ソルティはかた、かく語りき

首都圏に住まうオス猫ブロガー。 還暦まで生きて、もはやバケ猫化している。 本を読み、映画を観て、音楽を聴いて、神社仏閣に詣で、 旅に出て、山に登って、瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

  木下惠介監督

● 映画:『歌え若人達』(木下惠介監督)

1963年松竹
86分、カラー

 神保町シアター開催中の『映画で辿る――山田太一と木下惠介』特集で鑑賞。
 山田太一の脚本を師匠である木下が映画化した。

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 同じ寮に暮らす4人の男子学生の日常を切り取った青春ドラマ。
 川津祐介、松川勉、三上真一郎、山本圭が扮する。
 これが映画デビューとなった松川勉が、ひょんなことからテレビドラマの主役にスカウトされる貧乏学生を演じている。
 まさに現実そのままの役だったのだ。
 そんな友人の幸運をねたむ男を、すでに松竹の人気スターだった川津が演じているのが面白い。
 山本圭は剽軽でマザコンっぽいメガネ学生に扮して、味がある。
 あまり注目したことがなかったが上手い役者である。
 兄・山本學、弟・山本亘ともに、田村兄弟同様、役者3兄弟だったのだな。

歌え若人達
左から、三上真一郎、川津祐介、松川勉、山本圭

 複数の青年が主役という点では同じ木下の『惜春鳥』と一対であるが、『惜春鳥』がどちらかと言えばシリアスで、隠微なホモセクシュアリティを匂わす暗喩的作品であったのにくらべると、『歌え若人達』は明るく滑稽味あふれ、後味もいい。
 両作に共通している主役は川津のみ。『惜春鳥』で主役だった津川雅彦は本作では特別出演している。
 この作風の違いはやはり、本作の脚本が山田太一によることが大きいのではないかと思う。
 木下の描く男達のウエットな関係が、ここではカラッとしている。
 (お約束の男同士のダンスシーンはあるが・・・)
 
 とにかく観ていてびっくりは、出演陣の豪華さ。
 「松竹〇周年記念作なのか!?」と思うほどの人気役者の投入ぶりに、客席で思わず声をあげた。
 倍賞千恵子、冨士眞奈美、岩下志麻、東山千栄子、京塚昌子、三島雅夫、益田喜頓、柳家金語楼、渥美清(寅さん)、山本豊三、津川雅彦、佐田啓二、岡田茉莉子、田村高廣・・・・・。
 とくに岩下志麻が出ているとは思わなかった。
 木下惠介作品の出演は、岩下のデビュー作となった『笛吹川』と『死闘の伝説』くらいと思っていた。
 22歳の志麻サマ、清楚で美しい!

 小津安二郎『東京物語』のおっとりした祖母のイメージが強い東山千栄子と、TVドラマ『肝っ玉かあさん』の割烹着のおふくろイメージが強い京塚昌子。
 両ベテラン女優の醸し出す滑稽味がたまらない。
 
 公開の63年と言えば、60年日米安保闘争の余韻がまだ残り学生運動盛んだった頃と思うが、本作に出てくる学生たちは概してノンポリである。
 大島渚『日本の夜と霧』(1960)に出てくる学生たちとは甚だしいギャップがある。
 そのぶん、昭和バブル時代の学生にも、平成・令和時代の学生にも、理解し通じ得るような普遍性がある。
 いつの時代も、若者は悩み、葛藤し、遊び、恋する生き物なのだ。 

 木下惠介作品の中では、トップレベルの楽しさと豪華さ。
 弟・木下忠司の音楽も冴えている。






おすすめ度 :★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損




● 映画:『風花』(木下惠介監督)

1959年松竹
78分、カラー

 同じタイトルで相米慎二監督が2001年に発表した映画がある。
 30歳超えてアイドル臭がいまだ抜けないキョンキョンこと小泉今日子が、幼い娘を持つ風俗嬢を見事に演じ、完全にアイドル脱皮を果たした記念碑的作品。
 舞い散る風花の中で優雅に踊るキョンキョンの姿が印象的であった。
 
 こちらの『風花』はその40年以上前のクラシック。
 昭和30年代の地方の農村を舞台とする家族ドラマである。
 場所は信濃川の流れる長野盆地(善光寺平)。北信五岳(斑尾山、妙高山、黒姫山、飯縄山、戸隠山)を望む胸のすくような美しい光景が広がる。
 が、そこは哀しい田舎の性。
 身分違いの恋や年上女房を許さない男尊女卑の家制度が強く根づいていた。
 
 大地主の名倉家に嫁いできた祖母(東山千栄子)は夫より8つ年上のため後ろ指をさされ続けた。その次男英雄は小作人の娘・春子(岸恵子)と身分違いの恋をして心中を図る。英雄は死に、生き残った春子はお腹の子供と共に名倉家に使用人として引き取られる。捨雄と名付けられた子供(川津祐介)は成長して、いままた、同じ屋根の下で育った従妹・さくら(久我美子)への叶わぬ恋に苦しんでいた。
 
