ソルティはかた、かく語りき

東京近郊に住まうオス猫である。 半世紀以上生き延びて、もはやバケ猫化しているとの噂あり。 本を読んで、映画を観て、音楽を聴いて、芝居や落語に興じ、 旅に出て、山に登って、仏教を学んで瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

  アンソニー・ホロヴィッツを読む

● ヴィクトリア朝的 本:『シャーロック・ホームズ 絹の家』(アンソニー・ホロヴィッツ著)

2011年原著刊行
2013年(株)KADOKAWAより邦訳発行
2015年文庫化

 名探偵ホームズのパスティーシュ。
 著者はむろん、アーサー・コナン・ドイルではなく、1955年生まれロンドン在住の作家である。

パスティーシュ(仏: pastiche)は、作風の模倣のこと。音楽・美術・文学などにおいて、先行する作品の要素を模倣したり、寄せ集め、混成すること。(ウィキペディア「パスティーシュ」より抜粋)

 ホームズものを完読しているシャーロキアンたちは、もはや新作が読めない悲しさを才能ある作家のパスティーシュによってかろうじて慰めることができる。
 ホロヴィッツの才能はなかなかのもので、ホームズとワトスンのキャラクター造形が原作に忠実で、「こんなのホームズじゃない!」「ワトスンはこんな馬鹿(あるいは利口)じゃない!」といった苛立ちをまったく感じさせなかったばかりでなく、ミステリーとしても上出来である。平行して起こる二つの異様な事件をうまく組み合わせて、ホームズを牢獄に送り込みそこから鮮やかに脱走させるといったスリル満点のプロットを紡ぎだし、意外な犯人や衝撃の結末にも事欠かない。

 シャーロキアンにはおなじみの愛すべき人物たち――ハドスン夫人、レストレイド警部、ワトスン夫人、ホームズの兄マイクロフト、ベイカー街浮浪少年団、そして宿敵モリアーティ教授!――を登場させて読者を喜ばせてくれる。ソルティは殊に、弟を凌駕する天才的頭脳を持ちながら孤独と怠惰を愛するおデブさん、イギリス国家の影のフィクサーたるマイクロフトが好きである。
 また、ロンドンの下町やスラムの情景が眼前に浮かんでくる文章は、さすがロンドンっ子の面目躍如である。

 ホームズものとしては、絶対にドイルが書かないようなショッキングな真相が待っている。
 思い返してみたら、ホームズものにはセックスに関わるエピソードが排除されている。時代の制約というものだろう。
 当時イギリスはヴィクトリア女王が君臨していた(在位1837~1901年)が、ヴィクトリア朝的という用語には、「非常に厳しいがしばしば偽善的な道徳的基準」といった意味合いがあるそうだ。
 抑圧すればするほど変態度を増していくのがセックスというものである。



評価: ★★★
 
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損


● 名探偵ホーソーン登場 本:『メインテーマは殺人』(アンソニー・ホロヴィッツ著)

2017年原著刊行
2019年創元推理文庫

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 昨年、シャーロック・ホームズもののパスティーシュ『絹の家』(2013年邦訳)を読んで、はじめて知った英国作家である。
 実は、『絹の家』の後に翻訳された『カササギ殺人事件』、本作、そして今秋刊行されたばかりの『その裁きは、死』の3作が、3年連続で「別冊宝島このミステリーがすごい!」と「週刊文春ミステリーベスト10」の外国作品ベスト1に輝いている。
 まさに今、世界のミステリー界を牽引し、日本でも話題沸騰の人気作家なのであった。
 
 『絹の家』ですでに証明されていたが、この作家はプロットづくりがたいへん上手い。
 読者のツボを心得て飽きさせない語り口、卓抜な構成力、さりげない伏線の配置と回収、ほど良い息抜きシーン挿入、ここぞと言うところで冒険小説風のスリルとサスペンス。
 いったん読み始めたら、ページをめくる手が止まらなくなった。
 スティーヴン・キングを思わせる一級のエンターテイナーである。
 
