗り「登呂パークタウン」下車徒歩5分

 休日だったのである程度の混雑は予想していたものの、着いたのは午後5時を回っていたから、人波は落ち着いているだろう――そう思ってたら、広い駐車場はほぼ満杯。
 店先で紙に名前を書いて、建物の外のベンチで順番待ちとなった。
 「いや、これ密だわ~、困った」
 が、ここまで来てもはや退くことはできない。ワクチン抗体を信頼するしかない。
 10分もしないうちに名前を呼ばれて入店。
 入口の壁には、訪れた著名人の色紙が隙間なく飾られていた。

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 ざっと見、スポーツ選手とアナウンサーが多かった
ソルティがその名を知っていたのは、三浦知良、小池徹平、宮川大輔、大野将平くらい

 店員の交通整理が上手なためか、ロッカールームは空いていた。
 が、浴室に足を踏み入れたら、人肉のジャングル。
 びっくりした。
 定員10名ほどのサウナ室が二つ、温泉風呂が二つ、滝の落ちる水風呂が一つ、周囲の壁に沿った洗い場が10個くらい。
 そのあいだのさして広くないスペースに20人くらい座れるプラスチックの椅子がずらりと並べられ、そのどれもが裸の男で埋まっていた。
 つまり、ざっと50~60人が犇めいていた。
 圧倒的に20~30代が多い。当然、誰一人マスクしていない。
 「こりゃあ、密も密だわ~」
 ワクチン効果と感染者激減を信頼し、そして温泉の放つマイナスイオンの効果を妄信し、覚悟を決めて参入した。
 南無三!

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 浴室内の“気”はたしかに物凄いのであるが、それが「しきじ」の水質によるものなのか、はたまた、聖地詣での興奮状態にある若い男たちの発するエネルギーのせいなのか、よくわからないのであった。
 サウナの一つは普通のフィンランドサウナ。もう一つがここの名物である韓国産の薬草をブレンドして蒸している薬草サウナ。
 これがとてつもなく、熱い
 サウナ慣れしているソルティでも5分と中にいられない。
 直射熱を避けるべくタオルを頭に巻いた軟弱な若者たちはウルトラマンほどの忍耐もきかず、カチカチ山のたぬきのように皮膚を真っ赤にして、小走りに飛び出していく。
 一方、ここの古くからのヌシであろうか、60~70代くらいの禿げ頭のお父さんはタオルもまかずに、10分以上悠々と座り続けていた。
 さすが!(肌の感度が鈍っているだけかも・・・)
 体験者絶賛の水風呂はたしかに気持ちいい。富士山麓の天然の湧き水だけのことはある。
 ロッカー室に掲示してあった成分表示をみると、日本では珍しい硬水(中硬水)なのだ。

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カルシウム、マグネシウム、ナトリウムが豊富
ちなみにボルヴィックの硬度は60

 午後7時を過ぎると、さすがに空いてきた。
 若者の姿が減って、中高年が増えた。
 休日を使い遠方から車でやって来た一行は帰宅の途につき、近隣に住む常連組の出番ということだろう。所作に落ち着きと手練れた感じが見られる。
 はたして常連組は、この降ってわいたようなサウナブーム、「しきじ」詣でをどう思っているのだろう? 

 コロナ禍でどこのサウナも客足が減って経営に苦労したのは間違いなかろう。「しきじ」もそれは免れ得なかったはず。
 いや、コロナがなくても、風前の灯火だったのではなかろうか?
 というのも、「しきじ」はまさに昭和レトロな空間で、決してきれいでもファッショナブルでもないのである。
 サウナ室の腰掛けは敷タオルで隠れてはいるものの、ところどころ板が腐ってボコボコしていたし、休憩ラウンジのリクライニングチェアは壊れているものがあった。
 照明は全体に暗く、ヒーリングミュージックよりは歌謡曲が似合うような場末感が漂っていた。(さすがに今は全館禁煙らしいが)
 もしサウナブームが起こらなかったら、「しきじ」は存続できなかったのではなかろうか?
 そう思うと、まさに奇跡の泉と言えるかもしれない。
 まずおそらく近いうちに大改装し、静岡が誇る一大集客スポットに発展していくと思われる。

 仮眠室がコロナ禍で閉鎖していたので、休憩ラウンジにマットレスを敷いて横になった。
 こういう場所ではよく眠れないソルティなのだが、なんと12時の消灯と共に入眠して、朝6時に自然と目が覚めるまで一回も起きなかった。夢も見ずに熟睡し、ここ最近ないほどすっきりした目覚めが得られた。
 浴室に直行。さすがに空いている。
 薬草サウナから水風呂に浸かると、昨晩は感じられなかったのだが、体がジンジンと感電したかのように痺れた。
 このパワーは、『日本の秘湯』に紹介されている温泉たちと同レベルかもしれない。
 密を避けたいなら、『日本の秘湯』で代替できると思う。

日本の秘湯


 静岡の二つの聖地を巡って、心身ともすっかりリフレッシュした。
 だが、実を言えば、ソルティにとって本当の聖地は別にある。
 列車の旅そのものだ。
 今回も新幹線は使わず、普通列車だけで数時間かけて移動した。(ほんとうはもっとスピードの遅い列車に乗りたい)
 ぼんやりと窓外の景色を眺め、文庫本を読み、おにぎりを頬張り、熱いコーヒーを飲み、列車の振動に身をまかせる。
 それが何よりのストレス解消になる。
 いや、幸福感を味わう手っ取り早い手段となる。
 ノリテツという種族は、元来、幸福の沸点が低いのである。
  
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● 映画:『二十四の瞳』(木下惠介監督)

1954年松竹
2007年デジタルリマスター版
156分白黒

原作 壺井栄
脚色 木下惠介
音楽 木下忠司
撮影 楠田浩之

 数十年前にVHSビデオで観たとき、画質と音声の悪さに辟易したのを覚えている。物語に十分入り込めなかった。
 今思えば、マスターテープのせいではなく、当時自分の持っていたビデオデッキのヘッドが摩滅していたのと、借りてきたビデオも擦り切れていたのだろう。VHSレンタル時代にはよくあることだった。
 今回デジタルリマスター版(DVD)で観たら、まずまず美しい映像が堪能でき、音声もクリアだった。技術の進歩に感謝。

 舞台となった小豆島の美しい自然、島民の昔ながらの暮らしぶり、そして十二人の子供たちの可愛らしさに魅了される。いま小豆島に行ったら、どう感じるだろうか?

 役者の世界では「子供と動物には勝てない」とよく言われる。けれど、ここでの高峰秀子は十二人の天然の役者たちにまったく食われることのない存在感を出している。演技ということを感じさせない自然さ。高峰はこの映画公開の翌年に助監督の松山善三と結婚したが、そのあたりの事情も関係しているのかもしれない。若き日の大石先生は生きる希望に光り輝いている。

 ほかに、天本英世が大石先生の亭主役で出演している。後年の死神博士(仮面ライダー)からは想像できない、東出昌大真っ青の背高イケメンぶりである。
 小学校の男先生を演じる笠智衆のとぼけた味も楽しい。教壇に立って、「ひひひ・ふ・みみみ」とか下手な唱歌を子供たちに指導するシーンは智衆ファンなら見逃せない珍場面である。
 
 多分に漏れずソルティも年を取るほどに涙もろくなってきたが、映画の後半はほとんど泣きっぱなしであった。貧しさ、病い、出会いと別れ、絶たれた夢、予期せぬ事故・・・この映画には庶民の人生の哀感が詰まっている。そのうえに、戦争という大いなる悲劇が降りかかる。
 『陸軍』からはじまって『この子を残して』に到る木下惠介監督の反戦と平和への思いが、瀬戸内の海に鎮魂歌のように浸透する。

 
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大石先生も足を怪我して松葉杖!


評価:★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損


 

● あっぱれ、落合夫人! 映画:『野菊の如き君なりき』(木下惠介監督)

1955年松竹
92分


伊藤左千夫原作『野菊の墓』を読んだのはかれこれ40年以上前。
澤井信一郎監督&松田聖子主演の映画を見たのは30年以上前。
なので、この作品の肝心の部分を忘れていた。


むろん、悲劇に終わる少年少女(政夫と民子)の初恋物語というのは覚えている。
別の男に嫁いだ民子が若い身空で亡くなってしまう結末も覚えている。
矢切の渡しが舞台だったことも覚えている。
「民さんは野菊のような人だね」という有名な政夫のセリフも覚えている。

忘れてしまったのは、二人が結ばれなかったそもそもの理由である。

明治時代の話だし、身分違いの恋だったのか?
借金のカタに民子は金持ちのぼんぼんに輿入れせざるを得なかった?
それとも、政夫の将来を思って病弱の民子が身を引いたのか?

