ソルティはかた、かく語りき

東京近郊に住まうオス猫である。 半世紀以上生き延びて、もはやバケ猫化しているとの噂あり。 本を読んで、映画を観て、音楽を聴いて、芝居や落語に興じ、 旅に出て、山に登って、仏教を学んで瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

 ★リメンバー沖縄戦

● 天国と地獄

 沖縄3日めは、普天間基地を見に行った。
 オスプレイがカトンボのように並んでいた。
 人間というものは、作ったからには使う機会を作るものだ。
 戦争に勝つための武器から、武器を試すための戦争、武器を売るための戦争を必要とするようになる。
 オス(男の)プレイ(行為)は、そういう倒錯にはまりやすい。

 沖縄最後の夜は、庶民的な飲み屋が軒を連ねる安里に行った。
 ちょうどアメ横の飲み屋横丁のような感じだ。
 狙っていた居酒屋がいっぱいだったので、酔っぱらい浮かれ騒ぐ市場をうろうろしたあげく、海老料理専門店を見つけた。
 メニューのすべてが海老を使っている。
 ソルティのような海老好きにはたまらない店だ。
 海老めしと海老クリームコロッケと海老チンジャを頼んだ。
 海老アレルギーある人には地獄のような店。
 もちろん、海老にとっても。

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● 疲れの正体?

 昨晩はあんなにへたばったのに、今夜は元気もりもりだ。
 今日も一日中、那覇市内外を路線バスやタクシーやレンタサイクルを駆使して飛び回り、3つの戦跡巡りをしたというのに・・・。
 やはり、ウコンが効いたのか?
 
 思うに、「疲れた」は「憑かれた」なのだろう。
 昨日の南部海岸巡りでは、平和祈念公園はじめ、いろいろなところで手を合わせ祈り、沖縄戦を生き残った人たちの証言に耳を傾けているうちに、だんだん心と体が重くなった。
 しまいには、歩くのさえしんどくなった。

 その疲れは、丸一日山歩きしたときの疲れとは、まるっきり違う。
 考えたら、四年前には四国遍路で1400キロ歩き通したソルティである。
 今だって週に3回、500米弱泳いでいる。
 アラ還とはいえ、こんなにいきなり体力が落ちるはずがない! 
 何かを背負って宿に帰ってきたに違いない。
 よく覚えていないが、なんだか重苦しい夢を見た。

 夜通し降り続いた雨は、昼前に上がった。 
 雨が上がると共に体は軽くなり、旅の楽しさが実感されてきた。
 午後は、電動アシスト自転車でスイスイと那覇の海岸沿いを走り抜けた。
 波の上ビーチで潮風に当たったら、すっかりいつもの調子を取り戻した。
 夕食は沖縄家庭料理を堪能した。 


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波と遊ぶ修学旅行の生徒たち



 






● 国際通りの雄叫び

 昨晩から那覇にいる。
 国の旅行支援事業を利用して、3日間の戦跡巡り。
 今日は、平和祈念公園とひめゆりの塔、つまり最も被害の甚大だった南部の海岸沿いを巡った。

 後日、記事にまとめたいと思うが、とにかく身も心も疲れ果てて、今、宿に帰って風呂入って、床に伸びている。
 せっかく1万円分の自由に使える地域クーポンが手元にあって、名店並ぶ国際通りが目の前にあるというのに、外出する気力が湧かない。

 昨晩はワールドカップで日本がドイツに勝ったため、夜1時過ぎまで国際通りの若者たちの雄叫びが轟き渡っていた。
 おそらく夜通しどこかで祝勝会して飲むのだろう。
 ああいう時代も自分にもあったと思うにつけ、加齢を実感する。
 いや、むろん愛国心のことではない。若さのことだ。

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 コンビニで見つけたウコン入り活力剤を試してみた。
 効いてくれるといいのだが・・・。
 さんぴん茶は沖縄名物の一つだが、何のことはない、ジャスミン茶のことである。

 明日はまた重要な戦跡に行く予定。
 夜遊びをあきらめて、大人しく寝ることだ。

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ひめゆり平和祈念資料館の中庭


 

