ソルティはかた、かく語りき

首都圏に住まうオス猫ブロガー。 還暦まで生きて、もはやバケ猫化している。 本を読み、映画を観て、音楽を聴いて、神社仏閣に詣で、 旅に出て、山に登って、瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

  繁田信一を読む

● 一番恥ずかしいこと 本:『殴り合う貴族たち』(繁田信一著)

2005年柏書房
2008年角川ソフィア文庫

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 光源氏や藤原道長に代表される王朝貴族たちにとって、考えられ得るもっとも恥ずかしいことは、帽子を取られて丁髷(チョンマゲ)を人目に晒されることであった。この時代の帽子とは冠や烏帽子のこと、チョンマゲとは髻(もとどり)のことである。

 平安時代の人々は、男性であっても、出家して僧侶になったりしない限り、髪の毛は長く伸ばしておくものであったが、成人した男性は、その長い髪の毛を頭頂部で束ねて丁髷のようにすることになっていた。これが「髻」と呼ばれたわけだが、この髻は冠や烏帽子(えぼし)などの被り物によってつねに他人の眼から隠しておくべきもので、これを人眼に晒すことは、現代人の感覚に置き換えてみると、人前でズボンがずり落ちて下着を見られてしまうくらいに恥ずかしいことであった。


 「見せパン」ファッションなんてものがある現代の若者にとって下着を見られるくらいどうってことないかもしれない。むしろ、パンツを脱がされたくらいの感覚か。
 実際、王朝貴族たちは愛する女性と一戦交えているときでさえ、下着は取っても帽子だけはとらなかったらしい。想像すると笑える。(庶民はどうか知らない) 

 時は万寿元年(1024年)、所は宮中紫宸殿。
 相撲観戦している後一条天皇はじめお歴々の面前で、二人の貴族が、お互いの髻をつかんで取っ組み合いの喧嘩を始めた。すなわち、互いの帽子を奪い合っての殴り合いである。
 現代に置き換えると、天皇皇后両陛下が主宰する園遊会で、内閣総理大臣はじめ大臣一同、政府要人、都道府県知事、叙勲者、各界の著名人らが参列する目の前で、二人の国会議員が裸で追っかけっこしているようなものか。
 恥知らずというか、傍若無人というか。
 
 しかも、このような恥知らずの暴力行為は、雅びをこととする平安貴族の世界で結構あったらしい。

 王朝時代に生きた現実の貴族たちは、さまざまな場面において頻繁に暴力事件を起こした。自宅で、他家で、路上で・・・・・。「王朝貴族」と呼ばれる貴公子たちは、いろいろなところで殴ったり蹴ったりの暴力行為に及んでいたのだ。ときには、宮中において、天皇の御前であることを憚らずに取っ組み合いをはじめることさえあった。

 本書は、道長や紫式部と同時代に生き、賢人の名声をほしいままにした右大臣藤原実資(小野宮右大臣)の書き残した日記『小右記』をもとに、王朝貴族(皇族含む)の起こしたさまざまな暴力沙汰を描き出したものである。映画なら「R15+」指定(15歳未満は入場禁止)がふさわしい。
 
 一読、『源氏物語』をはじめとする王朝女流文学に描き出されている貴公子たちのイメージはがらがらと崩れ落ちる。優雅で美しく、情緒を解し、歌や音楽を好み、ひたすら縁起を担ぎ、お洒落とナンパにうつつを抜かし、暴力とは縁のなさそうな色白でなよなよした優男(やさおとこ)――といったイメージの上流貴族たちは、どうやら物語の中だけの存在だったようである。
 本書に見られるのは、酒を飲んではつまらないことで場所柄もわきまえず喧嘩を始め、ごろつきばかりの従者を使って敵の屋敷を打ち壊し略奪し、女性を強姦し、祭りの見物席の取り合いで乱闘を起こし、気に食わない相手を拉致・監禁して集団暴行し、自分の家の前を通過する牛車に石つぶてを投げて震え上がらせ、庶民の行き来する白日の都大路で取っ組み合いを始める――まるで暴力団か半グレのような上流貴族たちの姿である。
 別記事『感情を出せない源氏の人びと 日本人の感情表現の歴史』(大塚ひかり著)で、王朝貴族たちの感情表現の特徴として、「感情(とくに怒り)を表に出さないことが上流の嗜み」と書いたけれど、あれはやっぱり物語上のこと、つまり、紫式部をはじめとする女流作家たちの理想の男像なのであろう。紫の上や六条御息所など『源氏物語』に登場する女性たちはともかく、光源氏や薫など少なくとも男の登場人物に限っては、式部の身の回りにいた現実の男たちとはまったくかけ離れている。その点では、『源氏物語』は写実小説でなくハーレクインロマンスあるいは宝塚なのだ。
  
 上流貴族や皇族たちがいとも簡単に暴力沙汰を起こしたのはなぜか。
 酒のせいもある。熾烈な権力争いのせいもある。主流からはじかれた者の怨恨・怨念もある。また、彼等が超法規的な立場にあったこともある。(たとえば、貴族が庶民を殺しても、庶民の女を拉致強姦しても罪にはならない。上位の貴族の蛮行に対して下位の貴族は泣き寝入りするほかない)
 が、彼らのわがままを助長させた見逃せない要因は、ボンボン育ちという点にあった。
 たとえば、とりわけ目に余る乱暴狼藉を繰り返したのは藤原道長の息子たちであったが、彼らは、「揃いも揃って、若い頃から何の苦労もなしに高い地位にあった」。
 
 道長の息子たちの昇任は、どうかすると光源氏のそれをも上回るような勢いであった。
 しかし、物語の主人公である光源氏とは異なり、彼らには生まれついての賢明さなどというものはなかった。そのため、彼らは自身で賢明さを身につけていかなければならなかったのである。だが、彼らの大半は、そうしなかった。そんなことをせずとも、父親の持つ権力がいくらでも高い地位を与えてくれたからである。
 かくして、御堂関白道長の息子たちの多くは、賢明さをかけらも持ち合わせていないような、幼稚な貴公子へと成長したのであった。


