ソルティはかた、かく語りき

首都圏に住まうオス猫ブロガー。 還暦まで生きて、もはやバケ猫化している。 本を読み、映画を観て、音楽を聴いて、寺社仏閣に詣で、 旅に出て、山に登って、瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

  リメンバー沖縄戦

● 前田高地の奇跡 映画:『ハクソー・リッジ』(メル・ギブソン監督)

2016年アメリカ、オーストラリア
139分

 1945年4月から始まった日米沖縄戦で死闘を極めた前田高地の闘いが舞台である。
 前田高地の峻厳たる地形をアメリカ軍は Hacksaw Ridge(弓鋸の崖)と呼んだ。

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ハクソー・リッジ(前田高地)
標高約120~140mの丘陵。
ここから約4キロ南西に首里の軍司令部があった。

 本作はしかし、沖縄戦がテーマあるいは戦争一般がテーマというよりも、一人の新米兵士の堅い信念と英雄的な行為が描かれる伝記映画という感じ。
 それもそのはず、この映画は沖縄戦で衛生兵として従軍したデズモンド・ドスの実体験をもとにしているのである。

 デズモンド(アンドリュー・ガーフィールド)の堅い信念とは、「絶対に人を殺さない。銃は持たない」ということであり、そこには子供の頃に喧嘩で弟を危うく殺しかけた苦い体験と、その後のデズモンドのキリスト者としての信仰があった。
 また、デズモンドの英雄的な行為とは、激しい戦闘を経て部隊が前田高地から一時退却したあとも、ただひとり、日本軍が見回る戦場に残り、負傷し取り残された同僚を何十人も手当し救い出したことであった。
 こんな人間が米軍にいたとは驚きである。

 ただ、ソルティがより驚いたのは、「銃は持たない」「人は殺さない」と堂々と宣言し実際に銃の訓練を拒否する一兵卒を、軍隊に居続けさせるアメリカ軍の度量というか法治性である。
 かつての日本軍なら、おそらくその場で殴って従わせるか、それでも駄目なら仲間と引き離して投獄し拷問をかけ、強制除隊させるだろう。
 銃を持たない者=敵と戦う意志のない者など邪魔なだけである。
 戦争とは人を殺しに行くところなのだ。

 デズモンドの上官らは、説得してもダメなことを知ると、まずデズモンドが精神異常であることの言質を取ろうと試みる。
 精神異常であれば除隊させられるからだ。
 しかし、デズモンドがその手に乗らないことが分かると、上官の命令に従わないという理由で軍法会議にかける。
 軍法会議で違反となれば投獄された上、除隊となる。
 だが、結果的には軍法会議より上位にある合衆国憲法の規定により、「従軍の意志がある者の参加を軍は拒むことができない」「個人の信仰を侵して武器の使用を強制することはできない」という理屈が通って、デズモンドは衛生兵として銃の訓練を受けずに従軍することになる。
 合衆国憲法がデズモンドの味方をしたのだ。

 戦時にもかかわらず、憲法を絶対的に尊重する法治性がすごいと思う。
 否、戦時だからこそ、憲法が守られなければならないのだ。
 平和な時の憲法を国が守るのは難しくない。
 戦時という非常時に国が守ってこそ、憲法の最高法規たるゆえんがある。
 これが実話なら、やはり法と論理重視のアメリカに、「考えたくないことは考えない、考えなくてもみんなで頑張ればなんとかなる」という法と論理軽視のニッポン・イデオロギーが敗北するのも無理はないと思う。

 ハクソー・リッジでの戦闘の様子は凄まじいかぎりのリアリティ。
 これを見れば誰だって、「戦争に行きたくない」「戦争なんかしたくない」「絶対に戦争はしてはいけない」と思うのが普通だろう。
 負けたら地獄は当然だ。
 けれど、勝っても天国は待っていない。
 この映画の優れた点は、過去の従軍体験のトラウマによってアル中に陥り、その後の人生を自暴自棄に生きるデズモンドの父親をあらかじめ描くことで、「ハクソー・リッジを落として万歳!」「アメリカが日本に勝って万歳!」で終わらせる戦意高揚的ハッピー・エンドを回避しているところである。
 衛生兵としてのデズモンドの活躍は奇跡としか言いようがない立派なものだが、負傷兵を救うよりは、最初から負傷する人間を作らないほうがいいに決まっている。

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嘉数高台から望む前田高地





おすすめ度 :★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損





● 沖縄戦跡めぐり4 (首里城)

 帰りの飛行機の時間まで首里城見学した。
 国際通りからバスに乗り、石畳前バス停下車。
 琉球王国時代の遺跡である「金城町石畳道」を首里城に向かって登る。

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金城町石畳道
16世紀に琉球王国の3代国王尚真によって造られた南部に通じる真珠道(まだまみち)の一部。
琉球石灰岩の石畳と石垣、赤瓦の家並みが続く。
道のほとんどが沖縄戦によって失われ、現在残っているのはこの約300mだけ。

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結構傾斜がきつく、汗ばんだ。

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カジュマルの木陰がうれしい

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休憩所として利用されている金城村屋
心地良い風が通り抜け、眺めも良く、落ち着ける。

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沖縄戦がなければ、どれだけの素晴らしい遺跡が残っていたことか・・・。

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沖縄の街角でよく見かける石敢當(いしがんとう)の石碑
中国伝来の魔除けで、邪気が集まりやすいT字路や三叉路、辻に建てられる。

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眼下に広がる那覇市街

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首里城守礼門

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2019年10月31日の火災により本殿は焼失した。
2026年の復元を目指してもっか復興中。
復興の工事現場を見学することができる。

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首里城の地下30~40メートルに沖縄戦を指揮した日本軍の司令部壕があった。
総延長は約1キロ。指令室や炊事場など30以上の部屋があり、多い時は千人以上が生活していたと言われる。
南部へと撤退する際、軍は機密書類などを隠蔽するために壕内を爆破したため、あちこちで崩落が起きている。
安全面の問題があってこれまで放置されてきたが、最近、沖縄県がこれを保存・公開する方針を決めた。
公開されれば、もっとも主要な戦跡の一つとなるのは間違いない。

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西(いり)のアザナ
城郭西側にある物見台からの景色

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沖縄県立芸術大学
こんなとこで学生時代を過ごせたらサイコー!