 それもそのはず、この作家は英国の人気TVドラマ『名探偵ポワロ』、『バーナビー警部』、『刑事フォイル』の脚本家として知られた人なのであった。
 それ以前にも、ヤングアダルト向けの「女王陛下の少年スパイ! アレックス」シリーズで英国では子供たちの幅広い人気を得ていたようだ。
 物書きとして十分な実力と名声を身につけた上での大人向けミステリーデビューが、『絹の家』だったのである。
 
 と、作者の履歴を記したのはほかでもない。
 実はこの作品、ホロヴィッツ自身を語り手とする、一見ノンフィクションの形を取っているフィクションだからである。
 映画・TV業界で活躍するホロヴィッツの脚本家としての日常がそのまま描き出され、彼のこれまでの経歴が語られ、『絹の家』を含めこれまで制作に関わった作品名が次々と出てくる。
 スピルバーグ監督や『ロード・オブ・ザ・リング』のピーター・ジャクソン監督が実名で登場し、ホロヴィッツと新企画の映画について検討するシーンが出てくる。
 ホロヴィッツの家族も顔を出す。(妻と二人の息子がいるらしい)
 こういった作者の周囲の現実世界を舞台に設定した上に、殺人事件と推理ドラマいうフィクションを載せている。
 虚実入り乱れの面白さ!
 そして、「虚」の部分では、ホームズばりの観察眼と推理力そして偏屈ぶりを発揮する元警部ホーソーンという“一匹狼型”名探偵を創造し、ホロヴィッツ自身は頭の鈍いワトスン役に甘んじる。
 相性がいいのか悪いのか(今のところ)分からない二人の関係性が面白い。
 ホーソーンは激しいホモフォビア(同性愛嫌悪)の持ち主なのだが、その理由が気になるところだ。
 「実」の部分では、なんといっても映画・TV業界のことなら何でも知っている海千山千のベテラン脚本家である。業界の内輪ネタが読者の好奇心をそそらないわけがない。
 どこまでが事実で、どこからが創作か。
 それを探るのも一興である。
 
探偵

 
 推理小説としてもよく出来ている。
 犯人探しに必要な情報をしっかり読者に与えつつ、読者を誤った推理におちいらせる撒きエサ、いわゆるレッドへリング(red herring、赤いニシン)もたくみに仕掛け、一方、犯人には動機と機会をしっかり用意している。
 ホーソーンの推理も納得ゆくもので、すべてが解き明かされていくラストの気持ち良さはクリスティやクイーンといったミステリー黄金期の古典を彷彿とする。
 重厚で悲惨で残酷なものが多い昨今人気の北欧ミステリーに比べ、全体に明るく軽やかな雰囲気なのも読みやすさの秘訣だ。
 個人的な嗜好だが、英国が舞台なのもポイント高い。
 現代の英国社会の世相が垣間見えるのが興味深い。
 物語の中のホロヴィッツは、ホーソーンの元同僚であるメドウズ警部――ホームズものに出てくるレストレード警部にあたる役どころを担う――に、ホーソーンのゲイ嫌いの理由を尋ねる。
 メドウズ警部は「知らない」と言った後、次のように付け加える。

「きょうび、警察じゃ誰も自分の意見なんか口にしない。ゲイや黒人についてなにかうっかりしたことを言おうもんなら、その場で首になりかねんからな。このごろじゃもう、“マンパワー(労働力)”なんて言葉も、男女平等に配慮して言いかえなきゃならん。十年前なら、何かまずいことを口走っちまっても、ぴしりと引っぱたかれるくらいですんだ。それだけで、後を引くことはなかったんだ。だが、きょうび、ポリティカル・コレクトネス(政治的な正しさ)は一介の警察官より重要ってわけさ」
 