 どこかの国のボンボン権力者を思わせる記述だが、この世に「欠けたることなし」と歌った道長も、自分の息子たちの愚行ばかりはどうにもならなかったようである。


 
評価: ★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損




● 牛飼童の謎 本:『庶民たちの平安京』(繁田信一著)

2008年角川学芸出版

 『殴り合う貴族たち』の著者による同じ平安時代研究本。
 といっても、論文調のお堅いものではない。文章には若干まどるっこしいところはある(同じセンテンスを繰り返すなど)ものの、全般わかりやすく楽しく、興味深い読み物になっている。

 今回は平安京で暮らす庶民に焦点を当てている。
 王朝時代を牛耳った皇族や貴族ばかりに目を向けられることが多い中で、実際には人口の大半を占める庶民を取り上げた点が素晴らしい。『殴り合う』同様、繁田の新鮮な視点の持ち方がうかがえる。ソルティが好きな民俗研究家の筒井功に近いものを感じる。
 
 話の出どころとなるのは、同時代の貴族や役人が残した記録、いわゆる古文書である。清少納言『枕草子』、作者不詳の『大鏡』、藤原実資『小右記』など、よく知られている文献が出てきて親しみやすい。
 また、無実の罪で投獄された夫の釈放を求める『小犬丸妻秦吉子解(こいぬまるのつま・はたのよしこ・げ)』などは、なんと王朝時代の代表的法典『延喜式』の写本の裏紙に残されていたと言う。膨大な量の『延喜式』の写本を作るとき新しい紙をおろすのはもったいないので、裏白の反故紙を使った。『延喜式』が保存され今日まで残されていく過程で、裏に書かれていた一介の庶民の女性の声も同時に残されたのである。(内容は漢文で書かれていて論理も体裁もしっかりしている。女性の依頼により誰か学のある者が代筆したのではないかと繁田は憶測している)

 この小犬丸妻の話をはじめとし、清少納言が相手をした尼姿の下品な物乞いの話、牛車を引く牛の世話をする牛飼童と呼ばれる男たちの話、市場で十貫の銭で売られた赤ん坊の話など、大層面白く、庶民の闊達なパワーを感じる。牛飼童が、大人になっても元服せず、頭頂を隠すための烏帽子も被らず、姓も持たなかった(幼名で一生過ごした)とは初めて知った。  

不思議なことに、王朝時代において、牛の世話を職掌とする従者として貴族家に仕えることがあったのは、こうした疑似的に子供であり続けることを選んだ特殊な庶民男性たちだけであった。すなわち、普通に元服を迎えて普通に烏帽子を被っていた普通の庶民男性たちは、貴族家に奉公する身であったとしても、けっして牛の世話を仕事とする従者ではなかったようなのである。ことによると、牛の世話というのは、王朝時代の人々にとって、何か特別な意味を持つ特別な仕事だったのだろうか。


 なんとなくこの記述は、筒井功の『賤民と差別の起源 イチからエタへ』に通じる、つまり牛飼いという職業の「聖性と転落」の歴史を匂わせる。
 
 それぞれ別の貴族家に勤める牛飼童たちが、同じ職種同士の飲み会(いわゆる牛飼会?)を頻繁に開いていたというのも面白い。宴会の帰り道に、泥酔した牛飼童が荒れ果てていた右京の一角で人殺しをする話も出てくる。

 ドラマは貴族の回りにあるだけじゃない。


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牛のような、熊のような、象のような雲



評価: ★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
★     読み損、観て損、聴き損








● 昔も今も 本:『天皇たちの孤独 玉座から見た王朝時代』(繁田信一著)

2006年角川学芸出版

 『庶民たちの平安京』に続き、繁田信一の平安王朝ワールドに浸る。
 
 この著者の書くものは、これまで人があまり扱っていない王朝時代の題材を取り上げ、ユニークな切り口と斬新な視点で描き出すところに魅力がある。今回も、王朝最盛期の天皇たちに焦点を当て、華やかで輝かしい玉座の裏にある天皇たちの苦渋と孤独と不如意のさまを描き出している。
  
 取り上げられるのは、次の6名。

  • 一条天皇 ・・・『枕草子』では妻(定子中宮)と相思相愛の幸福な帝として登場するが、晩年は藤原道長・頼通の圧政の下、孤独と不如意をかこつ
  • 円融法王 ・・・一条帝の父親。一人息子の行く末を心配するも、藤原兼家の横暴に太刀打ちできず、息子と切り離される
  • 東三条院藤原詮子 ・・・一条天皇の母親。藤原兼家の娘にして道長の姉。皇女でもないのに上皇に准じる扱いを受けるという栄華の極みに達するも、当の息子からは疎まれる。
  • 花山法皇 ・・・一条天皇の前帝。藤原兼家の奸計により19歳で出家させられ玉座を退く。仏道修行に励もうと意気込むも、一条帝より横槍が入る。
  • 上東門院藤原彰子 ・・・一条天皇の后にして、藤原道長の娘。国母として女性最高の栄誉に浴す。11歳にして8つ歳上の一条天皇に鳴り物入りで嫁がされるも、当の主人は別の女(定子)に夢中で、孤独な十代を過ごす。
  • 三条天皇 ・・・一条天皇の後帝。強力な後ろ盾を持たず、一条帝から後一条帝につながる道長・頼通政権の下、つなぎ駒のごとないがしろにされる

 6名は一条天皇とゆかりの深い人たち、つまり、王朝時代の最盛期を担った藤原兼家――道隆・道長――頼通の三代にわたる摂関政治完成期を生きた天皇たちである。
 その意味で、この本はタイトル通り「天皇たちの孤独」に焦点を当てながらも、実際には、目的のためには手段を選ばない藤原北家一族の横暴のさまを、裏(玉座)から描いたものと言うことができる。
 