観てびっくり!
二人は裕福な家のいとこ同士なので、身分違いも金も関係なかった。
二人が結ばれなかった理由、それは民子が政夫より二つ年上である、それだけだったのである。
そんな時代だったのだ。


いやいや、ソルティが原作を読み、松田聖子演じるデコッパチ民子を観た昭和時代もまだ、「女が年上」は口さがないことを言われたものである。
沢田研二の『危険なふたり』のヒットは73年だった。
80年代初頭、プロ野球選手の落合博満が9歳年上の信子夫人の内助の功で三冠王を獲ったあたりから、年上女のイメージが向上したのではなかったろうか。


野菊



ときに、悲劇に終わる初恋物語と言えば、シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』である。
両作を比べたときに、日本の十代のなんと晩生で純朴なことか!
ロミオとジュリエットは、出会ったその日に恋に落ちて、翌日結婚して肉体関係を結び、4日目に死んでしまう。
政夫と民子ときた日には、最後の最後まで接吻や抱擁はおろか、手をつなぐこともなかった。
(だから、清純派アイドルだった聖子ちゃんが演じられたのだ)
もっとも、本邦にも八百屋お七(推定15歳)と吉三郎の例があるから、これは時代の違いであろう。

本作の為に選ばれた田中晋二(政夫)と有田紀子(民子)はずぶの素人だから、下手なのはご愛嬌。
かえって、ういういしさが感じられる。
一方、故郷を旅し当時を回想する老いた政夫を演じる笠智衆の下手さはどうしたことか。
政夫の母を演じる杉村春子の突出した上手さとは天と地の開きがある。
この二人を同格の役者に見せた小津安二郎の手腕をつくづく感じた次第。

美しい風景(ロケ地は信州)と丁寧な語り、詩情豊かな佳作である。




評価:★★★


★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
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     読み損、観て損、聴き損






● 三好栄子という女優 映画:『カルメン純情す』(木下惠介監督)

1952年松竹
103分

脚本 木下惠介
音楽 黛敏郎、木下忠司

 『カルメン故郷に帰る』の続編。
 当初3部作を予定していたらしいが、この2作目で終わってしまった。
 それで正解と思う。

 前作でも予感はあったが、オツムの軽いストリッパーというキャラで喜劇を作るのはちょっと無理がある。
 どうしても性搾取の問題がからんでくるからだ。

 むろん当時は、セクハラやフェミニズムなんて概念はなかったし、知的障害者の人権も問われていなかった。
 今見ると、いろいろ不愉快なところはあるが、当時の観客はとくに疑問に思うこともなく、笑って楽しんだのだろう。

 木下惠介がどう思っていたのかわからないが、敏感な彼のこと、コメディとして「ぎりぎりセーフ」と直観していたのではなかろうか。
 というのも、この作品の演出の大きな特徴として、カメラを左あるいは右に20度くらい傾けて撮影する、すなわち観る者にとって画面が左右どちらかに傾いている、という手法が取られているからである。
 はっきり言って、見づらい。
 まるで、波にもまれている船の上から陸地を見ているかのよう。

 なんのためにこんな奇抜なことをしたのか?
 思うに、観る者に物語をあまり真面目に受け取ってもらわないための措置ではあるまいか。
 「斜に構えて」気楽に観てください、というメッセージだ。
 逆に言えば、そういうシュールな手法をとらなければ(=普通に水平モードで撮影したら)、コメディとして危うい領域にいる様が露呈してしまうのを恐れたからではあるまいか。
 うがち過ぎ?
 
 実際、たとえば、恋をしたカルメンが、客席に惚れた男がいるのに気づいてストリップを続けられなくなる場面で、同僚の男達はカルメンを舞台に引っ張り出し、無理やり服をはぎ取ろうとする。
 まるで強姦まがいで、とても笑えない。
 当時の観客は笑えたのか???
 
 この作品のコメディ性をからくもキープしているのは、主役のカルメン(=高峰秀子)でも同僚の朱美(=小林トシ子)でもなく、あご髭を生やした女傑にして保守系政治家・佐竹熊子役の三好栄子である。
 三好栄子は黒澤明映画にたくさん出ていたらしいが、これまで注目したことはなかった。
 が、この佐竹熊子役で彼女の名前は語り継がれるだろう。
 恐るべき怪演!
 
 ほかに、前衛芸術風ファッションに身を包んだ女中きく役の東山千栄子、ストリップショーでカルメンの相手役をする貧相な顔の堺駿二(堺正章の父親である!)、これが実質的な映画デビューとなった北原三枝(=石原まき子=裕次郎の奥さん)あたりは要チェック。
 

評価:★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損




 

● 本:『新版 天才監督 木下惠介』(長部日出雄著)

2013年論創社

 厚さ5センチ、本文540ページのハードカバーの本、しかも伝記を読むには、それなりの覚悟がいる。
 途中で挫折もあり得るかもとページをくくり始めたら、これが予想を超える面白さ、三日足らずで読み上げてしまった。
 伝記としての記録的価値のみならず、一つのエンターテインメントとして優れている。


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 長部日出雄は、1934年青森生まれの直木賞作家にして、映画監督(柴田恭兵主演『夢の祭り』1989年)にして、太宰治や棟方志功の伝記作家にして、なによりも映画評論家である。
 ソルティは、直木賞受賞作の『津軽じょんから節』はおろか、長部の他の著作に触れていないので断言は控えるが、この『木下惠介』伝が長部の最良の仕事であり、もっとも後世まで読み継がれていく作品になろうと予感する。

 面白さの要因は、多くの伝記作家や研究者が書くような客観的記述による学術的装いの評伝とは違って、木下の生涯の年譜的事実については正確を期しながらも、いい具合に主観的で物語的なところにある。
 木下より22歳年下で、思春期から青春の多感な時期に木下映画をリアルタイムで浴びるように観た長部の、個人的な思い入れや体験が随所に盛り込まれている。
 ソルティのようにDVDで作品を後追いする惠介ファンでは到底わかりえない、戦中戦後から50年代黄金期を経て、テレビが登場し斜陽が決定的となった60~70年代までの日本映画史の中で、当時の観客(=日本人)が木下惠介の一作一作をどのように受け止めていたかが、実によく伝わってくる。
 木下の全49作を一つ一つ解説し、その制作秘話やあらすじや見どころ、世間の反応(興行成績やキネ旬評価)を記しているので、木下映画指南書としての価値も高い。
 むろん、木下惠介の生涯を丹念に取材し、人となりがくっきりと浮かび上がるように構成していく手腕は、プロの小説家兼伝記作家ならでは。
 映画に対する、また木下惠介と木下作品に対する長部の(東北人らしい)純朴な敬愛の念がどのページにも横溢しているところが、本書を喜ばしいものにしている。

 読み終わって感じ入るのは、木下惠介の旺盛なる創造力、天才的ひらめきやユニークな発想力、疲れを知らない活力、喜劇も悲劇もラブストーリーもアクションも社会問題も文芸作品もオリジナル脚本も、いかなるジャンルでも平気でこなし成功を収めてしまう柔軟性と器用さ、撮影現場でのエネルギッシュで楽観的な振る舞い、加えて映画から新興のテレビに映っても次々とヒットを飛ばし一時代(と一財産)を築いたしたたかとも言える世渡り術である。

 49作のうちキネ旬ベストテンに入った作品が20作を数え、『破れ太鼓』、『カルメン故郷に帰る』、『二十四の瞳』、『喜びも悲しみも幾年月』、『楢山節考』、『香華』、『衝動殺人、息子よ』といった大ヒットを次々生み、戦後松竹の屋台骨を支えた。
 三國連太郎、川津祐介、佐田啓二、桂木洋子、岩下志麻、田村高廣ら魅力ある俳優や、小林正樹、松山善三、楠田芳子、山田太一ら才能ある演出家や脚本家を発掘し育てた功績も大きい。  
 長部がたびたび述べているように、「芸術家にして職人にして商売人」なのであった。
 近いタレント性をもつ人間を上げるとしたら、先ごろ亡くなった橋本治じゃなかろうか。

かちんこ


 紙幅の関係もあろうが、木下のプライベートに関する記述が少ないのが伝記としてはやや残念。
 子供時代については丹念に描かれているのだが、監督として功成り遂げてからの私生活がぼかされている感を受ける。
 もっとも、あれほど家族愛の大切さ、素晴らしさを作品で描きながらも、本人自身は結婚に失敗し、養子を育てるのにも失敗した。そのあたりはちゃんと描かれている。