 ソルティは、半分くらいで犯人が分かった。
 動機も推測できた。
 「損傷の子に会った、怖い」という、最初の被害者が残したダイイングメッセージの意味も見当ついた。(ソルティは英文学が好きなので)
 物語の最後の最後に明かされる、ホーソーンがホロヴィッツを自分のワトスン役として巻き込むために仕掛けた姑息なトリックも、早い段階で見抜けた。
 すなわち、途中から謎はなくなった。
 それでも、まったく飽きることなく楽しく読み続けられたというところに、かえってこの作家の筆力のほどを感じたのである。
 
 次は、『カササギ殺人事件』を借りよう。
 

 
おすすめ度 :★★★★ 

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損

 

● カウチポテトでミステリー 本:『カササギ殺人事件』(アンソニー・ホロヴィッツ著)

2017年原著刊行
2018年創元推理文庫

 外は雨、静かな室内、心地よい座椅子。
 熱い紅茶とポテトチップス。
 ティッシュペーパー(指についた油分を拭う)。
 そして、買ったばかりの(借りたばかりの)ミステリー。
 これって、最高の組み合わせじゃない?
 
 ――と、本書『カササギ殺人事件』の出だしをパロってみた。

 が、マジで、小学生の時に図書室で借りるポプラ社の明智小五郎やシャーロック・ホームズや怪盗ルパンのシリーズにはまって以来、ソルティの人生における至福の瞬間は、上記の通りであった。
 これが中学生になると金田一耕助やエラリー・クイーン、高校生になるとエルキュール・ポワロやファイロ・ヴァンス、大学生になるとブラウン神父やミス・マープル・・・・・と熱中対象がどんどん増えていき、紅茶&ポテトチップスの組み合わせが、ビール&柿ピーや赤ワイン&チーズクラッカーに変わっていくのであるが、半世紀以上生きてきた今でも、結局、手軽に入るテッパンの至福の瞬間は、カウチポテトでミステリーを読んでいる時である。
 次点で、映画を観ている時か。
 ひとり上手なのだ。

 とりわけ、同じミステリーでもいわゆる本格物に目がない。
 奇想天外なトリック、名探偵による推理、意外な結末の3点セットが揃っているタイプだ。
 アンソニー・ホロヴィッツは『絹の家』、『メインテーマは殺人』でも見せてくれたように、本格物の王道を歩んでいる。
 しかも、高いレベルで。

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 本作と来た日には、名探偵アティカス・ピュントが活躍する本格ミステリー「カササギ殺人事件」の作者アラン・コンウェイの墜落死の謎をめぐる本格ミステリーという、入れ子構造の劇中劇。
 上巻は編集者スーザンの序文をのぞいた丸々一冊が、コンウェイの遺作となったフィクション「カササギ殺人事件」の未完原稿に当てられ、下巻はそのコンウェイの突然死の謎と失われた原稿の行方を探る“現実世界”における素人探偵スーザンの活躍が描かれる。
 劇中劇(フィクション)の中に殺人があり謎があり真犯人がいて、劇(現実世界)の中にも殺人があり謎があり真犯人がいる。
 つまり、本格の二乗。
 薬師丸ひろ子主演の映画『Wの悲劇』を思い出した。
 
 しかも、アティカス・ピュントはエルキュール・ポワロを彷彿とするチビの外国人(非英国出身)で、コンウェイの小説にはアガサ・クリスティからの引用やパロディがあちこちに散りばめられている。
 コンウェイの死の謎解きをめぐってスーザンが出会う証人の一人は、なんとアガサ・クリスティの孫マシュー・プリチャード(実在人物である)という手の込みよう。
 ここでも、『メインテーマは殺人』同様、現実と虚構を入り混じらせるホロヴィッツの遊び心が垣間見られる。
 この小説自体が、アガサ・クリスティへのオマージュであり、本格ミステリーを愛する全世界の人々に対する著者からの挑戦状兼ラブレターのようなものなのだ。

 最後には、スーザンは奇抜なトリックを見抜き意外な犯人をつきとめ、身の危険を賭して事件を解決に導く。
 と同時に、コンウェイ作「カササギ殺人事件」の解決部分の原稿も見つかって真犯人が明らかにされ、名探偵アティカスは『カーテン』のポワロのごとく、恰好よくこの世を去る。
 “現実世界”も劇中劇も無事、大団円にいたる。
 