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事前の天気予報では滞在中の3日間☂☂☂
海水浴するわけでなし、別に関係ないと思って現地入りした。
フタを開けてみたら、確かに雨が降り続いた。
ただし夜間ばかり。
日中はほとんど傘をさす必要がなく、しかも快晴だとまだまだ陽射しの厳しい時期に薄曇りの空が続き、屋外の移動や見学には最適であった。
必要な時にタクシーが現れたり、ガイドしてくれる土地の人が登場したり、修学旅行生と共に館長の話が聞けたり、ソルティに沖縄戦を学ばせるべく、何かが導いているような感覚すらあった。
実りの多い楽しい旅であった。

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また会いに来るシーサー







● 本:『沖縄アンダーグラウンド 売春街を生きた者たち』(藤井誠二著)

2018年講談社より刊行
2021年集英社文庫

 本書と出会ったのは、ほかならぬ沖縄の地。
 嘉数高台と佐喜眞美術館を訪れた日の午後、那覇の繁華街を足の向くまま気の向くままぶらついていた。
 国際通りから、土産物屋がずらりと並ぶ平和通りに入って、途中のドライフルーツ店で買ったココナッツジュースを飲みながら迷路のようなアーケード街を奥へ奥へと進んでいくと、いつのまにか、夕餉の食材を買う地元住民で賑わう昔ながらの商店街に出た。
 ふと見ると古本屋がある。
 どこの土地にいようが、本屋を見ると条件反射的に入ってしまうソルティ。
 特に買うつもりはなかったのだが、文庫棚から誘いかけてくる本書の圧に負けて、ほぼ半値で購入した。

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 ソルティは国内でも国外でも初めての街を訪れたとき、たいてい風俗街がどこにあるのか気になるほうだ。
 場所が分かると、とりあえず足を向けて様子を探る。
 むろん、ゲイの自分がノンケ男子専門の風俗店を利用することはハナからないのだが、そういう場所の存在を知ることでなんとなく街の裏の顔を見たような気になって、親近感が増す。
 観光名所だろうが文化都市だろうが芸術の都だろうが、人間の住むところ何処も同じだなと――。
(長いことNGOでエイズの相談を受けていたせいもある。性風俗情報を取り入れておく必要があった)

 国際通り周辺にはどうもそれらしき一角が見当たらないので、「さて、那覇の風俗街はどこにあるのだろう?」と思っていた。
 これだけの観光地で、しかも米軍基地がある。ないわけがない。
 戦跡を巡りながらもどこかでそんなことを考えていたので、つい本書のタイトルに惹かれたのであった。

 本書を開いたのは内地に帰って来てから。
 最初の数ページで、「なんだ、そうだったのかあ~」とつい声を上げた。
 というのも、本書でメインに取り上げられている売春街、著者が本書を書くきっかけを作った沖縄でもっとも有名な(悪名高い?)風俗街――それは普天間飛行場のすぐ近くにあった真栄原新町いわゆる「真栄原社交場」であり、嘉数高台のほぼ真下に位置しているからだ。
 ソルティはそれと知らず真栄原社交場を眼下に見ていたのであった。
 あの時ハクソー・リッジ(前田高地)や沖縄国際大学を教えてくれたジョガーマンも、さすがに真栄原社交場は教えてくれなかった。
 まあ、朝っぱらから初対面の人間にするような話題ではないか。

 90年代に真栄原社交場をはじめて知った時の模様を著者は次のように記している。

 県道34号の真栄原交差点から大謝名方面に向かう途中の角を左に折れ、街路灯や家々の玄関灯ぐらいしか明かりがないひっそりとした住宅地をタクシーで200~300メートル進むと、妖しい光を放つ空間が忽然とあらわれた。タクシーを降りた私は思わず息をのんだ。魔界の入り口に立ったような気がして、歩を止めて立ちつくす。夜10時をまわっていた。

 私が降ろされた場所は、「ちょんの間」と呼ばれる性風俗店が密集した街だった。タクシードライバーは「真栄原新町」という街の名前と、買春の料金と時間などについて説明をしてくれ、「ゆっくりしてくればいいさ」と言って笑った。女性たちが体を売る値段は15分で5000円。「本番行為」まで含んだ値段だという。夜だけでなく、ほぼ24時間営業の不夜城の街だと教えられた。私は魅入られたように一人で街の中を歩いた。

 この真栄原新町に加えて、ソルティがレンタル自転車で対馬丸記念館に向かうときに通り抜けた海岸沿いの「辻」という街も、琉球王国の時代から遊郭があったところで、戦後は米兵や観光客相手の売春街として栄えたという。
 事前に知っていたら探索したのに・・・・。
 もっとも、辻はいざ知らず、真栄原新町は今ではすっかり廃れてしまって、往時の面影はない。
 2010年前後から始まった警察・行政・住民一体の浄化運動で、店舗は撤退せざるをえなくなり、働いていた女性たちはどこかへ消えてしまったからだ。

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嘉数高台から普天間飛行場を臨む
この間にかつて「真栄原社交場」と呼ばれた売春街があった

 本書は、真栄原新町という一つの売春街が、どのように生まれ、どのように栄え、どのように消えていったか、そこで働いていたのはどういう人たちであったかを、関係者への丹念なインタビューをもとに描き出している。
 同時に、コザ(現・沖縄市)の八重島やセンター通りや照屋や吉原、那覇市の辻や小禄新町や栄町などかつて存在した他の売春街も取り上げ、広い視点から戦後沖縄の性風俗史、売買春事情を浮かび上がらせている。
 占領下の米兵による凄まじい性暴力の実態、各地に売春街が誕生するまでの経緯、米軍当局の政策に翻弄される売春街の様子、本島の人間による奄美大島出身者への差別、沖縄の売春街をレポートした作家・佐木隆三や沖山真知子へのインタビュー、沖縄ヤクザの暗躍と売春街で働く女性からの過酷な収奪システム、ついに始まった浄化運動の顛末など、実によく調べ、よく取材し、よくまとめてある。
 ネットに見るような、街のアンダーグラウンド的な場所を好奇心まじりに訪問し煽情的・暴露的に描いたレポートとは一線を画す力作である。
 学ぶところ大であった。
 とくに、コザの売春街で働く若い女性アケミを描いたドキュメンタリー『モトシンカカランヌー 沖縄エロス外伝』(1971年布川徹郎ほか)は機会あればぜひ観たいと思う。
 ちなみに、売春街のことを昔は「特飲街」(特殊飲食店街の略)と言ったそうだ。