 ソルティが気になったのは、やはり性愛の部分である。
 まず間違いなくゲイであったろう木下は、その部分をどう始末していたのだろうか?
 だれか終生の愛人がいたのか?(晩年に秘書をやってた男?)
 若い男優や役者志望者を喰っていたのか?(今ならさしずめパワハラ)
 一回り年下で、同じく時代の寵児たる三島由紀夫のように、時たま海外に行って羽目を外していたのか?
 あるいは、男同士のうるわしい友情を描いたいくつかの作品同様に、現実でもプラトニック・ラブを貫いたのであろうか?
 同性愛に対する偏見が今よりはるかに強い時代に生きて、木下惠介は自らのセクシュアリティをどう位置付け、どう受けとめ、どう折り合っていたのだろうか?
 このあたりを証言できる人間はもはやいないのだろうか?
 2チャンネルまがいの下卑た詮索のようであるが、木下作品を読み解くうえでゲイセクシュアリティの観点は欠かせないように思うのである。(楽しむぶんには別に関係ないが・・・)

 最後にちょっと長い引用を。
 
 惠介の四十九作目で、不評に終わった『父』が、結局、かれの最後の映画となった。
 それから十年―――。テレビの現場を離れ、映画も撮れずにいた間に、かれの名前は、驚くほどの早さで遠い過去のものになって行った。
 海外における黒澤明と小津安二郎の声価は、高まる一方であるけれど、木下惠介を知る人はごく少数に限られ、国内でもすっかり忘れ去られた観がある。
 かれの映画には、その程度の値打ちしかなかったのだろうか。
 『父』が公開された年から十一年後、築地本願寺で行なわれた木下惠介の葬儀で、弔辞を読んだ山田太一はこう述べた。
 ――日本の社会はある時期から、木下作品を自然に受けとめることができにくい世界に入ってしまったのではないでしょうか。しかし、人間の弱さ、その弱さがもつ美しさ、運命や宿命への畏怖、社会の理不尽に対する怒り、そうしたものにいつまでも日本人が無関心でいられるはずがありません。ある時、木下作品の一作一作がみるみる燦然と輝きはじめ、今まで目を向けられなかったことをいぶかしむような時代がきっとまた来ると思っています・・・・。
 この考えに、筆者は全面的に同意する。

 
 この考えにソルティもまた全面的に同意する。



評価:★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損



● あと25本! 映画:『衝動殺人 息子よ』(木下惠介監督)

1979年松竹、TBS
131分

 現行の「犯罪被害者支援法」の元である1980年制定「犯罪被害者給付金制度」ができる際に原動力となったのは、当事者を中心とする市民グループであった。
 その中心人物が、通り魔によって一人息子を刺殺された市瀬朝一氏であった。
 死ぬ間際の息子の「敵をとってくれ」という一言に発奮した市瀬氏は、全国の同じ被害者遺族を訪ね歩き、当事者会を立ち上げ、国会請願活動を行い、世論を形成する大きなうねりをもたらしたのである。
 この映画は、市瀬朝一氏を取材した佐藤秀郎のノンフィクション「衝動殺人」を原作としている。

 市瀬朝一氏にあたる川瀬周三を若山富三郎が演じている。
 文句なしの名演。
 映画男優が目標にすることができる最高レベルの演技と言っていいだろう。
 三浦友和も中井貴一もまだまだである。

 奥さんの川瀬雪絵を木下組往年の主演女優である高峰秀子が演じている。
 これもまたさすがというほかない安定感。
 息子を亡くした母親の悲しみと、病身の夫を支える妻の愛あふれた演技は、下手すると暗く重く深刻になりがちな社会派映画を、家族ドラマに引き戻す力を持っている。
 であればこそ、男性観客も女性観客も感動できる。
 しかも、ここでの高峰は自らは脇に回り、主演の若山富三郎をしっかりと引き立てている。

 ほかのキャストも豪華そのもの。
 若くハンサムな田中健と近藤正臣、若く可憐な大竹しのぶ、夫を喪った生活保護家庭の母親を演じつつもやっぱり美しさが際立つ吉永小百合(これが木下映画唯一の出演じゃなかろうか?)、藤田まことと中村玉緒のいぶし銀、田村高廣と野村昭子の重鎮、清潔で誠実なルックスのせいかここでも得な役回りの加藤剛、出番の多い尾藤イサオはおそらく木下監督に愛されたのだろう。

 この映画の反響が、犯罪被害者給付金制度の成立に一役買ったとのこと。
 『陸軍』、『破戒』、『日本の悲劇』、『笛吹川』、『死闘の伝説』、『この子を残して』などの優れた社会派映画の作り手である木下監督にしてみれば、まさに監督冥利に尽きる出来事であったことだろう。

 そう、木下惠介の社会意識の高さは、終生のライバルと言われた黒澤明とくらべても、少し前の溝口健二、小津安二郎、成瀬巳喜男ら世界的名匠とくらべても、一頭地抜いているように思われる。
 少なくとも、映画芸術と政治性を結び付けた度合いにおいては。
 一方で、『カルメン、故郷に帰る』、『破れ太鼓』のような喜劇、『お嬢さん、乾杯!』、『遠い雲』のような恋愛映画、『二十四の瞳』、『楢山節考』のような文芸映画もたくさん撮っている。
 本当に、この監督の才能と活力には驚嘆のほかない。

 木下惠介の助監督を務めていたこともある脚本家の山田太一が、その昔何かの記事で、「世界のどこにこのような監督がいるだろうか?」と賛嘆していた。
 そのとき20代だったソルティは、記事を読んで、「本邦には黒澤や小津や溝口だっているのに、大げさだなあ」と思った。
 が、ここ数年、木下作品を観まくって(49本の生涯作品のうち24本鑑賞)、山田の意見に、
「まったくその通り」
と同感する。

 空前絶後だ。


評価:★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損





● 映画:『女』(木下惠介監督)

1948年松竹
67分・白黒
脚本 木下惠介
音楽 木下忠司

 盗みを重ねるやくざな男との泥沼の関係をどうにも絶つことのできない優柔不断な踊り子が、最後の最後に男の罪を告発し、関係を断ち切るまでの苦闘を描く。
 全編オールロケ、主役の女と男とが口争いしながら移動するシーンばかりで構成される1時間強。単純な設定と簡単な筋書きの中にサスペンスあふれるドラマを創造する木下監督の才気がほとばしる。
 
 性悪のクズ男を演じるのは小沢栄太郎、優しさと裏腹の女の弱さを演じるのは水戸光子。名優二人ががっぷり四つに組んで目が離せない。
 ラストシーンで、坂の多い熱海の町を逃げ回る女、びっこを引きながら追いかける男。緊迫感高まるクライマックスに、熱海の旅館街の迫力ある火災シーンをかぶせる演出が心憎い。
 木下監督って、アクションも上手い。
 ほんとうに天才だ。
 
 
評価:★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
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★★    いい退屈しのぎになった
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● 慟哭のレクイエム 映画:『この子を残して』(木下惠介監督)

1983年松竹
128分

脚本 木下惠介、山田太一
音楽 木下忠司
出演 加藤剛、十朱幸代、大竹しのぶ、山口崇、淡島千景

 長崎の原爆被害の凄まじさ、反戦・平和への強い願い、そして家族の絆を描いたノンフィクションである。原作は1948年に発表されベストセラーとなった永井隆の同名エッセイ。永井は旧制長崎医科大学(現在の長崎大学医学部)の医師&研究者であり、原爆で妻を失い、自らも数年後に被爆死した。

 80年代に木下監督がこのような骨太のパッションあふれる映画を撮っていたことに驚かされた。このとき齢71、なんという体力、なんという意志力!
 これは反戦映画の金字塔と言っていい。すべての日本人に、いや全世界の人に観てほしいと願うたぐいの映画である。投下直後の爆心地を写実的に描いたラストシーンは、地獄の黙示録と言うに、あるいは慟哭のレクイエム(鎮魂歌)と言うにふさわしい。

長崎
現代の長崎


 往年の大女優淡島千景が祖母役で出演している。若すぎる容姿の祖母ではあるものの、存在感あふれる凛とした演技はさすがである。一家の要として、物語の要として、映画全体を引き締めている。
 当時25歳の大竹しのぶ、出番は多くないが印象に残る達者で可憐な演技。
 もっとも素晴らしいのは、永井隆(=加藤剛)の息子誠一役の少年。中林正智という名前だが、木下監督いったいどこから見つけてきたのか? 爽やかで伸び伸びした少年らしいたたずまいが、暗く重くなりがちなストーリーに希望をもたらしている。陰の主役はこの子であろう。中林はいまも役者をやっているらしい。そのうちブレイクするといいな。