 東山千栄子さすがの名演。剣呑で頑固な姑ぶりは観ていて憎らしくなるほど。が、嫁いできた頃に周囲から受けた冷たい仕打ちが、彼女を頑なにしたのであった。
 岸恵子も存在感たっぷり。この女優はどんな作品にどんなチョイ役で出演しても存在感だけは一等である。一人息子を愛する着物姿のたおやかな母親ぶりに、後年の市川崑監督『悪魔の手毬唄』の犯人が重なる。
 木下監督の秘蔵っ子たる川津祐介。ここでは『惜春鳥』の不良青年、さらには『青春残酷物語』のニヒルな犯罪青年とはまったく違う、憂愁に沈む真面目な青年役を与えられている。監督の意のままにどんな役柄にも染まる川津のカメレオン性は特筆すべき。
 小津映画以上に木下映画の常連である笠智衆が、名倉家の使用人役で登場する。やはり、演技者としては決して巧みとは言えない。この人は役を演じるということが基本的にできないのだと思う。人間としての地の良さが、役柄に何とも言えない風情と好ましさを与えるのだ。むろんソルティは大好きだ。
 
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川津祐介と岸恵子

 木下監督の作品には、こういった日本の田舎の因循姑息たる閉鎖性を批判する系列が存在する。
 北海道の開拓地を描いた『死闘の伝説』が最たるものだが、『永遠の人』『楢山節考』『遠い雲』『野菊の如き君なりき』、それに一般に明るい牧歌風コメディとされている『カルメン故郷に帰る』などはその系列に入るだろう。未見だが、『破戒』『生きてゐる孫六』もおそらくは・・・。
 ソルティはそこに、おそらくはゲイであった木下惠介監督のマイノリティとしての抵抗と自由への希求を読むのである。
 
 今から60年以上前の作品で、さすがに令和の日本の田舎はここまで旧弊じゃないよな、と思いたいのだが、今回のコロナ禍で地方ではかなり酷い感染者差別が起こっていると聞く。村八分文化がいまだ残存している現実がある。
 ソルティはたまに「晩年は田舎暮らししようかな~」とか思うのであるが、都会の孤独と無関心の方がやっぱり性に合っているかもしれない。
 

 
おすすめ度 :★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損

 

● 新年一本目 映画:『惜春鳥』(木下惠介監督)

1959年松竹
102分、カラー

 白虎隊で有名な会津若松を舞台に、5人の青年の友情と裏切りと成長を描く青春ドラマである。

 まず何と言っても、昭和30年代の会津若松の自然や町の美しさに目を奪われる。
 木造建築の温泉旅館やアールデコ調のカフェなど、木下監督の美意識がそこここで光る。
 
 5人の青年にはそれぞれ屈託がある。
 牧田康正(津川雅彦)は妾の子であり、母親が経営するカフェでバーテンをしている。
 峰村卓也(小坂一也)は温泉旅館の跡取りであり、父親は浮気相手の寝床で急死した。
 手代木浩三(石濱朗)は貧乏士族の家柄で、組合活動に専心する薄給サラリーマン。
 馬杉彰(山本豊三)は漆塗りの職人の息子で、片方の足を引きずっている。
 岩垣直治(川津祐介)は愛のない家庭に育ち、東京でアルバイトしながら大学生活を送っている。

 それぞれが何かしらの傷を抱えているところで5人の友情は育まれた。

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左から小坂一也、川津祐介、山本豊三、津川雅彦、石濱朗

 自刃した白虎隊の志士への敬愛を胸に固い友情で結ばれていたかに見えた5人だが、成長して就職し、それぞれが世間の波にもまれるようになるにつれ、関係が微妙に変わっていく。
 中でも、東京に行った岩垣はいつの間にか大学をやめて詐欺や泥棒を働くようになっていた。
 そうとは知らず、帰郷した岩垣を温かく迎え、岩垣に頼まれるがまま金を工面してやる4人。とくに仲の良かった馬杉は久しぶりの邂逅を喜び、5人揃ったことで共に剣舞に励んだ昔日に戻ったような気分の高揚を感じていた。

 5人それぞれのキャラクターがしっかりと書き分けられ、かつ演技力ある若い役者らによって演じられているので、見ごたえがある。
 デビュー間もない津川雅彦の華と色気、歌手でもあった小坂一也の感性と見事な歌声、演技派・石濱朗の安定感、山本豊三の愛すべき庶民性、そして顔立ちの可愛らしさと相反する川津祐介の計算された大人の演技。
 それぞれの魅力を引き出す木下演出の肝は、ジャニー喜多川と比すべき炸裂するイケメン愛である。
  
 本作は日本初のゲイ映画とも一部で言われていて、確かに足の悪い馬杉の岩垣に対する思いや態度は、友情を越えた恋情のレベルにある。馬杉がゲイである可能性は高い。
 しかるに、本作のゲイっぽさは話の内容そのものというより、木下の演出にあると見るべきだろう。
 冒頭の川津と小坂の入浴シーン、後半の津川と小坂の入浴シーンなどの演出は、温泉宿で旧交をあたため打ち割った話をするのに共に風呂に入るシーンがあるのは自然な流れとは言え、その自然が自然に収まらず、不自然に達するほどの耽美な雰囲気――ヴィスコンティかデレク・ジャーマンを想起するレベル――を醸し出している。
 つまり確信犯だ。