 こうした構成の卓抜さ、プロットの面白さ、遊び心、読者に対する公明正大さ。
 本格ミステリー好きなら誰もが驚嘆し、喝采し、愛好するところであろう。
 今回は紅茶&グリコ PRETZ とともに至福の時をもらった。

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 ソルティはホロヴィッツが仕掛けた2つの謎(“現実世界”と劇中劇)のうち、“現実世界”の謎、すなわちアラン・コンウェイ殺人事件の真犯人とトリックは途中で見抜くことができた。さすがに動機までは推測つかなかったが。
 一方、劇中劇である「カササギ殺人事件」の真犯人は最後まで分からなかった。
 負け惜しみのようだが、こちらのほうは手掛かりが少なくて推理しようがなかった。
 最終場面でアティカスの披露する推理は、なるほど筋は通っているが、当てずっぽうという感は否めない。意外性も少ない。
 いっそのこと、人生に幕(=カーテン)を閉じるアティカスを真犯人にしてしまえば、クリスティへのオマージュとしてはさらに完璧になったであろう・・・・。
 


 
おすすめ度 : ★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損

 

● 一本とられた! 本:『モリアーティ』(アンソニー・ホロヴィッツ著)

2014年原著刊行
2015年KADOKAWA(駒月雅子訳)

 やられた!
 一本とられた!

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 というのが読後の心の叫びである。
 『カササギ殺人事件』や『メインテーマは殺人』といった本格推理小説の名手ホロヴィッツゆえ、「なにか奇抜なトリックが仕掛けられているに違いない」と思いながら読み始めたのに、見抜けなかった。
 思わず、二度読みした。

 トリックを見抜けなかったのにはそれなりの理由が(言い訳が)二つある。
 一つには、この小説はタイトルが示すように、先行作の『絹の家』同様、ホロヴィッツ2作目のシャーロック・ホームズもののパスティーシュなのであるが、本格推理小説というよりも犯罪スリラーの色が濃厚なのである。
 スコットランド・ヤードのジョーンズ警部とピンカートン探偵社のチェイス調査員がタッグを組んで、アメリカからイギリスに進出してきた悪の組織を追い詰めるというのが基本プロットで、ところどころジョーンズ警部によるホームズまがいの鋭い推理披露シーンはあるものの、大枠としては真犯人探しのミステリーではなく、“勧善懲悪”の犯罪小説といった趣である。
 角を曲がるたびに景色が変わるように、展開が目まぐるしく、バッタバッタと人が殺されていく。
 主役の二人が敵に頭を殴られ気絶し、冷凍庫に閉じ込められるといった、お決まりの絶体絶命シーンも設けられている。
 「この先どうなるんだろう?」というハラハラドキドキ感が先立ち、筋を追うことにかまけ、じっくりと小説の構造というか作者の企みを考える余裕がなかったのである。
 たとえてみれば、迫力満点のプロレスの試合が目の前に展開されているときに、「八百長」という言葉がまったく浮かんでこないようなものである。

 八百長・・・・。
 そう、今一つの理由は、本作で仕掛けられているトリックは、ある意味、八百長まがいだからである。
 フェアかアンフェアか?と聞かれたら、「アンフェアだろうな・・・」というのがソルティの正直な感想である。
 ネタばらしになるので詳しくは書かないが、よもやこういったトリックを仕掛けてくるとは思っていなかったので、読み始めた最初の頃に一瞬その可能性も浮かびはしたものの、想定の外に追いやってしまった。
 ならば、アンフェアだから失敗作か? 駄作か? 読む価値ないか?――といえば、そんなことはない。
 本作の一番の特徴にして魅力は、「アンフェアなのかもしれないが、ま、いいではないか」と進んで許容してしまいたくなるところにあろう。