 74年前の今日に思いを馳せて――


評価:★★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
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★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
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● ねずみっ子? 映画:『楢山節考』(木下惠介監督)

1958年松竹
カラー98分


 深沢七郎による同名小説の最初の映画化である。今村昌平監督・坂本スミ子主演による2度目(1983年版)のほうは、カンヌ国際映画祭にてパルムドールを受賞した。

 なにより驚くのはオールセット撮影!
 屋内はともかく屋外もセットなのだ。庭も畑も道も、村の広場も、崖も川も森も、雪景色も遠景も、全部セットである。
 『楢山節考』くらいセットとそぐわない題材はまずないだけに、木下の強烈な意図をそこに感じる。一昔前の日本の寒村の自然や厳しい風土、稲作文化、村社会、家督制度、祭りや因習や掟、迷信や伝承、夜這いや若衆宿、貧困と飢え、間引きと姥捨て・・・こういった日本的土俗こそが『楢山節考』のエッセンスなので、普通ならばここぞとばかりにロケハンが組まれることであろう。今村監督の『楢山節考』は、まさにそのエッセンスを漏らさず映像化したような作品であった。
 木下監督は、『カルメン、故郷に帰る』や『二十四の瞳』を持ち出すまでもなく野外ロケの名手である。同じ深沢七郎原作の『笛吹川』や開拓期の北海道を舞台にした『死闘の伝説』に見るように、大自然を背景にした人間の格闘を描く技量も持っている。『楢山節考』を野外ロケで撮れなかったはずがあるまい。(日本的土俗は漬物が嫌いだったという木下の性に合わなかったとは思うが・・・)
 また、肝心のセットにしても、とても写実的とは言えず、ハリウッド映画の『オズの魔法使い』を思わせる人工的・寓意的な作りである。


 もう一つの驚きは、歌舞伎の様式を取り入れた演出になっている点である。
 オープニングは、「とざい、と~ざい、このところご覧にいれまするは・・・」という黒子の口上で始まり、拍子木の音とともに定式幕が開く。長唄や浄瑠璃がところどころ挿入される。きわめて演劇的、というかメタフィクション作風なのである。
 これはもう確信犯である。


 木下監督は、『楢山節考』から日本的土俗を剥ぎ取って、特定の土地、特定の文化に限定されない普遍的物語に仕立て上げようとしたのである。


 で、木下が普遍的テーマとして中心に据えたのは、言うまでもない、母と息子の愛である。
 70歳を超えた母親を村の掟ゆえに楢山に捨ててこなければならない息子(=高橋貞二)の苦悩。愛する息子に負担をかけまいと自ら楢山行きを志願する母親(=田中絹代)の毅然とした振る舞い。日本人だろうが外国人だろうが、観る者は母と子の互いを思いやる愛の深さに胸をかきむしられることだろう。
 木下恵介へのオマージュである原恵一監督『はじまりのみち』を見れば分かるように、木下は大変な母親思いであった。デビュー翌年に陸軍省の依頼で戦意高揚映画として制作した『陸軍』は、蓋を開けたらその実、出兵する息子の身を案じる母親を描いた反戦映画であり、木下は陸軍省に睨まれる結果となった。ここで母親役を演じ日本映画史に残る名シーンを残したのが、ほかならぬ田中絹代であった。木下は、田中絹代という女優に自らの母の姿を重ね合わせていたのかもしれない。

 ところで、作品中に「ねずみっ子」という言葉が出てくる。
 田中絹代演じる母は、「ねずみっ子を見る前に山に行きたい」と言う。
 どういう意味だろう?
 調べてみたら、ねずみっ子とは曾孫(孫の子供)のことであった。


長野パワースポットツアー2012夏 032


評価:★★★

★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
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★★    いい退屈しのぎになった
★     読み損、観て損、聴き損






● 100%牧歌的 映画:『わが恋せし乙女』(木下惠介監督)

1946年松竹
75分

 まず思うのは画面の見づらさ。フィルムの状態がよろしくなく、晴れのシーンなのに雨が降っているかのように見える、聞こえる。これに先立つ処女作『花咲く港』(1943)より悪い。とくに、この映画は浅間高原の牧場を舞台とする文字通り「牧歌的」な作品なので、広々と晴れやかな風景が味わえないのは残念至極。デジタル補正が望まれる。
 
 雄大な浅間山を背景に、牛が草を食み、馬が駆け抜け、若くイケメン揃いの牧童たちが輪になって歌を唄い、ハーモニカを吹き鳴らし、鈴をつけ花で飾られた馬車がリンリンと山道を往く。そんな風景の中での美しき男女の恋愛模様。
 まったくこれほどまでに「牧歌的」な映画はあるまい。これぞ木下惠介の理想郷なのだろう。ただし、主役の二人が「男と男」であったならという条件付きで。
bokujou
 
 ハンサムな兄(=原保美)は、血のつながっていない美しい妹(=井川邦子)に恋している。ゆくゆくは結婚したいと思っている。妹もまんざらじゃないようだ。ここまでは喜劇。
 しかるに、思いを打ち明けようとした祭りの晩、妹には別に思い人のいることが判明する。ここからが悲劇。
 つまりこれは失恋男の話なのである。妹が選んだ相手がいい男であるだけに反対のしようもない。つらいなあ~。
 
 母親役を東山千栄子、主題歌含めた音楽を木下忠司が担当している。イタリアオペラ風なこの主題歌が面白い。歌っているのは主役の井川自身だろうか? 上手である。
 井川邦子といえば、小津安二郎『麦秋』の紀子(=原節子)の義理の姉役がすぐに思い浮かぶ。落ち着いた穏やかな妻といったイメージが強い。『わが恋せし乙女』で観られる23歳の井川のはち切れんばかりの若さ、躍動する肉体、画面から放射される清廉な美貌の輝きは、「だれにでも若い時があった」という当たり前の事実を観る者に突きつける。


評価:★★★

★★★★★
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● 軽妙洒脱 映画:『今年の恋』(木下惠介監督)

1962年松竹
脚本 木下惠介
音楽 木下忠司

 文句なしの傑作コメディ。
 才知長けた脚本とセリフ、軽やかなテンポ、生き生きとした役者の演技。軽妙洒脱という言葉はまさに木下惠介のためにある。

 役者たちの素晴らしいこと!
 割烹の看板娘を演じる岡田茉莉子は、地に近いんじゃないかと思われる気の強さ。この演技で第17回毎日映画コンクール女優主演賞をもらっている。
 その両親役は三遊亭圓遊(4代目)浪花千栄子。息の合った絶妙な掛け合いは筋金入りの喜劇役者ぶり。
 女中役の若水ヤエ子も負けてはいない。薬屋の息子にフラれた次第を愚痴る、本来ならしんみりするシーンで存分に笑かしてくれる。
 金持ち一家の婆やを演じる東山千栄子も滅法上手い。『東京物語』のおだやかな母親とはまったく違う仮面を被る。さすが昭和を代表する名舞台女優。
 出番はちょっとだが、鼻風邪を引いた先生役の三木のり平のとぼけた味も捨て難い。
 木下監督は本当に役者を生かすのが上手い。

 吉田輝雄と岡田茉莉子。美男美女カップルの恋のいきさつをメインに描きつつ、隠し味的なゲイタッチがそこかしこに伺われる。
 家同士の対立にロミオとジュリエットのように仲を裂かれんとする少年二人の友情とか、お化けが怖くて一緒に一つのベッドに入るハンサム兄弟(吉田輝雄と田村正和)とか、娘が家に連れてきた恋人候補に一目惚れしてしまう父親とか・・・・・・。

 まぎれもない木下印が刻印されている一級の娯楽作である。



評価:★★★★

★★★★★
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★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
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★★    いい退屈しのぎになった
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● 怒りと慟哭 映画:『笛吹川』(木下惠介監督)

1960年松竹
123分

原作 深沢七郎
脚本 木下惠介
音楽 木下忠司

 甲斐国を流れる笛吹川は、最上川、球磨川とともに日本三大急流のひとつとされ、「暴れ川」の異名を持つ。
 この川のほとりの掘っ立て小屋に暮らす貧農一家の5代にわたる生活の様を描く。
 
 時は戦国。 
 甲斐の武田が、上杉はもとより北条や諏訪など周囲の大名らと戦を重ねていた時代である。いきおい、領地内の庶民の暮らしは戦を中心に回っていく。
 手柄や褒美や勲功に釣られて、鋤や鍬を投げだし、刀を手に戦に飛び込む血気盛んな百姓たち。
 「風林火山」の旗の下、主君に命を投げ出す男たち。が、その主君こそは、気分次第で領民を虫けらのように殺戮する暴君なのだ。
 生まれた子供をすべて戦に取られ、なすすべもなく天を仰ぐ老夫婦。
 