 親子、兄弟、姉妹、夫婦、叔父、叔母、甥、姪・・・血縁と婚姻によって成り立つ家族の絆というものが、権力闘争の渦中にあってはなんら安らぎと信頼をもたらすものにはなりえない、ということをつくづく感じる。(大塚家具の一件も想起)
 そうした一家族の家庭内紛争が政権の居所を左右し、天皇・貴族をはじめとする天下が振り回されたのが、この時代だったのである。(ある意味、宇宙レベルの家族喧嘩である『スター・ウォーズ』のハタ迷惑を思わせる)
 
 覇権こそが世の最大の幸福と信じ、家族の一員を自らの野望達成の駒とみなすのを当たり前とする一族の振る舞いに、生まれながらに巻き込まれ、最大最強の駒として使い尽くされた挙句、用がなくなれば捨てられる「玉座の主」に対して、お気の毒としか言いようがない。
 
 日本で一番孤独なのは、天皇陛下だと思う。
 昔も今も――。


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評価:★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損








● 絹一反=米何合? 本:『呪いの都 平安京 呪詛・呪術・陰陽師』(繁田信一著)

2006年吉川弘文館
2022年再版

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 もう愛読者の一人と言っていいだろう。
 王朝時代をネタにこれまでほとんど研究されてこなかったテーマ、それもユニークで斬新で極めて人間臭いテーマを、当時の文献をもとに紹介してくれる。
 それがことごとくソルティの壺にはまる。
 今回も、平安京を跋扈した陰陽師たちの呪詛・呪術について様々な視点から解き明かして、興味は尽きない。

呪詛――王朝時代の権力の亡者たちは、しばしば政敵を追い落とす手段として呪詛を選んだ。貴人の流血を忌避する平安貴族たちは、呪詛という陰湿な方法をもって競争相手を葬り去ろうとしたのである。呪詛、それは静かで邪悪な実力行使であった。
 そして、平安時代中期の貴族層たちの陰謀に荷担して呪詛を実行したのは、多くの場合、陰陽師であった。(本書より引用、以下同)

 陰陽師と言えば羽生結弦、もとい安倍晴明である。
 天皇や藤原道長など時の権力者の信任篤く、自らも上級貴族の一員であった安倍晴明が、得意の呪術を用いて妖魔退治や宿敵・蘆屋道満と呪力合戦するというイメージが強いが、これはフィクションの世界のことであって、史実上の晴明が呪詛を行なったり式神を操ったりした記録は残っていないという。
 晴明は官人すなわち国家公務員であって、官人は呪詛することが禁じられていたからである。
 官人陰陽師の基本的な仕事は、卜占、暦の作成、天文学、時刻の計測などであった。
 呪詛を行なったのは、自ら頭を剃り勝手に法師を名乗る民間の僧侶(私度僧)であり、これを法師陰陽師という。
 道満もまたそうした一人であったと目される。

 平安京には呪詛を請け負う法師陰陽師がたくさんいたらしい。
 殺生を忌む仏教の影響が強く、刃傷沙汰のような実力行使を起こしにくかったこともあろうが、まず陰湿な世界である。
 この時代もっとも呪詛の標的にされた人物が、ほかならぬ道長であった理由を説明する必要はないだろう。
 呪詛はたいてい下位の身分の力の弱い者が、上位の身分の力の強い者に対し、密かに行うのである。

 本書では法師陰陽師たちがどのような方法で呪詛を行なったかが、具体的に記されていて面白い。
 一般的に、陰陽師が作成した呪物(文字が書かれた器、頭髪、呪符など)を狙った相手の住居の敷地に埋めるか、井戸に投げ込むという方法がとられたらしい。
 呪物が見つかって、呪詛の依頼者や引き受けた陰陽師が特定されると、彼らは処罰された。
 いったんかけられた呪詛はそのままにしておくわけにはいかないので、呪詛返しあるいは呪詛の効力を無くすための禊払いが行われる。
 この禊払いは晴明のような官人陰陽師もやっていたようだ。

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 本書の冒頭で、『僧円能等を勘問せる日記』という当時の文書が紹介されている。
 寛弘6年(1009年)2月、一条天皇の御代に内裏で呪物が見つかり、上を下への大騒ぎとなった。
 呪詛をしかけた陰陽師がまもなく捕まった。それが円能である。
 上記の文書は、検非違使によって取り調べを受けた円能の供述調書なのである。
 
 それによると、円能が呪詛をかけた相手は、一条天皇の中宮・彰子、第二皇子の敦広親王、左大臣藤原道長の3人だった。
 望月の如き“欠けたるもの無き”権力者・道長とその実の娘と孫、親子三代に対して呪詛がかけられたのである。
 この恐れ知らずの所行を企んだ張本人として円能がその名を白状したのは、道長の亡兄・藤原道隆の息子、つまり道長の甥にあたる藤原伊周(これちか)の取り巻き4名であった。
 取り調べの結果、円能は禁錮刑に処せられ、伊周は4ヶ月の参内停止、伊周の母方の叔母・高階光子と伊周の妻の兄弟である源方理は官位を奪われた。光子は行方をくらました。
 伊周はこの呪詛事件により完膚なきまでに力を削がれたのであった。

 藤原道隆亡き後の道長と伊周の執権・関白の座をめぐる争いは有名で、その激しい抗争の中で、伊周の妹であり一条天皇の愛姫であった皇后・定子が悲惨な境遇に追いやられていったさまは、定子に仕えた清少納言の『枕草子』を読むと感得できる。
 道長は勝つためなら手段を選ばない強引にして抜け目ない策略家であった。
 本書の記述からでは推測の域を出ないが、ソルティはなんとなくこの事件は陰謀めいた感じがする。
 つまり、呪術による政権奪取を目指した伊周一派によるなんとも頼りない陰謀と言うのではなくて、目障り至極な伊周一派を徹底的に排除するために道長自身が仕掛けた陰謀という意味である。

 この事件のキーパーソンであり自白をした陰陽師・円能が、本来なら絞首刑になるところを免れて禁固刑で済んだこと、しかもわずか1年10ヶ月で釈放されたことなど、なんとなく裏があるような気がしてならない。(禁固と言ったところでどんなものか不明。庶民の囚人と同様の処遇を受けたとは限らない)
 ソルティの道長仕掛け人説の一番の根拠とするのは、藤原道長という人はそもそも呪術を本気で信じて恐がるような人だったろうか?――という点にある。
 出典は覚えていないが(『大鏡』だったか?)、この人は若い頃に内裏で肝試しがあったとき、兄の道隆・道兼は恐がって途中で引き返してきたのに、平気で化け物の出るという大極殿まで一人で歩いて行って証拠の品を持ち帰ったという武勇伝がある。
 呪術なんかに怯えるタマだろうか?