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津川雅彦と小坂一也の入浴シーン
 
 本作ほど木下惠介が、自分の撮りたいテーマをお気に入りの役者を集めて撮りたいように撮った映画はないんじゃなかろうか。
 5人の役者から見れば大先輩たる佐田啓二と有馬稲子が昔ながらの“心中する男女(芸者と肺病持ち)”を演じてさすがの貫禄を見せてはいるが、物語的には狂言回しに過ぎない。

 令和の現在、5人の個性的な若い男優を集めて、よりBL色鮮明にして再ドラマ化したら受けるんじゃなかろうか?



おすすめ度 :★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損




● 静岡・聖地めぐりの旅

 コロナ流行の谷間である。
 これチャンスとばかり、以前から行きたかった二つの聖地に足を延ばした。
 県外へのお泊り旅は、2019年11月の金沢旅行以来。
 東京から浜松までのJR往復切符を購入したとたん、旅人モードにスイッチが入った。

 一つ目の聖地は、浜松にある木下惠介記念館
 浜松は松竹の誇る名監督で、生涯49本もの映画を撮った木下惠介の生まれ故郷なのである。
 ソルティのもっとも敬愛する監督の一人で、今のところ25本観ている。
 ちなみに、個人的ベスト10(順不同)は、
  • ラストシーンの田中絹代が印象深い『陸軍
  • 岡田茉莉子の気の強い美しさが光る『香華
  • 望月優子の哀れな母親像が胸に迫る『日本の悲劇
  • 高峰秀子の演技力が存分発揮された『永遠の人
  • 阪東妻三郎の貫禄と魅力が爆発した『破れ太鼓
  • 原節子のコメディエンヌぶりに驚かされた『お嬢さん乾杯!
  • 小豆島の風光と子供たちの愛くるしさに涙する『二十四の瞳
  • 美しき鉄面皮に隠された高峰三枝子の悲しき性『女の園
  • 名優・滝沢修の悪役ぶりが凄まじい『新釈四谷怪談
  • 川津祐介主演、日本初のゲイ映画と評される『惜春鳥』(未視聴だがイイに決まっている!)
 久しぶりに下りた浜松駅周辺はすっかり“未来都市”化されて、「どこにウナギの寝床があるんだ⁉」という感がした。都心の主要ターミナル駅となんら変わりばえなく、地方独特の風情が薄れてしまったのは残念。いまさら言っても仕方がないが。
 
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JR浜松駅
もしかして隣の茶色いビル、うなぎデザイン?

 記念館は駅から歩いて15分のところにある。
 アール・デコ様式の旧浜松銀行(中村輿資平設計)の白亜の建物が美しい。
 入館料は100円。
 1階の3室が展示室に当てられている。
  1. 木下監督の書斎を再現し、使用していた愛用品や書籍が展示されている部屋。
  2. 当時の映画ポスター、監督自身による書き込みが生々しい脚本、撮影風景の写真、受賞トロフィーなどが飾られている部屋(一角にあるソファに座って木下惠介紹介ビデオを観ることができる)
  3. 随時テーマを決めて、木下のいくつかの作品をピックアップして紹介する特別展示室(今回は「秋と冬」がテーマだった)
 空いていて、ゆっくりと木下惠介の世界を堪能することができた。
 ここでは定期的に木下作品の上映会もやっている。

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木下惠介記念館

 記念館から歩いて5分くらいの街中に、木下惠介の生家の漬物屋はあった。
 浜松市伝馬町(現・中区伝馬町)の江馬殿小路。
 戦災とその後の区画整理のため小路は消えて、生家跡をしめすものはないのだが、かつての地図をたよりに散策してみた。

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この路地のどこかに生家はあった?

 浜松の住民のどのくらいが、木下惠介を知っているだろう?
 その作品を観たことあるだろう?
 もっともっと誇っていい。
 駅中をポスターで埋め尽くしてもいいくらいだ。

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恒例のスタンプもらいました


 上り列車に乗り、静岡駅に。
 南口からバスに乗って海岸近くまで行く。

 二つ目の聖地は、いま全国のサウナー(注:サウナを愛する人)がその噂を聞き、身をもって効験を確かめに詣でる静岡のルルドの泉、サウナしきじである。

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JR静岡駅南口
 
 実はソルティ、20代からのサ道の通人。多い時は週二回、少ない時でも月一回はサウナを利用してきた。(その時々通っていたスポーツジムのサウナはのぞく)
 20代の頃は午前3時まで会社の同僚と銀座や新宿で飲んで、そのあと屋台のラーメンをすすって、ターミナル駅周辺のサウナに泊まってアルコールを抜けるだけ抜いて、2~3時間仮眠し、そのまま出勤する――なんて荒行を繰り返したものである。
 自然、都心のサウナ店には詳しくなった。