● 本:『運命の人』(山崎豊子著)

2009年文藝春秋
2011年文庫化
全4巻

 映画『ひめゆりの塔』、ドキュメンタリー『沖縄戦』と、このところ沖縄戦がマイブームになっている折、最寄りのブックオフに行ったら店頭ワゴンで一冊105円で売っていた。
 沖縄をテーマとした山崎豊子の最後の完成作である。

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 『暖簾』『ぼんち』『女系家族』『白い巨塔』『沈まぬ太陽』と山崎作品には原作や映画でずいぶん接してきたが、共通して言えることは、実に良く取材していること、骨太で構成がしっかりしていること、そして男を描くのが上手いこと。
 とくに、男を主人公とした『白い巨塔』『沈まぬ太陽』『運命の人』を読むと、よくもまあ女の身で、男の欲望や嫉妬やコンプレックスや孤独が分かるものだなあと感心する。
 男を描いてここまで成功した本邦の女性作家は、紫式部をのぞくと他に見当たらない。
 骨太の構成力という点も合わせて、著者自身かなり男性的な人だったのではなかろうか。

 本作は、1985年8月の日本航空123便墜落事故を描いた『沈まぬ太陽』と同様、「事実を取材し、小説的に構築したフィクション」である。
 1972年の沖縄返還をめぐる日米交渉の中で実際に起こった事件がもとになっている。
 俗に言う、沖縄密約暴露事件あるいは西山事件である。

 沖縄返還協定成立直後の1972年(昭和47)3月末から4月初めにかけて、衆議院予算委員会を舞台に、社会党の横路孝弘代議士ら野党議員が、外務省の極秘電報2通を材料に、沖縄返還交渉をめぐる日米間の密約問題を暴露し、佐藤内閣の責任を追及した。
 これをきっかけに、同年4月4日外務省は、同省の蓮見喜久子事務官が電報の内容を新聞記者に漏らしたという疑いで、同事務官を国家公務員法第100条(秘密を守る義務)違反容疑で告発した。警視庁は、蓮見事務官と、同事務官に秘密漏洩をそそのかした容疑(国家公務員法111条)で毎日新聞社政治部の西山太吉記者を逮捕、起訴した。
(『コトバンク 小学館日本大百科全書』より抜粋)

 当時ソルティは小学生だったので、この事件について知らなかった。
 長じてからも、沖縄密約と言うと在日米軍基地にある核の有無にかかわる問題という認識であった。
 が、当事件で問題となったのは核ではない。
 沖縄返還にあたって地権者に対する土地原状回復費400万ドルをアメリカ政府が支払うことになっていたが、実際には日本政府がその分を肩代わりして、形の上だけアメリカが支払ったように見せかける「密約」をしていたのである。
 毎日新聞記者だった西山太吉は、外務省事務官の蓮見喜久子に近づき男女関係を結んだうえで密約の証拠となる資料を手に入れ、政府の不正をすっぱ抜いた。
 佐藤栄作首相を頭にいだく政府は密約を全面否定し、西山と蓮見を国家機密漏洩のかどで裁判に訴えた。

 結果だけ言えば、西山と蓮見はともに有罪となり、職も家庭も社会的信用も失った。
 どちらも既婚者だったのでW不倫(当時この言葉はなかったが)であり、男女関係をもとに西山が蓮見を「そそのかし」罪を冒させたというストーリーが出来上がって、週刊誌を中心にマスコミを騒がす桃色スキャンダルとなり、二人(とくに西山)は世間の非難を浴びることになった。
 裁判では西山の取材方法が、法にてらして適切か否かが問われた。
 
 結果だけ言えば、密約はあった。
 後年になって、米国側の資料からそれは裏付けられた。
 つまり、密約による国民への背信行為および国民の「知る権利」という重要な問題が、大衆の喜ぶ桃色スキャンダルに覆い隠されていったのである。
 のちにノーベル平和賞をもらうことになる佐藤首相にとって、自らの花道を飾る沖縄返還に関してケチをつけられることは、絶対に許容できなかったのであろう。
 