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 本書の魅力は他にもある。
 一つは、「王朝物価一覧」というのが掲載されていること。
 貨幣が一般に流通していなかった当時、物々交換とくに米や塩や布を貨幣の代わりにすることが多かった。
 『源氏物語』や『枕草子』を読んでいると、なにか覚えのめでたいことをした者に対し、上位の者が衣装や絹を賜わる場面がよく出てくる。
 その際、「これはどのくらいの価値があるんだろう?」、「もらってどれほど嬉しいものなのだろう?」という疑問をいつも抱いていた。
 この王朝物価一覧によると、絹1疋(=2反=着物2人分)は1000~2000文にあたり、1石(=10斗=100升=1000合)の米に相当する。一日5合食べる家族の場合、200日分である。
 結構な褒美じゃないか!
 また、絹一疋で馬2~3頭と交換できる。

 こういったことを知ると、王朝時代の文学作品などを読むとき、ずっと理解が深まる。
 たとえば、『今昔物語』に有名な『わらしべ長者』は、1本のわらしべが、ミカン→絹1反→弱った馬1頭→長者の屋敷、と変わっていく。
 ミカンから絹への変化で有頂天になった主人公が、次の弱った馬1頭でガックリくる理由が、この物価一覧で理解できよう。

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王朝物価一覧

 本書のもう一つの魅力は、あとがきの後に置かれた『補論 呪禁師のいない平安時代』という一文。
 おそらく、初版にはなく今回の再版のために書き下ろしたものと思われるが、呪禁師(じゅごんし)という存在が律令制度の中に位置づけられていたのをはじめて知った。
 日本の律令制度は奈良時代に唐のそれをまねて作られたので、もともとの唐の律令制度の中にこの役職があったのだという。
 陰陽師が実際には呪術とは無関係な官職であったのにくらべ、呪禁師はまさに呪術を職掌としていた。
 それが、平安時代にはほぼ形骸化して名前ばかりの役職になっていた。
 日本ではなぜ呪禁師が機能しなかったのか。
 その理由の検討が興味深い。
 このあたり、そのうち稿を新たに追究してほしいところである。

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おすすめ度 :★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損


● 一回100万円ほどになります 本:『日本の呪術』(繁田信一著)


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2021年MdN新書

 MdNとは(株)エムディエヌコーポレーションのこと。
 1992年に設立した出版社で、「雑誌・書籍・ムック・インターネット・イベントを通して、グラフィックデザインやWebデザインのノウハウと可能性を伝える」(MdN公式ホームページより抜粋)
 『大人の塗り絵』シリーズやデザイン関係の書籍を多数刊行している。

 本書は、同じ著者による『呪いの都 平安京 呪詛・呪術・陰陽師』(吉川弘文館)同様、王朝時代を中心とした本邦の呪術に関する研究書&解説書である。
 繁田は他にも『平安貴族と陰陽師』『安倍晴明』など同じテーマの本をいくつか出している。
 このテーマがよほど好きなのだろう。

 例によって、『今昔物語』『小右記』『御堂関白記』『大鏡』『紫式部日記』『枕草子』といった幅広い歴史書、古典文学の精読をもとに、平安時代の陰陽師や密教僧による呪術の様子が浮き彫りにされていく。
 そもそもがマニア受けするオカルティックな話題で面白いエピソード豊富な上に、古文は適切に現代語訳され、各章末に「家庭の呪術」を紹介するコラムがついているなど、気軽に読めるものに仕上がっている。(時折、著者の癖なのか、回りくどい文章が気になる。「二度言うな」って突っ込みたくなる)

 一回の呪術に対して術者に支払われた報酬を現代の物価に換算するなど、生活に根差した具体的な記述が興味深かった。
 それによると、貴族の依頼に応じて民間の陰陽師(法師陰陽師)が呪術を行なう場合、一回100万円ほどの報酬が見込まれたというから、実にいい商売である。
 すでに僧侶として修業中の自分の息子を改めて陰陽師に転職させるかどうかで迷う貴族の父親の話が出てくるが、なんとも生臭くて人間的!(笑)
 相談された見識ある僧侶は、当然、これに反対する。

僧侶が仏法を離れて外法に携わるというのは、末永く仏の教えを捨てることなのです。
・・・・陰陽師になるというのは、地獄に堕ちる契機なのです。 

 安倍晴明のような選ばれた数少ない官人陰陽師は別として、民間の法師陰陽師はいかがわしく罪深い存在とみなされていたらしい。(この回答を聞いた父親がどう判断したかは残念ながら書かれていない)
 
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官人陰陽師の代表・安倍晴明(左)と
民間陰陽師の代表・蘆屋道満(右)

 最終章において著者は、現代日本人の呪術への憧れについて、“人を呪い殺したくなったことがある”自分自身を顧みながら分析し、その本質を「自分だけのズルへの憧れ」と述べている。

 少なくとも、著者の場合は、この現代日本において、自分だけが呪術を使える身になりたいのであって、現代の日本が、突如として、誰もが当たり前のように呪術を使える世界に変わってしまうことなど、これっぽっちも望んでいないし、また、誰もが当たり前のように呪術を使える異世界へと、著者自身が赴くことなども、少しも望んでいない。そんな世界は、むしろ、願い下げである。