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 なんと言っても、面白い。
 ホームズ&ワトスンを模したジョーンズ&チェイスの名(迷?)コンビぶり、レストレード警部含むスコットランド・ヤードの面々や名作短編『赤毛連盟』の主犯たちやモリアーティ一味の残党など原作おなじみメンバーの出演、ホームズとモリアーティが死闘を繰り広げたライヘンバッハの滝や馬車が走る19世紀ロンドンの風景など、パスティーシュならではの楽しさ満載である。
 ストリーテリングの巧みさと随所にさしこまれるユーモアはホロヴィッツの独壇場。
 そのユーモアですら伏線の一つであることがのちに明らかになるにいたっては、シャッポを脱ぐよりない。
 なんという腕の立つ作家か!
 ホロヴィッツは、日本の作家で言うなら、東野圭吾と貴志祐介と筒井康隆をブレンドして3で割ったような感じであろうか。
 これだけ楽しませてくれれば、文句はない。
 
 最後の最後でトリックが明らかになった時、ホームズものを愛する読者の多くはおそらく、「アンフェアなのも無理はない」と不承不承納得するであろう。
 フェアを期待するのがそもそも間違っていたと思うであろう。
 それだけの“悪”に出会うからである。
 泥棒被害に遭った時、相手が名もない出来心からのコソ泥だったら頭にも来ようが、アルセーヌ・ルパンであったら、どうだろう?
 むしろ名誉と思うのではなかろうか。
  


おすすめ度 : ★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損

 

● 虚実コンビ 本:『その裁きは死』(アンソニー・ホロヴィッツ著)

2018年原著刊行
2020年創元推理文庫

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 『メインテーマは殺人』に続く名探偵ダニエル・ホーソン&ワトスン役アンソニー・ホロヴィッツの虚実コンビシリーズ第2弾。
 アンソニーはもちろん著者自身であり、ダニエル・ホーソンは創作上のキャラである。
 このシリーズは、作者の実生活を舞台にした、作者自身とその創造したキャラクターの共演という興味深い趣向なのである。
 言ってみれば、シャーロック・ホームズとコナン・ドイル、ミス・マープルとアガサ・クリスティ、金田一耕助と横溝正史が共演し、しかも各作者それぞれの実生活に各名探偵が登場して活躍するようなもの。
 虚構と現実の入り乱れ具合がひとつの読みどころとなる。
 巻頭の登場人物表を見ても実在人物と創作キャラが並んでいて、はたして虚実どっちなのか見分けがつかない者もいる。
 小説創作の観点からも挑戦しがいあるユニークな試みと言える。
 ひょっとしたら、これだけの世界的ベストセラーになってしまうと、創作の世界が現実の世界に多大な影響と変化を及ぼしているかもしれない。

 今回も本格推理小説の王道を行く堂々たるフーダニット。
 離婚専門の一流弁護士を殺害した真犯人を、推理と洞察によって当てる手がかりがきちんと提供されている。
 もちろん、レッドへリング(偽の手がかり)も。
 「読者への挑戦状」こそないが、読者は書かれている内容をもとにホーソンと同じ真相にたどりつくことができよう。
 迷探偵ソルティは半分くらいで「こいつかなあ?」と真犯人の目星がついて、残り1/3くらいで「間違いない」と思った。
 当たった! 
 動機については最後まで確証が持てなかった。

 一つフェアでないと思ったのは(注:ここからネタばれです)、犯人が殺人現場の壁にペンキで書き残した 182 というメッセージについて、それが床からどのくらいの高さにあったかが言及されていない。
 犯人の身長を割り出す一つの手がかりになるわけだから、これは書かなければいけないだろう。
 それともう一つ。
 犯人が弁護士の家に近づくところを、犬を散歩させていた隣人が遠くから目撃する。
 ここで「なぜ犬は吠えなかったか?」は重要な手がかりになりうると思う。(ソルティが容疑者を絞るための最初の手がかりはこれであった)
 著者としてのホロヴィッツは、なぜそれを採用しなかったのだろう?
 まさか伏線を回収し忘れた?