 当時、一般にサウナはおやじのオアシスであり、ビールっ腹の中高年が多かった。店内はたいてい喫煙OKで、サウナ後の休憩ラウンジには灰色の煙がもうもうと立ち込め、健康的なんだか不健康なんだか分からないところがあった。演歌もよく流れていた。
 それがいまや、男女問わず若者に大流行りの健康&美容&癒し&グルメ&娯楽の流行最先端スポットである。
 昭和香の残る古いサウナや健康ランドはつぎつぎと廃店あるいは改装されて、家族で一日滞在して楽しめる一大アミューズメントパークのようになりつつある。むろん禁煙だ。
 関連本もたくさん出版され、雑誌の特集やテレビのバラエティ企画にたびたび取り上げられ、日本全国のサウナ番付みたいなものも掲載される。
 このブームの中、一度訪れた芸能人やスポーツ選手もこぞって虜になりSNSやらで発信し、それを見たサウナーたちが訪れた結果、一躍有名になったのが「サウナしきじ」なのである。

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 バスなら静岡駅南口から「登呂遺跡」行きに乗り「登呂遺跡入口」下車徒歩15分
または「東大谷」行きに乗り「登呂パークタウン」下車徒歩5分

 休日だったのである程度の混雑は予想していたものの、着いたのは午後5時を回っていたから、人波は落ち着いているだろう――そう思ってたら、広い駐車場はほぼ満杯。
 店先で紙に名前を書いて、建物の外のベンチで順番待ちとなった。
 「いや、これ密だわ~、困った」
 が、ここまで来てもはや退くことはできない。ワクチン抗体を信頼するしかない。
 10分もしないうちに名前を呼ばれて入店。
 入口の壁には、訪れた著名人の色紙が隙間なく飾られていた。

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 ざっと見、スポーツ選手とアナウンサーが多かった
ソルティがその名を知っていたのは、三浦知良、小池徹平、宮川大輔、大野将平くらい

 店員の交通整理が上手なためか、ロッカールームは空いていた。
 が、浴室に足を踏み入れたら、人肉のジャングル。
 びっくりした。
 定員10名ほどのサウナ室が二つ、温泉風呂が二つ、滝の落ちる水風呂が一つ、周囲の壁に沿った洗い場が10個くらい。
 そのあいだのさして広くないスペースに20人くらい座れるプラスチックの椅子がずらりと並べられ、そのどれもが裸の男で埋まっていた。
 つまり、ざっと50~60人が犇めいていた。
 圧倒的に20~30代が多い。当然、誰一人マスクしていない。
 「こりゃあ、密も密だわ~」
 ワクチン効果と感染者激減を信頼し、そして温泉の放つマイナスイオンの効果を妄信し、覚悟を決めて参入した。
 南無三!

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 浴室内の“気”はたしかに物凄いのであるが、それが「しきじ」の水質によるものなのか、はたまた、聖地詣での興奮状態にある若い男たちの発するエネルギーのせいなのか、よくわからないのであった。
 サウナの一つは普通のフィンランドサウナ。もう一つがここの名物である韓国産の薬草をブレンドして蒸している薬草サウナ。
 これがとてつもなく、熱い
 サウナ慣れしているソルティでも5分と中にいられない。
 直射熱を避けるべくタオルを頭に巻いた軟弱な若者たちはウルトラマンほどの忍耐もきかず、カチカチ山のたぬきのように皮膚を真っ赤にして、小走りに飛び出していく。
 一方、ここの古くからのヌシであろうか、60~70代くらいの禿げ頭のお父さんはタオルもまかずに、10分以上悠々と座り続けていた。
 さすが!(肌の感度が鈍っているだけかも・・・)
 体験者絶賛の水風呂はたしかに気持ちいい。富士山麓の天然の湧き水だけのことはある。
 ロッカー室に掲示してあった成分表示をみると、日本では珍しい硬水(中硬水)なのだ。

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カルシウム、マグネシウム、ナトリウムが豊富
ちなみにボルヴィックの硬度は60

 午後7時を過ぎると、さすがに空いてきた。
 若者の姿が減って、中高年が増えた。
 休日を使い遠方から車でやって来た一行は帰宅の途につき、近隣に住む常連組の出番ということだろう。所作に落ち着きと手練れた感じが見られる。
 はたして常連組は、この降ってわいたようなサウナブーム、「しきじ」詣でをどう思っているのだろう? 

 コロナ禍でどこのサウナも客足が減って経営に苦労したのは間違いなかろう。「しきじ」もそれは免れ得なかったはず。
 いや、コロナがなくても、風前の灯火だったのではなかろうか?
 というのも、「しきじ」はまさに昭和レトロな空間で、決してきれいでもファッショナブルでもないのである。
 サウナ室の腰掛けは敷タオルで隠れてはいるものの、ところどころ板が腐ってボコボコしていたし、休憩ラウンジのリクライニングチェアは壊れているものがあった。
 照明は全体に暗く、ヒーリングミュージックよりは歌謡曲が似合うような場末感が漂っていた。(さすがに今は全館禁煙らしいが)
 もしサウナブームが起こらなかったら、「しきじ」は存続できなかったのではなかろうか?
 そう思うと、まさに奇跡の泉と言えるかもしれない。
 まずおそらく近いうちに大改装し、静岡が誇る一大集客スポットに発展していくと思われる。