 もちろん、「事実を小説的に構築して」いる本書に実名は出てこない。
 西山太吉は弓成亮太に、蓮見喜久子は三木昭子に、佐藤首相は佐橋首相に変えられている。
 ほかにも、ナベツネもとい渡邊恒雄、大平正芳、田中角栄、福田赳夫、横路孝弘、後藤田正晴ほか、それと分かる著名人が別名で登場する。
 フィクションとノンフィクションの合い間を狙った小説は、裁判になった三島由紀夫の『宴のあと』に見るように、プライバシー侵害や名誉棄損や営業妨害などの問題が生じやすいので、書くのは難しいと思うが、同じ手法を用いた『沈まぬ太陽』で成功をみている山崎にとって、お手の物だったのだろう。
 言うまでもなく読者にとっては、どこまでが事実でどこからが創作(想像)なのだろう?――という好奇心をくすぐって、面白いことこのうえない。
 地裁から高裁、そして最高裁へと続く“国家権力V.S.ジャーナリズム”の法廷闘争の描写も、被告原告双方をめぐる人間関係の模様とともに関心をそそられる。
 あとがきによると、すでに80歳を超えていた著者は病気をおして執筆していたらしい。
 前作の『沈まぬ太陽』にくらべれば筆力の低下は否めないものの、驚くべきパワーである。
 
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David MarkによるPixabayからの画像

 本書の主人公は弓成(西山)なので、事件は弓成の視点から描かれている。
 弓成は、有能でエネルギッシュで野心あふれる一記者として描かれる。
 政府の隠したがる機密を暴いて時の首相の逆鱗に触れたため、権力を敵に回すことになり、記者生命ばかりか家族をも失うことになった悲劇の人として描かれている。
 特ダネを手に入れるため男女関係を巧みに利用した卑劣な男としてではなく・・・。
 一方、某週刊誌がスクープした30代女性事務官の涙の告白――「私は弓成記者に酔った勢いで体を奪われ、一方的に利用されたあげく捨てられた」――は、現在なら鼻白むところであるが、70年代は十分通用した物語であった。
 男と女の間のことだけに、真相はどこらにあるのか、正直わからない。
 ただ、弓成(西山)が「取材源の秘匿」という記者の使命を守れなかったのは事実であり、一審判決のように秘密書類を持ち出した女性事務官だけが有罪となるのは、心情的に解せないところではある。
 
 社会的破滅に追いやられた弓成が、自死すら考えて沖縄へと渡る最終巻が、この物語の真骨頂であろう。
 弓成はそこで沖縄戦の真実に触れていくことになる。
 住民たちが集団自決した洞窟(読谷村のチビチリガマ)や、爆弾が雨あられと降り注いだ本島南部に足を運び、生き残った人から想像を絶する体験を聞く。
 米軍に集団レイプされた現地の女性から生まれ、父からも母からも捨てられた女性の苦しみに寄り添う。
 米軍統治下において先祖伝来の土地を収用された住民たちの怒りの声に耳を傾け、粘り強い奪還運動のさまを知る。
 また、1995年の3人の米兵による少女暴行事件と怒りの県民大集会、2004年の琉球大学キャンパスへの米軍大型ヘリ墜落事件を、リアルタイムで経験する。
 そこには、米軍そして日本政府から沖縄が被ってきた圧倒的な暴力と冷遇と無視の歴史がある。

 沖縄はつねに本土を守るための犠牲、人身御供になってきた。
 本土の大新聞社のエリート記者としてばりばりと特ダネをものにし、ある意味権力のお膝元で働いてきた弓成は、人生ではじめて挫折し、逃げるように沖縄にわたった。
 そこで現地の人々のあたたかさと美しい自然に触れて心の傷をいやし、沖縄の歴史と沖縄戦の真実を学び、人々の深い悲しみや怒りを知って、「語るべきこと」を見出し再生してゆく。
 これは一人の人間の成長の物語でもある。
 