 名探偵ホーソンのホモフォビア(同性愛嫌悪)が、シリーズにわたって解明されるであろう一つの謎として挙げられている。
 今回も『メインテーマは殺人』同様、同性愛カップルが登場し、ホーソンの悪態の標的となる。 
 英国の同性愛をめぐる事情がうかがえるのもこのシリーズ、というかホロヴィッツの小説の特徴であろう。
 ホロヴィッツ自身はアライ(ally=LGBTの理解者)である。



おすすめ度 :★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
★     読み損、観て損、聴き損






● あえてゲイ殺しの汚名を着て 本:『ヨルガオ殺人事件』(アンソニー・ホロヴィッツ著)

2020年原著刊行
2021年創元推理文庫(山田蘭・訳)

 いまや世界の本格ミステリー界の大御所とも言えるホロヴィッツ。
 ひとつの小説の中に別の小説を丸ごと放り込む、というアクロバティックな入れ子構造が見事に功を成し、一読で二つの本格ミステリーが楽しめた傑作『カササギ殺人事件』の続編が本作である。

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 本作もまた、英国人編集者スーザン・ライランドが8年前にヨルガオホテルで起きた殺人事件の解明に取り組むというメインプロットの中に、名探偵アティカス・ピュントが活躍するアラン・コンウェイの3作目のミステリー『愚行の代償』が丸ごと投入されている。
 アラン・コンウェイは、スーザンがデビューの時から担当していた作家で、国際的ベストセラー作家となったものの、9作目発表後に急死した。
 読者は、入れ子構造の外箱と内箱をなす二つのミステリーにおいて、探偵役のスーザンやアティカス・ピュントとともに犯人探しを楽しむことができるわけだが、むろん、この凝った形式には必然的理由がある。
 外箱すなわち「スーザンやアラン・コンウェイの住む“現実世界”」で起きた殺人&行方不明事件を解明する鍵が、内箱のフィクション『愚行の代償』の中に隠されている。8年前の事件の真犯人を知る故アラン・コンウェイは、ある理由から、犯人を警察に告発する代わりに自作にヒントを散りばめたのであった。
 ホロヴィッツのパズラー魂と巧緻なプロットには毎回のことながら舌を巻く。
 しかも、外箱のミステリーも、内箱のミステリーも、揃って本格推理小説として、あるいはエンターテインメントとして、一定の水準に達していて面白い。
 クリスティやクロフツやチェスタトンなど、ミステリー黄金時代の作家たちに匹敵する驚くべき才能である。

 素人探偵ソルティによる犯人当ては、一勝一敗であった。
 内箱の『愚行の代償』の犯人は当てることができたが、外箱の“現実世界”の犯人は分からなかった。
 素晴らしい読書タイムを与えてもらえたので、文句をつけるほどのことではないが、若干、キャラ設定的に気になるところはあった。
 “現実世界”でスーザンが行方を捜しているセシリーは、星占いの好きな夢見がちの一途な女性という設定なのだが、そのキャラクターからはちょっとあり得そうもない行動をしている。
 星の導きで出会った運命の人との結婚式を数日後に控えたセシリーが、はたしてすでに一緒に暮らしている婚約者の目を盗んで、×××の中で×××と×××するか・・・?
 しかもその結果、×××までしてしまい、×××するか・・・?
 どうも納得いかない。

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Tú AnhによるPixabayからの画像画像
 
 ときに、ホロヴィッツの小説の特徴の一つとして言えるのは、ゲイの登場人物が多いという点である。
 これまでに読んだものの中では、シャーロック・ホームズ物のパスティーシュである『モリアーティ』をのぞくすべての作品で、ゲイが登場していた。
 なにより、アティカス・ピュントの生みの親である作家アラン・コンウェイもゲイ(という設定)であり、本作でスーザンが調べることになった8年前の殺人事件の被害者も、SM趣味ある遊び人のゲイである。
 このゲイ濃度の高さはなにゆえ?