 半世紀以上にわたって続いてきた、真栄原新町や吉原という沖縄の売春街が、2010年前後を境にゴーストタウンと化した。官民一体となった「浄化作戦」が成功したからだ。本書は、戦後長きにわたって続いてきたそれらの街の「近い過去」と「遠い過去」を記録したものだと言えるだろう。
「近い過去」は、この十数年のうちにこの街で働いてきた人々への取材を通して得ることができた、これまで外部に漏れ出ることのなかった街の内実とその変遷だ。そこには、「浄化作戦」を担って、街をゴーストタウンに追い込んだ側の人々の意見も含まれる。
「遠い過去」とは、1945年以降、戦後のアメリカ占領下でどのように売春街が形成されたかという「沖縄アンダーグラウンド」の戦後史だ。当事者の証言や新聞報道、アメリカ側の稀少資料などを織りまぜながら、国策的かつ人工的につくられた街の軌跡を辿った。

 本書の記述をもとに、沖縄の売春街の歴史を大まかにまとめてみる。
  • 1945年4月  米軍上陸により沖縄戦本格化
  • 1945年8月  日本降伏、沖縄はアメリカの領土となる。これ以降、米兵による沖縄女子への強姦事件、殺戮事件が多発。また、生活のため米兵相手に売春する女子ら増加
  • 1949年  コザの八重島に、町の治安および風紀を守り一般婦女子を守る「性の防波堤」として、米兵相手の売春街が誕生
  • 1950年  普天間に真栄原社交場誕生。以降、沖縄各地に米兵相手の売春街が誕生する  
  • 1950-53  朝鮮戦争。沖縄にたくさんの米兵が送り込まれ、売春街が繁盛する
  • 1961-1973  ベトナム戦争。同上
  • 1972年  沖縄返還。日本の領土となる。以降、売春街には日本人観光客が増え、米兵は減少していく
  • 1980年代  バブル期。内地からの買春ツアーで賑わう
  • 1995年  米兵による少女暴行事件で反基地世論高まる。普天間基地返還合意
  • 1990年代後半  インターネットで真栄原社交場が世界的に広まる
  • 2005年頃  市民の間で真栄原社交場を無くそうという声が高まる
  • 2010年  真栄原社交場消滅。ほかの売春街も衰退する

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 20代の著者は真栄原社交場を最初に知った時、「青い空と青い海」でも「反戦・平和」でもない、沖縄の別の顔に触れて興味を抱いたそうだ。
 明るい観光客向けでもない、反米左翼向けでもない、もう一つの顔。
 それがアンダーグラウンドの世界、すなわち売春街であった。
 しかるに、売春街というアンダーグラウンドは昔も今も世界中どこにでもある。
 また、パンパンやGIベイビーに象徴されるような、貧困女性の犠牲と米軍の落とす金によって成り立つ戦後日本の性風俗事情は、都下の立川や横浜の黄金町の例を上げるまでもなく、内地でも同じであった。
 沖縄の真栄原新町や吉原は、内地の立川や黄金町、あるいは大阪の飛田遊郭や浅草の吉原や滋賀の雄琴とどこがどう違ったか、その理由はなんなのか。
 そこに我々が知るべき沖縄アンダーグラウンドの最大の肝があるのだろう。
 あとがきで著者は次のように述べている。

 私が記録した沖縄は、「アンダーグラウンド」に視点を据えた、戦後史の一断面に過ぎない。だがその姿は、過酷な戦争体験の後、日本から切り離されてアメリカの占領下に置かれ、復帰後も今に至るまでヤマトの敷石にされ続けている沖縄のありようと歴史の底流でつながっている。

 最後になるが、著者の筆致からは真栄原社交場が浄化され消滅したことに一抹の寂しさを感じているような印象を受ける。
 しかし、ソルティは戦後の赤線そのものの売春街が2010年まで公然と存在し続けたところに、戦後の沖縄が置かれてきた内地との圧倒的な不均衡があるように思った。
 明らかに、街自体は無くなって良かった。
 が、街の記憶は風化させるべきではない。

 そこで、真栄原新町の跡地利用の提案を一つ。
 「沖縄アンダーグラウンド館」なるものを作って、本書で書かれているようなことをテーマに各種資料やありし日のお店の再現セット(マネキン人形含む)を展示し、関係者の証言を集め、フェミニズム視点も取り入れ、広く人々に「戦争の怖ろしさ、および人間(男)の性と暴力について考えてもらう機会を作る」ってのはいかがだろう?
 もちろん、街の下に広がる文字通りのアンダーグラウンド、すなわち鍾乳洞見学も含めて・・・。


鍾乳洞
Marliese ZeidlerによるPixabayからの画像





おすすめ度 :★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
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● 野辺の花が私にささやきかけた 本:『沖縄ノート』(大江健三郎著)

1970年岩波新書

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 個人的に2022年一番良かったのは、沖縄戦跡めぐりをしたことだ。
 人生の中でもやって良かったことの上位に入る。
 なにがそんなに良かったのか説明するのは難しい。
 強いて言えば、行かなければならない場所に行き、見聞きしなければならないものを見聞きし、知らなければならないことを知り、祈るべき人たちのために祈ったという、かねてからの気がかりをようやく解決したという安堵感である。
 沖縄戦を知り、沖縄の戦跡とくに言語を絶する惨状を呈した南部の海岸を自分の足で歩いたことで、自分もやっと日本の歴史につながったという思いがした。
 
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ひめゆりの塔

 本書はノーベル文学賞作家の大江健三郎が、沖縄返還を目前に控えた1969~70年に記したエッセイである。
 大江は当時35歳。代表作とされる『個人的な体験』や『万延元年のフットボール』を上梓し、海外作家との交流が増え、名実ともに日本を代表する若手作家の一人であった。
 60年日米安保においては石原慎太郎、浅利慶太らと共に反対の声を上げ、65年には『ヒロシマノート』を書き、反戦・反核・反天皇制の反体制の作家として気を吐いていた。
 当然本書も、反戦・反米・反基地・反自民の力強いメッセージがあふれていると思うところ。
 が、本書を覆いつくす一番のムードは、まさに本土の人・大江健三郎の罪責感であり、自己嫌悪・自己卑下なのである。

 僕はやがてこの、日本人らしく醜い、という言葉を、単なる容貌の範囲をはるかにこえて、認識してゆくことになった。そしてそれは沖縄こそが、僕をそのような認識にみちびいたのだと、そしてその認識が、より多くのことどもにかかわって僕を、日本人とはなにか、このような日本人ではないところの日本人へと自分をかえることはできないのか、という無力な嘆きのような、出口なしのつきあたりでの思考へと追いやっているのだと、あらためて僕のいま考える、そもそもの端緒であった。(ゴチはソルティ付す)