 自分にとって邪魔な人間、憎い相手を呪い殺しても、今の法律では罰せられることはない。
 狙った獲物を相手にそれと気づかせることなしに思い通りにできる。
 手に縄が掛けられるおそれなく野望が果たせる。  
 「透明人間になれたら・・・」というエッチな下心を含む願いと同じようなものだろう。
 
 ソルティは実在する霊能者・寺尾玲子の活躍を描いた『ほん怖コミック』(朝日新聞出版発行)をたまに読むのだが、実によく呪術の話が出てくる。
 誰かの仕掛けた呪術によって日夜苦しめられている読者からの霊障相談を、寺尾玲子が驚異的な霊能力を用いて術者と術式を見抜き、様々な方法を用いて解決するという筋書きである。
 これがノンフィクションであってみれば、科学万能の現代日本でもかなり頻繁に呪術が行われているんだなあと変に感心する。 
 王朝時代も江戸時代も現代も、「ズルしたい」という人間の本質は基本変わっていないので、あって当然というべきなのだろうが。

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 考えてみれば、テーラワーダ仏教に伝わる「慈悲の瞑想」の効用をそれなりに信じて実践しているソルティもまた、呪術というかまじないを信じているのである。
 違いは、相手の不幸を願う代わりに幸福を願うところ。
 自分を害するような憎い相手、嫌いな相手の幸福を願うのは難しいところであるが、これにはそれなりの理屈がある。
 一つには、昔からよく言うように「人を呪わば穴二つ」、つまり呪術は必ず仕掛ける人間自身に何らかの形で戻って来て害をなすからである。
 人を呪うというその気持ち自体がすでに術者の中にマイナスエネルギーを生みだし、溜め込んでいく。
 それは術者の心身に悪い影響を及ぼすだけでなく、「類は友を呼ぶ」という言葉通り周囲の同じような悪いエネルギーと共鳴し合い、引き寄せてしまう。
 単純に言っても、顔つきが悪くなる。
 自分を呪う相手を呪い返すことは、自分もまたマイナスエネルギーの世界に足を踏み入れてしまうことになる。
 相手の思うつぼである。
 
 いま一つは、人が呪術に頼るほど誰かを恨んだり憎んだりしているとき、その人間は不幸のどん底にいるわけである。
 なので、自らに仕掛けられた呪術を解くには、仕掛けた相手に幸福になってもらうのが一番の得策であって、それには慈悲のエネルギーを相手に送るのが良い。
 柔よく剛を制す。
 
 ――というようなことをどこかで信じているのだから、ソルティも王朝時代の人々とたいして変わりなく、迷信深く、非科学的で、お目出たいのだろう。
 もちろん令和の現代では、ままならない周囲の状況を変えるには「ズルをする」という手だけでなく、ネットで問題提起するなり、味方を集めて運動や裁判を起こすなり、メディアを利用して世論を形成するなり、合理的で合法的な手段がある。
 それこそ、選挙権は日本のすべての成人に平等に与えられている呪符といったところ。
 無駄にしてはいけない。(おあとがよろしいようで)




おすすめ度 :★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
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★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
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● 柄本佑の鼻の色 本:『孫の孫が語る藤原道長』(繁田信一著)

2023年吉川弘文館

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 2024年のNHK大河ドラマ『光る君へ』の主人公は紫式部(吉高由里子)で、「望月」の権力者・藤原道長(柄本佑)との関係がドラマの主軸となるようである。
 式部の主人であった中宮彰子、ライバル関係にあった清少納言や皇后定子、当代最強の陰陽師安倍晴明、のちに名君と仰がれた一条天皇なども登場するのだろう。
 王朝ファンの一人として楽しみである。
 王朝時代研究家で多数の本を書いている繁田信一の周囲が賑々しくなるであろうことは、まず間違いあるまい。
 繁田信一カテを立てた。

 藤原道長(966-1028)の孫の孫とは、藤原忠実(ただざね)である。
 生没年は(1079-1162)だから、道長とは約100年の隔たりがある。
 藤原北家の嫡流として摂政・関白・太政大臣をつとめ栄華を極めたものの、保元の乱(1156)では実の息子忠通と対立し崇徳上皇方についたため敗北・失脚し、晩年は平安京北郊の知足院に幽閉され、そこで最期を迎えた。
 時代は武士の世に変わりつつあった。
 幽閉の身にあった忠実は、折に触れ、家司である側近2人に昔話――代々伝わってきた偉大な先祖、道長・頼通をめぐる逸話――を披露した。
 それらは、道長・頼通の身内だからこそ知り得る、また彼らと同じ身分だからこそ話せるプライベートな、忖度のないものであった。 
 それが中原師元著『中外抄』、高階伸行著『富家語』として今日まで伝わっている。
 本書(副題「百年後から見た王朝時代」)は、この2つの作品に残された忠実の言葉を通して、華やかなりし王朝時代最盛期を、これまでとはちょっと違った角度から描いてみようという試みである。

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御所のあった南に位置する神泉苑
度々ここで雨乞い儀式が行われた

 「プライべートで、忖度のない」という評が一番現れているのは、藤原道長の容貌に関する話であろう。
 道長はどうやらハンサムとは程遠く、鼻の先や頬骨などが紅をつけたように赤かったらしい。
 公式の記録やほかの貴族が残した日記などでは書かれなかった真実である。
 王朝時代の人物で「鼻先が赤い」と言えばすぐに思いつくのが、それこそ紫式部『源氏物語』の登場人物、末摘花であろう。
 何度か床を共にしたあと初めて彼女の顔を見た光源氏は、その容姿を「みっともない」と心のうちで嘆じた。
 ここからだけでも、『末摘花』の巻が、少なくとも紫式部が道長の娘彰子に仕える前に書かれたことが明らかである。
 みずからの主人の父親で、時の最高権力者の容貌を愚弄するような物語など書けるわけがない。
 それとも、それを笑い飛ばすくらいに道長は大らかだったのか?
 あるいは、道長と紫式部は遠慮ない間柄だったのか?