 仮眠室がコロナ禍で閉鎖していたので、休憩ラウンジにマットレスを敷いて横になった。
 こういう場所ではよく眠れないソルティなのだが、なんと12時の消灯と共に入眠して、朝6時に自然と目が覚めるまで一回も起きなかった。夢も見ずに熟睡し、ここ最近ないほどすっきりした目覚めが得られた。
 浴室に直行。さすがに空いている。
 薬草サウナから水風呂に浸かると、昨晩は感じられなかったのだが、体がジンジンと感電したかのように痺れた。
 このパワーは、『日本の秘湯』に紹介されている温泉たちと同レベルかもしれない。
 密を避けたいなら、『日本の秘湯』で代替できると思う。

日本の秘湯


 静岡の二つの聖地を巡って、心身ともすっかりリフレッシュした。
 だが、実を言えば、ソルティにとって本当の聖地は別にある。
 列車の旅そのものだ。
 今回も新幹線は使わず、普通列車だけで数時間かけて移動した。(ほんとうはもっとスピードの遅い列車に乗りたい)
 ぼんやりと窓外の景色を眺め、文庫本を読み、おにぎりを頬張り、熱いコーヒーを飲み、列車の振動に身をまかせる。
 それが何よりのストレス解消になる。
 いや、幸福感を味わう手っ取り早い手段となる。
 ノリテツという種族は、元来、幸福の沸点が低いのである。
  
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● 映画:『二十四の瞳』(木下惠介監督)

1954年松竹
2007年デジタルリマスター版
156分白黒

原作 壺井栄
脚色 木下惠介
音楽 木下忠司
撮影 楠田浩之

 数十年前にVHSビデオで観たとき、画質と音声の悪さに辟易したのを覚えている。物語に十分入り込めなかった。
 今思えば、マスターテープのせいではなく、当時自分の持っていたビデオデッキのヘッドが摩滅していたのと、借りてきたビデオも擦り切れていたのだろう。VHSレンタル時代にはよくあることだった。
 今回デジタルリマスター版(DVD)で観たら、まずまず美しい映像が堪能でき、音声もクリアだった。技術の進歩に感謝。

 舞台となった小豆島の美しい自然、島民の昔ながらの暮らしぶり、そして十二人の子供たちの可愛らしさに魅了される。いま小豆島に行ったら、どう感じるだろうか?

 役者の世界では「子供と動物には勝てない」とよく言われる。けれど、ここでの高峰秀子は十二人の天然の役者たちにまったく食われることのない存在感を出している。演技ということを感じさせない自然さ。高峰はこの映画公開の翌年に助監督の松山善三と結婚したが、そのあたりの事情も関係しているのかもしれない。若き日の大石先生は生きる希望に光り輝いている。

 ほかに、天本英世が大石先生の亭主役で出演している。後年の死神博士(仮面ライダー)からは想像できない、東出昌大真っ青の背高イケメンぶりである。
 小学校の男先生を演じる笠智衆のとぼけた味も楽しい。教壇に立って、「ひひひ・ふ・みみみ」とか下手な唱歌を子供たちに指導するシーンは智衆ファンなら見逃せない珍場面である。
 
 多分に漏れずソルティも年を取るほどに涙もろくなってきたが、映画の後半はほとんど泣きっぱなしであった。貧しさ、病い、出会いと別れ、絶たれた夢、予期せぬ事故・・・この映画には庶民の人生の哀感が詰まっている。そのうえに、戦争という大いなる悲劇が降りかかる。
 『陸軍』からはじまって『この子を残して』に到る木下惠介監督の反戦と平和への思いが、瀬戸内の海に鎮魂歌のように浸透する。

 
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大石先生も足を怪我して松葉杖!


評価:★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損


 

● あっぱれ、落合夫人! 映画:『野菊の如き君なりき』(木下惠介監督)

1955年松竹
92分


伊藤左千夫原作『野菊の墓』を読んだのはかれこれ40年以上前。
澤井信一郎監督&松田聖子主演の映画を見たのは30年以上前。
なので、この作品の肝心の部分を忘れていた。


むろん、悲劇に終わる少年少女(政夫と民子)の初恋物語というのは覚えている。
別の男に嫁いだ民子が若い身空で亡くなってしまう結末も覚えている。
矢切の渡しが舞台だったことも覚えている。
「民さんは野菊のような人だね」という有名な政夫のセリフも覚えている。

忘れてしまったのは、二人が結ばれなかったそもそもの理由である。

明治時代の話だし、身分違いの恋だったのか?
借金のカタに民子は金持ちのぼんぼんに輿入れせざるを得なかった?
それとも、政夫の将来を思って病弱の民子が身を引いたのか?