 この「日本人とはなにか、このような日本人でないところの日本人へと自分をかえることはできないのか」という問いは本書でたびたび繰り返される。
 『沖縄ノート』は、1972年の沖縄返還を前に、本土と沖縄とアメリカの三角関係にあって過去の因縁により生じている様々な問題を、本土出身の護憲派の作家が沖縄の人々の立場に身を置いて論じている一種の社会評論ではあるけれど、それ以上に、大江自身が「沖縄を核として、日本人としての自己検証をめざす」と言っているように、日本人論の向きが強い。
 それもかなりネガティブな日本人論である。

 日本人とはなにか、という問いかけにおいて僕がくりかえし検討したいと考えているところの指標のひとつに、それもおそらくは中心的なものとして、日本人とは、多様性を生きいきと維持する点において有能でない属性をそなえている国民なのではないか、という疑いがあることもまたいわねばならない。

 ・・・・沖縄についていくらか知識を確かにするにしたがって、ますます奥底の償いがたく遠ざかる恐ろしい深淵について思わないではいられなかった。その深淵がなぜ恐ろしいのかといえば、それは、日本人とはこのような人間なのだと、自分自身の疾患からふきあげてくる毒気をもろにかぶってしまうような具合に、眼のくらむ嫌悪感ともども認めざるをえない、凶まがしいものの実質を、内蔵しているところの深淵にほかならないからである。

 日本人のエゴイズム、鈍感さ、その場しのぎの展望の欠如、しかもそれらがすけてみえる仮面をつけてなんとか開きなおりうる、日本の「中華思想」的感覚・・・・・。

 この百年間において、沖縄の人間の事大主義が発揮される現場には、それこそ形影相伴うごとくに日本人がいた。日本人の政治家が、官僚が、商人が、学者がいた。それは沖縄の民衆の事大主義にちょうどみあうだけの、ほかならぬ事大主義的性向の日本人がそこにはいりこんでいたということである。事大主義は、沖縄の人間と日本人とのあいだに張りつめられたロープのごときものですらあったというべきであろう。・・・・・
 ただ、沖縄の人間が、その事大主義についてはしばしば自覚的であったのに対して、本土の日本人は、沖縄の人間の劣等感を踏み台にすることで、かれ自身の事大主義に頬かぶりする逃げ道をえたのである。

 どうだろう?
 日本嫌悪、日本人否定のオンパレードである。
 ちなみに、事大主義とは、「自分の信念をもたず、支配的な勢力や風潮に迎合して自己保身を図ろうとする態度・考え方」(小学館『大辞泉』より)のことを言う。
 大江健三郎のパーソナリティという面はかなりあると思う。
 大江自身、自らの感じ方・考え方の底に、「ペシミスティックに、危機的な深い淵へおちこんでゆこうとする」傾向があることを認めているし、それこそが大江健三郎という文学者のデビュー当時からの特性ではあった。
 また、連載中の本エッセイを読んだ本土の友人たちから「被害妄想の徴候」があると指摘されたことも記している。
 それはまさに、令和の保守右翼の人たちが口を酸っぱくして批判する「祖国を愛し誇りを持つことできない自虐史観に侵された戦後日本人」の最右翼ならぬ最左翼であろう。

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平和の礎(いしじ)
 
 しかるに、本書が刊行された70年当時の日本では、大江のような意識の持ち方は今よりずっと一般的だったはずだ。
 それは保守右翼の言う「自虐史観教育」を受けた人が多かったからではなく、それとは逆の「忠心愛国教育」を子供の頃に受けて戦争を体験した人が多くいたからであって(1935年生まれの大江もその一人であろう)、その国家的洗脳こそが一億玉砕という過ちに日本を導いたことを痛みをもって記憶し反省していたからである。
 その事情は、戦争を知らない世代、すなわち「自虐史観教育」を受けた世代の比率が増すにしたがって、むしろ日本全体が右傾化しているのを見れば知られよう。
 大江健三郎と認識を同じくする日本人は、70年代には全共闘の若者たちを含め日本人の相当数を占めて主流に近いところにいたはずであるが、それが半世紀を経て、どんどん数が減って、どんどん“左”に追いやられていった。
 安部元首相の国葬反対デモに参加していたのが「かつての団塊世代の高齢者ばかり」などと揶揄され、あたかも“アカ”に扇動されたマイノリティの遠吠えのように喧伝される始末・・・。

 この『沖縄ノート』をソルティはかなり共感をもって読んだし、現在でも十分通用し読まれるべき内容――なぜなら沖縄問題は解決していないのだから――と思ったけれど、保守右翼は論外として、どうだろう、令和日本人(沖縄の若い世代も含めて)の中には、「半世紀も前の終わった話だろう?」あるいは「なんで本土の人間が罪責感を持たなければいけないの?」と、大江の回りくどく難解な文体ともども退ける者が多数いるのではなかろうか。
 大江健三郎と座標上の対極に位置する安倍元首相や日本会議の面々、雑誌『Hanada』に寄稿する論者のような「愛国者」たち、辺野古基地建設の反対運動する人々を高見から馬鹿にするひろゆきや高須某などの言動を見聞きするにつけ、そして彼らに誘発されたネトウヨのコメントを目にするにつけ、ここ半世紀の日本人の変容を思わずにはいられない。
 少なくとも、ソルティが日本人を誇りに思えない最たる原因は、歴史認識と弱者への想像力を欠いた上記の保守右翼の面々の陋劣な品性にある。
 
 この前の戦争中のいろいろな出来事や父親の行動と、まったくおなじことを、新世代の日本人が、真の罪責感はなしに、そのままくりかえしてしまいかねない様子に見える時、かれらからにせの罪責感を取除く手続きのみをおこない、逆にかれらの倫理的想像力における真の罪責感の種子の自生をうながす努力をしないこと、それは大規模な国家犯罪へとむかうあやまちの構造を、あらためてひとつずつ積みかさねていることではないのか。
 沖縄からの限りない異議申立ての声を押しつぶそうと、自分の耳に聞こえないふりをするのみか、それを聞きとりうる耳を育てようとしないこと、それはおなじ国家犯罪への新しい布石ではないのか。

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平和の火


 閑話休題。
 ソルティが今回沖縄戦跡めぐりをした直接的なきっかけは、ドキュメンタリー『沖縄戦 知られざる悲しみの記憶』を観たことにある。
 で、『沖縄戦』を観るきっかけとなったのは、吉永小百合主演の『ひめゆりの塔』であり、『ひめゆりの塔』を観るきっかけとなったのは、同じ吉永小百合主演の『伊豆の踊子』であった。日活時代の小百合サマの可憐な魅力に参って作品を追っていたのだ。
 『伊豆の踊子』を観たいと思ったきっかけは何かと、記憶を過去のブログ記事に探っていったら・・・・これが驚き、夏の秩父の巡礼路で出会った道端の花だったのである。
 名も知らぬピンク色の可愛い花である。