 ほかにも、道長が常に北を向いて手を洗っていたとか、穢れや凶日の慣習をたいして気にしていなかったとか、老いたる者の「色」である白の衣装を好んで着ていたとか・・・。
 あるいは、息子の頼通が異常なほど寒がりであったとか、客人の牛車を勝手に乗り回していたとか、癇癪持ちでささいなことで食膳を引っくり返したとか・・・。
 あるいは、当時の貴族たちは天皇の本当の名前を知らないのが普通だったとか。(しかし現代でも、たとえば令和天皇の本当の名前がすぐに出てくる人は少ないかもしれない――徳仁なるひとである)
 トリビアで面白いエピソードがふんだんにある。

 さすがに、本書を読んで、NHKが道長=柄本佑の鼻を赤く塗ることはないと思う。
 頼通は男色で有名だったはずだが、そこはLGBTムーブメントの盛んな折り、とり入れるかもしれない。
 本書中、道長が「謎の童随身(わらわずいしん)」を侍らせていたエピソードがある。
 ソルティ思うに、これは衆道相手ではないかしらん?
 道長がゲイあるいはバイだったというのではなく、当時男色はありがちだったろう。 
 繁田信一にはいつか、『王朝時代のBL事情』を書いてもらいたいものだ。
 ヘテロ男子には難しいかな?




おすすめ度 :★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
★     読み損、観て損、聴き損







● 光る君の源 本:『紫式部の父親たち』(繁田信一著)

2010年笠間書院

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表紙は、西原祐信画・藤原為時像

 NHK大河ドラマ『光る君へ』は紫式部(演・吉高由里子)を主人公とする平安王朝ドラマ。
 この時代が好きなソルティ、毎回興味深く視聴している。
 貴族の華やかな生活ぶり、宮殿や寝殿造の構造やしつらい、十二単に代表される衣装の美しさ、摂政関白の地位をめぐる上級貴族たちの権謀術数、後宮の女房たち(紫式部も清少納言もその一人)のガールズトーク、宮中の年中行事や儀式の時代考証、歴史書に書かれた逸話をどう脚色しているか、もちろん演出や俳優たちの演技・・・・等々、いろんな着眼ポイントがあって楽しみが尽きない。

 ここまで数回観てきて、「えっ、そうなの?」と意外な感を打たれた一番は、紫式部の実家の貧乏ぶりである。
 紫式部の父親の藤原為時(演・岸谷五朗)は、藤原北家の流れを汲み、このドラマのもう一人の主人公である藤原道長(演・柄本拓)と同じく、家系図をさかのぼれば淳和朝における左大臣藤原冬嗣につながる。
 つまり、名門なのである。
 世に浮き沈みはあるものの、代々貴族として朝廷に仕えてきた家柄なのだから、紫式部は生まれながらのセレブでリッチなお嬢様で、道長一家のような上級貴族には到底及ばぬものの、それなりに優雅な暮らしを享受していたと思っていた。
 それがドラマでは、あちこちガタのきた雨漏りする屋敷に棲み、それを修繕する費用もなく、次々と奉公人に逃げられ、生活費を工面するために式部の母親は自らの着物を売る。式部もいつも同じ服を着ている。
 それはまるで『源氏物語』に出て来る旧家のお姫様、末摘花のよう。 
 どこまで史実なのかは分からないが、「貴族=リッチ」というイメージがあったので、虚をつかれた。

 藤原為時は従五位下という位を朝廷から授けられ、法的な意味で「貴族」に列せられた。と同時に、越前守という地位と権威と莫大な富を得られる受領職を与えられた。
 が、為時がその官職を得たのは、道長が最高権力者になった長徳2年(996年)のことであり、為時すでに47歳、現代で言えば老齢もいいところ。
 それまでの10年間、為時は「散位(さんに)」、つまり官職のないプータロー状態にあったのである。
 現代ならば、無職になったら、ハローワークに通うなり、縁者を頼るなり、求人広告に応募するなりして、ほかの仕事を見つけて糊口をしのぎながら、虎視眈々とリベンジの機会を待てばいいが、平安時代の貴族の末裔たる者、そうはいかない。
 無職になったからといって京の都で干し魚売りでも始めようものなら、都じゅうの笑い者。先祖に顔向けできず、二度とこの先、宮中に出仕する機会など訪れまい。
 つまり、官職を得られなかった下級・中級貴族たちは、よほどの裕福な縁者でもいない限り、貧しい暮らしを余儀なくされたわけである。

 当時の中級貴族たちを取り巻いていた確実ながらも過酷な現実として、朝廷にとって特に意味のある一部の官職に就いている者にしか、朝廷からの俸給は期待できないことになっていたのであった。(本書より、以下同)

 紫式部の父親の藤原為時は、かなり腑甲斐ない父親であった。紫式部が十七歳になった頃に失脚した彼は、それから十年もの長きに渡って、何の官職もない散位の生活を続けたのである。そして、それゆえに、紫式部という女性は、当時の貴族女性にとっての結婚適齢期であった十歳代後半から二十代前半までの大切な時期を、失脚中のうらぶれた中級貴族の娘として過ごさざるを得なかったのであり、そうした事情から、当時の貴族女性には珍しく、三十路に踏み入る直前まで結婚することができなかったのであった。

紫式部
紫式部(土佐光起画、石山寺蔵)