観てびっくり!
二人は裕福な家のいとこ同士なので、身分違いも金も関係なかった。
二人が結ばれなかった理由、それは民子が政夫より二つ年上である、それだけだったのである。
そんな時代だったのだ。


いやいや、ソルティが原作を読み、松田聖子演じるデコッパチ民子を観た昭和時代もまだ、「女が年上」は口さがないことを言われたものである。
沢田研二の『危険なふたり』のヒットは73年だった。
80年代初頭、プロ野球選手の落合博満が9歳年上の信子夫人の内助の功で三冠王を獲ったあたりから、年上女のイメージが向上したのではなかったろうか。


野菊



ときに、悲劇に終わる初恋物語と言えば、シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』である。
両作を比べたときに、日本の十代のなんと晩生で純朴なことか!
ロミオとジュリエットは、出会ったその日に恋に落ちて、翌日結婚して肉体関係を結び、4日目に死んでしまう。
政夫と民子ときた日には、最後の最後まで接吻や抱擁はおろか、手をつなぐこともなかった。
(だから、清純派アイドルだった聖子ちゃんが演じられたのだ)
もっとも、本邦にも八百屋お七(推定15歳)と吉三郎の例があるから、これは時代の違いであろう。

本作の為に選ばれた田中晋二(政夫)と有田紀子(民子)はずぶの素人だから、下手なのはご愛嬌。
かえって、ういういしさが感じられる。
一方、故郷を旅し当時を回想する老いた政夫を演じる笠智衆の下手さはどうしたことか。
政夫の母を演じる杉村春子の突出した上手さとは天と地の開きがある。
この二人を同格の役者に見せた小津安二郎の手腕をつくづく感じた次第。

美しい風景(ロケ地は信州)と丁寧な語り、詩情豊かな佳作である。




評価:★★★


★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損






● 三好栄子という女優 映画:『カルメン純情す』(木下惠介監督)

1952年松竹
103分

脚本 木下惠介
音楽 黛敏郎、木下忠司

 『カルメン故郷に帰る』の続編。
 当初3部作を予定していたらしいが、この2作目で終わってしまった。
 それで正解と思う。

 前作でも予感はあったが、オツムの軽いストリッパーというキャラで喜劇を作るのはちょっと無理がある。
 どうしても性搾取の問題がからんでくるからだ。

 むろん当時は、セクハラやフェミニズムなんて概念はなかったし、知的障害者の人権も問われていなかった。
 今見ると、いろいろ不愉快なところはあるが、当時の観客はとくに疑問に思うこともなく、笑って楽しんだのだろう。

 木下惠介がどう思っていたのかわからないが、敏感な彼のこと、コメディとして「ぎりぎりセーフ」と直観していたのではなかろうか。
 というのも、この作品の演出の大きな特徴として、カメラを左あるいは右に20度くらい傾けて撮影する、すなわち観る者にとって画面が左右どちらかに傾いている、という手法が取られているからである。
 はっきり言って、見づらい。
 まるで、波にもまれている船の上から陸地を見ているかのよう。

 なんのためにこんな奇抜なことをしたのか?
 思うに、観る者に物語をあまり真面目に受け取ってもらわないための措置ではあるまいか。
 「斜に構えて」気楽に観てください、というメッセージだ。
 逆に言えば、そういうシュールな手法をとらなければ(=普通に水平モードで撮影したら)、コメディとして危うい領域にいる様が露呈してしまうのを恐れたからではあるまいか。
 うがち過ぎ?
 
 実際、たとえば、恋をしたカルメンが、客席に惚れた男がいるのに気づいてストリップを続けられなくなる場面で、同僚の男達はカルメンを舞台に引っ張り出し、無理やり服をはぎ取ろうとする。
 まるで強姦まがいで、とても笑えない。
 当時の観客は笑えたのか???
 
 この作品のコメディ性をからくもキープしているのは、主役のカルメン(=高峰秀子)でも同僚の朱美(=小林トシ子)でもなく、あご髭を生やした女傑にして保守系政治家・佐竹熊子役の三好栄子である。
 三好栄子は黒澤明映画にたくさん出ていたらしいが、これまで注目したことはなかった。
 が、この佐竹熊子役で彼女の名前は語り継がれるだろう。
 恐るべき怪演!
 
 ほかに、前衛芸術風ファッションに身を包んだ女中きく役の東山千栄子、ストリップショーでカルメンの相手役をする貧相な顔の堺駿二(堺正章の父親である!)、これが実質的な映画デビューとなった北原三枝(=石原まき子=裕次郎の奥さん)あたりは要チェック。
 

評価:★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損




 

● 本:『新版 天才監督 木下惠介』(長部日出雄著)

2013年論創社

 厚さ5センチ、本文540ページのハードカバーの本、しかも伝記を読むには、それなりの覚悟がいる。
 途中で挫折もあり得るかもとページをくくり始めたら、これが予想を超える面白さ、三日足らずで読み上げてしまった。
 伝記としての記録的価値のみならず、一つのエンターテインメントとして優れている。


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 長部日出雄は、1934年青森生まれの直木賞作家にして、映画監督(柴田恭兵主演『夢の祭り』1989年)にして、太宰治や棟方志功の伝記作家にして、なによりも映画評論家である。
 ソルティは、直木賞受賞作の『津軽じょんから節』はおろか、長部の他の著作に触れていないので断言は控えるが、この『木下惠介』伝が長部の最良の仕事であり、もっとも後世まで読み継がれていく作品になろうと予感する。