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のちにサフランモドキという名を知った

 この花を見たときに吉永小百合を連想し、夏の秩父の巡礼路が伊豆の天城越えと重なった。
 その時には自分が今年中に沖縄戦跡めぐりをするなんて、まったく予想だにしていなかった。(今思えば、「ハイビスカスに似ているなあ」と思ったことも沖縄へつながっていたのかもしれない)
 なので、ある種の罪責感混じりの義務感にかられて「行きたい」と意志したわけではなく、こういった因縁によって自然と「行くことになった」のである。
 むろん、ロシアによるウクライナ侵攻や7月の参院選で自民党が圧勝したことが、日本の戦争傾斜への危機意識を高め、ソルティの背を押したのは間違いない。(「全国旅行支援」という国家の政策を利用して、沖縄戦跡に行ってやろうじゃないか!という魂胆もあった)
 現地ではいろんな物事が自然とうまく運んでいるような感覚があった。
 物事は起こる時には起こるべくして起こるものだなあ~と、スピリチュアルな感慨に打たれた一件である。
 
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 沖縄みやげの琉球グラス
これで古酒やワインを飲むと格別


  
おすすめ度 : ★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
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● アムロ世代 本:『宝島』(真藤順丈著)

2018年講談社

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 『宝島』と言えばスティーヴンソンの冒険小説であるが、本作もある意味、冒険小説と言えないこともない。
 悪漢を主人公としたピカレスクロマン(悪漢小説)の風味があるからだ。
 代表的なピカレスクロマンの主人公と言えば、アルセーヌ・ルパンや石川五右衛門や『羊たちの沈黙』のハンニバル・レクター博士や『悪の教典』の蓮実聖司あたりだろう。
 映画では、『ジョーカー』やエミール・クストリッツァ監督『アンダーグラウンド』にとどめを刺す。
 本作の主人公らは、米軍基地からの窃盗行為を繰り返す「戦果アギヤー」と呼ばれる若者たち。
 
 ただ、本作がピカレスクロマンあるいはミステリーあるいは青春小説というジャンルにどうあっても収まらないのは、宝島とはすなわち沖縄のことであり、本作で語られるのは1952年から1972年の沖縄――サンフランシスコ平和条約締結から本土返還に至るまでの沖縄――が舞台となっているからである。
 GHQによる占領が終わり主権回復、経済白書が「もはや戦後ではない」と高らかに言い放った本土の平和と繁栄の陰で、いまだ米軍による占領が続いていた沖縄20年間の苦闘の歴史である。

 読み終わるまで知らなかったが、本作は2019年に直木賞を受賞している。
 当然評判になり、ベストセラーの一角を占め、多くの人――ヤマトンチュウ(本土出身者)もウチナンチュウ(沖縄出身者)も――が手に取ったことだろう。
 出身地により、世代により、政治信条により、それぞれどんな感想を持ったのだろうか。
 
 少なくとも一つ言えるのは、沖縄戦の実態とその後の米軍基地をめぐる問題についてある程度知っている読者と、本作で初めてそれに触れた読者とでは、まったく読みの深さが異なるだろうということである。
 本作には20年間に実際に沖縄であった事件――米兵による現地婦女子レイプ殺害事件、石川市(現うるま市)宮森小学校への米軍戦闘機墜落事故、地元ヤクザの那覇派とコザ派の対立、コザ暴動など――がたくさん出てくるし、実在の人物も実名のまま多く登場する。
 また、「特飲街、Aサイン、オフリミッツ」といった戦後沖縄の風俗シーンを彩った用語も詳しい説明なしに使用されるし、「ウタキ(御嶽)、ユタ、ニライカナイ」など古くからの琉球文化の重要な概念にも触れられる。

 読者が沖縄のことを知っていれば知っているだけ、本書の深みと魅力はいや増すに違いない。
 登場するウチナンチュウたちの心情にも一歩なりとも近寄ることができよう。
 ソルティはここ半年で、実際の戦跡めぐりも含め、ずいぶん沖縄戦や戦後の沖縄事情を学んできたこともあって(沖縄のスピリチュアル文化については永久保貴一の漫画で学んだ)、本書を読むに際してわからない用語や概念がほとんどなかった。
 戦後沖縄で実際にあったこと、あるいはあっても全然おかしくなかったことの記述なのか、それとも話を盛り上げるために作者が誇張して創作しているのか、と戸惑うこともなかった。
 主人公たちにも自然と共感できた。
 これがもし半年前に読んでいたら、幕の向こうから触れるみたいなもどかしさやリアリティへの疑問を感じたかもしれない。
 つくづく本との出会いにはタイミングが重要だと思う。

 もちろん、事前にこういった知識を持たぬ読者でも、理解できて楽しめるような物語性やキャラの魅力は有しているし、本書を読むことで若い読者が沖縄文化や沖縄問題に興味を持ち、調べ考えるきっかけになれば何よりであろう。

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 一番の驚きは、本書を書いたのが沖縄出身の作家、少なくとも沖縄在住経験の長い本土生まれの作家とばかり思っていたのだが、そうではなく、1977年東京生まれ東京育ちの男であるということ。
 沖縄返還後の生まれではないか!
 よくまあ、並み居るベテラン作家が怖気づくようなこの戦後最大級の重いテーマを取り上げて、よく取材し、よく小説化したなあと、その度胸と力量に感心した。
 逆に言えば、安室奈美恵と同年生まれの作家だからこそ、「沖縄問題」に対して無用な偏見やイメージや固定観念を持たず、想像力を縛られることなく、真正面から立ち向かえたのかもしれない。

 直木賞受賞の価値は十分ある。
 が、それ以上に本書の価値を高めるのは、『沖縄アンダーグラウンド』と一緒に受けた「沖縄書店大賞」の受賞であろう。
 ウチナンチュウの書店員らに選ばれたことは、真藤が沖縄の人々の思いをしっかりと受け止めて、表現し得た証拠であると思う。
 



おすすめ度 :★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損





● 鎌倉殿の血統 本:『新・沖縄ノート 沖縄よ、甘えるな!』(惠隆之介著)