 おそらく、長いことメディア業界で仕事してきたホロヴィッツの周囲にはカミングアウト済みのLGBTがあたりまえに多く存在していた(いる)こと、そして、ホロヴィッツがアライ(LGBTを支援する人)であることが大きいのだと推測する。
 あるいは、英国ではすでに、複数の人物が登場する現代小説やドラマを書いたら、そこにゲイやレズビアンが出てこないのは不自然――というほど、LGBTの存在が可視化されているのだろうか?
 むろん、黄金時代のミステリーにはLGBTの姿はない。
 (欧米ミステリーにはっきりした形でLGBTが登場するのは、1955年マーガレット・ミラー著『狙った獣』が嚆矢ではないか?)

 ソルティが英国を訪ねたのは、2000年。
 当時のLGBTをめぐる社会的状況は、日本のそれとさほど違いはなかったように思う。
 やはり、ここ20年の変化が大きかったのではないか?(英国では、2014年に同性婚が法制化されている)
 その間、日本では、旧統一協会の息のかかった保守系議員や学者らによる性教育バッシングが安倍政権のもと勢いを増し、我が国のセクシュアルライツ(性と生殖に関する権利)は後退し続けた。 
 ホロヴィッツの小説を読むたびに、“失われた20年”および彼我の国民性の違いを思う。




おすすめ度 :★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損




● 本:『殺しへのライン』(アンソニー・ホロヴィッツ著)

2021年原著刊行
2022年創元推理文庫(訳・山田蘭)

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 ホロヴィッツ7冊目、カテを立てた。
 元刑事のへんくつ探偵ダニエル・ホーソーンと、著者であるホロヴィッツ自身がタッグを組んで事件解決に当たるシリーズ3作目。
 あいかわらず、語り口が巧みで、ストーリー運びも見事で、読み始めたら止まらない。
 探偵小説愛好家の関心&感心のツボをよく心得ている。
 孤島で起きる連続殺人という基本設定だけで、すでにワクワクしてくるではないか。
 しかも、島の地図入りである。
 真相から目をそらさせる撒き餌も十分用意しつつ、いったん真相がわかってみれば、そこに至る伏線もしっかり読者の前に供されていた、という心憎いばかりのテクニック。
 この調子で書きつづけていったら、クイーンやクリスティと同じ殿堂に手形を残すことになるのではなかろうか。

 ただ、個人的には、本作におけるホーソーンの推理は前2作にくらべ、いささか頼りない気がした。
 論理の積み重ねというよりは、漠とした状況証拠の組み合わせによる、いわば“当てずっぽう”のような推理であって、読者を納得させるには弱いように思った。
 少なくともソルティはすっきりしないものがあった。

 あるいは、これは真犯人解明シーンにおける叙述の問題なのかもしれない。
 一つの部屋に集めた関係者一同を前に、探偵が滔々と推理を披露し、次々と容疑者を俎上に乗せていっては論理をもってこれを棄却し、最後の最後に真犯人を名指しする――というのが、黄金時代の定番「犯人はお前だ!」スタイル。
 探偵とともに一から事件を振り返り、散りばめられた手がかりや伏線がこれまで気づかなかった視点のもとに配列され意味をなし、すべてのピースが埋まってパズルの絵が完成していく、その快感に浸ることができてこそ、読者は探偵と著者の前にひれ伏すのである。
 謎解きのシーンのスリルと迫力こそ探偵小説の真骨頂、迷探偵を名探偵に変えるエッセンス。

 現代では、この「犯人はお前だ!」スタイルは難しい。 
 それに代わる名探偵の推理の見せ場をどうつくるかが、作家の腕の見せどころとなるわけだが、本作はそこが弱いように思う。