 これは、もう一つの『陸軍』である。
 木下惠介の怒りと慟哭のこもった反戦映画である。
 
 モノクロフィルムに部分的に色を焼き付ける手法は、評価の分かれるところであろう。
 リアリティを奪い、鑑賞の妨げになるだけの感もある。
 せっかく素晴らしい場所を見つけての(現在ではもはや不可能な)ロケ撮影なのに、もったいない気もする。
 が、最初は違和感あったが、観ているうちに気にならなくなった。
 むしろ、たとえば黒澤の活劇のようなリアリズム一辺倒の作品にはない、ある種の寓意というかメタフィクション性が備わっているように思う。
 つまり、特定の時代、特定の場所の、特定の家族の物語が、人間の「無明」と生の「苦しみ」を描く絵巻物の仏教説話のような普遍性を帯びている。それは、白装束の遍路姿で鈴を鳴らす原泉がところどころで亡霊のように出現するシーンや、合戦の最中に無情に打ち鳴らされる鐘の響きなどにも依っている。
 反戦映画であると同時に、「何千年という戦いの歴史を持ちながらも、そこから抜け出すことのできない人類の無明」が一見無造作に色づけられたフィルムの表層から迫ってくる。
 
 老醜メイクも厭わず役者根性を見せた高峰秀子、地味だが芯の通った人の好い夫を演じた田村高廣、しょっぱなの短い出番だけで物語全体の行く末を暗示する加藤嘉の深みある演技が印象に残った。



評価:★★★★

★★★★★
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● 滝沢修という名優 映画:『新釈 四谷怪談』(木下恵介監督)

1949年松竹

原作 鶴屋南北「東海道四谷怪談」
音楽 木下忠司
撮影 楠田浩之
上映時間 158分
キャスト
  • 伊右衛門 : 上原謙
  • 伊右衛門の妻・お岩/お岩の妹・お袖 : 田中絹代(二役)
  • 直助 : 滝沢修
  • 小仏小平 : 佐田啓二
  • お梅 : 山根寿子
  • お梅の乳母・お槇 : 杉村春子
  • お袖の夫・与茂七 : 宇野重吉

 四谷怪談と言えば数ある怖い話の最たるものであるが、この映画は全然怖くない。お岩の幽霊は実際に現れる――この言い方は矛盾しているが――のではなく、お岩を殺めた夫・伊右衛門の罪悪感が見せる幻覚として表現される。そのことが象徴しているように、物語の主軸は、直助の甘言に乗って欲に負け罪を犯してしまう伊右衛門の心理と末路を描くところにある。欲に翻弄される人間の愚かさをテーマに据えたあたりが‘新釈’なのだろう。事実、この作品は怪談というよりもシェイクスピアばりの人間ドラマである。
 
 とにもかくにも役者の魅力が尋常でない。
 主役の伊右衛門演じる上原謙は、これが時代劇初出演だったらしい。撮影当時40歳、水もしたたる色男ぶりである。女房役をつとめる田中絹代がブスに見えるほどの美貌の輝きは、ひとえに木下恵介のイケメン愛ゆえであろう。欲と罪悪感に揺れる気の小さい侍を見事に演じて、たんなる美男スターだけではないことを立証する。
 お岩およびお岩の妹・お袖を演じる田中絹代は言うまでもない芸達者。一人二役を見事に演じ分けている。お岩はおそらくスッピンだと思うが、やっぱり美人女優とは言えない。素材の凡さを演技でカバーしているところは同じ松竹で活躍する田中裕子に引き継がれたか。
 ブスと言えば杉村春子である。口八丁手八丁の直助にコマされて、伊右衛門を自らの主人であるお梅とくっつけるお側仕いの女・お槇を、いつもながらの上手さと庶民臭さで演じている。あろうことか直助に言い寄られて「おんな」を見せるシーンがあるものだから「怖い、怖い」。作中、一番怪談じみているのは杉村春子の媚態である。
 さて、以上3人の名優によるハイレベルの演技合戦を見るだけでも相当面白いのだが、なんとまあ、ここで3人を凌ぐ役者がいたのである。
 滝沢修がその人である。
 
 どこかで聴いた名前と思ったら、吉村公三郎監督の屈指の名作『安城家の舞踏会』(1947年)で安城家当主を演じていた人である。美貌の令嬢・原節子の父親役である。元華族の役だけあって、気品とインテリジェンスあるプライド高い当主を見事に演じていた。
 『新釈 四谷怪談』での滝沢のキャラクターやイメージは、『安城家』とは180度異なる。
 直助は根っからの悪人である。人をだますことも利用することも盗みを働くことも命を奪うことも‘へ’とも思わない。悪事を働くことがそのまま適職にして天職となっている男である。目的のためには手段を選ばない。直助の唆しによって小平(=佐田啓二)は人妻お岩を手篭めにしようとし、直助の誘惑に負けて伊右衛門は女房殺しを行い、直助の口車に乗ってお槇は自らが仕える一文字家の滅亡に手を貸してしまう。直助はこの悲劇の種を蒔き、水を注いで育て、花を咲かせる狂言回しのような役を果たす。その意味で、シェイクスピア『オセロ』に登場するイアーゴを思わせる。(新劇の役者である滝沢はもちろん舞台で何度もイアーゴを演じているだろう)
 直助を演じる滝沢の表情、目つき、動作、姿勢、口調、声色、たたずまい、オーラー。どれもが完璧に計算し尽くされた上にリアリティにも不足なく、全体として一人の人間、一つのキャラクターとして息をし命が吹き込まれている。「この役者は悪役専門か」と思ってしまうほど、役者の地金めいている。
 舞台での演技は消えてしまう(消えてしまった)ので、この作品の直助こそが滝沢修という役者の歴史的名演と言っていいだろう。この演技が記録されているだけでもこの映画には十分な価値があり、この演技を観るだけでもこの作品は十二分の価値がある。田中絹代、杉村春子を食うとは、いやはや凄い役者がいたものだ。
 
 映画の冒頭の牢破りのシーン、クライマックスの炎の中での立ち回りシーン。木下恵介がアクション映画の監督としても勝れていることを十分感じさせる。木下が関心を抱いていたのは、見た目の派手さやカッコよさや観客への訴求力より、人間心理の深みや陰影にこそあったのだとつくづく思う。大人の監督なのである。



評価:B+

A+ ・・・・めったにない傑作。映画好きで良かった。 
「東京物語」「2001年宇宙の旅」「馬鹿宣言」「近松物語」

A- ・・・・傑作。できれば劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」「スティング」「フライング・ハイ」「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」   

B+ ・・・・良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」「ギャラクシークエスト」「白いカラス」「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・純粋に楽しめる。悪くは無い。
「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」

C+ ・・・・退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・見たのは一生の不覚。金返せ~!!




● 瀬戸内晴美になれなくても 映画:『遠い雲』(木下惠介監督)

1955年松竹

監督 木下惠介
脚本 木下惠介、松山善三
音楽 木下忠司
出演
  • 高峰秀子 : 寺田冬子 
  • 佐田啓二 : 寺田俊介 
  • 高橋貞二 : 石津幸二郎 
  • 田村高廣 : 石津圭三

 美しい風景と古くゆかしい町並みが画面に映える飛騨高山を舞台に、子持ちの未亡人・冬子(=高峰秀子)と東京から帰省した幼馴染みの青年・幸二郎(=高橋貞二)の結ばれずに終わる一夏の恋を描く。正統派の純愛ドラマと言っていいだろう。
 愛し合っている二人が結ばれなかったのは、冬子側の躊躇による。一度は人妻になった身であること、まだ幼い子供がいること、嫁ぎ先で頼られ大切にされていること、亡くなった夫の弟・俊介(=佐田啓二)から好意を寄せられていること、そして何よりも世間体である。とくに悪い噂の広まりやすい田舎の風土は大きな枷となる。これらすべての枷を薙ぎ倒して、家も子供も捨てて愛する男の胸に飛び込んでいく勇気(と言っていいのか分からないが)を、フェミニズムのフェの字もなかった当時の女性に望むのは無理と言うものだろう。誰もが瀬戸内晴美になれるわけではない。
 現代なら同じ飛騨高山の地であろうと、この二人が付き合い結婚することに、眉を顰め、目くじらを立てる者は、二人に心理的に深く関係する者意外はいないであろう。不倫でも浮気でもないのだから、なんの問題もない。その意味で、時代性・地域性を感じさせる映画である。
 しかし、木下惠介がやはり一筋縄でいかないと思うのは、冬子と幸二郎の恋の成就を最後の最後で阻む枷に、上記以外の理由を用意しているところである。
 