2015年WAC株式会社

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 大江健三郎の『沖縄ノート』を探している時に本書を知った。
 ソルティは著者の惠隆之介については何も知らなかったが、発行元のWACは『関東大震災「朝鮮人虐殺」はなかった!』(加藤康男著)の版元なので、読む前からバイアスがかかってしまうのは致し方あるまい。
 いわゆる安倍元首相シンパ、雑誌『Hanada』周辺にたむろするジャーナリストの一人である。

 本書の内容を簡単に言えば、

 中国の脅威が迫っている。
 このまま行けば、沖縄は中国に奪われる。
 沖縄にいる左翼グループもその手引きをしている。
 それをかろうじて守ってくれるのが米軍であり米軍基地なのに、沖縄県民はもとより日本人の多くがそこを理解していない。
 沖縄県民と来た日には、戦後沖縄の復興と民度向上に多大なる貢献をしてくれた米軍への感謝を忘れている。
 それどころか、米軍基地あることをネタに、政府から多額の補助金を引き出すことに汲々としている。
 普天間飛行場の辺野古への移設反対運動をするなど、もってのほかである。
 危険な左翼思想に侵された沖縄の教育界やメディアなどを、日本政府が強権をもって糺さなければ、とんでもないことになる。
 沖縄よ、甘えるな! 

 ――ということになろう。

 内容についてここでとやかく言うつもりはない。
 著者が昨今のアジア情勢に非常な危機感を抱き、早急な対策すなわち日本の軍事力強化と日米同盟の緊密化を求めていることは確かである。
 一つの視点としてそれは理解した。
 
 ソルティが一番気になったのは、恵隆之介が1954年コザ市(現沖縄市)生まれだという点である。
 いくつの時まで沖縄にいたのか知らないが、真藤順丈著『宝島』に描かれているような戦後沖縄を少年時代にリアルタイムで見てきたはずである。
 年長の肉親や親戚には沖縄戦で無惨な最期を遂げた者も少なくないだろう。
 同年代の知人の中には、米兵による性暴力の被害を受けた女子だっていることであろう。
 それがなぜ、海上自衛隊に入ることになったのか?
 そこをなぜたった4年で辞めて、琉球銀行に転職することになったのか?
 いつから親米家になったのか? 
 なぜジャ-ナリズムの世界に飛び込み、本書のような作品を書くことになったのか?
 どうして、生まれ故郷の沖縄の多くの人々の気持ちを逆撫でするような思想を持ち、沖縄県民を愚弄するような発言をするようになったのか?
 ソルティが知りたいと思うのは、惠隆之介当人の幼児体験であり、育ちであり、トラウマであり、思想形成であり、つまるところアイデンティティ形成である。

 沖縄県民の特性は、理念闘争に終始して物事の本質を見失う欠点がある。なにより、演繹的思考に乏しい。これは亜熱帯の気候に主因がある。(本書より) 
 
 ブーメラン?

 ある人間が右翼的になり、ある人間が左翼的になるのは、いったいどんな原因や背景によるものなのだろう?
 
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 本書を読んで、沖縄の歴史に興味を持った。
 初めて知ったのだが、琉球王国の開祖である舜天(しゅんてん1166-1237)は、沖縄に流れ着いた源為朝と土地の豪族の娘との間にできた子供だという。
 源為朝と言えば、鎌倉幕府を開いた源頼朝の叔父である。
 つまり、貴種流離譚であり、落ち武者伝説なのだ。
 おそらく伝説の域を出ない物語だとは思うが、沖縄の男の名前に「朝」がつくことが多いのはそのせいであったか、と合点がいった。
 鎌倉殿の血統が首里城の主だったと思うと、なんだか面白い。
 もしかすると、ソルティの沖縄戦跡めぐりは、源実朝の計らいだったのか・・・。
 
 世の中は つねにもがもな 渚こぐ
 海人の小舟の つなでかなしも

(波打ち際を綱に引かれながら漕いでいる小舟。なんとしみじみと平和な光景だろう。こんな世が続くといいのになあ~)


青龍寺の猫
四国遍路第38番札所・青龍寺付近の浜辺 

 

おすすめ度 :★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
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● 変わらなきゃ! 本:『ゴンチャローフ日本渡航記』(イワン・A・ゴンチャローフ著)

1858年原著刊行
1969年雄松堂出版より邦訳刊行
2008年講談社学術文庫(高野明、島田陽・訳)

 彼らが唯一の頼みとする鎖国排外制度は、彼らに何も教えず、彼らの成長を止めただけだと分かっているのだ。その制度は小学生の悪戯のように、教師の姿が見えると、すぐさま崩壊する。彼らは孤独だし、援助がない。大声で泣き出し「私たち子どもが悪いのです!」といって、子供らしく先輩の指導に身をまかせる他には何の術も残されていない。(本書より引用、以下同)

 「彼ら」「小学生」とは日本人のことであり、「教師」「先輩」とはアメリカ人、イギリス人、ロシア人ら列強諸国のことである。
 本書は、1853年8月に日本との通商を求めて長崎に来航したロシア船に、提督秘書官として乗船していたロシアの文豪イワン・アレクサンドロヴィッチ・ゴンチャローフ(1812-1891)の手記である。
 同じ年の7月8日には、ペリー提督率いるアメリカ船が浦賀に来航し、日本に開国を迫った。
 いわゆる黒船来航である。
 東にアメリカ、西にロシア。
 時の将軍徳川家慶は7月27日に病気のため崩御。
 この夏、幕府は驚天動地、てんやわんやの大騒ぎだったのである。
 もちろん、民もまた「夜も眠れぬ」パニックに陥ったことは有名な狂歌にある通り。

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図版は「魯西亜本船之図」(長崎歴史文化博物館蔵)

 ゴンチャローフらを乗せたパルラダ号は、1953年6月末に香港を出立。
 あわや沈没かというほどの激甚な台風を経験したのち、7月末に小笠原諸島に到着。
 最初の長崎滞在は3ヶ月余り。
 長崎奉行や幕府とのいっこうに進まない交渉にしびれを切らし、ヨーロッパの動向を確かめるためいったん上海に赴き、クリスマス前に再び長崎に戻り、日本で新年を迎えた。
 ロシア側の提示した日露修好条約草案への幕府からの回答を受け取った後、1月末に琉球諸島に向かっている。
 本書には、台風体験、小笠原諸島(父島)上陸、最初の長崎訪問、2度目の長崎訪問、琉球諸島探訪の記録が収録されている。
 