 日本にある米軍基地の75%が集中している沖縄という島の現状と、そこで日々起きている様々な理不尽の因は、ひとえに戦後の日米間の不平等な関係にある。
 沖縄に犠牲を強いてきた政府もとい本土の人々の冷たさと無関心にある。
 戦後75年経つのに一向に改善できない、どころか緊張高まる東アジア情勢においてますます物騒な様相を呈している。
 沖縄戦で亡くなった20万を超える御魂も浮かばれまい。
 
さとうきび畑



おすすめ度 :★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損





● ドキュメンタリー映画:『沖縄戦 知られざる悲しみの記憶』(太田隆文監督)

2019年青空映画舎、浄土真宗本願寺派
105分
ナレーション:宝田明、斉藤とも子

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 戦死者20万656人。日本で唯一の地上戦が行われ、県民の4人に1人が死亡した沖縄戦。
 それはどのように始まり、どのように終わったのか。
 どれほどの悲惨と残虐と苦しみがあったのか。
 これほど多くの民間人が犠牲になった背景にはいったい何があったのか。
 沖縄戦体験者12人の証言と専門家8人による解説、そして米軍が撮影した記録映像を用いて、時系列でわかりやすく克明に描いている。

 下手な解説やコメントはすまい。
 これはぜひ観てほしい。
 国家というものがいかに狂気なシステムになりうるか、ファシズム下の学校教育がどれだけのことを成し遂げるか、人間がどれほど無明に閉ざされているか、嫌というほど実感させられる。

 ソルティはこれまでに仕事で1度、観光で2度、沖縄に行っている。
 しかし、沖縄戦の関連施設を訪ねることはなかった。
 ひめゆりの塔、対馬丸記念館、沖縄陸軍病院跡、佐喜眞美術館・・・・。
 一度は行っておくのが、沖縄を本土決戦のための時間稼ぎの防波堤として利用した「やまとんちゅう(本土の人)」の義務だろう。

 ナレーションをつとめた宝田明(2022年3月逝去)は、ハンサムでダンディな俳優として知られたが、戦後満州で11歳まで過ごし、自身もソ連兵の銃弾で瀕死の重傷を負った過去があるという。
「なぜに子供たちは、親を奪われねばならなかったのか」
「なぜに子供たちは、実の親の手で殺されなければならなかったのか」
 ラストシーンの慟哭そのものの語りはそれゆえであったか。

 懼れるべきは、他国に攻撃される可能性なのか?
 それとも、自国がファッショ化し、自国に心を殺される「今ここにある危機」なのか?


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多くの子供達が本土疎開のために乗った対馬丸は
アメリカの潜水艦によって撃沈された





おすすめ度 :★★★★

★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損


● 映画:『ひめゆりの塔』(今井正監督)

1953年東映
130分、モノクロ

 ドキュメンタリー映画の俊英、今井正監督による本作は、吉永小百合主演による1968年版(舛田利雄監督)とくらべると、やはりドキュメンタリー色が強く、全編リアリズムにあふれている。
 それはドラマ性が弱い、すなわちエンターテインメントとしてはいま一つということでもあるが、いったいに、「ひめゆり学徒隊の史実をエンターテインメントで語ることが許されるか!」という思いもある。
 物語の背景や人物関係がわかりやすく、随所に感動シーンがあり、映画として楽しめるのは68年舛田版。一方、豪雨の中での担架を抱えた部隊移動シーンや米軍による無差別爆撃シーンなど、「超」がつくくらいの写実主義に圧倒され、戦争の怖ろしさや悲惨さに言葉を失うほどの衝撃を受けるのが53年今井版である。

 出演者もまた、スター役者を揃えた舛田版にくらべると、本作でソルティがそれと名指しできる役者は、先生役の津島恵子と生徒役の香川京子以外は、藤田進と加藤嘉くらいしかいなかった。
 クレジットによると、渡辺美佐子、穂積隆信も出ているらしいが、気づかなかった。
 脚本は水木洋子、音楽は古関裕而である。
 当時、沖縄はまだ返還されていなかったので、東映の撮影所の野外セットと千葉県銚子市の海岸ロケで撮影されたという。(ウィキペディア『ひめゆりの塔』より)

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生徒たちと川遊びに興じる先生役の津島恵子
 
 すでに島の上空も海上も米軍にすっかり埋め尽くされているというのに、「大日本帝国は総攻撃により敵を撃退する。勝利は近い」と最後の最後まで国民をだまし続け、もはや敗戦が隠せなくなるや、「捕虜になるよりは国のために潔く死ね」と、国民を突き放す大本営。
 統一協会との癒着を隠し続け、安倍元首相の国葬を断行する今の自民党と、どこが違うのか!