 思い余った幸二郎は冬子に駆け落ちを持ちかける。
 「明日の朝の汽車で一緒に東京に行きましょう」
 幸二郎は拒絶の返事をもらい、傷心を抱え、早朝の汽車にひとり乗り込む。汽笛が鳴り、発車せんばかり。
 そこへ、手提げ一つで着の身着のままの冬子が走ってくる。駅舎に飛び込み、東京への切符を買い、愛する男の胸めがけて改札を抜けようとする冬子。
 「ああ、結局、冬子は瀬戸内晴美派だったんだなあ」と、観る者が思った瞬間、冬子は改札から出てきた一人の男とぶつかる。
 それは、仕事で地方に行っていた義理の弟・俊介であった。
 なんという偶然か!
 二人の事情を知っている俊介は、問い糾すことなくこう告げる。
 「後ろのほうの車両にいますよ」
 俊介の言葉を耳にした途端、冬子の気持ちは萎えてしまう。
 彼女は悟る。
 「やっぱり、行ってはいけない」
 
 人は時に、自らの感情や欲望や思考を超えたところにある「なにものか」の声を聞く。「なにものか」は大概、偶然とか予期せぬ出来事とかシンクロニシティといった形で、人に啓示をもたらす。その声を謙虚に受け止めることで、誤った道に踏み入ることが回避される。これを宿命と言ったり、恩寵と言ったり、天の配剤と言ったりするのだろう。
 
 停車場をあとにしながら、俊介は冬子に言う。
 「行かないでくれて、ありがとう」
 冬子は答える。
 「いいえ、私こそ・・・・・ありがとう」
 
 この映画は一見、古い因習と世間体に阻まれて自らの感情や欲望を押し込めざるを得ない女性の不幸を描いているように見える。遠い雲のような幸福・・・・・。
 が、ラストシーンの早朝の高山の空は、雲ひとつなく晴れて美しい



評価:B-

A+ ・・・・めったにない傑作。映画好きで良かった。 
「東京物語」「2001年宇宙の旅」「馬鹿宣言」「近松物語」

A- ・・・・傑作。できれば劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」「スティング」「フライング・ハイ」「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」   

B+ ・・・・良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」「ギャラクシークエスト」「白いカラス」「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・純粋に楽しめる。悪くは無い。
「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」

C+ ・・・・退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」


D- ・・・・見たのは一生の不覚。金返せ~!!





● ゲイチックな週末1 映画:『喜びも悲しみも幾年月』(木下惠介監督)

 この週末(4/15,16)は木下惠介とチャイコフスキーを鑑賞した。とくに意識的に選んだわけではないのだが、両者ともゲイである。
 
1957年松竹
原作 木下惠介
音楽 木下忠司
上映時間 160分

 日本の僻地に点在する灯台を転々としながら厳しい駐在生活を送る灯台守夫婦(佐田啓二、高峰秀子)の戦前から戦後に至る25年間を描いたもの。
 四季折々の日本各地の美しい海岸風景の中に、喜怒哀楽こもごもの人間ドラマ、夫婦愛、家族愛が丁寧に描かれ、最後は感動のクライマックスで終わる。160分の長さを感じさせないストーリーテリングはさすがというほかない。大ヒットした主題歌を含む音楽も見事に作品に溶け合っている。
 
 作品自体はなんの文句もつけようもない傑作であるけれど、観ていて気になってしまうことがある。それはこれを撮った木下監督の心情のほどである。
 木下惠介がゲイであったことはまず疑いなかろう。結婚はしたが相手の女性とは入籍せず、新婚旅行で見切りをつけ夫婦生活もないままに別れたという。その後、独身を貫いている。養子は取ったが実子はなかった。日本初のゲイ映画と言われる『惜春鳥』(1959)を筆頭に、木下作品には男性同士の親密な関係を描いたものが少なくない。
 むろん、同性愛そのものずばりを描くことなど当時考えられなかった。‘そのものずばり’と言えるのは、おそらくピーター主演の『薔薇の葬列』(1969年、松本俊夫監督)が本邦初だと思うが、これは非商業主義的な芸術作品を専門とするATG製作・配給であった。木下惠介は最後まで‘そのものずばり’を撮ることはなかったし、松竹もそれを望まなかったろう。木下惠介と言えば、やはり夫婦や親子の機微を克明に描く家族ドラマの名手というイメージが強い。ソルティが子供の頃にTBS系列で放映されていた「木下惠介アワー」がその印象を強めている。
 
 天才肌のプロフェッショナルとして、大衆が望み喜ぶもの(=客が呼べるもの、視聴率が良いもの)を作るのは木下監督にとってお茶の子さいさいであったろう。男と女の恋愛や葛藤や別れ、夫と妻の信頼や裏切りや破綻、親と子の愛情や憎しみや衝突。こうしたものを木下惠介は、時にシリアスに、時にユーモラスに、時に詩情豊かに、時に皮肉たっぷりに、時に激しく、時にしみじみと、包丁さばきも鮮やかに描き出している。大衆的な人気もうべなるかな。
 しかるに、これらは言わば「マジョリティの世界=ヘテロの世界」の出来事である。ゲイであり子供を作らなかった木下惠介にとってみれば、男女の恋愛も親子の愛憎も他人事だったのではなかろうか。‘外野に置かれている’感覚を伴いながら、これらの作品を撮っていたのではなかろうか。
 むろん、外野にいたからこそ内野の様子がよく見えたのであろうし、感情的に巻き込まれることなく冷静な視点を保ちながら鋭い人間観察ができたのであろう。加えて、ゲイセクシュアリティの利点を生かし、男の立場と女の立場の両方を理解し、その相克をリアルに描き出すことができたのかもしれない。
 一方で、常に外野から他人事(=ヘテロ)の人生ばかりを描いていて、ある種の欲求不満にはならなかったのであろうか? 芸術家にとって何よりの創作モチベーションであるはずの自己表現欲求を、木下監督はどう始末していたのだろう? 単に、自らの作品中に‘熱き友情’と解されうる男同士の絆を添え物的に挿入することで満足していたのだろうか?
 気になるところである。
 
 とりわけ、この『喜びも悲しみも幾年月』は、長年連れ添った夫婦の絆がテーマである。最も木下惠介自身からは遠い題材であると言わざるをえない。それは、彼が望んでも得られないものであったし、自らの実体験をもとに深い理解と共感をもって描き出せるテーマではなかったはずである。(原作と脚本も木下監督の手になる)
 いったい何故こんな芸当が可能だったのだろう?
 彼が心から欲しいと願っていたもの、理想として胸に秘めていたものをリアリティもって創造したからこその離れ業だったのだろうか。
 それとも、自らの両親の姿が念頭にあったのか。 
 
 ウィキによると、日本においては長崎県五島市の女島灯台が最後の有人灯台であったが、2006年(平成18年)12月5日に無人化され、国内の灯台守は消滅したそうである。
 


評価:B-

A+ ・・・・めったにない傑作。映画好きで良かった。 
「東京物語」「2001年宇宙の旅」「馬鹿宣言」「近松物語」

A- ・・・・傑作。できれば劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」「スティング」「フライング・ハイ」「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」   

B+ ・・・・良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」「ギャラクシークエスト」「白いカラス」「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・純粋に楽しめる。悪くは無い。
「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」

C+ ・・・・退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・見たのは一生の不覚。金返せ~!!




● 北の大地の因縁 映画:『死闘の伝説』(木下惠介監督)

1963年松竹。

監督・脚本 木下惠介
音楽 木下忠司
出演
  • 園部梅乃:  毛利菊枝
  • 園部静子:  田中絹代
  • 園部黄枝子:  岩下志麻
  • 園部秀行:  加藤剛
  • 清水信太郎:  加藤嘉
  • 清水百合:  加賀まりこ
  • 鷹森金兵衛:  石黒達也
  • 鷹森剛一:  菅原文太
  • 源さん:  坂本武
  • 林巡査:  野々村潔

 木下恵介にしては珍しいバイオレンスアクション。

 岩下志麻が出ている!
 なんだか呼ばれるかのように志麻サマの作品を追っているなあ。
 そして、ここでも父娘共演。万年脇役の野々村潔は、スターである娘の演技をどんな思いで見ていたのだろう?
 