 面白さの要因は、多くの伝記作家や研究者が書くような客観的記述による学術的装いの評伝とは違って、木下の生涯の年譜的事実については正確を期しながらも、いい具合に主観的で物語的なところにある。
 木下より22歳年下で、思春期から青春の多感な時期に木下映画をリアルタイムで浴びるように観た長部の、個人的な思い入れや体験が随所に盛り込まれている。
 ソルティのようにDVDで作品を後追いする惠介ファンでは到底わかりえない、戦中戦後から50年代黄金期を経て、テレビが登場し斜陽が決定的となった60~70年代までの日本映画史の中で、当時の観客(=日本人)が木下惠介の一作一作をどのように受け止めていたかが、実によく伝わってくる。
 木下の全49作を一つ一つ解説し、その制作秘話やあらすじや見どころ、世間の反応(興行成績やキネ旬評価)を記しているので、木下映画指南書としての価値も高い。
 むろん、木下惠介の生涯を丹念に取材し、人となりがくっきりと浮かび上がるように構成していく手腕は、プロの小説家兼伝記作家ならでは。
 映画に対する、また木下惠介と木下作品に対する長部の(東北人らしい)純朴な敬愛の念がどのページにも横溢しているところが、本書を喜ばしいものにしている。

 読み終わって感じ入るのは、木下惠介の旺盛なる創造力、天才的ひらめきやユニークな発想力、疲れを知らない活力、喜劇も悲劇もラブストーリーもアクションも社会問題も文芸作品もオリジナル脚本も、いかなるジャンルでも平気でこなし成功を収めてしまう柔軟性と器用さ、撮影現場でのエネルギッシュで楽観的な振る舞い、加えて映画から新興のテレビに映っても次々とヒットを飛ばし一時代(と一財産)を築いたしたたかとも言える世渡り術である。

 49作のうちキネ旬ベストテンに入った作品が20作を数え、『破れ太鼓』、『カルメン故郷に帰る』、『二十四の瞳』、『喜びも悲しみも幾年月』、『楢山節考』、『香華』、『衝動殺人、息子よ』といった大ヒットを次々生み、戦後松竹の屋台骨を支えた。
 三國連太郎、川津祐介、佐田啓二、桂木洋子、岩下志麻、田村高廣ら魅力ある俳優や、小林正樹、松山善三、楠田芳子、山田太一ら才能ある演出家や脚本家を発掘し育てた功績も大きい。  
 長部がたびたび述べているように、「芸術家にして職人にして商売人」なのであった。
 近いタレント性をもつ人間を上げるとしたら、先ごろ亡くなった橋本治じゃなかろうか。

かちんこ


 紙幅の関係もあろうが、木下のプライベートに関する記述が少ないのが伝記としてはやや残念。
 子供時代については丹念に描かれているのだが、監督として功成り遂げてからの私生活がぼかされている感を受ける。
 もっとも、あれほど家族愛の大切さ、素晴らしさを作品で描きながらも、本人自身は結婚に失敗し、養子を育てるのにも失敗した。そのあたりはちゃんと描かれている。

 ソルティが気になったのは、やはり性愛の部分である。
 まず間違いなくゲイであったろう木下は、その部分をどう始末していたのだろうか?
 だれか終生の愛人がいたのか?(晩年に秘書をやってた男?)
 若い男優や役者志望者を喰っていたのか?(今ならさしずめパワハラ)
 一回り年下で、同じく時代の寵児たる三島由紀夫のように、時たま海外に行って羽目を外していたのか?
 あるいは、男同士のうるわしい友情を描いたいくつかの作品同様に、現実でもプラトニック・ラブを貫いたのであろうか?
 同性愛に対する偏見が今よりはるかに強い時代に生きて、木下惠介は自らのセクシュアリティをどう位置付け、どう受けとめ、どう折り合っていたのだろうか?
 このあたりを証言できる人間はもはやいないのだろうか?
 2チャンネルまがいの下卑た詮索のようであるが、木下作品を読み解くうえでゲイセクシュアリティの観点は欠かせないように思うのである。(楽しむぶんには別に関係ないが・・・)

 最後にちょっと長い引用を。
 
 惠介の四十九作目で、不評に終わった『父』が、結局、かれの最後の映画となった。
 それから十年―――。テレビの現場を離れ、映画も撮れずにいた間に、かれの名前は、驚くほどの早さで遠い過去のものになって行った。
 海外における黒澤明と小津安二郎の声価は、高まる一方であるけれど、木下惠介を知る人はごく少数に限られ、国内でもすっかり忘れ去られた観がある。
 かれの映画には、その程度の値打ちしかなかったのだろうか。
 『父』が公開された年から十一年後、築地本願寺で行なわれた木下惠介の葬儀で、弔辞を読んだ山田太一はこう述べた。
 ――日本の社会はある時期から、木下作品を自然に受けとめることができにくい世界に入ってしまったのではないでしょうか。しかし、人間の弱さ、その弱さがもつ美しさ、運命や宿命への畏怖、社会の理不尽に対する怒り、そうしたものにいつまでも日本人が無関心でいられるはずがありません。ある時、木下作品の一作一作がみるみる燦然と輝きはじめ、今まで目を向けられなかったことをいぶかしむような時代がきっとまた来ると思っています・・・・。
 この考えに、筆者は全面的に同意する。