おすすめ度 :★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損


 
 
 
 
 

● 映画:『あゝひめゆりの塔』(舛田利雄監督)

1968年日活
125分、白黒

 太平洋戦争終結間際の沖縄でのひめゆり学徒隊の悲劇を描いたドラマ。
 石原裕次郎主演の日活映画や『二百三高地』、『零戦燃ゆ』などの戦争大作、アニメ『宇宙戦艦ヤマト』シリーズなどで知られるヒットメーカー舛田利雄監督の手堅く迫力ある演出が際立つ。
 戦争ノンフィクションと人間ドラマとエンターテインメントの見事な融合である。

 主演の吉永小百合はじめ、浜田光夫、和泉雅子、二谷英明、渡哲也、乙羽信子、東野英治郎、中村翫右衛門などスター役者が揃って、1971年にロマンポルノに移行する前の日活最後の輝きといった趣きがある。
 藤竜也や音無美紀子や梶芽衣子(当時の芸名は太田雅子)もどこかに出ているらしいが気づかなかった。

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ひめゆり学徒隊に扮する吉永小百合(左)と和泉雅子(右)

 物語後半からは、B29による米軍の凄まじいじゅうたん爆撃に圧倒される。
 観ていて、日本軍相手ならまだしも民間人を容赦なく攻撃する米軍に対する憤りは当然感じるものの、それ以上に強いのは、このように民間人に多数の死者を出しても戦争をやめようとしない軍部に対する怒り、日本という国家に対する怒りである。
 サイパンを取られた時点で(本当はもっと前から)日本の敗戦は誰の目にも明らかだったのに、なぜそこで停戦講和に持ち込まなかったのか?
 本土決戦など言葉だけのきれいごとで、実際には本土蹂躙に等しかった。
 沖縄戦はじめ、本土爆撃、広島・長崎原爆投下・・・・どれだけの民間人の命が犠牲になったことか!

 昨年のコロナ禍での2020東京オリンピックでも、このたびの安部元首相国葬でも、日本という国は一度始めたことを止めることができない。
 その遂行がすでに無意味と分かってからも、益より害が大きいことが明らかになっても、国民の大多数が反対しても、政府は「聞く耳をもたない」。
 それは単純に、決めた予算の執行にかかわる問題とか関連企業の儲けとか政治家たちにわたる賄賂やリベートとか、そういった金銭的理由だけではない気がする。
 もっと根本的なところで、方向転換して改める力を欠いている。
 過ちを認められないエリートたちの宿痾なのか。
 それとも、合意形成の段階での曖昧な手続きが、いざ事態がまずくなったときに責任を引き受ける者の不在を招くのか。

 いずれにせよ、支配層の過ちのツケを払うのはいつも庶民であり、支配層は都合が悪くなるとコソコソと逃げ隠れる。
 ソルティが、戦争映画を観ていつも感じるのは、支配層に対する怒りである。
 敵対する国民――たとえばこの映画においてはアメリカ兵――に対する怒りではない。
 今回のロシア×ウクライナ戦争でも、各国の支配層と結びついたどれだけの軍需産業が儲けをふところにほくそ笑んでいるかと思うと、虫唾が走る。

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 吉永小百合は、日焼けも泥まみれや汗まみれも、ボロ着も歪んだ泣き顔も辞さない体当たりの熱演。
 沖縄の歌や踊りもそつなくこなしている。
 この役をたとえば十代の大竹しのぶがやったら、ずっとリアリティある圧巻演技になったろうなあ~と思うが、ひめゆりの名にふさわしく華があるのは小百合である。
 
 作家・石野径一郎による同名の原作は、1953年と1982年に今井正監督によって、1995年に神山征二郎監督によっても映画化されている。
 機会があったら見較べたい。





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