 イケメンというよりハンサムな加藤剛と、ほぼ主役と言っていい出番の多さと見せ場を与えられている加藤嘉の2ショットは、もちろん、同じ松竹の名作『砂の器』を連想させる。とにかく加藤嘉の名優ぶりが光っている。
 
 六本木の小悪魔・加賀まりこは、やはり、顔立ちやスタイルや雰囲気が都会的過ぎる。鄙まれな美人というレベルではない。加藤嘉の娘にも見えない。ミスキャストな気もするが、もう一人の鄙まれ・岩下志麻との対比、役の上での棲み分けを考えると、これで良かったのかもしれない。クライマックスで銃を構える凛々しい姿は、昔日の薬師丸ひろ子(in『セーラー服と機関銃』)にも似て可愛い。

 他に、毛利菊枝田中絹代、坂本武といったベテラン俳優陣を配して、演出にはみじんの揺ぎも無い。完成度も高い。
 
 興味深いのは、菅原文太である。
 仁侠映画やトラック野郎など東映の大スターだった文太兄いの珍しい松竹出演作なのである。1967年に東映に移る前に6年ばかり松竹に在籍していたのだ。木下作品にはあと岡田茉莉子主演の『香華』に出ている。
 本作では、村の大地主のドラ息子の役で、岩下志麻演じる黄枝子に懸想するも振られて、怒りから権力をかさに黄枝子一家を窮地に追い詰め、最後は力づくで黄枝子を強姦しようとするが逆に頭を殴られ殺されてしまうという、典型的な悪役、嫌われ役、おマヌケな役を演じている。
 菅原文太はモデル出身なだけに間違いなくハンサムなのだが、加藤剛のような甘いマスクやハーレクイーンロマンスな雰囲気は持っていない。女よりも男に持てるイケメンだ。
 松竹から東映に移って大正解だった。

 さて、この物語は太平洋戦争末期に北海道のある部落で起きた暴動を描いている(おそらくフィクションだろう)。
 暴動と言っても、虐げられた村人たちが地主や政府や軍などの抑圧者に反抗するといった秩父事件的な勇ましいもの・誇らしいものではない。
 
 本州から疎開してきた園部一家は、村の権力者に睨まれたのがもとで共同体から孤立する。権力に阿る村人らは園部一家に嫌がらせするようになる。次第に敗戦の色濃くなると、これまで戦時下の窮乏を耐えてきたストレスと、あいつぐ家族の戦死の知らせに遣りどころのない怒りと悲しみを抱えた村人たちの鬱憤は一気に爆発し、園部一家を標的に山狩りを始める。

 つまり、一つの家族に対する集団リンチがテーマである。
 
 なんて残酷な、なんて恐ろしい映画を木下は撮ったのだろう!
 共同体における自己保身と仲間意識から、よそ者に対する村人の敵意がじょじょに高まり、陰険な陰口や行為(畑を荒らす)を生み、戦時下の日常生活で蓄積された怒りとシンクロして、あるきっかけをもとに暴動が勃発する。
 人間性に潜む個的・集団的心理の怖さや醜さを、木下恵介は、実に鋭く、丹念に、サディスティックなまでに(見方を変えるとマゾヒスティなまでに)容赦なく、救いなき非情さで描き出している。観ていて、ラース・フォン・トリアー監督、ニコール・キッドマン主演の『ドッグヴィル』(2003)を想起したのであるが、そう言えば木下恵介とラース・フォン・トリアーは何となく作風が似ている。一見、ヒューマニストっぽく見えて性悪説なところが・・・。

 音楽は実弟の木下忠司。アイヌの伝統楽器ムックリを使うことにより、緊迫感を高め、同時に北海道という土地に込められた因縁を観る者に感得させるのに成功している。ビョンビョンビョンという音が、見終わった後もしばらくは耳について離れない。

 『カルメン故郷に帰る』でいくら牧歌的な田舎の風景や陽気で素朴な人間を描こうが、木下恵介が血縁や地縁を絆とする日本的共同体(=村社会)に、希望を見ていなかったことは確かである。



評価:B+

A+ ・・・・めったにない傑作。映画好きで良かった。 
「東京物語」「2001年宇宙の旅」「馬鹿宣言」「近松物語」

A- ・・・・傑作。できれば劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」「スティング」「フライング・ハイ」「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」   

B+ ・・・・良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」「ギャラクシークエスト」「白いカラス」「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・純粋に楽しめる。悪くは無い。
「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」

C+ ・・・・退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・見たのは一生の不覚。金返せ~!!






● 日本のシェイクスピア 映画:『日本の悲劇』(木下恵介監督)

1953年松竹。

 木下恵介監督の撮った49本の映画うち、ベスト5に入る傑作である。
 ソルティが選ぶ今のところの残りベスト4は、『香華』、『陸軍』、『永遠の人』、『破れ太鼓』。
 だが、まだ『楢山節考』、『喜びも悲しみも幾歳月』、『惜春鳥』はじめ未見が多いので、今後ベスト5がどう変わっていくか楽しみである。 黒澤明の凄さは観る者が若いうちでも分かるけれど、小津安二郎や木下恵介の凄さはある程度歳をとらないと分からない。とくに、木下映画の真髄はフェミニズムを通過しないと分からないものが多い。日本でも世界でも、まだまだ発見を待たれる監督と言えよう。

 この『日本の悲劇』も大上段なタイトルから社会派ドラマをイメージするが、実際は、戦後の混乱期に苦労して育てた子供に老いてのち冷たくされる一人の母親の半生を通して、「母の悲劇」「親子の悲劇「家庭の悲劇」を克明に描いた骨太にして非常に繊細な人間ドラマである。その意味で、「日本の悲劇」というのはむしろ狭い見方である。日本という地域性、敗戦後という時代性を超えて、「人間の悲劇」「生きることの悲劇」を描く深みに達している。
 大胆に言ってしまおう。
 
 木下恵介作品は、その最良のものにおいて、古代ギリシア悲劇あるいはシェイクスピア作品と匹敵すべきレベルにある。

 母親・春子を演じる望月優子がピカイチ。これがアメリカだったらオスカー間違いなし。とにかく上手い。
 二人の子供(歌子と清一)の為に自らを犠牲にして生きる、情が濃くて逞しくて愚かな母親を、圧倒的な存在感をもって演じている。この存在感に近いのは2時間ドラマの市原悦子か・・・。観る者は、最初から最後まで春子に共感し、母の気持ちになって、母の視点から、二人の子供をはじめとする周囲の人間ドラマを見ることになる。
 春子は夫亡き後、焼け跡で闇屋をやり、子供を親戚に預けて熱海の料亭で身を粉にして働き、時には売春まがいもし、子供の養育費を工面してきた。その甲斐あって、歌子は洋裁と英語が得意な才媛に育ち、清一は前途洋洋たる医学生となる。母の悩みと苦しみ、母の喜びと悲しみ、母の苛立ちと寂しさ、母の希望と絶望、母の強さと弱さ・・・・・。観る者はこの映画を通して一人の「母」を体験する。なので、その行き着く先にある飛び込み自殺という選択は、決して唐突でも不思議なものでもない。自分のすべてを捧げてきた当の子供から軽蔑され冷たくされ見捨てられ、生き甲斐を失った春子が自暴自棄になるのは悼ましくはあっても理不尽ではない。
 そこで観る者のやるかたなさは怒りとなって二人の子供たちへと向かう。
 何と冷たい恩知らずの子供たちか! 戦後教育はこんな自己中心的な若者を育てたのか! これが自由と権利を主張する民主主義の正体か!
 しかし、木下監督の凄さは物語をそんな紋切り型に収斂させないところにある。母親の苦労を描く一方で、母親と離れて暮らす二人の子供の成長も平行して描いているのである。
 熱海に出稼ぎに行く春子は、口車に乗せられて亡夫の弟夫婦に家を貸して、結果乗っ取られてしまう。思春期の歌子と清一は、生まれ育った自分の家に住みながら、伯父夫婦のもと肩身の狭い思いをして暮らすことになる。こき使われ、いじめられ、罵倒され、ひもじい思いをする。ある晩、辛さ寂しさに耐え切れず、二人は春子に会うため熱海に行く。そこで見たのは、酔客と体を寄せ合いながらしどけない格好で艶笑する母。二人は春子に声をかけずに通り過ぎ、駅で夜を明かして家に帰る。そのうち春子が体を売っているという噂も二人の耳に入ってくる。清一は偉くなること金持ちになることを決意し、一身に勉強に打ち込むようになる。歌子は、叔父夫婦の息子(いとこ)に病床を襲われ暴行されトラウマを背負う。縁談もあるが、トラウマと母の悪評がついて回り、希望は見出せない。(成人した歌子の描き方が凄すぎる! 女のさがをここまでリアルに多面的に描いた男性監督は世界中探してもペドロ・アルモドバル監督くらいしか見当たらない・・・)
 清一と歌子の生い立ちを描いていくことで、二人の子供が長じてどんな思いを母親に対して抱くようになるか、どんな人生観・価値観を身に着けていくかが観る者に了解される。それは十分な説得力を持っている。木下は冷たい無情な子供を描いているのではない。子供には子供の事情があり、そのような考え方や生き方を身につけざるを得ない背景があると伝えているのである。
 その点で、同じようなテーマを扱った小津安二郎の『戸田家の兄妹』や『東京物語』とは似て非なるものである。『戸田家の兄妹』は善悪がはっきりしていた。親に冷たく当たる子供たち=悪、最後まで親を見捨てず大切にする子供たち=善であった。そこから時を隔てた『東京物語』では小津監督も成熟して、親子の確執は善悪では捉えきれないことを示した。「子供には子供の生活があり事情がある。親世代は静かに去り行くのみ。子供に迷惑をかけてはいけない」というように。もはや利己的な子供世代を責める風はなかった。「老いたものは静かに去りゆくのが世の習い、それが生き物のさだめ」といった‘もののあわれ’あるいは‘無常性’が獲得された。その透徹した視点、達観した境地を、禅寺の風景のような静的スタイルで描き切ったことが、『東京物語』の傑作たるゆえんであろう。
 『日本の悲劇』は、『東京物語』の一歩先を描いている。
 一歩先というのが適切でないなら、高踏的でブルジョワで清潔志向の小津が『東京物語』で描かなかった泥々とした内幕を木下は描いている。つまり、「子供には子供の生活があり事情がある」ことを微に入り細に穿ち、観る者に提示して見せたのである。
 だから、観る者は単純に子供世代を責めることはできない。歌子や清一の立場に立てば、母・春子への冷たい仕打ちはどうにもこうにも仕方ないのだと理解できる。他人ならまだしも、実の親だからこそ許せないものがある。すべてを知って、すべてを許すには二人は若すぎる。 親には親の言い分(正当性)があり、子供には子供の言い分(正当性)がある。それぞれが頑張って厳しい時代を生き抜いてきたのである。どちらを責めることもできない。問責は洞察力(智慧)と思いやり(慈悲)に欠ける行為である。
 