 
 この考えにソルティもまた全面的に同意する。



評価:★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損



● あと25本! 映画:『衝動殺人 息子よ』(木下惠介監督)

1979年松竹、TBS
131分

 現行の「犯罪被害者支援法」の元である1980年制定「犯罪被害者給付金制度」ができる際に原動力となったのは、当事者を中心とする市民グループであった。
 その中心人物が、通り魔によって一人息子を刺殺された市瀬朝一氏であった。
 死ぬ間際の息子の「敵をとってくれ」という一言に発奮した市瀬氏は、全国の同じ被害者遺族を訪ね歩き、当事者会を立ち上げ、国会請願活動を行い、世論を形成する大きなうねりをもたらしたのである。
 この映画は、市瀬朝一氏を取材した佐藤秀郎のノンフィクション「衝動殺人」を原作としている。

 市瀬朝一氏にあたる川瀬周三を若山富三郎が演じている。
 文句なしの名演。
 映画男優が目標にすることができる最高レベルの演技と言っていいだろう。
 三浦友和も中井貴一もまだまだである。

 奥さんの川瀬雪絵を木下組往年の主演女優である高峰秀子が演じている。
 これもまたさすがというほかない安定感。
 息子を亡くした母親の悲しみと、病身の夫を支える妻の愛あふれた演技は、下手すると暗く重く深刻になりがちな社会派映画を、家族ドラマに引き戻す力を持っている。
 であればこそ、男性観客も女性観客も感動できる。
 しかも、ここでの高峰は自らは脇に回り、主演の若山富三郎をしっかりと引き立てている。

 ほかのキャストも豪華そのもの。
 若くハンサムな田中健と近藤正臣、若く可憐な大竹しのぶ、夫を喪った生活保護家庭の母親を演じつつもやっぱり美しさが際立つ吉永小百合(これが木下映画唯一の出演じゃなかろうか?)、藤田まことと中村玉緒のいぶし銀、田村高廣と野村昭子の重鎮、清潔で誠実なルックスのせいかここでも得な役回りの加藤剛、出番の多い尾藤イサオはおそらく木下監督に愛されたのだろう。

 この映画の反響が、犯罪被害者給付金制度の成立に一役買ったとのこと。
 『陸軍』、『破戒』、『日本の悲劇』、『笛吹川』、『死闘の伝説』、『この子を残して』などの優れた社会派映画の作り手である木下監督にしてみれば、まさに監督冥利に尽きる出来事であったことだろう。

 そう、木下惠介の社会意識の高さは、終生のライバルと言われた黒澤明とくらべても、少し前の溝口健二、小津安二郎、成瀬巳喜男ら世界的名匠とくらべても、一頭地抜いているように思われる。
 少なくとも、映画芸術と政治性を結び付けた度合いにおいては。
 一方で、『カルメン、故郷に帰る』、『破れ太鼓』のような喜劇、『お嬢さん、乾杯!』、『遠い雲』のような恋愛映画、『二十四の瞳』、『楢山節考』のような文芸映画もたくさん撮っている。
 本当に、この監督の才能と活力には驚嘆のほかない。

 木下惠介の助監督を務めていたこともある脚本家の山田太一が、その昔何かの記事で、「世界のどこにこのような監督がいるだろうか?」と賛嘆していた。
 そのとき20代だったソルティは、記事を読んで、「本邦には黒澤や小津や溝口だっているのに、大げさだなあ」と思った。
 が、ここ数年、木下作品を観まくって(49本の生涯作品のうち24本鑑賞)、山田の意見に、
「まったくその通り」
と同感する。

 空前絶後だ。


評価:★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
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● 映画:『女』(木下惠介監督)

1948年松竹
67分・白黒
脚本 木下惠介
音楽 木下忠司

 盗みを重ねるやくざな男との泥沼の関係をどうにも絶つことのできない優柔不断な踊り子が、最後の最後に男の罪を告発し、関係を断ち切るまでの苦闘を描く。
 全編オールロケ、主役の女と男とが口争いしながら移動するシーンばかりで構成される1時間強。単純な設定と簡単な筋書きの中にサスペンスあふれるドラマを創造する木下監督の才気がほとばしる。
 
 性悪のクズ男を演じるのは小沢栄太郎、優しさと裏腹の女の弱さを演じるのは水戸光子。名優二人ががっぷり四つに組んで目が離せない。
 ラストシーンで、坂の多い熱海の町を逃げ回る女、びっこを引きながら追いかける男。緊迫感高まるクライマックスに、熱海の旅館街の迫力ある火災シーンをかぶせる演出が心憎い。
 木下監督って、アクションも上手い。
 ほんとうに天才だ。
 
 
評価:★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
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★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損








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