 やはり興味深いのは、ロシア人であるゴンチャローフの見た幕末期の日本および日本人の姿である。
 1603年の開幕からすでに250年。鎖国開始から214年。
 封建制にもとづく幕藩体制、士農工商の階級制度もすっかり定着して、よく言えば太平安楽、悪く言えばぬるま湯につかったような因循姑息の世が続いていた。
 人生50年の時代、250年と言えば10世代にあたる。
 「世の中は変わらない、変えられない」が庶民の常識になっていただろう。
 そんな17世紀で時間が止まった日本を、19世紀の西洋人はどう見たか。

 国民は開化の必要を痛感しているし、その欲求はいろいろもれ聞こえてくる。そのうえ国民は貧しく、外国との交流を必要としている。まともな人々、わけてもヨーロッパ人と接している通詞(ソルティ注:通訳)たちの中には、前にも書いたように、退屈と知的及び精神生活の欠如ゆえに慨嘆している者がいる。
 
 彼ら(ソルティ注:日本人)のこの無感動の底には、どれほどの生命が、どれほどの陽気さや茶目っ気が隠されていることか! 才能、天分の豊かさは――ささいなことにも、空虚な会話のやりとりにも見受けられる。だが、中味がないだけで、すべての本来の生命力が滾りつき、燃えつきて、今や新たな活力回復の原理を求めていることも明らかである。日本人はとても活発で素朴である。彼らには、シナ人のような愚劣さはない。
 
 彼らが自国に作り上げたのは、何か以前になかったことで、よいことでさえ、とにかくそれをやってみたくなったり、拒絶しないつもりになったとしても、少なくとも自発的にはそうできないような体制なのである。たとえば、彼らは二百年も前に「西洋人は有害だ。彼らを相手にしてはならぬ」と決めて、今もなお自らそれを改められないのである。
 
 ヨーロッパ側からの威嚇と、日本人側からの平和希望は、彼らの圧制をいくつか廃止させるのに役立つだろう。日本人自身は改革にふさわしい国民であるが、私が前に述べたように、外部の緊張した情勢しか彼らの体制を揺り動かすことはできないだろう。
 
 日本では反対に、今日でもなお仕事は早く運ばないし、急いで事を運ぼうとする弱点のある人間は好かれないのだ。私たちの艦から長崎までは、たっぷり45分はかかる。日本人たちはしきりに私たちの艦にやって来る。では、その往復の時間をみずから浪費しないように私たちが町のそばに碇泊するよう招けばよいではないか。だめなのである。なぜだろう?
 老中にお伺いを立てねばならず、老中は将軍に伺い、将軍はミカドの許へ人を差し向けるのである。 

 ほんの3~4ヶ月の期間で、しかも数えられるくらいの日本人との交流機会を持っただけで、ここまで的確に日本人と日本社会を見抜いているゴンチャローフの慧眼がすごい。
 日本ではほとんど知られていない作家だが、ドストエフスキーに高く評価された国民的作家(代表作『オブローモフ』)だけあって、その観察眼と洞察力は一級である。
 上記の指摘が、江戸末期の日本人のみならず、令和現在の我々にも今なお通じるところがあると思うのは、ソルティだけであろうか?
 
ゴンチャローフ
イワン・ゴンチャローフ


 ゴンチャローフが初めて接する日本の風物について書いた箇所も滅法面白い。
 何のことを書いているかお分かりだろうか?
    1. 頭は顔と同じようにすっかり剃っていたが、ただ後頭部から髪を上げて、切り取られたおさげ髪のように短く狭くして、脳天に固定している。
    2. ノリモノは、外見はかなり美しく、さまざまな織物で表装され、紋章や房で飾られている。だが、その中に乗り込むことはできなかった。脚か頭か、どちらかのやり場がないのである。それを見ていると、「このノリモノは拷問用につくられたものではないだろうか」という気がする。
    3. 「はて、これは食事をするな、という意味かな」と私は、硬い食物も軟らかい食物も手にとれそうもない二本のなめらかな、白い、先の丸い編棒を眺めながら考えていた。どんなふうにして、何を食べればよいものやら?

 1は「ちょんまげ」、2は「駕籠」、3は「箸」のことである。

駕籠とちょんまげ

 個人的には本書一番の読みどころは、17世紀末の沖縄、すなわち薩摩藩の支配下にある琉球王国の情景についての記述である。
 ゴンチャローフは、その美しさを筆を尽くしてほめちぎっている。

 然り、これは太平洋の果てしなき水の真只中に投げ出された田園詩なのである。さて、御伽噺に耳を傾けていただきたい。木は木として、木の葉は木の葉にきちんと整頓され、ふつう自然が生み出しているようなまぎらわしさもなく、偶然の無秩序に混乱していることもない。すべてがワトーVatoの絵とか、舞台装置にあるように、測定され、掃き清められ、美しく配置されているかのようである。

 私は目にするものに見とれていたが、驚きの目を見張ったのは熱帯の植生でも、暖かい、穏やかな、香ぐわしい空気でもなく――そうしたものはすべて他の場所にもあった――森や、道路や、小径や、庭園のあの見事に整えられたたたずまいであり、質素な衣服や、老人たちの族長制的な威厳あふるる態度や、彼らのきびしい思慮深い表情であり、若者に目立つはじらいや優しさであり、そしてまたどれほどの労力に値するやもしれぬ土木工事や石材工事であった。これは蟻塚か、そうでなければ実際に牧歌の国であり、古代人の生活の一断片なのだ。ここでは、あらゆるものが生まれたまま何千年にもわたって姿を変えていないように思われる。・・・・ここではいまだ黄金時代が可能なのだ。

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琉球王国時代の風貌をわずかに伝える金城町石畳道

 外圧に逆らうことままならず、日本は自らの身を縛る錆びついた鎖を解いた。
 あっという間の大政奉還。
 文明開化に殖産興業。
 またたく間に列強の仲間入り。
 その後100年で、日本も琉球も大きく変わったのは誰もが知る通り。
 しかし、日本以上に変わったのは、ゴンチャローフの愛する故郷ロシアであった。
 プロレタリア革命による帝政終焉、史上初の社会主義国誕生、冷戦からのソ連崩壊、独裁国家ロシア誕生、そして・・・・・。

 艦名であるパルラダとは、ローマ神話の知恵の女神パラスのロシア語読みである。
 パラスは、ギリシア神話におけるアテネであり、知恵の神であると同時に軍神である。

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misterfarmerによるPixabayからの画像



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● 2023年という戦前 ドキュメンタリー:『標的の島 風かたか』(三上智恵監督)