 春子は春子の因縁を持ち、因縁に支配されて、世に投げ出されている。歌子は歌子の、清一は清一の因縁を持ち、因縁に支配されて、世に投げ出されている。両者の因縁がぶつかり合って齟齬が生じる。両者ともに、自分自身の因縁を見抜いて、そこから抜け出す方法を知らないので、結局、織り成す因縁が生む出す定めのまま行く着くところまで運ばれてしまう。それが最後には母・春子の自殺という最悪な‘果’を生んでしまい、それがまた新たな‘因’となって、この先の歌子と清一の人生に影を落としていくことになる。
 
 この映画は「因縁にとらわれた人間の悲劇」を圧倒的なリアリティのもとに語っている。
 ギリシア悲劇、シェイクスピアと比較しても少しも遜色なかろう。
 


評価:A-
 
A+ ・・・・めったにない傑作。映画好きで良かった。 
「東京物語」「2001年宇宙の旅」「馬鹿宣言」「近松物語」

A- ・・・・傑作。できれば劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。 
「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」「スティング」「フライング・ハイ」「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」   

B+ ・・・・良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」「ギャラクシークエスト」「白いカラス」「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・純粋に楽しめる。悪くは無い。
「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」

C+ ・・・・退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

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● 時を駆ける女たち 映画:『はじまりのみち』(原恵一監督)

2013年松竹映画。

 『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ! オトナ帝国の逆襲』(2001年)、『カラフル』(2010年)という傑作アニメ映画を作った原恵一監督の初の実写作品、しかも題材が若い日の木下恵介の実話ということで、期待を込めて鑑賞した。
 
 時は戦時下。木下監督がかの有名な『陸軍』を撮影し、そのラストシーンが陸軍省の反感を買い、次の仕事を干されたところから始まる。監督業に絶望した木下は、寝たきりの母のいる浜松の実家に帰る。空襲が激しくなり、家族は山間の親戚の家に疎開を決める。そこまで行くには暑い盛りを山越えしなければならない。病気の母の安静を保つために、木下は兄とともにリヤカーで運ぶことにする。
 
 まずは松竹の良心とでも言うべきか、役者陣は手堅いところを押さえている。
 木下恵介役の加瀬亮は、シスターボーイ風の美青年だった木下を髣髴とさせる。演技も合格点。おそらく実物はもっとフェミニンな匂いを醸していたのではないかと思われるが、まあそこは映画だから・・・。
 母親木下たま役の田中裕子。松竹「ここぞ」という時の最強の切り札であろう。セリフのほとんどない病人役にもかかわらず、存在感たるや随一である。脳溢血による片麻痺という設定だと思うが、片麻痺の母が頑張って息子(恵介)に喋ろうとする有りさまが、日々老人ホームの仕事で実際の患者に接しているソルティから見ても真に迫るものであった。田中裕子が峠を越えるのはこれで2回目だろうか。
 兄敏三役のユースケ・サンタマリアは個人的には好きな役者でないが、この映画に限っては渋い控えめな演技で通していて及第点を与えられる。実際には木下は8人兄弟の4男だった。この映画には敏三、恵介を含む4人の兄弟姉妹しか出てこない。実の弟の忠司(4つ下)は作曲家として活躍し木下作品の音楽も担当している。名前すら出てこないのには理由があるのか? このあたりの家族関係の処理がいい加減な気がした。
 兄弟と一緒に家財道具を引いて峠を越える羽目になる便利屋役の濱田岳。auのCMに出てくる金太郎である。愛嬌ある顔立ち体つきで、ユニークで憎めない個性が光る。いま魔夜峰央のギャグ漫画『パタリロ』の舞台化で、加藤諒が主役パタリロに抜擢され話題となっている。濱田岳のほうが良かったんじゃないか。

 全体に丁寧に品良く作られた作品と言える。原恵一の才気はむしろ控えめである。最初は意外な気もしたが、木下恵介へのオマージュである作品で、別の監督の個性が目立つのはうざったいだけだろう。これで良いのかもしれない。
 ただ、全般に画面の奥行きが乏しく、リアルな空気感(とくに戸外の)に欠いている感はあった。それをアニメ(2次元)映画のプロとしての原監督の出自のせいとするか、松竹の予算や撮影時間の縛りのせいとするか。それこそ同じ峠越えを描いた松竹の『天城越え』(1983年、三村晴彦監督)と比すれば差は歴然としよう。『はじまりのみち』では蝉の声すら聞かなかったような・・・。
 
 木下監督へのオマージュとして、有名な木下作品が次々と引用される。
 監督デビュー作である『花咲く港』をはじめ、問題となった『陸軍』、『わが恋せし乙女』、『お嬢さん乾杯!』、『破れ太鼓』、『カルメン故郷に帰る』、『日本の悲劇』、『二十四の瞳』、『野菊の如き君なりき』、『喜びも悲しみも幾歳月』、『楢山節考』、『笛吹川』、『永遠の人』、『香華』、『新・喜びも悲しみも幾歳月』。
 コメディあり、恋愛ドラマあり、家族ドラマあり、人情物あり、文芸作品あり、時代劇あり、社会派ドラマあり。本当に素晴らしい作品をたくさん作ったんだなあと感嘆する。

 引用された映画の断片をずっと観ていて、一つのことに気がついた。

「木下映画とは、女性が一人、駆ける映画である」
 
 多くの作品で、主人公の女性が画面に大きく映し出されて、戸外を一人で駆け回るシーンが思い出される。街中であったり、因習強い田舎の野良道であったり、大自然の中であったり、と舞台はさまざまであるが、女たちは何かから逃げるように、あるいは何か重いものを脱ぎ捨てるように、あるいは一心に思いつめた表情で、あるいは晴れ晴れと人生を謳歌するように、駆け回っている。
 そのはじまりの一歩が『陸軍』ラストシーンの田中絹代だったんじゃないだろうか。
 そして、その走りは現代の『アナと雪の女王』において、凍てつく道なき雪原を一人進むエルサまで続いているんじゃないだろうか。
 
「自分の息子に『立派に死んで来い』なんて言う母親はいない』
 木下恵介は、昭和という時代を通して、‘声なき女たち’の代弁者だったのではないかと思うのである。

 最後に一つ。
 やっぱり、お母さんはバスで行ったほうが楽だったと思う。
 


評価:C+
 
A+ ・・・・めったにない傑作。映画好きで良かった。 
「東京物語」「2001年宇宙の旅」「馬鹿宣言」「近松物語」

A- ・・・・傑作。できれば劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」「スティング」「フライング・ハイ」「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」   

B+ ・・・・良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」「ギャラクシークエスト」「白いカラス」「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・純粋に楽しめる。悪くは無い。
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C+ ・・・・退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
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