 本書は、藤原明衡(ふじわらのあきひら、989?-1066)という貴族が編纂した『雲州消息』をもとに、王朝時代の文人貴族たちの日常生活や生活感情のありようを伝えてくれる、歴史風俗研究エッセイ。
 『雲州消息』は、「王朝時代の貴族層の人々がしたためた手紙を二百余通も収録する、大部の書簡集」であり、「日本で最初の手紙の書き方」マニュアルである。
 そこには紫式部の父親のような「詩人であり、文章家であり、学者でもあった」文人貴族たちの手紙が数多く含まれていて、その生活実態や喜怒哀楽や同じ文人貴族である友人・知人との交流の様子をうかがい知ることができる。
 著者の繁田信は、これまでにもユニークな視点から王朝時代を紹介する本を多数書いているが、本書もまた、これまであまり光の当てられなかった下級・中級の文人貴族という“種族”をテーマに取り上げてくれた。
 漢学(中国文学)の素養を必須とし、酒と詩歌を好み、学問の研鑽怠らず、ひたすらに官職とくに金持ちになれる受領職を望み、陰陽師に吉凶や事の正否を占わせ、いったん受領になれば周囲からの様々な難題や誘惑に振り回される。
 きわめて人間臭い文人貴族たちの姿が描き出されている。
 王朝ファンの一人として、出版を感謝したい。

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京都伏見稲荷神社

 大河ドラマ『光る君へ』において、現時点で、藤原為時は東宮・師貞親王のちの花山天皇(演:本郷奏多)の側近を務めている。
 花山天皇はいささか風狂な人であったらしく、とくに色好みで知られた。
 『大鏡』によれば、藤原道長の父である関白・藤原兼家(演・段田安則)の権謀術数により出家をすすめられて退位し、その結果、兼家の孫である懐仁親王が即位し、一条天皇となる。
 これにより、道長天下につづく布石が打たれたわけだ。
 花山天皇の退位と共に、為時は任を解かれ、一転、もとのプータローに突き落とされる。

 もし花山天皇が長く王座にあったならば、そして、もし藤原為時が花山天皇の側近として公卿(ソルティ注:上級貴族)にまで出世していたならば、われわれ現代人が王朝物語の最高傑作として享受している『源氏物語』も、この世には出現していなかったかもしれない。というのも、さしもの紫式部も、もし上級貴族の姫君としての人生を手に入れてしまっていたらならば、文筆によって自己実現を果たそうとはしなかったように思われるからである。

 貧乏が『光る君』を生んだのである。




おすすめ度 :★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
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● 実資、焦る  本:『かぐや姫の結婚』(繁田信一著)

2008年PHP研究所

 NHK大河ドラマ『光る君へ』で藤原実資(さねすけ)を演じているロバート秋山こと秋山竜次が話題になっている。
 なるほど平安貴族っぽいふっくらした顔立ち、金満家らしいでっぷりと貫禄ある体型、そして大まかに見えて実は几帳面なキャラは、藤原道長・頼通全盛期にあってなお、右大臣にまで登りつめた実資にふさわしい。
 とは思うものの、それでも、「あのガングロ(顔黒)はないだろ!」と観るたびに呟くのである。

 賢人右府と呼ばれ、宮廷儀式や政務に詳しく、道長や頼通でさえ一目も二目も置かざるを得なかったこの大人物はまた、ドラマの中で家人に揶揄されている通り、記録魔であった。
 実資が60年以上書き綴った日記『小右記』あればこそ、歴史学者や古典文学研究者は平安時代の貴族の暮らしぶりや宮中や洛中の出来事を知ることができるのであり、ソルティのような平安王朝ファンは失われたセレブの日常に思いを馳せることが叶うのである。

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 本書は副題そのままに、『日記が語る平安姫君の縁談事情』を描いたものである。
 ここで「日記」というのがほかならぬ藤原実資の『小右記』であり、「平安姫君」というのが実資55歳のときに授かった女子、藤原千古(ちふる)である。
 年をとってからできた娘だからというだけでなく、それ以前に二人の娘を幼くして亡くしていた実資にとって、千古はそれこそ掌中の珠、鼻の穴に入れても痛くない宝物であった。
 清少納言が『枕草子』の中で褒めたたえた小野宮第という洛中随一の豪邸で、千古はなに不自由なく、実資を筆頭とする家人すべてに甘やかされて育った。
 世間が彼女を「かぐや姫」と呼んだことからも、それは察しられよう。

 本書は、繁田信一のほかの著書同様、平安王朝時代に材をとった歴史書・研究書ではあるけれど、同時に藤原千古という上流貴族のお姫様の生涯を辿った伝記でもあり、娘を愛する父親のいつの世も変わらぬ涙ぐましい親馬鹿ぶりを描いた家族愛の物語でもある。
 だから、とっても感情を揺さぶられる。
 これまでに読んだ繁田の本の中では一番面白かったし、心なしか繁田の筆も乗っているようである。

黄色いアイリス

 「かぐや姫」というニックネームがまさに言いえて妙なのは、千古は――というより実資は、娘の結婚相手を選ぶのにとても悩み苦労したからである。
 莫大な富をもつ上流貴族の娘の嫁ぎ先としてもっとも望ましいのは、言うまでもなく、皇室入りして妃となることである。
 右大臣の娘ともなれば、天皇や皇太子に入内し、世継ぎを産み、将来の国母となるのも夢ではない。
 実資ほどの財と地位と信頼があれば、それは万人が納得する選択であった。

 しかし、ときは道長の絶頂期、「この世をば」の頃である。
 道長の娘以外が皇室入りすることは事実上あり得なかった。
 たとえ、強引に入内させたとしても、後宮で道長側の嫌がらせを受けるのは目に見えている。
 それは、道長の兄・藤原道隆の娘で一条天皇の后となった定子(演・高畑充希)が、父親亡き後たどった悲劇を見れば、この時代のだれもが暗黙のうち了解していた。
 老い先短い実資にしてみれば、自らが亡くなったあとのことを考えれば、可愛い娘を下手に皇室に入れて針の筵に置くよりも、将来が約束されている公達にめあわせたい――そう考えるのが道理である。

 となると、選択肢は狭まる。
 最高権力者である道長の息子、あるいは次の権力者であることが約束されている頼通の息子で、いまだ正妻を持っていない貴公子から選ぶに如くはない。
 また、道長側にとっても、「目の上のたんこぶ」のような実資と縁談という手段で手を組むのは悪い話でなかった。
 なんといっても、千古には実資から相続した莫大な財産がついている。