2017年
119分
ウェスタ川越(埼玉県)にて鑑賞

 「戦前」が生まれるのは、戦争が始まってから、あるいは戦後になってからである。
 実際に「戦前」にいる人たち――少なくとも庶民は、それが「戦前」だと認識していない。
 あとになってから、「ああ、あの時が戦前だったんだなあ」と判るのである。
 俳人の渡邊白泉が「戦争が 廊下の奥に 立つてゐた」と詠んだのは、日中戦争が始まって2年後(1939年)のことであった。
 1937年以前の白泉は、「今は戦前」と思っていなかったのだろう。
 戦争は我が家の外の、どこか遠い街で起きていることだ、と感じていたのだろう。
 満州事変(1931)があっても、犬養毅首相が暗殺(1932)されても、日本が国際連盟を脱退(1933)しても、「天皇機関説」を唱えた美濃部達吉が国会議員を辞めさせられても(1935)・・・・・。
 気づいたら、それは廊下の奥に、出口を塞ぐように立っていた、のである。
 振り返ってみれば、戦争に至る道標は着々と立てられ、帰り道は消されていたのに、道中にいて昨日とさほど変わり映えしない今日を送っている庶民は、その危機に気づかず、戦争を遠い異国の話と思っている。
 芸能人の起こした不祥事を伝えるニュースを嬉々として追っている。
 
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 この上映会を知ったのは、川越に遊びに行ったとき街角のポスターを見たからであった。
 むろん、こんな作品があることも、三上智恵という監督の名も知らなかった。
 作秋、沖縄の戦跡巡りをして沖縄戦について学んでいたこともあって、主としてネット界隈でのみ(ヒロユキのおかげで)話題となっている辺野古新基地建設をめぐる現状を知りたいと思った。
 が、本作は辺野古基地だけの話ではなかった。
 ここ数年、国が強硬に押し進めている本島北部の高江におけるオスプレイのヘリパッド建設や、宮古島、石垣島におけるミサイル基地建設と自衛隊配備の様相がレポートされていた。
 すなわち、中国を威嚇するための、中国からの攻撃に備えるための、中国に反撃するための一連の南西諸島の要塞化である。
 それはもう対中戦争を見越した準備と言っても過言ではないレベルの武装である。
 
 むろん、一番しわ寄せを受けるのは島民たち。
 環境が破壊され、騒音に悩まされ、治安が悪化する。
 基地や武器があることで、まさかの場合、敵の標的にされるのは明らかである。
 その際、「自衛隊は島民を守ってくれるのか」と問えば、国は答えを濁す。
 沖縄県民は先の戦争で嫌と言うほど経験し、知っているのだ。
 国は本土を守るためなら平気で沖縄を犠牲にすることを。
 国が守るのは国民ではなく、国家としての体面であり、国体であることを。
 
 タイトルの「風(かじ)かたか」とは、琉球方言で「風よけ、防波堤」のことである。
 カメラは、基地建設を強行する国家権力と、沖縄の軍備化に反対し子供たちの「風かたか」にならんとする島民たちとの間で繰り広げられている激しい闘いの模様を、生々しい臨場感と迫力をもって映し出す。
 正直、辺野古騒動の陰でこんなことが進行していたのかと愕然とした。
 沖縄戦跡巡りをしたにもかかわらず、宮古や石垣や与那国といった島で現在進行形で起こっている恐るべき事態に意識が向かなかった自分にあきれた。
 こういったことをまったく報道しようとしない、国民に知らせようとしないマスメディアの非道っぷりにも! 
 このままだと、仮に中国との間で一戦交えるようなことになれば、1945年沖縄戦の二の舞になるのは明らか。地獄の再来だ。
 子供の頃に沖縄戦を体験した島民は語る。
「次に戦争になったら、前回どころの話ではない。沖縄は人も島も無くなるでしょう」
 
 不穏な米中関係にあって、アメリカの楯にされている日本。
 本土の楯にされている沖縄。
 米軍基地のある本島の楯にされている与那国、石垣、宮古。
 この人身御供の入れ子構造をますます強化しようとする自公政権。
 本作を観て、はっきりと分かった。
 2023年の今は「戦前」である。
 
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米軍がスーサイドクリフ(自殺の崖)と呼んだ
沖縄本島南部のギーザパンダ(慶座集落の崖)
 
 観ていてなによりやり切れないのは、当の宮古島島民、当の沖縄県民の中にも、本気で軍備増強を求める人たちがいるってことだ。
 国家権力と結びついて何かと利便を図ってもらっている上層の人間、あるいは家族や自分が日本やアメリカの基地関係で働いているというなら、まだ分かる。
 そうでない一般市民の中に、「抑止力」としてのミサイル配備、自衛隊駐屯を求める者も少なくないのだ。
 でなければ、基地建設に賛成する下地敏彦宮古島市長が3期連続当選を果たせたはずがない。(コロナ禍の2021年1月の選挙で、野党の推した座喜味一幸が当選したのは記憶に新しい。一方の下地は、落選後に陸上自衛隊駐屯地の用地売却を巡る贈収賄事件で逮捕された)
 
 先般可決された『LGBT理解増進法』をめぐる一連の運動の中でも見られたことだが、不当に権利を抑圧されているほかならぬ当事者の中に、上から頼まれたわけでも脅されたわけでもないのに、体制側に組してしまう者がいるのだ。
 この倒錯的現象の理由を考察するのは別の機会に譲りたいが、本来なら一枚岩になって体制と闘うべき者たちが分裂し、体制側についた者が現状を変えたい者の足を引っ張り、卑劣なデマを流し、事態を混乱させる。
 当事者でない外野からは、「なに内輪もめしているんだ」、「結局、当事者の中でも意見がまとまっていないんじゃないか」と思われて、賛同を得られるどころか、巻き込まれたら面倒だと、ますます遠巻きにされてしまう。
 その陰で、体制側はほくそ笑む。
 やり切れない・・・・。

 倒錯と言えば、元安倍首相を暗殺した容疑者が、子供の頃から悲惨な境遇に置かれ福祉の欠如に苦しみながらも、体制翼賛的すなわち右翼的思想に引き付けられていたということにも思いは及ぶ。
 いやいや、旧統一教会問題であれほど騙され愚弄されたというのに、いまだに自民党に政権を担わせる日本人こそ、倒錯の最たるものだろう。
 ドイツ人とよく似たマゾ的国民性ゆえか?
 やっぱり、聖徳太子の呪縛なのか?
 
 ソルティはそのような一人であることを拒否する。
 まずは、『ノーモア沖縄戦 命どぅ宝の会』の賛同人になった。
 




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