探偵

 最後に――。
 このシリーズがこの先続いていくためには、主人公ホーソーンのキャラの魅力が重要なのは言うまでもない。
 が、今のままだとちょっと不安。
 へんくつは全然かまわないが、どこかに愛すべきところがないと早晩読者に飽きられてしまうのではないか。
 ワトスン役をつとめるホロヴィッツとの関係も、今のままではあまりにドライかつ“知的カースト”的で、読んでいて不愉快すれすれである。
 次作でのキャラ掘り下げと関係改善に期待。

 
 
 
おすすめ度 :★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損





● 本:『ナイフをひねれば』(アンソニー・ホロヴィッツ著)

2022年原著刊行
2023年東京創元社(山田蘭・訳)

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 ホーソン&ホロヴィッツの虚実コンビの4作目。
 今回はなんと、事件の記録者であるホロヴィッツが殺人の疑いで逮捕されてしまうという衝撃の展開。

 救えるのはあの男(=ホーソン)しかいない!

 このアオリ文句に乗せられて購入した。
 3作目『殺しへのライン』で、ちょっと不愉快な感じを覚え始めた二人の関係性にも、なんらかのポジティブな変化があることを期待して。

 さらに、本作のキャッチーは、イギリスの演劇シーンが文字通り「舞台」となっているところである。
 ホロヴィッツの書いた戯曲『マインドゲーム』が幕を開けた翌日に、殺人事件が起こる。
 殺されたのは辛口で知られる演劇評論家の女性で、容疑者に上げられたのはホロヴィッツを筆頭に、『マインドゲーム』に出演する個性的な役者の面々。
 今回はまさに演劇に造詣の深いホロヴィッツの薬籠中の題材。
 楽屋裏を覗く面白さ満載である。

 わかりやすいユーモラスな語り口、読者を飽きさせないストーリーテリングはあいかわらず。
 毎度のLGBTネタもちゃんと仕込んである。
 このシリーズ、そのうちBBCでドラマ化すると思うが、その際、どの役者がホーソン役を射止めるだろうか?
 ソルティの勝手なイメージでは、『ダウントン・アビー』で伯爵の従者ジョン・ベイツを演じたブレンダン・コイルが思い浮かぶのだが、コイルはいまや60歳を超えているので、40歳代(多分)のホーソンは難しいだろう。
 ホロヴィッツの役はさすがに本人自身というわけにもいくまいから・・・・そうだ、やはり『ダウントン』にゲイの従者トーマス・バロー役で出ていたロブ・ジェームズ=コリアーなんかどうだろう? 
 LGBT風味が薫って面白そうだ。

 ミステリーとしては凡庸で、犯人の見当は全体の3分の2くらい読んだあたりで付いた。
 過去の事件が動機をなしていて、そこに関わる人物が犯人だろうと。(当たっていた)
 ホロヴィッツにかけられた殺人の疑惑を限られた時間内で晴らすという枷をのぞけば、凝ったトリックで唸らせられるわけじゃなし、ホーソンの推理もさほど目覚ましいものではない。
 まあ、そうそう毎度毎度、画期的なトリックや機知に富む手がかりや読者に有無を言わさぬ名推理が提供できるわけもなかろう。
 そこはまあいいとしよう。
 気になったのは、設定の不自然さである。

 ホロヴィッツ作の別シリーズの『ヨルガオ殺人事件』でもキャラクター設定の不自然さについて触れたが、今回も、「どうよ、これ?」と思うような不自然な設定に減点が生じた。
 ネタバレになるので詳しくは語らないが、犯人の動機と犯人の選んだ職業の間には根本的な矛盾がある。
 松本清張の『顔』と言えば分かる人には分かるだろう。

 最後に、気になっていた虚実コンビの関係性については特段の変化はなかった。
 創作者としてのホロヴィッツは、謎の多い探偵ホーソンのプライベートを少しずつ明かしていくことで「引き」を作っている。
 小憎らしい戦略だ。
 が、肝心のホーソンの人間的魅力が、巻を重ねるごとにソルティの中では薄れていっている。
 5作目を読むかどうか・・・・。(と言いつつ、読むんだろうなあ、きっと)




おすすめ度 :★★

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 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
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★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損


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