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(本書17ページより転載)

 そんなわけで、「かぐや姫」の最初の縁談は、藤原頼通の息子(といっても養子である)の源師房(もろふさ)との間に持ち上がった。
 師房は、頼通の正妻の弟で16歳だった。
 だが、これがどういう事情からかはっきり判明しないのだが(実資日記には書かれていない)うまくいかなかった。(繁田は千古と幼馴染の男との恋が原因と推測している)
 師房は結局、千古を振って、道長と第二夫人源明子の間に生まれた隆子と結婚してしまう。
 このとき千古はまだ13歳。
 焦ることもなかった。

 次の縁談が持ちあがったのは2年後、千古15歳のとき。
 お相手は道長の実の息子長家(明子腹)である。
 将来有望な21歳で、年齢的にもちょうど良い。
 この縁談には、道長も実資も最初から大乗り気であった。
 何ら障害となるものは無かったのに、2年待たされた挙句、結局この話も流れてしまう。
 実は、長家は初婚ではなく、すでに二人の正妻を見送っていた寡夫であった。
 二人目の妻を亡くしたショックから立ち直れない長家は、父である道長や母である明子に催促されながらも、千古との結婚に踏み切れなかったのである。
 2年間、蛇の生殺し状態におかれ、実資も「これは縁が無かった」と諦めることになる。
 (なんとなく、あくまでも千古の入内を阻むための道長と正妻倫子の策略のような気がするのはソルティだけか)

 そうこうするうちに19歳になってしまった千古。
 当時ならそろそろ“婚期を逸する”年齢である。
 実資もようやく焦り始めた。
 3番目の縁談相手は、道長の孫にあたる兼頼で、千古より3つ年下の16歳であった。
 道長と明子の長男頼宗の息子である。
 妾妻とはいえ、政略に役立つ息子や娘をたくさん産み育てた明子は、それだけでも道長にとって実にいい細君だったのである。

 年貢の納め時というわけでもあるまいが、ついにこのあたりで実資も手を打たなければならなかった。
 頼通の息子である師房、道長の息子である長家にくらべれば、道長の妾腹の孫に過ぎない頼宗は将来の展望という点では劣るけれど、これを逃したら千古はほんとうに行き遅れてしまう。
 実資が死んだら、娘を後見して財産を守り、生涯の安寧を保障してくれる男がいなくなる。
 長元2年(1029)11月26日、千古と頼宗は結婚した。
 実資は70歳を過ぎていた。
 
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 千古が“お年頃”になってから無事結婚するまでの実資の心情を思うと、とりわけロバート秋山を実資に見立てて右往左往する様を想像すると、なんとも滑稽にして憐れなばかりである。
 だが、娘が結婚できず売れ残りになってしまうことは、つい最近まで(昭和バブルくらいまでか?)体裁の悪いことだった。
 オールドミスとかクリスマスケーキ(25までしか売れない)なんて、ひどいセクハラチックな言葉も日常的に飛び交っていた。
 女性が就職するのは婿探しのため、結婚したら仕事を辞めて家庭に入るのが当たり前という時代、つまり女性の職業的自立が難しかった時代、一家の父親は愛する娘をそれなりに安定した収入ある堅実な男にもらってほしかった。
 女が一人で生きていくことは、令和の今では考えられないほど大変だったのである。

 これが王朝時代の貴族階級ともなると、現実はもっと過酷である。
 後見してくれる力と財のある夫や親兄弟を亡くした女性は、そのときから浮舟のように世間の荒波に押し流されるほかなかった。
 本書では、道長・頼通全盛時代に後ろ楯となる父親や夫を失った貴族の姫君が落ちぶれていく様子が描かれている。

 たとえば、『光る君へ』に登場する藤原伊周(これちか)は叔父である道長との政争に破れ、一気に転落していくのだが、伊周亡くなったあと残された娘の一人は、なんと道長の娘で一条帝の中宮となった彰子の女房として仕えさせられたのである。
 つまり、紫式部や和泉式部と一緒に後宮で働かされたということだ。
 叔母である定子皇后を貶め、父親である伊周を蹴落とした憎き道長。その娘に奉公しなければならなくなった彼女の心情はいかばかりであったろうか。
 しかも、大宰府に流され大宰権帥(だざいのごんのそち)となった伊周の官名をもじって「帥殿(そちどの)の御方」と呼称されたというから残酷である。

 また、道長の実兄で急逝したため「七日関白」と言われた藤原道兼(演・玉置玲央)の娘もまた、道長と倫子の娘で後一条天皇の后となった威子(たけこ)のもとに出仕させられている。
 「二条殿の御方」と呼ばれ自らに仕える十人の女房とともに出仕した道兼の娘は、まだ伊周の娘と比べれば待遇的にはマシだったのかもしれない。
 それでも、押しも押されもせぬ上流階級の姫君で、将来は皇室入りを前提に、いわゆる「后がね」として大切に育てられたはずの女性が、血のつながった親戚の女子(いとこである!)のもとに奉公しなければならない屈辱は相当なものだったはず。
 これだけ見ても、藤原道長や道長の姉である詮子(演・吉田羊)がいかに横暴であったかが分かろうものである。(あるいは、寄る辺を失ったかつての仇敵の娘の暮らしを保障する温情だったのか?)
 ほかにも、藤原兼家(演・段田安則)の謀略にかかって出家を余儀なくされた花山法皇の実の娘、つまり正真正銘の皇女が、やはり彰子の女房になったエピソードも語られている。

 いやはや、後ろ楯のない貴族の女性にはほんとうに生き難い時代だったのだ。
 さればこそ、そうした周囲の女性たちの不運や不如意を見続けた紫式部は、『源氏物語』を書こうと思ったのだろう。
 男という流れにまかせて漂うばかりの女のさだめを疎んじた浮舟は、出家するほかなかったのである。
 
紫式部
紫式部



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